渋谷区の税理士 中川尚税理士事務所

 

中川尚の飛耳長目(税理士読書日記)TEL 東京・渋谷 03-3462-6595

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
20231010日(火)

 

 

<その27>
◆これもやっぱり、2009年に誕生した民主党政権の罪が大きい。革新的なマニュフェストもありました。でもそこになかった消費税増税が実施された。あれがもたらした政治不信がいまにつながっているわけですから、公約中心に政治を変えようと言ったところで、国民はもうついてこないでしょう。

◆山本太郎さんが東京都知事を狙った戦略は、正しかったと思います。つまり、れいわ新選組という弱小政党がやってみせるには、自治体の長を取るしかないと。負けちゃったけど、戦略としては正しかった。維新とは、政策的立場は真逆ですが政治的戦略は維新に倣ったといえるでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

中川尚の飛耳長目(税理士読書日記)TEL 東京・渋谷 03-3462-6595

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023106日(金)

 

 

<その26>
◆アメリカでは、州知事を経て大統領になるケースが多い。州知事としての実行力がすでに可視化されており、それが大統領選で評価されるわけです。日本でも与野党が知事や市長として目にみえる実績をあげた人を総理大臣候補に掲げて衆院選を戦うようになれば、 「 期待 」 よりも 「 実績 」 を競い合う選挙に変わり、政治の質は格段に良くなるでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

中川尚の飛耳長目(税理士読書日記)TEL 東京・渋谷 03-3462-6595

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023105日(木)

 

 

<その25>
◆経営が弱りきった新聞を何が支えているかというと、政府広告、自治体広告です。電力会社なんかも含めて公的な団体、機関への依存度が上がってしまったのです。その結果、当然広告料を払ってくれる団体を批判しにくくなる。経営的にも 「 なるべく政府や自治体とことを構えるな 」 と。

◆国家の支配から市町村を解放することがいちばんの政治改革だと確信します。国家権力は暴走しないように憲法で徹底的に縛り、各市町村は市民の声を大胆に政策に移せるように権限を拡大する。そうすれば日本の政治はずいぶん変わります。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

中川尚の飛耳長目(税理士読書日記)TEL 東京・渋谷 03-3462-6595

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023104日(水)

 

 

<その24>
◆新聞記者が記者を辞めたあとに就きたい、一番憧れの職業を知っていますか?みんな大学教授になりたいんです。そういう記者が庶民目線で権力者を追及できるはずがない。

◆官僚や外交官、政治家、弁護士、学者。どれになってもよかったけれど、試験の成績が足りなくて、新聞社に入ったという人たちが、いまの会社の中枢にいる。それが新聞社の大問題だと私は思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023103日(火)

 

 

<その23>
◆なぜ、記者が権力に弱くなってしまったかというと。
実は東大から記者になった人が朝日新聞にいっぱいいるんですよ。彼らは大学時代の成績で大蔵省に行った人に負けている。最初から引け目があるんです。

◆医師を取材する科学部の記者だって、医師になりたかったけれどなれず、でも理系にいたから科学部の記者になったという人が多いです。そういう記者は医師にペコペコして、 「 自分は馬鹿と思われたくない 」 一心でゴマをする。そういう姿勢で取材するから、医師の言っていることを垂れ流す。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023102日(月)

 

 

<その22>
◆ホンマに 「 ちゃんと市民を取材しろよ 」 と思いますわ。だって取材してないんだもん。結局、市民、国民の側からの報道ではなくて、基本的に権力サイドからの情報を垂れ流してるんです。
コロナ報道にしたってまさに大本営発表じゃないですか。

◆残念ながら朝日新聞の記者の8割以上は、そもそもやりたいことがないし、保身しか考えていない。 「 自分が出世したい 」 とか 「 社内の立場を守りたい 」 と考える人たちにとっては、抗議がくるような原稿はリスクでしかないんです。本当に訴えたいことがあれば、リスクを背負ってでも闘うはずですが、そもそも伝えたいことがないから、リスクを負う勇気も持てない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023929日(金)

 

 

<その21>
◆問題はその省庁にいる 「 お友達 」 が言っていることを、自称:専門記者が疑いもせず、そのまま書いてしまうこと。すぐに役人にだまされるんです。役人のほうは利用しようと思って付き合っているだけのことが多い。

◆みんな、自分がいる 「 縦 」 の枠組みの中だけで生きてるんです。だから、コロナ対策の報道も腰が引けてしまう。厚労省や感染症の専門家に気に入られることが専門記者としての地位を高めると思っているから常に官僚や専門家の言いなりになる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023928日(木)

 

 

<その20>
◆各業界は補助金の一部を 「 中抜き 」 して、族議員への見返りとして、政治献金や選挙支援をし、官僚への見返りとして天下りを受け入れました。

◆私も朝日新聞に長くいましたけれど、病理の根本原因は明らかで、新聞社の古い 「 縦割り 」 制。これに尽きる。これが弊害になって、新聞社の命であるはずの報道を歪めてしまっている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023927日(水)

 

 

<その19>
◆でもね、やる作業は実際たかが知れてるんです。みんな、ふわっと選挙は大変だと思っているけれど、大したことない。5人でも十分強い選挙ができるんだから。
要は最低限、立候補届を書いて、掲示板にポスターを貼ればいいんですよ。あとはマイク1本あればいい。車があってもいいけど、なくたっていい。その程度の話。

◆戦後日本を主導した自民党政治は、国民生活の支援を国民一人一人に直接お金を渡すのではなく 「 業界経由 」 で行ってきました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023926日(火)

 

 

<その18>
◆市長はどれだけ議会で居心地が悪くても、市民の代表者としてドッシリしていればいい。半年ぐらい持ち堪えることができれば、既存の古い勢力も嫌がらせを続けられなくなってくる。だんだん自分たちの立場が危うくなってきますから。

◆旧民主党とか立憲民主党の議員に聞くと、  「 連合が持っている組織票自体は大したことない 」 とみんな言う。
ただ、連合を切ると選挙の実務が回らないと口を揃えます。 ( 実際にポスターを貼ったり、お金の計算をしたり・・・ )


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023925日(月)

 

 

<その17>
◆1990年代に進んだ地方分権改革で、地方自治体と国は対等な立場であると法的に認められ、市民から一番遠い国家が権限を握っている時代から、地方に権限が移ってきました。でもまだ、ほとんどの権限は都道府県止まりです。

◆通常、教育人事権は都道府県にあります。小学校、中学校の建物は明石市立なのに、働いている職員は県の管轄なんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023922日(金)

 

 

<その16>
◆韓国は大統領の任期を終えたら、ほぼみんな逮捕か自殺かで毎回大変ですやん。あれって韓国が異常なのではなくて、おそらく日本も中身は一緒なんです。
韓国は政権が切り替わるから、それまでの不正が発覚する。日本は政権が代わらないからどんな不正があっても隠され続ける。

◆いまの市を300ほどの人口20万〜60万人くらいまでの単位に置き換え、そこに権限と責任と財源を付与していく。行政体としての都道府県は、もう閉じてしまったらいいんじゃないかと。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023921日(木)

 

 

<その15>
◆裁判所は佐川氏が改ざんを主導したという事実を認めながら、個人の法的責任は問われないという判決を下しました。公務員が公務で行った改ざんなら、法的責任を問わないというのは、官尊民卑そのものです。

◆日本の最高裁も自民党と調整して判決を出している。今の最高裁判事にしたって森友、加計の顧問弁護士がなっているわけでしょ。本当は日弁連が推薦した方がいたのに断られたんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023920日(水)

 

 

<その14>
◆財務省を通らないカネの動きではなくて、全て財務省を通る形でカネを牛耳りたい。だから 「 保険ノー 」 「 税金イエス 」 なんです。

◆よく安倍、菅政権で官僚主導から政治主導になったと言われますが、私の取材では実はそうでもない。官僚はみな 「 安倍さん、菅さんが望むエサだけ渡すんです 」 と言っていました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023919日(火)

 

 

<その13>
◆明治憲法下では、公務員や官僚は天皇に仕える人々だったわけです。当時日本は天皇主権の国で、最高権力者は天皇でした。議員は一般市民・国民の代表で、公務員は天皇の奉仕者。つまり公務員の方が議員より身分が高かったんですね。

◆あくまでも私の見立てですが戦後日本の政治史というのはある意味、財務省と厚労省の戦いの歴史だったんじゃないかと思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023915日(金)

 

 

<その12>
◆私のように自由自在に人事権を行使しようとすると、副市長が止めに入ります。そして多くの市長は、副市長に丸め込まれる。市役所職員は市長を親分とは思っていません。彼らの親分は副市長なんです。

◆何度も言っているように中央省庁はそれほど賢くないし、市民・国民のことを本気で考えているわけでもない。悲しいけど、そこをちゃんと受け止める必要があります。財務省に任せていたら日本がよくなるというのは、完全な幻想です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023914日(木)

 

 

<その11>
◆ただ問題なのは、何をやってもマスコミは公明党を批判しませんからね。本当は莫大な金の無駄遣いとか、利権とか、いろいろな問題があるのに。特に地方では、公明党が隠れ蓑になってその大元である国土交通系業界団体が批判されない構図になっている。

◆かなり誤解されていると思うのですが、私は議会が揉めることがわかっていたので、それでも一度も専決したことがありませんでした。小池知事とか吉村知事は、コロナを理由に専決しまくっているんですけどね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023913日(水)

 

 

<その10>
◆それこそ田中角栄には成し遂げたいビジョンがありましたよね。でも西村さんの 「 総理になりたい 」 は偉くなりたいってだけでしょう。 「 何をするために総理になりたいのか 」 という話を聞いたことがない。

◆まさに昔の旧田中派の土建選挙をバージョンアップさせたようなことを、今の時代にやっているのです。まさに国土交通の権限をフル活用した形で選挙を戦っています。
それを違法とはいいません。公明党自身の自力が弱くなっているので、国政の役割も本来の福祉行政から国土交通系に乗り換えざるをえないのでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023912日(火)

 

 

<その9>
◆法律的、人道的、倫理的に許されるあらゆる手段を使って政局的勝利を実現し、多数派を形成して政策を実現してみせる。その覚悟のない人は、最初から政治家に向いていない。

◆ 「 政局より政策が重要だ 」 と主張すると、アカデミックな制度論争に陥ってしまい、実際には何も実現できないまま終わってしまう。

◆そうなると政治はますます市民から離れ、既得権益を握る一部の人のものになる。やはり政局に勝って政策を実現してみせることが政治家にとって最も重要なことなんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023911日(月)

 

 

<その8>
◆原因は全部同じで不安なんです。本当はそのままで十分できるのに、当選したらすぐに不安がってしまって、市長が議会と和解したがる。その弱気によって、せっかく当選したのに、自分のやりたい政策が進められなくなってしまう。

◆自分の政治信条を曲げて敵と折り合うのではなく、自分の優位の立場で相手に妥協を迫って引き込むことができれば、その政局は勝利です。そのためには世論を味方につける構想を打ち上げたり、敵陣営を分断する提案を投げかけたり、敵の一部を取り込む裏取引だって必要かもしれません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
202398日(金)

 

 

<その7>
◆彼女は区長になってからも市民のデモに参加して、その姿勢も評価されていたのに、議会に叩かれてやめてしまった。 「 市民的自由の最たるものである政治的自由を奪われた 」 と愚痴っていたので、私は 「 いや、奪われてなんかないでしょ 」 と言ったんです。議会になんぼ叩かれても、にっこり笑いながらデモ行進したらいいと。それを 「 奪われた 」 と捉えていることが問題だと強く言いました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
202397日(木)

 

 

<その6>
◆大手マスコミは、権力者批判の名のもとに首長のことは喜んで批判するけれど、議会に対する検証なんてまずしないでしょ。彼らは市議会議員の発言が事実かどうかの確認すらしません。

◆もともと民主党系の政治家だった無所属の首長が選挙に勝った途端に自民党と手打ちする姿は全国各地で見受けられます。政策本位で政治家個人を応援するならいいけど、そうではない。議会運営のために自民党と手打ちしているわけです。せっかく選挙で勝ったのに、その時点で自民党に逆らえなくなってしまう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
202396日(水)

 

 

<その5>
◆政治家にとって一番大事なことは、 「 クリーンでフェアに見せる 」 ことなんかじゃなく、何かを成し遂げるために闘うこと。そこを市民はしっかり見てるんだけど、政治家が自己保身に走り、反撃されることを恐れて、無難に収めようとすることが多い。

◆泉さんを見ていると物凄く熱い部分も持ってるんだけど、 「 戦っても不毛な戦いになるなら、先手打って辞めて新しい局面を作ろう 」 という非常にクレバーな政治的判断が同居している。そこが政治家として非凡な部分かなと思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
202395日(火)

 

 

<その4>
◆建設業者を呼んで 「 (ビルの)中身を入れ替えてくれ 」 とお願いしたら断られた。それで、 「 私の方針に従わないなら、計画は全面中止、これまでの努力は全てパーや。その代わり市民から要望の強い図書館と子どもの施設を入れてくれたら続けさせる 」 と2択を迫った。そこまで言って、やっと私の方針に従わせることができた。たしかに荒っぽいやり方でしたが、それくらいしないと業者は従いませんから。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
202394日(月)

 

 

<その3>
◆小学5年生にして、冷たい社会と闘うことを決めたのですね。泉さんが実施した明石市長の施策を見ても 「 誰一人見捨てない 」 という思いが表れています。

◆18歳までの子どもの医療費無料化も 「 所得制限なし 」 という部分に政治理念を感じます。支援を受ける権利を持つのは、親ではなく、子どもであるという立場を徹底すれば、親の所得に関係なく、全ての子どもが無料で医療を受けることが当然であるという社会をつくらなければならない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
202391日(金)

 

 

<その2>
◆明石市は子ども施策だけに力を入れたと思われがちだがそうではない。 「 困ったとき 」 は誰にでも、突然訪れる。そのときに必要な支援を届けるのが行政の役割だ。少数の困りごとを切り捨てず、寄り添い解決することが多数の人々のセーフティネットになるという思いで様々な施策を 「 条例 」 にして残してきた。

◆私はすぐカッとなりますし、人間としてできていない部分はたくさんある。でもある意味ではすごく冷めてるんです。市長引退は消耗戦に突入するより、場面転換を図ったほうが得策だというシンプルな判断です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  泉房穂 聞き手 鮫島浩 「 政治はケンカだ!明石市長の12年 」 (講談社)
2023831日(木)

 

 

なかなか読み応えのある本である。
以下本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介することとしたい。

<その1>
◆誰もが納得する方針転換などないのだから、市長が改革を進めたらハレーションが起こり、反発する層が出てくることは当然だ。嫌われても、恨まれても、市民のために結果を出すことが政治家としての私のミッションだったから、そして多くの市民が私を信じてくれたから、ブレることなく走り切ることができた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐々涼子 「 ボーダー 移民と難民 」 (集英社)
2023714日(金)

 

 

<その15>
◆知恵をつけてくれる人がいてね。政治家に頼めばいいって言うんですよ。それで、当時の外務副大臣に頼んだら、一発でビザが下りました。その代わり、自民党員になってパーティ券を買い政治献金しました。

◆日本が難民条約に加入して、40年間で難民として認められたのは、わずか900人弱。国連から人権条約違反、国連憲章違反との批判に耳を貸さず、今も難民を長期収容し、強制送還し続けているニッポン。迫害から逃れて希望を持って来日した難民を友人として受け入れる用意は市民社会は出来ている。次は政治が変わる時だ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐々涼子 「 ボーダー 移民と難民 」 (集英社)
2023713日(木)

 

 

<その14>
◆私は難民を受け入れない合理的な理由があるのでないのかと思っていたが、そんなものはどこを探してもついに何も見つからなかった。

◆働きたいのに働けない難民がいるのに、働いてほしいのに日本から逃げていく外国人労働者がいる。どこまで探っても日本の政策は人に対する敬意がなく、ただちぐはぐなだけだった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐々涼子 「 ボーダー 移民と難民 」 (集英社)
2023712日(水)

 

 

<その13>
◆介護職には高度なコミュニケーション能力が必要だ。また気遣いができ、異なる文化の違いを超えて、人の気持ちがわかる共感力も必要である。

◆だが、それだけの能力を持っていれば介護職以外の分野でもいくらでも仕事がある。結局、現地の日系企業の秘書として転職してしまう場合が多い。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐々涼子 「 ボーダー 移民と難民 」 (集英社)
2023711日(火)

 

 

<その12>
◆きついのは夜勤だという。月に最低でも4回、多い時には6回というシフトがある。夜勤になると46人の高齢者を2人で受け持つ。その間、12時から2時まで1人が仮眠を取り、2時から4時まではもう1人が仮眠をとる。つまりたった1人で46人の入所者を担当しなければならない時間帯があるのだ。

◆認知症患者は夜ほど活発に動くという。ベッドにはセンサーがそれぞれついていて、動き回るとアラームが鳴るしくみになっている。すると、1人の入所者をトイレに連れていっている間、あちこちのベッドからアラーム音が鳴るのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐々涼子 「 ボーダー 移民と難民 」 (集英社)
2023710日(月)

 

 

<その11>
◆インドネシアやフィリピンでは、たいていが大家族で暮らしていて、お互い世話をするのが当たり前の文化を持っています。しかもおおらかで明るい。食事の介助でも時間を気にせずにゆったりと世話をするので、外国人になじみの薄かった利用者にも家族にも思ったよりずっと評判が良かったです。

◆日本ではよく自己主張してはいけないと言いますが、日本社会ではおとなしい外国人は差別される。弱い人間には強く出て、強く主張する人には下手に出る。そんなところがあるような気がします。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐々涼子 「 ボーダー 移民と難民 」 (集英社)
202377日(金)

 

 

<その10>
◆ 「 難民 」 とは、 「 迫害のおそれ、紛争、暴力の蔓延など公共の秩序を著しく混乱させることによって、国際的な保護の必要性を生じさせる状況を理由に、出身国を逃れた人々 」 と定義する。

◆日本政府は、移民を 「 入国のときにすでに永住が決まっている人 」 と解釈し、建前としては日本は移民はいないことになっている。

◆日本人が勤勉でよく働くというのは、いつの時代の話だったのだろう。中国人の女性を雇ったある中堅企業をコンピューターの基盤を組み立てている工場は、日本人従業員を雇っているときに比べて不良品率が10分の1になったそうである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐々涼子 「 ボーダー 移民と難民 」 (集英社)
202376日(木)

 

 

<その9>
◆移民制度が健全であることと、難民制度が健全であること。その二つが揃ってそれぞれの制度が生きる。どちらかの蛇口が閉まれば、もう片方のに流れるに決まっている。制度の青写真がまずい。移民制度と難民制度それぞれをまっとうに位置づけられるシステムにしないとダメということです。

◆ 「 移民 」 とは、 「 ある場所から別の場所へ、生活のため ( 多くは仕事のために ) 、一時的または、永久的に移動する人 」 のことを指す。ここに移住の理由や法的地位は関係ない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐々涼子 「 ボーダー 移民と難民 」 (集英社)
202375日(水)

 

 

<その8>
◆実際は入管に勤めると多くの人は職場の雰囲気に染まってしまうようなのだ。そして、その体質に耐えられない人は辞めていく。
児玉は入管の体質を 「 入管文化 」 と呼んでいる。日本は敗戦後も旧植民地時に朝鮮半島の人々を長崎の大村入管に収容した。そして、その悪しき文化は、いまだ受け継がれ、連綿と続いている。

◆言うことを聞かない被収容者への暴行は日常的にありました。よく暴行を受けるのはイラン人、中国人、韓国人。いずれも警備官に反抗的な男性でした。殴るときは素手で殴るか蹴りつける。警棒を使用しているのは見たことがない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐々涼子 「 ボーダー 移民と難民 」 (集英社)
202374日(火)

 

 

<その7>
◆今、入管法が改悪されようとしています。在留資格がないこと自体を問題にする人もいます。しかし、法律のほうがおかしいんじゃないかと考えてみてほしいと思います。

◆在留資格を出したら収拾がつかなくなると思っているのでしょうが、実際は国境を越えて大変な思いをして働いている人たちがずっとそこに住みたいと思っているかといえば、そうではなく、ほとんどの人は出身国に帰ります。
むしろ在留資格があって自由に移動できたほうが、自由に移動して帰るというのが研究上明らかなことです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐々涼子 「 ボーダー 移民と難民 」 (集英社)
202373日(月)

 

 

<その6>
◆同じ時期に同じような書類を出して訴えを起こした人たちに正反対の決定が出たんです。彼らは 「 なぜ自分たちは解放されないんだ 」 と言われました。
つらかったですね。でも、僕には裁判官が違ったからとしか説明のしようがなかった。

◆ミャンマーでの軍事クーデター後、日本で難民認定されたミャンマー出身者は32人にとどまっている。
他方、日本は防衛大学校に国軍から留学生を受け入れている。つまり、市民を殺害している国軍に、兵器の扱いや軍事作戦を教えているということになる。どう言い訳をしても、虐殺に加担していると思われてもしかたないだろう。
日本政府に対して、ミャンマーの人たちは強い抗議を上げている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐々涼子 「 ボーダー 移民と難民 」 (集英社)
2023630日(金)

 

 

<その5>
◆ 「 佐々さん、知ってる?私の国は一大帝国を作り、この国よりも高度な文明を持っていました。でも日本人はイラン人をバカにする。そういう日本人をたくさん見てきました。歴史を知らないのは、日本人じゃないですか? 」

◆藤山雅行裁判長は、この決定の中で、5人が難民である可能性が高いとしたうえで、収容令書発付処分は難民の移動に対して、 「 必要な制限を課してはならない 」 と定めている難民条約31条2項に反していると明言した。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐々涼子 「 ボーダー 移民と難民 」 (集英社)
2023629日(木)

 

 

<その4>
◆ 「 日本人は純粋なもしくは無意識の人種差別主義者であり、彼らがこの国にも 「 人種問題 」 が存在すること、ないし、他民族に対する彼らの態度に何かが欠けていることと認めない限り、事態の改善は望めない 」

◆日本の入管施設は全国で17カ所。2019年6月の時点で、1253名もの外国人たちが収容されていた。長期収容が増えており、うち679名が半年を超えて収容されている。3年、4年はざらで、最長はイラン人の7年4ヶ月だという。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐々涼子 「 ボーダー 移民と難民 」 (集英社)
2023628日(水)

 

 

<その3>
◆応対した入管の職員がこう言ったという。 「 先生は、こちらのトイレをお使い下さい。あいつらと同じトイレを使うのは嫌でしょう? 」 強烈な違和感があった。そんな差別発言をする公務員がいるのだろうか。

◆ 「 入管というのは、どんな人が入れられるんですか? 」
「 オーバーステイなど非正規滞在になった外国籍の人ですね 」
「 で、その中でも悪いことをした人が閉じ込められる? 」
「 いえ、ビザが切れたりすれば、誰でも入れられちゃうんですよ 」


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐々涼子 「 ボーダー 移民と難民 」 (集英社)
2023627日(火)

 

 

<その2>
◆児玉弁護士は、当初、判決でこの社会をより良いものにしたいと希望に燃えて、裁判官を志望した。だが、裁判官が良心のみによって判決を下すことができるというのは建前で、その実情はサラリーマンと同じ、あるいはもっと露骨な縦社会だった。

◆イランでは、1978年に始まったイラン・イスラム革命以来、反米政権が国を支配し、強権を振るっていた。親米政権を通じて原油の利権を得ようとするアメリカやイギリスに怒った国民は立ち上がり、革命を起こしたのがこの政権の始まりだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐々涼子 「 ボーダー 移民と難民 」 (集英社)
2023626日(月)

 

 

少子高齢化が問題なのではなく、人口減少が問題なのである。その意味で移民と難民は、重要なテーマとなる。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介することとしたい。

<その1>
◆日本の難民認定率は極めて低い。2021年、日本で難民と認められたのはわずか74人。難民認定率は0.7%だ。欧米では人数で3万人から4万人、率でも15%〜65%とケタが違うのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  西山太吉、佐高信「西山太吉 最後の告白」(集英社新書)
202362日(金)

 

 

<その14>
◆国家機密にも一定の要件があるんです。秘匿する正当性があるから国家機密として扱われるし、存在意義があるんです。アメリカの公文書によって、日本政府の虚偽が判明しましたが、その機密自体が虚偽となると、自動的に機密の要件を失うんです。

◆国の犯罪ですから、大事件ですよ。しかし、誰一人、問題提起してないじゃないですか。西山太吉のためではなくて、日本のために。偽証を機密といって裁判を行っているのだから、もう裁判ですらない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  西山太吉、佐高信「西山太吉 最後の告白」(集英社新書)
202361日(木)

 

 

<その13>
◆ただ、起訴状というのは、本来は事実関係を構成要件に沿って書くだけなのに、それに情緒的、扇情的表現を忍び込ませた。記者が役人をたぶらかして不当に機密を入手した、というシナリオ作りをしようとした。密約をカモフラージュするために、世間の興味を誘発するような文句を入れたわけだ。

◆そんなに悪いことですかね。国家の最高機密を入手して国民に伝えることが。手段の問題じゃない。重要なことを国民に伝える目的ですよ。大事なことは、手段と目的とを間違えて本末転倒してしまっている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  西山太吉、佐高信「西山太吉 最後の告白」(集英社新書)
2023531日(水)

 

 

<その12>
◆2つの特徴がありますよね。一つは一審では勝訴しても、上告審では負ける。もう一つは、米国側の公文書と当時の外務省担当局長、吉野文六氏の証言で密約があった事実が明確になっても、いまだに政府公式答弁はそれを認めない。

◆まず語るべきは、私の側のミス、失敗は何であったかということ。それは、電信文を提供してくれた女性事務官を情報ソースとして守れなかったことです。これだけは記者として、ジャーナリストとして取り返しのつかないことをした、と今でも頭を下げたい。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  西山太吉、佐高信「西山太吉 最後の告白」(集英社新書)
2023530日(火)

 

 

<その11>
◆そう78年に62億円を支出したのが最初です。以後、急増し、基地従業員の人件費、光熱水料、基地内の建設費のほとんど全額など、90年代以降は、2,000億円前後に膨れ上がっていくんです。

◆佐藤栄作は、自分の功績のため日本の主権を事実上放棄した。あまり言いたい言葉ではないが売国奴ですよね。ノーベル平和賞をなんていうのは、消防署が放火犯を表彰するようなものです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  西山太吉、佐高信「西山太吉 最後の告白」(集英社新書)
2023529日(月)

 

 

<その10>
◆沖縄返還協定に記されていた米国に日本が払った金額は、3億2,000万ドルだったが、これは表の数字、ほかにも通貨交換による1億1,200万ドルなど、協定外で払ったものもある。米公文書館で一連の密約文書の発掘作業をしてきた琉球大学の我部政明教授(当時)によると、米国は総額で少なくとも6億5,000万ドルの利益を得たという。

◆ 「 思いやり予算 」 というのは、日米地位協定上、本来は米国側が負担すべき駐留経費の一部を日本の一種の気配りとして負担しようというものです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  西山太吉、佐高信「西山太吉 最後の告白」(集英社新書)
2023526日(金)

 

 

<その9>
◆西山さんは、岸、佐藤のある種のドグマ政治、教条主義的政治は、外交において秘密のやり取り、すなわち密約を生む温床となりがちだと言われました。専制的、独裁的政治からは、必ず秘密が生まれると。

◆必ず秘密になる。なぜかと言えば、ドグマ的であり、独断専行な人は、相手を全く無視するし、相手に寛容に接する余裕もないから、どうしても隠し事をしてしまう。その一番いい例が沖縄密約ですよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  西山太吉、佐高信「西山太吉 最後の告白」(集英社新書)
2023525日(木)

 

 

<その8>
◆私は、石橋湛山という政治家も米国に追われたと思っているんです。吉田政権の蔵相を務めた際に、対GHQへの放漫予算に批判的に容赦しなかった。
あのリベラルでずっと戦争に反対してきた人物が一時パージされたんですよ。米国は湛山の容共的スタンスが怖かったと私は見ています。

◆現場で権力を握っているということは、それだけ頭使うし、同時に自意識が非常に強くなるから、血液の循環も良くなる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  西山太吉、佐高信「西山太吉 最後の告白」(集英社新書)
2023524日(水)

 

 

<その7>
◆大平正芳は、岸の教条主義、イデオロギーが大嫌いだったんですね。大平は楕円の理論ですから、敵がいてもまずは相手を認め、こっちの主張もする。そして、激突することはある。そこまではいい。ただ、岸は激突したまま対立、突破するけれども、大平は突破しない。突破しないで相手を誘導する、引きずり込む。だから、そういう面で岸嫌いでした。

◆角さん、金の問題で辞めてしまったけれども、もったいない。あの程度の問題でね。あの人材をつぶしてしまうことが日本にとって惜しいよ。ああいう資質と行動力を持っている政治家は他にいませんよ。角さんには米国追随なんて全くない。常に未知の魅力があったんです。彼が何をやるか分からないから、米国がつぶしたんですね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  西山太吉、佐高信「西山太吉 最後の告白」(集英社新書)
2023523日(火)

 

 

<その6>
◆宏池会というのは、要するに大局というものを常に意識する。時局じゃない。大局がある。大局に立った上で、問題意識、主張、そういうものを十分聞く。聞いた上で、その間築き上げた自分の主張との間に妥協点、出口を見出していくわけです。そして、その中からクリエイトするんですよ。新しいものを。こういう共同作業ですよね。

◆しかし、もうああいう政治家は出ないね。田中角栄、大平正芳2人ともね。田中、大平ラインというのは、日本の夜明けだったな。日中国交正常化をやりましたがすべてが明るいでしょう。信頼が置けるし、包容力があるでしょう。広範な活動力もあるでしょう。ああいうバイタリティーのある広い行動半径を持った政治家はいませんよ。それが2人でタッグを組むんだからね。強力でしたよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  西山太吉、佐高信「西山太吉 最後の告白」(集英社新書)
2023522日(月)

 

 

<その5>
◆岸政権がなければ、佐藤政権がなかった。ましてや安倍晋三政権などあり得なかったということですかね。

◆日本長期信用銀行というのは、池田勇人がつくった銀行なんですね。宏池会の資金源とも言われていたんです。

◆永野重雄・桜田武、そりゃ池田派の一番の後ろ盾ですよ。この2人に小林中、水野成夫を加えた財界四天王はみんな池田内閣の時のスポンサーです。いい意味でのスポンサーだった。松永安左ヱ門という人もいた。電力の。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  西山太吉、佐高信「西山太吉 最後の告白」(集英社新書)
2023518日(木)

 

 

<その4>
◆法律は人間を拘束する。法律は人間を縛る、支配する。これは必要最小限度にすべきことである。あくまでも話し合い、それから相手方に対する説得、寛容、忍耐、これが政治だというのが宏池会の精神ですよ。

◆石橋湛山は病気のため2ヶ月で辞めました。そういうことを言う人は少なくなってしまったけれども、私は今でも思うことがある。湛山政権が5年もてば、次の岸政権はなかった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  西山太吉、佐高信「西山太吉 最後の告白」(集英社新書)
2023517日(水)

 

 

<その3>
◆あの戦争は、新聞が煽った側面は否定できません。後から振り返ると満州事変(1931年9月)あたりがターニングポイントだった。歴史のイフではありませんが、朝日の緒方竹虎が 「 もしあの時、朝日と毎日が共同戦線を張って、軍部に対抗していたら防ぎ得たのではないか 」 という趣旨の述懐をしています。

◆1956年当時は朝日より毎日の方が勢いが上だったんですよね。発行部数でいえば380万部と350万部ぐらいですからね。2社だけが抜きん出ており、読売なんて280万部ぐらいでした。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  西山太吉、佐高信「西山太吉 最後の告白」(集英社新書)
2023516日(火)

 

 

<その2>
◆あの時ね。パネラーの筑紫哲也さんが 「 私は同時代に生きたジャーナリストとして、ジャーナリズムが西山さんをきちんと守れなかったことが恥ずかしい 」 と言ってくれた時だな。

◆そもそも米国は1960年代から辺野古に基地新設という構想をずっと練っていた。辺野古ありきなんですよ。普天間基地はむしろその口実に使われたとみるべきでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  西山太吉、佐高信「西山太吉 最後の告白」(集英社新書)
2023515日(月)

 

 

本書は、国家のウソをスクープした記者が語る、自民党政治の裏面史である。
以下、インパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。

<その1>
◆国家のウソを暴いた記者は、残念ながら西山だけである。そのため西山は権力の報復を受けた。
しかし、西山の挑戦はきちんと評価されていない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
2023512日(金)

 

 

<その21>
◆さらに人口10万人当たりの年間殺人事件犠牲者数上位30の国と地域を見ると、ひとつの例外もなく中南米、カリブ海地域とアフリカに位置しているのだ。つまり、15世紀末からのヨーロッパ列強による植民地化がかなり暴力的な形で進んだ国々ということになる。

◆バフェットが完全子会社化する企業には特徴がある。独占的な特権を持っていて、べら棒に儲かる会社でほんの一部でも投資家に株を分けてやるのは、もったいない企業だということだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
2023511日(木)

 

 

<その20>
◆これで競争が激化して優秀な人だけが残るとなればいいのだが、新聞記者の場合、一本立ちして物書きとして食べていけると思った人はどんどん辞めて、フリーランスになってしまう。残っているのは、大新聞の権威にすがって生きていくだけの人たちが多い。

◆しかも新聞社自体もワシントン・ポストは、ジェフ・ベゾスに買収され、ニューヨーク・タイムズはWEFの協賛企業になってしまっている。
新聞業界は世の大勢に異を唱えるような気骨のある人間が働ける職場ではなくなっているのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
2023510日(水)

 

 

<その19>
◆アメリカの現政権は認知症が日増しに重症化しつつある大統領と、他人の忠告をいっさい聞かず、提出されたレポートを読まずに、わけのわからないことを喋り散らす副大統領という最悪のコンビが頂点に立っている。

◆それでもニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストのような一流紙は、コロナ対策・地球温暖化などでバイデン民主党べったりの姿勢を崩していない。
最大の理由は、もともと購読料収入が少なかった上に、広告料収入も激減して新聞業界全体の雇用がピーク時の4分の1にまで落ち込んでいることだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
202359日(火)

 

 

<その18>
◆イギリスのトラス内閣の売りは、英国内閣としては初めて白人男性がひとりも入閣しないマイノリティに開かれた人選ということだった。だが実際には黒人や移民層の支持率が低い保守党の人気取り政策の感が強い。今回の最高税率引き下げ案の撤回をめぐっても首相と財務相のあいだに信頼関係がなさそうなことは見えすいていた。

◆移民排斥・排外主義を訴える政策を、たんに偏見によるものと考えるのは間違っている。
とくに移民と直接職を奪い合うような低所得層にとって低賃金で仕事を取っていく移民に対する反感は切実なものがあるからだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
202358日(月)

 

 

<その17>
◆資源枯渇について言えば、人類の需要が大きく製品からサービスに転換した今、ほとんどあらゆる資源が枯渇より在庫の滞積のほうを心配すべき商品と化している。
こういう風土の中で、空気中の二酸化炭素濃度上昇は有害だという 「 定説 」 ができてしまった以上、専門家としての資格を持たない人間が 「 植物にとって主食が増えるのだから有益じゃないか 」 といった当たり前のことをいくら丁寧に説明しても、まったくの徒労に終わる。 「 二酸化炭素有害説 」 を唱える連中には、クリーンエネルギーとか、グリーンエネルギーとかで、ひと儲けをたくらむ企業がバックについているからだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
202352日(火)

 

 

<その16>
◆熱波だけは、ほぼ一貫して低所得国より犠牲者率が高く推移している。低所得国ではあまり熱中症で亡くなる人はいないようだが、中高所得国では、20世紀末まで熱中症で亡くなる数は高止まりしていた。

◆アメリカはもともと国土の大きさに比べて、ハリケーン被害が非常に少ない国だ。アメリカよりはるかに小さな島国である日本には、毎年の台風上陸件数は少なくとも、7〜8件に達しているだろう。年間2ケタということもざらにある。つくづく自然は不公平なものだと思う。だがこれだけ自然災害の少ないアメリカでは、実際に自然災害に遭うと、そのまま地域経済が低迷してしまうことも多いのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
202351日(月)

 

 

<その15>
◆太陽光発電も風力発電も平均稼働率は10%〜20%で、おまけに天候が悪ければ稼働率ゼロ状態が続くこともあるからだ。それに加えて、全世界の幹線道路ばかりか副次的な役割しか来たさない道路にまで散在しているガソリンスタンドを全部電気自動車(EV)用の充電所に切り替えるというのだ。全世界津々浦々に張りめぐらさなければならない送電線網がいったい累計何百万キロに達するのか、想像もつかないほどの大事業だ。

◆時代が進むほどあらゆる災害の犠牲者数は減っているという歴然たる事実だ。ただひとつの例外をのぞいて、どんな災害でも犠牲者率は低所得国より高所得国のほうが低くなっている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
2023428日(金)

 

 

<その14>
◆じつは産業革命が本格化する18世紀半ばまで、ヨーロッパはユーラシア大陸の既知の文明圏の中でいちばん一般庶民が貧しい暮らしをしていた地域だった。
「 それなのに南北アメリカ大陸やアジア・アフリカ諸国を侵略し、征服したのか 」 と思われるかもしれないが、むしろ自国が貧しいからこそ 「 海外雄飛 」 を図ったのだ。

◆石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料を全廃して、 「 再生可能エネルギー 」 という全くキャパシティのあてにならない資源を発電事業の主にするだけでも、必要な設備投資総額は少なくとも在来火力発電の4〜5倍程度になるだろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
2023427日(木)

 

 

<その13>
◆もし、1961年〜68年の実質9.9%という成長率がそのまま続けば、2000年には1人当たりGNPがアメリカの2倍を超えてしまう。これは欧米人にとって心穏やかならぬものがあっただろう。それまでの 「 成長は実徳 」 があっさり 「 成長は人類を滅亡に追いやる害毒 」 に転換してしまったのも無理もない。このように断言せざるを得ないほど、日本の高度成長は脅威だった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
2023426日(水)

 

 

<その12>
◆ビル・ゲイツたちにとって、貧困を根絶することは、すなわち貧乏人をこの世から抹消することなのだ。そして、はた目にはどんなに異常な大量殺戮に見えようと、当人たちにとってみれば正義の闘いなのだ。

◆たしかに高所得国ではほぼ正確に人口の7割がワクチンを接種している。一方、低所得国でワクチンを接種した人は、全体の4.3%に過ぎない。
だが、実際にコヴィッド―19の感染率・致死率が高かったのは、ジョンズ・ホプキンズ大学のデータからもわかるように圧倒的に高所得の国々だった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
2023425日(火)

 

 

<その11>
◆ビル・ゲイツのほうはもっと狂信的だ。父親であるビル・ゲイツ・シニアが家族計画の活動家だったことを誇りにし、 「 人口を大幅に削減しなければ貧乏を世界からなくすことはできない 」 と心から確信している人間だ。

◆家族計画運動の創始者マーガレット・サンガーは1920年に刊行された主著 「 女性と新しきアメリカ人 」 で 「 子だくさんの貧しい家庭に生まれた小さな子どもにしてあげられるもっとも慈悲深いおこないは、その子をなるべく早く殺すことだ 」 と堂々と書いていた人なのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
2023424日(月)

 

 

<その10>
◆これに比べると西側諸国の国民は、最近のコロナ騒動や地球温暖化騒動のような悪意に満ちた宣伝扇動を経験したことがあまりないのであろう。

◆読者の中には 「 いくらなんでも人類の6〜7割を死滅させるためのウイルスやワクチンをほんとうに世界中にばらまく人間がいるだろうか 」 と疑問を抱く方が多いだろう。
それぞれ理由は違うが、ビル・ゲイツもクラウス・シュラブも平然とそれだけの大罪を犯す人間だと私は思っている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
2023421日(金)

 

 

<その9>
◆現ドイツ連邦の旧西ドイツと旧東ドイツでは、ワクチン接種率もコヴィッド−19感染率も顕著な違いがある。具体的には、もののみごとに旧東ドイツはワクチンは接種率が低く、同一人口当たりの感染者も少ない結果が出ている。

◆これは、一度でも社会主義諸国で生活したことのある人たちは、 「 政府の宣伝を真に受けるととんでもないことになる 」 という教訓を骨身にしみるほど学んでいるからであろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
2023420日(木)

 

 

<その8>
◆なかでも特筆すべきは、国民の2.1%しかワクチン接種者のいないハイチが感染者数がほとんどゼロになっていることだろう。

◆かなり昔から、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団の資金が入ったワクチンには、女性を不妊化させる成分がふくまれていると言われつづけている。だがコヴィッド−19ワクチンには、男性の精子数を減らし、精子の運動性を弱める成分も入っているのではないかという疑惑が持ち上がっている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
2023419日(水)

 

 

<その7>
◆当初、狂気と言っていいほど厳重にロックダウンをおこない、マスク着用を義務付けていたニュージーランドは、その甲斐あって 「 ゼロコヴィッド化 」 に成功したように見えていた。だが、ワクチン接種の回を重ねるにつれて、感染者が激増し、現在では人口当たり感染者数が世界一となってしまった。

◆日本はワクチンの2回以上接種者比率では世界有数となってしまった。その結果、どうやらワクチンが誘因となって感染する人が増える傾向が濃厚なオミクロン株の大流行によって、とうとうこの10か国の中では、人口当たり感染者数がニュージーランドに次ぐ2位にまで登り詰めている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
2023418日(火)

 

 

<その6>
◆アメリカのCIAや在ウクライナ大使館が、ウクライナのネオナチをふくむ極右勢力を使って、親ロシア派の大統領を追放したのは2014年のことだった。それ以来、ウクライナ政府は一貫してドンバス地方のロシア系およびロシア語を母語とするウクライナ国民を弾圧し、正規軍や民兵によって殺傷してきたのだ。
この事実がなければウクライナ侵攻はあり得なかったのである。

◆原油価格の騰貴は、ウクライナ戦争勃発前からあてにならない再生可能エネルギーに頼って、化石燃料による火力発電を邪魔者扱いしてきた国が惹き起こしたという要因も大きいのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
2023417日(月)

 

 

<その5>
◆だいたい、 「 自然に優しい 」 という表現が僭越だ。人間に優しくされようと、冷たくされようと、自然はまさにあるがままに存在しつづける。自分たちが優しくやらなければ自然が滅びるなどと考えること自体、自分たち人間が自然をコントロールできるし、コントロールしようと思っている証拠だろう。

◆現在、EUは完全にWEFの提唱する 「 温室ガス=地球温暖化の元凶 」 説に凝り固まってしまっている。彼らEU官僚は 「 何十年後かにやって来るかもしれない地球温暖化による生物全体が死滅するほどの危機を防ぐためなら、現在生きている何十億の庶民の生活水準が極端に低下することなど気にもかけない 」 という人たちだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
2023414日(金)

 

 

<その4>
◆今でもオランダは、球根の輸出量では、世界シェアの60%を占める大国でありつづけている。その事実からも、チューリップバブルは無意味な熱狂ではなかったことがおわかりいただけると思う。むしろチューリップバブルを起こしたのは、農業生産における起業家精神の発露だったとさえ言えるだろう。

◆世界人口がそろそろ80億人になろうかというほど大幅に増えてきた最大の理由は、化学肥料を適切に使うことによって単位面積当たりの農作物の収穫高が劇的に増加したことだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
2023413日(木)

 

 

<その3>
◆だからこそ、オランダ人は 「 よその国では国土は神様がつくったが、オランダの国土は我々オランダ人がつくった 」 と自慢するわけだ。オランダが農業大国になったのは、手間を惜しまず注意深く作物を育てる農民たちの努力があったからこそのことだ。

◆オランダの農業というと酪農とともに花卉栽培としてチューリップが有名だ。実用性に富んだ再生エネルギー利用としては、水力発電とこのふたつだけではないかと思われる風車(ただし動力源としての利用であって発電用ではない)を背景に整然と咲き誇るチューリップ畑はオランダの観光名所ともなっている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
2023412日(水)

 

 

<その2>
◆2010年代半ばごろから国連は大スポンサーであるロックフェラー財団やビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団の使いっ走りをするまで落ちぶれてしまった。

◆オランダは食料品輸出額ではアメリカに次いで世界第2位の食糧輸出大国だ。だがオランダは農業に適した国土を持っていたわけではない。国土面積では明らかに小国だ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「人類9割削減計画」(ビジネス社)
2023411日(火)

 

 

本書は増田氏の3つのことへの異議申立書である。3つのことは 「 二酸化炭素が原因で地球が温暖化していること 」 「 新型コロナはワクチンによって救われること 」 「 悪いのはあくまでもロシアのプーチンであること 」 である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆読者の皆さんはマッチポンプという表現をご存知だろう。自分でマッチを擦って起こした火事を後からポンプで水をかけて消し止めて手柄顔をする人のことだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「愛子天皇待望論」(弓立社)
2023329日(水)

 

 

<その9>
◆伊藤博文は日韓併合(朝鮮王国の消滅)に反対した。朝鮮王国の最後の王子である李垠を自分の手元で最後まで大事に育てた。
朝鮮・韓国人は、日本人の名を名乗らされ(創氏改名)、日本語を小学校で習い、日本の天皇と日本の神社を拝まされた。

◆天皇制は日本の長い神道の考えから出てきたのではない。断じてちがう。イギリスが作成したものを日本に押し付けたのである。なぜなら、イギリスでは今でもイギリス国王(女王陛下)は神(ゴッド)だからである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「愛子天皇待望論」(弓立社)
2023328日(火)

 

 

<その8>
◆福島の会津の人たちは今でも 「 薩摩はまだいい。許す。しかし、長州だけは絶対に許せない 」 と言う。
会津戦争のとき、長州兵は会津藩士を本当に残虐極まりない殺し方をした。とても文章にして書けないような惨殺だった。美しい白虎隊の少年たちの悲劇だけでは済まない。 「 長州閥が悪い 」 と言われるのは、山縣が始まりである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「愛子天皇待望論」(弓立社)
2023327日(月)

 

 

<その7>
◆なぜ歴史学者たちは、山縣有朋を研究しないのか、また全くと言っていいほど、山縣は小説にも(主人公らしく)描かれない。それなのに死ぬまでずっと長く日本の最高実力者だった。
それは昭和天皇と他の3人の弟たちの本当の父親が山縣有朋だったからである。私はこのように推測する。いや断言する。

◆伊藤博文は、 「 清国やロシアともこれ以上戦争をしない。今後は話し合い(外交)で決めていく 」 と考えた。 「 そして、ドイツとも仲良くする 」 と主張した。この伊藤の考えをイギリスは激しく嫌った。だからイギリスは山縣を使って伊藤を殺したのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「愛子天皇待望論」(弓立社)
2023324日(金)

 

 

<その6>
◆常磐会と霞山会というおそろしい団体がある。常磐会は、学習院女子部中等科・高等科卒業者の同窓会である。霞山会の方は旧貴族や公家の子孫の集まりである。

◆戦争中の個々の戦闘中の殺人については、無罪となっている。それは国家行為だからである。国家によって訴追されない。しかし、戦争犯罪人として特別に処罰されるのは、責任者(指導者層)がとりわけひどいことをした場合である。これには大きくは、(1)平和に対する罪 と (2)人道に対する罪の2つがある。
それと、最初に手を振り上げたものの責任としての (3)戦争開始責任が問われる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「愛子天皇待望論」(弓立社)
2023323日(木)

 

 

<その5>
◆伊藤は日清戦争にも日露戦争にも反対であった。宗主国のイギリスの言うことを聞かなくなっていた。
だから、イギリスとしては、伊藤はもう用済みで処分すべき人間である。

◆同世代の日本人と共通の感覚を持っていないことは、子供時代に外国で教育を受けた人たちの悲劇である。同じ国の人間として同世代らしく育つことは、大事だ。数年間でいいから同じ歌を聞いて、同じ番組を見ていないと、共通の話題が作れない。
おそらく雅子さまはこの悲劇を背負っている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「愛子天皇待望論」(弓立社)
2023322日(水)

 

 

<その4>
◆現代の昭和天皇(124代)はじめ4人の兄弟皇族の本当の父親は誰か。それは明治時代にずっと国民に嫌われた極悪人の権力政治家だった山縣有朋である。長州閥を作った張本人だ。この長州閥の政治家たちが、現在に至るまで日本の政治を本当に悪くした。

◆山縣有朋はイギリスの命令に従って伊藤博文を暗殺した。山縣が自分の日本陸軍の銃殺隊を使って駅舎の2階から狙撃して殺させたのである。歴史で教えられる朝鮮人の独立運動家の安重根がピストル1発で殺したのではない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「愛子天皇待望論」(弓立社)
2023320日(月)

 

 

<その3>
◆このヨーロッパの国王たちと、日本の天皇では評価、評判が大きく異なる。スウェーデンも、オランダも、ベルギーも、スペインも今の国王たちは国民からものすごく評判が悪い。
もうすぐ次々に王政が廃止になるだろう。

◆日本の天皇制を明治の初めに創作したのはイギリスである。日本の天皇家はイギリスの王家の真似をして計画的に作られたのである。イギリス国家はイギリス国教会を主宰している。
イギリス国家は現在の世界を支配しているディープステイトそのものである。ローマ・カトリック教会(ヴァチカン)と並んで、今の世界をその頂点で支配している。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「愛子天皇待望論」(弓立社)
2023317日(金)

 

 

<その2>
◆各種の国民調査と世論調査で 「 女性の天皇でいい 」 という数字は、つねに80パーセントを超えている。

◆77年前の敗戦によって、11宮家が廃止された。
マッカーサーの占領軍政府の 「 人権命令 」 によるところである。放っておくと何百人にも貴族がボコボコと数がふくれ上がる。このことは国民にとって不幸である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「愛子天皇待望論」(弓立社)
2023316日(木)

 

 

いずれはなくすべきは天皇制なのだが、簡単にはなくせないので女性天皇にいうのが副島氏の主張である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介していきたい。

<その1>
◆この本は日本の体制批判と反権力の側から書かれた、日本の天皇家への激励の本である。日本国民は天皇という国王の下で団結して生きてゆくべきなのだという考えである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
2023228日(火)

 

 

<その20>
◆円高不況に襲われるなか、わが国は必死にビジネスモデルを転換してきました。儲かるけれどもハイリスクの半導体市場は旧通産省の怠慢で、米国そして台湾・韓国に明け渡すことになりますが、周辺部品、半導体製造装置で他の追随を許さない品質で 「 オンリーワン 」 となって生き残ったのです。

◆成長が頓挫した日本経済を象徴しているものの1つが、私は年金制度だと思います。政府は 「 年金は100年安心 」 と言っていましたが、実態は年金支給は徐々に目減り、現役世代の社会保険料は毎年増加。この15年で倍に。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
2023227日(月)

 

 

<その19>
◆わが国のGDPのピークは1997年でした。あれから25年。この間、わが国の経済成長はゼロ、米国は2.7倍、中国は20倍にもかかわらずです。GDPを購買力単価で換算しますと、中国23兆ドル、米国19.8兆ドル、インド8.4兆ドル、日本5.2兆円、ドイツ4.2兆ドルの順となります。

◆1985年のプラザ合意、87年のルーブル合意。91年のソ連崩壊。冷戦が終わると、米国の真の敵は・・・・・・日本だとばれてしまいました。以来、円高是正を強要されてきました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
2023224日(金)

 

 

<その18>
◆結論からいえば、 「 ドル買い金売り 」 がバイデン政権の政策です。金よりドル投資を盛んにしてほしい。
これはFRBの政策です。

◆利上げ展開中、サプライチューン問題が改善しなければ、インフレはまったく沈静化しないでしょう。利上げで解決できるインフレではないからです。方向音痴のバイデン政策であり、FRBの行動です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
2023222日(水)

 

 

<その17>
◆金本位制の下では、金準備以上には経済は膨張できません。だからこそ、経済のボリュームが膨張し続ける現代、金本位制は現実的ではない、と指摘するエコノミストは少なくありません。

◆わが国は米国ほどではありませんが、貿易依存度30%程度の 「 内需国家 」 です。トータルで考えますと、通貨が高い(円高)ほうがいいに決まっています。とくに国民目線ではそうだと思います。80年代ではあるまいし、いまどき円高で困る輸出企業などありません。海外に工場を移転するなり、超円高でも売れる高付加価値の素材や製品開発にシフトして生き残ってきたのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
2023221日(火)

 

 

<その16>
◆米国の景気がいいと金価格は低迷。米国が戦争で混乱したり、不況で経済が収縮したりすると、金価格が高騰するというシンプルな法則性があります。

◆ニクソンショックで変動相場制になり、1ドル360円から308円になり、70年代は170円の円高になります。その後、80年は220円台に戻ります。85年のプラザ合意あたりで1ドル240円。それから2年間で1ドル120円の超円高になっていきます。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
2023220日(月)

 

 

<その15>
◆サウジはすでに人民元を決済通貨として認める方向で動いています。みかじめ料もロシアに払うようになります。イスラエルも含めて、米国は中東から蛇蝎の如く嫌悪されているのです。イラン、イラクはもちろんサウジ、UAEも反米嫌米です。

◆ヨーロッパは英国を除いて対米面従腹背。英国にしても米国の寝首をかくことに余念がありません。

◆日経平均株価と金先物の相関性をチェックすると、マイナス0.94。すなわち完全な逆相関です。株価が下がると金価格は上昇するという関係です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
2023217日(金)

 

 

<その14>
◆株式市場など消えても国家としては、たいしたことありません。しかし、債券市場がき損したらアウトですから米財務省もFRBも必死に守ろうとします。

◆株式市場など潰れたところで泣くのは、投資家や上場企業だけです。債券市場が崩壊したら国家が消えるのです。

◆世界単一市場、世界統一市場を目指すディープステートにとって、米国が破綻してしまうか、戦争でがれきの山になろうがどうでもいいのです。国家を持たないグローバリストにとって、国家主権など障害以外のなにものでもありません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
2023216日(木)

 

 

<その13>
◆プーチンが大統領に就任した1999年末の原油価格は1バレル10ドルでした。それがいまや100ドル超と10倍増です。

◆ロシアはこれまでもそうですが、米国債を売却して金準備にシフトしてきました(中国、トルコ等の反米非米国家も同じ)。
米国債をすべて売却、あるいは米ドルをすべて処分したらどうなるでしょうか?
米国債は大暴落します。
もし中国や中東がこの戦略に相乗りしたら?
米国は終わりです。即死です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
2023215日(水)

 

 

<その12>
◆カスピ海という湖があります。その名の通り海なのか?カスピ海の面積は日本国土とほぼ同じです。これが湖ならば、沿岸国の共同管理になります。資源は周辺5ヵ国で平等に分配しなければなりません。海ならば国連海洋法条約が適用されて、各沿岸国に領海が割り当てられ、資源は自国の領海内にあるものしか、開発できないことになります。

◆ロシア産エネルギーは、西側向けではなく、中国向けなのです。中国一国相手の貿易ではリスクがあるので、 「 ついでに 」 西側にも輸出しているにすぎません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
2023214日(火)

 

 

<その11>
◆フランスはGMOトウモロコシ輸入を禁止しています。1200万トンを米国産動物実験で健康被害が明らかになったからです。一方、日本政府は国民への説明が致命的に足りません。混入許可率はEUでは0.9%以上のGMO混入が確認されれば、 「 遺伝子組換え原料使用 」 と明示しなければなりません。わが国では5%未満ならば、 「 この商品は遺伝子組換えではありません 」 と表示できます。

◆中国国家環境保護総局によりますと、7大水系のうち60%は汚染されているといいます。毎年100万人超の障害児が生まれているといいます。原因は、食料、水、土壌そして悲惨な空気汚染。PM2.5どころの話ではありません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
2023213日(月)

 

 

<その10>
◆軍隊のないサウジは、いったいどうすればいいのでしょうか?米国から離れてロシアにアプローチするしかありません。シリアのアサド政権が 「 アラブの春 」 で転覆されずに済んだのは、ロシアのおかげです。

◆エネルギー自給率4%のわが国にとって、エネルギーの安定供給確保は死活問題です。米や小麦がいくらあっても電気やガスがなければ食べられません。エネルギー資源こそが食料や水資源とともに人間生活には必須です。

◆ 「 石油を支配できれば、その国を支配できる。だが食料を支配できれば、その国民を支配できる 」
キッシンジャーの言葉です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
2023210日(金)

 

 

<その9>
◆シェールオイルとシェールガス生産は、かつて原油価格70〜80ドルでなければ採算が取れなかったのですが、採掘技術の飛躍的向上でバレル40ドルでも採算がとれるようになりました。

◆いまや世界一の産油国は米国です。ロシアや中東ではありません。原油市場ではライバルなのです。
米国が何を考えているかといえば、原油市場の独占です。独占するには二つの方法があります。一つはサウジアラムコの買収です。もう一つは戦争で奪い取ることです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
202329日(木)

 

 

<その8>
◆インフレとは原油価格の上昇と言い換えてもいいでしょう。原油価格が100ドル超のいま、インフレは過熱気味です。普通ならば好況と判断できるのですが、価格高騰の真因はロシア産エネルギーのボイコットで自分の首を絞めているだけです。
制裁されているロシアは、中国やインドがいくらでも買ってくれるのでまったく困っていません。

◆原油価格高騰はいつまでも続きません。これから暴落します。暴落の理由は世界中に油があり余っているからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
202328日(水)

 

 

<その7>
◆いかに米国が必死か。ロシアなど問題にならないほど、巨大で強力な敵=中国に慌てて対露制裁協力を求めていますが、プーチンと義兄弟の契りを結んでいる習近平がバイデンごときの説得に乗るはずがありません。

◆ゼレンスキーはディープステートの操人形です。彼の演説を聞いて、米国の選挙専門スピーチライターが書いたシナリオだと気づいた人は少なくないと思います。

◆ロシア・ウクライナ軍事衝突の実態は、米国が工作してロシアの軍事行動を引き出した。ウクライナに軍事侵攻を開始したのはロシアですが、そうするように 「 煽り運転 」 と 「 幅寄せ運転 」 を続けたのは米国です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
202327日(火)

 

 

<その6>
◆ 「 日本には言論の自由はあるけど、言論そのものは不自由だね 」 と米国の友人が指摘していました。わが国民の 「 同調能力 」 には驚くばかりです。みなが 「 醜いアヒル 」 なら私もそれでいい?

◆いやいや、ワクチン、マスクもそうですが、大切なのは自分の頭で考えることです。

◆すでに第三次世界大戦は始まってしまった。米英からロシアに停戦合意を持ちかけるのは、 「 ドル基軸通貨体制 」 の崩壊、すなわち米国覇権崩壊につながるとわかってしまった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
202326日(月)

 

 

<その5>
◆米国は大東亜戦争と同じことを何回も繰返ししています。ロシアを見ていると 「 ああ、米国はまたいつものやり方で戦争を始めたのか 」 「 ロシアは戦闘に追い込まれてしまった 」 と感じざるを得ないのです。

◆むかしトランプ、いまプーチン。そして近々、習近平がディープステートの的にかけられると思います。

◆ 「 ロシア・ウクライナの軍事衝突 」 の真因はウクライナにあるという意見など、メディアでは無視され 「 非国民扱い 」 される始末です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
202323日(金)

 

 

<その4>
◆どうしてディープステートは、政府を米国を支配できるのか?正解は 「 利権 」 です。ディープステートの狙う利権、政治家やメディアが狙う利権との一致です。

◆あの時、米国に 「 戦争 」 を仕掛けられたわが国は、追い込まれた挙句しかたなく 「 戦闘 」 を始めました。米国は原爆を落としたにもかかわらず、いまだに戦争犯罪の裁きを何一つとして受けていません。オバマ大統領は広島に来ましたが、謝罪は一切していません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
202322日(木)

 

 

<その3>
◆ディープステイトの存在を暴露したのは、ドナルド・トランプです。
「 わが国には民主主義プロセス(選挙)によって成立する政府以上に、権力と特権をもつ支配勢力がある 」
影の政府 = 裏政府 = ディープステイトというわけです。

◆ディープステイトは米国の軍事、経済、金融、メディア、なによりも政府を支配しています。構成員は軍産複合体、国際金融資本、そしてグローバルに展開する多国籍企業。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
202321日(水)

 

 

<その2>
◆ 「 新聞記事に賛同する人間が増えるほど日本は危うくなる 」 こう述べたのは、松本清張です。メディアに洗脳されるほど怖いものはない。真実、真相をつかんで、自分の頭で考えることが重要なんだというわけです。

◆ネットにアクセスすると、いきなり 「 ウクライナに募金を 」 という広告が出てきてびっくり。
この募金の行方は? 武器の購入です。だれか喜ぶのでしょうか? 武器商人です。武器商人=軍産複合体、すなわちディープステートなのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  及川幸久「そして第三次世界大戦が仕組まれた」(ビジネス社)
2023131日(火)

 

 

おどろおどろしいタイトルの本だが内容はそれなりにしっかりしている。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介したい。

<その1>
◆当事国ウクライナのゼレンスキー大統領は、新任二年で1,000億円もの蓄財をなくしていますが、不審に思うオランダの政党から情報公開を求められてもなしのつぶて。それでいてオランダでもビデオ演説しては盛んにカネの無心をしていました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
2023124日(火)

 

 

<その19>
◆本来最も日本に向いているのが、石炭による火力発電だ。日本には二酸化炭素の排出量を従来より抑える高機能な火力発電施設をつくれる独自の技術をもっているが、西側諸国の脱炭素キャンペーンによって完全に 「 宝の持ち腐れ 」 状態になっている。

◆SDGsの美辞麗句や 「 いいことをして気持ちがいい 」 という快感に惑わされることなく、この壮大な詐欺話の本質を見極めてほしい。ウクライナ支援と同じで、気がついたときには後戻りができない破滅の道を突き進んでいることになるかもしれないのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
2023123日(月)

 

 

<その18>
◆世界的には農業といえばかんがい農業が一般的だが、実は、これは 「 持続可能なものではない 」 のである。なぜかというと、川の水を引いて畑に水を撒いていると、最初のうちは作物がたくさんとれるのだが、排水が十分でないと水が蒸発したあとに、水分中のごく微量な塩分が地表面に残り、これが積もり積もって、徐々に作物が育たなくなってしまう。いわゆる 「 塩害 」 が起こるからだ。

◆地震大国の日本にとって、原発の稼働はメリットよりもデメリットのほうがはるかに大きい。太陽光発電は、太陽光パネルを敷き詰めることで、日本の農地や山村を破壊して食料自給率の低さをさらに悪化させてしまう。海中の稜線の風力発電にしても、結局は風下の生態系に影響を及ぼすのでそんなに大量に設置できるものではない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
2023120日(金)

 

 

<その17>
◆科学的にみれば二酸化炭素というのは、一定以上増えると地球の気温上昇に及ぼす影響はさほどないということがわかってきている。

◆それは布団をイメージしてもらえばいい。寒いからといっていくら布団を重ねたって、一定以上になるとなかの暖かさはそんなには変わらないことは誰でもわかる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
2023119日(木)

 

 

<その16>
◆革命だとかクーデターだとか言われることもあるが明治維新だって、実は薩長など一部武士たちが成し遂げたことだし、戦後の民主主義の定着にいたっては、太平洋戦争で無条件降伏したのち、GHQの指示に従った結果である。どれも一部の人たちが決めたことについて、一般国民は素直に従っているだけだ。

◆世界中にはSDGsがインチキ臭いとか、人為的地球温暖化はデタラメだという問題提起をしている科学者や専門家は山ほどいて、本当は日本にもそれなりにいる。ただ、そういう人たちは、ほとんどマスコミで取り上げられることがない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
2023118日(水)

 

 

<その15>
◆日本では一度できてしまったシステムは、それがどれほど不条理で非科学的でも、そして多くの人々が犠牲になってもなかなかやめられない。それどころか必死になって守り抜こうとしてしまう。

◆なぜこうなってしまうのかというと、ひとつには日本人は自分たちで社会システムをひっくり返した成功体験が皆無だということがあるんじゃないかなと思っている。

◆日本では怒った民衆が為政者を追いつめて処刑するなどというフランス革命のようなことは起きていない。ほかにも日本の民衆が立ち上がって革命を起こして、なんらかの権利や自由を勝ち取ったことは歴史上一度もない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
2023117日(火)

 

 

<その14>
◆そんなふうに長いものに巻かれながら突き進んだ戦争で、死ななくてもいい人たちがたくさん殺されてしまって、最終的には戦争にも負けてしまったわけだから、アホみたいなものだ。

◆ 「 らい予防法 」 がまさしくこの最悪のパターンであった。1907年(明治40)にできたこの法律のせいで 「 らい病は空気感染するので、患者は療養所で死ぬまで隔離される 」 という政策がとられていたのだけれど、戦後に空気感染などまったくしないことがわかった。普通に考えればこんな非人道的な政策は速やかに撤廃されなければいけないはずだが、なんと感染にまつわる真実がわかってからも隔離政策がとられて、この法律が廃止されたのは1996年だった。さらに廃止したときも、国は謝罪しただけで人生を奪われたらい病患者やその家族へのケアをほとんど行わなかったため、国家賠償請求などの裁判がたくさん行われた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
2023116日(月)

 

 

<その13>
◆人為的地球温暖化はインチキだということをしっかり主張されている日本の研究者のなかに、東大名誉教授の渡辺正さんという光合成の専門家がいる。光合成の専門家からすれば温度が高くて水がたくさんあって、しかもそこに二酸化炭素がいっぱいあると、ものすごく植物の生産性が高くなるので、温暖化はむしろ好ましいというのは当然の帰結だ。

◆私が生まれたときはすでに戦争は終わっていたけれど、父親なんかに話を聞くと、当時は口には出さないけれど、腹のなかで 「 戦争なんかやりたくない 」 って思っていた人はたくさんいたという。でもまわりがみんな戦争に賛成しているなかで、反対などと言って 「 非国民 」 と叩かれるのは嫌だから、とりあえず従っていた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
2023113日(金)

 

 

<その12>
◆原発は維持費やリスクを踏まえれば、ちっともサステナブルじゃないし、むしろ社会的なデメリットのほうが多いというのは、賢い人たちはとっくに気づいていて、日本と同様に地震が多い台湾などは 「 もう原発はやめる 」 と言っているし、地震大国のイタリアにも原発はない。

◆そもそもソーラーパネルなんて置かないで、空いている土地があるのなら、そこにたくさん木を植えておけば、その分だけ二酸化炭素を吸収するわけだし、生物の多様性だって守れる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
2023112日(木)

 

 

<その11>
◆たとえば、欧州ではガソリン車を厳しく規制して、どんどん電気自動車を広めているけど、電気自動車にはバッテリーやハイテク機器がたくさん必要であって、それを大量に製造すれば当然その過程で二酸化炭素はめちゃくちゃ出ていくわけだ。

◆原発というのは、うまく稼働している間は石炭と同じくらいコストの安いエネルギーなのだが、何か事故が起きたときは、ほかの発電施設とは比べものにならないほど甚大な被害が出る。しかもメンテナンスや廃棄物の処理にもそれなりの費用と技術力が必要だ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
2023111日(水)

 

 

<その10>
◆こういう 「 資源を持たざる国 」 が 「 資源を大量に持っている国 」 に対して立場が弱くならず、むしろ優位になるためにはどうすればいいのか。最も簡単で効果的なのは 「 ゲームのルールを自分たちに有利なものへと変えること 」 だ。

◆エネルギーでいえば、石油や石炭、シェールガス・オイルをたくさん持っている国はもう時代遅れで、ほかのエネルギーに力を入れている国のほうが将来有望だというふうに 「 世界の常識 」 を変えてしまう。それこそがヨーロッパの進めている太陽光、風力、水力という再生可能エネルギーへのシフトの価値を高めていく戦略なのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
2023110日(火)

 

 

<その9>
◆MDGs(ミレニアム開発目標)は、あくまでも途上国を対象にしたものであって、これは正直先進国がお金を出し合って途上国に投資をすれば、ある程度のところまでは目標を達成できる。 「 環境問題 」 というややこしいテーマも盛り込まれているけれど、基本的にMDGsで掲げられている目標はインフラ整備だからだ。

◆なぜ、EUがそんなことをするのか。それはズバリ自分たちが生き残るためだ。日本にはエネルギー資源がないとよく言われるけれど、実はヨーロッパも同じくエネルギー資源に乏しい。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
202316日(金)

 

 

<その8>
◆これが世界の 「 真実 」 というのは、日本と同じように人口が減り続けている欧州をみればわかる。イギリスやドイツなどは続々と移民を受け入れている。これは人道支援的な観点に基づいた政策ではなく、国内に安い労働力が減ったからだ。アメリカがいつまでも世界一の経済大国の座をキープできているのは、今も移民を受け入れて人口が増え続けているからだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
202315日(木)

 

 

<その7>
◆グローバル企業というのは、基本的に安い商品をたくさんつくって、世界中の消費者に向けて売っていくというビジネスモデルであって、そのためには 「 安い労働力 」 が欠かせない。じゃあ、どうして労働力が安いのかというと、途上国などで人口が増えているからだ。人がたくさんいるから、貧しい人や子供たちを安い賃金でこき使うことができる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
202314日(水)

 

 

<その6>
◆昔、アサリは熊本だけでなく全国各地でとれていた。2020年、最盛期の2%くらいの4,305トンまで減った。国産アサリはもはや絶滅危惧種となっているのだ。

◆ 「 SDGsが大切だ 」 「 サステナビリティを目指すんだ 」 と言うのなら、まず食糧危機に備えて、日本人が飢え死にしないように国内自給率を上げていくほうが日本にとって本当の意味でのSDGsになるはずだ。

◆人間の頭数を限りある資源に合わせて、減らしていけば余計な自然破壊も生態系の破壊も起こらない。ある意味 「 究極のSDGs 」 だと言っていいかもしれない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
20221229日(木)

 

 

<その5>
◆穀物生産量が飛躍的に増えているというのは、狭い農地でたくさんの収穫量を得られるようになったからである。つまり、農業の効率が上がっているのだ。
これは作物を守るための殺虫剤が強力になったこともあるが、何よりも大きい要因は、害虫や天候不順などにも強い品種改良や、遺伝子組み換え作物が普及して農業の手間が省けたことである。
◆日本は世界のなかでも珍しく養殖よりも実際の漁業が占める割合のほうが多い。比率にすると養殖は25%で漁業が75%くらいである。それで漁獲量が減少しているということは、船を海に出すような漁業ではどんどん魚がとれなくなっているからだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
20221228日(水)

 

 

<その4>
◆私たちが利用できるエネルギーのなかで、採掘可能な化石燃料と原発を動かすためのウランの埋蔵量と、利用可能な地熱以外はすべて太陽の活動に依存している。

◆つまり、再生可能エネルギーというのは、実は太陽エネルギーの奪い合いなのである。

◆79億もの人があふれるこの地球で、すべての人の貧困や飢餓を解決しようとすれば、今以上にたくさんの炭水化物が必要になる。しかし、それには 「 上限 」 があるので、足りない分はほかの動植物から収奪しなくてはいけない。当然、陸や海の生物多様性は減少することになる。 「 飢餓をゼロに 」 という目標と、 「 海の豊かさを守ろう 」 「 陸の豊かさも守ろう 」 という目標はトレード・オフの関係にあるのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
20221227日(火)

 

 

<その3>
◆そこに加えて、このSDGsというものが胡散臭いのは、17もの目標を並べているわりには、地球の持続可能性を考えるうえで、およそ欠かすことのできない目標が含まれておらず、その解決策にもまったく言及していないことだ。
それは人口問題である。

◆世界の人口は20世紀初頭には約16億5000万人だったが、この100年で爆発的に増えて、現在は79億人まで膨れ上がっている。長期的には減少に転じるという話もあるが、発展途上国も多いので、しばらくは増え続けていくだろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
20221226日(月)

 

 

<その2>
◆「地獄への道は善意で敷き詰められている」
このヨーロッパのことわざは、最初は善意から始まった社会運動や、誰もが反対できないような理想的なスローガンを掲げた政策が、のちに多くの人々の生活を苦しめる悲劇的な結末を生むときに用いる。

◆素晴らしい話をどれだけ語られても、それがまったく実現できないおとぎ話ならば、それは「嘘」と変わらない。私がSDGsは嘘だという理由はここにある。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池田清彦「SDGsの大嘘」(宝島社新書)
20221223日(金)

 

 

「 脱炭素は欧州のペテン 」 というのが本書のサブタイトルである。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。

<その1>
◆本当はプラスチックを燃やしてしまえば、海洋汚染は起きないので、レジ袋有料化は無意味なのだけれどね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大石あきこ「維新ぎらい」(講談社)
20221216日(金)

 

 

<その9>
◆私は少人数学級を実現する活動とともに、すべての子どもが普通学級で学べる公教育(インクルーシブ教育)の実現を目指す活動に関わっています。

◆岸田政権の掲げる 「 新しい資本主義 」 は、これまでの新自由主義路線の延長をケチな装飾でごまかしているにすぎず、維新はそうしたケチな装飾よりも 「 これまで来た道を貫け。国際競争に打ち勝て。解雇規制の緩和だ 」 と逆方向から政権を揺さぶろうとしています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大石あきこ「維新ぎらい」(講談社)
20221215日(木)

 

 

<その8>
◆吉村氏は2015年大阪市長選に立候補するために、衆議院議員を辞職した際、自身もたった1日で100万円を受け取っていた過去を棚に上げ、 「 身を切る改革 」 の一環として勇ましくアピールしていたのです。

◆日本の政治についても同じことを感じます。私は政治を良くするには何をさておき市民が政治活動に関心が持てる時と心の余裕が必要だと感じます。

◆日々の生活の中に、もう少しその余白があれば世の中は変わっていくと信じます。今の日本社会は、みんなが生きるのに汲々として、政治参加以前の状態にあると思うのです。これは権力者にとって、とても都合のよい状況です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大石あきこ「維新ぎらい」(講談社)
20221214日(水)

 

 

<その7>
◆ 「 身を切る改革 」 に加え、維新がテレビでよく言う 「 二重行政の解消 」 とは実は市民に必要な身近な行政サービスを打ち切ることでした。

◆結果としては、 「 二重行政の問題 」 ではなく 「 ムダなビル建設や開発はダメ 」 という問題です。それに対して、1つならムダなビルを建てても良いとするのか、何とも維新流です。 「 だまし絵 」 で問題の構図を錯覚させ、斜め上の代替案をいくつも出してくるのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大石あきこ「維新ぎらい」(講談社)
20221213日(火)

 

 

<その6>
◆ロシアのウクライナ侵攻に乗じて、 「 核共有 」 や防衛費増額を主張する人たちは、米中戦争のアメリカ側の当事国になるシナリオを描いています。 「 この国を守る 」 と言って国民をだまし、若者を戦争に駆り立てようとしているのです。

◆だからこそ、 「 この国を守るとは、あなたを守ることから始まるのだ 」 と叫び、戦争当事国になることを拒否して、所得の向上と安定した仕事、国内生産の復活を求めることが、今、必要なのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大石あきこ「維新ぎらい」(講談社)
20221212日(月)

 

 

<その5>
◆交渉して要求が勝ち取れなかったら決裂すればいいのに、 「 不当だがこれで終結する 」 などと毎回のように声明を出すので、しっかり決裂せよ!と、つきあげる末端組合になっていき、幹部からは鼻つまみものになりました。

◆大石あきこは返し技一本を絶対決めたろって、手ぐすね引いて待ち構えているっていう感じがすごくある。政治の世界で何かを実現したいと考えた時、どうしても闘いになる。今は維新が一番強く、それとの闘いの局面で、ただ正論を述べているだけの人だと全然手応えがない。だけど大石あきこは常にかかってくる相手に対して、一本決めるために待ち構えている。だから僕らはある意味ワクワクしながら、ついていけるっていうところがある。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大石あきこ「維新ぎらい」(講談社)
2022129日(金)

 

 

<その4>
◆その人は 「 あれはある意味でのアメリカへの怒りの鉄槌じゃないか 」 と言いました。
そしていろいろ本を読むようになり、アメリカがこれまで世界中でやってきた恐ろしいまでの、覇権主義と軍事介入について知りました。アメリカ政府の言うことが必ずしも正義ではない。むしろ、疑う必要があると強く思うようになったのです。

◆労働組合というと、どんな印象を持たれるでしょうか。ほぼ死滅してしまったというイメージか、あるいは、権利ばかり主張している古い世代の人たちという印象でしょうか。私はあえて 「 労働者が自分たちの権利を要求することこそが社会を前に動かす 」 という点を強調しておきたいと思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大石あきこ「維新ぎらい」(講談社)
2022128日(木)

 

 

<その3>
◆進歩的な大人のアドバイスに私の自治や権利への意識はどんどん成長していきました。

◆政治の世界に足を踏み入れると闘争心が湧くのですが、権力者以外の誰かと政治以外のことでバトルしたいとは思えないんです。

◆父とマルクスの資本論について話をした時も 「 マルクスの理論はおそらく誰も反証できないだろう。でも、だからと言って現実がそのようになるとは限らない。世の中の多くの人が考えていることと違うことを考えてしまうとしんどいで 」 と諭されました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大石あきこ「維新ぎらい」(講談社)
2022127日(水)

 

 

<その2>
◆私が入庁した2002年当時、世の中にはすでに 「 公務員は楽をしている 」 というマイナスイメージが浸透していたように思います。入庁前は私自身も似たような印象を漠然として抱いていました。
しかし、実際に働き始めると、ほとんどの職員は想像していたよりずっと勤勉で我慢強く、学生時代の私の認識がいかに偏ったものであるかを思い知らされました。

◆母は母で校則への不満などを話していたら 「 ルールは変えられるもんなんやで 」 と言ってくれました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大石あきこ「維新ぎらい」(講談社)
2022126日(火)

 

 

サブタイトルは 「 維新と橋下徹氏の圧力に私が抗う理由 」 となっている。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介していきたい。

<その1>
◆橋下氏のケンカの目的は、度しがたいものがありますが、ケンカの仕方については、 「 ほんまに勝ちたかったら、絶対にひるんではいけない 」 というものであり、野党は少しは見習ったらどうだと思っています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
20221028日(金)

 

 

<その23>
◆私は自分自身が問われていると感じていた。このまま会社員として生きていくのか、自立したジャーナリストとして生きていくのか。 「 吉田調書 」 で処分を受けた時、私は自分自身がサラリーマンであることを思い知った。ここで 「 会社の論理 」 を受け入れて、自らの発信を控えるようでは、もはや自立は不可能だ。そもそもサラリーマンであるとジャーナリストであることは相容れないのかもしれない。

◆自由な社風はすっかり影を潜めた。2014年の 「 吉田調書 」 事件後、社内統制は急速に厳しくなり、今や大多数の記者が国家権力を批判することにも朝日新聞を批判することにも尻込みしている。息苦しい会社になってしまった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
20221027日(木)

 

 

<その22>
◆それでも私は一切ブロックしないことにした。他者を批判する以上、自分への批判も受け入れる。それが当たり前だと思った。

◆新聞記事への批判を始めるとフォロワー数はぐんぐん伸びた。会社はそれを見逃さなかった。上司から 「 編集局室が君のツイッターに怒っている 」 などと自制を促された。私は 「 これは職務外活動です 」 と受け流した。

◆ 「 吉田調書 」 以前の朝日新聞はもっと寛容だった。私は朝日新聞の記事を社内外で公然と批判してきたし、遠慮せず異論を唱えてきた。上司もそのような現場のエネルギーを社内改革の原動力にしようという姿勢があった。いつの間にこんな抑圧的な会社になってしまったのだろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
20221026日(水)

 

 

<その21>
◆毎朝起きて新聞を読むのをやめた。まずはツイッター界の言論を読み漁り、ネットサーフィンをしてニュースを集めて、のちに、批判的な眼差しで朝日新聞に目を通してみたのである。

◆私は朝日新聞の記事がネット情報に比べて速さにも広さにも深さにも劣っていることを実感した。
社員は朝日新聞をタダで購読していたが毎月4000円超のお金を出してもらう価値があるのか疑わしかった。新聞記者には読者にお金を払ってもらっているという意識が薄い。私自身もそうだったと反省している。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
20221025日(火)

 

 

<その20>
◆そうか朝日新聞はこれに屈したのだ。ネットの世界からの攻撃に太刀打ちできず、ただひたすらに殴られ続け、 「 捏造 」 のレッテルを貼られた。それにもかかわらず朝日新聞はネット言論を軽視し、見下し、自分たちは高尚なところで知的な仕事をしているというような顔をした。
ネット言論の台頭から目を背けた。それがネット界の反感をさらにかき立て、ますますバッシングを増幅させたのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
20221024日(月)

 

 

<その19>
◆特別報道部の一部の記者は、社員集会で 「 吉田調書を取り消すべきではない 」 「 記者を処分すべきではない 」 「 最大の失敗は池上コラム問題だ 」 などと擁護してくれたが、その動きは社内に広まらなかった。朝日新聞の大半は、木村社長が発表した内容をそのまま受け入れ、私たち3人こそ朝日新聞を奈落の底に突き落とした 「 戦犯 」 とみなしているように思えた。

◆公安は監視対象を見失うと自殺情報を流して、所属組織に生存確認させるんだよ。それが手っ取り早いから。いつもの手口だ。君は監視対象なんだよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
20221021日(金)

 

 

<その18>
◆朝日新聞社は私たちを守るどころか放置した。ネットにあふれる 「 捏造記者 」 などの名誉棄損に対して、抗議や撤回を求めることなく、私たち家族を含めて標的にされることに何の対応もせず黙殺した。
会社上層部にとっては、世間のバッシングが経営陣ではなく、取材班に向かうほうが都合がよかったのかもしれない。実際に木村社長が主導した 「 慰安婦 」 「 池上コラム 」 の失敗は 「 吉田調書 」 へのバッシングで希薄された。

◆新聞社が現場の記者をここまで露骨に切り捨てることは夢にも思わなかった。私は木村社長が記者会見した2014年9月11日に朝日新聞は死んだと思っている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
20221020日(木)

 

 

<その17>
◆木村伊量社長が吉田調書報道を 「 誤報 」 と断じて取り消し、 「 関係者を処罰する 」 と表明したことで歴史の闇に埋もれようとしていた吉田調書を独自入手して白日の下にさらした2名の記者は、 「 捏造記者 」 のレッテルを貼られ、世間から激しくバッシングされた。デスクである私も含めて、私たちの個人情報はもれ出し、ネット上でさらされ、週刊誌に追いかけられた。まるで 「 公開処刑 」 のようであった。木村社長が正式に辞任する公示まで数か月にわたりそれは続いた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
20221019日(水)

 

 

<その16>
◆店内に入った途端、その場にいた社員たちが私を一べつし、そそくさと目を逸らした。誰もが私を避けているように感じた。わずか4か月前、私は吉田調書の第一報を報じた日に、このローソンで握手攻めにあったのだ。いまは声をかけてくれる人は、誰一人いない。私はこの時はじめて自らの 「 転落 」 は想像以上に厳しいものなると実感した。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
20221018日(火)

 

 

<その15>
◆ 「 吉田調書 」 報道が取り消された後、木村・宮崎記者はほどなくして退社した。私も遅れて、2021年に退社した。今や朝日新聞に取材源を知る人はいない。朝日新聞が国家権力に屈したジャーナリズム史に残る事件だったが、取材源の秘匿という最低ラインは死守することができた。

◆3年にわたって東電の隠蔽体質と戦ってきた2人には 「 ついに東電が隠蔽していた事実を突き止めた 」 という思いがあったのだろう。 「 吉田所長の待機命令に反して所員の9割が第一原発から離脱していた 」 という事実は、吉田所長の 「 東日本壊滅 」 発言よりも重大であり、 「 吉田調書入手 」 の第一報として記事化すべきであるというのが彼らの主張だった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
20221017日(月)

 

 

<その14>
◆取材源の秘匿は私たち報道に携わる人間が、もっとも守らなければならないことだ。吉田調書のような国家機密を暴くスクープの場合は、特に国家権力は総力をあげて情報の流出元を探る。徹底した 「 犯人探し 」 が行われることが予想された。

◆今の新聞が読者から見放されている最大の要因は、 「 怒り 」 や 「 悲しみ 」 といった記者の心の震えや息づかいがまったく伝わらず、客観中立の建前に逃げ込んで、差し障りのない傍観的な記事を量産していることにあるのではないか。国家権力が隠蔽してきた 「 吉田調書 」 を入手して歴史の検証にさらすことができたのは、原発事故の真相を隠蔽してきた東京電力や政府に対する木村・宮崎記者の 「 怒り 」 があったからこそだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
20221014日(金)

 

 

<その13>
◆私たち特別報道部は、記者クラブに入っていません。使命は他社との競争に打ち勝つことではなく、埋もれた事実を発掘することです。新聞社は競争することも必要ですが、社会の不公正に対しても手を取り合って挑むことも必要です。

◆木村社長に辞任を迫る声が社内外から湧き上がるなかで、私が出稿した 「 吉田調書 」 報道を取り消す決定を主導したのは、この持田常務だったのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
20221013日(木)

 

 

<その12>
◆私たちは、@警察や検察を含む当局は回らない Aたれ込みは扱わない ―――二大原則を決めた
当局情報もたれ込み情報も所詮は他の誰かに取材テーマを設定される受動的なものだ。新聞社の調査報道は 「 端緒 」 を重視するあまり、主体的にテーマを設定して深掘りするジャーナリズムの基本を忘れていた。これでは世論操作に利用されるだけである。

◆社会部の警戒感はさらに強まった。社会部の調査報道では、警視庁担当記者と連携して警視庁に情報を持ち込み、その代わりに 「 あす逮捕へ 」 という特ダネをリークしてもらう裏取引が行われる。私たちはそのようなことはしたくなかった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
20221012日(水)

 

 

<その11>
◆朝日新聞の社長職は政治部と経済部が入れ替わりで担ってきた。記者数で多いのは社会部だが経営や編集の実権は政治部と経済部が握ってきた。

◆朝日新聞には役所以上に内向きで足を引っ張り合う官僚体質がある。私が敬愛していた曽我さんの何かが変わった。快活さが影を潜め、言葉の節々に会社組織や人間への不信がにじむようになった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
20221011日(火)

 

 

<その10>
◆政治家は権力闘争を有利に進めるため政治記者を使って日々「情報戦」を仕掛けている。政治家に食い込んだと思ってうつつを抜かしていると、気づかぬうちに 「 情報操作の手先 」 と化す。

◆闘争心の激しい政治家ほど自らの政敵を 「 嫌いです 」 と言われると悪い気はしない。 「 あなたが好きです 」というお世辞よりも政敵について 「 あの人は〜が足りないんですよ 」 と的確な批判を言われるほうが親近感を抱くものだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
2022107日(金)

 

 

<その9>
◆国家機密を圧倒的に多く握るエリート官僚に気に入られて、特定の情報をごっそりもらう取材より、政治家同士の権力闘争の渦中に割り込んで幅広い情報を様々なルートから収集して分析する取材のほうが私には向いているらしかった。

◆経済部の記者が私を担当しているのですが、誰も記者会見以外で取材してくれないんです。経済部は大臣より官僚を重視する。大臣が何を言っても事務次官が言うことを信じる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
2022106日(木)

 

 

<その8>
◆外務省を心の底から憎んだ。外交官って一体なんなんだ。国民の税金で豪勢に社交し、政治記者に連日のようにおごられ、情報を振りまいて楽しんでいる。 ―――当時の私にはそう映った。

◆ある外交官は 「 外交に 『決着』 はないんです。どんな合意をしても必ず課題は残る。外交は 「 決裂 」 か 「 継続 」 のどちらかなのです。 「 決裂 」 したら国交断絶か戦争になる。これは外交の失敗です。 「 継続 」 こそ外交の成功なんです。 」 と言った。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
2022105日(水)

 

 

<その7>
◆留学経験のある国際派エリート官僚がひしめく財務省で細川興一氏は異例の 「 英語の話せない事務次官 」 だった。
中央省庁再編で「大蔵省」が「財務省」に変わったことを根に持っている。 「 朝日新聞も夕日新聞になればいいんだ! 」 と私にしばしば当たり散らした。

◆ワインをあけながら話す外務官僚の話は、当時の私には机上の空論のように聞こえた。アメリカや中国の動きをアカデミックに解説してくれるのだが、まるで大学の講義のようで結局はアメリカに追従しているだけではないかと思うことが多かった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
2022104日(火)

 

 

<その6>
◆権力とは「経世会、宏池会、大蔵省、外務省、そしてアメリカと中国だよ」と昔は言われた。

◆私は自民党の同期で政務官になったのがいちばん遅かった。いちばん出世が遅かったのですよ。なぜだかわかりますか!私が清和会だからです。日本の政治はずっと経世会が牛耳ってきたんです。経世会は最初に宏池会に相談する。次に社会党に根回しする。社会党がNHKと朝日新聞にリークする。我々清和会はNHKと朝日新聞の報道をみてはじめて、何が起きているかを知ったのです。これが日本の戦後政治なんですよ!


