aaw 渋谷区の税理士 中川尚税理士事務所

 

中川尚の飛耳長目(税理士読書日記)TEL 東京・渋谷 03-3462-6595

 

    大村大次郎「マスコミが報じない公然の秘密」(かや書房)
202427日(水)

 

 

<その16>
◆日本では患者の入院日数の平均が世界で一番長いのです。日本の入院日数の平均は約28日、2位の韓国は約18日、となりますがその他の国はみんな10日以内となっています。

◆2011年3月決算期において、電力会社の10社の広告費は、合計で866億円となっています。これは日本最大の民間企業トヨタの約2倍です。
つまり、マスメディアにとって、電力会社は超VIPということになります。当然、電力会社の批判はできなくなります。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

中川尚の飛耳長目(税理士読書日記)TEL 東京・渋谷 03-3462-6595

 

    大村大次郎「マスコミが報じない公然の秘密」(かや書房)
202426日(火)

 

 

<その15>
◆日本で医者の数が少ないのも、日本の医療の 「 開業医優遇の流れ 」 が大きく影響しているものと考えられます。 「 医者の数が多くなれば開業医の所得シェアが下がる 」 わけです。
それ故、日本医師会は医学部の新設に強硬に反対してきました。

◆日本の医療費の内訳をみてみると、一番大きいのが入院費です。医療費の約40%が入院費に割かれているのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

中川尚の飛耳長目(税理士読書日記)TEL 東京・渋谷 03-3462-6595

 

    大村大次郎「マスコミが報じない公然の秘密」(かや書房)
202425日(月)

 

 

<その14>
◆諸外国のように介護費を含めて医療費を再集計すると、日本はOECDの中では6番目という 「 かなり医療費が高い国 」 ということが判明したのです。
これ以降日本医師会は 「 日本は医療費が安いので医療費を上げろ 」 というキャンペーンは行わなくなりました。

◆日本は病床数は異常に多いわりには、感染患者を入院させるための指定医療機関が少ないのです。だから日本では、新型コロナに対しては、最初から軽症患者は黙殺されてきました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

中川尚の飛耳長目(税理士読書日記)TEL 東京・渋谷 03-3462-6595

 

    大村大次郎「マスコミが報じない公然の秘密」(かや書房)
202422日(金)

 

 

<その13>
◆日本では施設に入所している寝たきり老人だけで300万人以上おり、自宅等で寝たきりになっている人を含めればさらにその数は増えます。
これほど寝たきり老人のいる国は、世界中どこにもありません。

◆親族などがもう延命は望んでいないという場合であっても、日本の場合、一旦、延命治療を開始すると、それを止めることが法律上、なかなか難しいのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

    大村大次郎「マスコミが報じない公然の秘密」(かや書房)
202421日(木)

 

 

<その12>
◆保育所での死亡事故の7割は、認可外の保育所で起きているのです。認可外の保育所に入っている児童は保育児童全体の1割程度です。つまり、認可保育所の20倍以上の確率で死亡事故が起きているのです。

◆認可外保育所での死亡事故が多発する最大の理由は、 「 補助金が一切出ていないこと 」 なのです。認可外保育所は、当然のように経費を削るために使用する人数を制限することになります。目が行き届かなくなり、安全が脅かされるのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

    大村大次郎「マスコミが報じない公然の秘密」(かや書房)
2024131日(水)

 

 

<その11>
◆つまり、私立保育業界というのは、自民党にベッタリなのです。しかも、保育業界のたちの悪いところは、左翼系の政党との関係も深いのです。
公立の保育所は左翼系の労働組合が入っており、その影響力が強いのです。
東京の公立保育所は、共産党の労働組合の影響下にあり、他の地方の公立保育所は自治労の影響下にあります。

◆公立の保育士たちは、非常に待遇がいいのです。普通の民間企業よりも各段にいい給料をもらっています。
彼らはその接遇を守りたいがために、保育所の新規参入を嫌っているのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

    大村大次郎「マスコミが報じない公然の秘密」(かや書房)
2024130日(火)

 

 

<その10>
◆民間の保育所の経営者というのは地主であったり寺社であったりなど、その地域の有力者である場合が多いのです。彼らが自分の広い土地に保育所をつくり、税金もほとんど払わず、補助金をがっぽりもらって潤い続けてきた、そういう構造があるのです。

◆民間の認可保育所というのは、非常にボロい商売なのですが、経営者たちにとって、一番の悩みは 「 新規参入 」 なのです。 ( 子供の数が減っているため )
そのため、いくら待機児童が増えようが新規参入を必死に阻止しているのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

    大村大次郎「マスコミが報じない公然の秘密」(かや書房)
2024129日(月)

 

 

<その9>
◆2000年3月20日に厚生労働省から全国の自治体に発せられた 「 保育所の設置認可について 」 という通知があります。
これは 「 将来、子供が減る恐れがある場合には、むやみに保育所をつくるな 」 と言っているのと同じです。
この通知こそが、待機児童問題を長い間、解決させなかった最大の要因だといえます。

◆保育業界というのは、国や自治体から莫大な補助金を受け取っています。 ( 認可保育所 )


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

    大村大次郎「マスコミが報じない公然の秘密」(かや書房)
2024126日(金)

 

 

<その8>
◆これは農業を配慮したものです。農家などでは農閉期だけ雇われ仕事をするという人がけっこういます。それを毎年繰返しているのです。
こうなると、これは雇用保険ではなく、補助金です。なぜこれほど農村が優遇されているかというと農家には昔から自民党の支持者が多いからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

    大村大次郎「マスコミが報じない公然の秘密」(かや書房)
2024125日(木)

 

 

<その7>
◆メディアは 「 権力を監視する 」 という重要な役目があるにもかかわらずです。
大阪府や大阪市というのは、維新の会という一つの政党の色が非常に濃い自治体です。
メディアとしての最低限の道義がわかっていないのです。

◆ 「 半年働けば3カ月分の給料がもらえる 」 というのが日本の雇用保険制度です。20年間働いてもたった1年間しかもらえない。つまり、加入期間の5%しか補償がないのに、半年しか働いていない人は加入期間の50%も補償されるのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

    大村大次郎「マスコミが報じない公然の秘密」(かや書房)
2024124日(水)

 

 

<その6>
◆朝日新聞社には、これらの不動産事業の収入が子会社からの配当金という形で入ってきます。現在、朝日新聞社の利益の約半分は、これらの子会社からの配当金によるものとなっているのです。

◆2021年12月に、大阪府と読売新聞大阪本社が包括連携協定を結びました。
聞こえはいいですが要は府の広報事業などの業務を読売新聞などが請け負うということです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

    大村大次郎「マスコミが報じない公然の秘密」(かや書房)
2024123日(火)

 

 

<その5>
◆各テレビ局は、新型コロナについて大阪が日本で最大の被害を出していることなど、ほとんど報じません。その結果、維新の会の人気が爆上がりするということになっているのです。

◆この朝日新聞社の 「 中之島プロジェクト 」 を大阪府と大阪市が強力に援護したことになるわけです。以降、中之島は急速に開発され、新しい商業地域、オフィス街として大阪の新名所的な存在となっています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

    大村大次郎「マスコミが報じない公然の秘密」(かや書房)
2024122日(月)

 

 

<その4>
◆日本のテレビ局だけで、吉本興業の50%近くの株式を持っています。つまり、各テレビ局の 「 共同子会社 」 のようなものです。その吉本と包括提携を結ぶということは、各テレビ局と間接的に包括提携を結ぶようなものです。

◆一部の政治家、一部の政党とテレビ局が特別な関係を結ぶということは、政治に関して公平な報道ができないということです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

    大村大次郎「マスコミが報じない公然の秘密」(かや書房)
2024119日(金)

 

 

<その3>
◆ 「 あなた ( 橋下氏 ) は足元が見えず民間でやってはならないことまで民間にさせて、日本で最悪の死者を出してしまった。あなたは常日頃から政治は結果だと言っている。この結果責任はどうするのだ? 」
ネット上での一般人 ( 多分、女性 ) からの反論に橋下は、何ひとつまともな反論は出来ていない。

◆国や地方自治体が広報活動にタレントを起用することは珍しくなく、大阪市、大阪府と吉本興業の連携は法的には問題はないものの、国民の側には大きな害悪となっているのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

    大村大次郎「マスコミが報じない公然の秘密」(かや書房)
2024118日(木)

 

 

<その2>
◆大阪の公立病院の医者や看護師が、維新の政策により半減させられているのは、見誤りようのない事実なのです。そして、公立病院の医師と看護師の少なさが 「 病院に行くこともできずに死亡する人 」 を増やしている大きな要因であることも間違いのないことなのです。

◆独立行政法人というのは、基本的に経営はその法人の責任で行います。つまり、自分で利益を出さなくては成り立っていかないのです。必然的に、赤字が出るような採算性のない医療は行うことができません。感染症対策などというのは、採算の取れるものではなく、なかなか公立病院以外ではできるものではありません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

    大村大次郎「マスコミが報じない公然の秘密」(かや書房)
2024117日(水)

 

 

他の著書との重複もあるが、ここでは重複していないテーマについて取り上げてみたい。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介してみたい。

<その1>
◆橋下徹はテレビでも 「 PCR検査を拡充することは、有効な対策ではない 」 ということをしきりに吹聴していたのです。
しかしながら、自分がちょっと体調を崩したときは、真っ先にPCR検査を受けている。
橋下と維新は、大阪の医療を崩壊させた最大の戦犯のはずです。彼らに対して、メディアはもっときちんと批判すべきでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「マスゴミ」って言うな!(新日本出版社)
2023111日(水)

 

 

<その10>
◆安倍晋三政権がアベノミクスの成功を自画自賛し、人手不足ばかりが伝えられる中で、実は多くの企業が希望退職者を募っている。スキャンダルにまみれた東芝、日産自動車はまだしも 「 日の丸液晶 」 ことジャパンディスプレイや富士通、パイオニア、アステラス製薬、損保ジャパン日本興亜、コカコーラなども今年、数百〜数千人規模で実施した。

◆新聞社にとっての 「 自由 」 とは、社論や思い込みに囚われないファクトを固める取材ができ原稿を書けて、ニュースバリューが的確に判断される環境のことをいう。トップがいかなる路線を唱えようと、かつての 「 産経 」 編集局は基本的にそんな職場だった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「マスゴミ」って言うな!(新日本出版社)
20231031日(火)

 

 

<その9>
◆ 「 週刊朝日 」 が5月末の発売号を最後に休刊する ( これで101年の歴史を閉じたことになる ) 。新聞社系では 「 週刊読売 」 や 「 週刊サンケイ 」 がとうの昔に消えている。 「 サンデー毎日 」 も風前の灯火とささやかれて久しい。また出版社系は、 「 文春 」 「 新潮 」 を除くと、 「 ポスト 」 も 「 現代 」 も 「 朝日 」 と同様にほとんど健康雑誌の様相を否めなくなった。

◆奔流とはファシズムである。この国では今、私たちの生命も尊厳も何もかもが、ごく当たり前に米国と米国に隷従する政府、および必ずしも国境とは、関係のない巨大グローバル資本のインサイダーに捧げられていく社会システムが、ほぼ完成の域に達しようとしているのではないか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「マスゴミ」って言うな!(新日本出版社)
20231030日(月)

 

 

<その8>
◆昨年 ( 2021年 ) 、インターネットの広告費が前年比21.4%増の2兆7,052億円となり、前年比8.9%増で、2兆4,538億円だったマスコミ向媒体 ( テレビ、新聞、雑誌、ラジオ ) の広告費合計を初めて上回った。広告費全体の36.1%を占めている電通が発表した。

◆安倍政治を検証して、批判するのが朝日に期待される役割だったはずが、若者や中高年にもリベラルな論調を嫌う傾向が強まると、朝日もそれまでのスタイルを弱めた。私は朝日がリベラル色を薄めたことが部数減につながったと見ます。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「マスゴミ」って言うな!(新日本出版社)
20231027日(金)

 

 

<その7>
◆独特かつユニークな視点を提示したのは、 「 東京新聞 」 だ。今やほとんど絶対的な正義のようにうたわれるSDGS ( 持続可能な開発目標 ) の国際会議に < ほどほど、という叡智 > で向き合おうと呼びかける。最重要と思われる環境問題にせよ、たとえば、温室効果ガスが消滅すれば、太陽がもたらす熱を閉じ込めておけなくなり、 < 平均気温はマイナス19度にまで下がってしまうとか > 。何事も乱暴・過剰は禁物だという戒めだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「マスゴミ」って言うな!(新日本出版社)
20231026日(木)

 

 

<その6>
◆新自由主義思想というのは、単に学術的に、あるいは論理として 「 正しい 」 ということで支持を集めたというよりも、一部の人々、はっきり言ってしまえば、アメリカやヨーロッパのエリートたちにとって都合のいい思想であったからこれだけ力を持ったのではないか。

◆中谷厳氏は、やがて小泉構造改革として結実した新自由主義のイデオロギーがその実、富裕層による独占や、社会の解体ばかりを招いた現実に気づくことになる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「マスゴミ」って言うな!(新日本出版社)
20231025日(水)

 

 

<その5>
◆沖縄県名護市辺野古で建設中の米海兵隊の新基地に、 「 日本版海兵隊 」 こと 「 水陸機動団 」 を常駐させる密約が日米間で合意されていた。
辺野古新基地の実態は、日米軍事一体化の中核拠点であり、沖縄を半永久的な軍事要塞とする意図を帯びていた。

◆米海兵隊は、上陸作戦などの先制攻撃を得意とする、通称 「 殴り込み部隊 」 だ。それとの一体化とは 「 専守防衛 」 の理念と完全に矛盾する。自衛隊が米軍の傭兵として戦争に駆り出されていく日も近いのではないか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「マスゴミ」って言うな!(新日本出版社)
20231024日(火)

 

 

<その4>
◆内向きのトランプとは異なる、在日米軍重視派のバイデンが大統領になれば、 「 日本は対中国をにらんだ 「 ミサイル基地 」 になってしまう恐れがある 」 と孫崎亨氏がコメントしている。

