渋谷区の税理士 中川尚税理士事務所

 

中川尚の飛耳長目(税理士読書日記)TEL 東京・渋谷 03-3462-6595

 

笠原和男他2人「昭和の劇、映画脚本家・笠原和男」(太田出版)
2021921日(月)

 

 

<その12>
◆まあ歴代の天皇で戦争で責任をとっていないのは昭和天皇だけですよね。例えばもし日露戦争に負けていれば、明治天皇だって退位していますよね。その前の天皇でも後鳥羽天皇でも何でも戦に負ければ島流しになるわけなんだから。

◆天皇はちゃんとその責任をとっているのかと。とっていない!それからそういうものを後押ししたジャーナリズムがきちんと清算しているのかと。していない!朝日新聞なんて戦前は軍のために大宣伝をやっておいて、それで終戦の時には「みんなで反省しなければならない」なんてね。何言ってるんだテメエが一番反省しなきゃならない。しかも戦後民主主義だ何だと言っておきながら、天皇の問題をまともに追求した新聞社、出版社なんていうのがありますか?ひとつもないじゃない?


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

中川尚の飛耳長目(税理士読書日記)TEL 東京・渋谷 03-3462-6595

 

笠原和男他2人「昭和の劇、映画脚本家・笠原和男」(太田出版)
2021917日(金)

 

 

<その11>
◆この映画には戦争の技術戦という側面がはっきり出ていますね。戦争というのは技術開発が一番進むんだけど、日本の場合、それがどんどん原始的になっていって最後には竹槍になってしまった。要するにどんどん精神主義になっていくわけですね。ドイツはロケットを開発したし、アメリカは原爆だし。戦車もないんじゃねえ、ノモンハンを教訓にしてないし。それまでの戦争で何も学んでいなかった。

◆上流階級は天皇制がなくなったら自分たちの権益をすべて失っちゃうわけだからね。位から財産からすべて。で当時アメリカの世論調査では80パーセントの人が天皇を銃殺すべきだと言ってますからね。そういう情報も入ってきているから、上流階級としては国体護持が第一だということで終戦を延ばしに延ばしていたんですけど、結局そのために何十万という人間が死んだんですよ。だから、裕仁が個人で何を考えていようともあの人は第一級の戦犯ですよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

中川尚の飛耳長目(税理士読書日記)TEL 東京・渋谷 03-3462-6595

 

笠原和男他2人「昭和の劇、映画脚本家・笠原和男」(太田出版)
2021916日(木)

 

 

<その10>
◆でも僕は東条が好きではないんです。やっぱり大局観を失うというか、、、結局、天皇に帰依しちゃってるものだから、庶民からの視点というものを持ちえなかったんですね。それは軍人官僚ですから、上からばっかり見てたから見ることはできなかったんでしょうね。

◆「大日本帝国」は登場人物のほとんどが天皇制というものに対して、何らかのセリフを吐いている。

◆結局突きつめていけば犬死であろうと何であろうとね。戦争に駆りだされた連中が無力だったんですね。要するに抵抗ということをしなかった。特に日本人の場合、これまた天皇制によるものなんだけど、明治以降お上に対抗するという努力をしていないんですよ。
確かに共産党はありましたけど、これまたコミッテルンの視点に基づいてチョロチョロやってるだけの話でしょ?


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

中川尚の飛耳長目(税理士読書日記)TEL 東京・渋谷 03-3462-6595

 

笠原和男他2人「昭和の劇、映画脚本家・笠原和男」(太田出版)
2021915日(水)

 

 

<その9>
◆商社というのはスパイですからね。それは戦後何年もの間は、日本の外務省より商社の支店の方がはるかに情報収集力があった。特にアフリカとかアラブのほうは今までもそうみたいですね。

◆ご遺族の話を聞くと、東条英機さんは非常にいい親父だっだらしいね。東条さんの手帳というのを見せてもらいましたけど、隅から隅まで小さな字でびっしり書き込んであるんですね。生真面目な人だったんでしょうな。
これはアメリカ軍が言ってるんだけども、巣鴨プリズンで最後まで武士道を貫いたのは東条1人だけだったと。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

笠原和男他2人「昭和の劇、映画脚本家・笠原和男」(太田出版)
2021914日(火)

 

 

<その8>
◆昭和60年に山口組の四代目が殺されましたよね。あれは結局、関西新空港建設にともなう利権争いなんですね。大阪から岸和田までの関西新空港入口のほうの土地だとかテナントだとか、そういうものの権利をどこが取るかという権力争いでもって起きたわけですよ。今、やくざ戦争というのは、そういうところに来ているわけであって、単にチンピラが喧嘩しているのとは違うんだよ。

◆結局、やくざというのは突きつめれば被差別部落民と朝鮮人が多いんですよね。例えば山口組にしても6割は朝鮮人と被差別部落民なんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

笠原和男他2人「昭和の劇、映画脚本家・笠原和男」(太田出版)
2021913日(月)

 

 

<その7>
◆今の共産党だともっとクレームをつけるんでしょうね。綱領では天皇制廃止だけど、現在では廃止しないと明確に言っていて。おそらく「実録共産党」が書かれた当時以上に、天皇制に対して緩くなっていますよね。

◆僕が戦中の混乱の中で体験したことからわかったのは、天皇というのは全く役に立たないということですよ。意味がない。その意味がないものが我々を死に追いやろうとしたわけでしょ。

◆サルトルか誰だったか、・・・要するに組織に忠実なものはいつかは組織に裏切られると。忠実であればあるほど裏切られると。そういう孤独な立場に置かれた人間こそ、最高の思想家であるというような作品でね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

笠原和男他2人「昭和の劇、映画脚本家・笠原和男」(太田出版)
2021910日(金)

 

 

<その6>
◆児玉さんは「今の天皇はおかしい」と。人間宣言をしたならば、それは退位すべきだと。神と思うからこれまでみんな命をかけて、お守りしてきたんじゃないか、それが人間になっちゃったのであるならば、それはそれでいいとしても退位すべきだと。

◆例えば徳田球一あたりは、かなり資金をルーズに使っていたんですよ。コミッテルンから入ってまた金を徳球が懐に入れちゃって、温泉でどんちゃん騒ぎをやって金を使い果たして帰ってきたら、仲間が怒っちゃって、それで狙われたなんて話があってね。監督は深作ということで深作なんかはその話はおもしろいなんて言ったけど、けれどもそんな話を入れたら、代々木は絶対にOKを出すわけない―ということは取材したあとに気がついてね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

