今泉湧水池
瀟洒な秦野駅から広々とした道が南西方向へ伸びている。200mもしないうちに左右に折れ曲がり、住宅の間を縫って歩くと大岳院というお寺がある。 お寺の塀に沿ってまもなく今泉湧水公園の案内が見える。 このあたりは丹沢あたりからの伏流水が湧き水となっているらしい。 池はそれほど大きくないが手入れが行き届いている。 住宅の間の曲がりくねった道を進む。 ところどころ「震生湖」への道標が立てられているから間違うことはない。 生活道路らしく車が頻繁に往来する、やがてバス通りに出る。 |
白笹稲荷神社でひと休み
バス通りを南へ緩やかな上りを進む。 道は南小学校の北側で右に曲がり、ふたたび南西方向へ向かう。 このあたりに「まいまいの泉」、「小藤川湧水」がある。 やや下る坂道は白笹橋を渡りふたたび上り坂となる。 左手にお稲荷さんには大きすぎるほどの赤い鳥居が待ち受けている。 広い境内を進み左に曲がったところに社殿がある。 もとの道に戻り住宅の間をひと曲がりすると県道との交差点「白笹稲荷入口」に出る。 その先の緩やかな登りが続いているのが見える。 |
丘陵からの丹沢の眺めは・・・
交差点を越えると民家が少なくまわりは畑が多くなってくる。 道は大きく左にカーブし登りつづける。 今横断して来た県道が左手の下のほうに見える。 秦野市街の向こうに大山・丹沢の山並みが青空にくっきり浮かび上がっている。 この日は天気がよくすばらしい眺めだ。 時おり車が通り過ぎて行く。 畑との往復に使われる車もあれば、震生湖のゴルフ場に向かう車もあるようだ。 道は大きく蛇行し西に向かうと震生湖の道標が現れる、丘のトップに来たようである。 畑の作物を片付けている人がいる。 伺うとそれは刈り取ったときこぼれたとうもろこしから生えてきたものだという。 そして牛の飼料にするそうだ。 遠くの真っ白い姿の富士山が大きく見える、久しぶりに大きな姿を眺めたと思う。 まもなく左へ下る道が分岐している場所に来た。 震生湖への道だ。 |
震生湖畔に立つ寺田寅彦の句碑
震生湖が見えてきた。 数台の車が駐車している、左右に歩道が続いているが、湖畔は小さく湖というより池といった様相だ。 左に対岸への橋がみえる、その手前に石碑が立っている、寺田寅彦が詠んだ句碑である。 「山さけて 成しける池や 水すまし」 寺田寅彦といえば私は「震災は忘れた頃にやってくる」という言葉が頭に浮かぶ。 日頃から震災に対する準備が必要だということだろう。 備えがないときに限って災害が発生しやすい・・・ということだろう。 震災だけではなく、あらゆることに備えておくべきなのかもしれない。 それにしても紅葉はすばらしい、不景気など世の中の嫌なことを忘れさせてくれる。 |
震生湖・弁財天あたりの広場 |
湖の右手にある赤い小さな鳥居をくぐり、細い道を進むと福寿弁財天の幟が並んでいる。 弁天様にお参りして脇を上っていくと平らな広場にベンチがいくつか備えられている。 | 緩やかな浅間台を・・・ |
近くには子供の遊び場もあり、休日は親子連れでにぎわう。
広場のすぐ上は浅間台へ続く道だ。 狭い道を車が行きかう。 まもなく車道から山道が分かれている、ここからはハイキングが楽しめる。 |
寝そべって雄大な富士を眺む
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自然薯の販売所を過ぎ、畑が広がる高原を歩く。 「ここは風が強いから”根もの”を植えるんです」と畑仕事をしている人が教えてくれた。 天気がよければ左手遠くには湘南の海が見えるはずだ。 | 御嶽大権現入口、右は小田原道・・・ |
配水塔を過ぎ、乳牛の牛舎を過ぎ多少のアップダウンのあと、草むらの原っぱに寝そべって富士を眺めているお二人がいた。 「いい眺めですね」そう声をかけて通り過ぎる。 小原分岐へ下って行く、車道を歩いてまもなく栃窪分岐だ。 正面の狭い道を登っていくと御嶽大権現入口に出る。 小田原道と記されている山道は雑木が鬱蒼としげっている。 |
頭高山入口
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それほど標高は高くない峠を越え下りかけると分岐が見える。 左に行けば頭高山入口を経て渋沢駅へ。 予定されているルートは右で渋沢駅へ真っ直ぐいける。 | 頭高山山頂(303m) |
私は間違って左の道を選び頭高山の登り口を探す。
このあたりは峠隧道の上らしい。 しばらく歩くと登り口に達する。ついでに頭高山へ行くことにする。 下りて来た人に尋ねると山頂まで40分くらいだそうだ。 山頂では秋葉神社の小奇麗な祠と紅葉が出迎えてくれた。 |
ウオーキング
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