◆ETF ( 上場投資信託 ) 全体の時価総額は45兆1,600億円に上り、東証一部に上場する企業のうち6%余りを保有している計算になる。

◆ETFでは、株主総会における議決権行使は運用会社にゆだねられている。これでは企業の経営に対する株主の監視が弱まりかねない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「マスゴミ」って言うな!(新日本出版社)
20231023日(月)

 

 

<その3>
◆坪内祐三にとって文脈とは、そこから言葉が紡ぎ出される人々の 「 生きざま 」 を指す。 ( 中略 ) 圧倒的な読書量で知られる坪内さんが蓄積した知識は記憶の中で相互につながって独自の文脈を形成していく。そこから坪内さんにしか書けない評論が数多く生み出された。

◆日本学術会議は、1949年に設立された科学者の代表機関だ。内閣府の所轄下ではあっても、政府とは独立した 「 特別な機関 」 。学問が戦争に利用された時代への反省から、50年に 「 戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない 」 と宣言し、ベトナム戦争のただ中だった67年にも同じ趣旨の声明を出している。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「マスゴミ」って言うな!(新日本出版社)
20231020日(金)

 

 

<その2>
◆安倍氏は立場が悪くなると、すぐに記者たちに召集をかける。安倍法制の強行採決時も 「 モリカケ 」 の時もそうだった。集めて何を話すのかは定かではないが、新聞が消費税の軽減税率をゲットした過程で、この種の会合が幾度も重ねられていた。実績を振り返れば、何らかの密約が交わされる場だと理解されるのが自然だろう。

◆自分はブログの類はやらないが、時に他人のツイッターを眺めると、 ( とても悲しい気持ちになる ) と書いている。
( 文脈がないからです。しかも文脈のない言葉が次々とリツイート ( 拡散 ) されて行く ) からだ、と。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「マスゴミ」って言うな!(新日本出版社)
20231019日(木)

 

 

本の帯には、報道界で育てられた者として愛を込めてと書かれている。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。

<その1>
◆防衛省はAI(人工知能)の技術を駆使し、SNSを使って世論を操作する研究を進めている。
これを書いた共同通信の記者は、 「 研究事業に応札したコンサルティング会社にも裏を取った 」 と主張している。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「驕る権力、煽るメディア」(新日本出版社)
20191021日(月)

 

 

<その11>
◆戦争法制も原発推進も国民総背番号もあるいは社会保障の削減も言論統制も安倍政権のあらゆる牽制にこの国のメディアは本気で抗ってこなかった。それどころか権力に擦り寄ることばかりに血道をあげて世の中をとことん狂わせてきた。

◆「モリ・カケ問題」は、特に「朝日」はスクープを連発していたが、どんな事実が出てきても当の安倍首相や官邸が何も認めない。騒がれる割には、内閣支持率も下がらず、いつの間にか沙汰止みになってしまった感が否めない。「ペンは剣よりも強し」は市民の主権者意識があってこそ成立するのだが。

◆2016年の暮れ文春の松井浩人社長は出版パーティで安倍政権を「右翼的独善の象徴みたいな政権」と形容し、マスコミ界の話題になった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「驕る権力、煽るメディア」(新日本出版社)
20191018日(金)

 

 

<その10>
◆リニア中央新幹線のトンネルは大井川の水源を横切るので着工後は毎秒2トンの水量が失われる。水不足が不可避だ。
他にもリニア計画の問題点がきちんと描かれている。膨大な電力量の消費。赤字が確実なのに3兆円もの財政融資がつぎ込まれる茶番。南アルプス中央構造線断層帯をはじめ活断層を次々に貫いていくトンネルの危険。全長の9割近くを占めるトンネルから掘り出される残土処理の不透明さ・・・・。

◆政府が国策に掲げ大混乱に陥っているスマホ決済市場の現状と批判的な視点を交えて。丁寧にルポしている。キャッシュレス化の背景にある「ビッッグデータの争奪戦」が監視社会のエンジンになっていく実相が理解できるだろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「驕る権力、煽るメディア」(新日本出版社)
20191017日(木)

 

 

<その9>
◆保守論壇の様相が一変したのは小泉純一郎政権が誕生した時期からです。彼が推し進めた新自由主義による構造改革路線は、いわば、日本社会のアメリカへの同化政策でしたから、これを「売国」だと難じる論考があってしかるべきだと思うのですが、そういうのは一切ない「諸君!」もいつの間にかただ「上」だけを向いて、小泉政権に無条件に服従しない奴はみんな敵だ。「サヨクだ」という誌面になってきました。

◆欧米人にほめられると喜ぶ。中国人や朝鮮人を差別して喜ぶというのは、日本人が近代化以降に植え付けられた最低の習性で誰でも承知している特質ですから、自慢されても困ります。わかっていても手を出さないのが出版を志す者や会社の最低限の矜持というものではないでしょうか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「驕る権力、煽るメディア」(新日本出版社)
20191016日(水)

 

 

<その8>
◆とはいえ杉田氏は失礼ながら、世間総出で叩かなければならないほどの大物でしょうか。政治家としての実績もなければ、一般の知名度も高くない。所詮は素人が親分の喜びそうなことを言ってみました。という程度の代物です。なのに、なぜ、あれほどまでに?

◆文芸春秋はかつての私のホームグランドでした。中でも、たくさん仕事をしたのは「諸君!」です。学生運動華やかなりし1969年にこれと対峙する保守論壇誌として船出した同誌と私の結びつきを意外だと受け止める方がおられるかもしれません。世間ではなんといわれていようと、いざ飛び込んでみた「諸君!」は実に鷹揚で天皇の悪口以外は何でも書ける雑誌でした。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「驕る権力、煽るメディア」(新日本出版社)
20191015日(火)

 

 

<その7>
◆1933(昭和8)年8月、信濃毎日新聞の主筆だった桐生悠々は、関東各地で繰り返される防空演習は無意味だとして、堂々<関東防空大演習を嗤う>と題する社説を掲げて軍部ににらまれ退社を強いられた。新たな戦争状態に突入しつつある現在:対ミサイル訓練を問題意識を持って批判する新聞は皆無に近い。

◆設立時に57だったAIIB(アジアインフラ投資銀行)の加盟国・地域は、2019年1月までに93に達している。その勢力は、ヨーロッパや南米、アフリカにも広がった。14年に習近平総書記が提唱した巨大経済圏構想「一帯一路」の実現にも大きな力を発揮するのではないか。一方1960年代に日米の主導で設立されたアジア開発銀行(ADB)の加盟国・地域は67にとどまっている。アジアのインフラ開発をめぐる日中の暗闘は、ますます激しさを増してきた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「驕る権力、煽るメディア」(新日本出版社)
2019109日(水)

 

 

<その6>
◆先に2つの地方紙を「沖縄らしい」と書いた。だが、それではいけないのだ。沖縄県民の体感を可能な限り、多くの日本国民が共有していく必要があるのである。

◆すでに陸自が駐屯している与那国では18時だった町営バスの最終が「それでは自衛隊員が飲みに行けないので」23時まで運行され始めたという。「飛行機の発着する時間に間に合わせられないか、という住民の長年の希望は無視し続けたままなのに」

◆外交評論家の岡本行夫氏に筆者は「目下の流れでは戦争を放棄しない国にされてしまう」と詰め寄った場面では、岡本氏は「憲法9条から心配ない」と言った。
いささか呆れて「その9条を変えようとしているのは、あなたや政府じゃないですか」と返したのだったが放送ではこの部分が当然のようにカットされていた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「驕る権力、煽るメディア」(新日本出版社)
2019108日(火)

 

 

<その5>
◆保守は知性に支えられた思想ですが、ヤンキーは反知性主義である。

◆東日本大震災で傷ついた人々に対してさえも、この国の言論空間は――。「被災地の問題は生活の次元」でくくられる。そうすると、必ず『復興』の二文字で片付けられてしまう。人生の次元に立ち返った問題意識をないがしろにしてしまう。一番恐ろしい言葉です。

◆震災は新しい問題を生んだのではなく、原発の問題をはじめ:むしろわれわれの中に内包していて、気づかなかった問題を露呈したのだと思います。

◆「消費税」や「防犯カメラ」も相当に汚いネーミング詐欺である。あらゆる流通段階で課せられる前者は「取引税」が、カメラの機能を客観的に表すべき後者は「監視カメラ」がそれぞれ正しい。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「驕る権力、煽るメディア」(新日本出版社)
2019107日(月)

 

 

<その4>
◆元「週刊文春」記者で独立後も長く文芸春秋の雑誌をホームグランドにしていた筆者があれよあれよと干されていったきっかけが岩波書店の月刊誌「世界」で2003年に連載した「空疎な小皇帝―石原慎太郎」という問題だったことを思い出さずにはいられない。文春と石原氏との関係は承知していたから、一定のリスクは承知の上で始めた仕事だったとはいうものの、悲しくやりきれなかったっけ。

◆共謀罪が騒がれた際には「それで冤罪が起きても仕方がない」、モリ・カケ問題では「脇見運転みたいなもん」。ダウンタウンの松本人志の権力べったりぶりはエスカレートする一方だ。

◆要するに安倍政権が放送法を盾にやり玉に挙げる「不公平」とは、政権に批判的な放送を指すのであり、政権に都合のいい放送であれば、いくらでも一方的に流してもらって構わないということではなかろうか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「驕る権力、煽るメディア」(新日本出版社)
2019104日(金)

 

 

<その3>
◆2018年12月にはフランスの捜査当局がJOCの竹田恒和会長に贈収賄の容疑をかけ、本格的な捜査に着手した。19年3月には6月の任期満了に伴い、という形で辞任に追い込まれている。
馬術の選手だった1974年に運転していた乗用車で女性をひき殺した過去もあったが、マスメディアはどれも一過性の報道だけにとどめてしまった。
国際社会における日本の危機的状況を、したがって大方の国民は知らない。

◆学会にせよ、竹中平蔵氏にせよ、対象を極端なヨイショをし始めた物書きには距離を置き始めるのが、かつては二流以上のメディアの習性だった。それでも佐藤優氏の人気は衰えない。超売れっ子が奇怪ともいえる言動を重ねる理由はなお不明だが、二大巨頭(もうひとりは池上彰のこと)の一方が権力と融合していけば世論全体が引きずられていきかねない。危険な状況だ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「驕る権力、煽るメディア」(新日本出版社)
2019103日(木)

 

 

<その2>
◆今時のバラエティなんてまったく笑えない。自称芸人どもが群れては吉本興業にあらずんば人に非らず、とばかりに仲間ウチのバカ騒ぎ。後輩や社会的弱者に対する嘲笑の連続のどこが「芸」であるものか。気楽に見られるのがテレビの魅力であるけれど、つくり手までが安くお手軽なのは迷惑だ。

◆「まんぷく」は史実とも異なる。実際の百福氏は純粋なだけの人物ではなかったし、「マルちゃん」ブランドで有名な東洋水産の創業者・森利夫氏とは因縁浅からぬ関係だった。だから森をモデルにした高杉良の小説「燃ゆるとき」では百福氏は悪役にされていた。

◆あとは個人一人ひとりの人生観と生き方の問題だ。己を曲げても時流に合わせていくのか、どうせ永遠ではない余生であれば、どこまでも自分を貫いて生き、とどのつまりは滅びるに任せるのか---。
筆者は後者を選ぶ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

   斎藤貴男 「驕る権力、煽るメディア」(新日本出版社)
2019102日(水)

 

 

本書は「全国商工新聞」で約5年にわたって書かれたコラムをまとめたものである。この新聞は共産党の民商工会の人が読んでいる新聞で約22万部の部数を擁する。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆安倍政権の「上から」どころか「上だけしか見るつもりがない」目線に真正面に異を唱えるマスメディアも現れない。どんな追求も「その指摘はまったく当たらない」で済ませてしまう。菅官房長官が野放しにされている異常事態は本来ならメディア総出で潰さなければならないはずなのに。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  マーティン・ファクラー「権力者とメディアが対立する新時代」(詩想社新書)
2018911日(火)

 

 

<その6>
◆そういう意味では、いまはアメリカよりも、日本の方がずっと、ましであるといえる。世界から見て、日本のほうが断然信頼性が高い。アメリカが信頼されない国になり、中国は何をしたいかよくわからない不気味な面がある。世界第3の経済大国である日本の出番が、いま来ているのだと私には思える。

◆世界的に、特にアメリカやヨーロッパで見ると、左翼・リベラル派大きな政府を志向し、右翼・保守は小さな政府を志向している。そういう意味では、大きな政府路線を取る安倍政権は、世界的にはリベラルな政権である。

◆特にネットでは、自分が何を見るかを選び、好きな情報だけにしか触れなくなっている。同じ価値観の人々がネットでコミュニティをつくり、他の価値観のグループとまったく交わらなくなってきている。自分が信じたい主義主張の世界に入り込み、外の世界の真実や事実には向き合わず、自分だけのストーリーに浸りきってしまうと、ネットの虚構の世界が真実、事実であるかのような倒錯に陥ってしまう人も多いのだ。

◆2014年における2国間、または多国間のネット上、デジタル上の取引の総計がどれくらいになるかというと、約280兆円という。世界のGDPの総計は約3,000兆円なので、その1割がネット上、デジタル上の取引によるものになっているのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  マーティン・ファクラー「権力者とメディアが対立する新時代」(詩想社新書)
2018910日(月)

 

 

<その5>
◆ケイ氏は、安倍政権を批判していたが、それは全体の2割ほどで、彼の8割がたの発言は、日本のメディア批判だった。日本のメディアは、自分たちに対する批判を報道できないならば、他人を批判する資格はないと私は思う。

◆2017年、朝日新聞はまず森友学園に関する報道を行った。森友学園問題は、大阪社会部の調査報道によるスクープだった。その後に続く加計学園に関する報道。これは内部告発者からのスクープだった。

◆朝日新聞の最近の精力的な報道は、2014年に、朝日新聞が調査報道に力を入れる特捜部を切り捨てたことが間違いだったとする見方が社会的にも強くなってきたからではないかと考えられる。