笠原和男他2人「昭和の劇、映画脚本家・笠原和男」(太田出版)
202199日(木)

 

 

<その5>
◆ルールに適合していれば弱肉強食は当然もっと極端に言えば、見つからなければ泥棒ではないという論理であって、戦前の徳・誠・道・心・謙譲と言った教育で育った私にとっては、民主主義は味も素っ気もないプラスチックの壁に閉ざされたような息苦しさを感じたものであった。

◆「あゝ決戦航空隊」というのは大西瀧治郎―レイテ海戦の時、初めて特攻を送り出したということで、「特攻の生みの親」と言われている人の話ですね。

◆真珠湾攻撃というのも最初の提唱者は大西だったんですよ。それに山本五十六が乗っかって、いろいろと作戦を練っているうちに大西はハッと気がつくんだよ。アメリカ人を叩いちゃうとあとがえらく面倒になると。大西はやめた方がいいと山本の所に直訴しに行ったんですよね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

笠原和男他2人「昭和の劇、映画脚本家・笠原和男」(太田出版)
202198日(水)

 

 

<その4>
◆不思議なのは2.26事件にしても初期の連中が持っていたある種のアナーキズムみたいなものが、時間とともにほとんど日蓮宗に取り込まれてしまっているんですね。

◆2.26事件の連中が取りこまれていったというのは、日本で革命宗教というのが日蓮宗しかなかったということがあるかもしれないですけどね

◆戦後3年ほど職業上アメリカ兵とつき合ってうんざりした体験がある。彼等の民主主義というルールには「対決」という前提があるのであって、ルールを建前とはしていても勝敗を争うことに変わりはなく、うまく力を誇示した者が得をするようになっている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

笠原和男他2人「昭和の劇、映画脚本家・笠原和男」(太田出版)
202197日(火)

 

 

<その3>
◆右翼というものは本来はアナーキズムなんですよ。あるいはニヒリズムなんですね。だから玄洋社にして右翼とはいうけれども右翼である以前にある種のニヒリズム、あるいはアーナキズムみたいなものがあるわけですよ。

◆北一輝はよくわからいんですよ。政治なのか宗教なのか単なるハッタリ屋なのか、あるいは金儲けを狙っていた商人的な人間だったのか、色んなものを全部ひっくるめて妖怪というようなものになったんだと思うんで、ひとつの解釈・定義づけでもっておさまる人間じゃないと思いますね。非常に卑劣な面もありますしね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

笠原和男他2人「昭和の劇、映画脚本家・笠原和男」(太田出版)
202196日(月)

 

 

<その2>
◆単純にいってオーラというのは自信なんですよ。庶民たちは自信という揺るぎない輝きみたいなものを求めてるわけでしょ。だから当時、お侍にしてもガンマンにしても主人公が最後に死んじゃいましたなんていう映画は誰も見なかったでしょ?、つまり強いわけでそれは自信なわけでしょ?

◆ある種の気位というか、嘘でもいいから気位の高い人間のほうがいいんです。スターらしくなっていくんですね。いくら芝居がうまくてまじめな子でも絶対にスターになれない子というのはいるんですよ。それはやっぱり気位が常識的なんですよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  笠原和男他2人「昭和の劇、映画脚本家・笠原和男」(太田出版)
202193日(金)

 

 

本書は朝日新聞「平成の30冊」に選ばれた伝説の大著である。
以下、インパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。

<その1>
◆初めて笠原さんの名前がクレジット・タイトルに出た映画が昭和33年の「ひばりの花形探偵合戦」ですが。それから立て続けに美空ひばり主演の映画を書いているわけですけど、ひばり映画というのは、やっぱり確実に客は入っていたんですが。

◆ひばりがアップでパッと出ていると、全体が明るくなってきちゃってそのストーリーなんてどうでもいいみたいなね。ひばりの顔さえ見ていればいいんだという、そういうオーラが出ているわけですよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 柿田睦夫「創価学会の変貌」(新日本出版社)
201948日(月)

 

 

<その6>
◆それだけだはなかった。初期の創価教育学会は思想弾圧の先兵である特高警察などで治安当局と交流を持ち、それを折伏(信者拡大)につなげていたという事実が最近になって判明している。・・・・・・それによると創価教育学会は「長野県教員赤化事件」(1933年)で弾圧された元教員らと「思想善導」として折伏しようと考えた。そのために特高警察や思想検事等と緊密に連絡を取りあい、協力・援助を受けていた。逆にいえば、治安当局の「転向政策」に積極的に協力していたのだ。

◆誰がリーダーになっても池田大作氏ほどの求心力は持ちえないでしょう。(だからそれを補うものとして「創価学会仏」を創設し「会憲」と制定したと思われますが)1992年に中断した形になっている本格的な税務調査がいつどのような形で再び行われるのか、などという難題を抱えています。だとすれば、当面は、組織維持のためには政権依存の路線を継続せざるをえないのではないかと考えられます。その意味で本書は「創価学会の変貌」の中間報告だとご了解ください。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 柿田睦夫「創価学会の変貌」(新日本出版社)
201945日(金)

 

 

<その5>
◆池田大作氏がくり返し語ってきた組織活動の原点は「1人対1人の対話」。その原点に立ち戻り、「1人1人が池田先生との絆、同志との絆、御本尊との絆を強めてゆく個人指導に徹し」「徹底した訪問激励で、これまで以上に強固な組織をつくってまいりたい」と原田会長は指導する。

◆その牧口らが治安維持法等に問われたのは「戦争に勝つためには邪教を排し、日蓮正宗を採用せよ」と唱えたからだ。神札の受け取りを拒んで国家神道に従わなかったことが、治安維持法違、反不敬罪容疑に問われたのである。牧口らは「殉教の士」ではあったが「反戦・平和」ではなかったのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 柿田睦夫「創価学会の変貌」(新日本出版社)
201944日(木)

 

 

<その4>
◆だが与党を離れることへの不安は根強く、「学会内では自前の選挙で一議席でも多く確保することを何より優先する谷川らの立場が強まっていったこともあって」、小選挙区撤退論は議論の対象外となり、「集団的自衛権の行使容認をめぐる議論を前に、公明党が連立離脱と言う選択肢を半ば封印してしまうことにもつながった」という。

