渋谷区の税理士 中川尚税理士事務所

 

中川尚の飛耳長目(税理士読書日記)TEL 東京・渋谷 03-3462-6595

 

  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021107日(木)

 

 

<その9>
◆私も若き日に日教組の一員だったからよくわかるが、組合出身の議員にまったく立場の違う相手の言い分を聞き、その弱点をとらえて、しなやかに反論するといった経験を積んできた者はほとんどいない。組合の会議というのは、だいたいが「異議なし」といって気勢を上げるための景気づけの集まりであり、反対する者は「分派」として排除してしまう傾向がある。いわばうなずき屋を前にして「気分よく」大声を出してきただけだから、反対する者を説得する技とかはもっていないのである。

◆社会が病んでいるから暴力団は出てくるという視点がなければ暴力団はなくすることができないはずなのに、簡単にレッテルを貼って排除すれば、社会がよくなるといった単純な発想で条例や法律がつくられ過ぎる。


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  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021106日(水)

 

 

<その8>
◆いま自分の言っていることをここで理解してもらいたいんだ。ノートなんかとるな。この場で理解すればいいんだ。

◆アントニオ猪木は青森県知事選の応援で、最初は原発一時凍結派の候補から150万円の謝礼で来てほしいと頼まれていた。だが、原発推進派の電気事業連合会から1億円を提示されあわてて150万円を返して、そちらに乗り換えたそうである。

◆私は勲章をもらう人間を評価しない。それまで悪い印象を持っていなかった人でも勲章を受けたと知るとその程度の人だったかとガッカリする。旧社会党の関係ではそれで岩垂寿喜男と國弘正雄に失望した。彼らは拒否するだろうと思っていたからである。


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  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021105日(火)

 

 

<その7>
◆武谷三男の思想で私が一番共鳴したのは特権と人権は違うという事だった。私はそれを次のように翻訳して説明する。たとえば、ダイアナ妃がパパラッチに追いかけられてかわいそうだと言われた。しかし、ダイアナは人権を捨てて、特権の世界に入ったのである。それを、彼女にも人権があると言ってしまっては特権と人権の違いがわからなくなる。

◆私は土井たか子を革新性と保守性、寛容さと頑固さを併せ持つ「含羞の人」と評した。
その土井も好んだロバート・フロストの誌に次のようなものがある。
「−森は美しく、暗くて深い。/だが私には約束の仕事がある。眠るまでにはまだ幾マイルか行かねばならぬ。」


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  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021930日(木)

 

 

<その6>
◆「都市の論理」の次の指摘も忘れられない。
「日本では最近まで私生児といって冷たい目で見られている子どもたちをフィレンツェではルネサンスの時代にインノチェンティすなわち罪のない子とよぶようになっていたのです。」

◆ぼくは主流でも反主流でもない「非主流」っていう主義なんです。反主流には明日の主流かもしれないけど、「非主流」は永遠に主流にはならないでしょ?そういうものの方が絶対に面白いんですよ。


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  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021929日(水)

 

 

<その5>
◆羽仁五郎は「ぼくは女性が売春してよいと言っているのではないのだ。売春をこの法律で防げるのであれば賛成するが防げやしない。そしてほかの副作用があって、これから令状なしの臨検、もっと早く言えば令状なしの逮捕がはじまることにあくまでも反対するのです。」と述べている。

◆羽仁の発想には驚くことが多い。例えばこんなことを言ったこともある。
「共産党も財界からカネをもらわない唯一の政党だなどというのは、自分は色気のない唯一の女だと言っているようなもので、感服していいものやらあきれていいものやらね。共産党も少し財界からカネをもらってでも政界をひっくり返してくれるほうがいいよ。カネももらわないけど倒す力もないというんじゃまったくナンセンスだ」


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  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021928日(火)

 

 

<その4>
◆アメリカの友好国は、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの4カ国で日本は入っていない。日本は3番目の「その他」の国なのである。
いま日本は韓国をホワイト国からはずすなどと言っているが、アメリカから見れば日本は「第三の男」ならぬ「第三の国」だということを知っておいたほうがいいだろう。

◆明の時代には沖縄を「大琉球」、台湾を「小琉球」と呼んだという。それほどに沖縄と台湾は近く、漁場も同じとかで交流が深かった。


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  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021927日(月)

 

 

<その3>
◆いまでは信じられないことですが昭和20(1945)年の日本人男性の平均寿命はたしか23.9歳でした。戦地では兵士たちが戦って死ぬ(あとでわかったのですが戦死者の3分の2が餓死でした)、内地では空襲で焼かれて死ぬ、病気になれば薬がないので助かる命が助からぬ、栄養不足の母親を持った幼児たちは栄養失調で死ぬ。そこで大勢が若死にしたのです。女性の平均寿命も37.5歳だったはずです。

◆日本人を蝕んでいるのは中途半端という病気であると喝破したのは、1945年8月15日に朝日新聞をやめたむのたけじだった。
またむのは東京外大時代、スペイン人の教師からむのが何ということもなく使った「半信半疑」という言葉をとがめられる。


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  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021924日(金)

 

 

<その2>
◆日本は平安時代の250年間、死刑を廃止していた。死刑で殺されていた人間の怨霊が地震・津波・大火などの大災害となって襲ってくると考えられていたからだ。つまり「人を殺すと祟る」と思われていたのである。それで死刑を止めて、「島流し」にしたという。いわば無期刑のようなものだろう。
しかし、武士の世の中になると、それは迷信だと斥けられて死刑が復活し、いまに続いている。

◆石橋湛山首相は「元号を廃止すべし」では中国の制度の模倣として大化の改新の時に元号が建てられたと説き、元号を定められない天皇は天智天皇他何人かいたと付け加える。
自民党に元号や靖国神社を廃止せよと主張する者はいない。


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  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021922日(水)

 

 

・・・ありえないと思ってあきらめず、それをありうるかもしれないと思わせる激越さが徹底抗戦の思想の原点である・・・。というのが佐高の主張である。
本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。

<その1>
◆フランスは1981年に死刑を廃止したが、その時の法務大臣のロベール・バダンが来日して講演し「日本は世界で最初に死刑を廃止した国です。それなのに今度は世界で最後まで死刑を残す国になろうとしています 」と嘆いた。


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  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
202192日(木)

 

 

<その9>
◆お互いにその革命理論がここまでくいちがっている以上、お互いを反革命的とみなしあうことはやむをえまい。しかし、それでもなお、お互いに思想と信仰の自由だけは保証しあうこと。もう一度くり返すがこのあまりに明らかな大原則を守り抜くことなしにどちらの党派も考える革命も退廃におちいらざるをえまい。そして、革命の退廃こそ、ほとんどの反革命なのである。

◆自由をめざして抑圧を実現する、あるいは民衆を解放させんとして隷従させるという、これまでの革命のパラドクスはすべての大原則の放棄に端を発している。

◆すでに手遅れかもしれないがここのところを両派の人々にもう一度考え直してほしいのである。


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  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
202191日(水)

 

 

<その8>
◆中核派の長谷川英憲氏は前回(1971年)の杉並区議選では一万票近い記録的得票で圧倒的な第一位当選をはたしていた。これをなにがなんでも落選させて、中核派が完全に市民社会から浮き上がっていることを示したい革マル派と、なにがなんでも当選させてそうでないことを示したい中核派ということで、この区議選は両派の総力をあげての選挙戦となった。

◆「反革命」のレッテルさえはれば、思想・信仰の自由を奪ってよいという発想は「非国民」のレッテルさえはれば、思想・信仰の自由を奪ってよいという論理となんら変わるところはない。
退廃なしの革命をめざそうと思うなら反革命にも思想・信仰の自由をみとめるところからはじめねばならない。


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  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
2021831日(火)

 

 

<その7>
◆己の責任を問わず、相手の責任だけを問うていく。あるいは、自他の責任の問い方において、自分に有利な勝手な基準を設ける。これがあらゆるケンカ、確執、抗争、紛争のエスカレーションの原理である。両派の抗争のここまでのエスカレーションも、これ以後のエスカレーションも論じつめるとここに帰着する。

◆内ゲバの原因を次々にさかのぼっていくと、どんどん過去にいってしまう。が結局のところ、問題は党派闘争のあり方について、党派間で認めあう「原則」が成立していないということにつまるだろう。この点で、前の本多氏のことばにあった「それぞれのやり方で競いあえばいい」というのが基本的には正しいだろう。この「それぞれのやり方」というのは、テロ、リンチなど他党派に向けての直接暴力行使を排除しての意味だ。


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  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
2021830日(月)

 

 

<その6>
◆革マル派以外の党派は、(理論上ののりこえ)、(運動上ののりこえ)を通じて、(組織上ののりこえ)を実現する。
ここのところがわかりにくければ宗教上の信者獲得競争にあてはめて考えてもらえばわかるだろう。
より獲得力のある教義の提出(理論上ののりこえ)とそれによる信者のより多い獲得(運動上ののりこえ)によって他の宗派を圧倒する(組織上ののりこえ)のが普通の宗派間の競争(党派闘争)のあり方であるが、革マル派は主観的により正しい教義の提出(理論上ののりこえ)によって、まず、他の宗派のぶちこわしを狙い(組織上ののりこえ)、他の宗派のぶちこわしによってより多くの信者を獲得する(運動上ののりこえ)という順序がおかしな革命理論を持っている。
順序がおかしいというよりは、あまりにも主観主義的な運動論である。


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  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
2021827日(金)

 

 

<その5>
◆中核派はあらゆるセクトの中で、この三里塚闘争にもっとも深くコミットし、数年前から活動家を常駐させていた。そして、一連の闘争においても一大支援隊をくり出して農民と一体となって闘ってきた。しかし、だからといってこういった過激な戦術へのエスカレーションが中核派の指導によってなしとげられたというわけではない。三里塚闘争の戦略・戦術を決定し、それを自ら実践していったのは農民たち自身だった。コザ市の暴動にしてもいずれかの党派の指導によるものではなく、自然発生的なものだった。この2つの事件で過激派を自任していた中核派はむしろ過激さにおいて大衆に越えられているという意識を持ったのではないだろうか。この意識が中核派の本格武闘再開、暴動路線の開始のテコになっていたと思われる。


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  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
2021826日(木)

 

 

<その4>
◆革命理論の近年の最大の分化は暴力革命論と平和革命論の間で起きた。その中間項として、暴力行為は敵の出方によるとする日本共産党のような立場がある。革マル派もほぼこれに近い。

◆他の刑法などの法律は、あくまでも一定の違法行為があってから後にそのなされた行為が取り締まられる。しかし、破防法は「破壊活動防止」の名の下に教唆煽動という形で、破壊活動を事前に取締ることができる。とくに団体適用し、活動制限をしてしまえば活動しただけでその組織を検挙できる。破防法の下で暴力革命をめざすというのはそう簡単にできることではない。


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  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
2021825日(水)

 

 

<その3>
◆自分たちが正義、相手が絶対の悪という認識がなければ、そう簡単に他人を殺傷できるものではない。内ゲバを論ずるにあたって、安易に「市民の論理」をもってきて、それでこと足りるとしている人々は、そのへんの認識が欠けているのではあるまいか。

◆「腐敗堕落しきったスターリン主義者党を解体させ真に革命的な前衛党をつくるためにはナニよりもまず・・・」といった独特の抑揚をもつクロダブシが流れてくる。

◆暴力革命への道を理論的に、実践的に追求しつつある一群の人々が現に我々の社会の中に在る。彼らの側からすれば、人間の皮をかぶったケダモノは現社会の支配者たちであり、現社会のあり方のほうが残忍でモラルが荒廃しているということになる。それに対して彼らの側は人間解放のための革命という最高善を追求しているのだから、たとえ人を殺してもよりモラリッシュだというのである。


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  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
2021824日(火)

 

 

<その2>
◆両派の機関紙における主張を丹念に読みくらべ二つの相反する主観的な報道から、その背後にある客観的事実と思われるものを洗いだしていくという作業が必要になる。これは口でいうのはたやすいがなかなか面倒な作業である。

◆それから2カ月して中核派のトップ本多書記長が殺された。私の対話した相手である。その報告を聞いたとき私は愕然とした。
生身で知っている人が殺されるというのはやはりショックである。本多氏の2回の対談で話した時間は10時間は軽く超える。2度以上会った人はたくさんいるが、10時間以上話をした人というのは、そうたくさんいるものではない。そして、10時間も1人の人間を相手にまじめにしゃべりあってしまうと、いやでもその相手の表情から肉声までが記憶に刻みこまされてしまうものだ。


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  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
2021823日(月)

 

 

今年の4月30日に評論家の立花隆が80才で亡くなった。3万冊の本を読み、100冊の本を書いたと言われる立花の著作の中で、私がもっとも力作と考えているのが本書である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して紹介していきたい。

<その1>
◆中核派と革マル派という新左翼の二大組織がお互いに組織の総力をあげて、組織の全存在を賭けての抗争をくりひろげているのである。日本の政治抗争上、これほど血みどろの闘いをくりひろげられたのは百年以上も前の幕末の諸セクトがテロ合戦に走って以来のことだろう。


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021315日(月)

 

 

<その18>
◆(金)僕らはメモとか持つなと言われてたわけですよ。赤軍派あるいは連合赤軍は、記録も残せない集団だったことになりますよね。残さないっていうことは結局検証される運動じゃなかったっていうこと。

◆(鈴木)僕は連合赤軍の本をずいぶん読んでるけど、本を書いたり、取材に出たりしている連赤の人は、10人もいないよね。連合赤軍に関連して何らかの罰を受けた人は100人以上いるらしいんです。でも声を上げていない。僕の知り合いの女性は捕った後、結婚して名前を変えて自分の子どもにも教えてないと。


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021312日(金)

 

 

<その17>
◆(植垣)私は自分の人生を捨てているのに、何でアイツはそれができないんだということになり、それは相手を殺すことにもいき着くわけですよ。

◆(鈴木)森達也さんが言ったんだけども「主語が複数になると述語が暴走する」と。僕は公のためみんなのためにっていうのは悪いことじゃないと思うんです。ただ、それだけを前面に出しちゃうと危ない方向にいく可能性が大きいことはきちんと考えるべきですよ。

◆(鈴木)高橋和巳がどんなものでも秘密でやっちゃダメだと言ってた。必ず第三者の目を置けと。それは今でも言えることです。


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021311日(木)

 

 

<その16>
◆それに対し植垣さんは「仲間だから殺せたんです」と言っていた。自分達は人民のために革命をやろうとしている。だから人民はどんなことがあっても傷つけてはならない。一方、自分達は革命のために全てを捧げた兵士だ。完全に共産主義化しなくてはならない。その厳しさが内にだけ向いたということだろう。ショックだったがそうなのかと少し分かった気がした。

◆(金廣志)これからは「私の幸せ」を追求する思想じゃなきゃダメですよ。自分が我慢してでもみんなが幸せになってくれればいいんだっていう思想が本当は一番反動なんだ。私たち、そういう思想だったわけじゃないですか。人民のために自分たちの命を捨てることって不惜身命ですよ。どこに人民がいるのかよくわからなかったんだけど(笑)


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021310日(水)

 

 

<その15>
◆今までの連赤について書かれたものは「ただの犯罪」と書かれたものが多い。「それに比べ、この映画はいい!感動した」と言っていた。特に坂口が海を泳いで羽田の滑走路にかけ上がり愛知外相のアメリカ・ソ連訪問を阻止しようとするシーンがある。「あれなんて胸がジーンときた」と言っていた。

◆いや、左翼だけでない。右翼も宗教もともかく<理想>を目指す社会運動は全ていかがわしいものと見られた。心の中に正義を持つ人々は危ないと思われたのだ。僕らは連赤事件を批判した。しかし、一般の人からは「お前らだった同じようなもんだろう」と思われた。「世の中を変えるなんて運動は偽善であり危険だ」と思われたのだ。


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
202139日(火)

 

 

<その14>
◆また、かつて昭和には濃い時代があって濃い若者がいたんだっていうことをね、映画っていうのはやっぱり後世まで残るからね。そういうことが本当にあったんだってことを伝えたいとも監督は述べている。

◆若者が真剣に考え思いつめた。真剣だったからこそ突き進んだ事件だった。個人が<世界>を相手にし、変革の手応えを感じた。世界を変えられる夢を見た幸福な瞬間だ。だが同時に地獄も見た。

◆ベトナムをはじめ世界中では戦火の中で殺され、飢え、苦しんでいる多くの人々がいる。我々だけが安全地帯にいて、幸せでいいのか。それは「犯罪」ではないか。そう思い立ち上がった。安全地帯を捨て山に向かった。「このままでいいのか」という疑問や批判を<敵>だけに向けているうちはよかった。しかし、あまりに真剣だったために、疑問や批判の刃は自分自身にも向けられた。同志にも向けられた。そして「総括」が始まった。


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
202138日(月)

 

 

<その13>
◆(鈴木)暴走族がケンカで人を殺しちゃったというのとは違う。優秀な人たちが理論的に詰めて、人を殺している。かえって恐ろしさを感じるんです。

◆(青砥)現実を獲得しない理論が独り歩きするとろくなことにならないということ。

◆「こんなことではダメだ。事実をありのままに伝えよう」と思ったのが、三本目の「連合赤軍の映画」を撮った若松監督だ。なぜ、彼らがあの地点までたどりついたのか。何を考え何を思ってあの行動に出たのか。権力側から一方的に伝えるのではない。ありのままを描きたいと言う。だから敢えて「実録」と付けたのだ。


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
202135日(金)

 

 

<その12>
◆(鈴木)最終的には自分が死ぬかもしれないという覚悟でしょうけど、もっと大きいのは人を殺す決意ですよね。それが越えてはいけないことだったんじゃないでしょうか。連合赤軍でみんな自己批判しているのはその一点ですよね。

◆(鈴木)頭のいい活動家たちがなんであんなに簡単に新党(連合赤軍)を作って、総括できなかったら、命を奪うようになったのか理解できない。理解しちゃいけないかもしれないけど。

◆(青砥)ただ考えていただきたいのは、あの頃森さんが何歳だったか、まだ25、6才ですよ。いくら時代背景があったとはいえ25歳の指導者が人の命を口にするようなそういう愚かな組織だったことも事実なんですよ。我々は考えが足りなかった。経験が足りなかった。


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
202134日(木)

 

 

<その11>
◆(鈴木)そういう時に間違って殺したと認められればいいんだけど、認める勇気がない。路線の一貫性を守るために、論理を後からこじつける。東アジア反日武装戦線だって、三菱重工のビルに爆弾を仕掛けて人々の退避警告の電話をするんだけど取りあってもらえなくて、8人もの死亡事件になった。その時、謝ればよかったんですよ。でも丸の内を歩いているビジネスマンは帝国主義者だとめちゃめちゃな論理を主張しちゃう。居直った時点で革命運動が犯罪集団に変わっちゃうんじゃないかな。

◆(青砥)捕まれば懲役を覚悟しなければならない。そうやって後ろを振り返ったりしながら、乗り越えていく。僕は20歳の頃には懲役15年くらいならしょうがないなと考えていた。
その後爆弾を機動隊に投げる時には15年じゃ収まらないからもう一生、革命家としてやっていくしかないと。段階的に決意を固めていくわけですよ


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
202133日(水)

 

 

<その10>
◆(鈴木)僕は民族派運動に毎年取り組んできたわけですが、60年代後半は生き生きとして楽しい時代だったと思います。学校なんて授業がなくてストライキばかりやっていましたが授業なんかなくてもそんな社会に関心を持って勉強していましたよね。今は、デモなんてないから授業はつぶれることはありませんし、勉強はいくらでもできるはず。でも今の学生は勉強しませんし、社会的な関心もないですね。

◆(加藤)僕ら兄弟は父親にすごく惑わされました。父親は人間的に立派な人になれと言う一方、片方では社会的地位の高い、財産ができるような職につけというようなことを言うわけです。僕からすれば逆のことを言っているなという反発がありました。


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
202132日(火)

 

 

<その9>
◆(鈴木)坂東さんは後年、超法規的措置により国外に脱出しました。日本赤軍は人質を取って交換条件に使ったわけですから坂口さんにとっては皮肉なものですね。(牟田さんの身柄を交換条件にしなかったこと)坂口さんは日本赤軍による奪還を拒否して死刑囚になりました。

◆(鈴木)革命運動や市民運動が全部終わってしまったのは、全て連合赤軍事件の責任だという言い方がよくされます。加藤さんは著書で「我々は社会の現状に対して疑問を抱き、それをよりよいものに変えようという気持ちで運動に加わったのだ」と反論していますね。

◆(加藤)連赤事件に責任を預けたところで政治運動をやっている人たちが生き延びられるかと言えばそうでもないと思いますよ。経済的・社会的な変化が政治運動をやっている人たちには理解されていないと思います。


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
202131日(月)

 

 

<その8>
◆(加藤倫教)最初銃をつきつけられた時に逃げ出そうとしたようですがパニックというほどの慌て方は出なかったようです。「我々は連合赤軍だ。おとなしくしていれば危害は加えない」ということは、あさま山荘に入る時には坂口さんから牟田さんに伝えられていたと思います。

◆(加藤)僕は坂口さんからあさま山荘の中に入ってこいと言われた段階で、これはもう先の展開が読めちゃうなと思いましたよ。そんなことをすれば必ず運動を批判するキャンペーンがはられるだろうと思いました。単純に警察と闘うということであれば山荘を出て正面にいる機動隊と撃ち合えばいいわけです。


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021226日(金)

 

 

<その7>
◆ここで<事件>が起こった。救出された直後、牟田泰子さんはマスコミの取材に対して、「犯人は紳士的だった」と言った。この一言で警察は激怒した。「悪逆非道な犯人からお前を助けるために警察は2人も死んだんだぞ!それを能天気に、犯人は紳士的だったとは何事か!」と。それで牟田さんは竦み上がってそれ以来一言も発していない。31年たった今も頑なに沈黙を守っている。

◆牟田さんは「主人も学生の頃はちょっと学生運動をしたことがあるのよ。だから皆のことも少しは分かるけど、、、」と政治的な雑談をするようになったという。彼ら5人は「革命家」だ。革命家として恥ずかしいことはできないという矜持であった。
牟田さんから見たら、そこが「紳士的」に見えたのだろう。あさま山荘は保養所だ。他人との生活には慣れている。そのせいか人質生活にも慣れ、落ち着いていたという。「だから人質としては最も理想的な人でしたね」と加藤さんはすごいことを言う。


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021225日(木)

 

 

<その6>
◆こんなに楽しく学生運動のことを書いた本はない。でもそんな明るい植垣氏も京浜安保共闘と赤軍派が合体して連合赤軍になってからは、全体の暗い雰囲気に呑み込まれてしまう。さらに、総括・粛清に手を貸す。そして逮捕され、獄中27年だ。

◆最後に、「私の青春時代、、、私には選択の余地がなかったのです」と生真面目な表情でポツリと呟いたのが、ひどく印象的であった。私は慰める言葉を探したがついに見当たらなかった。

◆これがストックホルム症候群だ。「人質になった被害者が犯人に必要以上の同情や連帯感、好意を持ってしまうこと」と説明されている。人質になるなんて一般の人にとってはなかなかないことだ。パニックになる。犯人に「ちょっと親切にされる、そうすると天の助けのように思う。また「密室」の中では犯人と人質は運命共同体だ。警察は「人質もろとも犯人を殺そうとしている」と思ってしまう。極限状態の中では、ちょっとしたことで愛や恋も生まれるのだ。


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021224日(水)

 

 

<その5>
◆(植垣)逆に言うと僕はM作戦の頃から森さんを見ていて、彼は口ではいろいろ言うわりには自分では実行しないという印象があった。それに対して軍を担っていた僕の方には、決定したことはやるという一種の気負いがあったんです。それと同志を殺すからには自分もいざとなったら死ぬ。もう当時は死ぬことに対して、抵抗感は全くなかったですからね。本当はもう少し余裕を持たないといけなかったんでしょうが。

◆同じ頃僕は書店で1冊の本に出会う。元連赤・植垣康博氏「兵士たちの連合赤軍」だ。これで連赤観が変わった。今まではただ非難、断罪していたが彼らも理想を求め、闘い、悩み送った普通の人間たちだと分かった。それに「連合」する前は、植垣さんは赤軍派だ。その頃の「M作戦(マネー作戦)」で銀行・郵便局を襲う話が実に生き生きしていて、明るく、面白い。何という本だと思った。


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021222日(月)

 

 

<その4>
◆(植垣)防犯カメラの設置とか警察官の立ち寄りとかいうのは、僕らのM作戦への対応として出てきたものですからね。

◆(鈴木)連合赤軍事件というと、一般には暗いイメージしかないじゃないですか。その前の全共闘運動というのは明るく楽しく、皆がデモに参加して、それで世の中変わるんじゃないかと思ったわけですが、それが72年の連合赤軍事件で一気に変わってしまった。

◆(植垣)銀行強盗というのは成功させればそれなりにコツがつかめていくんです。武器の問題じゃなくて、中に入ってからの僕らの態度なんです。それがビシッとしていれば銀行員は動けなくなるんです。

◆(鈴木)銀行強盗をそれだけ何回も経験した人もいないですよね(笑)。それもみな革命のためと思っていた。
(植垣)革命というより当時はベトナム反戦、それに沖縄の問題でしたね。


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021219日(金)

 

 

