中央道・相模湖が良く見えました (4.16)
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現地集合は京急線・北久里浜駅10時16分、私は9時50分着を目ざし多摩センター・稲田堤・武蔵小杉・横浜駅で乗り継いで目的地へ。
横浜駅での乗換えがスムーズに行くか心配だった、なんせ私の頭の中は東横線が地下に乗り入れているのはピンとこないくらい古い。 前夜ネットで駅の構内図でイメージトレーニングする。 さて南武線に乗る、まわりは黒いスーツを着た背の高いビジネスマンらしき人、 ちょっと野暮ったい服装のアジア系の女性グループ・・・。 ビジネスマン達が話している言語が理解できなかった、どうやら東アジアの人たちらしい。 南武線も国際化しているんだなぁ・・・と思っていたが、ふと不安がよぎった。 黒いスーツ姿でビジネスマンと思わせ安心させておいて、取り囲まれたらどうしよう。 立つ位置を少し移動する。 武蔵小杉近くではかなり混雑してきた。 実は混みあった南武線の車内でリュックにぶら下げていた帽子が無くなっていた。 帽子くらいでよかった・・・。 横浜駅のエキナカで弁当を購入、京急線のホームに無事に立つことができた。 ホームには本日のコースの提案者Oさんが立っていた。 |
衣笠城址から下って再び登り・・・
本日の参加者は29名、北久里浜駅からバスで10分ほど移動、住宅街に入った腹切松というぶっそうな名前の公園に寄る。むかしむかし源頼朝に味方した三浦大介が切腹したことに由来しているとか・・・。 清雲寺、満昌寺と参拝して車道に沿って住吉トンネルを抜ける。 ヨコヨコの衣笠ICへの交差点「衣笠城址前」を渡って高台の住宅街へ続く道を登りはじめる。 やがて大善寺でひつ休み、シャガが咲きはじめた山道を進むと衣笠城址についた。 せっかく登ったのに という声を聞きながらちょっと危なそうな坂を下りはじめる。 車道まで下り立つ、この車道は行き止まり。 細い山道を再び登りはじめる。 |
衣笠山公園へ・・・ 衣笠山公園の標高は130数m、標高差は100m以下だが公園の裏口からの登りはだらだらと続く。 登りきったところに展望台が立っている、上がってみるとまだ早い桜の向こうに山なみと春霞のなかに東京湾を行き交う大型の船も見える。 衣笠山の直ぐ下は横須賀市の住宅が立ち並んでいるのが見渡せる。 微かに騒音が聞こえるが仙界にいるようないい眺めである。 展望台の直下に目をやると最高齢のUさんが片手に帽子を持って登ってくる。 ますますお元気だ。 |
サクラは未だかいな・・・
少し東に歩いたところに公園があり散在するベンチで昼食。 私の座ったベンチの後ろの木陰にウサギが座りこんでモグモグ・・・。 Nさんによれば飼われていたのが捨てられたらしい。 ”捨てるんだったら飼わなきゃいいのに・・・”そう思うのは年寄りだからだろうか。 これから何日かすれば花見客を迎えるであろう公園には張り巡らされた雪洞が揺れていた。 JR衣笠駅への道を歩く、駅近くになると反省会をやれる場所を探す。 結局、久里浜駅へ行き京急久里浜駅の 商業施設ウイングのお蕎麦屋さんに入った。 Sさんとほろ酔い気分で京急線、東横線、南武線、京王線を乗り継いで帰宅、2時間を要す。 |
陣馬縦走路の底沢峠から底沢へ下ることがこの日の目的だった。
高尾山口駅の改札を出ると中高年や学生らしきグループがワンサカ、暖かい季節だし学校も一段落したのだろうか。 たまには6号路を通ってみようかと思ったが、登山者が多いとき狭い登山道は避けた方がいい。 いつもの病院坂上を選ぶ。 |
景信山頂もサクラ・・・ 学生たちのグループが6号路の入口で説明板を読んでいる間に病院を急いで通り過ぎる。 ヤレヤレ、ひとつクリヤ。 表参道を歩きながら体調整備。 この道は相変わらず町中と同じスタイルの人が多い。 もみじ台を巻きながら見上げるとミツバツツジが満開のようだ。 一丁平手前の大きなミツバツツジの前では大きなカメラを向ける人のグループがいた。 省エネを心がけ小仏城山に上がらず、杉の切り株に腰を下ろし少し早いが昼食を。11時50分。 少し進み振り返ると、一丁平、高尾山のサクラが見える。 |