◆ポスト池田に向けて、制度としての整備はできた。だが、会則や会憲で会長権限を強化しても学会員の信仰心や忠誠心は外形的な制度で左右することはできない。会憲制定直後に行われた衆院選挙(17年10月12日)で早くも求心力の低下を露呈した。この選挙で創価学会は安倍自民党の「勝利」には、多大の貢献をした。しかし肝心の公明党は6議席を減らし、「広宣流布のバロメーター」である比例票は99年の自公連立以降初めて700万票を割るという歴史的な後退となった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 柿田睦夫「創価学会の変貌」(新日本出版社)
201943日(水)

 

 

<その3>
◆「池田大作著」の多くが「代作」だったということは、すでに公知のこととして語られている。原島嵩元教学部長も生前、学会内部に「特別書籍」などという「大作の代作」チームがあり、自分がその責任者の1人だったことを明かしている。

◆名護市長選挙における創価学会の選択は、池田氏が説きつづけたものとは、真逆のものだった。政権との連携で組織維持を図る執行部は、その目的のために池田氏と沖縄の学会員とが共有してきた立場を完全に逆転させた。「池田門下」を唱えながら「池田離れ」から「池田はずし」へと進む。名護市長選挙はそれを強烈に印象づけた。

◆「そもそも学会の内部には、自民党に引きずられて、公明党らしさを失うよりも、連立を離脱し、「平和の党」の原点に立ち戻って、選挙を戦った方が運動にも力が入るという声もあった。しかも「池田大作が創設した公明党は、2014年秋に、結党50周年を迎え、「平和と福祉の党」としての立ち位置をあらためて確認する方針だった。自公連立路線を見直すには、またとない好機だった」


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 柿田睦夫「創価学会の変貌」(新日本出版社)
201942日(火)

 

 

<その2>
◆現世利益という宗教の教義を、行政サービスの利用で実現させるという手法が学会を急速に膨張させた最大の要因だった。

◆創価学会の信仰の基礎は「功徳と罰」。徹底した現世利益主義である。公明党の議員は「功徳調達人」の役を果たす。それは様々な行政施策の口利きから、交通違反者の「もらい下げ」まで幅広い。都民の血税を注ぎこんだあげくに破綻した「新銀行東京」事件(08年)で明るみに出た議員や官僚の「口利き案件」は約600件。そのうち200件超が公明党関係者のものだった。

◆SGIは、現在192の国と地域に組織があるとされている。会長は一貫して池田大作だ。池田氏はぼう大な数の国や大学、団体から名誉称号を贈られているが、その多くは各地のSGI組織の働きかけによって得たものだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 柿田睦夫「創価学会の変貌」(新日本出版社)
201941日(月)

 

 

田原本と違い、創価学会の批判が厳しい。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介していきたい。

<その1>
◆創価学会は選挙を「広宣流布の戦い」と呼び、国政選挙の比例票を「広宣流布のバロメーター」と位置づける。初めて「池田ぬき」の選挙をすることになった原田会長は、「あとは、本門の池田門下がどう実践するかです。戦いと行動あるのみです」と奮起を促した。

◆自民党と安倍政権を2つの宗教潮流が支えている。日本会議系宗教教団と創価学会である。かつて自民党には、生長の家、霊友会、世界救世教のように組織的集票力を持つ支持教団があった。だが霊友会や世界救世教は、分裂などによってかつての動員力を失っている。

◆日本会議系教団と創価学会の選挙関与のしかたは、まったく異なる。日本会議は改憲をめざす運動団体であり、その信念と理念に基づいて自民党と安倍政権を支えている。創価学会はそうではなく、自民党政権との間に介在しているのは「保身」と「利害」だといってよい。しかし、選挙と言う直接的な貢献度を比較すれば、創価学会が桁違いに大きい。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 田原 総一朗「創価学会」(毎日新聞出版社)
2019128日(月)

 

 

<その15>
◆キリスト教においては、自分の運命は一つの神によって定められているということに対する限界があります。でも、創価学会の教えは、そうではありません。自分の宿命を使命に転換できる。そういう力がこの信仰にあるんだと多くの人が気づいたわけです。

◆キリスト教社会で創価学会に入会する人は、まさにその矛盾に行き当たるようです。キリスト教では神が人間をつくったはずなのに、なぜ悪人が存在するのか、なぜ戦争が起きるのかと。

◆いいえ、海外では政治に進出はしません。日本の場合は、戦後の社会状況や、創価学会がたどってきた歴史などを含め、戸田会長が政治進出を決断しました。しかし、海外においては、いっさい政治にはかかわらないと明確に決めています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 田原 総一朗「創価学会」(毎日新聞出版社)
2019125日(金)

 

 

<その14>
◆ITや遺伝子工学など、科学技術がいかに進歩しても、本当の意味での人間が生きる目的、生きる醍醐味は何かということについて、回答を与えることはできない。その答えを出すのは宗教なのではないでしょうか。

◆浄土真宗や真言宗は誘いませんよね。いうならば、そこが創価学会の特徴で、また煩わしさでもある。

◆日本の憲法で定められている政教分離というものは国家が、宗教に介入してはならないということを定められているんですね。憲法の政教分離の原則は、欧米の歴史を踏まえた上で、戦前戦中の国家神道を国策とした政府による宗教弾圧の歴史の反省の上にたち、「信教の自由」を保障しようとしたものにほかなりません。決して、宗教団体の政治活動を禁止しているわけではありません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 田原 総一朗「創価学会」(毎日新聞出版社)
2019124日(木)

 

 

<その13>
◆第二に、座談会に代表されるような、一人ひとりの学会員が尊重される活動システムである。座談会では、学会員たちが職場や家庭でのトラブル、ひいては人生の苦悩まで率直に吐露し合う。自分ひとりの力ではどうにも解決できない悩みに直面し、傷ついた学会員が周囲の励ましを受け生きる力を取り戻す、座談会はそうした回復力を与えてくれるようだ。

◆そして、最後が「宿命転換」という教えだ。学会員はその苦悩の原因を自分の「宿命」にあると受け止め、自己の内面を変革することによって、苦悩が解決でき、幸福になれると考えている。

◆1980年代に池田が訪問して、激励した当時の青年部員が、現在イタリアSGIの中核として活躍し、イタリア社会に根づきつつあるという。会員も9万人とローマカトリックの信者が大半を占めるこの国で、4番目の規模を維持している。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 田原 総一朗「創価学会」(毎日新聞出版社)
2019123日(水)

 

 

<その12>
◆池田名誉会長から本当の意味で、価値ある生き方とは何かを教わり、充実した人生を送れるようになったことです。名誉会長は、人のため社会のために尽くすことを我が喜びにできる生き方が素晴らしいと語っています。