<その3>
◆彼らが運動に入った動機、愛や夢や希望はすべて忘れ去られ、「結果」だけを見てきた。さらにその悪い結果を今度日本全体を引き継いでいるのではないか、小さなことでも足を引っぱり批判する、他人に対する思いやりがない。排外主義のデモや集会・・・、まるで連合赤軍化する日本ではないか。

◆スターリンもヒットラーも異常なほどきれい好きだ。「整理・整頓魔」だ。だから統制のとれた集団をつくった。巨大な美だ。外れたものはそぎ落とした。(美)を求める心だ。だから、はみ出しものが許せなかった。連合赤軍事件はだから「整理・整頓殺人事件」なんだよ。

◆(鈴木)27年というのはすごく長いですよね。無期懲役だって15年か20年くらいで出てくるわけでしょう。
(植垣)政治犯じゃいないかもしれませんね。徳田球一だって18年でしょう。


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021218日(木)

 

 

<その2>
◆中上健次さんは幕末の水戸藩や薩摩藩の「内ゲバ」と変わらないとまで言った。明治維新は成功したから(連合赤軍以上の激しい内ゲバ、粛清も)「尊い犠牲だった」と同情される。キューバ革命、ロシア革命、中国革命にもこうした、いやこれ以上の「尊い犠牲」はあった。

◆あさま山荘に立てこもったのが5人、三島由紀夫とともに市ヶ谷の自衛隊に立てこもったのも5人。だから同じ俳優で二つの映画を撮りたいと若松孝二監督は言っていたが、スケジュールの都合で実現しなかった。

◆「50年後には連合赤軍は新選組になるでしょう」と僕は植垣さんに言った。僕らが子供の頃は新選組は悪の象徴だった。それが子母澤寛や司馬遼太郎の小説によって見直され、新選組ブームさえ起った。連合赤軍は今は「悪の象徴」だ。でも必ず見直されるし、NHKの大河ドラマにもなるだろう。隊規が厳しく小さなことでも次々と切腹させた新選組。武士出身ではなかったが故にかえって「武士道」にこだわった新選組、連合赤軍も似ている。軍人ではなかったが故にかえって「革命兵士」になろうとし、裁判・処刑までやった。


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  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021217日(水)

 

 

鈴木邦男の本はどれも面白いが特に本書は秀逸である。
以下インパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆あの連合赤軍事件から何も学んでいないのではないか。何らの教訓も得てないのではないか。そんな気がしてならない。むしろ日本はどんどん「連合赤軍化」しているのではないか。そんなことを思う。

◆偶然の機会から連合赤軍の関係者に会った。植垣康博さんをはじめ何人もの人に会った。驚いた。冷酷残忍な「極悪人」だと思っていたのに違っていた。皆、真面目で礼儀正しく、いい人ばかりだ。


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  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出新書)
202128日(月)

 

 

<その12>
◆外出を控え、人と会うのを避け、静かに家に閉じこもっていなさい・この風潮が社会化してみると、何のことはないこのシステムはまさにファシズム体制ではないかと気づいた。むろん外出したとて警官に誰何されるわけではないが、いわゆる自警団気取りの人のターゲットになり、友人が夜道をひとり自宅に帰る時に呼び止められ、「なぜ、マスクをしないのか」と詰問されたそうだ。こういう社会の正義派気取りの跋扈がファシズム体制の特徴である。

◆歴史を批判もなしに受け入れたり、筋違いの論点で検証したりというのは、先輩たちに非礼である。私が本書で試みたことの一つは、社会党を権力の取れる政党、多くの人に許容される政党にできなかったのは、実は社会党の中にそれを害する一派がいたためだという事実を公正な検証によって解き明かすことであった。
「革新派」のなかにそういう勢力にはまぎれもなくファシズムの拇印が押捺されており、私はそこい理不尽さを感じている。そこを書いておきたかったのである。


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  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出新書)
202125日(金)

 

 

<その11>
◆私は社会党は戦後社会にあって教条左派の論者たちは、戦前の陸軍の青年将校のようなタイプが多かったと思う。要するに、正義は我にありとして一切の妥協を排するのである。

◆妥協を排することが、忠実な皇軍兵士であると同様に、最も原則的な社会主義者であるとの論議だ。ところが皇軍神話が崩れると全く混乱し、真っ先にアメリカの占領政策の礼参者になったりするのである。社会主義が崩れると、かつての「敵」である自民党に媚びへつらうというのが正直な姿だったのである。あるいは自民党の分派の枠に自らが飛び込んでいくのであった。その行動原理は極めて相似性を持っていたのであった。こういう構図の下で、社会党の最後の姿を確認すべきであろう。


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  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出新書)
202124日(木)

 

 

<その10>
◆土井たか子は昭和61年9月から平成3年(1991年)7月までの5年間、委員長のポストについた。この5年間は社会党にとってそのイメージを変える期間になった。そして権力を駆使するテクニックを身につける期間にもなったのである。同時に社会主義協会に代表される教条的体質と似たような体質も明らかになった。

◆土井社会党は最も党勢のある時に次の点を明確にすべきだったのである。箇条書きにしよう。
(1)社会主義協会など教条派との絶縁宣言。
(2)かつての脱党グループへの人身攻撃の謝罪、そして統一の呼びかけ。
(3)大同団結しての新体制の綱領づくり。
(4)保守勢力を含めての新党創設宣言。
さしあたりこの4条件を満たして野党勢力を結集していたら、戦後史は今と異なった形になっただろう。


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  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出新書)
202123日(水)

 

 

<その9>
◆国内政治については何一つ有効的な手を打つことができない奇妙な政党だったということになる。戦後の日本社会で社会党の党内抗争は同志愛もなければ、相手を罵倒する歪みだけがあり、それ自体がいかに不毛であったかが改めて問われてくるのではないのか。日中間の政府間交渉で社会党よりは公明党や自民党の親中派の議員たちが相応の役割を果たしたことは否定できない。社会党は中国にとっては自分たちに都合よく利用できる存在だったと言っていいかもしれない。

◆社会主義協会の力が弱まったのは東西冷戦が次第に弱まり、さらにゴルバチョフの登場によって社会主義そのものが崩壊したこともあろうが、何といってもこの協会の理論的指導者だった向坂逸郎の死去(昭和60年)が大きかった。向坂理論は生粋のマルクス・レーニン主義であり、プロレタリア独裁にこだわる純粋さを持っていて、それを武器に組合の活動家を洗脳していった。


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  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出新書)
202122日(火)

 

 

<その8>
◆この6年の間、社会党は実はこの中ソ対立に巻き込まれ、はっきり言えばいいように利用されたのである。その姿はみっともないというべきであり、主体性など見当たらないとも言える状態であったのだ。

◆何が欠けていると解釈すればいいのか。私はそれはたった一つの言葉で語ることができるように思う。つまり社会主義の幻想にふけり、その政治システムを日本に定着させるために独自に努力する意思がないということであった。
社会主義国指導者の言動を絶対視して自分たちはそれについていくのが真の社会主義者であると考えていたことであろう。


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  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出新書)
202121日(月)

 

 

<その7>
◆高度成長のひとまずの停止段階に入って、なぜ社会党は伸びなかったのであろうか。社会党が自民党に代わって票が伸びないのには、それだけの理由があると思うのだがこれはあと知恵で言うのではなく、次のように指摘してもいいのではないかと私は考えるのである。
敢えて簡素書きにしておこう。
(1)田中政治に対する分析の曖昧さと甘さ。
(2)東西冷戦下における中国、ソ連への肩入れの単純さ。
(3)信念として続く党内抗争への疑問と不信。
この3点で説明がつくのではないかと思われる。私はこの中で実は(1)こそが何よりも大切だと考えている。その意味はどういうことか。国民は当初なぜ田中政治を支持したのだろうか。それは「欲望」を満たす政策であったからだ。


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  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出出版)
2021129日(金)

 

 

<その6>
◆与党や野党も主体性がないだけでなく、中国からもアメリカからも体良く利用されているといった構図をこの時代にはさらけ出した。こうした姿の病根はどこにあるのだろうか。ひとたび与しやすしと見抜かれたらどこまでも利用されるという国際政治の本質を、私たちはこの時に教訓とすべきであったのだ。

◆石橋の「非武装中立論」をひもとくと、すぐに次の2つのことに気づくのだ。
(1)この論は戦前の軍国主義時代の批判に立脚している。
(2)新しい視点、発想が提示されていない。

◆石橋が自らの理論を補完するために起こりうると予想した現象は、いまにして思えば何一つ起こらず、その反面で自らの希望的観測や予想は何一つ現実には、起こらなかったのである。それはなぜか。つまるところは、自らの感性と体験でしか時代と歴史を見つめることができず、時間が動いているという当たり前の事実など考えようとしなかったからである。


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  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出出版)
2021128日(木)

 

 

<その5>
◆社会党は1970年代を迎える時期にその役割を終える状態に置かれていたのである。いや戦後社会の中で戦争終結時の戦後民主主義を口にしているだけでは、もはや訴求力を持てなくなっていたのである。むしろ、昭和20年代に左派社会党の鈴木茂三郎委員長が「青年よ、銃を持つな」と叫んだ時代の感性は急激に薄れていったのであった。

◆社会党は戦後25年を経て、社会主義そのものの変容に応えなければならなかったはずだ。
社会主義体制を平和勢力と言い、社会主義への道筋をめぐってプロレタリア独裁か否かで論争し、少しでも新しいビジョンが提示されると社会主義の原則に外れるといった論議を繰り返す体質がどれほど支持者に呆れ果てられていたのか自省すべきだったのである。


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  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出出版)
2021127日(水)

 

 

<その4>
◆つまり社会党の非武装中立は、日米軍事同盟を破棄することが前提であり、そのことによって自衛隊を縮小、解放する方向へと向けていく。そのために具体的にはどのような形で模索するかを明かしている。

◆そこで日本はアメリカ、ソ連、中国、それに北朝鮮の各国とは個別にあるいは集団で安全保障条約を結んで、極東の一角に安定度の高い中立地域を作り出すというのであった。

◆朝日新聞の石川真澄は「新聞が世論調査による議席数の推定を大きく間違えるのは、ほとんどの場合棄権が大幅に増えたときである。その原因は棄権の増大が各党の得票をまんべんなく減らすのではなく、ある党の支持者に偏って影響を与えるためであると思われる」と書いている。


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  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出出版)
2021126日(火)

 

 

<その3>
◆江田ビジョンとは、「イギリスの議会政治」 「アメリカの経済的豊かさ」 「ソ連の社会福祉」 そして「日本の平和憲法」の4つである。

◆昭和40年代の社会党はあきれるほどの派閥闘争を繰り返していたが、その中でともかくもビジョンや具体的展望を提示したのは、江田ビジョンであり、そして、後に委員長になる石橋政嗣の「非武装中立論」であった。この論は石橋が社会党の苦境を脱し新たな方向を示すために取り組んだ大きなテーマであった。
この論も例によって派閥争いの対象にされた。
佐々木派や江田三郎らのグループにも反対される有様であった。


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  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出出版)
2021125日(月)

 

 

<その2>
◆昭和35(1960)年5月19日は日本の議会政治が崩壊した日といってもよかった。議会政治が死んだとの声が日本社会に広がった。これは決してオーバーな表現だとは思わない。自民党支持者でもデモに加わった。かつて私は拙書で「戦後日本の政治的エネルギーが爆発したのはこの5月20日から1ヶ月間であった。」と書いたことがある。

◆こうした状況は今にして思えば岸内閣の戦前型の政治姿勢の故であったといえるのだが全学連の一揆主義的な行動に批判はあるにせよ、社会党をはじめ野党の指導力や大衆運動への理論が欠如していることも浮かび上がらせたといえるだろう。つまり岸内閣の反動性だけでなく、社会党や民社党の体勢の弱さまでも浮き彫りにしたのである。


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  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出出版)
2021122日(金)

 

 

この本のサブタイトルは社会党はなぜ消滅したのかとなっている。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆民主主義の要諦は寛容の精神であり、反対の意見に対しても静かな心でまずこれを聞き、さらに穏やかな言葉でこれを説得するということでなければならないと思います。(西尾末広の言葉)
◆汚い言葉で相手を罵り与党と戦うよりも仲間の足を引っ張る方に最大のエネルギーを使うのである。こんな政党が政権など取れるわけはない。いや、取ってはならなかったのだ。


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  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201028日(水)

 

 

<その10>
◆創価学会の世界には、独特の論理がある。「辞めるか辞めないかは自分で決めることではない。任免は、池田大作会長の意思であり、勝手に辞めるのは不遜の極みだ」というのだ。

◆週刊「現代」では、特に雑誌を発表の舞台とするフリーのジャーナリストを抑圧したいがためのこの法律=個人情報保護法の「熱心な推進者」は池田大作だと書いている。また池田は自民党と公明党の連立政権合意書にもその法案を推進することを盛り込ませている。


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  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201027日(火)

 

 

<その9>
◆毛沢東の中国に反毛派のできることはあっても、創価学会に反池田派のできる可能性はまったくないといわれる。それだから、池田が前と違うことを言っても、すべて許されてしまうのである。池田は「私の言葉は学会では憲法になってしまうのです」とまで語っている。

◆藤原は創価学会の会員たちに「思わず頭を下げたくなるような敬愛な宗教家タイプの人は、まずほとんどいないに等しい」としてこう続けている。
「私は創価学会の幹部にはほとんどといってよいくらい会っているが、宗教家のもつ謙虚さ、謙譲さといったものを感ずる人はほとんどいない。まことに世俗性の強い信仰団体といえるかもしれない


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  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201026日(月)

 

 

<その8>
◆1999年春、ユニークな政治評論家で、「創価学会を斬る」の著者である藤原弘達が亡くなった。充子夫人によればその日夜中じゅう「おめでとうございます」という電話が続いたという。

◆こうした前近代的学会を相手に闘った「批判者の系譜をたどろうとするとき、まず挙げなくてはならない二人が藤原弘達と内藤国夫である。ともに「日本の知性」といわれた東大教授、丸山眞男に学んでいる。
名著「現代政治の思想と行動」などによって、内部に言論の自由がないばかりか、外に対しても、それを押しつぶそうとする学会がメスを入れるべき大いなる標的と映ったに違いない。


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  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201023日(金)

 

 

<その7>
◆松村謙三は戦後すぐに農林大臣となり、農地改革をやる。農政局長に抜てきしたのは、のちの日本社会党の副委員長になる和田博雄だった。地主制を改めて小作人を解放しようという松村の思想をアカ呼ばわりする者もあったが自作農創設の農地改革は松村、和田の強力コンビによってなされたのである。
しかし、その道は平坦ではなかった。不在地主から農地を取り上げて小作人に譲渡する。これに対する抵抗はむしろ、与党の方が激しかった。

◆わたしは日本のためにやるのです。そりゃあんたらの土地は取り上げられるがそれによって、日本の動乱を押えることができるのです。生まれてから死ぬまで、小作人は小作人、地主は地主というのはもう時代遅れなのです。時代に目覚めて下さい。


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  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201022日(木)

 

 

<その6>
◆日本の場合に一番危険なのは、日本の保守主義者がどこで自分が反動と違うのか、をはっきり自覚していないことです。つまり、戦争中のああいうきつい全体主義とどこで自分が一線を画するのか、、、。

◆もう一つの保守主義者の要素は、やはり人間性の尊重ということだと思うのです。意見の自由、行動の自由、つまり自由というものをわれわれの生活信条の基本に置く、そこで社会主義者あるいは共産主義者と違うのであって、もちろんわれわれは全体主義に行くことはない。

◆石橋湛山の盟友に中国との国交回復に力を尽した松村謙三がいる。松村はまさに「民権派」の元祖である。
松村は中国との友好に骨を折ったため、いつも右翼から攻撃され、電話での脅迫や嫌がらせを受けた
しかし、決して自分の信念を曲げることはなかった。宣伝カーでがなりたてられ、「容共・松村」とポスターをべたべた貼られても、だった。


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  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201021日(水)

 

 

<その5>
◆公明党は自民党の下駄の雪どころか、下駄の石になったという。もう自公党というひとつの党になっているのだ。

◆小泉が自民党のトップになって「自民党をぶっ壊す」と叫んだが、小泉が壊そうとした自民党は田中角栄の自民党だった。それによって自民党の中の民権派も打撃を受けたのである。中曽根や小泉のやった国鉄・郵政の民営化により、日本社会から公共というものが失われた。

◆ダーティーな側面もあったが田中らの民権派は、政治が担うべき公共を忘れていなかったのである。しかし国権派はあたかも国が公共であるかのようにふるまい、一方で、弱肉強食の新自由主義を持ち込んで公共を政治から消した。


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  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201020日(火)

 

 

<その4>
◆「密会ビデオ」を撮られた公明党=創価学会にとって、自民党にすがる以外に道はなかったのである。つまり、理念で公明党は自民党と連立したのではない。理念を捨てて連立したのだ。
しかし多くの創価学会員はそうは思っていなかった。「平和の党」も「福祉の党」も空念仏でしかなかったのに、それを彼らは唱え続けた。

◆警察OBの平沢勝栄はテレビで「創価学会公明党は、交通違反のもみ消しどころか刑事事件のもみ消しまで依頼してくる」と発言したことがある。

◆私がテリー伊藤と共著で出した前述の「お笑い創価学会、信じる者は救われない」は、のちの光文社知恵の森文庫版を含めて30万部も出たが、出版社への電話や手紙はすさまじいものだった。テリーの乗っていた車は尾行されたりしたという。


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  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201019日(月)

 

 

<その3>
◆「自由新報」によれば「現在、創価学会が懸命に繰り広げているのは、町会の役員を学会員で独占することだ」という。

◆毎日新聞の子会社が創価学会の機関紙「聖教新聞」を印刷しているため、学会にいかに弱いかという話。
その後、「読売新聞」もこの恩恵に与っていたので、同紙も批判的なことは書けなくなっている。

◆公明党代表の藤井富雄さんが暴力団の後藤組の組長と会ったところをビデオに撮られたらしい。そのテープを自民党側に届けた者がいる。


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  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201016日(金)

 

 

<その2>
◆創価学会には昭和40年代につくられた「言論部」なるものがあり、マスコミに登場した学会、池田大作、公明党批判に対し、抗議行動を指揮する。
全国の会館などに集められた学会員が、時に学会員として、時に一般人を装って投書を書いたり、電話をかけたりする。「言論部」のマニュアルに従ってである。

◆フランスの国営テレビは、次の様に放送している。
「創価学会は世界中に1200万人の信者を持つ日本の組織で世界でもっとも危険で金持ちのセクトのひとつとされています。莫大な不動産、、パーキング、大学、発行部数600万部の日本で第3位の日刊新聞等の金融資産、そのすべてが創価学会に属し、フランスにも進出しており、影響力は増え続けています。なかでも、日本人が一番心配しているのは、その政治世界の力です。創価学会の政党は有権者の10%に相当し、現在与党にあります。


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  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201015日(木)

 

 

2016年に出た本であるが、再読したため取り上げることにした。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介することにしたい。
<その1>
◆藤原弘達は自民党の中にある「右翼ファシズム的要素」と公明党の中にある「宗教的ファナティックな要素」の間に、「奇妙な癒着関係」ができることを恐れていたが、清和会はまさに「右翼的ファシズム的要素」のみで成り立っている派閥であり、それと公明党は結び付いてしまったのである。

◆訴訟好きの学会が抗議だけにとどめたのは、フランスで学会の国際組織のSGIが明確にカルト指定を受けているからであろう。

◆仏壇のほうはなにしろ、「家には仏壇が多くあればあるほど幸せになれる」と言って売りつけるのだから確かに「悪評高い霊感商法と変わるものではない」だろう。


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  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
20201014日(水)

 

 

<その12>
◆池上は、自分でも解説が自分の役割だと言うんだけど、偏らないこと、誰かの側に立たないことは結局、いまある権力の側に立つことになるんだな。その根本的な力学を彼は理解していない。

◆別の社の官邸キャップは「深く聞かないと引き出せない。(あなたのは)負け犬の遠吠えだ」とわざわざ言いにきた。政治取材に長けたみなさんは、この首相会見でいったい、何をうまく引き出したのだろうか。しっぽを振っているのにエサがもらえなかった犬に見えるが、あとで「路地裏」で残飯でももらえれば、「勝ち犬」なのだろう。


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  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
20201013日(火)

 

 

<その11>
◆辛淑玉さんは「脅迫状を出す人は、絶対に殺す気はない」と言っていて、彼女の経験でも、本当に襲おうとしている人は何も言わずに来て、ダーッとやると言ってました。

◆以前は、これだけ政権に批判的に迫っているんだから炎上しているぶんには私は見ないので仕方ないかと思っていたんです。
だけど、脅迫電話が来ちゃうと、会社が驚いて畏縮してしまうんですよ。

◆いまのジャーナリズムの主流は「池上彰化」していると。つまり、たんなる「解説」ということ。
こう高橋篤史は批判している。
つまり批判も肯定もせずに読者に判断を委ねてしまっている。


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  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
20201012日(月)

 

 

<その10>
◆彼らはみんな親しくて大事な友人なんだけど一つ言わせてもらえば、やはりみんな組織人なんだな。個人攻撃されると弱い。そういうことを私が偉そうに言うと、うちのやつに「あなたは単なる雑草だから」と言われるんだけど。

◆本田靖春は得がたい個性だけど、本田型のジャーナリストが増えても、社会を変える力という意味では難しいのかなと。筑紫さんは緩いところのある人だったけど、緩いだけにいろんなつながりがあった。だから一匹狼たろうとするジャーナリストたちのゆるやかな連携というのがこれからは必要なんじゃないかな。


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  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020109日(金)

 

 

<その9>
◆当たり前の話になるけれど、世の中は保守が主流で、慶応という大学は、世の中をわりとそのまま映しているんだよ。
早稲田なんかだと、大学と言うコミュニティの居心地の良さあるけれど、世の中に出ると、学内との違いに苦しむことになる。けれど慶応だと世の中で少数派になっても学内と同じだから驚かない。

◆運動家というのは家でちゃんとしている人はほとんどいないよ。怒りの激しさもあるけれど、やはり運動というのは常にいらだつでしょう。愚かしい権力を相手に、ときには虚しい闘いをやるわけだから。
うまくいくことなんてほとんどない。それに活動家はしょっちゅう出かけているわけだから、子どもや家事をパートナーまかせとなれば、そりゃあケンカにもなるでしょう。


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  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020108日(木)

 

 

<その8>
◆私はジャーナリストは一匹狼であれと言い続けてきて、そこは本質的には変わらないんだけど、他人を分断させて追い込むこの時代に、やはりしなやかでしたたかな連携というのも不可欠だと思うね。

◆弾き出されることは怖いけれど、弾き出されてしまえば、新たな出会いがある。また弾き出された人とのつながり合いをつくっていかなければならない。

◆NHKという組織のなかでは生きられなかった。
でも飛び出したことで、彼が本当にやりたかったジャーナリズムを実践できるようになって、それだけじゃなくて、社会を変えていこうという動き自体とつながっているのを見ると、本来ジャーナリズムがやるべきテーマと会えた人ではないかと思いますね。
だから本当は亡くなった赤木さんも財務王国を飛び出すことで、彼が本当に言いたかったこと、官僚はこんなことのために仕事をしているんじゃないということ、そして彼の芸術家的理想がいくらでも伝えられたのではないかと思うと本当に残念です。


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  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020107日(水)

 

 

<その7>
◆やはり気概のある人は役人にはなれないし、ならないでしょう。例外はいるにしても、それがほとんどだと思う。

◆戦前の国家主義自体に起源を持つ修養団がなぜ戦後は文科省管轄、いまは内閣府に認定されて生き続けているのか、それ自体、教育勅語の延命を証明しているような存在なんだけど、これがなぜか千駄ヶ谷の共産党本部の隣にあるから一回取材しに行ってみるといいと思う。

◆いま、労働組合が形骸化しているから、弁護士が忙しくなっている。会社や組織の中で不利益を被った場合労働組合が機能しなくて個人と会社側で問題解決を一対一で求めるようになったんでしょう。


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  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020106日(火)

 

 

<その6>
◆前にも話したように、私は安倍に良心はまったく期待していないんだけど、真実が明らかになって自分が断罪される恐怖から様子がおかしくなるような変化を、記者は絶対に見逃さずに切り込まなければだめだよね。それと昭恵の問題。コロナ騒ぎの中での花見の話が出てきて、安倍が昭恵をコントロールできていないという現実が完全に見えているわけだから、新聞は昭恵をもっと追いかけないのかね。

◆財務省は答えようという気がそもそもぜんぜんない。それは、財務省の省としての気質と言うんですね。
文科省だと良心のあるリベラルな人が中にはいるので、前川さんみたいな人が綻びをつくり出すことがあり得て、文書が出てきたりすることが期待できるんですけど、財務省は鉄壁の守りというか、省を守るという意識が異様に強い。


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  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020105日(月)

 

 

<その5>
◆父は電子経済研究所というところにいたんです。中小企業の社長さんとか社員に話を聞いて、これからの経済動向がどうなるのかの分析をレポートにしていくような中小企業向けの業界紙。だから新聞記者とは違うんだけど、でもいろんな人に話を聞いて、その先を分析していくというのは新聞記者と重なる部分もあって、父は「記者というのはすごくやりがいのある面白い仕事だと思うよ」と言っていました。

