オーキング
08. 6. 15
ウオーキング(江ノ島〜鎌倉) <東年協/健歩クラブ・イベント>
50分も早く・・・
久々の江ノ島・・・
 今日の現地集合は片瀬江ノ島駅、わが家からうまくいけば1回の乗換えですむ。 まぁ、いつも余裕を見て出かけるようにしているが・・・。
 この日は乗り合わせた電車が急行、乗り換えた電車が急行片瀬江ノ島行き、眠っている間に連れて行ってくれるとは まさにこのこと。
 10時23分集合のところ9時30分に着いてしまった。 あたりを見回すとリュックを背負った中高年が10数人いるが別のグループである。

 私は潮風に誘われるように海岸の方へ足を運んだ。 江ノ島神社まで40分で往復できるかわからない。 遊覧船乗り場の先の方まで歩いてみる。
 境川にかかる橋を渡る、久しぶりに汐の香りを味わったような気がする。 境川!、相模国から武蔵国へ歩いているのか、上流に目を向けると岸辺にボート、小船が係留されている。
 集合までのつかの間に”海”を味わった。

付記:江ノ島大橋は車道、人道は江ノ島弁天橋と言うそうだ。

本日は史跡めぐり 参加者:53名
日時:6月   4日(金)10時30分〜15時40分
コース: 小田急・片瀬江ノ島駅→江ノ島弁天橋→児玉神社→モース記念碑→江ノ島弁天橋→常立寺→江ノ電・江ノ島駅=稲村ヶ崎駅→稲村ヶ崎公園→極楽寺→鎌倉駅西口(約6km)

最初の郵便ポスト(復元) 
 国道134号線の下をくぐり抜け江ノ島弁天橋に入る。 観光客が横になって歩いている。
 青銅の鳥居を通り、両側にみやげ物屋、食事処が並んだ参道を歩く。
参道の一角にある江ノ島郵便局の入口付近に黒い郵便ポストが立っている、日本で郵便ポストが配置された当時のものを復元したものだそうだ。 当初は黒いポストだったようだ。

 郵便ポストは明治4年から置かれたらしい、この復元ポストは2号ポストと呼ばれ、どうやら明治5年ごろに設置されたようだ。 ついでに、最初は黒色で赤色となったのはもっと後になってかららしい。 
児玉神社
 今日は江ノ島神社には寄らず、児玉神社に参詣するそうだ。 江ノ島神社の朱色の鳥居のわきを左に曲がり石段を上がる。
 児玉神社の大鳥居の前でひと呼吸。 右の方向へも急な石段が見える。
 うっそうとした木々の下を左へ向かう。 児玉神社は児玉源太郎大将を祀っているのだそうだ。 児玉源太郎(1852〜1906)は山口県出身、戊辰戦争、西南戦争、日露戦争で活躍したそうだ。  台湾総督時代、後藤新平を引き立てた、境内に後藤新平の詩碑があるのも納得。

 社殿はすらり伸びた喬木に、ケヤキだったと思うが、囲まれている。 梢の方に鳥の鳴き声がする、ハイカーはみんな そちらの方を見上げている。
 私は残念ながら確認できなかった。
江ノ島北緑地で昼食 
 狭く階段が多い島内は見るところも限られるようだ。足を元の方へ、青銅の鳥居をくぐると東の方角に向かいかながわ女性センターという施設の前でUターン。
 モース記念碑がある北緑地に向かう。 「おいおい、時間稼ぎかよ」  昼食までの時間がたっぷりあったようだ。
 草地に腰を下ろし12時前に昼食がはじまる。 緑地内にはオリンピック記念噴水池が、オリンピック記念? そう1964年東京オリンピックのヨット競技がここ江ノ島で行われたそうだ。 48年前、半世紀かぁ。
乙女の像が池のまわりに数体たち、海を、池を眺めている。
 ここから片瀬海岸東浜がよく見える、白い波が浜に打ち寄せる、サーフィンに興じる若者の姿も見える。

モースの記念碑 
 記念碑にはエドワード・S・モースの名前、日本近代動物学発祥の地と記されている。
大森貝塚の名は私の記憶の片隅にあったが、モースの名前は消えかけていた。 
 ここ江ノ島に臨海実験所を開設したそうだ、記念碑はこのことをたたえたものらしい。
 実験所はモースの滞在期間だけ開設されたそうだが、明治10年ごろ、日本はそういうことに手が回らなかったのかもしれない。

 こういう記念碑をめぐり、その人の功績に、そして当時の状況に思いをはせるのも一興かもしれない。
 ふたたび弁天橋を渡り江ノ電・江ノ島駅へ向かう。
常立寺の山門  
 江ノ島駅へ向かう狭い道の両側にお店がならぶ、観光客や修学旅行生らが行き交う。
江ノ電の踏切を渡って、湘南モノレールの駅を少し過ぎ常立寺というお寺に入る。 日差しを避け木陰の下で講師の話に耳を傾ける。
 ここには”元”の使者の塚があると言い伝えられている。 「伝元使塚」というらしい、鎌倉幕府に降伏勧告に来た使者五人は龍の口あたりで斬首された、その供養塔だそうだ。
 そのあと”元”はふたたび日本を襲ってきた。 ふたつの役の間にそういうことがあったのか。

 お話が終わったころ街角を見渡すと、曲がり角に立っている庚申塔が見えた。 この「寛文庚申供養塔」は刻まれている文字から日蓮宗系のものだという。 このあたりはこの宗派が多いのだろう。
稲村ヶ崎から江ノ島を  
 江ノ電に乗って稲村ヶ崎まで向かう。 線路を歩いてホームに向かう、軒のそばを掠めるように、車道を遠慮しているかのように走る江ノ電はなぜか庶民の足と思う。 私も子供の頃、市電の走るところで育ったから郷愁を感じるのかもしれない。
 稲村ヶ崎の公園から遠く江ノ島が見える、海岸に下り立って波を眺める。
 おしよせる波と返す波、単純な繰り返しは見ていても飽きない。なぜだろう。

 しばしの休息のあと山の方に向かう緩やかだが狭い上り道を進んで極楽寺に寄った。 数人の方はここから電車を利用、あとはひたすら鎌倉駅まで歩く。
 私はこの場所の道を歩いたことがない、後方から続いていく。
 Nさんだいぶ時間が過ぎていることを気にしている。 このあとの反省会が遅くなり帰宅も・・・。

今日は鎌倉で・・・!
 鎌倉での反省会は初めてだ、はじまるのも若干遅れたよう。
 暑さで喉が渇いている「ビールはビンの方がいいね・・・」早く運ばれるからである。つづいて焼酎、泡盛・・・。 おつまみはヘルシーなベジタブル。
 そのあとの反省会にも参加して私は帰宅したのが9時半だった。
 やはり鎌倉は遠い。


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