オーキング
03. 11. 13
ウォーキング (in近藤勇のふるさと)

西光寺にある勇の坐像

1.はじめに

  新しく多摩モノレールと京王電鉄が共催した「新撰組ふるさとウオーク」の3回シリーズが始まった。来年の大河ドラマが「新撰組」だそうで関連する地域は町おこしと称してイベントが多い。おそらくこのイベントもその一つであろう。交通機関は利用してもらえれば良いわけだし、利用者は史跡めぐりと健康を得ることができるわけだ。
主催者側の準備、気配りはたいへんだろう。コースには案内紙が張ってあり、場所によっては「案内人」が立って誘導している。参加者は感謝の気持ちが必要だろう。

1回目は新撰組の隊長「近藤勇のふるさとを訪ねて」と題してゆかりの「上石原」、「生家跡」、「お墓がある龍源寺」などをウオークした。
次回は「新撰組ゆかり」多摩市、町田市の小野路など。三回目は「土方歳三のふるさと」が予定されている。

附記
新撰組、新選組と「せん」の文字が二種類使われている。このウオークのパンフには「新選組」。最近読んだ「江戸幕末大不況の謎」の中では「新撰組」。同書には新撰組の名前の由来として「浪士隊の京都残留組が身分を獲得するため新しく選ばれたと言う意味で命名された」旨が記載されている。
このホームページでは日本語変換が一発でできるから「新撰組」を使っている。

龍源寺にある勇の墓(左)

● 実施日 : 2003.11. 1(土)

● コース : 調布駅→西光寺→味の素スタジアム通り→野川河畔→龍源寺→近藤勇生家跡→野川公園→多磨霊園→府中の森公園→府中駅(約12km)


2.ひとこと

私は二、三日前からあまり体調が良くなかった。耳が「ワー」と唸っているようである、内耳圧が外に比べ下がっているのか、上がっているのか知らないが鼓膜が押されているような感じである。
昨日はちょっとふらっとした。めまいのようだ、三半規管が機能していないのかな?なんて思いながら起床した。
朝寝ているほうが楽そうだからウオークに出かけるのを止めようかとも思った。しかし家の中にいても気分が滅入るし、ストレスを感じるしとにかく「スローペース」で歩こうと出かけた。
普段は最寄り駅の聖蹟桜ヶ丘駅まで歩くのだが今日はバスに乗った。

マイナスな気持ちも調布駅で降りウオークのパンフを貰うと吹っ飛ぶ。
近藤勇・産湯の井戸
パルコの前を歩いている時、前を歩くおっちゃんが着ている水色のハッピの背には「誠」の白い文字がある。この人も関係者かと思っていると左折した。
西光寺をめざし旧甲州を歩くが、足のペースは遅い、おばさんに追い抜かれた「まっーいいか」。

味の素スタジアム通りと名づけられた道を北上し野川に出る。ここでちょっと年配のご夫婦に挨拶「どちらから来られました?」、「世田谷です」。
野川のほとりを1.5kmくらい歩いて龍源寺に着く。近藤家の墓所にて「近藤勇墓」の字を見つける。
お寺の側に生家跡、産湯を使った井戸の跡、近藤神社がある。
すぐ近くの野川公園で一休み、ベンチに腰をおろして昼食。(今までのウオーキングではほとんど休憩したことがなかった。やはり今日はイマイチかな)
野川公園、多磨霊園、府中の森公園どこも紅葉<<Autumn・Leaves>>は美しい。
単調な東八道路、広大な多磨霊園を抜け府中の森公園までの道を歩いているとかなり疲労感があった。 府中駅が遠く感じられたが駅の入り口で新撰組のハッピを羽織った係りのひとの「お疲れ様」の笑顔に疲れが消え写真を一枚。
ようやく終わった。


ルートマップの裏面に記載されている史跡ガイドから転記しよう。

西光寺
旧甲州街道に面した西光寺と近藤勇の生家は同じ上石原村にあった。
写真の坐像は高さ1.5mのブロンズ製である。勇みの像は全部で4体あるが坐像はここだけ。晩年の写真をコンピュータで解析して作られた。

龍源寺
山門の左手には新撰組隊長・近藤勇の胸像と天然理心流の碑が、奥の墓地には墓がある。ここには江戸牛込の試衛館道場から多摩へ出稽古に来た際に使ったとされる愛用の木刀が非公開であるが保存されている。勇みの甥で新撰組隊士の宮川信吉の墓もある。

近藤勇・生家跡 近藤勇の父宮川久次郎は上石原村の豪農で、その黒板塀に囲まれた屋敷は2000坪以上あったそうだ。
現在は人見街道に面した一角に「近藤勇産湯の井戸」と勇みを祀った「近藤神社」がある。
街道の向い側には天然理心流の道場「撥雲館」を見ることができる。



ウオーキング