◆新聞労連に呼ばれて講演したとき、私は新聞記者というのは上品な商売ではないだろうと強調したんです。強請、たかり、強盗のたぐいだろうと。そこに徹しろと言ったんだ。そうしたらだれがこんなやつを呼んだんだという雰囲気になってしまった。
帰り際、新聞記者がこういう感性だから俺がフリーで食っていけるんだみたいな屈折した気持ちでいたら、1人の女性記者が寄ってきて「佐高さん、私は立派な強盗になります。」と言った。


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  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020102日(金)

 

 

<その4>
◆取り調べられる側の気持ちに、ほんの一時的にしても、なれたというのは、経験としてはよかった。でも特捜部がわざわざ記者を取り調べるなんていうのは、「密約」を暴いた西山太吉さんみたいな歴史的な大事件は別にして前代未聞だったんじゃないかな。

◆菅義偉の著書「政治家の覚悟」には「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為」と書かれている。
だが、菅は自分の本にそのことを書いたことなど覚えていない。


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  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020101日(木)

 

 

<その3>
◆小渕さんは、私の知るリベラル派の官僚からも人物として評価されることがとても多いです。まっとうな政治家だったのでは、と思います。いまの政治家と較べたら、はるかに平和主義や弱者への目線を持っていたわけですね。

◆新聞記者の仕事というのは、やはり、深く疑って最後は深く信頼するということになるかもね。

◆佐橋滋という人は在任中から抵抗できたけど、「面従腹背」をモットーにしてきた前川さんは在任中には抵抗できなかった。この時代のズレというのがある。

◆あいつらの言い方で私が腹が立つのは「誤解を招いた」というやつね。誤解をした方が悪いような言い方をする。ふざけんな、誤解じゃなくて正解して怒っているんだよ、と。


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  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020930日(水)

 

 

<その2>
◆岸井が安倍の父親である安倍晋太郎番だった時代に、まだ子供だった息子の晋三について訊くと、「出来が悪いんだけど、ただ、言い訳の天才だ。」と言っていたそうだ。

◆私は日立をずっと批判してきたわけです。修養団に社員を派遣してのみそぎ研修なんていうカルト資本主義そのものの制度がある会社だから。また日立は組合に対する弾圧もひどかった。

◆小渕は「批判する人も大事だから、お互い別の立場で頑張ろう」と話しかけてきたわけです。
私はこれは政治家の度量だと思うと同時に小渕が外務省の反対を押し切って対人地雷の除去に尽力したことや中国における旧日本軍による遺棄科学兵器の処理を進めたこと、また評価は別としても政治家としての最後に野中広務と組んで沖縄サミットを実現しようとしてその道半ばで亡くなったことを振り返ったりもするんだよね。


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  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020929日(火)

 

 

麻生太郎という政治家が昔こんなことを言っていた。
「新聞を読まない奴は馬鹿だ。ただその馬鹿が自民党の支持者になっている。新聞を読まない奴がふえている限り自民党は安泰だ。」
以下本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆他国の首相や知事の会見は、台本なしで丁々発止です。ところが菅義偉官房長官の記者会見も首相会見と同様中身が薄く、官僚ペーパー頼みです。

◆私は政治部の記者を見ていると、この人たちは、何のためにやっているのかなと思うことがあります。社会部記者の私のように、ストレートな社会や政治への問題意識でやっていたら、政治部記者は務まらないでしょう。表向きと内心を使い分けないと政治家は受け入れてくれないでしょうし、記者自身も仕事ができない。でも政治家の懐に入って引き出したネタを政治家を裏切るかたちで市民のために書き切れるのか、という疑念がある。


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  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020928日(月)

 

 

<その11>
◆多くの「先進国」で、罰則をともなう外出禁止や都市封鎖が実施されている。こんな政策を推進している人たちも、知識としては先進諸国の国民経済に占めるサービス業の比率は65〜80パーセント、製造業はたかだか15〜30%で、サービス業の方がはるかに大きいことは知っているはずだ。
だが残念なことに、知っているからといって、わかっているとはかぎらない。サービス業の大部分は売り手と買い手が同じ時間に同じ場所にいて、初めて成立する商売だ。そういう商売をしている人たちに「対人接触を8割減らせ」とは何ごとかということである。

◆フォードはアメリカ人が公言する「自由」とか「平等」とかの理念を真に受けて車種はひとつだけ、色も黒1色、年式による車体変更なしで、できるだけ低価格の量産車を労働者階級にまで買わせようとした。だがGMは「大衆車も必要だが、高級車も中級車も不可欠だ。クルマは階級を識別するための標識なのだ」と知っていたのだ。
これによりフォードは首位企業になれなかったがGMは破綻したオンボロ車メーカーを次々に吸収して業界首位企業になった。

◆日本の製造業生産高は1995年のピーク1兆2000億ドルから2015年の約8000億ドルまでの20年間で、約4000億ドル、日本円にして44兆円ほど減少していた。


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  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020925日(金)

 

 

<その10>
◆規模の経済全盛期には、とにかくどんな業種でも首位になった企業の経営戦略は単純明快だった。他社でマネできないほどの巨額資金を調達して、最先端で最大規模の設備投資をすれば、業界首位を守りつづけながら、業容拡大、利益率向上ができていた。

◆アップルの主力商品iフォーンも6ぐらいまでは意味のある技術革新が盛り込まれていた。だが、だんだんヒレをつけたり外したり、ボンネットを丸くしたり、四角くしたりで自滅した自動車産業末期に近い、無意味なモデルチェンジが多くなってきた。さすがに昨今では、最先端の高額商品も2〜3年経てば、安く買えることが消費者に浸透して、じり貧化しつつある。

◆ゲイツは、高価格少量生産のターゲットである富裕層を取りこぼさずに、低価格大量生産のターゲットもきちんと掌握することができる商品は何かと、ずっと考えつづけてきたのだろう。そこで出会ったのがワクチンだった。


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  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020924日(木)

 

 

<その9>
◆国際的にも非常に評価の高いNGO「国境なき医師団」は2014年に児童ひとりに必要な免疫を施すのに必要な費用は、2001年に比べて68倍になったというショッキングなレポートを出している。

◆疫病はどんなに小さな物でも数え上げれば3〜4年に一度は起きつづけている。つまり、人間の体に埋めこんだマイクロチップの免疫履歴はひんぱんに更新しつづけなければならない。
製薬会社にとっては、尽きることのない需要の源泉となる。監視システム運用を受託した企業にも莫大な収益が上がりつづけるだろう。

◆ゲイツは「自分がだれかを証明することができるのは、基本的で普遍的な人権だ」と、この究極の監視社会を正当化している。どなた様に対してか知らないが「自分は決して怪しいものではございません。最新のワクチンもちゃんと投与していただいております」と言わなければ道も歩けない社会にすることの、いったいどこが「人権」なのか。


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  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020923日(水)

 

 

<その8>
◆どう考えても武漢ウイルス学研究所員の孤独な自爆テロ以外はリスクと利益のバランスが悪すぎる。やはりここでは米中が協調しながらもお互いに相手を出し抜こうと手柄争いをしているうちに、つい自分たちの扱っている材料の危険性への配慮がおろそかになって、ポロッと流出したというシナリオがいちばん説得力がありそうだ。

◆ほとんどの感染症の先進国での死亡率はワクチンが開発されるはるか以前に激減している。
つまり、感染症の犠牲者を減らすには何よりもまず栄養バランスの良い食事が取れる豊かさ、清潔な上下水道などの生活インフラの整備が重要で、それに比べればワクチン開発の貢献度はずっと低いのだ。

◆ワクチン開発によって貧しい国々の人たちの命を救うのは一番重要な貧困そのものの解消から目をそらす行為だという批判は昔からあった。またゲイツ財団のプロジェクトには、すでに実用に供されているワクチンがあるのに、改定版を出して既成商品から市場シェアを奪おうとするものも多い。そのうちでも、とくに悲惨な事態を抱いたのが2017年にゲイツ財団が関わった「ポリオ撲滅ワクチン」で、じつに49万人の子どもたちに非ポリオ性のマヒを起こしてしまった。


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  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020918日(金)

 

 

<その7>
◆コヴィット-19のアメリカ起源説には、有力な傍証もある。台湾の報道番組がウイルスを特定できる感染者の人数が世界中で数十人という時期に、詳細な系統樹分析によって、病原体の発生源を調査したのだ。その結論は、5つの変種と50以上の亜種があるうちで、5変種の原型がすべて揃っている国は、アメリカだけという。

◆2020年4月11日にはイギリスの大衆紙が武漢ウイルス学研究所による雲南省昆明でのコウモリ捕獲にはアメリカ政府から370万ドルの研究助成があったことを暴露している。

◆中国製だとすれば流出ケースの中で、最大の可能性があるのは、武漢ウイルス学研究所の研究員による自爆ならぬ自爆テロではないだろうか、研究スタッフ内に中国共産党一党独裁に深い憤激を抱き、自分から進んで危険なウイルスに被爆して感染者になる、つまり微生物戦争における自爆テロを敢行した人がいたのではないか。


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  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020917日(木)

 

 

<その6>
◆2019年10月武漢で第7回世界ミリタリー・ワールドゲームズが開催された。しかも7回目にして初めて、報道陣をシャットアウトした選手村が設営されている。中国政府高官の「コヴィッド-19はこの競技大会に参加したアメリカ兵士が感染源になった」という発言は、ほとんどの人が荒唐無稽な言いがかりと感じただろう。だが疫病学や感染症の研究者のあいだでは、オリンピック村が感染症勃発の大クラスターとなる危険性が高いことが以前から指摘されていた。

◆オリンピックは参加資格からアマチュアのみという条件を外して、完全にオープンで世界各国が最強の選手団を送りこむようになっている。ところが地球上でもっとも人気のある男子サッカーだけは、開催予定年の1月1日に23歳以下という条件によって、参加選手を縛りつづけている。各国のトップリーグでレギュラーを張っている選手たちの資産価値が高すぎて、感染症で死亡とか、1シーズンだけでも欠場となった場合の金銭的なリスクが大きすぎるからだ。


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  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020916日(水)

 

 

<その5>
◆風呂では体を洗い清める場所と体を温める場所を完全に分離するのは古代ローマ人と日本人のみが確立した習性である。

◆なんと言っても気がかりなのは、1956年という中国共産党による中国本土の統一からまだ間もない時期に創設されていた武漢ウイルス学研究所の動向だ。かなり大ざっぱな推計ながら100〜300万人の犠牲者を出したとされているアジア風邪の勃発とほぼ同時に設立されている。アジア風邪が西側諸国の微生物兵器によって引き起こされた可能性に危機感を覚えて、緊急課題として当時の中国共産党首脳部が設立した研究機関なのかもしれない。

◆イランイラク戦争を最後にほんものの戦争は消滅し、現在、ときおり勃発するのは、武力行使によって、いかに国際世論に自国の主張が妥当だと認めさせるかという「戦争もどき」でしかない。だからこそ通常兵器や核兵器をめぐる合従連衡でどう動こうとそれは見せかけに過ぎない。
ほんとうに起こりうる戦争としての諜報戦争や微生物戦争でこそ、各国政府の旗幟が鮮明になり、国民がそれに従うか否かもわかっている。


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  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020915日(火)

 

 

<その4>
◆アメリカでは貧困を原因とする死者が毎年約60万人も出るということは、その数倍の人たちがちょっとでも収入が途絶えれば、死の危険と隣り合わせの生活をしているということだ。
これが都市封鎖や外出禁止令といった強硬策で感染を封じ込めようとするのは、間違っているということの根拠である。

◆日常生活についての戒律を減らすという方針は、ローマカトリック教会を大勢力に育てたパウロの遠大な戦略にもとづくものである。

◆キリスト教を世界中のその他の大宗教と比べたとき、2つの大きな特徴が浮かび上がってくる。キリスト教はもっとも食料・飲料に対するタブーが少なく、事実上何を飲み食いしても大丈夫なので、生命維持に欠かせないカロリー補給についての制約がほとんどない。また信仰儀礼や食事の前後などに手洗い、口すすぎ、沐浴などの手続きを必要とする度合いも低い。


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  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020914日(月)

 

 

<その3>
◆アメリカの病院は1泊100ドル以上がザラという高い宿泊料金をとっても、ふつうの病院ベッドは儲けが少なすぎるということで、はるかに「客単価」の高い集中治療室のベッドばかり増設しているのだ。

◆都市封鎖とか外出禁止令を正当化する根拠として、「なるべく感染者の少ない状態で時間を稼いでおいて、ワクチンができたらそれを接種して日常生活を再開すればいい」と主張する人たちは多い。これは、残念ながら製薬業者のセールス・トークと考えたほうがいい。

◆感染症に対する最大の防御策は、みんなが自然免疫を強めるように健康的な生活をすることだ。その次に大事なのは、自覚症状がなかったり、軽微だったりする感染者をできるだけ早く増やすことによって集団としての免疫性を獲得することだ。


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  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020911日(金)

 

 

<その2>
◆今回の新型コロナウイルス騒動で長い経験を積んだ医師たちや疫学者、微生物学者の大半がほぼ同じことを言っている。「こんなに死亡した感染者の人数が少ない伝染病で、これほど世界各国が大騒ぎをするのは、初めての経験だ。おそらくインターネットやSNSの普及によって、きっかけさえあれば恐怖心をあおり立てて注目を浴びたいと考える人が増えたのが最大の原因だろう。」

◆第2次世界大戦直後の1946年に「ロビイング規制法」という名の贈収賄合法化法案がアメリカ連邦議会で可決されてしまった。それ以来、医学や公衆衛生分野に限ったことではないが、アメリカでは有力産業の大企業がロビイストを使って自分たちの都合のいい方向に政治家や官僚を動かして、もともと有利な地位をさらに強化することが日常茶飯事となっている。

◆アメリカでは製薬会社が麻薬同様に依存症リスクの高いオピオイド(麻薬もどき)という薬品を堂々と製造販売している。そのオピオイド中毒での年間死亡者は3.4万人にものぼる。


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  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020910日(木)

 

 

かなり読み応えのある本である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆重篤化する患者のほとんどが慢性疾患を持つ高齢者だということは、当初からわかっていた。だが先進国の中に、高齢で慢性疾患を持つ人たちを守りながら、それ以外の人たちはふつうの生活を続けるという政策を採用した国はほとんどなかった。

◆アメリカでは第2次世界大戦直後から、ロビイストを通して政治を動かし、自分たちに有利な法律・制度、政策を引出すという活動が高度に発達していた。だが今回の事件を調べていてわかったのはイギリス政府や国連傘下の世界保健機構(WHO)のような組織もアメリカ同様に世界の中で特定の利益集団に都合よく動くようになってしまったことだ。


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  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
202099日(水)

 

 

<その12>
◆固定資産税というのは本来は土地や建物の評価額に対して1.4%かかることになっています。しかし住宅用の狭い土地(200u以下)に関しては、固定資産税は6分の1でいいという規定があるのです。
ただし、これは巨大なマンションを棟ごと持っている人などにも適用されているのです。
この「6分の1規定」というのは、建物全体の広さではなく、一戸あたりの住宅面積が200u以下であればいいのです。

◆そもそも日本の家主というのは自民党の重要な支持基盤のため、こういったムチャクチャな特例税制が存在しているのです。

◆こういう激しい批判の本を出した場合、批判された側は得てして「枝葉の事実誤認」をひとつひとつピックアップして、それを理由に「この本はでたらめだ」という反論をします。が、大枠のことは絶対に間違っておりません。


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  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
202098日(火)

 

 

<その11>
◆実は雇用保険には非常に不可解な制度があります。それは「半年働けば3ヶ月分の給料がもらえる」という謎の制度です。これは実は農家や漁業を配慮したものなのです。農家などでは、農閑期だけ雇われ仕事をするという人はけっこういます。そういう人たちの中には、毎年「半年働いて3ヵ月雇用手当をもらう」という夢のような生活を続けている人も多いのです。
毎年同じ職場で半年だけ働いて、雇用保険を毎年もらう人もいるのです。これはもはや雇用保険とは言えませんよね。

◆イギリスでは生活保護を含めた低所得者の支援額はGDPの4%程度です。フランス、ドイツも2%程度ありますが、日本では0.4%程度なのです。
しかしイギリス、フランス、ドイツなどの先進国では要保護世帯の70〜80%がなんらかの所得支援を受けているとされています。


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  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
202097日(月)

 

 

<その10>
◆日本経済が今しなければならないことは、明白なのです。それは東京オリンピックの開催でも観光立国の推進でもありません。
サラリーマンの賃上げです。
この20年間欧米並みに賃金が上げられていれば少なくとも今より50%は給料が高かったはずです。今より給料が50%上がれば、ほとんどのサラリーマンはかなり豊かな金持ちの気分を味わえるはずです。景気は間違いなく良くなるでしょう。

◆なぜ農家が優遇されてきたかというと農村は人口に比べて国会議員の議席数が多く配分されているからです。しかも農家は集団行動をとることが多いので、農家の団体を味方に付ければ大きな票田になるのです。

◆日本の雇用保険は、本当に困ったときには役に立たないのです。たとえば、20年勤務した40代のサラリーマンが会社の倒産などで失職した場合、雇用保険がもらえる期間というのは、わずか1年足らずなのです。


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  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
202094日(金)

 

 

<その9>
◆また昨今、高額の報酬をもらう大企業の役員が急増しています。
国税庁が公表している源泉徴収事績によると、年収5000万円以上のサラリーマンは、1990年代には6,000人台に過ぎなかったのが現在は2万人を超えています。

◆このTOPというのは、オリンピックのスポンサーの中でも最高のランクであり、1事業につき1社しかなれないことになっています。
だから世界の自動車メーカーでTOPになっているのはトヨタだけであり、世界の家電メーカーでTOPになっているのはパナソニックだけなのです。
日本の大企業は世界中で外貨を稼ぎ、莫大な利益を上げておきながら日本国内での賃金をケチったために東京オリンピックや観光業に頼らざるをえなかったわけです。


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  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
202093日(木)

 

 

<その8>
◆労働者派遣法の改正が非正規雇用を増やしたことはデータにもはっきり出ています。
90年代半ばまでは20%程度だった非正規雇用の割合が98年で急激に上昇し、現在では35%を越えています。

◆日本では時価総額10位以内に創業30年以内の新興企業は1社もありません。アメリカではグーグル、フェイスブック、アマゾンと3社もあるのにです。これは経団連が日本経済全体を牛耳り、新しい企業が育ちにくくなっていることが要因の一つなのです。

◆日本の上場企業の配当金は2009年からわずか9年間で2倍以上になっているのです。
経団連の役員たちというのはほとんどが自社の大口株主を兼ねています。だからこの20年〜30年で大幅に収入が上がっているのです。


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  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
202092日(水)

 

 

<その7>
◆キャリア官僚というのは、国家公務員全体で1%ちょっとしかいません。キャリア官僚は、本省勤務、海外留学、地方勤務、他省庁への出向などを経てほぼ全員が本省課長クラスまでは、横並びで出世します。
ノンキャリアはどんなに頑張っても定年までに課長補佐になれるかどうかというところにもかかわらずです。

◆キャリア官僚というのは、その報酬自体はそれほど高いものではありません。最高のポストである事務次官でも年収3000万円程度です。開業医の平均年収と同じくらいです。

◆キャリア官僚の場合はやめてからがスゴイのです。退職した後さまざまな企業や団体の顧問になります。その顧問が桁外れなのです。10年足らずで10億円近く稼ぐ人もいるのです。


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  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
202091日(火)

 

 

<その6>
◆公共事業が盛んに行われていた地域というのは、どこも人口流出が止められずに衰退しているのです
公共事業の受注は政治家にコネがあるものや地域の有力者を中心に行われます。その地域全体が潤うのではなく、特定のものが繰り返し潤うというものです。だから公共事業費は景気を刺激するものでもなければ、大きな雇用を生み出すものでもないのです。

◆1990年代から2000年代にかけて、日本はGDPの5〜6%もの公共事業を行っていました。それは防衛費の4〜5倍という巨額なものです。
先進諸国の公共事業の平均が2%程度なので、日本は先進諸国の2〜3倍の公共事業を行っていたのです。

◆日本の財政というのは、1990年代初頭までは非常に安定していたのです。財政赤字はバブル崩壊以降に急増し、1991年から10年で600兆円に増えていることがわかります。その赤字の原因は、公共事業の濫発です。


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  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
2020831日(月)

 

 

<その5>
◆安倍内閣の歳出増が項目で特に目立つのは、道路整備事業費、湾岸空港鉄道整備事業費、農林水産基盤整備事業費などです。
これらが関係する業界は昔から自民党の重要な支持基盤だということです

◆安倍首相の再就任以降、山口県の予算は急増し、広島県の予算は急減するのです。2014年以降は、人口が半分以下の山口県の方が広島県よりも公共事業費の総額で上回っています。
県民1人あたりにおいて山口県は広島県の2倍以上となっており、2016年にはなんと7倍以上になっているのです。

◆公共事業を受注する建設業者は政治家を強力に支持する母体になっています。彼らは支持者を集めるだけではなく、政治資金も提供するのです。


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  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
2020828日(金)

 

 

<その4>
◆あまり知られていませんが、安倍内閣になってから、日本の予算の「予備費」が大幅に削られています。
「予備費」というのは国に何か起こったときのために、自由に使えるお金のことです。

◆感染の疑いのある人全員に検査ができなかったのも、営業自粛者に満足な補償を出せないのも、せんじ詰めれば、お金(予備費)がなかったからなのです。

◆安倍内閣の予備費が少ないのは、自民党の支持者回りに巨額の予算をばら撒いたからです。

◆安倍内閣になってから予備費が1兆円〜2兆円減っています。もともと2兆円から3兆円しかない予備費を1兆円以上も削るのですから「そりゃあ、何か起こったときには、対応できないだろう」ということです。

◆日本政府は100兆円の規模をもっているのですが、その予算の使い道は族議員等によってガチガチに支配されているので、いざというときに出せるお金がないのです。


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  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
2020827日(木)

 

 

<その3>
◆最近ではほとんどの国公立病院では原則として「かかりつけ医の紹介状なしでは受診できない」 「もし紹介状なしで受診する場合は初診料が5000円程度上乗せされる」という制度があります。
とにもかくにも、日本の医療システムというのは、開業医の利権を守るように作られているのです。

◆日本の医学部の学生の約30%は親が医師なのです。医者に占める開業医の割合がだいたい30%なので、それとリンクしています。

◆現在、日本では、開業医は10万件程度ありますが年間に増える開業医は500件程度です。
つまり、0.5%しか増えないのです。


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  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
2020826日(水)

 

 

<その2>
◆生活保護に使われている予算の約半分は医療補助費=医療費です。つまり、生活保護受給者は医療費が無料なのです。
生活保護者への医療費を含めれば、やはり年金よりも医療費の方が多くなるのです。

◆日本の場合は、開業医の数が異常に多く、全体の3割にも達するのです。また病院の9割は民間病院であり、その大半が開業医なのです。

◆同じ診療報酬でも、公立病院などの報酬と民間病院(開業医)の報酬では額が違うのです。同じ治療をしても、民間病院のほうが多くの社会保険報酬が得られるようになっているのです。


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  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
2020825日(火)

 

 

それにしても、ビジネス社は最近、特に良い本の出版が目立つ。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。
<その1>
◆日本は病床数(入院患者のベッド数)は先進国の中で抜きに出て多いのですが、集中治療室は先進国最低レベルで少ないのです。

◆また、日本は病院の数は異常に多いのですが、医者の数は異常に少ないのです。

◆それ由に新型コロナなどの重症患者が大量に出たら、対応しきれないのです。

◆国の予算の中で、一番大きいのは社会保障関連費ということになっています。2019年度の予算では31兆6,000億円です。
社会保障関連の中でも大きいのが医療費と年金ですが(長い間、医療費がもっとも大きかった)、今はほぼ同額になっています。


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  内田樹編「街場の日韓論」(晶文社)
2020824日(月)

 

 

<その8>
◆かつての植民地支配が違法だったか合法だったかというのは、まさに国際法に関する判断です。日韓関係はその一部に過ぎません。植民地支配の大先輩である欧米がこのような現状のまま、日本だけが(とりわけ安倍政権には)先行して違法性を認めることは容易ではありません。植民地支配の違法性を認めさせるには、世界を相手にした闘いが必要になっているのです。

◆ある地域を植民地にするという行為は誤解を怖れずにいえば、それだけでは、誰も傷つけることはありません。もちろんその過程で殺りくや強奪が行なわれば、その行為を「犯罪」とすることは可能であり、だからこそ奴隷制も「犯罪」とみなされているわけですが、植民地支配そのものはあくまでも国家の政策であり、刑法の対象となるものではないと捉えられてきたのです。

◆植民地支配は違法であるという主張において、大事なことの1つは、旧植民地諸国の結束でしょう。現在アフリカ諸国は、ダーバン会議でヨーロッパに挑み、アジア諸国だけが日本に対して挑んでいますが、バラバラでは勝ち目はありません。他のアジア諸国も含め旧植民地諸国の一致点をどうつくりあげ、欧米国に勝負をかけていくのかが問われます。


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  内田樹編「街場の日韓論」(晶文社)
2020821日(金)

 

 

<その7>
◆日本の植民地支配が違法かどうかは、これまで議論にはなってきたのです。しかし、それを違法とする韓国と合法とする日本の間で決着することなく、あいまいなまま残されてきました。そのため、その問題を脇に置いたまま、あくまで財産上の問題にけりをつけたのが請求権協定だったのです。