◆朝日新聞は、加計問題で政権を攻撃したが、読売新聞は、内部告発者とされる前川喜平・前文科省事務次官が出会い系バーに通っていたという政権からのリークと思われるゴシップのようなニュースを報じ、前川氏の人格を攻撃した。この出来事1つ取っても、読売新聞は完全に安倍政権の機関紙といえるだろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  マーティン・ファクラー「権力者とメディアが対立する新時代」(詩想社新書)
201897日(金)

 

 

<その4>
◆2017年6月、言論の自由、表現の自由に関する国連特別報告者のデービッド・ケイ氏が来日して記者会見を行った。そのケイ氏の最も鋭い指摘は、日本のメディアの問題を、「各メディアの連帯の欠如」にあるとした点だろう。

◆まず大前提として、安倍政権下のメディアの状況は、アメリカのトランプ政権下のメディアの状況よりも、ずっと楽な状況にある。トランプ政権は、安倍政権の10倍、100倍もすごいことをメディアに対して行なっているからだ。他の国も同様で、トルコでは何十人もの記者が当局によって逮捕、投獄されている。またメキシコでは、麻薬カルテルによって何人も殺害されている。
 一方、日本では、2014年12月10日に特定秘密保護法が施行されたが、この法律によっていまだ1人も摘発されていない。日本では、記者が逮捕、投獄されることも、ましてや殺されることもない。
 私からすれば、日本は記者にとって天国のような所だと思う。にもかかわらず、なぜ日本のメディアは圧力に弱いのか、権力者に対する番犬の仕事を放棄するのか、デービッド・ケイ氏も不思議に思っていたという。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  マーティン・ファクラー「権力者とメディアが対立する新時代」(詩想社新書)
201896日(木)

 

 

<その3>
◆吉田証言を報道していたのは、朝日新聞だけでなく、読売も産経も毎日も、報道していた。なぜ正直に、取り消した朝日新聞だけが叩かれるのか。メディア全体の責任なのに、朝日新聞だけが叩かれているのは、明らかに不自然だ。つまり、朝日新聞を叩くために、慰安婦報道が利用されているのが、実態なのだ。

◆世界的に、慰安婦の報道が何に基づいているかというと、元慰安婦の証言が圧倒的に多い。韓国やフィリピン、オランダなどの元慰安婦の方の証言だ。例えばオランダ政府は、1993年には、慰安婦の方々の聞き取り調査に基づいて報告書を出した。世界では、これら慰安婦本人の証言が慰安婦報道の基礎になっている。

◆朝日新聞は吉田清治氏の証言は虚偽であり、吉田証言絡みの報道は、間違いであったと認めても、それ以外の朝日新聞のほとんどの慰安婦報道については、正しかったと、吉田証言の報道取り消しの翌日にでも主張するべきだった。いま朝日新聞はもちろん、他の新聞においても慰安婦報道をほとんどしなくなったのは、朝日新聞に対しての一連の攻撃が非常にうまくいったことの証拠かもしれない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  マーティン・ファクラー「権力者とメディアが対立する新時代」(詩想社新書)
201895日(水)

 

 

<その2>
◆アメリカではシンクタンクに所属する専門家が政策をつくり出していく。日本のように官僚が政策をつくるのではなく、アメリカでは、シンクタンクの専門家が官僚の上に立って政策を策定する。

◆かつてはアメリカの政権では、大物の知日派、中国専門家がいたが、いまは日本やアジアの専門家が1人しかいない。そういう意味でも、心配なのである。

◆基本は平等性を重視し、単独インタビューはあまり行ってこなかったのだ。
しかし、安倍総理はアメとしての単独インタビューを多用している。単独インタビューをもらったメディアは、総理への批判の矛先も鈍ってくる。そうやって報道の内容自体もコントロールするのである。

◆日本のテレビ局には、独立性がなく、電波放送の認可は総務省から出ていて、その総務省が総理大臣の下にある以上、その放送内容が政権の意向に左右されやすいのだ。つまり日本は、テレビ局への政治介入が行われやすい構造的な問題があるのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  マーティン・ファクラー「権力者とメディアが対立する新時代」(詩想社新書)
201894日(火)

 

 

本の帯には、「メディアへの敵意」をむき出しにした権力者の出現と書かれている。以下本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介することとしたい。

<その1>
◆インターネットの世界では、少し前のブログが流行った時代とソーシャルメディアが中心になっている現在とでは、明らかな違いがある。1つには情報の拡散の速さの違いがある。

◆アメリカのある世論調査では、18歳〜24歳で、紙かネットで新聞を読んでいる人が、2000年では42%、2017年は17%となっている。アメリカで若者の新聞離れが進んでいる。

◆もう1つ興味深い結果がある。メディアを信頼しているかと聞くと、「はい」は2016年は民主党支持者の51%に対して、共和党支持者はわずか14%だった。アメリカ社会のいまの政治的な分裂がメディアに対する見方にも明確に表れている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子、マーティン・ファクラー
「権力と新聞の大問題」(集英社新書)
201883日(金)

 

 

<その11>
◆(望月)ロッキード・マーティン社の幹部と話をしたときに強く感じたのは、日本の軍事装備は憲法9条をどうするかという話以前にすでに着々と軍事が増強に向かって進んでいるということです。

◆(ファクラー)いままでは、戦争を経験した世代と専守防衛が歯止めになっていたけれど、それがなくなったらどうするのか。日本の軍事力は戦後、弱体化して、いまはそんなに強くないみたいな認識を持っている日本人が結構多いと思いますが、実際は既に軍事大国なんですよ。

◆(ファクラー)アメリカの政治報道は、政権の意図的なウソをそのまま報じて読者の信用を失うという苦い経験を重ねた末、アクセス・ジャーナリズムに頼ることなく調査報道に力を入れることで、信頼を回復しようとしている新聞もある。トランプ政権以降は、アクセスそのものをトランプ大統領が断ち切ってしまったから調査報道で行うしかない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子、マーティン・ファクラー
「権力と新聞の大問題」(集英社新書)
201882日(木)

 

 

<その10>
◆(ファクラー)それをNHKが「正しいかどうか」を疑問視せずに、権力者が主役であるストーリーをそのまま伝えています。それだけでは、実は中国の国営放送CCTVとあまり変わらないんですよ。「今日、習近平国家主席がこう言いました」というのと同じです。

◆(望月)新聞の場合は、食いつきがどうこうということではなく、社会的な問題意識や、国民の権利と権力のチェックということに主眼を置いています。新聞社や記者が考える理想社会と現実のギャップが少しでも埋まる社会にするためには何を書くべきか。社会に対して疑問を投じてたり、政府への疑問を追求したり、それを国民に伝えるのが新聞記者の社会的使命だと思います。

◆(ファクラー)日本が70年以上、戦争をしなかったのは戦争を体験した人たちが身を挺して防波堤となってきたからです。その人たちがいたから憲法をまったく変えなかった。「もう2度と戦争しない」という決意があったから9条を守り抜いてきたんです。それが戦争を経験した世代とともに、なくなろうとしている。いままでの日本の社会がそんなふうに変わろうとしていると思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子、マーティン・ファクラー
「権力と新聞の大問題」(集英社新書)
201881日(水)

 

 

<その9>
◆(ファクラー)どんな取材でも予見や結論を頭において臨むのではなく、質問や検証を重ねていった末に結論が見えてくる。報道というのは結論で始まるのではなく、質問で始まるのです。

◆(望月)大学生とメディア論を議論してみて驚くのは、優秀な大学生がネット右翼的なブログの記事と朝日新聞の記事を同じテーブルに載せて並列で受け止めていたりしているんです。「これはいったいどっちを信じたらいいんだろう」と言っているのを聞いて驚きました。もうその両方が対等な感じで見られている空間ができているんですよ。

◆(ファクラー)当局のストーリーがどういうふうになっているかを読み取るためには、NHK7時のニュースがいちばんわかりやすいですね。「政府は北朝鮮情勢をこう分析して、対応を急いでいます」「今日、警察が発表したところによると・・・」「安倍首相はトランプ大統領にこう働きかける方針です。」すべて主役が決まっていますよね。どのストーリーも主役側が伝えたものなのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子、マーティン・ファクラー
「権力と新聞の大問題」(集英社新書)
2018731日(火)

 

 

<その8>
◆(ファクラー)その足枷のひとつとなっているのが販売店による配達制度です。2017年の新聞記者数は1万9327人ですが配達に携わる人の数は、30万909人。記者の約16倍です。この人たちの雇用を考えると、簡単にはデジタル化もできないという面もあります。

◆(ファクラー)大事なのは中立という建前ではなくて、公正です。だれが読んでも「この記事は公正である」という信頼性が必要です。政治的な立場がどうであろうと、事実として、公正であるかということは、左右など本来、関係ありません。
メディアの客観性ということについても、大事なのはフェアネス、公正であるということです。ある人にとって「これは喜ばしくない記事だ」というものであっても「これは公正な記事である」というふうに、どの人からもちゃんと評価される記事でなければなりません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子、マーティン・ファクラー
「権力と新聞の大問題」(集英社新書)
2018730日(月)

 

 

<その7>
◆(ファクラー)NHKの会長も朝日新聞の社長も国連特別報告者のデイヴィッド・ケイさんに会いませんでした。アメリカやヨーロッパであれば、少なくとも、メディアの代表は彼に会って、せめて、意見交換したり自分たちの報道の経緯や目的を説明したりするでしょう。彼は各国の言論の自由を守るために活動をしている人ですからね。

◆(望月)ところが日本の場合は、そういう目に見える弾圧があるかといえば、どうもはっきりしない。現場の記者たちにいろいろ話を聞いてみると、「報道の自由が侵害されていると感じることはある」というわけです。「じゃあ具体的にどういう弾圧を受けているのですか?」と聞いても、「なんとなくそういう空気がある」という答えが多くて、「どうも報告書が書きにくいのです」と。

◆(望月)ソーンブルさんはその忖度や空気を生んでいるのは、テレビの場合は総務大臣の許認可権であり、新聞の場合は、記者クラブ制度の存在が大きいのではないかと指摘していました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子、マーティン・ファクラー
「権力と新聞の大問題」(集英社新書)
2018727日(金)

 

 

<その6>
◆(望月)それにしても、あの萩生田文書のときに驚いたのは、安倍政権がこんな無茶なメディアへの介入をしてきたのにテレビ局が表立って政府に抗議も反発もしなかったことです。

◆(望月)自分の権力が強まると、自分が好きな人を集めて好きなように法律を作れるだけでなく、自分や妻のお友達のために、権力を使い、それを批判されても、身の回りの世話をしてくれる人たちが忖度して片づけてくれる。国民や報道の自由は束縛したがるけれど、自分の妻は自由にさせすぎて持て余してしまう。それでまた目障りなマスコミやうるさい国民が騒ぎ出しても、身の回りの人たちが一生懸命に火消しをしてくれるから、自分は日本国家のために信念を貫いて進んでいこう・・・。

◆(ファクラー)新聞の売上で言うと、2017年3月時点で、ニューヨーク・タイムズのデジタル版有料読者と紙の新聞を合わせた購読者数は過去最高の300万件を超え、その数は増える一方です。ワシントンポストも売上好調です。ある意味でトランプ大統領のおかげで、読者が拡大したのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子、マーティン・ファクラー
「権力と新聞の大問題」(集英社新書)
2018726日(木)

 

 

<その5>
◆(ファクラー)朝日新聞はあのとき、ジャーナリズムの挫折を経験したことで、権力に負けないジャーナリズムの矜持を取り戻す強さを、再び身に付けたのかもしれませんね。あの反発力と粘り強さは新聞社として見事だと思います。

◆(ファクラー)2014年に吉田調書報道について、誤報を認めて謝罪したとき、記事を全面的に取り消したのは、大きな過ちだったと思います。あれは「誤報」とは言えません。記事の見出しのニュアンスが適切でなかったということはあったにせよ、事実でないことを書いたわけではありません。記事の見出しは正しく直して謝罪するべきですが、記事の全部を取り消す必要はまったくありませんでした。

◆(ファクラー)慰安婦問題について、朝日新聞はいわゆる「吉田証言」が虚偽だったとして、これに関わる18の記事を取り消しました。しかしまた吉田証言がウソだったことがわかったからといって、慰安婦の記事をすべて取り消すかのような印象を与えてしまったのは、大きな失敗だったと思うのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子、マーティン・ファクラー
「権力と新聞の大問題」(集英社新書)
2018725日(水)

 

 

<その4>
◆(望月)アメリカのブライトバートはトランプ政権の御用メディアとして有名ですが、最近もしかしたら産経新聞は「日本のブライトバート」になりつつあるんじゃないかと思います。

◆(ファクラー)つまり、新聞というのは、事実をつかんでも、書かない場合があるということを国民に知らしめる結果になったのです。読者は「そうか、新聞は政府に頼まれれば、政府に不利な情報は出さないことがあるんだ」と思われるようになった。実は、これがスノーデンさんが内部告発をするときに、新聞社ではなく、グレン・グリーンウォルドというネット通信の記者を選んだ大きな理由になったのです。

◆(望月)対米追従一本でいこうとしているのに、結果、アメリカに甘く見られていますよね。あんなに「アメリカからの機微な情報」をありがたがっているわりに、肝心な情報は得られていないんじゃないかと思いますけどね。米朝会談の話も知らされていませんでしたし。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子、マーティン・ファクラー
「権力と新聞の大問題」(集英社新書)
2018724日(火)

 

 

<その3>
◆(望月)もし安倍内閣がやろうとしていることに本当の信念と自信、そして適切なプロセスがあれば、どんなに批判されても、きちんと説明も反論もできるはずです。

◆(ファクラー)それに対し、日本の記者は判で押したように同じに見えます。雰囲気も質問の仕方も同じだし、新聞、テレビ、メディアを問わず、みんなそっくり。だから、質問している人がどこの会社なのか、見ていてもまったくわかりません。

◆(ファクラー)既存の主要メディアに対しても、完全に敵対しても、アクセスがまったくないわけではないですからね。トランプ大統領は、ニューヨーク・タイムズをずっと批判しているけれど、何度もインタビューに応じているし、割と話したがる。実は結構、取材に応じるんです。「フェイク・ニュースだ」と言いながら、その相手からの電話をとるんですよ。だから、本当に彼の言動はだれにもよくわからないんです。パフォーマンス的な面が大きいことだけはたしかですけどね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子、マーティン・ファクラー
「権力と新聞の大問題」(集英社新書)
2018723日(月)