◆池田は、人間の幸福とはあくまでも自身の強い生命力によって獲得できるものであり、困難に打ち克とうとする闘争心を萎えさせるものは、仏法的ではないと見ているに違いない。そうした池田の教えのもと、葬式仏教と決別し、世界宗教を目指す創価学会は、どこまでも、人間の内面、つまり精神の強化を目指していくのだろう。その「闘う魂」がある限り、創価学会の勢いは衰えないのだと感じた。

◆私が取材を通して、見えてまた創価学会の「強さ」の秘密とは、結局、次の3点に要約できる。
第一に、池田大作と言う人物が持つ魅力であり、彼と学会員との強い絆である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 田原 総一朗「創価学会」(毎日新聞出版社)
2019122日(火)

 

 

<その11>
◆私は、日蓮仏法をとおして、究極の人間性というものを実践できるさまざまな手段を学んだと思います。池田先生は、他者に対して常に尊敬の念を持ち、相手の一番いいところを引き出す力を持っています。

◆創価学会に魅力を感じた点や入会動機は千差万別だが、共通しているのは信仰したことで、自分自身が人間的に成長できたという、はっきりした自己変革体験を持っているということだ。つまり、人間革命であり、それを成し遂げた歓喜が彼らにとって信仰の手ごたえとなっているのだろう。

◆池田名誉会長が最初に海外を訪れた際、海外で布教活動を行うには、多様性と寛容性、これが大事だと語っていました。

◆SGIは、115ヶ国・地域であったが、海外布教に対するこうした柔軟性によって、現在192ヶ国・地域にまで発展。宗門との決別は、新たな広宣流布の始まりだったのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 田原 総一朗「創価学会」(毎日新聞出版社)
2019121日(月)

 

 

<その10>
◆韓国SGIは、若者が都心に出てしまい、働き手を失った農家を助けてあげたり、町の清掃活動を行ったりしています。さらに、一人暮らしの老人や貧しい老人がいれば、助ける運動をするなど、とにかくさまざまな社会貢献活動を長年続けて、「韓国SGIはいい団体である」と、広く認識されるようになりました。韓国にメンバーが多いのは、そのためではないでしょうか。

◆韓国は相互扶助意識が強い国である。人間同士の触れ合いを重視する池田の教えが受け入れられたのは、そうしたお国柄も関係しているのかもしれない。

◆日蓮仏法というのは、自分自身を追求し、探求することを繰り返していく、一つの旅路のようなものだと感じるようになりました。

◆キリスト教では、神が絶対です。そして人間は神のもとに従属するという関係です。もちろんキリスト教にもいいところはたくさんあると思いますが、常に罪の意識があり、自分自身は価値のない人間だと思わせてしまう要素がある、と私は感じていました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 田原 総一朗「創価学会」(毎日新聞出版社)
2019118日(金)

 

 

<その9>
◆「キリスト教の教えでは、自分の人生はすでに定められたもの、つまり宿命であり変えることはできないといいます。日蓮仏法は宿命転換ができる。自分で自分の人生を変えられると説いてくれる。しかも、それが自分に与えられた使命だという。ここに魅力を感じて、日蓮仏法を信仰するようになった。このように話しているのです。」

◆ある学会員が私に「世界中の人が同じ言葉で祈ることができるのは創価学会だけです。」と語ったことがある。

◆創価学会の教えでは、「もっとも苦しんだ人が、もっとも幸せになる権利がある。」と聞き、心を惹かれました。

◆韓国SGI会員は、現在約100万人と、世界有数の規模を誇る。反日感情の強い国で、なぜこれほどまでに広がったのだろうか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 田原 総一朗「創価学会」(毎日新聞出版社)
2019117日(木)

 

 

<その8>
◆さて、第2次宗門問題を契機に創価学会にはどういった変化が生まれたのか。まず、宗教的な寛容性が高まったように思われる。初期の創価学会は他宗を邪教と言い切り、強引な折伏を推し進めるなど、攻撃的、排他的というマイナスイメージがつきまとっていた。しかし、池田は、以前から人類が抱える諸問題を解決するためには、宗教同士が協力すべきであると考え、宗教間対話にも積極的であった。

◆第2次宗門問題勃発後、創価学会では塔婆、戒名、お彼岸、お盆など仏教にとって馴染みの儀礼について、検証と見通しが行われた、これらの儀礼が本来の仏教に必要なく、後世に加えられた儀礼だと明確にすることが目的だった。

◆私も数多くのリーダーと会ってきたが池田の国内外のリーダーとの会談記録を追っていくと、その分野の広さといい、こなしてきた人物の数といい、他の追随を許さないほどの質と量に圧倒される。創価学会の活動のすべてを先頭にたって切り拓いてきたのが、池田だという感を深くする。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 田原 総一朗「創価学会」(毎日新聞出版社)
2019116日(水)

 

 

<その7>
◆名誉会長が何を考えているのか、宗門の主張のどこが間違っているのかを、全国の学会員たちが理解し、納得し、安心できたのです。

◆定期的に布施が入れば、あとは法事と葬儀だけ行っていれば、それで寺は安泰だ。宗教の生命線ともいうべき布教活動を行う必要もない。こうして、日本の仏教は、人々の生老病死の苦悩を解決したり、悟りの世界を考察したりするという本来の目的から徐々に逸脱し、葬儀や先祖供養などの儀式を重視する葬式仏教へと変質したのである。

◆昭和初期に誕生した創価学会は、日蓮正宗の信徒団体という立場であったが、日蓮本来の教えに忠実に立ち戻ろうとした。ただし、この路線を貫けば、葬式仏教に甘んじている既成仏教各派をはじめ、社会との間に摩擦が生ずることは明らかだった。実際に牧口と戸田は逮捕・投獄され、戦後も創価学会にはさまざまな勢力から圧迫が加えられた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 田原 総一朗「創価学会」(毎日新聞出版社)
2019110日(木)

 

 

<その6>
◆池田は、米軍基地問題に苦しむ学会員を励まそうと、1972(昭和47)年本土復帰を果たす以前の沖縄にも何度も訪れた。沖縄は伝統的土俗信仰であるユタ信仰が強く、本土の文化にも排他的だった。宗教学者も創価学会が沖縄に定着することは難しいだろうと分析していたが、地元学会員の奮闘が実り、現在の沖縄の勢力は、公明党の得票率で見るかぎり全国屈指の数字を誇る。