◆この問題に関心を持つ人にとって植民地支配の違法性は自明であり議論するまでもないことかもしれません。しかし、日本が植民地支配をした韓国でいろいろ非道なふるまいをしたということと、その植民地支配そのものが違法だったかどうかということは、おのずから異なる問題です。だからこそ、65年徴用工の請求権には応えるが(非道なふるまいに対する保障)、植民地支配の違法性は認めないという決着が可能になったのです。


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  内田樹編「街場の日韓論」(晶文社)
2020820日(木)

 

 

<その6>
◆大日本帝国時代に日本政府や日本軍人が朝鮮半島でどんなことをしたのか、知っていれば、慰安婦問題も徴用工問題も「問題の根源は日本側の都合」であったことがわかる。
しかし、過去の歴史を知らなければ、慰安婦問題も徴用工問題も「韓国人の勝手な言いがかり」にしか見えないだろう。

◆歴史の無知、とりわけ自国の負の歴史に関する無知は、国や社会の針路を大きく狂わせることも少なくない。そして、過去の歴史において何らかの「加害」と「被害」を生じさせた複数の国がその事実認識に成功している事例が今のヨーロッパには存在している。

◆韓国大法院判決の中味は日韓請求権協定が規定した個人の請求権はすでに満たされたけれど、請求権協定では規定されていない別の種類の個人の請求権が存在しているというものです。それが「違法な植民地支配」と結びついた請求権という新しい考え方です。


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  内田樹編「街場の日韓論」(晶文社)
2020818日(火)

 

 

<その5>
◆李さんは「いつかベトナムにも行ってみたい。でも、行けないかも・・・・。」と言い、表情を曇らせた。なんで?と訊くと「だって、韓国は昔ベトナム戦争で現地の人たちにひどいことをしたから」という。

◆韓国映画「ホワイト・バッジ」を初めて観た時には、意味がよくわからなかった「社会派・監督」ならではの政治表現も韓国の現代史を知った上で改めて観るとその意図を理解できる。

◆そして何よりも重要だと思うのは、韓国軍兵士がベトナム戦争中に行った市民の虐殺といい「自国の負の歴史」を生々しく描いた映画が1973年の韓国軍撤退から20年も経たないうちに公開され、韓国国内でもいくつかの映画賞を受賞した事実である。

◆大日本帝国統治時代に日本が朝鮮でどんなことをしたのかを学べる重要な博物館がすべてガイドブックの地図上から消されている。私はこの事実を見てそれが「知らせる努力しない」に留まらず、「知らせない努力をする」域に入っていると感じた。


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  内田樹編「街場の日韓論」(晶文社)
2020818日(火)

 

 

<その4>
◆日韓両国間でいくら請求権の問題が解決されたとしても被害に遭った個人が請求権を消滅させることはないということは政府が国会答弁で公式に繰り返し答弁しています。さらに現在の国際人権法の考え方は「個人の損害賠償権を国家間の協定や条約によって消滅させることはできない」のです。これは、人権法の常識で日本も批准しています。

◆東アジア共同体の創設は、必ずしも直ちに日韓関係の諸懸案の解決を意味するわけではありませんが、解決する舞台の誕生は現在のような日韓関係の泥沼化を回避する最良の手段となることは間違いありません。遅くとも次世代を担う若者たちの時代にこの夢が現実となることを期待しています。

◆その原因は何かと探ると単に一人一人の日本人が「知ろうとしない」という個人的な努力不足だけでなく、政治史を含む韓国や朝鮮の歴史を日本人に「知らせない」あるいは「知らないように隠す」努力が一部でなされているという、不可解な光景がいくつも目に入る。


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  内田樹編「街場の日韓論」(晶文社)
2020817日(月)

 

 

<その3>
◆もともと韓国語は日本語と文法構造が極めて近く、中国語由来の多くの単語を共有しており、日本人には学びやすい言葉です。

◆素人が口を出すことで議論が活性化する分野もあれば、そうでない分野もある。日韓関係をめぐる議論はおそらく後者だ。

◆私の理解する「無限責任論」をご紹介します。日本は第二次世界大戦において敗れた国です。日本は朝鮮半島などを植民地としていましたし、また、中国などに侵略行為を行い、その間多くの一般の方々に多大な苦痛を与えてしまいました。
したがって、日本は苦痛を与えた相手の人々に対して、相手がもうこれ以上謝らなくてもいいよと理解してくださるまで、謝罪する気持ちをもち続けていなければならないということです。戦争に敗けたということはそういうことなのでしょう。


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  内田樹編「街場の日韓論」(晶文社)
2020812日(水)

 

 

<その2>
◆演劇が学べる公立大学の設立は日本演劇界の悲願だった。翻って見れば、これは極めて異例であり恥ずかしいことだ。世界の多くの国には国立大学に演劇学部があり国立の演劇学校もある。

◆韓国には、映画・演劇学部のある大学が国公私併せて百近くある。人口比で言えば、日本の20倍。
この層の深さが韓流ドラマや韓国映画の隆盛を支えている。

◆そもそも韓国には、文化観光体育部という独立した省庁があり、巨大な予算を持っている。その数字、GNP比で日本の約10倍と言われており、近年、ついにフランスを抜いて予算面だけみると、彼の国は世界一の文化大国となった。

◆北朝鮮が「危険な無法者」から「普通の国」になれないのは、彼らから見れば、米韓日の圧倒的な軍事力によって包囲された状態にあるからである。


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  内田樹編「街場の日韓論」(晶文社)
2020811日(火)

 

 

本書は、内田氏が選んだ論客が日韓問題の解決のための知恵を出しているというものである。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆仮に私が思想犯として、懲役15年の判決を聞いた時に、それを冷静に受け止めることができるだろうか。
獄中の生活を学びに捧げることができるだろうか。
出獄後も朴先生のように背筋をまっすぐ伸ばして、笑顔で生きることができるかどうか。今の私には答えることができない。だから、朴先生に対しては、ただ真率な敬意を抱くしかないのである。

◆私は深く考えずに「古い町並みが見たいです。」と答えた。金さんは悲しげに首を振って、それはお見せできませんと答えた。すべて朝鮮戦争で焼失してしまったのです、と。


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  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
2020619日(金)

 

 

<その9>
◆小泉さんは誰のことも信頼しないんですよ。誰と酒を飲んでいても一定の距離がある。だから心を開いて気持ちよく酒を飲むというよりも、どこか冷静でいる。

◆新潟の豪雪の如く積み上がった田中票は金権批判で禄を食む東京の言論人が槍玉に挙げたがった土建屋中心の利益集団が入れたという側面だけでは計算が合わない。雪の中に埋まり、雪との闘いの末に実らせたコメで命をつなぎ、嫁不足、出稼ぎさらに高い自殺率に苦しむ山村地帯の人々が塀の向こう側に堕ちた田中に対して圧倒的な支持を与えたのだ。

◆私は志位さんにも「もっと外交を語れ」と言っているんだ。こうして自民党との対立軸を作る。原発問題・憲法問題なんていうのは、小さな話だ。

◆中村喜四郎がここまで選挙にこだわるのは、民の力で権力の横暴を食い止めたいと願っているからだ。中選挙区制から小選挙区制に移行した1993年と96年を比べると、、投票率がおよそ18%も減ったという。中村はその数字が1,800万人に当たることを私に訴え、その全員を再び投票所に足を運ばせるためにはこれから選挙改革を成し遂げるのだと、決意を熱く語った。
だが一方で中村自身はどんな国家をつくり上げたいのか ――最後の謎はわかったようでわからない結論にしかならなかった。


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  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
2020618日(木)

 

 

<その8>
◆若い時からの権力闘争で培われた政局勘は事件後にも生きた。
そう中村は私に強調する。
「ひとつひとつの風を読み間違えていたら、あっという間に政界から消されていましたよ。場面、場面でどう動くかというのを押さえて動けた。だから、地獄から這い上がってこられた」

◆「壊し屋」と呼ばれた小沢の政治手法に失望し、二大政党制という幻想から目覚めた人々は、消去法で安倍一強政治を抱きしめた。

◆私も数々の政治一家の内幕をそれなりに覗いてきたが、恐妻、悪妻、鬼嫁の物語はそこらじゅうに転がっている。ただし、妻の姿がないにもかかわらず、無敗神話を打ち立てられた政治家は中村喜四郎と小泉純一郎の2人くらいしか知らない。

◆立憲民主党や国民民主党の人とよく飯を食って話を聞くようになると、政治のことも、国民のこともよくわかっていないという感じです。自分たちがやっていることは正しいことだと思っているのに、いっこうに結果が出ない。どうして結果がでないのかわかっていない。最初にスタートする前に考えるべきことを考えていないのだ。


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  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
2020617日(水)

 

 

<その7>
◆検察側は一週間ごとに担当を代えた。「完黙しようなんてみっともない。オマエなんか国会議員じゃない!左翼の過激だ!」このように唾を飛ばして怒鳴りあげる人もいれば、次の週には「センセイのような立派なお方が―――」と白々しく持ち上げる人も来る。

◆なぜ、中村は140日間にわたる前人未到の完全黙秘を達成できたのか。
精神科医である兄の吉伸は中村が逮捕される前、いかなる限界状況に置かれても、心の乱れを防ぐことができる瞑想法を伝授していた。
心の中で一から百まで数え、呼吸を整える。「目を閉じると眠くなるから半眼にするんだ」とまで細かくアドバイスした。

◆玄人から見れば完全黙秘は裁判戦略上不利になる。しかし、素人は「中村はスゴイ」と喝采を浴びせる。刑事裁判の常識をあえて覆したおかげで裁判には負けたけど中村の政治生命はもったんです。


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  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
2020616日(火)

 

 

<その6>
◆「勉強会」と「財界」を巧みに活用することで中央政界に札束を回していく小沢流の錬金術がそれまで田舎の選挙区を熱心に駆け回ることだけが取り柄だった若きプリンスの感覚を狂わせていった。
金丸の次男で当時、秘書を務めていた金丸信吾の証言は以下のようである。
『あの時オヤジはね、「喜四郎には職務権限はないじゃないか。あれで喜四郎が捕まるんであれば、本当は宮沢が捕まるべきなんだ」と言っていましたよ。宮沢は総理ですよ。あれは日米構造協議というものが背景にあって内需拡大っちゅうものがあったんだよ。その一環としてつかまっているんだから。

◆私たちの周りには事件と同じようなケースがいくつもある。ワイロと政治献金は確かに法律的には区別できるが、カネ自体の効果は同じだ。カネのかからない政治を真剣に考えないと、私たちだって、いつ事件に巻きこまれるかわからない。


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  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
2020615日(月)

 

 

<その5>
◆マスコミは中村のことを何でもかんでも「角栄仕込み」という形容詞をかぶせて説明しようとするが、握り拳を振りかざしながら、特徴のあるダミ声を轟かせ、肉感的なフレーズを投げかける田中流とは大きく異なる。むしろ古舘伊知郎のマシンガン実況に似ている。

◆あの時代は昼間から麻雀をして、政治家どうし気脈を通じ合ったんですね。小沢さんを始め、経世会が贔だった料亭「永田町満ん賀ん」(1998年6月に閉店)を使うことが多かったでしょうか。

◆そもそも、中村はなぜお金が必要だったのか。それは野中広務が言う「総理になるはずの男」と周りから目されるようになったからである。金丸はゼネコンの幹部たちに「中村は大きくなる。中村のところにカネを持っていけ」と促したという。


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  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
2020612日(金)

 

 

<その4>
◆言葉で訴えただけではダメ。態度で攻めるしかない。堂々とするしかないんですよ。事件で疑われて刑務所まで行っちゃったんだから何を言ってもダメ。あとは矢でも鉄砲でも持ってこいと言う気持ちで前に行くしかない。「あの人、あそこまで言っているんだから、本当は無実なんだろうな」と思ってもらえるためには、最後までバッヂを失ってはならない。

◆中村が支援者に向けて行っている日常活動のもう一つの柱は、国政報告会だ。喜友会の場合「国会見学」と「旅行会」という形で一回当たり50人〜100人規模、それぞれ月1、2度ほどで行うことを恒例としている。

◆私のことを面白おかしく「日本で一番選挙に強い男」と呼ぶ人たちがいるけど70歳を越えて1日12時間オートバイに乗れますか。・・・・こんどは落ちる。次は落ちる、と思ってヨレヨレになってやっているんだよ。


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  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
2020611日(木)

 

 

<その3>
◆みんな間違っているんですよ。国会質問をしました。誰と会いました。この仕事をやりましたと言うことが政治家の仕事だと思っている。違いますよ。政治家の原点は選挙運動ですよ。プラスアルファ―の時間で国会で仕事する。

◆私は20年間、つまり、あの事件以来、政治献金もゼロで通していますからね。今まで40年間も議員やって一回も金集めの「励ます会」はやったことがない。

◆常勝の秘訣は中村自身の戸別訪問を通して契りを交わした個人を母体とする後援会、その活動だけに凝縮されている。
ではいったい何をしているのか。
たった二つしかない。地域回りと活動報告――以上だ。
誰でもやっていること。それを徹底してやるのが無敗の秘訣なのだという。


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  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
2020610日(水)

 

 

<その2>
◆世界中で飲まれているコーラのレシピは「企業秘密」で社内でも数人しか把握していないと言われている。流出を恐れるがゆえに、特許さえも申請していない。

◆その日に見聞きしたことはその日のうちに中村に報告を上げることも決まりになっている。それも口頭で伝言。秘書1人当たり1時間。つまり中村は1日に5時間近くも秘書たちの報告に耳を傾けるというわけだ。

◆私は「建設会社は来るな!」と言っていた。ああいう人が来ると票が逃げちゃうから。選挙の時に業者に頼るようになったらおしまいですよ。オレは絶対に業者に頼まない。むしろ業者を排除してそれ以外の人たちで勝てんだというのが私のポリシーだったから。

◆私は絶対に自分の実績を言わない。それを言っちゃおしまい。「この仕事は私が手掛けた」と言い始めたら中村喜四郎は終わりですよ。


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  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
202069日(火)

 

 

本書はゼネコン汚職で逮捕されるが「完全黙秘」をつらぬいた政治家のはなしである。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆逮捕前、中村は検察による任意の事情聴取を拒否し続けた。自ら検察庁に出頭し、逮捕されてからは完全黙秘を貫き、並み居るエリート検察官たちを相手に先述調書を一通も作らせなかった。140日間の拘留中自分の名前さえ喋らなかったという逸話は、令和の政界においても語り草になっている。

◆永田町にはさまざまな政治家が現れては消えていくが、戦後、刑務所でのお勤めから戻って議場に返り咲いた衆院議員は中村喜四郎ただ一人である。

◆ピラミッド型だと一番上の人が死んだり、辞めたりしたら、一瞬で組織が崩れちゃう。一番上の人の気が変わっただけで、大人数が相手陣営にひっくり返っちゃう。
ちょっとしたことで、いろんなことが変わってしまって、後援会が機能しなくなってしまう。


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  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020525日(月)

 

 

<その11>
◆妹の勝子は法廷で「姉は勝気な性格でありますから自殺するようなことはなかろうと思いました」と証言しているが、一見勝気そうに見える人間が内面的な強さを持っているとはかぎらない。勝気ゆえに、ひとたび誇り高い心に傷を負えば、いやしがたいほど挫折感もより深いともいえるのである。

◆弾圧のすさまじい嵐の中で非合法の運動を守りぬくことの困難さ。身の危険をおかして組織を守ろうとした人々の勇気と崇高さ。それを十分に理解したうえでなお、私は熊沢光子が担ったようなハウスキーパーの存在、その働かされかたに、強い不満とこだわりをもたずにはいられない。彼女の悲劇は現代にはまったく縁のないことであろうか。残念ながら、否かである。


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  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020522日(金)

 

 

<その10>
◆唯一人、獄舎でくびれて果てた24才の光子と。妻子にかこまれ、ビルを建て勲章をもらって82才を生き続ける大泉兼蔵と。どちらが清澄な時間を所有したのか。どちらが絶せざる心のわずらいをごまかして生きたか。単純には比較できぬ。しかし、大きく距たった生きかたであったことは明らかだ。ほんのわずかな交点を除いては。皮肉な悲運の交点。

◆身におぼえのないスパイ容疑でこれほどのリンチを受けながら、波多氏は、その後も共産党内にとどまる。それはどのようなことがあっても労働者階級の開放のために生涯をささげるという決意で入党したのだから云々という気持ちであったと「気品と真実」のなかで述べている。しかし戦後、党内のありかたを批判して離党されたようだ。

◆叙勲について話している時は、穏やかな表情で大物らしく構えていたが、熊沢光子の名前を出すとさっと顔色が変わったという。あれはすべて共産党がしくんだことだ。一切自分には関係ない。墓参りなどもちろんする気はない。


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  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020521日(木)

 

 

<その9>
◆光子を「一番かわいそう」といたむ気持ちがあるのなら、事件の真実を語り、彼自身が大いに関与した彼女の悲劇的な人生を世にあきらかにしないでおいていいのだろうか。「かわいそうなことをした」という言葉の中には自分が同志を売るスパイになったために彼女を死に追いやるはめになったという自責の念は含まれているのかいないのか。自分のハウスキーパーになりさえしなければ、査問も受けず悲惨な最期をとげずともすんだであろうに、という慙愧にたえぬ思いはあるのか無いのか。

◆昔、農民運動にとびこみやがて入党し、特高警察の協力者となった男、リンチ事件で九死に一生を得て生きのび、80余年を生きつづけて、最近お上から勲章までもらったあの大泉ですよ。


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  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020520日(水)

 

 

<その8>
◆スパイ大泉は服役中に終戦をむかえ、昭和20年8月24日に出所する。出所後が建具商をはじめ商才があったためか成功をおさめたようだ。
昭和47年現在、東京建具商業協同組合の理事長に就任している。

◆大泉はマスコミの目をのがれるように生きてきたが、昭和47年5月号の「全貌」という右翼雑誌に登場している。齢はすでに70歳。
あれほど自分は警察の忠実な協力者だったと主張した男が戦後27年たつと、ひとこともスパイであったといわないのだから不思議である。
アカ狩の嵐吹きすさぶ困難な時代に共産党幹部を経験した筋金入りのポーズで、終始、当時の自分を飾って語っている。警察に協力して同志を売ったことなど一言も出てこない。
リンチ事件についても、懐かしい昔話でも語るように、軽やかに述べられている。


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  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020519日(火)

 

 

<その7>
◆青年大泉兼蔵は最初は若者らしく正義感に押されて運動に惹かれていったと思われる。
しかし、特高の巧みな誘いに一度のってみると、農業のように労多く現金収入の少ない仕事とまるでちがって容易に金になるので、彼の中にあった正義感がもろくも崩れてしまったのではないか。

◆田舎者まるだしの大泉のために着るものから人との応対のしかたまで教えてくれた埴谷雄高氏の服役中に、その夫人に対して、自分のハウスキーパーになれということができるとは、並の神経ではない。

◆権力に抗することが、とても困難な時代に党員であるというだけで相手が人間的に特別すぐれた人であるかのように思い込んでしまう心情は私にも理解できる。

◆党員でありながらすすんで寝返ってきた大泉を欺き見殺しにするぐらいは権力にとってはなんでもないことであったろう。国家権力はそれを守るためにはどのような悪も平然となすことに思いいたらなかった大泉は、小悪党といえようか。


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  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020518日(月)

 

 

<その6>
◆その正夫氏との面会が健康状態が悪化のため、かなわぬので、光子のすぐ上の姉、光子、勝子の下にさらに数人いる妹達の名を調べ、連絡をとってみた。
が、この人達からは「今後いっさい電話も手紙もしてくれるな」という拒絶の言葉がもたらされただけであった。治安維持法が猛威をふるっていた時代に姉妹たちが世間から受けた圧迫や傷の深さがあらためてわかったような気がした。

◆大泉兼蔵の予審訊問調書をよむたびに、私はうそ臭さと憤りを感じるとともに、奇妙な笑いも誘われる。あと味の悪い笑いであるが。彼の様にほんとうにスパイだった、信じてくれと司法の場でいい張りつづけた男も珍しいであろう。

◆大泉が特高刑事の誘いに簡単に応じてしまったらしいのは、彼の物欲に弱い体質や信念の無さ、思想的に十分武装していなかったことも原因の1つであろうが、他に彼がかかえる多くの弟達の生活やすでに結婚し妻と3人の幼い子をやしなわなければならなかった彼の立場も無関係ではないと思われる。


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  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020515日(金)

 

 

<その5>
◆光子の遺骨は両親がひきとりにゆきました。遺書は半紙に墨できれいな文字で書いてありました。運動に関したことや、思想的なことは何も書いていませんでした。結びの言葉は私達の息子のM男についてでした。
「可愛いM男ちゃんによろしく」と。
その遺書もだいじにしまってありましたがM男が結婚する時に、嫁の実家の者達の気持ちをおもんばかって処分しました。

◆十代の娘らしい正義感で社会悪を憎みブルジョア階級の欺瞞に憤った光子がやがて、いちずに貧しいものが救われる社会を求めて行動に移っていった道すじが想像される。目を開かせその心に灯をともした当の人間は、学問の世界へと身を置き、嵐をよけて静かな退官後の生活へとはるかに歩んでこられたのだろう。


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  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020514日(木)

 

 

<その4>
◆高等科の主任の先生がうちに尋ねてみえまして、熊沢さんのことをあれはアカだからなにをいってきても、とりあわぬようにと注意してゆかれました。でもくまさんは気だては優しいかたでしたよ。どういうきっかけで運動に誘い込まれたんでしょうねぇ。

◆変わった姿だなと、思ったから憶えています。私たち、高等科では地味に地味にと教えられていましたから。ええ、生き方も私達とはちがっていたんでしょう。親のいうとおり花嫁修業をする私達を軽蔑しているような様子がみえましたから。

◆光子さんは頭もよかったし、人間もしっかりしてましたわね。でも、勝子さんのほうはあれ、一種のファッションではなかったかしら。左翼ばかりでしたからね。あの当時はねぇ。

◆光子の事件がおこった時、新聞にでかでかと書きたてられ、父はたいへんな迷惑をこうむったと憤慨していました。ほかに書くことはないのか。と思うぐらい連日、あの事件ばかりが報道されましたから。母親は「でも光子は破廉恥罪でつかまったわけではない」とずっと顔をあげつづけておりました。すこぶる気の強い人でしたから。


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  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020513日(水)

 

 

<その3>
◆仕事を続けたい。自分の働きで自分を養いたい。その希いも私の場合は、家事育児との両立が難しくて諦めねばならなかった。熊沢光子が親きょうだいとの肉親の絆を断ち、最高は死刑である治安維持法触れるのを承知のうえで運動にとびこみ、その中で挫折した事実の重さを現代に生きる私のささやかな挫折は質もちがうし、比較しようもない。しかし、私自身女であるがゆえに感じてきたさまざまな息苦しさ、生き難い思いを持っているがこそ、運動のさなか無残な死をとげた彼女を忘れることができないのだった。

◆あの時代はねぇ、不況でとても困っている人が多かったんですよ。農民は凶作で娘を売る話は珍しくないような、今からは考えられないひどい状態でしたからね。熊沢さんだけではなく、沢山の良家の子女が運動に入っていった時代でしたよ。正義感からでしょうな。光子さんも最後もあんなことになってしまって・・・・驚いています。


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  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020512日(火)

 

 

<その2>
◆「共産党スパイリンチ事件」とは、昭和8年12月下旬から昭和9年1月中旬までにおこった当時の非合法・日本共産党のスパイ容疑者2名を党員らが査問中におこった事件のことである。当時、党の中央委員だったスパイ容疑者小畑達夫と大泉兼蔵の2人をアジトにて査問中に小畑が急死した。その死をめぐって、いまだやかましく論議がされているが、平野謙氏は、そのことよりもスパイとされた小畑達夫と大泉兼蔵との関わり、大泉のハウスキーパーだった熊沢光子と大泉との関わり、大泉自身の性格について関心があるのだと書いている。

◆光子を死にいたらしめたものの中に、女であるが故の抑圧・差別があったのではないか。人間解放をめざす運動の中でさえも女は不当に扱われて来たのか。そして、それは、遠い過去のことではなく、今もなお残存しているのではないか。


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  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020511日(月)

 

 

この本の帯には「非合法時代、日本共産党のハウスキーパーについて、これほど生身の報告があったろうか。文字どおりこの小説は「同志」である特高のスパイと同棲した熊沢光子の不条理な残酷さを提示している。」と井上宏晴の言葉が書かれている。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆私が熊沢光子の名を意識したのは、昭和52年の「文学界」4月号に発表された「あるスパイの調書」と題する平野謙氏の文章においてである。それ以前にも日本共産党のスパイ大泉兼蔵のハウスキーパーだった女性が獄死したこと、名古屋出身であったことなどを話にきいてはいたが、はっきりと意識に刻み込むようにその人のことに心惹かれたのは平野氏の文章の力によることが大きい。


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  副島隆彦「全体主義の中国がアメリカを打ち倒す」(ビジネス社)
202048日(水)

 

 

<その6>
◆中国は「改革・開放」が始まった。1979年からの30年間は平均で10%の成長を続けた。驚異的な成長である。このあと徐々に落ちてきた。
中国に比べて、米・欧・日の先進国はマイナス成長でゼロを割っている。それなのに無理やり「1.2%のプラス成長」とかウソの発表を続けている。