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
2022103日(月)

 

 

<その5>
◆警察は記者同士の競争意識につけ込み、警察に批判的な記者には特ダネを与えない。他の記者全員にリークし、批判的な記者だけ 「 特オチ 」 させることもある。記者たちはそれに怯え、従順になる。
こうした環境で警察の不祥事や不作為を追及する記者が出ることは奇跡に近い。

◆政治家への 「 密着 」 は 「 癒着 」 として切り捨てられる時代である。もちろん癒着はいけない。だが政界の内実を知り尽くす政治記者が激減したのも事実だろう。政治家の発言をただ報じるばかりの新聞各紙をみれば明らかだ。
政治家と距離を置いて表面的な事象を伝えるだけで政治報道の役割を果たしたといえるのか。私を政治部に導いた橘さんはその記者人生を通じて 「 政治記者はどうあるべきか 」 という課題を私に投げかけた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
2022930日(金)

 

 

<その4>
◆迷走はここから始まる。 「 鉄 」 に限らずビジネスの世界で生きる将来の自画像がまったく浮かんでこなかったのだ。

◆内定を断った会社の中で、唯一 「 今からでもいいよ 」 と答えてくれたのが朝日新聞社だった。

◆新聞記者は人の人生を書く。所詮は人の人生だ。主役になれない。我々は自分自身が人生の主役になる。新日鉄に入って一緒に主役になろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
2022929日(木)

 

 

<その3>
◆木村社長が 「 吉田調書 」 報道を取り消した2014年9月11日は 「 新聞が死んだ日 」 である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。

◆朝日新聞の東京本社や京都支局にうかがって現役の新聞記者にも会ったが興味のわく人はいなかった。キャリア官僚と同じ匂いがした。

◆私は朝日新聞の内定を断った。代わりに選んだのが新日鉄である。この会社は会う人会う人が魅力的だった。私は新日鉄にのめり込んでいった。・・・キャリア官僚や新聞記者より輝いて見えた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
2022928日(水)

 

 

<その2>
◆朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は、政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして、編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである。

◆私は27歳で政治部で着任し、菅直人・竹中平蔵・古賀誠・与謝野肇・町村信孝ら与野党政治家の番記者を務めた。29歳で政治部デスクになった時は、「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年に現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鮫島浩「朝日新聞政治部」(講談社)
2022927日(火)

 

 

朝日新聞の販売部数は20年前の半分程度にまで落ちている。その半面、朝日を辞めた人たちの書いた本には面白いものが多い。そのうちの一つが本書である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して紹介していきたい。

<その1>
◆巨大組織が社員個人に全責任を押し付けようと、上から襲いかかってくる恐怖は、体験した者でないとわからないかもしれない。それまで笑みを浮かべて私に近づいていた数多くの社員は、蜘蛛の子を散らすように遠ざかっていった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
2022926日(月)

 

 

<その21>
◆事態が変化したのは1994年に奥島孝康総長が就任してからだった。「革マル派が早稲田の自由を奪っている。事なかれ主義で続けてきた体制を変える」と就任後に表明し、翌95年に商学部自治会の公認を取り消した。その時点まで、商学部は約6000人の学生から毎年1人2000円ずつの自治会費を授業料に上乗せして集め、革マル派の自治会に渡していた。

◆奥島総長は革マル派から脅迫、吊るし上げ、尾行、盗聴など様々な妨害を受けたが、これを屈することなく所期の方針を貫いた。
川口君の虐殺事件から実に25年の歳月を経て、早稲田大学は革マル派との腐れ縁を絶つことができた。あまりにも遅かったが、奥島総長の決断と覚悟がなければ、癒着体制は今も続いていたに違いない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
2022922日(木)

 

 

<その20>
◆国家だって考えようによっては限りない暴力ですよ。日本にはいまだに死刑制度が存続し、国民から支持されているじゃないですか。日本に限らず、 「 正しい暴力 」 が世界各地でばっこしている。様々な社会問題が世の中にあるけれども、 「 正しい暴力 」 という考え方が常にその根源にはあるような気がします。

◆人間の本質というのは残酷で、暴力的で、そして利己的で競争的でというのが、いまだに世界の一番人気の哲学なんですよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
2022921日(水)

 

 

<その19>
◆ただ、いろんな経験をされた今だからこそ、当事者の視点で学生運動とは何だったのかを未来に向けて語っていただきたいんです。川口君の事件が大きなきっかけとなって、政治セクト間の内ゲバもさらに激化して多くの学生が殺されたわけですよね。

◆理屈っぽいと思われるかもしれませんが、そこを情緒だと片付けられてしまうと、僕はどうしても納得できないんです。革マル派に限りませんが、それぞれの政治思想や理念を実現するための手段として暴力を正当化することは間違いです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
2022920日(火)

 

 

<その18>
◆当時大岩さんたちの暴力に怯えていた一般の学生が私も含めて多くいたわけですよね。大岩さんは中核派に襲撃を受けたときのことを、恐ろしくて夢にまで見たとおっしゃっていましたが、僕にもその気持ちはよくわかります。それは革マル派に襲われて、鉄パイプでメッタ打ちにされたときのことをこれまで何度も夢に見て、恐怖の記憶がいまでも心の傷になっているからです。

◆そのことについては、僕が直接やっていなかったにしても、僕自身の行動が何らかの形で関係していたわけですから、ここで樋田さんにお詫びします。許してください。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
2022916日(金)

 

 

<その17>
◆謝罪とは言わないけれど、なぜあの事件が起きて、川口君が死に至らしめられなくてはならなかったのか。あるいはあの事件の重みというのか、その辺りについて、当時組織の幹部であった大岩さんからもっとしっかりと語ってほしかったという思いが残っています。

◆自分の関わったそういう事態の一つ一つについては、ある意味もう取り返しがつかないんです。でも僕には責任がないということにならない。まずなかったことにしない。そして、何らかの形で応答していくことを諦めてはいけないと思います。どう応えることができるかという問いと向き合っていなければならない。人間が生きていくというのは、そういうことだと思っています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
2022915日(木)

 

 

<その16>
◆自分はもう人生の表舞台には出ないというその考え方自体はわかります。そういう美学があってもいいんじゃないですか。それぞれの生き方があるわけだから。ただ、それで責任を取ったことになるのかといえば、僕は責任なんてそもそも取りようのないものだと思っているんです。責任というのも人間が作った一つの理屈じゃないですか。

◆確かに理屈かもしれませんが、過去があって現在があるわけですよね。人はそのつながりの中で生きているのだから、個々の出来事は断絶していませんよね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
2022914日(水)

 

 

<その15>
◆僕はプラグマティズムに惹かれていたのですが、それはすごく簡単に言えば、何事にも絶対的な正しさというものはないという考え方です。正しい人間が間違って悪いことをするのではなく、むしろ僕たちの人生そのものは間違い得るものであり、人間というのはそういう存在なのだと。僕は学生運動での体験をそこに重ね合わせようとしたわけではなくて、今まで僕が無意識に避けていた、考えないようにしていたことを考える筋道があるとそこから学んだんです。だから、僕はスッキリしたと思うんですよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
2022913日(火)

 

 

<その14>
◆その背景には鶴見俊輔さんが日本に広めたアメリカのプラグマティズムという考え方があるのですが、僕たちはみんな一生の間に何度も転向しながら生きているわけです。これは日々刻々と言ってもいいぐらい。そして僕たちは筋書き通りの辻褄の合う生き方をしているわけではない。

◆僕は自分の転向についてそこまで深く考えてはいませんでしたが、そこでもある種のトラウマを抱えていたのだと思います。その中の1つは川口君の事件だったかもしれません。直接あの事件に関わってはいませんでしたが、僕はどこかで罪の意識を抱えていたのではないかと思うのです。ただ、それをなるべく意識しないようにして、そこから逃げていたわけですね。忘れることはできないけれど、ちゃんと向き合っていない。そんな時に鶴見さんの言葉に出会って違う筋道での生き方があるかもしれないと思うことができたんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
2022912日(月)

 

 

<その13>
◆僕が入っていったら、その房を仕切っているヤクザが 「 学生さん 」 と呼んで僕に親切にしてくれて、 「 俺たちは自分の利益のためだけど、この学生さんは社会のために法を犯してここに入ることになったんだぞ 」 なんて紹介してくれるわけです。

◆樋田さん、因果関係を論理的に考えて、 「 こういう結論が出た 」 というそんなわかりやすいことじゃないんです。これは、その後の僕の思想というか、生き方にもつながっているのですが、人間ってそんなにいつも筋道を立てて考えて、その通り生きているわけでもないでしょう。だから僕は残念ながら、そういう因果関係をうまく説明できないんですよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
202299日(金)

 

 

<その12>
◆大岩さんにとっては美学に基づく行動だったのかもしれませんが、革マル派は組織として学生たちの学ぶ自由や政治的な発言の自由を暴力で抑えつけてきました。
大岩さんはどの組織でもやっているとおっしゃいますが革マル派は独善性の度合いが高いから、そこまでやったのではないかと僕には思えるんです。
確かに国家だって、どの党派だって自己の暴力を正当化し組織を守るために手段を選ばないという理屈も成り立ちます。
でも、そこにはおのずと目指すものと、そのための手段がどうあるべきかという自制がある程度は働いている。革マル派はその自制が働いていなかったのではなにのでしょうか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
202298日(木)

 

 

<その11>
◆僕たちにとって大岩さんの暴力が怖かったのは、大岩さん個人の暴力だけでなく、大岩さんの背後に暴力を肯定し、行動する革マル派という組織があったからです。いろんな内ゲバがあり、すでに何人も殺されていましたから。

◆いずれにしても、当時僕が暴力を振るっていたのは確かです。さらに言えば、その頃、僕はもっと暴れたいとすら思っていました。組織に入るとすぐに、 「 こいつは高校の時からの叩き上げだ 」 という触れ込みで僕は役職に就かされてしまったんですね。それで組織の表の顔を担わされて、なかなか暴力的な現場の最前線には出してもらえなかったんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
202297日(水)

 

 

<その10>
◆僕の高校にも新左翼のセクト、民青、ノンポリなどの様々な立場の人間がいましたが、思想的な背景が違っても自由に議論できる土壌がそこにはありました。
ところが早稲田に入学したら革マル派の自治会系の学生だけが我が物顔でキャンパスを闊歩していて、それ以外の学生には発言の自由がなかった。それどころか共産党系の活動家や教員がキャンパスで革マル派に暴力的に吊し上げられる光景が日常茶飯事でした。
そういう暴力的な学内支配を許せないと思っているところに川口大三郎さんの虐殺事件が起きました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
202296日(火)

 

 

<その9>
◆僕はこれまで学生運動が自分の原点だと考えたことがないんです。実はその辺りというのは僕の中でもポッカリと開いているエアポケットのようなもので、不思議なことですが。

◆その意味では、僕は世間でよく言われる挫折感だとか、転向の傷みたいなものをこれまで感じたことがないんです。

◆バリケードを築くとこっちが主人ですよね。教員が 「 中に入れてくれ 」 と僕たちに頼んできて、バリケードの中に入れると、こっちは成績の悪い劣等生なのに、 「 君たちの気持ちを聞かせてほしい 」 なんてすごくていねいに対応してくれる。そういうのが快感でね。
人間としてリスペクトされているようで、一種の権力を味わえた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
202295日(月)

 

 

<その8>
◆音楽が人生を変える。そんなことが人生には確かにある。しかし大岩圭之助さん ( 当時の革マル派の一文自治会副委員長 ) は川口君虐殺事件の実行犯として立件された5人には含まれていなかったものの、事件当時の自治会の幹部だった人物である。川口君の事件に触れず、 「 当時はやりの学生運動 」 と気楽な感じで書いていることに私は強い反感を抱いた。

◆昨年、上梓した 「 最後の社主 」 も朝日新聞社という言論組織の矛盾に目をつぶらないという姿勢で書きました。これまでの人生を振り返ると僕は大学時代の学生運動での経験を原点として生きてきたんだと思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
202292日(金)

 

 

<その7>
◆田中敏夫さんは革マル派の人間として、ただ一人出席したあの学生祭の日、会場の埋めた学生たちの怒りと悲しみを一身に受け止めていた。
政治セクトの指導者としての言葉と思考が学生たちの怒りを鎮めるには、何の役にも立たないことを直視せざるを得なかったのではないか。

◆あの内ゲバが激化した時代の恐ろしさを伝えるには、かつて重大な過ちを犯さざるを得ない状況に追い込まれていた人間の言葉こそ説得力があると考えていた私は、なんとか翻意してほしいとの願いを返信した。その後も2度ほど手紙のやりとりをしたが、Sさんの意志は固く、結局インタビュー掲載の了承は得られなかった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
202291日(木)

 

 

<その6>
◆大阪本社の編集局長からもこう叱責された。
「 君は闘犬センターの社長を後ろから斬りつけ、返り討ちにあった。記事で相手を斬る時は正面から堂々と切る。それが鉄則だ。 」

◆言葉で人を斬る。早稲田で理不尽な暴力に対して言葉で闘ってきた私にとって、心に鋭く刺さる指摘だった。言葉は暴力にもなり得る。この失敗を教訓として、私はその後の記者生活を続けていくことになる。

◆私は怒りで体が震えていた。記者が政治的テロによって殺されるのは国内で初めてのことだった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
2022831日(水)

 

 

<その5>
◆履歴書で革マル派との闘いについても正直に触れていたため、役員たちから当時の様子を根掘り葉掘り聞かれることになり、鉄パイプで襲われた経緯なども説明することになってしまった。
運動について一通り話した後、役員から 「 何のために新聞記者になるのか? 」 と聞かれ、私は 「 社会正義のためです 」 と答えた。その回答が生意気だと思われたのか、すかさず別の役員から 「 君、正義感だけで取材はできないぞ。知事の家に夜討ち朝駆けをする覚悟はあるのか 」 と強い口調で問われた。私は 「 あります 」 と即答したがその時は 「 夜討ち朝駆け 」 という言葉の意味も知らなかった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
2022830日(火)

 

 

<その4>
◆「 でも私にも彼は最後まで心を開くことはありませんでした 」
出所後、田中さんは学生運動から距離を置き、故郷で世捨て人のようにひっそりと生きた。 そして自らの心の内を抱え込んできたものを、誰にも見せることなく、この世を去った。

◆みなさん、学生運動でヘルメットをかぶりますね。
これは九州の三池炭鉱の労働運動で炭鉱労働者たちが機動隊と対峙する時、自身の身を守るためにヘルメットをかぶったのがそもそもの始まりです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
2022829日(月)

 

 

<その3>
◆革マル派の幹部でもあり、一文の自治会の委員長でもあった田中敏夫さんは、川口君の事件からほぼ1年後の73年11月7日に 「川口君事件に対する私の態度と反省」 と題した 「自己批判暑」 を書いていた。そこには 「暴力には人間の腐敗性に通じる入口が用意されている」 「当時の自治会の責任者として社会的責任を負う」 「学生運動から完全に手を切る」 などとあり、それまでの自分の思想を否定し転向を宣言する内容であった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
2022826日(金)

 

 

<その2>
◆その事件をきっかけに一般の学生による革マル派糾弾の運動が始まり、私もその渦中に巻き込まれていった。私たちは自由なキャンパスを取り戻すため、自治会の再建を目指したが仲間たちが理不尽な暴力にさらされ、私も革マル派に襲われ、重傷を負うことになった。一年数か月続いた闘いの末、運動は挫折し、終えんを迎えた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  樋田毅「彼は早稲田で死んだ」(文芸春秋)
2022825日(木)

 

 

これは早稲田の一文、4人の1人が革マル派と言われた時代の悲惨なはなしである。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを御紹介していきたい。

<その1>
◆1972年11月8日、第一文学部2年生だった川口大三郎君が革マル派という政治セクトの学生たちによるリンチにより殺された。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022531日(火)

 

 

<その23>
◆新左翼はロマン主義であるがゆえに現実から遊離していった。ただ、だから新左翼は面白いのも事実なんですよ。リーダーたち一人ひとり個性が豊かで、それぞれの党派にも個性がある。ゆくゆくは日本の中枢から動かせるくらいの知的能力も意欲も備えながら、社会の矛盾を正したい一心で自分の人生全部を棒に振る覚悟でロマンを追求したからです。

◆これは別の言葉で言い換えるなら「官僚化する」ということです。新左翼の強さであると同時に最終的に命取りになったのは、彼らが官僚化しないことでした。現代の政治は官僚化しないとできないものなのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022530日(月)

 

 

<その22>
◆だから「朝日ジャーナル」のようなものすごく細かい字で難しいことが書いてあるような雑誌を読むことがカッコいいと思われていた。高橋和巳「邪宗門」にしても「朝日ジャーナル」の連載小説であるがゆえにみんなが競って読みたがり、一定の教養を要する難しい小説であるにもかかわらず、ベストセラーになった。そういう時代が全共闘を境にして変わってきましたね。そのあとは、全共闘の中にあったゴロツキ文化のほうだけが発展していった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022527日(金)

 

 

<その21>
◆日本人を「総ノンポリ」化してしまった面は間違いなくあったでしょうね。若い人が政治に口を出すことや、政治参加することに対して、大変危険なことだとというイメージを多くの人がもつようになってしまった。70年代に我が子を東京の大学に行かせていた日本各地の親たちは、 「頼むから学生運動だけはやらないでくれ」 「政治的なことには関わらないでくれ」 と本気で願っていましたから。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022526日(木)

 

 

<その20>
◆パリの五月革命をきっかけに劇的に男女平等の意識が高まったんです。だから選挙結果という現実政治の動向とは別に五月革命には女性の権利向上、社会的地位向上に関して、国民の意識を変えたという功績がありました。

◆日本の新左翼も暴力に走らなければ、あるいは、暴力に走ったとしても権力に対する暴力に走ったとしても、権力に対する暴力にとどめていれば、一定の存在感を残せていた可能性もあったのでしょうが、内部での殺し合いに走ったことが致命的でしたね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022525日(水)

 

 

<その19>
◆哲学、思想の面で新左翼にすぐれたものがあったのは間違いありません。しかし、政治的には全く無意味な運動だって言わざるを得ないでしょうね。革命を成就させられなかったというだけでなく、その後の日本社会に何らかのポジティブな影響を及ぼしたわけでもありませんでした。

◆正義感と知的能力に優れた多くの若者たちが必死に取り組んだけれども、その結果として彼らは相互に殺し合い、生き残った者の大半も人生を棒に振った。だから、彼らと同形態の 異議申し立て運動は今後決して繰り返してはいけない、ということに尽きると思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022524日(火)

 

 

<その18>
◆よく言われることではありますが、イスラム過激派の自爆テロも赤軍派がルーツというのは本当でしょう。奥平らはイスラエル国際空港で銃を乱射すれば生還を期待できないことは当然知っており、最初から自分の命を引き換えに革命の成果を獲得しようとしていました。それが教義で自殺を禁じられているパレスチナの人たちにはものすごく衝撃的であり、これがやがて自爆テロというジハードのあり方にアレンジされていった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022523日(月)

 

 

<その17>
◆よど号グループが北朝鮮にわたったのは北朝鮮で軍事訓練を受け、ひいては北朝鮮を世界同時革命の拠点とするためでしたがそれは実現しませんでした。
そもそも赤軍派は全員が反スターリン主義者でしたが金日成主席はスターリン主義者なので話が合うはずもありませんでした。そのあたりも含め北朝鮮がどういう国なのか彼ら自身もまだよく分かっていなかったのでしょうね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022520日(金)

 

 

<その16>
◆だから左翼というのは始まりの地点では非常に知的でありながらも、ある地点まで行ってしまうと思考が止まる仕組みがどこかに内包されていると思います。

◆私の考えではその核心部分は左翼が理性で世の中を組み立てられると思っているところにあります。理想だけでは世の中は動かないし、理屈だけで割り切ることもできない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022519日(木)

 

 

<その15>
◆たしかにあの当時の学生運動リーダーたちの知的水準は今考えると驚くほど高かったですね。さきほど言ったように60年代末期は大学の大衆化の始まりの時期ではありましたが、そうは言っても今と違い、大学生は紛れもなく知的エリートでした。

◆末端のほうは継承できるだけの知力がありませんから次第に殺しの話しかしなくなってしまったかもしれないけれど、それでもやっぱり運動を始めた人たちは非常に賢かった。ですからなおのこと、これほど多くの知的な人たちが運動を指導した半世紀後の日本がこうなっていることが不思議です。もはや社会で交わされる言葉に思想性なんて欠片もありませんから。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022518日(水)

 

 

<その14>
◆斎藤幸平さんがまさにそうなのですが、彼のようにヨーロッパでマルクス主義を学んでいると、基本的にはレーニンは傍流でローザが主流なので、自然と「外部収奪論」に注目するようになるんです。日本みたいに資本主義国でありながら、スターリン主義系のマルクス主義が強い国はかなり珍しいのです。

◆資本主義においては資本家が労働者から搾取するだけでなく、富裕層が貧困層からというように常に社会の中枢に近い側が周縁からの収奪を行っています。これが上記の「外部収奪論」のことを意味します。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022517日(火)

 

 

<その13>
◆私たちがいま敢えて左翼史を若い人たちに学んでもらいたいと考え、こんな対談をしているのだって、その理由の1つは影響を受けることで自分の命を投げ出しても構わない、そして、いざとなれば自分だけでなく他人を殺すこともためらうまいと人を決意させてしまうほどの力をもつ思想というものが現実に存在することを知ってもらいたいからです。

◆人間を最終的には殺し合いに駆り立てる思想にしても、その始まりにおいては殺人とは無縁の、むしろこの世の中を良くしたいと真剣に考えた人たちが生み出したものであるわけで、だからこそそれが、どういう回路を通ることで殺人を正当化する思想に変わってしまうのかを示したいのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022516日(月)

 

 

<その12>
◆黒田寛一の疎外論の特徴はいまを生きている我々一人一人が疎外された人間であり、真の問題は、その自分が疎外されている状況にさえ気づいていないことなのだと指摘したこと、そして、その「気づく」ということはすなわちプロレタリア的な人間になること以外にないと言い切ったことにありました。

◆松崎が黒田に次ぐ最高幹部として指導力を発揮したことにより、革マル派は警察側の資料によれば現在も約5500人の勢力をもつ組織となることができ、共産党や社会党とも別の自立した運動体を作ることにも成功したわけです。もっとも現在のJR総連は革マル派とは別の組織になっていると私は見ています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022513日(金)

 

 

<その11>
◆メディアも朝日新聞と毎日新聞、共同通信は優秀でさえあれば逮捕歴があろうと採用するという姿勢でしたね。NHKと読売は逮捕歴があるとNGだけど、学生運動をやっていたこと自体は別に構わないという感じでした。

◆要するに企業という組織は二重忠誠をものすごく嫌うんですよ。会社以上に忠誠を誓っている対象を持っている人を採りたくない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022512日(木)

 

 

<その10>
◆当時の日銀は全共闘など新左翼系の学生は採用していたそうです。なぜかというと、彼らからみると一番来てもらいたくないのは日本共産党だから。その点で新左翼運動をやっていたやつは日共じゃないことだけ確かだから採用しておくというんです。

◆学生時代にある程度の正義感があり、運動でリーダーシップを発揮していた人間というのは体制側に来たら、逆にすごく使えるというのは少なくとも外務省とか大蔵省、通産省などの役所は発想として確実に持っていましたね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022511日(水)

 

 

<その9>
◆しかし、そんな定員の何倍もの学生を入れてしまうようなシステムで質の高い教育などできるはずなく、そのことに学生たちはもともと不満を感じていました。その不満が大学当局の使途不明金の存在が明らかになったことで爆発したということですね。

◆東大全共闘の場合は、東大という機構が帝国主義的な階級意識を再生産する役割を担っていることに対する強い疑念と、そこで学んでいる自分たち自身もまた、そのシステムの一部であるがゆえに自己否定しなければいけないという内在的動機が学生たちの側にありました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022510日(火)

 

 

<その8>
◆そしてその裏金は教職員組合へのスト破りに使う「組合対策費」や学生運動を妨害する目的で体育会や応援団に特別に充てられる「学生対策費」、そして、日大のトップである古田重二郎を通じて政財界に献金される「社交渉外費」などとして使われていたこともわかりました。

◆そのための資金となると日大にかぎらず、当時の私立大学の大半が学生の授業料に依存していました。今でこそ国が私学に対しても様々な助成をするようになりましたが、昔はそんな制度はなかったので学生を定員の何倍も入学させてなるべく多くの入学金や授業料を徴収し、そのお金でまた次の学部をつくるというスキームだったのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
202259日(月)

 

 

<その7>
◆今の大学生の感覚なら警察官が学内をパトロールしてい、あたりまえの感覚で受け入れてしまうかもしれませんが、当時は大学の自治というものが今とは比べ物にならないほど尊重されていましたからね。大学当局が大学の敷地に警官隊を招き入れ、学生を実力で排除させるなどということは許されないという感覚は、一般学生の間でも広く共有していました。

◆当時の日大では各学部が独立採算制を敷いており、各学部は入学金や授業料、寄付金の一部だけを本部に納め、残りの収入の一部を裏の帳簿で運用していました。その事実を国税局がかぎつけて、監査したところ大学全体での使途不明金が1963〜68年までの5年間で約20億円、最終的には34億円もあったことが発覚しました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
202256日(金)

 

 

<その6>
◆それぞれの大学でストライキなどを打つ場合、参加者が定足数を満たしている学生大会を開催して、そこで過半数の賛成を得るなど一応は民主的な手続きを踏まなければいけない。でもそれだと完全に大衆的な運動しかできずそれ以上の規模には広げようがないので、「戦う意志」を持った人間だけが集まって、前衛的に物事を決めて実行していくための組織として全学共闘会議ができた。
だから、全共闘の特徴は近代的な代議制「ではない」というところにこそあります。自治会のように多数決で物事を決めるのではなく、「意識が高い」者だけで集まったほうがよい、そしてそこでは個々の議題についても投票ではなく、拍手さえ起これば承認されたものとし、実践していくという思想です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
202252日(月)

 

 

<その5>
◆総評は元々は右寄りの組合だったのがあれよあれよという間に左傾化し、三池闘争をはじめとした数々の争議で 「闘う組合」 としての存在感を示しました。
これは当時「ニワトリからアヒルへ」と評されるほどの変化でした。しかしこうした争議を通じて社会党が共産党よりも戦闘化していき、労働者が社会党に引き寄せられていくことを、共産党はものすごく嫌がっていました。

◆差別問題は共産党にとってある意味では最大の仮想敵なんです。なぜならば日本における差別問題は、基本的に日本国内に存在する日本人同士の問題であるがゆえに、これがあまり強調されると「真の敵はアメリカ帝国主義である」という問題意識を見失わせてしまいかねないと彼らは考えるからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022428日(木)

 

 

<その4>
◆共産党は暴力革命に踏み切るかどうかは相手の出方しだいで変わる 「敵の出方論」 であったのに対して、社会党の理論面を一手に引き受けていた社会主義協会は平和革命絶対主義でした。

◆新左翼は、権力は暴力から生じるのだから暴力によらない革命などありえないと考えていました。しかし、この考え方はリアリズムを欠いた一種のロマン主義です。彼我の力の差を考えれば、火炎瓶や手製爆弾では、自衛隊はもとより機動隊にも対抗できないですから。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022427日(水)

 

 

<その3>
◆安保条約の改定にしても、アメリカに命じられて嫌々やっているわけではなく、日本の保守政権と日本の財界が結託し、自分たちの得になると値踏みした上で、彼らの意思によって強行しようとしているんだと考えたわけですね。

◆そうです。社会党や新左翼がそう考えたのは、日本の資本主義が復活を遂げた1960年代という時代にあって、かつてアジアを侵略した日本帝国主義もまた甦りつつあるという認識を強く持っていたからでした。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022426日(火)

 

 

<その2>
◆なぜ左翼は失敗したのか。この本では一貫してこの問いに立ち返ることになるでしょう。そして、左翼のてん末を歴史の教訓として総括することは、最も学生運動が盛り上がっていた1968年に大学生になった私の使命でもあります

◆なぜ過去の遺物と化した新左翼の思想を今読むのか。それは自分の命を投げ打ち、時には他人を殺すことも正当化した思想の力というものを現代に生きる読者に反省的に学んで欲しいからです。危機の時代には必ず激しい思想が現れます。こういう過去があったということを知るだけで、危険な思想への免疫ができるはずです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優 「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(講談社)
2022425日(月)

 

 

前著の日本左翼史1945-1960の続編に当たる本である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介してみたい。

<その1>
◆「左翼の功罪」という点で言うと、60年代は「罪」が強く浮き彫りになった時代です。何より過激な学生運動と内ゲバ、70年代に起きたあさま山荘事件や過激派によるテロ事件の印象が強く、「左翼は危険な思想」という総括が決定的になってしまいました。今に至るまで左翼が人々から敬遠される傾向が強いのは、これらの事件が日本の社会に記憶されているからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
2022422日(金)

 

 

<その19>
◆最初の頃は平和革命実現のための、本気で国会の過半数の議席を獲ろうと全国のほとんどの選挙区に候補者を出していたのが、何度選挙をやろうとどうしても過半数は獲れないとなって、いつの間にか3分の1の議席を確保するための候補者しか出さなくなった。

◆「敵の出方」論のような理論を編み出し、必要と見れば、創価学会とも手を取り合える宮本顕治という傑出した指導者がもし出ていなければ、共産党がここまで拡大することはなかったのは間違いありません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
2022421日(木)

 

 

<その18>
◆その挫折の体験が黒田に自分がマルクスの説くところの 「疎外された人間」 つまり、人間としてあるべき本質を失った人間であるという思いを強く抱かせるに至った。それは彼は自分を疎外から救い出すためには、自分自身を変革、つまりインテリの殻から抜け出してプロレタリア的な人間、完全なる労働者に生まれ変わらなければいけないと考えた。

◆さらに社会の構造そのものを変えて共産主義社会をつくらなければいけないが、それは社会に参画する1人1人が自己を変革し、真の革命家にならないといけないという発想に至ったわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
2022420日(水)

 

 

<その17>
◆だから社会党という大きな傘の下に様々な新左翼セクトが集まることがなければ、実は安保も盛り上がらなかった。そういう意味では新左翼も55年体制から始まったと言えるんですよ。ふつう55年体制というと、自社体制のことばかり言われるけれど、実は共産党も55年の6全協で今に続く体制となり、それによって新左翼も生まれてきている。1955年と56年の2年間で、その後の日本の政治、思想のあらゆる方向性が定まったと言えるんです。

◆向坂逸郎にしても新左翼にしてもやることが極端でした。でも革命の問題を本当に突き詰めて考えた人というのは最終的には極端なこと、突飛なことをやらざるをえないんですよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
2022419日(火)

 

 

<その16>
◆安保条約が改正されることによって、アメリカ軍の恒久的な日本駐留を認めることになり、これによって日本が台湾や朝鮮半島での戦争に巻き込まれるリスクが生じるという主張に基づいて反対運動を起こしたのは社会党でした。共産党はその前の武力闘争がたたって選挙で大敗北し、衆議院での議席を1つしか持っていなかったので、国会での闘争は社会党中心に実行せざるを得ませんでしたからね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
2022418日(月)

 

 

<その15>
◆毛沢東はスターリンについて 「彼は様々な過ちを犯しましたけれど、素晴らしい功績もたくさん打ち立てた。その比重をどう見るべきか?」 と問いかけたうえで、七対三で肯定的な評価が上回ると結論した。

◆だから岸は日本にアメリカ軍を駐留させる代わりに日本が攻撃された際、アメリカが守る義務があることを認めさせ、日本国内の暴動をアメリカが鎮圧・弾圧する規定も除外された。岸が60年の安保改定で目指したのはこの2つですね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
2022415日(金)

 

 

<その14>
◆スターリン批判は黒田寛一ひとりにとどまらず、当時の日本じゅうの知性を活性化させました。左派知識人たちがソ連あるいはスターリンを絶対視していた状況を一変させ、これらをもう一度根本から疑ってかかる必要があることを日本の知識人たちに知らしめ、彼らに否応なく反省を迫ったからです。

◆宮本顕治が東大在学中に書いた芥川龍之介論 「敗北の文学」 は雑誌 「改造」 の懸賞論文に応募して、小林秀雄 「様々なる意匠」 を差し置いて一位になったほどですからね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
2022414日(木)

 

 

<その13>
◆さて、この章では共産党の50年分裂まで話してきました。多種多様な人材が揃い、独自の憲法草案を作成するなど積極的な動きを示し、国民からも支持を得ていた社会党と共産党が戦後間もない時期の左派、とりわけ共産党が占領軍内部の路線対立やソ連=コミンフォルムの意向に悲しくも振り回され主体性を取り戻せないままに暴発を余儀なくさせられた、という点に集約できそうですね。

◆今度は財界がこのままでは社会主義革命を起こされかねないという危機感から自由党と民主党に一緒になることを必死で働きかけ、これにより自由民主党が結成されました。いわゆる55年体制の完成です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
2022413日(水)

 

 

<その12>
◆これは今の共産党に国籍条項があることと比較するとたいへんに興味深い事実です。日本共産党は1960年代以降、宮本顕治書記長らの決定で、外国人の入党を全面的に禁止していますから。

◆また今の日本共産党は沖縄独立論とは、一線を画すことを党の公式の方針に揚げています。だから徳田が沖縄の独立を主張してことについても、2003年に出した 「80年党史」 ではっきり 「誤り」 であると総括されています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
2022412日(火)

 

 

<その11>
◆いずれにせよGHQに屈して、2.1ストを中止したことで、共産党は日本の労働運動を大幅に後退させる決断をした、という批判を浴びることになり、労働運動における主導的立場から転落してしまいます。徳田球一個人にとってもこの2.1ストを指揮するまでが革命家としての絶頂の時期であって、この後は下り坂を転がるような運命を辿ることになります。

◆つまり、当時の共産党では日本人ではなく琉球人や朝鮮人というアイデンティティを持つ者が指導部にいることは、まったく問題視されていなかった。むしろ、 「プロレタリアートに国境はない」 という理念に忠実に、日本人、琉球人、朝鮮人によるインターナショナル組織で世界革命を志向していた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
2022411日(月)

 

 

<その10>
◆1947年2月1日のゼネラルストライキをめぐっては、仮にこのストが成功していたら吉田内閣の打倒はおろか、共産党と労働組合の幹部たちを中心とした人民政府の樹立も不可能ではなかったのではないか、という歴史的な評価もあります。しかし、ここで足を引っ張ったのが巣鴨からの釈放時にGHQを 「解放軍」 と規定してしまった徳田球一による声明 「人民に訴う」 でした。

◆自分たちが解放軍として祭り上げてしまった以上、共産党はGHQの占領政策を批判できない立場になっていましたし、その総帥であるマッカーサーの命令にも逆らうことができなかったわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
202248日(金)

 

 

<その9>
◆軍事教練で上官から意味もなく殴られる軍隊での生活にうんざりして共産党に入ったのに、入党してすぐ「党員は軍隊的鉄の規律を厳守せよ」 というビラを見せられた時点で相当に幻滅もしていたのですね。

◆たしかに共産党がつくる労働歌ってだいたい戦前の軍歌の替え歌が多かったですよね?
なにか本当に新しいことを始めようと考えていたなら、軍歌のメロディーの流用なんてしなかったでしょうね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
202247日(木)

 

 

<その8>
◆この 「どんなものにも良いものと悪いものがある」 というロジックは共産党的弁証法の特徴です。
「良い戦争」と 「悪い戦争」 があるように、「良い核兵器」 「悪い核兵器」 もあって、ソ連や中国などが持つ核兵器は帝国主義者による核戦争を阻止するものとして正当化される。

◆マルクスやレーニンの本のどこを読んでも、人格的価値、道徳的価値が出てこない。マルクス・レーニン主義には、倫理的価値が位置づけされていないんだよ。それはおかしいんじゃないかということだね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
202246日(水)

 

 

<その7>
◆その中にあって共産党が発表した草案 「日本人民共和国憲法草案」 だけが 「天皇制廃止」 「一院制」「再軍備」 を唱えており独自性を発揮していました。

◆第2次世界大戦の終結後、世界では次々に社会主義国が誕生し、敗戦下の日本では人民が飢え、しかし、飢えているがゆえにメーデーには大勢の労働者たちが集まってくる。プロレタリアの怒りはもはや沸点を超えつつある。革命は近い____そう思わせるだけの空気があった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
202245日(火)

 

 

<その6>
◆ソ連共産党に書記局が作られたのは、もともとは初代の最高指導者であるレーニンを補佐する事務局としてであり、スターリンはその部署のトップでした。一般の会社で言うと総務部のようなものでしょう。しかし、現代の企業の総務部がまさにそうであるように、ソ連共産党の書記局には人事に関する情報や党内のトラブルまであらゆる情報が集中しました。スターリンはその情報を駆使することで党内をのし上がっていったのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
202244日(月)

 

 

<その5>
◆社会党の中心的な政策である 「非武装中立」 論をかいつまんで説明すると、民主主義が根付いていない日本で再軍備が強行された場合、反動的な政権が成立して反政府勢力との間に内戦が発生する可能性が高く、その際にはソ連などが内戦に乗じて日本に侵攻してくるだろうと考えていたからです。そのくらいソ連のことを信用していませんでした。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
202241日(金)

 

 

<その4>
◆アメリカによる初期の占領政策の特徴は、日本の 「非軍事化」 と 「民主化」 を徹底して行ったことにあります。

◆一方、戦前に逮捕された日本共産党員たちは拷問で殺されたり、獄中で病死したりした人を除けば、たしかに大半が転向していますね。敗戦で釈放されるまで転向しなかったのは、徳田球一、志賀義雄、宮本顕治などごく僅かです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
2022331日(木)

 

 

<その3>
◆たとえば、王や貴族、教会などの存在は、どうして必要なのかと問われて、合理的な説明ができる人はいません。しかし、長年のあいだこの世に存在してきた以上は、その背後には何らかの英知が働いているはずであり、尊重しなければいけない という考え方を右翼はします。これが左翼と右翼の根本的な違いです。

◆同じ革命でも暴力に訴えず平和的な手段で実現するのだという社会党のこだわりは、長く悲惨な戦争に疲れ切っていた戦後左翼の多数派の心情にぴたりと合致したのでしょうし、だからこそ、その後も揺るがなかったのでしょうね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
2022330日(水)

 

 

<その2>
◆本当はリベラル(自由主義者)といえば、むしろ左翼とは対立的な概念です。たとえば、左翼は鉄の規律によって上から下まで厳しく統制され、またそれを受け入れるものであったのに対して、リベラルは個人の自由を尊重する思想ですから、そうした規律を嫌悪します。
でも今では左派とリベラルがほとんど同じもののように考えられています。

◆19〜20世紀の左翼たちが革命を目指したのも、人間が理性に立脚して社会を人工的に改造すれば、理想的な社会に限りなく近づけると信じていたからですね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  池上彰 佐藤優「真説 日本左翼史」(講談社)
2022329日(火)

 

 

戦後左派の源流となる1945年から1960年について書かれている。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆第2次世界大戦後の社会党・共産党の動向は、いわば 「忘れられた近現代史」  とも言えるでしょう。学校の歴史の教科書には登場しないような左翼の歴史を振り返ることは、なぜ左翼運動が衰退したのかの原因究明にも役立つことでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021107日(木)

 

 

<その9>
◆私も若き日に日教組の一員だったからよくわかるが、組合出身の議員にまったく立場の違う相手の言い分を聞き、その弱点をとらえて、しなやかに反論するといった経験を積んできた者はほとんどいない。組合の会議というのは、だいたいが「異議なし」といって気勢を上げるための景気づけの集まりであり、反対する者は「分派」として排除してしまう傾向がある。いわばうなずき屋を前にして「気分よく」大声を出してきただけだから、反対する者を説得する技とかはもっていないのである。

◆社会が病んでいるから暴力団は出てくるという視点がなければ暴力団はなくすることができないはずなのに、簡単にレッテルを貼って排除すれば、社会がよくなるといった単純な発想で条例や法律がつくられ過ぎる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021106日(水)

 

 

<その8>
◆いま自分の言っていることをここで理解してもらいたいんだ。ノートなんかとるな。この場で理解すればいいんだ。

◆アントニオ猪木は青森県知事選の応援で、最初は原発一時凍結派の候補から150万円の謝礼で来てほしいと頼まれていた。だが、原発推進派の電気事業連合会から1億円を提示されあわてて150万円を返して、そちらに乗り換えたそうである。

◆私は勲章をもらう人間を評価しない。それまで悪い印象を持っていなかった人でも勲章を受けたと知るとその程度の人だったかとガッカリする。旧社会党の関係ではそれで岩垂寿喜男と國弘正雄に失望した。彼らは拒否するだろうと思っていたからである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021105日(火)

 

 

<その7>
◆武谷三男の思想で私が一番共鳴したのは特権と人権は違うという事だった。私はそれを次のように翻訳して説明する。たとえば、ダイアナ妃がパパラッチに追いかけられてかわいそうだと言われた。しかし、ダイアナは人権を捨てて、特権の世界に入ったのである。それを、彼女にも人権があると言ってしまっては特権と人権の違いがわからなくなる。

◆私は土井たか子を革新性と保守性、寛容さと頑固さを併せ持つ「含羞の人」と評した。
その土井も好んだロバート・フロストの誌に次のようなものがある。
「−森は美しく、暗くて深い。/だが私には約束の仕事がある。眠るまでにはまだ幾マイルか行かねばならぬ。」


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021930日(木)

 

 

<その6>
◆「都市の論理」の次の指摘も忘れられない。
「日本では最近まで私生児といって冷たい目で見られている子どもたちをフィレンツェではルネサンスの時代にインノチェンティすなわち罪のない子とよぶようになっていたのです。」

◆ぼくは主流でも反主流でもない「非主流」っていう主義なんです。反主流には明日の主流かもしれないけど、「非主流」は永遠に主流にはならないでしょ?そういうものの方が絶対に面白いんですよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021929日(水)

 

 

<その5>
◆羽仁五郎は「ぼくは女性が売春してよいと言っているのではないのだ。売春をこの法律で防げるのであれば賛成するが防げやしない。そしてほかの副作用があって、これから令状なしの臨検、もっと早く言えば令状なしの逮捕がはじまることにあくまでも反対するのです。」と述べている。

◆羽仁の発想には驚くことが多い。例えばこんなことを言ったこともある。
「共産党も財界からカネをもらわない唯一の政党だなどというのは、自分は色気のない唯一の女だと言っているようなもので、感服していいものやらあきれていいものやらね。共産党も少し財界からカネをもらってでも政界をひっくり返してくれるほうがいいよ。カネももらわないけど倒す力もないというんじゃまったくナンセンスだ」


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021928日(火)

 

 

<その4>
◆アメリカの友好国は、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの4カ国で日本は入っていない。日本は3番目の「その他」の国なのである。
いま日本は韓国をホワイト国からはずすなどと言っているが、アメリカから見れば日本は「第三の男」ならぬ「第三の国」だということを知っておいたほうがいいだろう。

◆明の時代には沖縄を「大琉球」、台湾を「小琉球」と呼んだという。それほどに沖縄と台湾は近く、漁場も同じとかで交流が深かった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021927日(月)

 

 

<その3>
◆いまでは信じられないことですが昭和20(1945)年の日本人男性の平均寿命はたしか23.9歳でした。戦地では兵士たちが戦って死ぬ(あとでわかったのですが戦死者の3分の2が餓死でした)、内地では空襲で焼かれて死ぬ、病気になれば薬がないので助かる命が助からぬ、栄養不足の母親を持った幼児たちは栄養失調で死ぬ。そこで大勢が若死にしたのです。女性の平均寿命も37.5歳だったはずです。

◆日本人を蝕んでいるのは中途半端という病気であると喝破したのは、1945年8月15日に朝日新聞をやめたむのたけじだった。
またむのは東京外大時代、スペイン人の教師からむのが何ということもなく使った「半信半疑」という言葉をとがめられる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021924日(金)

 

 

<その2>
◆日本は平安時代の250年間、死刑を廃止していた。死刑で殺されていた人間の怨霊が地震・津波・大火などの大災害となって襲ってくると考えられていたからだ。つまり「人を殺すと祟る」と思われていたのである。それで死刑を止めて、「島流し」にしたという。いわば無期刑のようなものだろう。
しかし、武士の世の中になると、それは迷信だと斥けられて死刑が復活し、いまに続いている。

◆石橋湛山首相は「元号を廃止すべし」では中国の制度の模倣として大化の改新の時に元号が建てられたと説き、元号を定められない天皇は天智天皇他何人かいたと付け加える。
自民党に元号や靖国神社を廃止せよと主張する者はいない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「佐高信の徹底抗戦」(旬報社)
2021922日(水)

 

 

・・・ありえないと思ってあきらめず、それをありうるかもしれないと思わせる激越さが徹底抗戦の思想の原点である・・・。というのが佐高の主張である。
本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。

<その1>
◆フランスは1981年に死刑を廃止したが、その時の法務大臣のロベール・バダンが来日して講演し「日本は世界で最初に死刑を廃止した国です。それなのに今度は世界で最後まで死刑を残す国になろうとしています 」と嘆いた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
202192日(木)

 

 

<その9>
◆お互いにその革命理論がここまでくいちがっている以上、お互いを反革命的とみなしあうことはやむをえまい。しかし、それでもなお、お互いに思想と信仰の自由だけは保証しあうこと。もう一度くり返すがこのあまりに明らかな大原則を守り抜くことなしにどちらの党派も考える革命も退廃におちいらざるをえまい。そして、革命の退廃こそ、ほとんどの反革命なのである。

◆自由をめざして抑圧を実現する、あるいは民衆を解放させんとして隷従させるという、これまでの革命のパラドクスはすべての大原則の放棄に端を発している。

◆すでに手遅れかもしれないがここのところを両派の人々にもう一度考え直してほしいのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
202191日(水)

 

 

<その8>
◆中核派の長谷川英憲氏は前回(1971年)の杉並区議選では一万票近い記録的得票で圧倒的な第一位当選をはたしていた。これをなにがなんでも落選させて、中核派が完全に市民社会から浮き上がっていることを示したい革マル派と、なにがなんでも当選させてそうでないことを示したい中核派ということで、この区議選は両派の総力をあげての選挙戦となった。

◆「反革命」のレッテルさえはれば、思想・信仰の自由を奪ってよいという発想は「非国民」のレッテルさえはれば、思想・信仰の自由を奪ってよいという論理となんら変わるところはない。
退廃なしの革命をめざそうと思うなら反革命にも思想・信仰の自由をみとめるところからはじめねばならない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
2021831日(火)

 

 

<その7>
◆己の責任を問わず、相手の責任だけを問うていく。あるいは、自他の責任の問い方において、自分に有利な勝手な基準を設ける。これがあらゆるケンカ、確執、抗争、紛争のエスカレーションの原理である。両派の抗争のここまでのエスカレーションも、これ以後のエスカレーションも論じつめるとここに帰着する。

◆内ゲバの原因を次々にさかのぼっていくと、どんどん過去にいってしまう。が結局のところ、問題は党派闘争のあり方について、党派間で認めあう「原則」が成立していないということにつまるだろう。この点で、前の本多氏のことばにあった「それぞれのやり方で競いあえばいい」というのが基本的には正しいだろう。この「それぞれのやり方」というのは、テロ、リンチなど他党派に向けての直接暴力行使を排除しての意味だ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
2021830日(月)

 

 

<その6>
◆革マル派以外の党派は、(理論上ののりこえ)、(運動上ののりこえ)を通じて、(組織上ののりこえ)を実現する。
ここのところがわかりにくければ宗教上の信者獲得競争にあてはめて考えてもらえばわかるだろう。
より獲得力のある教義の提出(理論上ののりこえ)とそれによる信者のより多い獲得(運動上ののりこえ)によって他の宗派を圧倒する(組織上ののりこえ)のが普通の宗派間の競争(党派闘争)のあり方であるが、革マル派は主観的により正しい教義の提出(理論上ののりこえ)によって、まず、他の宗派のぶちこわしを狙い(組織上ののりこえ)、他の宗派のぶちこわしによってより多くの信者を獲得する(運動上ののりこえ)という順序がおかしな革命理論を持っている。
順序がおかしいというよりは、あまりにも主観主義的な運動論である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
2021827日(金)

 

 

<その5>
◆中核派はあらゆるセクトの中で、この三里塚闘争にもっとも深くコミットし、数年前から活動家を常駐させていた。そして、一連の闘争においても一大支援隊をくり出して農民と一体となって闘ってきた。しかし、だからといってこういった過激な戦術へのエスカレーションが中核派の指導によってなしとげられたというわけではない。三里塚闘争の戦略・戦術を決定し、それを自ら実践していったのは農民たち自身だった。コザ市の暴動にしてもいずれかの党派の指導によるものではなく、自然発生的なものだった。この2つの事件で過激派を自任していた中核派はむしろ過激さにおいて大衆に越えられているという意識を持ったのではないだろうか。この意識が中核派の本格武闘再開、暴動路線の開始のテコになっていたと思われる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
2021826日(木)

 

 

<その4>
◆革命理論の近年の最大の分化は暴力革命論と平和革命論の間で起きた。その中間項として、暴力行為は敵の出方によるとする日本共産党のような立場がある。革マル派もほぼこれに近い。

◆他の刑法などの法律は、あくまでも一定の違法行為があってから後にそのなされた行為が取り締まられる。しかし、破防法は「破壊活動防止」の名の下に教唆煽動という形で、破壊活動を事前に取締ることができる。とくに団体適用し、活動制限をしてしまえば活動しただけでその組織を検挙できる。破防法の下で暴力革命をめざすというのはそう簡単にできることではない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
2021825日(水)

 

 

<その3>
◆自分たちが正義、相手が絶対の悪という認識がなければ、そう簡単に他人を殺傷できるものではない。内ゲバを論ずるにあたって、安易に「市民の論理」をもってきて、それでこと足りるとしている人々は、そのへんの認識が欠けているのではあるまいか。

◆「腐敗堕落しきったスターリン主義者党を解体させ真に革命的な前衛党をつくるためにはナニよりもまず・・・」といった独特の抑揚をもつクロダブシが流れてくる。

◆暴力革命への道を理論的に、実践的に追求しつつある一群の人々が現に我々の社会の中に在る。彼らの側からすれば、人間の皮をかぶったケダモノは現社会の支配者たちであり、現社会のあり方のほうが残忍でモラルが荒廃しているということになる。それに対して彼らの側は人間解放のための革命という最高善を追求しているのだから、たとえ人を殺してもよりモラリッシュだというのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
2021824日(火)

 

 

<その2>
◆両派の機関紙における主張を丹念に読みくらべ二つの相反する主観的な報道から、その背後にある客観的事実と思われるものを洗いだしていくという作業が必要になる。これは口でいうのはたやすいがなかなか面倒な作業である。

◆それから2カ月して中核派のトップ本多書記長が殺された。私の対話した相手である。その報告を聞いたとき私は愕然とした。
生身で知っている人が殺されるというのはやはりショックである。本多氏の2回の対談で話した時間は10時間は軽く超える。2度以上会った人はたくさんいるが、10時間以上話をした人というのは、そうたくさんいるものではない。そして、10時間も1人の人間を相手にまじめにしゃべりあってしまうと、いやでもその相手の表情から肉声までが記憶に刻みこまされてしまうものだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  立花隆「中核VS革マル」(講談社)
2021823日(月)

 

 

今年の4月30日に評論家の立花隆が80才で亡くなった。3万冊の本を読み、100冊の本を書いたと言われる立花の著作の中で、私がもっとも力作と考えているのが本書である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して紹介していきたい。

<その1>
◆中核派と革マル派という新左翼の二大組織がお互いに組織の総力をあげて、組織の全存在を賭けての抗争をくりひろげているのである。日本の政治抗争上、これほど血みどろの闘いをくりひろげられたのは百年以上も前の幕末の諸セクトがテロ合戦に走って以来のことだろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021315日(月)

 

 

<その18>
◆(金)僕らはメモとか持つなと言われてたわけですよ。赤軍派あるいは連合赤軍は、記録も残せない集団だったことになりますよね。残さないっていうことは結局検証される運動じゃなかったっていうこと。

◆(鈴木)僕は連合赤軍の本をずいぶん読んでるけど、本を書いたり、取材に出たりしている連赤の人は、10人もいないよね。連合赤軍に関連して何らかの罰を受けた人は100人以上いるらしいんです。でも声を上げていない。僕の知り合いの女性は捕った後、結婚して名前を変えて自分の子どもにも教えてないと。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021312日(金)

 

 

<その17>
◆(植垣)私は自分の人生を捨てているのに、何でアイツはそれができないんだということになり、それは相手を殺すことにもいき着くわけですよ。

◆(鈴木)森達也さんが言ったんだけども「主語が複数になると述語が暴走する」と。僕は公のためみんなのためにっていうのは悪いことじゃないと思うんです。ただ、それだけを前面に出しちゃうと危ない方向にいく可能性が大きいことはきちんと考えるべきですよ。

◆(鈴木)高橋和巳がどんなものでも秘密でやっちゃダメだと言ってた。必ず第三者の目を置けと。それは今でも言えることです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021311日(木)

 

 

<その16>
◆それに対し植垣さんは「仲間だから殺せたんです」と言っていた。自分達は人民のために革命をやろうとしている。だから人民はどんなことがあっても傷つけてはならない。一方、自分達は革命のために全てを捧げた兵士だ。完全に共産主義化しなくてはならない。その厳しさが内にだけ向いたということだろう。ショックだったがそうなのかと少し分かった気がした。

◆(金廣志)これからは「私の幸せ」を追求する思想じゃなきゃダメですよ。自分が我慢してでもみんなが幸せになってくれればいいんだっていう思想が本当は一番反動なんだ。私たち、そういう思想だったわけじゃないですか。人民のために自分たちの命を捨てることって不惜身命ですよ。どこに人民がいるのかよくわからなかったんだけど(笑)


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021310日(水)

 

 

<その15>
◆今までの連赤について書かれたものは「ただの犯罪」と書かれたものが多い。「それに比べ、この映画はいい!感動した」と言っていた。特に坂口が海を泳いで羽田の滑走路にかけ上がり愛知外相のアメリカ・ソ連訪問を阻止しようとするシーンがある。「あれなんて胸がジーンときた」と言っていた。

◆いや、左翼だけでない。右翼も宗教もともかく<理想>を目指す社会運動は全ていかがわしいものと見られた。心の中に正義を持つ人々は危ないと思われたのだ。僕らは連赤事件を批判した。しかし、一般の人からは「お前らだった同じようなもんだろう」と思われた。「世の中を変えるなんて運動は偽善であり危険だ」と思われたのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
202139日(火)

 

 

<その14>
◆また、かつて昭和には濃い時代があって濃い若者がいたんだっていうことをね、映画っていうのはやっぱり後世まで残るからね。そういうことが本当にあったんだってことを伝えたいとも監督は述べている。

◆若者が真剣に考え思いつめた。真剣だったからこそ突き進んだ事件だった。個人が<世界>を相手にし、変革の手応えを感じた。世界を変えられる夢を見た幸福な瞬間だ。だが同時に地獄も見た。

◆ベトナムをはじめ世界中では戦火の中で殺され、飢え、苦しんでいる多くの人々がいる。我々だけが安全地帯にいて、幸せでいいのか。それは「犯罪」ではないか。そう思い立ち上がった。安全地帯を捨て山に向かった。「このままでいいのか」という疑問や批判を<敵>だけに向けているうちはよかった。しかし、あまりに真剣だったために、疑問や批判の刃は自分自身にも向けられた。同志にも向けられた。そして「総括」が始まった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
202138日(月)

 

 

<その13>
◆(鈴木)暴走族がケンカで人を殺しちゃったというのとは違う。優秀な人たちが理論的に詰めて、人を殺している。かえって恐ろしさを感じるんです。

◆(青砥)現実を獲得しない理論が独り歩きするとろくなことにならないということ。

◆「こんなことではダメだ。事実をありのままに伝えよう」と思ったのが、三本目の「連合赤軍の映画」を撮った若松監督だ。なぜ、彼らがあの地点までたどりついたのか。何を考え何を思ってあの行動に出たのか。権力側から一方的に伝えるのではない。ありのままを描きたいと言う。だから敢えて「実録」と付けたのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
202135日(金)

 

 

<その12>
◆(鈴木)最終的には自分が死ぬかもしれないという覚悟でしょうけど、もっと大きいのは人を殺す決意ですよね。それが越えてはいけないことだったんじゃないでしょうか。連合赤軍でみんな自己批判しているのはその一点ですよね。

◆(鈴木)頭のいい活動家たちがなんであんなに簡単に新党(連合赤軍)を作って、総括できなかったら、命を奪うようになったのか理解できない。理解しちゃいけないかもしれないけど。

◆(青砥)ただ考えていただきたいのは、あの頃森さんが何歳だったか、まだ25、6才ですよ。いくら時代背景があったとはいえ25歳の指導者が人の命を口にするようなそういう愚かな組織だったことも事実なんですよ。我々は考えが足りなかった。経験が足りなかった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
202134日(木)

 

 

<その11>
◆(鈴木)そういう時に間違って殺したと認められればいいんだけど、認める勇気がない。路線の一貫性を守るために、論理を後からこじつける。東アジア反日武装戦線だって、三菱重工のビルに爆弾を仕掛けて人々の退避警告の電話をするんだけど取りあってもらえなくて、8人もの死亡事件になった。その時、謝ればよかったんですよ。でも丸の内を歩いているビジネスマンは帝国主義者だとめちゃめちゃな論理を主張しちゃう。居直った時点で革命運動が犯罪集団に変わっちゃうんじゃないかな。

◆(青砥)捕まれば懲役を覚悟しなければならない。そうやって後ろを振り返ったりしながら、乗り越えていく。僕は20歳の頃には懲役15年くらいならしょうがないなと考えていた。
その後爆弾を機動隊に投げる時には15年じゃ収まらないからもう一生、革命家としてやっていくしかないと。段階的に決意を固めていくわけですよ


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
202133日(水)

 

 

<その10>
◆(鈴木)僕は民族派運動に毎年取り組んできたわけですが、60年代後半は生き生きとして楽しい時代だったと思います。学校なんて授業がなくてストライキばかりやっていましたが授業なんかなくてもそんな社会に関心を持って勉強していましたよね。今は、デモなんてないから授業はつぶれることはありませんし、勉強はいくらでもできるはず。でも今の学生は勉強しませんし、社会的な関心もないですね。

◆(加藤)僕ら兄弟は父親にすごく惑わされました。父親は人間的に立派な人になれと言う一方、片方では社会的地位の高い、財産ができるような職につけというようなことを言うわけです。僕からすれば逆のことを言っているなという反発がありました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
202132日(火)

 

 

<その9>
◆(鈴木)坂東さんは後年、超法規的措置により国外に脱出しました。日本赤軍は人質を取って交換条件に使ったわけですから坂口さんにとっては皮肉なものですね。(牟田さんの身柄を交換条件にしなかったこと)坂口さんは日本赤軍による奪還を拒否して死刑囚になりました。

◆(鈴木)革命運動や市民運動が全部終わってしまったのは、全て連合赤軍事件の責任だという言い方がよくされます。加藤さんは著書で「我々は社会の現状に対して疑問を抱き、それをよりよいものに変えようという気持ちで運動に加わったのだ」と反論していますね。

◆(加藤)連赤事件に責任を預けたところで政治運動をやっている人たちが生き延びられるかと言えばそうでもないと思いますよ。経済的・社会的な変化が政治運動をやっている人たちには理解されていないと思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
202131日(月)

 

 

<その8>
◆(加藤倫教)最初銃をつきつけられた時に逃げ出そうとしたようですがパニックというほどの慌て方は出なかったようです。「我々は連合赤軍だ。おとなしくしていれば危害は加えない」ということは、あさま山荘に入る時には坂口さんから牟田さんに伝えられていたと思います。

◆(加藤)僕は坂口さんからあさま山荘の中に入ってこいと言われた段階で、これはもう先の展開が読めちゃうなと思いましたよ。そんなことをすれば必ず運動を批判するキャンペーンがはられるだろうと思いました。単純に警察と闘うということであれば山荘を出て正面にいる機動隊と撃ち合えばいいわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021226日(金)

 

 

<その7>
◆ここで<事件>が起こった。救出された直後、牟田泰子さんはマスコミの取材に対して、「犯人は紳士的だった」と言った。この一言で警察は激怒した。「悪逆非道な犯人からお前を助けるために警察は2人も死んだんだぞ!それを能天気に、犯人は紳士的だったとは何事か!」と。それで牟田さんは竦み上がってそれ以来一言も発していない。31年たった今も頑なに沈黙を守っている。

◆牟田さんは「主人も学生の頃はちょっと学生運動をしたことがあるのよ。だから皆のことも少しは分かるけど、、、」と政治的な雑談をするようになったという。彼ら5人は「革命家」だ。革命家として恥ずかしいことはできないという矜持であった。
牟田さんから見たら、そこが「紳士的」に見えたのだろう。あさま山荘は保養所だ。他人との生活には慣れている。そのせいか人質生活にも慣れ、落ち着いていたという。「だから人質としては最も理想的な人でしたね」と加藤さんはすごいことを言う。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021225日(木)

 

 

<その6>
◆こんなに楽しく学生運動のことを書いた本はない。でもそんな明るい植垣氏も京浜安保共闘と赤軍派が合体して連合赤軍になってからは、全体の暗い雰囲気に呑み込まれてしまう。さらに、総括・粛清に手を貸す。そして逮捕され、獄中27年だ。

◆最後に、「私の青春時代、、、私には選択の余地がなかったのです」と生真面目な表情でポツリと呟いたのが、ひどく印象的であった。私は慰める言葉を探したがついに見当たらなかった。

◆これがストックホルム症候群だ。「人質になった被害者が犯人に必要以上の同情や連帯感、好意を持ってしまうこと」と説明されている。人質になるなんて一般の人にとってはなかなかないことだ。パニックになる。犯人に「ちょっと親切にされる、そうすると天の助けのように思う。また「密室」の中では犯人と人質は運命共同体だ。警察は「人質もろとも犯人を殺そうとしている」と思ってしまう。極限状態の中では、ちょっとしたことで愛や恋も生まれるのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021224日(水)

 

 

<その5>
◆(植垣)逆に言うと僕はM作戦の頃から森さんを見ていて、彼は口ではいろいろ言うわりには自分では実行しないという印象があった。それに対して軍を担っていた僕の方には、決定したことはやるという一種の気負いがあったんです。それと同志を殺すからには自分もいざとなったら死ぬ。もう当時は死ぬことに対して、抵抗感は全くなかったですからね。本当はもう少し余裕を持たないといけなかったんでしょうが。

◆同じ頃僕は書店で1冊の本に出会う。元連赤・植垣康博氏「兵士たちの連合赤軍」だ。これで連赤観が変わった。今まではただ非難、断罪していたが彼らも理想を求め、闘い、悩み送った普通の人間たちだと分かった。それに「連合」する前は、植垣さんは赤軍派だ。その頃の「M作戦(マネー作戦)」で銀行・郵便局を襲う話が実に生き生きしていて、明るく、面白い。何という本だと思った。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021222日(月)

 

 

<その4>
◆(植垣)防犯カメラの設置とか警察官の立ち寄りとかいうのは、僕らのM作戦への対応として出てきたものですからね。

◆(鈴木)連合赤軍事件というと、一般には暗いイメージしかないじゃないですか。その前の全共闘運動というのは明るく楽しく、皆がデモに参加して、それで世の中変わるんじゃないかと思ったわけですが、それが72年の連合赤軍事件で一気に変わってしまった。

◆(植垣)銀行強盗というのは成功させればそれなりにコツがつかめていくんです。武器の問題じゃなくて、中に入ってからの僕らの態度なんです。それがビシッとしていれば銀行員は動けなくなるんです。

◆(鈴木)銀行強盗をそれだけ何回も経験した人もいないですよね(笑)。それもみな革命のためと思っていた。
(植垣)革命というより当時はベトナム反戦、それに沖縄の問題でしたね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021219日(金)

 

 

<その3>
◆彼らが運動に入った動機、愛や夢や希望はすべて忘れ去られ、「結果」だけを見てきた。さらにその悪い結果を今度日本全体を引き継いでいるのではないか、小さなことでも足を引っぱり批判する、他人に対する思いやりがない。排外主義のデモや集会・・・、まるで連合赤軍化する日本ではないか。

◆スターリンもヒットラーも異常なほどきれい好きだ。「整理・整頓魔」だ。だから統制のとれた集団をつくった。巨大な美だ。外れたものはそぎ落とした。(美)を求める心だ。だから、はみ出しものが許せなかった。連合赤軍事件はだから「整理・整頓殺人事件」なんだよ。

◆(鈴木)27年というのはすごく長いですよね。無期懲役だって15年か20年くらいで出てくるわけでしょう。
(植垣)政治犯じゃいないかもしれませんね。徳田球一だって18年でしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021218日(木)

 

 

<その2>
◆中上健次さんは幕末の水戸藩や薩摩藩の「内ゲバ」と変わらないとまで言った。明治維新は成功したから(連合赤軍以上の激しい内ゲバ、粛清も)「尊い犠牲だった」と同情される。キューバ革命、ロシア革命、中国革命にもこうした、いやこれ以上の「尊い犠牲」はあった。

◆あさま山荘に立てこもったのが5人、三島由紀夫とともに市ヶ谷の自衛隊に立てこもったのも5人。だから同じ俳優で二つの映画を撮りたいと若松孝二監督は言っていたが、スケジュールの都合で実現しなかった。

◆「50年後には連合赤軍は新選組になるでしょう」と僕は植垣さんに言った。僕らが子供の頃は新選組は悪の象徴だった。それが子母澤寛や司馬遼太郎の小説によって見直され、新選組ブームさえ起った。連合赤軍は今は「悪の象徴」だ。でも必ず見直されるし、NHKの大河ドラマにもなるだろう。隊規が厳しく小さなことでも次々と切腹させた新選組。武士出身ではなかったが故にかえって「武士道」にこだわった新選組、連合赤軍も似ている。軍人ではなかったが故にかえって「革命兵士」になろうとし、裁判・処刑までやった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  鈴木邦男「連合赤軍は新選組だ!」(彩流社)
2021217日(水)

 

 

鈴木邦男の本はどれも面白いが特に本書は秀逸である。
以下インパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆あの連合赤軍事件から何も学んでいないのではないか。何らの教訓も得てないのではないか。そんな気がしてならない。むしろ日本はどんどん「連合赤軍化」しているのではないか。そんなことを思う。

◆偶然の機会から連合赤軍の関係者に会った。植垣康博さんをはじめ何人もの人に会った。驚いた。冷酷残忍な「極悪人」だと思っていたのに違っていた。皆、真面目で礼儀正しく、いい人ばかりだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出新書)
202128日(月)

 

 

<その12>
◆外出を控え、人と会うのを避け、静かに家に閉じこもっていなさい・この風潮が社会化してみると、何のことはないこのシステムはまさにファシズム体制ではないかと気づいた。むろん外出したとて警官に誰何されるわけではないが、いわゆる自警団気取りの人のターゲットになり、友人が夜道をひとり自宅に帰る時に呼び止められ、「なぜ、マスクをしないのか」と詰問されたそうだ。こういう社会の正義派気取りの跋扈がファシズム体制の特徴である。

◆歴史を批判もなしに受け入れたり、筋違いの論点で検証したりというのは、先輩たちに非礼である。私が本書で試みたことの一つは、社会党を権力の取れる政党、多くの人に許容される政党にできなかったのは、実は社会党の中にそれを害する一派がいたためだという事実を公正な検証によって解き明かすことであった。
「革新派」のなかにそういう勢力にはまぎれもなくファシズムの拇印が押捺されており、私はそこい理不尽さを感じている。そこを書いておきたかったのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出新書)
202125日(金)

 

 

<その11>
◆私は社会党は戦後社会にあって教条左派の論者たちは、戦前の陸軍の青年将校のようなタイプが多かったと思う。要するに、正義は我にありとして一切の妥協を排するのである。

◆妥協を排することが、忠実な皇軍兵士であると同様に、最も原則的な社会主義者であるとの論議だ。ところが皇軍神話が崩れると全く混乱し、真っ先にアメリカの占領政策の礼参者になったりするのである。社会主義が崩れると、かつての「敵」である自民党に媚びへつらうというのが正直な姿だったのである。あるいは自民党の分派の枠に自らが飛び込んでいくのであった。その行動原理は極めて相似性を持っていたのであった。こういう構図の下で、社会党の最後の姿を確認すべきであろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出新書)
202124日(木)

 

 

<その10>
◆土井たか子は昭和61年9月から平成3年(1991年)7月までの5年間、委員長のポストについた。この5年間は社会党にとってそのイメージを変える期間になった。そして権力を駆使するテクニックを身につける期間にもなったのである。同時に社会主義協会に代表される教条的体質と似たような体質も明らかになった。

◆土井社会党は最も党勢のある時に次の点を明確にすべきだったのである。箇条書きにしよう。
(1)社会主義協会など教条派との絶縁宣言。
(2)かつての脱党グループへの人身攻撃の謝罪、そして統一の呼びかけ。
(3)大同団結しての新体制の綱領づくり。
(4)保守勢力を含めての新党創設宣言。
さしあたりこの4条件を満たして野党勢力を結集していたら、戦後史は今と異なった形になっただろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出新書)
202123日(水)

 

 

<その9>
◆国内政治については何一つ有効的な手を打つことができない奇妙な政党だったということになる。戦後の日本社会で社会党の党内抗争は同志愛もなければ、相手を罵倒する歪みだけがあり、それ自体がいかに不毛であったかが改めて問われてくるのではないのか。日中間の政府間交渉で社会党よりは公明党や自民党の親中派の議員たちが相応の役割を果たしたことは否定できない。社会党は中国にとっては自分たちに都合よく利用できる存在だったと言っていいかもしれない。

◆社会主義協会の力が弱まったのは東西冷戦が次第に弱まり、さらにゴルバチョフの登場によって社会主義そのものが崩壊したこともあろうが、何といってもこの協会の理論的指導者だった向坂逸郎の死去(昭和60年)が大きかった。向坂理論は生粋のマルクス・レーニン主義であり、プロレタリア独裁にこだわる純粋さを持っていて、それを武器に組合の活動家を洗脳していった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出新書)
202122日(火)

 

 

<その8>
◆この6年の間、社会党は実はこの中ソ対立に巻き込まれ、はっきり言えばいいように利用されたのである。その姿はみっともないというべきであり、主体性など見当たらないとも言える状態であったのだ。

◆何が欠けていると解釈すればいいのか。私はそれはたった一つの言葉で語ることができるように思う。つまり社会主義の幻想にふけり、その政治システムを日本に定着させるために独自に努力する意思がないということであった。
社会主義国指導者の言動を絶対視して自分たちはそれについていくのが真の社会主義者であると考えていたことであろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出新書)
202121日(月)

 

 

<その7>
◆高度成長のひとまずの停止段階に入って、なぜ社会党は伸びなかったのであろうか。社会党が自民党に代わって票が伸びないのには、それだけの理由があると思うのだがこれはあと知恵で言うのではなく、次のように指摘してもいいのではないかと私は考えるのである。
敢えて簡素書きにしておこう。
(1)田中政治に対する分析の曖昧さと甘さ。
(2)東西冷戦下における中国、ソ連への肩入れの単純さ。
(3)信念として続く党内抗争への疑問と不信。
この3点で説明がつくのではないかと思われる。私はこの中で実は(1)こそが何よりも大切だと考えている。その意味はどういうことか。国民は当初なぜ田中政治を支持したのだろうか。それは「欲望」を満たす政策であったからだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出出版)
2021129日(金)

 

 

<その6>
◆与党や野党も主体性がないだけでなく、中国からもアメリカからも体良く利用されているといった構図をこの時代にはさらけ出した。こうした姿の病根はどこにあるのだろうか。ひとたび与しやすしと見抜かれたらどこまでも利用されるという国際政治の本質を、私たちはこの時に教訓とすべきであったのだ。

◆石橋の「非武装中立論」をひもとくと、すぐに次の2つのことに気づくのだ。
(1)この論は戦前の軍国主義時代の批判に立脚している。
(2)新しい視点、発想が提示されていない。

◆石橋が自らの理論を補完するために起こりうると予想した現象は、いまにして思えば何一つ起こらず、その反面で自らの希望的観測や予想は何一つ現実には、起こらなかったのである。それはなぜか。つまるところは、自らの感性と体験でしか時代と歴史を見つめることができず、時間が動いているという当たり前の事実など考えようとしなかったからである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出出版)
2021128日(木)

 

 

<その5>
◆社会党は1970年代を迎える時期にその役割を終える状態に置かれていたのである。いや戦後社会の中で戦争終結時の戦後民主主義を口にしているだけでは、もはや訴求力を持てなくなっていたのである。むしろ、昭和20年代に左派社会党の鈴木茂三郎委員長が「青年よ、銃を持つな」と叫んだ時代の感性は急激に薄れていったのであった。

◆社会党は戦後25年を経て、社会主義そのものの変容に応えなければならなかったはずだ。
社会主義体制を平和勢力と言い、社会主義への道筋をめぐってプロレタリア独裁か否かで論争し、少しでも新しいビジョンが提示されると社会主義の原則に外れるといった論議を繰り返す体質がどれほど支持者に呆れ果てられていたのか自省すべきだったのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出出版)
2021127日(水)

 

 

<その4>
◆つまり社会党の非武装中立は、日米軍事同盟を破棄することが前提であり、そのことによって自衛隊を縮小、解放する方向へと向けていく。そのために具体的にはどのような形で模索するかを明かしている。

◆そこで日本はアメリカ、ソ連、中国、それに北朝鮮の各国とは個別にあるいは集団で安全保障条約を結んで、極東の一角に安定度の高い中立地域を作り出すというのであった。

◆朝日新聞の石川真澄は「新聞が世論調査による議席数の推定を大きく間違えるのは、ほとんどの場合棄権が大幅に増えたときである。その原因は棄権の増大が各党の得票をまんべんなく減らすのではなく、ある党の支持者に偏って影響を与えるためであると思われる」と書いている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出出版)
2021126日(火)

 

 

<その3>
◆江田ビジョンとは、「イギリスの議会政治」 「アメリカの経済的豊かさ」 「ソ連の社会福祉」 そして「日本の平和憲法」の4つである。

◆昭和40年代の社会党はあきれるほどの派閥闘争を繰り返していたが、その中でともかくもビジョンや具体的展望を提示したのは、江田ビジョンであり、そして、後に委員長になる石橋政嗣の「非武装中立論」であった。この論は石橋が社会党の苦境を脱し新たな方向を示すために取り組んだ大きなテーマであった。
この論も例によって派閥争いの対象にされた。
佐々木派や江田三郎らのグループにも反対される有様であった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出出版)
2021125日(月)

 

 

<その2>
◆昭和35(1960)年5月19日は日本の議会政治が崩壊した日といってもよかった。議会政治が死んだとの声が日本社会に広がった。これは決してオーバーな表現だとは思わない。自民党支持者でもデモに加わった。かつて私は拙書で「戦後日本の政治的エネルギーが爆発したのはこの5月20日から1ヶ月間であった。」と書いたことがある。

◆こうした状況は今にして思えば岸内閣の戦前型の政治姿勢の故であったといえるのだが全学連の一揆主義的な行動に批判はあるにせよ、社会党をはじめ野党の指導力や大衆運動への理論が欠如していることも浮かび上がらせたといえるだろう。つまり岸内閣の反動性だけでなく、社会党や民社党の体勢の弱さまでも浮き彫りにしたのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「対立軸の昭和史」(河出出版)
2021122日(金)

 

 

この本のサブタイトルは社会党はなぜ消滅したのかとなっている。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆民主主義の要諦は寛容の精神であり、反対の意見に対しても静かな心でまずこれを聞き、さらに穏やかな言葉でこれを説得するということでなければならないと思います。(西尾末広の言葉)
◆汚い言葉で相手を罵り与党と戦うよりも仲間の足を引っ張る方に最大のエネルギーを使うのである。こんな政党が政権など取れるわけはない。いや、取ってはならなかったのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201028日(水)

 

 

<その10>
◆創価学会の世界には、独特の論理がある。「辞めるか辞めないかは自分で決めることではない。任免は、池田大作会長の意思であり、勝手に辞めるのは不遜の極みだ」というのだ。

◆週刊「現代」では、特に雑誌を発表の舞台とするフリーのジャーナリストを抑圧したいがためのこの法律=個人情報保護法の「熱心な推進者」は池田大作だと書いている。また池田は自民党と公明党の連立政権合意書にもその法案を推進することを盛り込ませている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201027日(火)

 

 

<その9>
◆毛沢東の中国に反毛派のできることはあっても、創価学会に反池田派のできる可能性はまったくないといわれる。それだから、池田が前と違うことを言っても、すべて許されてしまうのである。池田は「私の言葉は学会では憲法になってしまうのです」とまで語っている。

◆藤原は創価学会の会員たちに「思わず頭を下げたくなるような敬愛な宗教家タイプの人は、まずほとんどいないに等しい」としてこう続けている。
「私は創価学会の幹部にはほとんどといってよいくらい会っているが、宗教家のもつ謙虚さ、謙譲さといったものを感ずる人はほとんどいない。まことに世俗性の強い信仰団体といえるかもしれない


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201026日(月)

 

 

<その8>
◆1999年春、ユニークな政治評論家で、「創価学会を斬る」の著者である藤原弘達が亡くなった。充子夫人によればその日夜中じゅう「おめでとうございます」という電話が続いたという。

◆こうした前近代的学会を相手に闘った「批判者の系譜をたどろうとするとき、まず挙げなくてはならない二人が藤原弘達と内藤国夫である。ともに「日本の知性」といわれた東大教授、丸山眞男に学んでいる。
名著「現代政治の思想と行動」などによって、内部に言論の自由がないばかりか、外に対しても、それを押しつぶそうとする学会がメスを入れるべき大いなる標的と映ったに違いない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201023日(金)

 

 

<その7>
◆松村謙三は戦後すぐに農林大臣となり、農地改革をやる。農政局長に抜てきしたのは、のちの日本社会党の副委員長になる和田博雄だった。地主制を改めて小作人を解放しようという松村の思想をアカ呼ばわりする者もあったが自作農創設の農地改革は松村、和田の強力コンビによってなされたのである。
しかし、その道は平坦ではなかった。不在地主から農地を取り上げて小作人に譲渡する。これに対する抵抗はむしろ、与党の方が激しかった。

◆わたしは日本のためにやるのです。そりゃあんたらの土地は取り上げられるがそれによって、日本の動乱を押えることができるのです。生まれてから死ぬまで、小作人は小作人、地主は地主というのはもう時代遅れなのです。時代に目覚めて下さい。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201022日(木)

 

 

<その6>
◆日本の場合に一番危険なのは、日本の保守主義者がどこで自分が反動と違うのか、をはっきり自覚していないことです。つまり、戦争中のああいうきつい全体主義とどこで自分が一線を画するのか、、、。

◆もう一つの保守主義者の要素は、やはり人間性の尊重ということだと思うのです。意見の自由、行動の自由、つまり自由というものをわれわれの生活信条の基本に置く、そこで社会主義者あるいは共産主義者と違うのであって、もちろんわれわれは全体主義に行くことはない。

◆石橋湛山の盟友に中国との国交回復に力を尽した松村謙三がいる。松村はまさに「民権派」の元祖である。
松村は中国との友好に骨を折ったため、いつも右翼から攻撃され、電話での脅迫や嫌がらせを受けた
しかし、決して自分の信念を曲げることはなかった。宣伝カーでがなりたてられ、「容共・松村」とポスターをべたべた貼られても、だった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201021日(水)

 

 

<その5>
◆公明党は自民党の下駄の雪どころか、下駄の石になったという。もう自公党というひとつの党になっているのだ。

◆小泉が自民党のトップになって「自民党をぶっ壊す」と叫んだが、小泉が壊そうとした自民党は田中角栄の自民党だった。それによって自民党の中の民権派も打撃を受けたのである。中曽根や小泉のやった国鉄・郵政の民営化により、日本社会から公共というものが失われた。

◆ダーティーな側面もあったが田中らの民権派は、政治が担うべき公共を忘れていなかったのである。しかし国権派はあたかも国が公共であるかのようにふるまい、一方で、弱肉強食の新自由主義を持ち込んで公共を政治から消した。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201020日(火)

 

 

<その4>
◆「密会ビデオ」を撮られた公明党=創価学会にとって、自民党にすがる以外に道はなかったのである。つまり、理念で公明党は自民党と連立したのではない。理念を捨てて連立したのだ。
しかし多くの創価学会員はそうは思っていなかった。「平和の党」も「福祉の党」も空念仏でしかなかったのに、それを彼らは唱え続けた。

◆警察OBの平沢勝栄はテレビで「創価学会公明党は、交通違反のもみ消しどころか刑事事件のもみ消しまで依頼してくる」と発言したことがある。

◆私がテリー伊藤と共著で出した前述の「お笑い創価学会、信じる者は救われない」は、のちの光文社知恵の森文庫版を含めて30万部も出たが、出版社への電話や手紙はすさまじいものだった。テリーの乗っていた車は尾行されたりしたという。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201019日(月)

 

 

<その3>
◆「自由新報」によれば「現在、創価学会が懸命に繰り広げているのは、町会の役員を学会員で独占することだ」という。

◆毎日新聞の子会社が創価学会の機関紙「聖教新聞」を印刷しているため、学会にいかに弱いかという話。
その後、「読売新聞」もこの恩恵に与っていたので、同紙も批判的なことは書けなくなっている。

◆公明党代表の藤井富雄さんが暴力団の後藤組の組長と会ったところをビデオに撮られたらしい。そのテープを自民党側に届けた者がいる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201016日(金)

 

 

<その2>
◆創価学会には昭和40年代につくられた「言論部」なるものがあり、マスコミに登場した学会、池田大作、公明党批判に対し、抗議行動を指揮する。
全国の会館などに集められた学会員が、時に学会員として、時に一般人を装って投書を書いたり、電話をかけたりする。「言論部」のマニュアルに従ってである。

◆フランスの国営テレビは、次の様に放送している。
「創価学会は世界中に1200万人の信者を持つ日本の組織で世界でもっとも危険で金持ちのセクトのひとつとされています。莫大な不動産、、パーキング、大学、発行部数600万部の日本で第3位の日刊新聞等の金融資産、そのすべてが創価学会に属し、フランスにも進出しており、影響力は増え続けています。なかでも、日本人が一番心配しているのは、その政治世界の力です。創価学会の政党は有権者の10%に相当し、現在与党にあります。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  佐高信「自民党と創価学会」(集英社新書)
20201015日(木)

 

 

2016年に出た本であるが、再読したため取り上げることにした。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介することにしたい。
<その1>
◆藤原弘達は自民党の中にある「右翼ファシズム的要素」と公明党の中にある「宗教的ファナティックな要素」の間に、「奇妙な癒着関係」ができることを恐れていたが、清和会はまさに「右翼的ファシズム的要素」のみで成り立っている派閥であり、それと公明党は結び付いてしまったのである。

◆訴訟好きの学会が抗議だけにとどめたのは、フランスで学会の国際組織のSGIが明確にカルト指定を受けているからであろう。

◆仏壇のほうはなにしろ、「家には仏壇が多くあればあるほど幸せになれる」と言って売りつけるのだから確かに「悪評高い霊感商法と変わるものではない」だろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
20201014日(水)

 

 

<その12>
◆池上は、自分でも解説が自分の役割だと言うんだけど、偏らないこと、誰かの側に立たないことは結局、いまある権力の側に立つことになるんだな。その根本的な力学を彼は理解していない。

◆別の社の官邸キャップは「深く聞かないと引き出せない。(あなたのは)負け犬の遠吠えだ」とわざわざ言いにきた。政治取材に長けたみなさんは、この首相会見でいったい、何をうまく引き出したのだろうか。しっぽを振っているのにエサがもらえなかった犬に見えるが、あとで「路地裏」で残飯でももらえれば、「勝ち犬」なのだろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
20201013日(火)

 

 

<その11>
◆辛淑玉さんは「脅迫状を出す人は、絶対に殺す気はない」と言っていて、彼女の経験でも、本当に襲おうとしている人は何も言わずに来て、ダーッとやると言ってました。

◆以前は、これだけ政権に批判的に迫っているんだから炎上しているぶんには私は見ないので仕方ないかと思っていたんです。
だけど、脅迫電話が来ちゃうと、会社が驚いて畏縮してしまうんですよ。

◆いまのジャーナリズムの主流は「池上彰化」していると。つまり、たんなる「解説」ということ。
こう高橋篤史は批判している。
つまり批判も肯定もせずに読者に判断を委ねてしまっている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
20201012日(月)

 

 

<その10>
◆彼らはみんな親しくて大事な友人なんだけど一つ言わせてもらえば、やはりみんな組織人なんだな。個人攻撃されると弱い。そういうことを私が偉そうに言うと、うちのやつに「あなたは単なる雑草だから」と言われるんだけど。

◆本田靖春は得がたい個性だけど、本田型のジャーナリストが増えても、社会を変える力という意味では難しいのかなと。筑紫さんは緩いところのある人だったけど、緩いだけにいろんなつながりがあった。だから一匹狼たろうとするジャーナリストたちのゆるやかな連携というのがこれからは必要なんじゃないかな。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020109日(金)

 

 

<その9>
◆当たり前の話になるけれど、世の中は保守が主流で、慶応という大学は、世の中をわりとそのまま映しているんだよ。
早稲田なんかだと、大学と言うコミュニティの居心地の良さあるけれど、世の中に出ると、学内との違いに苦しむことになる。けれど慶応だと世の中で少数派になっても学内と同じだから驚かない。

◆運動家というのは家でちゃんとしている人はほとんどいないよ。怒りの激しさもあるけれど、やはり運動というのは常にいらだつでしょう。愚かしい権力を相手に、ときには虚しい闘いをやるわけだから。
うまくいくことなんてほとんどない。それに活動家はしょっちゅう出かけているわけだから、子どもや家事をパートナーまかせとなれば、そりゃあケンカにもなるでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020108日(木)

 

 

<その8>
◆私はジャーナリストは一匹狼であれと言い続けてきて、そこは本質的には変わらないんだけど、他人を分断させて追い込むこの時代に、やはりしなやかでしたたかな連携というのも不可欠だと思うね。

◆弾き出されることは怖いけれど、弾き出されてしまえば、新たな出会いがある。また弾き出された人とのつながり合いをつくっていかなければならない。

◆NHKという組織のなかでは生きられなかった。
でも飛び出したことで、彼が本当にやりたかったジャーナリズムを実践できるようになって、それだけじゃなくて、社会を変えていこうという動き自体とつながっているのを見ると、本来ジャーナリズムがやるべきテーマと会えた人ではないかと思いますね。
だから本当は亡くなった赤木さんも財務王国を飛び出すことで、彼が本当に言いたかったこと、官僚はこんなことのために仕事をしているんじゃないということ、そして彼の芸術家的理想がいくらでも伝えられたのではないかと思うと本当に残念です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020107日(水)

 

 

<その7>
◆やはり気概のある人は役人にはなれないし、ならないでしょう。例外はいるにしても、それがほとんどだと思う。

◆戦前の国家主義自体に起源を持つ修養団がなぜ戦後は文科省管轄、いまは内閣府に認定されて生き続けているのか、それ自体、教育勅語の延命を証明しているような存在なんだけど、これがなぜか千駄ヶ谷の共産党本部の隣にあるから一回取材しに行ってみるといいと思う。

◆いま、労働組合が形骸化しているから、弁護士が忙しくなっている。会社や組織の中で不利益を被った場合労働組合が機能しなくて個人と会社側で問題解決を一対一で求めるようになったんでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020106日(火)

 

 

<その6>
◆前にも話したように、私は安倍に良心はまったく期待していないんだけど、真実が明らかになって自分が断罪される恐怖から様子がおかしくなるような変化を、記者は絶対に見逃さずに切り込まなければだめだよね。それと昭恵の問題。コロナ騒ぎの中での花見の話が出てきて、安倍が昭恵をコントロールできていないという現実が完全に見えているわけだから、新聞は昭恵をもっと追いかけないのかね。

◆財務省は答えようという気がそもそもぜんぜんない。それは、財務省の省としての気質と言うんですね。
文科省だと良心のあるリベラルな人が中にはいるので、前川さんみたいな人が綻びをつくり出すことがあり得て、文書が出てきたりすることが期待できるんですけど、財務省は鉄壁の守りというか、省を守るという意識が異様に強い。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020105日(月)

 

 

<その5>
◆父は電子経済研究所というところにいたんです。中小企業の社長さんとか社員に話を聞いて、これからの経済動向がどうなるのかの分析をレポートにしていくような中小企業向けの業界紙。だから新聞記者とは違うんだけど、でもいろんな人に話を聞いて、その先を分析していくというのは新聞記者と重なる部分もあって、父は「記者というのはすごくやりがいのある面白い仕事だと思うよ」と言っていました。

◆新聞労連に呼ばれて講演したとき、私は新聞記者というのは上品な商売ではないだろうと強調したんです。強請、たかり、強盗のたぐいだろうと。そこに徹しろと言ったんだ。そうしたらだれがこんなやつを呼んだんだという雰囲気になってしまった。
帰り際、新聞記者がこういう感性だから俺がフリーで食っていけるんだみたいな屈折した気持ちでいたら、1人の女性記者が寄ってきて「佐高さん、私は立派な強盗になります。」と言った。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020102日(金)

 

 

<その4>
◆取り調べられる側の気持ちに、ほんの一時的にしても、なれたというのは、経験としてはよかった。でも特捜部がわざわざ記者を取り調べるなんていうのは、「密約」を暴いた西山太吉さんみたいな歴史的な大事件は別にして前代未聞だったんじゃないかな。

◆菅義偉の著書「政治家の覚悟」には「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為」と書かれている。
だが、菅は自分の本にそのことを書いたことなど覚えていない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020101日(木)

 

 

<その3>
◆小渕さんは、私の知るリベラル派の官僚からも人物として評価されることがとても多いです。まっとうな政治家だったのでは、と思います。いまの政治家と較べたら、はるかに平和主義や弱者への目線を持っていたわけですね。

◆新聞記者の仕事というのは、やはり、深く疑って最後は深く信頼するということになるかもね。

◆佐橋滋という人は在任中から抵抗できたけど、「面従腹背」をモットーにしてきた前川さんは在任中には抵抗できなかった。この時代のズレというのがある。

◆あいつらの言い方で私が腹が立つのは「誤解を招いた」というやつね。誤解をした方が悪いような言い方をする。ふざけんな、誤解じゃなくて正解して怒っているんだよ、と。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020930日(水)

 

 

<その2>
◆岸井が安倍の父親である安倍晋太郎番だった時代に、まだ子供だった息子の晋三について訊くと、「出来が悪いんだけど、ただ、言い訳の天才だ。」と言っていたそうだ。

◆私は日立をずっと批判してきたわけです。修養団に社員を派遣してのみそぎ研修なんていうカルト資本主義そのものの制度がある会社だから。また日立は組合に対する弾圧もひどかった。

◆小渕は「批判する人も大事だから、お互い別の立場で頑張ろう」と話しかけてきたわけです。
私はこれは政治家の度量だと思うと同時に小渕が外務省の反対を押し切って対人地雷の除去に尽力したことや中国における旧日本軍による遺棄科学兵器の処理を進めたこと、また評価は別としても政治家としての最後に野中広務と組んで沖縄サミットを実現しようとしてその道半ばで亡くなったことを振り返ったりもするんだよね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  望月衣塑子+佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社)
2020929日(火)

 

 

麻生太郎という政治家が昔こんなことを言っていた。
「新聞を読まない奴は馬鹿だ。ただその馬鹿が自民党の支持者になっている。新聞を読まない奴がふえている限り自民党は安泰だ。」
以下本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆他国の首相や知事の会見は、台本なしで丁々発止です。ところが菅義偉官房長官の記者会見も首相会見と同様中身が薄く、官僚ペーパー頼みです。

◆私は政治部の記者を見ていると、この人たちは、何のためにやっているのかなと思うことがあります。社会部記者の私のように、ストレートな社会や政治への問題意識でやっていたら、政治部記者は務まらないでしょう。表向きと内心を使い分けないと政治家は受け入れてくれないでしょうし、記者自身も仕事ができない。でも政治家の懐に入って引き出したネタを政治家を裏切るかたちで市民のために書き切れるのか、という疑念がある。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020928日(月)

 

 

<その11>
◆多くの「先進国」で、罰則をともなう外出禁止や都市封鎖が実施されている。こんな政策を推進している人たちも、知識としては先進諸国の国民経済に占めるサービス業の比率は65〜80パーセント、製造業はたかだか15〜30%で、サービス業の方がはるかに大きいことは知っているはずだ。
だが残念なことに、知っているからといって、わかっているとはかぎらない。サービス業の大部分は売り手と買い手が同じ時間に同じ場所にいて、初めて成立する商売だ。そういう商売をしている人たちに「対人接触を8割減らせ」とは何ごとかということである。

◆フォードはアメリカ人が公言する「自由」とか「平等」とかの理念を真に受けて車種はひとつだけ、色も黒1色、年式による車体変更なしで、できるだけ低価格の量産車を労働者階級にまで買わせようとした。だがGMは「大衆車も必要だが、高級車も中級車も不可欠だ。クルマは階級を識別するための標識なのだ」と知っていたのだ。
これによりフォードは首位企業になれなかったがGMは破綻したオンボロ車メーカーを次々に吸収して業界首位企業になった。

◆日本の製造業生産高は1995年のピーク1兆2000億ドルから2015年の約8000億ドルまでの20年間で、約4000億ドル、日本円にして44兆円ほど減少していた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020925日(金)

 

 

<その10>
◆規模の経済全盛期には、とにかくどんな業種でも首位になった企業の経営戦略は単純明快だった。他社でマネできないほどの巨額資金を調達して、最先端で最大規模の設備投資をすれば、業界首位を守りつづけながら、業容拡大、利益率向上ができていた。

◆アップルの主力商品iフォーンも6ぐらいまでは意味のある技術革新が盛り込まれていた。だが、だんだんヒレをつけたり外したり、ボンネットを丸くしたり、四角くしたりで自滅した自動車産業末期に近い、無意味なモデルチェンジが多くなってきた。さすがに昨今では、最先端の高額商品も2〜3年経てば、安く買えることが消費者に浸透して、じり貧化しつつある。

◆ゲイツは、高価格少量生産のターゲットである富裕層を取りこぼさずに、低価格大量生産のターゲットもきちんと掌握することができる商品は何かと、ずっと考えつづけてきたのだろう。そこで出会ったのがワクチンだった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020924日(木)

 

 

<その9>
◆国際的にも非常に評価の高いNGO「国境なき医師団」は2014年に児童ひとりに必要な免疫を施すのに必要な費用は、2001年に比べて68倍になったというショッキングなレポートを出している。

◆疫病はどんなに小さな物でも数え上げれば3〜4年に一度は起きつづけている。つまり、人間の体に埋めこんだマイクロチップの免疫履歴はひんぱんに更新しつづけなければならない。
製薬会社にとっては、尽きることのない需要の源泉となる。監視システム運用を受託した企業にも莫大な収益が上がりつづけるだろう。

◆ゲイツは「自分がだれかを証明することができるのは、基本的で普遍的な人権だ」と、この究極の監視社会を正当化している。どなた様に対してか知らないが「自分は決して怪しいものではございません。最新のワクチンもちゃんと投与していただいております」と言わなければ道も歩けない社会にすることの、いったいどこが「人権」なのか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020923日(水)

 

 

<その8>
◆どう考えても武漢ウイルス学研究所員の孤独な自爆テロ以外はリスクと利益のバランスが悪すぎる。やはりここでは米中が協調しながらもお互いに相手を出し抜こうと手柄争いをしているうちに、つい自分たちの扱っている材料の危険性への配慮がおろそかになって、ポロッと流出したというシナリオがいちばん説得力がありそうだ。

◆ほとんどの感染症の先進国での死亡率はワクチンが開発されるはるか以前に激減している。
つまり、感染症の犠牲者を減らすには何よりもまず栄養バランスの良い食事が取れる豊かさ、清潔な上下水道などの生活インフラの整備が重要で、それに比べればワクチン開発の貢献度はずっと低いのだ。

◆ワクチン開発によって貧しい国々の人たちの命を救うのは一番重要な貧困そのものの解消から目をそらす行為だという批判は昔からあった。またゲイツ財団のプロジェクトには、すでに実用に供されているワクチンがあるのに、改定版を出して既成商品から市場シェアを奪おうとするものも多い。そのうちでも、とくに悲惨な事態を抱いたのが2017年にゲイツ財団が関わった「ポリオ撲滅ワクチン」で、じつに49万人の子どもたちに非ポリオ性のマヒを起こしてしまった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020918日(金)

 

 

<その7>
◆コヴィット-19のアメリカ起源説には、有力な傍証もある。台湾の報道番組がウイルスを特定できる感染者の人数が世界中で数十人という時期に、詳細な系統樹分析によって、病原体の発生源を調査したのだ。その結論は、5つの変種と50以上の亜種があるうちで、5変種の原型がすべて揃っている国は、アメリカだけという。