 

 

<その2>
◆(ファクラー)日ごろから記者たちは、検察が言ったことをそのまま記事にするわけでしょ。その情報やリークの裏に、何があるかをほとんど調べようとしないで。

◆(望月)詩織さんのことも、結局、ニューヨーク・タイムズやBBCがしっかり報道しているのに、日本の大手メディアは報じようとしない。それでどういうことになるかというと、やっぱりネットが大騒ぎになっているわけです。

◆(ファクラー)1990年代後半〜2000年代に、「新聞が必要なくなるんじゃないか」と心配されていたことは現実には起こらなかったのです。

◆(ファクラー)私が記者として日本で取材するようになって、もっとも驚いたのは、公的機関や業界団体など各組織ごとにある記者クラブの存在です。これは実に日本的なシステムです。
明治時代に初めて記者クラブが作られたときは、非協力な帝国議会に対抗するという目的がありました。それはある時期までは意義のあるものだったわけですが、やがて主要メディアの既得権益を守るための存在になっていったと思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子、マーティン・ファクラー
「権力と新聞の大問題」(集英社新書)
2018720日(金)

 

 

望月記者の著書は、ほぼすべて目を通しているが、その中でも本書は特に面白い。以下本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆(ファクラー)アメリカのメディアは、トランプ政権に対しても、オバマ政権に対しても、そうした圧力や情報操作に屈しないで報道するのがジャーナリズムであるという基本姿勢があります。日本の場合、そこが弱いんじゃないか。政権に対するメディアの取材ぶりを見ると、馴れ合いの関係と同時に、権力には、あまり逆らわない姿勢が見られます。

◆(ファクラー)日本ではこのふたつのうち、アクセス・ジャーナリズムの方が強くて、調査報道や市民型ジャーナリズムが非常に弱い。これが日本のジャーナリズムの大きな問題だと思います。

※アクセス・ジャーナリズムとは権力に近い側に寄り添って取材し、情報を得ることをいう。一方、調査報道や市民型ジャーナリズムとは、メディア独自の調査を丹念に積み上げ、現場の取材を重ねることによって、そのメディアなりに確証を得た事実を報道し、問題提起したり、社会に訴えたりすることをいう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也「FAKEな平成史」(角川書店)
2018213日(火)

 

 

<その15>
◆ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズも時おり誤報するけれど、謝罪はしません。代わりに彼らは、記者やデスクの名前を挙げながら、間違えた過程を徹底して開示します。記者がスクープにこだわりすぎたとか、デスクの指示が甘かったなどと。それがメディアの謝罪です。だからこそ記者やディレクターは自分の帰属する組織ではなく、一人称・単数としての自分を主語にして、自らを晒し続ける覚悟が必要だと思っています。

◆謝罪の強要は萎縮やミスの隠ぺいにつながります。だからこそメディアは謝罪を強要すべきではない。黒か白か。正義か悪か。事実か虚偽か。二分したほうが視聴者や読者からは喜ばれる。でもそれは事実ではない。事実はもっと複雑です。多面的で多重的で、多角的。だからこそ世界は豊かなんです。ところがメディアが発達すればするほど、世界は単純な形に加工されて、矮小化されてしまう。言い換えれば情報が人々から想像力を奪う。だからね、僕は時々、人類は気候変動や宇宙人の襲撃などで滅びるのではなく、発達しすぎてメディアによって滅びると思うことがある。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也「FAKEな平成史」(角川書店)
201829日(金)

 

 

<その14>
◆僕は、これを圧力とは言わない。だっていろんな意見を伝えて、これが私たちの公平ですと胸を張ればいいだけの話なのに。いろいろ面倒そうだからなるべく触られないように、自主規制したわけですよね。

◆2004年7月、カタールで「イラク戦争報道」をテーマにしたアルジャ・ジーラの国際会議があって、全世界のジャーナリストが集まったんです。私もその場にいました。その時、マイクを持ったFOXの記者がアルジャ・ジーラの編集長に、おまえたちは、嘘ばっかり垂れ流しているって言ってたんです。アルジャ・ジーラ編集長は宗教や人権、あるいは、国家やイズムなどが置かれている立場によってトゥルースは変わります。あなたが嘘と言っていることも、誰かにとっては真実なんですよ。一番大事なのは、私たち世界中のメディアがそういった異論を伝え続けることじゃないですかって答えて、会場全体が、大拍手になったんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也「FAKEな平成史」(角川書店)
201828日(木)

 

 

<その13>
◆テレビは個人ではなく、チームでつくり上げるものですよね。自分の思いとかこだわりを貫くことは難しい世界です。基本的にジャーナリストは自分の思いや疑問を取材してそれを書いて、そして社会に訴える仕事だと思っているので、やっぱり、テレビは微妙に違うなとずっと思っている。

◆なぜ、日本のメディアの評価は、これほど低いのか。理由は単純です。メディアは市場に束縛されるから。つまり、日本の場合、市場である社会が三流のレベルだからメディアも三流になるわけです。

◆日本のメディアがここまで地盤沈下したもう一つの理由は公平中立・客観・不偏不党のドグマの存在だと思います。

◆2014年の総選挙の際、解散からの一週間における選挙関連の放送時間が前回2012年の約3分の1に激減しました。選挙直前に自民党が公平に報道せよとの文書を配布したから、みんな萎縮してしまったわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也「FAKEな平成史」(角川書店)
201827日(水)

 

 

<その12>
◆朝鮮に対する認識は、当初からほとんど変わっていません。平壌でお会いした若松孝二監督式に言えば「俺と同じだ、朝鮮はいじめに強い国だ」というところでしょうか。若松さんのイメージを日本の戦後世代の問題意識から翻訳すれば「いじめに強い国」とは「自分の頭で考え」た「自分のものがある」国、時代が変わってもこの本質がまったく変わらない国だなあ、と思います。
一方で日本に対しては「自分の頭で考えない」「自分のものがない」国という思いは今も変わりません。「アメリカ・ファースト」のトランプ政権に対する安倍政権の「抱きつき外交=米国が強くなることは日本の利益」はこの極致だと思います。だから「自分のものがない」戦後日本を「自分の頭で考える」「自分のものを持った」日本に、「変えなければならない」という思いはより強くなっています。

◆自分の頭で考えるうえで情報は不可欠ですが、だからといって「自分の頭で考える」ことが情報量に規定されてるかどうかというと、そうではないと思います。いくら「物知り」でも自分で物事を判断できない人はいっぱいいます。問題は頭にある情報量ではなく、情報処理能力、判断力です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也「FAKEな平成史」(角川書店)
201826日(火)

 

 

<その11>
◆二度と戦争する国になってはならない。これは戦後日本が自分の頭で導き出した教訓であり誓いです。これは私にも「自分のもの」と言えるものです。しかしながら実際には、国家防衛が日米安保とワンセットになっています。戦争放棄の9条が日本の防衛政策の柱ではなく、交戦権を持つ米軍と日米安保なしに日本は守れないとの前提です。やはり「自分のものがない」そう思います。平和憲法下の日本が日米安保体制下で戦争加担国になっている矛盾を許せないとして、立ちあがった私たちのベトナム反戦、反安保の闘い、それはある意味では「自分のものがない」戦後日本を革命しようとしたものだとも言えます。

◆1968年に起きた「領海侵犯を理由に北朝鮮に拿捕されたアメリカのスパイ船プエブロ号事件の際に大国に一歩も譲らなかった(最終的にはアメリカが謝罪して乗員82名はアメリカに帰国できた)から北朝鮮については「革命的な国」という認識だったと思う。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也「FAKEな平成史」(角川書店)
201825日(月)

 

 

<その10>
◆安倍さんは死者が出たら、辞職しますよと言いました。自分の地位と隊員の命を等価にしてしまっている。あっさりと。それは保守を自任する方がいちばんやってはいけないことではないのではないですか?

◆北朝鮮と国交のある国の数は、この時点で151ヶ国。で、現在はさらに増えて161ヶ国。つまり世界の8割強だ。欧米からの観光客がいても不思議ではないのだ。ところが日本の報道だけに接していると、北朝鮮は世界から孤立しているように思ってしまう。

◆「親や教師、大統領のいうことをそのまま受け入れる姿勢がいちばん不健全です。」これはボブディランのドキュメント映画「ノー・ディレクション・ホーム」の中でディランの同志であり恋人とも言われたジョーン・バエズがアメリカの若者たちに訴えた言葉です。当時の米国は黒人公民権運動やベトナム反戦、徴兵拒否の運動の時代でした。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也「FAKEな平成史」(角川書店)
201822日(金)

 

 

<その9>
◆例えば被差別部落の問題。もちろん差別は今も世界中で起きているけれど、でもほとんどが民族か宗教の差別です。ところが被差別部落はそういった問題ではなく「生まれた地域が違う」としか言えない。外国人はあきれます。でも、これが部落差別の実相であり、その根拠の一つに神道がある。つまり、けがれ思想である。けがれと浄めが神道の根本的メカニズムです。

◆「オウム信者で殺人とか殺人予備で逮捕されて、裁判の被告人になったのは、全部で63人です。」と有田は言った。「あのころ信者は1万人以上いました。1万人のうちの63人です。残りは犯罪には関わりのない一般市民です。ところがテロ等準備罪はそういう人たちも巻き込まれる可能性が高い。」

◆教育勅語の問題は親孝行や夫婦の和を説く儒教的な徳育の振興ではなく、天皇制国家を基盤とした忠君愛国の思想です。要するに国のために命を捧げよ、ですね。そんな思想はあってはならないとの感性が戦後70年が過ぎて減少した。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也「FAKEな平成史」(角川書店)
201821日(木)

 

 

<その8>
◆そのころに朝日新聞と共同通信の記者と酒を飲みながら、例えば明日第2原発が爆発して関東全域に緊急避難警報が出る事態になって、同時に天皇に万が一のことがあったとしたら、明後日の一面はどうなりますかって訊いたんです。深い意味はない。酒の席での戯れ言のレベルです。ところが、2人とも盃を揃えて「天皇です」と答えたので、ちょっと二の句が継げなかった。

◆かつては、神だったけど、今は国家と国民の統合の象徴になった。でもこれも、確かに苦肉の策というかねじれです。ハトは平和の象徴だけれど、鳥の象徴にはなりえない。つまり象徴になるためには、異質であることが前提です。戦前の現人神のままならば、天皇は国民統合の象徴になりえたかもしれない。でも戦後に自分は下々の国民と同じですと人間宣言したわけで、ならば象徴にはなりえない。つまり、最初からジレンマなんです。

◆天皇制を外国人に説明するとき、神道が基盤にあることは絶対に外せない。でもならば、神道とはなにかということを、そろえて日本人は考えるべきですね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也「FAKEな平成史」(角川書店)
2018131日(水)

 

 

<その7>
◆紀伊国屋ホールで始まってすぐに、「差別の根源は、天皇制にあり」と言いました。拍手をもらえるかと思ったら、会場がシーンとなっちゃって。そのとき思わず出た言葉が「…と言っている人もいます。」そうしたら爆笑になって拍手が来た。これが日本だとそのとき思ったんです。思ってはいるけれど、言葉にしちゃっていいのっていう空気。それを人のせいにすれば、ようやく安心して笑ってくれる。

◆デンマークとかアイスランドなど、北欧の税金は高いんです。でも誰も文句を言わない。だって医療費はただ。大学まで学費は無料。老後の心配はない。自分たちのために高い税金を払っている。自分たちで国をつくっているっていう意識がある。日本の場合は、国に税金をとられるっていう意識がどこかにありますよね。

◆菊のタブーの一方で、テレビなどから政権批判も消えています。そもそも僕は現政権をまったく支持していませんが、何よりもまともな議論、権力者への批判やツッコミをメディアや社会が失うことを恐れています。しかし、自分は少数派なんだと思わされることが残念ながら多いです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也「FAKEな平成史」(角川書店)
2018130日(火)

 

 

<その6>
◆かつてドキュメンタリーや本でとりあげた岡林信康の「チューリップのアップリケ」や「手紙」はどちらも放送禁止歌の代名詞のような存在です。でも当たり前だけど差別を助長したり煽ったりするような内容ではない。差別された側の苦しみや悲しみ、そして静かな怒りを訴えている。どちらも名曲です。でもこれも、差別問題に触れているから駄目だとの条件反射で放送禁止歌にされてしまった。

◆イスラム過激派がなぜアメリカを憎むのか。その構造と歴史を把握していたら、人質が拘束されているあの状況で、イスラエルに行って国旗の前でネタニヤフと連携をアピールなどできるはずがない。その行為がISに対して挑発になることを知らなかったらあまりに無知だし、知っていたのなら犯罪です。

◆ヘイトスピーチの取材で思ったのは、(差別する彼らは)自分たちを被害者だと本気で思っているんですよね。在日の人たちがいるから自分たちは被害を受けているって本当に信じている。だから、彼らにとっては差別じゃなくて、正義になっている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也「FAKEな平成史」(角川書店)
2018129日(月)

 

 

<その5>
◆「ソ連が崩壊して名ばかりの民主主義になったけれど、どうしていいかわからないからエリツィン時代の途中でソビエト時代への回帰が始まって結局プーチンのような独裁体制を国民は支持してしまっている。そのほうがたぶん、生きやすい。暮らしやすい。権力に依存すれば、なんとかなる。」「日本はずっとその状態です。」

◆ロシアの為政者は、(真偽不明だけど)日本を規範にする。つまりエ−リッヒ・フロムが説くところの「自由からの逃走」だ。自由を得たのはいいけれど、自由とは自分で考えるということでもある。結局のところはその負荷は耐えられない。指示がほしい。支配されたい。ルールがほしい。政治について自分の意見は言わない。多数派に同調する。あるいはお上に任せる。

◆だったら、「イマジン」はなんか絶対に放送できないはずです。とても過激な歌ですよ。国家がないことを想像しようとか、宗教がないことを想像しようとか、でも普通にテレビやラジオで放送されています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也「FAKEな平成史」(角川書店)
2018126日(金)

 

 