◆毎年40兆円もアメリカは中国から輸入超過である。対世界全体では、年間80兆円の貿易赤字だ。この赤字が溜まりに溜まって2,000兆円ぐらいになっている。


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  副島隆彦「全体主義の中国がアメリカを打ち倒す」(ビジネス社)
202047日(火)

 

 

<その5>
◆国営企業は世界的傾向として、特許申請しないで秘密のまま保持する。盗まれて真似されることを恐れる。とくに軍事用技術はそうだ。しかし後発国の中国はそんなことは言ってられなかった。ファーウェイ以下どんどん特許申請する。秘密を抱えている組織はかえって弱い。

◆韓国は中国と組む。というより中国に従う。中国の下で生きていく。ユーラシア大陸の方へ商機を広げる。アメリカから静かに離れていく。韓国人全体がそのように覚悟を決めたのだ。いまの文在寅体制のことを日本とアメリカはヒドク嫌っている。この本当の理由がこれだったのだ。

◆アメリカは自分の国を守る戦争しかしない。アメリカが軍隊を出すのは隣のメキシコとカナダまでだ。もうそれ以上は出さない。


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  副島隆彦「全体主義の中国がアメリカを打ち倒す」(ビジネス社)
202046日(月)

 

 

<その4>
◆信用機能が間に立ちさえすれば、お金の貸し借りはスムーズに進む。これをたかがネット通販屋のアリババとSNSの仲間うちからのおしゃべりサイト運営会社が大きくなったテンセントがやってしまった。焦げ付きは0.5%だけだそうだ。なぜなら全国民が顔認証されているので逃げられないからだ。

◆このように米中のITハイテク戦争は金融戦争に姿をどんどん変えつつある。ソフトバンクの孫正義氏はアリババ株の26%をもっているから14兆円分を保有している。これが孫の本当の実体のある富の源泉である。これを担保に差し出してみずほ銀行から17兆円の融資を受けているという。

◆だいたいカナダの政府がアメリカ政府の家来になって、孟晩舟を捕まえたのが間違いだ。私は驚いたが、カナダの政府が自国の法律ではなくアメリカの法律にもとづいて逮捕したので問題なのだ。


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  副島隆彦「全体主義の中国がアメリカを打ち倒す」(ビジネス社)
202043日(金)

 

 

<その3>
◆どうも世界中の大銀行がアリババとテンセントの前に屈服して徐々に潰れていくようである。すなわち「銀行消滅」である。支払と送金だけでなく、個人向けの貸付(融資)と、なんと定期預金などの金融商品の販売までもアリババとテンセントは行っているからである。

◆ただし、この中国14億人の新しいお金の決済方法は大きな欠点がある。それは顔認証をいう国民・監視システムの上に出来上がっている。
今や街頭の全てに付いている監視カメラですべての中国人の顔は認証識別されている。

◆監視カメラの設定についての人権侵害を批判する声は皮肉なことに世界であがらない。今のところアメリカの商務省による中国の監視カメラ・メーカーへの取引禁止の制裁措置として表れている以外では、ほとんど非難は上がっていない。人権団体もリベラル派の人々も監視カメラ社会、即ち「デイストピア(絶望郷)にむかう世界」に対してまだ抗議の動きを見せていない。


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  副島隆彦「全体主義の中国がアメリカを打ち倒す」(ビジネス社)
202042日(木)

 

 

<その2>
◆地球上から最も優れた知識人は全体主義批判を行う人々である。世界で一番優れているこの独立派の知識人思想家たちは自分の国で保守勢力からもそしてリベラル勢力(左翼を含む)からも、そのどちらからも嫌われる。

◆日本は先端技術と製造能力においても、中国の足元にも及ばなくなった。日本の大企業であるトヨタやパナソニックもソニーも日立もNECも、いま中国に電子部品を供給している。つまり、日本は中国の下請け国家になってしまったのである。

◆アリババとテンセントこそは中国の巨大成長の秘密なのである。アメリカ政府のファーウェイとの5G戦争(ITハイテク戦争)などは、脇役でしかない。アリババとテンセントが持つスマホ決済能力が中国国民14億人のほぼすべてを網羅している。恐るべきスピードでの銀行機能を持ってしまった。


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  副島隆彦「全体主義の中国がアメリカを打ち倒す」(ビジネス社)
202041日(水)

 

 

全体主義とは共産主義のこと。全体主義国家の別名が「絶望郷」で、ユートピア「理想郷」の反対語である。どうやら、私たち人類が向かっている方向は理想社会の実現ではないというのが著者の主張である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆これは人類にとっては悲しむべき間違った方向である。科学技術の進歩がコンピューターや通信機器の異常な発達とともに、こういう監視技術を最高度に発達させた。この監視システムを維持するために一体どれほどの警察公務員が新たに採用され続けているかについて、誰も関心を払わない。

◆日本の光学企業は監視カメラで稼ぐしかなくなった。なぜなら世界中がもっと監視カメラだらけになるからだ。日本国内でも今や監視カメラは500万台近くある立派な監視社会だ。


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  岡本有佳・加藤圭木「だれが日韓対立をつくったのか」(大月書店)
202033日(火)

 

 

<その6>
◆植民地支配や「慰安婦」問題のような不法・非人道的問題に対して謝罪や反省ではなく、曖昧な態度を見せる安倍政権を非難する人は多いのですが、日本を一方的に非難する盲目的な記事は見つけがたいということです。とくに韓国には反日はありますが日本の嫌韓のような日本人を日本人であるという理由で差別・排除し、蔑視する嫌日感情は存在しません。


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  岡本有佳・加藤圭木「だれが日韓対立をつくったのか」(大月書店)
202032日(月)

 

 

<その5>
◆この裁判の争点は企業に対する元徴用工個人の請求権が残っているのだろうかということでした。1965年に日韓請求権協定には「完全かつ最終的に解決した」という文言がありますが、それは日本・韓国との間の「外交保護権」を放棄したという意味です。元徴用工のような個人の権利を消滅させるものではありません。

◆日本の大手新聞は韓国の軍事政権を支えた韓国三大紙「東亜日報」「中央日報」「朝鮮日報」と提携関係にあることから韓国保守派を「親日派」とみなし、文大統領を「反日派」と位置づける報道を繰り返しています。

◆多くの日本人は歴史教育でたしかに加害事実をあまり教えられていませんし、マスメディアでも加害の実態はあまり取り上げられません。しかしだからと言ってそのまま何も知ろうとせずに過ごしたのでは結局不正義がまかりとおる社会が温存されることになってしまいます。
「歴史なんて関係ない」と日本人が主張することは本人の意図がどうであったとしても、日本の加害責任を無視し、植民地支配が刻んだ矛盾を放置することを「選択」する行為なのです。


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  岡本有佳・加藤圭木「だれが日韓対立をつくったのか」(大月書店)
2020228日(金)

 

 

<その4>
◆(平和の少女像)の撤去を要求するのは、表現の自由や被害回復の促進など国際人権諸条約の要請を否認する事態を招きかねない恐れがあると国際法学の阿部浩己氏は警鐘を鳴らしています。

◆日本の新聞やテレビでこのような視点から検証した記事や番組を筆者は見たことがありません。全国紙5紙すべてが安倍政権の主張どおりに伝えるだけで、撤去されてしかるべきとの論調になっています。

◆一方、韓国のマスメディアでは、保守/リベラルを超え、日韓「合意」直後から、国際法の専門家などの見解・実例・判例を参照しながら日本政府の主張の根拠を問い、それに追随する韓国政府を批判しています。

◆学校教育で「慰安婦」問題がタブー化されネットではフェイクニュースがあふれるなかで、日本のマスコミが安倍政権の主張への検証を怠り、<少女像>をめぐる当事者や市民の多様な声を伝えないことは日本社会の認識におおきな影響を与えます。その結果、日韓両国ひいては国際社会との認識のギャップをさらに広げることになるのです。


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  岡本有佳・加藤圭木「だれが日韓対立をつくったのか」(大月書店)
2020227日(木)

 

 

<その3>
◆戦後に水俣病を行き起こした日窒財閥(戦後のチッソ)は1920年代以降に朝鮮に巨大な化学肥料工場を強制的に建設します。当時の朝鮮の日窒で働いた日本人は「朝鮮人が死んだって風が吹いたほどにも感じない」「朝鮮人とどうやって仕事するか上から指示があった(中略)。朝鮮人はぼろくそ使え。朝鮮人からなめられるなといわれた。朝鮮人は人間として見るな、人間の内に入れちゃならんぞという指示だと私はすぐ思った。」となどと証言しています。

◆日本では「慰安婦」イコール韓国人女性(または朝鮮人女性)と思いこんでいる人びとが多いのですが、実際は日本人、中国人、台湾人、フィリピン人、ビルマ人、インドネシア人、マレー人、オランダ人などアジア、太平洋のさまざまな地域の女性たちがいました。1990年にはこうした被害女性たちが金学順さんのカミングアウトに励まされて、自らの被害を明らかにしました。

◆「慰安婦」被害女性のカミングアウトを可能にしたのは1990年代に世界で女性に対する暴力をなくすためのフェミニズム運動が盛んになったことでした。(1993年に)国連で「女性に対する暴力撤廃宣言」が採択。さらに1980年代後半に韓国、台湾、フィリピンの社会が民主化されたためでした。


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  岡本有佳・加藤圭木「だれが日韓対立をつくったのか」(大月書店)
2020226日(水)

 

 

<その2>
◆「韓日併合」の実態は朝鮮半島を日本の一地方に組み込んだという程度のものではありません。日本の侵略に抗する朝鮮半島の人びとに対して、徹底的な弾圧を行い強制的に大韓帝国を滅ぼし、朝鮮人を無権利状態に置くものだったのです。朝鮮人側の意志を暴力によって踏みにじり断行したのが「韓日併合」だったのです。

◆日清戦争も日露戦争も日本にとっては朝鮮侵略を目的とした戦争であり、朝鮮が戦場とされ朝鮮人の生活や生命が犠牲となったのです。

◆朝鮮半島における農民軍は日本軍により虐殺されますが、その犠牲者数は、日清戦争における日本や清国の犠牲者数よりはるかに多かったのです。

◆そもそも、日本が朝鮮を植民地化するという行為そのものが日本側の差別の現れでした。当時の日本人は朝鮮は遅れた国であるという認識をもっていました。こうした認識は福澤諭吉や福田徳三といった学者に唱えられました。そして、日本側はこうした認識を基盤として、そのような遅れた国は、日本が支配してもよいのだと植民地支配を正当化したのです。朝鮮人を1つの民族、朝鮮を一つの国家として認めなかったわけですが、それこそが根本的な差別です。


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  岡本有佳・加藤圭木「だれが日韓対立をつくったのか」(大月書店)
2020225日(火)

 

 

大変な力作であり、説得力がある。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。
<その1>
◆日本は1930年代に中国への侵略戦争を開始しました。戦争を後方で支える産業で労働力が不足しました。とくに労働環境が悪く危険だった炭鉱において深刻でした。そこで1939年から日本政府は朝鮮人を日本に連れてきて労働させることにしたのです。これは国家の責任において行われたのです。

◆無償3億ドルとは韓国国家への経済協力を目的としたものであり、元徴用工への賠償(慰謝料)を直接目的としたものではありませんでした。

◆大法院判決は「被徴用韓国人の未収金、補償金」ではなく「強制動員被害者の慰謝料請求権」についての判断です。請求権協定によって解決されたものではなく「請求権協定」の範囲外の「植民地支配責任」についての判断なのです。ですから約束したことがないのに「約束を守らない」と非難し、解決した事柄ではないのに「蒸し返す」と非難することはまったくの的外れとしか言いようがありません。


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  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
2019122日(月)

 

 

<その10>
◆日本はアメリカ、イギリスなどと結んできた中国における協定をすべて反故にしたのである。東アジアでは日本が中心になって新しい秩序を建設すると宣言したのだ。つまり満州国の秩序を中国全土に広げようといった主旨だった。この宣言がアメリカの逆鱗に触れたのである。
日本が東アジア全体を支配することになればアメリカは大きな市場と資源を失ってしまうことになる。アメリカには絶対に許せないことだった。

◆サウジアラビアなど中東の石油は、第2次大戦後から本格的に開発が始まったものであり、戦前の産出量はまったく少なかった。東アジア、ソ連などでも石油の採掘は行われていたが、アメリカに比べればまだ全然追いつかない状態だったのだ。

◆第1次大戦から第2次大戦にかけてアメリカが一気に超大国の座に上り詰めたのは「石油大国」だったことが大きな要因なのである。
このエネルギー革命で超大国の座を滑り落ちたのがイギリスだった。イギリスはじつは石炭によって栄えた国である。


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  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191129日(金)

 

 

<その9>
◆日本がどんなに言い訳をしようと満州国建国や中国へのの進出は「資源確保」「権益拡大」の目的も必ずあったのである。
また、当時の日本は国内経済に重大な問題を抱えていた。戦前の日本は現代日本よりはるかに深刻な格差社会だった。一部の財閥が国の富を独占している一方で労働者は低賃金にあえぎ、農村では生活苦のために娘を身売りする家庭が多々あった。日本はその格差問題を解消するために戦争に活路を求めたという面が多分にあるのだ。

◆昭和20年の時点でも農業人口は就労人口の50%近くおり、職業人口として農業は断トツのナンバーワンだったのである。そして農村の貧しい生活のはけ口として軍部が人気を集めるようになったのだ。
軍部が大陸で勢力を伸ばすことが農村の危機を救ってくれる。といった錯覚を大勢の日本人が抱いた。


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  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191128日(木)

 

 

<その8>
◆自転車はフレームなど鉄砲と共通する技術が多い。そのため鉄砲鍛冶たちは、自転車が普及し始めると、まず修理業をはじめ、そのうち自転車製造をするようになったのだ。

◆じつは日本は孤立しようと思って孤立していったわけではない。たとえば、国際連盟からの脱退もそうである。この脱退にはある重要な経済戦略が含まれていた。

◆国際連盟では決議違反国に対して「経済制裁」をできるという条文がある。国際連盟の規約では、経済制裁できる相手国は「連盟に参加している国」となっていた。
事実、国際連盟からの脱退後、ただちに日本に対して経済制裁行う国はなかった。
国際連盟の本体からは脱退したが連盟内にある諸団体には留まっていた。
とりあえず、経済制裁を逃れることだけが日本の国際連盟脱退の本当の理由だったのである。
しかし、その後の日中戦争の拡大や英米仏などとの関係悪化のため、国際連盟に復帰する意味や機会を失い、第2次大戦に突入していくのである。


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  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191127日(水)

 

 

<その7>
◆第2次世界大戦ではアジア、太平洋地域において日本とアメリカが激しい戦闘を繰り広げた。もちろん、その戦争には経済的な背景がある。日本の中国への進出にアメリカが反発し最終的に「在米資産凍結」「石油禁輸」という処置を取った。それが日米開戦の要因ということになっている。

◆イギリスは19世紀末には工業生産でアメリカに抜かれ、さらに20世紀初頭にはドイツに抜かれていた。第1次大戦で衰退したように思われているが、第1次大戦前からすでに「世界の工場」ではなくなっていたのである。

◆幕末の開国以来、絹の原料で生糸は日本の輸出品の主力だった。そのうち、日本の産業界は生糸を売るよりも絹や綿を製造して売ったほうが儲けが大きいことに気づき、次第に紡績業が発展していく。


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  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191126日(火)

 

 

<その6>
◆ヒトラーはポーランドに対し、たびたび「ポーランド回廊」の割譲を求めた。しかし、ポーランド側は断固として拒否し、英仏の支援を仰いだ。それに業を煮やしたヒトラーは1939年9月ドイツ軍にポーランド侵攻を命じた。ポーランド協定を結んだ英仏はドイツに対して宣戦布告。第二次世界大戦はこうして始まったのである。

◆第1次大戦の敗戦での植民地の没収、国土の割譲はドイツの国力を大きく削ぐことになった、しかも多額の賠償金を課せられたのである。
ドイツとしては賠償金を払わなければならないのなら、植民地と旧国土を返してほしいという気持ちがずっとあったのである。またナチス・ドイツの領土拡張政策は一見周辺国の迷惑を顧みない傍若無人の行為のように映る。しかし、英仏が宣戦布告する前(第2次大戦前)までのナチスの領土拡張のほとんどは旧ドイツ帝国の国土回復かドイツ語圏地域の併合だった。つまり旧国土の回復を超えるようなことはあまり行っていないのである。


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  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191125日(月)

 

 

<その5>
◆ヒトラーはどうやって失業を減らしたのか―― それは高速道路アウトバーンをはじめとする公共事業によってである。ヒトラー以前の公共事業は総額で3億2,000マルクに過ぎなかった。したがって景気に及ぼす影響は微々たるものだったのである。
しかし、ヒトラーは初年度から20億マルクの予算を計上した。この思い切りこそがドイツ経済復興の最大の要因であろう。

◆確かにナチスの領土侵攻策は明らかに国際法にも同義にも反しているものである。しかし、ナチスの侵攻政策は高校の世界史での授業で語られるような単にナチスの一方的な侵攻だったわけでもない。それなりの正当性があったのである。

◆ポーランドは旧ドイツ帝国の領土を削減し、それにロシアの旧領土を加えて建国された国である。さらにポーランドが海につながる土地を確保するためにドイツはポーランド回廊をいわゆる地域を割譲させられた。そのためにドイツは東プロイセン地域と遮断されてしまったのだ。


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  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191122日(金)

 

 

<その4>
◆世界経済の大混乱のなか、ドイツは深刻な不況に陥り650万人もの失業者を出した。そのなかで、急成長してきたのが、ヒトラー率いるドイツ国家社会主義者労働党(ナチス)なのである。

◆当時のドイツは植民地をもっていなかったし、まだ領土侵攻もしていない。ヒトラーは国内政策だけで素早く景気を回復させたのだ。その経済手腕はかなりのものだと言わざるをえない。
ヒトラーは別に難しい経済理論を知っていたわけではない。「社会を安定させ、活気づかせるためには、どうしたらいいか」ということを自分の経験と知識から導き出したのである。

◆第一次4カ年計画の内容をひと言でいえば、「底辺の人の生活を安定させる」ということである。これはナチスにとって結成当初からの一貫したテーマである。
そしてナチスは失業者や借金にあえぐ農民を思い切った方法で救済した。
ユダヤ人迫害や武力侵攻ばかりが取り上げられるナチスであるが、彼らにこういう面があったことを無視することはできない。彼らが熱狂的な支持を得たのはここに最大の理由がある。


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  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191121日(木)

 

 

<その3>
◆当時アメリカはドイツに投資しドイツはそれで英仏に賠償金を払い、英仏はその賠償金でアメリカに戦費の支払いをする循環があった。
ドイツが経済破綻した場合、もっとも影響を受けるのはじつはアメリカだったのである。英仏はドイツから賠償金を取れなくなるがそれを理由にアメリカへの戦費の支払いを止めてしまえば、差し引きはそれほど大きくない。戦費 が払われなくなれば、アメリカだけが丸損ををするのである。

◆ヤング案の発表はドイツ経済の破たんを予感するものだった。このことに市場が反応しないはずはないのである。そして、4カ月後にアメリカの株式市場が大暴落し、世界は大恐慌に突入するのである。

◆結局、経済とは自分だけが潤うことはできないのである。相手を叩きのめしてしまえば自分がいくら金をため込んでも取引する相手がいなくなる。そうなれば自分も富を失っていくのだ。つまり、経済というのは相手も健全であるときにはじめて自分が潤うことができるのだ。世界大恐慌はそのことを如実に表している現象なのである。


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  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191120日(水)

 

 

<その2>
◆また第1次大戦では連合国側も国力が疲弊し尽していた。各国の国民は怒りをぶつけられる相手を求めていたのだ。しかし、敗戦国の主要国であるオーストラリア オスマン・トルコは解体され唯一残ったのがドイツだけだった。そのためドイツ一国が連合国の国民の不満のはけ口になったのである。

◆1919年末ケインズは「平和の経済的帰結」という書籍の中で次のように述べている。
「講和条約でのドイツの賠償金は実行不可能な額であり、これはいずれヨーロッパ経済を破綻させるだろう。現在のドイツ人は一生、この賠償金のために苦しい生活を余儀なくされるはずであり、それはヨーロッパの将来に必ずよくない結果をもたらす。」


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  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191119日(火)

 

 

武田氏の著作は何を読んでも面白い。本書も力作である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約してみたい。

<その1>
◆本書はヒトラーを賛美するつもりも、その行状を肯定するつもりもない。
ただ「ヒトラーという悪人のために世界が大戦争に突き進んだ」というほど世界の歴史は単純なものではない、ということを旨としている。

◆第2次大戦というのは経済問題に端を発した戦争なのである。ドイツがポーランドに攻め込んだのも実は当時のドイツの経済事情と国際経済が大きく絡んでいる。

◆歴史というものは政治や思想ばかりに目が行きがちである。しかし、歴史を本当は動かしてきたのは経済である。経済面から見れば歴史はまったく違って見えてくる。

◆ドイツが経済危機に陥ったそもそもの原因は第1次大戦の講和条約「ベルサイユ条約」で過度な賠償を負わされていたからである。


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  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
20191118日(月)

 

 

<その10>
◆側室制度をもちかけられたとき、昭和天皇は言下に拒否の回答をしている。きわめて強い口調で
「側室制度は人倫の道に反する。私はそういうことはしたくない。」
昭和天皇は、大正天皇が形骸化させた側室制度にもう一度「ノー」という意志表示を行ったのである。

◆近現代日本で最も多様な事象を抱えているのは、昭和という時代である。戦争、敗戦、そして占領支配を受け主権を失う。
テロやクーデター、革命騒動があり、社会生活では貧困と富裕が同居する状態になった。一言では語りつくせないのが、昭和という時代であった。


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  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
20191115日(金)

 

 

<その9>
◆権力の中枢が歴史修正主義であることを私たちは危惧しなければない。平成という時代の特徴はこれまで資料をこまめに集めて、研究・確定し右であれ左であれ議論してきた真面目さがあっという間に崩れ去った点であるともいいうる。つまり、われわれ日本人が真剣に戦争を理解しようという態度を失ったことで、平成の世相に顕著に表れているのである。まずはこのことを心得ておかないと現在の社会風潮の本質は理解できない。

◆江戸時代270年をかけて私たちの国は武士階級がもっていた戦いのエネルギーをかなり儀式化し、抑制することに成功したと思うんです。知性の勝利ですよ。


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  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
20191114日(木)

 

 

<その8>
◆日本は結果的に原爆を製造しなかったが、もし完成していたら間違いなく、戦局打開のためにどこかに投下していたはずだということだ。史実を追うと、投下場所はサイパンだったろう。ということは、私たちの国はあの戦争で原爆については被害者であるが、もしかしたら、加害者になっていたかもしれないのだ。

◆この中でもっとも大きいのは「官僚主導国家の無責任」である。これは看過できない。官僚は目前の選択では、よい判断をするが、長期的な視野を持っていないから政策はいずれガタガタと音を立てて崩れ去る。2020年に開かれる東京五輪でも同じ経過をみせている。新国立競技場の当初予算は1,500億円。それがいつの間にか3,000億円を突破していた。
役人と政治家が一体になると、大きいものをつくればなんでもいい。となってしまう。しかも誰も責任を取ろうとしない。まさに戦前、戦艦大和の建造にこだわった大鑑巨砲主義そのものの体質である。


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  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
20191113日(水)

 

 

<その7>
◆「日本人なのになんでお前は日本を批判するのか」という人がいます。しかし、私は、日本人だからです。誤りを誤りとして認めなければならないと思っています。そして、そこから教訓を引き出してこなければいけないと。そうしなければ、われわれの文化と伝統に傷がつくと思うからです。

◆そのとき中国人はすでに2、3年にわたって戦争を体験していました。ところが、そのころの日本国内では、人びとの暮らしはいたって平穏でした。彼らは昭和19年10月以降のわずか数ヶ月かの体験で戦争を悟り、悲惨さを訴えるわけですが、裏を返せば、それは自分の身に災いが降りかからなければいい、という意味にもなります。そこに体験からくる感情で戦争を語ることの限界があるということです。

◆欧米の軍事学者や思想家は戦争をこう表現します。
「命を捨てて隣人を助ける。戦争ほど人類のヒューマニズムを具現化するものはない。しかしそれは、相手を憎む前提で成り立つヒューマニズムだ」と。
ヘイトスピーチの同志愛が強いのは、憎む対象を持つことで平穏には味わえない友情や陶酔に浸ろうとするからです。


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  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
20191112日(火)

 

 

<その6>
◆残虐行為の話をお茶を飲みながら話すというのは、あなたの手によって亡くなった中国人捕虜がかわいそうではありませんか。どこか弔うという精神がなければこういう戦場体験の証言など聞いてはいけないと気づいたのです。

◆その折に読んだ本のなかにウサギの戦力は速い脚であるか、それとも長い耳であるかという設問があったんです。答えは大きな耳です。あれがなければ走る前にやられてしまうではありませんか。つまり日本軍は大きな耳をもたないウサギだったんです。

◆毎日届くのでそれを調べていくと、かんづめ会社と製薬メーカーの株価があがって、しばらくすると太平洋でのアメリカ軍の新しい作戦がはじまることに気づいた。
アメリカ軍は派遣する兵士のために大量にかんづめとマラリアの薬をメーカーに発注していたあのである。だが、こうした情報分析が大本営の作戦指導にはほとんど生かされていない。


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  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
20191111日(月)

 

 