◆2020年4月11日にはイギリスの大衆紙が武漢ウイルス学研究所による雲南省昆明でのコウモリ捕獲にはアメリカ政府から370万ドルの研究助成があったことを暴露している。

◆中国製だとすれば流出ケースの中で、最大の可能性があるのは、武漢ウイルス学研究所の研究員による自爆ならぬ自爆テロではないだろうか、研究スタッフ内に中国共産党一党独裁に深い憤激を抱き、自分から進んで危険なウイルスに被爆して感染者になる、つまり微生物戦争における自爆テロを敢行した人がいたのではないか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020917日(木)

 

 

<その6>
◆2019年10月武漢で第7回世界ミリタリー・ワールドゲームズが開催された。しかも7回目にして初めて、報道陣をシャットアウトした選手村が設営されている。中国政府高官の「コヴィッド-19はこの競技大会に参加したアメリカ兵士が感染源になった」という発言は、ほとんどの人が荒唐無稽な言いがかりと感じただろう。だが疫病学や感染症の研究者のあいだでは、オリンピック村が感染症勃発の大クラスターとなる危険性が高いことが以前から指摘されていた。

◆オリンピックは参加資格からアマチュアのみという条件を外して、完全にオープンで世界各国が最強の選手団を送りこむようになっている。ところが地球上でもっとも人気のある男子サッカーだけは、開催予定年の1月1日に23歳以下という条件によって、参加選手を縛りつづけている。各国のトップリーグでレギュラーを張っている選手たちの資産価値が高すぎて、感染症で死亡とか、1シーズンだけでも欠場となった場合の金銭的なリスクが大きすぎるからだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020916日(水)

 

 

<その5>
◆風呂では体を洗い清める場所と体を温める場所を完全に分離するのは古代ローマ人と日本人のみが確立した習性である。

◆なんと言っても気がかりなのは、1956年という中国共産党による中国本土の統一からまだ間もない時期に創設されていた武漢ウイルス学研究所の動向だ。かなり大ざっぱな推計ながら100〜300万人の犠牲者を出したとされているアジア風邪の勃発とほぼ同時に設立されている。アジア風邪が西側諸国の微生物兵器によって引き起こされた可能性に危機感を覚えて、緊急課題として当時の中国共産党首脳部が設立した研究機関なのかもしれない。

◆イランイラク戦争を最後にほんものの戦争は消滅し、現在、ときおり勃発するのは、武力行使によって、いかに国際世論に自国の主張が妥当だと認めさせるかという「戦争もどき」でしかない。だからこそ通常兵器や核兵器をめぐる合従連衡でどう動こうとそれは見せかけに過ぎない。
ほんとうに起こりうる戦争としての諜報戦争や微生物戦争でこそ、各国政府の旗幟が鮮明になり、国民がそれに従うか否かもわかっている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020915日(火)

 

 

<その4>
◆アメリカでは貧困を原因とする死者が毎年約60万人も出るということは、その数倍の人たちがちょっとでも収入が途絶えれば、死の危険と隣り合わせの生活をしているということだ。
これが都市封鎖や外出禁止令といった強硬策で感染を封じ込めようとするのは、間違っているということの根拠である。

◆日常生活についての戒律を減らすという方針は、ローマカトリック教会を大勢力に育てたパウロの遠大な戦略にもとづくものである。

◆キリスト教を世界中のその他の大宗教と比べたとき、2つの大きな特徴が浮かび上がってくる。キリスト教はもっとも食料・飲料に対するタブーが少なく、事実上何を飲み食いしても大丈夫なので、生命維持に欠かせないカロリー補給についての制約がほとんどない。また信仰儀礼や食事の前後などに手洗い、口すすぎ、沐浴などの手続きを必要とする度合いも低い。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020914日(月)

 

 

<その3>
◆アメリカの病院は1泊100ドル以上がザラという高い宿泊料金をとっても、ふつうの病院ベッドは儲けが少なすぎるということで、はるかに「客単価」の高い集中治療室のベッドばかり増設しているのだ。

◆都市封鎖とか外出禁止令を正当化する根拠として、「なるべく感染者の少ない状態で時間を稼いでおいて、ワクチンができたらそれを接種して日常生活を再開すればいい」と主張する人たちは多い。これは、残念ながら製薬業者のセールス・トークと考えたほうがいい。

◆感染症に対する最大の防御策は、みんなが自然免疫を強めるように健康的な生活をすることだ。その次に大事なのは、自覚症状がなかったり、軽微だったりする感染者をできるだけ早く増やすことによって集団としての免疫性を獲得することだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020911日(金)

 

 

<その2>
◆今回の新型コロナウイルス騒動で長い経験を積んだ医師たちや疫学者、微生物学者の大半がほぼ同じことを言っている。「こんなに死亡した感染者の人数が少ない伝染病で、これほど世界各国が大騒ぎをするのは、初めての経験だ。おそらくインターネットやSNSの普及によって、きっかけさえあれば恐怖心をあおり立てて注目を浴びたいと考える人が増えたのが最大の原因だろう。」

◆第2次世界大戦直後の1946年に「ロビイング規制法」という名の贈収賄合法化法案がアメリカ連邦議会で可決されてしまった。それ以来、医学や公衆衛生分野に限ったことではないが、アメリカでは有力産業の大企業がロビイストを使って自分たちの都合のいい方向に政治家や官僚を動かして、もともと有利な地位をさらに強化することが日常茶飯事となっている。

◆アメリカでは製薬会社が麻薬同様に依存症リスクの高いオピオイド(麻薬もどき)という薬品を堂々と製造販売している。そのオピオイド中毒での年間死亡者は3.4万人にものぼる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  増田悦佐「コロナウイルスは世界をどう変えたか」(ビジネス社)
2020910日(木)

 

 

かなり読み応えのある本である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆重篤化する患者のほとんどが慢性疾患を持つ高齢者だということは、当初からわかっていた。だが先進国の中に、高齢で慢性疾患を持つ人たちを守りながら、それ以外の人たちはふつうの生活を続けるという政策を採用した国はほとんどなかった。

◆アメリカでは第2次世界大戦直後から、ロビイストを通して政治を動かし、自分たちに有利な法律・制度、政策を引出すという活動が高度に発達していた。だが今回の事件を調べていてわかったのはイギリス政府や国連傘下の世界保健機構(WHO)のような組織もアメリカ同様に世界の中で特定の利益集団に都合よく動くようになってしまったことだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
202099日(水)

 

 

<その12>
◆固定資産税というのは本来は土地や建物の評価額に対して1.4%かかることになっています。しかし住宅用の狭い土地(200u以下)に関しては、固定資産税は6分の1でいいという規定があるのです。
ただし、これは巨大なマンションを棟ごと持っている人などにも適用されているのです。
この「6分の1規定」というのは、建物全体の広さではなく、一戸あたりの住宅面積が200u以下であればいいのです。

◆そもそも日本の家主というのは自民党の重要な支持基盤のため、こういったムチャクチャな特例税制が存在しているのです。

◆こういう激しい批判の本を出した場合、批判された側は得てして「枝葉の事実誤認」をひとつひとつピックアップして、それを理由に「この本はでたらめだ」という反論をします。が、大枠のことは絶対に間違っておりません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
202098日(火)

 

 

<その11>
◆実は雇用保険には非常に不可解な制度があります。それは「半年働けば3ヶ月分の給料がもらえる」という謎の制度です。これは実は農家や漁業を配慮したものなのです。農家などでは、農閑期だけ雇われ仕事をするという人はけっこういます。そういう人たちの中には、毎年「半年働いて3ヵ月雇用手当をもらう」という夢のような生活を続けている人も多いのです。
毎年同じ職場で半年だけ働いて、雇用保険を毎年もらう人もいるのです。これはもはや雇用保険とは言えませんよね。

◆イギリスでは生活保護を含めた低所得者の支援額はGDPの4%程度です。フランス、ドイツも2%程度ありますが、日本では0.4%程度なのです。
しかしイギリス、フランス、ドイツなどの先進国では要保護世帯の70〜80%がなんらかの所得支援を受けているとされています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
202097日(月)

 

 

<その10>
◆日本経済が今しなければならないことは、明白なのです。それは東京オリンピックの開催でも観光立国の推進でもありません。
サラリーマンの賃上げです。
この20年間欧米並みに賃金が上げられていれば少なくとも今より50%は給料が高かったはずです。今より給料が50%上がれば、ほとんどのサラリーマンはかなり豊かな金持ちの気分を味わえるはずです。景気は間違いなく良くなるでしょう。

◆なぜ農家が優遇されてきたかというと農村は人口に比べて国会議員の議席数が多く配分されているからです。しかも農家は集団行動をとることが多いので、農家の団体を味方に付ければ大きな票田になるのです。

◆日本の雇用保険は、本当に困ったときには役に立たないのです。たとえば、20年勤務した40代のサラリーマンが会社の倒産などで失職した場合、雇用保険がもらえる期間というのは、わずか1年足らずなのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
202094日(金)

 

 

<その9>
◆また昨今、高額の報酬をもらう大企業の役員が急増しています。
国税庁が公表している源泉徴収事績によると、年収5000万円以上のサラリーマンは、1990年代には6,000人台に過ぎなかったのが現在は2万人を超えています。

◆このTOPというのは、オリンピックのスポンサーの中でも最高のランクであり、1事業につき1社しかなれないことになっています。
だから世界の自動車メーカーでTOPになっているのはトヨタだけであり、世界の家電メーカーでTOPになっているのはパナソニックだけなのです。
日本の大企業は世界中で外貨を稼ぎ、莫大な利益を上げておきながら日本国内での賃金をケチったために東京オリンピックや観光業に頼らざるをえなかったわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
202093日(木)

 

 

<その8>
◆労働者派遣法の改正が非正規雇用を増やしたことはデータにもはっきり出ています。
90年代半ばまでは20%程度だった非正規雇用の割合が98年で急激に上昇し、現在では35%を越えています。

◆日本では時価総額10位以内に創業30年以内の新興企業は1社もありません。アメリカではグーグル、フェイスブック、アマゾンと3社もあるのにです。これは経団連が日本経済全体を牛耳り、新しい企業が育ちにくくなっていることが要因の一つなのです。

◆日本の上場企業の配当金は2009年からわずか9年間で2倍以上になっているのです。
経団連の役員たちというのはほとんどが自社の大口株主を兼ねています。だからこの20年〜30年で大幅に収入が上がっているのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
202092日(水)

 

 

<その7>
◆キャリア官僚というのは、国家公務員全体で1%ちょっとしかいません。キャリア官僚は、本省勤務、海外留学、地方勤務、他省庁への出向などを経てほぼ全員が本省課長クラスまでは、横並びで出世します。
ノンキャリアはどんなに頑張っても定年までに課長補佐になれるかどうかというところにもかかわらずです。

◆キャリア官僚というのは、その報酬自体はそれほど高いものではありません。最高のポストである事務次官でも年収3000万円程度です。開業医の平均年収と同じくらいです。

◆キャリア官僚の場合はやめてからがスゴイのです。退職した後さまざまな企業や団体の顧問になります。その顧問が桁外れなのです。10年足らずで10億円近く稼ぐ人もいるのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
202091日(火)

 

 

<その6>
◆公共事業が盛んに行われていた地域というのは、どこも人口流出が止められずに衰退しているのです
公共事業の受注は政治家にコネがあるものや地域の有力者を中心に行われます。その地域全体が潤うのではなく、特定のものが繰り返し潤うというものです。だから公共事業費は景気を刺激するものでもなければ、大きな雇用を生み出すものでもないのです。

◆1990年代から2000年代にかけて、日本はGDPの5〜6%もの公共事業を行っていました。それは防衛費の4〜5倍という巨額なものです。
先進諸国の公共事業の平均が2%程度なので、日本は先進諸国の2〜3倍の公共事業を行っていたのです。

◆日本の財政というのは、1990年代初頭までは非常に安定していたのです。財政赤字はバブル崩壊以降に急増し、1991年から10年で600兆円に増えていることがわかります。その赤字の原因は、公共事業の濫発です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
2020831日(月)

 

 

<その5>
◆安倍内閣の歳出増が項目で特に目立つのは、道路整備事業費、湾岸空港鉄道整備事業費、農林水産基盤整備事業費などです。
これらが関係する業界は昔から自民党の重要な支持基盤だということです

◆安倍首相の再就任以降、山口県の予算は急増し、広島県の予算は急減するのです。2014年以降は、人口が半分以下の山口県の方が広島県よりも公共事業費の総額で上回っています。
県民1人あたりにおいて山口県は広島県の2倍以上となっており、2016年にはなんと7倍以上になっているのです。

◆公共事業を受注する建設業者は政治家を強力に支持する母体になっています。彼らは支持者を集めるだけではなく、政治資金も提供するのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
2020828日(金)

 

 

<その4>
◆あまり知られていませんが、安倍内閣になってから、日本の予算の「予備費」が大幅に削られています。
「予備費」というのは国に何か起こったときのために、自由に使えるお金のことです。

◆感染の疑いのある人全員に検査ができなかったのも、営業自粛者に満足な補償を出せないのも、せんじ詰めれば、お金(予備費)がなかったからなのです。

◆安倍内閣の予備費が少ないのは、自民党の支持者回りに巨額の予算をばら撒いたからです。

◆安倍内閣になってから予備費が1兆円〜2兆円減っています。もともと2兆円から3兆円しかない予備費を1兆円以上も削るのですから「そりゃあ、何か起こったときには、対応できないだろう」ということです。

◆日本政府は100兆円の規模をもっているのですが、その予算の使い道は族議員等によってガチガチに支配されているので、いざというときに出せるお金がないのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
2020827日(木)

 

 

<その3>
◆最近ではほとんどの国公立病院では原則として「かかりつけ医の紹介状なしでは受診できない」 「もし紹介状なしで受診する場合は初診料が5000円程度上乗せされる」という制度があります。
とにもかくにも、日本の医療システムというのは、開業医の利権を守るように作られているのです。

◆日本の医学部の学生の約30%は親が医師なのです。医者に占める開業医の割合がだいたい30%なので、それとリンクしています。

◆現在、日本では、開業医は10万件程度ありますが年間に増える開業医は500件程度です。
つまり、0.5%しか増えないのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
2020826日(水)

 

 

<その2>
◆生活保護に使われている予算の約半分は医療補助費=医療費です。つまり、生活保護受給者は医療費が無料なのです。
生活保護者への医療費を含めれば、やはり年金よりも医療費の方が多くなるのです。

◆日本の場合は、開業医の数が異常に多く、全体の3割にも達するのです。また病院の9割は民間病院であり、その大半が開業医なのです。

◆同じ診療報酬でも、公立病院などの報酬と民間病院(開業医)の報酬では額が違うのです。同じ治療をしても、民間病院のほうが多くの社会保険報酬が得られるようになっているのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  大村大次郎「新型コロナと巨大利権」(ビジネス社)
2020825日(火)

 

 

それにしても、ビジネス社は最近、特に良い本の出版が目立つ。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。
<その1>
◆日本は病床数(入院患者のベッド数)は先進国の中で抜きに出て多いのですが、集中治療室は先進国最低レベルで少ないのです。

◆また、日本は病院の数は異常に多いのですが、医者の数は異常に少ないのです。

◆それ由に新型コロナなどの重症患者が大量に出たら、対応しきれないのです。

◆国の予算の中で、一番大きいのは社会保障関連費ということになっています。2019年度の予算では31兆6,000億円です。
社会保障関連の中でも大きいのが医療費と年金ですが(長い間、医療費がもっとも大きかった)、今はほぼ同額になっています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  内田樹編「街場の日韓論」(晶文社)
2020824日(月)

 

 

<その8>
◆かつての植民地支配が違法だったか合法だったかというのは、まさに国際法に関する判断です。日韓関係はその一部に過ぎません。植民地支配の大先輩である欧米がこのような現状のまま、日本だけが(とりわけ安倍政権には)先行して違法性を認めることは容易ではありません。植民地支配の違法性を認めさせるには、世界を相手にした闘いが必要になっているのです。

◆ある地域を植民地にするという行為は誤解を怖れずにいえば、それだけでは、誰も傷つけることはありません。もちろんその過程で殺りくや強奪が行なわれば、その行為を「犯罪」とすることは可能であり、だからこそ奴隷制も「犯罪」とみなされているわけですが、植民地支配そのものはあくまでも国家の政策であり、刑法の対象となるものではないと捉えられてきたのです。

◆植民地支配は違法であるという主張において、大事なことの1つは、旧植民地諸国の結束でしょう。現在アフリカ諸国は、ダーバン会議でヨーロッパに挑み、アジア諸国だけが日本に対して挑んでいますが、バラバラでは勝ち目はありません。他のアジア諸国も含め旧植民地諸国の一致点をどうつくりあげ、欧米国に勝負をかけていくのかが問われます。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  内田樹編「街場の日韓論」(晶文社)
2020821日(金)

 

 

<その7>
◆日本の植民地支配が違法かどうかは、これまで議論にはなってきたのです。しかし、それを違法とする韓国と合法とする日本の間で決着することなく、あいまいなまま残されてきました。そのため、その問題を脇に置いたまま、あくまで財産上の問題にけりをつけたのが請求権協定だったのです。

◆この問題に関心を持つ人にとって植民地支配の違法性は自明であり議論するまでもないことかもしれません。しかし、日本が植民地支配をした韓国でいろいろ非道なふるまいをしたということと、その植民地支配そのものが違法だったかどうかということは、おのずから異なる問題です。だからこそ、65年徴用工の請求権には応えるが(非道なふるまいに対する保障)、植民地支配の違法性は認めないという決着が可能になったのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  内田樹編「街場の日韓論」(晶文社)
2020820日(木)

 

 

<その6>
◆大日本帝国時代に日本政府や日本軍人が朝鮮半島でどんなことをしたのか、知っていれば、慰安婦問題も徴用工問題も「問題の根源は日本側の都合」であったことがわかる。
しかし、過去の歴史を知らなければ、慰安婦問題も徴用工問題も「韓国人の勝手な言いがかり」にしか見えないだろう。

◆歴史の無知、とりわけ自国の負の歴史に関する無知は、国や社会の針路を大きく狂わせることも少なくない。そして、過去の歴史において何らかの「加害」と「被害」を生じさせた複数の国がその事実認識に成功している事例が今のヨーロッパには存在している。

◆韓国大法院判決の中味は日韓請求権協定が規定した個人の請求権はすでに満たされたけれど、請求権協定では規定されていない別の種類の個人の請求権が存在しているというものです。それが「違法な植民地支配」と結びついた請求権という新しい考え方です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  内田樹編「街場の日韓論」(晶文社)
2020818日(火)

 

 

<その5>
◆李さんは「いつかベトナムにも行ってみたい。でも、行けないかも・・・・。」と言い、表情を曇らせた。なんで?と訊くと「だって、韓国は昔ベトナム戦争で現地の人たちにひどいことをしたから」という。

◆韓国映画「ホワイト・バッジ」を初めて観た時には、意味がよくわからなかった「社会派・監督」ならではの政治表現も韓国の現代史を知った上で改めて観るとその意図を理解できる。

◆そして何よりも重要だと思うのは、韓国軍兵士がベトナム戦争中に行った市民の虐殺といい「自国の負の歴史」を生々しく描いた映画が1973年の韓国軍撤退から20年も経たないうちに公開され、韓国国内でもいくつかの映画賞を受賞した事実である。

◆大日本帝国統治時代に日本が朝鮮でどんなことをしたのかを学べる重要な博物館がすべてガイドブックの地図上から消されている。私はこの事実を見てそれが「知らせる努力しない」に留まらず、「知らせない努力をする」域に入っていると感じた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  内田樹編「街場の日韓論」(晶文社)
2020818日(火)

 

 

<その4>
◆日韓両国間でいくら請求権の問題が解決されたとしても被害に遭った個人が請求権を消滅させることはないということは政府が国会答弁で公式に繰り返し答弁しています。さらに現在の国際人権法の考え方は「個人の損害賠償権を国家間の協定や条約によって消滅させることはできない」のです。これは、人権法の常識で日本も批准しています。

◆東アジア共同体の創設は、必ずしも直ちに日韓関係の諸懸案の解決を意味するわけではありませんが、解決する舞台の誕生は現在のような日韓関係の泥沼化を回避する最良の手段となることは間違いありません。遅くとも次世代を担う若者たちの時代にこの夢が現実となることを期待しています。

◆その原因は何かと探ると単に一人一人の日本人が「知ろうとしない」という個人的な努力不足だけでなく、政治史を含む韓国や朝鮮の歴史を日本人に「知らせない」あるいは「知らないように隠す」努力が一部でなされているという、不可解な光景がいくつも目に入る。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  内田樹編「街場の日韓論」(晶文社)
2020817日(月)

 

 

<その3>
◆もともと韓国語は日本語と文法構造が極めて近く、中国語由来の多くの単語を共有しており、日本人には学びやすい言葉です。

◆素人が口を出すことで議論が活性化する分野もあれば、そうでない分野もある。日韓関係をめぐる議論はおそらく後者だ。

◆私の理解する「無限責任論」をご紹介します。日本は第二次世界大戦において敗れた国です。日本は朝鮮半島などを植民地としていましたし、また、中国などに侵略行為を行い、その間多くの一般の方々に多大な苦痛を与えてしまいました。
したがって、日本は苦痛を与えた相手の人々に対して、相手がもうこれ以上謝らなくてもいいよと理解してくださるまで、謝罪する気持ちをもち続けていなければならないということです。戦争に敗けたということはそういうことなのでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  内田樹編「街場の日韓論」(晶文社)
2020812日(水)

 

 

<その2>
◆演劇が学べる公立大学の設立は日本演劇界の悲願だった。翻って見れば、これは極めて異例であり恥ずかしいことだ。世界の多くの国には国立大学に演劇学部があり国立の演劇学校もある。

◆韓国には、映画・演劇学部のある大学が国公私併せて百近くある。人口比で言えば、日本の20倍。
この層の深さが韓流ドラマや韓国映画の隆盛を支えている。

◆そもそも韓国には、文化観光体育部という独立した省庁があり、巨大な予算を持っている。その数字、GNP比で日本の約10倍と言われており、近年、ついにフランスを抜いて予算面だけみると、彼の国は世界一の文化大国となった。

◆北朝鮮が「危険な無法者」から「普通の国」になれないのは、彼らから見れば、米韓日の圧倒的な軍事力によって包囲された状態にあるからである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  内田樹編「街場の日韓論」(晶文社)
2020811日(火)

 

 

本書は、内田氏が選んだ論客が日韓問題の解決のための知恵を出しているというものである。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆仮に私が思想犯として、懲役15年の判決を聞いた時に、それを冷静に受け止めることができるだろうか。
獄中の生活を学びに捧げることができるだろうか。
出獄後も朴先生のように背筋をまっすぐ伸ばして、笑顔で生きることができるかどうか。今の私には答えることができない。だから、朴先生に対しては、ただ真率な敬意を抱くしかないのである。

◆私は深く考えずに「古い町並みが見たいです。」と答えた。金さんは悲しげに首を振って、それはお見せできませんと答えた。すべて朝鮮戦争で焼失してしまったのです、と。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
2020619日(金)

 

 

<その9>
◆小泉さんは誰のことも信頼しないんですよ。誰と酒を飲んでいても一定の距離がある。だから心を開いて気持ちよく酒を飲むというよりも、どこか冷静でいる。

◆新潟の豪雪の如く積み上がった田中票は金権批判で禄を食む東京の言論人が槍玉に挙げたがった土建屋中心の利益集団が入れたという側面だけでは計算が合わない。雪の中に埋まり、雪との闘いの末に実らせたコメで命をつなぎ、嫁不足、出稼ぎさらに高い自殺率に苦しむ山村地帯の人々が塀の向こう側に堕ちた田中に対して圧倒的な支持を与えたのだ。

◆私は志位さんにも「もっと外交を語れ」と言っているんだ。こうして自民党との対立軸を作る。原発問題・憲法問題なんていうのは、小さな話だ。

◆中村喜四郎がここまで選挙にこだわるのは、民の力で権力の横暴を食い止めたいと願っているからだ。中選挙区制から小選挙区制に移行した1993年と96年を比べると、、投票率がおよそ18%も減ったという。中村はその数字が1,800万人に当たることを私に訴え、その全員を再び投票所に足を運ばせるためにはこれから選挙改革を成し遂げるのだと、決意を熱く語った。
だが一方で中村自身はどんな国家をつくり上げたいのか ――最後の謎はわかったようでわからない結論にしかならなかった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
2020618日(木)

 

 

<その8>
◆若い時からの権力闘争で培われた政局勘は事件後にも生きた。
そう中村は私に強調する。
「ひとつひとつの風を読み間違えていたら、あっという間に政界から消されていましたよ。場面、場面でどう動くかというのを押さえて動けた。だから、地獄から這い上がってこられた」

◆「壊し屋」と呼ばれた小沢の政治手法に失望し、二大政党制という幻想から目覚めた人々は、消去法で安倍一強政治を抱きしめた。

◆私も数々の政治一家の内幕をそれなりに覗いてきたが、恐妻、悪妻、鬼嫁の物語はそこらじゅうに転がっている。ただし、妻の姿がないにもかかわらず、無敗神話を打ち立てられた政治家は中村喜四郎と小泉純一郎の2人くらいしか知らない。

◆立憲民主党や国民民主党の人とよく飯を食って話を聞くようになると、政治のことも、国民のこともよくわかっていないという感じです。自分たちがやっていることは正しいことだと思っているのに、いっこうに結果が出ない。どうして結果がでないのかわかっていない。最初にスタートする前に考えるべきことを考えていないのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
2020617日(水)

 

 

<その7>
◆検察側は一週間ごとに担当を代えた。「完黙しようなんてみっともない。オマエなんか国会議員じゃない!左翼の過激だ!」このように唾を飛ばして怒鳴りあげる人もいれば、次の週には「センセイのような立派なお方が―――」と白々しく持ち上げる人も来る。

◆なぜ、中村は140日間にわたる前人未到の完全黙秘を達成できたのか。
精神科医である兄の吉伸は中村が逮捕される前、いかなる限界状況に置かれても、心の乱れを防ぐことができる瞑想法を伝授していた。
心の中で一から百まで数え、呼吸を整える。「目を閉じると眠くなるから半眼にするんだ」とまで細かくアドバイスした。

◆玄人から見れば完全黙秘は裁判戦略上不利になる。しかし、素人は「中村はスゴイ」と喝采を浴びせる。刑事裁判の常識をあえて覆したおかげで裁判には負けたけど中村の政治生命はもったんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
2020616日(火)

 

 

<その6>
◆「勉強会」と「財界」を巧みに活用することで中央政界に札束を回していく小沢流の錬金術がそれまで田舎の選挙区を熱心に駆け回ることだけが取り柄だった若きプリンスの感覚を狂わせていった。
金丸の次男で当時、秘書を務めていた金丸信吾の証言は以下のようである。
『あの時オヤジはね、「喜四郎には職務権限はないじゃないか。あれで喜四郎が捕まるんであれば、本当は宮沢が捕まるべきなんだ」と言っていましたよ。宮沢は総理ですよ。あれは日米構造協議というものが背景にあって内需拡大っちゅうものがあったんだよ。その一環としてつかまっているんだから。

◆私たちの周りには事件と同じようなケースがいくつもある。ワイロと政治献金は確かに法律的には区別できるが、カネ自体の効果は同じだ。カネのかからない政治を真剣に考えないと、私たちだって、いつ事件に巻きこまれるかわからない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
2020615日(月)

 

 

<その5>
◆マスコミは中村のことを何でもかんでも「角栄仕込み」という形容詞をかぶせて説明しようとするが、握り拳を振りかざしながら、特徴のあるダミ声を轟かせ、肉感的なフレーズを投げかける田中流とは大きく異なる。むしろ古舘伊知郎のマシンガン実況に似ている。

◆あの時代は昼間から麻雀をして、政治家どうし気脈を通じ合ったんですね。小沢さんを始め、経世会が贔だった料亭「永田町満ん賀ん」(1998年6月に閉店)を使うことが多かったでしょうか。

◆そもそも、中村はなぜお金が必要だったのか。それは野中広務が言う「総理になるはずの男」と周りから目されるようになったからである。金丸はゼネコンの幹部たちに「中村は大きくなる。中村のところにカネを持っていけ」と促したという。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
2020612日(金)

 

 

<その4>
◆言葉で訴えただけではダメ。態度で攻めるしかない。堂々とするしかないんですよ。事件で疑われて刑務所まで行っちゃったんだから何を言ってもダメ。あとは矢でも鉄砲でも持ってこいと言う気持ちで前に行くしかない。「あの人、あそこまで言っているんだから、本当は無実なんだろうな」と思ってもらえるためには、最後までバッヂを失ってはならない。

◆中村が支援者に向けて行っている日常活動のもう一つの柱は、国政報告会だ。喜友会の場合「国会見学」と「旅行会」という形で一回当たり50人〜100人規模、それぞれ月1、2度ほどで行うことを恒例としている。

◆私のことを面白おかしく「日本で一番選挙に強い男」と呼ぶ人たちがいるけど70歳を越えて1日12時間オートバイに乗れますか。・・・・こんどは落ちる。次は落ちる、と思ってヨレヨレになってやっているんだよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
2020611日(木)

 

 

<その3>
◆みんな間違っているんですよ。国会質問をしました。誰と会いました。この仕事をやりましたと言うことが政治家の仕事だと思っている。違いますよ。政治家の原点は選挙運動ですよ。プラスアルファ―の時間で国会で仕事する。

◆私は20年間、つまり、あの事件以来、政治献金もゼロで通していますからね。今まで40年間も議員やって一回も金集めの「励ます会」はやったことがない。

◆常勝の秘訣は中村自身の戸別訪問を通して契りを交わした個人を母体とする後援会、その活動だけに凝縮されている。
ではいったい何をしているのか。
たった二つしかない。地域回りと活動報告――以上だ。
誰でもやっていること。それを徹底してやるのが無敗の秘訣なのだという。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
2020610日(水)

 

 

<その2>
◆世界中で飲まれているコーラのレシピは「企業秘密」で社内でも数人しか把握していないと言われている。流出を恐れるがゆえに、特許さえも申請していない。

◆その日に見聞きしたことはその日のうちに中村に報告を上げることも決まりになっている。それも口頭で伝言。秘書1人当たり1時間。つまり中村は1日に5時間近くも秘書たちの報告に耳を傾けるというわけだ。

◆私は「建設会社は来るな!」と言っていた。ああいう人が来ると票が逃げちゃうから。選挙の時に業者に頼るようになったらおしまいですよ。オレは絶対に業者に頼まない。むしろ業者を排除してそれ以外の人たちで勝てんだというのが私のポリシーだったから。

◆私は絶対に自分の実績を言わない。それを言っちゃおしまい。「この仕事は私が手掛けた」と言い始めたら中村喜四郎は終わりですよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  常井 健一「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)
202069日(火)

 

 

本書はゼネコン汚職で逮捕されるが「完全黙秘」をつらぬいた政治家のはなしである。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆逮捕前、中村は検察による任意の事情聴取を拒否し続けた。自ら検察庁に出頭し、逮捕されてからは完全黙秘を貫き、並み居るエリート検察官たちを相手に先述調書を一通も作らせなかった。140日間の拘留中自分の名前さえ喋らなかったという逸話は、令和の政界においても語り草になっている。

◆永田町にはさまざまな政治家が現れては消えていくが、戦後、刑務所でのお勤めから戻って議場に返り咲いた衆院議員は中村喜四郎ただ一人である。

◆ピラミッド型だと一番上の人が死んだり、辞めたりしたら、一瞬で組織が崩れちゃう。一番上の人の気が変わっただけで、大人数が相手陣営にひっくり返っちゃう。
ちょっとしたことで、いろんなことが変わってしまって、後援会が機能しなくなってしまう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020525日(月)

 

 

<その11>
◆妹の勝子は法廷で「姉は勝気な性格でありますから自殺するようなことはなかろうと思いました」と証言しているが、一見勝気そうに見える人間が内面的な強さを持っているとはかぎらない。勝気ゆえに、ひとたび誇り高い心に傷を負えば、いやしがたいほど挫折感もより深いともいえるのである。

◆弾圧のすさまじい嵐の中で非合法の運動を守りぬくことの困難さ。身の危険をおかして組織を守ろうとした人々の勇気と崇高さ。それを十分に理解したうえでなお、私は熊沢光子が担ったようなハウスキーパーの存在、その働かされかたに、強い不満とこだわりをもたずにはいられない。彼女の悲劇は現代にはまったく縁のないことであろうか。残念ながら、否かである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020522日(金)

 

 

<その10>
◆唯一人、獄舎でくびれて果てた24才の光子と。妻子にかこまれ、ビルを建て勲章をもらって82才を生き続ける大泉兼蔵と。どちらが清澄な時間を所有したのか。どちらが絶せざる心のわずらいをごまかして生きたか。単純には比較できぬ。しかし、大きく距たった生きかたであったことは明らかだ。ほんのわずかな交点を除いては。皮肉な悲運の交点。

◆身におぼえのないスパイ容疑でこれほどのリンチを受けながら、波多氏は、その後も共産党内にとどまる。それはどのようなことがあっても労働者階級の開放のために生涯をささげるという決意で入党したのだから云々という気持ちであったと「気品と真実」のなかで述べている。しかし戦後、党内のありかたを批判して離党されたようだ。

◆叙勲について話している時は、穏やかな表情で大物らしく構えていたが、熊沢光子の名前を出すとさっと顔色が変わったという。あれはすべて共産党がしくんだことだ。一切自分には関係ない。墓参りなどもちろんする気はない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020521日(木)

 

 

<その9>
◆光子を「一番かわいそう」といたむ気持ちがあるのなら、事件の真実を語り、彼自身が大いに関与した彼女の悲劇的な人生を世にあきらかにしないでおいていいのだろうか。「かわいそうなことをした」という言葉の中には自分が同志を売るスパイになったために彼女を死に追いやるはめになったという自責の念は含まれているのかいないのか。自分のハウスキーパーになりさえしなければ、査問も受けず悲惨な最期をとげずともすんだであろうに、という慙愧にたえぬ思いはあるのか無いのか。

◆昔、農民運動にとびこみやがて入党し、特高警察の協力者となった男、リンチ事件で九死に一生を得て生きのび、80余年を生きつづけて、最近お上から勲章までもらったあの大泉ですよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020520日(水)

 

 

<その8>
◆スパイ大泉は服役中に終戦をむかえ、昭和20年8月24日に出所する。出所後が建具商をはじめ商才があったためか成功をおさめたようだ。
昭和47年現在、東京建具商業協同組合の理事長に就任している。

◆大泉はマスコミの目をのがれるように生きてきたが、昭和47年5月号の「全貌」という右翼雑誌に登場している。齢はすでに70歳。
あれほど自分は警察の忠実な協力者だったと主張した男が戦後27年たつと、ひとこともスパイであったといわないのだから不思議である。
アカ狩の嵐吹きすさぶ困難な時代に共産党幹部を経験した筋金入りのポーズで、終始、当時の自分を飾って語っている。警察に協力して同志を売ったことなど一言も出てこない。
リンチ事件についても、懐かしい昔話でも語るように、軽やかに述べられている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020519日(火)

 

 

<その7>
◆青年大泉兼蔵は最初は若者らしく正義感に押されて運動に惹かれていったと思われる。
しかし、特高の巧みな誘いに一度のってみると、農業のように労多く現金収入の少ない仕事とまるでちがって容易に金になるので、彼の中にあった正義感がもろくも崩れてしまったのではないか。

◆田舎者まるだしの大泉のために着るものから人との応対のしかたまで教えてくれた埴谷雄高氏の服役中に、その夫人に対して、自分のハウスキーパーになれということができるとは、並の神経ではない。

◆権力に抗することが、とても困難な時代に党員であるというだけで相手が人間的に特別すぐれた人であるかのように思い込んでしまう心情は私にも理解できる。

◆党員でありながらすすんで寝返ってきた大泉を欺き見殺しにするぐらいは権力にとってはなんでもないことであったろう。国家権力はそれを守るためにはどのような悪も平然となすことに思いいたらなかった大泉は、小悪党といえようか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020518日(月)

 

 

<その6>
◆その正夫氏との面会が健康状態が悪化のため、かなわぬので、光子のすぐ上の姉、光子、勝子の下にさらに数人いる妹達の名を調べ、連絡をとってみた。
が、この人達からは「今後いっさい電話も手紙もしてくれるな」という拒絶の言葉がもたらされただけであった。治安維持法が猛威をふるっていた時代に姉妹たちが世間から受けた圧迫や傷の深さがあらためてわかったような気がした。

◆大泉兼蔵の予審訊問調書をよむたびに、私はうそ臭さと憤りを感じるとともに、奇妙な笑いも誘われる。あと味の悪い笑いであるが。彼の様にほんとうにスパイだった、信じてくれと司法の場でいい張りつづけた男も珍しいであろう。

◆大泉が特高刑事の誘いに簡単に応じてしまったらしいのは、彼の物欲に弱い体質や信念の無さ、思想的に十分武装していなかったことも原因の1つであろうが、他に彼がかかえる多くの弟達の生活やすでに結婚し妻と3人の幼い子をやしなわなければならなかった彼の立場も無関係ではないと思われる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020515日(金)

 

 

<その5>
◆光子の遺骨は両親がひきとりにゆきました。遺書は半紙に墨できれいな文字で書いてありました。運動に関したことや、思想的なことは何も書いていませんでした。結びの言葉は私達の息子のM男についてでした。
「可愛いM男ちゃんによろしく」と。
その遺書もだいじにしまってありましたがM男が結婚する時に、嫁の実家の者達の気持ちをおもんばかって処分しました。

◆十代の娘らしい正義感で社会悪を憎みブルジョア階級の欺瞞に憤った光子がやがて、いちずに貧しいものが救われる社会を求めて行動に移っていった道すじが想像される。目を開かせその心に灯をともした当の人間は、学問の世界へと身を置き、嵐をよけて静かな退官後の生活へとはるかに歩んでこられたのだろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020514日(木)

 

 

<その4>
◆高等科の主任の先生がうちに尋ねてみえまして、熊沢さんのことをあれはアカだからなにをいってきても、とりあわぬようにと注意してゆかれました。でもくまさんは気だては優しいかたでしたよ。どういうきっかけで運動に誘い込まれたんでしょうねぇ。

◆変わった姿だなと、思ったから憶えています。私たち、高等科では地味に地味にと教えられていましたから。ええ、生き方も私達とはちがっていたんでしょう。親のいうとおり花嫁修業をする私達を軽蔑しているような様子がみえましたから。

◆光子さんは頭もよかったし、人間もしっかりしてましたわね。でも、勝子さんのほうはあれ、一種のファッションではなかったかしら。左翼ばかりでしたからね。あの当時はねぇ。

◆光子の事件がおこった時、新聞にでかでかと書きたてられ、父はたいへんな迷惑をこうむったと憤慨していました。ほかに書くことはないのか。と思うぐらい連日、あの事件ばかりが報道されましたから。母親は「でも光子は破廉恥罪でつかまったわけではない」とずっと顔をあげつづけておりました。すこぶる気の強い人でしたから。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020513日(水)

 

 

<その3>
◆仕事を続けたい。自分の働きで自分を養いたい。その希いも私の場合は、家事育児との両立が難しくて諦めねばならなかった。熊沢光子が親きょうだいとの肉親の絆を断ち、最高は死刑である治安維持法触れるのを承知のうえで運動にとびこみ、その中で挫折した事実の重さを現代に生きる私のささやかな挫折は質もちがうし、比較しようもない。しかし、私自身女であるがゆえに感じてきたさまざまな息苦しさ、生き難い思いを持っているがこそ、運動のさなか無残な死をとげた彼女を忘れることができないのだった。

◆あの時代はねぇ、不況でとても困っている人が多かったんですよ。農民は凶作で娘を売る話は珍しくないような、今からは考えられないひどい状態でしたからね。熊沢さんだけではなく、沢山の良家の子女が運動に入っていった時代でしたよ。正義感からでしょうな。光子さんも最後もあんなことになってしまって・・・・驚いています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020512日(火)

 

 

<その2>
◆「共産党スパイリンチ事件」とは、昭和8年12月下旬から昭和9年1月中旬までにおこった当時の非合法・日本共産党のスパイ容疑者2名を党員らが査問中におこった事件のことである。当時、党の中央委員だったスパイ容疑者小畑達夫と大泉兼蔵の2人をアジトにて査問中に小畑が急死した。その死をめぐって、いまだやかましく論議がされているが、平野謙氏は、そのことよりもスパイとされた小畑達夫と大泉兼蔵との関わり、大泉のハウスキーパーだった熊沢光子と大泉との関わり、大泉自身の性格について関心があるのだと書いている。

◆光子を死にいたらしめたものの中に、女であるが故の抑圧・差別があったのではないか。人間解放をめざす運動の中でさえも女は不当に扱われて来たのか。そして、それは、遠い過去のことではなく、今もなお残存しているのではないか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山下智恵子「幻の塔 ハウスキーパー熊沢光子の場合」(BOC出版)
2020511日(月)

 

 

この本の帯には「非合法時代、日本共産党のハウスキーパーについて、これほど生身の報告があったろうか。文字どおりこの小説は「同志」である特高のスパイと同棲した熊沢光子の不条理な残酷さを提示している。」と井上宏晴の言葉が書かれている。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆私が熊沢光子の名を意識したのは、昭和52年の「文学界」4月号に発表された「あるスパイの調書」と題する平野謙氏の文章においてである。それ以前にも日本共産党のスパイ大泉兼蔵のハウスキーパーだった女性が獄死したこと、名古屋出身であったことなどを話にきいてはいたが、はっきりと意識に刻み込むようにその人のことに心惹かれたのは平野氏の文章の力によることが大きい。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「全体主義の中国がアメリカを打ち倒す」(ビジネス社)
202048日(水)

 

 

<その6>
◆中国は「改革・開放」が始まった。1979年からの30年間は平均で10%の成長を続けた。驚異的な成長である。このあと徐々に落ちてきた。
中国に比べて、米・欧・日の先進国はマイナス成長でゼロを割っている。それなのに無理やり「1.2%のプラス成長」とかウソの発表を続けている。

◆毎年40兆円もアメリカは中国から輸入超過である。対世界全体では、年間80兆円の貿易赤字だ。この赤字が溜まりに溜まって2,000兆円ぐらいになっている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「全体主義の中国がアメリカを打ち倒す」(ビジネス社)
202047日(火)

 

 

<その5>
◆国営企業は世界的傾向として、特許申請しないで秘密のまま保持する。盗まれて真似されることを恐れる。とくに軍事用技術はそうだ。しかし後発国の中国はそんなことは言ってられなかった。ファーウェイ以下どんどん特許申請する。秘密を抱えている組織はかえって弱い。

◆韓国は中国と組む。というより中国に従う。中国の下で生きていく。ユーラシア大陸の方へ商機を広げる。アメリカから静かに離れていく。韓国人全体がそのように覚悟を決めたのだ。いまの文在寅体制のことを日本とアメリカはヒドク嫌っている。この本当の理由がこれだったのだ。

◆アメリカは自分の国を守る戦争しかしない。アメリカが軍隊を出すのは隣のメキシコとカナダまでだ。もうそれ以上は出さない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「全体主義の中国がアメリカを打ち倒す」(ビジネス社)
202046日(月)

 

 

<その4>
◆信用機能が間に立ちさえすれば、お金の貸し借りはスムーズに進む。これをたかがネット通販屋のアリババとSNSの仲間うちからのおしゃべりサイト運営会社が大きくなったテンセントがやってしまった。焦げ付きは0.5%だけだそうだ。なぜなら全国民が顔認証されているので逃げられないからだ。

◆このように米中のITハイテク戦争は金融戦争に姿をどんどん変えつつある。ソフトバンクの孫正義氏はアリババ株の26%をもっているから14兆円分を保有している。これが孫の本当の実体のある富の源泉である。これを担保に差し出してみずほ銀行から17兆円の融資を受けているという。

◆だいたいカナダの政府がアメリカ政府の家来になって、孟晩舟を捕まえたのが間違いだ。私は驚いたが、カナダの政府が自国の法律ではなくアメリカの法律にもとづいて逮捕したので問題なのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「全体主義の中国がアメリカを打ち倒す」(ビジネス社)
202043日(金)

 

 

<その3>
◆どうも世界中の大銀行がアリババとテンセントの前に屈服して徐々に潰れていくようである。すなわち「銀行消滅」である。支払と送金だけでなく、個人向けの貸付(融資)と、なんと定期預金などの金融商品の販売までもアリババとテンセントは行っているからである。

◆ただし、この中国14億人の新しいお金の決済方法は大きな欠点がある。それは顔認証をいう国民・監視システムの上に出来上がっている。
今や街頭の全てに付いている監視カメラですべての中国人の顔は認証識別されている。

◆監視カメラの設定についての人権侵害を批判する声は皮肉なことに世界であがらない。今のところアメリカの商務省による中国の監視カメラ・メーカーへの取引禁止の制裁措置として表れている以外では、ほとんど非難は上がっていない。人権団体もリベラル派の人々も監視カメラ社会、即ち「デイストピア(絶望郷)にむかう世界」に対してまだ抗議の動きを見せていない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「全体主義の中国がアメリカを打ち倒す」(ビジネス社)
202042日(木)

 

 

<その2>
◆地球上から最も優れた知識人は全体主義批判を行う人々である。世界で一番優れているこの独立派の知識人思想家たちは自分の国で保守勢力からもそしてリベラル勢力(左翼を含む)からも、そのどちらからも嫌われる。

◆日本は先端技術と製造能力においても、中国の足元にも及ばなくなった。日本の大企業であるトヨタやパナソニックもソニーも日立もNECも、いま中国に電子部品を供給している。つまり、日本は中国の下請け国家になってしまったのである。

◆アリババとテンセントこそは中国の巨大成長の秘密なのである。アメリカ政府のファーウェイとの5G戦争(ITハイテク戦争)などは、脇役でしかない。アリババとテンセントが持つスマホ決済能力が中国国民14億人のほぼすべてを網羅している。恐るべきスピードでの銀行機能を持ってしまった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「全体主義の中国がアメリカを打ち倒す」(ビジネス社)
202041日(水)

 

 

全体主義とは共産主義のこと。全体主義国家の別名が「絶望郷」で、ユートピア「理想郷」の反対語である。どうやら、私たち人類が向かっている方向は理想社会の実現ではないというのが著者の主張である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
<その1>
◆これは人類にとっては悲しむべき間違った方向である。科学技術の進歩がコンピューターや通信機器の異常な発達とともに、こういう監視技術を最高度に発達させた。この監視システムを維持するために一体どれほどの警察公務員が新たに採用され続けているかについて、誰も関心を払わない。

◆日本の光学企業は監視カメラで稼ぐしかなくなった。なぜなら世界中がもっと監視カメラだらけになるからだ。日本国内でも今や監視カメラは500万台近くある立派な監視社会だ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  岡本有佳・加藤圭木「だれが日韓対立をつくったのか」(大月書店)
202033日(火)

 

 

<その6>
◆植民地支配や「慰安婦」問題のような不法・非人道的問題に対して謝罪や反省ではなく、曖昧な態度を見せる安倍政権を非難する人は多いのですが、日本を一方的に非難する盲目的な記事は見つけがたいということです。とくに韓国には反日はありますが日本の嫌韓のような日本人を日本人であるという理由で差別・排除し、蔑視する嫌日感情は存在しません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  岡本有佳・加藤圭木「だれが日韓対立をつくったのか」(大月書店)
202032日(月)

 

 

<その5>
◆この裁判の争点は企業に対する元徴用工個人の請求権が残っているのだろうかということでした。1965年に日韓請求権協定には「完全かつ最終的に解決した」という文言がありますが、それは日本・韓国との間の「外交保護権」を放棄したという意味です。元徴用工のような個人の権利を消滅させるものではありません。

◆日本の大手新聞は韓国の軍事政権を支えた韓国三大紙「東亜日報」「中央日報」「朝鮮日報」と提携関係にあることから韓国保守派を「親日派」とみなし、文大統領を「反日派」と位置づける報道を繰り返しています。

◆多くの日本人は歴史教育でたしかに加害事実をあまり教えられていませんし、マスメディアでも加害の実態はあまり取り上げられません。しかしだからと言ってそのまま何も知ろうとせずに過ごしたのでは結局不正義がまかりとおる社会が温存されることになってしまいます。
「歴史なんて関係ない」と日本人が主張することは本人の意図がどうであったとしても、日本の加害責任を無視し、植民地支配が刻んだ矛盾を放置することを「選択」する行為なのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  岡本有佳・加藤圭木「だれが日韓対立をつくったのか」(大月書店)
2020228日(金)

 

 

<その4>
◆(平和の少女像)の撤去を要求するのは、表現の自由や被害回復の促進など国際人権諸条約の要請を否認する事態を招きかねない恐れがあると国際法学の阿部浩己氏は警鐘を鳴らしています。

◆日本の新聞やテレビでこのような視点から検証した記事や番組を筆者は見たことがありません。全国紙5紙すべてが安倍政権の主張どおりに伝えるだけで、撤去されてしかるべきとの論調になっています。

◆一方、韓国のマスメディアでは、保守/リベラルを超え、日韓「合意」直後から、国際法の専門家などの見解・実例・判例を参照しながら日本政府の主張の根拠を問い、それに追随する韓国政府を批判しています。

◆学校教育で「慰安婦」問題がタブー化されネットではフェイクニュースがあふれるなかで、日本のマスコミが安倍政権の主張への検証を怠り、<少女像>をめぐる当事者や市民の多様な声を伝えないことは日本社会の認識におおきな影響を与えます。その結果、日韓両国ひいては国際社会との認識のギャップをさらに広げることになるのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  岡本有佳・加藤圭木「だれが日韓対立をつくったのか」(大月書店)
2020227日(木)

 

 

<その3>
◆戦後に水俣病を行き起こした日窒財閥(戦後のチッソ)は1920年代以降に朝鮮に巨大な化学肥料工場を強制的に建設します。当時の朝鮮の日窒で働いた日本人は「朝鮮人が死んだって風が吹いたほどにも感じない」「朝鮮人とどうやって仕事するか上から指示があった(中略)。朝鮮人はぼろくそ使え。朝鮮人からなめられるなといわれた。朝鮮人は人間として見るな、人間の内に入れちゃならんぞという指示だと私はすぐ思った。」となどと証言しています。

◆日本では「慰安婦」イコール韓国人女性(または朝鮮人女性)と思いこんでいる人びとが多いのですが、実際は日本人、中国人、台湾人、フィリピン人、ビルマ人、インドネシア人、マレー人、オランダ人などアジア、太平洋のさまざまな地域の女性たちがいました。1990年にはこうした被害女性たちが金学順さんのカミングアウトに励まされて、自らの被害を明らかにしました。

◆「慰安婦」被害女性のカミングアウトを可能にしたのは1990年代に世界で女性に対する暴力をなくすためのフェミニズム運動が盛んになったことでした。(1993年に)国連で「女性に対する暴力撤廃宣言」が採択。さらに1980年代後半に韓国、台湾、フィリピンの社会が民主化されたためでした。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  岡本有佳・加藤圭木「だれが日韓対立をつくったのか」(大月書店)
2020226日(水)

 

 

<その2>
◆「韓日併合」の実態は朝鮮半島を日本の一地方に組み込んだという程度のものではありません。日本の侵略に抗する朝鮮半島の人びとに対して、徹底的な弾圧を行い強制的に大韓帝国を滅ぼし、朝鮮人を無権利状態に置くものだったのです。朝鮮人側の意志を暴力によって踏みにじり断行したのが「韓日併合」だったのです。

◆日清戦争も日露戦争も日本にとっては朝鮮侵略を目的とした戦争であり、朝鮮が戦場とされ朝鮮人の生活や生命が犠牲となったのです。

◆朝鮮半島における農民軍は日本軍により虐殺されますが、その犠牲者数は、日清戦争における日本や清国の犠牲者数よりはるかに多かったのです。

◆そもそも、日本が朝鮮を植民地化するという行為そのものが日本側の差別の現れでした。当時の日本人は朝鮮は遅れた国であるという認識をもっていました。こうした認識は福澤諭吉や福田徳三といった学者に唱えられました。そして、日本側はこうした認識を基盤として、そのような遅れた国は、日本が支配してもよいのだと植民地支配を正当化したのです。朝鮮人を1つの民族、朝鮮を一つの国家として認めなかったわけですが、それこそが根本的な差別です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  岡本有佳・加藤圭木「だれが日韓対立をつくったのか」(大月書店)
2020225日(火)

 

 

大変な力作であり、説得力がある。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。
<その1>
◆日本は1930年代に中国への侵略戦争を開始しました。戦争を後方で支える産業で労働力が不足しました。とくに労働環境が悪く危険だった炭鉱において深刻でした。そこで1939年から日本政府は朝鮮人を日本に連れてきて労働させることにしたのです。これは国家の責任において行われたのです。

◆無償3億ドルとは韓国国家への経済協力を目的としたものであり、元徴用工への賠償(慰謝料)を直接目的としたものではありませんでした。

◆大法院判決は「被徴用韓国人の未収金、補償金」ではなく「強制動員被害者の慰謝料請求権」についての判断です。請求権協定によって解決されたものではなく「請求権協定」の範囲外の「植民地支配責任」についての判断なのです。ですから約束したことがないのに「約束を守らない」と非難し、解決した事柄ではないのに「蒸し返す」と非難することはまったくの的外れとしか言いようがありません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
2019122日(月)

 

 

<その10>
◆日本はアメリカ、イギリスなどと結んできた中国における協定をすべて反故にしたのである。東アジアでは日本が中心になって新しい秩序を建設すると宣言したのだ。つまり満州国の秩序を中国全土に広げようといった主旨だった。この宣言がアメリカの逆鱗に触れたのである。
日本が東アジア全体を支配することになればアメリカは大きな市場と資源を失ってしまうことになる。アメリカには絶対に許せないことだった。

◆サウジアラビアなど中東の石油は、第2次大戦後から本格的に開発が始まったものであり、戦前の産出量はまったく少なかった。東アジア、ソ連などでも石油の採掘は行われていたが、アメリカに比べればまだ全然追いつかない状態だったのだ。

◆第1次大戦から第2次大戦にかけてアメリカが一気に超大国の座に上り詰めたのは「石油大国」だったことが大きな要因なのである。
このエネルギー革命で超大国の座を滑り落ちたのがイギリスだった。イギリスはじつは石炭によって栄えた国である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191129日(金)

 

 

<その9>
◆日本がどんなに言い訳をしようと満州国建国や中国へのの進出は「資源確保」「権益拡大」の目的も必ずあったのである。
また、当時の日本は国内経済に重大な問題を抱えていた。戦前の日本は現代日本よりはるかに深刻な格差社会だった。一部の財閥が国の富を独占している一方で労働者は低賃金にあえぎ、農村では生活苦のために娘を身売りする家庭が多々あった。日本はその格差問題を解消するために戦争に活路を求めたという面が多分にあるのだ。

◆昭和20年の時点でも農業人口は就労人口の50%近くおり、職業人口として農業は断トツのナンバーワンだったのである。そして農村の貧しい生活のはけ口として軍部が人気を集めるようになったのだ。
軍部が大陸で勢力を伸ばすことが農村の危機を救ってくれる。といった錯覚を大勢の日本人が抱いた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191128日(木)

 

 

<その8>
◆自転車はフレームなど鉄砲と共通する技術が多い。そのため鉄砲鍛冶たちは、自転車が普及し始めると、まず修理業をはじめ、そのうち自転車製造をするようになったのだ。

◆じつは日本は孤立しようと思って孤立していったわけではない。たとえば、国際連盟からの脱退もそうである。この脱退にはある重要な経済戦略が含まれていた。

◆国際連盟では決議違反国に対して「経済制裁」をできるという条文がある。国際連盟の規約では、経済制裁できる相手国は「連盟に参加している国」となっていた。
事実、国際連盟からの脱退後、ただちに日本に対して経済制裁行う国はなかった。
国際連盟の本体からは脱退したが連盟内にある諸団体には留まっていた。
とりあえず、経済制裁を逃れることだけが日本の国際連盟脱退の本当の理由だったのである。
しかし、その後の日中戦争の拡大や英米仏などとの関係悪化のため、国際連盟に復帰する意味や機会を失い、第2次大戦に突入していくのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191127日(水)

 

 

<その7>
◆第2次世界大戦ではアジア、太平洋地域において日本とアメリカが激しい戦闘を繰り広げた。もちろん、その戦争には経済的な背景がある。日本の中国への進出にアメリカが反発し最終的に「在米資産凍結」「石油禁輸」という処置を取った。それが日米開戦の要因ということになっている。

◆イギリスは19世紀末には工業生産でアメリカに抜かれ、さらに20世紀初頭にはドイツに抜かれていた。第1次大戦で衰退したように思われているが、第1次大戦前からすでに「世界の工場」ではなくなっていたのである。

◆幕末の開国以来、絹の原料で生糸は日本の輸出品の主力だった。そのうち、日本の産業界は生糸を売るよりも絹や綿を製造して売ったほうが儲けが大きいことに気づき、次第に紡績業が発展していく。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191126日(火)

 

 

<その6>
◆ヒトラーはポーランドに対し、たびたび「ポーランド回廊」の割譲を求めた。しかし、ポーランド側は断固として拒否し、英仏の支援を仰いだ。それに業を煮やしたヒトラーは1939年9月ドイツ軍にポーランド侵攻を命じた。ポーランド協定を結んだ英仏はドイツに対して宣戦布告。第二次世界大戦はこうして始まったのである。

◆第1次大戦の敗戦での植民地の没収、国土の割譲はドイツの国力を大きく削ぐことになった、しかも多額の賠償金を課せられたのである。
ドイツとしては賠償金を払わなければならないのなら、植民地と旧国土を返してほしいという気持ちがずっとあったのである。またナチス・ドイツの領土拡張政策は一見周辺国の迷惑を顧みない傍若無人の行為のように映る。しかし、英仏が宣戦布告する前(第2次大戦前)までのナチスの領土拡張のほとんどは旧ドイツ帝国の国土回復かドイツ語圏地域の併合だった。つまり旧国土の回復を超えるようなことはあまり行っていないのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191125日(月)

 

 

<その5>
◆ヒトラーはどうやって失業を減らしたのか―― それは高速道路アウトバーンをはじめとする公共事業によってである。ヒトラー以前の公共事業は総額で3億2,000マルクに過ぎなかった。したがって景気に及ぼす影響は微々たるものだったのである。
しかし、ヒトラーは初年度から20億マルクの予算を計上した。この思い切りこそがドイツ経済復興の最大の要因であろう。

◆確かにナチスの領土侵攻策は明らかに国際法にも同義にも反しているものである。しかし、ナチスの侵攻政策は高校の世界史での授業で語られるような単にナチスの一方的な侵攻だったわけでもない。それなりの正当性があったのである。

◆ポーランドは旧ドイツ帝国の領土を削減し、それにロシアの旧領土を加えて建国された国である。さらにポーランドが海につながる土地を確保するためにドイツはポーランド回廊をいわゆる地域を割譲させられた。そのためにドイツは東プロイセン地域と遮断されてしまったのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191122日(金)

 

 

<その4>
◆世界経済の大混乱のなか、ドイツは深刻な不況に陥り650万人もの失業者を出した。そのなかで、急成長してきたのが、ヒトラー率いるドイツ国家社会主義者労働党(ナチス)なのである。

◆当時のドイツは植民地をもっていなかったし、まだ領土侵攻もしていない。ヒトラーは国内政策だけで素早く景気を回復させたのだ。その経済手腕はかなりのものだと言わざるをえない。
ヒトラーは別に難しい経済理論を知っていたわけではない。「社会を安定させ、活気づかせるためには、どうしたらいいか」ということを自分の経験と知識から導き出したのである。

◆第一次4カ年計画の内容をひと言でいえば、「底辺の人の生活を安定させる」ということである。これはナチスにとって結成当初からの一貫したテーマである。
そしてナチスは失業者や借金にあえぐ農民を思い切った方法で救済した。
ユダヤ人迫害や武力侵攻ばかりが取り上げられるナチスであるが、彼らにこういう面があったことを無視することはできない。彼らが熱狂的な支持を得たのはここに最大の理由がある。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191121日(木)

 

 

<その3>
◆当時アメリカはドイツに投資しドイツはそれで英仏に賠償金を払い、英仏はその賠償金でアメリカに戦費の支払いをする循環があった。
ドイツが経済破綻した場合、もっとも影響を受けるのはじつはアメリカだったのである。英仏はドイツから賠償金を取れなくなるがそれを理由にアメリカへの戦費の支払いを止めてしまえば、差し引きはそれほど大きくない。戦費 が払われなくなれば、アメリカだけが丸損ををするのである。

◆ヤング案の発表はドイツ経済の破たんを予感するものだった。このことに市場が反応しないはずはないのである。そして、4カ月後にアメリカの株式市場が大暴落し、世界は大恐慌に突入するのである。

◆結局、経済とは自分だけが潤うことはできないのである。相手を叩きのめしてしまえば自分がいくら金をため込んでも取引する相手がいなくなる。そうなれば自分も富を失っていくのだ。つまり、経済というのは相手も健全であるときにはじめて自分が潤うことができるのだ。世界大恐慌はそのことを如実に表している現象なのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191120日(水)

 

 

<その2>
◆また第1次大戦では連合国側も国力が疲弊し尽していた。各国の国民は怒りをぶつけられる相手を求めていたのだ。しかし、敗戦国の主要国であるオーストラリア オスマン・トルコは解体され唯一残ったのがドイツだけだった。そのためドイツ一国が連合国の国民の不満のはけ口になったのである。

◆1919年末ケインズは「平和の経済的帰結」という書籍の中で次のように述べている。
「講和条約でのドイツの賠償金は実行不可能な額であり、これはいずれヨーロッパ経済を破綻させるだろう。現在のドイツ人は一生、この賠償金のために苦しい生活を余儀なくされるはずであり、それはヨーロッパの将来に必ずよくない結果をもたらす。」


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  武田知弘「なぜヒトラーはノーベル平和賞候補になったのか」(ビジネス社)
20191119日(火)

 

 

武田氏の著作は何を読んでも面白い。本書も力作である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約してみたい。

<その1>
◆本書はヒトラーを賛美するつもりも、その行状を肯定するつもりもない。
ただ「ヒトラーという悪人のために世界が大戦争に突き進んだ」というほど世界の歴史は単純なものではない、ということを旨としている。

◆第2次大戦というのは経済問題に端を発した戦争なのである。ドイツがポーランドに攻め込んだのも実は当時のドイツの経済事情と国際経済が大きく絡んでいる。

◆歴史というものは政治や思想ばかりに目が行きがちである。しかし、歴史を本当は動かしてきたのは経済である。経済面から見れば歴史はまったく違って見えてくる。

◆ドイツが経済危機に陥ったそもそもの原因は第1次大戦の講和条約「ベルサイユ条約」で過度な賠償を負わされていたからである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
20191118日(月)

 

 

<その10>
◆側室制度をもちかけられたとき、昭和天皇は言下に拒否の回答をしている。きわめて強い口調で
「側室制度は人倫の道に反する。私はそういうことはしたくない。」
昭和天皇は、大正天皇が形骸化させた側室制度にもう一度「ノー」という意志表示を行ったのである。

◆近現代日本で最も多様な事象を抱えているのは、昭和という時代である。戦争、敗戦、そして占領支配を受け主権を失う。
テロやクーデター、革命騒動があり、社会生活では貧困と富裕が同居する状態になった。一言では語りつくせないのが、昭和という時代であった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
20191115日(金)

 

 

<その9>
◆権力の中枢が歴史修正主義であることを私たちは危惧しなければない。平成という時代の特徴はこれまで資料をこまめに集めて、研究・確定し右であれ左であれ議論してきた真面目さがあっという間に崩れ去った点であるともいいうる。つまり、われわれ日本人が真剣に戦争を理解しようという態度を失ったことで、平成の世相に顕著に表れているのである。まずはこのことを心得ておかないと現在の社会風潮の本質は理解できない。

◆江戸時代270年をかけて私たちの国は武士階級がもっていた戦いのエネルギーをかなり儀式化し、抑制することに成功したと思うんです。知性の勝利ですよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
20191114日(木)

 

 

<その8>
◆日本は結果的に原爆を製造しなかったが、もし完成していたら間違いなく、戦局打開のためにどこかに投下していたはずだということだ。史実を追うと、投下場所はサイパンだったろう。ということは、私たちの国はあの戦争で原爆については被害者であるが、もしかしたら、加害者になっていたかもしれないのだ。

◆この中でもっとも大きいのは「官僚主導国家の無責任」である。これは看過できない。官僚は目前の選択では、よい判断をするが、長期的な視野を持っていないから政策はいずれガタガタと音を立てて崩れ去る。2020年に開かれる東京五輪でも同じ経過をみせている。新国立競技場の当初予算は1,500億円。それがいつの間にか3,000億円を突破していた。
役人と政治家が一体になると、大きいものをつくればなんでもいい。となってしまう。しかも誰も責任を取ろうとしない。まさに戦前、戦艦大和の建造にこだわった大鑑巨砲主義そのものの体質である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
20191113日(水)

 

 

<その7>
◆「日本人なのになんでお前は日本を批判するのか」という人がいます。しかし、私は、日本人だからです。誤りを誤りとして認めなければならないと思っています。そして、そこから教訓を引き出してこなければいけないと。そうしなければ、われわれの文化と伝統に傷がつくと思うからです。

◆そのとき中国人はすでに2、3年にわたって戦争を体験していました。ところが、そのころの日本国内では、人びとの暮らしはいたって平穏でした。彼らは昭和19年10月以降のわずか数ヶ月かの体験で戦争を悟り、悲惨さを訴えるわけですが、裏を返せば、それは自分の身に災いが降りかからなければいい、という意味にもなります。そこに体験からくる感情で戦争を語ることの限界があるということです。

◆欧米の軍事学者や思想家は戦争をこう表現します。
「命を捨てて隣人を助ける。戦争ほど人類のヒューマニズムを具現化するものはない。しかしそれは、相手を憎む前提で成り立つヒューマニズムだ」と。
ヘイトスピーチの同志愛が強いのは、憎む対象を持つことで平穏には味わえない友情や陶酔に浸ろうとするからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
20191112日(火)

 

 

<その6>
◆残虐行為の話をお茶を飲みながら話すというのは、あなたの手によって亡くなった中国人捕虜がかわいそうではありませんか。どこか弔うという精神がなければこういう戦場体験の証言など聞いてはいけないと気づいたのです。

◆その折に読んだ本のなかにウサギの戦力は速い脚であるか、それとも長い耳であるかという設問があったんです。答えは大きな耳です。あれがなければ走る前にやられてしまうではありませんか。つまり日本軍は大きな耳をもたないウサギだったんです。

◆毎日届くのでそれを調べていくと、かんづめ会社と製薬メーカーの株価があがって、しばらくすると太平洋でのアメリカ軍の新しい作戦がはじまることに気づいた。
アメリカ軍は派遣する兵士のために大量にかんづめとマラリアの薬をメーカーに発注していたあのである。だが、こうした情報分析が大本営の作戦指導にはほとんど生かされていない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
20191111日(月)

 

 

<その5>
◆アメリカに捕まった「捕虜第一号」である酒巻和男のはなしである。
彼は初めてアメリカ軍から国際条約に基づく捕虜の扱いの説明を聞き「そんなものがあるのか」と驚いてしまったという。また酒巻は日本軍に罠をかけるための鉄条網作りを命じられた時、拒否しそれが認められたという。
それに比べ日本軍はというと戦時ルールなんてものは全く無視毛頭なかった。日本兵にとっては「生きて虜因の辱を受けず」だけである。だからアメリカ人を捕虜にしたら拷問を加え、なぶり殺しにしてしまうことすらあった。

◆「日本軍はなぜ中国大陸であれほどの蛮行を働いたのでしょう。理由はどこにあると思っていますか」
「一つは日本陸軍の制度に問題があったこと。士官学校出身者が牛耳り、そこにみごとなまでのヒエラルキーができ上がっていたことだ。このなかで一歩でも二歩でも階級が上がるには目立つことをしなければいけなかったんんだ。二つ目には士官学校出身者には政治教育が施されていなかったから彼らは政治と軍事の関係が理解できなかったことだ。三つ目には、これは体験的にいうけれど、新任の将校は兵士の前で臆病でないことを示すために中国人を試し斬りしたり、拷問を加えて軍人らしいところを見せなければならなかった・・・・。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
2019118日(金)

 

 

<その4>
◆私はこれまで延べにして4,000人近くの人に会って戦争体験を聞いてきた。そのなかで戦場体験を克明に語ってくれた元兵士は500人ほどでしかないが、彼らは必ず誰かに自らの体験を語って死にたいとの思いを持っていることに気づかされる。

◆その老人は、現実に出撃命令を受けると隊員たちの大半が動転し、狂乱状態になったというのだ。「命令を聞いたとたん、ある隊員は気絶し、ある人は失禁する。泣き喚く人もいたのです。私はそうした人を5人ほど出撃させるために飛行機に乗せました。彼らを待っているものは死以外の何ものでもありません。」


◆戦友会の人たちが集まり扉を閉めて部外者が誰も入ってこなくなると、みんな凄いことを話します。
特に日中戦争に加わった部隊に多いのですがどこで何人撃ち殺したなんて平気で言い合っているのです。彼らは苦しいからいってるんですね。日常生活ではそれを徹底的に抑圧していますが誰かに話さなければ精神的にバランスが崩れるのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
2019117日(木)

 

 

<その3>
◆吉田茂は「新生日本」をつくろうとはしていません。そうではなくて、彼は日本を「再生」させようとしたのです。昭和6年までの日本はどこも間違っていない ―― 私はそうは思わないけれど ――。だから、そこへ戻そうというのが彼の考えです。

◆戦後の日本の主権回復へ至る道筋で吉田茂が重用した人物にはいくつかの共通点があった。とくに昭和16年に病死した反軍部の言論人である桐生悠々は吉田とは直接の関係がないものの多くの点で重なっていた。戦後、吉田に重用された人物の大半が桐生の支援者だったのである。

◆田中という人間の興味深いところは権威に対する価値判断がそれまでの首相と異なっていたことだ。たとえばそれは天皇との面談でも顕著に表れている。天皇に対して庶民と同じような接し方を行うのである。それは他の首相とはあまりにも異なっていた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
2019116日(水)

 

 

<その2>
◆それぞれの指導者がどんな人物か、どういう考えをもっているかを理解すれば、自らの政策を煮詰めるための基盤は深まったであろう。日本の指導者は連合国の指導者と直接に対話したことがないというのが、開戦前の正直な姿だった。相手国を知らないために、つねに自分に都合のいいような見方でしか事態を捉えられなかった。

◆平時から戦時への移行は大使の召還や国交断絶など10段階以上ものプロセスを経るわけです。近代以降の歴史をひもとけば、いきなり「戦争」になることがないのは自明です。

◆日本のファシズムは特異なのです。イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラーのようなイデオローグ(イデオロギーの代表者)や国家目標はない。その場その場の状況に「まじめに」「実直」に対応し、流れに乗ってゆくなかで、無意識のうちにファシズム化する「無自覚なファシズム」という特徴を持っています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  保阪正康「昭和史の急所 戦争・天皇・日本人」(朝日新聞出版)
2019115日(火)

 

 

本書は著者の過去の著作物の中から重要性の高いものをピックアップして作られたものである。その中から私が面白いと思ったものを以下、御紹介していきたい。
<その1>
◆私はこうしたタイプの人たちの質問や疑問には「私は自虐史観ではなく、自省史観の側に立っている。昭和という時代を自省や自戒で見つめ、そこから教訓を引出し、現代につないでいくという立場だ。」と答えることにしている。
あるいは「あなたたちは史実を政治や思想で割り切ろうとしている。それは「左翼」の公式史観と対になっていて、私はなんの関心もない。」とはねつける。

◆日本の政治・軍事指導者はどうであったか。
彼らはこうした権謀術数の能力をもちあわせていなかった。それにどうあれ、世界がどのように動いているか。いや、動かさなければならないかという経綸はなかった。ただ、その折り折りの状況に対する反応だけで動いていたのである。その意味では日本は幼稚であり良くも悪しくも純粋な面があった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山本太郎 取材・構成 雨宮処凛「僕にもできた!国会議員」(筑摩書房)
2019920日(金)

 

 

<その3>
◆要は国はずっと「持続可能な国作り」というのは横に置いて企業側にいかに楽をさせるか儲けさせるかということばかりやってきた。その結果が今すべて出揃ってしまっている。この国を持続可能にしていくためには、まず、少子化の改善ですよね。そのためには、教育に負担をかけない。低廉な住居の提供、賃金の補填をやるしかない。ある意味伸びしろがある分野。みんなが一番困ってる分野に大胆にお金を出すという政策をやっていくべきです。保育園、介護施設、奨学金の問題など今デフレなんだからお金を作って大胆にやってしまえばよい。

◆政府が大胆な財政出動をしたら、世の中にお金があふれ出す。そうしたらインフレ率が2%に達成するから達成した時に引き締めればいい。
引き締める作業としては、最初に日本銀行による政策金利の引き上げを行い、それでもインフレ率が下がらなかったらお金持ちに対して増税すればいいという段取り。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山本太郎 取材・構成 雨宮処凛「僕にもできた!国会議員」(筑摩書房)
2019919日(木)

 

 

<その2>
◆不況の時って、みんな節約しなきゃいけないって思うんですよね。でも、みんなが節約するとみんなが苦しくなるのが不況というものです。緊縮の目的が財政の健全化であってもみんなで無理して節約すると財政の健全化も遠のくんです。だからこそ、まずは経済を回復させることを第一に考えないといけない。

◆今、政府が財政赤字を出していると言っても、ほとんど国債を日銀が買っている。日銀は政府が株式の55%を保有する。政府の子会社でしょう?政府と日銀を連結決算して「統合政府」で考えたら、日銀が国債を買い上げたというのは、民間に対して借金を返したのと一緒なんですよ。

◆物価安定目標を越えたインフレーションが起こった場合には、その歯止めのためになんらかの増税が必要になる。その時に本当の意味での財政の健全化が必要になる。なんで税金をかけるかと言ったら、総需要を抑えるために税金があるんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山本太郎 取材・構成 雨宮処凛「僕にもできた!国会議員」(筑摩書房)
2019918日(水)

 

 

「第4章の経済政策を語る」のところより、インパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆「緊縮」っていう人は、財政赤字はいけません。財政は健全じゃないといけませんっていうのが基本的なイデオロギーなんです。そういう立場の人は、消費税を上げましょうというような大衆課税の立場が多いんですね。
そのような政策パッケージが「緊縮」です。

◆今みたいに国民の6割近くが「生活が苦しい」という状況なのに「国は財政を健全化させるためにお金を出しません」と社会保障を絞り、借金返済のために増税したらどうなるか。景気はもっと悪くなる。世の中に出回るお金を調整するのが金融政策。それを増やして政府が削っている分野は言い換えれば一番伸びしろがある分野なんだし、ケチケチせずそこにお金を出して大胆に財政出動する、これが「反緊縮」ですね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  前泊博盛 編「日米地位協定入門」(創元社) )
2019917日(火)

 

 

<その6>
◆よく日本人は沖縄に米軍がいるのも首都圏に米軍がいるのも「戦争に負けたからしかたがない」などといいますが、そんなことはまったくないのです。毅然として国際社会のルールにのっとって交渉すればイラクのような戦争で惨敗し、GDPは日本の50分の1で、隣にイランという巨大な敵国をもつ国でも、米軍を撤退させることは可能なのです。

◆なぜ、注目すべきかというと日本人の多くは憲法9条を誇りにしていながら実はこの条項にあるような米軍への規制(他国への攻撃拠点に、自国内の米軍の米軍基地の使用することを拒否する)は過去に一度も行なってこなかったからです。

◆Q&AL ASEANはなぜ米軍基地がなくても大丈夫なのですか?
フィリピンと米国との間には「米比相互防衛条約」という二国間の安全保障条約があります。またタイやシンガポールの軍も米軍とは合同演習を定期的に行なっています。東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟の10ケ国は、地域連合として非同盟の原則を貫き、軍事力でなく外交で紛争を回避する知恵を積み重ねてきました。米軍基地がなくても地域の安全保障の仕組みは機能しています。

◆繰り返しになりますが、1992年にフィリピンから米軍が撤退して以降ASEAN加盟国内には外国軍基地は存在しません。国名をあげておきましょう。タイ、フィリピン、マレーシア、インドネシア、シンガポール、ブルネイ、ベトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジアの10ヵ国です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  前泊博盛 編「日米地位協定入門」(創元社) )
2019913日(金)

 

 

<その5>
◆「Q&AG どうして米兵が犯罪をおかしても罰せられないのですか?」
簡単に言うと日米地位協定のよって米兵が公務中(仕事中)の場合、どんな罪をおかしても日本側が裁くことができないとり決めになっているからです。また、公務中じゃなくても日本側が裁判権を放棄するという密約が日米間で交わされているためです。

◆Q&AJ 同じ敗戦国のドイツやイタリア、また、準戦時国家である韓国などではどうなっているのですか?
たとえば、日本と同じ敗戦国であるドイツでは、地位協定を1993年に改定し、たとえ米軍基地周辺といえども国内では米軍機に飛行禁止区域や低空飛行禁止を定めるドイツ国内法が適用されるようになっています。

◆Q&AK 米軍はなぜイラクから戦後8年で完全撤退したのですか?
その理由は簡単です。イラクが2008年11月にアメリカと結んだ、いわゆる「イラク・アメリカ地位協定」のなかに3年間で完全撤退すると定められていたからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  前泊博盛 編「日米地位協定入門」(創元社) )
2019912日(木)

 

 

<その4>
◆Q&AD 東京大学にオスプレイが墜落したらどうなるのですか?
答えは沖縄国際大学のケースと同じです。米兵は正門や赤門を封鎖して警視総監の立ち入りを拒否することができます。

◆Q&AE オスプレイはどこを飛ぶのですか?
なぜ日本政府は危険な軍用機の飛行を拒否できないのですか?また、どうして住宅地で危険な低空飛行訓練ができるのですか?
オスプレイは日本全国を飛ぶ可能性があります。飛行を拒否できないのは、米軍機には日本の国内法もアメリカの国内法も適用されないからです。ですから、アメリカ本国内ではとてもできないような危険な低空飛行でも日本では行うことができるのです。

◆Q&AF 騒音であきらかな人権侵害が起きているのに、なぜ裁判所は飛行中止の判決を出さないのですか?
それはいわゆる第三者行為論といわれるものです。簡単に言うと、米軍は日本の法律がおよばない「第三者」なので米軍に対して飛行差し止めを求める権限を日本政府はもっていないというものです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  前泊博盛 編「日米地位協定入門」(創元社) )
2019911日(水)

 

 

<その3>
◆Q&AB 具体的に何が問題なのですか?
首都圏がこれほど外国軍によって占拠されているのは、おそらく世界で日本だけでしょう。
首都圏に外国軍がいれば、なにかあっったときには、すぐに首都が制圧されてしまう。いくら外交でがんばろうとしてもギリギリ最後のところでは、絶対に刃向かうことはできないわけです。

◆日本はとても主権国家とはいえない。地位協定の改定ではなく、米軍基地を撤去しないと問題は解決しない。

◆Q&AC なぜ米軍ヘリの墜落現場を米兵が封鎖できるのですか?その法的根拠は何ですか?
簡単にいうと、米軍の「財産」については日本政府はなにも手出しできないとり決めになっているからです。

◆「米軍はなにも制約されない。日本国内で、ただ自由に行動できる」ということです。
なぜそれが日本側にとって複雑に見えるかというと、本来絶対あってはならないそうした植民地的状況をなんとか独立国の法体系のなかに位置づけるふりをしようとしているからなのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  前泊博盛 編「日米地位協定入門」(創元社) )
2019910日(火)

 

 

<その2>
◆Q&AA いつどのようにして結ばれたのですか?
1951年9月8日にはサンフランシスコで講和条約(平和条約)がオペラハウスで華々しく、旧安保条約が町はずれの米軍施設内でこっそり調印されていました。
その半年後の1952年2月28日に日米行政協定が東京の外務省庁舎のなかでひっそりと結ばれました。
そして、その日米行政協定が名前を変えて日米地位協定となり、それが結ばれたのは1960年1月19日ワシントンにおいてです。

◆アメリカが日米安保条約で実現したかった目的は、「日本全土を米軍の潜在的基地とすること」だったのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  前泊博盛 編「日米地位協定入門」(創元社) )
201999日(月)

 

 

本当は憲法より大切な日本地位協定の入門書である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆Q&A@ 日本地位協定って何ですか?
「アメリカが占領期と同じように日本に軍隊を配備し続けるためのとり決め」と定義される。
この協定を結ぶにあたって、アメリカ側がもっとも重視した目的が、@日本の全土基地化 A在日米軍基地の自由使用であることは、今日あきらかになっている。

◆最後にもうひとつ在日米軍と基地の問題に関して急いでふれておきたいことがあります。
それは、日本政府はいま、自国の国内にどんなアメリカ人が何人いるのか、まったくわかっていないということです。つまり、パスポートを提示して出入国審査を受けることをせず、基地に到着したり基地から飛び立ったりしているのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山崎雅弘「歴史戦と思想戦」(集英社)
201982日(金)

 

 

<その7>
◆今からでも遅くないので、「歴史戦」の論客は、戦前と戦中の「大日本帝国」の名誉を回復することではなく、戦後の「日本国」の名誉が国際的信用を高めるような方向へ路線を転換し基本的戦略を練り直すべきでしょう。それが広義の「日本」の「歴史戦」に勝利できる、ただひとつの道だからです。

◆歴史家の中には、過去の歴史を恣意的に歪曲する言語は、正統な歴史研究の裏付けを欠いているため、「まともに論じるに値しない」あるいは「相手にすると学者としての沽券に関わる」と見なし、距離を置いて傍観する人もいるようです。
けれども、専門家が傍観すれば、一般の人々は、「専門家が批判も否定もしないということは一定の信憑性がある事実なのか」と思い、結果として、それを信じる人の数が徐々に増加していくことになります。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山崎雅弘「歴史戦と思想戦」(集英社)
201981日(木)

 

 

<その6>
◆先の戦争中に「大日本帝国」が行った数々の非人道的行為について、他国に言われる前に主体的に事実関係を解明し、あるいは、その努力を行い、将来において二度と繰り返してはならないという反省と覚悟を国際社会に向けて発信するなら、「日本国」の名誉は今以上に高まり、国際社会での「思想宣伝戦」は成功するでしょう。

◆産経新聞などが行っているような、戦中の「大日本帝国」の名誉を回復することを目標とする「歴史戦」であれば、勝てる可能性は、事実上ゼロであると言えます。
なぜなら、国際社会において、戦後から現在にいたる「日本国」を尊敬して、肯定的に評価する国は、数多く存在しますが、政府が公式に戦前と戦中の「大日本帝国」を尊敬して肯定的に評価する国など、ただのひとつも存在しないからです。

◆それは、国際社会において、現在の「ドイツ連邦共和国」を尊敬して、肯定的に評価する国は数多く存在する一方、政府が公式に戦前と戦中の「ナチス・ドイツ」を尊敬して、肯定的に評価する国がただのひとつも存在しないのと同じです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山崎雅弘「歴史戦と思想戦」(集英社)
2019731日(水)

 

 

<その5>
◆アメリカ国内で「慰安婦像」が次々と設置され、容認されている理由は、それが民主主義で共有されている普遍的、すなわち、人権尊重という理念に関連するものだと理解されているからです。

◆言い換えれば、アメリカの市民や地方自治体は、この「慰安婦像」について、特定の国が別の国を政治的に攻撃するものだとは認識していません。日本国内では、「慰安婦像」をめぐる動きを“日本対韓国”の図式で報じるメディアが多いですが、アメリカでの認識は、女性の人権という、日本では今も軽視されがちな観点に重点が置かれています。

◆井上和彦は何の智恵もなしに先の戦争を「大東亜戦争」と呼び産経新聞もそのまま掲載しています。 戦前と戦中の「大日本帝国」の価値観や思想体系を今も継承する人間は「大日本帝国」時代に使われた言葉を用いることで自分が当時の価値観や思想体系を継承していることを仲間に示します。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山崎雅弘「歴史戦と思想戦」(集英社)
2019730日(火)

 

 

<その4>
◆市民の権利向上を目指すデモクラシーの思想は、大正時代の日本でも人々の関心を集めていましたが、天皇という絶対的な権威の前では「民」が「主」だという表現は、使えず代わりに「民本主義」という言葉が充てられていました。

◆南京虐殺や慰安婦問題の正確な被害者数が今もなお、特定できていないことの責任はまず第一に関係記録を廃棄した「大日本帝国」にあります。
この重要な事実を意図的にあるいは無意識的に見落とし、あたかも不可抗力のようなイメージで「歴史研究者の間でも議論はわかれ」ていると論じるのは、実質的には「大日本帝国」の証拠隠滅を擁護して、責任の所在をうやむやにする行為です。

◆そんな事実の空白を「大日本帝国」が意図的に作ってしまった以上、研究者によって一定の幅が生じる被害者の推定において、第三者的な立場の研究者や国民が「大日本帝国に不利な数字」を事実と見なすことを批判する資格は、日本人にはありません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山崎雅弘「歴史戦と思想戦」(集英社)
2019729日(月)

 

 

<その3>
◆曽野綾子が指摘している「父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は仲むつまじく、友達とは互いに信じあい、他人に博愛の手を差し伸べ・・・・」という教えは、過去の日本で世に出た教科書や教育出版物の中で「教育勅語にしか書かれていないもの」でしょうか。

◆不安や孤独を伴う「自由」よりも、高揚感や充実感を味わえる「権威への服従」の方が好きだという人にとっては、戦後の「日本国」は権威に伴う「強さ」に欠けるという点で魅力に乏しく服従ではなく、軽蔑と攻撃の対象となります。

◆時の国家指導者や国家体制を「国」そのものであるかのように国民に同一視させ、それへの絶対的忠誠や献身、犠牲を「自発的」に行わせる図式は1930年代から1945年までのドイツだけでなく、同時期の「大日本帝国」でもまったく同じでした。そのような図式においては、一人一人の国民は、独立した存在価値を持たず、時の国家指導者や国家体制を守るという「関係性」においてのみ、価値を認められる存在でした。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山崎雅弘「歴史戦と思想戦」(集英社)
2019726日(金)

 

 

<その2>
◆人は自由を捨てて強大な「権威」に服従し、それと一体化する道を自らの意志で選ぶことによって、その「権威」や持つ力や栄光、誇りを我がものにしたかのような高揚感に浸ることができ、また、迷いや葛藤、自分の存在価値への疑問なども「権威」が取り払ってくれるので、自由とは異質な「解放感」を得ることができる。そんな心理面の「メリット」があるからこそ、人々は権威主義に惹かれるのだと、エーリッヒ・フロムは読み解いています。

◆権威とは、人が部分的あるいは全面的に自らを同一化したいとのぞむ模範である。この言葉は、本書で繰り返し述べてきた「大日本帝国」と自分のアイデンティティーを同一化する人々の姿と重なります。

◆無力な人間をみると、かれを攻撃し、支配し、絶滅したくなる。権威主義的とは異なった性格のものは、無力なものを攻撃するという考えにぞっとするが権威主義的人間は相手が無力になれば、なるほど、いきりたってくる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  山崎雅弘「歴史戦と思想戦」(集英社)
2019725日(木)

 

 

戦史、紛争史研究家による非常に内容の深い本である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆人間にとって自由とは魅力的で必要なものだと一般的には信じられていますが、しかし、過去の歴史をふり返れば、ある時代のある国に生きる国民がせっかく獲得した自由を自らの意思で手放し、その代わりに、国民の自由を国家指導者が制約する「権威主義」の国家体制を選び取った事例も存在したことに気付きます。

◆自由は近代人に独立と合理性とを与えたが、一方、個人を孤独におとしいれ、そのため個人を不安で無力なものにした。この孤独はたえがたいものである。
かれは、自由の重荷からのがれて新しい依存と従属を求めるか、あるいは、人間の独自性と個性とにもとづいた積極的な自由の完全な実現に進むかの二者択一に迫られる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  孫崎亨「13歳からの日本外交」(かもがわ出版)
2019717日(水)

 

 

<その8>
◆では、ビン・ラディンが要求したサウジアラビアにおける米軍は、その後、どうなったか。これも、大々的に報じられていない。2003年イラク戦争開始後の4月29日、BBCは「ほぼ全ての米軍はサウジアラビアから撤退した。1991年から開始された米軍のサウジアラビア駐留は、サウジアラビアが米国に従属する象徴として非難されてきた」と報じた。米軍は密かに撤退した。
もし、9 ・11以前に米軍が米軍が撤退するとどうなるか。
ビン・ラディンの対米戦争目的は達成する。戦争を行う最大の理由が消滅する。ビン・ラディンの脅威は、当然減少する。

◆テロリストと呼ばれる人々は、通常、政治的要求を掲げています。多くの場合、これらは、実現できる要求なのです。戦いを選択するのではなく、相手グループの要求を受け入れる可能性がないか、それを第一に行うべきです。そして多くの場合、相手の要求を受け入れる余地があり、受け入れた場合、失うもの(A)と、受け入れずに武力紛争によって生ずる人的・財政的負担(B)を比較すると、(B)が圧倒的に大きいのです。

◆日本では、しばしば北方領土や尖閣諸島や竹島について「固有領土」という言葉が使われますが、ポツダム宣言では日本の主権は@「本州、北海道、九州及四国」 A「吾等(連合国側)の決定する諸小島」となっているのです。

 


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  孫崎亨「13歳からの日本外交」(かもがわ出版)
2019716日(火)

 

 

<その7>
◆私(アグネス・チャン)が生まれた香港は1997年までイギリスの植民地だった。中国からアヘン戦争で香港を奪い取ったイギリスは第二次世界大戦が終わっても、中国に返還することはなく、そのまま植民地としていた。そのため、香港ではアヘン戦争以降の近現代史は、学校で教えていなかった。

◆南京での残虐行為が広くおこなわれたことは、日本人証人よって否定されたが、いろいろの国籍の、また疑いのない信憑性のある中立国証人の反対の証言は圧倒的に有力である。

◆軍が慰安所を附属機関として持ち、営業時間、価格などの規則の作成に関与しています。また、慰安婦の連行には外務省や内務省などが関与しています。「その当時と今日では価値観が違う」という指摘はあると思います。しかし、現代に生きる私達が国家として慰安所の設置、維持に関与していたことは、正当化出来ません。

◆強制連行の有無にかかわらず、金銭の受理の有無にかかわらず、制度として女性の性を利用することは、過去であれ今日であれ、許されないという根本問題に目をつぶり、強制連行の有無に焦点をずらしても、国際的な理解は決して日本側に味方しません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  孫崎亨「13歳からの日本外交」(かもがわ出版)
2019712日(金)

 

 

<その6>
◆日本は中国の核兵器から米国の「核の傘」で守られていると一般的には認識されています。しかし、「核の傘」など初めからありません。

◆インドネシアでは、国民の約75%がイスラム教徒です。同じく、マレーシアはイスラム教を国教としています。タイは仏教徒が95%です。フィリピンは人口の90%がキリスト教徒です。中東ではキリスト教徒とイスラム教徒は共存できないと言われています。

◆「虐殺があった頃、私は南京にはいなかった。でもこのことは、言ってあげる。あの当時、日本軍は食料品を持たずに中国各地を襲っていた。食料品はどうするか。現地調達です。食料品を現地調達しようとすれば村人とどうなるか。戦う相手は殺します。」


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  孫崎亨「13歳からの日本外交」(かもがわ出版)
2019711日(木)

 

 

<その5>
◆日本の農民は、本当に一生懸命に働きます。一生懸命働けば、結果として良質で量の多い収穫がでてくることに確信をもっているからだと思います。努力は実ることに疑問を持っているからだと思います。努力は実ることに疑問を持っていないと思います。他方、北アフリカでは一生懸命働くことと、収穫は必ずしも正比例しません。
@干ばつ A砂嵐 Bバッタの大集団の襲来 C他民族の収奪など様々なことが起こります。

◆日本と戦った相手国首脳、米国のトルーマン大統領、英国のチャーチル首相は9月2日の降伏調印式で終戦と位置付けています。では、日本は何故、この日を終戦としていないのでしょうか。この日以降の政治の実体を日本国民に知られたくなかったのです。降伏文書には次の条項があります。
「日本はポツダム宣言実施のため、連合総司令官に要求されたすべての命令を出し、行動をとることを約束する」


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  孫崎亨「13歳からの日本外交」(かもがわ出版)
2019710日(水)

 

 

<その4>
◆外交とは何か。自分の利益・価値観を100%実現させることを目指すのではなく、51点をめざし、なんとか48点、49点になることを避けるのが外交の役割です。
百点の外交とは相手国に零点を強いることになります。

◆米国にとって北朝鮮の核は過去10年ほど主要な問題であったが、北朝鮮にとっては米国の核の脅威は過去50年絶えず続いてきた問題であった。

◆日本のような社会では、ゴーイング・マイ・ウェイ型人間のたどる運命は社会から排除されるか、社会がこれを矯正してしまうかのいずれであろう。全学連の闘士の10年後の姿見れば、この矯正または排除が実に的確に行われているのがわかるであろう。(山本七平)


