ウオーキング
04. 8.11
ウオーク・古道(神社U)
八幡神社は全国に3万とも4万ともいわれるくらいあるそうだ。
わが町にも八幡神社があり、境内の顕彰碑に「慶長12年(1607)京の岩清水八幡宮の神霊を鎮座・・・。」と記されている。徳川家康が江戸幕府を開いて4年後である。
府中市には武蔵国府八幡宮があり、
一国一社といわれ聖武天皇(731〜755)のころここの創建らしい。
聖武天皇は国分寺建立の詔を出したそうで、神仏の両方に気を使ったらしい。
暑さの中ではあったが、この八幡宮を訪ねてみた。
武蔵国府八幡宮
府中市国府八幡宮の参道
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所在の地図を見ると、東京府中市の大国魂神社の東方1kmくらいのところにある。意外と近くにあるが、まだ訪れたことはなかった。武蔵国府八幡宮というから国府が置かれたころからのものらしい。あたりは八幡宿とも呼ばれているが
宿場があったわけではないそうだ。参道の鳥居が旧甲州街道沿い立っているが、実はよくわからなくて裏から入った。
一ヶ月くらい前も場所の見当をつけて歩いたが失敗し「京所(きょうづ)」へ出てしまった。
東府中駅から京王・競馬場線に沿って歩き「八幡みち」を通り、住宅の一角に寂しいが広大なそれらしい
林が見つかった。人がいたので八幡神社であるか尋ねるとそうらしいという答え。
ほんとにこれが国府の神社だっただろうかと思うくらい小さな申し訳程度の神社のように見えた。
八幡宮本殿
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すぐ横に2階建ての民家のような社務所がある。拝殿から東に向かった参道がすぐ北の方向に曲がる。はるか遠くに鳥居が見える。
途中に京王・競馬場線の踏切がある。その先も参道らしい。
幅の狭い参道を歩くと左手には民家が迫っている。右手には「参道に駐車しないで下さい。大国魂神社」と貼り紙がある。この神社は大国魂神社」の境外末社だそうである。やがて旧甲州街道にでた。鳥居がある。やけに長い参道である。昔の境内は大きかったのかも知れない。
八幡宿
鳥居の前の立派な説明碑には次ぎようなことが記されている。
現在の八幡町一・二丁目の一部に集落の中心があった村落をいい、六所宮(大国魂神社)の社領に属していた。『新編武蔵風土記稿』(幕末の地誌)には
六所宮の小名として見ることが出来る。
もともと八幡宿は国府八幡宮の周囲に発達した村落で、甲州街道が開設(慶安の頃:1648〜52)されたのに伴い街道筋に移動した。
八幡道
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宿場町のような村名だが八幡宿は農業を中心とした村落である。地名の起こりはこの地に国府八幡宮が鎮座していることによる。
国府八幡宮は由緒深いお宮で聖武天皇(在位724〜749)が一国一社の八幡宮として創立したものと伝えられている。
八幡道(やわたみち)
八幡道(やわたみち)は国府八幡宮のそばを通ることから呼ばれるようになった。江戸時代の古図にも記載されているそうだ。ここから北東に向かい品川道にに通じていたらしい。
品川道は甲州街道が開設される前からあったそうだ。武蔵国府と湊のあった品川の間の物資の運搬に使われ、多摩川を使った木材の運搬者の帰り道としても使われたそうだ。