しむ


2002.11.21
たび (幼少の地)
とき :2002年冬
ところ:福岡・矢部村

ルーツのロケーション大分・日田のつづき、私がもの心ついてから小学校5年まで過ごした土地を訪ねる旅である。

1.大分県日田市から福岡県矢部村へ

私はもの心ついたとき、福岡県・矢部村という山村にいた。今でも小学校 の入学式で集合写真を撮ったことを覚えている。
この場所が、ふるさとのようでもある。小学校5年(1953年(昭和28年))の11月までこの村にいた。
私の生まれた場所は、福岡県・北九州市・小倉北区(当時:小倉市)である。第2次大戦の終わりに近いころ、母の親類縁者を頼って疎開したのだそうだ。 いまその地をめざし、日田市内を走っている。山道もあるだろうが2時間もあればつくであろう。国道212に入り、熊本県との県境にある 松原ダム、下筌ダムの湖畔を通る。442号で中津江村に入る。

ここは、ワールドカップの「カメルーン」のキャンプ地になったところである。 横断幕でそのことがわかる。よくまあこのような遠くでキャンプをしたものである。と思いつつ走る。あとで聞いてわかったのだが、この村は 母方の祖母の出身地だそうである。曲がりくねった道が続くが2車線あるので楽である。やがて前を走っていたバスが左折した。「鯛生金山」とある。 福岡県との県境に近い。小学校のとき、遠足に来た記憶がある。私が小学校の時も「金」は取れていなかったと思う。しかしその設備の異様などこか外国のような風景だったと記憶している。 峠を越えて下り坂になると矢部村である。しばらく走ると、懐かしい道並みが見えてきた。前回訪問から20年。この村を離れてからおよそ50年である。

大分・福岡県境の峠で一休み
矢部村役場・公民館
矢部小学校
通学路でした。崖が怖かった


2.福岡県矢部村にて

バス停が見えてきた。田舎道だから車の量は少ない。そのまま止まって名前を見る。「稲付」と記されている。にわかに私の頭は50年前に タイムスリップした。そういえばこのような名前の地区があったなと思いつつ、車の速度を落として走る。やがて「宮の尾」という地区だ。 村役場の駐車場に車を入れた。大急ぎで付近を歩きながらビデオを回す。通りを歩きながらビデオを撮っている者なんかいないので、よそ者と思われそうだが構わない。

昔私が住んでいたころ、ここに村役場、小学校、公民館、郵便局、神社などがあった、現在も多少位置が変わっているがそのものがある。しかも建物は現代風にかわって。 当時の小学校は、学年一クラスで6教室の木造2階建てであった。今では4階建である。人口は当時より少ないはずであり、児童数も少ないのに立派な建物なので驚いた。おそらく 用途ごとに教室があるのだろう。隔世の感がある。(あとで調べてみると人口は1/4になっている)

神社は小高いところにあった。周りの風景は少しも変わらない。時が止まっているようだ。。ただ道も境内も狭い。これは当時の私が子供であったから 今に比べ大きく感じていたのであろう。神社の境内まで狭い階段を登る。当時も銀杏があった。神社の向こう側の風景をみて思わず胸が高鳴った。 50年前と少しも変わらないではないか。茶畑がある。その向こう集落があり、遠方には大分県との県境に位置する「御前岳」という1200mの山が見える。 50年という年月がたっても、変わらない風景もある。その景色は変わってしまった私の心を50年前に連れ戻してくれた。

当時、私の家は父が病弱で母が内職で生計を立てていたように思う。おそらく両親ともこの村から抜け出したかったのではないかと思う。幼い私はそんなことは無頓着であり、今でも 生まれ、再び戻り高校までいた北九州より、この地の方がふるさとのような気がする。

神社のイチョウの木
御前岳を望む。手前の茶畑は変わらない
ストリート・のぼり方向
ストリート・くだり方向


車で若干下ったところに中村という地区がある。ここに私たちの住まいがあった。今もその地に小さなあばら家があった。隣近所に声をかけてもおそらくな何の感情もなく対応されるのでは ないかと思いビデオを撮って立ち去った。ほんとうは遊びまわった川や田んぼのあぜ道、裏山に行ったみたいが時間もない。

自分の生まれ育った家に帰ることができないということ、すなわち私には故郷というものがないのであろう。 故郷は心のなかにあり、自分でそう思うしかないのだろう。

そんなセンチメンタルなジャニーであった。いま14時、九州自動車道の八女インターまで一本道である。途中、日向神ダムというところを通るが、このダムはこの地を離れた昭和28年には 工事中だったように記憶している。またここには、蹴ホギ岩といって上部に大きな穴が開いた岩山がある。神馬がけって穴をあけたという伝説からそのような名前がついたと聞いている。 九州のこの地方では穴を開けること「ほがす」と言っていたように記憶している。

さらに矢部川に沿った道を下ると黒木町というところを通る。ここに藤棚の大きなのが道路を覆っている。小学生だったころこの黒木町に来て都会だと感じたことがあった。 なんせ当時、国鉄の鉄道がこの黒木町まで引かれていたのである。名前は「矢部線」といい矢部村まで延伸の計画があったとか。今ではその鉄道も廃線となっている。 女優の黒木瞳さんはこの町の出身だとか。

いろんな思いが交錯してくるうちに八女インターに着いた。15時。九州自動車道を北上し小倉南インターを16時過ぎにでてこのたびも終わった。

たび