<その4>
◆もしも意見が違ったら、会社で村八分になってしまうとの意識なのでしょうか。ならば、そういう意味で日本は、制度は議会制民主主義国だけで、民主主義国家とは、とても言えないと僕は思います。

◆当選を決めた三原じゅん子議員に「神武天皇が実在の人物だと思っているんですか」と質問して「あれは神話ですよ」と畳み込む。確かに痛快です。政治家の本音とレベルがよくわかる。実際に視聴率も民放トップ。でもならば、なぜこの番組を投票前に放送できないのかと思います。

◆日本人はきっと民主主義国家ですかと訊かれたら、ほとんどの人がイエスと答えると思います。でもね、それは明らかに違う。本人たちはわかっていない。この国は実のところ、独裁国家です。でも日本人の多くはそれを自覚していないからこうした風土や状況を変えようとの意識が生まれない。

◆「西ヨーロッパ諸国は市民革命によって勝ち取った民主主義の歴史があります。」と言った。「イギリスは名誉革命から300年以上、フランスも約230年の民主主義の歴史がある。アメリカにしても、やっぱり独立してから230年以上ですね。だから、いろいろな深刻な問題をはらみつつも、なんとかなっている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也「FAKEな平成史」(角川書店)
2018125日(木)

 

 

<その3>
◆こうした政治風刺の番組を見ながら、アメリカの若者は政治の舞台裏や事情を知り政治に興味を持つんです。ところが日本では、こうした番組が報道できない。理由は中立公正というルールが必要以上に徹底されているから。左のほうに偏った記事があれば、右のほうに偏った番組がある。それぞれが主張する。それによって中立公正が担保される。これが多くの民主国家のスタンダードです。でも日本はだいぶ違う。

◆日本は教育現場でも歴史を教える先生が、自分の意見を口にすべきではなく、教書通りのことを教えることしか許されていない。ならば、先生がいる意味がないんです。

◆世界のすべての国の事情はわからないが、少なくとも欧米は違う。1人ひとりが自分の思想や信条、支持する政策や政党候補者について、当たり前のように口にする。質問する。酒場で議論する。メディアや学校の授業でもキャスターや教師が自分の政治的な思いや信条を公言する。

◆なぜ、日本では公の場で政治の話はご法度なのか。要するに個の内面がにじむからだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也「FAKEな平成史」(角川書店)
2018124日(水)

 

 

<その2>
◆平成は現時点で約29年間続いている。過去の日本の元号に比較すれば、昭和(64年)、明治(45年)、応永(35年)に次いで長く続いている元号だ。

◆「確認しますが、歌の下手なシンガーは欧米ではありえないですか」 僕の質問にバラカンは「基本的にはいないと思います」と答えた。

◆そもそも日本と欧米の市場は全然違うから、日本で人気が出た歌手を欧米で売り出すことには、ものすごく無理があると、昔から思ってました。

◆だからこそ問われるべきは、圧力を受けたメディアが「その力に対してどのように対峙するか」なのだ。その意味で、この事件の本質的な問題はNHKがあまりに脆弱すぎたことに尽きる。特に上層部は政治権力とまったく対峙していない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也「FAKEな平成史」(角川書店)
2018123日(火)

 

 

森氏の書く本は面白い。ほとんどにはずれがない。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇裕仁が崩御した。享年87。127歳(古事記では137歳)まで生きたとされる神武天皇など神話上の天皇を別にすれば、歴代天皇の中では在位期間(約62年)が長く、また最も長寿な天皇だった。

◆でも今の日本のラジオは、リスナーではなくスポンサーのことしか考えていない。結果としてスポンサー寄りの話ばかりになるから、曲が少なくなる。あるいは短くなる。
今の日本のラジオは、トークが全盛です。車に乗っているときラジオのスイッチを入れても、とりとめのないトークばかりなので、スイッチを切ってしまう。

◆例えば、ポピュラー音楽で言えば、韓国は日本のJポップの影響を明らかに受けている。つまり後発ですね。でも韓国のシンガーたちは圧倒的に歌がうまい。日本の若いシンガーは歌唱力はないし音程も悪い。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 久米宏「久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった」(世界文化社)
2018118日(木)

 

 

<その5>
◆僕は「ニュースステーション」を始めるときに、殺される覚悟をした。言いたいこと、言うべきことは言おう。言いたいことを言えば、僕を殺したいと思う人間が出てくるかもしれない。しかしそれで殺されても仕方ない。殺されるのが怖いからといって口をつぐむことはするまいと思った。

◆「ニュースステーション」をいつやめるかについては、かなり早い段階から考えていた。番組開始から2年目にはすでに相当疲れていた。月曜日から金曜までの生の帯番組がこんなに疲れるとは思っていなかった。

◆自分の能力の衰えも自覚せざるを得なかった。「ニュースステーション」はキレと、スピード、テンポで見せる番組だ。ところが50歳を過ぎたころから記憶力と集中力と瞬発力が落ち、その場に最適な言葉が出てこなくなった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 久米宏「久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった」(世界文化社)
2018117日(水)

 

 

<その4>
◆フリーのタレントが報道番組を担当するなど、当時はまったく想定外の話だった。仕事内容もスタッフ・出演者の顔ぶれもまったく変わらず、肩書きが変わっただけなのに、「久米」とか「久米ちゃん」と呼んでいた先輩や上司は、ある日を境に僕を「久米さん」と呼び始めた。

◆やすしさんは、番組が終わると即座にスタジオから姿を消した。番組中の会話以外で彼と話をしたのは放送した2年半で合わせて10分間になるかどうか。僕にはそれで十分だった。

◆当時は「女性と子どもはニュースを見ない」と言われていた。しかし「TVスクランブル」で僕が学んだことはニュースに対する子どもたちの優れた理解力と直感力だった。ニュースを伝える人間が本気かどうか、本当のことをいっているかどうか、彼らにはごまかしが利かない。

◆番組を比較的自由に進めることができたのは、コマーシャルを挟む時刻が決まっていない「アンタイムCM」のおかげだった。時刻が決まっている「確定CM」に対してアンタイムCMはディレクターや僕の判断でCM入りのタイミングを決めることができる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 久米宏「久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった」(世界文化社)
2018116日(火)

 

 

<その3>
◆黒柳さんと僕は年齢的には、11歳離れていたが、考え方から思想、ノリに至るまで相性はぴったりだった。

◆黒柳さんは「ザ・ベストテンの時代は1台のテレビを家族全員で見ていたいちばん最後の約10年だったのかもしれません。」と語っている。

◆TBSの音楽ディレクターも知らない歌い手が次から次に登場し、CDをはじめとするメディアの進展とともに、音楽は急速に多様化、細分化していく。それはランキングの意味が失われていく過程でもあった。

◆私は久米さんが人から与えられた原稿を読むアナウンサーのまま終わる人間だとは思っていませんよ。私の仕事はタレントさんの思いに応じて、才能を集め、その方が変わっていくことをお手伝いすることなんです。久米さん、自分が感じたこと、考えたこと、知りたいこと、を他人の言葉ではなく、自分の言葉で語るような番組をつくってみませんか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 久米宏「久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった」(世界文化社)
2018115日(月)

 

 

<その2>
◆その時、僕はサラリーマンであることを恥ずかしいと感じた。下積みから苦労を重ねてようやく人気タレントになったきよしさんは、それでも過酷な環境で仕事をしている。自分は給料をもらって与えられた仕事をしている。病気になっても生活は保障されている。だが彼らは事故や病気で倒れた途端に生活ができなくなる。もしも同じ土俵で仕事をしたら勝負になるわけがない。そして同じ土俵で仕事をしなければフェアでないと、どこかで心がうずいた。

◆萩本金一さんに「僕は病気が心配なんですよ」と相談すると、こんな答えが返ってきた。「いやいや、久米ちゃんね、フリーになったら病気になんてならないから大丈夫よ」

◆初めての顔合わせのとき、黒柳さんは「どんな若い歌手の方がいらしても、私は敬語を使おうと思います」とおっしゃった。いくら若くてもプロの歌い手でありお客さまなのだから、全員同じように大人として丁寧に接しようという提案だった。

◆黒柳さんは司会を引き受けるに当たり、「番組の演出で順位の操作は絶対しないでください」と申し入れ、「もし順位を動かすようなことがあったら番組を降ります」とまで宣言した。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 久米宏「久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった」(世界文化社)
2018112日(金)

 

 

この本は、かなり面倒な内容であると書いてあるが、実際はそうでもない。ボリュームはあるがあっさり読めた。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆1950年代末からのテレビの普及に伴って、ラジオは次第にお茶の間から遠のいていった。生き延びた場所はカーラジオであり、仕事場であり、子どもの勉強部屋だった。若者たちは受験勉強の息抜きと逃避に深夜ラジオのスイッチを入れた。若者に向けた深夜放送の時代の幕開けだ。

◆誰とも違う個性を打ち出すためには、逆に「生活感のないアナウンサー」を目ざそうと思った。身の周りの話ではなく、世界情勢や日々の事件・事故、宇宙や自然のあり方を話題にする。普段の生活が見えず、架空の人物のような存在としての「久米宏」。

◆これ以上ないほど単純なクイズ番組の「ぴったしカンカン」がなぜそれほど視聴者にウケたのか。僕はそれが生だったからだと思う。実際、生と収録を交互に放送していたが、録画は萩本さんの意向で編集しないことになっていた。だから視聴者には生放送のように映っていたはずだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松本創「誰が「橋下徹」をつくったか」(イチヨンマルビー)
2016222日(月)

 

 

<その9>
◆それまであまり顧みられていなかった地方自治に大阪の人たちの目を向けて、もっと真剣に考えようと促したのは彼だからできたことだと思う。だけど彼がやってきたことを全部足せばマイナスになるでしょうね。いちばん深刻なのは、言論を劣化させたこと。意見や立場の違う人間を徹底的に攻め、論破し、黙らせたら勝ちという価値観を広めてしまった。民主主義の劣化といってもいい。メディアの人間として悔しいのは、それに付き合わされたこと。

◆コストだ、コンプライアンスだ、みたいなことばかり言っていたら、リスクのある報道なんてできない。お行儀のいい、権力と衝突しない取材しかできなくなる。それじゃ橋下みたいな手強い人間には勝てないと思うよ。

◆ほんとうなら、都構想にしても、安保法制にしても、批判するのに対案なんて必要なくて、「これこれこう問題点があるから不要です。以上です。」でいいわけだよ。でもそれができない。賛成派も反対派も橋下の作った土俵の上に乗らざるを得なくなってしまう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松本創「誰が「橋下徹」をつくったか」(イチヨンマルビー)
2016219日(金)

 

 

<その8> 
◆公開討論や維新のタウンミーティングなど、橋下の要求する土俵に乗らず、一つ一つ冷静に事実と論拠を示してゆくという闘い方は、堺市長の竹山が語ったのと同じである。それに加えて所属の組織の理解と支援も必要になる。

◆橋下氏の政策を検証すると言っても、脱原発は途中で方針転換した。水道の統合や地下鉄の民営化も頓挫した。公募区長や校長もうまく行ってない。公務員の締め付けは違法だったと、次々と判決が出ている。その他にもいつのまにか言わなくなったり、中途半端なまま終わったりしたことが多いです。そういうものを並べてもオチがつかない・・・・・・。 


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松本創「誰が「橋下徹」をつくったか」(イチヨンマルビー)
2016218日(木)

 

 

<その7> 
◆メディアは橋下にすり寄っているのではなく、世論にすり寄っているんですよ。メディアは大衆が大きくなびいている方向へなびく習性があります。それに反する報道をして、大きく批判されることを怖がっている。これは別に、橋下氏と在阪メディアに限った話ではない。大阪だけの現象じゃなく、構造的な問題なんです。

◆視聴者は賢者だとテレビの人たちは言います。それは半分正しく半分間違っていると思う。大衆に受ける方向に向いて行くと、多数者に従わない者は悪だという専制が生まれる。いくら9割の支持があろうと、批判するべきは批判するのがメディアの役割のはずです。

◆本当にヘイトスピーチを問題視しているなら、被害者の声に耳を傾けてもいい。ヘイト団体の標的にされている在日外国人は大阪市内にいくらでもいるのだ。しかし、橋下は「市民局が要望を聞く。僕が出なければいけないことと、そうでないことを分けさせてもらいたい。」と拒否している。にもかかわらず、別に面会を求めてもいない在特会会長とは会うという。ヘイト団体を公開の場でやり込めれば、自らの影響力を誇示できるが、被害者に会っても、何の得にもならない、ということなのかもしれない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松本創「誰が「橋下徹」をつくったか」(イチヨンマルビー)
2016217日(水)

 

 

<その6> 
◆「今のマスメディアは偏っている。もっと中立公平であるべきだ」という人がいる。逆だと思う。新聞もテレビもみんなが一斉に同じ取材対象に、同じ角度から同じ論点で、同じ調子で、取材と報道の集中砲火を浴びせるから偏っているように見えるだけで、一つの事象や人物に対する見方や取材手法、ニュース判断や報道のトーンは、極めて画一的になっていると感じる。

◆橋下には、現場の課題に一つ一つ取組み、粘り強く解決していくという姿勢がないんやね。新都構想なんか最たるもので、ほんまに大阪が好きなんか?と言いたくなる。制度論をもてあそび、それにかまけていたから、結局、実績らしい実績は何も残さへんかったんです。

◆中島岳志は自身の著書『「リベラル保守」宣言』をめぐっては、当初刊行予定だったNTT出版から、橋下と日本維新の会を批判的に論じた章の全文削除などを求められ、それを拒否したために出版が取りやめになるという目に遭っている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松本創「誰が「橋下徹」をつくったか」(イチヨンマルビー)
2016216日(火)

 

 

<その5> 
◆論点を瞬時にずらし、話をすり替え、逆質問に転じ、責任を他へ転嫁して、ともかく「自分は悪くない」「議論に負けていない」ことだけを示す。その反射神経とテクニックは恐るべきものがある 。ここぞという時は、大勢の報道陣やカメラの前で特定の記者を口汚く罵り、吊し上げる。そうやって「この場を支配しているのは自分だ」と見せつける。恫喝である。