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  孫崎亨「13歳からの日本外交」(かもがわ出版)
201979日(火)

 

 

<その3>
◆第二次世界大戦後の国際秩序の柱の1つが、自由貿易でした。第二次世界大戦前、各国が高い関税をかけ貿易戦争の様相を呈しました。お互いに反発し第二次世界大戦発生の一因にもなりました。この反省から第二次世界大戦後、互いに関税を引き下げる体制を作りました。最初は、1947年のGATT体制(「関税及び貿易に関する一般協定」)、これが1995年の世界貿易機関(WTO)に発展しました。

◆「私達は家に鍵をかけます。それと同じように十分な防衛を行わなければならない」という論がしばしば、問われます。 この論は正しいのでしょうか。
私はこの比較は無理だと思います。
日本と戦争になる可能性があるのは、中国、ロシア、北朝鮮、韓国に限られます。
無数と言えるドロボーに対処する手段と極めて限られた国とに対処する手段は、根本的に異なります。もし、中国、ロシア、北朝鮮、韓国との間で外交的に問題がなければ、これらの国が攻めてくることはありません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  孫崎亨「13歳からの日本外交」(かもがわ出版)
201978日(月)

 

 

<その2>
◆第二次世界大戦以降、日本での認識は低いのですが、どこかの国がどこかの国を取りに行くことはなくなりました。今日、武力紛争は、@領土問題 A内乱の拡大 B米国の民主化を目指す動き関連の3つのカテゴリーに限定されています。

◆彼等は、植民地の試みは軍事的財政的に多大な負担を与えることを知っているのです。

◆CIA(中央情報局)は、世界最大の諜報機関です。このCIAのサイトには「各国比較のガイド」というコーナーがあり、購買力平価ベース・GDP(国内総生産)での順位が出ています。2017年では、次の順位です。
1.中国 2.EU 3.米国 4.インド 5.日本 6.ドイツ 7.ロシア 8.インドネシア 9.ブラジル 10.英国 11.フランス 12.メキシコ 13.イタリア 14.トルコ


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  孫崎亨「13歳からの日本外交」(かもがわ出版)
201975日(金)

 

 

13歳からのとタイトルにはなっているが内容的にはかなり難しい。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆考えてみると、人間というのは実に勝手な動物です。自分の利益になるのを「益虫」といい、害になるのを「害虫」と呼び、後者を殺すことに何の躊躇もしません。こうした心理は国家を含めた人間社会全体にもあって、自分の利益に合致する人を「仲間」(国レベルでは「同盟」)と位置づけ、利益に反する人を「敵」と位置付けます。

◆日本とドイツは共に第二次世界大戦で敗れました。しかし、両国とも奇跡的な経済発展を遂げました。ただ、外交になると、ドイツは近隣諸国と良好な関係を持っています。
一方、日本は近隣の中国、韓国、北朝鮮、ロシアとの関係が良好ではありません。何故でしょうか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
201974日(木)

 

 

<その22>
◆弘兼憲史さんという人は、時流に合わせて生きていく人です。その時どきで一番受ける話を描いたということでしょう。夫人である紫門ふみさんが「あの人には思想はない」と、ある雑誌でコメントしているのを読んだことがあります。

◆司馬さんは本職の歴史家ではないし、あくまでも娯楽小説の作家として、わかりやすく、一般受けしそうな物語を書いていたに過ぎないと、私は思います。問題は、読む側のほうで、これは小説なのだとわきまえながら楽しく読めばいいものを司馬さんの書くことが、そのまま歴史の真実だと思い込んだ人が多すぎるということです。司馬さん本人にも、そういう自覚があったはずです。

◆欧米というか、日本以外の国は、予防接種というものの第一義的目的をはっきり社会防衛だと割り切っているところが多いです。それで社会防衛になるのだったら、ときに副作用が現れ、犠牲者が出てもそれは仕方ないという考え方です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
201973日(水)

 

 

<その21>
◆中曽根さんたちにしてみれば、原爆を日本は作れない。しかし、作るのは難しいけれども、潜在的な核大国でありたい。という意志が最初からあった。だから、初めは平和利用という各自で電力会社に原子力発電を作らせたのですね。試験炉の実験を経、茨城県東海村で最初の原子力発電が行なわれたのは、1963年(昭和38)10月26日。これを記念して毎年10月26日は原子の日となっています。

◆経済成長は、みんなが幸せになるための有力の手段になりうるかもしれないけれども、目的ではない。目的にしてしまうと、それ以外の大切な価値、人命とか人権とか安全とか、そういうものを排除してしまうことになります。

◆安倍政権の経済政策の柱の1つに、なぜかあまり報じられない、重要なメニューがあるのをご存知でしょうか。
「インフラシステム輸出」が、それです。社会資本の整備が遅れがちな新興成長国群に対して計画的な都市施設、道路、電力網、ダム、水道などのインフラをコンサルティングの段階から設計、施工、資材調達、完成後の運営・メンテナンスまで含め、「官民一体」の「オールジャパン体制」で受注し手がけていくものです。
このインフラシステム輸出の中核にあるのが、原発です。それ故、安倍首相は海外でのトップセールスに熱心です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
201972日(火)

 

 

<その20>
◆アメリカの軍事的シンクタンクであえて、尖閣諸島を東京都が購入すると発言したのは、絶えず極東に緊張を作っておきたいアメリカの意図には逆らいませんよ。というメッセージの発信だと、世界は受けとめます。あの人はいつもそうですが、愛国者きどりの石原さんがアメリカにいいように乗せらせてしまったというのは、なんとも情けない話で迷惑千万です。

◆2019年(平成31年)2月現在、民放連は、国民投票に臨んで賛否両陣営から出稿される広告には、一切の規制をもうけないという主張を続けています。
広告も表現の自由だという理屈だそうですが、そうでしょうか。ジャーナリストの取材や知見、良識などの一切を総動員して制作される番組と金しだいでどうにでもできる広告が同列に論じられてよいはずがありません。規制がなければ、財界をもバックにできる改憲派が圧倒的に有利なのは目に見えている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
201971日(月)

 

 

<その19>
◆全国の小中学校や高校に配られている「オリンピック読本」には、ところどころ嘘が書かれています。参加国の選手が3位以内に入賞すると表彰台に立ち国旗が掲揚されて、国歌が演奏される。などと書いてあります。しかしながら、オリンピック憲章に定められているのは、「選手国の歌」であり「選手国の旗」であって、国歌でも国旗でもありません。そもそも国単位で参加しているとは、限らない。香港とかマカオみたいに地域で参加するところもあります。国単位だというのなら台湾が参加するのもおかしい。という話になりかねません。

◆もうひとつおかしいのは、ボランティアです。先にも述べた教育基本法の改正以来、高校生にはボランティアが義務づけられるようになってきました。ボランティアは、本来、自ら進んで社会貢献するものなのに、それを義務付けられて、評価の対象にさえされてしまった。考え方としては、徴兵制度とよく似ています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019628日(金)

 

 

<その18>
◆テレビのワイドショーの司会や報道番組のコメンテーターまでお笑い芸人を見ない日はありません。頭の回転がが速くて、賢い人も多いというのが一般の理解かもしれませんが、単なる反射神経で、重要なニュースをネタにしてまぜかえしたり、堅い話、とくに政治や経済のは話となると、自分の保身のために、話しているとしか思えない場面にしばしば遭遇します。こう言えば、テレビ局の上の方が広告代理店が喜ぶと、そういうことで、コメントしているような気がしてしょうがありません。いわゆる「空気を読む人たち」ですね。ネトウヨみたいな多いので、辟易しています。
典型が「ダウンタウン」の松本人志さんでしょうか。松本さんは「ワイドショー」などの番組で、しきりに安倍バンザイ。政府は正しいと繰り返しています。なにかというと自己責任論を唱えます。 

◆コンビニが便利になりすぎたため、消費者の振る舞いがおかしくなってしまった。という話をセブンイレブン加盟店のオーナーに聞いたことがあります。トイレを使わせてくれと言ってきた客が、汚したまま流さないとか、ひどいのが、麻薬を打って注射器を捨てていくとか、そんなことが日常茶飯事なのだそうです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019627日(木)

 

 

<その17>
◆明治維新の頃から、日本で力のある人間というのは、欧米というか、米英の傀儡だったのではないか。日露戦争の戦費の半分以上は、アメリカ、イギリスに売った外債だったという話をしました。あちらにはあちらの事情があって、とくにイギリスはアフリカでボーア戦争を戦っていた時期で、そちらに手がかかっていた。ロシアの脅威を感じてはいても、自分で戦争する余裕がないので、極東日本にやらせた。そういう側面が強いといいます。

◆昭和の末期に国鉄が民営化され、キヨスクの経営も鉄道弘済会からJRの子会社に移りました。それでも弘済会は新聞や雑誌の卸は続けていたのですが、2018年10月彼らはこの仕事から撤退してしまったのです。
キヨスクにおける新聞・雑誌の売り上げは1993年(平成5年)がピークで直近の2017年には10分の1に縮小しています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019626日(水)

 

 

<その16>
◆私が会ったとき、中山正暉さんが「斉藤さん、私は怖いんです。」と言い出したのは驚きました。何かと問えば、「公安警察が」と言う。「この国の公安とはいったい何んだ」と。あなたたちが動かしている組織じゃないですかと返したら、「そうではありません」「公安は得体の知れない力を持っている」と彼は話していました。

◆アメリカという国は、これ以上がないほどに、官民一体が徹底した国なのです。なるほど、資本主義だ。企業活動の自由度はすさまじく高いけれども、なにしろ多国籍企業の利益が第一という点で完全な価値観が一致しているので官民がそれぞれ異なるアプローチで同じ目的に向かって邁進する。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019625日(火)

 

 

<その15>
◆金丸信さんは、自民党の黒幕とか、「影の総理」などと呼ばれていた。1990年(平成2年)、社会党の田辺副委員長らとともに訪朝し、金日成主席と会談・過去の植民地支配を反省、謝罪し、戦後賠償に関する約定を交わしてきました。金丸さんには、「角さんが日中なら、俺は日朝国交正常化だ」という腹があったのではないでしょうか。 うまく行っていれば、と嘆かずにはいられません。
ところが、それを国内では土下座外交と言われた。金丸さんは みるみるうちに立場を失っていきました。

◆角栄さんや金丸さんの晩年には共通項ありました。日本の保守にも、戦争責任を感じていたり、ことに中国や朝鮮半島への贖罪意識から深い反省を示して、なんとか国交を回復しよう、仲良くしようと努力した政治家たちはいたのです。でも、それをやったら失脚する。おそらくアメリカに潰される。
この極東に絶えず緊張を作り出しておかないといられない勢力が日本にもアメリカにもいるということではないでしょうか。彼らは虎の尾を踏んでしまったのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019624日(月)

 

 

<その14>
◆このときが最初だったのか、それ以前からなのかは、釈然としませんが、小泉一族というのはアメリカの代理人一族として位置づけられているのではないかと思います。純一郎首相による構造改革は、日本の国富をアメリカへの移動そのものだし、彼の次男である小泉進次郎さんもまたアメリカのCSIS(戦略国際問題研究所)に長く席を置いていました。

◆それから7年間の辛抱強い計画が岸を戦犯容疑者から首相へと変身させた。(中略)
岸は日本の外交政策をアメリカの望むものに変えていくことを約束した。アメリカは日本に軍事基地を維持し、日本にとって微妙な問題である核兵器も日本国内に配備したいと考えていた。岸が見返りに求めていたのは、アメリカからの政治支援だった。

◆CIAは1948年以降、外国の政治家を買収し続けていた。しかし、世界の有力国で将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は、日本だった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019621日(金)

 

 

<その13>
◆日本で権力を握っている層というのは、そういう構造の中でその地位があるから、絶対に変えさせないのですね。だから、いの一番に改めなければならないはずの日米地位協定にしても、絶対に手をつけようとしない。簡単に言うと、日本で高い地位につく人間の最大の条件は家柄です。昔と違って皇室との距離とかではなくて、要はアメリカによる統治にいかに貢献した家柄かそうでないかの差。大日本帝国の立役者のひとりで、A級戦犯として処刑されるはずが、釈放されて総理大臣にまでのぼりつめ、日米安保の改定を強行した岸信介元首相を祖父とする安倍さんは、アメリカにとっては最大の功労者一族です。

◆東京オリンピックが開かれ、東海道新幹線が開通した1964年という年は、生存者叙勲が復活した年でもありました。叙勲は古い封建制度の名残りでもあるので、戦後はGHQによって禁止されていたのです。それが戦後20年を前にして復活しました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019620日(木)

 

 

<その12>
◆安倍晋三首相は、なにかにつけて「明治に学べ」「明治に倣おう」と施政方針演説などで繰り返します。2018年(平成30年)は「明治150年」に当たるとして、10月22日に記念式典を開きました。政府は大はしゃぎでしたが、一般的な盛り上がりには欠けていたのが救いです。

◆日本の近代化というのは、とどのつまりイギリスやアメリカに頭を撫でてもらうための歴史だったののではないか、と私は、最近、そんなことばかりを思って、煩悶しています。「有色人種が白人に勝った初めての戦争」だなんて自画自賛したがる人の多い日露戦争にしても、アメリカとイギリスに国債を買ってもらって戦費を調達したのです。彼らの代理戦争を戦わされたのだという議論もあるほどですが、勝って調子に乗り、満州の権益に手を伸ばし始めたのが嫌われて、潰されてしまう結果になりました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019619日(水)

 

 

<その11>
◆ベトナム戦争当時、反戦運動をしている人はたくさんいました。広く報道もされていましたから、まるで日本中が戦争に反対していかように見えたのですが、決して、そんなことはなかった。大方の人々はむしろベトナム戦争を歓迎していたのではなかったか。ただ、その構図が見えにくかっただけなのだと思います。

◆興味深いことに、こうしたベトナム戦争と高度成長の関係は経済書のどんな本を読んでも、まず、触れられていません。この点は朝鮮戦争と対照的です。

◆戦後のアメリカはずっと日本に朝鮮戦争やベトナム戦争で稼がさせてくれ、あるいは、アメリカ国内の市場を解放して、これまた稼がせてくれた。その代わり軍事的にも政治や外交、経済、社会、文化あらゆる領域で、この国への支配力を高めてきました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019618日(火)

 

 

<その10>
◆平成史における新自由主義は、しかし日本の政財官界が独自に進めたものではありません。アメリカ政府が送りつけてくる「年次改革要望書」にしたがって、遂行されていたのです。開始されたのは1994年(平成6年)11月。前年7月の宮澤喜一首相とビル・クリントン大統領の会談で決定された流れでした。

◆平成最後の時点で、オリックスやソニー、都心の一等地を多く保有している三井不動産といった有力企業の外国人持ち株比率は優に50%を超えています。また、三菱地所やトヨタ自動車の外国人持ち持株比率も50%に近づいています。

◆実は辺野古で計画されている滑走路は約1,800メートルしかありません。2,700メートルある普天間より短いので、それだけでは基地機能の移設にならないというのです。米軍側は那覇空港を緊急時に利用することを考えているといいますが、県内のコンセンサスを得られることは考えにくく、辺野古が完成しても普天間飛行間は残される可能性は小さくないというわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019617日(月)

 

 

<その9>
◆あの頃はよく「9・11で世界が変わった。」などという言い方がはやりました。私はそれがものすごく嫌だった。アメリカはいつだって戦争ばかり繰り返してきたではないか。自分は攻撃されずに相手を殺しまくるのが当たりの国際秩序で憎まれて攻撃されたら驚いたり嘆いたりって、どういう了見だ、と考えるから。この思いは今も変わりません。

◆商売相手の文化とは邪魔なもの、忌むべきもの、ぶち壊すべきものだという思考には、唖然とさせられた。そうかアングロサクソンというのは、そうやって世界を制覇してきたのだな。とつくづく思ったことでした。

◆テロを戦争に拡大させたのは、アメリカですよ。しかもああまで一方的な被害者気取りでそれをまた日本国民が丸ごと同調するのが不思議でしょうがなかった。

◆新自由主義には当然、縁故主義も初めから含意されています。要はコネも競争力のうち。そして本当はそのコネが一番大きい。企業のコスト競争力というのは、一定以上のレベルになれば、それほど変わるものではありませんから。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019614日(金)

 

 

<その8>
◆新自由主義という強い者が勝ち、弱い者が死ぬという思想でも優生思想は必然です。むしろ、現代の優生思想は、この新自由主義とセットになってはびこってきたと言っても過言でありません。

◆サッチャー政権の頃のイギリスで、日本では平成になる以前でしたが、65才以上の人工透析の補助金をすべて打ち切ったことがあります。透析しなければならないほど、腎臓を侵された人は、やめてしまえば、死を待つだけです。

◆裁判員制度の狙いは、建て前的には裁判への市民参加です。専門家だけではない、市民の判断を司法の場に持ち込もうということ。そのとき言われたのが、日本では刑事裁判で起訴されると99%は有罪になるが、これはおかしい。それは、裁判に市民目線がないからだ。という理屈でした。それに風穴を開けるのだという意義が最初は強調されていたのです。しかし、いざ裁判員制度が実現してもこの状況は一向に変わりません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019613日(木)

 

 

<その7>
◆特定秘密保護法案が成立したのは、2013年12月のことでしたが、成立翌日の朝日新聞が実に興味深かった。1面トップで、成立の事実を大々的に報じ、その横に編成局長名で「それでも我々は知る権利のために戦うぞ」という旨の宣言が揚げられていた。実に威勢のいい立派な文章でした。
ところが同じ紙面の5面か7面には、先ほど話した消費税の軽減税率に関わる記事が、ただし、ものすごく小さく載っていたのです。「日本新聞協会は自民党税制調査会に要望書を出しました」「その自民党税調は受け取ってくれました」「オネダリがうまくいくかも」みたいなことが書かれていた。1面トップのカッコよさが台無しです。これを読んだ「安倍政権の人間は、きっと大笑いしたでしょうね。」

◆日本と北朝鮮はとてもよく似ている。いまはまだ日本のほうが巧妙であからさまな度合いが小さいが安倍政権の目指す方向は、彼らとほぼ同じだ。違うのは、それが社会主義によるのか、資本主義によるのかという点だけだ。 政治体制が異なっていても、権力者の号令一下で個人と家族が同じ方向を向くという点では同じです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019612日(水)

 

 

<その6>
◆一般の刑事事件をこんなふうに科学捜査を駆使して捜査してくれたら、たしかに解決するケースも増えるかもしれませんが、それにしたって、監視や権力による個人監視の危険性に無頓着すぎる。監視は刑事事件より思想の取り締まりに活用されるためにこそあるという視点が完全に抜け落ちています。住基ネットや盗聴法(通信傍受法)が制定された1999年「科捜研の女」の放送が始まったというのも、あながち、偶然ばかりではないでしょう。

◆かつてのように、事件記者とか弁護士とか在野の人間を据える作品は、風当たりが強いが刑事や検事を英雄にし、権力側に寄ると、とたんに万事がうまく運ぶ―とは、テレビ局のベテラン制作者に聞いた話です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019611日(火)

 

 

<その5>
◆実は軽減税率が閣議決定された前後の数ヶ月のうちに国会でも30回ぐらい、新聞の軽減税率の問題に関して論戦が重ねられていたのです。質問したのは主に民主党や維新の会でした。だけど、新聞にはそんなことまったく載らない。

◆「本当は困っている。でも消費税は国策だ。もろに、反対したら共産党と同じ立場になる。我々はあくまでも体制内のエンタブリッシュメントのインナーサークルにいたいのだ。だから消費税には絶対に反対しない。その代わりに補助金をいただけばよいのだ。」(日本商工会議所の幹部の発言)
厄介なのは、日ごろはリベラルと見なされる経済学者たちに増税万歳派が少なくないことです。福祉を充実させるためには、仕方がないと彼らは言います。

◆2013年12月に「社会保障制度改革プログラム法」が成立しています。この法律は、社会保障というものの定義をそれまでと一変させてしまいました。公助、公の助けではなくて、自助、共助のサポートというふうに変えた。ということは、国や自治体は必ずしも苦しい人を助けなければならないことはない、という意味です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
2019610日(月)

 

 

<その4>
◆父の帰還を11年間も待たされた母もまた、東京大空襲の被災者でした。空襲の被害者や被害者遺族は、のちには国に賠償を求める裁判をいくつか提訴しましたが、すべて却下です。国はどこまでも国民の「受忍義務」を言い募り、司法がこれを当然のように認めた。政府が始めた戦争で、国民がどれほど犠牲にされようとそんなもの知ったことか、我慢せえ、と。国家というのは、とことんふざけているものだと、私は思います。

◆いまや、日本社会はスマホで動いているよなものですし、30代以下の世代ともなると管理社会や監視社会に対する抵抗感もまったく見えない。人間は監視されて当たり前:それがいけないなんて、あんた、頭おかしいんじゃにの?って顔を近頃はよくされますもの。平成とは、監視が常態化した時代だったとも整理できるでしょう。

◆レーガン大統領やパパ・ブッシュ大統領は、あちらの財務省に、「日本の消費税のような税制を導入したい」と言い出しました。
ところが検討の結果、あちらの財務省はどうしたか?「大統領、それはいけません」と忠告してやめさせた。なんてなれば不公平すぎる。下手をすれば暴動だと諫言したということです。あの、弱肉強食の金持ちは人にあらずのアメリカでさえねという話です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
201967日(金)

 

 

<その3>
◆早い話が女性を働かせて労働者の供給を倍にすれば、1人あたりの人件費コストを下げられる。という論法です。いま「女性活躍」と言われているのは、すべてこちらの文脈です。本質的には、天と地ほど異なる発想であるはずなのですが、「女性が働きやすい」と「女性も働くしかない」がなぜか一緒くたにされているのですね。

◆戦後、間もない頃に「農地解放」がありました。GHQの命令で自分では農業をやらずに小作人から小作料を取っていた寄生地主が貸していた土地を小作人に安く売らなければならなくなった。「農地改革」と言いますが、小作地の80%が農民自身の所有になり、農民側から見れば「開放」なので、私はこちらを採りたいと思います。

◆日本を離れていたのは、たったの1年間だけなのに、成田空港に着いたとたん、かなりの違和感を抱いたことを覚えています。多様な人種が混在している社会に半端になれたせいか、周りの人がみんな同じ人種であることが、しばらくの間、なんだか不気味に思えてなりませんでした。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
201966日(木)

 

 

<その2>
◆特筆すべきは、彼らが世界最大の自国マーケットを日本にほとんど開放してくれたこと。日本の経済成長はNHKの「プロジェクトX」が持て囃していたような、日本人自身の勤勉さとか、努力など関係なかったとまでは言いませんが、何よりも東西冷戦、その下における朝鮮戦争、ベトナム戦争に伴う直接・間接の時需のおかげだったのです。

◆日本国内は日本国内でアメリカにひたすらひれ伏し、国民をして彼らが喜ぶように操ることの見返りで偉くしていただいた人やその一族ばかりが 権力を世襲するのが普通になってしまった。平成とは、そうした流れでほぼ定着した時代だったということです。後世の人びとに遡られたら平成とは20世紀以降で最悪の時代だったというのが定説になりかねないかもしれません。ただ、その平成も終わりを間近に控えていた2018年の師走に改正入国管理法と改正水道法案が 相次いで可決成立されたのが、気になります。前者は外国人労働者の大量流入を促し、後者は命の根幹である水が外国資本に委ねられる可能性を聞くものに他ならないからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  斎藤貴男「平成とは何だったのか」(秀和システム)
201965日(水)

 

 

斎藤氏のなかなかの力作である。
以下、本書よりおインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆司馬遼太郎氏が「明治はよい時代で、昭和は悪い時代」と簡単に定義してしまい、それをまた普遍的な真理だと思い込んでいる人が多いのには辟易しますが言うまでもなく、そんなバカな話はあり得ない。昭和の戦争の時代が酷い時代だったのは、間違いなくても、その萌芽が明治にあったのは歴史的事実です。

◆たとえば、私は憲法9条を支持する派ではありますけれども、あれは、もともとが日米安全保障条約とセットであるわけです。突き詰めてしまえば、とどのつまりは、アメリカの都合で決められたものだ。その後の日本は端的には「逆コース」で示されていたように、中国やソ連に対するアメリカの防波堤 すなわち不沈空母としてのみ生存を許されていたとさえ言える。地政学的と言うのですが、地理的な位置関係とあとはアメリカにとって便利な基地の島として、ですね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  香山リカ「皇室女子〜鏡としてのロイヤル・ファミリー〜」(秀和システム)
2019522日(水)

 

 

<その6>
◆皇室の環境に自分と適応させようと努力してきましたが私が見るところ、そのことで疲れきってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。

◆小和田雅子さんが皇太子妃に内定したときい、私のまわりの女性たちは声をひそめてこう言った。
― 本当に気の毒に。なんとかしてお断りするわけにはいかなかったのかしら。

◆「外交官として働くのも皇室の一員になるのも国のために働くという意味では同じ」という皇太子さまの言葉を信じて、結婚というより転職するかのようにして皇太子妃になっていった。
しかしあれほど優秀な雅子さまにとっても、いや優秀だからこそ「自由」のほとんどない皇室の生活に適応するのは、あまりにむずかしかった。そしてようやく念願の第一子である愛子さまを生んだあと、雅子さまは長い長い療養生活に入った。

◆もっといえば、多くの人にとって、皇室はもはや単に尊敬すべき対象ではなく、自分をそこに写して、いろいろ考えさせてくれる対象だからこそ、誰もが皇室にはいつまでも続いてほしいと願っているのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  香山リカ「皇室女子〜鏡としてのロイヤル・ファミリー〜」(秀和システム)
2019521日(火)

 

 

<その5>
◆雅子さまの「複数の明らかなストレス要因」とは何であろう。医師団の見解では具体的にされていなかったが、これまでの雅子さまの発言や行動を見ると、それはやはり「皇室に入ったこと」「外国に行くのがむずかしかったこと」「愛子さまを望み通りのやり方で育てられないこと」などであろう、というのは誰でも想像がつくことだ。

◆雅子さまも「目標、計画、努力、達成」の人生を歩んできた人だ。それが皇室に入り「国民にために祈る」とか「世継ぎをもうける」といった漠然とした目標、あるいは努力してもそれが結果につながらない課題を突きつけられる中で、次第に心身にストレスを感じるようになっていったのだ。勝間さんのように「努力をすれば明らかにそれに見合った成果が手に入る」という世界にいれば、雅子さまは「適応障害」になどになることはなかったであろう。

◆そして、当時の社会にはそういう女性がたくさんいたのである。つまり、「努力しすぎてそれがストレスとなって、うつ病になった」 のではなくて 「努力ができないことがストレスとなってうつ病になった」 という女性たちだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  香山リカ「皇室女子〜鏡としてのロイヤル・ファミリー〜」(秀和システム)
2019520日(月)

 

 

<その4>
◆私のまわりでも、いわゆる「雅子さまクラス」の女性は、ほぼ全員年上の外国人と結婚している。彼女たちは決して尊大ではなくむしろフランクな人柄なのだが、同世代の日本人男性は怖じ気づいて近寄ろうとしないのである。

◆つまり妊娠じたいかなりの「偶然の産物」であり、実際には不妊のカップルというのは、意外に多く、いまは10組に1組の割合というのが通説になっている。

◆その「公園デビュー」が失敗に終わったあたりから雅子さまは公務を欠席することが多くなり、その年の12月の帯状疱疹のための入院から長期療養に入ったことは、本書のプロローグで述べた通りである。

◆2009年に入り、実家の軽井沢の別荘での療養、その後、帰京しての東京での療養が続く雅子さまであったが2009年7月についに「東宮職医師団」の名義で正式な「病名」が公表された。その病名は、身体の疾患ではなく「適応障害」というメンタルな疾患であった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  香山リカ「皇室女子〜鏡としてのロイヤル・ファミリー〜」(秀和システム)
2019517日(金)

 

 

<その3>
◆その日、天皇は雅子さまにこう語りかけられたと伝えられている。「国民みんなが待っているからね」
すると、雅子さまは色をなしてこう返事をされた。
「私の友達にそんなことをいう人は一人もいません」
あまりのおっしゃりように周囲は唖然としてしまったという。

◆しかし、実は世界的な流れから見ると子どもを持つことについて、その当事者である夫婦以外の誰かが、たとえ、その親であっても口をはさむのは「人権侵害」ということになりつつある。

◆雅子さまが結婚し愛子さまを出産するのは2001年になってからのことである。
その誰もが結婚から8年目の出産、敬宮愛子内親王の誕生を喜びながらも心の中では、「でもお世継ぎの問題はまだ解決していない」と思ったことであろう。
皇太子夫妻のミッションは、ただ「子を成すこと」ではなくて「天皇となる資格をもつ男子を成すこと」であるからだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  香山リカ「皇室女子〜鏡としてのロイヤル・ファミリー〜」(秀和システム)
2019516日(木)

 

 

<その2>
◆つまり皇太子は、雅子さまが「美人で話もおもしろい。あなたのような女性とどうしても結婚したい」といった言葉より「皇室の一員として国のために働きませんか」という言い方のほうが雅子さまの心を動かすに違いないと考え、そして、それは、ズバリ的中したのだ。

◆雅子妃で本人は、「皇室外交の担い手になる」という意気込みで結婚されたのだと思います。実際、それを期待させる言葉で皇太子は雅子妃を口説き落としている。しかし、いざ結婚してみたら、求められるのは、跡継ぎの出産のことばかり。皇室外交への期待の声などほとんどない。前に出て自分を主張したり能力をアピールすることは、皇族らしくない振る舞いとして疎まれ、変人扱いされてしまうのですから行き詰まって当然でしょう。
雅子妃が皇室祭祀に参加しないことへの苦情もよく聞きますが皇室祭祀は自分の存在をアピールできるような外交のような場とは、対極的な滅私の場だから。雅子妃には参加する意味が見い出せないのではと思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  香山リカ「皇室女子〜鏡としてのロイヤル・ファミリー〜」(秀和システム)
2019515日(水)

 

 

なかなかの力作である。ソフトな天皇制批判といったところである。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1> ◆逆接を乗り越えた人たちの心理的特徴をさらに研究すると、そこには「厳しい状況でもネガティブな面だけではなく、ポジティブな面を見い出すことができる」という共通点があることがわかってきた。美智子さまのすごさをあえて言葉にするとしたら、それは、この「レジリエンス」ということになるのではないのか。

◆しかし美智子さまにとっては、たぐいまれなるレジリエンスが思わぬ「副作用」をもたらすことがある。それは、「自分の身近にいて、自分のようなレジリエンスを持ち合わせていない人」にうまく共感することができない。ということだ。そのひとりが雅子さまであった。

◆雅子さまの特徴は「まじめだが融通がきかない」ということである。決められた目標に向けて計画を立て、それに向けて努力する。というのが、雅子さまがいちばん得意とするところだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  矢部宏治「知ってはいけない2」(講談社)
2019228日(木)

 

 

<その8>
◆アメリカ政府と数多くの重大な密約を結び、しかし、その存在を否定して、過去の資料を捨てつづけた結果、日本はいわば「記憶をなくした国」になってしまったのです。それは同時に日本がアイデンティティ(自己同一性)を喪失した国になってしまったということでもあります。

◆外交というのは、けっして軍事力だけが武器ではない。「論理」と「倫理」、そして「正義」が現実の世界においても非常に大きな力になる。そのことを証明してくれた文大統領に心から感謝したいと思います。

◆ローマ帝国は、権力、富、快楽に対するあくなき追求をよしとするこの上に建てられた帝国だった。それが成長期には、ローマの活力源となり、対外発展の原動力となっていた。しかし、衰退期には、その同じものが社会を解体させ帝国を崩壊に導いたのである。(略)
はじめ成功をもたらしたものが、やがて失敗を導くようになり、はじめ良しとされていたものが、やがて悪しきものと変わることに歴史の弁証法がある。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  矢部宏治「知ってはいけない2」(講談社)
2019227日(水)

 

 

<その7>
◆たしかに、私がここまで説明してきたことを列挙すると、
「アメリカは日本を防衛する義務はない」
「しかし、日本の国土を自由に軍事利用する権利を持つ」
「日本の基地から自由に出撃し、他国を攻撃する権利を持つ」
「戦場になったら、自衛隊を指揮する権利を持つ」
「必要であれば、日本政府への通告後、核ミサイルを日本国内配備する権利を持つ」
という事になりますから、まさかそこまで不公平な二国間関係が、21世紀のこの地球にあるはずがないだろうと思われるかもしれません。

◆はたして、そうした問題を「憲法には指一本ふれるな」という従来の方針のもとで、解決することができるのでしょうか。私はできるとは思いません。この際限のない「米軍支配体制」から抜け出し、正常な民主主義国家として生まれ変わるためには、歴史上民主主義を勝ち取ったすべての国と同じように、最終的にはそうした歪んだ現状を違憲とするより民主的な憲法をつくってその旗のもとに結集し、独裁政権を打倒するしかないのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  矢部宏治「知ってはいけない2」(講談社)
2019226日(火)

 

 

<その6>
◆しかも、よく考えてみると、アメリカが日本に「核の傘を差しかける」ために、特別にかかるコストはゼロなのです。にもかかわらず、その見返りとして、旧安保時代は日本の国土の軍事利用が全面的に認められ、さらに新安保時代になると、それに加えて自衛隊の軍事利用計画と巨額の兵器購入計画までが、着々と進行しつつあるのです。

◆なぜなら、「旧安保条約と行政協定」の代わりに、その条文の組み合わせを変えただけの「新安保条約と地位協定」を与えられ大喜びして国土の軍事利用権だけでなく、自国の軍隊(自衛隊)の指揮権や、巨額の兵器購入費などを言われるままに差し出しているのが、現在の日本と言う国の姿だからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  矢部宏治「知ってはいけない2」(講談社)
2019225日(月)

 

 

<その5>
◆そうした「日米安保体制」のコンセプトをアメリカ政府と共有することで、権力の座についた自民党政権にとって、「東アジアにおける共産主義勢力の脅威」は永遠に存在し続けなければならないものなのです。

◆富士山の東側のふもとには、広大な自衛隊基地(北富士演習場と東富士演習場)が広がっています。ところが、現実にはこれらはすべて事実上の米軍基地なのです。というのは、日米合同委員会における密約によって米軍が年間270日間、優先使用する権利が合意されているからです。

◆アメリカの航空機や船は、いつでも日本の港や飛行場に自由に出入国できる条約上の権利をもっており、日本政府にそれを許可するとか、しないとかいう権限はまったくないという意味だ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  矢部宏治「知ってはいけない2」(講談社)
2019222日(金)

 

 

<その4>
◆もし、アメリカが岸の権力固めを支持してくれるなら、新安保条約を通過させ、左翼勢力の台頭を抑え込める、と言った。岸はCIAから内々で一連の支払を受けるより、永続的な財源による支援を希望した。

◆1957年6月、囚人服を脱ぎ捨ててからわずか8年後に、岸は[首相として]アメリカ訪問を実現させた。ヤンキー・スタジアムで始球式のボールを投げ、アメリカ大統領とともに白人専用のカントリー・クラブでゴルフをした。ニクソン副大統領は、上院で岸をアメリカの偉大で忠実な友人と紹介した。

◆では、その岸が、アメリカ政府から評価された最大のポイントはどこだったのか。もっとも大きな理由は、当時アイゼンハワー政権が進めていた、核兵器を中心とする世界規模での安全保障政策(ニュールック戦略)にありました。これは、ダレスが1953年に考案した軍事戦略で、簡単に言えば、高度な機動力を持つ核戦力をソ連のまわりにぐるりと配備し、そのことで、アメリカの陸上兵力を削減して、「冷戦における勝利」と「国家財政の健全化」を両立させるという一石二鳥を狙った計画でした。
その戦略の中で、もっとも重視されていたのが、同盟国から提供される海外基地のネットワークと、そこでの核兵器の使用許可だったのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  矢部宏治「知ってはいけない2」(講談社)
2019221日(木)

 

 

<その3>
◆有馬教授は岸に関するCIA文書について、「CIAの岸ファイルには、ニューヨーク・タイムズの記事の切り抜きなどが数枚入っているだけだ。残っているはずのほか(大量)の文書や記録をいっさい公開していないのは彼が非公然にアメリカのためにはたした役割がきわめて大きく、かつ、公開した場合、現代の日本の政治にあたえる影響が大きいだろう。」と述べています。
はっきり言えば、岸の孫である安倍首相が日本の政界で主要な政治的プレイヤーでいるあいだは、そうしたファイルは、絶対に公開されないということです。

◆「岸は、日本の外交政策をアメリカの望むものに変えていくことを約束した。アメリカは、日本に軍事基地を維持し、日本にとって微妙な問題である核兵器も日本国内に配備したいと考えていた。岸が見返りに求めたのは、アメリカからの政治的支援だった。」(アメリカ大統領の首席公使だったグラハム・パーソンズの証言)


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  矢部宏治「知ってはいけない2」(講談社)
2019220日(水)

 

 

<その2>
◆ところが日本の場合は「アメリカとの軍事上の密約については、永遠にその存在を否定してもよい。いくら国会でウソをついても、まったくかまわない」という原則がかなり早い時点(1960年代末)が確立してしまったようなのです。

◆「事前協議がない以上、核兵器を積んだアメリカの艦船が日本に寄港することは絶対にない」という百パーセントの嘘をつきつづけたのでした。
この半世紀以上におよぶ国会での虚偽答弁こそ、その後、自民党の首相や大臣そして官僚たちが、平然と国会でウソをつき、さらにはそのことにまったく精神的な苦痛や抵抗を感じなくなっていった最大の原因だといえるでしょう。

◆日本の政治かの政策理解能力が低いというのは、よく知られた事実です。大臣なども、任期1年や2年でどんどん替わるため、ほとんど飾りもののような存在で、アメリカ政府との間で、英文で合意された複雑な密約の内容と、きちんと理解していなくてもまったく不思議ではない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  矢部宏治「知ってはいけない2」(講談社)
2019219日(火)

 

 

知ってはいけないシリーズの第2弾である。サブタイトルには、日本の主権はこうして失われたとある。以下本書より、インパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆ごく簡単に言えば、当時の吉田茂首相と日本の外務省が米側から「独立派させてやる。そのかわり、占領中と同じく米軍への軍事支援は続けると約束しろ。いいか。オレたちはいま、朝鮮半島で生きるか死ぬかの戦争をしているんだ。とにかく軍事の問題については、すべてオレたちのいうことを聞け。わかったな」と有形無形の圧力をかけられて結んだのが、旧安保条約と行政協定だったわけです。基本的にはそのときの米軍との法的な関係が今も続いている。

◆現在、外務省は、アメリカとの軍事上の密約をまったくコントロールできなくなっている。というのも、過去半世紀以上にわたって、外務省はそうした無数の密約の取り決めについて、その存在や効力を否定しつづけ、体系的な記録や保管、分析、継承といった作業をほとんどしてこなかったからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
2019218日(月)

 

 

<その10>
◆戦前・戦中の日本と、今の日本が似ているのは、それほど貧しくなく、どちらかというと享楽主義である点だと思います。政治への関心はどちらもあまり高くない。安倍首相が掲げるスローガンを鵜呑みにしているようでは、同じような過ちをまたやるんじゃないかと心配になります。

◆考えてみたら、「戦後〇年」と言っているのは、日本だけなんですね。他の国はどこも「建国〇年」です。私たちだけは、「戦後」を使っている。私たちの社会は戦前から戦後に連続しているんです。日本にとっての戦後の再スタートは、少なくとも建国ではなかった。新しい国づくりのような顔をして、戦後レジームをつくったけれども、これはまたすぐ元に戻りやすいものなのかもしれない。もともと政府の政策に同調しているほうが楽なのであるから。そんなふうに感じたりします。
(以上が、半藤一利)


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
2019215日(金)

 

 

<その9>
◆昭和20(1945)年3月10日の東京大空襲の犠牲者は、10万人にも上りますが、なぜそれほど膨らんだかと言うと、みんな消火活動をしていて、逃げ遅れたからです。焼夷弾は消せるから逃げてはならないという指令が来ていて、私も含めてたくさんの人がバケツで火を消そうとしていた。けれど、焼夷弾の火は、消せるなんて甘いもんじゃないんですよ。気づいたときは周囲が火と煙の海になっていました。

◆戦争をできる国にするためにいちばん大事なのは、憲法9条を変えて、自衛隊を軍隊にすることですが、安倍政権が狙っている憲法改正のもう一つの目玉は緊急事態条項でしょう。これがうまく織り込めれば、戦争国家体制つまり総力戦態勢をつくることができるわけです。

◆満州国を建国したところで、国際連盟が介入し「凍結しろ」と要求していれば、日本もそこで立ち止まったと思うんです。あそこまでつくりあげたものを「ゼロの状態に戻せ」というのであれば、やはりうまくいかない。リットン調査団は、ギリギリまで譲歩して調査報告書を出しました。日本はをそれをのめばよかったんです。日本の生命線が満州国だったのと同じように、核は北朝鮮にとって生命線になっています。北朝鮮はすでにポイント・オブ・ノーリターンを超えてしまった。まったくゼロの状態(非核)に戻すことは不可能だと思った方がいいでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
2019214日(木)

 

 

<その8>
◆世界恐慌から一番早く抜け出したのは日本だったんです。日本が貧しかった時代はせいぜい昭和7年くらいまで。日本は貧しいからやむを得ず昭和12(1937)年に中国と戦争を始めたという話はウソです。日中戦争なんか日本はやる必要なかった。生産力が上がって、いい調子になっている時代だったのですから。私は昭和5(1930)年の生まれですが、昭和12年くらいまでの日本の民衆の生活は大らかなもんでした。

◆戦争が始まった後もくらしは質素でしたけど、食えないということはなかった。食えなくなったのは戦後になってからです。そりゃ戦時下ですから「ゼイタクは敵だ」と、節約生活ではありましたが。

◆歴史を丁寧に検証したとき、もう後戻りできなくなる時点と言うのがあります。私はそれを「ポイント・オブ・ノーリターン」と呼んでいます。私に言わせれば、太平洋戦争のポイント・オブ・ノーリターンは、昭和15年9月に日独伊三国同盟を結んだ瞬間です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
2019213日(水)

 

 

<その7>
◆日本は戦争責任の総括をしなかったことで、確定した歴史を持たないまま、なんとなく民主主義の旗を掲げてきたに過ぎません。これに加えて近年は、社会の閉塞感が高まっているうえに、ネット社会の拡大で歴史や事実が意味を持たなくなり、多くの日本人が情緒と気分で生きるようになっています。けれども私たち有権者は、いまこそ歴史的な事実やあるべき原則を蔑ろにしてはなりません。

◆今は情報があふれている時代です。大人から子どももまで、スマートフォンを手にして、多くのニュースを流し読みします。そうすると、原則に照らして、物事を見る習慣が失われます。世の中を眺めるスタンスが個々の中で、確立されていないと、「おかしいでしょう」と思わなくなってしまいます。しっかりと目を見開いて社会を見ていないと危ないという危機意識が希薄です。自分のことで忙しいし、何とかなるだろうという慢心があるのだと思います。
(以上が、高村薫)


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
2019212日(火)

 

 

<その6>
◆その他にも、戦力を保持しないと書かれている憲法9条は、そのまま日本語として読めば、自衛隊の存在はあり得ない。けれども、実際に自衛隊は存在する。そういうものすごく微妙かつ曖昧なところで、私たちは戦後72年生きてきたのです。そして、だんだんと戦前を記憶する人が減り、勝手な歴史解釈をする政治家が出てきて、それを「復古」を求める人たちが支えているという構図です。

◆敗戦の総括ができなかったことはものすごく大きな負債です。教育基本法から「共謀罪」法の成立まで、結果的に立憲主義を否定する方向に動いていますが、そうなる一番の根本に戦後の出発点があります。私たち日本人はきちんと完全に戦争を否定しないまま、出発してしまいました。とりかえしのつかない私たちのくびきです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
201928日(金)

 

 

<その5>
◆第一次安倍晋三内閣の主導で、2006年になされた改正教育基本法の前文を見ておきたい。(旧法である1947年制定の教育基本法が「真理と平和を希求する」とした部分は、「真理と正義を希求」に修正された。「平和」が「正義」に変えられた点など象徴的だろう。さらに、第三次安倍内閣下では、2015年の文科省告示により、道徳の教科化が図られ、18年度からは小学校で、19年度からは中学校で、学習指導要領に基づいた、科目としての道徳教育が始まろうとしている。
(以上が、加藤陽子)

◆例えば、憲法には天皇は「日本国民統合の象徴」と書かれていますが、よく考えてみると、統合の象徴というものは、どのようなものなのでしょうか。よくわからない曖昧な言葉が憲法の一番はじめに書かれている。それをなんとなく、この70年あまりの間、私たちの憲法として受け入れてきたわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
201927日(木)

 

 

<その4>
◆アメリカはこの属国をこのあとひたすら収奪するだけだと、私は思っています。 かつてのアメリカには長期的な世界戦略がありました。でも今のアメリカにはもうそれがない。

◆アメリカは世界はこうあるべきだと国際社会に向けて発信するメッセージがもうない。「アメリカがよければ、それでいい。」と開き直った。「オレはこうしたい。オレに協力しろ。オレに従えば、それなりのほうびを与えるが、しなければ処罰する」とシンプルな定型文を他国に突きつけるだけになる。日本に対しても、「アメリカの国益を最大化するために日本は何ができるか」という問いが繰り返されるだけでしょう。

◆安倍政権は同じことをアメリカに求めている。日本国内で、どれほど非民主的で強権的な体制をつくっても、その政体がアメリカの国益を最大限配慮するという約束を果す限り、アメリカは日本の内政には干渉しない。求めるだけの年貢をもって来るのが「良い代官」であると。アメリカはそう考えています。
(以上が、内田樹)


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
201926日(水)

 

 

<その3>
◆今しなければならないのは、中産階級のこれ以上の崩落を防ぎ、貧困層を中流に押し戻すことです。資本主義経済の「延命」ということを考えたら、それ以外の合理的な手段はありません。
にもかかわらず、政治家もエコノミストも「選択と集中」「勝てそうなセクターに全資源を集めろ」「金持ちをさらに金持ちにしろ」というすでに失敗が明らかになった政策を一つ覚えのように繰り返すことしかできないでいる。この局面での不調はほとんど絶望的です。

◆歴史が教える通り、多くの知的イノベーションは「へそまがり」や「横紙破り」によって果たされてきたわけですけど、今の日本のアカデミアには、そういうタイプの学者の居場所がもうありません。日本の大学がイノベーションにおいて、先進国最低にまで急落したことは、海外メディアでは繰り返し報道されていますけれど、それは単に研究資金が減少したからだけではありません。ネポティズムの蔓延によって独立心の強い研究者に活動の場が与えられなくなったからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
201925日(火)

 

 

<その2>
◆サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」は、発表当時あまりまともに取り合う人がおりませんでしたけれど、21世紀になってみると、彼の予想通りに世界は7つか8つの「地域帝国」に再編成されてゆきそうな趨勢にあります。

◆いまだに、政官財の要路にある人々は、「成長戦略」とか「少子化対策」というような空語をむなしく語っているだけで、ゼロ成長、人口減の時代にこうやってソフトランディングするかという緊急で具体的な問いには取り組む気がない。

◆いまだに五輪だ、万博だ、カジノだ、リニア新幹線だ、という「20世紀型ソリューション」にしがみついて「起死回生の大博奕」で経済が浮揚するというようなありえない夢を語っている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  朝日新聞・東京社会部編「もの言えぬ時代」(朝日新書)
201924日(月)

 

 

2017年10月30日発行の書籍だが非常に面白い内容で、読み応えがある。体制側の人間のコメントも一部載せてあるが、これは余計ではなかったのか。あまりにも浅薄なのである。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介していきたい。

<その1>
◆文明史的転換のひとつの際立った兆候は、国民国家の液状化です。
国民国家というのは、1648年のウェストファリア条約に基づいて設計された政治的な枠組みです。国境線で確定された国土があり、常備軍、官僚組織があり、宗教、言語、生活、文化を有する国民によって構成されている。それが国民国家の条件です。

国と言うのは、「もともとそういうもの」だと思っている人が多いようですけれど、国民国家が基礎的な政治単位であったのはたかだか350年に過ぎません。それ以前は帝国の時代でした。

その国民国家が合理的な政治単位であった時代は、終わろうとしています。地域によって遅速の差はあるでしょうけれど、世界は再び「帝国の時代」になると予測されています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181211日(火)

 

 

<その19>
◆そしていま、アメリカが専ら、中国に対してやろうとしているのは武器輸出です。兵器を輸出できるような環境をつくっていくとこです。それから、投資を呼び込むということで、アメリカ本国に中国企業を呼び込もうとしています。

◆オリバー・ストーンはヒラリーが大嫌いで、トランプを支持しますが、なぜオリバー・ストーンが彼を支持するのか。それはもうハリウッドがエスタブリッシュの一部になってしまっているからです。オリバー・ストーンがスノーデンの映画をつくるとき、これまでの映画と違い、エスタブリッシュメントを告発した内容の映画ですから、経済界から基金がまったく集まらず、自主制作のような状況になってしまっています。

◆これだけ時代の転換期に来ているのに、日本のメディアにはラディカルな主張がないのです。みんな日米基軸論ばかり。「日米同盟を超えて」なんて本を企画しても、絶対売れないと言われて、メディアも取り上げてくれそうもない。しかし本当は日米同盟を超えなければ、日本の21世紀は見えてこないのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181210日(月)

 

 

<その18>
◆1996年大統領選挙でビル・クリントンが再選されるとき使った政治献金総額は6億ドルでした。1ドル100円として、日本円で600億円です。ところが2016年の大統領選挙では、これが100億ドルになるのです。つまり1兆円です。

◆私が大米帝国の没落と言うと、まだ没落していないじゃないかという反応が出てきます。確かにそんなに簡単に没落するわけではなく、1世紀ぐらいかけて、没落していくのです。

◆近年、中国における日本評価は高くなっています。中国からの観光客は年々増えており、訪日観光客の7割まで中国人となっています。

◆トランプは当初、対中貿易赤字の削減をすると言いましたがすでに引っ込め始めようとしています。なぜなら、中国からの輸入をやめれば、たとえば、3ドルで買えたものが5倍になってしまうなら、アメリカの消費者にとってマイナスではないかということです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181207日(金)

 

 

<その17>
◆そもそも経済制裁で国家の行動を変えるのに成功した事例は、第二次大戦後、ほとんどない。ロバート・ペイプは、1998年の研究で、応分の成功事例を含めても、成功率は13.8%だという数字を出しています。

◆中国脅威論について。中国軍事力の基軸である核戦力に関して、中国の核弾頭数は、アメリカの10分の1以下です。アメリカが3,700発ほどですが、中国は250発前後しか持っていません。しかも中国は、対兵力攻撃能力は持っていないのです。

◆しかもGDP比の軍事費の推移をみると、中国は下げ続けています。かつてはGDP比6.5%を使っていましたが、いまは2%を切り、1.35%になっています。トランプがヨーロッパ諸国にGDP比2%まで、出せといったりしていますが、現状は1.7%です。つまり国の経済の総量に対する軍事費の比率というのは中国は圧倒的に少ないのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181206日(木)

 

 

<その16>
◆文科省の前川さんが現場を見るべきだというのは正論で、それをやったのは偉いのかもしれませんが、そこまでやる前に他にすべきことがあるんじゃないでしょうか。部下をなんで、大学に寄越さないのかと僕は思うのです。大学に20年ぐらいいますが、これまで、文科省の人間が視察に来たなんて、一度も見たこともないです。天下りの人間は見たことがありますが(笑)。ですから、本当の現場を知りたいと言うのだったら、それこそ授業でも受けてくればいいのです。でも、そのようなことは一度もないのです。

◆結局このような状況も、日米同盟を至上の価値とし、もっとも、その米国流の生き方、「カネだけ、自分だけ、今だけ」のネオリベ的な生き方を至上の価値として国策の主軸に据えている、いわゆる日米同盟史との帰結だと思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181205日(水)

 

 

<その15>
◆アメリカ幻想は知性も壊しました。たとえば、経済学などその典型ですが、かつて日本の経済学というのは、いろんな国の経済学を学んでいて、ある意味、世界の経済学のデパートみたいな様相を呈しているところに特色がありました。そうしたなかで、日本の経済学のオリジナリティが乏しいという批判もあり得たかもしれませんが、ともかくいろいろなものの見分を学ばなければいけないという謙虚なところがあって、実際に多様なものが学べるという点では世界的にも類を見ない優れた学問環境があったのです。ところがここ20年ぐらいの傾向だと思いますが、経済学というのはアメリカのネオリベ、新古典派経済学だけになってしまったわけです。そのアメリカ資本主義が、リーマン・ショックを起こして、崩壊しているというのに、ますますそれをもたらした経済学に一辺倒にしましょうというのだから、頭がおかしいとしか言いようがないです。

◆私の学生時代は、日本の博士号のほうが価値がありました。東大や京大の博士号はなかなか出さないから価値があったのです。ですからアメリカの学位を取ったって、へでもないというプライドがあったのです。残念ながらそれがいま、逆転しましたね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181204日(火)

 

 

<その14>
◆残念ながら日本の場合、メディアはネオリベの支配が強く、経済学者もネオリベグループが主導権を取り続けています。今度の加計問題でも要するに、「自由競争がすべて」で「規制撤廃が経済活性化に不可欠だ」と言い続けています。

◆これからは成長戦略ではなく、共生戦略です。成熟戦略と言っていい。2009年に民主党が政権交代したときに打ち出した戦略が3ページにわたって書かれていますが、いま読み返してもすごくいい。

◆選挙制度の問題はよく指摘されていますけれど、大概が技術的な批判にとどまっていて、本質に達していません。小選挙区制の導入で明らかになった最重要の事柄は、保守二大政党なるものは不可能だったということです。保守二大政党とは結局傀儡Aと傀儡Bにしかならないことがわかった。傀儡というのは、もちろんアメリカの傀儡のことです。鳩山さんは傀儡Bに留まらないビジョンを持っていたものだから、傀儡Bに留まらないことをやろうとして、クビになってしまいました。それで鳩山、小沢が追放されたあとの民主党、民進党というのは、まさに傀儡の二軍そのものになっていたわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181203日(月)

 

 

<その13>
◆プーチンが欲しがっているのは何かと言えば、それは日本のお金です。日本に領土を返すとちらつかせて、日本から巨額の援助を引き出している。冷戦以降、ロシアが日本からせしめた経済援助総額は1兆2,000億円に達しているのです。にもかかわらず、一島たりとも返ってきていないわけですね。

◆日本の民主党政権の崩壊の始まりは鳩山首相が退陣して、菅政権になったころです。菅直人さんが首相就任してからひと月ほどでまず何をやったかというと、TPP賛成論を打ち出すのです。あの直前、2010年10月に当時の経団連会長、米倉弘昌住友化学会長がモンサント社と遺伝子組み換え技術に関する業務提携を結んでいます。その数日後です。彼らの働きかけで、菅さんはTPP参加に踏み切り、それまで民主党政権が打ち出していた東アジア共同構想からもアジア重視外交からも手を引くのです。これが民主党政権崩壊の始まりだったと見ています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181130日(金)

 

 

<その12>
◆中国では農民工の人たちも仕事場で何かあれば、その場で即座に労働争議を始めるような生命力を持っている。だから、日本人ほど生気を失っている民族というのは、いまアジアのどこを探してもいないです。

◆世界で日本人ほど、中国が嫌いで、日本人ほど自分の国の未来に夢を描くことのできない国はない現実をデータは示しているのです。

◆ロシアは、あれだけの長大な国境を持っていますから、当然たくさんの領土問題を抱えていました。それがプーチン政権になってただ一つを除いて、全部解決したのです。その最後の一つが、日本との北方領土問題です。つまりこれほどプーチン政権は、領土問題をなくしていこうという姿勢がはっきりとある政権なのに、日本だけが解決できないのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181129日(木)

 

 

<その11>
◆文在寅大統領の大統領府でのランチのシーンが印象的です。彼がどこで昼食をとるかというと、一般の職員食堂でランチ・トレイを手にして職員たちと一緒にするのです。これは、これまでの韓国大統領にはなかったことです。日本の首相や大臣が高級フレンチレストランで、側近や記者たちをはべらせ、国民の税金を使って、超高額の食事を昼間からとるのとは段違いです。金大中さんが軍政時代に「いまに韓国は日本よりも民主主義が進むことになります」と言った理由が、現実にいま目に見えるかたちになってきているとも言えます。

◆いま政治的には、日本は東アジアで一、二位を争う最低の後進国だと思います。韓国や台湾も、民衆の権威主義体制との長い闘争を経て、民主主義を手にしたと誇れる状況にあると思えます。ところが韓国や台湾の民衆の激しい運動を見て、日本人の多くが「民主主義が未熟だから混乱している」などと感じている。馬鹿も休み休み言えという話です。日本の民主主義は死んでいることを成熟と勘違いしている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181128日(水)

 

 

<その10>
◆日本の領土であると、敢えて、言い募るのであれば、サンフランシスコ講和条約への調印を取り消さないといけないという話に筋論からはなるのですが、そのことを理解している政治家は、少数派でしょうね。ここに日本政治のレベルの低さが表れていますし、このことを国民の目から隠し続けてきた外務省は万死に値します。

◆いまの日本のナショナリズムというのは、つまるところ反アジア主義ですね。ヘイトスピーチに代表されるように、中国とか朝鮮、韓国を自分たちより下位に見て、150年の大日本帝国の歴史のなかに現代も未来も位置づけたという、ポテンシャル意識があるのだと思います。それが明治維新150年祭りの虚構を契機に浮上し続けています。

◆アジアで唯一の近代国家であるということがナショナル・プライドの核心になっているものだから、韓国にしろ、中国にしろ、永遠に後進国でいてくれなきゃ困るという話なのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181127日(火)

 

 

<その9>
◆アメリカが広島へ原爆投下し、それでアメリカに負けたと理解している人も多いですが、実は太平洋戦争の一番の敗戦要因は、アジアで敗北したことなのです。中国大陸であるいは朝鮮半島で日本は苦戦し、中国の人民解放軍などの民衆の戦いに敗北したことが敗戦の要因です。アジア・ナショナリズムとの戦いのなかで、日本は敗北したのです。その視点が安倍首相からは、すっぽり抜けています。

◆純軍事的な側面から言えば、中国に負けたというよりも、結局勝てなかったということであって、だから負けた気がしていないということなのでしょう。

◆いま安倍首相がしようとしている和解は、肝心のアジア諸国ではなく、アメリカとロシアだけです。ロシアとの領土問題に関しては、安倍さんばかりじゃなくて、日本の政治家すべてがポツダム宣言の受託によって、自分の領土でなくなったものを自国の領土だと言い続けているわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181126日(月)

 

 

<その8>
◆安倍政権にとってオバマの広島訪問は選挙対策でしかなかったのですよ。なぜなら、そもそも、戦前支配層から連続する親米保守派にとって、原爆投下はそれによってソ連の対日参戦の意味が減退したわけで、痛恨事でも何でもないのです。原爆を落とされたおかげで彼らの首がつながったのですから、彼らの本音は「感謝」ですよ。日本の平和運動、反核運動は、いい加減、この事実を認めなければならない。この認識がないから、あんな目を背けたくなる光景を見せつけることになった。

◆繰り返しますがメディアだけでなく、戦後日本の対米従属の問題を視野に入れない平和主義もダメだということなのです。オバマの広島訪問をはっきり批判した広島の著名人は、平岡敬市長だけだったのではないか。平岡さんは、「日米両政府が言う未来志向は、過去に目をつぶるという意味に感じる。これを認めてしまうと、広島が米国を許したことになってしまう。」とおっしゃっています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181122日(木)

 

 

<その7>
◆安倍政権が「和解」演出のシナリオをつくって、それに平和運動の側も全面的に乗っかってしまったわけです。それが醜悪だったということです。

◆原爆を語り継がねば、という使命感を持った人たちによってこれまで教育を含めて、本当に膨大な努力が注がれてきたわけですが、言ってみれば、そういった努力に対して、泥を塗ったということだと私は思いますね。だから、日本の反核運動も平和運動も、その主流派はアメリカが許容する範囲内のもの、言い換えれば、アメリカを非難しない範囲内でのものにすぎなかったという現実が表面化しました。

◆神社参拝を首相がやってアメリカが「失望した」と言ったら、もう行けなくなった。あるいは、従軍慰安婦問題でも、アメリカが「ちゃんと手打ちしろ」と言ったら「解決済みだ」とずっと言っていたのに、韓国政府と新たな合意を結ばざるを得なかった。つまりは、日本の歴史修正主義がどのくらい歴史を修正できるのかは、アメリカが決めるのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181121日(水)

 

 

<その6>
◆オスプレイ17機を買えと言われて、日本は買ったわけです。オスプレイ17機の予算3,500億円。3,500億円というのは、日本の文科省の国立大学全ての年間授業料の総予算と同じです。そのオスプレイがいま沖縄空域ばかりではなく、九州四国から本州11帯に7つの飛行ルートを設定し飛び始めるわけです。

◆原爆投下に関する歴史実証は既にされています。要するにそれは、米国の戦後対ソ連戦略の一環であって、日本に原爆投下をしてなくても、ロシアの参戦によって日本の敗北の道がすでに敷かれており、あえて、原爆投下する必要がなかったということが実証されています。だからオバマの広島訪問と演説は、アメリカの原爆投下に対する正当化です。それをまた、日本の被団協や被害者たちが、涙を流してオバマに抱きついて、「和解」を演出している。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181120日(火)

 

 

<その5>
◆鳩山さんの「脱大日本主義」は、私も読みましたが、合理的かつ穏健で、しかも気宇壮大なビジョンたり得ています。まあ何というか、同じく政治家一家の3代目と言ってもこれほどまでに違うのかと思わざるを得ません。比べるのもアホらしいほどです。
ところが国民の大勢は、鳩山さんよりも安倍さんのほうを支持している。戦後日本人の反知性主義が露骨に現れているのを感じます。

◆そのような中で出てきたのが、軍事研究の解禁です。軍事研究が正面から肯定されるのは、戦後初めての事態です。かつ、それはお金の配分を通じて明らかに政府から、奨励されています。要するに、学術研究に対して、文科省経由で入るお金は減らされる一方というなかで、防衛省の予算でお金がつくのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181119日(月)

 

 

<その4>
◆中国が繁栄しているのはなぜかと言えば、日本や韓国などからの開発援助や技術協力、直接投資、それに事実上の地域統合のおかげです。

◆鳩山さんが「脱大日本主義」という本を書かれました。その本の中で終始言おうとしたことが2つあります。1つは、日本はミドルパワーで徹すべきだということです。もう1つは、アジアのなかで、生きるべきだということ。なぜならば、世界の経済政治の主軸はアジアへ確実に移行しており、その世界の主軸であるアジアの一国として、日本は中国やアジアの諸国家と共に生きるべきだと言っています。

◆鳩山政権の挫折以降、そうしたビジョンを出すべきだという発想自体が消えてしまいました。そのことが安倍晋三政権の5年間の最大の罪であり、日本国民に与えた最大の損害ではないでしょうか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181116日(金)

 

 

<その3>
◆トランプ政権の陰のアドバイザーであるキッシンジャーは92才だというのに、トランプが当選したその日に北京に入り、習近平たちと会っている。表では、やり合うこともある米中ですが裏ではしっかりと手を握っていると見たほうがいいでしょう。

◆いまアメリカの学生ローンの総債務残高は、自動車ローンやホームローンよりも多い。多額のお金を借りている若者たちに、もし中東に行って2年間民間軍事会社で働くと、それでローンを半分に減らしますよ、と誘うのです。

◆そういった事情で戦場に行った若者は多く、それで、帰って来てどうなるかというと、自殺です。この10年間、戦争から帰還したアメリカの若者たちは、1回平均23人が自殺しているのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181115日(木)

 

 

◆あのとき、数百、数千万のロシアの貧農と労働者たちが衰退する帝国の特権階級に反逆し、レーニンの指導下に革命を成し遂げたにもかかわらず、レーニン亡きあとの政治指導者たちは、民衆の要請に応えず、革命の理念を裏切り続けました。

◆トランプは、北朝鮮に制裁すると言っていますが、北の場合には、実際に爆撃したシリアと状況がまったく違います。北朝鮮は韓国と国境を接していて、応分の兵器もあるし、対抗兵力もある。もしアメリカが一斉に空爆で、金正恩の首を斬ろうと思っても、北朝鮮はやろうと思えば、即座にソウルを火の海にすることができる。これでは韓国は、アメリカに北への攻撃許可を出さないはずで、このハードルはなかなか越えられないと私たちは考えています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  進藤栄一、白井聡「日米基軸幻想」(詩想社新書)
20181114日(水)

 

 

敗戦後から現在に至る日米関係の実態について、老練と新鋭の2人の政治学者が対論形式で語り合う、こういう御案内の本である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介することとしたい。

<その1>
◆トランプ大統領の当選は、パクス・アメリカーナ(アメリカ主導の世界秩序)の終焉を象徴している。(トランプ勝利を早くから予測した国際アナリスト)

◆かつて、世界のGDPの過半を生み出した米国は、1980年、世界のGDPの2%未満でしかなかった中国に追いつかれ、2030年には、実質GDPで中国が米国の2倍になり、世界最大の経済大国へと急成長します。

◆しかし革命の理念は、しばしば革命達成後に裏切られ、忘却されていきます。その歴史の先例を私たちは、ちょうど100年前のロシア革命に見ることができます。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  白井聡、金平茂紀、猿田佐世
「白金猿―ポスト安倍政権の対抗軸」(かもがわ出版)
2018101日(月)

 

 

<その12>
◆(白井)学問と権力の関係がいかにあるべきか、というようなことを日頃考えている大学人の方が少数派なのですから。

◆(白井)僕はいま、運動的スローガンとして言うべきは、憲法を変えるより先に、日米地位協定を変えるべきであろう、ということではないかと考えます。日米安保条約が維持されている限り、事実上日本は主権国家ではないという現実があるわけですから。日米地位協定を根本的に変えるということをやろうとすると、日米安保条約の性格という、もっと大きな問題に必然的にたどり着くんです。
つまり、小さいことのように見えて、対米従属の問題に必然的にたどり着くんです。つまり、小さなことのように見えて、対米従属の問題の本丸に向かう道になる。

◆(白井)日本に特有な従属のあり方は、体制側が必死に否認しているということもあって、従属の事実そのものが隠蔽され、誤魔化されているということです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  白井聡、金平茂紀、猿田佐世
「白金猿―ポスト安倍政権の対抗軸」(かもがわ出版)
2018928日(金)

 

 

<その11>
◆(猿田)トーンが一色しかないんですね。北朝鮮の問題に関して日本とアメリカの結束が同じことを世界に証明したという報道一色で、それ以外の中身は何もない。

◆(金平)時代を画する訪日だと思うのは、米軍の横田基地に入って横田基地から帰っていったということです。東京新聞以外はどこの新聞も、その意味するところを書きませんでしたが、自分の陣地に来て自分の陣地から帰ったという、とんでもない話ですよ。つまり、そこは自分たちが支配している国であって、その正面玄関ではなく、身内の裏玄関から出入りしたということです。

◆(白井)NHKの内情に詳しい人たちと話していて、NHKの政治部記者であり解説委員の岩田明子さんの話が出たんですが、一局員にすぎない彼女が、首相周辺の補佐官と談合して、密室でNHKの理事職人事まで、口を挟んでいるということです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  白井聡、金平茂紀、猿田佐世
「白金猿―ポスト安倍政権の対抗軸」(かもがわ出版)
2018927日(木)

 

 

<その10>
◆(白井)世界中のメディアに「こんなにトランプにへつらっている政治家はいない」とまで評されるその安倍さんが、これだけ高い支持を集めてきた。そんな国なんですよね。だから、くやしいけれど、アメリカが日本を主権国家であると認めないということは、当然じゃないですか。日本に主権なんか持たせる必要はない。それに値しないのですから。

◆(白井)社会への関心が薄いというよりも、彼らにとっては社会なるものが存在しないんだと思います。ネオリベラリズムの文化は、社会の存在を消去するのでしょう。

◆(白井)役に立つという概念がすごく狭くなっているかもしれない。また短期的に役に立つものは、短期的に役に立たなくなるという道理が理解できなくなってきています。

◆(白井)反骨心と言うのは見事なまでになくなってきたと思いますよ。そんなものをもっていると損をするだけだと教え込まれて育った結果だと思うんですが。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  白井聡、金平茂紀、猿田佐世
「白金猿―ポスト安倍政権の対抗軸」(かもがわ出版)
2018926日(水)

 

 

<その9>
◆(白井)この愚かな主体性なき対米従属を続けてきた結果、北朝鮮から核攻撃されれば、300万人死ぬと言われていますが、そのことをいまの日本人でリアルな可能性として想像している人はごく僅かでしょう。

◆(白井)テレビなどを見ていて驚くのは、トランプの登場にしろヨーロッパにおける右派の台頭にしろ、「世界中が内向きになってきてよくないですね」とかなんとか、キャスターが言うわけです。じゃあ、なぜ同じことを安倍政権とその支持層について、言わないのかということです。

◆(猿田)そんな大きな話でなくても、人と話し手も必ず政治についての意見をもっているのが、アメリカ人であり、誰でも議論ができるのが尊敬するべきところです。意見が言えて当たり前、意見を持っていない人は、バカにされる。それは小学校の授業から教え込まれています。じゃあ、日本はどうかと言うと、とても無理だなと思わざるをえません。ああいうふうに、みんなが意見をもてるようにするには、どうしたらいいのでしょうか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  白井聡、金平茂紀、猿田佐世
「白金猿―ポスト安倍政権の対抗軸」(かもがわ出版)
2018925日(火)

 

 

<その8>
◆(白井)日本は70年間、戦争をしてこなかったという話は、残念ながら、第3国の視点から見ればナンセンスです。アメリカにとって日本は、基地列島であり、これがあるからこそアメリカは世界中に軍隊を展開できる。日本が独立国家だという前提を置けば、戦争をしていないということになりますが、日本をアメリカの一部と見れば、ぜんぜん違ったふうに見える。アメリカのある一州にたくさんの軍事基地があって、そこから米軍が出ていって、世界各地で戦闘していることになる。そこに住んでいる住民は、思いやり予算で7,000億円もの税金を特別に納めているので、兵役を免除されるという構造になっている。客観的には、こういうことですよ。
日本は平和憲法で戦争をしないでやってきたんだと、どの口が言うのかと、虚心に見つめることから始めないと、リベラル左派も根本的には立て直せないと、この本「在日米軍―変貌する日米安保体制」(梅林宏道著)を読んでいて確信しました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  白井聡、金平茂紀、猿田佐世
「白金猿―ポスト安倍政権の対抗軸」(かもがわ出版)
2018921日(金)

 

 

<その7>
◆(白井)日本のマスコミの政治部は政局部にすぎず、プロレスを観るように政治家同士の喧嘩を観て、ハラハラドキドキで喜んでいるだけなんですね。概念を用いた思考がない。だから、分析らしい分析もない。

◆(白井)これまでの実績からすると、アメリカの大統領があそこまで踏み込んだことを言った場合には、戦争になっている。だから、戦争になる確率が高まってきていることは事実です。ところが相手はイラクやリビアのケースとまったく違い、本格的な反撃能力があるということです。

◆(猿田)それって、9条をどうするかという話だけでなく、アメリカべったりの日本がよくないと批判するんだったら、実際にどういう選択肢が日本にあるのかという、軍事的にも考えなければいけないということですね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  白井聡、金平茂紀、猿田佐世
「白金猿―ポスト安倍政権の対抗軸」(かもがわ出版)
2018920日(木)

 

 

<その6>
◆(白井)対米従属が問題ですねと言うと、「白井は反米主義者だ」とか言い出す大馬鹿野郎が湧いて出てくるんですが、誰もアメリカと対決しようなんて言ってない。そういう話ではないのであって、アメリカとも普通に付き合いしましょうよという話です。じゃあ、なぜそれができないのかというと、長年、普通にできないようにする複雑怪奇な仕組みが精密にできあがっているからなんです。これを壊すのは容易なことではないなと日々実感するわけですが、それは端的に言ってこの仕組みが「天皇制」だからでしょう。

◆(白井)前原さんがなぜ、あんなに共闘路線を警戒するかというと、本音は共産党に主導権を取られるのが怖いんでしょうね。なんでそんなに怖いのかと言えば、結局のところ、共産党が対米従属レジームへの最も一貫した批判者だからでしょう。

◆(白井)彼らの言う「中道」というのは、熟慮と信念に基づいて最も多くの人を納得させられる道ではなくて、単にあっちにフラフラこっちにフラフラすることにすぎないですからね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  白井聡、金平茂紀、猿田佐世
「白金猿―ポスト安倍政権の対抗軸」(かもがわ出版)
2018919日(水)

 

 

<その5>
◆(金平)実は、僕は世界の核実験場周辺の犠牲者を考えた場合、「唯一の被爆国」という表現は間違いだと思っている人間ですが、広島・長崎を経験した国がアメリカに追随して核兵器禁止条約に反対しながら、「開発するな」と北朝鮮にいう資格があるんだろうか、ということです。

◆(金平)つまりアメリカのなかでは、沖縄のことを考えている人間がいないという状況になっているんですね。これって、ほんとうに悲惨だと思いますよ。だって、アメリカ軍の基地の話でしょ。例えば、ハワイ州で同じことが起きたら、即基地建設工事をやめますよ。実際にオスプレイの訓練も住民の反対でやめてるんですからね。

◆(金平)翁長県知事や「オール沖縄」が言っているのは、あるものはしょうがないとまで妥協して、新しくつくるのだけはやめてくれという、真っ当な主張です。沖縄県民が自分たちの求めで新しい基地をつくらせたことは、いままで一回もありません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  白井聡、金平茂紀、猿田佐世
「白金猿―ポスト安倍政権の対抗軸」(かもがわ出版)
2018918日(火)

 

 

<その4>
◆(猿田)日本は原発の使用済み核燃料の再処理により取り出したプルトニウムを約47トン持っていて、それは核弾頭にすると、約6,000発に値する。アメリカは、それに強い懸念を持っています。しかし日本の政治を動かしている人たちは、いろいろ文句を言われながらも、うまく立ち回り、再処理をやめようとはしない。

◆(白井)今日までプルトニウムを蓄積しつづけているのですが、70年代にカーター政権と福田政権の間でタフな交渉がありましたね。インドの核実験をうけて、カーター政権が核不拡散を断固として進めるんだといって、日本に対しても強い圧力をかけてくる。これに対し日本側は、東海村の再処理施設を死守したいということで交渉し、成功するんですね。これは、たぶん戦後の対米交渉のなかで、日本側が一番頑張った例だと思います。同じくらい頑張れば日米地位協定の改定なんて絶対できるはずですが、そこにはぜんぜん力を入れませんね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  白井聡、金平茂紀、猿田佐世
「白金猿―ポスト安倍政権の対抗軸」(かもがわ出版)
2018914日(金)

 

 

<その3>
◆(白井)よく、朝鮮半島の問題でも台湾海峡の問題でも、アジアにおいて冷戦構造が残存していると、決まり文句で言われてきました。だけど、困ったもんだなどと、第3者的に言っている場合じゃないという状況がはっきりしました。さっき言ったように、拉致被害者というのは、朝鮮戦争が終わっていないことによる犠牲者です。それで、なぜ、冷戦構造が終わらないのかというと、アメリカさんがお決めになることだから、われわれは、それに従っていれば安全なんだ、荒っぽく言えば、そういうスタンスをとってきた。そこに思考停止してきたというツケが、いま猛烈に出てきているんです。政権が異常な対米従属の構造を放置しているというが、それに依拠している限り、根本的な解決はないでしょうね。

◆(白井)朝鮮半島を終わらせるということに関しても、アジアの問題なんだから、アジアの住民が主体となって、その解決策を見出すのが筋の話ですよね、本来は。ところが日本にしても韓国にしても、アメリカに下駄を預けてきたわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  白井聡、金平茂紀、猿田佐世
「白金猿―ポスト安倍政権の対抗軸」(かもがわ出版)
2018913日(木)

 

 

<その2>
◆(白井)マッカーサーは日本を去った後、「日本人の精神年齢は12歳だ」といい放った。日本人にとって不愉快かもしれないけど、まったく正しい指摘です。しかし、いまや状況はもっとひどくなった。現在の日本人の政治的精神年齢はもっと低いでしょう。

◆(白井)そうですね。そこには、市民社会の劣化があると思います。とりわけ、僕らの世代ぐらいのエリート層や、エリートじゃなくても知的に中の上っていう層がだめになってるんだろうと思います。なんでもネタとして嗤う――そういう感性というのは、たぶん僕らの世代かもう少し上ぐらいから始まっているという気がします。ネット上でのある種の冷笑癖というか「右も左も下らない」と言って、中立を気取るというそれ自体がもっとも下らない人間のあり方なのですが、そういう感性がここ20〜30年で増殖しました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  白井聡、金平茂紀、猿田佐世
「白金猿―ポスト安倍政権の対抗軸」(かもがわ出版)
2018912日(水)

 

 

意見が合いそうな3人かとも思ったが、実際には微妙に違いがあり、意見が深まりそうで深まっていないという印象を思った。
以下本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆(白井)天皇制国家のもとでは、日本の庶民というものはそういうものだった。構造的な反知性主義ですよね。ある一定以上知ろうとしてはいけない、考えてもいけない、ある点を超えて考えたり発言しだしたりすると、「アカ」になっちゃまずいよ・・・・。知性の運動が構造的に自己規制するようにできている。これはある種、大衆の生きる本能であり、そうするのが正しい生き方だとすり込まれていたわけですよね。その挙句、上からバンバン焼夷弾を落とされる、原爆も落とされる。さすがに敗戦を契機にして、反省が芽生えたわけです。これではいけないのだ、と。それで戦後の15年、20年ぐらいにわたって日本社会に政治の季節が訪れるわけです。 けれども、日米の合同の権力がその状況をうまいことに鎮定したのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「今の巨大中国は日本が作った」(ビジネス社)
2018719日(木)

 

 

<その3>
◆私の30年間の欧米政治思想の研究で、行き着いた結論は人類の諸悪の根源はローマ教会にあった、ということである。
宗教弾圧というのは、宗教団体が国家や権力者などから弾圧されて信仰者たちがたくさん殺された事件だ、と考えられている。ところがヨーロッパの歴史を詳しく調べたら宗教弾圧はローマ教会自身によって、ほとんどが行われていた。ヨーロッパ各国の歴史のなかで、一番の殺戮を行ったのはローマ・カトリック教会だ。

◆私の考えでは、今の金正恩体制は米と中によって、他の人間に取り換えられる。そして、もっと穏やかで温厚な政治体制に変わるだろう。そうしなければ、私たち日本人を含めて世界が納得しない。アメリカと中国およびロシアによる「世界3大国」によって世界は実質的に動いてゆく。

◆中国人は「人間の能力は生まれながらに平等ではない」「能力は不平等である」「能力のある人間の下に、普通の人間たちを集めて、働かせて皆が食べられるようにする」という、思想原理に政治体制そのものは変更したようだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「今の巨大中国は日本が作った」(ビジネス社)
2018713日(金)

 

 

<その2>
◆今、大繁栄を遂げた中国にその設計図を伝授した日本人学者たちがいる。中国が貧しい共産主義国から脱出して急激に豊かになってゆくためのアメリカ理論経済学の真髄を、超秀才の中国人留学生たちに教えたのは、森嶋通夫である。それを名門スタンフォード大学で中国人大秀才たちに、長年、丁寧に授業して叩き込んだのは青木昌彦である。

◆やはりケ小平が偉かったのだ。ケ小平が毛沢東の死後1978年から「改革開放」を唱えて、「中国人はもう貧乏をやめた。豊かになるぞ」と大号令をかけた。そしてヘンリー・キッシンジャーと組んで、中国を豊かにするために、外国資本を中国に導入したのだ。

◆近代西欧政治家の祖であるニコロ・マキアベッリの立てた原理に従えば、「政治は悪である。悪を取り扱える人間が真の政治家である」だ。習近平ならば悪いこともできるし、いざとなれば、軍を動かして、内乱や暴動を鎮圧することもできる。そのような人間でなければ中国のような大きな国は統治できない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

  副島隆彦「今の巨大中国は日本が作った」(ビジネス社)
2018712日(木)

 

 

副島氏が書いている中国本の中の1冊であるが切り口が面白い。以下本書より、インパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。

<その1>
◆2012年にはじまった習近平体制は、通常であれば、2期目の5年で終わりだった。だがさらにその次の5年も、習近平が政権を担う。3月の全人代で「任期の上限を撤廃する憲法改正案」が採択された。「習近平の独裁体制が死ぬまで続く」と専門家たちが解説したが、そんなことはない。習近平は、2027年で辞める。
私の今度の中国研究で行き着いた大事な発見は、その次の2022年からの5年で、中国はデモクラシーを実現する。これからの5年間は、確かに習独裁である。彼に強い力が集中して、戦争でも騒乱鎮圧でも残酷にやる。だが、その次の2022年からの5年は、中国がデモクラシー体制に移行する準備期間となるだろう。そうしないと世界が納得しないし、世界で通用しないからだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「国体論 菊と星条旗」(集英社新書)
2018711日(水)

 

 

<その8>
◆私は国民経済は小さいエンジンを積んだ帆船であると思っている。自力で動かせることも可能であるが、その場合、速力は小さい。しかし、風が吹いている場合には、高速で帆走することが出来る。高度成長の時には、朝鮮戦争、ベトナム戦争の風が吹いていた。それらの風が吹かなければ、船のスピードはエンジンだけのものになってしまう。(森嶋通夫)

◆ここで森嶋は、高度経済成長の実現要因を「日本人の勤勉さ、努力」に帰する主意主義的見解を暗に批判している。幸運にも外からの追い風が吹いていたことが、それを可能にしたのである。そして、その「幸運」の正体は、対岸の火事としての戦争であった。

◆森嶋は、EUに範をとった「東アジア共同体」の創設を呼び掛け、それによって形成される広域経済圏のなかで、日本経済の手立てを見つけるべきであると説いている。そうした地域統合が森嶋が考える、政治家が吹かせるべき風である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「国体論 菊と星条旗」(集英社新書)
2018710日(火)

 

 

<その7>
◆最高法規であるはずの日本国憲法の上位に、日米安保条約とそれに付随する日米地位協定および関係する種々の密約がある。そのような構造を放置したまま、憲法を変えようが護ろうが、本質的な違いはない。

◆誰でも知っているように、日本は日米安保条約に基づき、広大な国土をアメリカの軍事基地のために提供し、その駐留経費の約75%を負担している。この負担率は、ほかの米軍駐留国と比較して、断トツの1位であり、ドイツの倍以上に達している。これほどの好条件で提供された大規模な軍事施設の存在を抜きにして、アメリカの軍事的世界戦略は到底遂行し得ない。

◆つまり、日米安保体制とは、締結時に意図した対ソ防衛体制ではもはやなく、米軍の全地球的な展開を支える体制であるというのが、米国の認識となり、公然と語られるようになっていたのである。(梅林宏道)

◆つまり、戦後日本が憲法9条を持つ「平和国家」であるということと、アメリカの戦争への世界最大の協力者であるということが、矛盾であるとは認識されず、奇妙な共存を続けてきたのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「国体論 菊と星条旗」(集英社新書)
201879日(月)

 

 

<その6>
◆大正天皇は自由闊達な性格ゆえに、天皇にふさわしい立ち居振る舞いを求められることに耐えられず、「心身共に無理を重ねた末、もともと丈夫でなかった体調を崩してしまった。」言い換えれば、天皇の「生身の身体」が天皇の「政治的身体」を体現することに耐えられなかった。

◆ニーチェや魯迅が喝破したように、本物の奴隷とは、奴隷である状態をこの上なく素晴らしいものと考え、自らが奴隷であることを否認する奴隷である。

◆欧米人の仲間入りをしたいというコンプレックス、そしてアジアにおいては、自分たちだけが近代人なのだという差別感情を上手く活用すれば、日本人はアメリカに従属する一方、アジアで孤立し続けるだろう、とダレスは見通していた。

◆結局のところ、アメリカが戦後日本人に与えた政治的イデオロギーの核心は、自由主義でも民主主義でもなく、「他のアジア人を差別する権利」にほかならなかった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「国体論 菊と星条旗」(集英社新書)
201876日(金)

 

 

<その5>
◆このように彼らは、世間から理解を拒絶することをもとより覚悟していたわけだが、その予想通りに、鈴木邦男の言葉によれば、マスコミは「彼らは気違いだ。人間ではない。といったヒステリックな糾弾キャンペーン」となった。だが鈴木いわく、まったく別の反応もあったのだという。犯人逮捕後、救援連絡センターには、異例なほどに、多額の救援カンパや物資の差入が集まっていたという。しかしそのような状況は報道されない。その理由を、鈴木は次のように指摘している。すなわち、<気違い>にすることによって、彼らの思いつめた背景も理論も無視することが出来るからである。

◆日本帝国主義の「おとしまえをつける」とは東アジア反日武装戦線が好んで用いた表現だが、「敗戦の否認」に基づく「戦後の国体」の形成と発展とは、まさにこの「おとしまえをつける」ことから逃避することにほかならない。

◆三島由紀夫の死と東アジア反日武装戦線のテロリズムは、政治的ユートピアを求める「理想の時代」の終焉を、言い換えれば「アメリカの日本」である現実に対する原理的な異議・申し立ての終焉を意味したのと同時に、来るべき「アメリカなき日本」の時代への意向を刻印する。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「国体論 菊と星条旗」(集英社新書)
201875日(木)

 

 

<その4>
◆この直感は正しかった。今日、明らかになった事情、すなわち核兵器持ち込みの事前協議の問題に代表される密約の存在に鑑みれば、表向きの対等化など、理解するに値せず、群衆の積極的無理解はむしろ改定の本質を衝いていた。岸に対する嫌悪、安保改定に対する嫌悪はそれぞれ、「戦前の国体」と「戦後の国体」に対する嫌悪だったのである。

◆三島由紀夫の行動に「右からの大逆」の意図がひそかに込められていたのだとすれば、同時期に起こり、この時代の終焉を告げた「左からの大逆」と呼びうる出来事が東アジア反日武装戦線による連続企業爆破事件と天皇暗殺未遂事件であった。これらの事件は大きな被害を出したにもかかわらず、同時期の左翼過激派による事件――連合赤軍事件や日本赤軍による海外でのテロ活動――に比べて、今日では格段に言及されることが少ない。

◆彼らにとって、昭和天皇はかつての大日本帝国の帝国主義のシンボルであると同時に、戦後も君臨していることによって、再建された日本帝国主義のシンボルであり、それを殺害することは、「日帝の歴史、日帝の構造総体に対して、『おとしまえをつける』こと」として認識されていた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「国体論 菊と星条旗」(集英社新書)
201874日(水)

 

 

<その3>
◆親米保守勢力が支配する政府と、それを翼賛するメディア機関は、ただひとつの命題を国民に刷り込もうとし、それに成功している。「アメリカは日本を愛してくれている」という命題を。むろん、アメリカから見た日本は、一同盟国にすぎず、この命題は妄想にすぎない。

◆この期間は、著しい社会混乱と同時に、あの軍国主義と敗戦を経て、どんな国として再出発するのかという問いが、かつてない熱気を帯びて問われた時代であった。丸山眞男の「超国家主義と論理と心理」が岩波書店の「世界」1946年5月号現れた時、人々は焼け跡に列をなして買い求めたと言われる。

◆1960年の安保改定が実行されるまで、日米安保体制は盤石とは言えなかった。岸の前任者、石橋湛山は明確に多元外交論者であり、就任時(1956年12月)の記者会見では「アメリカのいうことをハイハイときいていては、日米両国のためによくない」「米国と提携するが、向米一辺倒になるのではない」と述べている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「国体論 菊と星条旗」(集英社新書)
201873日(火)

 

 

<その2>
◆日本政府よりも明らかに支配力の低い(したがって、アメリカに依存している)政府や、戦争の現実的な危機にさらされている(これまたアメリカに高度に依存せざるを得ない)政府ですらも、日本政府よりも強い態度で、アメリカと交渉し、その関係を少しでも対等なものとするような努力して成果を挙げているからである。

◆なぜ、このような不条理がまかり通りうるのか。そこにこそ日本の対米従属において他に類をみない特徴があるのだが、それは従属の事実が不可視化され、否認されているところにある。

◆国家元首による外交行事の際にアピールされる事柄は、「元首間の関係が親密である」ということ、その一事だけになるに至った。そして、日本の大メディアはこの見え透いた芝居を嬉々として演出し、その受けてたる日本の大衆が、それに怒りを爆発させることもない。諸外国のメディアで「トランプ米大統領にへつらう日本の安倍晋三」がしきりと取り上げられる一方で、日本の国内世論では、「米大統領と上手くやっている日本の首相」のイメージが流通してしまうさまは、あまりにも対照的である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「国体論 菊と星条旗」(集英社新書)
201872日(月)

 

 

当代切っての若手の論客である白井氏の著書はほとんど目を通しているが、本書はいかにも学者の文章となった感じで難解である。彼の場合、対談の方が明らかに分かりやすく面白い。以下、参考となるくだりを要約して御紹介していこう。

<その1>
◆ここで名前が挙がっている天皇批判に踏み込んだ「保守系の専門家」とは、日本会議系の面々であり、安倍の思想的同志である。時の権力者と天皇の対立がこれほどまでにあからさまに可視化されるのは、日本史上果たして、いつ以来のことであろうか。

◆これらの書物によれば、アベノミクスによって日本経済は大復活を遂げる一方で、中国と韓国の経済は破綻することになっている。明らかにこれらの本は、経済時事を装ったヘイト本である。

◆日米地位協定と、さまざまな国とアメリカとの地位協定を比較検討してみると、日米地位協定は、多くの点において、世界で最もアメリカにとって有利な地位協定と言ってもよい。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹、石川康宏、池田香代子「マルクスの心を聴く旅」(かもがわ出版)
2018622日(金)

 

 

<その4>
◆(石川)1974年をピークにストライキができなくなった日本、労働組合運動が大資本経営者の集まりである経団連や日経連によって分断され、賃上げ闘争が次第にできなくなっていった日本、その社会的影響力の低下は、労働者・市民の生活水準の低下を招き、それと同時に国内の消費力を委縮させ、「経済成長なき日本」をもたらす中心的な要因となりました。

◆(石川)さらにもうちょっと若い時期には、マルクスはユダヤ人ですから、ユダヤ人に対する差別の意識は肌身で強く感じているのですが、そのユダヤ人の解放にかかわって、政治的解放、政治的平等の実現だけではだめだ。社会的な解放、経済的な解放なしに、ユダヤ人をふくめた本当の人間の解放は実現しないと言っています。

◆(松竹)産業革命が開始された18世紀末。労働者たちは、仕事帰りにパブに立ち寄り、一日の憂さ晴らしをします。そのなかから、自分たちの健康と命を守るため、お金を出し合ってプールし、必要な時に使えるようにする制度をつくります。いまでいう保険の始まりです。そのお金を管理したのがパブのマスターだったのです。そうやって労働者の連帯が始まると、労働条件を改善するために闘うということになっていき、労働組合が誕生するわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹、石川康宏、池田香代子「マルクスの心を聴く旅」(かもがわ出版)
2018621日(木)

 

 

<その3>
◆(松竹編集長)「共産党宣言」って出版されたのは、48年初めです。そうなんです。三月革命の直前なんです。マルクスはこの本で、議会のない国がほとんどですから、選挙に頼ることなく、「プロレタリアートがブルジョアジーを暴力的に打倒して、自分の支配をうちたてる」ことを打ち出します。
ところが三月革命では、そのマルクスの想定外のことが起きます。選挙が大きな役割を果たすのです。ブルジョアジーであるカンプハウゼンがプロイセン国王に対して、憲法の制定や検閲の廃止などを求め、国王がそれを約束し、カンプハウゼン内閣が成立することになります。そして、男子だけとはいえ、すぐに普通選挙権が導入され、4月に選挙があり、5月から憲法制定議会が開かれるのです。

◆(松竹)マルクスは、普通選挙があるような国なら共産主義社会は可能だが、そんな国は存在しないので実力で成し遂げようとしたのに、実際に普通選挙が行われてみたら、共産主義どころか共和制すら、国民が望んでいないということになったのです。

◆(松竹)産業革命により、18世紀の最後の3分の1期に、大工業が誕生して以来、子供は7歳になると、工場で働くのが普通になり、ある工場では労働者の37%は18歳以下だったという統計もあります。昼夜交代で1日14時間から17時間働き、ベッドさえも2交代で使うのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹、石川康宏、池田香代子「マルクスの心を聴く旅」(かもがわ出版)
2018620日(水)

 

 

<その2>
◆(内田)ぼくは、なんとか国家主権を回復したいと思っているんです。けれどもその前段として、アメリカはいったい何を考えているのかを研究する必要があることなんです。アメリカがどんなふうにマルクス主義を通過したか、ということを知るのは、いまのアメリカの成り立ち、彼らの政治的なコスモロジーというものを理解する上で、欠かすことのできない情報じゃないかなって気がしているんです。

