どこへ行く日本共産党

 

象徴天皇制、自衛隊活用、民主集中制

 

田口富久治

 

 ()これは、『週刊金曜日』(2001.12、346号)に掲載された、田口富久治立命館大学教授論文の全文である。このHPに全文を転載することについては、田口氏の了解を頂いてある。私(宮地)の方で、文中の傍点個所は黒太字に、第22回大会決議、規約の「引用カコミ」部分は茶太字にした。また、HPについて、リンクをした。

 〔目次〕

   政権参加の道を探る

   「自衛隊活用論」への党内の反対意見

   党内民主主義は後退したのか

   社会民主主義政党への道をたどるのか

 

 (田口論文・掲載ファイル)              健一MENUに戻る

   『21世紀における資本主義と社会主義』

   『マルクス主義とは何であったか?』

   『丸山先生から教えられたこと』。丸山批判問題

   『丸山眞男の「古層論」と加藤周一の「土着世界観」』

   加藤哲郎『田口富久治「戦後日本政治史」書評、および私的断想』

 

 無駄な税金のバラマキなど悪政が続く森内閣。だが、野党にも森内閣を倒す戦略が欠けている。そういったなか、日本共産党は昨年十一月、党大会を開き、「社会主義革命」などの表現がある前文を全文削除する党規約改定と、有事の際の自衛隊活用の容認などを盛りこんだ大会決議をそれぞれ採択した。こうした“柔軟路線”の背景には何があるのか、日本共産党はどこへ行こうとしているのか、そしてその課題はどこにあるのかを検証する。

田口富久治

 

 

 日本共産党第二二回大会は、二〇〇〇年十一月二〇日から二四日までの五日間、静岡県熱海市の共産党伊豆学習会館で行なわれ、党指導部が提案した、同党第二二回大会決議と改定規約を、若干の補強・修正個所を加えながらも、基本的には原案の骨格のままに承認した。

 

 政権参加の道を探る

 

 日本共産党(以下、共産党)の基本政策面および組織面における変化の兆しは、一九九七年九月の同党第二一回党大会での宮本顕治(みやもとけんじ)議長の引退、不破哲三(ふわてつぞう)委員長、志位和夫(しいかずお)書記局長の体制成立のもとに始まった。なかんずく九八年七月の第一八回参議院選挙では、自民党が惨敗し(橋本龍太郎首相退陣)、逆に共産党は、比例代表選挙では過去最高の八二〇万票を獲得し、それ以降、政権参加の道を探ろうとする動きを顕著に示しはじめた。

 

 『朝日新開』(二〇〇〇年九月二〇日付)の「共産党の最近の歩み」を使えば、共産党は九八年七月の首相指名で民主党の菅直人代表(当時)に投票、同年八月『しんぶん赤旗』のインタビューで、不破委員長が「暫定政権では安保にかかわる問題を凍結」と表明。同年九月には不破氏が日本記者クラブの講演で象徴天皇制を事実上容認する発言、九九年に入って、二月には不破氏が国旗・国歌の法制化を唱える新見解を提唱(これが自民党野中広務幹事長(当時)等に利用された)、三月、不破氏が著書で自衛隊を事実上容認、と続く。ところが、政局はその後、小渕恵三政権における自自連立、自自公連立の成立によって一応安定し、二〇〇〇年に入っての小渕政権の終焉(しゅうえん)後は、自民党内「密室協議」で森喜朗政権が誕生し、それは自公保連合に支えられて、極端な低支持率のもとでなお続いている。

 

 そして二〇〇〇年六月二五日の衆議院選挙においては、自民党は三八議席を失ったにもかかわらず、連合政権としては国会で過半数を維持した。野党では民主党が躍進し、自由党、社民党も議席を伸ばしたが、共産党は二六議席から二〇議席に低落し、小選挙区では当選者ゼロとなった。共産党はこの後退の理由の一つに「デマを前面に押し出した空前の反共攻撃」をあげたが、いずれにしろ、第二一回党大会における「自共対決こそ日本の政治対決の主軸」という意気込みは壁にぶつかった。

 

