オーキング
04. 5. 2
ウオーク・古道(奥州古道)


奥州古道(中尾道)
奥州古道(中尾道)の面影あり?
奈良・平安時代に京の都と東国を結んだ官道「奥州古道(国府街道)」が多摩丘陵を越えるには西から「常盤道」、「長坂道(奥州廃道)」、「中尾道」があった。 中尾道は足柄や箱根から厚木を経て、ここ「よこやま道」あたりを通り、落合の白山神社(多摩センター付近)から府中、さらに北上して奥州(陸奥、出羽両国)へ向かっていた官道のひとつである。
下小山田の白山神社から東谷戸、中尾の坂、小野路浅間神社にかけて古道の面影が残っている。
常盤道は町田市の常盤町あたりを通っていたのだろうか。

<多摩市教育委員会の表示板>は次のように記されている。
ここ中尾道の近くの 多摩市・和田や百草には鎌倉時代の遊郭伝承(恋路が原、女沢、鎌倉沢)がある。
新田義貞の子、義興らの軍勢が笛を吹きながら、笛吹峠(豊が丘)から一本杉の 尾根を通ったという行軍伝承がある。
幕末には新撰組の土方歳三らが、小野路の小島家(現在の小島資料館)へ出稽古に通った道でもある。

江戸時代、中尾道などは小野路道、日野往還といわれたようである。

多摩市百草1140番地にある稲荷神社は昔恋路稲荷神社といったらしい。
近くの通りには「恋路原(こいじっぱら)通り」の標識がある。
伝承が生きているようだ。


奥州廃道(長坂道)
奥州廃道はこのあたりか
<小山田緑地への道>
奥州廃道は町田市下小山田町にある大泉寺(小山田城)あたりを通り、唐木田駅の近くを北上していたらしい。東京国際カントリーの中に廃道があったという。、 少し古い地図に、小田急唐木田駅の近くに長坂という町名が残っていたが、今は見当たらない。町名変更されたのだろうか。

多摩市、八王子市境に府中カントリーというゴルフ場があるが、この東側に唐木田の道という散策路がある。昔、唐木田の里の住民の生活道路であったらしい。この道筋に砦山というところがあり、小山田城主の側室が住んでいたという。
奥州廃道を使って往来したのかもしれない。

旧いものは廃れなくなっていくが、町名、字などが消えてしまうのも悲しい。
唐木田に秋葉神社という小さな社がある。境内に記念碑が建てられていた。記念碑には多摩ニュータウンの建設で変貌した様子が記されていた。

記念碑には
この地域は中組といい、大松台、長坂、樋口、入ノ谷、二反田、楢原、高岸、中沢の字からなり緑豊かな自然の丘陵に囲まれた農村の佇まいであった。
昭和40年多摩ニュータウンの開発により山林、田畑が強制買収され既存地域の区画整理によって未曾有の大変貌が行われ生活再建を余儀なくし、草ぶきの家は解体、神社の森 や小川のながれも昔の面影を失われた。
都市開発を期に鎌倉管領の頃と思へる稲荷神社、天明2年の秋葉神社、御岳社を再築し、地蔵院の地蔵尊、庚申塔、寺の入り辻の弘法様を移設し歴史の流れと永遠の保存を図り・・・。

私には唐木田の里に住んでいた人の「うらみ節」も伺えた。
開発後に入居した人は知らないかも知れないが、涙を流した人もいることだろう


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