◆マスメディアの内部にいる人間、とりわけデスクや編集幹部のクラスの人たちは、橋下という存在を育て上げたのが、ほかならぬ自分たちだという認識がなさすぎるのではないだろうか。

◆田中康夫は、イデオロギー的には橋下とは真逆だけれど、メディアへの対処法は同じだと思う。既存のマスメディアを既得権益と見なし、オープンな場を作って、その前で特定のメディアや記者の報道を批判したり、敵対関係を作ったりする、という。石原慎太郎もそうだけど、田中康夫以来、「怒鳴り返せば記者は黙る」ということがわかっちゃったんだよね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松本創「誰が「橋下徹」をつくったか」(イチヨンマルビー)
2016215日(月)

 

 

<その4> 
◆それにしても、橋下から「誤報」呼ばわりされて、囲み取材を打ち切ると言われた時に、記者クラブは連帯しなかったのか。クラブの総意として抗議し、彼が謝罪するまで、取材をボイコットするような話はでなかったのか。権力の横暴に対し、各社の利害を越え団結して抗議する。それこそがほとんど唯一の記者クラブの存在意義ではないのか。

◆ネットユーザーを中心にマスメディアへの不信や反感が年々大きくなっている。橋下の言い分が 一定の説得力を持つ背景には、そういう時代とメディア状況がある。

◆橋下を取材する本質的な問題として、彼の圧倒的な弁舌・論争術、はっきり言えば、詭弁術がある。 私は以前、橋下の府知事時代の発言を検証する記事を書いたことがあるが、彼の本質は、発言の内容や主張そのものよりも、その論法や言葉遣い、それを駆使して相手を言い負かし、周囲をなんとなく納得させる「空論のテクニック」にあると考えている。同じことは複数の識者が指摘している。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松本創「誰が「橋下徹」をつくったか」(イチヨンマルビー)
2016212日(金)

 

 

<その3> 
◆「事実を客観的にということをやってきた結果、今のマスコミのダメさなんじゃないのかという気が個人的にはしています。……「事実を客観的に」という言葉をいかに乗り越えられるかが、それ以上のものをどう出せるのかが、今の自分の大きなテーマです。(朝日新聞の稲垣えみ子の発言)

◆<文脈から伝わったのは、従軍慰安婦問題の見解や歴史認識以前の橋下氏の人権感覚、人間観ではないだろうか>
<原因は橋下氏の発言、言葉そのものにある>
<政治家であるならば、冷静で吟味された言葉で語るべきだ。荒っぽい言葉を「本音」としてはなすことは、人を傷つけるだけでなく、国益も損なうことも今回の問題は示している>

◆橋下徹という人物に、これほど言いたい放題を許し、発言力と影響力を与えてきたのは、ほかならぬマスメディア自身ではないか。彼の詭弁、すり替え、責任転嫁の論法、「本音」や「決断」という名の暴言暴論、恫喝的で攻撃的な悪口雑言を垂れ流し、それに有効な反論、批評を加えられなかった主に在阪メディアが彼をここまで増長させたのではなかったか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松本創「誰が「橋下徹」をつくったか」(イチヨンマルビー)
2016210日(水)

 

 

<その2> 
◆橋下が3年9か月前に「破産会社」と断じた大阪府が「優良会社」に変わったと言える論拠は少なくとも財政に関しては何一つない。自らを自治体再建の旗手と任じ、「次の挑戦がある」と意気揚々に出ていく橋下を職員たちはどんな思いで見送ったのだろうか。

◆文字にして読んでみるとわかるが、橋下はものすごく多弁ではあるものの、決して理路整然と語るわけではない。

◆僕は(ヘイト団体の)在特会からも、旧来的な左派からも、公正に伝えろ、と言われている。でも公正中立なんてありえるのか。メディアはどんな立ち位置であってもいい。ただ一つ役割があるとするなら、権力への監視を怠らないということだけじゃないか。(ジャーナリストの安田浩一の発言)


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松本創「誰が「橋下徹」をつくったか」(イチヨンマルビー)
201629日(火)

 

 

本書は、橋下府政・市政の8年間の総括本である。以下、インパクトのあるくだりを要約して御紹介することとする。

<その1> 
◆ひとつひとつの政策がどうかというよりも、とにかくこの状況を打破してほしい。何でもいいから変えてほしいという漠然たる期待があった。それは報じる記者にしてもそうでね。だって役所の不祥事ばかり書いてもしょうがないわけです。

◆「問題や矛盾点を見つけて、クローズアップして争点化するのが上手い。パフォーマンスだけでなく、実際、かなり勉強もしていた」と府政キャップを務めた民放のベテラン記者はいう。

◆しかし、今、府の財政指標を眺めてみても、「再建した」と言えるような改善は見えてこない。それどころか、借金は増え続ける一方だ。なぜ、これほど、イメージと実態がかけ離れているのか。「橋下改革」とは、いったい何だったのか。ほんとうのところを検証すべきだろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


渋谷区の税理士 中川尚税理士事務所

 

 

 青木 理「抵抗の拠点から」(講談社)
2015128日(火)

 

 

<その9>  
◆私の印象では、この10年くらいでしょうか、報道が自分たちの立場をはっきりさせて、それと違う見解を叩くというような悪循環になってきている。見解はもちろん違っていてもいいんですよ。だけど、互いに、議論し深める許容度というかそれを取り戻すべきです。

◆とにかく、言論に一番大事なのは多様性ですよね。いくつもの言論機関があって、多様性のある討論の場を保障する。もちろん主義主張が違うのは当然ですが、多様性という部分ではお互いに重なりあう。要するに議論というかフォーラムというか、そういうものが成り立つことが前提なんです。なのに互いの陣営に分かれていがみあったら、読者としてはうんざりということにならないか心配です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 青木 理「抵抗の拠点から」(講談社)
2015127日(月)

 

 

<その8> 
◆訂正することは恥でもなんでもない。むしろ、訂正する方が読者から依頼される。訂正が多いと信頼できない新聞なのではなくて、訂正が自然に出ることこそ信頼できる新聞なんだというように発想を切りかえていかないとダメだと思います。

◆強制連行の直接的な証拠は、崩れるけれど、強制性はなんら変わらない。依然として本質はなにも変わらないんだということを、主張ではなくてファクトで示さないとやはり新聞としては弱い。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 青木 理「抵抗の拠点から」(講談社)
2015124日(金)

 

 

<その7> 
◆戦前、ある時期までは、それなりに抵抗してきた朝日がなぜ弱体化したかといえば、強権的な軍部の圧力に屈した面もあったけれど、やはり読者が怖い。新聞が売れなくなるとか、世間の空気がおかしくなっていくことによる要素の方が大きい。

◆かつては当たり前のように受けとめられていた立ち位置や振る舞いや記事やジャーナリズムの作法が、最近になって猛烈な罵詈雑言の対象になってしまっていることには、あらためて嘆息するしかない。それは、明らかに世の中の軸がいつの間にやら大きくズレてしまったことを意味する。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 青木 理「抵抗の拠点から」(講談社)
2015123日(木)

 

 

<その6> 
◆このところ朝日OBの方々と話す機会が多いのですが、古手のOBの方々はしばしばこう嘆きます。新聞というのは現場に一番近いデスクがつくるのであり、かつてはそうだったと。なのに最近の朝日は、役員や編集長クラスのトップダウン傾向が強まり、現場の生き生きとした声が届きにくくなっていると。

◆安倍首相は、左翼とか進歩的文化人といった者たちは、いかにひどいかと思い込み、左翼的権威というものへの憎悪を明らかにもっている。そして、自分のもっていない部分への反発もあいまって、東大とか朝日とか社会党とか労働組合とか、そういうものに対する憎悪がないまぜになっているんだと思うんです。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 青木 理「抵抗の拠点から」(講談社)
2015122日(水)

 

 

<その5> 
◆世の中の大勢が一方向に傾いたとき、「本当にそうか」「それでいいのか」と疑いを差し挟むのは、メディアの役割のひとつであり、ましてや、「逆ばり」こそが雑誌の真骨頂。この世界に生きる者が決して忘れてはいけない反骨精神を週刊誌では「サンデー毎日」と「週刊現代」が実践してくれている。これを見ると、日本のメディアもまだまだ捨てたものじゃない、と思えてくる。

◆慰安婦問題を否定したがる人たちは、証言の食い違いを捉えて、ウソだというけど、一番肝心なところは、彼女たちが慰安婦だったかどうかでしょう。間違いなく慰安婦だった。それに納得していったかと言えば、断じて納得していない。だとすれば、それはやっぱり本人の意に反して、ひどい人権侵害を受けたということとして、理解するしかないと思う。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 青木 理「抵抗の拠点から」(講談社)
2015121日(火)

 

 

<その4> 
◆誤解をおそれずにいえば、調査報道のような仕事は、誤報の危険と隣り合わせである。当局発の情報に頼らず、自らの取材で事実を発掘する以上、「向う傷」を負うリスクは常にある。逆に記者クラブで当局発表やリークだけで書いていれば過ちも犯さない。

◆最近の朝日叩き現象を私は次のように分析してきた。誤報が非難されるのは至極当然にしても、今回の事態はあまりにも異様であり、背後には日本社会の「上部」にも「下部」にも黒々と根を伸ばす歴史修正主義の蠢きがベッタリと張りついている、と。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 青木 理「抵抗の拠点から」(講談社)
20151130日(月)

 

 

<その3> 
◆ならば、本来、朝日は「反撃の矢」を用意してから、検証記事掲載を踏み切るべきだった。精鋭の取材班を組み、徹底的な取材で新事実などをつかみ出し、まさに「慰安婦問題の本質」を浮かび上がらせる記事を時を置かずに連打し攻撃と対峙するくらいの準備と覚悟を持つべきだった。

◆「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリストの転向から始まる」と言ったのは、故・丸山真男だったが、この国のメディアとジャーナリズムはすでに「総転向状態」というべき位相に入り込んでしまったのかもしれない。そして、同じメディアとジャーナリズムの現場に立つ我々は、いかにして現状に抗し続けるのか。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 青木 理「抵抗の拠点から」(講談社)
20151127日(金)

 

 

<その2> 
◆街角に繰り出してヘイトスピーチをがなり立てるレイシストが随分前からのさばり、ネット上などには眼を覆いたくなるような差別的言辞があふれ返っている。もちろん、そんな連中はごく一部にすぎないこととは言え、思想的には現在の為政者の面々と「同じ穴のムジナ」であるように私には見える。

◆吉田証言に関する記事取り消しは部分的なものであり、むしろ朝日の慰安婦がいかに正しかったかと主張することに主な目的があったと明かす朝日記者もいる。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 青木 理「抵抗の拠点から」(講談社)
20151126日(木)

 

 

本書は「慰安婦報道」に対する朝日バッシング、つまり歴史修正主義者に対する抗議文である。以下、インパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1> 
◆吉田調書報道に関していえば、朝日は記事化の過程で大きなミスを犯したというのだが、政治が隠している情報をいち早く入手し、世に発信しようとした姿勢と努力は認められるべきであり、こうした調査報道こそ、危機が叫ばれている新聞メディアに最も求められている仕事ではないか。

◆メディアの大きな機能が権力の監視にあることは言を俟たず、自国の「失政」だろうが、「負の歴史」だろうが、「社会的な歪み」だろうが、そうした問題点を果敢にえぐり出し、追求することこそがメディアとジャーナリズムの役目であり「売国」「反国」「国益を損ねた」などという戦時下を想起させる罵りはその役目を放棄せよと迫っているに等しい。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 香山リカ 「ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか」(朝日新書)
2014929日(月)

 

 

<その3>
◆「道徳的であれ」というのはあくまで他人に対して求めているだけで、自分はあくまでも道徳的でない人から被害を受けるか受けないかという側にしか身を置かない。「他人のルール違反も問題だが、私自身はどうだです」と我が身に置き換えて考えることもない。

◆実はネット空間は、もともとリベラルなアカデミズムによって独占されていた時期もある。(中略)マスコミで流通されない「現場発」の言葉が研究者によってネットへ流されたのである。それはいかなる検閲も制約も受けることのない自由な言論―つまりカウンターカルチャーの一種であったのだ。

◆つまり、彼らにとって大切なのは、真の「「個性化」というより「個性化を実現しているように見せること」であり、それ以上に大切なのは「まわりからはみ出ないこと」のほうなのではないだろうか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 香山リカ 「ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか」(朝日新書)
2014926日(金)

 

 

<その2> 
◆平等や正義感が日本社会から消滅したのではなく、ゆがんだ平等主義やいびつな正義感が日本社会に横溢しているからこそ、負け組予備軍ともいうべき都市の中間層やそれより所得の低い層が熱狂的に小泉を支持したというのが私(山口二郎教授)の説明である。

◆住宅面での衒示的消費の象徴である六本木ヒルズを見てもうらやましいとは感じないが、近所の公務員宿舎には腹が立つというわけである。プチ不平等に対する反感がグローバル経済にともなう大きな不平等を覆い隠しているという現状である。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 香山リカ 「ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか」(朝日新書)
2014925日(木)

 

 

本の帯には、SNSへの違和感の正体がわかる!と書かれている。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介したい。

<その1> 
◆「日本人は責任感が強くてマジメで几帳面というのは建前の話であって、実は本音の部分では以前からけっこうちゃっかりしたところがあったのではないか」という説もある。

◆よく心を病む人が多いのは、人間関係が希薄になったから」という人がいるが実際はその逆で診察室に来る人の多くは、濃密すぎる人との関係や家族からの過剰な介入・支配がストレスとなってうつ病や摂食障害を発病させるのだ。「絆やつながりがないという孤独感から心の病になった」という人は、これまで、30年近い精神科医生活のなかで、おそらく数例だったと思う。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保坂正康、半藤一利「そしてメディアは、日本を戦争に導いた」(東洋経済新書)
2014218日(火)

 

 

<その7>
◆(半藤氏)実は世界恐慌の貧困からは、日本はいち早く脱していたんですよ。満州事変を起こした頃です。侵略の陰謀は褒められたことじゃないと大いに恥じるべきだけれど、事実は事実として言えば、これによって日本の貧困は一段落していたんですね。それにもかかわらず日本人は貧困感を持ち続けた。そこから社会全体がおかしくなっていったんです。

