介護日誌
2003. 1. 8
介護(お正月)
母親は避寒のため12月14日から施設に入所しているが、
年末年始は家で過ごした。
施設に入所した当初は家が恋しい(?)のか2度ほど電話をかけてきて「家に帰りたい」という。
最初は看護婦さんが仲介して「電話をかけたいそうだから」。次のときはいきなり本人が出た。私も想定していない事態だったので何が起きたのかと慌てふためいた。
公衆電話でかけたのかもしれない。いやそんなことが出来るだろうかなど考えた。
後で本人に確認すると「看護婦さんが電話をかけろとなんどもいうから掛けた」と
言い訳がましいことを言う。
12月30日から外泊した。外泊中は何かあっても勝手に医者にかかることはできない。施設の医師の指示を得なければならないことになっている。
30日
お墓参りに行くつもりだったので、午前10時ごろ施設へ迎えに行きお墓に御花を供えた。母は車の中で待っていた。帰りは少しドライブし景色を見せ
た。車の中で今日30日から4日まで家に帰ることになったと説明した。当然?のごとく今日が何日であるか分かっていない。
31日
朝、荷物をまとめている。どうする気か尋ねると施設に行くという。今日は1月4日だと思っていたという。昼前次女がお墓参りしたいと言っていたので迎えに行く。娘婿は年末年始勤めだ。
娘と正月用の買い物をして、娘宅で煮物をする間待つ。今度は一緒に我が家に帰り年越しソバを作り三人で食べる。三人で食べるなんてずいぶん大人数のように感ずる。
母の食べたそばの多さに娘もびっくりしている。
1日
年賀状をみる
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次女は我が家で昼食にお雑煮を食べると言う。おせち料理は娘婿が帰ってくる夕食時となる。母も普段と違う食べ物のせいかずいぶん食したようだ。
2日
母はやはり食べ過ぎたようで、朝食はいらない、夜吐いたという。昼ごろになるとおなかの具合もまあ回復したようだ。食べる量を自分でコントロールできないようで自分の好みのものが
あれば食べ過ぎてしまう。今日は天気がよく気温も比較的高いので午後入浴してもらう。
3日
今日は雪が降り寒い。昼にサツマイモを蒸して食べさせた。時々、今日は何日か尋ねるがほとんど分からない。そこで自分の名前、住所、自宅の電話番号、生年月日、それに私の名前を書かせてみた。
電話番号は覚えていなかった。生年月日は日にちが私の誕生日であった。そのほかは間違いなく書くことが出来た。
痴呆といっても昔の記憶などはなくならないのかもしれない
写真は年賀状を見ているところ。
4日
午後2時までに入所する。着替えなどを衣類ケースにしまい近くのコンビに買っておいた雑誌を見せる。帰りの車に乗るとホッと肩の荷が下りたような開放感を覚える。