◆僧侶が池田の人気に嫉妬するというのか。にわかに信じがたい話が飛び出した。
「僧侶たちの間には、立場的には宗門の僧侶が上で、在家は下、という抜き難い意識がありますから、自分たちよりも尊敬される名誉会長が憎くてならなかったのでしょう。」

◆さらに第2次宗門問題においては、これ(池田と学会員の絆)に加えてある技術革新によって、学会員の絆がより強まったという、それが衛星中継システムだったという。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 田原 総一朗「創価学会」(毎日新聞出版社)
201919日(水)

 

 

<その5>
◆なぜ、戸田を信じることができたのかと問うてみた。すると、池田は、戸田が戦時中に、治安維持法違反で逮捕された際、一緒に逮捕された何人かの幹部が改宗し、釈放されていくなか、戸田だけはどのような弾圧を受けても最後まで、信教を貫いたという話に心を打たれ、彼を信じる決意をしたというのだ。

◆言論・出版問題と相前後して、池田は社会との融和や対立勢力との対話にも積極的な姿勢を見せるようになる。特に注目されたのが、1968(昭和43年)年9月の学生部総会で行った「日中国交正常化提言」だった。
当時、日本をはじめとする西側各国が中国の正統政権として認めていたのは、台湾の中華民国であり、大陸の新中国は共産革命と建国を経ていたものの、国連にも加盟を許されず、「国際的孤児」のような不安定な立場に置かれていたのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 田原 総一朗「創価学会」(毎日新聞出版社)
201918日(火)

 

 

<その4>
◆日蓮の教えは、正しい信仰を実践することで、苦しみの原因である悪い宿命を転換し、善の方向へと変革できると説く。そのための修行が勤行・唱題であり、折伏で人を救うことだというのだ。学会員は「自分が変われば、周囲の環境が変わる」「宿命を使命に変える」とよく語る。これが宿命転換の教えだが、折伏された側は反発を覚えるのではないだろうか。それを強引に行ったため、創価学会は世の中から危険な宗教団体だと思われたのである。

◆創価学会が人々の心をつかんだ背景には「貧・病・争」が存在すると私は考えている。戸田が会長を務めていた1950年代、日本は貧しく、医療が発達していなかったため、病に倒れる者も多かった。貧しければ、争いも起きる。そうしたなか、人は学会に救いを求めた。題目を唱えれば、宿命転換できる、現世より益が受けられる、殺伐とした時代にあって、それは一筋の光だったはずだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 田原 総一朗「創価学会」(毎日新聞出版社)
201917日(月)

 

 

<その3>
◆キリスト教については、「救われない宗教」と断言。その理由について次のように述べている。キリスト教では、よく信仰が深まれば死に直面しても驚かないとか、不安に耐えうるとかいっているが、それはすべてあきらめの結果である。(中略)キリスト教には現実の生活を変える力がない。生活の苦悩をいいわけする論理を組み上げてあるだけである。現世の宿命すら転換することができないのだから、まして、天国などという来世の保証などおよびもつかぬ話である。

◆次は神道に関する記述である。
日本の神は氏神が中心である。氏神は、氏(部族)の上(長)であって、一族を守るものであり、天照大神は、民族全体の長であり、日本全土を守るものである。(中略)ところが、今度の戦争で日本は全国民をあげて、天照大神を奉じ、西欧哲学を奉ずるアメリカと闘った。その結果、無残な敗戦だった。天照大神は、日本の氏神の大将なのに、どうして日本を守らなかったのであろうか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 田原 総一朗「創価学会」(毎日新聞出版社)
201914日(金)

 

 

<その2> 
◆しかし創価学会においては、創立当初から、そうした神がかり的な、非日常的な体験が見られることはない。初代会長の牧口は教育者である。その立場から法華経の教えを説くことが、教育改革につながるとの信念のもと、仏法流布に努めたのである。つまり牧口はあくまでも創始者であり教祖ではない。これは戸田も同様だ。ビジネスの才覚に恵まれ、創価学会の経済的な基盤をつくり上げた戸田は、むしろ実業家に近いかもしれない。

◆戸田は実業家として優れていた。戦前の最盛期に経営していた会社の数は17にのぼり、今でいえば、月に1億円を超える収入を得ていたという。しかし戦時中の弾圧で投獄され出獄したとき、日本は厳しい不況に襲われていた。倒産が相次ぎ、戸田の会社も例外ではなかった。投獄前に経営していた会社はどれも経営が成り立たず、巨額の負債が重く、戸田にのしかかった。亡き師の志を継ぎ、創価学会を再建させることに加え、事業を再起させることも戸田に課せられた使命だった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 田原 総一朗「創価学会」(毎日新聞出版社)
20181228日(金)

 

 

創価学会と関係の深い毎日新聞からの出版だからか、あるいは田原のジャーナリストとしての資質の問題なのか、批判精神が欠如した内容になっている。以下本書より興味深い部分を要約して御紹介しておこう。

<その1> 
◆1977年(昭和52年)になると、創価学会は言論・出版問題で迎えた窮地よりはるかに深刻な事態に陥った。池田が学会員に対して行った教義に関する講演が日蓮正宗、つまり宗門の激しい怒りをかう。その後、紆余曲折がありついに1991(平成3年)年11月には、創価学会が信徒団体としての命脈を断たれ、破門されることになってしまったのだ。
しかしなぜか、創価学会の結束は揺るがなかったのである。それどころか宗門と決別したことを本格的な世界布教の始まりと捉え、世界各国で創価学会インターナショナルが展開していった。その上公明党は1999(平成11年)年から自民党、自由党と連立政権を組み、与党の一角に食い込んだのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森本 あんり 「反知性主義―アメリカが生んだ『熱病』の正体」(新潮社)
2015824日(月)

 

 

<その7> 
◆「平等は人間1人1人の心の中にすべてのものごとを自分で判断しようとする意欲を育てる。(中略)大家の言葉を盲信する気には決してならない。それどころか、大家の理論の弱点を絶えず、探そうとしている。学問的伝統は、彼らの上にはほとんど力をもたない。」
知性の支配に対する反逆は、この平等という理念を原動力としていることがわかる。このような反知性主義は、単に知的なことがらや知的な人びとへの反発を意味しない。それは大家のもつ旧来の知や権威への反逆であって、その反逆により新たな知の可能性を拓く力ともなる。反知性主義は、知性の発展にも重要な役割を果たすのである。