◆(保坂氏)僕が強調したいのは、戦前といまとは国家のあり方が違うということなんです。戦前の国民とは天皇の臣民だった。大日本帝国憲法によってそう位置づけられていた。
けれど、いまの日本国憲法では、国民とは市民なんです。国家と個人は同じ次元にあり対等な存在として、権利を認められている存在なんですね。だから、国家が個人に対して不当なことを押しつけたら異議申立てができる。何でも言える。国家が個人を弾圧しようとしたら、断固として拒否しなければならない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保坂正康、半藤一利「そしてメディアは、日本を戦争に導いた」(東洋経済新書)
2014217日(月)

 

 

<その6>
◆(保坂氏)字の読めない兵隊に、どうやって教育したんですかと尋ねたんです。絵を書いて教えろと言われたと答えてくれました。黒板に大きな魚と小さな魚を描き、小さな魚を指さして「俺たち日本はこれだ。黙っていると大きな魚に飲み込まれる。だから戦わなければだめなんだ。」と教えたそうです。

◆(保坂氏)人間として、ジャーナリストとして、崇高なものを持っている人を見た時に、権力側の弾圧機構の末端に属する人が尊敬してしまう。そんなことも起こるんだよと思いました。どんなときにも、こんな関係が生まれるとは限らないが、本当に信念を通す人は、相手側からも尊敬されると言うことがあるんだよとね。

◆(保坂氏)思想にはまり込んで疑わないのはいちばん楽なんですよ。全てが一元的に割り切れるから。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保坂正康、半藤一利「そしてメディアは、日本を戦争に導いた」(東洋経済新書)
2014214日(金)

 

 

<その5>
◆(半藤氏)これを評した簡潔にして的確な言葉があります。
☆ジャーナリズムの戦いは満州事変で50%、国連脱退で90%、2.26事件で99%終わった。(伊藤正徳)
事実、昭和史を見ていくと、2.26事件以降は言論は死んだと言っていいような状態になりますね。

◆(保坂氏)東条英機なんかとくに歪んだ考え方の持ち主で、日記や秘書の書生が残したものを読むと軍のこと以外何も出てこない。他のことに興味がないとしか思えないんです。軍だけしか知らない偏った論理で戦争へと突っ走っていくんですね。

◆(半藤氏)歴史に学べば、私たち日本民族には、付和雷同しやすいという弱点があるんですね。言い換えれば集団催眠にかかりやすいということです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保坂正康、半藤一利「そしてメディアは、日本を戦争に導いた」(東洋経済新書)
2014213日(木)

 

 

<その4>
◆(保坂氏)言論と暴力が対峙したとき、言論の方が強い、ペンは剣よりも強しなんて言いますが、近代史上では、幻想にすぎませんよ。

◆(半藤氏)5.15事件の前後に、テロ事件が連続します。小林多喜二の虐殺事件も起こる。テロが発動していくんです。では国家はテロを抑えようとしたかというと、逆なんですね。民衆を抑えるために、特別高等警察いわゆる特高が設置されたんです。これが同じ昭和7年でした。つまり民間の側と国家の側、双方から社会が暴力的になっていくんですよ。

◆(保坂氏)「東洋経済新報」の石橋湛山さんなんかは、自分の戦い方を作ったわけで希少価値がある。 多くの新聞記者たちが社会に恭順の意を表して組織に順応していったのに、石橋湛山さん、桐生悠々さん、菊竹六皷さんのように戦い続けた人は稀です。彼らが昭和ジャーナリズムの伝統をつくった人でしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保坂正康、半藤一利「そしてメディアは、日本を戦争に導いた」(東洋経済新書)
2014212日(水)

 

 

<その3>
◆(半藤氏)当時、東大教授への道を捨てて、新聞社に入るという夏目漱石の行動を世間が支持するくらいですから、明治40年代のジャーナリズムというのは、相当認められている存在だったということですよ。

◆(半藤氏)5.15事件は、政治的ではあるが、殺人事件ですよね。でも軍隊が起こした事件ですから普通の裁判にはかけられず、軍事裁判になるんです。軍事法廷では一般の人は傍聴できませんから、軍部が勝手に裁いたんですが、ものすごく刑が軽かった。問題なのは現代の私たちの目からは刑罰が軽すぎて驚くような判決が、当時の人達にとってはそうではなかったということなんです。つまり国民の間に妙な人気があって、彼らの犯罪を支持したんですね。

◆(半藤氏)元々、江戸時代には、基本的に暗殺なんかなかった。すごく温和な落ち着いた時代が続いたんです。それが突然幕末になって尊王攘夷運動が起こって、テロが流行り出した。でも明治になるとそれを全部、義挙だったと言うことにされてしまう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保坂正康、半藤一利「そしてメディアは、日本を戦争に導いた」(東洋経済新書)
2014210日(月)

 

 

<その2>
◆(半藤氏)戦争反対派の新聞は部数がどんどん落ちるんですよ。その一方で賛成派の新聞は伸び始める。日露戦争前には賛成と反対で半々に分かれていた新聞各社が平民社を別にして、全部戦争に協力するようになり、国家の宣伝役になるわけです。

◆(半藤氏)この数字が示しているのは、戦争がいかに新聞の部数を伸ばすかということです。要するに戦争がいかに儲かるかなんです。ジャーナリズムは日露戦争で戦争が売り上げを伸ばすことを学んだんですよ。これを見れば明らかにわかるのは、ジャーナリズムがどんなに色々ときれいごとを言おうが、いざとなったら完全に国家の宣伝機関になるだろうということなんです。国家と一体になって商売をしている。

◆(保坂氏)新聞と政府が一体化した時代になると、戦争が起きれば新聞はついてくる。背景には売れなければ困るというのがあるわけですね。戦後になってからは変わったのかというと「朝日新聞」が戦後民主主義の論理を書き続けてきたというのも、実はそう書くことで新聞が売れたからだという言い方もできます。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保坂正康、半藤一利「そしてメディアは、日本を戦争に導いた」(東洋経済新書)
201427日(金)

 

 

半藤氏は、文芸春秋社の役員を務めた人なので、発言が意外とリベラルであったのには驚きである。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆(保坂氏)日露戦争の頃の軍事指導者や為政者たちというのは、ジャーナリズムをあまり意識していなくて、まだコントロールしなかったように思うんですよね。平民社のようなものは弾圧されていますけれどね。

◆(保坂氏)日露戦争では、うんとお金がかかるから、おまえたち国民からうんと税金を取るけれども、戦争に勝てば、賠償金がもらえるんだと、そういう論を民衆に吹き込んだのは、やっぱり新聞だったんですかね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「日本を疑うニュースの論点」(角川学芸出版)
2013126日(金)

 

 

<その5>
◆16世紀に記された複数の文献に尖閣を中国と示す記述がある、というのが中国側の主張だ。これらの文献について、明治政府は調べていたのだろうか。 そのうえで尖閣を沖縄に編入したと日本政府は証明し国際社会を説得できるのか。 そもそもポツダム宣言を受諾した以上、尖閣の領有を一方的に主張することは難しい。 少なくとも野田氏が言うように「歴史上も、国際法上もわが国固有の領土であるは明々白々」と呼べる状況ではないということは認識しておく必要がある。

◆実は日本と中国との間には同様の漁業協定がすでに存在している。しばらく前まではその協定に従い、尖閣周辺の揉め事は処理していた。 両国は「お互いが自国の漁船だけを取り締まる」ことで合意していた。

◆国政選挙の候補者は選挙費用に加えて「供託金」を用意しなければならない。 その金額は選挙区への立候補で300万円、比例区への重複立候補だとさらに300万円、比例区のみの立候補は600万円にのぼる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「日本を疑うニュースの論点」(角川学芸出版)
2013125日(木)

 

 

<その4>
◆日本は「主権国家」と呼ぶにふさわしい国なのか。沖縄を中心に日本国内に点在する米軍基地では、治外法権がまかり通っている。 首都東京の上空ですら、その使用が最優先されるのは、実は米軍機である。

◆現在東南アジアに米軍基地はひとつもない。ASEAN(東南アジア諸国連合)が、外国軍の基地を認めない方針だからだ。一方日本はどうか。 戦後70年近くが経つというのに、国内には兵力約4万5千の米軍が駐留を続けている。

◆沖縄の問題は、本土の人間にとっては「対岸の火事」に過ぎないのであろう。同じ国民でありながら、私たちは沖縄に対して目を背け続けてきた。 「補助金」の名目で金を渡し、米軍基地の負担を引き受けさせる。原発の立地自治体に対し、政府が行ってきたのと似た構図である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「日本を疑うニュースの論点」(角川学芸出版)
2013124日(水)

 

 

<その3>
◆沖縄に駐留する米軍の主力である海兵隊は、日本の防衛には全く役に立っていない。 海兵隊はあくまでも攻撃専門の部隊であって、北朝鮮のミサイルや中国の艦船から日本を守るための戦力にはならない。

◆(在日米軍)駐留費の日本側負担は、95年には72%となった。(中略)駐留費総額中約20%しか負担していないドイツとの差は大きすぎる。 (中略)この問題の根源は日本の政府の「安保上米国に依存している」との一方的思い込みにより、その後無方針にずるずると増額してきたことにある。

◆「4月28日」は日本が米国に隷属することが決まった日なのである。その日を祝うことは奴隷としての日本の立場を認めることに他ならない。 私には安倍首相の神経が全く理解できない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「日本を疑うニュースの論点」(角川学芸出版)
2013123日(火)

 

 

<その2>
◆沖縄で盛り上がりつつある「独立論」に対し大きな影響を与えているのが地元の新聞だ。沖縄には「沖縄タイムス」と「琉球新報」という二大地方紙がある。 発行部数は沖縄タイムスが約18万5,000部、琉球新報が約17万部で2紙合わせての世帯普及率は6割を超える。 全国紙はトップの日本経済新聞が6,000部程度、読売新聞に至っては1,000部にも満たず、ほとんど市場に食い込めていない状況だ。 これほどまでの地元紙の強さは全国的にも珍しい。

◆米軍基地の集中する沖縄は、ある意味日本で最も米国の影響を受けやすい地域といえる。にもかかわらず沖縄メディアは、自主独立の報道姿勢を貫いている。 その理由は2つある。ひとつは「2紙が共存していること」である。1紙に圧力がかかっても、もう1紙が踏ん張って反対の論陣を張る。 県民は両紙を読み比べることで、どちらの報道や主張が正しいか見分けがつく。結果的には県民サイドに立った報道だけが残っていく。 もうひとつの理由が「沖縄県民の意識」である。米軍基地問題で日本政府の言いなりになっていれば、経済的なメリットは保障される。 だが長きにわたって基地と共に暮らしてきた県民は、このデメリットを肌で感じている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「日本を疑うニュースの論点」(角川学芸出版)
2013122日(月)

 

 

<その1>
著者の興味深い指摘を以下要約して紹介していく。

◆安倍政権下では、普天間基地の辺野古移設が着々と進んでいる。その裏では、金の力で地元漁民らへの露骨な切り崩しも横行しているようだ。

◆昭和天皇の意思があったかどうかは別にして、日本政府は戦後沖縄を切り捨てた。 さらに歴史を遡れば、もともと沖縄は独立した国家であった。沖縄には、明治初期まで500年にわたって「琉球王国」が存在していた。 王国が滅びたのは、明治政府が軍事力を用いて日本へと統合したからだ。沖縄で「琉球処分」として語られる出来事である。

◆沖縄が独立すれば、米軍は即時に撤退していくことになるだろう。米国が沖縄に駐留する最大の理由は、経費全体の4分の3を日本政府が負担しているからだ。 「おもいやり予算」と呼ばれるもので、その額は年間2,000億円近くにものぼる。 沖縄が日本でなくなれば思いやり予算も支払われない。・・・このままでは「沖縄が日本を捨てる日」もそう遠くないかもしれない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 武田邦彦「新聞・テレビはデータでウソをつく」(日本文芸社)
201352日(木)

 

 

<その5>
◆90年以降になると、交通事故で負傷した人をこれまで通り「負傷者数」としていたものの、死者は「24時間以内に亡くなった人だけ」を「交通事故による死者」とカウントするようになったのです。

◆最近、交通事故の死亡者数が減ったので、道路状況が安全になったと錯覚している人がいますが、実は、交通事故の負傷者は1.5倍にも増加しているわけですから、むしろ90年よりも現在のほうが、安全状況は悪くなったと考えるのが正しい答えです。

◆現在の民主主義国家である日本でも、「地球温暖化」や「リサイクル」に対して異を唱えると、官民そろって攻撃する傾向が、非常に強く現れています。例えば、温暖化について、それを支持するマスコミが真面目な学者を社会的に攻撃する事態が生じました。

◆歴史上、禁煙運動を最初に始めたのはヒトラーです。チャーチルとルーズベルトという当時のヒトラーの敵方の首脳がタバコをよく吸うということもあって禁煙運動を展開したのです。ドイツでは「肺ガンの原因はタバコである」という研究が発表され、それを政治的に利用したのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 武田邦彦「新聞・テレビはデータでウソをつく」(日本文芸社)
201351日(水)

 

 

<その4>
◆地球には多くの動物がいますが、ほとんどの動物の親は子供の面倒を一生懸命見ます。間違っても子供が親の面倒を見るなどという動物はほとんどいません。今の年金制度は「お年寄りが働けなくなるので、子どもが親の面倒を見るのは当然だ」という考え方から成り立っていますが、はたして本当にそうでしょうか。

◆CO2による地球温暖化というのは、「暑い夏は、あまり気温が上がらず、寒い冬に気温が上がる」ということと「寒い北海道は気温が上がるが暖かい南の地方は気温が変わらない」という理想的な気温の変化が期待されるのです。

◆「教科書は学問的に正しい内容でなければなりません。環境白書は政治的文章だから教科書は白書を根拠にすることはできません。」
第二次世界大戦の前、世界の事実を示さずに子どもにも「戦争礼賛」を教えたことは、教育界で強く反省されているはずなのに、教科書を認めてもらおうとして、国のいいなりになっているのです。