 しかし総選挙に先立つ三カ月前、『朝日新開』が行なった第一回世論モニター調査によれば(昨年三月一二日付)、共産党の拒否率(支持したくない政党)はトップで二四%(二位が公明党の一五%)、無党派層ではトップが公明党の一八%、二位が共産党の一五%という危険信号が点灯していたのである。有権者の四人に一人に拒否されているのでは、どうにもならない。その時の総選挙での後退はある意味では不可避であった。

 

 これに対する一つの対応として打ち出されたのが、同年九月一九日の同党第七回中央委員会総会における規約改定案――従来の規約前文の全面削除だった。それによって、共産党の前衛政党(注1)という自己規定や、社会主義革命、階級闘争等の用語はなくなった。この改定案は、第二二回党大会に提案、承認されたが、不破委員長は、九月二〇日の第七回中央委員会総会結語で、党綱領の改定についても「やがて日程にのぼる」と発言したのだった。

 

 「自衛隊活用論」への党内の反対意見

 

 共産党第二二回大会で何が問題になったのか。そこでの中心的論点は何であったのか。そのことを知るための資料としてもっとも有益なのが、『しんぶん赤旗』別刷り「学習・党活動版臨時号」に掲載された計三四九通の「大会決議案、規約改定案への意見(投稿)」(以下、意見)である。

 

 ここでは当然のことながら、党員からさまざまな問題についてのさまざまな賛否の意見が寄せられているが、投稿が集中しているのは、一つは、いわゆる「自衛隊活用論」にかかわるものであり、第二は、党組織のあり方、とくに共産党の組織原則とされている「民主集中制」の規定にかかわるものである。

 

 第一の論点は、決議案第三章第九項、「憲法を生かした民主日本の建設を」の()憲法九条と自衛隊の関係を論じた部分の末尾の、「そうした過渡的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する」のくだりである(傍点筆者、右、別掲カコミ参照)。この文章(草案では「その時期に」、補正案では「そうした過渡的な時期に」)はきわめてあいまいな表現であった。

 

 (文中カコミ引用) 『日本共産党第二十二回大会決議』(補強・修正個所に傍線)

(3)憲法九条と自衛隊の関係をどうとらえ、その矛盾をどのように解決していくかという問題は、二十一世紀の日本にとって重要な問題である。(中略)

 独立・中立を宣言した日本が、諸外国とほんとうの友好関係をむすび、道理ある外交によって世界平和に貢献するならば、わが国が常備軍によらず安全を確保することが、二十一世紀には可能になるというのが、わが党の展望であり、目標である。

 自衛隊問題の段階的解決というこの方針は、憲法九条の完全実施への接近の過程では、自衛隊が憲法違反の存在であるという認識には変わりないが、これが一定期間存在することはさけられないという立場にたつことである。これは一定の期間、憲法と自衛隊との矛盾がつづくということだが、この矛盾は、われわれに責任があるのではなく、先行する政権から引き継ぐ、さけがたい矛盾である。憲法と自衛隊との矛盾を引き継ぎながら、それを憲法九条の完全実施の方向で解消することをめざすのが、民主連合政府に参加するわが党の立場である。

 そうした過渡的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。国民の生活と生存、基本的人権、国の主権と独立など、憲法が立脚している原理を守るために、可能なあらゆる手段を用いることは、政治の当然の責務である。

 

 その「時期」が、その前の文章の第一段階(将来の日米安保条約廃棄前の段階)、第二段階(日米安保条約が廃棄され、日本が日米軍事同盟からぬけだした段階)の両方を含むのか、第二段階のみを指しているのかまずはっきりしない。この第二段階に限定するというのであれば、「急迫不正の主権侵害」を行なう確率のもっとも高い主体は、アメリカ(帝国主義)ということになるであろうし、第一段階のみを指すとすれば、主権侵害の主体は、同盟国であるアメリカ(帝国主義)ではありえず、その他の国家ということにならざるをえないであろう。

 

 共産党は昔から相対的に多数の弁護士集団および法律学者、とくに公法(なかんずく憲法)分野の論客をもっていることで有名である。さきの投稿には、かなりの数の憲法学者ないし弁護士からのものが含まれており、それらの圧倒的多数は、このくだりに批判的であった。憲法第九条と自衛隊活用論を論じた五〇を超える投稿の中で、原案賛成は一割程度であり、残りの九割は、反対ないしそのくだりの削除を求める意見である。

