オーキング
09. 11. 7
09晩秋ハイク(秋川丘陵・高尾東尾根)    

はじめに 
 しばらくこのコーナーはご無沙汰していた。 4月22日の更新後その後の4回分を書きかけていたが途中で止めてしまっていた。
 6月、7月はハイキングにも出かけなかった。 振り返って見るが何故行かなかったか思い出せない。 今年は昨年に比べハイクが少ない、体力が衰えたことだけが理由ではなさそう、落ち込んでいたのたのだろうか。
前回以降の記録
  4月24日 日和田山・物見山(健歩)、4月27日 鎌倉アルプス(下見)、4月29日 東高尾山稜(単独)
  5月18日 鎌倉アルプス(健歩)、  8月27日 高尾山(単独)、    9月17日 高尾山・千木良(単独)
  9月28日 天覧山・多峯主山(健歩)、10月13日 高尾山・小仏峠(単独)、10月22日 高尾山・千木良(単独) 
    晩秋から初冬は晴れる日も多く山歩きにもいいシーズンだ。 暇を見つけて、いや作って出かけることにしよう。


10月28日 秋川丘陵(健歩)
 10月28日は、健歩クラブで秋川丘陵ハイキングコースを歩いた。 この日私はサブリーダーの役を仰せつかった。 列の最後を歩き落伍者を見守る役目だ。
 集合場所は吉祥寺駅の下りホームだが、私は現地集合の秋川駅へ9時12分に着く。 数名の参加者が同じ電車に乗っていた。 橋上駅の日あたりのいい所を待合とする。
 10時5分、吉祥寺駅集合組がやってきた、合わせて27名が30分発のサマーランド経由京王八王子行きのバスに乗車。
ほかの乗客は2名、車内の賑やかさは貸切バスのようだ。
今日のコースは秋留橋〜二条城跡〜雹留山〜山田大橋〜武蔵増戸駅 (約6km)

秋留橋から・・・
 乗車時間10分弱で秋留橋バス停に着いた。
右手の方に圏央道の橋梁が見える、住まいが都心でこの地を訪れたことがない人はご存知ない。

 今日のリーダーは山のベテランのOさん、山好きの女性のKさん。 数日前の寒い日におふたりは下見をしたという。
Oさんから事前に簡単な地図を貰っていたが、”丘陵”というので大したことはないだろうと思っていたが、家を出るとき、念のためにポールを1本持参した。
 今日の私の役目は後ろから追従するだけ・・・と気楽に思ってみなのあとに続く。
大きくサマーボウルと書かれた建物の脇を登り始めて私はびっくりした。
丘陵への急坂を・・・
 斜面があまりにも急だったのでビックリしたのだ。
 行事案内書には標高差120mと記されている、この記述はそれほど高い山ではないよ・・・と言う意味だと 私は解釈しているが、これだけでは傾斜角や繰り返しは表れてない。
尾根歩きで一番ウンザリするのは突起に登ったかと思ったらすぐ下る・・・この繰り返しは精神的に疲れる。 その上急斜面では体力がもたない。
 健歩・・・とはいえ今日もだいぶ高齢の方もいらっしゃる。 大丈夫かなと見上げていると。
 足元が少しおぼつかないMさんが斜面で滑り、ドッドッと音がした。 幸い何事もなくまずはめでたし!!
二条城跡・・・
 斜面を登りきると後は多少のアップダウンの繰り返し・・・、しかし巾の狭いところもある。 
 Yさんがご自分のステッキを伸ばそうとして出し切ってし、私のポールの出番となった。 もって来てよかった。
 私は出てしまったポールを挿入しようと試みたが難しい。

 しばらく歩いていると竹林の中に小さな祠があった、二条城跡らしい。 空堀、土塁などが見える。 それほど広い場所ではないので小さな館でもあったのだろうか。
雹留山・・・
 左手の樹木の先は谷戸のような様相で湧水が流れている、流れを見ながら緩やかな上りを進むと やや広い道を歩くようになる。
 やがて左手は小高い盛土となりその向こうはゴルフ場だった。
 雹留山への案内に従ってやや登ると小さな祠がある、さらに進むと先ほどのゴルフ場と霊園の間にある広場に出た。 ここが264mの山頂だろうか。 プレーをしている人々を見ながら昼食を取る。

 午後はサマーランド自然園のゲート、五日市ゴルフ場の横を通る林道らしき道を下る。 名前の通り大きな山田大橋を渡って武蔵増戸駅へ。
 今日の反省会は7人が立川駅グランデュオ6Fのお蕎麦屋さんへ。 

