ウオーキング
04. 2. 21
ウオーク・古道(武蔵国分寺跡)
武蔵国分寺跡
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「分倍河原合戦」で、新田義貞が敗走するとき火を放ち焼失させてといわれている武蔵国分寺の跡を訪ねてみた。
2月7日の読売新聞・多摩版に「国指定史跡・武蔵国分寺/僧寺跡、本格発掘」という見出しの記事が出ていた。
武蔵国分寺跡の説明として「1922年、国指定史跡に指定された。2002年に史跡の北に開園した武蔵国分寺公園は武蔵国分寺境内の跡地ではなく、集落の跡地に整備された。」と記されている。
この部分だけ読むと「武蔵国分寺跡」、「僧寺」、「国分寺」、「武蔵国分寺公園」の関係が分かりにくかった。
「百聞は一見にしかず」のとおり現地で自分の足で歩き、現地で貰った資料をみると多少は理解できる。
国分尼寺跡
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国指定史跡の面積は僧寺地区が約100.846平方m、尼寺地区が約23.390平方mという。
資料によると僧寺の寺院地区画溝(寺地を画すと思われる溝が何ヶ所か発見されている)は東西約900m、南北約550m以上、広大な官立寺院であったらしい。
741年、聖武天皇は鎮護国家祈願する(政情不安を鎮める)ため、「国分寺建立の詔」を出した。国分寺(僧寺)と国分尼寺からなり全国60数ヶ所に建立された。武蔵国では、国府(現・府中市)の北側に位置し、国分寺崖線を望むの南面の広大な平地が選ばれ、東山道武蔵路の東に国分寺(僧寺)、西側に国分尼寺が配置された。
758年頃、武蔵国分寺が完成した。
国分尼寺の伽藍イメージ
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僧寺の金堂跡について国分寺市では本格的に発掘、調査するという。既に国分尼寺跡が発掘調査は終わり公園として公開されている。
このほか、東山道武蔵路というのも興味をそそられる。
前記の通り奈良時代の中頃、諸国に僧寺(金光明四天王護国之寺と呼ばれ20名の僧侶をおく)と尼寺(法華滅罪之寺と呼ばれ10名の尼僧をおく)の造営が始められた。
武蔵国分僧寺跡
僧寺の寺域には金堂、その北側に講堂、金堂の南に中門が配置され、七重塔、鐘楼、東僧坊などの礎石を持つ建造物があったことが判明している。1333年、分倍河原の合戦で武蔵国分寺の伽藍が焼失した。と現国分寺に伝わる縁起に記されている。
武蔵国分尼寺跡
僧寺の西南、丘のふもとに尼寺が置かれた。尼寺は僧寺より小規模で、約160m四方と推定されている。
中央に金堂、北に講堂(未確認)、尼坊が配置され、東西に鐘楼、経蔵(いずれも未確認)、南に中門、南大門(未確認)があったらしい。
尼坊は尼僧の住まいで東西約45m、南北約9mの瓦葺の建物、五つの房に間仕切りされていた。
礎石をなくなっているが、据え付けた跡があるという。
この頃の一般のひとの住まいは地面を掘り床とし支柱を立てた「竪穴住居」だそうだ。
東山道武蔵路
東山道は京と国府を結ぶ古代の幹線道路で七道のうちの一つである。
武蔵路は東山道の支路で武蔵国府に至る往還路である。
七道とは、東山道、東海道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道である。これらの七道は幹線道路の名前のほか、行政区でもあった。
伝鎌倉街道
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東山道には近江、美濃、飛騨、信濃、上野、武蔵、下野、陸奥、出羽の九ヶ国が所属していた。
武蔵路は上野国から分岐して武蔵国府までの往還路であった。この路は7世紀後半に築造され11世紀前半に廃絶したと推定されている。
武蔵国分寺跡に隣接し約450mが遺存している。
今回、これらを見学する時間がなかったので別途リポートしたい。
伝鎌倉街道
鎌倉街道は鎌倉時代に幕府のあった鎌倉と各地を結ぶ道路のひとつで、「鎌倉街道」という総称は近世(江戸時代)になって使われたという。
中世においては武蔵国を通る道は、「上の道」、「中の道」、「下の道」と呼ばれれていた。
したがって武蔵国分寺がが創建された時代からずっと下った時代のものといえる。
中世の主要鎌倉古道(七道)を列挙してみる。カッコ内は現地名による想定ルート。
- 上の道(鎌倉−町田−野津田−関戸−府中−所沢−狭山−嵐山−藤岡−前橋{上野国府})
- 中の道(鎌倉−二俣川−中山−王子−川口−岩槻−古河−栃木{下野国府})
- 下の道(鎌倉−高輪−王子−市川{下総国府}−取手−石岡{常陸国府})
- 山の道(鎌倉−藤沢−町田−橋本−八王子−青梅−秩父−藤岡−前橋{上野国府})
- 京鎌倉往還(鎌倉−大磯{相模国府}−箱根−三島{伊豆国府}−蒲原ー京都へ)
- 甲州鎌倉道(鎌倉−藤沢−町田−橋本−津久井−大月−石和{甲斐国府})
- 上総三浦鎌倉道(鎌倉−走水−---−木更津−市原{上総国府})
現国分寺
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真姿の池
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参考文献等
資料「史跡武蔵国分寺跡周辺の文化財」 国分寺市教育委員会
資料「国分寺市立歴史公園」 2001.11.28 国分寺市教育委員会
「鎌倉街道伝説」 2001.11.28 宮田太郎 ネット武蔵野
日本史年表・地図 吉川弘文館