◆「知性」とは、単に何かを理解したり、分析したりする能力ではなくて、それを自分に適用する「ふりかえり」の作業を含む、ということだろう。知性はその能力を行為者、つまり、人間という人格や自我の存在を示唆する。知能が高くても、知性が低い人はいる。それは知的能力は高いが、その能力が自分という存在のあり方へと振り向けられない人のことである。だから、犯罪者には「知能犯」はいるが「知性犯」はいないのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森本 あんり 「反知性主義―アメリカが生んだ『熱病』の正体」(新潮社)
2015820日(木)

 

 

<その6> 
◆キリスト教は長い間、人間はみな宗教的には平等でも、社会的な現実においては、不平等でよいと考えてきたのである。人間社会には、上下の秩序がある。神が創られたこの世界には、支配する者と支配される者、身分の高い者と低い者、豊かな者と貧しい者がある。だからこそ、その中でお互いに助け合い、上には上なりの品徳と権威が、下には下なりの献身と服従が求められるのである。

◆政教分離が保障する「信教の自由」により、人はどの協会に属していようとも平等に扱われるようになった。ただし、ここで留意されなければならないことがある。この「信教の自由」には、どの協会にも属さず、何の宗教も信じないという自由も含まれている。そこまで含めて、宗教に関しては、国民をすべて平等に扱うことを要求するのが、アメリカの政教分離である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森本 あんり 「反知性主義―アメリカが生んだ『熱病』の正体」(新潮社)
2015819日(水)

 

 

<その5> 
◆反知性主義は、宗教的確信に根ざしたラディカルな平等観に端を発している。神の前には、学のある者もない者も、大卒のインテリも小学校すら出ていない者も、それぞれが同じように尊い1人の人格である。

◆イギリスという国家が、そういう平等を実現できないなら、独立して別の国になるしかない。アメリカは平等を求めて独立したのである。独立宣言のこの言葉(すべての人は平等に創られた)は、福澤諭吉の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉へと、翻案され、やがて日本でも知られるようになった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森本 あんり 「反知性主義―アメリカが生んだ『熱病』の正体」(新潮社)
2015818日(火)

 

 

<その4> 
◆リバイバリストの説教は、言葉も平明でわかりやすく、大胆な身振り手振りを使って、身近な話題から巧みに語り出す。既成教会の牧師たちが、いくら警告を発しても、信徒がどうしても、そちらになびいてしまうのも無理はない。

◆キリスト教に限らず、およそ宗教には「人工的に築き上げられた高慢な知性」よりも「素朴で謙遜な無知」の方が尊い、という基本的感覚が存在する。神の真理は、インテリだけがわかるようでは困る。それに触れれば、誰もが理解できるような真理でなければならない。〜反知性主義は、「学者」と「パリサイ人」、つまり当時の学問と宗教の権威者をともに正面から批判したイエスの言葉に究極の出発点をもつ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森本 あんり 「反知性主義―アメリカが生んだ『熱病』の正体」(新潮社)
2015817日(月)

 

 

<その3>  
◆「ハーバード」という大学名は、公立大学として設立された時の議決には記されていない。これはその後、同大学へ多額の遺産を寄付したジョン・ハーバードを記念してつけられたものである。

◆アメリカへ旅行したことのある人なら、誰でも経験したことがあるだろう。ホテルに入り、テレビのスイッチを入れてチャンネルを回してみると、それがどの州のどの町であろうと、昼間であろうと夜であろうと、必ずひとつやふたつ、宗教番組を流している局がある。いわゆる「テレビ伝道」である。彼らは莫大な資金で、自前の放送局を運営し、24時間365日体制でこうした番組を提供している。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森本 あんり 「反知性主義―アメリカが生んだ『熱病』の正体」(新潮社)
2015811日(火)

 

 

<その2> 
◆ハーバードは牧師養成を主眼としながらも、はじめからそれに限定されないリベラルアーツ(人間を自由にする学芸)の学びを内容としていた。そして、そのような一般教養こそがまさにピューリタンの牧師に必要な専門教育の内容だったのである。

◆同じ神学教育でも、カトリック教会は、この点でまったく異なる理解をもっていた。アメリカのカトリック教会は、ずっと後の1391年に最初の神学校を創設したが、これは司祭養成のための「神学校」であって、リベラル教育を行う一般大学ではない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森本 あんり 「反知性主義―アメリカが生んだ『熱病』の正体」(新潮社)
2015810日(月)

 

 

本の帯には、日本人が知らない「反知性」の正体、アメリカ×キリスト教×自己啓発=反知性主義と書かれている。以下、本書より、インパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1> 
◆キリスト教は、それぞれの土地に根付いて発展する際に「土着化」のプロセスを経る。キリスト教はアメリカにとっても外来の宗教である。アメリカだけでなく、キリスト教はヨーロッパにとっても、いや、どこの国の人にとっても、異質な外来宗教である。その外来の宗教が土着化の程度に応じて変異するのである。

◆現代アメリカには、世界の大学ランキングで常にトップの位置を占めるハーバード、イエール、プリンストンといった大学がひそめいているが、これら3校は、いずれもピューリタン牧師を養成することを第1の目的として、設立された大学である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤環「世界が土曜の夜の夢なら」(角川書店)
2012111日(木)

 

 

<その8>
◆私の分析が正しければ、橋下の限界は彼独自の理念や理想を語り得ないという点にある。 事実僕の知る限りでは彼はまだ自らがどのような政治を、あるいはどのような国家を理想とするかについて、きちんと語っていない。 施政や国政の具体的な問題点や有効な解決策については、彼はいくらでも雄弁に語りうるだろう。しかし彼がどのような社会を理想とするかについては、残念ながら聞こえてこない。 なぜ理念を理想を語り得ないのか。そこにこそ僕は橋下の「ヤンキー性」をみる。ヤンキーは「本質」を「起源」を語らない。 それは「規範」や「理想」を語り得ないことと同じことだ。彼らは「夢から逃げるな」というが、どんな夢かは語らない。なぜか。 彼らの行動の基本原理こそが「気合いを入れて生き延びること」にほかならず、その先のことは彼ら自身も知らないからだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤環「世界が土曜の夜の夢なら」(角川書店)
20121031日(水)

 

 

<その7>
◆反体制的だったヤンキーが功成り名遂げてからは、保守反動的に振る舞うこと。主張として「変節」なのだが、これはヤンキー主義的な生き方が必然的に辿る道なのだ。