◆(石川)マルクスの「資本論」が今日のようなかたちで残っているのは、エンゲルスのおかげです。マルクスは生前、「資本論」の第一部しか出版できず、残された草稿から第二、三部とまとめたのはエンゲルスでした。その点で、エンゲルスが果たした役割はとても大きかったと思います。

◆(石川)エンゲルスは生前にはマルクス家の経済生活を支えるために20年もの資本家生活に耐え、マルクスの亡くなった後には、自分のやりかけの大仕事をを取り止めて、資本論の第二部、三部をまとめる仕事に取り組みました。

◆(池田)「本を焼く者は、いずれ人間を焼く」とはハイネの言葉ですが百年後、ナチスドイツによってこれが現実になったことは、みなさんご存知の通りです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹、石川康宏、池田香代子「マルクスの心を聴く旅」(かもがわ出版)
2018619日(火)

 

 

本書は上記3氏と訪ねるマルクスの旅と銘打ったドイツ、イギリス8泊9日の旅の記録である。以下、インパクトのあるくだりを要約して、御紹介してみたい。

<その1>
◆(内田)マルクスの書簡というのは、いまでも発見されては、古書市場に出るらしいんですが中国人が爆買いしているんですって。その結果、古書市場におけるマルクス書簡の価格が暴騰していて、歴史研究者としては非常に困るというお話でした。

◆(内田)この「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」というのは当時、発行部数が世界一だった、っていうんですよ。そこに、マルクスが10年にわたって、毎週、毎週のように、世界の現状分析についての記事を書いていたわけです。

◆(内田)なぜアメリカにおけるマルクスになんかに興味があるのかといえば、理由は簡単で、それは日本がアメリカの属国だからです。日本の基本的な国家戦略というのは、すべてアメリカの許諾を得ないと行えない。すべての政策は、全部アメリカがOKしないかぎりは、実行できないのが日本の状態であって、これはもう、世界中の人が知っていることです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 本多勝一「新・貧困なる精神」(講談社)
2018531日(木)

 

 

<その4>
◆(金)ファッショ政治というものは、ただ被侵略民族のみを、つまり外国人だけを被害者にするものではなく、自国民をも被害者にするものです。しかし、歴史認識はここからスタートすべきではない。「政府がやった、オレは知らない」では明日を生きぬく国民とはいえない。

◆(金)知らないで謝る。なんの意味もないことです。ところが日本人は、知らなくても謝るし、ゆえに謝ってもすぐ忘れる。

◆(金)もし蒋介石があれほど民心を失うような独裁と腐敗をしなかったら、もし、日本が大陸侵略をしなかったら、中国は共産化されなかったかもしれない。

◆(金)韓国民の利益にならない援助とは、いいかえると、日本の利益のための援助ということであり、極論すると経済侵略のかけ橋にしたということです。

◆(金)日本の経済援助というのは、ひと握りにもならない政府の特権層と財閥をつくるのに貢献して、国民には何のためにもならなかった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 本多勝一「新・貧困なる精神」(講談社)
2018530日(水)

 

 

<その3>
◆(金)日本人の考え方について、われわれが一番、脅威を感じるのは、日本人の水平的な考え、横の考えが少ないこと、縦の考えであることね。たとえば、白人を見上げる、そして天皇を立てる。東洋人・アジア人を見下ろす。「友人として」つき合うことができないようですね。日本を今でもほんとうに友人の国と思っている国はどこにあるか。

◆(本多)要するに豊臣秀吉の朝鮮侵略は、日本の歴史でいうような勝利の歴史じゃなくて、いまのベトナムの米軍と全く同じような敗北の歴史であった。

◆(金)私たち韓国人は過ぎ去った日帝支配の歴史をいつまでも恨んではいません。しかし忘れもしません。忘れはしないのは、歴史は未来を築く偉大な教師だからです。何も日本人に謝罪を要求はしません。ただし、再び過去の轍を踏まないようにしてほしいのです。日本が韓国を侵略支配したことには、一応歴史の流れがあって、最大級の善意でいうなら「無作為でやった」ともいえます。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 本多勝一「新・貧困なる精神」(講談社)
2018529日(火)

 

 

<その2>
◆(金)日本人と韓国人の性格の差というのは、日本は侍をみてもわかるように、問答無用で斬ってから後で話すんですが、しかし、韓国人のけんかは、話の部分が長くて、できれば全部話でやるんです。だから、私たちの言葉では、悪口が非常に発達している。日本人は、けんかを刀でやるんだから悪口が必要ないわけです。

◆(金)世界中で相手の被植民地の国民たちに自分の言葉も使うな姓も変えろという植民地政策を行ったのは日本だけですよ。つまり相手に対して、自分と言うものを維持する余地を与えない。たしかに、たとえば、イギリスやフランスなんかの植民地だった国は、われわれが想像もできないほどひどい状態でしたよ。しかし、いまでも英連邦に加入している国も多くある。あれほど独立を願ったインドも加入しておるでしょう。フランスの前の植民地というのは、いまでもほとんどがフランスに親密感を持っておるでしょう。そういう点は非常に違っておったと思いますね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 本多勝一「新・貧困なる精神」(講談社)
2018528日(月)

 

 

2009年に金大中・元韓国大統領は亡くなっているが、1973年3月に行われた本多氏との対談の中でインパクトのあるくだりを以下、紹介していきたい。

<その1>
◆(本多)私自身、ベトナム戦争の取材に行くまでは侵略した側の民族と侵略された側の民族との歴史的関係に関心がうすかったんです。・・・・・・歴史の本1ページのほんの一節に「日本は朝鮮を侵略云々」といった表現で書きしるされている言葉の内容は大変なことなんですね。

◆(本多)朝鮮総督府のやった土地調査報告なるものを見てびっくりしました。「調査」なんて侵略とは、無関係なようにとれる。ところが侵略者の調査とはムキダシの収奪のための調査なんですね。自分の土地だと報告しない土地は、持ち主のない土地だということになる。それはそのままクニのもの、日本国のものになる。暴力をともなった国家的サギですよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 古賀茂明、望月衣塑子「THE 独裁者」(KKベストセラーズ)
2018523日(水)

 

 

<その8>
◆(古賀)日本の企業はずっとコスト競争でやってきました。一方アメリカは、アマゾン、グーグル、アップルなど、自分が独走できる新しい世界を切り開いてきました。ある意味、競争のない状態を作ることで、働いている人の給料を高くすることを可能にしてきたのです。ドイツでは自動車をつくるのでも、ベンツ、BMW、アウディと高級車に力を入れた。ベンツが作ると小型車もべらぼうに高い。世界はそういう競争をしているのに、日本はずっといままでと同じようなモノを同じ手法でやるわけですから、トヨタがつくるとレクサスでもやっぱり割安となる。そういう競争ではどんどん途上国に追い上げられる。新しいビジネスをつくる能力を持った経営者は、まったくいないので、結局コストを下げて競争するしかない。

◆(望月)雇用改善の要因を大きく3つにまとめてみます。
@日本は生産年齢・人口が減っていく傾向がある。
A正規雇用が非正規雇用に置き換えられることにより、雇用をたくさん必要とする雇用構造に変化している。
B高齢化の影響で、医療福祉分野の需要が伸びている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 古賀茂明、望月衣塑子「THE 独裁者」(KKベストセラーズ)
2018522日(火)

 

 

<その7>
◆(望月)米軍基地問題がそうですよね。「アメリカは、グアムへの基地移転が話し合われた際、米軍自体は沖縄から出てもいいと思っている。引き留めたのは、米軍ではなく、日本の防衛省です」と米軍関係者が言っていました。基地にはさまざまな防衛利権があり、結局、日本政府は「いてください」ということになり、グアムへの移転は、極めて限定的な枠内に留まりました。

◆(望月)経産省の幹部などと話をしていると、だれもが「アメリカと共にやるしか道はない」というある種の諦めを持っているような印象を受けます。

◆(古賀)ここで、「やっぱり、日本は経済大国だ」と安心してはいけません。ついこの前、中国に抜かれたと思っていたら、いまや、日本は中国の半分もないんですよ。国民の豊かさの代表的指標である「1人当たり」のGDPを見ると2016年に日本は先進国では下の方の第22位。ちなみに第1位はルクセンブルク、アメリカは第8位、シンガポールは第10位、韓国は第29位、中国は第75位です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 古賀茂明、望月衣塑子「THE 独裁者」(KKベストセラーズ)
2018521日(月)

 

 

<その6>
◆(望月)災害救助隊にすればいい。名前を変えてしまう。そうしたら憲法問題はなくなります。

◆(古賀)本当にそれをやったら、中国や韓国も、日本は本当にもう軍事大国になることはないと思うでしょう。世界中が、やはり日本は平和国家だったんだとなる。

◆(古賀)憲法は制定当時は理想でしたが、いまは非常に現実的な選択肢になってきているということです。いまのように、グローバリゼーションが進んで国家間がお互いに持ちつ持たれつで、経済的に非常に密接な繋がりができているなかで、理想論ではなくて、損得論で考えると、戦争なんて絶対損。仲良くしたほうが絶対得なのです。

◆(古賀)アメリカが絶対に戦えない相手というのは、日本の国民。だからアメリカが一番恐れているのは、日本の世論がアメリカは嫌いだと言い出すことです。アメリカは、常に日本の正論を気にしていますね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 古賀茂明、望月衣塑子「THE 独裁者」(KKベストセラーズ)
2018518日(金)

 

 

<その5>
◆(古賀)社会党が安保条約を容認したあたりから、安保条約そのものに疑問を呈することはタブーになった感じがあります。共産党だけは別ですが、立憲民主党だって、日米安保の基本について議論するという勇気はまったくないようです。国民みんなが自らの思考を凍結してしまった。「アメリカが日本を守ってくれる。本当にありがとう。アメリカはとてもいい国だ。原爆を落とされたことなんか忘れちゃいました。」というのが染み込んだままになていますね。

◆(望月)エドワード・スノーデンが対日工作についても驚くべき証言をしています。彼が日本の横田基地に駐在していたとき、日本の電力システムなどを停止することができるマルウェアを日本中のインフラに仕込んだというのです。その背景には、日本が日米同盟を裏切るかもしれないという前提があるわけです。

◆(望月)軍事に関しては、さまざまな情報をアメリカ国防総省などから得て成り立っているという現実もあり、結局、断ち切れるわけではない。ある程度、アメリカの言う方向に従わなければ、日本の国防が成り立たないと半ば諦めている部分が大きいのかと感じます。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 古賀茂明、望月衣塑子「THE 独裁者」(KKベストセラーズ)
2018517日(木)

 

 

<その4>
◆(古賀)中国がちょっと危ない国だというのは確かです。なぜ危ないかというと、北朝鮮も同じですが民主主義ではないからです。民主主義の国だったら、まず日本に軍隊がなくて、まったく戦う意思がない場合には、日本とは戦争にはなれません。なぜかというと、戦争は人の命を奪うことだから、普通の国民は嫌がるわけです。民主主義の場合は国民が歯止めになるのです。中国がそばにいて仲良くないので、不安になるのはわかります。しかし、それでも何とかうまくやっていく知恵を出すのが本当の外交でしょう。

◆(古賀)「日本は、自由が攻撃はされない限り、北朝鮮を攻撃することも、北朝鮮と戦う米国を支援することもしません。米軍基地も使用させません。」と言ったら、北朝鮮は絶対に日本を攻撃しません。つまり、アメリカと一緒にいるから日本が守られるというよりも、アメリカとは距離を置き中立でいた方が日本は守られるわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 古賀茂明、望月衣塑子「THE 独裁者」(KKベストセラーズ)
2018516日(水)

 

 

<その3>
◆(古賀)北朝鮮から攻撃されないために、アメリカと縁を切ったほうがよいという議論をすると、必ず出てくる反論が中国の脅威です。でも私は中国は絶対に攻めてこないと思います。たとえば、ベトナムのことをアメリカも誰も守っていません。ベトナムと中国の間には、昔から国境紛争があるけれど、ベトナムは全然平気。なぜベトナムを占領しないのか。占領すれば東南アジアへどんどん攻め込んでいけますよ。それでもやらないのは、そんなことをしたら、世界で生きていけなくなるからです。いま中国は、世界でビジネスをしないと生きていけない国になっているから、そんなことは絶対にできません。

◆(古賀)日本はアメリカから離れた方がむしろ中国と仲良くしてもらえる可能性があります。中国から見れば大歓迎ですよね。中国のビジネスに日本がいかに食い込んでいくかを考えた方が国民には本当に利益になります。ドイツのメルケル首相はそうやっています。自動車産業のためとか、エネルギー産業のために、とにかく必死になって習近平と交渉しています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 古賀茂明、望月衣塑子「THE 独裁者」(KKベストセラーズ)
2018515日(火)

 

 

<その2>
◆(望月)不認可ということになれば、森友学園と同じく加計学園も倒産もしくは民事再生を免れなかったでしょう。でも、絶対にそれはありえません。理事長の加計孝太郎は、安倍首相の「腹心の友」ですから。加計学園は、「総理のご意向」で開設が認可される確信があったから、実行して事を進めることができたのですね。

◆(古賀)アメリカと一緒にいるとアメリカの敵が日本の敵になるわけです。北朝鮮とはまさにそういう関係です。北朝鮮は日本がアメリカと一緒に戦争を仕掛けてこなければ、日本を攻撃する意図はない。そんなことをしても何の得もありませんからね。だから、アメリカと手を組むのをやめた途端に、北朝鮮を含めて、圧倒的に敵が減るということ。それに日本人は気づいていません。

◆(古賀)NATO諸国に対して、アメリカは軍事増強しろ、軍事拡大しろと、圧力をかけています。ところが安倍政権にはそういう言い方はしません。それはなぜかというと何も言わなくても自ら進んでやるからです。アメリカが圧力をかけたというと、逆にやりにくくなりますからね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 古賀茂明、望月衣塑子「THE 独裁者」(KKベストセラーズ)
2018514日(月)

 

 

<その1>
空気を読まない2人が忖度なしの徹底討論!これがサブタイトルの本である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介していきたい。

◆(古賀)役所で忖度という言葉が使われるときには、その対象となる人が「おもて向きには言えないが、こういうことを考えているはずだ」と読み取ることがカギになる。そして「表向きには言えないこと」とは、違法なこと、本来やってはいけないこと、考えてはいけないことです。

◆(古賀)忖度がある程度出世につながるのは民間組織でも同じでしょう。しかし、定年後も会社が面倒を見てくれる人は限られるのではないでしょうか。役所の場合、人事当局が退職後の天下りの差配をします。キャリア官僚だと少なくとも70才くらいまでは、役所の世話になる人が多いわけです。したがって忖度への報酬は、定年の60才以降も10年にわたって続くのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
2018511日(金)

 

 

<その24>
◆(馬奈木)私たちの原告団は、自分たちだけを救済してほしいという話はしていません。原告以外にも被害者がいるからです。そこで「被害者の全体救済」という救済の制度化を求めています。

◆(白井)原賠法に乗らないという選択をされたということですね。この点が決定的に重要なので、強調しておきたいと思います。原賠法の目的は、原子力事故が起きた際には四の五の言わずに賠償金を払うことで、原発推進の政策を維持するという点にあります。まさに原子力利用を続けるための法律・原発推進の国策を支える法律なのです。ですから、原賠法を前提に訴訟を起こすのでは、仮に、そこで大勝利をおさめたとしても、国家の大方針に関しては指1本触れることができません。そのために、敢えて民法をベースにしてたたかい、原賠法自体の問題も、明らかにするという戦術をとられたわけですね。

◆(猿田)白井さんは「永続敗戦論」の中で、日本は単にアメリカの言うことに従属している、あるいは「アメリカはこう望んでいるにちがいない」と、自らアメリカの要求を「忖度」して行動しているだけではなく、日本側が主体的に、「従属」を選択していると指摘されていましたが、それは、私は自身の認識とも重なります。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
2018510日(木)

 

 

<その23>
◆(馬奈木)つまり、事故を起こし被害を与えた側が、誰が被害者か、何が被害かを決め、それに対していくら払うかまで決めているのです。これがこの5年の間になされてきたことの実態です。それを許してもいいのでしょうか。
もし、許されないのであれば、この土俵に、私たちは上がってはならない。加害者がその責任もとらず、ただ被害者の範囲を定め、問題を賠償額の多寡だけに矮小化させている。そのために、福島の人々の間では、本来共通の敵である国と東電に対して怒りが向くべきところが誰がどれだけの賠償金をもらったかで感情が引き裂かれている。そして、こうした分裂を喜ぶのは国と東電なのです。

◆もちろん賠償は当然払わせなければなりません。しかし、ただ金を払うだけで解決したことにはさせない。そのために、第一の要求が原状回復となったのです。ただ、ここで注意していただきたいのは、「原状」は2011年3月10日の状態を指すわけではないということです。私たちが「原状回復」という言葉に込めているのは、原発事故の被害をふまえ被害が出ない、被害を生み出すことがないような状態に戻せということです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
201859日(水)

 

 

<その22>
◆(白井)外務省の中に当時三つの派閥、アメリカンスクールとチャイナスクールと地政学派とがあった。地政学派というのは、その時に応じて組むべき相手を臨機応変に変えていく立場で、鈴木・佐藤ラインは地政学派だったわけですね。あの一連の外務省の騒乱を通じて何が起きたかというと、地政学派がつぶされ、チャイナスクールもつぶされて、つまりアメリカンスクールだけになってしまう状況が作られた。それがあの事件の本質だったというんですね。

◆(白井)戦後日本の保守の主流は、親米保守といわれる異様なものです。どこの国の保守、ナショナリストというのは、たとえばフランスだったら親仏保守でしょうし、韓国だったら親韓保守のはずなのに、日本だけは親米保守なる奇怪な立場がナショナリストを名乗ることができた。

◆(島田・白井)アメリカが対外的にやってきたことのアコギさと中国がやってきたことを比べた場合、アメリカの方が悪かろうと思います。遥かにアコギです。アメリカが悪いことをやった時にはそれは10分の1くらいに希釈されて伝えられるのに対して、中国のそれは10倍にして伝えられるという感じがありますね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
201858日(火)

 

 

<その21>
◆(岡田)実学というのは、平時の学問だと思うんです。これに対して人文学というのは基本的に非常時の学問です。足元が崩れていく移行期的混乱のなかにおいて、それでも生き延びてゆく制度や知恵というのは何なのか、100年、500年、千年という時間軸で人類の歴史の中から見つけてゆく。長いスパンで見れば、実学と人文学というのは、補完・協力し合う関係にあるんだと思う。排除し合うものじゃない。人文学が再び脚光を浴びる時が必ず来ます。そのためにできるだけ広い視野をもち、長いスパンで物事を見られる知性を身に着けた人を育てていかないといけません。

◆(白井)今回も安倍さんは、ニューヨークに行って、結局オバマ大統領と会えなかったですよね。あれほどの、貢物をというか、アメリカのために強引なことをやったのに、会ってくれないと。僕だったら死にたくなると思うんですけど、彼は平然へっちゃらみたいです。鈍感で恥知らずな人間は、強いんだなあということがよくわかりました。アメリカにとっても凡庸なくらいがいいとはいえ、ここまで低劣だとは誤算だったと思う。オバマは嫌悪の情を隠しすらしていない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
201857日(月)

 

 

<その20>
◆(栗原)人が生きることには、そもそも縛りや尺度は存在しないということです。初めからある基準に従って生きることは生きるとは言えない。何かの基準に従って生きるということは、「生かされている」ということだ。何かのために生きるのではなく、自分が「ちょっと面白いからやってみよう」とかどんな形でもよいからやってみる。そういった力の充実感を味わっていくことが生きることなのです。

◆(白井)栗原くんは妥協しない。俺は生き延びるなんてつまらないことは考えない。生きたいように生きるだけだと言ってやってきた。多くの人は、なかなかそこまで強くなれないんですよ。

◆(白井)イデオロギーの違いがあっても経済状態の違いが無ければ、それなりに折り合っていけんじゃないかと思った。イデオロギーが異なるうえに、経済格差が大きいと、上手くいかないのではないかと。

◆(白井)人文学的な知に対して、昔はまあ儲かりはしないまでも、ある種のリスペクトを抱くべきと言う雰囲気があった。ところが、この20年ぐらい、グローバリゼーションがやかましく言われはじめてからだと思いますが、文化的な地殻変動が起きて「金にならない=役に立たない」ということを公言してもいい、恥ずかしくないんだという空気ができてしまっている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
201852日(火)

 

 

<その19>
◆(岡野)戦後50年の戦後責任論の中で強く言われていたのは、東アジアの中で日本がいちばん恩恵を受けて、繁栄してきたということです。冷戦構造を利用した、ベトナム戦争や朝鮮戦争も実際アメリカは負けたにもかかわらず、日本はある意味で勝ち逃げした。そうした事実がある中で築いた繁栄なのだから、個人賠償だってできると主張できる余裕があったと思います。

◆(白井)天皇がいないと日本人はダメになってしまうという考え方と同じです。むしろそれ以上にアメリカ様がいなくて背骨を失ったような気持ちになって、とても生きている感じがしないと無意識のうちに考えるようになってしまったのではないでしょうか。日本は異様に親米ですから。

◆(白井)世の中には、いろいろな本が出ていますが、その中で思想的に、画期的な意味がある本は、実はほとんどない。何年も残るような思想的意味がある本は少ない。

◆(白井)「生き延びる」ではダメで、「生きる」ということが重要だと。なぜ「生き延びる」ではダメなのか?「生き延びる」だけを目標にしていると、人はだんだん堕落してくんです。1人1人の人間は堕落していくし、世の中全体も堕落をしていく。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
201851日(月)

 

 

<その18>
◆(白井)なぜずっと、戦争責任に片がつかないのかを考えたとき、内側での問題を解決していないから、外側に対して責任を感じることがないのだと思います。

◆(白井)やはり90年代くらいが境目だと思います。それまでは世の中が少しずつ民主主義的になって男女平等も進んでいくはずだという、社会のコンセンサスがあったと思います。しかしこの20年の間でこのコンセンサスは完全に崩れたのではないでしょうか。

◆(白井)「社会は民主的に進化する」という前線は、90年代当たりで崩れました。未だにそういう考えでは、現実とのずれが出てきてしまうと思います。

◆(白井)若い世代が戦争をどう引き継ぐかといった時、日本の平和と繁栄・富を受け継ぐのであれば、アジアに対して謝り続けるというのもワンセット。遺産相続では財産もあるけれども、借金も相続するのだから、両方相続しないといけないという話は、それなりに納得されてきたわけです。しかし現在は平和も繁栄も怪しくなっていて、後には莫大な負債しかなさそうだという情勢になってきた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
2018427日(金)

 

 

<その17>
◆(白井)文科省およびそのアドバイザーの立場からの本音は、「ほとんどの若者はグローバル・エリートになんかなれっこないのだから、グローバル・エリートたちの下請けをやる奴隷労働者みたいになるしかない。奴隷として少しは使い物になるようにしてやるために、エクセル・弥生会計ソフトを学ばせよう。それが「教養」から「実学」への流れである。

◆(白井)結局、人間何のために学びに来るのかというと、それを学べばこういう結果を得てご飯を食べられるからということだけではないのですね。いままで自分が考えられなかったようなレベルに一段階でも知的に向上すること、そのことがこの上ない喜びをもたらすのであって、それこそが教養がもたらすことのできるものなのだと思います。だから実学志向をいくら進めても、人間からこういう衝動をなくすことはできない。

◆(佐藤)沖縄等の新聞を読んでいて面白いのは、やはり日本語が違うと気づくことです。たとえば、本土で「御礼参り」と言えば、報復のことですが、沖縄の新聞では本来の感謝の意味で使っています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
2018426日(木)

 

 

<その16>
◆(白井)ある一部の人たちは本当に180度転向をしています。「こんな間違った思想を若気の至りとはいえ、信じてしまった自分を天皇陛下は赦してくださるのだ。そんな天皇陛下を戴く日本国はなんてすばらしい国なんだ。」という心境になっていくのです。それこそ愛情による支配です。

◆(白井)転向についてはいろいろなエピソードがありますが、そのうちでも最も強烈な部類に入る1つとして田中清玄の転向があります。田中は戦後右翼の大物・フィクサーと言われて有名になりますが、もともと戦前は共産党員でした。田中は逮捕されて獄中で転向するわけですがそのきっかけは凄まじいものです。田中のお母さんが「とんでもない不忠の息子を自分は産み育ててしまった。天皇陛下に申し訳が立たない」ということで腹を切って死ぬんです。そして、田中は共産主義を捨てるんです。戦前・戦後で共通するのは主体性の否定、1人の人間が自ら考え行動することが禁じられていることです。そこで見出される日本的特徴とは、その否定、禁止が愛の名において行われることだと思うんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
2018425日(水)

 

 

<その15>
◆(白井)マルクス主義思想というものは、ものすごくラフに言ってしまえば、人間は下部構造で決まっているのだと断言します。言い換えれば人間はちっとも自由ではないということを、しつこく言う思想です。

◆(白井)反知性主義の定義を簡単に紹介しますと、知性がないことではく、――それは単なる無知です――もっと攻撃的なんですね。知的なものとか、知的な人間に対する攻撃的な憎悪が反知性主義であるということです。赤狩りとはまさにその典型です。赤色化するのはインテリ層に多いわけですから、アカが気にくわないという以前にインテリがムカつくというわけです。

◆(白井)なぜ教養なんてものを身につけなければならないのか。このような問いは、かつては発してはならなかったと思うのですが、いまや「なんですか?金にならないじゃないですか」と言ったことを平気で言える時代になった。

◆(白井)自分で自分の首を進んで締めるような嘘に騙される、つまり、グローバリゼーションが進行するほど暮らしは苦しくなるという自らの利害を理解できないような馬鹿どもに支持させればよいのだという本音が赤裸々に語られるようになっている。そして、どのように支持させればよいかというときに、安手のナショナリズムを売りつけるわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
2018424日(火)

 

 

<その14>
◆(白井)「永続敗戦論」のテーマはざっくり言えば対米従属批判なんですが、対米従属そのものを批判しているんじゃない。正確に言えば日本の対米従属の特殊性を批判しているわけです。支配と従属は基本的には国と国との関係ですからあくまでもビジネスライクである。ところが日本の受け取り方には温情主義が入っている。アメリカは日本を愛してくれるはずであるという妄想ですね。要するに、戦前、戦中の天皇の位置がアメリカに入れ替わったということです。

◆(中村)「従軍慰安婦」の問題にしても、強引に連れていったわけじゃねえよと言うけど、あれは結局、腕を引っ張って連れていったのか、嘘をついて連れていったのかという違いじゃないですか。何も違いはしませんよ。

◆(白井)あの恐ろしい事故で殺されかけているにもかかわらず、なんでこうも危機意識がないのか。3.11以降わかったことは、国民の大半は生き物としての本能が壊れているという事実です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
2018423日(月)

 

 

<その13>
◆(白井)右翼は、靖国は日本人の伝統的精神の結晶だと思っているみたいだけど、本当はいいかげんなものです。存在そのものが日本の伝統に全然そぐわない。もともとは日本の宗教精神の多くが戦いで負かされたほうの霊を神として崇め奉ることで祟りを避けるためのものです。その原理からいえば、戊辰戦争の佐幕派、さらには西南戦争の西郷方の犠牲者も祀られているべきなのにそうではない。

◆(中村)一般的に言われる靖国神社と言うところは御霊を慰霊する。追悼するという、そういう生易しいものではなくて、英霊を顕彰するところですからね。顕彰というのは、功績を世間に知らせ、表彰するということ。そして戦死者を神として祀るというものですね。ちなみに、日本は敗戦した日に毎年、全国戦没者追悼式を開いている。そこにはA級戦犯も含まれているのだけど、実は中国も韓国もその他の国もそれには一度も抗議していない。理由は戦没者を追悼している行為だからです。神として祀ってもいない。彼らは靖国神社に直接文句を言っているわけでもなくて、靖国神社に国のトップが参拝していることに抗議しているんです。A級戦犯を英霊として、神と祀る場所を国のトップが参拝することは、国際社会は絶対に認めてくれない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
2018420日(金)

 

 

<その12>
◆(白井)最近、宮台真司さんが今起きている問題は、何なのかといえば、「感情の劣化」だという話をしていて、そのとおりだと思いました。歴史修正主義者的なナショナリズム、そういうネトウヨ的なものには、とにかく論が通じないわけです。事実の誤認を指摘しても、それは捏造だとか、プロパカンダだと言って最初から聞く耳を持たない。こういう状態は社会的病理だと言えます。本来、政治はこうした病気を治し、発生源をなくすよう努力しなければならない。それなのに、今の政治は逆にこうした病理のエートスを燃え立たせ、それを権力基盤にしています。これは完全にファシズムの政治手法です。

◆(中村)人間と言うのは、ある思想に感情的にからめとられると、論理でいくら言っても変わらなくて固まってしまう。彼らを変えるには、別の体験からの感情によってしか変えることはできないと。その言葉はもろに今現在の状況をあらわしていますよね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
2018419日(木)

 

 

<その11>
◆(中島)僕は、保守主義者ですが結果的に出てくる政策的なビジョンは、近年の社民主義者とほとんど同じです。近代理性主義から脱却した新しい左派の論理と、社会の分厚さを重視してきた保守の論理が手を結べる時代がやってきたと思います。それが新自由主義やグローバル化と対峙するようになっています。

◆(白井)僕らは30代ですけど、同世代の人たちについて感じる違和感は、本当の意味での政治の話をしない、大文字の権力について語ることを異常なまでに禁欲的であるということです。僕の「永続敗戦論」も書店データによれば読んでいる人の97%が50代か60代の男性だそうです。これは僕の力不足なのかもしれないけれど若い世代になかなか伝わっていない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
2018418日(水)

 

 

<その10>
◆(白井)90年代のアジア通貨危機の際、日本(の資本)はマネーゲーム化した金融市場の中で、欧米と一緒になってアジアを収奪し、利益をあげています。

◆(中島)TPPを批准したらおそらく政治家はさまざまな問題でこういうと思うんです。「そんなことを国会で立法化したら、TPPで訴えられます」と。つまり主権の外部化が起こる。よって人民主権が解体されていく。

◆(白井)けれどもこの20年間はグローバル化の名の下に、社会の本当の力を壊すようなことばかりをやっている。コンプライアンス(法令遵守)などという形式主義などその典型です。形ばかりをとりつくろうために、労力が浪費されて、内容はどうでもよくなった。

◆(中島)残念ながら日本はもう経済成長はしないんです。とすると成長モデルではなく、成熟モデルを求めていかなければいけない。企業であれば拡大することが価値であった時代は終わり、場合によっては縮小しながらも継続することに意味がある。そういった別の価値を見出し、転換していかなければならない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
2018417日(火)

 

 

<その9>
◆(白井)資本主義が駆動するためには「自然からの贈与」が必要です。石油をタダ同然で手に入れられたからこそ、先進国はオイルショックまで成長を謳歌できたとおっしゃっている。しかしその「贈与」はもはや、ない。

◆(水野)確かに脱成長、ゼロ成長は、非常に誤解されやすい言葉です。まずマイナス成長と同義だと思われてしまうのですが、マイナス成長は貧困社会ですから違うんですね。そして、現在の粗暴な資本主義下では、成長を求めるとマイナス成長を呼びよせてしまう構造ができあがっています。

◆ゼロ成長を実現するためには、財政、人口、エネルギーといった経済・社会政策だけでなく、それを支える哲学思想が必要とされます。金融緩和や財政出動をすれば、世の中よくなるという単純思考に比べてよっぽどチャレンジングなんです。

◆(白井)大東亜戦争では太平洋戦争と呼ぶことにより、米国だけに負けたというイメージになってしまいました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
2018416日(月)

 

 

<その8>
◆(水野)日本の金融資産では世帯を見ると、70年代半ばから80年代後半にかけての十数年はおおむね3〜5%で推移していたんです。ところがいまや3世帯に1世帯が金融資産ゼロという状況になってしまった。

◆(水野)中国が覇権国になるとは考えられません。成長率はそれなりに高くとも、中国は過剰な生産設備という大問題を抱えている。その過剰な生産を消費できる所が世界中にほとんど残っていない。もう需要がないとわかった瞬間に世界中から投資が集まった中国のバブルは破裂するわけです。となれば、世界中がデフレ化します。資本主義の終焉です。

◆(白井)アメリカの次に中国が覇権を握るわけではない。次に覇権を握れる国は現れないのだと。これは非常に重要な指摘です。

◆(水野)近代的な覇権国とは何か。それには2つの経済的な条件が必要だと考えています。
1つは資本を集める力です。オランダにしても、イギリスにしても、アメリカにしても、絶頂期には金利が非常に安い。もうひとつは資源価格を低くコントロールする能力です。グローバル化が進み、新興国も工業化することで需要は膨らみ、しかも量的緩和によって流れ込んだマネーで価格が高騰するばかりです。アメリカだけでなく、中国であれ、どの国であれ、資源価格をコントロールすることはできないのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
2018413日(金)

 

 

<その7>
◆(孫崎)鈴木邦男さんがおもしろいことを言っています。われわれは自分の妻を素晴らしい妻ではなく、愚妻と言う。それが人間関係のありようなのに、国になると、なぜ「美しい国」と言ってしまうのかと。

◆(白井)いまわれわれは、きっとアジア諸国の歴史に学ぶべきなのでしょう。ベトナムは欧米の勢力を追い出すのに100年以上の日々をかけた闘争を行いました。あるいは、中国史を見れば、阿片戦争から中ソ論争まで約120年の歳月が流れています。いずれも壮絶な闘争の歴史です。おそらくそうしたスパンで歴史を見なければならない歴史的地点にわれわれはいるのだろうと思っています。

◆(白井)主体性を否定しているのは、アメリカではないのです。日本人自身が主体性を持つことから逃避している。つまり奴隷であり続けたいと願っているということです。今後、永続敗戦レジームが崩壊してゆく過程でさまざまな対立・闘争が表面化してくる。それはつまり主体性を持とうとする人間と、それを拒む人間との対立、より具体的に言えば、リスクを負ってでも自由を求める人間と安定さを得られるなら隷属をよしとする人間の対立です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
2018412日(木)

 

 

<その6>
◆(白井)デヴィット・ハーヴェイの定義によれば、新自由主義というのは、資本家階級からの労働者階級に対する階級闘争です。ですから大部分の人は資本家ではないので、新自由主義が支配的になれば損をするに決まっている。

◆(孫崎)「菊と刀」では、日本人は真面目だけれども地図は描けない国民だと言われていましたね。戦後になってマッカーサーは、日本は所詮奴隷国だと言うわけです。だから、アメリカというのは、奴隷の扱い方を心得ているんですよ。主人に都合のいいかたちを奴隷に与えて、かつ奴隷が満足するかたちで使っていく。

◆(白井)統治エリート層は「敗戦」の責任をとることをアメリカの助けによって免れることができたのだから、その恩を永遠に忘れるわけにはいかないからです。その構造こそが戦後の「国体」であり、壊さなくてはいけないと「永続敗戦論」で書きました。それは何のためかというと、主体性をつくり変えるということです。国民全体のレベルをアップしなくてはいけない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
2018411日(水)

 

 

<その5>
◆(孫崎)日本の輸出における米国のシェアは2011年で15.3%です。一方中国・台湾・香港・韓国をあわせると39・1%である。日本の輸出対象は現実として、東アジアに移っているにもかかわらず、依然として、日本国民はアメリカに依存しないと日本の繁栄がないと思っている。

◆(白井)1952年4月28日は独立を回復した日だというけれども、その日は日米安保条約が発効した日でもあります。その日をナショナリスト(自称)がお祝いする!これはもう正気の沙汰ではありません。

◆(白井)そこまで従属を極めるべきだというのなら、なぜ主権の自発的放棄を断固主張しないのか不可思議です。論理的に突き詰めれば、日本はアメリカに併合してもらうべきであるという結論が当然出てくるはずです。ただし、それを実行すると外交そのものが存在しなくなりますから、外交評論家である岡本さんは失業します。だから突き詰められないのかなと思いますが、実に情けない理由です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
2018410日(火)

 

 

<その4>
◆(孫崎)ポツダム宣言では、「カイロ宣言は順守する。日本の主権は本州、北海道、九州、四国とする。その他の島々は、連合国側が決めるものに局限する。」となっている。ということは、論理的には、「固有の領土」であるから自分のものだという言い方は、通用しない。ところがこの論理を日本人の7・8割は受け入れていません。

◆(孫崎)世界史の教科書はだいたい山川出版なんですが、そこにはポツダム宣言の領土問題の記述はありません。またサンフランシスコ講和条約で千島列島を放棄した記述も書いていない。満州、台湾、澎湖群島のごとき、日本が中国から奪ったすべてのものは、中華民国に返すというカイロ宣言の記述もないんです。日本人の多くは自分たちに与えられる情報が客観的であって中国や韓国はいい加減な情報で操作していると思っています。ところが日本社会はそういうことが実際に行われている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
201849日(月)

 

 

<その3>
◆(孫崎)日本の現行の制度をすべてひっくり返してしまうと、アメリカの隷属の体制がしっかりできているのに、自分たちで勝手に望ましくない人物を排除してしまうというシステムを壊してしまう。それが問題だから、小沢さんは叩かれる。

◆(白井)小沢さん主導で改革が行われると日本社会が主体性を持ってしまうかもしれない。その主体性が親米的なものであれ何であれ、主体性そのものが許容できないものだということでしょう。

◆鳩山さんは、率直に「圧力を跳ね返す力がなく、私は敗れました。」と言えばよいのに。国民は多くのことを学ぶことができたはずです。細川さんも同様ですね。いちばん書かなきゃいけないことを書いていない。陶芸にふけっている場合ではないんですよ。「これを言っちゃうと殺されるかもしれない」という恐怖感があるのかもしれない。だけどあえて言いますが、そこに踏み込むのが、ノブレス・オブリージュというものでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
201846日(金)

 

 

<その2>
◆(白井)その点、世代的に僕は精神の自由があったということでしょうね。ソ連に憧れた体験がないし、レーニンがすべて正しいなどと思ったこともなかった。ただ資本主義がこのままいくとやばいということは言いたい。だったら、一瞬であっても突破してみせたレーニンはやっぱりすごいんだということを証明してやろうと考えて、レーニンに関する本を二冊出したんです。

◆(孫崎)100%正しいというかたちで受け入れる勉強をしなかったということですね。それは対米関係の研究者とまったく違います。彼らは、基本的に日米関係を正しいものとして、受け入れる。20%ぐらいおかしいところがあるかもしれないけど、80%正しいんだからごちゃごちゃ言うなという雰囲気なんです。

◆(孫崎)たとえば米国人が日本人を殺すといったことは、ほとんどなかった。世界各地を見れば、米国人が望ましくない人間を殺している事例はあるんですよ。日本の場合はそこまでする必要がない。どうしてかというと、この人間は望ましくないと伝えれば、日本社会のほうで排除するシステムができているからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡「ポスト戦後の進路を問う」(かもがわ出版)
201845日(木)

 

 

当代切っての若手の論客である白井氏の対談集である。かなり読み応えのある内容になっている。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆(白井)アメリカは、最初は非常に厳しい対日政策をとって、戦後日本の生活水準を決して中国や朝鮮やインドネシア以上のものにしてはならないという方針もあったのに、日本が貧しさのために、共産主義に走りかねないと見るや、方針は変更された。つまり、占領政策は道義的な正しさの追求ではなく、冷戦構造のなかで、アメリカが日本をどう位置づけるかというところで決まっていたわけです。政治なんだから、ある意味で当たり前のことです。

◆(白井)もう少し歴史の話をすると、アメリカの最初の対日政策は、絶対に2度とアメリカに歯向かわない「無力な日本」が最初は必要とされたわけです。戦後直後ですから、アメリカにとっても「恐ろしい日本」というトラウマがある。「憲法9条」もそこから構想された側面があるわけです。その段階が過ぎたあと、「親米的日本」つまりアメリカに対して親しみの気持ちを持つ日本が必要になってくる。冷戦構造のなかでの弟分としての日本ですね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金時鐘、佐高信「在日を生きる」(集英社新書)
201844日(水)

 

 

<その6>
◆ありていに言って、こと核の問題に関する限り、北朝鮮側に道理があります。金日成主席の生存時から北朝鮮はアメリカに対して、朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に締結し直そうとずっと提起してきました。そうなれば、北朝鮮が核を持つ理由がなくなる。とも言い続けてきています。金日成から金正日に代わったときも、同じことを言っていたし、今の金正恩も、話し合いをするなら私たちは核の問題を考える、それはお祖父様の遺言だとも言っています。

◆日本のメディアの論調は、北が挑発しているというものですが、挑発ではなく、アメリカにあれほど威嚇されるとやはり身構えますよね。金日成時代の流れで見るなら、挑発はむしろアメリカ側がしていると言うべきです。

◆たとえば、こういう例はどうでしょうか。ソビエト連邦が崩壊する以前、北朝鮮との間に軍事同盟が結ばれていました。安保条約のような性格です。もしソ連が北朝鮮軍とともに、延べ20万人くらいの合同軍事演習を新潟沖の公海でくりひろげたとします。
ソ連にももちろん原子力空母も潜水艦もあります。それこそ日本はパニックに陥ることでしょうね。それと同じ、いやそれ以上のことをアメリカは軍事境界線上ギリギリでやっている。北朝鮮が全身ハリネズミのように身構えるのは無理からぬことですよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金時鐘、佐高信「在日を生きる」(集英社新書)
201843日(火)

 

 

<その5>
◆僕は、今でも社会主義に対する憧れはつづいていまして、年がいっても、生活の不安がなく、子どもたちを競い合わせて教育することもなく、働くことに収奪されることがない体制が悪いとは思わないのです。そういう社会主義という制度を推し進めた側がお話にならないほど、ひどい官僚主義と国家主義が背中合わせになったような専制政治をやったことがいけないのであって、社会主義の理念が間違っていたわけではない。それまで僕の世界観はおおむね唯物史観に則ったもので、読書もそういう傾向のなかでしてきました。

◆川端康成がノーベル賞を取ったのも、一種の異国情緒みたいなものが評価されたのだと僕は思います。ノーベル平和賞は冷戦時代、ソビエト社会主義圏と対立させるために反共的な人に与えていましたいけどね。

◆まず日本は、韓国日本の修好条約ができたように、北朝鮮との間でも修好条約を提起し、会談を実現することで、拉致問題解決の目途もつけてゆく、というふうに、北朝鮮との関係を見直してみる。重圧をかけるより、アメリカとの間の仲立ちができる日本であることを、いま一度考えてみる。

◆好き嫌いを先立てずに、北朝鮮との対話の場を作り出す責務がお互いにあるのです。戦後補償、拉致問題等、日本には話し合いの糸口をつける有効なカードが手許にあるではありませんか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金時鐘、佐高信「在日を生きる」(集英社新書)
201842日(月)

 

 

<その4>
◆「伊豆の踊子」にしても、当時の踊子というのは結局、人身売買ですから、大学生がそういう人を好きになったということが、どういう意味で美しいことなんでしょうか。そこには踊子が人身売買されることへの社会的な意識が感じられないのです。

◆僕は2人(吉本隆明と三島由紀夫)とも現実とは、別次元の空間のなかで、生きてきた人のように思う。閉じこもって、純粋に気化してしまった思考ではないでしょうか。

◆「誰か祖国を2つに分けたの」、それは日本だろうと。それを他人ごとみたいな歌詞にしてしまっている。もう一つは北の大地は黄金色なのに、南は荒れているという、元の歌詞自体の問題です。この2つの理由で「イムジン河」は歌えないと言っていた。

◆歌というものは、否応なく政治や社会や歴史が刻印されますよね。「イムジン河」という、日本では理想主義的な社会派の歌と見られてきた歌一つとっても、そこに、日本の責任性への無自覚や、北朝鮮という社会主義国の自己中心主義やさまざまな問題が含まれていて、自分の感度を深く反省させられました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金時鐘、佐高信「在日を生きる」(集英社新書)
2018330日(金)

 

 

<その3>
◆歴史家の羽仁五郎は「きけわだつみのこえ」は戦争について思考した文章ではなくて、日本的なセンチメンタリズムでのなかで、戦争について考えることを放棄させられた文章だと言っていました。

◆水戸黄門に歯向かった人たちこそ、変革を望んだ人たちだったのかもしれない。ところができ上がったシステムを揺るがさないために、水戸黄門は常に正義なんですよ。詩を書きたかったら、まず「水戸黄門」を見ないことから始めないといけない。

◆「鬼平犯科帳」なんかをつい見てしまうんですよ。あれは面白いという話をしていたら死刑判決弁護人の安田好弘に怒られましてね。あれは裁判もなしに下手人とされた者をバッサリやる。それはだめなんだ、と。

◆日本ではどちらかと言うと詩より短歌や俳句の方がポピュラリティがありますが、朝鮮は詩人が大事にされる国だと言われますよね。

◆それにしても、どうして三島由紀夫は今の日本でもあれほど大事にされるんでしょうか。もっとも警戒しなくてはならないでしょうに。日本国憲法を自衛隊のクーデターによって変えようとしたわけでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金時鐘、佐高信「在日を生きる」(集英社新書)
2018329日(木)

 

 

<その2>
◆被差別部落出身の生徒たちが朝鮮人を軽く見るのは、ごく普通のことでした。朝鮮人に対する「差別だ」と言うけれど、あれは蔑みなんです。差別はより弱いところへなだれていく特質をもっているといわれますが、部落の人たちもまた、朝鮮人を悪し様に言ってきたのです。

◆私は、2015年アメリカの議会で、安倍がヘタな英語で演説したとき、なぜ日本語でなく英語なのかと批判したんです。韓国の大統領が日本に来て、日本の国会で日本語で演説したら、韓国に帰れないだろうと思う。日本ではそれを、安倍首相のスピーチはうまい英語だったとほめたりする。
・・・国会で安倍首相はどこでのスピーチを英語でやり、どこでのは日本語でやっているのかとぶつけたんです。返ってきたのは、アジアでは日本語でやっているという回答でした。

◆農村というと自然の象徴のように詠われますが、しかし稲というのは人間が変形に変形を重ねたものです。つまり自然にもっとも反して実るような植物にしていった。それなのに農業を自然の代表みたいに詠うのはおかしい。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金時鐘、佐高信「在日を生きる」(集英社新書)
2018328日(水)

 

 

本の帯には、反骨の言論人佐高が迫る反抗の伝説的詩人の世界と書かれている。以下本書より、インパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆(金)日本の国民全員が苗字を持つようになるのは、明治維新以後なんですよね。それまでは苗字帯刀が許されたのは侍と、一部の豪農くらいでした。「士農工商」という身分制度が徹底されたのが徳川幕府から明治維新まででしょう。明治維新は士農工商という身分制度をなくしたといわれるけど、それは建前で、天皇の御楯を掲げる軍人がいちばん上位ということになったわけです。

◆「ナデシコジャパン」と言い広められた女子サッカーチームが、2011年にワールドカップで優勝したことがありました。澤穂希選手をはじめ、ワールドカップのときの多くの選手がINAC神戸に所属していた。INAC神戸というサッカークラブのオーナーは文弘宣という在日同胞で、僕など関わっているコリア国際学園の初代理事長なんですよ。彼は何億もの金を使って選手をかかえて飯を食わせ、今ようやくINAC神戸のオーナーは在日の事業家であるということが知られてきています。今それを承知で「ナデシコジャパン」と喧伝しているわけですから、ほほがこわばります。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 望月衣塑子・森ゆうこ「追求力」(光文社)
2018323日(金)

 

 

<その5>
◆日本の場合は結婚しないと産めないんですよ。だから「できちゃった婚」があるんです。もっと大胆に家族政策の発想を変えて社会を変革しないと、この先は対応できませんよ。

◆韓国の文在寅大統領はもうちょっと慎重な、必ず事前同意なしには米軍にやらせないことが、なるべく戦争を避ける方向にというメッセージを送っているのに、安倍総理からはそういう言葉は聞かれないですよね。

◆歴史を見ても、権力者の暴走を止められないとき、その国に悲劇がもたらされます。それを止めるのは、国民の声でありそれを代弁するメディアであり、国民の代表である私たちの仕事なんですよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 望月衣塑子・森ゆうこ「追求力」(光文社)
2018322日(木)

 

 

<その4>
◆共産党は完全にチームでつくっているからうまい。二つ質問して、こう答えたらこう返す。こう答えてきたら、こう返すとかもう綿密に想定問答をつくっている。

◆書くだけならいいんだけど、「面と向かって官房長官に問い詰めるのは・・・」みたいな。「それは望月さんが行ってきて」という感じですね。

◆政治家にも「シングルで子どもを育てるのは自己責任だ」「わがままを言って離婚したんだろう」という思いが心の底にあるんですよ。かつてのような、夫と専業主婦の妻と子ども2人の4人家族が基本形だ、という幻想が抜けないんですよ。

◆民主党の岡田代表がクォータ制度「議員や会社役員などの女性の割合をあらかじめ決めて、積極的に起用する制度」をマニュフェストに入れる考えがあって、女性議員の意見をきいたことがあったんですが、みんな男性と競争して戦って勝ってきている女性ばかりだったから、特別扱いはおかしいのではという意見が大勢でした。女性の活躍を促す仕組みづくりにおいて、女性が壁になってしまうケースもありますよね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 望月衣塑子・森ゆうこ「追求力」(光文社)
2018320日(火)

 

 

<その3>
◆いまの著名なジャーナリストの大半は官邸とのパイプの太さを競っている感じですよね。情報力としては、権力者とつながっていたほうが政治部としてもいいはずなんです。でも筑紫さんは、政治と一体化したらいけないと肝に銘じていたんですね。そういうことってなかなかできないですよね。

◆そうですね。もしくは、渡辺恒雄読売主筆みたいに、どんな政治家に対しても、自分の思いとか信念をきっちり言えるくらいに力をもつのか。もしかしたらそれが政治記者として目指すべき到達点かもしれませんね。いずれにしても、政治家の言いなりにならない。政治が間違っていたら、間違っているって言えないといけないんですよ。自分が総理を使ってこの国を変えていくんだという気概を持つとかね。

◆でも、今の政治部はとにかく、政治家に気に入られようと、伝書鳩のような役割になってしまっていると感じます。やっぱり気に入られて食い込んでいるというのは、一時的には重宝がられるけど、最終的にいいように使われるだけの気がしてしまいます。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 望月衣塑子・森ゆうこ「追求力」(光文社)
2018319日(月)

 

 

<その2>
◆私は質問する中で感じたのは、記者って文章で批判したりしても、自分が顔を出して矢面に立ち、結果責任を負うということは、あまりないんですよ。万が一、誤報をしてしまったてもクビになることもないですし。

◆自分がバッシングを受けるようになって痛感したのですが、私たちは媒体を使って批判をするけれども、自分自身で顔を出して意見するということはあまりしません。会見の場でも私たちは後頭部が移るだけで、菅さんの顔がメインです。
だから私たちとは覚悟が違う。安倍さんや菅さんを持ち上げるわけではないけど政治家は身をもってその批判を受け止めて、最後は選挙や世論調査で評価されるわけですよね。その覚悟と責任の取り方や持ち方は、記者とは全然違うんだと思います。

◆当然、一番情報を持っているのは権力者側。記者とすれば情報がほしいわけです。そうすると組織も人も、権力にすり寄ってしまうと思いますよ。一番顕著なのが司法記者クラブね。絶対検察のいいようにしか書かない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 望月衣塑子・森ゆうこ「追求力」(光文社)
2018316日(金)

 

 

民主主義が歪められていると直感したら絶対にあきらめない新聞記者と野党議員が示す「問うこと」の意味とサブタイトルに書かれている。 以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆諦めない心と継続すること。そう考えると、追求力の根源は「パッション(情熱)」なのかもしれません。人が行動を起こす理由とは、パッション以外の何物でもない気がします。

◆武器がカネになるというイメージを持ったのは、武器輸出の取材で、アメリカの軍事企業の幹部からこんな話を聞いたときです。「いまアメリカの軍事企業は、ミサイルと弾薬で儲けています。精密誘導弾は増産ですよ。中東がほとんど戦争状態になっているからです。」と。

◆似たような批判で「何度も同じ質問をするな」というのがよくありますよね。望月さんも同じ質問を繰り返すなと言われたときに。「きちんと回答をいただいていないから」と切り返したことがあったよね。あれはうまかったと思いますよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀内哲編「生前退位-天皇制廃止-共和制日本へ」(第三書館)
20171214日(木)

 

 

<その7>
◆そこには岸信介がCIAのエイジェントだったとはっきり書かれています。もっと言えば、自民党そのものが、CIAに飼われていた、と。

◆国連加盟国193ヶ国のうち、「共和国」と名乗る国家は、誰もが知っているフランス、イタリア、ドイツから始まって120以上を数えるわけですからねえ。

◆共和制の基本理念として、@独裁否定、A労働者中心、B自国中心主義否定、C平和主義を示した。このほか人民投票や人民議会、死刑廃止など生存権に関わる事項、脱原発や環境権、格差社会の是正、投機マネーの規制や環境権などの諸政策は、この理念から必然的に導かれるものになるだろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀内哲編「生前退位-天皇制廃止-共和制日本へ」(第三書館)
20171213日(水)

 

 

<その6>
◆日本軍がフィリピン人を百万人以上殺しておいて、その日本軍の死者を慰霊に行くって変ですよね。フィリピン人の犠牲者と日本軍の犠牲者を組み合わせて、「天皇は平等主義で偉い」と「平和天皇夫妻」を持ち上げるメディアの戦略なんだろうけど、欺瞞としかいいようがない。

◆再び民主党中心の政権が成立したとしても、長続きしないでしょうね。TPPだって、原発再稼働だって、オスプレイだって、民主党政権が決めたことです。

◆自分より弱い立場の者をいじめることで、内面のバランスを図ろうとしたがる、情けなくもくだらない構図があまりにも目立つ。トランプや石原や橋下徹らが人気があるのは差別をするからです。

◆現在の日本の抱えている問題の多くは、天皇制に起因するというよりも、むしろアメリカに起因していると、私は思うのです。これも状況論かな?もちろんこれだって天皇制が維持されたからだと言われればその通りで、つまり9条と1条のバーター論というか、要するにアメリカは、間接統治を計ったわけですが、いずれにせよ現状は国民の上に天皇がいて、そのまた上にアメリカが君臨している構図なのではありませんか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀内哲編「生前退位-天皇制廃止-共和制日本へ」(第三書館)
20171212日(火)

 

 

<その5>
◆今の若い人たちは、「言論がタブーになっている」という自覚そのものがない。「天皇制がタブーだったの?」という精神構造になっちゃってるというわけです。

◆地方自治体でも国家でも議会で決められることは、その領域や事項をもっと限定した方がいいだろうということです。これ以上のことは決められないという敷居を明確にしなくてはならない。

◆たとえば、最近の課題だったら人間の基本的生存にかかわる軍事や原発のあり方は選挙で選ばれた議員や政党が勝手に決められないようにしなくてはならない。それこそ、堀内がいう国民投票によるとかね。災害救済のための自衛隊は拡大しても戦争をするための自衛隊は縮小すべきだとかね。

◆国会や政権が決められることを、縮小させれば、個々の人間が直接決定に参加できる事項や領域が拡大しますよね。そうやって直接民主主義を部分的に広げるということは可能なわけです。

◆世界の王制って概ね200年か300年で終焉しているんじゃないですか、日本の天皇制も明治維新から150年として、あと、どの程度で終焉を迎えるんでしょうか?


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀内哲編「生前退位-天皇制廃止-共和制日本へ」(第三書館)
20171211日(月)

 

 

<その4>
◆僕は日本の政治制度と支配体制が最も似ているのはイランだと昔から思っていた。イランは大統領制と議会制民主主義です。にもかかわらずイスラム教の「大元帥」の大指導者がいて、それが国民全体に対して宗教的影響力を圧倒的に持っている。日本の天皇制もそうじゃないですか。議会制民主主義と天皇制が並立している。天皇制が議会制民主主義の後ろ盾として支えている。ただ政治に直接介入はしない。

◆天皇制を支える国民感情はそんなに広がっているわけじゃなくて、別ににあってもなくても関係ないっていう生活感覚も大きいと思います。でもそういう人たちでも、実は広島・長崎に原爆を落とされたのは裕仁のせいだと歴史的事実として認識すれば、そんな制度は止めようと思い始めるかもしれない。

◆天皇制によって、実はわれわれがすごく自分の思想や精神生活をコントロールされていたんじゃないかということに気付いた時に、何かが生まれてくる可能性がある。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀内哲編「生前退位-天皇制廃止-共和制日本へ」(第三書館)
2017128日(金)

 

 

<その3>
◆現代天皇制の最大の問題は、天皇という存在そのものが人権侵害だということではないでしょうか。現在、裕仁の戦争責任や戦後5年間の政治的振る舞いを標的にして政治主義的に反天皇制運動をやるって、かなり難しいと思います。そうじゃなくて普遍的な人権問題という角度から問題提起していく必要があると思います。早い話、天皇は生物的には人間だけれども社会的には人間じゃないんでしょ。

◆目立たない、思ったことをストレートに言わない、そして自分を自分で抑圧する日本人のメンタリティーを作る根源に天皇制があると僕なんかは思っているわけです。

◆「他のイギリスとか中東のサウジなどの王政は、日本の天皇制のあり方とは違うわけですね。」 「日本みたいにタブーじゃないでしょ。それから尊敬されてもいないでしょ。イギリス王室が日本の天皇制にいちばん近いなんて言ってるけど、イギリスの場合、王室に関心があるのは、ほんの一部の国民だけですよね。 日本のマスコミがあたかもイギリスでは国民がこぞって王室を敬っているような報道をしますが、あれは日本の天皇制を「よいしょ」するためのフィクションですね。それに、イギリスの王族は、大衆紙や週刊誌のネタとして取り上げられ、叩かれたりもしているじゃないですか。日本とは雲泥の差があります。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀内哲編「生前退位-天皇制廃止-共和制日本へ」(第三書館)
2017127日(木)

 

 

<その2>
◆いっぽう終戦から約70年を経、戦争体験者も減少している。にもかかわらず各種世論調査では10%近く天皇制廃止論者が常時いる。これは天皇制についての問題意識が戦争責任や差別問題と共に「共和制」という政治制度に移行しつつあることの顕れといえよう。

◆よく「日本的心性」の絶対性みたいなものを持ち出して、天皇制を擁護する人も後を絶ちませんが、まったくのフィクションです。日本人の心性は歴史的に作られたものであり、裕仁治下の直近の歴史も総括していないのに歴史を貫通した日本的心性もへったくれもないのです。たかだか100年200年の歴史すら共通認識がなされていない。NHKではテレビドラマ、大河ドラマでも明治から大正、昭和と続く戦争の時代をほとんどとりあげないでしょ。

◆アメリカが日本の反共保守派に対して9条を認めろと迫り、そのかわりに1条から8条までの天皇規定を認めてあげるという、そういうバーターであったわけです。日本の保守反共勢力は、9条を嫌々認めたということです。そうじゃないと天皇を救えないから、という構図だったんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀内哲編「生前退位-天皇制廃止-共和制日本へ」(第三書館)
2017126日(水)

 

 

共和制という概念は案外難しい。共和制は法の制定者と法の執行者が別のものである統治形態のことで、立法権と行政権が分離されているのが原理である。それ由に共和制の対立概念は独裁制となる。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆現在、世界人口の92%が共和制国家にある。年間1,000万人が渡航し、国内では100万人の外国人労働者が働いている。保守派や伝統的右派にとって、グローバリゼーションの最大の問題は、共和主義が海外から日本の民衆にイデオロギー注入されてしまう点にある。

◆なによりも「改憲勢力」が恐れているのは予定調和的な護憲主義を乗り越えて大衆的な共和制論議が始まることだ。従来天皇制批判の論拠として、昭和天皇の戦争責任に集約されてきた。その後継者である現在の天皇にも構造的に戦争責任が承継されていることから、天皇制の強化に反対する運動が取り組まれてきた。また、天皇制の持つ差別構造や特権、基本的人権との矛盾から天皇制を問う声が上がっていた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹、姜尚中「アジア辺境論、これが日本の生きる道」(集英社新書)
2017117日(火)

 

 

<その9>
◆(姜)「千と千尋」では名前が非常に重要な意味を持つじゃないですか。主人公の千尋は、自分の「荻野千尋」という名前を奪われて、「千」という名前をつけられるんですね。あの物語は、その奪われた自分の名前を取り戻すという物語なんです。世間から見捨てられ、隔離された人たちの固有名詞を獲得する。そのシンボルとして、千尋を登場させたという解釈を聞いて、なるほどと思ったんです。
そんな取材を通して、日本の社会には異質なものを匿名性に追い立てていく力がどこかで働いているのではないかという感じを強く受けましたね。だから、在日の人も本名を変えて、最終的にはできる限り紛れていこうとしたし。そういうものが強制的かつ自発的な隔離みたいなものによって成り立っているので、なかなか問題が見えにくい。だから問題を取り出すまでが結構大変だと思います。逆に言えばある程度経済的な余裕があって問題意識がなければ、日本の社会ほど安楽に過ごせる社会はないですよ。
しかし韓国を見ていると、日本ほど隠ぺいできない社会になっていて、非常に対立が激しい。そこが問題もあるけどよさでもある。日本ももう少し異質なものとの対立を含めて、みんなカミングアウトできる社会にしてほしいなと思います。やっぱり民主主義はそれによって、成り立っているわけだから。それがこの1年間いろんな場所に行って感じたことですね。

◆(姜)ある全国紙が安倍内閣がやったことは、かなりの部分が失敗と書いていたけど、ロシアとの外交も失敗、トランプのアメリカ・ファーストに載って、アメリカの軍事産業を富ますために日本の防衛力を増強しますというのはその類ですね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹、姜尚中「アジア辺境論、これが日本の生きる道」(集英社新書)
2017116日(月)

 

 

<その8>
◆(内田)韓国の方が先に階層的格差の拡大が進んで、国富や富裕層に排他的に蓄積されて、中間層の没落が始まった。ですから、どうすればもう一度、中産階級を再構築できるかということが、喫緊の課題になった。その方向に韓国はこれから舵を切ると思うんです。それしか国を救う道がないですから。日本だって、中産階級の再構築以外に進むべき道はないということはわかっているはずなんだけれど、そのための手立てについて国民的討論がさっぱり始まらない。

◆(内田)いや何と言っても大統領を弾劾できるだけの力が国民にあるというのは大きいんですよ。日本なんか総理大臣や官房長官がどれほど嘘をついても、答弁をはぐらかしても、内閣支持率は高いままでしたから。韓国の方がずっと健全ですよ。日本の場合は、どれだけ政治が腐敗しても、国民の側にそれを自力で修復する気が起きないのは、属国マインドのせいなんですよ。自分たちの統治者たちのさらに上にアメリカがいて、最後はアメリカが決めることだから、自国のかたちを自分たちで決めることなんかできないと諦めている。

◆(姜)それで、僕ももう一度映画「千と千尋の神隠し」を見直してみたのだけれど、あの中にいろんな人たちが出てくるじゃないですか。あれはもしかしたらハンセン病の人たちをモデルにしているのかなと思った。ハンセン病患者の場合は、療養所に入れられると名前を変えさせられたんですよね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹、姜尚中「アジア辺境論、これが日本の生きる道」(集英社新書)
2017112日(木)

 

 

<その7>
◆(姜)そう、実は互いの国益のことなんか1ミリも考えてないのですよ。そういう連中が嫌韓を煽っている。

◆(内田)100万人単位のデモで死者が出なかったというのは、もしかすると韓国史上初めてかもしれないですね。

◆(姜)それならやっぱりトランプはそのトラップに引っかかったかもしれない。多分、今ロシアは、アメリカだけでなくドイツにもフランスにも、世界中に罠を仕掛けまくっているんじゃないですか。昔はコミンテルンの総本山、今は極右の総本山の遠隔操作をやっているようなイメージです。だってヨーロッパのいろんな極右政党を見ると、みんなプーチン崇拝でしょう。

◆(内田)「街道をゆく」はいいですね。僕はどこか旅行に行く前には司馬遼太郎が、その土地について書いた巻を必ず読みます。ガイドブックとして非常に優れているのです。

◆(姜)イデオロギーとか理念とかそんなものはばかばかしいというくそリアリズムが、結局ある種の日本型のポピュリズムに行っているのかなと、最近ちょっと思います。

◆(内田)僕は韓国の方が復元力が高いのではないかと思います。韓国ではグローバル化の行き過ぎに対する反省はもう始まっています。でも日本はグローバル化の行き過ぎに対する制度的な反省はまだ始まっていない。相変わらず成長戦略だの国際競争力だとか口走っている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹、姜尚中「アジア辺境論、これが日本の生きる道」(集英社新書)
2017111日(水)

 

 

<その6>
◆(内田)東アジアでマルクス主義についての自前の研究実績を持っているところって、よく考えると日本だけなんですよ。マルクス主義は中国では、共産党のの専管事項ですから、一般市民はマルクスのテクストを自由に解釈することも、マルクス主義の名において新しい政治運動を始めることも許されない。カンボジアやインドネシアでは、マルクス主義との関わりで大量虐殺が行われていますから、うかつに「マルクス」なんて単語を人前では口にすることさえ、はばかられる。

◆(内田)日本統治時代にハングルを禁止して、強制的に日本語を使わせた。それに対する反発で、戦後に民族固有の言語を前面に押し出して、外来語である漢字を廃用する流れが出て来てしまった。実際に漢字を禁止したことによって、韓国の人たちは、自国の古典にアクセスする回路を断ち切ってしまった。今の若い人は、もう自分の名前くらいしか漢字を読み書きできなくなってしまいました。ということは、50年前に書かれたものが読めないということです。

◆(内田)最終的な結論は「日韓連携がアジア再編の基本になるべきで、この方向しかない」ということになる。韓国の人たちとだと、そういう結論に導かれるのです。嫌韓本とか書いている人たちで、実際に韓国人の友人知人がいて膝つき合わせてじっくりとこれからのアジア情勢について話したことがある、という人が何人いるのでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹、姜尚中「アジア辺境論、これが日本の生きる道」(集英社新書)
20171031日(火)

 

 

<その5>
◆(内田)資本主義は人口が増えていくことを自明の前提にしています。それは資本主義を鋭く批判したマルクスも同じです。生産力はひたすら増大し、生産、構造もそれに応じて進化することを前提にして経済の理論は構築されている。だから経済成長が止まって生産力が落ちてきたときに社会構造をして、どういう変化が起こるのかについては、過去の事例に照らして帰納的な推理をすることができない。人口減社会について確実な見通しを語れる人なんて、どの学問領域にもいないのだと思います。

◆(内田)韓国には1980年まで反共法がありましたね。だからマルクス主義に関する文献は国内で読むことができなかった。マルクス主義について書かれたものを読めないということになると、欧米の20世紀の社会科学系の本はほとんど読めないということになる。

◆(内田)僕の本の中で、わりと早くに韓国語に訳されたのが「寝ながら学べる構造主義」と「若者よ、マルクスを読もう」なんです。構造主義というのは、日本ではもう時代遅れだと思われている学術的思潮ですけれど、構造主義がわからないと、その次に来たものの意味がわからない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹、姜尚中「アジア辺境論、これが日本の生きる道」(集英社新書)
20171030日(月)

 

 

<その4>
◆(内田)独裁者って他の点ではずいぶん警戒心が強いんですけれど、おもねってくる人間には、ガードが甘いんです。だから、独裁制では恥知らずに権力者におもねることができる人間の前にのみ選択的にキャリアパスが開ける。それが独裁制の最大の欠陥なのです。

◆(内田)共和制は権限の分散をはかる仕組みですけれど、単に水平的に分散させるだけでなく、縦方向にも権限を分散させます。権限も情報も予算も中枢に集中させることをしないで、さまざまなレベルに政治資金を分散する。そして、それぞれのレベルで自律的にものごとが決定される。だから、共和制を管理運用するには、それなりの知恵が要る。大人でないと共和制は管理運用できない。

◆(内田)今の日本は、独裁制に移行しつつあるわけでけれど、これは別にどこかに邪悪な「マニピュレイター」がいて、後ろで糸を操っていて、独裁制を仕掛けたわけじゃありません。小泉内閣以降のこの15年の日本を見ればわかりますけれど、要するに日本人が幼児化したのです。幼児の目には、独裁性が実によくてきた統治システムに見えるのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹、姜尚中「アジア辺境論、これが日本の生きる道」(集英社新書)
20171027日(金)

 

 

<その3>
◆(内田)共和制は人間がことを急いで熱狂的な状態で下した決断は多くの場合、間違ったものだったという歴史的教訓から人間が汲み出した知恵です。

◆(内田)日本人はどんな制度についても「アメリカでは…」と言って、それを模倣しようとするくせに、アメリカの統治システムの制度設計の基本原理であるところの「共和制的な制度によるリスクヘッジ」だけは、まったく模倣する気がありません。GHQの占領期には、そのような制度の導入が企てられましたけれど、占領が終わると中央集権的な制度に戻されました。

◆(内田)自己評価が過剰に高い人はいくらおもねられても、おだてられても、そういう警戒心が働かなくなる。おべっかが「客観的に適切な評価」に聞こえてしまう。その結果、恥も外聞もなくおべっかを使う人間を「適切な判断力を備えた人間」だとみなすようになる。逆におもねってこない人間のことは「嫉妬心で目が曇った人間、主観的なバイアスがかかって現実が見えなくなっている人間」とみなすようになる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹、姜尚中「アジア辺境論、これが日本の生きる道」(集英社新書)
20171026日(木)

 

 

<その2>
◆(内田)カナダも決して大国ではありません。でも、ジャスティン・トルドー首相は組閣に際して閣僚の男女比を同じにしました。

◆(内田)僕は民主制から独裁制への移行をもたらすのは、最終的には知性の疲労だと思います。「複雑な話」を「単純な話」に還元しようとする誘惑は常に存在します。「反知性主義」というのは、この誘惑のことです。

◆「難しいことを考えることをむしろ好む」ような傾向をどうやって創り出すか。それが民主制を守るための思想的な急務ではないか。僕はそんなふうに考えています。

◆(内田)独裁制の対立項は民主制ではありません。共和制です。共和制とは法の制定者と法の執行者が別のものである統治形態のことです。立法権と行政権が分離されている。それが共和制の原理です。

◆(内田)統治機構の内部で権限が複数のセクションに分割されていて、簡単にはものごとが決まらないようにしてある。それは大統領と議会への権限分割であったり、両院制であったり、三権分立であったり、弾劾裁判制度であったり、憲法裁判所制度であったり、いろいろなかたちがありえます。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹、姜尚中「アジア辺境論、これが日本の生きる道」(集英社新書)
20171025日(水)

 

 

「カギは日本、韓国、台湾の連帯にあり」と帯に書かれている。かなり読み応えのある本である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、ご紹介していきたい。

<その1>
◆(内田)今の日本には「アジア戦略」と言えるものがありません。中国とも韓国とも外交的な緊張が続いたままですし、台湾やASEAN諸国ともとくに深い信頼関係を取り結んでいるわけでもありません。中国は「一帯一路」やAIIB(アジアインフラ銀行)といった巨大なスケールの世界戦略を次々と展開していますけれど日本は手をつかねてそれを眺めて、ときどき捨て台詞めいた厭味を言うだけで、「対案」となるようなアジア戦略を掲示できないままです。

◆(内田)ブータンは人口約77万人の小国です。世田谷区より人口が少ない。1人当たりGDP約2,600ドルという貧しい国です。でも、この国は「人間の幸福は経済的指標だけでは計量できない」という統治哲学に基づいて、1972年「国民総幸福度」という度量衡を国際社会に向け提案しました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、柳澤協二
「抑止力のことを学びぬいたら究極の正解は最低でも国外」(かもがわ出版)
20171024日(火)

 

 

<その4>
◆(鳩山)しかも、米軍の投入にはアメリカ議会の承認が必要ですから、尖閣ごときの問題でというと失礼かもしれないけれど、人が一人も住んでいない尖閣の問題で、アメリカが中国と本気で戦うということがあり得るだろうか。実際には、極めて理屈としてとおらない話だと思いますので、したがってアメリカがいるから大丈夫だという意味での抑止力にはならないというのが、私の考え方であります。

                                                                                   ◆従って私は普天間基地を辺野古に移設することに反対です。辺野古以外であっても、基地を沖縄につくる必要もない。そもそも作る必要があるのかどうかという議論をするべきです。必要だということになった場合にも、固定した基地を持たないでローテーションでやるやり方なども含めて、さまざまな可能性はあるのではないかと思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、柳澤協二
「抑止力のことを学びぬいたら究極の正解は最低でも国外」(かもがわ出版)
20171023日(月)

 

 

<その3>
◆(柳澤)特に東アジア共同体の展望というのは、結構オバマさんの発想と親和性があったんだろうという感じがします。そういうところから議論が始められれば、また違った展開になったのではないでしょうか。

◆(鳩山)考えてみれば、EUができたことによってヨーロッパ全体が不戦共同体に、すなわち戦争を仲間同士ではやらないという環境ができた。そのことを私はEUの大変大きな成果だと思っています。その意味で、東アジア共同体というのは、日本と中国と韓国が2度と戦争しないことを合意するものであって、ましてやASEANも含めて、この地域を戦場にしないという合意ができていけば、それは世界全体の平和に向けて大きな貢献であるという発想でした。

◆(鳩山)最近それと関連して、16世紀のフランスの哲学者であるモンテーニュのある言葉を拝見しました。「防備は攻撃を引き寄せる」というものです。相手に対して、自分たちは防備をするぞと示すことによって、かえって相手の敵愾心を招いて、逆に攻撃を受ける可能性があるというものです。すなわち、防備をしてそれを抑止力になるから安心だと思っていたら、逆に相手の攻撃を誘うきっかけになるということです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、柳澤協二
「抑止力のことを学びぬいたら究極の正解は最低でも国外」(かもがわ出版)
20171020日(金)

 

 

<その2>
◆(柳澤)安倍首相は退陣の無念のなかから、とにかく執念をもう一度燃やして、一生懸命やっている。おそらく、自分がそれで過労で死んでもいいぐらいの覚悟でやっておられていて、それはそれで伝わってくるのです。しかし私に言わせれば方向性がまったく間違っているのですが。

◆(柳澤)正しい方向性だが執念はないということに比べて、間違った方向性で執念を燃やすほうが、実はもっと危険ではあるわけです。そうなんだけれど、やっぱり世の中の流れを変えようとすると、それだけのエネルギーがいるということになると思います。

◆日本を真に独立させるためには、どんなに時間がかかっても米軍基地のない国にしなければならない。その方向での現実的な課題は、普天間問題である。また、基地を縮小させても安全で平和な国であるためには、周辺国と協調していくことが一番肝要であり、その大きな一つの具体的な提案は、東アジアを共同体にすることであると。この考えは、政治の流れを変えていける可能性を十分にはらんでいたと思います。けれども、それは自分の頭の中にある漠然としたものでとどまってしまった。そして、より大きな未来の姿というものを見せることができないで、小手先になってしまったということです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、柳澤協二
「抑止力のことを学びぬいたら究極の正解は最低でも国外」(かもがわ出版)
20171019日(木)

 

 

元総理と元防衛官僚の対談本である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、ご紹介することにしたい。

<その1>
◆(鳩山)これは、自民党政権では政府と党の方針が異なり政府と党を使い分けして分かりにくいとの指摘から、民主党政権では政府の政策に党の方針を収束させることにしたのです。ですからその意味でも、政策に関しては私の側が圧倒的に大きな責任を持つことになり、そこでの孤独さもあったと思います。
しかし、だから逆に、それだけ大きな責任をちょうだいしていたわけですから、いかにそこで私自身が頑張りぬくかがすべてであったと思います。そこが孤独といいますか、仲間も少なかったことは確かですけれども、やろうという執念意識が足りなかった。それがすべてなのです。

◆(柳澤)キッシンジャーが言っていたのは、大きな問題をめぐって直面する状況を何とか打開しようとすると、小手先で動かそうとしても絶対にうまくいかないんだということでした。長年にわたって米軍を派遣してきたベトナムから撤退するのを決断するというような問題は、むしろ社会全体の流れを大きく変えていくという問題であって政治にはその流れを変えるような役割が求められているということでした。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 古賀茂明「日本中枢の共謀」(講談社)
20171018日(水)

 

 

<その8>
◆忖度できない官僚は、その組織には非常に居づらくなる。さらに、不忖度を選択して、役所を辞めると、その後の人生において霞が関全体から差別的に取扱われるリスクが生じる。江戸の敵を長崎で、ということがある。また、官僚は天下りで、少なくとも70歳くらいまでは役所の世話になる。忖度への報酬は、60歳定年までだけでなく、その後も10年以上にわたって続く。「忖度」利回りが他の組織よりもよいのである。

◆真実を語らず文書廃棄までして、安倍政権を守り通した忖度には大きな報酬が約束される。問題となった財務官僚などは、今後長期にわたり、天下りで手厚い処遇を受けるだろう。安倍昭恵夫人の秘書だった経産省の谷査恵子氏もすでにイタリア赴任(事実上の長期休暇)が決まった。彼らは、役所のなかで英雄扱いだ――。
完了はそういう複雑な計算を瞬時に行いながら「忖度」行動をとる。国会で答弁する財務官僚に悲愴感が見えないのは、そういう理由があるからだろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 古賀茂明「日本中枢の共謀」(講談社)
20171017日(火)

 

 

<その7>
◆本来、鳥越氏の方が「既得権と戦う」という意味では、実績は上だったはずだ。医療、介護、公共事業などの既得権に具体的に切り込むような分かりやすい主張を展開すれば、自民党にどっぷりつかっていた小池氏がついてこられたかどうか。
しかし、残念ながら、終盤になればなるほど、鳥越氏の主張は改革からは離れて、反安倍と反原発だけにシフトしていったのだった。

◆そこで与党と差別化できる政策でしかも世論の過半数の支持を得られるものは何かと考えると、残っているのは「脱原発」と最近出てきたテーマである「カジノ」しかない。世論調査で見ると、安保法制や共謀罪法案については賛否が拮抗しているが、脱原発とカジノ反対派どの世論調査を見ても、またどの時点においても、一貫して過半数の支持を得ている。

◆最近のブームを機に多くのマスコミ関係者が日本会議系組織が開く「カフェ」と呼ばれる集会に参加している。彼らのレポートによれば、こうした市民向けの啓発活動では、何も知らない一般参加者に対する扱いがリベラル系団体とはまったく違うということだ。
従来の市民活動では活動方針に反するような意見や質問をすること自体、許されない雰囲気があった。そうした質問をすると、バカにされたり疎外されたりした。ところが日本会議はそのような「素人」も、非常に温かく迎え入れようとするらしい。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 古賀茂明「日本中枢の共謀」(講談社)
20171016日(月)

 

 

<その6>
◆コスト削減競争を行って労働条件を下げるのか、歯を食いしばって下げない道を探すのか――日本と欧米のメーカーではそこで決定的に違うのだ。
先進国にふさわしい個人の尊厳が尊重される。つまり、「人件費は高い」ことを前提に企業社会を作り直す。言い換えれば、それに耐えられない企業は社会的存在意義が認められず、淘汰されても仕方ない。そうした考え方への転換が、いま最も必要とされることなのだ。

◆日本の再生可能エネルギー(再エネ)技術が、もはや取り返しのつかないくらい欧米に遅れてしまったことは、最近まで国民に知られていなかった。シャープが台湾の鴻海精密工業に買収されて、初めて気付いた人も多いだろう。

◆シャープも得意としていた太陽光パネルでは、10年前まで、日本は世界を席巻していた。しかし、いまや世界のトップ10に日本企業は1社も入っていない。シャープも京セラも、そこから脱落してしまった。

◆実は、電力はジャブジャブに余っている、というのが現実だ。その最大の原因は、省エネである。電力の需要は毎年確実に減り続けた。大手電力10社の販売電力量は事故前の2010年から2015年の5年間で12%も減少している。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 古賀茂明「日本中枢の共謀」(講談社)
20171013日(金)

 

 


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 古賀茂明「日本中枢の共謀」(講談社)
20171012日(木)

 

 

<その4>
◆安倍政権によるメディア支配。その根本にあるのは、安倍総理が民主主義や立憲主義をまったく理解していないことだろう。

◆放送法四条には、「政治的に公平であること」とは書いてあるが、「中立」という言葉はどこにも出てこない。正しいことは正しいといい、間違ったことを間違っていると伝えることは、何ら問題はない。アメリカでは、公権力が放送局に中立や公平を要請すること自体が憲法違反だという考えが主流だ。

◆古館氏は降板が決まった2015年末を境に昔の栄光を取り戻そうと必死だった。何しろ30億円の稼ぎがなくなるのだから、その後の仕事への影響を考えると、政府に屈服した偽善者というレッテルを剥がさなければならない。最後の悪あがきとも見えた。

◆いまや政府批判を堂々とできる番組はTBSの「報道特集」と「サンデーモーニング」だけになった。TBSの社長はテレ朝、日テレ、フジなどと違って、安倍総理と会食していない(報道を見る限り)。これが現場の雰囲気を何とか中立に保っている理由であろう。
しかし、20%近い視聴率を叩き出すドル箱番組の「サンデーモーニング」のスタッフにも次のターゲットとして政治部を通じてプレッシャーがかかっているという。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 古賀茂明「日本中枢の共謀」(講談社)
20171011日(水)

 

 

<その3>
◆海外のジャーナリストには、日本のメディアの姿勢が理解できないという人も多い。「圧力なんて、あって当然じゃないか。みんな命の危険さえ顧みずに報道している。それがジャーナリストというものだ。」というわけである。

◆「ジャーナリズムとは報じられたくないことを報じるのだ。それ以外のものは広報に過ぎない」つまり、日本外国特派員協会から見れば、日本の報道は単なる取材者の広報に成り下がっている。そういう警鐘を鳴らしてくれたのだ。

◆本質論が展開されない原因の一つは「官邸からの圧力があった」ことについて異論を唱えるコメンテーターがいることだ。現実に取材しているまともなジャーナリストにとっては、権力側が直接的な圧力を含めて、異例なまでのマスコミ工作を繰り広げていることは周知の事実。すでに報道もされている。

◆「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。」これはマハトマ・ガンジーの言葉である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 古賀茂明「日本中枢の共謀」(講談社)
20171010日(火)

 

 

<その2>
◆いま自民党で人気のある若手政治家K氏は自民党の失敗について、「三つの大罪」という言葉で要約した。第一は、900兆円超(当時)の借金大国にしたこと。第二は、少子高齢化を放置して社会保障の基盤を危うくしたこと。第三は、原発の安全神話を作り、福島の事故を招いたことである。

◆沖縄の人々は、温厚でとても優しい。だから、他の国でおきているような過激な民族闘争や独立運動は生じない。それをいいことに、安倍政権は「地方は国のいうことを聞け」「すべては金だろう」といわんばっかりに、沖縄県民を馬鹿にしまった態度で臨んでいる。

◆いつだったか彼等に「私は古賀さんに頑張ってくださいといわないんです。」といわれたことがある。これがどういう意味かも、古館氏は語ってくれた。
「頑張ってくださいという人は実は『私は頑張れないので、あなたが頑張ってください』という気持ちを心のどこかに持っていることが多いからです。本当の意味で頑張ってくださいというときには「最後まで行動を共にするから」という決意も必要なはずです。しかし立場上、私には、それができないかもしれない・・・」


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 古賀茂明「日本中枢の共謀」(講談社)
2017106日(金)

 

 

本書には改革と見せかけ、「戦争国家」を作る悪魔のシナリオをすべて暴くと書かれている。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介していきたい。

<その1>
◆「オフレコ取材」でも複数社を相手にしゃべった場合は、誰かが外に出しても、それが誰だか分からない。したがって自ずと、その情報は外部に漏れるのだ。政治家というのは、それが分かった上で発言するものだ。

◆安倍総理が「イスラム国と闘う周辺各国に2億ドルの支援を行う」と高らかに謳いあげたくだりを、彼らはイスラム国との取引の拒絶、さらには宣戦布告と受け取ったことは明らかだった。

◆イスラム国による後藤さん殺害事件を通して、安倍政権が国民の命を軽視していることと、堂々と嘘をつくことは、理解していただけたのではないかと思う。ここでもう一つ忘れてはならない安倍政権の特徴について触れておきたい。それは、「自らの非を認めない」ということ。これは、安倍総理の個人の性格にも強く影響されているようだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 佐高信「バカな首相は敵より怖い」(七つ森書館)
2017914日(木)

 

 

<その4>
◆(浜尾朱美)筑紫さんはイソップ童話の「北風と太陽」に登場する太陽のような方法論をお持ちだったんじゃないかと。滅多に断言をしませんでしたし、相手を攻撃するようなことも言わない。論破するのではなく、包み込むことで相手に語らせ、伝えようとしていた。

◆(佐高)「ニュースステーション」に出演すると、久米さんはぱっぱと瞬間的に切り返してくるので、ものすごく緊張しました。その点、筑紫さんは、こちらの言葉をじっくり吟味してくれるので、充足感があった。

◆(佐高)でも筑紫さんは決して解説者ではなかった。最近は解説者ばかり目立っているけれども、彼は感情を込めた意見を言う人でした。そこがいまのキャスターたちとは、決定的に違う。

◆(佐高)いまは多事争論どころか、問答無用の世の中になってしまった。いまこそ筑紫哲也が必要な時代だと、彼が生きてくれていたらとつくづく思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 佐高信「バカな首相は敵より怖い」(七つ森書館)
2017913日(水)

 

 

<その3>
◆(脇)参議院をまともにする方法はふたつあります。言論の府だから「言葉」を大事にすることがまず第一。何か物議を醸すような発言が出たとき、「取り消せ」というでしょう。・・・・取り消せと要求すること自体が言論を軽視している証拠なんです。もうひとつ大事なのは「事実」です。法律は現場をよくするためにある。現場の事実を検証して実態に合わないのであれば、法律を変える。

◆(佐高)奥田愛基さんというリーダーが脚光を浴びました。一時沖縄に住んでいた彼の発する言葉を国会前で聞きながら思ったのですが、彼の言葉は「身内」に向けたものではないんですね。ぜんぜん知らない人に語りかけるような言葉を放っている。

◆(佐高)でも筑紫さんは決して、本道を歩いていたわけじゃないんですよ。「少数派に立ち続ける」「沖縄への重いを忘れない」「護憲の姿勢を崩さない」という3つの軸はありましたが、人の意見を聞くたびに揺れていた。揺れの中で、考えていった人です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 佐高信「バカな首相は敵より怖い」(七つ森書館)
2017912日(火)

 

 

<その2>
◆(脇雅史)良識の府である参議院の議員は閣内に入るべきではないというのが、私の昔からの持論です。比例代表は支援者組織の代表です。私の場合、建設産業界の代表として国会に送り出されていて、この業界から政治資金ももらっている。それなのに、まったく専門外の大臣や副大臣:政務官をやるなんておかしなことなんです。

◆(脇)建設業界というのは今でこそ良いイメージではなくなってしまいましたが、この業界がちゃんとしていないと地方も国家も駄目になるという至上命題があるんです。そういう命題の下、建設業界の中では一定の役職をへた人間の誰かが国会議員になる慣例があったのです。

◆(脇)次から次へと不祥事が発覚するでしょう。人間が10人いれば、1人や2人は悪いことをするものです。昔からそうでした。組織ぐるみで悪いことをするのは暴力団くらいなものでしたよ。いま立派な会社が組織をあげて不正をしたり、不祥事隠しをやったりするでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 佐高信「バカな首相は敵より怖い」(七つ森書館)
2017911日(月)

 

 

<その1>
本書は佐高氏の対談本である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

◆(佐高)松村謙三も共産化を防ぐために、農地改革をやらないといけないと言っていました。露骨な言い方をすれば、自民党が存続できたのは農地改革のおかげでしょう。

◆(佐高)ヨーロッパと日本の大きな違いは、ヨーロッパでは経済界が一緒になって自給率を維持しようと努力しているところですね。日本の経済界は自分たちさえ良ければいいでしょうという話になっていますから。

◆(佐高)ジャーナリスティックに言うと、TPPが結ばれれば、世界がモンサントに支配されるんだということになると思います。モンサント社は遺伝子組み換えの世界トップの企業でしょう。この会社は枯葉剤で大きくなった会社なのですよね。

◆(菅原文太)いま日本は、国民より国家の体裁に奔走する現政権、国家より国民の幸福を願って立ちあがる熊坂元宮古市長のような人とのせめぎ合いにある。福島からこの国を変えていこう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017731日(月)

 

 

<その25>
◆現在もほとんど同じ状況にある。アメリカやフランスで、イスラム教徒の武闘集団が爆破や銃撃で多くの人を殺戮すれば、たちまち「テロがあった!」と世界的な大悲劇として報道されるが、イスラム教徒がその何百倍、何千倍も殺されていながら、まったくニュースにならないのだから。

◆まず日本は、消費税を増額する政策で庶民生活を苦しめる前に、アメリカの国債を売却して、国家と地方の借金を返すことが第一の条件であることに言を俟たない。アメリカの軍事的な暴走を食い止めるためには、国防総省(ペンタゴン)に大金が流れこむ米国債を売却することをまずおこなうべきである。

◆一体、日本人はどうしたのだ。自衛隊の参戦に反対する人間をつかまえて、拘束する。マイナンバーをつけて国民を監視しようとする。治安維持法まがいの法律を画策する。沖縄戦で軍人に強制された集団自決を歴史教科書から抹殺しようとする。その戦時中の大日本帝国の象徴だったからこそ日の丸、君が代の強制に反抗する教師がいれば、それを弾圧する。などなど。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017728日(金)

 

 

<その24>
◆戦後の日本人は豊富な、しかし不思議な、一方的な知識に包まれて生きてきた。「ナチスの残虐行為」については、アメリカ・ヨーロッパからの膨大な映画と書物を通じて数々の事実を教えられ、「ユダヤ人に対する迫害の歴史」や「ナチスに対抗したレジスタンス運動」を学んで、そうした歴史に正義を見て興奮した。
また日本国内の「広島・長崎原爆投下の悲惨さ」も、原水爆禁止運動を通じて知っていた。「ベトナム戦争におけるアメリカの非道の行為」は、数多くのジャーナリストによって報道され、誰もが嫌悪感を覚えた。
しかし「大日本帝国がおこなっていたアジアでの野蛮な殺戮」については、ほとんど教えられなかった。また、「ユダヤ人が建国したイスラエルの実態」もユダヤ人が土着のアラブ人「パレスチナ人」を周辺の中東諸国に追いやり、侵略と殺戮行為をしている現実も教えられなかった。イギリスなどの白人がおこなってきた「南アフリカの人権差別アパルトヘイト」も教えられなかった。アメリカで「白人がインディアンを虐殺し、黒人を凄絶な人権差別に追いやってきた」ことも、長いあいだ教えられなかった。フランス・イギリス・アメリカ・オランダ・ソ連などの第2次世界大戦の勝者である連合国の謀略によって、「戦後のアジア・アフリカ・中東諸国・東ヨーロッパが、独立をさまたげられてきた第3世界の悲惨な歴史」も、知る人ぞ知る、ほとんど知られていなかった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017727日(木)

 

 

<その23>
◆水俣湾には、現在も、大量の水銀を含んだ危険なヘドロが埋め立てられたままであり、2016年4月の熊本大地震で東京ドーム12個分の広さを持つ廃棄場の護岸が損壊して、有機水銀が流出するおそれが出てきたのである。

◆現在起こっているヒートアイランドと呼ばれる都会の過熱は1960年代からはじまった大量消費の延長線上にある。ところが、いまの環境保護運動は、過去から学ばず二酸化炭素による地球温暖化のことを言えばそれで環境が守れると本気で信じこむところまで落ちてきた。地球に広がる砂漠化の大半が強引な都市開発・農地開発や樹木伐採によって進んでいるという事実を調べず、あたかも二酸化炭素の排出が原因であるかのような誤った幻想をテレビが視聴者の頭にすりこんでいる。

◆水俣病の解明に長く取り組んで、有機水銀が原因であることを突きとめた熊本大学の医師・原田正純先生が2012年6月に亡くなる前に語った言葉、「公害は医者が出てきた時には手遅れだ」を忘れてはならない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017726日(水)

 

 

<その22>
◆現今、2014年時点の農家の年間平均所得は、たったの「130万円」なのである!そのため1950年代初めに1500万人を数えた農林業の就業者がわずか半世紀後の2000年には「5分の1」に減って、ついに300万人を切ったのだ。

◆カロリーベースの食料自給率が優秀な農業機械が登場した1960年代には誇るべき80%を維持していたのに、40年後の2000年には半分の40%まで落ちてしまった。他国はオーストラリア80%、カナダ161%、アメリカ125%、フランス132%、ドイツとスペインが96%・・・・イギリス74%で、先進国のなかで日本だけが異常に低くなってしまった。その最大の原因は、工業立国だけに猛進して、農家の働き手を育てなかったことにある。

