保井寺の椿
| 永林寺・山門
| 横倉甚五郎の墓<大法寺>
農村のなかに静かにたっているお寺である。本堂の裏手には新撰組隊士、斎藤一諾斎の墓所がある。 | 一諾斎は江戸で幕臣の子として生まれ、仏門にはいった後、近藤勇に協力を求められ新撰組に入隊、仙台で離脱後、当地に住み晩年を終えた。 山門脇の椿(写真)は五色八重散椿といわれ樹齢400年だそうだ。
永林寺は大石源左衛門尉定久公の居館(由木城)であったものを、定久公が滝山城主として移るに至り、叔父の一種長純和尚に譲り、1532年(天文元年)3月永鱗寺として創建された。 | その14年後、七堂伽藍が完備された大寺院が完成した。 1581年(天正19年)徳川家康が当寺に巡拝した折、朱印十石、公家格式十万石を授け、赤門の建立を許可した。永林寺と称した。
寺名は寶祐山大法寺といい、天正年間に開かれたというから同様に歴史を有し、鑓水に移築された。 | 大きな墓地を持ち日本式の庭園がきれいである。 新撰組隊士、横倉甚五郎の墓所がある。甚五郎は今日ウオークしてきた八王子市堀之内の出身である。大法寺には斎藤茂吉の歌碑もある。 |
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