オーキング
03. 12. 1
ウォーキング (in新撰組のゆかり)

小野路の宿の案内

1.はじめに

  新しく多摩モノレールと京王電鉄が共催した「新撰組ふるさとウオーク」の3回シリーズの2回目である。場所場所によっては「案内人」が立って誘導している。感謝の気持ちで「ご苦労様」と声を掛けながら歩いた。

2回目は「新撰組ゆかり」多摩市、町田市の小野路など。次回は「土方歳三のふるさと」が予定されている。

附記
新撰組、新選組と「せん」の文字が二種類使われている。このウオークのパンフには「新選組」。最近読んだ「江戸幕末大不況の謎」の中では「新撰組」。同書には新撰組の名前の由来として「浪士隊の京都残留組が身分を獲得するため新しく選ばれたと言う意味で命名された」旨が記載されている。
このホームページでは日本語変換が一発でできるから「新撰組」を使っている。

沖田総司たちが通った布田道

● 実施日 : 2003.11. 22(土)

● コース : 多摩モノレール・松が谷駅→鶴牧東公園→一本杉公園→布田道→野津田公園→小野神社→鎌倉古道→旧・富澤家→多摩センター駅(約12km)


2.ひとこと

歳三も見ただろうか?竹林
この日はちょっと寒い感じであったが、急ぎ足でスタート地点の「松が谷駅」についた頃には上着を脱いでいた。
ここから南下し、鶴牧東公園、一本杉公園などはウオーキングのトレーニング・コースの通過点でもある。しかし団地のなかの公園は初めてで 「名前は聞いたが、こんな公園か」と思いつつ歩く。

公園の、遊歩道のもみじが紅葉し、色鮮やかなコンビネーションは目を楽しませてくれる。
ウオークマンからながれる「The falling leaves Drift by window The autumn leaves Of red and gold ・・・・・ 」のメロデイを聞きながら まさしく赤や黄金色の葉だと思う。

一本杉公園で簡単に昼食を済ませ、やがて細い山道に入る。雨が降ったら川のように水がながれるのではないかと想像する竹の内側のような道を下る。 少し滑りやすい、木々や竹に囲まれて道はなかなか乾ききれないようだ。
やがて切通し(布田道入口)に入る。


ルートマップの裏面に記載されている史跡ガイドから転記しよう。

布田道
小野路村には天然理心流試衛館道場から、沖田総司らがしばしば出稽古にやってきた。文久2年(1862年)の夏出稽古に来た総司は麻疹にかかり布田道を門弟に連れられ布田宿(調布)まで戻ったそうだ。この道は総司らが生きた時代を鮮やかに偲ばせてくれる。

小島資料館
小野路村には、近藤勇、土方歳三、沖田総司らがしばしば出稽古に訪れていた。その場所を提供していたのが小島家で新撰組結成以降も深く親交し、物心両面で大きな支えになっていた。1866年(慶応2年)小島鹿之助は小野路農兵隊を組織、地域の自警に活躍。甲陽鎮撫隊の援軍として参加する予定だったが間に合わず、後に解散したそうだ。
資料館では新撰組とゆかりの深い資料を公開している。
別の資料によれば、小島家は小野路村 の名主を代々つとめ、土方歳三とは縁戚関係にあり多くの書簡のやりとりがあった。資料館には近藤勇の稽古着、土方歳三の手紙、沖田総司の年賀状などが展示されているそうだ。

旧・富澤家 連光寺村にあった名主の家を移築し、文化財として公開。
幕末の当主富澤政恕と近藤勇は天然理心流の同門であり、政恕は京都で近藤勇を訪ね大歓迎されたという逸話がある。
別の資料によれば、明治時代には天皇ほか皇族たちによる行幸、行啓があったときに富澤家は「御小休所」として利用された。 連光寺村のほか、関戸村、一ノ宮村、乞田村、貝取村、大丸村、百村、坂浜村、黒川村などが神奈川県より「御遊猟場」の指定を受けたそうだ。 当時のハイソの優雅な遊びが偲ばれる。



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