◆胎児の時に母体から水銀を吸いとって生まれた時から水俣病を背負わなければならなかった子供たちをはじめ、この痛ましい患者の人たちの救済を環境大臣、小池百合子が拒絶したのは、水俣病公式確認から50年後の2006年の出来事である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017725日(火)

 

 

<その21>
◆1968年4月4日、黒人の公民権運動の指導者で、ベトナム戦争に反対を表明していたキング牧師がテネシー州でライフル銃で暗殺され、それからわずか2か月後の6月6日にはケネディ大統領の弟ロバート・ケネディ上院議員(大統領候補)が暗殺されたのである。ロバートは、キューバ危機で核戦争回避に活躍し、黒人の公民権運動を強く支持してきたので国民のあいだに絶大な人気を誇っていた。

◆1960年7月19日に第1次池田勇人内閣が発足したとき、GNP13兆円を10年以内に26兆円に倍増する計画を立て、池田勇人は「3年間は、成長率9%、10年間で農民を6割減らして、国民の所得を倍増する」と言明した。農民の6割を減らすとは、おそるべき農業破壊・山村破壊であり、食料自給率を下げると公言する政策であることに現在なら誰でも気づく。農業体験のない日本人が大量に生まれれば、それだけ自然界の知恵を持たない欠陥社会に落ちることを意味していた。だが、当時はその重大性にほとんど誰も気づかなかった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017724日(月)

 

 

<その20>
◆調印わずか8日後の1月27日、ソ連が対日覚書で、新安保条約を強く非難し、日本から外国軍隊が撤退しない限り、択捉、国後、色丹、歯舞の北方四島を引き渡さないと通告してきたのである。日ソ国交回復の立役者たちのたくましい努力が実って、ようやく漁業交渉を成功させ、ソ連側も北方領土返還の意思をはっきり示すなか、これから交渉を進めようとしていた矢先、新安保条約により日本への北方領土返還を台なしにしてしまったのだ。

◆朝日新聞世論調査で安保改定の国会審議について、賛成6%、反対50%、岸内閣に対して指示12%、反対58%となった。この国民感情は資本主義と共産主義・社会主義の対立ではなかった。

◆私の周囲では、「岸を殺せ!岸を殺せ!」の怒号が闇夜に響き渡っていた。・・・・批准書交換により、日米安保条約が発動した。その日、国民の信頼を完全に失った岸信介は退陣を表明した。岸はかつて自分を牢獄から出した米軍に借りを返した。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017721日(金)

 

 

<その19>
◆金日成は北朝鮮で「建国の父」と呼ばれてきたが第2次世界大戦中になんら軍功をあげたこともなく、ソ連が恣意的に選んだだけの頭目であり、軍事的には頭の切れる男ではなかった。

◆1950年、トヨタ自動車工業では、石田退三が三代目社長に就任したばかりだったが石田もトヨタグループが本格的に自動車に進出することに反対して、一時監査役に格下げされた男であった。皮肉にもそこに朝鮮特需が舞い込んだのである。これで一気に会社が再建され、石田がトヨタの生涯番頭として、中興の祖としての栄誉を得てしまった。

◆ここで気をつけなければならないのは、共産主義と社会主義と呼ばれる左翼思想と貧困層や労働者を救済しようとする労働組合などの活動が同じではないということである。左翼思想とは企業の活動を国家が管理する国営化などによって、国家全体の経済をコントロールしようとする「政治的な体制思想」である。
それに対して労働組合運動はまともな人間生活を維持するための雇用の確保や・・・・労働条件の改善・・・・を本来の目的としたものであり、日本国憲法でで保証された「特権」闘争だから体制の変革を求めているわけではない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017720日(木)

 

 

<その18>
◆アメリカをはじめとする連合国は日本を侵略戦争に駆り立てた軍国主義の最大の原因を的確に分析しており、従順で勤勉な貧農の苦しい生活が天皇を頂点とする上級階級と軍部・工業資本家によって巧みに逆用された結果だと見ていた。そのため、GHQは大地主から土地を取りあげる農地解放によって、まず農民に自立できる経済力をつけさせることを、占領行政の柱として取り組んだのである。証券民主化が株式の公平な分配なら、農地改革は土地の公平な分配であり、いずれも財産の平等化であった。

◆朝鮮戦争で米軍が朝鮮半島に投下した爆弾の総重量は60万トンと言われているから太平洋戦争で米軍が日本全土に投下したあのすさまじい爆弾の総重量の4倍であった。・・・・日本人には明治時代以来の侵略戦争の責任があったにもかかわらず、この戦争をバネにして、日本経済が大々的に復活したのだからこれを知らずに戦後は語れない。

◆このアメリカの政策は、単純な反共主義ではなかった。長い間植民地にされてきたアジア、アフリカ、中東、中南米諸国では戦後にすべての植民地で独立運動が燃え上がり、その運動の主導者が共産主義と結びついていたからだった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017719日(水)

 

 

<その17>
◆経済についての石橋湛山の見識は日本は加工貿易で生きるべきという職人主体の立国論にあり、国民を挙げて、満州建国に酔う時代に堂々と「満州を放棄せよ」と唱えて中央集権と官僚主義を批判し続けた。また戦時中敗戦に至るまで弾圧される清沢冽のような正真正銘の反戦自由主義者に匿名で論説を書かせて「日本はすべての植民地を放棄すべきである」と帝国主義を真っ向から攻撃する健筆をゆるめなかった。

◆当時の証券業界で左翼勢力が求める証券民主化が実現したことによって、現在のような広大なバイヤーを対象にした証券売買がおこなわれるようになったのは、まぎれもない事実である。

◆日本の農民の勤勉さは世界的に図抜けていた。江戸時代から農民がみな文字を読むことができたので、世界中でも驚かれるほど国全体の識字率を高めてきた。しかし農民の勤勉さは、お上に対する従順さの裏返しでもあり、不条理な身分制度に対して、長いあいだ百姓一揆のほかに抵抗する術を持たなかった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017718日(火)

 

 

<その16>
◆戦前に「天皇の権限を万能とするのは誤りであり、天皇は国家の一機関である」という天皇機関説を唱えた憲法学者・美濃部達吉の長男・美濃部亮吉は、戦時中に左翼思想家として検挙され、法政大学教授を辞任する。苦難をなめたが、戦後は持株会社整理委員会の設立時の委員6人の1人に抜擢されて、「財閥解体」をおこない、のちに東京都知事になって公害追放のリーダーになった。

◆本来は平和産業だったパナソニックのような会社も、戦時中に軍部の命令でやむなく軍需製品の生産を強いられたため、GHQからは兵器産業とみなされてきびしい処分を受けたが松下幸之助がGHQに50数回出頭して抗議をくり返し、最終的に撤回させた。

◆兵庫県豊岡市生まれの斎藤隆夫は、戦時中に軍部を批判し続けて、衆議院で除名され、東條英機の翼賛選挙でも大政翼賛会を足蹴にしながらトップ当選した反骨漢であった。「自国の戦争目的は正義であり、他国のそれは不正義であるから、最後の勝利は必ず我にありなどと宣伝した所で何人も真面目に受け取る者はない」との名言を残したのが彼であった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017714日(金)

 

 

<その15>
◆憲法改悪の動きが出てきた最近になって、この骨格をつくった鈴木安蔵草案の存在意義がマスメディアで報道されるようになったのは、好ましいことである。だがそれが、「今発掘された新事実」であるかのように報じられるのは、まったくの嘘である。広く日本の文化人の考えを採り入れた憲法研究会草案をもとに、GHQ草案が生まれたことは、戦後すぐに日本史の書物に書かれ、古くから知られた事実である。その存在を知らなかったとすれば、報道陣として恥ずかしいことであり、実は政意に無視して「GHQの押しつけ憲法」というデタラメ世論を生み出してきたのが近年のテレビと新聞の報道界なのである。

◆明治以来の日本軍人が敗戦まで日本の国民に貢献したことは一度もなく、戦後の事実としても、自衛隊が戦争に関して日本人に貢献したことは一度もないから、よく吟味すれば、自衛隊の存在意義さえも怪しいのである。自衛隊が日本人に貢献したのは、すべて災害救助であり、それをもっと存在意義を主張するなら、「災害救助隊」に改名すればよいのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017713日(木)

 

 

<その14>
◆残る日本共産党だけは、無産政党と呼んでよかった。党首となった沖縄県名護市出身の徳田球一は大正時代から非合法の日本共産党結成に参加し、1928年(昭和3年)に検挙されてから18年間も獄中にあった。

◆自然主義の小説家・正宗白鳥は、戦時中に一貫して戦争に非協力的態度を貫き、このあと戦時中に軍部に抵抗を続けた反骨ジャーナリストの桐生悠々を世に紹介する口火を切った。

◆1977年にアメリカで製作され翌1978年に日本でも公開された伝記映画「マッカーサー」の中に、幣原首相がマッカーサーを訪問して、「軍国主義者をおさえるために、新憲法に武器保有の放棄を入れるように幣原が提案し、マッカーサーが驚きつつ感動した」シーンが明確に描かれていたのである。この映画は、ハリウッド大スターのグレゴリー・ベックが主演し、アメリカ国防総省(ペンタゴン)が協力して、忠実に再現して製作された作品である。
憲法第9条が日本人の発案だったことは動かない事実なのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017712日(水)

 

 

<その13>
◆この飢餓寸前の日本人を救ったのは、無能・無策な日本政府ではなくアメリカ人であった。GHQは飢餓の混乱を避けるため、1945年11月24日に食料などの生活必需品について、最小限の輸入を許可し、12月14日に貿易庁を開設させると、早速に強欲な白洲次郎はその貿易利権に食らいついて初代長官に就任した。

◆有末精三は731部隊が中国人に対しておこなったペスト菌をうえつける生体実験など、鬼畜にも等しい犯罪をすべて知っていた人物であった。このような男がトップに立って軍人の引き揚げ帰還を差配したのだ。しかも軍人の帰還だけを考え、一般人切り捨てを閣議決定していたのだから、外地の一般人300万人には刻々と危機が迫っていた。

◆鈴木安蔵を中心とする戦後の先鋭的な日本人グループがすでに憲法草案を生み出して、GHQがそれを土台にして憲法の内容を日本政府に指示したことは歴史的に明らかにされているのである。したがって日本人による日本人のための日本人の憲法であった、というのが厳然たる史実である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017711日(火)

 

 

<その12>
◆ところが9月26日になって、終戦直前に特高警察につかまって獄中にあった哲学者の三木清が独房の寝台から転がり落ち、死亡しているのが発見されたのである。三木の無残な死を知ったアメリカ人ジャーナリストの奔走によって、敗戦からすでに1ヶ月余りがたっていながら、政治犯が獄中で過酷な弾圧を受けている日本の実態が暴露され、驚いた占領軍が急いで政治犯の釈放を指示した。

◆こうして全国に100億坪をはるかに超える面積を占有した天皇家が日本一の土地所有者となった。日本一の大地主「酒田の本間様」の1000倍を超え、日本一の長者は、ほかならぬ薩長藩閥がかつぎあげた天皇家だったのである。また侵略した植民地の略奪企業・軍事企業に対する莫大な金額の有価証券を天皇家が財産として保有していたのである。この天皇家を崇め敬ったのが日本の国民であった。

◆確かに占領軍兵士による犯罪はあとを絶たなかったが、ほとんどのアメリカ兵は総じて純良な人間が多く、日本政府を嫌っても、日本人に好意を抱くように変わったのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017710日(月)

 

 

<その11>
◆日本の占領政策を任されたドーマンは日本降伏後は日本に派遣されるGHQの軍人を指導して、戦時中に設立した諜報工作組織ドノヴァン機関のプロパガンダ部隊をしばしばニューヨークで教育してきた。このドノヴァン機関が戦後CIAとなったのである。

◆ところがその同じ8月14日から、鈴木貫太郎内閣の悪事がはじまったのだ。彼らは、占領軍が進駐してくれば、軍需品が没収されると読んで、米軍が来る前にすべてを隠して軍人に与えるほうが益になると考えて、軍需品の放出命令を出したのである。・・・・つまり全国民が一年を楽して過ごせるだけの資産が国庫から戦争関係者たちの懐に流れ出したのである。

◆児玉誉士夫は戦時中の海軍物資の調達役として、上海などで児玉機関を運営した右翼の怪物ファシストで、終戦時の1945年末には、海軍の国家資金をそっくり懐に入れてアジアの植民地で戦時利得30億円以上をあげていたことが報道され、飢餓に苦しむ国民を驚かせた男であった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
201777日(金)

 

 

<その10>
◆そこで桐生悠々はこう書いた。言いたいことと、言わなければならないことを区別しなければならない。私は言いたいことを言っているのではない。言わなければならないことを国民として、同時に人類として言っているのだ。言いたいことを言っていれば愉快に相違ない。だが言わなければならないことを言うのは、愉快ではなくて苦痛であると。

◆全面降伏した日本で当時7200万人の日本国民は、想像を絶する飢餓と生存の危機に立たされていた!それは軍事的に戦争に敗北したからではなかった。アメリカの占領下に置かれたからでもなかった。国民がまともな生活を取り戻そうとすることを邪魔する日本人がいたからである。それは日本の軍人たちのことである。

◆このカイロ宣言は侵略によって獲得した領土と、日本による韓国併合は侵略である、と断定した点で、まったく正当な認識を示していた。つまり日本が獲得した尖閣諸島も竹島も、日本の領土とは認めない内容であった。このカイロ宣言によって、日本の無条件降伏後、満鉄をはじめとする日本の企業・財閥は、アジア全土の侵略地に投資していた莫大な資産を一挙に失うことになったのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
201776日(木)

 

 

<その9>
◆第2次世界大戦後のドイツ人は、ナチスの時代について徹底的に学んで、ナチスがおこなった残虐な行為を現在でも映画化している。それに対して、日本の映画界は戦時中を描くといえば、必ず日本の軍人を正義の主役にした映画をつくり、南京大虐殺や強制連行についても一度も正確な映画化を試みていない。

◆日本は明治維新直後から商人と長老たちを巻きこみながら台湾と朝鮮半島への侵略に手を染めていったのだ。砂糖を手に入れるために商人が乗り込んでゆく商業的な利権を求めた侵略と並行しておこなわれたのである。

◆一体、日本の軍人は何のために存在しているのか?日本の軍人は明治維新以来、現在まで一度も日本の国民を守ったことがない。――世界でも稀有の珍奇な軍隊組織である。日本では兵士自らが「戦って血を流し、捨てられる存在だ」と覚悟し、国民の生命を守ることが眼中にないからである。

◆第2次世界大戦中の歴史書や伝記類を読むと、「誰も分からないうちにいつしか大戦争になっていた」と弁解する言葉によく出くわす。一人前の大人なら、このように無責任な言葉を吐いてはいけない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
201775日(水)

 

 

<その8>
◆アジア各国の戦争犠牲者総計1760万人以上は、日本人犠牲者の5倍ではるかに多かったのである。中国の死者は1000万以上、インドネシアの死者は400万人、ベトナムの死者は200万人、フィリピンの死者は111万人である。(2011年の東日本大震災の死者行方不明者は2万人余りであったから戦争の蛮行がいかに巨大であったか分る)

◆神奈川県の横須賀市と鎌倉市は占領後に米軍が使用するため空襲されなかった。京都市と奈良市は、日本の文化財のある都市として空襲されなかった。

◆涙を催さずには聞けない戦争体験談において、広く一般に語られる話のほとんどが(すぐれた書籍を除けば)、「戦争加害者である日本人の被害」であることは奇妙な印象を与えずにはおかない。

◆侵略戦争を起こしたのは日本人である。加害者としての日本人はどうなるのか。現在の議論を聞いていると、そこから先は、いきなり日本がなぜ敗北したかという軍事戦略の失敗と、A級戦犯合祀問題と憲法論議に飛んでしまう。おかしな話ではないか。靖国問題も、戦後の新憲法のいわれも、日本軍が起こした戦争のために、「1760万人以上の犠牲者」が出たというアジアでの加害事実を報道メディアが徹底的に語ってからおこなうべきではないか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
201774日(火)

 

 

<その7>
◆日本人によるアジア侵略の歴史を見てきた。その原因は何であったか。
もし、日本国内の貧困がこれらアジア侵略の動機であったと言いたいなら、まず先にこれらを先導した資産家と財閥の財産を国民に開放するべきであった。もし、アジアをアメリカ・ヨーロッパの帝国主義者の手から守り、アジアを開放することが日本の侵略の目的であったと言いたいなら、どうして日本人は、最も貧困に苦しむアジアの人間から土地を奪い、強制連行して重労働を課し、民衆を殺りくするようなことができたものなのか。そのような言葉と歴史に日本人が行った事実がまったく整合しないにもかかわらず、現在その釈明が世に氾濫するのは、彼ら責任者の一族が歴史を隠したいからである。

◆これほど大量の日本人犠牲者を出した責任者は誰であったか。最高責任者は「昭和天皇」である。国家総動員法を制定し、大政翼賛会を生み出し、情報局を創設した「近衛文麿」である。そして、1944年7月18日まで総理大臣をつとめた「東条英機」である。東条退任後も戦争をやめずに大量の空襲死者を出した「小磯国昭」や「鈴木貫太郎」も、国内死者数から見れば、それより重い。これら5人の責任者をもっと追及すべきではなかったのか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
201773日(月)

 

 

<その6>
◆「アメリカ人がフィリピンを支配して日本が朝鮮を支配する」という日米の密約が結ばれ、日本人医師が朝鮮人に対して生体実験をおこなったなどが紹介されている。

◆この盧溝橋事件で、日本と中国のいずれかが先に発砲したかと論ずる者もあるが先にどちらが攻撃したかはまったく問題外である。日本軍が当時、この北平(ペーピン)と呼ばれた北京の中国領土に6,000人近くもの大部隊を駐留させていたこと自体があってはならないことであった。

◆国家総動員法の言葉から受ける印象は、国民が根こそぎ戦地に動員される徴兵制のように聞こえるが、これは戦場への兵士の動員ではなかった。軍需工場への動員であった。「国民は言われた通りに工場でよく働け」と命ずる条項が連綿と書かれていた。加えてこの国家総動員法は当時の大日本帝国憲法より上位の法律として定められたのだから、戦争遂行のための完全な軍事立法であった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017630日(金)

 

 

<その5>
◆なぜこのように言い争うようになったかといえば、尖閣諸島や竹島も日本が日清戦争と日露戦争の最中に勝手に日本に編入した領土であるにもかかわらず、戦後にアメリカが沖縄を日本に返還する交渉の過程で日本と取り引きして、それ以来日本が「日本固有の領土である」と主張してきたのである。そのため中国政府と韓国政府が侵略戦争時代の歴史を日本政府がまったく議論しないその歴史認識のなさに怒りを覚えたからである。

◆日本政府ばかりか、日本のテレビと新聞の報道界もすべての文化人、知識人も尖閣諸島と竹島の問題になると、日清戦争と日露戦争で日本人が侵略したという史実を一顧だにしない態度をとっている。これほど大きな論争になっていながら「どこの国の領土でもない」という意見を述べた文化人を私は見たことも聞いたこともないのは、不思議を通り越して驚きである。

◆日本政府は「尖閣諸島も竹島も日本の領土ではありません」と宣言するべきである。こう宣言すれば中国人や韓国人も過去の悲惨な歴史を忘れないまでも、かたわらに置いてくれ、日本と外交交渉しやすくなる。そこで日本が「互いにそこからえられる漁獲物と海産資源を仲良く等分しましょう」と言って外交官が握手を求めながら、なごやかに解決すべきである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017629日(木)

 

 

<その4>
◆古代の紀元前数百年頃、九州北部に渡来して水稲耕作の方法と…青銅器と…鉄器を日本人に教え…焼き物の作り方と…のちには金銀銅の画期的な精錬法である鉛灰吹法を教えてくれたのが朝鮮人である。

◆福沢諭吉は、日清戦争にあたって、「これは文明と野蛮の戦争であり文明国日本にとって、清との戦いは正義の戦いである」とこれが聖戦であるかのように装った文言を新聞に書き散らした。

◆本来国家の領土とはそこに長く人間が住んで生活している場合に使うべき言葉である。従って竹島は韓国の領土でもなければ日本の領土でもない。尖閣諸島も竹島も峨々とした島であるから人間が居住して生活する場所ではなかった。どこの国の領土でもない、という認識を日本人、中国人、韓国人が持っていないところに間違いの源がある。

◆本当は日中関係も日韓関係も外交交渉によって両者が「漁業権と海底資源を仲良く分け合う」条約や協定を結ぶべきなのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017628日(水)

 

 

<その3>
◆1894年に日本は清国に宣戦布告して日清戦争に突入した。その10年後、1904年にはロシアに宣戦を布告して日露戦争を引き起こし、その10年後、1914年には欧州大戦(第一次世界大戦)が勃発し、日本も参戦して中国とロシアのシベリアに進出した。ちょうど10年ごとに大戦争を必要とする国家に化けたのである。これが「財閥支配下の軍国主義国家」であった。

◆戦後育ち、戦後生まれの人間にとって戦時中の出来事には、なんの責任もない。しかし、である。日本人のために被害を受けた国から見れば、国家が行った戦争である以上は、すべての日本人の連帯責任を問われるのが国際的ルールである。

◆文化・文明に資するとは、どのようなことか。
「漢」の国の漢字、・・・「呉」の国の呉服・・・紙の漉き方・・・儒学・・・仏教の五大文化を日本に伝え、日本人に初めて文字と紙と思想を与えてくれたのが中国人である。秦の始皇帝の後裔として4〜5世紀ころに朝鮮半島から日本に渡来した中国人・秦氏はわが国に養蚕技術を伝えて、京都の西陣織を生み出し、日本全土の絹織物の業祖となり、四国を支配する長宗我部氏を名乗り、土佐藩の土台を築いた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017627日(火)

 

 

<その2>
◆徳川幕府は一度たりとも海外侵略をしない平和国家であった。関ケ原の合戦以後の江戸時代260年間には、豊臣家と徳川家が戦う大坂の陣があり、キリシタンが決起した島原の乱(天草一揆)という内戦があっただけで、外国との戦争はなかった。それが明治七年に台湾征伐に乗り出し、早くも軍事国家に変貌したのである。

◆明治維新によって次々と誕生したこれらの財閥は、やがてすべてひとつの血族に結集した。みな、ざれあって、みな、もうかる。かくしてこの集団が力を合わせて国外へ向かってゆくようになった。

◆明治産業革命として最も大きく花開き、財閥の資本を本当に生み出したのは、明治時代に日本の製造業の七割を占めた紡績業であった。そして七割を占めた1896年(明治29年)、すでに生糸のシルクよりさらに大きな繊維業が日本に興っていた。それは、コットンの綿紡績であった。そして、これが大阪を再起させる最大の起爆剤となり、同時にこれまで登場した数々の財閥の工業化が始まったのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「日本近現代史入門−黒い人脈と金脈」(集英社)
2017626日(月)

 

 

本書は、広瀬氏の力作で非常に読み応えのある内容となっている。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、ご紹介することとしたい。

<その1>
◆実はこの日本の侵略史は、随分昔にはじまった話なのである。そこで本書の前半は「明治維新によって日本に財閥が形成されて軍国主義を育てた!」というほとんど知られていない史実の経過を語り、時にその第三章から物語のクライマックス「激動の日本のアジア侵略史」をくわしく語りたい。

◆日本では明治時代に生き残った財閥のうち、江戸時代からの老舗だったのは呉服商と両替商で成功した「三井家」と、貨幣の製造を支配してきた「住友家」だけであった。

◆商業のゆきつく頂点が長者であり、それが集団を成したとき「財閥」となった。日本では、三井、三菱、住友、安田、古河、大蔵、浅野、川崎、藤田(日立、日産)、渋沢の財閥が明治維新の中から次々と誕生した。なかんずく三井と三菱の資本力は群を抜いてきた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 三上智恵、島 洋子「女子力で読み解く基地神話」(かもがわ出版)
2017127日(金)

 

 

<その7>
◆全国の米軍基地の74.8%もの負担をさせておいて、それによる被害・事件が頻発しても、一方的な地位協定は60年間一回も変えられていない。それを偏っていると言わずして何が偏っているのだ、ということです。つまり、沖縄の新聞が偏っているのではなくて、沖縄が置かれている状況そのものが偏っているんです。

◆基地問題でいうと、日本という大きな権力が、沖縄という小さな地域に基地を押しつけようとしている。そのときに、日本政府の言ってることと、沖縄の言っていることとを均一して載せることが公平なのか、ということです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 三上智恵、島 洋子「女子力で読み解く基地神話」(かもがわ出版)
2017126日(木)

 

 

<その6>
◆具体的な話をしますと、沖縄で最も高い軍用地は、那覇軍港です。その那覇軍港の年間の1坪あたりの地代は1万9,000円ぐらいなんです。普天間基地なんか、年間6,800円程度。ところが、米軍基地が返還されて街になった那覇新都心という地域の平均の商業借地料というのは、高いところで、3万6,000円もする。平均でも1坪あたり3万円ぐらいするんですよ。

◆基地があるゆえに国から多額の補助金をもらっているというイメージもありますが、沖縄県に投下される地方交付税や国庫補助金など、いわゆる国の財政移転は日本復帰から43年間、全国都道府県の中で4から11位の間を上下していて、全国一になったことは一度もありません。復帰まではもちろん、日本からの財政移転はほとんどなかった。戦後から米軍統治下にあったためにインフラ整備などが遅れた27年間を取り戻すという意味での沖縄復興予算ですが、全国一もらってるというわけではない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 三上智恵、島 洋子「女子力で読み解く基地神話」(かもがわ出版)
2017125日(水)

 

 

<その5>
◆浜矩子先生に取材をしながらお話して、「なぜ日本人男性の安倍支持率は高いんですか?」ってお聞きしたら、「安倍政権が、日本人の男性の持っている中国に対するコンプレックス、自分たちが落ち目になっていることに対する劣等感をうまく使っているからだ」とおっしゃって、なるほどと思いました。アメリカもそうだけど、強くなっていく別の国に対して俺たちはまだ強いんだぜという虚勢を張っているというかんじがするんですよね。

◆権力側の言いなりになっていくことに抵抗できないメディアの話ですけど、なぜこんな足腰が弱くなったのかと考えると、私は平和教育の弱さがあると思うんです。例えば、沖縄戦の平和教育でも戦争体験者のお話を聞いて、子どもは「戦争は悲惨だ」「平和な時代に生まれてよかった」と書いて丸をもらう。戦争の悲惨さを知ること自体はもちろん大事だけど、70年前の日本人だってだれでも戦争嫌いだったのに、なぜそんな戦争に向かっていってしまったのか、そこを勉強しないと止められないと思う。軍国主義がメディアを歪め、教育を歪め、経済を歪めていくのをなぜ止められなかったか。その視点と危機感があれば、いまのメディアへの圧力の恐ろしさにすぐに反発できるはずなんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 三上智恵、島 洋子「女子力で読み解く基地神話」(かもがわ出版)
2017124日(火)

 

 

<その4>
◆在日米軍が最も重要視しているのが嘉手納基地と原子力潜水艦が停泊できるホワイトビーチです。逆に言うと、敵からするとこの2つをつぶせば在日米軍の兵力は相当落ちるという計算が成り立つわけです。

◆沖縄戦の歴史から学んだのは、「備えあれば憂いあり」じゃないですか。日本軍が駐留した島にだけ死人がたくさんでて、駐留がなかった島はすぐに米軍の捕虜になって戦闘にならなかった。

◆ベトナム戦争の時代には、沖縄はこっちから攻撃したんで「悪魔の島」って言われてましたね。沖縄から出撃した米軍が枯葉剤をまき、無差別殺戮を繰り返したわけですから。

◆日本人は、テロというものはものすごく心の病んだ一握りの人がやるとんでもない行為だと思っている。けれども、イラク戦争の時代に、アメリカは中東地域に20年あまりも介入し、日本はそれをずっと支援してきた。だから日本人が恨まれるのはある意味、当然のことです。アメリカが悪魔のように呼んでたたきつぶしてきた結果、幸せになった国がありますか?生み出したのはテロだけですよね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 三上智恵、島 洋子「女子力で読み解く基地神話」(かもがわ出版)
2017123日(月)

 

 

<その3>
◆辺野古新基地は一兆円以上かかると言われています。すべて日本政府が支出して作るんです。こんなに巨額な税金を投入するにもかかわらず、沖縄基地負担軽減にはなりません。

◆「一般論でテロはいけない」なんてだれでも言える。でも、テロしか抵抗手段がないところに何十年もかけて人を追い込んでいく、その構図を問わずにテロが悪だと言っても何も解決しませんからね。

◆GNPがアメリカを越えていくだろうという中国に、日本は単独で勝つことはもはやできない。じゃあアメリカにつけばいいのかというと、アメリカの描いている中国封じ込め作戦の一部になってしまい、日本は先に戦場になって命をすり減らす羽目になる。でもその思惑通りに自衛隊の配備が進んでしまっている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 三上智恵、島 洋子「女子力で読み解く基地神話」(かもがわ出版)
2017120日(金)

 

 

<その2>
◆沖縄は基地が多くて大変でかわいそうだけど、自分のところで引き受けるのはまっぴらごめん、という意識。また、最も多いのは米軍基地の問題は自分には関係ないという無意識、無自覚。そこを変えていきたいと思っているんです。

◆安倍政権になって集団的自衛権の行使、安保関連法と続き、憲法改正の動きもすぐそこに迫ってきています。それは戦後ずっと沖縄に日米安保の負担を押しつけて、防衛や外交はお国にお任せ、と無関心でい続けた。だから国の根幹を変えるような憲法解釈、法改正の動きについていけず、「中国の脅威」とか「抑止力」という、実体は何ななんだかわからない言葉に踊らされて押し切られてしまったのでないかと思います。

◆辺野古に新しい基地を作ることによって自然に対して影響がでてくるという視点も大事だと思いますが、私は、あの基地をつくってはいけいない一番大きな理由は、そこが総合的な出撃基地になるから、つまり標的になるからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 三上智恵、島 洋子「女子力で読み解く基地神話」(かもがわ出版)
2017119日(木)

 

 

<その2>
◆沖縄は基地が多くて大変でかわいそうだけど、自分のところで引き受けるのはまっぴらごめん、という意識。また、最も多いのは米軍基地の問題は自分には関係ないという無意識、無自覚。そこを変えていきたいと思っているんです。

◆安倍政権になって集団的自衛権の行使、安保関連法と続き、憲法改正の動きもすぐそこに迫ってきています。それは戦後ずっと沖縄に日米安保の負担を押しつけて、防衛や外交はお国にお任せ、と無関心でい続けた。だから国の根幹を変えるような憲法解釈、法改正の動きについていけず、「中国の脅威」とか「抑止力」という、実体は何ななんだかわからない言葉に踊らされて押し切られてしまったのでないかとおもいます。

◆辺野古に新しい基地を作ることによって自然に対して影響がでてくるという視点も大事だと思いますが、私は、あの基地をつくってはいけいない一番大きな理由は、そこが総合的な出撃基地になるから、つまり標的になるからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 三上智恵、島 洋子「女子力で読み解く基地神話」(かもがわ出版)
2017119日(木)

 

 

サブタイトルは、在京メディアが伝えない沖縄問題の深層となっているが、なかなか読み応えのある本である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していこう。

<その1>
◆取材してみると、米軍基地は沖縄経済を支えているどころか、沖縄が発展するためには邪魔な存在になっていました。基地であるより、その土地が返還されて街になったほうがずっと沖縄経済にプラスになっている。沖縄は国からたくさん予算をもらっていると思っていたけれど、全くそうではない。ただし、戦後から基地に依存してきた沖縄経済には、依存によって生まれたひずみもある。人が何かに依存し続けていると、一人でちゃんと立っていられなくなるように、そのひずみを自覚してただしていかなければ、沖縄の「自立」はない、と思うようになったんです。

◆戦争をしないと言いながら、よその国の武力に守ってもらうことの矛盾には向き合わず、彼らの暴力を見て見ぬふりをしてきた国民全員が加害性について考えてみるべきです。「安全保障には犠牲が伴う」などという言説に疑問も持たずに、武力組織を支え、量産される罪を許し、予測できた犠牲を放置した。彼女を殺したのは元海兵隊の、心を病んだ兵士かもしれない。しかし、彼女を殺させたのは無力な私であり、何もしなかったあなただ、と私は言ってるんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 石井一「免罪 田中角栄とロッキード事件の真相」(産経新聞出版)
201716日(金)

 

 

<その3>
◆ロッキード社からいかなる名目にせよ、現金5億円を受領したことは絶対にありません。この点につき、私が当時総理秘書官であった榎本敏夫と共謀したという事実が無いのは勿論、榎本からそのような現金を受領したような旨の報告を受けた事実もありません。

◆ここで、これまでに分かってきたロッキード事件の「陰謀」の構図を相関図的に示したいと思います。
・まず米国においては、キッシンジャーという人物が力をたくわえ、大統領特別補佐官から国務長官まで昇格し、ニクソンにしても、その後を継いだフォードにしても、外交はこの人物に託する体制が確立された。
・そのキッシンジャーは、日中国交回復や資源外交を通じて、日本の田中に対してかなりのイラダチや警戒感、そして怒りを蓄積していた。

◆当時、ロッキード社が全世界へ向かって民間機や軍用機を販売するために相当な賄賂を各国の首脳、政府高官に送っているという動きが表面化し、米議会で問題になっていた。日本だけでなく、西ドイツ、イタリア、イギリス、フランス、トルコ、オランダ、スペインなどにも飛び火した。

◆米国の政治資金規制の関係から、これらの資金が大統領選挙のために米国へ還流したといううわさもまことしやかに伝えられていた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 石井一「免罪 田中角栄とロッキード事件の真相」(産経新聞出版)
201715日(木)

 

 

<その2>
◆田中が成し遂げた日中国交回復、そして独自に進めようとした資源外交があくまでも日本を自らの隷属化に置こうとする米国の神経を逆なでし、大きな危機感を抱かせたことは間違いありません。

◆公判で、田中もこのように述べています。
「桧山さんが突然訪問してきて、いやしくも現職の内閣総理大臣に対して、「成功したら報酬を差し上げる」などと言ったとしたら、まったく言語道断であり、即座に退出を求めたはずです。政治家の第一歩はいかなる名目であろうとも、外国会社、第三国人から献金を受けてはならないということであります。」

◆当事者4名のうち、自殺した笠原を除く3名は、後半において金銭の授受はなかったと主張しています。当事者が誰一人として受け渡しの場所を思い出せないということが本当に起こりうるのでしょうか。

◆捜査段階から公判でも終始一貫、起訴事実はまったくの虚構であるという田中の主張が揺らぐことはありませんでした。事件には一切関与していないということです。コーチャンとの面識もなければ、トライスターが飛行機の名前であることも、当初は知らなかったのです。まして丸紅からの請託などありようなはずもありません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 石井一「免罪 田中角栄とロッキード事件の真相」(産経新聞出版)
201714日(水)

 

 

私は昔からロッキード事件にしても、リクルート事件にしても、これが本当に犯罪なのかという疑問を持っている。その意味からも、面白く読めた本の1つである。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約してご紹介することとしたい。

<その1>
◆田中は弁護士に第一番でこう言ったそうです。
「これはキッシンジャーにやられた。アメリカでもいいから、どこでもいいから調べてきてくれ。」

◆大統領専用機の中の非公式会見で、記者たちから田中は政治家として永らえるかと訊ねられたキッシンジャー国務長官は、「田中程度なら、いつでも取り替えられる」と答え、文明子(ホワイトハウス在住の韓国系ジャーナリスト)がさらに、「ロッキード事件もあなたが起こしたんじゃないの?」と問うと、キッシンジャーは、「オフコース」と答えたというのです。

◆ロッキード事件は、米国のある筋の確かな意図のもとに、日本政府、最高裁、そして東京地検特捜部が一体となって、推し進めてしまった壮大なる「免罪事件」だとの疑念を、私は今も払拭することができません。おそらく、その背後には、キッシンジャーとCIA、米国政府関係者がいたと思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金平茂紀「抗うニュースキャスターTV報道現場からの思考」(かもがわ出版)
20161229日(水)

 

 

<その3>
◆質問の最初の口火を切ったのは、イギリスからブレア首相に同行してきた新聞記者だった。「大統領にお聞きします。ブレア首相はあなたのプードルですか?」僕はそれを聞いて正直驚いてしまった。(へえ、首相の同行記者の最初の質問がこれなんだ!日本じゃ考えられないよな)

◆元ビートルズのジョン・レノンに対して、FBIが1971年の渡米以来、長期間にわたって監視や尾行、盗聴していたことは今ではよく知られている。というのも勇気ある学者らが情報公開法に基づいて、FBIの捜査資料の公開を求め続けた結果、その文書が公開されるにいたったからだ。すべてが開示されるまでには実に23年を要した。

◆首相の「番記者」なる存在は、当時も今も存在している。ずいぶんとその役割が変わったと思う。記者歴の浅い若い女性記者が配される(これは民放テレビに多い)ことも多い。首相の誕生日にその若い女性番記者たちが揃ってプレゼントを贈る時代に僕らは今、生きている。
◆近年のテレビには、デモや集会という事象に対する拒否感が根強く染みついている。本来は「権利」であるこれらの表現に対して、日本のテレビに集う人々は、徹底的に意識が遅れていて、デモ=騒擾という公安警察のような観念が染みついてしまっているところがある。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金平茂紀「抗うニュースキャスターTV報道現場からの思考」(かもがわ出版)
20161228日(水)

 

 

<その2>
◆一貫してウィキリークスの立場を支持してきた反独立系インターネット放送「デモクラシー・ナウ!」は今回のアサンジ氏のレイプ罪での逮捕という事態をウィキリークスの所業に対する報復的な弾圧としてとらえ、1971年のいわゆるペンタゴン文書事件の現代版がこのウィキリークス事件であるとの立場を堅持している。

◆私が12年間、日本で取材活動をするなかで感じたことは、権力を監視する立場にあるはずの新聞記者たちが、むしろ権力側と似た感覚をもっているということだ。似たような価値観を共有 していると言ってもいい。国民よりも官僚側に立ちながら「この国をよい方向に導いている」という気持ちがどこかにあるのではないか。やや厳しい言い方をするならば、記者たちには、「官尊民卑」の思想が心の奥深くに根を張っているように思えてならない。

◆60年反安保闘争のでも取材に関わっていた僕らのはるか先輩たちの生中継放送記録を僕は聴いたことがある。「警官隊のひどい暴力です。今、警官が私の腕を掴んでいます。これが日本の民主主義の姿です。」(ラジオ関東の放送)。今から考えると信じられないような生々しい放送が実際に行われていた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金平茂紀「抗うニュースキャスターTV報道現場からの思考」(かもがわ出版)
20161227日(火)

 

 

本の帯には、「テレビは権力の監視役を果たしているか!?」と書かれている。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、ご紹介することとしたい。

<その1>
◆筑紫哲也さんは、病床にあって最後の局面が近づくにつれて、意識が朦朧とするのに抗うように看病にあたられていたご家族に対して、「負けちゃいけないんだ」「少数派でいてもそれに耐えなきゃいけない」「自分で正しいと思ったら権力とかにつぶされちゃいけない」「屈しちゃいけないんだ」と繰り返していたことだ。筑紫さんが病床からみていた風景の中に今、「私たち」はいる。合掌。

◆ペンタゴン文書事件では、ベトナム戦争についての国防総省の機密文書(およそ7千ページにも及ぶ)をダニエル・エルズバーグ博士が持ち出してニューヨーク・タイムズなどに手渡し、この文書をもとにベトナム戦争政策の是非を真正面から問いかける記事が同紙で連日掲載されたという経緯がある。時のニクソン政権がベトナム戦争の実態を国民に隠していることが、内部告発によって暴露された歴史的な事件である。事件はベトナム停戦交渉への引き金の一つになったと言われている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「トランプ大統領とアメリカの真実」(日本文芸社)
20161226日(月)

 

 

<その8>
◆ヒラリーが大統領になったら、2017年から国家破産させる代わりに世界を第3次世界大戦に引きずり込むだろう。戦争をしないと、アメリカは、今の世界支配を維持できない。これから人類に襲いかかってくる金融崩壊が怖い。それを避けるために、アメリカの権力者たちは、巨大な戦争という名の公共事業をやるしか他に手がない。

◆50州の地方政府の赤字分及び社会保障費(健康保険など)の赤字の分を合計すると概算でアメリカは60兆ドル(6,600兆円)ぐらいの借金を抱え込んでいる。それ以外に民間銀行の借金の残高が同じく60兆ドル(こっちも6,600兆円)ある。合わせて120兆ドル(1京2,000兆円)だ。

◆アメリカはこれらの隠れ大借金を抱えているからヒラリーは大統領になったら、戦争をするしかないという考えで動いている。戦争をすることで真っ赤なアメリカの帳簿を燃やし尽くすという計画である。戦争をすることで国と民間の両方の大借金を吹き飛ばしてしまう計画だ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「トランプ大統領とアメリカの真実」(日本文芸社)
20161222日(木)

 

 

<その7>
◆トランプが言った。「(リビアの)カダフィや、(イラクの)サダム・フセインを殺すべきではなかった。アラブの世界にとって彼らが生きていたほうがずっとましだった」と。これがアメリカの堅実で優れた人々の共通の考えだ。

◆外国への介入主義は、ヒラリーを中心にして、人道主義を表面の旗印とする犯罪的な行動である。ヒラリーの生き方は間違っている、というのが今度の大統領選挙の真の争点である。

◆ヒラリーが大統領になったら、アメリカは必ず戦争を始める。このことを下層白人の女たちが心配している。ヒラリーなら戦争を起こしかねない。そうなったら自分の息子が戦争に繰り出される。このことを民主党支持のリベラルな女性たちが本気で心配している。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「トランプ大統領とアメリカの真実」(日本文芸社)
20161221日(水)

 

 

<その6>
◆1914年7月に、ヨーロッパで第1次世界大戦が始まった。ウィルソン大統領は「9.11」事件(2001年)とまったく似たルシタニア号撃沈事件(1915年5月7日。ドイツ軍の潜水艦による攻撃)を捏造(自作自演)した。これでアメリカを第1次世界大戦に参戦させ、米軍をヨーロッパに派兵した。

◆1914年を境に、それまで世界を支配していた大英帝国の金庫番だった英ロスチャイルド財閥が衰退して米ロックフェラー財閥が世界の最高権力を握った。

◆トランプは何事も交渉と妥協だとわかっている人だから、黒人やヒスパニックとの大きな和解を自分の政策の中心に置くだろう。「私はたくさんのマイノリティを従業員として抱えてきた」と言っている。

◆リバタリズムについて、ここできわめて簡単に決めつけておく。この思想派閥は、1950年代にアメリカで誕生した新しい勢力である。彼らの政治思想は1.反国家、2.反税金、3.反(過剰)福祉、4.反官僚主義そして5.外国まで軍隊を出すな、である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「トランプ大統領とアメリカの真実」(日本文芸社)
20161220日(火)

 

 

<その5>
◆「アメリカ・ファースト」という言葉の真の意味は「外国のことに関わるより、アメリカは国内問題を優先すべきだ」という思想のことである。なるべく外国の問題にかかわるなという思想だ。だから、「外国にまで軍隊を派遣するな、アメリカの青年たちを外国の戦場で死なせるな」という思想である。

◆ロッキード裁判は、その背景に「田中という男はアメリカの言いなりにならないヤツだから潰してしまえ」というアメリカの意思があった。もっと細かい真実を言うと、田中角栄と言えど、ロックフェラー家のお墨付きでないと日本の首相になれないのである。

◆アメリカは、植民者たちがつくった国で、イギリス国王の貴族たちに反抗して、独立宣言(1776年)からの独立戦争をしてできた国だ。だから、アメリカ国民は王国が大嫌いだ。だから共和国なのだ。共和国(共和制)とは、「王様のいない国」という意味である。日本は天皇(国王)がいるから絶対に共和国とは言えない。このことは世界から見た常識であるが、日本人は誰も知らない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「トランプ大統領とアメリカの真実」(日本文芸社)
20161219日(月)

 

 

<その4>
◆「ヒラリーになったらアメリカは戦争をする」と母親たちは強く感じている。この気持ちが子供たちに伝わってそれが忌避してバーニー・サンダースに強い支持が表れているのである。

◆トランプは自分が大統領になったら責任ある立場として、「今の重い米軍の費用を削除する。」とも主張している。アメリカの国防予算は70兆円である。年間の国家予算は440兆円である。国防予算は全体の17%である。

◆自分の国は自分たちで守るべきなのである。いつまでも外国の軍隊に守ってもらうというのは根性の曲がった人間の考えである。

◆もっと本当のことを書くと、日本の一番上の人たちがわかっていることは「日本は核を持たないで、ただし必要な時には、すぐに2ヶ月で完成できるように部品をあちこちに置いておく」という考え方である。これが日本の真実の核保有なのだ。それだけの技術力を持っている。

◆日本が「用心棒代」として負担している米軍の駐留経費は毎年たったの6,000億円などという端ガネではない。毎年買わされている30兆円ぐらいの米国債だ。これが溜まり溜まって1,000兆円だ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「トランプ大統領とアメリカの真実」(日本文芸社)
20161216日(金)

 

 

<その3>
◆しかしG7やG20からの首脳が、いくらガン首を並べても実質的な力を持たない。本当に北朝鮮を上から抑えつけて「言うことを聞け」と、中国経由で屈服させるだけの力を持っているのは、キッシンジャーとロックフェラーなのである。

◆集会に集まった自分の支持者たちにトランプは、一斉に右手を斜め上に挙げさせて、「私はドナルド・トランプを支持します」と宣誓させた。「ナチス・ドイツ式の敬礼を連想させる」としてトランプは批判された。
ちなみに、1964年の東京オリンピックで、日本選手が入場行進の際に天皇陛下のそばに来たとき、全員そろって堂々とこれをやった。世界中が「あーあ」ということで、以後、この映像は消されてしまった。

◆今回のアメリカ大統領選挙を象徴するのは「怒り」であるとまでは書く。だが、その「怒り」が何ものであり、どういう人々のどういう「怒り」であり、「何に向けられた怒り」であるかの的確な解説は一切しない。
それをすると日本においても権力者、支配者への批判となるから、それはマズイと日本の自主規制するメディアは自然に自粛するのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「トランプ大統領とアメリカの真実」(日本文芸社)
20161215日(木)

 

 

<その2>
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約してご紹介していきたい。

◆トランプ大統領の時代が2017年からほぼ確実に始まる。それは世界に大きな影響を与える。あれこれ、日本にも大きな変化が現れ、打撃を与える。その中心は「日本からの米軍撤退」問題である。

◆5月18日、トランプが自分と同じニューヨーク在住のヘンリー・キッシンジャー元国務長官を電撃的に自ら訪問した。トランプのキッシンジャー訪問で状況が大きく変わったと私は強く感じた。
注意:キッシンジャーは93歳だが財閥のNo.2であり、あのロッキード事件をつくりあげ田中角栄を失脚させた人物である。

◆キッシンジャーはアメリカの外交官たちの多くを、この半世紀に直接自分で育てて面倒を見てきた人である。キッシンジャーに逆らって、米国務省で高官で続けられる人物はいない。

◆しかもキッシンジャーは今もなお現役の人間なのである。ロシアのプーチンや中国の習近平に必要なときは自ら会いに行く。現実の世界政治は、今もキッシンジャーの裏側での根回しで動いている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「トランプ大統領とアメリカの真実」(日本文芸社)
20161214日(水)

 

 

<その1>
この本は今年の6月に出版されたもの(つまり原稿は5月までに書かれている)であるが、この段階で、11月のトランプ大統領誕生を予測していたことになる。副島氏は、8年前のオバマ大統領の時も、予測を的中させていたが、その時は大統領選挙の1年前であった。

アメリカの本当の権力者は大統領ではなくロックフェラー財閥(以下財閥という)である。大統領は財閥の使用人に過ぎない。要するに財閥が決めた人間が大統領になるのである。元大統領のビル・クリントンは財閥の隠し子である。ヒラリーは、そのお嫁さんだから本当はヒラリーにすべきだった。しかし、戦争好きでアメリカの財政赤字を拡大させてしまうヒラリーではアメリカはもうもたないと財閥が判断したようである。

オバマにしても、アフガニスタンやイラクからの軍隊の撤退は公約したにもかかわらず、実現していない。テロはふえるばかりである。他国への介入主義をやめて、アメリカ国内問題第一主義のトランプを選んだのであろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 週刊金曜日 編 「安倍政治と言論統制」(金曜日)
20161213日(火)

 

 

<その8>
◆2005年に、NHKの「慰安婦」を特集した番組に対して安倍晋三と中川昭一が一緒に圧力をかけたか、かけなかったという問題がありました。あれは「朝日」がちゃんとファイティングポーズを取らなかったことがいけなかった。私はあそこで安倍を叩いておくべきだった。

◆その前に、私は首都圏ニュースをやってまして、その編集責任者だったんです。アメリカのニュースでは、キャスターが編集責任者でしょ。それと同じ立場でした私が「NHKのニュースはわかりにくい。もっとわかりやすくしなきゃいけない」とずっと言いつづけていたら、「じゃあ『子供ニュース』でやってみろ」ってなって。そもそもそこが出発点ですから。
それで、始めたら大人、とりわけ高齢者が見るようになったんです。NHKのニュースにしても、新聞の記事にしても、まったく理解されていなかったことに、私はそこで初めて気付くわけですよ。

◆「お前は、記事を書くときに誰を頭に浮かべているのか。ライバル紙の記者、あるいはデスクだろう。あるいはそれを読んでくれる政治家や取材対象でしょう。読者なんて頭に入ってないだろう。」と言ってやりました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 週刊金曜日 編 「安倍政治と言論統制」(金曜日)
20161212日(月)

 

 

<その7>
◆本当に視聴者が偏らない意見を求めているか疑問です。「視聴者が偏らない意見を求めてる」「中立が好きだから」っていう思い込みがあるんですよ。

◆ドイツは国民投票をしないそうですね。私もけっこう似た考えです。最終的に私は池上さんのように国民を信じられないところもあるけれども。ドイツは「ナチを選んだ」というかつての選択で自国民に絶望したことに「なるほどな」と思いました。

◆一時的な熱狂で必ず変なところにいくことがあるわけですよね。でも長い目で見たら、国民はきちんと情報さえ与えられていれば、正しい判断をすると私は信じていますし、信じるしかありません。それを信じることが民主主義だと思っています。

◆筑紫哲也さんの立脚点というのが3つあったと書きました。一つ目は「少数派の立場に立つ」ということです。二つ目は「沖縄」です。三つ目は「護憲の立場に立つ」ことです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 週刊金曜日 編 「安倍政治と言論統制」(金曜日)
2016129日(金)

 

 

<その6>
◆戦後、安倍政権ほど、批判的なメディアに対して、敵意を剥き出しにした政権はない。外国人ジャーナリストにとって、その最も明らかな兆候は、閣僚が日本外国特派員協会で記者会見を行わなくなったことで、これは1945年以来初めてである。

◆(B)しかも政治部の記者には「安倍さんはいい人」という人が多いですよね。
(C)多いです。
(B)「アベノミクスはいいんだ」って我が事のように言います。
「それでいいの?」と突っ込んだら「だって株価が上がったじゃないですか」って平気で答えますからね。

◆実際、久米さんも小宮さんも降板した後はテレビ朝日の番組に出てないし。いつもケンカ別れ的で古館さんの場合はタイミング的にも最悪です。

◆あるいは中には、政治的に対立していることを「池上さんが言うことなら間違いありません。私はどう考えればいいでしょう。教えてください」と、私に答えを尋ねてくる人がいて、「これはとっても危険なことだな」と思ったんですよ。本当の民主主義というのは、一人ひとりが自分の頭で考えるものです。私が「こうだ!」と言って、みんなが「そうだ!」となること自体が危険ですから。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 週刊金曜日 編 「安倍政治と言論統制」(金曜日)
2016128日(木)

 

 

<その5>
◆日本の大手報道機関の驚くべき点は、積極的な姿勢の欠如だけでなく、見たくないものを無視し、気づかぬふりをする能力である。

◆最も腹立たしいのが、日本の記者クラブ制度である。大手テレビ局や新聞社が独立系や中小メディアを差別する制度をこぞって支持するとは全くひどいものだ。政府は公的資金、すなわち、国民の税金で記者クラブに便宜を付与し、私的組織である記者クラブがそれを独占しているのだ。

◆2012年末に自民党が政権復帰を果たすと、記者会見開放は目に見えて後退した。岸田文雄外務大臣など、後退ぶりを示すまさに適例だ。岸田大臣の外務省内での記者会見は、今でも独立メディアに対して門戸が開かれており、外見上の変化はない。だが大臣はめったに外務省で記者会見を行わない。首相官邸で短い会見を行い、独立メディアは特別招待がない限りは、官邸に立ち入りを許されない。外務大臣は事実上、独立メディアや海外の報道機関を遠ざけているのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 週刊金曜日 編 「安倍政治と言論統制」(金曜日)
2016127日(水)

 

 

<その4>
◆今と違って明治期の新聞社には気概があった。時として驚くべきやり方で当局に盾突いた。明治の藩閥政治は、明らかに新聞社を毛嫌いしており、発行差し止めを命じたり、特定の新聞を発行禁止処分にするなど、新聞社を高圧的に封じようとしたことも珍しくなかった。

◆当時との大きな違いはソフトな「抑圧」と、それに対する弱気な「抵抗」であると思う。明治の新聞記者は投獄を怖れず、出所しては再び闘った。それが最近では安倍政権が二言三言非難するだけで、大手メディアはパニックに陥り自粛に走るのだ。

◆いかなる国のジャーナリズムにも問題は数多くある。理想的なジャーナリズムなどなく、偏見や盲点、ナショナリズム利害対立が常に存在する。だが、ほとんどの先進国においては大手報道機関は多少なりとも調査報道を行っており、問題や制度を鋭く批判的に検証している。
しかしながら日本の大手新聞社は情報が正しいか、論理や判明した事実と一致しているか否かを独自性に批判的に判断することなく、大臣や官僚から聞いた話を報道することに大いに満足しているようだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 週刊金曜日 編 「安倍政治と言論統制」(金曜日)
2016126日(火)

 

 

<その3>
◆僕は「東京電力の解体論や破綻処理、発送電分離を含めた電力システム改革をただちにやれ」という提言を出そうとしたんですね。そのとき初めて役所から「これは絶対に出しちゃいかん。職務命令だ」ときました。それで今後、一切仕事はさせてもらえないという状況になって、経産省を辞めることになったんですけど。

◆僕が、最初に「I am not ABE」と言ったのは2015年1月23日です。後藤健二さんを助けたいのに、当時、安倍さんが「アメリカと一緒にIS(イスラム国)と闘うぞ」と言っちゃったから「いや、違いますよ。日本人はそんなことを夢にも思っていません」ということを世界に呼びかけたくて言ったんです。

◆菅さんの攻勢はすごいですよ。昼も夜も時間さえあれば、とにかくテレビに出るようなキャスター、コメンテーター、有識者の人たちとご飯を食べるそうです。もちろん、あからさまに圧力をかけるんじゃないですよ。「いやー、先生のお話は面白いな」とおだてながら、「今度役所の方でも勉強させたいんで、ぜひお話をしてください」と持ち上げるんだけど、それをやられた方は、ほぼ全員寝返ったそうです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 週刊金曜日 編 「安倍政治と言論統制」(金曜日)
2016125日(月)

 

 

<その2>
◆別の職員の証言では、実際にその日起きたことは菅に同行した秘書官がスタジオにいた担当ディレクターに「事前の打ち合わせにもない批判的な質問も、なぜしつこく繰り返したのか」と罵倒を浴びせたうえに、政治部幹部にも「NHKは安保法案に反対するのか!」と猛烈にクレームをつけたということだった。

◆国会では高市早苗総務相の「法律上は、意見が分かれて問題を一方の見方だけを伝え続けるなど政治的公平に反すると判断できる場合は電波停止もあり得る」という答弁が大きな論議を呼んだが、表現の自由に関するこの政権の考え方は、依然として独善的であり、放送法のみならず憲法に規定された表現の自由すら、まともに理解していないことが明白になっている。

◆テレビの場合は長期的に見ると、戦後すぐ日本の保守勢力がテレビを抑えるために、いろんな条文を放送法に入れようとしたのをGHQがはねつけたわけです。それでGHQがいなくなったら、それまで「ダメだダメだ」と言われていたものを条文に紛れ込ませたり、政権の思い通りになるよう何十年もかけて少しずつ少しずつ積み重ねてきました。そして、ついに最終局面にきているということです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 週刊金曜日 編 「安倍政治と言論統制」(金曜日)
2016122日(金)

 

 

サブタイトルが、テレビ現場からの告発となっている。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、ご紹介することとする。

<その1>
◆「2013年頃から、政治部の記者や財界など外部の関係者から「安倍側近が大越(NHKのキャスター)さんのコメントは偏っていると不満を言っているから、注意したほうがいい。」と忠告されるようになった。
局の上層部は、過剰に反応して、大越キャスターのコメントには気をつけろとか、ネタのとりあげ方を慎重にしろと現場に注文がきはじめた。大越キャスター本人は「うまくやるから心配するな」と動じる様子はなかったが、それ以来、原発や沖縄、あるいはアベノミクスを取り上げる時は、いつも以上に慎重に制作するようになった。
(NW9に関わったスタッフの証言)

◆番組内容に介入しなくても、「個性的なキャスターを替えれば、番組のテイストは変えることができる。それを実感した安倍−籾井ラインは2015年には「クローズアップ現代」のメインキャスターの国谷に狙いを定める。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 伊藤真 植草一秀「泥沼ニッポンの再生」(ビジネス社)
2016121日(木)

 

 

<その10>
◆NHK放送を受信する意思がなく、NHK放送を視聴しない人にテレビやラジオの受信機を設置しただけで受信契約締結を強要し、受信料支払いを強制することこそ、日本国憲法第二九条が保障する財産権の侵害であるとの声が拡大している。この点を踏まえて、受信契約締結を「任意制」に移行させるべきだと考えている。

◆小さい子供でも、マンガだとかアニメはつくりものだとわかる。ところが、ニュースはそうはいかず、これは真実だと思い込んでしまう。だから、ニュースを見たときに、それを疑ってみる、批判的なものの見方が子どものなかにできるまで見せないわけである。

◆2015年9月19日採決強行で、「安全保障関連法」が成立してしまった。そしてこれまで話してきたように、さまざまな問題において、本来、個人のための国家でなければならないところが、国家のための個人のような政策が事実上打たれてきている。それは1人1人の個人にとっては、一見ピンチに見える。けれどもこういうときにこそ私たちは学び、気づき、そして主体的に行動する。そういう大きなチャンだと私は思っている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 伊藤真 植草一秀「泥沼ニッポンの再生」(ビジネス社)
20161130日(水)

 

 

<その9>
◆アメリカには2001年の「愛国者法」制定のときのように、間違って突っ走ってしまうところもある。だがそれを戻そうという力も、また働いて、バランスをとっていく。日本の教育のなかで多様性を教えていかないものだから、一方に大きく振れると、際限なくいってしまう。

◆第一次安倍政権のときに「国家の形成者を育成することが教育の目的である」と教育基本法が変えられてしまった。一条の目的が変わったのである。

◆日本の教育がこれまで重視してきたのは「覚える」と「従う」だ。しかし本来の教育が目指すべきものは「考える」と「主張する」だと思う。

◆塩野七生さんは、「ルネサンスとは何であったのか」という本のなかで、「ルネサンスを一言で表すとすれば、すべてを疑うこと」と書いている。暗黒の中世を打破したルネサンスは、暗黒の前提で刷り込まれていた価値観、価値基準を素朴に見直してみる。一度疑ってみるというところから開花したものだと言う。いま日本の主権者に求められているのが、すべてを疑うだと思う。すべてを疑い、自分の目でものを見て、自分の頭で考える。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 伊藤真 植草一秀「泥沼ニッポンの再生」(ビジネス社)
20161129日(火)

 

 

<その8>
◆現在、G7参加国で教科書を検定しているのは日本だけである。教科書の多様性イコール教育の多様性にもかかわらず、日本は画一的な教科書による教育を続けている。しかも国の検定という一種の検閲を通ったものしか認めていない。

◆教科書検定の一番の問題は「国民の無自覚」にあると考えている。日本人は教科書検定をパスした教科書に書いてあることが真実だとつい思い込んでしまう。それである意味では洗脳されてしまって、戦争責任についても、自分の頭で考える機会すら奪われてしまう。

◆教育の多様性、そして個人を基礎にした教育をきちんと築き上げていかないことには、主権者として、立ち行かなくなってしまうだろう。主権者教育を、この国はやって来なかったのが最大の原因である。なによりも憲法を教えてこなかった。

◆この国の支配政党である自民党が憲法を「嫌悪」してきたという非常に不幸な政治状況がそれを招いてしまった。通常、どの国でも、その国の憲法を尊重するという教育が基本にあるはずだが日本は憲法教育をむしろ偏向だと攻撃をして、日本国憲法の価値を教えてこないできた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 伊藤真 植草一秀「泥沼ニッポンの再生」(ビジネス社)
20161128日(月)

 

 

<その7>
◆違憲状態という言葉は、日本の最高裁が「発明」したもので、世界にはない。だからアメリカ人とかドイツ人とか、外国の人に説明できない。英語に直しようがないからである。

◆乱暴な整理かもしれないが、教育者には「国家のための教育」と「個人のためのの教育」の2つがあると思う。かつてのドイツの教育は「国家や社会によって教育を管理すべき」とも唱えた哲学者フィヒテの影響を受けたとの指摘があるが、日本の教育も国家で統治しやすい人材の育成に重きを置いたと思われる。従順、均質、そして勤勉な人材の育成が目指されてきた。

◆私たちは、勉強は学校でするというイメージを持つがそれは明治維新後の話で、もともとは地域や家庭で、それぞれの勉強・学習があってよかったわけである。海外にしても、もともと教育は豊かな家庭が特別に家庭教師を雇っていたのがはじまりだった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 伊藤真 植草一秀「泥沼ニッポンの再生」(ビジネス社)
20161125日(金)

 

 

<その6>
◆一方、アメリカは連邦制だから上院議員は地域代表なのである。だから日本の都道府県はアメリカの州とはまったく位置づけが異なる。アメリカの各州は、独立国家のようなものだ。各州ごとに憲法があり、各州ごとに最高裁がある。また各州ごとに軍隊を持っているわけで、それと日本の都道府県とはまったく別物である。

◆過疎地域や山間部に住んでいる人たちだけが少数派ではない。性的マイノリティの人たち、貧困に喘いでいる人たち、障害を持っている人たち等々、さまざまな少数派が存在している。それなのに、なぜ、山間部に住んでいる人に過疎という少数派の声だけを課題に国政に反映させなければならないのか。

◆ウォーレン最高裁長官が判決文のなかで、こう述べている。「議会は人民を代表するものであって、樹木や面積の広さを代表するものではない。だから人数の割合で送り込まないとおかしい」
その判決以降、アメリカの選挙は一気に変わった。それまで数百倍の格差が出ても平気だったものが、できる限り、1.1倍に近づけようと様変わりしたのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 伊藤真 植草一秀「泥沼ニッポンの再生」(ビジネス社)
20161124日(木)

 

 

<その5>
◆1人親世帯の子供の相対的貧困率は、日本がOECD34ヶ国中の第1位である。そのために、意欲もあり、能力もあるのに教育を受けられない子供が多いのは、非常に問題だ。1人親世帯の子どもの相対的貧困率は5割を超えており、「豊かな社会」からかけ離れている。

◆アベノミクスの第3の矢の成長戦略がアベノミクスの核心である。成長戦略には5つの柱がある。農業の自由化、医療の自由化、解雇の自由化を含む労働規制の撤廃、法人税の減税、経済特区の創設であり、これらはすべて大企業の利益を増やすことを目的とするものだ。

◆この国は根本的に、主権者の多数決で物事が決まっていない。言い換えれば、民主主義の国になっていないわけですよ。これを是正しなければいけないので、どこに住んでいても、同じ一票の価値でなければいけない人口比例を原則とすべきだと、私たちはずっと主張してきた。ただ、これを言うと、「地方の切り捨てになる、という典型的な批判を受けることになる。その発想の前提には、国会議員は地方の代表者、選挙区の代表であるという思い込みがある。それは間違いであって、国会議員は選挙区の代表でも、都道府県の代表でもまったくない。どこから選ばれようが、「全国民」の代表なわけである。憲法43条1項に「国会は全国民を代表する両議院の議員から構成される」と書いてある。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 伊藤真 植草一秀「泥沼ニッポンの再生」(ビジネス社)
20161122日(火)

 

 

<その4>
◆日本経済全体は安倍政権下で大幅に悪化した。2012年10月から2016年3月までの期間の実質GDP成長率は平均0.7%でしかない。民主党政権下の2009年10月から2012年9月までの実質GDP成長率は平均2.0%だった。東日本大震災があったのに、成長率ははるかに高かった。
経済全体のパフォーマンスは圧倒的に悪化したのである。経済成長率だけでなく家計所得もおちた。2012年から2015年までの個人の実質所得は減り続けた。つまり唯一、株価だけが上がったのである。

◆いまの日本では、経済政策運営に関わる学者のほとんどが御用学者である。政府が学者の見識や専門能力を求めるのではなく、学者が政府に群がって御用聞きに血道をあげているのだ。この手のあさましい学者が多い。私たちは「学」もまた利権複合体の一角を占める存在であることが多いことを知っておく必要がある。

◆源泉徴収から申告納税への制度変更を選挙公約に掲げて広く訴えることが、人々に問題存在を伝える重要な方法になる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 伊藤真 植草一秀「泥沼ニッポンの再生」(ビジネス社)
20161121日(月)

 

 

<その3>
◆私たちは日本国憲法は三権分立を定めており、立法・行政・司法は独立した存在であると考えやすいが、憲法の規定をよく読むと、内閣総理大臣の権能が一段上位にあり、内閣総理大臣の支配権が実際には優越しているという問題点がある。

◆よく言われるように、ナチスはいろいろと言葉の言い換え、すり替えなどをしながら、国民を誘導していったわけである。
安倍政権は「独裁」を「決断できる政治」と言い換える。それから「戦争の準備」のことを「平和と安全の確保」という言葉で置き換えた。

◆「デモクラシー」とは、あなたたちが大人になったときに代表者を選ぶことだけではない。選んだ人を監視し続けていくことが本当の民主主義だということをアメリカでは、小学校低学年で教えているのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 伊藤真 植草一秀「泥沼ニッポンの再生」(ビジネス社)
20161118日(金)

 

 

<その2>
◆岸信介氏は官僚としての能力を買われ、同時に米国への忠誓心が認められ、アメリカの意向に服従することと引き換えに戦犯であったにもかかわらず、助命された。その延長上にアメリカからの資金援助で自民党をつくり総理大臣になっていくという経緯がある。

◆最高裁の意向に沿わない判決を出した裁判官には3つほどの制裁が存在する。
1つは裁判長には絶対しない。2つには降格人事で家裁に送り、家裁巡りで法曹人生を終えさせる。そして3つ目が給料・報酬を上げない。(これにより生涯年収で1億円以上の差が出る)

◆議院内閣制は議会の多数勢力が行政権の長を輩出して、その行政権の長そのものが、議会の多数派の代表者を兼ねているケースが多いので、機能が強化されてしまう。それに対して、大統領制は、議会と大統領が別々の選挙で選ばられるために、権力を「牽制」し合う傾向があるというのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 伊藤真 植草一秀「泥沼ニッポンの再生」(ビジネス社)
20161117日(木)

 

 

国難に打ち克つ10の対話がサブタイトルとなっているが、以下本書よりインパクトのあるくだりを要約して、ご紹介することとしたい。

<その1>
◆法律も含めてそうなのだが法とは誰がその条文案を起案するかはあまり重要ではない。重要なのは審議、討論、議決を誰が行ったかである。周知のとおり、日本で成立する法律の八割以上は、内閣提出案、すなわち官僚が条文をつくっており、国会議員ではない。
もし最初の草案を誰がつくったかにこだわって、ゆえに無効だと言い出したら、日本の法律の八割以上は無効だということになる。

◆日本では終戦の日は1945年8月15日と教えられているが実際に日本が降伏文書に調印したのは9月2日なので、歴史を切る日程として言えば、敗戦の日は9月2日とすべきである。
あるいは昭和天皇と日本政府がポツダム宣言を受諾したのが8月14日であるから、この日を敗戦受諾の日とするべきだろう。8月15日は天皇がそれを国民にラジオで知らせた日に過ぎない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 安田浩一「沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか」(朝日新聞出版)
2016119日(水)

 

 

<その14>
◆自己決定権の意味を深堀する同連載は全編にわたって興味深く、刺激的なものだったが、なかでも白眉は沖縄差別の原点というべき「琉球処分」について、これを明確に「国際法上不正」であるとの認識してきた点であった。

◆連載では国際法に詳しい学者の意見を引用しながら、「琉球処分」の法的不当性を説いている。準拠するのは、ウィーン条約法51条だ。同条では「国の代表者への脅迫や強制行為の結果、結ばれた条約は無効」であると定められている。これをもとに、国際法違反の「琉球処分」は不正であり、現在からさかのぼって主権の回復、つまり自己決定権の保証を要求できるとの見方を示したものであった。

◆琉球処分と辺野古は地下茎でつながっている。そして沖縄差別はあらゆる差別と同じ問題を内包している。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 安田浩一「沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか」(朝日新聞出版)
2016118日(火)

 

 

<その13>
◆沖縄の基地の7割は、海兵隊の専用施設だ。これら海兵隊の移動に必要な海軍艦船は実は沖縄ではなく、長崎県の佐世保にある。万が一の有事であっても、海兵隊は佐世保から来る艦船を沖縄で待っているしかない。スピードに優れた空軍の大型輸送機も、沖縄ではなく、米本土に配備されている。「中国に近い」ことだけをもって、機動性を担保するものではないことは軍事専門家の多くも指摘している。

◆私があまりに「保守」を強調するものだから、新城は少しばかりむっとしたようでもあった。「我々は持論を一方的に伝えるようなことはしない。何度もいいますよ。議論が分かれる問題はできる限り、双方の意見を伝えたいと思っています。」
私自身はこうした「両論併記」を完全には否定はしないが、人権が脅かされるような問題に際しては単なる逃げの手段だと思っているので、それを素直に首肯することはできない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 安田浩一「沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか」(朝日新聞出版)
2016117日(月)

 

 

<その12>
◆戦争の記憶がある。土地を奪われた記憶がある。そしていまなお基地を押し付けられている。毎年、一度は軍のヘリが墜落事故を起こす場所ですよ。人権も命も脅かされている。なのに、安保でしか沖縄を語ることのできない人がいることを本当は悲しく思います。

◆「国の存立に関わる国防上の問題」という国側の言葉は、沖縄の苦渋も歴史も無効化させるものである。人の営みも人権も無視されている。

◆批判者は「差別される側の問題点をなぜ書かないのか」「差別している側の主張にも耳を傾けよ」と迫ってくるのだ。
バカバカしい。不平等な状態であることが問題であるのに、なぜに差別される側と差別する側を同等に扱わなければならないのか。

◆よく考えてみるとくだらない。なぜ、沖縄に海兵隊基地があるのかと。他の地域が受け入れなかったからこそ、沖縄に移転してきたんじゃないですか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 安田浩一「沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか」(朝日新聞出版)
2016114日(金)

 

 

<その11>
◆メディア関係者が「差別される側の問題点」ばかりを強調することに関しては、いまでも怒りに近い感情を持っている。

◆なぜ、沖縄だけが差別されてきたのか、なぜ、沖縄だけがいつも負担を強いられてきたのか。そうした思いが自分の中で膨らんでいったのです。それがいつの間にか、沖縄で記者をしてみたい、沖縄の現実を伝えたいという気持ちにつながってきました。

◆政府の立ち位置というものが、嫌というほど伝わってきた。要するに、沖縄の置かれた不均衡で不平等な状態を政府は「人権」の問題として捉えることができないのだ。これは、温度差でも見解の相違でもなんでもない。まさに「支配者」の視点ではないのか、私には、それが基地に反対する人々を「非国民」となじる差別者の視点と重なる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 安田浩一「沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか」(朝日新聞出版)
2016112日(水)

 

 

<その10>
◆彼らは、沖縄の国策批判、とりわけ反基地、反戦の世論は沖縄のマスコミの扇動によって形成されたものと見ている。反戦平和は左翼のスローガンというわけだ。平和を希求する沖縄のアイデンティティの核心が沖縄戦にあることを知らない。つまり沖縄の地上戦がいかなるものであったかを全然知らないのだ。東日本大震災の十倍もの戦死者がこの小さな沖縄で出たことなど夢想だにできない。基地反対の沖縄の根底に沖縄戦の体験があることなど理解できず、それを新聞の扇動にあるなど噴飯ものだ。

◆沖縄県内の米軍基地は、第2次世界大戦後、米軍に強制接収されてできた基地です。沖縄が自ら望んで土地を提供したものではありません。

◆後に翁長は本当の意味で失望したのは、聞くに堪えない罵声を飛ばす者たちの姿より、それを無視し、何事もないように銀座を歩く「市民の姿」だったと述べている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 安田浩一「沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか」(朝日新聞出版)
2016111日(火)

 

 

<その9>
◆沖縄出身のボクサー・具志堅用高は「現役時代は120%沖縄のために戦った」という言葉を残している。

◆沖縄に軸足を置けば、安倍政権の立場こそ「偏向」といわなければならない。

◆沖縄にとってサンフランシスコ講和条約は「屈辱」でしかない。この年のこの日をもって日本は名目上の独立を果たしたことになるのかもしれにが沖縄は切り捨てられた。その後も沖縄は72年まで米軍施設下に置き去りにされたのである。

◆戦前、日本の新聞は「新聞紙法」によって政府の検閲が認められており、露骨な言論統制が行われていた。自由な言論を奪われていた新聞は軍国主義の被害者であると同時に、しかし率先して戦争の旗振り役を務めた加害者でもあった。

◆「沖縄の新聞をつぶせ」。沖縄の絶対権力者だった高等弁務官さえ言わなかった言葉が安倍政権の周辺から飛び出した。いったい、なぜ、何のためにそんな発言がなされたのか。その背景は何か。多分、辺野古基地建設という国策が県民の抵抗によって、思うように推進できない苛立ちの表れであろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 安田浩一「沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか」(朝日新聞出版)
20161031日(月)

 

 

<その8>
◆そもそも沖縄関係予算は基地の見返りとして存在しているわけではない。本土復帰を機に、沖縄が抱える「特殊事情」の課題解消を目的に定められた沖縄振興開発特別措置法を根拠に実施されたものだ。沖縄の苦労に報いるための「償いの心」であって、「基地の見返り」ではない。

◆「本土」との格差是正の実現を目的としているとはいえ、他府県と比較して沖縄だけが特別に「優遇」されている事実はない。
どこの件にあっても国から予算をもらっていることに変わりはない。沖縄の場合、さらに「振興予算」という上乗せがあるかのように誤解されているだけだ。

◆米軍基地も原発も「負の施設を押しつけ、金で補償する方法」で維持されてきた。それが真の地域振興につながらないことに多くの人が気付き始めている。

◆基地建設が進むなかで、労働者確保を迫られた米軍は50年代まで各市町村に労務供出させていた事実もある。むしろ沖縄の「基地依存」ではなく米軍の側が沖縄の労働力に「依存」していたことになる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 安田浩一「沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか」(朝日新聞出版)
20161028日(金)

 

 

<その7>
◆「特殊」なのは、沖縄の新聞ではなく、沖縄の置かれた環境なのだ。中央政府の「偏見」に抗えば、「偏向」だと指摘される。こんな理不尽なことはない。

◆沖縄で何か問題が発生し、それが政府の思惑通りに進まないと、必ずと言ってよいほど同じような言説が流布される。つまり自らの危機感を沖縄の新聞批判にすり替えることで、民意を矮小化する。

◆「沖縄ってのは、やはり基地がないとやっていけないところなんだよね。」なにか知ったふうな言葉でその場を仕切ろうとする者は、どこにでもいる。

◆沖縄経済の市場規模は年間4兆円。そのうち基地関連収入は約2,000億円です。・・・・観光産業から見れば非常に魅力的な場所に米軍基地が集中している。これは実にもったいないことなんですよ。

◆観光は究極の平和産業である。平和なくして観光業は存在しない。戦地や紛争地に観光客などくるはずもない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 安田浩一「沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか」(朝日新聞出版)
20161027日(木)

 

 

<その6>
◆取材過程で見えてきたのは、分断や対立を恐れる地域住民の「躊躇」だ。実際、辺野古地域に住む人には、基地の「賛否」を公に語らない人が少なくない。過密な人間関係に縛られることの多い集落にあって基地への態度を鮮明にすることは、ときに家族のなかに亀裂を持ち込むこともある。

◆危機にあるのは、安全保障なんかじゃない、沖縄の主権と人権だよ。

◆ひとりの老婆がいた。彼女は戦火から逃れてたどり着いた洞窟の中で、自ら産んだ子供を手にかけた。別の老人は、親族の頭に石を打ち込んだ経験を持っていた。自分ひとりが生き残ってしまったことを泣きながら後悔していた。

◆50年代には伊江島(伊江村)で、伊江浜(現、宜野湾市)で米軍が土地を強奪した。立ち退きを拒否する人の住む家に火を放ち、ブルドーザーで破壊した。飲料用の貯水タンクも壊され、畑は作物ごと掘り返された。「銃剣とブルドーザー」によって追い立てられ、土地を奪われ、基地建設を強行され、続けてきたのが沖縄だった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 安田浩一「沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか」(朝日新聞出版)
20161026日(水)

 

 

<その5>
◆我々としては二度と戦火をみたくない。尖閣の海を火の海にしたくない、尖閣を戦争の発火点にはしたくない、という思いがあります。国境は対立の場所ではなく、人が生きていく場所であり、相互理解の最前線だという認識で、とにかく取材しようと。

◆なかでも多くの人が口にする「我が国、固有の領土」なる言い方にかすかな抵抗も覚えた。それをいうならば、尖閣諸島はもともと琉球のものだった、ということになりますからね。

◆日本の排外主義者たちは、竹島が「韓国に奪われている」と憤り、尖閣が「中国に奪われつつある」と危機感を訴える。それはそれで理解できたとして、しかし、人が住めるような場所でない島々を必死で守ろうとする者たちは、なぜ、おおくの人が住んでいないから外国の軍隊に、「占領」されている沖縄に無関心なのか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 安田浩一「沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか」(朝日新聞出版)
20161025日(火)

 

 

<その4>
◆全国紙も普天間問題を熱心に取材していましたが、しかし、落としどころはどこかといった観点で記事が出ることが多かった。僕ら「沖縄の記者」は、政治的すり合わせによって生まれる落としどころではなく、切実に解決を望んでいたんです。

◆基地問題とは何なのか――。普久原記者は即答した。「人権問題ですよ。」おそらく、沖縄紙の記者の多くもそう答えるであろう。

◆沖縄紙の「特殊性」というものがあるとすれば、まさしくそうした切実な人権感覚を挙げることができるかもしれない。それが「本土」からときに「偏向」だと指摘される。つまり「特殊」なのは新聞なのではなく、沖縄の置かれた状況なのだ。

◆沖縄の新聞は、基地のことばかり書いている、などと言われるわけですよ。・・・・・沖縄の人権状況がせめて他の都道府県並みになれば、当然、基地に関する記事だって減ってくるはずです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 安田浩一「沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか」(朝日新聞出版)
20161024日(月)

 

 

<その3>
◆私の古くからの知人である全国紙記者に、沖縄の新聞について取材していると話したら、「あそこは特殊だからね。」といった言葉が返ってきた。「特殊?」と聞き返す私に、彼はこう述べた。「基地のことばかりやっているしね。」比較的にリベラルなスタンスで記事を書くことの多い彼すら、こうした認識であることに私は驚いた。

◆本土では安全基準に満たず、運用停止になってもおかしくない普天間基地が存在し、やはり米国ではできない訓練が沖縄で実施されている。しかもそれを日本政府も追認しているのですから、「命の二重基準」がまかり通っているわけですよ。つまり、沖縄県民の命は軽視されている。これが差別でなければなんというのか。

◆「新報」と「タイムス」はともに発行部数は約16万分で拮抗した状態にある。沖縄における新聞発行部数や約36万部なので、2紙合わせたシェアは約9割だ。

◆たとえば、政府に対して極めて近いスタンスの新聞がある。それに対して「偏向」といった批判は、ほとんど聞こえてこない。しかし我々は政府に物申せば、たちまち「偏向」だと攻撃を受ける。どう考えてもおかしいじゃないですか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 安田浩一「沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか」(朝日新聞出版)
20161021日(金)

 

 

<その2>
◆あなたは鉄条網に囲まれているのが米軍基地だと思っているでしょう。違います。逆ですよ。私たち沖縄の人間こそが鉄条網に囲まれた中で暮らしているんです。

◆在沖縄米軍基地の始まりは住民が捕虜収容されている間、米軍が勝手に必要な土地を鉄条網で囲い込み、それこそ「銃剣とブルドーザー」と形容される剥き出しの暴力によって強権的に接収したことにある。

◆辺野古は沖縄の歴史において、初めて日本が「自ら差し出す」ものである。「本土」の存在する米軍基地は、そのほとんどが旧日本軍の基地だった。だが沖縄の米軍基地は民間地を強奪してできたのだ。

◆結局、いつだってそうなんです。沖縄で何か問題が発生し、それが政府の思惑通りに進まないと、必ずと言っていいほど同じような言説が流布される。つまり自らの危機感を沖縄の新聞批判にすり替えることで民意を矮小化するという手だてです。いや、本当にいつものことですよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 安田浩一「沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか」(朝日新聞出版)
20161020日(木)

 

 

沖縄の基地問題を理解するための必読の書である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約してご紹介していきたい。

<その1>
◆「敵」を発見して「敵」を吊るす――いま日本中がそのような気分に満ちているなか、沖縄のメディアにも矛先が向けられているのだ。偏向報道批判と沖縄攻撃は同じ文脈の上に成立している。

◆国家や米軍といった圧倒的な力を目の前にして、たとえ微力であったとしても、沖縄の現実を伝えたいという思いが湧田記者にある。それが「偏向」だとして、なにが悪かろう。
そもそも対等でない関係のなかで、沖縄は存在している。やられっぱなしの沖縄が不平等を覆すための言論を駆使することを批判されるいわれはない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保坂展人 「脱原発区長はなぜ得票率67%で再選されたのか?」(ロッキング・オン)
2016106日(木)

 

 

<その5> 
◆私が出会った魯迅のエッセイの中に、「青年を殺すのは、やはり、青年である」という簡潔な文章があったんです。医学を学び、進化論者だった魯迅は、頭の固い老人が死に、進歩的な若者が社会の中心に出てくれば、社会はよくなると楽観していましたが、やがて若者同士が衝突し、殺しあうという事態に直面し、これを嘆いたものです。

◆今ふり返ってみると、常に原点にあったのは、中学生の頃の強烈な自我形成だったのかなと、自分がかくあるべきと思う生き方を社会があって、しかし、それを認めてくれない現実社会がある。その対立要因を出発点として、模索が始まり、その構図のいろんなバリエーションを経ながら、最終的には、社会を具体的に変えるという、政治の世界に進んでいく、その進み方というのは、終始一貫していたんだと思いますね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保坂展人 「脱原発区長はなぜ得票率67%で再選されたのか?」(ロッキング・オン)
2016105日(水)

 

 

<その4>  
◆永田町で権力を志すバロメーターは何かと言われたら、その人物にブラ下がって一緒に歩く記者の数だという話があるんですが、当選して2週間も経たないうちに10人くらいの記者が私の前後を取り巻くようになりました(笑)。まるで与党幹部扱いでした。

◆国会という場で、論理と言葉をいかに扱うか、ということも大切です。このときに心がけたのは、政治の世界の仲間内で使っている言葉や専門用語、業界言葉をそのまま受け売りで使わないという原則です。忙しい仕事や日常の普通の生活をしている多くの人たちが、「えっ」と振り向いてくれるような言葉に置き換える。日常用語として語り直す。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保坂展人 「脱原発区長はなぜ得票率67%で再選されたのか?」(ロッキング・オン)
2016104日(火)

 

 

<その3> 
◆フォロワー集会に集まってくれた50人というのは、たとえば、政治という切り口で呼びかけをした時に見えてくる人たちの顔や姿とは違うんですよね。地域住民の多様な人々の集まりにも似て、ポピュラーな人たちなんです。

◆普通、住民のみなさんがワークショップに足を運んで、行政に対して意見をいう機会があったとしたら、何を言いますか?・・・・・ その日集まった方々は、区や区長である私に「これをやってください」とか「これをやらないでください」とかなどというタイプの意見は、ほとんど言わなかったんです。・・・・・ 情報や状況を提供・整備してくれたら、自分たちでやりますという、自立型そして提案型の意見が目立ったんですね。

◆区長に当選してまず、「行政は継続です。これまでの95%は継承して、5%は大胆に変えます」と言いました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保坂展人 「脱原発区長はなぜ得票率67%で再選されたのか?」(ロッキング・オン)
2016103日(月)

 

 

<その2> 
◆そうして訴えた「せたがやYES!」なんですが、実は、その裏で、NGワードを設けていました。「せたがやYES!!」とは、言うけども、これだけは言うのはやめよう、という禁句です。それは、ずばり「安倍 NO!」でした。

◆自治体行政は、公平でなければならず、「安倍YES!」の人も、「安倍NO!」の人も平等に大切にされる現場だということです。

◆若い頃から、市民活動として、たくさんのシンポジウムや集会を主催して行ってきました。主催者として、主催者として悩まされる場面はいつもありました。それは会場からの発言の時間に、集会ジャックにも似て、その場のテーマとまったく関係のない自己宣伝や脈絡のない発言をされる時なんですね。自分の団体のアピールだったり、または、他で言う場面がないのでここで言わせてくれというものだったり。主催者にしてみれば、相当ストレスにはなるんですね。本来の自由発言が時間切れでできなくなる。ところが、TWITTERのフォロワー集会というのは、そういうアクシデントが見事に起こらなかったんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保坂展人 「脱原発区長はなぜ得票率67%で再選されたのか?」(ロッキング・オン)
2016930日(金)

 

 

著者の保坂氏は、この本からもわかるように実務能力のある人である。実務能力とは、簡単に言えば、数字に強いということである。政治家にしても、経営者にしても、数字に強くないと大成はしない。以下本書より、インパクトのあるくだりを要約して、御紹介していきたい。

<その1> 
◆区長1期目の私は、生活現場からの切実な項目に一生懸命に取り組みました。そして、わかりやすい結果も出してきたと思っていました。たとえば、子ども・子育て予算は、10年前の2倍(約350億円から711億円へ)組みましたとか、保育園なら、3,490人分の定員増など実際の数が出せました。区の財政にしても、長い間、赤字財政が続いていましたが、なんとか22年ぶりに区の借金である区債を区の貯金である積立金が上まわり、黒字化しました。

◆批判する政治家がいいと評価してくださる方もいます。しかし、批判ばかりは嫌いだという方も、やっぱり世の中には、相当いるんですね。アラ探しばかりで、自分たちは安全地帯にいて少しも実行しない、そういう野党的なイメージです。

◆選挙で配布したチラシには、“「せたがやYES!」にこめたもの”として、次のように記しました。“「せたがやYES!」には、私たちの住んでいる世田谷区をもっとよくしようという思いをこめています。競争と不信が渦巻く中、地域にホットできるコミュニティがあることで、人生はもっと豊かになると思います。住民による住民のための自治体運営を育てるために、あなたの力が必要です。”


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡×内田樹 「属国、民主主義論」(東洋経済新報社)
2016929日(木)

 

 

<その15> 
◆(内田)実際、経済指標を見れば、もうアベノミクスって明らかに失敗しているわけでしょ。企業収益は増えたけれど、実質賃金は下がっているし、世帯当たりの消費支出も減っている。以前より貧しくなっていて、回復の見通しが立たない。この時期に儲けたのは、大企業とその株主たちだけなんです。

◆(白井)水野和夫さんは、「金利は経済成長に連動している。長期金利がマイナスであるということは、この先、経済が縮小すると市場が見ているということだ」と指摘されています。

◆(白井)何が何でも経済を成長させようというアベノミクスに、もし、成功する道があるとすれば、それは軍事ケインズ主義であろうと僕は思っています。つまり、戦争を起こすということです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡×内田樹 「属国、民主主義論」(東洋経済新報社)
2016928日(水)

 

 

<その14>  
◆(内田)今の地方創生のプランの目玉は、「コンパクトシティ」構想ですけれど、それは要するに人口減の限界集落は捨てて、高齢者は駅前に集めるという方針ですよね。

◆(白井)今はヨーロッパでは、多くの国で通貨はユーロになっているわけですが、かつてはドイツだったらマルク、フランスだったらフラン、イタリアだったらリラ、いちいち両替をしていたわけですよね。ほんの15年くらい前の時代のことなのに、振り返ると、「ずいぶん面倒くさいことをやっていたんだな」と思ってしまう。しかし、不便であることによって、実はリスクが分散していたんですね。

◆(白井)だいたい2%程度の経済の伸びでは、むしろ富の集中しか起こらないということは、小泉政権で明確に実証されている話です。多くの人たちの生活実感としては、格差が広がってかえって貧しくなっただけでした。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡×内田樹 「属国、民主主義論」(東洋経済新報社)
2016927日(火)

 

 

<その13> 
◆(白井)日本会議と癒着している神社は、本当に度し難いです。彼らは、国家神道への加担の過去を何の総括も反省もしていない上に、またもや、フェイクな国家主義イデオロギーを担いでいるわけです。

◆(白井)日本人のおかしなところとは、あるいは、おもしろいところなのかもしれませんが、こと政治についてとなると、常識を保てなくなるということがありますね。

◆(白井)前に話が出た田中角栄や徳田虎雄などの例を見ても、昔の人は本人のもっているイデオロギーなどは、あまり気にせずに、フラットに人間そのものを見ていたという気がしますね。「イデオロギーというのは、相対的なものであって、大事なのはどれだけ潜在的なエネルギーを持っているか。そしてそれは活かし方次第だ」と考えていた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡×内田樹 「属国、民主主義論」(東洋経済新報社)
2016926日(月)

 

 

<その12> 
◆(白井)新たに原発を誘致したいという人たちから石川県の志賀町に呼ばれて、「原発が来ると、たなぼた式に大変なカネが入るよ」ということを得々と話すわけですね。そして、最後に、「100年たってかたわが生まれてくるやら、50年後に生まれてくる子どもが全部かたわになるやら、わかりませんけれども、原発をおやりになったほうがいいと思います」と言って、満場の拍手で終わるという、すごい講演なんです。

◆(白井)僕は、いわゆる「永続敗戦レジーム」の話をしたんです。第2次大戦をやったときの国家体制と、今の日本の国家の体制は、仕組みが基本的に同じであって、戦後民主主義改革によって変わったといわれているけれども、実は背骨のところは変わっていない。あの戦争の時に国家は国民をどのように扱ったか、結局はあなたがたに対しても、当時と同じ扱いをするだろうし、現にしているでしょう、と。

◆(内田)世界的に見ても、日本の街並みは、最低レベルですね。それは自分の街に対する愛がないということを認めないと説明できないと思う。長期的に見れば、街並みが美しい都市を残す方がはるかに経済合理性にはかなっている。だから、経済合理性うんぬんなんていうのは、その場をつくろうための言い逃れなんですよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡×内田樹 「属国、民主主義論」(東洋経済新報社)
2016923日(金)

 

 

<その11> 
◆(白井)一昔前には学生に「新聞を読みなさい」と言わなければならない状況がある、と嘆かれていました。今では、それどころではないのです。「TVニュースを批判的に観るようにしましょう」ではなくて、「せめてTVニュースくらい観ましょう。」と言わなくてはならない現実があります。それぐらい学生の幼稚化、ないしは脱社会化は進んでいると見るべきだと思います。

◆(内田)「日本人はマーケットによって幼稚化するように仕向けられている」という話が出ましたが、僕もそう思います。今や若者以上に老人の幼稚化が深刻です。

◆(白井)IT起業家の人たちには、「自分がよければ、他の人のことは関係ない」という考え方の人が多い気はしますね。「もし住みにくくなったら、日本なんか捨ててもいいんだ」というような。ホリエモンにしても「戦争になったら、現金をたくさん担いで、海外に脱出します」とはっきり言っていますからね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡×内田樹 「属国、民主主義論」(東洋経済新報社)
2016921日(水)

 

 

<その10>  
◆(内田)小選挙区制を採用しているカナダでは、1993年の下院選挙で与党が改選前の169議席から2議席まで議席を減らすという椿事がありました。得票率は16%あったのに、議席占有率は0.7%。こういうことが起きてしまう。

◆(白井)学生たちを見ていて思うのは、「今、若い人たちが世界から受け取っているのは、「買い物以外、この世の中で大事なことは何一つない」というメッセージではないか」ということです。