 

 反対意見を要約すれば、@、たとえ自衛のためではあっても、他国からの主権侵害に対して自衛隊を「活用」して立ち向かうことは、日本国憲法の前文、第九条第一項および第二項前段・後段(戦力不保持・交戦権の否定)に違反する。日本国憲法は国連憲章よりさらに進んで、「自衛戦争」も「正義の戦争」(「正戦論」。これについてはラミス著『憲法と戦争』晶文社、参照)も認めていない。違憲の自衛隊を自衛のためであっても「活用」することは、無条件的に違憲であり、論理的自己矛盾に陥る。しかもそれは国民の安全を保障することには決してならず、国民をいっそう危険な状況に置くことになる。

 

 A、この反対ないし削除の意見を補強する論点として、共産党はその第一二回大会以来、直近のことでいえば第二〇回大会(九四年)の決議およびそれを確認した第二一回大会(九七年)の決議において、「急迫不正の主権侵害にたいしては、警察力や自主的自警組織など憲法九条と矛盾しない措置をとることが基本である」としてきた。が、九九年になって不破委員長(当時)の『新日本共産党宣書』(井上ひさし氏との共著、光文社)などによって、この決議からの逸脱がおこり、今回の決議の先の規定に連なっていく。これは前文および前大会決議からの明白な転換である。

 

 B、この転換の背景にあるのは、政権参加意欲を動機とする現状追認の流れ=「右転落への道」と解され、その結果としては、防衛庁筋にこの転換を利用する動きが出ていることと、党員および党内外の平和運動、反基地運動等にかかわっている人々のとまどいと落胆の様子が伝えられている。

 

 さて、この論点についての志位書記局長(当時)の中央委員会報告の関連部分、および討論についての同局長の結語、とくに後者は、「決議案の立場が全党の共通の認識に」なったと自賛しているが、憲法認識という点ではかなりレベルの高い批判者たちが、これで納得したとはとうてい思われない。私自身の意見は、前述の「意見」に掲載された佐竹、梶山、南沢、T・M、S・Mなどの投稿に近い。とくに「決議案の戦争認識は恐ろしく幼稚である」という評価には完全に同意する。そしてこの「自衛隊活用論」が、護憲運動に与えるマイナスと混乱を恐れる。

 

 党内民主主義は後退したのか

 

 つぎに、規約改定案についての「意見」を、いわゆる「民主集中制」についての議論に即して見よう。おそらく戦後生まれの読者は、その用語を知らない人が多いであろうから、簡単に解説しておく。

 

 これは昔、正式には「民主主義的中央集権制」と訳されていたことばで、一九一九年レーニンによって創立された「世界共産党」(コミンテルン)の組織原則として樹立されたもの。重点は、役員選出などに際して、一定の民主主義の導入よりも、革命を実効的に担いうるような中央集権的で厳重な規律が――「鉄の規律」という表現が用いられた――前衛政党の組織原則とされていた。この組織原則は、第二次大戦後も権力をにぎったロシア共産党のみならず、各国共産党の組織原則とされていたが、その政治的機能は、現に党内権力をにぎっている集団の権力を保証することであり、それを可能にする具体的メカニズムが「党内分派」の禁止、より具体的には上級――下級の連鎖として組織されている組織単位の横断的連絡を断つことにあった。

 

 今日、世界の先進諸国の共産党の中で、この組織原則を堅持しているのは、日本共産党とポルトガル共産党だけだと言われている(その他、若干の泡沫(ほうまつ)共産党もあるかもしれない)。今度の日本共産党大会では、すでに述べたように、これまでの規約の前文を削除し、「民主集中制」については改定規約第三条(右、別掲カコミ参照)のように規定した。この規定では、かつてのような峻厳(しゅんげん)な調子は影をひそめている。しかし基本的骨格は、とくに第四項によって存続させられている。その点では基本的変化はないと言っていいだろう。

 

 (文中カコミ引用) 日本共産党規約(二〇〇〇年十一月二十四日改定)