◆ヤンキー文化とは、男性原理の価値規範を女性原理の方法論で伝達、拡散することによって成り立ってきたのではなかったか。

◆僕が言いたいのは「橋下人気」と呼ばれるものの状況を支えているのが、日本人の大半を占めると言われる「ヤンキー人気」的な感性であるというほどの意味である。 ほとんど同じ感性が、島田紳助の人気やお笑いブームの一翼を担っていることは疑い得ない。 「橋下嫌い」を表明する知識人が、なぜあれほど理不尽なまでに「橋下叩き」に走ったのか。 僕にはこれらのバッシングが、その深層に「ヤンキー的なもの」への嫌悪感を宿していたように思われてならない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤環「世界が土曜の夜の夢なら」(角川書店)
20121030日(火)

 

 

<その6>
◆ヤンキーの美学はまずなによりも、アメリカ的なものとの深い関わりにおいて成立している。ただ興味深いのは、それらが決して直截的な模倣たり得ないことである。

◆ヤンキー的成功者の多くは、その過剰なまでの情熱と行動力をもって、なんらかの新分野において業績を上げていることが多い。 注意しておきたいのは、その新分野なるものが必ずしも真に革新的なものとは限らないという点である。 別の言い方をすれば、新たな価値観を創造するのではなく従来からある価値観を新たな手法で強化するのが、ヤンキー成功者の秘訣ということにもなろうか。

◆多かれ少なかれ「家族の大切さ」を至上の価値とする家族主義は、ヤンキー成功者が共通して語るところである。 少なくとも、僕は独身を貫いているヤンキー成功者を一人も思い浮かべることができない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤環「世界が土曜の夜の夢なら」(角川書店)
20121029日(月)

 

 

<その5>
◆日本のお笑いの特殊性は、そのかなりの部分が芸人のキャラに依存して成立している点である。 ネタを文章に起こしても十分に笑える芸は、松本人志や爆笑問題などの数少ない例外を除けばそれほど多くない。 つまり自立したギャグとしての面白さ以上に、まず「笑えるキャラ」を成立させることがはるかに重要になる。

◆1962年の「ジャニーズ」のデビューから、実に半世紀近くもの間 日本の芸能界に君臨し続けたと言っても過言ではない、その存在(株式会社ジャニーズ事務所)には、 芸能界的美意識のエッセンスが凝縮されている。ならばジャニーズは、いかなる意味でヤンキー的なのだろうか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤環「世界が土曜の夜の夢なら」(角川書店)
20121026日(金)

 

 

<その4>
◆矢沢永吉は三歳で母親が家出し、小二で父親が亡くなって親戚中の家をたらい回しにされ、最終的には祖母に引き取られ、 小五から清掃、牛乳配達、新聞配達、フィルム配達などのバイトをはじめるなど、当時でもあまり例がないような悲惨な子ども時代を送っている。 中学時は不良だった矢沢を変えたのは、ラジオで聴いたビートルズとカーネギーの「人を動かす」だった。

◆僕の仮説はこうだ。「日本人がキャラ性をたかめていくと必然的にヤンキー化する」。 ここで(日本人)の限定がついているのは、さしあたり「ヤンキー」という言葉が、実質的な日本語圏でしか通用していないという現実をふまえているため、 ここからなんらかの「日本人論」を意図しようというわけではない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤環「世界が土曜の夜の夢なら」(角川書店)
20121025日(木)

 

 

<その3>
◆80年代初頭のヤンキー系音楽で、やや特異な位置づけをもつバンドにアナーキーがいる。彼等は反体制志向のパンクロック・バンドだった。 横浜銀蝿やアラジンとはことなり、メンバー全員が暴走族上がりの元不良である。 デビュー当時のファッションは、旧国鉄の作業服に赤い腕章という左翼的なもので、ヤンキーのほとんどが保守反動との親和性が高いことを考えながら、 いかに彼らが特殊な、あるいは境界線上の存在であったかがわかるだろう。

◆以上2つの性質はヤンキー系のすべての音楽に共通する「現実志向」に由来すると考えられる。彼らの活動において「音楽性の追求」は最優先課題ではない。 優先されるべきはまず商業性であり、あるいは彼等自身のスタイル(=生き様)の主張と確立だ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤環「世界が土曜の夜の夢なら」(角川書店)
20121024日(水)

 

 

<その2>
◆速水健朗はその著書で、浜崎あゆみのヤンキー性についてくわしく検討している。 また浜崎が愛好する詩人相田みつをが、いかにヤンキー達に愛されているかなど、興味深い事実も指摘している。

◆僕が一貫して関心を向けているのは「個人の美意識にひそむヤンキー性」である。 それは例えば、「不良文化」という言葉を使ってしまったが最後、雲散霧消してしまうような儚い美学だ。

◆もっとも彼らの存在そのものは必ずしも「純正」とは言い難い。メンバーには不良体験がなく、全員が大卒もしくは大学中退だった話はよく知られている。 リーゼントにサングラス、革ジャンに白いドカン(ズボン)という彼らのファッションも、典型的な「ツッパリ」のパロディというニュアンスが確実にあった。 少なくとも一般人にとっての横浜銀蝿は、そういう位置づけであったはずだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤環「世界が土曜の夜の夢なら」(角川書店)
20121023日(火)

 

 

<その1>
評論家の書評を読んでヤンキー文化の本質を突いているという印象を持っていたが、全体として今ひとつ内容のわからない本である。 ただし、ひとつひとつの個別の話には面白いものがある。以下本書より興味深いくだりを何点か要約して御紹介していきたい。

◆天皇陛下の即位20年ではEXILEが、即位
10年では元X‘JAPANのリーダー、YOSHIKIが奉祝曲を披露している。 僕に「なぜ天皇を愛する人々は、かくもヤンキー好きなのか」という疑念を呼び覚ましたのだ。

◆あえて断言するが、いわゆる「不良文化」とは異なる文脈で、われわれの日常に潜在する「ヤンキー性」をはじめて指摘したのはナンシー関だ。 彼女は芸能界を支配する美意識の大部分がヤンキー的なものであることを、身も蓋もなく指摘してしまったのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「隠された歴史」(PHP研究所)
2012921日(金)

 

 

<その7>
◆日本も戦前までは飢えとの戦いだった。農民と日雇い労働者が国民の9割だった。その日の分の食いぶち(収入)を稼がないと、ご飯が食べられない人が多く存在した。 今日の日本でも社会福祉制度が完備されているようでも、ホームレスが100万人単位でいる。これらは行政の力で目の見えないところに隠されている。