◆(内田)戦後の日本人の対米感情が、それまでと反転するのは、僕の記憶では、だいたい、1975年頃なんです。1960年には安保闘争があり、60年代の後半からは、全共闘運動とベトナム反戦闘争が盛り上がった。・・・・・それが70年代初めまで続いた。ところが、ベトナム戦争が終わると、その反米気運が一気にしぼんで、たちまち親米的な空気が日本社会に拡がっていった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡×内田樹 「属国、民主主義論」(東洋経済新報社)
2016920日(火)

 

 

<その9>  
◆(白井)大手メディアのトップがしょっちゅう安倍首相と会食して喜んでいるわけですから。NHKに至っては地震速報すらまともにできなくなりました。動いている原発(鹿児島県の川内原発)のある場所を示す地図からカットしてしまう。

◆(白井)若者は、すぐに「よくわからない」と言います。わからないと言うときの言い方も、「わからないから知りたい」の「わかりません」ではないんです。「別に知りたくない、関係したくない」という「わからない」なんですね。

◆(内田)今の日本の組織は、上から下までイエスマンで占められている。上の顔色と世の中の風向きばかり気にしている人たちで埋め尽くされた組織は滅びるのが早いです。

 


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡×内田樹 「属国、民主主義論」(東洋経済新報社)
2016916日(金)

 

 

<その8>  
◆(内田)1946年時点のアメリカのリベラル派は、日本への原爆投下に深い恐怖と強い罪責感を覚えていた。次に世界大戦が起きたら、それは必ず核戦争になり、世界はそれで滅びる。だから、もう二度と世界大戦を起こしてはならないと考えていた。その新しい「戦争なき世界」の理想のかたちとして、九条を持つ日本を国際社会に提示しようとした。

◆(内田)日本のメディアは自国のドメスティックな状況や政局について、あれこれ詮索したってしかたないんです。「安倍さんは、ほんとうのところは何を考えているのか」なんてことを考えてもしかたない。そんなことをいくら考えてみても、日本が重大な外交政策や安全保障について自前で政策決定できるわけじゃないんですから。改憲や日韓合意と同じで、それはアメリカが決めるんです。

◆(白井)「存立危機事態」になれば「集団的自衛権を行使できる」としたわけですが、「存立事態」とは、具体的にどういうものなのか、まともに定義されていない。だから、新安保法制が通ったからと言ってそれによって出来ることは、実質的にあまりないのだが、安倍首相はこれで何でも出来るようになるんだ、といって力んでいるという具合に体制内で齟齬が生じているというのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡×内田樹 「属国、民主主義論」(東洋経済新報社)
2016915日(木)

 

 

<その7>  
◆(白井)その意味で今回、大統領選で起きた異色候補の躍進は、企業支配に対する市民からの異議申し立てであると思うんです。

◆(白井)「今の戦争で最も危険なのは、補給部隊である。この部分をアメリカは日本にアウトソーシングしたい。アメリカ国家にとって、米兵が死ぬと、コストが高いが日本の自衛官が死んでもコストゼロだからということであって、それが新安保法制によって、実現されるのでしょう」と自衛官OBは見ている。

◆(内田)自民党改憲草案の中身は、アメリカの建国理念や統治理念を全否定する内容です。アメリカ政府に向かって、日本政府は、「あなたたちとは、価値観を共有しない」と宣言しているようなものですから、アメリカは、むかっとしていますよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡×内田樹 「属国、民主主義論」(東洋経済新報社)
2016914日(水)

 

 

<その6> 
◆(内田)日本人は、一枚岩の組織が一番強くて効率的だと信じている。そうやって、組織が変化に対応できなくなって、滅びる。それが日本的組織の弱点ですね。

◆(内田)アメリカが「国内的な葛藤を許容する力」では世界でも群を抜いていますね。それはうらやましい限りです。アメリカが環境の変化に対して対処する力がきわめて高いのは、「メインストリーム」に対抗する「カウンター」がつねに存在するからだと僕は思っています。

◆(白井)コーポレート・リベラルという言葉の意味は、「オバマにしても、クリントンにしても、両方とも企業とつながっている。財界を絶対裏切ることができないリベラルである」ということなんですね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡×内田樹 「属国、民主主義論」(東洋経済新報社)
2016913日(火)

 

 

<その5> 
◆(白井)かつて日本は、英米中心の世界秩序を排して、東亜新秩序の建設をめざすと言って、戦争を始めた。それが大東亜戦争の大義だったわけです。でも、今や、その当時掲げた大義自体が犯罪的だったと総括し、そのような犯罪を2度と犯してはいけないと宣言している。守るべきものは、アメリカ中心の秩序であり、それを冒そうとする行為は、大逆罪、国体の否定だということです。

◆(内田)知性的に劣化した政権が、それでも高い支持率を維持していられるのは、宗主国であるアメリカがそういう安倍政権を「自国の国益増大にとって有利な政治体制」として評価しているからです。

◆(内田)国内的にはどんなに強権的で、反民主主義的であっても、アメリカの国益を増大することに、協力する政治家ならいくらでも支援する。ベトナムのゴ・ジン・ジエムも、フィリピンのマルコスも、インドネシアのスハルトも、パナマのノリエガも、アメリカの役に立つ限りは支援を惜しまなかった。安倍晋三に対する支持もそれと同種のものだと思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡×内田樹 「属国、民主主義論」(東洋経済新報社)
2016912日(月)

 

 

<その4> 
◆(内田)米上院から始まったロッキード事件による田中角栄の失権は、日本が属国的立場から離れようとすると、何が起きるかを日本の官民に明らかにした。そして、日中共同声明が日本が主権国家としてふるまった事実上、最後の機会になった。

◆(白井)「いつまでも属国のままでいいなずがない」という考え方をもっていたのは、首相でいうと、大平正芳さんまでじゃないでしょうか。その後、中曽根康弘政権になってからは、もうそういう気持ちは消えていたような気がします。

◆(白井)安倍政権が、国民の猛反対を受けながら安保関連法案に固執する様を見ていても「いったい誰に忠誠を捧げているのか。誰が見ても国民ではなくて、アメリカを向いているのだろう」と感じます。要するに「第二次大戦後、日本の天皇は、アメリカになってしまった」ということです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡×内田樹 「属国、民主主義論」(東洋経済新報社)
201699日(金)

 

 

<その3> 
◆(白井)日米同盟は両国の心からの信頼と友情に基づくものだ、という建前を信じる者は、バカ者としか言いようがない。日本はアメリカにとって、その戦争の戦利品なんだなとつくづく感じざるをえません。

◆(内田)2013年に映画監督のオリバー・ストーンが広島に来て、講演したことがありました。そのときに「日本はアメリカの衛星国家であり、属国である。日本の政治家は、ただアメリカの使い走りをするだけである。アメリカのいうことをきかない政治家はすぐにホワイトハウスによって首を切られる。だから、日本の政治家でかつて国際社会に対して、指南力のあるメッセージを発信した人間は一人もいない」と言い切りました。

◆(白井)「結局のところ、日本は、アメリカの庇護の下にあるから、独立とか主権とか考えなくて済んだのでしょう。そんなのはしょせん、ぬるま湯の中に浸りながら「気持ちいいね」といっていただけでしょう。」と言われれば、「はい、そのとおりです。」と言うしかない。今の日本の惨状を見るに、それが事実だと思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡×内田樹 「属国、民主主義論」(東洋経済新報社)
201698日(木)

 

 

<その2> 
◆(内田)沖縄の米軍基地は、必要があるから存在するんじゃない。存在するからその必要性についての根拠をどこからか捜し出してくるんです。

◆(内田)キューバのグァンタナモにある米軍基地は、国際法もアメリカの国内法も適用されず、米軍法しか適用されない治外法権です。だから、そこで、どれほど非人道的な人権侵害がなされても、それを制御する法律が存在しない。だからテロリスト容疑者の拷問がし放題になっている。

◆(内田)属国としての立場を受け容れ、「この仕組みに同意します」と誓言した者だけが、この国の支配層を形成することができる。それが戦後70年経った日本の支配構造として安定してしまった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡×内田樹 「属国、民主主義論」(東洋経済新報社)
201697日(水)

 

 

サブタイトルはこの支配からいつ卒業できるのかとなっているが、戦後日本社会の最大のタブーである日米関係について御2人のスリリングな議論が面白い本である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>  
◆(白井)傀儡政権たる自民党から見れば、米軍とは、自分たちにとって最強の番犬に他ならない。自分たちの権力を守ってくれるすばらしい番犬には、おいしいご飯を与えなければならない。・・・・・自民党が「保守」「ナショナリスト」を自称しながら、外国の軍隊が駐留し続けている状態を少しも解消しようとはしないことの背景は、こうした構造です。

◆(内田)沖縄に全体の75%もの基地が集中している。それは、日本の中で沖縄がソ連から一番遠いからです。北海道に上陸してきたソ連軍が日本列島全土を制圧したとしても、まだ、米軍の主力部隊は沖縄に温存されている。そういう対ソ連を想定した基地配列なんです。日本人を守るために米軍が沖縄にいるんじゃない。米軍を守るために日本列島の住民がいるんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 植村隆 「真実、私は『捏造記者』ではない」(岩波書店)
201688日(月)

 

 

<その7> 
◆ヒトラーは、いつも偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。若い人たちにお願いしたい。他の人々に対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。(中略)若い人たちは、互いに敵対するのではなく、たがいに手を取り合って生きていくことを学んでいただきたい。」(ヴァイツゼッカー大統領の演説より)

◆苦しい時期も長かったが、逆境の中で支えてくれるたくさんの「まことの友」を得た。旧知の仲間たち、弁護士、学者、ジャーナリスト、大勢の市民の方々。もし植村バッシングがなければ、こんなにたくさんの「まことの友」たちと、会えなかったはずだ。試練は出会いという恵みを私に与えてくれた。隣の席の人の目を気にしながら、私は「歓喜」の涙をこぼしていた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 植村隆 「真実、私は『捏造記者』ではない」(岩波書店)
201685日(金)

 

 

<その6> 
◆「残念でならないことがあります。北星の教員の中には平穏な日常を取り戻したい、という意見があること。気持ちはもちろんわかりますが、他はどうでもいい。自分の平穏さえ確保できれば、という考え方は、「さかさまの全体主義」を支える願望で、いずれは自分も危機に晒されかねないでしょう。」(ノーマ・フィールド氏の言葉)

◆猛烈な勢いで調査し、私に対するバッシングが全く根拠のない言いがかりに過ぎないことを、改めて、証拠によって確認した。「読売新聞」や「産経新聞」のインタビューを受け、証拠を持って、彼らに反論した。彼らの批判を論破できたと思う。一部のメディアのバッシングもトーンダウンしてきた。このバッシング自体が誤りであったことが早晩、明白になるだろう。

◆「あなたをお招きするのは、韓国のためでもなく、日本のためでもありません。アジアの平和のためなのです。」この言葉を聞いて、私は大きな使命感を覚えた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 植村隆 「真実、私は『捏造記者』ではない」(岩波書店)
201684日(木)

 

 

<その5> 
◆「私も植村さんのように平和な世界を作るために、社会へ問題提起のできる人になりたいです。今日は、植村さんのジャーナリストとしての姿勢に感銘を受けました。メディアリテラシーを身につけることの難しさは、政治に向き合う上で、日々実感していますが、しっかりメディアを見極めることの大切さを意識して考えを深めていきたいと思います。」国内での最初の講義で、こんな好意的な反応があって、ありがたかった。

◆長い間、墓参にも来ないでごめんなさい。あなたが亡くなった時に、私は特派員でしたが、死亡記事を淡々と書いただけでした。私はあなたが被害の証言を始めたということを報じた最初の記者でしたが、義母が遺族会の幹部だということで、理不尽な中傷が続き、あなたや慰安婦問題に距離を置いていました。しかし、それが愚かなことであったと気づきました。これからは、改めてジャーナリストとして、慰安婦問題に取り組んでいきたいと思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 植村隆 「真実、私は『捏造記者』ではない」(岩波書店)
201683日(水)

 

 

<その4>  
◆講義の最後には、なぜ、裁判を起こしたか、次の3つの理由をあげて説明をした。
@彼らが「捏造」というレッテル貼りをやめない限り、私や家族、大学に対する攻撃は止まらない。それを止めるためには、司法の場で証明する必要があると考えた。
A私の記事を「捏造」と攻撃するということは、慰安婦問題をなきものにしようとすること。それは勇気をもって辛い体験を告白した元慰安婦のハルモニたちの尊厳を傷つけるものだ。
Bこの問題は、言論の自由、報道の自由、大学の自治という日本が戦後70年守り続けてきた民主主義に対する攻撃だ。

◆特に私の心を打ったのは、「過去の過ちを認めるプロセスは、民主主義社会を強化し、国と国のあいだの協力関係を養います」という部分だ。なんとすばらしい言葉だろうか。過去の過ちを反省し、謝罪し、未来に伝えていくことは、戦争や人権侵害の再発を防止することにもつながるだろう。そして、それは我々の民主主義社会を強めることであり、東アジアの和解を大きく進めることにもなるのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 植村隆 「真実、私は『捏造記者』ではない」(岩波書店)
201682日(火)

 

 

<その3>  
◆答弁書は「捏造」という表現を「事実摘示」ではなく、「論評」だと主張していた。これは名誉棄損した側がよく主張する「逃げ」の論理だ。「捏造」は単なる意見・論評の類だということだが、西岡氏は私を何度も「捏造」という言葉で非難し、朝日新聞社に対して私の処分を繰り返し求めていた。「捏造」を事実と認定したからこそ、処分を主張したはずだ。

◆捏造とは、事実でないことを事実のようにこしらえること、でっちあげることです。捏造記者といわれることは、新聞記者にとって死刑判決に等しいものです。記者が本当に捏造したらすぐにも懲戒免職です。もちろん、私は捏造などしていませんし、懲戒免職にもなっていません。

◆私は「週刊文春」の追跡捏造疑惑報道の後、追跡調査に関わった大学の名誉教授が自殺し、遺族が名誉棄損で訴えた裁判にも言及した。その裁判では、文藝春秋側の敗訴が確定している。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 植村隆 「真実、私は『捏造記者』ではない」(岩波書店)
201681日(月)

 

 

<その2> 
◆この文章の中で、「反日」で「平気でウソを書く新聞記者」とは、私のことを指しているのは明白だ。しかも、私が書いていない「強制」という言葉まで書き加えて非難している。「日本を貶める」ために従軍慰安婦問題を書いたことなど、私は一度もない。被害者証言にきちんと向き合うことの重要性を感じ、報道したのである。

◆当時、「挺身院の名で」という言葉は、「読売」も「毎日」も「北海道新聞」も書いていた。私は「みんなが間違っていた」と言っているわけじゃない。当時の時代認識がそうだったと強調しているわけです。

◆会場には、植村さんを批判してきた人たちも来ていましたが、質疑応答で挙手しませんでした。質問しなかったのではなく、質問できなかったのだと思っています。それは植村さんが法廷で戦っていく意思を明らかにして勇気を示したからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 植村隆 「真実、私は『捏造記者』ではない」(岩波書店)
2016727日(水)

 

 

「1991年に元慰安婦について書いた1本の記事が23年後に不当なバッシングを受け、元記者の人生を狂わせた。活字メディア・電話・ネットなどでの抗議、いやがらせ・脅迫は家族・職場の大学まで及び、元記者は闘うことを決意した。」(本のカバーより)

<その1> 
◆各紙が「キーセン」(芸者)としての経歴に触れなかったのは、当然のことにすぎない。金学順さんの訴えは、「そこへ行けば、金儲けができる」と言われて連れていかれた日本軍「慰安所」での強制売春についてのものであって、「キーセン」であったことは無関係だからである。そして、この当たり前のことを「捏造」だと攻撃することは、「慰安婦」問題否認派の根深い女性差別が露呈しているのである。

◆私を取り巻く異常な事態はどこのメディアも取り上げなかった。朝日バッシングが大きな影響を与えたからだ。「週刊金曜日」が「元『朝日』の記者の社会的抹殺を狙うテロを許すな!」 報じたものの、マスコミは追いかけなかった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金平茂紀 鳩山友紀夫 孫崎享
 「戦争のできる国ではなく、世界平和の要の国へ」(あけび書房)
2016726日(火)

 

 

<その13> 
◆(孫崎)政治家には、自分の主張というものがある。だけど、それを言ったら、政治家としての自分の存続がなくなる。それが全てのとこだと思います、今。自分でものを考えて、ある程度正しいということを言えない社会になっているということをみんな分かっている。生きていくためには、自分の考えと違うことを言わなきゃいけない。

◆(鳩山)オリンピックをやっている場合じゃないです。オリンピックを行う資金があったら、そのお金を大震災や福島原発事故の被災者の生活再建に充てるべきです。

◆(孫崎)私たちは、何故、自分の国を守るのに、外国の軍隊を必要であると考える国になってしまったのだろうか。極めて簡単である。世界に数ある国の中で、自国の首都の上空が外国軍の管轄下にある国があるだろうか。ちゃんとした独立国でそういう国はない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金平茂紀 鳩山友紀夫 孫崎享
 「戦争のできる国ではなく、世界平和の要の国へ」(あけび書房)
2016725日(月)

 

 

<その12> 
◆(孫崎)「沖縄に海兵隊を置いておく必要はない。日本国外に移せばいい。」という知日派の米国高官や専門家はいっぱいいます。なので、きちんと日米関係を、将来、日本がやるとしたら、こういう人たち、幅広い米国、単にジャパン・ハンドラーではない人たちと、きちんとやっていったらいいと痛感します。

◆(金平)僕は、TPP報道での日本のメディアの罪は非常に重いと思っています。情報操作の典型ですが、読売とTBSが走ったんです、あの時、実質合意がなされたみたいな報道。典型的な情報操作です。トップがいうんだから、実質合意したんだと書いてくれ、みたいなね。

◆(鳩山)TPPで農業だけでなく、日本の制度そのものが浸食されるということは、調べれば分かります。ISD条項などが非常に危ないことを分かっているのに、知らないふりをして書かないのでしょうか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金平茂紀 鳩山友紀夫 孫崎享
 「戦争のできる国ではなく、世界平和の要の国へ」(あけび書房)
2016722日(金)

 

 

<その11>  
◆(孫崎)私が外務省の中にいての実感ですが、1985年頃は、まだ、アメリカに完全についていけばいいというのが、外務省の哲学ではないんです。大きな転換期はソ連の崩壊のところから。

◆(孫崎)安倍政権では無理ですが、もし、将来、基地を返還してほしいという政権ができた時に、アメリカに交渉する際には、ドイツの駐留協定のようなものを軸として交渉することは、けっして難しいことではないと思っています。

◆(金平)日米の基軸とか、日米同盟の枠組みと言うんだけど、もともとの構造自体がアメリカが日本を支配する枠組みになってしまっている。そこがなんと屈辱的なんだと、僕は右翼じゃないですけど。右翼のナショナリストならそこを一番怒んなきゃいけないはずなのにね。 


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金平茂紀 鳩山友紀夫 孫崎享
 「戦争のできる国ではなく、世界平和の要の国へ」(あけび書房)
2016721日(木)

 

 

<その10>  
◆(金平)「テロリストには屈しない。交渉は一切しない」の一点張りでしょう。何を言ってるんだと思いますね。アメリカだって、ヨーロッパの国だって、口ではテロをもちろん批判します。だけど、サブチャンネルを持っていないような国はバカにされますよ。ちゃんとサブチャンネルをもって交渉して、解放された人がいっぱいいるんです。

◆(マーティン・ファクラー)交渉しない、お金を出さない、私はそれは判っていた。なぜなら、それを安倍政権はアメリカに売り物にする。

◆(孫崎)栗山さんは、1990年の次官ですから、棚上げ論は、1900年までは外務省の考え方なんです。じゃあ、どこから変わったのか。非常に明確になるのは1996年です。あの時代は、日米同盟の再編成の時期です。日米同盟の再編成の時代に、米軍は重要だ。米軍の増強をしなきゃいけないという形にする。その理由として、中国との対立構造が望ましいということになってくるわけです。そこから尖閣諸島問題棚上げ論の存在否定が出てくるんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金平茂紀 鳩山友紀夫 孫崎享
 「戦争のできる国ではなく、世界平和の要の国へ」(あけび書房)
2016720日(水)

 

 

<その9> 
◆(金平)オール沖縄の中心には、翁長さんというある種のカリスマ的な人物がいるんですけれど、あの人がやはり、とても孤独で、支える力、副官がいないといけません。一人だけだと、万が一倒れた時に全部が瓦解してしまうんじゃないかと思うような時がありましてね。

◆(金平)琉球王国って400年以上続いているんです。すごい。僕らの中で、琉球って400以上のちゃんとした独立王国の時代があったことって、学校じゃ教えられていないし、もともと日本だったんだろうみたいな。

◆(鳩山)過去は日本の植民地になったのですからね。そして、今、植民地状態からまた独立するという発想になってきているわけでしょ。それはある種当然の流れだと思っています。

◆(金平)現在、日本全体の中で人口減少が一番大きいのは福島県、人口増大が一番大きいのは沖縄県です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金平茂紀 鳩山友紀夫 孫崎享
 「戦争のできる国ではなく、世界平和の要の国へ」(あけび書房)
2016719日(火)

 

 

<その8> 
◆(孫崎)私は、劣化するだけならまだいいと思うんです。劣化だけだったら、どこかで立ち直れる可能性があるわけですから。しかし、深刻なのは、同調圧力。それはどういう意味の同調圧力かというと、政権に都合の悪いことは書かないという同調圧力なんです。その同調圧力がなければ、メディアはしっかりできるのですが、ものすごく敏感に感じ取っての同調圧力。  

◆(鳩山)まさに、その通りでメディアの側はだから鳩山政権に対しては、アメリカに追随しないのなら、叩かねばならないと批判し、安倍政権に対して、アメリカに追随しているから、政権がまずいことになることは、報じない方がいいという、そういう同調圧力が働いているでしょう。外務省とメディアだけでなく、国民の中には、アメリカ大好きの風潮があり、一方の中国に対しては、総じて嫌いの風潮があります。

◆(孫崎)政治部というのは、基本的に政権と非常に良好な関係にあると言っていいですよね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金平茂紀 鳩山友紀夫 孫崎享
 「戦争のできる国ではなく、世界平和の要の国へ」(あけび書房)
2016715日(金)

 

 

<その7> 
◆(鳩山)私は、アメリカの虎の威を借りる狐のような日本、虚勢を張っている日本が、世界の孤児になってしまうのではないかと気になって仕方ありません。外から日本を見ることがありますが、日本は気前よくお金をばらまくので、海外の国々にありがたがられてはいますが、けっして尊敬の眼差しで見られてはいないことが分かります。

◆(金平)実は、海兵隊の影響力・発言力は、アメリカ軍の中で一番下です。要するに言葉は悪いですが、海兵隊は殴り込み部隊です。

◆(金平)つまり、海兵隊無用論というのは、実は兵器の高度化とか核兵器の変容とよくリンクする話ですけどね。核兵器が常駐するベースは今はもう必要なくなって、移動していろんなところに貯蔵する必要がないような兵器になっているわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金平茂紀 鳩山友紀夫 孫崎享
 「戦争のできる国ではなく、世界平和の要の国へ」(あけび書房)
2016713日(水)

 

 

<その5> 
◆(鳩山)沖縄国際大学の現役大学生へのアンケート調査によれば、沖縄の政治、経済、安保体制が成り立つならば、38%の人が独立に賛成している結果が出ました。条件付きではありますが、これだけ多くの沖縄の若い人たちが独立をまじめに考えていることは驚くべきことではないでしょうか。

◆(鳩山)孫崎享氏の調査によれば、ドイツとアメリカとの間の地位協定は、日本とアメリカとの間での地位協定とは大きく異なっているとのことです。例えば、経済的な価値と安全保障の価値を比べて、安全保障よりも経済的価値が高いと、ドイツの人たちが判断した場合には、米軍は撤退しなければなりません。そして、米軍が撤退した後、どこに移動するかに関しては、これは、アメリカが考えるべきことで、ドイツが考える話ではなく、とにかく出て行ってくれということになるのだそうです。日米地位協定を独米間並みに改定する必要性を痛感いたします。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金平茂紀 鳩山友紀夫 孫崎享
 「戦争のできる国ではなく、世界平和の要の国へ」(あけび書房)
2016712日(火)

 

 

<その4>  
◆(鳩山)官邸は外務省を呼んで、「なんでこんなことになったのだ。アメリカは、G7はどこもA I I Bに参加しないと言ったと聞いたから安心していたのに、イギリスをはじめヨーロッパの先進国はみんな参加を表明したではないか」と問い詰めたと聞いています。

◆(鳩山)日本政府の情報収集能力にも極めて大きな問題がありますが、いずれにしても、アメリカの指示のとおりに行動すると、国益にならない可能性があるばかりでなく、世界の平和のためにもならないことがあると、身にしみて理解するときでしょう。

◆(鳩山)旧民主党を作った1996年頃に私が考えておりましたことは、一国の領土に他国の軍隊が存在するということは、そもそも当たり前ではないということです。ところが、米軍の基地があることが何か当たり前のように、日本人は毎日過ごしています。そして、日米安保があるから、一朝有事のときには、アメリカが私たちを守ってくれると信じ切っています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金平茂紀 鳩山友紀夫 孫崎享
 「戦争のできる国ではなく、世界平和の要の国へ」(あけび書房)
2016711日(月)

 

 

<その3> 
◆(鳩山)イランと日本はシルクロードの出発地と終着地の関係で、永年にわたって友好関係を結んでいました。イランの核開発疑惑が浮上した際にも、私は日本独自の外交があって然るべきと考えていました。しかし、日本は終始アメリカの意向を気にして、独自の立場から平和創造の行動もメッセージも発信することすらありませんでした。岸田外相は、「イランと日本は永年の友好国である」などと述べていますが、薄っぺらな外交姿勢では、イランの真の友情を勝ち得ることはなかなかできないのではないのでしょうか。

◆(鳩山)フィルターなしで歴史の事実を直視し、世界の現実を理解すれば、自ずと日本の進むべき道が見えてくるように思います。しかし、実際にはアメリカというフィルターを通さず、モノを見ることは非常に難しくなっています。眼鏡のようにそれが私たちの体の外にあれば、取り外せばよいのですが、戦後の長い期間に私たちの心の奥底にまで住みついてしまっているので、取り外そうともなかなか外れないのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金平茂紀 鳩山友紀夫 孫崎享
 「戦争のできる国ではなく、世界平和の要の国へ」(あけび書房)
201678日(金)

 

 

<その2> 
◆(鳩山)過ちに対して率直にお詫びの気持ちを表しただけなのですが、翌日のほぼすべての韓国紙に、西大門でのお参りの姿が一面トップに載っていました。李明博大統領をはじめ、多くの韓国の方々から感謝の気持ちを表していただきました。

◆(鳩山)私は、中国や韓国の人々にいつまでも謝罪ばかりしていれば、よいと思っているわけではありません。大事なことは、相手の気持ちを理解するように努めることです。相手の気持ちを理解しないで、謝ったのだから、それ以上持ち出すなという上から目線の態度では、問題はいつまでも解決せず、いつまでも謝らなくてはならなくなります。逆に相手の気持ちを理解しようと努めていれば、いつかは相手がこれ以上謝る必要はないよと分かってくれます。歴史を直視する勇気を持ち、相手の気持ちを理解しようと努めれば、歴史認識問題は解決するのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 金平茂紀 鳩山友紀夫 孫崎享
 「戦争のできる国ではなく、世界平和の要の国へ」(あけび書房)
201677日(木)

 

 

各人の主張がうまくかみ合って、大変、おもしろく読めた本である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。

<その1>  
◆「TPPは自由貿易協定というのなら、3ページで済む話なのに、なんと6000ページ。だれも全部読みこなしていないだろう。オバマ大統領は21世紀のルールは、中国に書かせず、アメリカが書くと言ったが、多国籍企業のロビイストが書いているだけのこと」(アメリカのノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ教授の弁)

◆2013年1月に私(鳩山)が南京大虐殺記念館を訪れて、日本の元総理として謝罪の気持ちを示しました。さらに中国の政府要人との会談の中で「尖閣諸島が係争の地であることは疑いのない事実であり、そのことを日本政府としても認めるべきである」との考えを伝えました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 小林哲夫 「シニア左翼とは何か」(朝日新書)
201676日(水)

 

 

<その7>  
◆2015年の国会前は、党派や労働組合、大学自治会など組織的な参加は多くなかった。このような組織自体が十分に機能しなくなったからだが、逆に言えば、シニア左翼の多くが単独行動したからとみることもできる。

◆中核派は機関紙でSEALDsを2つ非難した。「警察権力の不当な規制に怒りを爆発させて労働者代表が講義する中、SEALDs指導部は、「警察ともめないでください!もめたら終わりです!」「おまわりさんは敵ではありません!」と絶叫し、冷や水を浴びせた。SEALDs指導部は戦争法強行採択への怒りを統制し国家権力に屈従させる「第2警察」だ

◆現在、共産党員は約30万5000人。飛躍的に増えたわけではなく、現状維持から微増といったところだ。党員の年齢構成は明らかにされていないが、60歳以上が半分を超えているとみられる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 小林哲夫 「シニア左翼とは何か」(朝日新書)
201675日(火)

 

 

<その6> 
◆多数派、大組織、権威、官僚主義が嫌いで、少数派で闘っていました。群れるのが性に合わないのでしょうか。ヘイトスピーチ問題に取り組んだとき、今では、多くの方々と活動していますが、初めは、孤立無援で苦労しました。街を歩けば、売国奴、非国民呼ばわりです。どんなに非難されても、これはひどいと思ったら、すぐ行動する。自然に体が動いてしまうのです。(有田芳生氏)

◆69年の東大安田講堂にこんな落書きがあった。「連帯を求めて孤立を恐れず」。もともとは、60年安保のとき、詩人の谷川雁が訴えたフレーズだが、69年全共闘世代は座右の銘として実践し、その精神はシニア世代になっても変わらないようだ。「1人では、なにも行動できない」というわけではないが、グループで結束したほうが闘えるという発想だ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 小林哲夫 「シニア左翼とは何か」(朝日新書)
201674日(月)

 

 

<その5> 
◆1994年、大江は59歳のときに、ノーベル文学賞を受賞する。日本政府にはノーベル賞受賞者には、即、文化勲章と文化功労者を授与するという「お約束ごと」があるが、大江は、2つの賞をどちらも拒否した。「私は、戦後民主主義者であり、民主主義に勝る権威と価値観を認めない」としたのである。しかし、これは、天皇が、自ら賞を親授する機会を放棄したことになる。これには、保守陣営、右翼が怒り、大江は「国賊」扱いされた。このあたりから、大江は、反体制、反権力の姿勢を明確に行動で示すようになった。

◆篠原浩一郎は、60年安保後、ブントで活動し、デモで10回以上逮捕されている。やがてブントが解体していくなかで、仲間といがみ合い、殴り合いのケンカになったことがあった。仲間を殴ったことは、いまでも、申し訳なく思っている。「共産主義には仲間殺しの毒がある」と信じるようになった。

◆1970年代以降、学生の政治的無関心が長く続いた。その一因として、ぼくらのあとの世代に責任がある。新入生が社会に関心を示すと、党派がオルグにくる。だが、自分のところにこないと暴力で排除しようとする。そういう時代が長かった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 小林哲夫 「シニア左翼とは何か」(朝日新書)
201671日(金)

 

 

<その4> 
◆「わたしたちは、『自分で考えて判断できる人間』を育成する教育を決してあきらめません。平和を作り出していくことをあきらめません。わたしたちは衆参両院での強行採決につよく抗議し、安全保障関連法の廃止を求めます。2015年10月8日、恵泉女学園大学学長 川島堅二 教職員有志一同」 
恵泉女学園大学は、数ある安保関連法に反対する大学有志の会において、唯一、反対声明に学長の署名があるところだ。

◆大江健三郎は、集会でつい熱くなって「安倍」と呼び捨てにする。これが自民党をたいそう刺激した。保守論壇も問題にした。だが、益川敏英のところでも述べたが、国としては、国際的な批判を受けかねないため、ノーベル賞受賞者を批判しにくい。安倍政権にすれば、益川同様、もっとも相手にしたくないシニア左翼なのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 小林哲夫 「シニア左翼とは何か」(朝日新書)
2016630日(木)

 

 

<その3> 
◆円山公園を出て、四条大橋にかかるとき、南座の前を通りました。ちょうど松竹新喜劇の公演中だったのですが、SEALDsはすぐにコールを止めたんです。「こちらはいま公演中ですので、音消しますね。」って。かつての学生運動では考えられません。昔の学生なら「喜劇を見て笑っているようなやつらに遠慮することはない」と言い放ったでしょう。自分たちの運動への支援者をひとりでも減らすようなことはしないという態度でした。そんな彼らに僕は「本気」を感じました。

◆45年前、小田実はこう話している。「べ平連の原理は三つあって、
(1)言い出した人間がする
(2)人のやることにとやかく文句を言わない(そんなひまがあったら、自分で何かしろ)
(3)好きなことは何でもやれ、ということ」

◆ノーベル物理学者の益川敏英は、研究者が政府の言いなりになることをよしとしない。そして言いなりにならないときに追放されてしまうような社会を厳しく批判する。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 小林哲夫 「シニア左翼とは何か」(朝日新書)
2016629日(水)

 

 

<その2> 
◆シニア左翼になる経緯:きっかけは次のように4つのタイプに分類される。
@一貫組A復活組B「ご意見番」組C初参加組
シェアはかなり大まかだが、@が2割、Aが3割、Bが1割、Cが4割と推定される。

◆警察がもっとも恐れていたのは、死者を出すことだったという。死者が出て運動が盛り上がり、警察が非難されるようなことがあれば、政治にまで影響を与えかねない。要は安保関連法案がつぶれてしまう可能性があった。

◆評価の良し悪しにかかわらず、100人のうちほとんどが「賛成できない」とすることがあった。SEALDsがツィッターで、「警備のおまわりさんにお礼を言いましょう。」とつぶやいたことである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 小林哲夫 「シニア左翼とは何か」(朝日新書)
2016628日(火)

 

 

2015年、国会前の安保法制集会。目立っていたのは、実は60、70歳代のシニアたちだった。ほかの社会運動でもシニアは活躍している。なぜ参加し、どう活動しているのか。これが本書の内容である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していくこととしたい。

<その1> 
◆かつて学生運動を経験した「全共闘世代」(1947年〜1949年生まれ)が集会に戻ってきた。集会によっては、「にわか同窓会」の様相を呈していたものもあった。また、問題が次々に噴出するにつれ、彼らより年齢が上の「60年安保世代」も戻ってきた。

◆シニア左翼をたずねると、不思議な光景にしばしばぶつかる。暴れるシニア左翼を若者がなだめているのだ。

◆「若いころ、大人に怒られ、年をとって若い人に怒られる。自分たちの世代の宿命なんでしょうか。」


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤貴男「マイナンバ―が日本を壊す」(集英社)
2016627日(月)

 

 

<その9> 
◆マイナンバ―の利用範囲が政府の計画どおりに拡大していけば、当然、JPSによる位置情報もまた、政府や民間企業に筒抜けになる可能性は高まります。もっとも、GPSは本来、アメリカ国防総省がミサイル誘導などを目的に開発した軍事技術で、2000年に民間に開放されたという経緯がありますから、それはそれで、自然の成り行きなのかもしれません。すでに警察は、GPSを犯罪捜査にも大胆かつ積極的に利活用しています。

◆かつて住基ネットに反対の声をあげた人たちのなかには、人間の尊厳を守ることよりも時流に乗ることのほうを優先したのか、いつの間にか、マイナンバ―を推進する側の立場に転向されている人たちも少なくありません。それでも私は警鐘を乱打しつづけます。もっかの時代状況に照らせば、国民総背番号制を中心とした国民監視体制のこれ以上の深化、高度化は単に排除型社会というだけでは済まない、実質的には、封建時代さながらの身分社会、さらには戦時体制の完成を意味してしまうからです。

◆「マイナンバ―」の導入にあたって政府や御用マスコミが提示したのは、効率性や生産性のみ。しかしてその実態は、経済合理性の価値観に照らしても矛盾する利権まみれの民衆監視体制、もっと言えば、戦時体制構築の一端以外の何物でもないこと、今まで述べてきたとおりである。これほどの大事をソントク勘定でしか語ることができないとは、私たちはなんと貧しく、悲しく、二ヒリスティックな社会に住んでいるのだろうか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤貴男「マイナンバ―が日本を壊す」(集英社)
2016624日(金)

 

 

<その8>  
◆1983年の西ドイツ連邦憲法裁判所が、国民総背番号制は違憲だと判断していました。日本は30年以上も遅れているのです。

◆「マイナンバ―という個人情報も名前や住所と変わりありません。マイナンバ―は12ケタの数字ですが、名前と住所などと同じようにしっかりとした使い方を心がけさえすれば、名前や住所などと同じように使えますし、恐らくより便利になるのです。」(野村総研の梅屋真一郎氏の発言)
そう思うなら、そう思う人だけでやりなさい。私はこんなものが名前だなどとは死んでも認めない。番号を名前にされた人間は番号にふさわしい扱われ方をされます。狂牛病対策の一環で、生涯不変の個体識別番号で管理されていることをご存知ですか。家畜と同じにされてしまったら、いつかあの世に行ったとき、本当の名前をつけてくれた両親に会わせる顔がありません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤貴男「マイナンバ―が日本を壊す」(集英社)
2016623日(木)

 

 

<その7> 
◆「どうせ、もう10年もたたないうちに、日本の町じゅうが監視カメラだらけになって、みんな見張られるんです。あなたも僕も、誰も逃げられない」(監視カメラや指紋認証の開発をしている大手メーカーの若手技術者の発言)

◆マイナンバ―は、住基ネットよりはるかに危険です。まず個人情報漏えいの可能性が高い。なぜなら、マイナンバ―は、民(国民)、民(民間業者)、官で使う番号で官だけで使われた住基ネットとは別物なのです。・・・・・
アメリカでは、政府の人事管理局がサイバー攻撃を受けて、職員や元職員の社会保障番号を含む個人情報が約400万人分流出したことが、明らかになっています。(その後、約560万人分の指紋データも流出したことも判明)
セキュリティが世界で最も厳重であろうと思われる連邦政府ですら、このような問題が起きるのです。
2つめの危険は、名寄せやデータマッチングです。住基ネットは、データマッチングには利用しないということで、裁判でも合憲とされてきたのですが、マイナンバ―というのは、データマッチングのコンピュータネットワークのようなものです。利用範囲を拡大していけば、簡単に個人情報を収集できますし、闇の名簿も出回ると予測されます。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤貴男「マイナンバ―が日本を壊す」(集英社)
2016622日(水)

 

 

<その6> 
◆スウェーデンや同様の国民総背番号制をもつ北欧の国々には、福祉国家ならではの影の部分がありました。少なくとも1970年代までは、政府が知的障がい者などに対して強制的な不妊手術を行っていたというのです。1997年に地元のマスコミがスクープして明るみに出た、世界的なスキャンダルでしたが、こういうときにも、PIN(スウェーデンの個人認識番号)が効果的に利活用されたことは改めて指摘するまでもありません。

◆医療が、もっと言えば、人間の健康が国家に監視され、コントロールされる社会は、あまりにも恐ろしいと思います。すでに決まっているメタボ検診や予防接種履歴へのマイナンバ―利用範囲拡大も、例えば、DNAの登録などという方向性につなげられていく可能性を否定できません。

◆「だって、国民は奴隷になりたがっているじゃないですか。誰も住基ネットに反対なんかしなかったでしょ」(厚生労働省のシステム開発関連セクションの幹部の発言)


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤貴男「マイナンバ―が日本を壊す」(集英社)
2016621日(火)

 

 

<その5> 
◆イギリスは、マイナンバーのような共通番号制度を創設しようと法を通し、具体的な準備まで進めていたのだが、制度廃止を唱える政権の誕生により実現することはなかった。また、ドイツには、納税者番号はあるが共通番号制度はない。フランスには社会保障番号はあるが、共通番号としての利用をしないというのが国の方針となっている。・・・・・
日本のような全国民に強制される生涯不変の番号を多分野で活用するような番号制度を採用している国は、G7には「まだない」が事実である。

◆なるほど、「グローバルスタンダード」をうたいながら、日本人にはなじみの薄いエストニアがモデルだと言いたがるはずです。アメリカのみならず、多くの先進諸国では、国民総背番号など初めからやる気もないか、やりかけた国々でも、むしろ、見直す方向に進んでいるというのですから。ほかの国の経験に学べない、いえ、学ぼうともしない政府ほど、愚かしいものはありません。それを許してしまう国民もまた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤貴男「マイナンバ―が日本を壊す」(集英社)
2016620日(月)

 

 

<その4> 
◆国民総背番号とはいうものの、運用面ではそこそこ甘くしておかないと、社会が成り立たない。ただ、さすがというべきなのか、アメリカは手をこまねいているばかりではありません。抜本的な対策として、SSNの共通番号から分野別番号への転換を検討しているといいます。

◆マイナンバ―制度の実施に臨んで、日本政府は、国民総背番号制のような仕組みの構築を「グローバルスタンダードだ」とか「先進国で導入していないのは日本くらいのもの」云々と繰り返してきていましたね。その結果、所得税のクロヨン論と同様に、それが常識のようになっています。にもかかわらず、日本がいつもお手本にしているアメリカでは、とっくの昔に見直しがはじまっていた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤貴男「マイナンバ―が日本を壊す」(集英社)
2016617日(金)

 

 

<その3> 
◆アメリカでは、1936年から全国民を対象にした社会保障番号(SSN)が運用されています。番号の取得自体は義務ではないのですが、医療・福祉の補助金や税金の確定申告および還付などの行政手続きや進学、就職、または銀行口座の問題やクレジットカードの取得の際の身分証明書として必要なので、一般の人にはSSNから逃れるすべなどほとんどないのが実態です。このSSNを不正使用した「なりすまし」犯罪はかねて多発していたのですが、ここへきてその被害が拡大し、拳銃の携帯と並ぶ、アメリカ社会の重大な問題になっています。

◆なりすましや不正利用などが横行することの原因のひとつに、韓国やアメリカでは本人確認がさほど厳しくないという点が挙げられます。だから、彼らの例を挙げて、マイナンバ―を批判すると、日本政府は、「わが国では、本人確認を徹底するから大丈夫」という返事が戻ってくる。そうすれば、済む話なら、では、なぜ韓国やアメリカが本人確認をゆるくしているかというと、確認しなければならない側の負担が大きすぎるからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤貴男「マイナンバ―が日本を壊す」(集英社)
2016616日(木)

 

 

<その2>  
◆エストニアや韓国だけでなく、世界には国民に番号を割り振っている国々が数多くあります。マイナンバ―を推進している人たちは、そのことをもって、「先進国はみなやっている。国際競争に後れをとるな。」と喧伝するのが常ですが、事実でしょうか。いえ、独裁権力が支配する国はいざ知らず、まっとうな先進国は、番号制度はあっても限定的な利用にとどめているケースがほとんどです。

◆民主党政権における共通番号制度には、あくまで税と社会保障に絞り込んだ法案だという建前がありました。しかし、それを引き継いだ自公連立政権は、より汎用性の高い、いわば、国民総背番号制度への展開が必定の法案にすり替えていったのです。

◆こう考えていくと、マイナンバ―の管理コストをカットしたい企業のなかには、できるだけ直接雇用を避けて、そうした手間も合わせてアウトソーシングできる派遣会社への依存度を高める選択をするところも出てくるでしょう。マイナンバーには、労働の非正規化を加速させる側面もありそうです。政治家やITゼネコンが儲かるからって、そのために犠牲にされるしかない立場の人たちまで見て見ぬふりは、いいかげんにしておきましょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤貴男「マイナンバ―が日本を壊す」(集英社)
2016615日(水)

 

 

マイナンバ―とは、もともとは、民主党政権時代に、低所得者層(税金を払っていない層)に対して補助金を支払う時に、利用する目的で考えられたものである。
しかしながら、自民党政権になってからは、アメリカでの不正受給が多く行われているという理由から、その補助金を支払うという政策そのものがなくなってしまったのである。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1> 
◆小国エストニアが電子政府で世界最先端を突き進んだ理由は何か。旧ソ連の秘密警察KGBから一方的に監視されるだけだった社会よりは、電子政府で、初めから全面ガラス張りにしてしまったほうがマシだ、お互いに監視し合えば、国民と権力も対等になれるに違いないと考えた、というふうに読み解く必要があります。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 マーチィン・ファクラー「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」(双葉社)
2016614日(火)

 

 

<その14> 
◆NSA(アメリカ国家安全保障局)は、アメリカ国内のみならず、日本を含む諸外国で、さまざまな人物の電話やインターネットでの通信記録を広く集めて分析していた。さらにその活動には、グーグル、ヤフー、マイクロソフトといった通信関連企業が協力し、NSAに顧客情報を渡していたのだ。

◆昔から、外国人特派員の間では、「日本の世論調査は、全然信用できない」と言われている。私が日本にやってきたころ、「あれは世論を反映させるための調査ではなく、世論を操作するための道具なんだよ」と先輩記者がよく言っていたものだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 マーチィン・ファクラー「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」(双葉社)
2016613日(月)

 

 

<その13> 
◆特定秘密保護法の最も大きな問題は取材記者を萎縮させることではない。取材を受ける情報源を萎縮させることだ。情報源が「特定機密」を握っている場合、当局がその人の電話やメールを盗聴する可能性がある。そうなると、内部告発者はなかなか現れず、外部のジャーナリストが重要な手がかりをつかめなくなってしまう。

◆ジャーナリスト本人が無事であったとしても、ジャーナリストを助けてくれた内部告発者は、最大で10年間も刑務所に入る可能性がある。それだけのリスクがあれば、内部告発者はジャーナリストに協力したくてもためらいを感じる。

◆「吉田調書」「吉田証言」問題で、バッシングされたとき、朝日新聞は個々の記者を守らなかった。その体たらくでは、国家が特定機密保護法を使って、本格的に記者を弾圧してきたとき、新聞社が記者を守ってくれるはずがない。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 マーチィン・ファクラー「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」(双葉社)
2016610日(金)

 

 

<その12>  
◆なぜ、新聞やNHK、民放キー局は、ヤクザをもっと積極的に扱わないのだろう。扱ったとしても、取り締まる側の警察の言い分を報じるだけで、ヤクザ側に取材し、現状の問題点を指摘するような記事やニュースにはお目にかかったことがない。日本社会の中でヤクザはこんなに明確に存在するのに、誰もヤクザの親分や幹部にインタビューしようとしないことが、私には不思議でならない。

◆ヤクザ報道は、任侠映画のように娯楽のためにあるのではない。貧困問題や差別問題とも密接につながっている。近年、日本では、「下流社会」が大きな問題となっているが、ヤクザを取材することで、新たな見方や何か解決のヒントが出てくるかもしれない。「ヤクザ」をテーマに調査報道すれば、非常に興味深く、意義のあるテーマになるはずだ。

◆イギリスという小さな島国が、インドという巨大な国をどうやって植民地にしたのか、ご存じだろうか。19世紀、インドの地には、多くの王国が乱立していた。これらの王国のつながりを分析し、各個撃破でひとつひとつ制覇していく作戦を採ったのだ。敵が1つに団結すれば手ごわいが、組織がバラバラに分裂していれば倒しやすい。これを分断統治という。安倍政権にとって、バラバラで孤立している今の日本のメディアは制覇するには絶好の状態だ。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 マーチィン・ファクラー「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」(双葉社)
201669日(木)

 

 

<その11> 
◆経済産業省の記者クラブに所属している記者は、経済産業省の官僚を同じ考え方になってしまう。世界の見方まで全部似通っていき、取材対象者からの独立性を保てない。記者でありながら、官僚組織とマインドまで一緒になり、官僚とメディアが一体化してしまう。これでは、調査報道をやろうとしても独自の仮説に基づいた記事を描くことはできない。

◆記者は現場取材に没頭して自分の世界に入りがちだから、「裏付けは本当に十分なのか」「ここまで言い切れるのか」「どうしてこういう書き方になるのか」という客観的な第3者の視点が必要になる。優れた調査報道をまとめるためには、「優れた記者」とともに、「優れた編集者」の存在が必要不可欠なのだ。

◆発砲事件や組同士の抗争が起きたとき、警察庁や警視庁の記者クラブから入ってきた情報をもとに、メディアはニュースを報じる。そもそもなぜ日本社会にヤクザが存在するのか。ヤクザの世界の歴史的な背景、時代の変化についての解説記事はほとんど出て来ない。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 マーチィン・ファクラー「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」(双葉社)
201668日(水)

 

 

<その10> 
◆14年の朝日新聞は組織を守るためにジャーナリズムの精神と理念を捨て、特別報道部の記者守ろうとしなかった。産経新聞や読売新聞だけでなく、毎日新聞までも、一緒になって朝日新聞を攻撃した。何度でもいうが、あれは自殺行為だった。

◆たいした圧力でない今の段階でジャーナリスト同士が連帯できないならば、将来迫り来る政府からの強烈な圧力に、今のままでは、日本のジャーナリズムは絶対に対抗できない。

◆調査報道では、自分の「意見」を入れてはいけない。あくまでも確かな事実を正しく並べたことで導き出された「結論」が重要なのだ。せっかく隠れた事実をつかんだのに、自分の思い込みにより記事を台無しにしてしまう危険があることを、記者は強く自覚する必要がある。加えて、良い調査報道の記事には、必ず「教訓」が示される。見つけた事実をただ並べただけでは、「教訓」まで行き着かない。つまり、しっかりした「結論」が導き出された記事には、必然的に「教訓」が示されるわけだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 マーチィン・ファクラー「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」(双葉社)
201667日(火)

 

 

<その9> 
◆日本は国家機密の縛りについても、国家による市民の監視についても、まだまだアメリカほど厳しくない。だからこそ、今のうちに監視国家化に対する準備を進めておくべきだ。政権からメディアが圧力をかけられたとき、どう対抗するのか。個々の記者が当局から盗聴されたり、監視されたりしたとき、他のメディアも含めてどのように対処すればいいのか。

 ◆日本のメディアはもっと切迫した危機意識をもたなければ危険だ。この先、権力側はよりしたたかに、そして強圧的にメディアに対峙してくる。敢えて強い言い方をするが、日本はいつまでも自分の殻に閉じこもったままの「タコツボ型ジャーナリズム」をやっている場合ではないと思う。個々の記者が専門職としての強いプロ意識をもち、なおかつ他のメディアを含めてジャーナリスト同士の横のつながりを築く必要がある。これがアメリカのメディアのつらく、困難な経験が教えてくれる教訓だ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 マーチィン・ファクラー「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」(双葉社)
201666日(月)

 

 

<その8> 
◆残念なことだが、調査報道は世界的に減ってきている。それはアメリカも同様だ。だからこそ、国際的な会議で「持続性」について議論されているのだ。

◆権力者はいつも自分たちに都合のいい「ストーリー」を国民に見せたがる。だが、そこに隠された事実を表に引っ張り出すことで、権力者のウソを見破り、これまでとは、異なるストーリーを人々に伝えられる。健全な市民社会を維持するうえで、権力は常に監視する必要がある。調査報道はそのためにあるわけだ。

◆アメリカのメディアの長所の一つは、ジャーナリズムが危機に瀕したときは、一つに団結することだ。アメリカで、この種の事件が起きると、他の新聞や報道機関が会社やメディアの垣根を越えて擁護する。権力から情報をもらうために記者クラブを結成するのではなく、権力に対抗するためにメディア・スクラムを組んで、キャンペーンを張るのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 マーチィン・ファクラー「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」(双葉社)
201663日(金)

 

 

<その7>  
◆安倍首相をほめなければ、すぐさま「反日だ」というレッテル貼りをされてしまう。気の弱い日本の若いサラリーマン記者が、「反日キャンペーン」にさらされれば、よほど信念が強い人でない限り心が折れてしまうだろう。現在の日本において一部の保守層やネット右翼からなされるジャーナリストへの攻撃は異様だ。彼らは安倍政権を護るゲートキーパー(門番)のつもりなのだろうか。このような圧力は、世の中に対して異論を言えない圧迫感を生み出してしまう。

◆異論を認めず、自分たちに都合の悪いメディアを一斉に攻撃する。社会にこのような風潮を広げてしまったのは、明らかに安倍政権の大きな責任だと言わざるを得ない。なぜなら、卑劣な攻撃を繰り返すネット右翼に対して何ら「NO」の声を出さないからだ。これでは事実上、ネット右翼に「青信号」を出しているのと同じように見える。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 マーチィン・ファクラー「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」(双葉社)
201662日(木)

 

 

<その6> 
◆真実を伝えれば、伝えるほど、必ず怒る人が出るものだ。一般読者にとっての真実は、そこから利益を得ている誰かにとっては、「不都合な真実」だからだ。つまり、批判が来る記事は真実に迫ったとも言える。批判が来ないならば、その逆というわけだ。朝日新聞もそういう気概でネット右翼と戦ってほしかった。間違ったことを認める必要はあるが、間違っていないことについてまで萎縮する必要はなかったのだ。

◆「南京大虐殺はなかった」「慰安婦はただの娼婦だ」「慰安婦の強制連行はなかったのだから、強制性はない」「日本軍は戦争中に悪いことばかりしていたわけではない」このような一方的な主張に政治家までもが乗っかっているようでは、日本が国際社会から軽蔑されるだけだ。日本国内では、いまだに「南京大虐殺における犠牲者の数」といった細かな点で議論がなされるが、世界からみれば、民間人に対する虐殺行為があったことが重大な問題なのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 マーチィン・ファクラー「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」(双葉社)
201661日(水)

 

 

<その5> 
◆元慰安婦が初めて公的な場で自分の体験について証言したときよりも、第一次安倍政権や第二次安倍政権成立時のほうが慰安婦に関する日韓の報道量は激増している。朝日新聞が慰安婦問題を国際社会に広めたのではない。安倍政権が慰安婦問題を国際社会に広めたのだ。

◆安倍首相の国会答弁は誤った情報に基づいているし、明らかに政治的圧力だ。にもかかわらず、他のメディアはそれが悪いとは言わない。本質的な問題は政権ではなく、メディア側にある。本来であれば、朝日新聞は、「苦しみや悲しみ、怒りは慰安婦が受けたものです。首相は慰安婦の人たちに哀悼の意を捧げたらどうですか。」と言い返すべきだろう。

◆なぜ会社の垣根を超え、権力と対峙して朝日新聞を擁護しようとしないのか。このジャーナリズム精神の欠落こそが、日本の民主主義に大きな危機を招いている現実をメディアの人間は直視しないのだろうか。今、私が抱く危機感の根源がまさにここにある。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 マーチィン・ファクラー「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」(双葉社)
2016531日(火)

 

 

<その4> 
◆安倍政権が朝日新聞を攻撃してきた論調と同じく、読売新聞は「朝日新聞が日本の名誉をどれだけ傷つけたか」と強調した。そのパンフレットを主に朝日新聞を購読している人の家に配った。結果として読売新聞は朝日新聞の読者を奪い取ることに成功したのだろうか。答えはNOだ。読売新聞は朝日新聞以上に、60万部を超える部数を減らしてしまった。

◆言論弾圧により、朝日新聞を辞めさせられた記者は、読売新聞に移籍した。それを見た日本の財閥は恐ろしくなり、内務省で警視庁警務部長まで務めた正力松太郎氏に「キミ、新聞を買わないか」と声をかける。正力は内務省時代、思想警察を指揮して、共産党を弾圧していた人物だ。この人物が財界の応援を受け、1924年に読売新聞を買収して社長に就任した。すると、政権に都合の悪いジャーナリストは、読売新聞から追放されてしまった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 マーチィン・ファクラー「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」(双葉社)
2016530日(月)

 

 

<その3> 
◆記者クラブメディアの新聞記者には、暗黙のディール(合意)がしばしば見受けられる。特別な情報を与えてもらう見返りに、情報源に都合の良い記事に書くという取引だ。産経新聞と読売新聞は「吉田調書」を隠ぺいした政府をまったく批判しなかった。批判の矛先は朝日新聞にまっすぐ向かっている。絶妙なタイミングで「吉田調書」全文を入手した経路を推測するならば、情報の出先は官邸周辺と考えるのが自然だ。民間の発電所で起きた事故の情報を国家機密のように隠す。その官邸を批判するのではなく、情報の取り扱いを誤った朝日新聞を攻撃する。まるで安倍政権の手となり足となっているかのような産経新聞、読売新聞の報道はジャーナリズムとしてピントがあまりにもズレている。彼らが批判すべきは朝日新聞ではなく官邸なのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 マーチィン・ファクラー「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」(双葉社)
2016527日(金)

 

 

<その2>  
◆私から見れば、朝日新聞の「吉田調書」スクープは間違っているわけではない。事実は合っていた。だが、記事の伝え方において間違えたニュアンスを読者に与えてしまった。「伝えるべき事実を正確に伝える」という調査報道において大切な細かな神経の使い方が不足していたわけだ。その結果、大スクープのネタを手につかんでおきながら、朝日新聞は自壊への要因をつくってしまったのだ。

◆なぜ、朝日新聞以外の誰も入手できなかった未公開の「吉田調書」全文を、あのタイミングで各新聞社が相次いで入手できたのだろう。これはあくまでも推測だが、産経新聞や読売新聞に、朝日新聞を攻撃したい官邸から「吉田調書」がリークされたのではないかと疑ってしまう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 マーチィン・ファクラー「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」(双葉社)
2016526日(木)

 

 

ニューヨーク・タイムズ前東京支局長のファクラー氏の力のこもった著作である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していこう。

<その1>  
◆協力的なメディアにはアメを与え、敵と見なしたメディアにはムチを振るう安倍政権のマイクロ・マネジメントは、むしろ、レーガン政権より行きすぎている。レーガン政権は批判するメディアであっても、「あそこは敵だ」という線引きをすることはなかった。

◆記者から次々とタフな質問を浴び、完全にアドリブで答えていく。それが民主主義国家のあるべき記者会見のスタイルだ。安倍首相の記者会見は、この理想からあまりにもほど遠い。海外メディアの記者として、一番取材がしやすかったのは、民主党政権時代だ。岡田克也氏が外務大臣だったときなど、外務省の記者会見を真っ先に記者クラブ以外のメディアに開放してくれた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 浅羽通明 「『反戦・脱原発リベラル』はなぜ敗北するのか」 (ちくま新書)
2016421日(木)

 

 

<その2> 
◆日本の安全保障は、ほとんど全てが冷戦の動向、ようするにアメリカの意向で大半が決まっており、憲法9条や反対運動が本当に歯止めになっていたのかは、なんともいえないのではないか。

◆やはりデモなどの社会運動に楽しさを求めるのは、まずいのでしょか。「まずい」か「いけない」という意味だったら、何もいけないという気はありません。私は、ただ、それでは勝てないよといいたいだけなのです。

◆お話を伺っていて、もっとも感じたのは、安保関連法や脱原発を訴えて、頑張っている人たちに、たとえ、あなたがいわれるような問題があったとしても、何も行動していないあなたのような人にいわれたくない。これですね。「冷笑的になることほど楽なことはない」「どうせ、変わらないと、斜に構えている人が一番ダサい。」


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 浅羽通明 「『反戦・脱原発リベラル』はなぜ敗北するのか」 (ちくま新書)
2016420日(水)

 

 

「平和的デモでは、世の中は変えられない。もっと過激になれ」簡単に言えば、これが著者の主張である。 以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。

<その1> 
◆「これでは勝てないな」という感触だった。盛り上がりを見せてはいるが、そこまでではないかと。原発を再稼働させ、安保関連法を成立させようとする安倍政権に撤回を迫れるだけの決定的なカードをリベラルの側は何も持っていない。

◆政権を倒し、独裁者を倒したデモは、次のカードとして、「暴動」を、さらには「軍隊の寝返り」を有していたというわけですが。

◆「へたれ」と「非暴力」は違います。暴動もやればできるし、暴力的弾圧や逮捕拷問も怖れない。でも、こちらからは非暴力を貫く。これが非暴力であり、ガンジーなどもこちらです。それまで、インド独立運動はテロも暴動もやっていた。「できるけど、やらない」が非暴力。ただ「できない」のは「へたれ」とか「非力」もしくは「無力」というのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 山本太郎 「みんなが聞きたい 安倍総理への質問」(集英社インターナショナル)
2016414日(木)

 

 

<その6> 
◆奨学金の有利子化は1997年から増加傾向にありましたが、小泉政権になってから、完全に学生に貸し付けるビジネスになっている。サラ金ですよ。そのビジネスに関わっている人がそういう延滞者の情報を防衛省に向けて出せないのかって言ってるんですよ。家が貧しいけれど、ただ、勉強がしたくて奨学金を借りた子が最後は就職の選択肢をなくされて戦場に行かされる。これって怖いことじゃないですか。

◆一番は、あなたは生まれてきただけで、価値があるんですよ、と思わせてくれるような社会を作りたいということですかね。当たり前のことだと思うんですけれど、生まれてきてよかった、とみんなが思えるのがいい。そのためには、私という存在が認められなければいけないし、あなたという存在を認めたいんだと。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 山本太郎 「みんなが聞きたい 安倍総理への質問」(集英社インターナショナル)
2016413日(水)

 

 

<その5> 
◆安倍首相は第一次政権のときに、航空自衛隊がイラクで輸送していたのは、国連職員だと国会で発言していたが、質疑にもあるとおり、これは、嘘で、実態は国連関係者は6%で、ほとんどが米軍兵士であった。つまり、日本政府は、このファルージャ攻撃を支援していたことになる。

◆大量破壊兵器は見つからず、長期戦で泥沼にはまり、交戦規定が緩くなってしまった米軍は、動くものはすべて、子どもでも、家畜すらも、攻撃していた。テロ組織のアルカイダはファルージャにはいなかったにもかかわらず、ほとんどの男は、捕らえられ拷問にかけられていた。

◆山本さんは、非常に勉強熱心でした。米軍は病院も撃っていたわけですが、戦争犯罪とか、ジュネーブ条約について、多くの国会議員の方も知らないのか、知らないふりをしているのか、問題にしないんですが、そこに、食いついてきてくれたのは、現場を見ている者としては、涙がでるほど嬉しかったです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 山本太郎 「みんなが聞きたい 安倍総理への質問」(集英社インターナショナル)
2016412日(火)

 

 

<その4> 
◆議員になって、国会で仕事をしたら、原発事故の収束に関して、誰も本気で考えていないということがわかったんです。でも一番急がなければいけない緊急の課題であることは明らかで、こうしている間にも被曝している子どもがいる。

◆事故収束の現場では、たとえば、東京電力が元請けに8万円で発注したものが、何重もの下請けの構造の中で最終的に末端の作業員たちは、数千円しか受け取っていないという例があると聞きました。経産省が責任を持って適正な労働条件というものを確保するべきだと思いますがいかがでしょうか。

◆北朝鮮や中国の脅威を煽っている政府も、日本にミサイルを向けている国などじつはないと考えていることを引き出し、その流れから今まさに通そうとしている安保法制が誰のための政策であるのかを一気に浮き彫りにしている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 山本太郎 「みんなが聞きたい 安倍総理への質問」(集英社インターナショナル)
2016411日(月)

 

 

<その3> 
◆もし、今後、自衛隊が支援や行動を共にする諸外国の軍隊が民間人を殺傷するなど、国際人道法違反や戦争犯罪を犯し、自衛隊がそれに巻き込まれ、共犯者になることがあっては、絶対にならないと考えます。いかがでしょうか。

◆山本さんの質問って、すごく言葉遣いが丁寧だし、相当細かくロジックを踏んでいることがわかります。そして、決めつけが少ないんですよ。たとえば、野党がよくやる「こうなんでしょう、どうせ」ってけっして言わない。そして、長く議員をやっている人には、とうてい出せないような質問を堂々と出してくる。たとえば、彼が8月25日の質疑で言った、イラクで米軍が行った民間人への虐殺とアメリカに追随する日本の関係、それは、つまり、軍産複合体を儲けさせるためで、まさにこの安保法案の本質だというメッセージでもあったんですが、そんな尖りきったタブーを、論証、推論をとりまぜて七分で言いきって突っ込むさまは、私の想像をはるかに超えていました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 山本太郎 「みんなが聞きたい 安倍総理への質問」(集英社インターナショナル)
201648日(金)

 

 

<その2> 
◆民間人への無差別攻撃、たくさんの人が亡くなっています。広島、長崎、東京大空襲も。これって戦争犯罪だと思われますか?

◆ジャパン・ハンドラー、リチャード・アーミテージ様、対案があれば、間違いなく米国は耳を傾ける。ジョセフ・ナイ様、辺野古を再検討すべきとおっしゃっている。いいんですか、言うこと聞かなくて、ここは。

◆普天間は速やかに撤去、代わりにグアム、テニアンの新しい訓練基地、日本の費用で建設する提案、アメリカ政府に当然すべきだと思いますよ。しないんですか。

◆総理、変える気ないんですか、地位協定。この国の主権を売り飛ばした売国条約になっているんですから。アメリカに求める気はないんですか、地位協定の変更を。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 山本太郎 「みんなが聞きたい 安倍総理への質問」(集英社インターナショナル)
201647日(木)

 

 

予想以上に面白かった本である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介してみたい。

<その1> 
◆弾道ミサイルが飛んできた場合、原子炉、その近くに着弾した場合、もしもそれが破損した場合に、一体どのような状況になるか、その漏れ出すというものに対しては、それは計算されていないということですよね。

◆米軍が戦争犯罪を行った場合、総理が我が国の最高責任者として米軍の行動を止めるんですよね。自衛隊、撤退させられるんですよね。大丈夫ですか、総理。

◆現在の自衛隊は、作戦を練ったり、指示する人間と、現場で作戦を実行する人間が同じような数になってしまっているという現実があるんだと。
この理由は、大臣、何ですかね。短めにお願いします。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 雁屋哲「美味しんぼ「鼻血問題」に答える(遊幻舎)
201646日(水)

 

 

<その3>  
◆結論です。「風評被害」などと言う人こそ、真の意味の「風評被害」を作り出している人です。事実を表沙汰にする人を攻撃し、現在、人々が苦しんでいることを何でもないことのようにいい、すべてをおし隠す人たちが作ったのが「風評被害」という言葉です。

◆私は、この国の神聖なタブーを破った極悪人扱いを受けたのです。この国の神聖なタブーとは、「原発事故は終息した。福島は、今や人が住んでも安全だし、福島産の食べ物はどれを食べても安全だ、という国家的な認識に逆らってはいけない」というものです。「福島に行って鼻血を出した」などと漫画に書いた私は、その神聖なタブーを破ったというわけです。

◆私は事態が沈静化するまで何もいうまいと決めて、すべてのインタビューの申し込みをお断りし続けてきたのです。ブログにも事態が沈静化したら、自分の意見・反論を書く約束をしました。長い時間が経ちましたが、今、その約束の時に来たと思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 雁屋哲「美味しんぼ「鼻血問題」に答える(遊幻舎)
201645日(火)

 

 

<その2> 
◆福島の環境であれば、鼻血を出す人はいる。そして、鼻血は放射線被害のたった一つの症例でしかない。放射線被害は、私や他の人も経験している耐え難い疲労感、など他にも数多くある。甲状腺ガンなど各種のガン、白血病等に限らない健康上の問題がある。ただ、国はよほどはっきりした健康上の問題でない限り、放射線との関連性を認めようとしない。

◆私は、自分の体験した事実しか書きません。私が書いた私自身の体験した事実について、議論もせず、「風評」と決めつける人たちに、私は尋ねたい。私の書いたことのどこに嘘があるのか、噂話で私が書いているのか、それを示してもらいたい。

◆安倍首相のように、相馬でヒラメを丸かじりして「安全だ」というパフォーマンスを演じてみせることは、それ自体「相馬の魚は安全だ」という風評を作り上げるものです。福島第一原発からは、毎日、80億ベクレルの汚染水が海に流されていることを、東電は認めました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 雁屋哲「美味しんぼ「鼻血問題」に答える(遊幻舎)
201644日(月)

 

 

著者の2年に及ぶ取材から、たどりついた結論は『福島の人よ、福島から逃げる勇気を持ってください。』である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介していきたい。

<その1> 
◆安全と安心の違い 
@安全と安心とは別のものである。
A安心とは、安全が客観的なものでなければならないのに対して、主観的なものであることが多い。
B安全なら安心だが、安心なら安全とは限らない。

◆福島の人たちは、放射線源に取り囲まれて生活している。福島にいる限り放射線源から逃れることはできない。これが今の福島の現実なのです。

◆鼻血と放射線の関係を考えるのは難しいが、放射線が鼻血と関係ないと考える方がもっと難しい。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 前田洋平「国立がんセンターでなぜガンは治らない?」(文春新書)
2016330日(水)

 

 

<その7> 
◆嘉山理事長が、叫ぶその構想は、厚生労働省が独立した組織として運営を行い、医療現場に即した政策提言ができるような組織を目指していた。そのため、実現すれば、医療政策の立案過程が大きく変わることが予想されていた。
嘉山理事長がこのような統合を目指したのは、政府の政策と現場の実情の間には、大きな隔たりがあったからだ。

◆病理医は、内視鏡で採取した組織を顕微鏡で観察し、がんの性質や広がりを診断する。この診断で追加の切削が必要か否か判定できるため、最小限の摘出ですむのだ。
しかしながら、病理医は、がん医療に欠かせない存在として必要性が認識されているにもかかわらず、なかなか増えていない。日本医師会の調査では、各病院が不足しているとみる医師は、婦人科や救急科を抜いて1位となっている。人口当たりの病理医数はアメリカの約5分の1にとどまっている。

◆これまで、医療政策のたたき台を厚生労働省がつくり、それを現場目線で修正していたが、6つのNCを統合できれば、元々のたたき台となる医療のグランドデザインを作り出せてしまうほどの影響力を持つからだ。この構想が実現すれば、日本の医療の構図が大きく変わることになる。「厚生労働省が無くなってしまう」というある政治家の反対は、この構想に対してのものだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 前田洋平「国立がんセンターでなぜガンは治らない?」(文春新書)
2016329日(火)

 

 

<その6> 
◆官僚は失敗を認めることをいやがるのです。ドラッグ・ラグの解消をめざして活動しているときも、「この対策では足りなかった」という指摘をすると、とても嫌がりました。「当時とは状況が変わったので、こうするともっと良くなるのでは」という理由付けをすると、話が進みます。

◆官僚も、実は、政策を変える口実を待っていたりする。でも自分たちでこれまでの政策が間違っていたと、認めるようなことは簡単にできない。そんなとき、世論があれば変更の理由になり得るのです。

◆あまり堂々とは言えませんが、いろいろな職種の人たちのいろいろな既得権があるのです。それこそが、嘉山先生が国立がん研究センターの理事長に再選されなかった理由です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 前田洋平「国立がんセンターでなぜガンは治らない?」(文春新書)
2016328日(月)

 

 

<その5> 
◆厚生労働省には法律や政令で設置された審議会等が16あり、それ以外にも、学者や患者を参加させている検討会や研究会を数えあげれば100以上ある。そのなかで、中医協は際だって重要視されている。中医協だけを特別視するのは、診療報酬の決定が日本の医療の政策の方向性を決めることになるからだ。

◆たしかに、医師らは現場の目的から様々な意見や批判をしてくるだろうが、その提案の土台を作っているのは官僚なのだ。医師らの意見によって政策が一部変わることはあるかもしれないが、大きな枠組み―かれの言葉では、グランドデザイン―を提示するのは官僚なのだ。

◆官僚はやっかいなことをしでかすような人を何度も委員に推薦するはずがありません。問題がないように、役所の意向に沿うようにじっとしている人が、一番都合がよいのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 前田洋平「国立がんセンターでなぜガンは治らない?」(文春新書)
2016325日(金)

 

 

<その4> 
◆薬は処方の仕方次第で、作用が大きく変わる。副作用が大きく出る場合と、そうでない場合がある。だから、副作用が起これば、薬に問題があると考えるのは短絡的だ。だが和解案では、イレッサ自体に問題があることを前提としていた。
和解案をきっかけに、薬の副作用で患者が亡くなることに国や製薬会社が責任を問われるようになれば、だれも責任追求を恐れて薬を処方しなくなってしまう。そうすれば、助かるはずの多くの患者の命も危うくなってしまうという問題もはらんでいた。

◆HIVや肝炎の感染は、予想することが難しかったものの、他に感染を防ぐ方法は当時もあった。そのため、薬害と言えるが、一方、イレッサによる急性肺障害・間質性肺炎は、抗がん剤だけでなく、漢方薬や抗生物質などの身近な薬でも、発症する副作用のひとつだ。
イレッサによる副作用での不幸な結果の責任を問えば、医療の根本を否定することになる。完全に安全な医療など存在しないからだ。どんな薬も治療も危険と背中合わせなのだ。それを完全に安全でなければならないとすれば、治療行為はできなくなってしまう。薬害と副作用は、一見にているようで、被害が生じる構造は異なる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 前田洋平「国立がんセンターでなぜガンは治らない?」(文春新書)
2016324日(木)

 

 

<その3> 
◆国立がんセンターでは、経理が予算主義であったことも厚生労働省への依存を深めていた要因だった。金がなくなれば、予算を持ってくればよいと思っている。だから、病院内では、予算を持っている役人、事務官僚が偉そうにする。そこを改革しなきゃいけなかった。

◆実際に一般入札を実施すると、いままで5年契約で132億円かかっていたIT設備費は、新たな契約で5年間の維持費を含めて、21億円となった。嘉山の予想をはるかに上回るものだった。だが、想像を超える成果は、一方で周囲との溝を作り出した。これまで改革に協力してくれていた一部の政治家と連絡がとりづらくなったのだ。嘉山は心のどこかで、「地雷を踏んだな」と悟った。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 前田洋平「国立がんセンターでなぜガンは治らない?」(文春新書)
2016323日(水)

 

 

<その2> 
◆皮肉なことだが、つぶすことが国立がんセンターの一番の改革だったのだ。普通の病院にしてしまえば、国立がんセンターなんて、採算が合わずにすぐに潰れていたはずだ。下の人だって、いつか上に行って研究室がもらえるようになると思って歯を食いしばっているんだよね。ああいう構造では、どこかで不正が出る。

◆がん患者同士での情報共有は濃密だ。そこでの国立がんセンターの評判はひどいものだったようだ。言ってしまえば、がん難民製造工場だったんですよ。

◆日本医療政策機構は、がん患者の半数以上の53%が、医師による最初の治療方針の不満を抱くか、納得できる治療方針を選べなかったと考えているとする調査結果を報告している。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 前田洋平「国立がんセンターでなぜガンは治らない?」(文春新書)
2016322日(火)

 

 

サブタイトルが闇に葬られた改革となっているが、カリスマ理事長の改革は、厚生労働省によって阻止されたのである。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1> 
◆国立がんセンターを独立行政法人にするのに、貸借対照表も損益計算書も試算表もないとか馬鹿な話があるか、それでは審議できないと言うと慌てて稚拙なものを作ってきました。

◆学術論文引用データによると、臨床医学の分野で国立がんセンターは世界で213位だった。一人当たりの研究費は、国立がんセンターが全国でもトップクラスにもかかわらず、論文の量や質は旧帝大のほうが上回っている。

◆国立がんセンターは、年間の入院患者は2万人を超え、海外からの患者も多い。診療報酬収入は、平均して年間250億円にのぼる。しかし、前述のとおり、研究論文の引用動向データからみると、国立がんセンターは、がんの研究・治療拠点となっていない。カリスマ理事長の嘉山は、がんの治療の「均てん化」を進めることが最優先で、標準的な治療に力を入れすぎたことが問題の本質だとみていた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 蓮池 透 「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」(講談社)
201623日(水)

 

 

<その8> 
◆安倍さん自身が再調査など茶番だといっていた人ですが、そんな人が再調査に合意した・・・。そもそも、集団的自衛権の行使容認を閣議決定して、北の脅威を煽っている人が、その北との協議を進めているのですから、何が何だかわかりません。

◆もはや拉致問題解決のために、日本側がやるこては明確です。繰り返しになりますが、大きな構想力を持って日朝双方にメリットがあるような絵を描き、最終的には日朝の国交正常化を目指して、北朝鮮側と真剣に交渉すること。その前提として、「拉致問題の解決とは何か」という「定義」をきちんと示すこと。そして、韓国や中国などの協力を得るため、関係を良好に保つよう努力すること。首相や閣僚が靖国神社に参拝したり、過去の歴史を肯定したり美化したりする・・・、そうしたことを徹底的に自制することです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 蓮池 透 「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」(講談社)
201622日(火)

 

 

<その7> 
◆振り返ってみれば、拉致問題を膠着状態に陥らせた最大の責任は安倍さんにあると思うのです。 日朝首脳会議を実現に導いたのも、金日正に拉致を認めさせて謝罪させたのも、彼の仕事では全くない。日朝首脳会議後の北朝鮮バッシングを煽り、それに乗っていただけです。

◆歴史認識や靖国問題で中国や韓国を怒らせておいて、拉致問題の解決に向けた協力は得たい、というのはムシがよすぎる。外交交渉ですから、なんでもかんでも日本の側の思惑ばかりが通るはずもないのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 蓮池 透 「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」(講談社)
201621日(月)

 

 

<その6> 
◆拉致被害者1人につき、10億円払っても返してもらう。あとで「過去の清算」をして、賠償金を払うとき、その分を差し引けばいいんだ。

◆北朝鮮の人たちには、かつて北朝鮮人が何万人も強制労働のようなかたちで、日本に「拉致」されたのだから、日本人を10人や20人拉致したところで、大した問題ではない、という意識があるようだ。しかし、罪を相殺するという考え方は詭弁だ。植民地時代の日本の行跡と拉致問題は別個に解決しなければならない。

◆金大中はノーベル平和賞を受賞するわけですが、実を言うと、その受賞は南北首脳会議ばかりが評価されたのではなく、日韓関係の改善も授賞理由に入っていたのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 蓮池 透 「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」(講談社)
2016129日(金)

 

 

<その5> 
◆その大金(カンパによるお金)は、拉致された被害者本人のところへはほとんど渡らない。すべて「家族会」の「活動費」に当てるというのだ。カンパして下さった人には、被害者自身のためにという思いだったのだろう。しかし、被害者に届かないのだからお礼のしようがない。
弟の妻の裕木子が体調を崩し入院したことがあった。高額な医療費がかかったため、「家族会」にお願いしたのだが「国に頼んでください」とつれない回答だった。

◆「家族会」は、結成以来、「救う会」の影響を受け、次第に右翼的に先鋭化したというのは、先述の通りである。署名用紙のタイトルが「拉致被害者の救出を訴えます」から「拉致被害者救出のため北朝鮮に経済制裁を」に変化したことからも、それは明らかである。

◆小泉政権時代から「小泉再訪朝より経済制裁を」と訴えてきた「家族会」と北朝鮮との対話を主張する私との間には、完全に、亀裂が入ってしまった。それは明らかだった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 蓮池 透 「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」(講談社)
2016128日(木)

 

 

<その4> 
◆私たちを政治利用する国会議員は党派を問わずタカ派と呼ばれる人に多い。そして、必ずといっていいほど、北朝鮮に対して強硬な主張をする。しかし、日本海の対岸で大きな声を上げても、北朝鮮には届かない。訪朝して北朝鮮当局に直接訴えてほしい。そう思うのだが、決して実行しようとはしない。それは何の成果も得られなければバッシングを受けて、自分の地位が失われかねないからである。

◆拉致問題に関して何の進展もないのだから、すべての国会議員が拉致問題を政治利用しているといっても過言ではない。しかし、拉致問題で最も巧みに利用した国会議員はやはり安倍晋三氏だと思っている。拉致問題を梃にして総理大臣にまで上り詰めたのだ。

◆もし、日本政府が必死に拉致被害者を探しているのであれば、生存者がいると聞いた瞬間に「返せ」あるいは少なくとも「いまから日本の管理下に置く」というべきであった。死亡された人については、「いつ、どこで、なぜ」と、とことん問い詰めるべきであり、真実ならば、補償はどうするのか、そこまで詰問するべきであった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 蓮池 透 「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」(講談社)
2016127日(水)

 

 

<その3> 
◆日本政府が経済制裁にこだわった理由は、拉致問題に対する基本姿勢が「逃げ」であったからだ。「家族会」「救う会」の言う通り経済制裁を実行したことを言い訳に、タフでハードでかつ面倒な交渉を回避し、机上で提示できる経済制裁に逃げたのだ。

◆いままで私がいかに国会議員に政治利用されてきたか。それを数えればきりがない。まず最初にやることは、ツーショット写真の撮影だ。大概が握手を交わしている姿、それはいつの間にか議員のホームページにアップされ、「私は拉致問題に取り組んでいます」とアピールするのだから、油断も隙もあったものではない。それも無断でやってしまう。私は集票マスコットではない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 蓮池 透 「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」(講談社)
2016126日(火)

 

 

<その2> 
◆では、拉致問題の「解決」をどのように定義すればいいものか。これは一国の首相が判断すべきことであろう。
政府認定拉致被害者17名のうち5名が帰国したのだから、残り12名が帰国すれば解決なのか、それとも安否が確認されればよいのか、または特定失踪者といわれる900名近くの方々にまで、明確な調査を義務付けるのか。

◆拉致被害者支援法により、帰国した拉致被害者は国によって衣食住が手厚く補償されているという噂が流布されている。しかし、実態はまったくことなる。内容は被害者1人あたり月額約13万円足らず「子どもは3万円」を支給することににより、早期の自立に供するというものであった。

◆「北朝鮮の人間は、日本に謝るくらいなら死んだほうがましだ」と考えている。経済制裁に有効性がまったくないことは、無為に経過した時間が証明している。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 蓮池 透 「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」(講談社)
2016125日(月)

 

 

著者の蓮池氏は拉致被害者の薫氏の実兄であり、「家族会」の事務局長をしていた人物である。本書の内容はかなりインパクトがあり面白く出来ている。以下、特にインパクトのある部分を要約して御紹介してみたい。

<その1> 
◆小泉訪朝に同行した当時の安倍官房副長官は、拉致問題を追い風にして総理大臣にまで上り詰めた。その安倍内閣で講じた手段は北朝鮮に対する経済制裁と対策本部の設置、この2つのみである。

◆アジアの「加害国」であり続けた日本の歴史の中で、唯一、「被害国」と主張できるのが拉致問題。ほかの多くの政治家たちも、その立場を利用してきた。しかし、そうした「愛国者」は果たして本当に拉致問題が解決したほうがいいと考えているのだろうか?それも疑問である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 宮田 律 「イスラムは本当に危ない世界なのか」(潮出版社)
2016120日(水)

 

 

<その6> 
◆飲酒が禁じられているイラン、イスラム共和圏でも、キリスト教徒のアルメニア人は酒造が認められている。酒の持ち込みが制限されている国もある。パキスタンやイエメンなど、やはりイスラムの保守性の強い国だ。

◆豚肉がなぜいけないかについては、ムスリムの間では、不健康・不衛生な動物であると信じられていることが大きいという。豚は何でも食べるというのがその理由である。ゴミの中の残飯や水銀の入った体温計まで吸い込むように食べるそうである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 宮田 律 「イスラムは本当に危ない世界なのか」(潮出版社)
2016119日(火)

 

 

<その5> 
◆民主党政権で最後の防衛大臣となった森本敏氏は、テレビで「米軍の精密誘導爆弾は正確に軍事目標に命中するので、市民に犠牲が出るわけがない」と語っていた。
イラク戦争は10万人ともいわれる市民が犠牲になった。森本氏のような人物こそ、爆弾やミサイルの雨が降りそそぐ場所に立たせるべきだ。

◆アフガニスタンのカブール空港の国際ターミナルは、日本のODAで建てられたものだ。ターミナルの壁には「日本の人々からの寄付によって建てられた」と書かれたプレートがつけられている。

◆イスラム世界と日本とで、文化が著しく異なると感ずるのは食べ物の分野だろう。イスラム世界ではよく言われるように、豚肉と酒類はご法度だ。といっても国や地域によっては異なる。酒類はアルコールで酔うと神を思念することがなくなり、また健康にもよくないという理由があるからだろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 宮田 律 「イスラムは本当に危ない世界なのか」(潮出版社)
2016118日(月)

 

 

<その4> 
◆アメリカのイラク戦争に日本が協力すべきと主張した識者たちの考えは、アメリカに協力しなければ、北朝鮮の脅威に対抗できないというものだった。しかし、実際に存在しなかったイラクの核兵器を問題にして攻撃し、北朝鮮の核兵器製造に有効な手段をとらなかったのは、アメリカである。
イラクの大量破壊兵器が、問題ならば、北朝鮮の核兵器保有も、アメリカの「開戦」の口実になるはずだ。アメリカが北朝鮮を攻撃しないのは、1950年代の朝鮮戦争で、中国の人民義勇軍の介入を招き、アメリカ主体の国連軍や韓国軍が劣勢に立たされたという経緯もあるからであろう。まして、日本と中国が戦争する事態となった場合、アメリカが「日本の敵」と戦争するには、議会の承認が必要だ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 宮田 律 「イスラムは本当に危ない世界なのか」(潮出版社)
2016115日(金)

 

 

<その3> 
◆確かにイラクはクウェートは侵攻したが、その解決はアラブ諸国内部で行われようとしていたにもかかわらず、アメリカやイギリスは、アラブ諸国の動きを無視して、イラクを軍事的に攻撃した。そういうことをテレビという媒体で、長々と説明することはできない。

◆安倍晋三氏は、2度目の首相になってからも、安全保障論などでは、アメリカとの協力がまずありきで、それで、日本の安全保障が守られると考えているようだ。しかし、そうした考えが、アメリカの中東イスラム世界政策に協力する日本というイメージをイスラム世界で持たれたら、日本人の安全にとってマイナスになるだろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 宮田 律 「イスラムは本当に危ない世界なのか」(潮出版社)
2016114日(木)

 

 

<その2> 
◆ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害はキリスト教徒の恥ずべき行為だったが、それと同様のことをイスラエルはパレスチナ人に対して行っている。

◆アメリカは国民の8割がキリスト教徒で、そのうち8割が天地創造を信ずるというキリスト教原理主義ともいえる国家だ。

◆日本人がイスラム国家から評価されるのは、この不屈の精神で、日本は広島や長崎の原爆投下や、米軍による大空襲にさらされるなど、戦争の廃墟の中から、短期間で経済発展を遂げたという声がイスラム世界各地を訪れると聞かれる。

◆私は、イスラム過激派の反米テロの背景には、アメリカがイスラエルを偏って支援していることや、湾岸戦争で、聖地のメッカ、メディナがあるサウジアラビアに米軍が展開したこと、またその湾岸戦争で米軍をはじめとする多国籍軍がイラク市民を殺害したことがあるので、軍事的にテロを抑圧する発想は、かえってテロを増やすことになると発言した。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 宮田 律 「イスラムは本当に危ない世界なのか」(潮出版社)
2016113日(水)

 

 

イスラム政治史が専門の宮田氏の著書であるが、力作で面白い。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1> 
◆アメリカ人にサービスを期待するほうがだいたい無理なのだ。アメリカをめぐる国際政治とまったく同じで、他社への配慮や思いやりがほとんど見られない。

◆アメリカ人が緻密な点検や整備を行うわけがない。アメリカ滞在中に自分の車の整備をアメリカ人に行わせたことはなかった。いつも日本人が経営している修理工場にもって行った。

◆アメリカの政策がパレスチナ和平に関して、公平でなければ、アラブ・イスラム世界から強烈な反発を受けることになる。オサマ・ビンラディンの反米主張は、パレスチナ問題でアメリカが不公平な政策をとり続けていることも、一つの要因としてあった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 佐高信×早野透 「丸山真男と田中角栄」 (集英社新書) 
2016112日(火)

 

 

<その7> 
◆(佐高)実務で政治家が官僚に負けてきたわけでしょう。それは官僚支配という別の問題もあるけれど、社会変革を志す側に実務の重要性が定着していないということは、大きな問題です。

◆(早野)僕は戦後民主主義というのは、シンボリックに言えば、上半身の部分は丸山先生がつくったと思っています。戦後というものの自覚、あるいは、戦争観というものです。そして下半身は田中角栄がつくったという思いがします。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 佐高信×早野透 「丸山真男と田中角栄」 (集英社新書) 
201618日(金)

 

 

<その6> 
◆(早野)その1人1人は有名ではなく、近所のおばさんと行ってみようじゃないか、そんなデモですよ。それがいまの官邸前金曜日デモであり、2015年1月におこなわれた「女の平和」行動です。それを「朝日新聞」はベタで書き、「読売新聞」はまったく書かず、「東京新聞」は一面トップに写真を載せる。そういうメディア格差もあらわになりました。

◆(佐高)むのたけじがいみじくも言っているように、「どうするかを考えない者に、どうなるかは見えない」。デモなどの行動に「展望とか希望はありますか?」とよく言われるけど、そんなことは動いてみないとわからないんです。動いてみることで、自分の認識は変わり、それによって新しい運動がつくられ、状況が少しずつ変わっていく。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 佐高信×早野透 「丸山真男と田中角栄」 (集英社新書) 
201617日(木)

 

 

<その5> 
◆(佐高)小田実は、まさに血みどろの理性と物見の塔を両方持っているような男でしょう。小田は知識人論のなかで、実務インテリという概念を出している。それは丸山さんにはない発想ですよ。

◆(佐高)小泉は死刑はどんなふうにおこなわれているのか、死刑囚はどんなふうに苦しむのか、そればかり偏執的に尋ねてきたそうです。小泉の人柄を見ると、想像がつく話ですよ。だから、小泉にとっての戦争は、個別の残虐行為への関心ではあっても、反戦の理念は生まれない。

◆(早野)べ平連の活動には、偉い人がいなかったと、小田実が言っている。それは重要です。それまでの政治運動には前衛があった。共産党にはまだ「前衛」という雑誌があると思うけれど、総じて、大衆に先んじて、政治を動かしていくという前衛思想が反体制の側にあった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 佐高信×早野透 「丸山真男と田中角栄」 (集英社新書) 
201616日(水)

 

 

<その4> 
◆(早野)角栄と丸山先生の後継者について考えてみたいんです。僕はまず小田実を挙げたい。共通点はまず自立ということです。小田がべ平連で最初のデモを呼びかけたとき、「これは一人一人の決心である」と言った。

◆(早野)丸山先生や久野さんをはじめ、戦後民主主義の知識人は、せいぜいデモをやり、雑誌「世界」に論文を書くくらいの行動だった。民衆の実態のほうは、角栄が握っていた。両者には、繋がりがなかったわけです。しかし、小田実の政治スタイルには、その両方を繋げるところがある。

◆(早野)角栄は「お前ね、新聞を読んで、政策を考えるなんて、政治家としては、クズだ」とよく言っていた。角栄に言わせれば、新聞は流通する知識という意味なんです。政治家は、流通して形になる以前に、体と五感で考えるものだということでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 佐高信×早野透 「丸山真男と田中角栄」 (集英社新書) 
201615日(火)

 

 

<その3> 
◆(佐高)私は、丸山、角栄のもうひとりの体現者は美濃部亮吉だと思う。石原に対して角栄と美濃部がいて、その後ろに丸山―大内がいるという構図がある。美濃部がやったことは、修正資本主義です。それを中曽根、小泉、竹中が変える。

◆(佐高)石原などのタカ派は、イデオロギー優先で、とにかく「赤の国と付き合うな」でした。ところが、赤の国でも、かつては迷惑をかけた隣国なんだから付き合わなくてはまずいという発想で、角栄は動いた。つまりイデオロギーを超えるのがハト派であり、田中派でした。田中派はイデオロギーよりも、暮らしを重視した。

◆(早野)安倍はその点、旧イデオロギーと新イデオロギーが混ぜこぜになっているけれども、しかし、次世代の党とは一致しない。ただ、いずれにしてもファシズムの危険は迫っています。いまみたいに若い子が新聞を読まないで、スマホでゲームや「LINE」ばかりやっていれば、ファシズムに席巻されてしまいますよ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 佐高信×早野透 「丸山真男と田中角栄」 (集英社新書) 
201614日(月)

 

 

<その2> 
◆(佐高)鳥の鳴く声は最後がいちばん悲しく大きいというでしょう。もちろん、そうならないためにも、この本をだすわけだけど。安倍の「戦後レジームからの脱却」は丸山と角栄をひっくり返すということですよ。丸山や角栄が根付かせた戦後的価値を破壊する。平和主義、公共の精神、弱者保護を終わりにする。そういうことでしょう。

◆(早野)角栄と言えば、日中国交回復と列島改造、あとは金脈で失墜したというイメージが一般的には強いですが、それだけではない。社会保障、社会福祉に角栄は大きく貢献している。
角栄政権の2年目である1973年は福祉元年と言われた。70歳以上の老人医療費の無償化が実現した年です。
角栄が目指したのは、中産階級の拡大です。日本は幸いにして、比較的、格差が少なくて中間層が多い社会が実現した。しかしそれは、佐藤内閣と角栄まででした。余韻としては、福田、大平、鈴木善幸くらいまであったけれども、中曽根政治で明らかに社会の質が変わった。むしろ、自由競争であり、規制の撤廃です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 佐高信×早野透 「丸山真男と田中角栄」 (集英社新書) 
20151229日(火)

 

 

朝日新聞の編集委員であった早野は東大在学中は丸山真男のゼミ生であった。そして早野は言う。「戦後民主主義は、上半身は丸山が担い、下半身を田中角栄が支えたと」
以下、本書より、インパクトのあるくだりを要約して、御紹介していきたい。

<その1>
◆(早野)地域社会の秩序としては、戦前からの地主みたいな人たちが中心になって、農村社会が成り立っています。そこでは歳をとらないと権力者になれない。ところが戦後になると、その秩序から若い人たちがはみ出してくる。そういった何らかの不満分子が越山会を形成した。

◆(佐高)私が言いたいのは、民主主義は単なる算術的民主主義ではなく、格差を十分に受けとめたものではなくてはならないということです。それには、丸山さんにも、角栄さんにも共通していた。いまの民主主義は数を重視して、少数派を切り捨てる傾向がどんどん強くなっている。弱肉強食が肯定されてしまっている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保阪正康 「安倍首相の「歴史観」を問う」 (講談社) 
20151228日(月)

 

 

<その6> 
◆昭和8年からの国定教科書は「ススメ、ススメ、ヘイタイ、ススメ」という軍事一色です。天皇を神格化する。国が教育システムとその内容をすべて支配する。さらに情報の一元化、相対化でない状況がつくられる。

◆戦後社会の戦友会の中には、反戦平和を説く団体もあるが、癒やし、実利、強圧、集票などの役割を果たしている団体もあり、緻密に分析していくと、戦後にあっても、元兵士たちは高級軍人によって巧みに管理されていたと思える。

◆昭和前期の大半は軍事主導体制というべきだが、こうした期間に指導者たりえている人物には、いくつかの共通点がある。まず第一に思想的、哲学的発想の習慣を持たず、軍事ですべてが解決できると考えている単純さがある。第2に、自らの主観的判断を客観化、あるいは、相対化することができなく、白か黒かの二元的発想をなによりも重視する。

◆彼らの特徴をわかりやすくいうなら、「大東亜戦争は聖戦である」とか「日本は侵略していない」、果ては「アジアを解放したのは日本だ」などといった旗を立てる。こういう旗に書かれた文字も確認するとなんのことはない、太平洋戦争下の戦時日本で叫ばれた歴史観とほとんど同じである。いまだにあの戦争を戦っているのか、といったようにも読めるのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保阪正康 「安倍首相の「歴史観」を問う」 (講談社) 
20151225日(金)

 

 

<その5> 
◆戦争を最終的に決定したのは、どこでしょうか。議会ではない。政治家がほとんど加わっていません。大本営政府連絡会議というところです。そこが決定して、これを天皇が臨席している御前会議で追認する形となった。大本営というのは、軍の作戦戦略を練るところですね。そこが中心になったということです。

◆兵士を次々とつぎ込んで、最終的に240万人死んでいます。本当はもっと戦死しているとおもわれますが、そのうち7割が餓死といわれています。こんな戦争やっていいのか、ということですよ。

◆どこの国にも軍事についての約定がありました。それは政治があって軍事があるということです。これがシビリアンコントロール、文民支配ですね。ところが、日本は軍事があって政治があるという仕組みだった。こんな形をとっていたのは日本だけですよ。だから、どんなことがあっても、軍事を政治の上に載せてはいけない。軍事を先行して戦争を行ってはならないという教訓です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保阪正康 「安倍首相の「歴史観」を問う」 (講談社) 
20151224日(木)

 

 

<その4> 
◆現在、中国は「見てください。やはり日本は全然反省していないでしょう。第2次世界大戦のときの考えに、また舞い戻っているんですよ。」と世界各国に説明している。それに対して日本はきちんと応えていかなければいけない。しかし日本は応えていないですね。

◆太平洋戦争のときに戦争政策を決めた最上位の軍事指導者の子弟は死んでいますか?、太平洋戦争で指導者の息子たちが、激戦地へ行っていますか?ほとんど行きません。なぜなら、行かないですむ仕組みを巧妙につくるからです。徴兵の例外をいくつもつくるからです。そういうことを知らなければならない。戦争時の権力というのは、そういうものなんです。そういうことを具体的に知るためには、太平洋戦争を調べるとわかるけれど、行くのはいつも庶民たちです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保阪正康 「安倍首相の「歴史観」を問う」 (講談社) 
20151222日(火)

 

 

<その3> 
◆1933年、ヒトラーが政権を取って、ドイツの奪われた領土、名誉、それからドイツに課せられた賠償、こういった戦争に負けた屈辱に対して、復讐戦を始めます。負けた国は必ず復讐戦を行う。戦争に負けると、経済、社会、領土などの面で大きな損失を受けますから、それを取り戻すためにもう一回戦争をやるというのは人類史上で繰り返されてきたわけです。

◆私たちの国は、広島、長崎に原爆が投下されてひどい目にあった。そして敗戦となる。しかし、日本は復讐の思想を持たなかった。もちろん、憲法による制約があったのは事実ですが、最も大きな理由は、二度と戦争はごめんだという国民の強い意志だったと思います。つまり、戦後日本は復讐の思想を持たないということを、人類史上、はじめて実験していたのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保阪正康 「安倍首相の「歴史観」を問う」 (講談社) 
20151221日(月)

 

 

<その2> 
◆昭和20年の8月14日、閣議が、あるいは軍人機構の会議が、戦争に関する史料を一切燃やせという命令を自治体に末端にまで出しました。

◆なぜ燃やしたのでしょうか。日本はポツダム宣言を受け入れて、降伏したわけですけど、その第10項に、この戦争を起こした指導者たちを戦争犯罪人として裁くという一項があるんです。それを恐れた軍事指導者たちは、史料を燃やせと命じた。

◆歴史修正主義(日本は正しい戦争として、侵略などしていないという考え方)が、現在の日本には、無責任な形でかなり広がっています。特に若い人たちのなかに。これを右傾化というんでしょう。そして、歴史修正主義の考え方は、社会に広がるのみならず、権力と一体になっている。こういう国はひとつもないんですよ。だから、日本は今怖いといわれているんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 保阪正康 「安倍首相の「歴史観」を問う」 (講談社) 
20151216日(水)

 

 

大変、歯切れのよい安倍批判書である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1> 
◆安倍首相の答弁や言い分は、昭和10年代の陸軍の軍事指導部の幕僚たちが、たとえば、国家総動員法の審議のときに、見せたような開き直り、在留邦人の保護や石油資源の供給が不安定な状態から脱するための自存自衛といった語を連発した構図とほとんど同じである。つまり、相手の言い分など知ったことではなく、常に自らの意見を声高に主張し、それに国会議員がヤジをあびせると、軍人が「黙れ!」とどなったのとまったく同じなのである。

◆安倍首相の発言を聞いていると、わかるが、実はこの首相は、相手方の質問や疑問に真正面から答えるのではなく、相手の言葉尻をとらえて、開き直り、その一方で、「問題を整理すると」とか「一般に」といった言い方で、議論そのものを避けているのが特徴だ。いわば相手に丁寧に説明しようとする姿勢がまったくないのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀 茂樹「今だから小沢一郎と政治の話をしよう」(祥伝社) 
20151116日(月)

 

 

<その12>  
◆( 堀 )自由は人間にとって最も大切な価値であり、否定したらすべての前提が成り立たなくなります。しかし、だからといって、偶像みたいに祀り上げ、野放しにしたのでは、社会が弱肉強食になってしまう。それを回避するために人間の叡智として、社会主義的な要求を部分的に受け入れた、修正資本主義が生まれたのです。それなのに今の安倍内閣が「アベノミクスの第三の矢」などと称している成長戦略は、大多数の国民の生活を守ってきたセーフティネットを撤廃しようというものです。

◆( 堀 )移民が入って来ることには、労働力不足の解消ということを超えて、さまざまな文化的背景を持った人の流入により、受け入れ国の文化が内側から押し拡げられ、より豊かに成長するという面もあることがわかります。同時に融和的な共生を実現するために払わなければならない社会的なコストが高いことも実感します。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀 茂樹「今だから小沢一郎と政治の話をしよう」(祥伝社) 
20151113日(金)

 

 

<その11> 
◆(小沢)国債を発行する前に、役所の財布に貯まっているいるものを取り出せば、よいのですけれども、それが分厚いヴェールに覆われているので、一般国民の皆さんには手が届かない。われわれ国会議員でさえ手が届かない。

◆( 堀 )現政府は、雇用調整助成金を減らす一方で、労働移動支援助成金、これは大中小の企業が社員をリストラして、その再就職斡旋を株式会社パソナのような人材派遣会社に委託した場合に、その委託料を大きく補填してやるという驚くべき制度ですが、先頃、大幅に拡充しました。

◆( 堀 )現政権が実行している新自由主義的政権は、国家が市場への介入を控えることで、市場メカニズムを生かすどころか、むしろ国家が臆面もなく介入することで、もともと富裕層や大企業などの強者に有利な市場メカニズムを強化徹底する措置なんです。私の眼には超富裕層が政権を使って仕掛けている寡頭支配のための「階級闘争」のようにさえ映ります。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀 茂樹「今だから小沢一郎と政治の話をしよう」(祥伝社) 
20151112日(木)

 

 

<その10>  
◆(小沢)ユーロでも本当に通貨だけでじゃなくて、徴税権もみんな一緒にして、しかも予算の作成も一つにまとまってやれるというのなら話は別ですけれども、財政はそれぞれの国のもので、しかも金融は自由にならないわけですから、そうすると歪みは膨らむばかりです。

◆(小沢)予算策定の面でも、一般の人は霞が関の役所で何がどう処理されているのか、事の中身を知るすべがないですよね。政治家だってわからない。官僚たちが、たぶん所管大臣にさえ本当に大事なことは伝えないからです。実際には、それくらいにクローズドな官僚権力の下で、政治が左右されているんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀 茂樹「今だから小沢一郎と政治の話をしよう」(祥伝社) 
20151111日(水)

 

 

<その9> 
◆(小沢)仮に敵が攻撃してきた場合、国連が動くまでにタイムラグがあるから、その間は日米でしっかり防衛しようね。しかし、国連がきちんと措置をとってくれたときは日米での自衛権行使はそれでおしまいよと、安保条約に記されているのです。こうして、安保条約と国連憲章はぴったり符合しています。だから、日米同盟と国連中心主義は、何も矛盾しない。日本国憲法と国連憲章と日米安保条約は、三位一体なのです。

◆(小沢)安倍さんは、集団的自衛権と国連の集団安全保障措置という法的にはまったく別のものをいっしょくたにしているのでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀 茂樹「今だから小沢一郎と政治の話をしよう」(祥伝社) 
20151110日(火)

 

 

<その8> 
◆(小沢)左の人には、左の人なりに、どんな場合でも力による平和の回復、維持はだめだという考え、たとえ目的が平和でも軍事的な手段はいっさい認めないという信念があるのでしょう。
一方、右の人というと、国連による安全保障なんかあてにならないから、アメリカの軍事力を頼りにしよう、そして、最後は自前の武力にものを言わせるのだという思いなのでしょう。

◆(小沢)「自立と共生」というのは、僕が前々から主張してきた理念ですが、その自立とさっき言った武装独立とはぜんぜん違う話ですからね。自立とは、まず、自分の目でものを見て、自分の頭でしっかり考え、自分自身で判断し、自分自身の責任で行動するという人間のあり方のことです。そういった自立した個人は、お互いに他人の自立も尊重して、みんなと共に生きる、つまり共生をしなければいけない。自分だけでは利己主義になっちゃいますからね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀 茂樹「今だから小沢一郎と政治の話をしよう」(祥伝社) 
2015119日(月)

 

 

<その7> 
◆(小沢)僕は欧米のキリスト教的哲学を背景にした文明というのはかなり限界に近づいていると思っているんです。欧米の考え方は、おおむね、極端に言えば、人間が最高の存在であり、その他は人間の幸せのためにある、みたいな考え方ですよね。それに対して東洋の哲学では、仏教哲学ですけれども、人間の存在を自然の中の一つと捉えています。だから、自然を征服しようなんて気はそもそも東洋思想にはないですよ。

◆( 堀 )小沢さんは、日本国憲法の基本原理として、つねに、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、そして国際協調の四つに言及されますね。

 


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀 茂樹「今だから小沢一郎と政治の話をしよう」(祥伝社) 
2015116日(金)

 

 

<その6> 
◆( 堀 )自分の意見はこうだと言うのと、対立する意見を排除するのとは、まったく違います。

◆(小沢)残念なことに、日本人は議論をすると、感情的になっちゃうでしょう。感情的になったんじゃ、民主主義は成り立たない。

◆(小沢)僕は少なくとも、日本の現状では、その議論は大間違いだと思います。中選挙区、大選挙区にしたら、いったん権力を持った政党がずぅーと握り続けますよ。

◆( 堀 )日本の政治家の方々は、ミクロの話が多くてマクロの展望に欠けています。「世界の中の日本」を意識した、大局観のある認識が開陳されないのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀 茂樹「今だから小沢一郎と政治の話をしよう」(祥伝社) 
2015115日(木)

 

 

<その5> 
◆(小沢)どこかの政党の党首が、首相公選を主張して正当な元首でいいんじゃないかと言ったとか聞きましたが、そんなバカなことはないのです。主権者たる国民がダイレクトに国政の最高責任者を選んだら、それが元首です。

◆( 堀 )地方の首長さんが問題を起こしたときに、住民がリコールするように究極的には首相をも国民投票でリコールできるという、そういう制度もあり得るわけですね?

