介護日誌
2003. 8. 24
介護(03春・在宅介護)
大国魂神社に参拝(中央)

7月28日、母は「避暑」のため老人保健施設に夏期入所した。 4月から7月までのの在宅介護の様子を記録してみる。

4月:9月間の「要介護度は5」であった。要介護度が5というのは一番重く寝たきりの状態であろう。母は判定時、左上腕部骨折で車イス生活だったから「5」と判定されたものと思っている。
介護保険も可能な限り利用すべく計画してもらった。


4月、5月

退所直前の11日、91歳の誕生日である。半袖のシャツとテーブル・ツリーを買ってプレゼントしたところ喜んでくれた。
退所の日、ケアマネさんのいる介護支援センターに顔見せに、またかかりつけの医院で診察してもらう。夕刻ヘルパー派遣所からAさんが来る。
明日からの在宅介護は退所直後であり、骨折部位も多少心配であったのでデイ・サービスは利用しなかった。月曜日からから土曜日まで、ヘルパーさんに午前10時から2時間、 午後は3時から2時間来てもらった。
足腰の筋力が衰えているのには驚かされた。施設での生活が車イスに載ったままだったことを考えれば当然かもしれない。
ベッドから起き上がれない、また畳に座りこんだら立ち上がれないのである。施設のベッドは落下防止用の手摺があるが、家のベッドはそれがない。ベッドの脇に握り棒を取り付けて何とかしのいだ。 このような状況をケアマネさんも知ってもらい、ケアプランに役立てたい。

食事の準備は、私が用意していたが三度三度となるとかなり負担に感じるようになり、ある二日間の昼食はヘルパーさんにお願いして朝から出かけた。歩きながら「きょうは昼食の準備をしなくていいんだ!」と何といえない開放感に浸った。
母の状態は筋力もだいぶ回復し、ヘルパーさんにシルバー・カーを使った散歩に連れ出してもらえるようになった。
痴呆によるおかしな行動、忘れもたまに現れる。水道栓の出し放しはしょっちゅうだし、朝早くから玄関のドアを開けたり。
ある夜半階下で物音がしたので飛び起きて見ると、ベッドから転げ落ちていた。幸い骨折していないようだった。翌朝話をすると転んだことは覚えていない。「寝違えたのかな、左腕が痛い!」


6月

ケヤキ並木で
今月から毎月曜日にデイ・サービスを組み込んでもらった。また月初めにショート・ステイを頼み私は息抜きの一泊旅行で気分転換。
ヘルパーさんが来る日のは昼食は準備し食べさせてもらうようにした。
目先を変えて私の負担を減らそうと思ったからである。
しかしものごとはいいことばかりではない。必ず気なることが現れてくる。2,3記すと

●午前のヘルパーさんは10時から12時。すると昼食を11時半から食べ始める。ちょっと早すぎる。
●ヘルパーさんは資格を取っているとはいえ食べさせるものまで気が回らないのか、やたら「卵料理」が多い。お子さんの食事と同じようなものとなるのかも。
「チキン・ライス」を食べさせたと連絡ノートに書いてあったが、少し疑問だ。
二人のヘルパーさんが交互に来るが、メニューなどの連携も必要かと思う。
●狭い台所ではあるが、やたら器具、調味料が移動しており後の使用でアタフタすることが多い。


7月

午前のヘルパーさんの時間を10時半から12時半にしてもらった。 7月は在宅介護の最後の月であり、少し私もサービスしようと公園に2、3回連れて行き「ホタルブクロ」、「赤ツメクサ」などの草花を見せたり、秦野市の叔母 (母の妹)夫婦を訪ねたり、娘の住まいに連れて行った。
ある日、府中市の大国魂神社に参拝しケヤキ並木通りを少し歩いた。旧甲州街道を横断しながら気がつき「こんな信号を見て道路を横断するなんて久しぶりだネ」と話した。
昔の町並みを思い出しているらしく「ここにXX屋さんがあった」とかしばし思い出に浸っていた。

危険を避けるため安全なところばかり連れて行ってたが、このような町中を歩くのも結構、刺激を与えられ痴呆にはいいかも・・・・。

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