<その5>
◆アメリカに捕まった「捕虜第一号」である酒巻和男のはなしである。
彼は初めてアメリカ軍から国際条約に基づく捕虜の扱いの説明を聞き「そんなものがあるのか」と驚いてしまったという。また酒巻は日本軍に罠をかけるための鉄条網作りを命じられた時、拒否しそれが認められたという。
それに比べ日本軍はというと戦時ルールなんてものは全く無視毛頭なかった。日本兵にとっては「生きて虜因の辱を受けず」だけである。だからアメリカ人を捕虜にしたら拷問を加え、なぶり殺しにしてしまうことすらあった。

◆「日本軍はなぜ中国大陸であれほどの蛮行を働いたのでしょう。理由はどこにあると思っていますか」
「一つは日本陸軍の制度に問題があったこと。士官学校出身者が牛耳り、そこにみごとなまでのヒエラルキーができ上がっていたことだ。このなかで一歩でも二歩でも階級が上がるには目立つことをしなければいけなかったんんだ。二つ目には士官学校出身者には政治教育が施されていなかったから彼らは政治と軍事の関係が理解できなかったことだ。三つ目には、これは体験的にいうけれど、新任の将校は兵士の前で臆病でないことを示すために中国人を試し斬りしたり、拷問を加えて軍人らしいところを見せなければならなかった・・・・。


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  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
2019118日(金)

 

 

<その4>
◆私はこれまで延べにして4,000人近くの人に会って戦争体験を聞いてきた。そのなかで戦場体験を克明に語ってくれた元兵士は500人ほどでしかないが、彼らは必ず誰かに自らの体験を語って死にたいとの思いを持っていることに気づかされる。

◆その老人は、現実に出撃命令を受けると隊員たちの大半が動転し、狂乱状態になったというのだ。「命令を聞いたとたん、ある隊員は気絶し、ある人は失禁する。泣き喚く人もいたのです。私はそうした人を5人ほど出撃させるために飛行機に乗せました。彼らを待っているものは死以外の何ものでもありません。」


◆戦友会の人たちが集まり扉を閉めて部外者が誰も入ってこなくなると、みんな凄いことを話します。
特に日中戦争に加わった部隊に多いのですがどこで何人撃ち殺したなんて平気で言い合っているのです。彼らは苦しいからいってるんですね。日常生活ではそれを徹底的に抑圧していますが誰かに話さなければ精神的にバランスが崩れるのです。


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  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
2019117日(木)

 

 

<その3>
◆吉田茂は「新生日本」をつくろうとはしていません。そうではなくて、彼は日本を「再生」させようとしたのです。昭和6年までの日本はどこも間違っていない ―― 私はそうは思わないけれど ――。だから、そこへ戻そうというのが彼の考えです。

◆戦後の日本の主権回復へ至る道筋で吉田茂が重用した人物にはいくつかの共通点があった。とくに昭和16年に病死した反軍部の言論人である桐生悠々は吉田とは直接の関係がないものの多くの点で重なっていた。戦後、吉田に重用された人物の大半が桐生の支援者だったのである。

◆田中という人間の興味深いところは権威に対する価値判断がそれまでの首相と異なっていたことだ。たとえばそれは天皇との面談でも顕著に表れている。天皇に対して庶民と同じような接し方を行うのである。それは他の首相とはあまりにも異なっていた。


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  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
2019116日(水)

 

 

<その2>
◆それぞれの指導者がどんな人物か、どういう考えをもっているかを理解すれば、自らの政策を煮詰めるための基盤は深まったであろう。日本の指導者は連合国の指導者と直接に対話したことがないというのが、開戦前の正直な姿だった。相手国を知らないために、つねに自分に都合のいいような見方でしか事態を捉えられなかった。

◆平時から戦時への移行は大使の召還や国交断絶など10段階以上ものプロセスを経るわけです。近代以降の歴史をひもとけば、いきなり「戦争」になることがないのは自明です。

◆日本のファシズムは特異なのです。イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラーのようなイデオローグ(イデオロギーの代表者)や国家目標はない。その場その場の状況に「まじめに」「実直」に対応し、流れに乗ってゆくなかで、無意識のうちにファシズム化する「無自覚なファシズム」という特徴を持っています。


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  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
2019115日(火)

 

 

本書は著者の過去の著作物の中から重要性の高いものをピックアップして作られたものである。その中から私が面白いと思ったものを以下、御紹介していきたい。
<その1>
◆私はこうしたタイプの人たちの質問や疑問には「私は自虐史観ではなく、自省史観の側に立っている。昭和という時代を自省や自戒で見つめ、そこから教訓を引出し、現代につないでいくという立場だ。」と答えることにしている。
あるいは「あなたたちは史実を政治や思想で割り切ろうとしている。それは「左翼」の公式史観と対になっていて、私はなんの関心もない。」とはねつける。

◆日本の政治・軍事指導者はどうであったか。
彼らはこうした権謀術数の能力をもちあわせていなかった。それにどうあれ、世界がどのように動いているか。いや、動かさなければならないかという経綸はなかった。ただ、その折り折りの状況に対する反応だけで動いていたのである。その意味では日本は幼稚であり良くも悪しくも純粋な面があった。


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  山本太郎 取材・構成 雨宮処凛「僕にもできた!国会議員」(筑摩書房)
2019920日(金)

 

 

<その3>
◆要は国はずっと「持続可能な国作り」というのは横に置いて企業側にいかに楽をさせるか儲けさせるかということばかりやってきた。その結果が今すべて出揃ってしまっている。この国を持続可能にしていくためには、まず、少子化の改善ですよね。そのためには、教育に負担をかけない。低廉な住居の提供、賃金の補填をやるしかない。ある意味伸びしろがある分野。みんなが一番困ってる分野に大胆にお金を出すという政策をやっていくべきです。保育園、介護施設、奨学金の問題など今デフレなんだからお金を作って大胆にやってしまえばよい。

◆政府が大胆な財政出動をしたら、世の中にお金があふれ出す。そうしたらインフレ率が2%に達成するから達成した時に引き締めればいい。
引き締める作業としては、最初に日本銀行による政策金利の引き上げを行い、それでもインフレ率が下がらなかったらお金持ちに対して増税すればいいという段取り。


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  山本太郎 取材・構成 雨宮処凛「僕にもできた!国会議員」(筑摩書房)
2019919日(木)

 

 

<その2>
◆不況の時って、みんな節約しなきゃいけないって思うんですよね。でも、みんなが節約するとみんなが苦しくなるのが不況というものです。緊縮の目的が財政の健全化であってもみんなで無理して節約すると財政の健全化も遠のくんです。だからこそ、まずは経済を回復させることを第一に考えないといけない。

◆今、政府が財政赤字を出していると言っても、ほとんど国債を日銀が買っている。日銀は政府が株式の55%を保有する。政府の子会社でしょう?政府と日銀を連結決算して「統合政府」で考えたら、日銀が国債を買い上げたというのは、民間に対して借金を返したのと一緒なんですよ。

◆物価安定目標を越えたインフレーションが起こった場合には、その歯止めのためになんらかの増税が必要になる。その時に本当の意味での財政の健全化が必要になる。なんで税金をかけるかと言ったら、総需要を抑えるために税金があるんです。


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  山本太郎 取材・構成 雨宮処凛「僕にもできた!国会議員」(筑摩書房)
2019918日(水)

 

 

「第4章の経済政策を語る」のところより、インパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆「緊縮」っていう人は、財政赤字はいけません。財政は健全じゃないといけませんっていうのが基本的なイデオロギーなんです。そういう立場の人は、消費税を上げましょうというような大衆課税の立場が多いんですね。
そのような政策パッケージが「緊縮」です。

◆今みたいに国民の6割近くが「生活が苦しい」という状況なのに「国は財政を健全化させるためにお金を出しません」と社会保障を絞り、借金返済のために増税したらどうなるか。景気はもっと悪くなる。世の中に出回るお金を調整するのが金融政策。それを増やして政府が削っている分野は言い換えれば一番伸びしろがある分野なんだし、ケチケチせずそこにお金を出して大胆に財政出動する、これが「反緊縮」ですね。


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  前泊博盛 編「日米地位協定入門」(創元社) )
2019917日(火)

 

 

<その6>
◆よく日本人は沖縄に米軍がいるのも首都圏に米軍がいるのも「戦争に負けたからしかたがない」などといいますが、そんなことはまったくないのです。毅然として国際社会のルールにのっとって交渉すればイラクのような戦争で惨敗し、GDPは日本の50分の1で、隣にイランという巨大な敵国をもつ国でも、米軍を撤退させることは可能なのです。

◆なぜ、注目すべきかというと日本人の多くは憲法9条を誇りにしていながら実はこの条項にあるような米軍への規制(他国への攻撃拠点に、自国内の米軍の米軍基地の使用することを拒否する)は過去に一度も行なってこなかったからです。

◆Q&AL ASEANはなぜ米軍基地がなくても大丈夫なのですか?
フィリピンと米国との間には「米比相互防衛条約」という二国間の安全保障条約があります。またタイやシンガポールの軍も米軍とは合同演習を定期的に行なっています。東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟の10ケ国は、地域連合として非同盟の原則を貫き、軍事力でなく外交で紛争を回避する知恵を積み重ねてきました。米軍基地がなくても地域の安全保障の仕組みは機能しています。

◆繰り返しになりますが、1992年にフィリピンから米軍が撤退して以降ASEAN加盟国内には外国軍基地は存在しません。国名をあげておきましょう。タイ、フィリピン、マレーシア、インドネシア、シンガポール、ブルネイ、ベトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジアの10ヵ国です。


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  前泊博盛 編「日米地位協定入門」(創元社) )
2019913日(金)

 

 

<その5>
◆「Q&AG どうして米兵が犯罪をおかしても罰せられないのですか?」
簡単に言うと日米地位協定のよって米兵が公務中(仕事中)の場合、どんな罪をおかしても日本側が裁くことができないとり決めになっているからです。また、公務中じゃなくても日本側が裁判権を放棄するという密約が日米間で交わされているためです。

◆Q&AJ 同じ敗戦国のドイツやイタリア、また、準戦時国家である韓国などではどうなっているのですか?
たとえば、日本と同じ敗戦国であるドイツでは、地位協定を1993年に改定し、たとえ米軍基地周辺といえども国内では米軍機に飛行禁止区域や低空飛行禁止を定めるドイツ国内法が適用されるようになっています。

◆Q&AK 米軍はなぜイラクから戦後8年で完全撤退したのですか?
その理由は簡単です。イラクが2008年11月にアメリカと結んだ、いわゆる「イラク・アメリカ地位協定」のなかに3年間で完全撤退すると定められていたからです。


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  前泊博盛 編「日米地位協定入門」(創元社) )
2019912日(木)

 

 

<その4>
◆Q&AD 東京大学にオスプレイが墜落したらどうなるのですか?
答えは沖縄国際大学のケースと同じです。米兵は正門や赤門を封鎖して警視総監の立ち入りを拒否することができます。

◆Q&AE オスプレイはどこを飛ぶのですか?
なぜ日本政府は危険な軍用機の飛行を拒否できないのですか?また、どうして住宅地で危険な低空飛行訓練ができるのですか?
オスプレイは日本全国を飛ぶ可能性があります。飛行を拒否できないのは、米軍機には日本の国内法もアメリカの国内法も適用されないからです。ですから、アメリカ本国内ではとてもできないような危険な低空飛行でも日本では行うことができるのです。

◆Q&AF 騒音であきらかな人権侵害が起きているのに、なぜ裁判所は飛行中止の判決を出さないのですか?
それはいわゆる第三者行為論といわれるものです。簡単に言うと、米軍は日本の法律がおよばない「第三者」なので米軍に対して飛行差し止めを求める権限を日本政府はもっていないというものです。


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  前泊博盛 編「日米地位協定入門」(創元社) )
2019911日(水)

 

 

<その3>
◆Q&AB 具体的に何が問題なのですか?
首都圏がこれほど外国軍によって占拠されているのは、おそらく世界で日本だけでしょう。
首都圏に外国軍がいれば、なにかあっったときには、すぐに首都が制圧されてしまう。いくら外交でがんばろうとしてもギリギリ最後のところでは、絶対に刃向かうことはできないわけです。

◆日本はとても主権国家とはいえない。地位協定の改定ではなく、米軍基地を撤去しないと問題は解決しない。

◆Q&AC なぜ米軍ヘリの墜落現場を米兵が封鎖できるのですか?その法的根拠は何ですか?
簡単にいうと、米軍の「財産」については日本政府はなにも手出しできないとり決めになっているからです。

◆「米軍はなにも制約されない。日本国内で、ただ自由に行動できる」ということです。
なぜそれが日本側にとって複雑に見えるかというと、本来絶対あってはならないそうした植民地的状況をなんとか独立国の法体系のなかに位置づけるふりをしようとしているからなのです。


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  前泊博盛 編「日米地位協定入門」(創元社) )
2019910日(火)

 

 

<その2>
◆Q&AA いつどのようにして結ばれたのですか?
1951年9月8日にはサンフランシスコで講和条約(平和条約)がオペラハウスで華々しく、旧安保条約が町はずれの米軍施設内でこっそり調印されていました。
その半年後の1952年2月28日に日米行政協定が東京の外務省庁舎のなかでひっそりと結ばれました。
そして、その日米行政協定が名前を変えて日米地位協定となり、それが結ばれたのは1960年1月19日ワシントンにおいてです。

◆アメリカが日米安保条約で実現したかった目的は、「日本全土を米軍の潜在的基地とすること」だったのです。


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  前泊博盛 編「日米地位協定入門」(創元社) )
201999日(月)

 

 

本当は憲法より大切な日本地位協定の入門書である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆Q&A@ 日本地位協定って何ですか?
「アメリカが占領期と同じように日本に軍隊を配備し続けるためのとり決め」と定義される。
この協定を結ぶにあたって、アメリカ側がもっとも重視した目的が、@日本の全土基地化 A在日米軍基地の自由使用であることは、今日あきらかになっている。

◆最後にもうひとつ在日米軍と基地の問題に関して急いでふれておきたいことがあります。
それは、日本政府はいま、自国の国内にどんなアメリカ人が何人いるのか、まったくわかっていないということです。つまり、パスポートを提示して出入国審査を受けることをせず、基地に到着したり基地から飛び立ったりしているのです。


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  山崎雅弘「歴史戦と思想戦」(集英社)
201982日(金)

 

 

<その7>
◆今からでも遅くないので、「歴史戦」の論客は、戦前と戦中の「大日本帝国」の名誉を回復することではなく、戦後の「日本国」の名誉が国際的信用を高めるような方向へ路線を転換し基本的戦略を練り直すべきでしょう。それが広義の「日本」の「歴史戦」に勝利できる、ただひとつの道だからです。

◆歴史家の中には、過去の歴史を恣意的に歪曲する言語は、正統な歴史研究の裏付けを欠いているため、「まともに論じるに値しない」あるいは「相手にすると学者としての沽券に関わる」と見なし、距離を置いて傍観する人もいるようです。
けれども、専門家が傍観すれば、一般の人々は、「専門家が批判も否定もしないということは一定の信憑性がある事実なのか」と思い、結果として、それを信じる人の数が徐々に増加していくことになります。


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  山崎雅弘「歴史戦と思想戦」(集英社)
201981日(木)

 

 

<その6>
◆先の戦争中に「大日本帝国」が行った数々の非人道的行為について、他国に言われる前に主体的に事実関係を解明し、あるいは、その努力を行い、将来において二度と繰り返してはならないという反省と覚悟を国際社会に向けて発信するなら、「日本国」の名誉は今以上に高まり、国際社会での「思想宣伝戦」は成功するでしょう。

◆産経新聞などが行っているような、戦中の「大日本帝国」の名誉を回復することを目標とする「歴史戦」であれば、勝てる可能性は、事実上ゼロであると言えます。
なぜなら、国際社会において、戦後から現在にいたる「日本国」を尊敬して、肯定的に評価する国は、数多く存在しますが、政府が公式に戦前と戦中の「大日本帝国」を尊敬して肯定的に評価する国など、ただのひとつも存在しないからです。

◆それは、国際社会において、現在の「ドイツ連邦共和国」を尊敬して、肯定的に評価する国は数多く存在する一方、政府が公式に戦前と戦中の「ナチス・ドイツ」を尊敬して、肯定的に評価する国がただのひとつも存在しないのと同じです。


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  山崎雅弘「歴史戦と思想戦」(集英社)
2019731日(水)

 

 

<その5>
◆アメリカ国内で「慰安婦像」が次々と設置され、容認されている理由は、それが民主主義で共有されている普遍的、すなわち、人権尊重という理念に関連するものだと理解されているからです。

◆言い換えれば、アメリカの市民や地方自治体は、この「慰安婦像」について、特定の国が別の国を政治的に攻撃するものだとは認識していません。日本国内では、「慰安婦像」をめぐる動きを“日本対韓国”の図式で報じるメディアが多いですが、アメリカでの認識は、女性の人権という、日本では今も軽視されがちな観点に重点が置かれています。

◆井上和彦は何の智恵もなしに先の戦争を「大東亜戦争」と呼び産経新聞もそのまま掲載しています。 戦前と戦中の「大日本帝国」の価値観や思想体系を今も継承する人間は「大日本帝国」時代に使われた言葉を用いることで自分が当時の価値観や思想体系を継承していることを仲間に示します。



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  山崎雅弘「歴史戦と思想戦」(集英社)
2019730日(火)

 

 

<その4>
◆市民の権利向上を目指すデモクラシーの思想は、大正時代の日本でも人々の関心を集めていましたが、天皇という絶対的な権威の前では「民」が「主」だという表現は、使えず代わりに「民本主義」という言葉が充てられていました。

◆南京虐殺や慰安婦問題の正確な被害者数が今もなお、特定できていないことの責任はまず第一に関係記録を廃棄した「大日本帝国」にあります。
この重要な事実を意図的にあるいは無意識的に見落とし、あたかも不可抗力のようなイメージで「歴史研究者の間でも議論はわかれ」ていると論じるのは、実質的には「大日本帝国」の証拠隠滅を擁護して、責任の所在をうやむやにする行為です。

◆そんな事実の空白を「大日本帝国」が意図的に作ってしまった以上、研究者によって一定の幅が生じる被害者の推定において、第三者的な立場の研究者や国民が「大日本帝国に不利な数字」を事実と見なすことを批判する資格は、日本人にはありません。


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  山崎雅弘「歴史戦と思想戦」(集英社)
2019729日(月)

 

 

<その3>
◆曽野綾子が指摘している「父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は仲むつまじく、友達とは互いに信じあい、他人に博愛の手を差し伸べ・・・・」という教えは、過去の日本で世に出た教科書や教育出版物の中で「教育勅語にしか書かれていないもの」でしょうか。

◆不安や孤独を伴う「自由」よりも、高揚感や充実感を味わえる「権威への服従」の方が好きだという人にとっては、戦後の「日本国」は権威に伴う「強さ」に欠けるという点で魅力に乏しく服従ではなく、軽蔑と攻撃の対象となります。

◆時の国家指導者や国家体制を「国」そのものであるかのように国民に同一視させ、それへの絶対的忠誠や献身、犠牲を「自発的」に行わせる図式は1930年代から1945年までのドイツだけでなく、同時期の「大日本帝国」でもまったく同じでした。そのような図式においては、一人一人の国民は、独立した存在価値を持たず、時の国家指導者や国家体制を守るという「関係性」においてのみ、価値を認められる存在でした。


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  山崎雅弘「歴史戦と思想戦」(集英社)
2019726日(金)

 

 

<その2>
◆人は自由を捨てて強大な「権威」に服従し、それと一体化する道を自らの意志で選ぶことによって、その「権威」や持つ力や栄光、誇りを我がものにしたかのような高揚感に浸ることができ、また、迷いや葛藤、自分の存在価値への疑問なども「権威」が取り払ってくれるので、自由とは異質な「解放感」を得ることができる。そんな心理面の「メリット」があるからこそ、人々は権威主義に惹かれるのだと、エーリッヒ・フロムは読み解いています。

◆権威とは、人が部分的あるいは全面的に自らを同一化したいとのぞむ模範である。この言葉は、本書で繰り返し述べてきた「大日本帝国」と自分のアイデンティティーを同一化する人々の姿と重なります。

◆無力な人間をみると、かれを攻撃し、支配し、絶滅したくなる。権威主義的とは異なった性格のものは、無力なものを攻撃するという考えにぞっとするが権威主義的人間は相手が無力になれば、なるほど、いきりたってくる。


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  山崎雅弘「歴史戦と思想戦」(集英社)
2019725日(木)

 

 

戦史、紛争史研究家による非常に内容の深い本である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆人間にとって自由とは魅力的で必要なものだと一般的には信じられていますが、しかし、過去の歴史をふり返れば、ある時代のある国に生きる国民がせっかく獲得した自由を自らの意思で手放し、その代わりに、国民の自由を国家指導者が制約する「権威主義」の国家体制を選び取った事例も存在したことに気付きます。

◆自由は近代人に独立と合理性とを与えたが、一方、個人を孤独におとしいれ、そのため個人を不安で無力なものにした。この孤独はたえがたいものである。
かれは、自由の重荷からのがれて新しい依存と従属を求めるか、あるいは、人間の独自性と個性とにもとづいた積極的な自由の完全な実現に進むかの二者択一に迫られる。


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  孫崎亨「13歳からの日本外交」(かもがわ出版)
2019717日(水)

 

 

<その8>
◆では、ビン・ラディンが要求したサウジアラビアにおける米軍は、その後、どうなったか。これも、大々的に報じられていない。2003年イラク戦争開始後の4月29日、BBCは「ほぼ全ての米軍はサウジアラビアから撤退した。1991年から開始された米軍のサウジアラビア駐留は、サウジアラビアが米国に従属する象徴として非難されてきた」と報じた。米軍は密かに撤退した。
もし、9 ・11以前に米軍が米軍が撤退するとどうなるか。
ビン・ラディンの対米戦争目的は達成する。戦争を行う最大の理由が消滅する。ビン・ラディンの脅威は、当然減少する。

◆テロリストと呼ばれる人々は、通常、政治的要求を掲げています。多くの場合、これらは、実現できる要求なのです。戦いを選択するのではなく、相手グループの要求を受け入れる可能性がないか、それを第一に行うべきです。そして多くの場合、相手の要求を受け入れる余地があり、受け入れた場合、失うもの(A)と、受け入れずに武力紛争によって生ずる人的・財政的負担(B)を比較すると、(B)が圧倒的に大きいのです。

◆日本では、しばしば北方領土や尖閣諸島や竹島について「固有領土」という言葉が使われますが、ポツダム宣言では日本の主権は@「本州、北海道、九州及四国」 A「吾等(連合国側)の決定する諸小島」となっているのです。

 


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  孫崎亨「13歳からの日本外交」(かもがわ出版)
2019716日(火)

 

 

<その7>
◆私(アグネス・チャン)が生まれた香港は1997年までイギリスの植民地だった。中国からアヘン戦争で香港を奪い取ったイギリスは第二次世界大戦が終わっても、中国に返還することはなく、そのまま植民地としていた。そのため、香港ではアヘン戦争以降の近現代史は、学校で教えていなかった。

◆南京での残虐行為が広くおこなわれたことは、日本人証人よって否定されたが、いろいろの国籍の、また疑いのない信憑性のある中立国証人の反対の証言は圧倒的に有力である。

◆軍が慰安所を附属機関として持ち、営業時間、価格などの規則の作成に関与しています。また、慰安婦の連行には外務省や内務省などが関与しています。「その当時と今日では価値観が違う」という指摘はあると思います。しかし、現代に生きる私達が国家として慰安所の設置、維持に関与していたことは、正当化出来ません。

◆強制連行の有無にかかわらず、金銭の受理の有無にかかわらず、制度として女性の性を利用することは、過去であれ今日であれ、許されないという根本問題に目をつぶり、強制連行の有無に焦点をずらしても、国際的な理解は決して日本側に味方しません。


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  孫崎亨「13歳からの日本外交」(かもがわ出版)
2019712日(金)

 

 

<その6>
◆日本は中国の核兵器から米国の「核の傘」で守られていると一般的には認識されています。しかし、「核の傘」など初めからありません。

◆インドネシアでは、国民の約75%がイスラム教徒です。同じく、マレーシアはイスラム教を国教としています。タイは仏教徒が95%です。フィリピンは人口の90%がキリスト教徒です。中東ではキリスト教徒とイスラム教徒は共存できないと言われています。

◆「虐殺があった頃、私は南京にはいなかった。でもこのことは、言ってあげる。あの当時、日本軍は食料品を持たずに中国各地を襲っていた。食料品はどうするか。現地調達です。食料品を現地調達しようとすれば村人とどうなるか。戦う相手は殺します。」


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  孫崎亨「13歳からの日本外交」(かもがわ出版)
2019711日(木)

 

 

<その5>
◆日本の農民は、本当に一生懸命に働きます。一生懸命働けば、結果として良質で量の多い収穫がでてくることに確信をもっているからだと思います。努力は実ることに疑問を持っているからだと思います。努力は実ることに疑問を持っていないと思います。他方、北アフリカでは一生懸命働くことと、収穫は必ずしも正比例しません。
@干ばつ A砂嵐 Bバッタの大集団の襲来 C他民族の収奪など様々なことが起こります。

