道標はバッチリ・・・
高尾駅を10時45分に出発し、およそ25分弱で荒井にある 淺川小学校・旧上長房分校に着いた。 分校だった建物は幼児園に衣替えしていた。 分校脇の路地を北に向かって緩やかな坂を登る。 中央線のガードをくぐり見上げると中央道から圏央道へのアプローチウエーが弧を描いている。 まもなく中央道をくぐる小さなトンネルがあった。 写真のように道標が整備され迷うことはない。 湯の花トンネルの慰霊碑に立ち寄るのはあきらめた。 中央道をくぐり抜け一旦東に戻り折り返し坂道を登る。しかし20分ほどは圏央道の建設のため付け替えられたらしい道を歩かなければならない。 ここはなんとも面白くない山道だった。 |
圏央道を跨いで
圏央道のトンネルを越えるため中央道とのジャンクションを見ながら新しく作られた道を進む。 圏央道は関越道と結ばれているが、南の方は工事中である。 下を覗いて見ると中央の車線は草が生えている。 関越の方から走ってきたトラックの列が名古屋方面へ走って行く。 圏央道は北関東あたりから甲州、名古屋への時間短縮に役立っているのだろうか。 それにしても城山へのこのアプローチはおもしろくない・・・。 ガマン、ガマン |
ガサガサ・・・
やがて「富士見台・八王子城山」と書かれて道標の前に来た。 直進すれば「摺差バス停」だそうだ。 こちらからのアプローチの方がいいかも・・・。 道標にしたがい右への階段を登り終えると圏央道の姿も見えなくなりようやく自然の山道が現れる、・・・こうでなくっちゃ。 根元から大きな幹が数本に別れた山桜だろうか、その先には一本のケヤキの大木が並んでいる。 道はかなりきびしい勾配となる。 15分もすると駒木野からの道とあわせる。 このポイントは13日に通ったところだ。 さらに少し下ったところで八王子城下に向かう城山林道への道を別ける。 今日は直進し登りにかかる、平日のためだろうか人は見かけない。 |
富士見台・・・
先ほどのコブが11時50分、”富士見台に着いたら昼食としょう。” いくつかのアップダウンを繰り返す。 クマザサに山道が狭められている、やはり少し広いところのほうが歩きやすい。 それにしても人に会わない・・・。 熊が出たらどうする!? そっと引き返す・・・? やがて 富士見台分岐の標識、そのあと12時25分富士見台。 ここは案内によればビューポイント、名前から富士山が見えるはずだが樹木に覆われ見晴らしはよくない。 西に鉄塔のある頂上が見えた、景信山? 鉄塔はあったっけ?、小仏城山か。 テーブルとベンチが一基あり、おじさんおばちゃんが昼食中、「どうぞ」と言われたが失礼する。 昼飯は延期だ!! |
八王子城天守閣跡
左に向かえば「堂所山」と記されている、堂所山は武田軍の連絡用のお堂があったところと聞いたことがある。 この次はここを通る北高尾山稜へ行ってみよう。 しばらく狭いが平坦な尾根道のウオーキングを楽しむ。 しかしコブの急な上がり降りがザレている。 気合を入れてポールを長めにセットする。 その昔、北条氏を攻めた武田軍の兵士(足軽?)もここの 山道を通ったのだろうか、足軽?は冑を身につけていないが、鎧は着けていたかも知れない。 そんな足軽になった気分で山道を進む、平和だなぁ・・・わが身は。 やがて急なコブに出来食わした。 登ってみると「史跡 八王子城天守閣跡」の石柱が立っていた。 詰めの城といわれているところ、西側の最前線らしい。 山頂は30坪もあるだろうか、こんなところが天守閣? |
本丸下の松木曲輪・八王子神社
天守閣跡を東に下る、少し下って振り返り見上げると、自然の要害だ・・・などと思う。 しばらくザレた道を進むと一段下がった窪地に降り立つ。 本丸の周りを囲む道となっているようだ。 馬で見回りしたそうだが、「駒冷場」の石柱が立っている。 馬を休めたところだろうか。 間もなく城山山頂と元八王子の分岐の道標が立っている。 山頂までひと登りする。 松木曲輪(くるわ)に着いた。 すぐ近くに八王子神社の建物が見える。 このとき私の右ひざは少し悲鳴を上げていた、シャツもアンダーシャツも汗びっしょり。 ようやく昼食にありつける、13時20分。 高尾駅近辺の見晴らしがすばらしい。 緑を越えてめじろ台の住宅が、少し右手の緑の奥に高層マンションが数棟見える、橋本だろうか。 |
十月桜が・・・
松木曲輪、八王子神社あたりには数人のハイカーがいた。 私は30分の休憩をとったが、山頂に上る元気はなかった、これからの下りに右ひざがふたたび悲鳴を上げるのではないかと心配だった。 しかし痛みを感じることなく居館地区の「あしだ曲輪」に下りてきた、14時。 管理棟でひと休みし、高尾駅へ向かう。 途中、廿里町の森林研究所脇の歩道には十月桜が気づかれずに咲いていた。 14時50分高尾駅着。 |
ウオーキング
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