 第一章 日本共産党の名称、性格、組織原則

 第一条 党の名称は、日本共産党とする。

 第二条 日本共産党は、日本の労働者階級の党であると同時に、日本国民の党であり、民主主義、独立、平和、国民生活の向上、そして日本の進歩的未来のために努力しようとするすべての人びとにその門戸を開いている。

 党は、創立以来の「国民が主人公」の信条に立ち、つねに国民の切実な利益の実現と社会進歩の促進のためにたたかい、日本社会のなかで不屈の先進的な役割をはたすことを、自らの責務として自覚している。終局の目標として、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会の実現をめざす。

 党は、科学的社会主義を理論的な基礎とする。

 第三条 党は、党員の自発的な意思によって結ばれた自由な結社であり、民主集中制を組織の原則とする。その基本は、つぎのとおりである。

 (一) 党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。

 (二) 決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である。

 (三) すべての指導機関は、選挙によってつくられる。

 (四) 党内に派閥・分派はつくらない。

 (五) 意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。

 

 ところで、前述の「意見」の中には、規約全体がソフトムードで書かれるようになったにもかかわらず、規約改正によって党内民主主義の後退ないし、空洞化が見られるのではないかという意見がかなり見られた。その一部は解決された(規約第一三条「選挙人は自由に候補者を推薦することができる」という規定に、自分を推薦する権利が含まれることの再確認)。が、「機関紙誌での討論権の削除に反対」や、改定規約第四章第一九条「前大会の代議員によって、三カ月以内に臨時党大会をひらく」(二七ページ別掲カコミ参照)という規定に対する反対などがあった。

 

 (文中カコミ引用) 日本共産党規約

 第四章 中央組織

 第十九条 党の最高機関は、党大会である。党大会は、中央委員会によって招集され、二年または三年のあいだに一回ひらく。(中略)

 中央委員会が必要と認めて決議した場合、または三分の一以上の都道府県党組織がその開催をもとめた場合には、前大会の代議員によって、三カ月以内に臨時党大会をひらく。

 

 さらにより積極的に党内民主主義を拡充すべしとする提案としては、「党内議論の公開」「少数意見の存在、量、大きさを報告する仕組みを望む」とか、党活動におけるIT(情報技術)の積極的活用などの提案(後述)が見られるが、そのような党内民主化と党の公開化を求める意見の真意は、次のような表現に示されているといえよう。

 

 すなわち「我が国の民主的改革の実現には、伝統的な護憲勢力、平和運動との共同が必要であり、党に不信を抱く無党派の人々、市民運動、外国人労働者などとの新たな連帯が必要となる。だが、共同や連帯は、党内民主主義への信頼を党内外に獲得しなければ実現不可能である」。共産党の評価できる点の一つは、こういう共同可能な他者との連帯を可能にするためにも、党内の真の民主主義が必要だという認識が党員の良質な部分に存在するところである。

 

 ところで共産党指導部にとって頭の痛い問題は、最近のIT革命、インターネットの発達の中で、現に党籍をもっている党員たちがホームページを立ち上げ、党員あるいは関心をもつ支持者等に彼らの意見を伝え、また当面の課題について討論を呼びかけていることである。たとえば「さざ波通信」がそれである。直接党員がやっているもの以外にも、「JCPウォッチ」「共産党へのヤング意見掲示板」のようなホームページがあり、内容的にはたいへん興味深い。しかし、この「さざ波通信」の言動に共産党指導部は神経をとがらし、二〇〇〇年一〇月二〇日付の『しんぶん赤旗』は、党員がそこに意見を発表するな、という警告を発している。

 

 しかしさきの「民主集中制」の政治機能の話との関連でいえば、インターネットが横断的コミュニケーション禁止の壁をやすやすと越えてしまっていることは共産党も認めざるをえないであろう。もしそうであるとするならば、さきの「意見」欄への一投稿者が論じているように、共産党は民主党、自由党、社民党などとくらべて、いちじるしくインターネットの活用が立ち遅れている。党中央だけではなく、地方党機関、国会・地方議会の議員、さらには基礎組織レベルでもホームページを立ち上げ、責任をもって運営し、党員、党支持者、さらに関心をもつ全市民に開かれた、つまり公開のメディアとで、その閉鎖性を打破し、その活動の公共性と公開性の発展に努力すべきであろう。

