玉敷神社の大ふじ
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鴻巣駅からバスに乗って騎西町・種垂城址公園へ
東口のバスターミナル、中央の花壇にはこの時期の花が色鮮やかに咲き乱れている。 やや小ぶりのバスに健歩クラブのメンバーが続々と乗り込みほぼ貸切状態となった。 鴻巣の街を抜けるとだだっ広い平野の中を走る。やがて上越新幹線の高架をくぐる。 環境科学国際センターといういかめしい名のバス停で下車、畑の中に民家が点在する中を歩いて 種足城址公園に着いた。ここで後発隊と待ち合わせる。 公園の表示は種足、歴史的には種垂、いずれも「たなだれ」と読む。 中世の城があったそうだ。ついでに記すと騎西町は平成の大合併に洩れてしまったようだ。 |
雷神社(らいじんじゃ)
種垂公園を出て田植えが終わった田んぼのそば、藤の花がぶら下がる民家のわき、畑のあぜ道を歩いてこんもりとした森の中へ入る。 雷神社だった。 由緒によれば祭神は別雷神、むかしこの地によく雷が落ちたので別雷神を勧請したら以後雷が落ちなくなった。 と言い伝えられている。 たしか現在でもこの地方は山岳による気流の関係で落雷が多いと聞いたことがある。昔の人は「くわばら、くわばら」と言いながら祈っていたのかもしれない。東京のヒートアイランド現象で夏の急激な降雨が多いとも言われている。あらためて熱風雷神でも勧請しなくては・・・。 ウオーキングはここで水分補給の休憩。 気温が高めになるこの時期、広い平野の中を歩くにはスポーツ飲料と休憩は欠かせない |
長〜い見沼代用水
埼玉県は関東平野の真っ只中と知らされる、まわりを見渡しても山が見えない。昔の映画「北北西に進路をとれ」を思い出す。水田だか畑なのか良くわからないが、真直ぐに伸びた舗装された農道が交差している。 やがて真直ぐに流れている幅7,8mの川を渡る。橋の欄干には「見沼代用水路」と刻まれている。 見沼”代”用水、最近このウオーキングに参加するようになってよく耳にするが、何で”代”がついているんだろう。 無精者には便利な世の中である。ネットで調べると、江戸時代に見沼溜井というため池の代わりをなす灌漑用の用水路をつくったらしい。延々60kmにも及ぶという。 玉川上水が40数kmというから更に長大である。現在のように重機のない時代、コツコツと昔の人はそうするしかなかったのかとあらためて感心する。 人間、便利になるとXXになるようだ。 |
騎西町総合体育館・ふじアリーナ
工業団地の一角にあるけやき公園で昼食時間となった。この日は日差しが強い、新しくできた公園のケヤキの木陰に腰を下ろす。 見るべきところもない公園で体を横にし木陰を追いかける。 小さな用水に架かる大英寺橋を渡って騎西町の中心にやってきた、郵便局の角を曲がり城山公園へ。 ここに少しの藤が見られた。更に西へ歩くと”異様な”建物が見えてきた。総合公園にある「ふじアリーナ」 見た目は和風であるが体育館である。建物の近くに行くとランニングマシンを使っている男性の姿が見えた。 中央公園のわずかばかりの藤を見ながら玉敷公園へ。 立派なハコモノが揃っている町のようだ。 |
玉敷神社に参拝、そして
玉敷公園に入ると旧地元の名士の屋敷が見える、中へ入らず神社に参拝しわきの庭園に向かう。 埼玉神社の祭神は「大国主命」、延喜式神名帳に載る式内社だそうだ。 樹齢400年の大藤が藤棚からたくさんの房をたらしている。 その藤棚の面積は200坪もあるそうだ、藤棚はいくつもあり総面積は450坪を超えるという。 ベンチに座って見上げる人、カメラを向ける人、子供を抱きかかえる人・・・。 私も町中で見てきた藤のことをすっかり忘れてカメラのシャッターを押し続けた。 |
ウオーキング
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