ウオーキング
04.12.28
ウオーク・古道(神社V)
道中
年末になってあちこちの神社を参詣し一年の無事を感謝するのが最近の常となっている。
谷保天満宮は十数年前に初詣に訪れていたが車を利用しない場合、我が家から少々不便な位置にある。
昨年春に石田大橋が完成し、一部開通した日野バイパスを通れば歩いていける距離だと考えた。
あとになって地図を広げてみれば、府中四谷橋を通ってもあまり距離に差がないことに気がついた。
そんなことはどうでもいいことであるが、久しぶりにお参りすることにした。
ついでながら日野バイパスは現在、中央道の国立府中ICの導入路から石田大橋を通り日野市上田の川崎街道へ繋がっている。
近くの百草団地、高幡台団地を通り抜ける。ふたつの団地はおそらく多摩ニュータウンが出来る以前に建設されたと思われる。
団地内を歩いている人々がかなり高齢の方が目に付く。自分もその部類であろうが・・・。建物にもエレベータがないものもあり大変だろうなと思いつつ、北の方向にひたすら歩く。
この日はかなり冷たい風が吹いて首筋が寒いフードを被り足を速める。
梅園には白梅が咲いていた
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モノレールの万願寺駅の手前を右に曲がり日野バイパスに入る。およそ500mくらい歩くと石田大橋に達する。この橋は片側だけの対面通行となっている。
当然のことだが歩道も片側しかない。歩道にはときたま自転車がすれ違う程度でほとんんど歩いている人はいない。こんな寒い日に歩くやつはよほど物好きに違いない。寒い。
多摩川を渡って倉庫や高層マンションが点在している開発中の新しい町並みを進む。やがて中央自動車道をくぐりインターの近くに来た。
手にはネットの地図情報をプリントした紙を持っている。
国立第3中学校脇の狭い道に入る。曲がりくねった道を北東方向を目指して歩くと神社らしい垣根が家々の間から見えてきた。ようやく天満宮の裏側にたどり着いたようだ。
参拝は後にして梅園に行ってみる。この梅園は甲州街道からの参道を下る左手にある。
売店で甘酒を求めて温まりながら園内を回って見ると一本の「白梅」の木に花が咲いている。
谷保天満宮は現甲州街道より低い位置にある。境内の説明にそのなぞが記されていた。
谷保天満宮
境内にはトリ
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谷保天満宮は菅原道真公を祀ってあるが、由来には概ね次のように記されている。903年(延喜3年)2月、道真が筑紫で亡くなった時、道武朝臣(道真の三男)は思慕の情に堪えず父の尊容を刻んで廟殿に鎮祀した。
921年(延喜21年)道武朝臣がこの地で逝去すると霊を相殿に配祀し三郎殿と称した。
江戸時代には朱印領十三石、明治13年に府社となった。本殿は流造で寛永年間(1624〜1643)の造営と伝えられる。拝殿は入母屋造で江戸末期の造営。
境内は梅園も含め約6300坪の広さという。
甲州街道から表参道を降ると本殿、拝殿がある。
普通、神社は高台に鎮座しているが、下へ降る神社は珍しい。拝殿等が街道に背を向けているのは、かって古甲州道が境内の南側を通っていたためである。
菅公は学問の神様ゆえにここは合格祈願で訪れる人が多いらしく絵馬があふれんばかりである。また梅園には国立市在住だった山口瞳氏の文学碑が立てられている。
なお国立市の”くにたち”は国分寺と立川に挟まれていることから両市から一字づつ取ったそうだ。野暮だね。