◆私たちは学校教育であまりにも西洋学問の影響を受け過ぎている。だからギリシャ・ローマ文明(たかが3,000年)が一番優れた文明だと思い込まされている。 本当はバグダッドを中心とするチグリス・ユーフラテス文明が、この5,000年間の全ての人類全体の文明の中心なのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「隠された歴史」(PHP研究所)
2012920日(木)

 

 

<その6>
◆今の日本人のほとんどは仏教を捨てている。習俗、慣習としてだけ残っている。家にお坊さんを呼んだりお寺へ通ったりする人はもうかなり減った。仏教の各教団の経営にまで熱心にかかわる檀家=信者の数は、どんどん減っているはずである。 京都や奈良の立派な寺は、観光寺になりきって高額な拝観料収入で生きている。高級な観光寺は檀家・信者をもう全く持たなくなった。

◆寺と違って神社の方は国家神道となって、今度は明治、大正、戦前に体制化し威張り腐ったので、敗戦後に体制の変更によって国家保護を失った。神社はどこも小さなところはさびれ果てている。 戦前までは神社の神主は国家公務員だった。国家神道は翼賛体制に加担して国民大衆を戦争に煽動したので、敗戦後は嫌われた。 今は神社は政府の保護もなく、氏子の集団も激減した。商店街の祭礼の神輿を担ぐお祭りだけが全国で細々と残っている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「隠された歴史」(PHP研究所)
2012919日(水)

 

 

<その5>
◆仏教には大きく分けて大乗仏教と小乗仏教の二派がある。 両者の一番大きな違いを端的に言うと「自分が悟りを得ることのみを目的とするのが小乗仏教」で、「その悟りを広めて人々を救うところまで視野に入れているのが大乗仏教」と言える。

◆仏教は基本的に個人救済の宗教である。もっといえば本来、他人のことなどどうでもよい。自身の救済のみを目指している。

◆日本に伝わっているのは大乗仏教である。このため日本では小乗仏教を軽視し攻撃した。世を救うことを求めず自らの哲学の研鑚に打ち込み、自分だけが救われることを目的としたのが小乗仏教だからだ。 宗教の優劣は着眼点により異なる。だからどちらが上下ということはない。が、この性格ゆえに小乗仏教は驚くほどの緻密な学問体系を作り上げている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「隠された歴史」(PHP研究所)
2012918日(火)

 

 

<その4>
◆禅宗はだからこそ本当の大人の思想、保守の思想として、新しい思想流派として、日本にも根付き大きく栄え、そして今も日本全国に禅寺がある。ただし今も禅宗にはお経がない。 禅宗はただひたすら祈ることを拒絶したのだから、お経がない。

◆当時の文明国中国の豊かさというものは世界基準で見ても大きなものだった。9世紀から18世紀までの実に1,000年間、中国は世界のGDPの25%(ダントツ1位)を生産し、占めていたのである。 そして阿片戦争による欧米列強の侵略から中国の大きな衰退が始まったのだ。そして今、中国が大きく甦りつつある。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「隠された歴史」(PHP研究所)
2012914日(金)

 

 

<その3>
◆ブッダの最後の言葉はこうだ。「すべてはうつろう。うつろうものに執着すれば苦しみが生じる。されば執着をして去らしめよ。すべてはうつろう。ゆえに私(ブッダ)を頼りにすることなかれ。 みずから(自分だけ)を頼りにして生きよ。他者に依存することなかれ。自己の身(のみ)を支えとして生きよ。」とブッダは言い放った。

◆拝んで一体何になるのか。ひたすら救いを求めているのである。人間にできることは古代からずっと、神にすがりついて救済を求めることだけだった。 宗教とは何かについて、ずっと考えてきた。やはり中心にあるのは「救済を求める思想」である。

◆救済を求めることだけが宗教ではないことを書いておく。実は救済など求めない仏教の大きな宗派(勢力)があるのである。それは日本にも来ている。 救済すなわち神や仏にすがりつく「他力本願」ではなく、自分の力、能力だけを頼りに自力で生きていく方が正しいと言い出した宗派がある。それは中国で6世紀にできた「禅宗」なるものである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「隠された歴史」(PHP研究所)
2012913日(木)

 

 

<その2>
◆インドで発祥した仏教(ブッダの教え)という思想は、今から2500年前の思想だ。ブッダは歴史上の実在の人である。ブッダとほぼ同時代に古代ギリシァが生んだ大哲学者ソクラテスとプラトンがいる。 それから中国の道教の祖の老子と儒教の祖の孔子も、同じく2500年前の人だ。だから世界の三つの大文明の地で、人類の大きな思想はほとんど同時期に生まれたのである。 そしてその後の2500年間、人類(人間)は、どうやらたいして発達や進歩など遂げていないのではないか。

◆イスラム教は21世紀の今も広がっている途中なのだという。本当だ。偽善が少ないからだとされる。イスラム教徒は世界中で今17億人いる。 現在の仏教やキリスト教がウソ宗教になっている(ほとんどの人が信仰していない。習俗に過ぎない)のに対し、イスラム教は生きている宗教で今も増殖 中らしい。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「隠された歴史」(PHP研究所)
2012912日(水)

 

 

<その1>
本書は、そもそも仏教とはどういうものなのかについて論じているのがその内容である。 以下本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

◆この物凄く有名な中尊寺と法隆寺の2つの菩薩像を見て、これらはお釈迦様とは別人なのだとハッキリと言える日本人がどれだけいるか。 すべてをひっくるめてひとまとめ仏像だと、私たちは勝手に、安易に、いい加減に、信じ込んできた。だが仏像とは、本来、仏(お釈迦様)の像のことである。

◆仏教(ブッダの本人の言葉)は徹底的に無神論である。ブッダは「一切の神」を信じない。仏教の神は仏様(ブッダ)その人だが(笑)、ブッダ自身は自分を神だとは言っていない。

◆悟りというのは解脱のことである。ブッダは29歳で出家して6年間ヒンドゥー教の厳しい修行をした。35歳である境地に到達した。それが悟りだ。そして悟りとは実は死ぬことそのものだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


                 渋谷の会計事務所 中川尚税理士事務所
〒150−0031 東京都渋谷区桜丘町13−11 的場ビル2階 (渋谷駅西口より徒歩5分)  03-3462-6595

Copyright(C)2004 HISASHI-NAKAGAWA All Rights Reserved.