 雹留山の入り口に次のような文章が掲げられていた。
 幾度かこの周辺を散策しましたが、昨年秋六十年ぶりに雹止山が判りました。 昔の風景を覚えている私には夢のようでした。雹止山のことは子供の頃父親に教えられておりました。昔から農家では山林は田畑と同様、日常生活と切り離せない存在で、樹木は建造物や燃料に、落ち葉は田畑の堆肥にと農業を営む上に置いて重要な役割を果たしておりました。この地域の農家では毎年一月八日を山の神の日と定め、お神酒等を供え山の恵みに感謝し、そして山の安全をお祈りし、山仕事は休み、山にも一緒に休養させる習慣が有りました。一月八日には父親の代わりに、お酒お米お灯明を供え、お祈りした事がありました。少年青年時代の頃のお社は本当に小さいお宮様で、道脇にポツンと建っておりました。それが現在ではこのように立派なお宮様に生まれ変わり、益々感動したしだいです。
  平成二十一年五月吉日 あきる野市在住 大正生まれの男
 素朴な昔の農村の生活が思い浮かびそのまま掲載した。


10月31日 高尾駅→草戸山→高尾駅
 前日の30日久しぶりに陣馬山から高尾山を歩いてみようと準備していたが、その週は比較的歩いたせいか大腿筋、下腿筋などに張りを感じたので休息日とした。
31日は土曜日だったが陣馬の方は空いているかもと思い電車に乗る。 小さい子供を連れた親子連れなどが多い。 高尾山は手身近な行楽地ということだろう。
予定より早く出たため高尾駅では1時間に1本のバスの中途半端な時刻になってしまった。 ”小仏から相模湖にしようか、八王子城山か、などと考えているうちに足は勝手に甲州街道を西に歩いている。 ふと東高尾山稜が頭に浮かび少々引き返し中央線の踏切を渡り初沢へ向かう。

9時34分出発・・・
 斜面を切り開かれひな壇状に住宅が並ぶ。 道はかなりの登り坂、冬季の凍結時は・・・
団地が終わり、矢印とともに「高尾東尾根」と書かれた小さな標識が立っている。 ベンチの代わりに丸木をふたつ並べたスペースがあった。 その向こうの崖下には京王線の電車が高尾山口駅へ向かっている。

 団地内の上り道路を歩きかなり汗が滲んできている。 着ているものを入れ替え、ポールを取り出しこれからの歩きに備える。
東高尾山稜歩きのはじまりである、時刻記録のためにシャッターを。
人影もみえない東尾根!・・・
 しばらく軽い登りが続く、道は狭く歩いている人を見かけることはない。
右手の崖下から電車の往来する音が上がってくる。 今日のゴールをどこにするか決めかねている。
三沢峠から梅ノ木平へ下って高尾山口から帰るか、大垂水峠から城山を経て相模湖か、これはちょっと距離がありそう。
 とりあえず草戸山へ。 小さな突起、標高差十数mだろうかアップダウンを繰り返す。 北高尾より楽かな・・・、向こうからおばちゃんが一人歩いてくる。 私が”この道は人がいませんでしたよ”と告げると「よかった! 高尾山口に行ったが人が多いのでこちらに来た」とおっしゃる。
 どうやら人込みは苦手らしく、四辻を経てエスケープしたようだ。
草戸山でUターン・・・
 右手は高尾山口駅らしい。電車発車のチャイム、アナウンスなど現世界の喧騒が聞こえてくる。 やはりこの道は休日の喧騒から逃れての山歩きには向いている。
 四辻を過ぎると幾人かの人とすれ違う。 1、2・・・・8グループ。 「かたらいの道大戸コース」という名前がついている。 北高尾よりなだらかとはいえアップダウンの繰り返しは疲れる。
 やがて梅ノ木平からの合流点へ。 間伐作業などで通行止となっている場所が表示されている。
 右手には高尾山の姿がみえるそこは喧騒の世界のようだ、草戸峠を経て草戸山には11時20分前に着いた。
狭い山頂には10グループくらいが休息、食事をしている。
 少々早いが食事としよう。
四辻からふたたび・・・
 山頂の小さな祠は文政年間に建てられたが、別の場所に遷された。 ところが昭和61年の雪害で復旧が大変だったそうだ、地域の人々が山の安全を祈願し祠を建立したという。

 さて午後のコースを決めかねている、・・・梅ノ木平林道と大垂水峠への道は通れないようだ。
 昼食のおにぎりを頬張りながら、地図を広げる。
 Uターンするしかない!  ひと休みして11時30分、今来た道を下り始める。
 12時30分過ぎ、四辻通過。
 13時、スタート地点にたどり着いた。


この次は・・・

 さてこの次は、久しぶりに陣馬を歩こうと考えていた。
(そして11月4日、陣馬高原下から高尾山口までの19kmを完走できた)

参考
通行禁止区間と期間
 ・梅ノ木平林道   :橋梁架替工事のため  H21.10.19〜H22.3.19
 ・中山峠〜大垂水峠 :間伐          H21.10.15〜H21.11.14


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