◆日本と戦った相手国首脳、米国のトルーマン大統領、英国のチャーチル首相は9月2日の降伏調印式で終戦と位置付けています。では、日本は何故、この日を終戦としていないのでしょうか。この日以降の政治の実体を日本国民に知られたくなかったのです。降伏文書には次の条項があります。
「日本はポツダム宣言実施のため、連合総司令官に要求されたすべての命令を出し、行動をとることを約束する」


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  孫崎亨「13歳からの日本外交」(かもがわ出版)
2019710日(水)

 

 

<その4>
◆外交とは何か。自分の利益・価値観を100%実現させることを目指すのではなく、51点をめざし、なんとか48点、49点になることを避けるのが外交の役割です。
百点の外交とは相手国に零点を強いることになります。

◆米国にとって北朝鮮の核は過去10年ほど主要な問題であったが、北朝鮮にとっては米国の核の脅威は過去50年絶えず続いてきた問題であった。

◆日本のような社会では、ゴーイング・マイ・ウェイ型人間のたどる運命は社会から排除されるか、社会がこれを矯正してしまうかのいずれであろう。全学連の闘士の10年後の姿見れば、この矯正または排除が実に的確に行われているのがわかるであろう。(山本七平)


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  孫崎亨「13歳からの日本外交」(かもがわ出版)
201979日(火)

 

 

<その3>
◆第二次世界大戦後の国際秩序の柱の1つが、自由貿易でした。第二次世界大戦前、各国が高い関税をかけ貿易戦争の様相を呈しました。お互いに反発し第二次世界大戦発生の一因にもなりました。この反省から第二次世界大戦後、互いに関税を引き下げる体制を作りました。最初は、1947年のGATT体制(「関税及び貿易に関する一般協定」)、これが1995年の世界貿易機関(WTO)に発展しました。

◆「私達は家に鍵をかけます。それと同じように十分な防衛を行わなければならない」という論がしばしば、問われます。 この論は正しいのでしょうか。
私はこの比較は無理だと思います。
日本と戦争になる可能性があるのは、中国、ロシア、北朝鮮、韓国に限られます。
無数と言えるドロボーに対処する手段と極めて限られた国とに対処する手段は、根本的に異なります。もし、中国、ロシア、北朝鮮、韓国との間で外交的に問題がなければ、これらの国が攻めてくることはありません。


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  孫崎亨「13歳からの日本外交」(かもがわ出版)
201978日(月)

 

 

<その2>
◆第二次世界大戦以降、日本での認識は低いのですが、どこかの国がどこかの国を取りに行くことはなくなりました。今日、武力紛争は、@領土問題 A内乱の拡大 B米国の民主化を目指す動き関連の3つのカテゴリーに限定されています。

◆彼等は、植民地の試みは軍事的財政的に多大な負担を与えることを知っているのです。

◆CIA(中央情報局)は、世界最大の諜報機関です。このCIAのサイトには「各国比較のガイド」というコーナーがあり、購買力平価ベース・GDP(国内総生産)での順位が出ています。2017年では、次の順位です。
1.中国 2.EU 3.米国 4.インド 5.日本 6.ドイツ 7.ロシア 8.インドネシア 9.ブラジル 10.英国 11.フランス 12.メキシコ 13.イタリア 14.トルコ


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  孫崎亨「13歳からの日本外交」(かもがわ出版)
201975日(金)

 

 

13歳からのとタイトルにはなっているが内容的にはかなり難しい。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆考えてみると、人間というのは実に勝手な動物です。自分の利益になるのを「益虫」といい、害になるのを「害虫」と呼び、後者を殺すことに何の躊躇もしません。こうした心理は国家を含めた人間社会全体にもあって、自分の利益に合致する人を「仲間」(国レベルでは「同盟」)と位置づけ、利益に反する人を「敵」と位置付けます。

◆日本とドイツは共に第二次世界大戦で敗れました。しかし、両国とも奇跡的な経済発展を遂げました。ただ、外交になると、ドイツは近隣諸国と良好な関係を持っています。
一方、日本は近隣の中国、韓国、北朝鮮、ロシアとの関係が良好ではありません。何故でしょうか。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
201974日(木)

 

 

<その22>
◆弘兼憲史さんという人は、時流に合わせて生きていく人です。その時どきで一番受ける話を描いたということでしょう。夫人である紫門ふみさんが「あの人には思想はない」と、ある雑誌でコメントしているのを読んだことがあります。

◆司馬さんは本職の歴史家ではないし、あくまでも娯楽小説の作家として、わかりやすく、一般受けしそうな物語を書いていたに過ぎないと、私は思います。問題は、読む側のほうで、これは小説なのだとわきまえながら楽しく読めばいいものを司馬さんの書くことが、そのまま歴史の真実だと思い込んだ人が多すぎるということです。司馬さん本人にも、そういう自覚があったはずです。

◆欧米というか、日本以外の国は、予防接種というものの第一義的目的をはっきり社会防衛だと割り切っているところが多いです。それで社会防衛になるのだったら、ときに副作用が現れ、犠牲者が出てもそれは仕方ないという考え方です。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
201973日(水)

 

 

<その21>
◆中曽根さんたちにしてみれば、原爆を日本は作れない。しかし、作るのは難しいけれども、潜在的な核大国でありたい。という意志が最初からあった。だから、初めは平和利用という各自で電力会社に原子力発電を作らせたのですね。試験炉の実験を経、茨城県東海村で最初の原子力発電が行なわれたのは、1963年(昭和38)10月26日。これを記念して毎年10月26日は原子の日となっています。

◆経済成長は、みんなが幸せになるための有力の手段になりうるかもしれないけれども、目的ではない。目的にしてしまうと、それ以外の大切な価値、人命とか人権とか安全とか、そういうものを排除してしまうことになります。

◆安倍政権の経済政策の柱の1つに、なぜかあまり報じられない、重要なメニューがあるのをご存知でしょうか。
「インフラシステム輸出」が、それです。社会資本の整備が遅れがちな新興成長国群に対して計画的な都市施設、道路、電力網、ダム、水道などのインフラをコンサルティングの段階から設計、施工、資材調達、完成後の運営・メンテナンスまで含め、「官民一体」の「オールジャパン体制」で受注し手がけていくものです。
このインフラシステム輸出の中核にあるのが、原発です。それ故、安倍首相は海外でのトップセールスに熱心です。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
201972日(火)

 

 

<その20>
◆アメリカの軍事的シンクタンクであえて、尖閣諸島を東京都が購入すると発言したのは、絶えず極東に緊張を作っておきたいアメリカの意図には逆らいませんよ。というメッセージの発信だと、世界は受けとめます。あの人はいつもそうですが、愛国者きどりの石原さんがアメリカにいいように乗せらせてしまったというのは、なんとも情けない話で迷惑千万です。

◆2019年(平成31年)2月現在、民放連は、国民投票に臨んで賛否両陣営から出稿される広告には、一切の規制をもうけないという主張を続けています。
広告も表現の自由だという理屈だそうですが、そうでしょうか。ジャーナリストの取材や知見、良識などの一切を総動員して制作される番組と金しだいでどうにでもできる広告が同列に論じられてよいはずがありません。規制がなければ、財界をもバックにできる改憲派が圧倒的に有利なのは目に見えている。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
201971日(月)

 

 

<その19>
◆全国の小中学校や高校に配られている「オリンピック読本」には、ところどころ嘘が書かれています。参加国の選手が3位以内に入賞すると表彰台に立ち国旗が掲揚されて、国歌が演奏される。などと書いてあります。しかしながら、オリンピック憲章に定められているのは、「選手国の歌」であり「選手国の旗」であって、国歌でも国旗でもありません。そもそも国単位で参加しているとは、限らない。香港とかマカオみたいに地域で参加するところもあります。国単位だというのなら台湾が参加するのもおかしい。という話になりかねません。

◆もうひとつおかしいのは、ボランティアです。先にも述べた教育基本法の改正以来、高校生にはボランティアが義務づけられるようになってきました。ボランティアは、本来、自ら進んで社会貢献するものなのに、それを義務付けられて、評価の対象にさえされてしまった。考え方としては、徴兵制度とよく似ています。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019628日(金)

 

 

<その18>
◆テレビのワイドショーの司会や報道番組のコメンテーターまでお笑い芸人を見ない日はありません。頭の回転がが速くて、賢い人も多いというのが一般の理解かもしれませんが、単なる反射神経で、重要なニュースをネタにしてまぜかえしたり、堅い話、とくに政治や経済のは話となると、自分の保身のために、話しているとしか思えない場面にしばしば遭遇します。こう言えば、テレビ局の上の方が広告代理店が喜ぶと、そういうことで、コメントしているような気がしてしょうがありません。いわゆる「空気を読む人たち」ですね。ネトウヨみたいな多いので、辟易しています。
典型が「ダウンタウン」の松本人志さんでしょうか。松本さんは「ワイドショー」などの番組で、しきりに安倍バンザイ。政府は正しいと繰り返しています。なにかというと自己責任論を唱えます。 

◆コンビニが便利になりすぎたため、消費者の振る舞いがおかしくなってしまった。という話をセブンイレブン加盟店のオーナーに聞いたことがあります。トイレを使わせてくれと言ってきた客が、汚したまま流さないとか、ひどいのが、麻薬を打って注射器を捨てていくとか、そんなことが日常茶飯事なのだそうです。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019627日(木)

 

 

<その17>
◆明治維新の頃から、日本で力のある人間というのは、欧米というか、米英の傀儡だったのではないか。日露戦争の戦費の半分以上は、アメリカ、イギリスに売った外債だったという話をしました。あちらにはあちらの事情があって、とくにイギリスはアフリカでボーア戦争を戦っていた時期で、そちらに手がかかっていた。ロシアの脅威を感じてはいても、自分で戦争する余裕がないので、極東日本にやらせた。そういう側面が強いといいます。

◆昭和の末期に国鉄が民営化され、キヨスクの経営も鉄道弘済会からJRの子会社に移りました。それでも弘済会は新聞や雑誌の卸は続けていたのですが、2018年10月彼らはこの仕事から撤退してしまったのです。
キヨスクにおける新聞・雑誌の売り上げは1993年(平成5年)がピークで直近の2017年には10分の1に縮小しています。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019626日(水)

 

 

<その16>
◆私が会ったとき、中山正暉さんが「斉藤さん、私は怖いんです。」と言い出したのは驚きました。何かと問えば、「公安警察が」と言う。「この国の公安とはいったい何んだ」と。あなたたちが動かしている組織じゃないですかと返したら、「そうではありません」「公安は得体の知れない力を持っている」と彼は話していました。

◆アメリカという国は、これ以上がないほどに、官民一体が徹底した国なのです。なるほど、資本主義だ。企業活動の自由度はすさまじく高いけれども、なにしろ多国籍企業の利益が第一という点で完全な価値観が一致しているので官民がそれぞれ異なるアプローチで同じ目的に向かって邁進する。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019625日(火)

 

 

<その15>
◆金丸信さんは、自民党の黒幕とか、「影の総理」などと呼ばれていた。1990年(平成2年)、社会党の田辺副委員長らとともに訪朝し、金日成主席と会談・過去の植民地支配を反省、謝罪し、戦後賠償に関する約定を交わしてきました。金丸さんには、「角さんが日中なら、俺は日朝国交正常化だ」という腹があったのではないでしょうか。 うまく行っていれば、と嘆かずにはいられません。
ところが、それを国内では土下座外交と言われた。金丸さんは みるみるうちに立場を失っていきました。

◆角栄さんや金丸さんの晩年には共通項ありました。日本の保守にも、戦争責任を感じていたり、ことに中国や朝鮮半島への贖罪意識から深い反省を示して、なんとか国交を回復しよう、仲良くしようと努力した政治家たちはいたのです。でも、それをやったら失脚する。おそらくアメリカに潰される。
この極東に絶えず緊張を作り出しておかないといられない勢力が日本にもアメリカにもいるということではないでしょうか。彼らは虎の尾を踏んでしまったのです。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019624日(月)

 

 

<その14>
◆このときが最初だったのか、それ以前からなのかは、釈然としませんが、小泉一族というのはアメリカの代理人一族として位置づけられているのではないかと思います。純一郎首相による構造改革は、日本の国富をアメリカへの移動そのものだし、彼の次男である小泉進次郎さんもまたアメリカのCSIS(戦略国際問題研究所)に長く席を置いていました。

◆それから7年間の辛抱強い計画が岸を戦犯容疑者から首相へと変身させた。(中略)
岸は日本の外交政策をアメリカの望むものに変えていくことを約束した。アメリカは日本に軍事基地を維持し、日本にとって微妙な問題である核兵器も日本国内に配備したいと考えていた。岸が見返りに求めていたのは、アメリカからの政治支援だった。

◆CIAは1948年以降、外国の政治家を買収し続けていた。しかし、世界の有力国で将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は、日本だった。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019621日(金)

 

 

<その13>
◆日本で権力を握っている層というのは、そういう構造の中でその地位があるから、絶対に変えさせないのですね。だから、いの一番に改めなければならないはずの日米地位協定にしても、絶対に手をつけようとしない。簡単に言うと、日本で高い地位につく人間の最大の条件は家柄です。昔と違って皇室との距離とかではなくて、要はアメリカによる統治にいかに貢献した家柄かそうでないかの差。大日本帝国の立役者のひとりで、A級戦犯として処刑されるはずが、釈放されて総理大臣にまでのぼりつめ、日米安保の改定を強行した岸信介元首相を祖父とする安倍さんは、アメリカにとっては最大の功労者一族です。

◆東京オリンピックが開かれ、東海道新幹線が開通した1964年という年は、生存者叙勲が復活した年でもありました。叙勲は古い封建制度の名残りでもあるので、戦後はGHQによって禁止されていたのです。それが戦後20年を前にして復活しました。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019620日(木)

 

 

<その12>
◆安倍晋三首相は、なにかにつけて「明治に学べ」「明治に倣おう」と施政方針演説などで繰り返します。2018年(平成30年)は「明治150年」に当たるとして、10月22日に記念式典を開きました。政府は大はしゃぎでしたが、一般的な盛り上がりには欠けていたのが救いです。

◆日本の近代化というのは、とどのつまりイギリスやアメリカに頭を撫でてもらうための歴史だったののではないか、と私は、最近、そんなことばかりを思って、煩悶しています。「有色人種が白人に勝った初めての戦争」だなんて自画自賛したがる人の多い日露戦争にしても、アメリカとイギリスに国債を買ってもらって戦費を調達したのです。彼らの代理戦争を戦わされたのだという議論もあるほどですが、勝って調子に乗り、満州の権益に手を伸ばし始めたのが嫌われて、潰されてしまう結果になりました。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019619日(水)

 

 

<その11>
◆ベトナム戦争当時、反戦運動をしている人はたくさんいました。広く報道もされていましたから、まるで日本中が戦争に反対していかように見えたのですが、決して、そんなことはなかった。大方の人々はむしろベトナム戦争を歓迎していたのではなかったか。ただ、その構図が見えにくかっただけなのだと思います。

◆興味深いことに、こうしたベトナム戦争と高度成長の関係は経済書のどんな本を読んでも、まず、触れられていません。この点は朝鮮戦争と対照的です。

◆戦後のアメリカはずっと日本に朝鮮戦争やベトナム戦争で稼がさせてくれ、あるいは、アメリカ国内の市場を解放して、これまた稼がせてくれた。その代わり軍事的にも政治や外交、経済、社会、文化あらゆる領域で、この国への支配力を高めてきました。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019618日(火)

 

 

<その10>
◆平成史における新自由主義は、しかし日本の政財官界が独自に進めたものではありません。アメリカ政府が送りつけてくる「年次改革要望書」にしたがって、遂行されていたのです。開始されたのは1994年(平成6年)11月。前年7月の宮澤喜一首相とビル・クリントン大統領の会談で決定された流れでした。

◆平成最後の時点で、オリックスやソニー、都心の一等地を多く保有している三井不動産といった有力企業の外国人持ち株比率は優に50%を超えています。また、三菱地所やトヨタ自動車の外国人持ち持株比率も50%に近づいています。

◆実は辺野古で計画されている滑走路は約1,800メートルしかありません。2,700メートルある普天間より短いので、それだけでは基地機能の移設にならないというのです。米軍側は那覇空港を緊急時に利用することを考えているといいますが、県内のコンセンサスを得られることは考えにくく、辺野古が完成しても普天間飛行間は残される可能性は小さくないというわけです。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019617日(月)

 

 

<その9>
◆あの頃はよく「9・11で世界が変わった。」などという言い方がはやりました。私はそれがものすごく嫌だった。アメリカはいつだって戦争ばかり繰り返してきたではないか。自分は攻撃されずに相手を殺しまくるのが当たりの国際秩序で憎まれて攻撃されたら驚いたり嘆いたりって、どういう了見だ、と考えるから。この思いは今も変わりません。

◆商売相手の文化とは邪魔なもの、忌むべきもの、ぶち壊すべきものだという思考には、唖然とさせられた。そうかアングロサクソンというのは、そうやって世界を制覇してきたのだな。とつくづく思ったことでした。

◆テロを戦争に拡大させたのは、アメリカですよ。しかもああまで一方的な被害者気取りでそれをまた日本国民が丸ごと同調するのが不思議でしょうがなかった。

◆新自由主義には当然、縁故主義も初めから含意されています。要はコネも競争力のうち。そして本当はそのコネが一番大きい。企業のコスト競争力というのは、一定以上のレベルになれば、それほど変わるものではありませんから。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019614日(金)

 

 

<その8>
◆新自由主義という強い者が勝ち、弱い者が死ぬという思想でも優生思想は必然です。むしろ、現代の優生思想は、この新自由主義とセットになってはびこってきたと言っても過言でありません。

◆サッチャー政権の頃のイギリスで、日本では平成になる以前でしたが、65才以上の人工透析の補助金をすべて打ち切ったことがあります。透析しなければならないほど、腎臓を侵された人は、やめてしまえば、死を待つだけです。

◆裁判員制度の狙いは、建て前的には裁判への市民参加です。専門家だけではない、市民の判断を司法の場に持ち込もうということ。そのとき言われたのが、日本では刑事裁判で起訴されると99%は有罪になるが、これはおかしい。それは、裁判に市民目線がないからだ。という理屈でした。それに風穴を開けるのだという意義が最初は強調されていたのです。しかし、いざ裁判員制度が実現してもこの状況は一向に変わりません。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019613日(木)

 

 

<その7>
◆特定秘密保護法案が成立したのは、2013年12月のことでしたが、成立翌日の朝日新聞が実に興味深かった。1面トップで、成立の事実を大々的に報じ、その横に編成局長名で「それでも我々は知る権利のために戦うぞ」という旨の宣言が揚げられていた。実に威勢のいい立派な文章でした。
ところが同じ紙面の5面か7面には、先ほど話した消費税の軽減税率に関わる記事が、ただし、ものすごく小さく載っていたのです。「日本新聞協会は自民党税制調査会に要望書を出しました」「その自民党税調は受け取ってくれました」「オネダリがうまくいくかも」みたいなことが書かれていた。1面トップのカッコよさが台無しです。これを読んだ「安倍政権の人間は、きっと大笑いしたでしょうね。」

◆日本と北朝鮮はとてもよく似ている。いまはまだ日本のほうが巧妙であからさまな度合いが小さいが安倍政権の目指す方向は、彼らとほぼ同じだ。違うのは、それが社会主義によるのか、資本主義によるのかという点だけだ。 政治体制が異なっていても、権力者の号令一下で個人と家族が同じ方向を向くという点では同じです。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019612日(水)

 

 

<その6>
◆一般の刑事事件をこんなふうに科学捜査を駆使して捜査してくれたら、たしかに解決するケースも増えるかもしれませんが、それにしたって、監視や権力による個人監視の危険性に無頓着すぎる。監視は刑事事件より思想の取り締まりに活用されるためにこそあるという視点が完全に抜け落ちています。住基ネットや盗聴法(通信傍受法)が制定された1999年「科捜研の女」の放送が始まったというのも、あながち、偶然ばかりではないでしょう。

◆かつてのように、事件記者とか弁護士とか在野の人間を据える作品は、風当たりが強いが刑事や検事を英雄にし、権力側に寄ると、とたんに万事がうまく運ぶ―とは、テレビ局のベテラン制作者に聞いた話です。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019611日(火)

 

 

<その5>
◆実は軽減税率が閣議決定された前後の数ヶ月のうちに国会でも30回ぐらい、新聞の軽減税率の問題に関して論戦が重ねられていたのです。質問したのは主に民主党や維新の会でした。だけど、新聞にはそんなことまったく載らない。

◆「本当は困っている。でも消費税は国策だ。もろに、反対したら共産党と同じ立場になる。我々はあくまでも体制内のエンタブリッシュメントのインナーサークルにいたいのだ。だから消費税には絶対に反対しない。その代わりに補助金をいただけばよいのだ。」(日本商工会議所の幹部の発言)
厄介なのは、日ごろはリベラルと見なされる経済学者たちに増税万歳派が少なくないことです。福祉を充実させるためには、仕方がないと彼らは言います。

◆2013年12月に「社会保障制度改革プログラム法」が成立しています。この法律は、社会保障というものの定義をそれまでと一変させてしまいました。公助、公の助けではなくて、自助、共助のサポートというふうに変えた。ということは、国や自治体は必ずしも苦しい人を助けなければならないことはない、という意味です。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019610日(月)

 

 

<その4>
◆父の帰還を11年間も待たされた母もまた、東京大空襲の被災者でした。空襲の被害者や被害者遺族は、のちには国に賠償を求める裁判をいくつか提訴しましたが、すべて却下です。国はどこまでも国民の「受忍義務」を言い募り、司法がこれを当然のように認めた。政府が始めた戦争で、国民がどれほど犠牲にされようとそんなもの知ったことか、我慢せえ、と。国家というのは、とことんふざけているものだと、私は思います。

◆いまや、日本社会はスマホで動いているよなものですし、30代以下の世代ともなると管理社会や監視社会に対する抵抗感もまったく見えない。人間は監視されて当たり前:それがいけないなんて、あんた、頭おかしいんじゃにの?って顔を近頃はよくされますもの。平成とは、監視が常態化した時代だったとも整理できるでしょう。

◆レーガン大統領やパパ・ブッシュ大統領は、あちらの財務省に、「日本の消費税のような税制を導入したい」と言い出しました。
ところが検討の結果、あちらの財務省はどうしたか?「大統領、それはいけません」と忠告してやめさせた。なんてなれば不公平すぎる。下手をすれば暴動だと諫言したということです。あの、弱肉強食の金持ちは人にあらずのアメリカでさえねという話です。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
201967日(金)

 

 

<その3>
◆早い話が女性を働かせて労働者の供給を倍にすれば、1人あたりの人件費コストを下げられる。という論法です。いま「女性活躍」と言われているのは、すべてこちらの文脈です。本質的には、天と地ほど異なる発想であるはずなのですが、「女性が働きやすい」と「女性も働くしかない」がなぜか一緒くたにされているのですね。

◆戦後、間もない頃に「農地解放」がありました。GHQの命令で自分では農業をやらずに小作人から小作料を取っていた寄生地主が貸していた土地を小作人に安く売らなければならなくなった。「農地改革」と言いますが、小作地の80%が農民自身の所有になり、農民側から見れば「開放」なので、私はこちらを採りたいと思います。

◆日本を離れていたのは、たったの1年間だけなのに、成田空港に着いたとたん、かなりの違和感を抱いたことを覚えています。多様な人種が混在している社会に半端になれたせいか、周りの人がみんな同じ人種であることが、しばらくの間、なんだか不気味に思えてなりませんでした。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
201966日(木)

 

 

<その2>
◆特筆すべきは、彼らが世界最大の自国マーケットを日本にほとんど開放してくれたこと。日本の経済成長はNHKの「プロジェクトX」が持て囃していたような、日本人自身の勤勉さとか、努力など関係なかったとまでは言いませんが、何よりも東西冷戦、その下における朝鮮戦争、ベトナム戦争に伴う直接・間接の時需のおかげだったのです。

◆日本国内は日本国内でアメリカにひたすらひれ伏し、国民をして彼らが喜ぶように操ることの見返りで偉くしていただいた人やその一族ばかりが 権力を世襲するのが普通になってしまった。平成とは、そうした流れでほぼ定着した時代だったということです。後世の人びとに遡られたら平成とは20世紀以降で最悪の時代だったというのが定説になりかねないかもしれません。ただ、その平成も終わりを間近に控えていた2018年の師走に改正入国管理法と改正水道法案が 相次いで可決成立されたのが、気になります。前者は外国人労働者の大量流入を促し、後者は命の根幹である水が外国資本に委ねられる可能性を聞くものに他ならないからです。


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  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
201965日(水)

 

 

斎藤氏のなかなかの力作である。
以下、本書よりおインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆司馬遼太郎氏が「明治はよい時代で、昭和は悪い時代」と簡単に定義してしまい、それをまた普遍的な真理だと思い込んでいる人が多いのには辟易しますが言うまでもなく、そんなバカな話はあり得ない。昭和の戦争の時代が酷い時代だったのは、間違いなくても、その萌芽が明治にあったのは歴史的事実です。

◆たとえば、私は憲法9条を支持する派ではありますけれども、あれは、もともとが日米安全保障条約とセットであるわけです。突き詰めてしまえば、とどのつまりは、アメリカの都合で決められたものだ。その後の日本は端的には「逆コース」で示されていたように、中国やソ連に対するアメリカの防波堤 すなわち不沈空母としてのみ生存を許されていたとさえ言える。地政学的と言うのですが、地理的な位置関係とあとはアメリカにとって便利な基地の島として、ですね。


