小野路の宿の案内
|
沖田総司たちが通った布田道
|
歳三も見ただろうか?竹林
|
布田道 | 小野路村には天然理心流試衛館道場から、沖田総司らがしばしば出稽古にやってきた。文久2年(1862年)の夏出稽古に来た総司は麻疹にかかり布田道を門弟に連れられ布田宿(調布)まで戻ったそうだ。この道は総司らが生きた時代を鮮やかに偲ばせてくれる。小島資料館 | 小野路村には、近藤勇、土方歳三、沖田総司らがしばしば出稽古に訪れていた。その場所を提供していたのが小島家で新撰組結成以降も深く親交し、物心両面で大きな支えになっていた。1866年(慶応2年)小島鹿之助は小野路農兵隊を組織、地域の自警に活躍。甲陽鎮撫隊の援軍として参加する予定だったが間に合わず、後に解散したそうだ。
| 資料館では新撰組とゆかりの深い資料を公開している。 別の資料によれば、小島家は小野路村 の名主を代々つとめ、土方歳三とは縁戚関係にあり多くの書簡のやりとりがあった。資料館には近藤勇の稽古着、土方歳三の手紙、沖田総司の年賀状などが展示されているそうだ。 旧・富澤家
| 連光寺村にあった名主の家を移築し、文化財として公開。 | 幕末の当主富澤政恕と近藤勇は天然理心流の同門であり、政恕は京都で近藤勇を訪ね大歓迎されたという逸話がある。 別の資料によれば、明治時代には天皇ほか皇族たちによる行幸、行啓があったときに富澤家は「御小休所」として利用された。 連光寺村のほか、関戸村、一ノ宮村、乞田村、貝取村、大丸村、百村、坂浜村、黒川村などが神奈川県より「御遊猟場」の指定を受けたそうだ。 当時のハイソの優雅な遊びが偲ばれる。 |
ウオーキング
| |
---|