戸定が丘歴史公園の梅
|
吉祥寺
10時25分松戸着、私は下車した記憶がない。 駅前広場に並んだのち北のほうに向かって歩みはじめる。 観梅が好きだといういく人かの男性のリュックに触ってみると重い。 駅近くのマンションの間を抜け、根本山・吉祥寺と石柱に刻まれたお寺に入る。 このあたりの地名は根本というらしい。 私より年配の方が多いウオーカーは本堂で参拝をしている。 つづいて大乗院というお寺によって江戸川に向かう。 |
江戸川堤と川の一里塚
堤防下の道路は車の往来が激しい。ウオーカーが渡るのを待ってくれる。 堤防に上がる「♪♪連れて〜、逃げてよ〜」 江戸川だ! 矢切はずっと川下だ。 しかし川の水はどちらに向かって流れているのかわからない。 |
宝光院
江戸川の堤を降りて住宅の並びを歩く。 先ほどから運河のような水流をいくつか渡った。昔、江戸川を通っての水運の名残なのだろうか。 宝光院の境内には千葉周作の父上のお墓があるそうだ。境内で片づけをやっていたオカミサンらしい人が説明してくれた。 石塔石仏が並んでいる一角に牛の石像が座っている。牛の像といえば菅公を祭る天満宮だが・・・。 坂川に沿って南下する、坂川に注ぐ神田川の側にその名を朱色の文字で刻まれた欄干があった。 |
松戸神社
神田川を過ぎるとすぐ左手に松戸神社が鎮座している。 神社の西、江戸川との間に昔の水戸街道が走っている。このあたりは交通の要衝だったようだ。 街中の神社らしく狭い境内に石祠、神木が並んでいる。 さて時刻は12時、そろそろ・・・。 神社から東に向かい、常磐線の線路をくぐって道は少し登り坂になった。 まもなく戸定が丘歴史公園に着いた。 |
戸定が丘歴史公園
入園のため石段が待っている。Fさんがスロープの方へまわるという。 液体が入って重いリュックの下を支えてついて行く。 今は公園となっているが、戸定邸または 戸定館と呼ばれ、水戸徳川家最後の藩主昭武が、維新後の生活の場とするため、松戸市の一画に明治17年に造った別邸だったそうだ。 庭園の芝生に腰を下ろし昼食兼観梅の宴がはじまった。 Mさんが資料配りの”お仕事”をはじめる、少しお手伝いをしよう。 Fさんらが車座になっているところへ加わった。 青空の下、般若水、般若中が注ぎ込まれ、心地よく観梅を愉しむ。 合唱 |
ウオーキング
| |
---|