◆科学に強い人は社会にそれほど多くないので、「地球が温暖化するのではなく、温暖化を訴えるとお金が儲かるから温暖化することにしよう」というあさましい考え方になってしまうのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 武田邦彦「新聞・テレビはデータでウソをつく」(日本文芸社)
2013430日(火)

 

 

<その3>
◆科学が未来を予測できないことは極めて明確です。それであるにもかかわらず、なぜ、科学は将来を予測するのでしょうか。
それは科学をよく知らない専門家が、現在の知識で未来を想像してしまうからです。しっかりした科学者は、未来の想像図を描きません。それは、その科学者がやっている日々の研究が未来を覆すことだってあるからです。

◆「高血圧のほうが長生きする」・・・実はこれこそが私が最も言いたいことなのです。けれども、日本の社会では真逆のことが常識になっています。その理由として、考えられるのは「高血圧で血管が破れてしまう」からでした。

◆日本がヨーロッパ並みの豊かな生活を送るためには、21世紀から22世紀にかけて、人口を500万人以下にする必要があります。そうすれば農地面積もある程度確保することができますし、高度な技術・開発力を活かして、将来的には無人化された工場を運営することだって可能となるでしょう。

◆戦争がなくなったこと、家電製品が普及したこと、さらには子どもの数が減ったことで、それまで家事に追いやられていた女性が、社会進出できるようになったのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 武田邦彦「新聞・テレビはデータでウソをつく」(日本文芸社)
2013426日(金)

 

 

<その2>
◆いつ地震が来るかという問題は、今、先生がお話されたように大変に難しい問題です。でも私たちには、地震の被害を避ける方法があります。それは今までの地震が起こったところ、それによってどのくらいの揺れに見舞われたか、津波はどうだったかについて、細かく調べておくこと、ということです。

◆現在の日本では資源が少ないということで、リサイクルが行なわれたり、省エネルギーには補助金制度の優遇措置があったりしました。もしも石油の寿命が「あと数千年もある」となると現在の政策を推進することは難しくなるでしょう。つまり「税金をもらいたいので、国民にウソの情報を流している」ということなのです。
日本人は「北朝鮮の人たちは洗脳されている」とよく言いますが、私から見ると日本人のほうが洗脳されているように見えます。100年から1000年規模の寿命を持つ石油系燃料が多いのに、「化石燃料は枯渇する」と言い続けるのですから。

◆私が今後予想している科学技術は、「街を覆うくらいの巨大なドームができて、雨や風もなくなり気温も一定に管理させるようになる」というものです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 武田邦彦「新聞・テレビはデータでウソをつく」(日本文芸社)
2013425日(木)

 

 

よく、数字はウソをつかないと言うが、本当はウソつきは数字を使うというべきである。
なぜ、大マスコミは真実を報道しないのか!?と本の帯に書かれているが、反面、何故日本人はこうまでもマスメディアの言うことを信じてしまうのかという問題もある。諸外国と比べて、日本はマスメディアの信頼度が高い国である。政府の言うことを無批判にたれ流しているだけなのに、不思議でならない。
以下本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介していきたい。

<その1>
◆現実には、地震関連の予算が欲しい気象庁や、地震学でトップを走りたい東大がまだ研究も開始されていないのに「東海地方に地震が来る」とウソを言って予算を獲得したのです。

◆東日本大震災でも、JR東日本が運転していた27本の新幹線やそれを支える高架と線路はほぼ無傷でした。なぜJR東日本を利用していた人は地震の犠牲にならず、岩手・宮城・福島の3県の海岸の付近や原発付近の人たちは大きな災害に見舞われたのでしょうか。それは「地震の予測」ではなく、「地震の備え」が大切なことを意味しています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也×上杉隆「誰がこの国を壊すのか」(ビジネス社)
2013327日(水)

 

 

<その9>
◆(森):無罪推定原則を厳守するならば、容疑段階では容疑者も被害者も匿名になるはずです。実際にそうした報道をしている国は多い。
ただし匿名報道原則については捜査当局とメディアだけが容疑者と被害者の個人情報を握ってしまうことになるわけで、それは好ましくないとの見方もわかります。

◆<上杉>:意見の違いが人間関係の決裂に向かうことは一切なかった。そこには私のいう「共通言語」があったからだ。私の推す「共通言語」とは、文字通りの意味ではなく、多様性を認める価値観で論じることができるかどうかということだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也×上杉隆「誰がこの国を壊すのか」(ビジネス社)
2013326日(火)

 

 

<その8>
◆(森):入れ墨の入っている市職員って、清掃員がほとんどでしょう。解放同盟の人が多いんです。でもだとしたら、どうしても橋下が解同を潰そうとしているかが、よくわからない。出自とからんだルサンチマンの問題なのかもしれないし、同和利権を苦々しく思っている人も少なくないから、これもまた市場原理なのかもしれない。

◆<上杉>:まあ確かに橋下さんが指摘するように市の清掃局・交通局で解放同盟の職員が一般企業の1.5倍の給与をもらっていて、それが公務員給与全体、ひいては大阪市財政を圧迫しているのは、一部本当にあるかもしれません。でも、そこはやはり普通に議論して、丁寧なプロセスを踏んで改善していくべきであって、いきなり入れ墨を持ち出すという彼流のやり方に僕は首肯できない。

◆<森>:刑事司法の問題に戻りますけど、人々の体感治安が悪化し → 捜査権力が無理をするようになり → 冤罪が増える という矢印の中では、取り返しのつかない事態も生じています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也×上杉隆「誰がこの国を壊すのか」(ビジネス社)
2013325日(月)

 

 

<その7>
◆(森):体感治安の悪化は厳罰化を促進し、監視社会化を加速させます。今、日本に設置されている監視カメラは、おそらく400万台を超えているでしょう。ならば世界一です。
日本ではこの3年間で100万台以上は増えているはずです。逆に、イギリスは、キャメロン政権以降は犯罪抑止について効果がほとんどないとの理由で減っています。

◆<森>:犯罪が起きる要因は、大きく分けて三つある。ひとつは幼少時代の愛情の不足。二つ目は生育児の教育不足。そして三つ目は現在の貧困。であるならば国家は犯罪者に対して、足りないものを補完することを考えるべきである。苦しみを与えることは必要ない。(ノルウェーの法務省の役人へのインタビューより)

◆<森>:ノルウェーは人口500万弱で国土面積は日本とほぼ同じです。石油が出るし、相当に豊かな国ではあるから社会保障は行き届いている。でもノルウェーも70年代までは厳罰化の国で、治安はとても悪かったのです。
ところが80年代に入ってから刑事政策を寛容化に転換したところ、治安がどんどんよくなった。今は世界でも最も安全な国だと言われている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也×上杉隆「誰がこの国を壊すのか」(ビジネス社)
2013322日(金)

 

 

<その6>
◆(上杉):一番大事なことは誰かが責任を取ることじゃないのですかと。国家が責任を取るなり東電が責任を取るなり、それが見えない限り、世界中から納得されませんよ。と言いました。すべてをシステムのせいにして、「システムが悪いからごめんなさい」というのは、日本でしか通じないロジックです。たとえば、第二次大戦後のドイツでもナチ高官1人ひとりに責任を取らせたでしょう?

◆(森):日々起きる事件、あるいは天気予報とかプロ野球やサッカーの結果とか、それらを伝えることもメディアの大切な役割かもしれないけれども、最大の使命は国家権力を監視することです。

◆(森):世界で初めてテレビの実験放送を行ったのは、ナチスドイツでした。つまりプロパガンダの有用性を彼らは実によく研究し、また熟知していた。

◆(上杉):NHKとBBCが決定的に違うのは、記者が幹部になるというシステムです。とくに政治部出身者がNHK経営中枢を独占しているのは問題です。政治部記者が何人いるかというと50数人で、全職員1万3000人のうちの0.6%にすぎない。その0.6%で、経営の8割を占めてしまうというのは、いくらなんでもおかしいのではないか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也×上杉隆「誰がこの国を壊すのか」(ビジネス社)
2013321日(木)

 

 

<その5>
◆(森):震災後の日本人はとても冷静で暴動など起きなかったとよく言われますが、この傾向は実は世界共通で震災後にどの国でも民族でも、人々は自制し助け合うのだとソルニット氏(「災害ユートピア」の著書)は主張しています。もちろん暴動や略奪が起きる場合もありますが、それはとても稀な例です。
でも他国の場合にはメディアが大きく報道するから、そういうものだと多くの人は思い込んでしまっている。そして日本の場合は、助け合う場面やエピソードばかりが強調される。その意味ではどっちもどっちです。

◆(上杉):大手メディアのエリートたちも含めて、日本のエリートというのは、概してシステムに対して従順です。そのシステムへの従順さゆえに、逆にマインドコントロールされやすいのかなという気もします。

◆(森):イラク戦争のときに、アメリカを強力に支持した国は、イスラエルを別にすれば、日本とイギリスとオーストラリアです。小泉政権は支持を表明するだけでなく、この時点の安保理理事国だったチリやアンゴラに対してODA援助を対価にアメリカ支持に同意するように、圧力までかけている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也×上杉隆「誰がこの国を壊すのか」(ビジネス社)
2013319日(火)

 

 

<その4>
◆(森):日本の場合は均質な―均質だとみんなが思い込んでいる国だから、同調性がとても強い。多くの人が無理なく集団に帰属してしまう。主語を1人称単数から、1人称複数に簡単に置き換えてしまう。アメリカは突発的に集団化を起すけれど、日本は慢性的なんです。だから復元力を持ちえない。傾いたらそのままです。

◆(森):日本ではメディアとジャーナリズムがまったく区分されていない。商業倫理と報道姿勢が混然としてしまっています。だからこそ市場原理が幅を利かす。ジャーナリズムが商業の前に膝を屈してしまう。

◆(上杉):正面から取材を申し込むというのは、海外メディアでは、当たり前のことですけれども、日本のメディアは正面から言わない。僕も小沢さんに何度も取材し、インタビューもたくさんとっているわけです。すると小沢の犬とか言われていますけど(笑)。でも小沢さんからすると、だって上杉さんしかインタビューに来ないんだもん(笑)。小沢さんの元には、取材依頼自体がこないと言っていました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也×上杉隆「誰がこの国を壊すのか」(ビジネス社)
2013318日(月)

 

 

<その3>
◆(上杉):中国や北朝鮮など報道規制のある国のジャーナリストの方が日本のジャーナリストより世界的には認められています。なぜかというと、中国や北朝鮮のメディアというのは政府のプロパガンダであることを国民が了解している。
真実は別のところにあって、両国のジャーナリストは別途そちらを追求しているわけです。中国や北朝鮮にはろくなメディアはなくても、殺されても真実を伝えようとするジャーナリストはいる。
一方、日本では立派なメディアはある。だけど、真実を伝えようとするジャーナリストは、それらのメディアの中にはいない。

                            
◆(上杉):海外の記者と日本の記者が違うところは、海外のジャーナリストというのは、疑うところからはじめるわけです。日本では何かを疑うと「人を疑うもんじゃない」みたいにたしなめられたりします。だから政府の発表なども信じないと仕事にならないようなところがある。
それと同業者に対するリスペクトが決定的に違う。つまり海外では、対権力になるとメディアがきちんと足並みを揃えるわけです。ところが日本の場合、対権力になると逆の方向に足並みを揃えてしまう。たとえば、毎日新聞の西山太吉記者を助けるのではなくて、彼を切り捨てる方向で足並みを揃えてしまったわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也×上杉隆「誰がこの国を壊すのか」(ビジネス社)
2013315日(金)

 

 

<その2>
◆(上杉):日本でも署名原稿がふえてきているが、アメリカの基準からするとあれは署名ではない。アメリカの場合、最終権限は執筆した記者にあるのです。日本はデスクがぜんぶ検閲しています。タイムズのルールでも編集長や編集主幹が記事をすべてチェックし、ここはこう書き直したほうがいいと赤字を入れてきます。その場合、記者が書き直しの提案を了解し、受け入れたら書き直す、しかし記者が自分の価値観に基づいて提案を拒否した場合は書き直しの必要はないのです。その代わり、間違えた場合には記者は第一の責任がある。失敗の責任をとるのは記者なのです。

◆(森):匿名性についてはテレビに関しても同じです。日本の報道番組って最後にスタッフロールがほとんど出ない。バラエティ番組の場合は、すごい勢いでADの1人ひとりまで出しているのにまったく逆です。
報道番組こそ製作者たちの名前を出すべきです。それによって危険な目に遭うとかのリスクもあるかもしれない。でも報道をやるならば、それは回避できないリスクのはずです。

◆(上杉):国境なき記者団には日本のマスメディアの記者たちは入っていないのです。記者クラブというのは一種のカルテルでしょう?そこに属する記者は国境なき記者団ではジャーナリストとして認定されないのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也×上杉隆「誰がこの国を壊すのか」(ビジネス社)
2013314日(木)

 

 

サブタイトルが「人類はメディアによって滅ぶかもしれない」となっているとおり、メディアに関しての御2人の対談本である。
以下、本書よりインパクトのある箇所を要約して、御紹介していこう。

<その1>
◆(上杉):アメリカのメディアが厳しいのは、ミスは100回してもいい。ただし1回でも嘘をついたら、所属する会社を解雇されるだけじゃなくて、メディア全体から追放になることです。キリスト教文化の影響があるのかもしれません。
日本の場合は逆です。記者クラブ制度の下では、嘘をついた方が出世できる。ミスをすると降格になるけど、嘘をついてそれがバレなければ、出世する。

◆(上杉):アメリカの新聞は、客観報道は完全に放棄している。その代わりに署名原稿です。
――「書く人間は書かれる人間の立場に立って書くべき。書かれた人間は、名前まで出されているのに、いざ反論しようと思っても、記事に署名がなければ、誰に反論すればいいのかわからないではないか。それでは、責任の所在がわからなくなってしまう。そういう記事は一切書くべきではないし、名前を出してコメントできないなら、ニューヨークタイムズは君を採用できない」


前のページへ戻る


このページのTOPへ


                 渋谷の会計事務所 中川尚税理士事務所
〒150−0031 東京都渋谷区桜丘町13−11 的場ビル2階 (渋谷駅西口より徒歩5分)  03-3462-6595

Copyright(C)2004 HISASHI-NAKAGAWA All Rights Reserved.