しむ


2002.11.14
たび (ルーツを訪ね)

とき :2002年冬
ところ:大分・日田

母の介護のあいまをぬって、息抜きのひとり旅である。。

(1)大分県日田市
私の本籍地、現在は現住所とおなじであるが、前は北九州、さらにその前は祖父の 出身地であろう大分県日田市鶴河内(当時は日田郡大鶴村)である。 私は父方の祖父は知らない。亡父から聞いた話である。
福岡・大分の県境をめざして
日田市鶴河内の道路標識
何故ここを訪ねてみたいか、これはインターネットのおかげである。姓の「本河」 を検索していると本籍地の地名(鶴河内)におなじ「本河」 という人が存在していることが日田市役所のHPでわかった。

他のHPを見てその地には同姓の人が何人かいるのではないかと思い始めた。 私の姓はかなり珍しいと思っている。 だからいるとすれば、たどっていけば先祖はおなじかも?なんて思ったことがある。

北九州市にある亡妻の実家に宿泊した翌日、レンタカーを借りて大分県日田市を目指 した。 かって本籍地があった当地を一度も訪れたことはなかった。
馴れない車は最初戸惑い があったが、やや走ってると体がなじんでくる。 距離は約70km位。知らない土地をひとりで走るにはナビは必須である。
カルスト台地の「平尾台」の入り口、小学校5,6年の遠足で来た記憶がある。
やがて香春岳を右手に見る。この地は五木寛之の「青春の門」の舞台だったと思う。
さらに南下を続け「彦山」という駅の近くを通る。修験場で有名な英彦山も近い。 県道52号が山深く登っていく。国道を迂回すれば良かったが、 ナビを信じて走るしかない。道幅2m位の山道が続く。途中対向車が現れるとバック して譲り合う。ちょっとスペースを見つけてビデオを回す。

やがて峠を越え下り道をしばらくして目的地とナビが教えてくれた。 民家がぽつりぽつりとある位で、何もないところだ。そうか祖父はこういうところに 居たのかと思う。
父は別の場所で生まれたと聞いていたので、 もしかしたら、訪ねたこともなかったのかもしれない。

私の目的は達成した。 帰るために前に進むしかない。道幅は相変わらず狭い、棚田が続く土地の有効活用である。 久しぶりにこうゆう景色を見た。農家のおばさんが乗った軽自動車が私の車が通るのを待ってくれてる。
やがてJAの土産売店のようなものが見えてきた。
鶴河内の風景
JAの売店の人


売店のおばさん(失礼!)と話をしていると私にとって驚きと新事実を得ることができた。
ルーツを訪ねてることを話し、資料を見せると本籍地のあった番地はもっと山の方に登ったところだそうだ。
驚いたことは、本河は「もとかわ」ではなく「ほんかわ」と呼ぶそうである。私が「もとかわ」と言うとそういう呼び方もあるのかと驚いている様子。
インターネットで入手していた資料に記載されている「本河xx」さんはそこより下ったところだ。 この地には「本河」「本川」という姓の人が何人も居るそうで写真の左の人が電話帳を持ってきて見せてくれた。
右の人は旧姓が「本河」さんだそうだ。もしかすると先祖をたどるとつながってるかもしれないと思った。

三人で推測した結論は祖父もこの地では「ほんかわ」と名乗っていたかもしれない。 故郷を出るとき、自分の意志か、仕方なかったのか、呼び方を変えなければならない事情があったのであろう。
蛇足ながら、祖父は朝鮮、台湾と渡りその後北九州に来て、1921年12月26日に没したそうである。 私が生まれる20年以上前である。
いずれにしても、いろいろと教えてくれて有り難う。この推測を探ることが出来たら・・・と考えている。 これでルーツを訪ねる旅は終った。引き続き幼少の頃育った所へ向かう。


たび