 

 社会民主主義政党への道をたどるのか

 

 予定していた論題の前半をひとまず終えたところで紙幅が尽きつつある。後半の論題として予定していたのは、近く(参院選前か後か)行なわれるであろう、党綱領改定問題で何が問題になるのか、その際、どんな視点が必要になるのか、という問題である。詳論は次の機会にゆずって、問題点だけ箇条書きにしておこう。

 

 @、共産党現綱領が制定されてすでに四〇年経っている。現綱領は、六〇年代初頭の刻印を――その後のたび重なる部分修正にもかかわらず――間違いなく帯びている。この四〇年間のグローバルな、あるいは日本の巨大な変貌をかえりみつつ、日本の現状規定、二段階連続革命規定(注2)などをどうするのか?

 

 A、その前提となる問題として、そもそもいわゆるグローバリゼーションがとめどもなく進行していく時代に、「一国革命」――「一国社会主義」「一国革命路線」(注3)なるものが考えられるのか。「革命」という概念、たとえば「多数者革命」(注4)が今日の諸条件のもとで実現可能と考えられるのか。革命概念を残すのか。それとも、「根本的変革」「構造的改良」というような用語に置きかえるのか。

 

 B、二二回大会決議と改定規約を通じて、「社会主義」という用語はでてくるが、その内容規定はまったくされていない。現綱領のもとでは、社会主義と規定する指標は、それなりに与えられていた。この問題を裏返していえば、資本主義経済、資本主義的商品経済の二一世紀における命運、そしてそれに代替する歴史的経済体制の輪郭だけでも展望できるかどうかということだ。この辺の理論問題をつめなくてはならないであろう。

 

 C、共産党の幹部諸公の現代政治観、政治感覚は、その「機構人間」的人間類型とも照応して、古色蒼然たるものであるかに見える。彼らは、八〇年代ごろからはじまる、「新しい政治」=ニュー・ポリティクス(新しい政治的価値観、環境問題・ジェンダーの問題、新しい政治的アクター〈たとえば緑の党の問題〉、市民的公共性の問題とNPO〈非政府組織〉の問題、グローバル・ガバナンス(注5)の問題、情報化の問題)、そしてそれについての「新しい政治学」には、ほとんど関心をもたないかのようである(この点については賀来健輔(かくけんすけ)・丸山仁(まるやまひとし)編著『ニュー・ポリティクスの政治学』(ミネルヴァ書房、二〇〇〇年一〇月、参照)。これらの問題についての理論の学習が必要ではないのだろうか。

 

 D、最後に、@、Aの問題点とも関連して、共産党は二一世紀に向けて社会主義の理念は放棄しないとしても、古典的な意味での孤高の「革命政党」の道を歩むのか、それとも「構造的改良」ないし「民主化改革」を目指す「社会民主主義政党化」の道をたどるのか。私の総合的判断では、同党は第二二回大会を出発点として後者の道を歩みだしたように見えるのだが。

 

(注1) 階級闘争で指導的な役割を担う政党。

(注2) アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配を打倒する反帝・反独占の民主主義革命を連続的に社会主義革命に転化させる路線(一九六一年綱領)。

(注3) 一つの国だけで革命を成し遂げようとし、成し遂げることができると考える革命路線。

(注4) 国民多数の支持を背景に、議会=平和的方法によって革命を達成しようとする路線。

(注5) 環境問題、南北間題など地球規模の諸問題を、国際機関・地域機関・国民国家・地方団体などの協力によって管理・解決を目指すシステム。

 

たぐち ふくじ・一九三一年生まれ、立命館大学教授

 

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 (田口論文・掲載ファイル)

   『21世紀における資本主義と社会主義』

   『マルクス主義とは何であったか?』

   『丸山先生から教えられたこと』。丸山批判問題

   『丸山眞男の「古層論」と加藤周一の「土着世界観」』

   加藤哲郎『田口富久治「戦後日本政治史」書評、および私的断想』