ウオーキング
04. 12. 11
ウオーク(寺町通り)
落ち着いた佇まいの町並み
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北烏山の”寺町通り”を歩いてみた。3、4年前まだ在職中、私鉄が季節ごとに発行する情報誌の表紙にこの寺町のスケッチが飾られていた。
そのスケッチからしっとりとした町並みだな、一度訪れてみたいと思っていた。職場のパソコンの背景画に設定して楽しんでいた。
北烏山は新宿までの私鉄・京王線の途中駅「千歳烏山」から北の方に位置するが、なかなか途中下車することはなかった。
急に思い立ったのは、私の思考・行動のなかで母の介護----施設に入所中だが毎昼食時の介助している----の占める割合が100%近くなり、私自身が落ち込みはじめたからである。
介護以外に行動して介護に関する比率を下げる必要があると感じられた。
9日の午後介護を終えた2時ごろから出かけた。とにかく別のことをやらなければ・・・・。
重厚な寺構え
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千歳烏山駅を出て商店街の石畳の道を北に向かう。車道と歩道が分かれているが狭い、その割りに人が多い。ついつい車道を歩きながら事前に調べておいた旧甲州街道との交差点「千歳烏山駅入口」を過ぎる。昔の大きさの町並みが人口増に耐えられなかったようだ。
情報誌には「1923年(大正12年)の関東大震災の被災により、多くの人が郊外に移住、千歳烏山付近も急激に人口が増加」と記されている。
私の今日の目的地”寺町”は関東大震災後に都内各地から寺が移住して来たそうだ。
「東京都の歴史」という本に記載されていた大正震災志附図より表わされた震災時の焼失地域は、浅草区、神田区、日本橋区、麹町区、京橋区、川向こうの本所区、深川区となっている。今の台東区、中央区、千代田区、港区、墨田区、江東区にあたる。この地域にあったお寺が移転してきたようである。
お寺の名前と移転時期を記した表(下記)を参照していただきたい。大正13、14、15年の3年間に8ヶ寺、昭和2、3、4年の3年間に15ヶ寺が移転している。震災の被害がいかに甚大だったかが想像できる。
やがて右手に夕日を浴びて鮮やかなオレンジ色に映える大きく瀟洒な建物、烏山中学校が見えてきた。とても中学校の校舎とは思えなかったのは夕日を受けていたためだろうか。などと思いつつ甲州街道との交差点「烏山」を渡る。
およそ500mくらい歩くと中央自動車道が見えてきた。その手前に大きなお寺がありここから”寺町”なのだろう。バス停の標識に「寺院通1番」と書かれている。寺町の北の端には「寺院通5番」のバス停があった。
紅葉も鮮やか
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通りの両側には大きなお寺が次から次に顔を見せてくれる。狭い通りには散歩を楽しむ老夫婦、犬を連れて散歩する人がポツリポツリみえる。
20を越えるお寺が立ち並ぶ町筋は壮観というか驚きである。
静かなたたずまいは1kmも歩かないうちに終わり、生活の香りがする通りに戻った。
余り考えずに出てきたため、さてこの先どちらに向かうか思案する。
とりあえず東に向かい中央道の近くに玉川上水の東端「関場橋」を見つけ、上水脇の散策路を上り始めた。
これで駆け足での寺町訪問は終わった。上水に覆いかぶさる木々を沈みかけた夕日が照らしていた。
千歳烏山駅は昭和4年まで烏山駅と呼ばれていたそうだ。戦後は甲州街道(今の旧道)も砂利道で牛車や馬車が農作物を載せて行き交って、自動車はめったに通らなかったそうだ。
ついでながら「つつじヶ丘」駅も昭和32年までは「金子」駅と呼ばれていた。昭和39年のオリンピックにより町並みが一変したとか。
つつじヶ丘と呼ばれた方が何となくしゃれた町名のようである。しかし古い町名が消えてしまうのは寂しい気がするのは私が歳を取ったからであろうか。
この付近の地図を見てみると福祉センターや保育園、郵便局に金子という名前が付いていた。名付けした人の思いが偲ばれる。
寺院名[なまえ] | 移転の時期 | 所在地 | 旧所在地
源正寺[げんしょうじ] | 大正13年 | 北烏山4−14−1 | 築地寺内
浄因寺[じょういんじ] | 大正13年 | 北烏山5−11−1 | 麻布三河台
乗満寺[じょうまんじ] | 大正13年 | 北烏山5−7−1 | 浅草松葉町
常栄寺[じょうえいじ] | 大正13年 | 北烏山4−13−1 | 築地寺内
源良院[げんりょういん] | 大正14年 | 北烏山4−10−1 | 浅草神吉町
善行寺[ぜんぎょうじ] | 大正15年 | 北烏山5−14−1 | 築地寺内
永願寺[えいがんじ] | 大正15年 | 北烏山4−29−1 | 浅草清島町
高源院[こうげんいん] | 大正15年 | 北烏山4−30−1 | 品川
妙寿寺[みょうじゅじ] | 昭和2年 | 北烏山5−15ー1 | 本所猿江町
専光寺[せんこうじ] | 昭和2年 | 北烏山4−28−1 | 浅草北松山町
妙高寺[みょうこうじ] | 昭和2年 | 北烏山6−23−1 | 浅草今戸
幸龍寺[こうりゅうじ] | 昭和2年 | 北烏山5−8ー1 | 浅草新谷町
玄照寺[げんしょうじ] | 昭和2年 | 北烏山4−21ー1 | 白金三光町
存明寺[ぞんみょうじ] | 昭和2年 | 北烏山4−15ー1 | 麻布富士見町
稱往院[しょうおういん] | 昭和2年 | 北烏山5−9ー1 | 麻布芝崎町
妙楊寺[みょうようじ] | 昭和3年 | 北烏山4−9ー1 | 谷中天王寺
永隆寺[えいりゅうじ] | 昭和3年 | 北烏山4−17ー1 | 本所太平町
順正寺[じゅんしょうじ] | 昭和3年 | 北烏山4−5ー1 | 千駄ヶ谷
妙善寺[みょうぜんじ] | 昭和3年 | 北烏山5−12ー1 | 築地寺内
萬福区寺[まんぷくじ] | 昭和3年 | 北烏山5−13ー1 | 築地寺内
入楽寺[にゅうらくじ] | 昭和3年 | 北烏山5−7ー1 | 浅草北松山町
常福寺[じょうふくじ] | 昭和3年 | 北烏山2−8ー1 | 浅草吉野町
宗福寺[そうふくじ] | 昭和4年 | 北烏山5−10ー1 | 日暮里
妙祐寺[みょうゆうじ] | 昭和12年 | 北烏山4−16ー1 | 渋谷宮益坂
西蓮寺[さいれんじ] | 昭和14年 | 北烏山2−7ー1 | 三田北寺町
多聞院[たもんいん] | 昭和24年 | 北烏山4−12ー1 | 淀橋角筈
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