<その2>
◆日本の裁判官は「仕事の質量の負担の過重」と共に、それ以上に「(裁判・裁判官の自由と独立を侵害している)官僚統制に追い詰められている。」というのが私の見方である。
◆裁判官が克服しなければならない「官僚性」とは何かに話が及んだことがある。そのときのある裁判官の答えの1つに「結果に対して無責任」というのがあった。
◆裁判官と違って弁護士は仕事をしていると当事者に対して人間としての「親近感」、そして「愛情」すら持つようになる。これは裁判官時代には思ってもみなかったことで新鮮な驚きを感じた。
◆私の見たところ、それは日本の裁判官が人間らしい生活をしていないからだと思う。普通の生活の中で人と触れ合う場に出て行かず、自分の仕事や生活を他人に語らないからだと思う。
官僚的な生活の中に閉じこもって官僚的な裁判官が育ち、その裁判官によって官僚的な内容も形式も「人間らしくない」裁判がなされている。
映画「日独裁判官物語」を見ての痛烈な印象の1つは、ドイツの裁判官達の職場において、また職場以外においても見られる生き生きとした姿である。
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