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  香山リカ「皇室女子〜鏡としてのロイヤル・ファミリー〜」(秀和システム)
2019522日(水)

 

 

<その6>
◆皇室の環境に自分と適応させようと努力してきましたが私が見るところ、そのことで疲れきってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。

◆小和田雅子さんが皇太子妃に内定したときい、私のまわりの女性たちは声をひそめてこう言った。
― 本当に気の毒に。なんとかしてお断りするわけにはいかなかったのかしら。

◆「外交官として働くのも皇室の一員になるのも国のために働くという意味では同じ」という皇太子さまの言葉を信じて、結婚というより転職するかのようにして皇太子妃になっていった。
しかしあれほど優秀な雅子さまにとっても、いや優秀だからこそ「自由」のほとんどない皇室の生活に適応するのは、あまりにむずかしかった。そしてようやく念願の第一子である愛子さまを生んだあと、雅子さまは長い長い療養生活に入った。

◆もっといえば、多くの人にとって、皇室はもはや単に尊敬すべき対象ではなく、自分をそこに写して、いろいろ考えさせてくれる対象だからこそ、誰もが皇室にはいつまでも続いてほしいと願っているのだ。


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  香山リカ「皇室女子〜鏡としてのロイヤル・ファミリー〜」(秀和システム)
2019521日(火)

 

 

<その5>
◆雅子さまの「複数の明らかなストレス要因」とは何であろう。医師団の見解では具体的にされていなかったが、これまでの雅子さまの発言や行動を見ると、それはやはり「皇室に入ったこと」「外国に行くのがむずかしかったこと」「愛子さまを望み通りのやり方で育てられないこと」などであろう、というのは誰でも想像がつくことだ。

◆雅子さまも「目標、計画、努力、達成」の人生を歩んできた人だ。それが皇室に入り「国民にために祈る」とか「世継ぎをもうける」といった漠然とした目標、あるいは努力してもそれが結果につながらない課題を突きつけられる中で、次第に心身にストレスを感じるようになっていったのだ。勝間さんのように「努力をすれば明らかにそれに見合った成果が手に入る」という世界にいれば、雅子さまは「適応障害」になどになることはなかったであろう。

◆そして、当時の社会にはそういう女性がたくさんいたのである。つまり、「努力しすぎてそれがストレスとなって、うつ病になった」 のではなくて 「努力ができないことがストレスとなってうつ病になった」 という女性たちだ。


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  香山リカ「皇室女子〜鏡としてのロイヤル・ファミリー〜」(秀和システム)
2019520日(月)

 

 

<その4>
◆私のまわりでも、いわゆる「雅子さまクラス」の女性は、ほぼ全員年上の外国人と結婚している。彼女たちは決して尊大ではなくむしろフランクな人柄なのだが、同世代の日本人男性は怖じ気づいて近寄ろうとしないのである。

◆つまり妊娠じたいかなりの「偶然の産物」であり、実際には不妊のカップルというのは、意外に多く、いまは10組に1組の割合というのが通説になっている。

◆その「公園デビュー」が失敗に終わったあたりから雅子さまは公務を欠席することが多くなり、その年の12月の帯状疱疹のための入院から長期療養に入ったことは、本書のプロローグで述べた通りである。

◆2009年に入り、実家の軽井沢の別荘での療養、その後、帰京しての東京での療養が続く雅子さまであったが2009年7月についに「東宮職医師団」の名義で正式な「病名」が公表された。その病名は、身体の疾患ではなく「適応障害」というメンタルな疾患であった。


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  香山リカ「皇室女子〜鏡としてのロイヤル・ファミリー〜」(秀和システム)
2019517日(金)

 

 

<その3>
◆その日、天皇は雅子さまにこう語りかけられたと伝えられている。「国民みんなが待っているからね」
すると、雅子さまは色をなしてこう返事をされた。
「私の友達にそんなことをいう人は一人もいません」
あまりのおっしゃりように周囲は唖然としてしまったという。

◆しかし、実は世界的な流れから見ると子どもを持つことについて、その当事者である夫婦以外の誰かが、たとえ、その親であっても口をはさむのは「人権侵害」ということになりつつある。

◆雅子さまが結婚し愛子さまを出産するのは2001年になってからのことである。
その誰もが結婚から8年目の出産、敬宮愛子内親王の誕生を喜びながらも心の中では、「でもお世継ぎの問題はまだ解決していない」と思ったことであろう。
皇太子夫妻のミッションは、ただ「子を成すこと」ではなくて「天皇となる資格をもつ男子を成すこと」であるからだ。


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  香山リカ「皇室女子〜鏡としてのロイヤル・ファミリー〜」(秀和システム)
2019516日(木)

 

 

<その2>
◆つまり皇太子は、雅子さまが「美人で話もおもしろい。あなたのような女性とどうしても結婚したい」といった言葉より「皇室の一員として国のために働きませんか」という言い方のほうが雅子さまの心を動かすに違いないと考え、そして、それは、ズバリ的中したのだ。

◆雅子妃で本人は、「皇室外交の担い手になる」という意気込みで結婚されたのだと思います。実際、それを期待させる言葉で皇太子は雅子妃を口説き落としている。しかし、いざ結婚してみたら、求められるのは、跡継ぎの出産のことばかり。皇室外交への期待の声などほとんどない。前に出て自分を主張したり能力をアピールすることは、皇族らしくない振る舞いとして疎まれ、変人扱いされてしまうのですから行き詰まって当然でしょう。
雅子妃が皇室祭祀に参加しないことへの苦情もよく聞きますが皇室祭祀は自分の存在をアピールできるような外交のような場とは、対極的な滅私の場だから。雅子妃には参加する意味が見い出せないのではと思います。


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  香山リカ「皇室女子〜鏡としてのロイヤル・ファミリー〜」(秀和システム)
2019515日(水)

 

 

なかなかの力作である。ソフトな天皇制批判といったところである。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1> ◆逆接を乗り越えた人たちの心理的特徴をさらに研究すると、そこには「厳しい状況でもネガティブな面だけではなく、ポジティブな面を見い出すことができる」という共通点があることがわかってきた。美智子さまのすごさをあえて言葉にするとしたら、それは、この「レジリエンス」ということになるのではないのか。

◆しかし美智子さまにとっては、たぐいまれなるレジリエンスが思わぬ「副作用」をもたらすことがある。それは、「自分の身近にいて、自分のようなレジリエンスを持ち合わせていない人」にうまく共感することができない。ということだ。そのひとりが雅子さまであった。

◆雅子さまの特徴は「まじめだが融通がきかない」ということである。決められた目標に向けて計画を立て、それに向けて努力する。というのが、雅子さまがいちばん得意とするところだ。


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  矢部宏治「知ってはいけない2」(講談社)
2019228日(木)

 

 

<その8>
◆アメリカ政府と数多くの重大な密約を結び、しかし、その存在を否定して、過去の資料を捨てつづけた結果、日本はいわば「記憶をなくした国」になってしまったのです。それは同時に日本がアイデンティティ(自己同一性)を喪失した国になってしまったということでもあります。

◆外交というのは、けっして軍事力だけが武器ではない。「論理」と「倫理」、そして「正義」が現実の世界においても非常に大きな力になる。そのことを証明してくれた文大統領に心から感謝したいと思います。

◆ローマ帝国は、権力、富、快楽に対するあくなき追求をよしとするこの上に建てられた帝国だった。それが成長期には、ローマの活力源となり、対外発展の原動力となっていた。しかし、衰退期には、その同じものが社会を解体させ帝国を崩壊に導いたのである。(略)
はじめ成功をもたらしたものが、やがて失敗を導くようになり、はじめ良しとされていたものが、やがて悪しきものと変わることに歴史の弁証法がある。


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  矢部宏治「知ってはいけない2」(講談社)
2019227日(水)

 

 

<その7>
◆たしかに、私がここまで説明してきたことを列挙すると、
「アメリカは日本を防衛する義務はない」
「しかし、日本の国土を自由に軍事利用する権利を持つ」
「日本の基地から自由に出撃し、他国を攻撃する権利を持つ」
「戦場になったら、自衛隊を指揮する権利を持つ」
「必要であれば、日本政府への通告後、核ミサイルを日本国内配備する権利を持つ」
という事になりますから、まさかそこまで不公平な二国間関係が、21世紀のこの地球にあるはずがないだろうと思われるかもしれません。

◆はたして、そうした問題を「憲法には指一本ふれるな」という従来の方針のもとで、解決することができるのでしょうか。私はできるとは思いません。この際限のない「米軍支配体制」から抜け出し、正常な民主主義国家として生まれ変わるためには、歴史上民主主義を勝ち取ったすべての国と同じように、最終的にはそうした歪んだ現状を違憲とするより民主的な憲法をつくってその旗のもとに結集し、独裁政権を打倒するしかないのです。


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  矢部宏治「知ってはいけない2」(講談社)
2019226日(火)

 

 

<その6>
◆しかも、よく考えてみると、アメリカが日本に「核の傘を差しかける」ために、特別にかかるコストはゼロなのです。にもかかわらず、その見返りとして、旧安保時代は日本の国土の軍事利用が全面的に認められ、さらに新安保時代になると、それに加えて自衛隊の軍事利用計画と巨額の兵器購入計画までが、着々と進行しつつあるのです。

◆なぜなら、「旧安保条約と行政協定」の代わりに、その条文の組み合わせを変えただけの「新安保条約と地位協定」を与えられ大喜びして国土の軍事利用権だけでなく、自国の軍隊(自衛隊)の指揮権や、巨額の兵器購入費などを言われるままに差し出しているのが、現在の日本と言う国の姿だからです。


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  矢部宏治「知ってはいけない2」(講談社)
2019225日(月)

 

 

<その5>
◆そうした「日米安保体制」のコンセプトをアメリカ政府と共有することで、権力の座についた自民党政権にとって、「東アジアにおける共産主義勢力の脅威」は永遠に存在し続けなければならないものなのです。

◆富士山の東側のふもとには、広大な自衛隊基地(北富士演習場と東富士演習場)が広がっています。ところが、現実にはこれらはすべて事実上の米軍基地なのです。というのは、日米合同委員会における密約によって米軍が年間270日間、優先使用する権利が合意されているからです。

◆アメリカの航空機や船は、いつでも日本の港や飛行場に自由に出入国できる条約上の権利をもっており、日本政府にそれを許可するとか、しないとかいう権限はまったくないという意味だ。


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  矢部宏治「知ってはいけない2」(講談社)
2019222日(金)

 

 

<その4>
◆もし、アメリカが岸の権力固めを支持してくれるなら、新安保条約を通過させ、左翼勢力の台頭を抑え込める、と言った。岸はCIAから内々で一連の支払を受けるより、永続的な財源による支援を希望した。

◆1957年6月、囚人服を脱ぎ捨ててからわずか8年後に、岸は[首相として]アメリカ訪問を実現させた。ヤンキー・スタジアムで始球式のボールを投げ、アメリカ大統領とともに白人専用のカントリー・クラブでゴルフをした。ニクソン副大統領は、上院で岸をアメリカの偉大で忠実な友人と紹介した。

◆では、その岸が、アメリカ政府から評価された最大のポイントはどこだったのか。もっとも大きな理由は、当時アイゼンハワー政権が進めていた、核兵器を中心とする世界規模での安全保障政策(ニュールック戦略)にありました。これは、ダレスが1953年に考案した軍事戦略で、簡単に言えば、高度な機動力を持つ核戦力をソ連のまわりにぐるりと配備し、そのことで、アメリカの陸上兵力を削減して、「冷戦における勝利」と「国家財政の健全化」を両立させるという一石二鳥を狙った計画でした。
その戦略の中で、もっとも重視されていたのが、同盟国から提供される海外基地のネットワークと、そこでの核兵器の使用許可だったのです。


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  矢部宏治「知ってはいけない2」(講談社)
2019221日(木)

 

 

<その3>
◆有馬教授は岸に関するCIA文書について、「CIAの岸ファイルには、ニューヨーク・タイムズの記事の切り抜きなどが数枚入っているだけだ。残っているはずのほか(大量)の文書や記録をいっさい公開していないのは彼が非公然にアメリカのためにはたした役割がきわめて大きく、かつ、公開した場合、現代の日本の政治にあたえる影響が大きいだろう。」と述べています。
はっきり言えば、岸の孫である安倍首相が日本の政界で主要な政治的プレイヤーでいるあいだは、そうしたファイルは、絶対に公開されないということです。

◆「岸は、日本の外交政策をアメリカの望むものに変えていくことを約束した。アメリカは、日本に軍事基地を維持し、日本にとって微妙な問題である核兵器も日本国内に配備したいと考えていた。岸が見返りに求めたのは、アメリカからの政治的支援だった。」(アメリカ大統領の首席公使だったグラハム・パーソンズの証言)


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  矢部宏治「知ってはいけない2」(講談社)
2019220日(水)

 

 

<その2>
◆ところが日本の場合は「アメリカとの軍事上の密約については、永遠にその存在を否定してもよい。いくら国会でウソをついても、まったくかまわない」という原則がかなり早い時点(1960年代末)が確立してしまったようなのです。

◆「事前協議がない以上、核兵器を積んだアメリカの艦船が日本に寄港することは絶対にない」という百パーセントの嘘をつきつづけたのでした。
この半世紀以上におよぶ国会での虚偽答弁こそ、その後、自民党の首相や大臣そして官僚たちが、平然と国会でウソをつき、さらにはそのことにまったく精神的な苦痛や抵抗を感じなくなっていった最大の原因だといえるでしょう。

◆日本の政治かの政策理解能力が低いというのは、よく知られた事実です。大臣なども、任期1年や2年でどんどん替わるため、ほとんど飾りもののような存在で、アメリカ政府との間で、英文で合意された複雑な密約の内容と、きちんと理解していなくてもまったく不思議ではない。


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  矢部宏治「知ってはいけない2」(講談社)
2019219日(火)

 

 

知ってはいけないシリーズの第2弾である。サブタイトルには、日本の主権はこうして失われたとある。以下本書より、インパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆ごく簡単に言えば、当時の吉田茂首相と日本の外務省が米側から「独立派させてやる。そのかわり、占領中と同じく米軍への軍事支援は続けると約束しろ。いいか。オレたちはいま、朝鮮半島で生きるか死ぬかの戦争をしているんだ。とにかく軍事の問題については、すべてオレたちのいうことを聞け。わかったな」と有形無形の圧力をかけられて結んだのが、旧安保条約と行政協定だったわけです。基本的にはそのときの米軍との法的な関係が今も続いている。

◆現在、外務省は、アメリカとの軍事上の密約をまったくコントロールできなくなっている。というのも、過去半世紀以上にわたって、外務省はそうした無数の密約の取り決めについて、その存在や効力を否定しつづけ、体系的な記録や保管、分析、継承といった作業をほとんどしてこなかったからです。


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  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
2019218日(月)

 

 

<その10>
◆戦前・戦中の日本と、今の日本が似ているのは、それほど貧しくなく、どちらかというと享楽主義である点だと思います。政治への関心はどちらもあまり高くない。安倍首相が掲げるスローガンを鵜呑みにしているようでは、同じような過ちをまたやるんじゃないかと心配になります。

◆考えてみたら、「戦後〇年」と言っているのは、日本だけなんですね。他の国はどこも「建国〇年」です。私たちだけは、「戦後」を使っている。私たちの社会は戦前から戦後に連続しているんです。日本にとっての戦後の再スタートは、少なくとも建国ではなかった。新しい国づくりのような顔をして、戦後レジームをつくったけれども、これはまたすぐ元に戻りやすいものなのかもしれない。もともと政府の政策に同調しているほうが楽なのであるから。そんなふうに感じたりします。
(以上が、半藤一利)


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  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
2019215日(金)

 

 

<その9>
◆昭和20(1945)年3月10日の東京大空襲の犠牲者は、10万人にも上りますが、なぜそれほど膨らんだかと言うと、みんな消火活動をしていて、逃げ遅れたからです。焼夷弾は消せるから逃げてはならないという指令が来ていて、私も含めてたくさんの人がバケツで火を消そうとしていた。けれど、焼夷弾の火は、消せるなんて甘いもんじゃないんですよ。気づいたときは周囲が火と煙の海になっていました。

◆戦争をできる国にするためにいちばん大事なのは、憲法9条を変えて、自衛隊を軍隊にすることですが、安倍政権が狙っている憲法改正のもう一つの目玉は緊急事態条項でしょう。これがうまく織り込めれば、戦争国家体制つまり総力戦態勢をつくることができるわけです。

◆満州国を建国したところで、国際連盟が介入し「凍結しろ」と要求していれば、日本もそこで立ち止まったと思うんです。あそこまでつくりあげたものを「ゼロの状態に戻せ」というのであれば、やはりうまくいかない。リットン調査団は、ギリギリまで譲歩して調査報告書を出しました。日本はをそれをのめばよかったんです。日本の生命線が満州国だったのと同じように、核は北朝鮮にとって生命線になっています。北朝鮮はすでにポイント・オブ・ノーリターンを超えてしまった。まったくゼロの状態(非核)に戻すことは不可能だと思った方がいいでしょう。


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  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
2019214日(木)

 

 

<その8>
◆世界恐慌から一番早く抜け出したのは日本だったんです。日本が貧しかった時代はせいぜい昭和7年くらいまで。日本は貧しいからやむを得ず昭和12(1937)年に中国と戦争を始めたという話はウソです。日中戦争なんか日本はやる必要なかった。生産力が上がって、いい調子になっている時代だったのですから。私は昭和5(1930)年の生まれですが、昭和12年くらいまでの日本の民衆の生活は大らかなもんでした。

◆戦争が始まった後もくらしは質素でしたけど、食えないということはなかった。食えなくなったのは戦後になってからです。そりゃ戦時下ですから「ゼイタクは敵だ」と、節約生活ではありましたが。

◆歴史を丁寧に検証したとき、もう後戻りできなくなる時点と言うのがあります。私はそれを「ポイント・オブ・ノーリターン」と呼んでいます。私に言わせれば、太平洋戦争のポイント・オブ・ノーリターンは、昭和15年9月に日独伊三国同盟を結んだ瞬間です。


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  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
2019213日(水)

 

 

<その7>
◆日本は戦争責任の総括をしなかったことで、確定した歴史を持たないまま、なんとなく民主主義の旗を掲げてきたに過ぎません。これに加えて近年は、社会の閉塞感が高まっているうえに、ネット社会の拡大で歴史や事実が意味を持たなくなり、多くの日本人が情緒と気分で生きるようになっています。けれども私たち有権者は、いまこそ歴史的な事実やあるべき原則を蔑ろにしてはなりません。

◆今は情報があふれている時代です。大人から子どももまで、スマートフォンを手にして、多くのニュースを流し読みします。そうすると、原則に照らして、物事を見る習慣が失われます。世の中を眺めるスタンスが個々の中で、確立されていないと、「おかしいでしょう」と思わなくなってしまいます。しっかりと目を見開いて社会を見ていないと危ないという危機意識が希薄です。自分のことで忙しいし、何とかなるだろうという慢心があるのだと思います。
(以上が、高村薫)


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  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
2019212日(火)

 

 

<その6>
◆その他にも、戦力を保持しないと書かれている憲法9条は、そのまま日本語として読めば、自衛隊の存在はあり得ない。けれども、実際に自衛隊は存在する。そういうものすごく微妙かつ曖昧なところで、私たちは戦後72年生きてきたのです。そして、だんだんと戦前を記憶する人が減り、勝手な歴史解釈をする政治家が出てきて、それを「復古」を求める人たちが支えているという構図です。

◆敗戦の総括ができなかったことはものすごく大きな負債です。教育基本法から「共謀罪」法の成立まで、結果的に立憲主義を否定する方向に動いていますが、そうなる一番の根本に戦後の出発点があります。私たち日本人はきちんと完全に戦争を否定しないまま、出発してしまいました。とりかえしのつかない私たちのくびきです。


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  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
201928日(金)

 

 

<その5>
◆第一次安倍晋三内閣の主導で、2006年になされた改正教育基本法の前文を見ておきたい。(旧法である1947年制定の教育基本法が「真理と平和を希求する」とした部分は、「真理と正義を希求」に修正された。「平和」が「正義」に変えられた点など象徴的だろう。さらに、第三次安倍内閣下では、2015年の文科省告示により、道徳の教科化が図られ、18年度からは小学校で、19年度からは中学校で、学習指導要領に基づいた、科目としての道徳教育が始まろうとしている。
(以上が、加藤陽子)

◆例えば、憲法には天皇は「日本国民統合の象徴」と書かれていますが、よく考えてみると、統合の象徴というものは、どのようなものなのでしょうか。よくわからない曖昧な言葉が憲法の一番はじめに書かれている。それをなんとなく、この70年あまりの間、私たちの憲法として受け入れてきたわけです。


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  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
201927日(木)

 

 

<その4>
◆アメリカはこの属国をこのあとひたすら収奪するだけだと、私は思っています。 かつてのアメリカには長期的な世界戦略がありました。でも今のアメリカにはもうそれがない。

◆アメリカは世界はこうあるべきだと国際社会に向けて発信するメッセージがもうない。「アメリカがよければ、それでいい。」と開き直った。「オレはこうしたい。オレに協力しろ。オレに従えば、それなりのほうびを与えるが、しなければ処罰する」とシンプルな定型文を他国に突きつけるだけになる。日本に対しても、「アメリカの国益を最大化するために日本は何ができるか」という問いが繰り返されるだけでしょう。

◆安倍政権は同じことをアメリカに求めている。日本国内で、どれほど非民主的で強権的な体制をつくっても、その政体がアメリカの国益を最大限配慮するという約束を果す限り、アメリカは日本の内政には干渉しない。求めるだけの年貢をもって来るのが「良い代官」であると。アメリカはそう考えています。
(以上が、内田樹)


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  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
201926日(水)

 

 

<その3>
◆今しなければならないのは、中産階級のこれ以上の崩落を防ぎ、貧困層を中流に押し戻すことです。資本主義経済の「延命」ということを考えたら、それ以外の合理的な手段はありません。
にもかかわらず、政治家もエコノミストも「選択と集中」「勝てそうなセクターに全資源を集めろ」「金持ちをさらに金持ちにしろ」というすでに失敗が明らかになった政策を一つ覚えのように繰り返すことしかできないでいる。この局面での不調はほとんど絶望的です。

◆歴史が教える通り、多くの知的イノベーションは「へそまがり」や「横紙破り」によって果たされてきたわけですけど、今の日本のアカデミアには、そういうタイプの学者の居場所がもうありません。日本の大学がイノベーションにおいて、先進国最低にまで急落したことは、海外メディアでは繰り返し報道されていますけれど、それは単に研究資金が減少したからだけではありません。ネポティズムの蔓延によって独立心の強い研究者に活動の場が与えられなくなったからです。


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  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
201925日(火)

 

 

<その2>
◆サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」は、発表当時あまりまともに取り合う人がおりませんでしたけれど、21世紀になってみると、彼の予想通りに世界は7つか8つの「地域帝国」に再編成されてゆきそうな趨勢にあります。

◆いまだに、政官財の要路にある人々は、「成長戦略」とか「少子化対策」というような空語をむなしく語っているだけで、ゼロ成長、人口減の時代にこうやってソフトランディングするかという緊急で具体的な問いには取り組む気がない。

◆いまだに五輪だ、万博だ、カジノだ、リニア新幹線だ、という「20世紀型ソリューション」にしがみついて「起死回生の大博奕」で経済が浮揚するというようなありえない夢を語っている。


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  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
201924日(月)

 

 

2017年10月30日発行の書籍だが非常に面白い内容で、読み応えがある。体制側の人間のコメントも一部載せてあるが、これは余計ではなかったのか。あまりにも浅薄なのである。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介していきたい。

<その1>
◆文明史的転換のひとつの際立った兆候は、国民国家の液状化です。
国民国家というのは、1648年のウェストファリア条約に基づいて設計された政治的な枠組みです。国境線で確定された国土があり、常備軍、官僚組織があり、宗教、言語、生活、文化を有する国民によって構成されている。それが国民国家の条件です。

国と言うのは、「もともとそういうもの」だと思っている人が多いようですけれど、国民国家が基礎的な政治単位であったのはたかだか350年に過ぎません。それ以前は帝国の時代でした。

その国民国家が合理的な政治単位であった時代は、終わろうとしています。地域によって遅速の差はあるでしょうけれど、世界は再び「帝国の時代」になると予測されています。


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  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181211日(火)

 

 

<その19>
◆そしていま、アメリカが専ら、中国に対してやろうとしているのは武器輸出です。兵器を輸出できるような環境をつくっていくとこです。それから、投資を呼び込むということで、アメリカ本国に中国企業を呼び込もうとしています。

◆オリバー・ストーンはヒラリーが大嫌いで、トランプを支持しますが、なぜオリバー・ストーンが彼を支持するのか。それはもうハリウッドがエスタブリッシュの一部になってしまっているからです。オリバー・ストーンがスノーデンの映画をつくるとき、これまでの映画と違い、エスタブリッシュメントを告発した内容の映画ですから、経済界から基金がまったく集まらず、自主制作のような状況になってしまっています。

◆これだけ時代の転換期に来ているのに、日本のメディアにはラディカルな主張がないのです。みんな日米基軸論ばかり。「日米同盟を超えて」なんて本を企画しても、絶対売れないと言われて、メディアも取り上げてくれそうもない。しかし本当は日米同盟を超えなければ、日本の21世紀は見えてこないのです。


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