活きいき
2003.11. 1
随録(介護する側・される側)
はじめに
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いつまでできるか公園の散歩。
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前回精神余命について書いた。
私の母は91歳。耳がそうとう遠く、目もだいぶ薄くなって五感の機能が衰えたようである。
60歳のとき狭心症で数ヶ月入院した。しかし30年間頑張っている。わたしはその生命力に驚いている。娘は「あと4,5年は・・・」と言っている。
最近はこちらがアクションをしないと寝ていることが多い。多分眠っている方が楽なのであろう。
肉体と精神の生命力のバランスが崩れかけてきているように思える。
叔母(母の次妹)のKさんは私にあれだけ生きているのは「しんどいだろうね」と言ったことがある。
ときどき私も食事をしながら身を置き換えて想像してみることがある。
私は
少しでも好みの物を食べさせようと好物だったものを、探して求め食卓に並べる。
だったと過去形で書いたが、現在は好物が何であるかわからない。
自分で意思表示ができないようだ。
もしかしたら何が好きなものであるかわからないのかも知れない。
朝食
私「朝ですよ」と言って雨戸を開ける。
母「・・・・」
私大きな声で「朝だから起きてごはん食べて」
母「起きたくない」
ほんとに具合が悪いか、グズッているのか見極めなければならない。たいがい後者である。
私だっていつもファインとはいかない。不調で気分が悪く寝ていたいときもある。そんな時これをやられると最悪である。
無理やり起こして食事をさせる。
寝てばかりだと肺炎になる。なりやすい。と聞いたことがある。
夕食
私「ごはんができたよ」
母「はー?」
私もう一度「ごはんができたよ」
母「お昼食べたのが残っているからほしくない」
私「せっかくだから食べなヨ」
ごそごそと仕方ない素振りをして起きてトイレに行ってからテーブルにつく。
そして用意したものはすべて食べてしまう。
「だまってても食事を三度々々食べさせてもらえるから幸せだよ。世の中にはたいへんでも自分でやってる老人もいるんだから」
と言ってみるが理解できないのかしたくないのか。
「ほしくない」と言ってたのは何なのだろう。
「おいしい」とか「まずい」など、何の反応も示さない。
ただ黙々と機械的に食べ物を箸で口に運ぶだけである。
おそらく五感のひとつ「味覚」もその性能・機能の半分は失われたのだろう。
黙々ともくもくと食べてベッドに戻ると眠る。
こんな母の姿に戸惑いを覚えるのも事実である。
ここ2,3年の変わりようには驚かされ、受け入れがたい気がある。
目の前にいるのは2,3年前の母ではなく別人のようで「怪物」である。
母は
母の気持ちを記してみる。
おそらく毎日がそれこそ「しんどい」と思っているのだろう。
寝てれば楽なのに恩着せがましく「食事だ。たべろ」って、そんなにほしくないのに・・・
何かまた言ってるけど聞きたくない。(聞きたくないモードになる)
こんなときは大きな声で言っても「よく聞こえない」とか「聞こえたけどわからない」とか
面倒だからとり合えず「ハイ」と返事をしよう・・・
これから
母の介護はこのまま続けているであろう。長くなればその分、私の力が消耗するような気がする。
私がそちらの立場になったら・・・・。男の方が平均寿命は短いし、あんなになる前に・・・・。
多分ありえないだろう。と期待しておこう。