雑味館抄 <あいさつ> 2010. 7. 31
田谷の洞窟
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たび(長崎をさるく)
たびフォト(りうクン/・・・スズメのジージに)
たびフォト(りうクン/長崎をさるく)
「え〜、暑いものの代名詞は、西日差す二間長屋、背なで子が泣く、まま(飯)が焦げ付く・・・」 昔聞いた落語「青菜」の枕だったと思う。
ここのところの猛暑日には、西日が差さなくたって、子供がギャーギャー言わなくたって暑い。
お仕事のクラブ・ニュース作成を6月上旬からはじめ7月29日に完成した、ひと段落である。
さて、このページのネタは少々古くなり、食中毒を起こすかもしれないが・・・。
洞窟探検・・・
6月26日、史跡巡りの先生に誘われて大船駅の北西に位置する田谷の洞窟(正式には瑜伽洞)を訪れた。
断片的に記憶に残った”講義”から、洞窟は鎌倉時代に修行のために掘りはじめられ、江戸時代まで続いたそうだ。
総延長は約1km・・・、地質は粘板岩の一枚岩だとか。 入場料400円、ロウソクを板に載せ狭い入口を入るとひんやりとする。
中に入る、少し広い空間があり、天井には「家紋」のようなものが彫られている。
向こうから二人ずれの女性が見学を終え出てくる、先生の”講義”を立ち止まって聞いていたがお礼を言って出て行った。
修行の部屋がいたるところにあり、その間を通路が結ぶ。 通路も場所によっては頭をかがめて通る。 部屋・・・といっても空洞だが天井には家紋のようなものや、仏像、などが彫られている。 彩色されていたのだろうか 。
洞内は水が滴り落ち脇の小さな水路を流れて行く。 この水のせいかヒンヤリとしている。 壁面を触ってみると 土のような感触で壊れそう。
説明では洞は三層になっているそうだ、所々行き止まりになっている。 その一つに向かって先生がよじ登ってライトを照らせる、指さされた方を見ると天井に仏画が彫られている、そこも修験場だったらしい。
ひと通りまわって入り口近くに戻ってきた。
使用済みのロウソクとそれを乗せる板が並べられている。 ほとんどのロウソクは半分以上残っているが私たちのロウソクは使い切っていた。 満ち足りた”講義”があればだろう。
この次に来るときは、強力な懐中電灯を持ってこよう。
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「おたくさ」
こちらも少し時期がずれてしまったが「おたくさ」について・・・、今春の長崎旅行のお土産は娘に勧められるままに「おたくさ」という焼き菓子を買った。
包みのなかに「おたくさ」の謂れが記されていた。 梅雨時の花・アジサイのことで、長崎市の花なのだそうだ。
ハイドランゲア・オタクサ・・・幕末に来日し5年間、長崎に滞在したシーボルトがアジサイをそう名付けたという。
オタクサは、シーボルトの日本人妻「お滝さん」のことで、残念ながらハイドランゲア・オタクサという学術名は 認められていないそうだ。
二人の間に出来た「お稲さん」という女性を描いた小説「ふぉん・しいほるとの娘」(吉村昭)を読んでいる。 お稲さんは成長して日本初の産科医となったそうだが、小説とはいえ描かれている人々のやさしい思いやりに涙があふれる。
「お滝さん」の姉も出島行きの遊女だった、その子は幼くして、姉もまもなく・・・、再婚し生まれたお稲さんの異父弟も。 当時は生き長らえるのは並大抵のことではなかったようだ、それゆえ大切にする心が芽生えたのかもしれない。
ああー、その時代に比べると文明、医療が進み豊かになったはずだが、日々のニュースから見える現代人の心持がなんと寒々しいことか・・・。
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