底沢へ下り立つ・・・ 最近、景信山の巻き道を通るようになった。 山頂に上がるのもかなりエネルギーが必要なのだ。 歳なのかもしれない。 白沢峠、堂所山も巻いて底沢峠に着く13時23分。 ここから初めての道だ、陣馬縦走路だって細かく記憶しているわけではないが「ああ、こんなところもある」と雰囲気は分かる。 初めての道はやはり緊張する。 大きな動物や細長い動物がいるのでは・・・と。 下る一方の道は細いが間伐された樹林帯、低い雑木林は日差しも得られ心地よい。 40分ほど歩くと急な崖に達した。 こういう下りは慎重に気合を入れながら・・・。 下り立ったところに中年の男性が作業をしていた、「そこの下りは急だからね」と。 私は与瀬神社の方の下りも最後は急でしたとしばらくお話をする。 |
今日はバスに乗ろう・・・(中央道を見上げる→)
しばらく歩くと美女谷温泉の看板が見えた。47、8年前に会社の旅行でここに一泊したことがあった。 こんなところだったかと建物を見回す。 中央道の橋脚が左手遠くに見える、旧甲州を下るときは右手に見える。 ずいぶん奥まで来ているのかと思う。 道なりに下って行くと中央本線の線路が見えてきた、ここからは見慣れた光景である。 底沢のバス停に着いたとたん、歩く気力が失せてバスを待つことにする。 ああ、今日は疲れた。 15分ほどでバスが来る、ここからバスに乗ったのは初めてだ。 とにかく疲れた、駅前のお店に入りエネルギーを・・・。 「それはうちに置いていません、4軒先のお店へ・・・」、ハイハイ。 |
昨年1月6日に石老山へ登って以来2度目である。
ここの登山口までバスを利用するが、路線の先に大学がある。 この日は平日でもあり学生さんと一緒では申し訳無い、混んでいたら歩こうかなぁ・・・。 幸いなことにターミナルのバスには数人しか乗っていない。 10時10分石老山入口に着く。 |
久しぶりに石老山・・・ リュックを背負った中年の男性二人のグループも下車。 1年以上前のあやふやな記憶だったがここのルートは案内板が整備されている、間違わずに登山口まで行ける。 道の脇の畑に白い板が立ち、三十一文字が名入りで貼り出されていた。 「蕗のとう 霜柱わり 寒椿の 一番のりに 顔だす力」 「梅香る 相模関口 一人きて そぞろ歩きの 今日も楽しき」 数人の中年いや高年のグループが前を歩いている。 大きな奇岩の間を登りはじめる、上の方からさらに賑やかな話し声が聞こえてきた。 別のグループのようだ。 |
今日富士は届かぬ・・・ 20数人はいたようだが、道をあけてくれた。 融合平から山頂へと急ぐ。 山頂には私から見れば、若い男性がお湯を沸かしていた。 西へ少し歩いてベンチに腰を下ろし昼食を取る。 11時45分。 団体さんが上がってこぬうちに先を急ごう。大明神展望台を目ざす。 クヌギ・コナラなどの若葉が鮮やかな色を見せてくれる。 少し遠くに散りかけたヤマザクラだろうか白い花びらが見える。 街中の桜と違って歓声を聞くこともなく、ひとりで咲いてひとりで散っていく。 12時40分展望台に着く。 先客二組あり、「今日は富士山が見えませんね」。 先に下りはじめる。 ここからの下りはザレて急だ、木々に掴まりながら・・・。 |
道なき道を・・・
このあたりも奇岩、大岩が多い。 山はもともと岩なんだろうか、その岩が崩れ土になり樹木が生えてきたのだろうか。 こちらから登るのも違った風景が見られていいかもしれない。 岩だらけの山を下りながらしょうも無いことを考える。 13時林道に下り立つ、「鼠坂(ねんざか)」の矢印の方角へ進む。 古びたバンガローが並んでいる。 やがて鯉が泳いでいるコンクリートで囲まれた池のそばに来る。 池の縁に立つとあちらこちらから鯉が波を立てて集まってきた。 「残念です、えさはありません」 バス停には三十人以上の学生らしい若者が座っていた。 |
