介護日誌
2004. 10. 11
介護(三度めの骨折)

左大腿骨頚部骨折
骨折入院
9月27日母は三度めの骨折をした。翌28日は市の健康診断を受診すべく掛かりつけ医にお願いしたばかりだった。そして6日後の10月3日から始まる在宅介護の準備、屋内の手すりの取り付けについてケアマネさんに相談していた。
施設の話では、朝5時ごろ母はベッドのリモコンをいじって上半部を立てていたが、90度近くまで立ったため転落したと言う。
以前もこのリモコンをイタズラするから、リモコンを外しておくと言われたことがあった。残念ながら最近はリモコンはセットされてままだった。
ここ3年半の間に骨折三度、捻挫一度、(
経過一覧に記す)それぞれ避けられる方法があったのではないかと反省している。
年を重ねてくると骨が脆くなる、特にご婦人は骨粗鬆症になりやすいとか。
8月上旬の左手の捻挫も骨折の遠因ではないかと思う。捻挫した後、車イスの生活となっていた。するとトイレもポータブルトイレを利用し、ますます歩かなくなっていた。
そのため手足の筋力も落ちたと思える。ベッドから転落しそうになっても筋力がないから踏ん張りが利かないだろうと思う。

9月27日午後施設の搬送車で運んでもらい地域病院に入院した。この病院は3年半前、右大腿骨骨折の手術をしたところである。
診察の結果、医師は手術をした場合のリスクとしない場合のリスクを説明してくれ、手術をしたほうが良いとのことだった。
手術をしなくても骨は自然接合するが、時間がかかるため寝たままとなり、肺炎、痴呆の進み等のリスクの方が大きいそうだ。
手術のリスクは「輸血」が必要になったときの血液の品質、「感染症」、「血栓」など。麻酔医師から常用している薬の中に血流改善のものがあるから、全身麻酔の方がよいといわれた。
手術は30日の午前と決まった。それまで骨折した左足は牽引されることになった。
いろいろな説明を受けてもそれに対する判断材料を私は持ち合わせていないから受け入れざるを得ない。

手術と術後
夕食の介助
9月30日、私は午前9時までに病院に到着、10時半から手術室に入り麻酔を施し1時間くらいで手術が始まった。約1時間位の手術だと聞いていた。
午後1時過ぎに終了し執刀医の説明があり私は輸血を行ったか否かを尋ねた。リスクのひとつがなくなった。
当日は禁食だそうで、麻酔が効いているためだろう、眠ったままだった。
一旦帰宅し夕刻、面会した。私自身何もしているわけではないが非常な疲労感を憶えた。
翌日は久しぶりの好天に恵まれたので、洗濯、掃除、布団を干し、スーパーでオムツを求め夕刻面会、夕食の介助を行う。
翌日からトイレ(大)の場合看護婦さんが車イスの載せて連れていく。食事も車イスのままとる。 問題がなければ、早い時期からリハビリさせるそうだ。
たしかに使わなければ筋肉も衰えるが、本人は眠っている方が楽であろう。食事のときもうつらうつらしている。
私としては少しでも歩いてくれないと在宅介護は出来ないと思っている。

10月4日からリハビリが始まった。説明によれば、目標は「立ち上がって移動できるようになる」こと。
療法は運動によるもので「関節の動き」、「筋力強化」、「立つ」、「歩行」などを行う。
初日は10分くらい担当の方が足を動かしたり、体を起こしたりしていたが、本人は「今日はもういい」と言って途中でリタイヤしてしまった。
本人にとって今のように寝ているほうが楽だろう。気を抜くとやりたがらない、どこまで回復するかバトルが始まった。

痴呆の進行
見舞いに頂いた花を喜ぶ
手術後はほぼ毎日、昼食時あるいは、夕食時、両方のときもあるが面会し食事介助をしている。 母の痴呆は老人性痴呆症であるが、術後急激に痴呆が進行しているのではないかと感じることがある。
病院の側に川はないが、「川の音がすごい。流されそうになった」とか私が流されたと思っていたらしく 顔を見せたら「生きててよかった」と言う。
気になる発言を列挙すると「昨日の晩、部屋の模様替えをしていた」
「ここは幼稚園か?」
天井を指さし「あそこに誰かいる」
しかし5日、私のズボンが青っぽいジャージに気づいて「昨日は白っぽいのをはいていた」と言う。「そうだよ」と言うと安心顔になった。自分の気懸かりなことは記憶が消えずにいるのかもしれない。
状況から個室にいるがひとりでベッドに横たわって刺激がないので痴呆の進行が加速されているように思う。
出来るだけ、車イスに載せてもらって情報刺激を与えようと思う。

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