昨年11月3日、旧甲州街道の摺差から北高尾山稜を歩いて夕焼け小焼けの里へ下った。この時は残り時間が少なくやむなく途中下車した気分だった。
19日は案内本の通りに北高尾山稜を歩いた、いや案内本では八王子城跡広場までタクシーに乗ることになっているが、当然のごとく高尾駅から歩く。 高尾街道をリュックを背負って歩いている人を何人か見かけた、 私は八王子城址を目指しているので彼らもそうカナと思っていたが、どうやら廿里町の森林科学園らしい。 ここにはいろんな種類のサクラがあると聞いたことがあった。 はたして正門前にはズラリと開門を待つ人がいた。 霊園前の交差点を左折するとバスから降りた中年というより青年らしい人がリュックを担いで八王子城址を目指している。 どうも同じ格好をしている人を見ると目的が同じではないかと思い込んでしまう。 歳のせいか・・・。 ドンドンと太鼓の音が響いてくる、城跡広場の近くで和太鼓を並べて掛け声を出している少年たちを見かける。 何かのイベントなのだろうか。 |
八王子城天守跡を・・・
管理棟の前でこれからに備え、直ぐ右の参道を登りはじめる。 10分ほどで金子丸に着く。 やや荒れた道を15分くらい登ると八王子神社である。 先を急ぐため左手の方に向かいトイレの脇を通って「陣馬・高尾」との案内に従う。 道の脇に井戸がある、山の上に水脈があるのだろうか。 狭い山道を西へ向かうと堀切に下り立つ。 史跡・八王子城駒冷場と石柱が立っている。 堀切を登り木々の間の狭い尾根道を上下しながらしばらく進むと詰めの城(天守)に着く、最後の砦らしい。 その向こうから高年のオジサンオバサンが引率者に連れられ登ってきた。 史跡見学かな。 オバサンたちが上がってくるのを待って富士見台を目指して下って行く。 |
昼食・杉の丸から・・・ いくつかのアップダウンのあと少しキツイ坂を登りきると富士見台である。 八王子城から1.4km。 南から来たオバサングループが八王子城の方へ下って行った。 ほんとオバハンは元気だ。 ひと休みのあと北へ向かって急な坂を下る。 杉沢の頭、高ドッケなどアップダウンを繰り返す。 この北高尾山稜は高尾陣馬縦走路と違ってホントにアップダウンが多くてシンドイ。 狐塚峠あたりで林道に交わるが直ぐ山道へ入る。 若い男性が追い抜いて行った。 その前を帽子を深く被りマイペースで歩いている女性がひとり。 先へ行かせて貰う。 そろそろ空腹を覚えはじめた。 次ぎの突起に上がったら食事をと思いつつ、適さない環境にこの次ぎに・・・。 繰り返しているうちに突起・杉の丸に上がった。 切り株に腰を下ろし遠く圏央道や山なみを眺めながらおにぎりを。 深被りのおばさんが「若いから速いね・・・」と話しかけてきた。 あとはおばさんのペース、日本百名山、北高尾を何回歩いた・・・。 次ぎの黒トッケで夕焼けの里へ下って行った、ヤレヤレ・・・。 |
堂所山から明王林道へ・・・
ここからの道は私も初めて、大嵐山、三本松山、関場峠などを通りすぎる。 堂所山まであと900mの表示を通り過ぎる、キツイ登りを上がっていると中年の男性が下ってきた。坂の途中で立ち話、「この坂を上ればあとはゆるい登りです」という話に気合を入れる。 その男性はこの時間だから小下沢へ下るかもと話して行った。 堂所山はいつも巻いてばかり、一度昼食に休んだことがあった。 そのときのイメージを思いながら「まだか、まだか」 向こうから若い女性がひとり下ってきた「明王峠はこちらでいいですか」。 堂所で休んでそのあと間違えたらしい。 「高尾から陣馬へ向かう」とのこと。 堂所まで一緒に登りそこでわかれた。 底沢峠からの下りは初めてだが、私ももうひと踏ん張りしよう。 |
ウオーキング
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