◆(小沢)国政レベルでも、直接民主制は無理でも、国民がポジティブに政治参加する民主主義は可能だし、有効ですよ。たとえば、欧米では、国民のかなり多くの部分が政党に入っています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀 茂樹「今だから小沢一郎と政治の話をしよう」(祥伝社) 
2015114日(水)

 

 

<その4> 
◆( 堀 )自己責任という言葉が今日多くの日本人にイメージされるのは、自由競争の原理を強く押し出す一方で、社会的連帯には消極的な態度なんです。それを嫌う人は苦境に陥った人や金銭的に困窮している人を突き放す冷淡さ、冷酷さの表現だとさえ言います。

◆(小沢)私は個人の自由と責任を基本に考えているので、「お上」が国民を丸抱えするようなタイプの国家ビジョンには賛成できません。むしろ、競争社会を肯定するからこそ、そこには、セーフティネットが必要だと言っているんです。

◆(小沢)小泉さんや安倍さんの社会経済政策に反映されている思想(新自由主義)については、非常に危険だと思っています。ああしたイデオロギーを採用するなら、もはや政治は要らないですよ。強いものがただ勝てばいいんだ、という話ですから。政治以前の弱肉強食の世界になってしまう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀 茂樹「今だから小沢一郎と政治の話をしよう」(祥伝社) 
2015112日(月)

 

 

<その3> 
◆(小沢)イラク戦争やアフガン戦争は、アメリカが自分の戦争だと言って始めたのです。それは国連が是認した戦争ではないのです。それに対し、湾岸戦争のときには、イラクが突然国境を越えてクウェートを占領したということで、国連が多国籍軍に対して、どんな手段を使ってでも、それを阻止してよろしいというお墨付きを出したんです。だからあの折の多国籍軍は、準国連軍と見なすに値したのです。

◆(小沢)国連に期待しないと言っていると、また、武装独立主義になっていきます。逆にいうと武装独立への密かな願望が国連の機能不全をあげつらわせるわけです。

◆( 堀 )小沢さんの著書の中に、「現実と理想のせめぎ合いの中で、志を捨てない者だけがリーダーになれる」という言葉があります。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀 茂樹「今だから小沢一郎と政治の話をしよう」(祥伝社) 
20151030日(金)

 

 

<その2> 
◆(小沢)今の自民党内閣のように、そもそも国家ありき、国家のために諸君はこういう責任を果たせ、これをして、あれをしろというたぐいの発想というのは、それが国家主義なのだろうけれども、本末転倒だと思います。

◆(小沢)国連の平和維持活動への武力を含む貢献です。それが憲法9条に反するでしょうか。ある国が「国際紛争を解決する手段として」おこなう「国権の発動」たる戦争と、国連が世界の国際的秩序を維持するためにやる武力行使とは、同じ軍事行動であっても、目的と意味がまったく異質です。同一視すべきではないでしょう。国際連合は非常に不安定な組織ではあるけれども、それでも世界のほとんどの国を結集し、特定の国の国益に服さない唯一の超国家的機関なのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 堀 茂樹「今だから小沢一郎と政治の話をしよう」(祥伝社) 
20151029日(木)

 

 

仏文学者の堀氏と小沢氏との対談集である。内容はインパクトがあり、面白く出来ているし、小沢氏の政治思想がよくわかるようになっている。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していくことにしたい。

<その1> 
◆(小沢)民主主義は個人それぞれの自立が基礎ですから、主体性をもってそれぞれの意見を出し合い意見を交し合って、そして、出た結論はお互いに守っていこうという話ですね。従来どおり誰も責任をとらないというスタイルの疑似政治に終始していたのでは、厳しい状況になったとき、日本は漂流しかねません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 半藤一利 「 いま戦争と平和を語る 」 日経ビジネス文庫 
20151028日(水)

 

 

<その3>  
◆昭和という時代を考えるときは、日露戦争後の時期から見なければいけません。日露戦争後に日本人はものすごくうぬぼれのぼせたというか、世界五大強国の1つになり、一等国気分になっちゃったんですね。ほとんどの人が一等国意識で「日本人は世界に冠たる国民である。これからは大国主義でいく。」という方向に向かってしまった。

◆アメリカのベトナム戦争、イラク戦争、アフガニスタンでの戦いは、中国大陸に出ていった日本と同じようなことをやっているのではないか。少しでも日本の歴史に学んでいれば、「バグダッドが陥落した、万歳!戦争は終わりだ」なんていえない。戦争はそこから始まる。南京を陥落させてから泥沼が始まったのと同じだと思うのです。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 半藤一利 「 いま戦争と平和を語る 」 日経ビジネス文庫 
20151027日(火)

 

 

<その2> 
◆アジアというものを非常に軽蔑し始めるのが日露戦争後ですね。そういうふうに見ますと、日本の近代史というのは、アジアとの関係をどんどん失っていくものだったということを、わたしたちは理解しなきゃいけません。脱亜云々ということが盛んにいわれましたからね。

◆昭和期で評価できるとしたら、将としては、山本五十六ですが、残念ながらあの人はどういう考えで自分の作戦をやろうとしているのかを人に話さないんですよ。やはりリーダーシップをとる人は、自分が何をやろうとしているのか、自分がいまやろうとしていることは、何を意味しているのかを広く部下に徹底しておかなきゃいけません。

◆昭和の軍人たちの教育というと、最も優秀な人材を集めたのが陸軍大学、海軍大学です。ここで作戦本位の教育をするというのは、当然なことですが、実態は、全部自分本位なんですよ。根拠なき自己過信にもとづく戦略・戦術論です。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 半藤一利 「 いま戦争と平和を語る 」 日経ビジネス文庫 
20151026日(月)

 

 

本書は、井上亮氏が半藤氏にインタービューをして出来たものである。以下、インパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>  
◆女子学生たちが、何故、「ヒトラー」について知っているのかを聞いたところ、理由のひとつは「アンネの日記」でした。もうひとつは、映画の「シンドラーのリスト」、そして、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」という漫画。この3つでヒトラーが何者かがわかるという。とくに第2次世界大戦史を勉強したわけではないんですが、50人ほどの学生のうち45人くらいが何とか答えたんですね。

◆歴史を知るということは、何も物知りになることではなくて、日本人というものは、どういうものであるかを知ることなんです。「人間学」です。日本人はもう少し昭和史というものを丁寧に学んだ方がいいのではないかと思いますね。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 熊谷徹 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書)
2015928日(月)

 

 

<その16> 
◆私はドイツに緑の党がなかったら、この国が2022年末までの原発全廃を決定することはなかったと考えている。1980年に結成されたが、2014年末の全国レベルの支持率は11%。CDU・CSUとSPDに次ぐ第3党である。最初は反戦運動や女性解放運動の活動家の集合体だった緑の党は、NATO脱退などの過激な主張を撤回して、現実主義を強め、次第に中間層支持者を増やすことに成功した。

◆市民は、労働と人生についての発想を転換して、物事を考える時間を作らなくてはならない。考える時間がなければ、なぜ日本で民主主義を強化しなくてはならないか、なぜ保守主義だけではなく、リベラリズムが重要なのかという問題と取り組むこともできない。25年間、ここに住んだ結果、私はドイツで最も貴重な物は、「考える自由」と「リベラルな精神」、そして「市民が自分の時間を確保できる経済システム・法制度」だと考えている。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 熊谷徹 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書)
2015925日(金)

 

 

<その15> 
◆では、ドイツ経済の成長戦略とは何か。物づくり企業の技術革新とグローバル化である。ドイツ産業界の特徴の1つは、数多くの中小規模企業が技術革新を支えているということだ。その中小規模企業は、価格競争にさらされる大衆向け製品をあえて避ける。むしろ、他の企業が製造活動に必要とする部品や半製品に特化する。

◆日本とドイツの中小規模企業との間には、大きな違いがある。それは、ドイツ企業は日本企業よりも積極的に国外で自社の製品の売り込みを行い、グローバル化を進めていることだ。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 熊谷徹 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書)
2015924日(木)

 

 

<その14> 
◆なぜドイツは財政赤字を急激に減らすことができたのか。その理由は、政府が防衛予算や公務員数の削減を行ったり、税務署が脱税者の摘発を強化したりしたことだけではない。2010年以来の未曽有の好景気によって、歳入が増えたことも重要な原因だ。ドイツの税収は、2003年から10年間で約40.2%増えた。日本の税収が2003年から10年間に0.5%減ったとは対照的だ。

◆ドイツ人は、「競争力のある製品を外国へ輸出したり、現地生産をすることによって、GDPと税収を増やす。そのことで財政黒字を生み、国の債務残高を減らすべきだ」という哲学を実行している。ドイツは、財政を計画通りに黒字化できれば、「政府が毎年借金をしなくても、経済成長は可能だ」というメッセージを米国や日本に送ることになる。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 熊谷徹 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書)
2015918日(金)

 

 

<その13> 
◆シュレーダー改革には影の部分もある。戦後最大の社会保障改革は、所得格差を拡大し、ワーキングプアの問題を生んだ。このため「アゲンダ2010」の評価は、今なお、ドイツで定まっておらず、サッチャーが行った改革のように賛否両論がある。

◆シュレーダーの予言どおり、改革プログラムの効果は、2010年以降に表われた。ユーロ危機にもかかわらず、ドイツ経済が絶好調である理由の一つは、シュレーダー改革によって、労働コストの伸び率を最も低い水準に抑えることに成功したことだ。

◆ドイツでもかつては、借金に依存する財政運営が恒常化していた。しかし、同国は2009年から2013年までの5年間に、財政赤字を90%も減らすことに成功した。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 熊谷徹 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書)
2015917日(木)

 

 

<その12>  
◆ドイツの独り勝ちの最大の理由は、ゲアハルト・シュレーダーが2003年以降「アゲンダ2010」という経済改革プログラムを断行したことだ。彼は1998年から2005年まで社会民主党と緑の党による連立政権の首相を務めた。彼が最も力を入れたのが、失業保険制度の改革である。当時のドイツは失業保険制度が手厚かったが、その支払基準を大幅に厳しくした。
同時に彼は低賃金労働を制度化した。つまり、毎月の所得が5万6000円未満の労働者に対して、所得税と社会保険料の支払いを免除する「ミニ・ジョブ」を導入した。これにより、企業は、より多くの人を雇用することができたのだ。
これらの改革の結果、失業者の数は、2005年から2014年までに約214万人も減った。約44%の減少である。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 熊谷徹 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書)
2015916日(水)

 

 

<その11>  
◆「過去との対決」とは、加害者だった国が、自ら率先して、他国との間で非難の応酬が始まる前に行うべきものだ。さもなければ、「他国に批判されたから謝るのか」という国内の保守派の頑強な抵抗にあう。

◆日本人も過去との対決について、中国や韓国のために行うものではなく、自国の未来の世代のために行うものだと考えを切り替える必要がある。
ドイツ人が戦後行ってきた「過去との対決」は、日本のそれよりもはるかに深く、幅広く、徹底的である。その努力は今なお続いている。

◆好景気は、人口動態にも影響を与える。人々が将来について楽観的な見通しを抱くようになったため、私が住むミュンヘンでは、2013年以来ベビーブームが起きている。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 熊谷徹 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書)
2015915日(火)

 

 

<その10> 
◆メルケルは、2015年に訪日した際に朝日新聞社で講演したが、その際にも「ホロコーストがあったにもかかわらず、国際社会がドイツを受け入れてくれたのは、ドイツが過去ときちんと向かい合ったからだ。」と語っている。

◆ドイツでも過去との対決が社会全体の動きとして本格化したのは、1968年の学園闘争以降であり、それまでは不十分な点が多かった。

◆ドイツ人が歴史リスクを軽視して、国内の宗教施設の敷地に、過去を美化する靖国神社の遊就館のような博物館の建設を許していたら、この国は欧米諸国から総スカンを食っているはずだ。いわんや、EUの事実上のリーダーのような立場に就くことは不可能だった。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 熊谷徹 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書)
2015914日(月)

 

 

<その9>  
◆ドイツでは地方分権が日本よりはるかに徹底している。州政府の権限は、日本の県とは比べ物にならないほど強大だ。州政府はそれぞれ独自の憲法を持ち、首相を始めとして内閣もある。
連邦政府と州政府の問題で、役割分担が厳密に定められている。たとえば、軍事や外交のように連邦政府が行った方が効率が良い分野については、連邦政府が担当するが、州政府に任せた方が効率が良い領域は、地方政府が担当する。

◆必要な場合には、武力で国益を守るという考え方は、西ドイツが、ソ連陣営の脅威に対抗するために、軍事同盟NATOに加盟したとき以来の伝統なのである。
ただし、その際ドイツは、「独り歩きをせず、EUやNATO加盟国と共同歩調をとる」という原則を守る。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 熊谷徹 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書)
2015911日(金)

 

 

<その8> 
◆ドイツの過去との対決の大きな特徴は、政府や企業だけでなく市民団体が重要な役割を果たしていることだった。その中でもベルリンに本部を持つ、プロテスタント教会系の市民団体「償いの証」(ASF)は最も有名でナチスの暴力支配の被害者たちとの和解へ向けて、半世紀以上にわたり、努力を続けている。

◆ドイツには、自国の歴史の恥部との対決を「自虐的歴史観の押しつけ」という勢力は日本ほど多くはない。この国では「むしろ過去との対決を「周辺諸国と友好関係を深めるための前提条件」と考える人が主流だ。

◆これは、ナチスに殺された600万人のユダヤ人のための追悼モニュメントである。第2次世界大戦の終結から60年目にあたる2005年に、ドイツ政府が2700万ユーロ(37億8000万円)の費用と6年の歳月をかけて完成させた。
ドイツ政府は日本で言えば、永田町や霞が関に相当する首都の最も目立つ場所に自国の過去の犯罪に関するモニュメントを建設した。黒い石の群れは、「ナチスの犯罪を忘れず、若い世代に語り継ぐ」というドイツ人の決意表明なのである。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 熊谷徹 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書)
2015910日(木)

 

 

<その7>  
◆日本では憲法21条が保障する表現の自由を根拠にヘイトスピーチの禁止に反対する人々がいる。日独の間には、表現の自由に関して大きな見解の違いがある。ドイツ政府は、ナチスの思想を「絶対悪」とみなし、表現の自由をあえて制限している。

◆ドイツには、特別な捜査機関がある。連邦内務省に属する連邦憲法擁護庁がそれだ。約2700人の職員がネオナチやイスラム過激派などにスパイを潜り込ませて、組織に関する情報を集めたり、電話を盗聴したりしている。警察の一部ではなく、国内で活動する諜報機関だ。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 熊谷徹 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書)
201599日(水)

 

 

<その6> 
◆戦犯追求は、日独の歴史認識が最も大きく異なる点の1つだ。日本の司法当局は残虐行為に加担した人物の刑事訴追を自らの手では行わなかった。これに対し、ドイツは司法当局は今なおユダヤ人虐殺などに関わった人物に対する刑事訴追を時効を廃止してまで続けている。

◆戦争中の犯罪については、日本とドイツの間には、もう1つ大きな違いがある。ドイツの司法界は、「ナチスの時代に生きたドイツ市民全員に罪がある。」という集団責任論は否定している。
つまり、ナチスの時代に市民1人1人がどう行動したかを基準にして、「個人の罪」を追求する。市民は上官が命令を受けた場合、その命令を受けた場合、それが非人道的な命令であれば、拒否しなくてはならない。
戦後のドイツ社会では、政権や上官の命令が、常に倫理的であるという保証はない。個人が命令の倫理性について判断しなくてならないと考えているのだ。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 熊谷徹 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書)
201598日(火)

 

 

<その5> 
◆ドイツとイスラエルが犠牲者の数を600万人という数字で合意しているのは、「大人の解決法」である。600万人という数字は、科学的な研究や具体的な資料に基づいて、はじき出されたものではない。ドイツとイスラエルは、数字だけにとらわれず、「ドイツ人が多数のユダヤ人を組織的に殺害した」という本質を重視した。

◆南京虐殺の本質は死者数が30万人だったか、数千人だったかではなく、日本軍が多数の中国人捕虜や市民を殺害したことだ。仮に犠牲者数の数が30万人ではなく、数千人だったとしても、日本軍の行為の犯罪性が減るわけではない。

◆被害者の側では、憎しみを和らげるのは容易ではない。いかんや加害者だった国が被害者だった国に対して「もう過去の問題は沢山だ。未来に目を向けようではないか」と言っても、相手の国の理解を得ることはできない。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 熊谷徹 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書)
201597日(月)

 

 

<その4> 
◆大手企業では、米国やEU加盟国の外国人が取締役や部課長のポストに就くことも珍しくない。中規模企業でも外国人が、ドイツ人と同等の権利や義務を与えられて働いている。ドイツ経済は日本経済よりも、はるかに外国人に慣れているのだ。

◆ドイツの国是は、イスラム教徒への誹謗中傷、反ユダヤ主義を含めて、あらゆる人種差別、排外主義に反対するというものだ。過去との対決の重視は、戦後70年間のドイツと日本の歩みの中で、最も大きな違いでもある。

◆ドイツでは、「イスラム過激派とイスラム教徒を混同してはならない」として、大半のイスラム教徒を批判から守ろうとする動きが目立つ。また、「国民経済に負担がかかっても、戦争や圧制を逃れてきた外国人を受け入れるべきだ」という意見も根強い。これは、ドイツが第2次世界大戦以降続けてきた、過去との対決と密接な関係がある。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 熊谷徹 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書)
201594日(金)

 

 

<その3> 
◆2005年にドイツは、移民政策を大きく転換した。この法律によると、ドイツへの帰化を希望する外国人はドイツ語を話すことができ、この国の地理や歴史について最低限の知識を持っていることを証明するため、試験を受けなければならない。

◆実際、移民の増加は、問題でなく、ドイツ社会に利益をもたらしている。ドイツでは、2012年の移民数が米国に次いで世界第2位となり、この国が技能を持ち勤勉な外国人を積極的に受け入れている実態が明らかになった。

◆ドイツで移民が増加した理由は、スペインやギリシヤなどがユーロ危機による不況に苦しんでいるのに対し、ドイツ経済が好調であることが考えられる。化学産業やIT産業などでは、人材不足が深刻になっているため、ドイツ語が話せなくても、スキルさえあれば、外国人技術者でも採用したいという企業が多い。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 熊谷徹 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書)
201593日(木)

 

 

<その2>  
◆ゲーテは「外国の言語を知らない者は、自国の言語を理解できない」と言った。この言葉は政治・社会・経済にもあてはまる。地政学的リスクが高まりつつある21世紀の暗夜を進む上で、ドイツについて知ることは、日本について知ることにも通じる。そのことによって、日本人が過去70年間に置き去りにしてきたもの、将来の日本が重視するべき側面を浮き彫りにしたい。

◆「言論と表現の自由」は、欧州人たちが最も重視する価値観の1つである。日本には「シャルハリハラドの風刺画は下品で行きすぎだ。」という意見もある。しかし、欧州では「イスラム原理主義への批判を暴力で封じ込めようとするのは許されない」という意見が主流だ。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 熊谷徹 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書)
201592日(水)

 

 

元NHKの社員で、1990年からはドイツ在住のフリージャーナリストの著作である。なかなか読みごたえのある本である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1> 
◆ドイツは社会的市場経済の過去との対決、エコロジーの重視、討論を重視するリベラリズムなど一貫した基本原則がある。これらの原則の基盤となっているのは、公共精神と倫理観である。日本の政治や経済の世界では、倫理という言葉が死語になっているという印象を受けるが、ドイツでは倫理が今も社会を律している。

◆経済状況においても、日独の差は開く一方であり、「日本はドイツに負けた」という論調が日本のメディアでも見られるようになった。2014年にドイツ連邦政府が財政健全化に成功し、新規国債を発行する必要がなくなったことは1つの例にすぎない。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 施光恒 「英語化は愚民化」(集英社新書)
201591日(火)

 

 

<その6> 
◆タンザニアは独立後、スワヒリ語で近代的な国づくりを目指した。スワヒリ語という「国語」を確立したおかげで、タンザニアは部族対立も少なく、国民意識もある程度高まった。しかし、1993年に大干ばつが起こり、IMFに支援を求めざるを得なくなり、この試みは頓挫した。
IMFの融資条件の一つに、スワヒリ語による教育を捨て、英語による教育を推進することが含まれていたからである。

◆日本では、「前向きなこと」「良いこと」と認識されている英語の普及活動が、実は、自国の支配的地位を維持し続けるために米英が意図的に行っている国家戦略なのである。

◆日本が自前の長期的国家戦略を持とうとせず、アメリカ主導のグローバル化、およびその一端としての英語による文化支配を前提とし、そのうえで、「日本人が世界を主導する」、あるいは「日本人が世界で勝ち抜いていく」などと望むのは、滑稽な幻想に過ぎない。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 施光恒 「英語化は愚民化」(集英社新書)
2015831日(月)

 

 

<その5> 
◆英語化を進めていけば、日本は安定した社会的・文化的基盤を失い、また、「翻訳」と「土着化」という従来の国づくりのノウハウも発揮できなくなる。その結果、日本は知的にも経済的にも格差社会化し、国民相互の連帯意識も消失し、ごくごく一握りの富裕層しか各種の選択の自由を享受できない国になってしまうだろう。

◆英語圏において英語による文化支配の不当さが、あまり問題視されない理由には、日本社会における「時代の流れ」論と同様、英語の世界標準化は人為的なものではなく、自然な流れだと見る向きが多いこともあるだろう。
しかし、これは真実ではない。英語の隆盛の一因は、さかのぼれば、イギリス、そしてアメリカの植民地支配の歴史にある。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 施光恒 「英語化は愚民化」(集英社新書)
2015828日(金)

 

 

<その4> 
◆母国語での思考こそ、創造性の源泉である。結果的、大学の授業の英語化は、日本の大学の国際競争力の強化どころか、日本の学術文化の著しい衰退を招くことにつながるであろう。これは、文系・理系を問わずに言えることだ。
そして、学術の劣化と日本語の退化は、実業の世界での創造性にも悪影響を与えるに違いない。逆に言えば、製造業をはじめ、日本の産業が現在の地位にいるのは、日本語の力に負っていることが少なくないのだ。

◆そう遠くない将来、日本人の多くが、「あの大学はまだ日本語で授業をしている。三流大学だな。」「社内で日本語が聞かれるようでは、一流企業ではない」などと、普通に感じるようになるに違いない。
しかし、そうなってしまったら、法的には、独立国家の体裁を保っていたとしていも、日本人のものの見方は、植民地下に置かれた人々と似たようなものになってしまう。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 施光恒 「英語化は愚民化」(集英社新書)
2015827日(木)

 

 

<その3> 
◆「ヘイトスピーチ」ではなく、「不当な民族差別発言」という言葉を用いれば、「何が不当なのか」「在日朝鮮人・韓国人と日本人との間での不当ではない公正な関係性を作るにはどうすればよいか」などの問いが自然と浮かんでくる。

◆TOEFLはアメリカの民間団体が作成している、アメリカの高等教育機関への留学のための英語力を測る英語試験である。一回の受験料は約2万7,600円。それを人数と回数に掛け算するだけでも、数百億円の巨額の受験料が毎年日本からアメリカに流れることがわかる。

◆ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏も、中国と韓国を訪問した際、なぜ、アジアで日本だけが、次々に受賞者を出しているかという彼らの問いにぶつかり、母国語で専門書を読むことができる日本の優位性をしみじみ感じたという。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


渋谷区の税理士 中川尚税理士事務所

 

 

 施光恒 「英語化は愚民化」(集英社新書)
2015826日(水)

 

 

<その2> 
◆目をひくのは、英語教育の早期化だ。小学校五年生から英語を正式教科として教えるというのだ。実施は早ければ2018年度から始まる。

◆当たり前のことだが、日本人は、日本語を用いる時に思考する力を最も発揮できる。英語の授業を増やすと、研究レベルで世界水準になると言えるのか。

◆「英語化さえすれば、世界最高水準の研究や教育が実施でき、バスに乗り遅れずに済むはずだ」という奇妙な「空気」が現在の大学業界に蔓延している。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 施光恒 「英語化は愚民化」(集英社新書)
2015825日(火)

 

 

サブタイトルに「日本の国力が地に落ちる」とある。まさにその通りだと思う。私自身も20才代前半で、あれだけ好きで役立った英語の勉強をピタッとやめてしまったという過去がある。言語というものは単なる人と人とのコミュニケーションの道具ではなく、思考や思想とつながっていると考えたからである。つまり、言語をもって物事を考えるため、2つの全くことなる言語を収得してしまうと、思想が浅くなっていくと感じたのである。
以下、、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していこう。

<その1> 
◆英語で行う講義を増やした大学が、「スーパーグローバル大学」と認定されれば、驚くほどの補助金が付くようになった。

◆日本の社会を英語化政策で塗り固めるのは国家百年の計の過ちである。理由はこの一冊を通して証明するが、英語化政策は、日本の良さや強みを破壊し、日本の分厚い中間層を愚民化してしまうものなのだ。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 高橋哲哉「沖縄の米軍基地―県外移設を考えよ」(集英社新書)
201584日(火)

 

 

<その8> 
◆日本の反戦平和運動は、県外移設を受け入れたうえで、「安保廃棄」は「本土」で、自分たちの責任で追求するのが筋なのである。

◆県外移設要求は、「日本人」に基地を押しつけているのではなく、「日本人」に基地の押しつけをやめよ、自ら必要とする基地は、自分で処理せよ、と言っているだけである。それが「日本人」に求めているのは、「日本人」が死ぬことではなく、「日本人」が沖縄差別をやめること、「日本人」と「沖縄人」が平等な存在としてともに生きることにほかならない。

◆「中国の脅威」を理由に沖縄に軍事基地を押しつけるのは、かつての韓国併合の論理と瓜二つである。ロシアの南下に対抗するためには、朝鮮半島が必要であり、そのためには、併合しかなかった。日本に併合されたほうが、朝鮮半島の人びとにとってもよかったのだ。云々。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 高橋哲哉「沖縄の米軍基地―県外移設を考えよ」(集英社新書)
201583日(月)

 

 

<その7> 
◆在日米軍基地を必要とし、それを置くことの利益を享受しながら(日米安保条約は「日本の平和と安全に役立っている」と感じながら)、米軍基地を置くリスクを負うことは拒絶する。これは端的に言って、無責任ということではないだろうか。

◆私たちは、いつまで、抗議を続ければ、いいんですか。沖縄人は基地に反対するために生まれてきたわけではありません。基地反対なんて、私たちの使命でも、存在意義でも、喜びでも、生きがいでもありません。一日でも早くやめたい。早くやめていい現実になってほしいです。でも、声を上げなければ、それが実現しそうにないから、仕方なくやっているんです。

◆ベトナム戦争で、米軍の「北爆」に晒されたベトナムの人びとは、爆撃機B52の基地であった沖縄を「悪魔の島」と呼んだという。米軍が沖縄の基地から出撃し、アジアの人びとを攻撃する事態は、アフガニスタンやイラクでも繰り返された。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 高橋哲哉「沖縄の米軍基地―県外移設を考えよ」(集英社新書)
2015731日(金)

 

 

<その6> 
◆普天間飛行場の「最低でも県外」移設を掲げて政権を発足させた鳩山首相の就任から、わずか1か月足らずの間に、すでに防衛省高官が首相の方針とは正反対の要求を米国側に伝えていたことになる。

◆つまり、芹澤防衛協力課長もまた露骨な表現で、民主党政権に対して米国側から圧力をかけてほしいと望んだのである。

◆「本土」の住民意識は、沖縄が犠牲を強いられてきたと言われれば、「その通りだ」と認めるしかないので、沖縄の負担軽減には賛成するし、一般論としては、県外移設を認めてもよいが、「自分の所には持ってくるな」ということになる。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 高橋哲哉「沖縄の米軍基地―県外移設を考えよ」(集英社新書)
2015730日(木)

 

 

<その5> 
◆日本政府は「本土」から沖縄への移転は容認したが、沖縄から「本土」への移転は拒否した。沖縄の人びとの反対は無視されたが、「本土」の人びとの反対はすぐさま受け入れられた。そこに沖縄に対する日本政府の差別的対応を見るとしても、決して牽強付会とは言えないだろう。

◆日本政府は、これまで海兵隊の「本土」から沖縄への「隔離」を容認し、米国から撤退案が出てくれば、これを引き留め、県外移設案が出てくれば、これを拒否してきたのである。

◆軍事的には、「沖縄でなくても良い」、「日本の西半分のどこか」であればよい。つまり、沖縄でなければならない軍事的・地政学的理由はない。だが政治的には、「日本の西半分のどこか」であればよい、とはならない。「政治的に許容できるところ」は、「沖縄にしかない」からだ。―これが日本の防衛大臣の公式発言なのである。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 高橋哲哉「沖縄の米軍基地―県外移設を考えよ」(集英社新書)
2015729日(水)

 

 

<その4>
◆「沖縄のなかに基地があるのではなく、基地のなかに沖縄がある。」と言われるような現実が作り出された。

◆沖縄の基地の75.7%は海兵隊の施設である。普天間飛行場も海兵隊の基地である。したがって、海兵隊の動向が常にクローズアップされるのだが、その沖縄の海兵隊がもともと「本土」から移ったものであることを知る人は少ない。

◆サンフランシスコ講和条約発効当時、日本「本土」にはまだ多数の米軍基地が存在していたため、「本土」と沖縄との基地面積の比率は9対1で、「本土」の方が圧倒していた。

◆米国のすることに、日本は口を出せないどころか、米軍が沖縄から撤退しようとしているのに、日本がそれを引き留めていたことがわかったのである。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 高橋哲哉「沖縄の米軍基地―県外移設を考えよ」(集英社新書)
2015728日(火)

 

 

<その3> 
◆沖縄は日本復帰後も依然として、日本の植民地である。日本人は植民者であり、沖縄人は被植民者である。日本人はその政治的権力的な位置を離れるためには、沖縄に押しつけてきた米軍基地を引き取らなければならない。県外移設は、沖縄人が憲法のもとに平等であるべき、日本国民のなかで受けてきた不当な差別から解放されるための、当然の権利要求なのである。

◆日本人:
 「沖縄人もわたしたちと同じ日本人です。」
  沖縄人:
 「ならどうして沖縄人をスパイ呼ばわりして殺したんだ?どうして琉球語を禁止したんだ?どうして沖縄にだけこんなにも基地を押しつけるのか?どうして差別するんだ?」
  日本人:
 「・・・・・・・。沈黙こそが利益。聴かないことこそわが利益。応答しないことこそわが利益。植民地とはそういうもの。原住民の声なんて聴く必要はない。」




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 高橋哲哉「沖縄の米軍基地―県外移設を考えよ」(集英社新書)
2015727日(月)

 

 

<その2> 
◆80年代に基地問題が出たときも、基地を「本土」に移設せよ、というのは、「本土」の人達に犠牲を転化することだからいけない、という意見がありました。(作家の目取真俊氏)

◆「自らの苦しみを、よその場所に移したくない」という「沖縄の気持ち」。それを太田昌秀氏は、「他人に痛めつけられても眠ることはできるが、他人を痛めつけては眠ることはできない」という言い伝えに表現された。伝統的な「沖縄のこころ」だという。

◆しかし、日本政府や日本人の対応を見て、自分たちが、本土のことを思いやっても、向こうは、それを利用して踏みつけにするだけだ。ということがよく分かった。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 高橋哲哉「沖縄の米軍基地―県外移設を考えよ」(集英社新書)
2015724日(金)

 

 

著者の主張は明解である。日本に駐留する米軍基地の75%が沖縄に集中しているが、その大半ないしは、すべてを日本本土に移設すべきだということである。なぜならば、世論調査では、日米安保を支持している人が80%にのぼるからである。著者の個人の見解としては、日本からすべての米軍基地を撤退させるべしとなるが、国民の大半が安保を支持しているのであれば、本土での基地移設を受け入れざるをえないという立場である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>  
◆近年の選挙では、「護憲平和」の訴えは聞いても、「安保廃棄、米軍基地の撤退」の声をきくことはまずない。九条擁護運動の代表格である「九条の会」でもウイングを「保守」にまで拡げるために、日米安保体制の是非については、議論されない傾向がある。まるで憲法九条さえ無事であれば、日本国全体が平和であるかのように。しかし、日米安保体制が問われなければ、沖縄への米軍基地集中は放置されることになりかねない。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 辺見庸×佐高信 「絶望という抵抗」 (金曜日)
2015722日(水)

 

 

<その7>
◆(佐高)劇作家の飯塚匡は、シェイクスピアと近松門左衛門を同時代人として、比較する人がいるが、シェイクスピアは多くの喜劇を書いたのに、近松は書いていない。近松の書いた義理と人情は、人間性の解放から程遠いと書いている。「笑いは下剋上の本質を持っている。」と飯塚はさらにこう続ける。「儒教も凡そユーモアのない道徳律であって孔子の伝記を読むと、斉の景公のところで、喜劇役者を切り殺している。笑いにとって大きな敵なのである。論語を読んでもユーモアはどこにもないところ、キリスト教の聖書とよく似ている。」


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 辺見庸×佐高信 「絶望という抵抗」 (金曜日)
2015721日(火)

 

 

<その6> 
◆(辺見)アメリカは建国以来、戦争と名のつくものを50回以上やっている。対外侵攻は200回以上やっています。20世紀は戦争の連続でした。すさまじい勢いで人間は戦争を続けている。「知恵の人」ではなく、暴力にとらわれた生き物です。戦争の可能性が永続することに気づくこと、それが、いま、必要ではないでしょうか。

◆(辺見)昔から嫌いなスローガンがあります。「戦争にも反対。テロにも反対」というやつです。ガザに行ってみろと言いたくなる。民衆虐殺を厭わないイスラエルを相手に打ち上げ花火みたいなロケット弾を飛ばすことしかできないところで、「戦争にも反対。テロにも反対」とはたして言えるのか。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 辺見庸×佐高信 「絶望という抵抗」 (金曜日)
2015717日(金)

 

 

<その5> 
◆(佐高)メディアに従事する個人といえば、特定秘密保護法に反対する声明に、名前を挙げたキャスターと挙げなかったキャスターがいる。田原総一郎、鳥越俊太郎、は名前を出した。古舘伊知郎、後藤謙次、池上彰は出さなかった。これはきっちり残しておかなければならない事実です。

◆(辺見)特定秘密保護法は治安維持法ですよ。憲法違反どころじゃない。これを表現できなかったのは、日本のジャーナリズム史上でも最大級の恥ではないでしょうか。

◆(辺見)コンプライアンスなど新聞にはなくていいのです。法令遵守はジャーナリズムにはなくていい。むしろ、法令を破らなくてはいけない。破らないではやっていけないのです。で、破ったら逮捕だぞ、というのが特定秘密保護法です。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 辺見庸×佐高信 「絶望という抵抗」 (金曜日)
2015716日(木)

 

 

<その4> 
◆(辺見)最近の話だと、STAP細胞問題の、あの叩きはなんですか。ぼくは狂気を感じるのは、むしろ、メディアですよ。毎日コピペをやっているのは、お前らのほうじゃないかと思う。人が書いたものを切り貼りして、批判精神もない記事をつくっている。自分たちを恥じることもせずに、他者をよってたかってやっつける。いじめている。安倍首相の演説からはじまって、社会全体がコピペをやってしまっているわけでしょう。その全体像を描きえる人間がいない。

◆(佐高)1954年に起きた偽札事件では、偽札が何枚発見されたとか、図柄がどういうふうに偽造されているとか、メディアはそういうことばかり書き立てる。しかし、インフレが進めば、本物の紙幣も価値が落ちて偽札化するんだ。どうしてそれを問題にしないのか。

◆(辺見)人間世界の価値低下が、最悪レベルになっているのですが、人間ではなく、金と事物世界にしか目がいかない。人そのものが興味をもたれなくなった。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 辺見庸×佐高信 「絶望という抵抗」 (金曜日)
2015715日(水)

 

 

<その3>  
◆(佐高)阿川弘之の本を読むと、阿川という人間の卑屈さがよくわかる。自分が頭を下げる人間と軽蔑する人間と分けている。「上」にたいしては、自分を卑下してへりくだり、だからこそ「下」にはあらんかぎりの侮蔑を向ける。日本の内でもそうだし、外へ出ると、それがより露骨にあらわれる。その意識構造を支えているのが、天皇制でしょう。

◆(佐高)エラスムス(神学者)は、「我何者にも属さず」と言いました。私は魯迅の根底にもアナキズムがあると思います。政府や国家、組織から身を離して、批判し続ける。それがジャーナリズムの原点だと思います。

◆(辺見)渡辺一夫の「敗戦日記」を読むたびに、ぼくは思うんです。戦時中の情況を見通した日記です。大変な学者として尊敬はしていますけれども、しかし、非常に歯がゆい。そこまでわかっていたのなら、どうしてその時に抵抗しなかったのか。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 辺見庸×佐高信 「絶望という抵抗」 (金曜日)
2015714日(火)

 

 

<その2> 
◆(佐高)その江藤が大江に対して「大江はロール(役割)だけあって、サブスタンス(実質)がない」と言ったんです。それで私は江藤を「憲法というのはロールです。それにイチャモンをつける江藤さんこそ、ロールにこだわるあまり、だんだんサブスタンスをなくしているんじゃないか」と批判しました。

◆(佐高)竹中労が言ってましたが、人は弱いから群れるんじゃなくて、群れるから弱いのだと。

◆(辺見)ウンベルト・エーコの言葉ですが、ファシストは戦争に勝ったことがない、フランコも、ムッソリーニも、ヒットラーすら、なぜ勝てないかというと、敵を過大あるいは過小評価するからだそうです。客観的な分析ができない、これ、まさに安倍なんです。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 辺見庸×佐高信 「絶望という抵抗」 (金曜日)
2015713日(月)

 

 

2年ぶりに会った御二人の対談本である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介しておこう。

<その1> 
◆(佐高)そういった動きは、自主規制やコンプライアンス(法令遵守)という名目で行われます。ですから、一見すると問題がないように見える。むしろリスクマネージメントだと評価される。しかし実質は取り締まりです。とりわけ、メディアがやると、それは思想と言論の弾圧になる。

◆(辺見)日本でもこれと同じことをやっている。フリクション(摩擦)を起こさせない。現実の権力に過度のイチャモンはつけない。テレビのキャスターのような連中がいちばん都合がいいんです。気の利いたコメントをくり出して、あとは流していく人たちです。根源的な批判をし、自由に語る人間は、スムーズに消去していく措置が、すでにできている。それが極端な段階にまで、きているんじゃないでしょうか。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 半藤一利×保阪正康 「日中韓を振り回すナショナリズムの正体」(東洋経済)
201571日(水)

 

 

<その6>  
◆(保阪)冗談じゃない。このままでは、何のために戦後69年があったのかわからない。我々が歩んだ道がこんな簡単に乱暴な論理で否定されていいのか。
つまり、戦後に皆が努力してきた全てを今になって、安易なナショナリズムを否定されちゃ、たまらないということですよ。

◆(半藤)日本人は民族が始まって以来、敗戦を経験したことがなかった。そのショックは大きかったですし、現実をありていに言えば、食うのにも困っていましたから。

◆(保阪)集団的自衛権を認めるべきだと言う人は、多分、国家のために、地球の果てまで戦争をしに行くべきだということを、ナショナリズムと考えているんでしょう。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 半藤一利×保阪正康 「日中韓を振り回すナショナリズムの正体」(東洋経済)
2015630日(火)

 

 

<その5> 
◆(保阪)特定の考え方に振り回される人は、だいたい、己がないんですよ。自立していないから、国とか社会とか、地域共同体などに自分を仮託しないと存在を確認できないんです。
弱い日本人は、日本という国家に守られている自分を意識しますが、自立する日本人は、そうではないと思うんですよ。もし、日本という国家が自分と相反する道を歩もうとするならば、強い日本人は断固、拒否しますし、伝統を守れとの選択をすることができるはずなんです。

◆(保阪)日本だけでなく、ナショナリズムが確かに、世界的に台頭しつつありますよね。ウクライナ、中国、ベトナム、さらにEU諸国でも右派が勢いづいている。

◆(保阪)19世紀、20世紀の戦争は帝国主義の戦争でした。帝国主義の本質は市場の争奪でしたから、戦争になっても皆殺しまではやらなかった。
ナショナリズムがぶつかったまま戦争になれば、相手を抹殺しようかなんて思い込みかねないんです。だから、安直に政治目的でナショナリズムをかきたて、戦争と結びつけるようなことを考えてはいけない。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 半藤一利×保阪正康 「日中韓を振り回すナショナリズムの正体」(東洋経済)
2015629日(月)

 

 

<その4> 
◆(保阪)歴史については、それぞれの国の教え方をすればいい。ただ、必ず、相手の国ではどう思っているのかも併せて書けばいいんです。自国の立場と相手国の立場を両論併記するんです。後の判断は、子供や孫の世代に任せるしかないんですから。
でも、韓国でも、中国でも、両論併記はしていない。日本でも、今、やっていない。歴史教育については、そこが問題だと思います。

◆(保阪)真の平和状態を目指して、アジアの国々と条約を結ぶとする。現行憲法では、条約を結ぶ内閣は形式とはいえ、天皇によって任命される。そのとき「かつてアジアを侵略した責任者である天皇の名の下に、平和条約は結べない。天皇制を廃止しろ」という声が上がる可能性がないとは言えない。
つまり、積極的に平和に踏み込もうとすると、結果として、天皇制の存続問題になってしまいます。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 半藤一利×保阪正康 「日中韓を振り回すナショナリズムの正体」(東洋経済)
2015625日(木)

 

 

<その2> 
◆(保阪)自分の受けた被害しか覚えていない。被害者意識はあっても、他国に何をしたのかを知ろうとしないから、加害者だという自覚はない。
あの戦争に対する、この認識の浅さが、今になって、若い人のナショナリズムの歪みになって表れているのです。
戦争体験を語るのも同じです。自分たちの被害ばかり言い立てるのでは、戦争防止の役には立ちません。 どうして戦争になってしまったのか。何をやった、あるいは何をやらなかったから戦争になったのか。戦争のとき、日本の外で、自分たちの軍隊は何をやったのか。そのために、外国の人はいかに酷い目に遭ったのか。 このような自分たちにとって、忘れてしまいたいことも、覚悟して語ってこそ、教訓として役に立つんですよ。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 半藤一利×保阪正康 「日中韓を振り回すナショナリズムの正体」(東洋経済)
2015624日(水)

 

 

御2人の対談本は、どれもわかりやすくおもしろい。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介しておこう。

<その1>  
◆(保阪)全雇用者の中で40%近くも占めている非正規の人は、会社という共同体に属していません。また、家庭という共同体にも属していないケースも珍しくない。そこに歪みの生まれる要因があると思うんです。
そういう人は、どこにも属していないという孤独感がある。それで心情がいきなり国家と直接に結びつきやすいんですよ。
それで、日本がバカにされると、自分がバカにされたような気になるんです。「俺の国をバカにしやがって」とカッとしやすくなっているんだと思う。

◆(半藤)今の若い人は本を読まない。ネットばかりです。ネットは想像力を刺激しません。ただの情報として大量に流通している中から、自分の気に入ったものを選択するだけなので、想像力を使う必要がないんですね。
慰安婦の問題もそうで、一番大事なことは、当事者の状況や気持ちを想像することです。あれは残酷極まりない性的虐待そのものだっただろうと、少し想像力を働かせればわかります。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹×白井聡 「日本戦後史論」 (徳間書房)
2015623日(火)

 

 

<その7> 
◆(白井)被差別部落出身の子が警官に撃ち殺されたら、それで全面的にデモが起きるだろうか。アメリカでは、黒人の少年が、たとえ強盗をやったかもしれないけども、殺されたということで、これだけの運動が起きるのは、差別の禁止・人権は絶対であるという物語が単なる建前としてではなく存在するからだと思います。

◆(内田)一体韓国社会のどこに「反日」気運なんか存在するのだろうと不思議な思いがします。たぶん、日本のメディアがある種の特殊な政治運動だけを選び出して、選択的に報道しているんじゃないですか。僕が会った限りでは、多くの韓国市民は日本に対して親近感を持っている。

◆(白井)CIAの資料は、自動的に何年か経てば、公開していくはずなんだけども、岸ファイルについては例外扱いで公開されていないのだそうです。戦後の日米関係の根幹、ひいては現在の日米関係を揺るがしかねないという判断なのでしょう。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹×白井聡 「日本戦後史論」 (徳間書房)
2015622日(月)

 

 

<その6> 
◆(白井)それを実感したのが、西武鉄道グループの堤義明氏が失脚する直前ぐらいの話です。どんどんスキャンダルが出てきました。あれは内部情報です。内部の人間がマスメディアにリークしている。西武なんて巨大グループなんだから、倒産なんてしないだろうという安心感があるからやっていたのでしょうけれども。でも、あれで没落していって、海外のファンドに西武鉄道が売られてしまったわけです。これが人間の本性だとすると、なんというか実に業が深い。

◆(内田)1972年の日中共同声明からのちの、日本における親中国気分と、中国での親日気分の盛り上がりはすごかったです。今では想像もできませんけれど。あらゆる領域で日中交流が始まった。この日中蜜月時代は87年の親日派の胡耀邦の没落で終わるんです。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹×白井聡 「日本戦後史論」 (徳間書房)
2015618日(木)

 

 

<その4>  
◆(内田)同じ山形県内には、庄内空港と山形空港があります。前に地元の人に「どうして車で2時間のところに空港ができたんですか?」って聞いたら、なぜ、そんな当たり前のことを聞くのか、という顔で「藩が違う」と言われました。東京にいると気がつきませんが、東京以外のところでは、いまだに藩が地方行政の本質的な区切りなんです。

◆(内田)東京から関西に来ていちばんびっくりしたのは、「○○弁」がいっぱいあることです。泉州弁、河内弁、岸和田弁、神戸弁、姫路弁、加古川弁…。よくよく調べると、「弁」の違う地域は、江戸時代の藩が違うんですね。旧藩の差異は、現代日本でも、方言と食文化と祭祀の違いとして残っている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹×白井聡 「日本戦後史論」 (徳間書房)
2015617日(水)

 

 

<その3> 
◆(白井)これほど奇妙な敗戦国は世界史上類を見ないのではないかと思います。負けた原因をきちんと精査できなかった第一の原因は、戦前から連続する支配層が責任追求されることから、逃れたことに求められるでしょう。
その後は、冷戦構造の中で、アメリカ陣営に付いて、かつての敵をこれからの仲間なんだということにした。これが、敗戦の責任を有耶無耶にするメカニズムです。

◆(白井)絶対に勝てない太平洋戦争にズルズル入っていって、ミッドウェイ海戦以降、早く降参するしかないのに、国体護持の方策を考えて、小田原評定を繰り返している間に、ぐずぐず長引かせた。戦死者300万人のうち200万人は最後の1年で死んでいます。国体護持という言葉は、何やら荘重な響きがありますが、内容は、支配層の自己保身を言換えただけにすぎません。日本の支配層は、自分たちの保身のために、自国民、それも前途ある若者を中心に200万人も見殺しにした。今回のTPPでも同じことをやるでしょう。彼らは自己保身のために、日本の有形無形の富を、最後の一片に至るまで、切り売りするつもりでしょう。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹×白井聡 「日本戦後史論」 (徳間書房)
2015616日(火)

 

 

<その2> 
◆(内田)「どうやったら、次はアメリカに勝てるか」というような問いの立て方そのものがタブーになった。それがタブーになるほど負けたのです。だから日本はナショナリストがいないのです。ナショナリストが生きることができない国なのです。
それ由、日本の政治学者は「日米同盟以外の外交戦略」について考えない、考えられないのです。

◆(内田)アメリカの映画監督のオリバー・ストーンが、日本はアメリカの政策に追随する以外に、国際社会に向けて発信するいかなる構想も持っていない国だ、と断言しました。このスピーチは、日本の新聞はどこも報道しませんでした。
世界中の国が日本をアメリカの属国だと思っていて、日本だけが、自分は主権国家だと思っている。このような奇妙なことになったのは、すべて70年前の敗戦の総括ができていないことに起因するのだろうと僕は思います。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 内田樹×白井聡 「日本戦後史論」 (徳間書房)
2015615日(月)

 

 

現代日本国家に関する問題を中心にした対話本である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>  
◆(内田)すべての国家的事績を「わがこと」として受け容れる国民だけが、「すっきりとしたナショナリズム」を享受できる。いいことだけを受け容れ、ろくでもないことについては、知らぬふりをするというのでは、ナショナリズムにならない。

◆(内田)外国の軍隊が国内に永続駐留している事態を右翼が別に「恥」だとも思っていないということは、日本以外の国では理解不可能でしょう。本来なら、反米・反基地闘争の先頭に立っているはずです。ナショナリズムとは、そういうことでしょう。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享VSマーティン・ファクラー 「崖っぷちの国家 日本の決断」 (日本文芸社)
2015610日(水)

 

 

<その11> 
◆(ファクラー)それは、福島第一原発事故が起きた後でも感じました。いろいろな地方に取材して感じたことは、「みんなお上を待っていること」です。国がどうするかを待つという、非常に受け身的な態度でした。
主権が国民側にあるという前提がなく、ただ上から何かをもらうという意識なのです。ある意味では、封建社会の構造が意外に残っているという感じでした。
韓国や台湾に行くとまったく違います。韓国や台湾は、一般の国民が、自分の手で軍事政権を倒し、民主主義を勝ち取ったのです。韓国に行くと、いろいろなNPOが活動していて、市民社会が元気すぎるほど元気です。主権が国民にあるという概念が根強いです。
日本に来ると、そういう感じは希薄です。世の中がおかしいと思ったら、ほんとうは国民が決めることです。国民にはそれを変える力があります。ただそれに気がついていないだけだと思います。

◆(ファクラー)現行の日本憲法を支持しているアメリカの知識人はたくさんいますよ。「ニューヨーク・タイムズ」の社説は、ほとんどそのようなオピニオンです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享VSマーティン・ファクラー 「崖っぷちの国家 日本の決断」 (日本文芸社)
201569日(火)

 

 

<その10> 
◆(孫崎)日本の国民は長い間、大日本帝国軍というものに隷属する奴隷だった。それが米国という体制に主人が変わっただけだから、日本の国民は同じように奴隷状態でいるのだ。(アメリカのレポート)

◆(孫崎)もし沖縄が独立するようなことになると、尖閣諸島の領有権問題の沖縄の国内問題になって、日本から消えてしまう可能性がありますね。歴史的にもともと、尖閣諸島は沖縄のものですからね。

◆(ファクラー)日本が沖縄を日本の一部として見ていないということです。日本を守るために、沖縄は、二度切り捨てられたのです。1945年の沖縄戦のときと、戦後の沖縄基地一極集中のときです。

◆(孫崎)連合がバックにある限り、民主党は限界がありますね。連合は基本的に企業の利益が出れば、労働者が儲かるという企業利益優先の労働組合です。原発再稼働の問題にしても、連合には賛成する連中がたくさんいます。もっとも早く原発再稼働の支持するグループができたのも連合でした。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享VSマーティン・ファクラー 「崖っぷちの国家 日本の決断」 (日本文芸社)
201568日(月)

 

 

<その9> 
◆(ファクラー)ピケティはその本の中で格差の問題に触れています。お金が資金のある人たちだけにほとんど流れていく今の先進国の経済の仕組みは、経済全体に悪い影響を与えるのではないが、単に道徳的かつ人権的な意味で、下層の人がかわいそうということではなく、格差のないほうが経済全体が成長するというピケティの考えは非常に広がっています。

◆(ファクラー)民主党政権になって、「日本の貧困率は16%」ということが明らかになりました。陰では厚労省が計算していたのですが、それを公開してこなかったのです。長妻昭氏が大臣になって、ようやく明らかになりました。これは民主党政権の非常によい功績の一つだったと思います。アメリカの貧困率は17%で、ドイツは9%くらいです。日本はアメリカ型資本主義に近く、もうすでに貧困国になっています。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享VSマーティン・ファクラー 「崖っぷちの国家 日本の決断」 (日本文芸社)
201565日(金)

 

 

<その8> 
◆(孫崎)「特定秘密保護法」(特定秘密に指定し、情報を漏らした公務員や民間業者に、最長で懲役10年の罰則を科す)は、本来、国民が与えられていて、当然の情報を得る権利を政府が締め上げるという悪法です。
特定秘密保護法がなぜ、必要かというと、一つは集団的自衛権の行使によって、自衛隊が米軍と一体になって行動するので、米軍の機密を守るために必要ということになります。
私は外務省にいたからわかるのですが、情報をなぜ、秘密にするかというと、自分の政策が、間違っていることを知らせたくないという心情がものすごく強いからです。

◆(孫崎)スティグリッツは、「格差社会になると、基本的には、その社会の購買力が減る。そして、需要が少なくなるから、発展にマイナスになると言っています。つまり、格差社会というものをつくらない政治体制が望ましいということになります。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享VSマーティン・ファクラー 「崖っぷちの国家 日本の決断」 (日本文芸社)
201564日(木)

 

 

<その7> 
◆(ファクラー)アメリカの連邦政府には、3本の柱があるのです。「連邦議会」と「大統領」と「連邦裁判所」という3本の柱です。日本に来て不思議でしょうがなかったのが、どうして裁判所の権威はこんなに弱いのかということでした。
州によって違いますが、多くの上級の裁判官は、選挙でえらばれますから、民意に応えようとしています。その点が全く日本とは異なります。つまり、アメリカでは裁判官は、政治家や官僚から独立しており、力が強いということです。

◆(孫崎)それに対して、日本の裁判官の任命は内閣です。

◆(孫崎)東京五輪が開催される2020年までに、国内の3か所でカジノの開設を認めるという法案の検討が始まっています。カジノを指定地域に限って合法化し、国の管理下で民間事業者により、カジノの運営を認めようとするものです。しかし、公明党の反対などもあって、法案の成立は、次の国会に先送りされました。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享VSマーティン・ファクラー 「崖っぷちの国家 日本の決断」 (日本文芸社)
201563日(水)

 

 

<その6>  
◆(孫崎)それは、日本の内閣法制局が、どうして今のような力を持っているのかという話になります。アメリカは当然のことですが、最高裁が憲法を判断し、解釈します。ところが、日本では、最高裁が憲法を判断するわけではありません。日本の憲法はアメリカ主流でつくられたものですね。ですから、アメリカ経由の憲法が、どういう精神でできているのかがわかるのは、最高裁ではないのです。アメリカと詰めて憲法を制定させた内閣法制局の人たちのほうが、当然、権威があります。非常に歪んだ憲法制定のプロセスを経て、内閣法制局は、「憲法の番人」になったといえます。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享VSマーティン・ファクラー 「崖っぷちの国家 日本の決断」 (日本文芸社)
201562日(火)

 

 

<その5> 
◆(ファクラー)第2次世界大戦で敗北したドイツが、ナチスの犯罪行為に心から謝罪したという形で、とりあえず、第2次世界大戦の認識についてのコンセンサスができました。ヨーロッパでは、このような歴史認識の問題がなくなったので、領土問題は比較的、解決しやすくなったと思います。

◆(ファクラー)世界第3位の経済力がある日本のような大国で、戦争をまったく起こさない国はどこにもないと思います。世界がすべて日本のような国になったら、もう戦争がなくなるのです。ですから、「ノーベル平和賞」のノミネートは、日本だけでなく、世界に対してのメッセージにもなるのです。

◆(孫崎)第2次大戦後、集団自衛権の行使を主張して、武力が行使された例は、旧ソ連によるハンガリー侵攻、チェコ侵攻、アフガニスタン侵攻。米国によるベトナム戦争及び湾岸戦争初期の武力展開、ヨーロッパ諸国によるアフガニスタン戦争参加などがあります。いずれもその戦争に参加した国の自国防衛とは無縁なものばかりです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享VSマーティン・ファクラー 「崖っぷちの国家 日本の決断」 (日本文芸社)
201561日(月)

 

 

<その4>  
◆(孫崎)戦争の終結にあたり、日本がいちばん最初に受託した「ポツダム宣言」では「戦争をやめる」ことのほうが重要でした。そして、終戦後に取り交わした「サンフランシスコ講和条約」では「国際社会に入る」ということが重要でした。
以降、尖閣諸島問題では「日中で手を結ぶこと」が重要であり、竹島の問題も「日韓で手を結ぶこと」が重要でした。「領土の1インチを取り合う」ということより、「両国関係を大事にする」ということを、かつての政治家や外交官たちは重視してきました。それを忘れて、領土の1インチを奪い合うことは、たぶん国益には通じないのではないでしょうか。



前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享VSマーティン・ファクラー 「崖っぷちの国家 日本の決断」 (日本文芸社)
2015529日(金)

 

 

<その3>  
◆(孫崎)アメリカの議員は勉強していると思います。ある主義や主張を掲げたら、それを支える事実関係やデータを用意しています。だから力強く推進できるのです。日本の国会議員で日米の安全保障について、対応相手に「日本の主義主張はこうである」とデータをもって語れる人は皆無に近いでしょう。

◆(孫崎)今起こっている領土問題の揉め事は「北方四島や尖閣諸島、竹島などは日本の固有の領土である」と教科書に書かれ、中学校くらいから教えられていることから出発しています。国際法的には間違っていることを教科書で国民に教えようとしていることが原因です。こうした歪みは非常に大きな問題だと思います。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享VSマーティン・ファクラー 「崖っぷちの国家 日本の決断」 (日本文芸社)
2015528日(木)

 

 

<その2>  
◆(ファクラー)先頭に立って、自ら社会問題を摘発する伝統がアメリカのジャーナリズムにはあります。もちろん問題や失敗も生じますが、ジャーナリズムが機能するのは、当局に対して、なぜ、何もしないのかと働きかけるときです。
ピュリッツァー賞はどちらかというと誰も気づいていない社会問題や誰も知らなかった問題を取り上げたり、みんなが知っていたけれど、誰も気づいていない深層部分に注目して、政府を追求したりすることが評価されるのです。

◆(孫崎)政策の是非より、その方針を取ったら、アメリカに歓迎されるというロジックさえできればよいのです。特定秘密保護法でも集団的自衛権の行使の問題も、それが日本のためになるというロジックなど要りません。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享VSマーティン・ファクラー 「崖っぷちの国家 日本の決断」 (日本文芸社)
2015527日(水)

 

 

孫崎氏とニューヨークタイムズの記者、ファクラー氏の対談本である。内容はかなり面白い。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介していきたい。

<その1>  
◆(ファクラー)夜7時NHKのニュースを見ていると、端的にわかるのですが、いつも当局や権力者が「動いて」います。「安倍晋三首相は、今日何をしたか。警察は今日誰を逮捕したか。検察は誰々を調べた」。そういうことの繰り返しばかりです。政府が見ようとしない問題。取り上げない問題をなぜもっと報道しないのか。そういう積極的なジャーナリズムが少ないのです。政府のその日の動きだけを報じているようです。そういう意味では、日本のメディアは、中国のメディアに似ていますよ。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦 「靖国問題と中国包囲網」(ビジネス社)
2015526日(火)

 

 

<その5> 
◆中国には政治的な恐怖政治と絶望的な貧困があったのだけれども、逆に偽善がないということが中国社会の大きな特徴だ。

◆だから、中国人というのは、裏表がない国民だといえる。それに対して日本人にはあらゆる面で、裏と表というものを使い分けて生きている卑屈な国民文化を持っていると言える。

◆石井四郎たちは、敗戦後もアメリカ軍の厳しい取り調べを受けただけで、戦争犯罪者として裁判にかけられることはなかった。七三一部隊が行った人体実験の資料はすべてアメリカ軍が持ち去った。

◆この問題であまり語られてないのは、陸軍幹部で大物だった者たちが、石井部隊とのつながりで、A級戦犯にならず、処刑もされなかったことだ。その他の七三一部隊に関係した高級軍医たちは、戦後はミドリ十字に転職した。のちに日本赤十字までを巻き込んで大騒ぎになったエイズ菌の薬剤問題に、彼ら「旧七三一部隊軍医たち」の動きがあった。今はミドリ十字は田辺三菱製薬の中に吸収されている。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦 「靖国問題と中国包囲網」(ビジネス社)
2015525日(月)

 

 

<その4> 
◆中国は石炭で部屋の暖房をやっているから、大気が汚染される。石炭から出る窒素化合物を取り除く技術をビルごとに取り付けなければいけない。
中国は石炭がエネルギーの7割だから、これからは石炭を液化するということが大事である。
この技術は日本が持っている。液化石炭にして、排ガスを完全に取り除くことができる。この技術を中国が導入して活用すれば、中国の大気汚染もそれほど大変なことではない。

◆日本の場合は、明治からこっち、キリスト教の宣教師たちが、どんどん入り込んで来て、キリスト教の倫理観を植えつけた。日本人はほとんどキリスト教化しなかった。今でも日本には100万人以下しかキリスト教徒はいない。




前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦 「靖国問題と中国包囲網」(ビジネス社)
2015522日(金)

 

 

<その3>  
◆今どき中国人たちのほうが、よっぽど言論の自由や真実に対する勇敢な行動などを理解している。米、欧、日の先進国のほうが言論統制、報道規制がすごい。

◆中国の悪口をいう人たちは、今も中国各地で暴動が起きていて、中国が不安定な国であるみたいに言う。しかし、実際に行ってみると、地方や辺境部まで、急激な豊かさが起きている。全般的には、習近平と李克強の政治(行政)は庶民層に支持されている。外側からの目でも、中国は極めて安定した国である。ただし地方はまだまだ貧しい。
それよりも、これから金融・経済を中心にして、ガラガラと崩れていくのは、先進国の方である。アメリカ、ヨーロッパ(EU)、そして日本である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦 「靖国問題と中国包囲網」(ビジネス社)
2015521日(木)

 

 

<その2>  
◆このようにサハリンの天然ガスを日本にそのまま、パイプラインで持って来れば、日本は大きく得をするし、大助かりなのである。これに比べると、アメリカが大宣伝して販売しているシェール(ガスおよびオイル)革命というのは嘘っぱちであり、インチキである。アメリカからLNG(液化天然ガス)にして専用タンカーで運んで来る、というのは、とんでもなく金のかかるやり方だ。「アメリカべったりで安心していると、日本は戦後最大のエネルギー危機をむかえる」ことになる。

◆中国人で、日本語を話す知識層の者たちは、この事態を冷静に見ていて、「中国では、上に行けば行くほど優れた人間がいる。日本では上に行けば行くほどバカがいる。」とはっきり言う。中国人は、そこらのお店の店員のような少女たちまで含めて「日本はアメリカの家来(属国)だからねえ。かわいそうだね。」という。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦 「靖国問題と中国包囲網」(ビジネス社)
2015520日(水)

 

 

靖国問題についての安倍政権への批判本である。以下、本書よりポイントとなる事項を要約して御紹介していきたい。

<その1> 
◆靖国神社に祀られている戦争で死んだ軍人・兵士を追悼するために参拝に行きたい人は行けばよいのである。誰も反対はしない。その人の自由である。だが、“日本国の代表者”である首相と閣僚が参拝に行くと、それは大きな問題になる。この問題について全面的に説明する。そのあとで、中国の現在の最新の動きを報告する。

◆この連合国側=連合諸国が、そのまま、連合諸国の名前でその後の世界体制、世界秩序になり、それに日本は頭を下げて入れてもらったのだ。このことを日本人がはっきりとわかっていない。あれは、ただの終戦だ、くらいに軽く考えている。だから、世界中が怒るのだ。日本の首相の靖国参拝は、戦後の世界体制=世界秩序への反逆、約束違反なのだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松島泰勝 「琉球独立論」(バジリコ)
201557日(木)

 

 

<その10>  
◆琉球は、独立後、米軍基地をすべて撤去し、基地の存在による逸失利益を取り戻さなければなりません。実際、既に返還された米軍基地跡地では、税収、雇用とも飛躍的に伸びています。北谷町の美浜町や那覇の金城地区や那覇新都心、そして読谷村等がそのいい例です。基地労働者の給与など、基地関連収入は、県民総所得の約5%まで低下しており、基地労働者(約9000人)は全就業者(約66万人)の約1.5%にすぎません。
一方、基地は県の総面積の1割を占め、交通の要所に陣取っています。失われた経済効果の方が遥かに大きいことは、容易にわかります。「基地があるから潤っている」というのは、単なる幻想でしかありません。

◆チャップリンの格言に「人生に必要なもの、勇気と想像力、そして、いくらかのお金だ」という言葉があります。この「人生」を「国家」に置き換えると、独立琉球では「国家に必要なもの、それは、国民の生命の安全と豊かな精神生活、そして、バランスのとれた経済だ」ということになりますでしょうか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松島泰勝 「琉球独立論」(バジリコ)
201551日(木)

 

 

<その9>  
◆すなわち、領土問題の棚上げです。利害が衝突する境界を、意図的に曖昧にしておくということは、政治的知恵というものです。その意味で、尖閣諸島の国有化は、日本政府の重大な失政といえるでしょう。

◆話を日本の安全保障に戻しましょう。日本は「力」には「力」を、といった旧来の安全保障に関する発想を根本的に思い直すべきです。中国の「力」に対し、日本は広範なアジア諸国との「関係」をもって対抗すべきです。日中という二大国の武力衝突は、琉球はもちろんのこと、近隣諸国にとって悪夢でしかありません。

◆確かに現在の中国は強大な国です。しかし、その中国といえども世界の中に組み込まれていることに変わりはありません。たとえば、EUと日本が経済制裁を行っただけで、現在の中国経済は崩壊します。アジアに充実したネットワークを創出することができれば、現在、中国がベトナムやフィリピンに対して行っているような所業は不可能になります。その結果、中国も軍事力によらない新たな国益確保の道を模索し始めるはずです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松島泰勝 「琉球独立論」(バジリコ)
2015430日(水)

 

 

<その8> 
◆1988年11月、パレスチナ国家評議会は、パレスチナ独立国家の樹立を宣言しました。パレスチナのケースでは、伝統的な国家性の基準や定まった領土や実効性の要件が充たされていませんでしたが、国連総会は、自己決定権の原則に基づいて、パレスチナの独立の宣言を認めました。また多くの国は承認と同時にパレスチナ国と外交関係を締結しました。

◆現在、大多数の日本人は米軍基地を抜きにして、自国の安全保障を考えることを放棄しているように見受けられます。しかし、本当に日本はこれから日米同盟という錦の御旗の下に、東アジアの中で生きていこうとするのでしょうか。また、そもそも、アメリカという一国のみに依存して安全保障システムを築くことができるのでしょうか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松島泰勝 「琉球独立論」(バジリコ)
2015428日(火)

 

 

<その7> 
◆国際連合は、1945年、51か国によって設立されましたが、2014年1月現在の加盟国は193か国であり、国の数は4倍に増えています。特に1960年に国連で採択された植民地独立付与宣言以降、独立国は飛躍的に増えました。大国の支配と差別から解放され、住民の生命や生活、基本的人権、慣習や言葉、土地制度等を守るために人口が数万人でも独立を達成した国々があり、世界はそれを認めています。
ひるがえって、琉球の人口は約140万人であり、独立しても当然な地域ということができます。

◆琉球は世界的にみても、古い植民地のひとつです。そして現在の植民地という政治的地位から脱却する、つまり、独立国家をつくる権利は、国際法で保障されています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松島泰勝 「琉球独立論」(バジリコ)
2015427日(月)

 

 

<その6>  
◆照屋敏子は、日本の支配に甘んじている琉球人に対して「骨くされ」と罵倒しましたが、その言葉はそのまま現在の日本にもあてはまるように思うのですが、いかがでしょうか。日本の人々は、「沖縄問題」は「日本問題」でもあるということをしっかり理解していただきたい。

◆それにしても現在の日本は、つくづく不思議な国だと思います。「大東亜戦争」の戦勝国であり、広島・長崎に原爆を落とし東京をはじめ全国の主要都市に無差別爆撃を行った憎き敵であるはずのアメリカには犬のごとく(敗戦国らしく)仕え、一方で侵略の対象であったアジアの国々に対しては、先の戦争に関してまるで、日本には責任はなかったといわんばかりの言説を為政者や知識人が臆面もなくまき散らす。こうした分裂した意識が意味するのは、戦後70年経った現在でもあの戦争の総体を主体的に捉えきれていないということでしょう。そして、それは日本人の琉球に対する感性にも直結します。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松島泰勝 「琉球独立論」(バジリコ)
2015424日(金)

 

 

<その5> 
◆結論からいうと、琉球人と日本人は異なる民族どころか異人種であることが、近年の大規模なミトコンドリアDNA解析で明らかになりつつあります。現在、有力視されている仮説は琉球人、アイヌ人、縄文人、それぞれを特徴付けるミトコンドリアDNAが共通している。現在の日本人のそれは、中国の東北人、朝鮮人と似通ったものである。したがって、日本人を構成する優勢な人々は、大陸や半島からの渡来人であり、また、渡来人と原住民(縄文人)の混血であるというものです。

◆先に琉球独立を阻む最大要因は、琉球が「沖縄県」であること自体であると述べましたが、それには、植民地構造が視えにくくなっているということの他に、もっと本質的な理由があります。それは日本が真の意味での主権国家ではないということです。そもそも自国内に他国の軍事基地が治外法権のかたちをとって存在するような国が、果たして主権国家といえるでしょうか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松島泰勝 「琉球独立論」(バジリコ)
2015423日(木)

 

 

<その4> 
◆ひとつだけはっきりといえることがあります。すなわち、中国の侵略は現時点では、仮説にすぎませんが、現在、ただいま、琉球は日米両国の植民地下にあるということです。
したがって、琉球の現実的課題が、まず独立にあることは自明のことなのです。

◆要するに、琉球人に生活水準の向上という「アメ」をしゃぶらせて、基地反対の声を抑えようとしたわけです。しかし、振興開発事業は「アメ」ではなく、「麻薬」であり、基地と関連する振興開発では地域経済が自立することはありませんでした。
これまで振興開発事業が重点的に投じられた那覇市にある商店街はシャッター通りとなり、琉球平均よりも失業率が高く、その他の沖縄北部の地域でも過疎化が深刻になっています。インフラや施設の建設は高率の補助金によって行われますが、その維持管理費は自治体の負担となり、結果的に財政は圧迫されることになります。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松島泰勝 「琉球独立論」(バジリコ)
2015422日(水)

 

 

<その3>  
◆琉球人は日本人ではないのです。そして「琉球VS日本」という構図が今でも、米軍、自衛隊基地問題、教科書問題等のように琉球人を苦しめているという現実があるのです。
実際は、日本はアメリカとともに琉球を支配しているのが現実です。

◆現在、日本では「沖縄が独立したら中国に侵略される」という説がまことしやかに広まっているようです。
私たちが腹立たしく思うのは、この中国脅威論の背景に琉球は日本または中国どちらかの所有物でしかなく、琉球が孤立して日本のモノでなくなったら、中国のモノになるという、琉球を物象化し、矮小化する日本人の琉球感があることです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松島泰勝 「琉球独立論」(バジリコ)
2015421日(火)

 

 

<その2>  
◆「復帰」とは「元の状態に戻ること」を意味しますが、琉球の元の状態は、日本ではなく琉球国です。琉球は日本固有の領土ではなく、琉球人にとっては「奪われた領土」です。1972年の年だけではなく、長期の歴史のなかで、「復帰」の意味を考える必要がある。つまり、「復帰」を過去形ではなく、現在進行形の問題としてみなければ、琉球の植民地問題の本質を捉えることができません。

◆琉球は、形式上、沖縄県という日本の一自治体ですが、琉球固有の領土は奪われ、琉球人の政治的地位を決める自己決定権の行使も認められませんでした。つまり、琉球は植民地です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 松島泰勝 「琉球独立論」(バジリコ)
2015420日(月)

 

 

重い内容であるが、面白い本である。主権国家の前提条件のひとつに外国の軍隊を国内に置かないことがある。そういう意味では、日本は主権国家ではない。明らかにアメリカの属国である。そう考えると、沖縄からアメリカの軍隊を追い出すには、日本からの独立しかないと思う。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介したい。

<その1> 
◆日本の多くの教科書では、琉球王国が消滅して沖縄県が誕生した過程を「琉球処分」と記述されています。一般に「処分」という表現は、瑕疵を有するある対象に対して実行する措置としたニュアンスがあります。しかし、琉球に関しては、独立国であるにも関わらず、日本政府の一方的な命令に従わないことを処罰の理由として、軍事力を背景に強制的に王国が廃され、国王が廃位させられたのです。琉球処分ではなく、琉球併合と言い換えるべきでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡 「永続敗戦論」(太田出版)
201549日(木)

 

 

<その6> 
◆「お前らは日本人だろう。日本人は本当に偉大だ。俺は深く尊敬している。アメリカとあれだけの大戦争をやったんだ。なんて見上げた根性なんだ!」
 歴史的知識として、イスラム圏が一般的に親日的であること、それを決定づけたのは、日露戦争における日本の勝利であって、白人の帝国主義に苦しめられ、それに抵抗する同志という感情をイスラム圏が日本に対して抱いていたこと、などは私も知っていた。驚きだったのは、日本の対米戦争がこの延長線上で認識されている、ということだった。

◆「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって、自分が変えられないようにするためである。」(ガンジー)


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡 「永続敗戦論」(太田出版)
201548日(水)

 

 

<その5> 
◆ここには、東京裁判における軍部指導者たちの態度がそのまま反復されている。彼らは戦争突入に関して、「ただ成り行きでそうなった」としか答えられなかった。それと全く同じように、日米外交関係をつくってきた張本人は、沖縄の犠牲化を含め、「ただ何となく続いている」と述べる。

◆日本は米国の属国にほかならないことを誰もが知りながら、政治家たちは日米の政治的関係は対等であると口先では言う。このことは、一種の精神的ストレスをもたらす。一方で「我が国は立派な主権国家である」と言われながら、それは真っ赤な嘘であることを無意識の水準では熟知しているからである。領土問題に典型的に現れるように対アジア関係となると、「我が国の主権に対する侵害」という観念が異常なる興奮を惹起するのは、この精神構造ゆえである。無意識の領域に堆積した不満はアジアに対してぶちまけられる。言うなれば、それは「主権の欲求不満」の解消である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡 「永続敗戦論」(太田出版)
201547日(火)

 

 

<その4>
◆「日米外交の達成目標を何であると認識していたか」という質問に対し、この人物(元外交官、中島敏次郎)は「やはり日米関係のゆるぎない紐帯だと思っております。」と答えたという。これが日本社会のエリートを代表する言葉である という事実に戦後日本の病理が凝縮されている。
 質問者は「達成目標」を聞いているのに対し、その答えは「日米基軸」であるという。答えになっていない。本来、論理の初歩として、達成すべき外交目標があり、日米基軸は、目標達成のための手段である。このような、あまりに自明な事柄に彼らは気づくことができていない。これはまさに手段と目的の取り違え、手段の自己目的化にほかならない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡 「永続敗戦論」(太田出版)
201546日(月)

 

 

<その3> 
◆問題は「アメリカが悪い」ことではない。なぜなら、われわれは、モンサント社がどのような企業であるのか十分に知ることができるからだ。軽自動車の廃止にせよ、遺伝子組み換え種子の大々的導入にせよ、米国の国益追求がそれを押し通そうと命じるのは当然である。
問題は、それを進んで受け容れ、あまつさえ、積極的に手引きしようとする知的にも道義的にも低劣な人々がいること、そして、彼らが指導的地位を占めていることにほかならない。

◆尖閣諸島の一部を米国は軍事施設として借り上げているのだから、本来的にいえば、この騒動にすでに巻き込まれているのである。それにもかかわらず、尖閣諸島の帰属については、米国は「中立」である。言うなれば、米国は「誰のものだかわからない」ものを平気で借りている状態にある。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡 「永続敗戦論」(太田出版)
201543日(金)

 

 

<その2>
◆TPP推進勢力の掲げるスローガンは、無知に基づくか、あるいは、不誠実なレトリックの類である。なぜなら、今日、日本を含む多くの諸国で、ほとんどの製品の関税は、ゼロであるかゼロに近いのであり、古典的な意味での自由貿易はすでに実現されているからである。
したがって、TPPが標的とするのは、関税ではなく、「非関税障壁」と呼ばれるものにほかならない。つまり、それは各国の独自の商慣行であったり、独自の安全基準、独自の税制規則、独自の製品規格といった事柄である。

◆自らにとって最も有利な「ゲームのルール」を設定し、市場の独占を目指すことが現代の「自由貿易」が意味する事柄にほかならない。
このような「自由貿易」化を示す典型事例として遺伝子組み換え作物の問題がある。TPPの実現によって、その「表示義務」撤廃を盛んに働き掛けているのは、90%のシェアを誇るモンサント社である。同社は過去にはベトナム戦争時に枯葉剤を開発したことでも悪名高いが、今日では「種子の独占」を謀る企業として世界的に非難されている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 白井聡 「永続敗戦論」(太田出版)
201542日(木)

 

 

若手の論客 白井聡氏の出世作である。多くの知識人から高く評価されている。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1> 
◆まず、事故発生に際し、政府は原発周辺住民の避難に全力を尽くさなかった。それを最も端的に物語る経緯は、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(スピーディー)のデータが、国民に公表されなかったという事実である。しかもそのデータは、国民には隠される一方で、米軍にはしっかり提供されている。 ....この件について責任を取らされた人間は誰もいない。

◆鳩山首相の退陣劇を通して、露呈したのは、この国においては、選挙による国民の支持を大部分取り付けている首相であっても、「国民の要望」と「米国の要望」のどちらかを取り、どちらかを捨てなければならない二者択一を迫られた場合、後者を取らざるを得ない、という客観的な構造にほかならない。「首相の政治手法云々」という話題はこの客観的構造を見ないための格好の手段として機能した。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
201541日(水)

 

 

<その21> 
◆戦後世界において、巨大な帝国に占領され、主権を失った国が、主権を回復するための「唯一無二のセオリー」は憲法を自分たちの手で書き、それにもとづき、占領軍を撤退させることです。

◆1970年代のドイツにとって、もっとも重要な課題は、ソ連からの信頼を得ることでした。2010年代の日本にとって、もっとも重要な課題が中国と韓国からの信頼、そしてアメリカの軍部ではなく、国務省からの信頼であることは、言うまでもありません。それが主権国家として真に独立するための唯一の道なのです。それなのに「過去の記憶」をみずから喪失した安保村の面々は、現在、真逆のことばかりやろうとしているのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
2015331日(火)

 

 

<その20> 
◆天皇の顧問、寺崎英成氏は、アメリカが沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると明言した。

◆昭和天皇や近衛のような大貴族だけでなく、天皇の側近など、日本の「支配層」の人びとの多くが、共産主義革命が起きたら、自分たちは首をはねられると本気で思っていたのです。そうした共産主義への恐怖が安保村の誕生当初から存在していた。

◆なにより重要なのは、そのとき同時に、今後は国内に外国軍基地をおかないこと。つまり米軍を撤退させることを必ず憲法に明記し、過去の米軍関係の密約をすべて無効にすることです。なぜなら、これもほとんど知られていないことですが、日本国内で有事、つまり戦争状態になったとアメリカが判断した瞬間、自衛隊は在日米軍の指揮下に入ることが密約で合意されているからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
2015330日(月)

 

 

<その19> 
◆したがって、敗戦だけなら天皇制の維持について、それほど心配する必要はないと考えています。心配すべきは、敗戦よりも、それにともなって起こる共産革命です。(近衛文麿)

◆革命の成功は、彼らにとってダイレクトに生命の危機を意味していました。戦前、最終的に最高刑が死刑まで引き上げられた治安維持法も根底にあったのは、そうした共産主義革命への恐怖だったのです。
現実に、ソ連は革命の成功後、1918年7月にロシア皇帝ニコライ2世(その家族全員)を処刑したという事実があります。共産主義革命が起きた国では、国王や側近たちは、その地位を追われるだけでなく、首をはねられてしまう。そのことへの肉体的恐怖がこの近衛発言の背景にはあったのでしょう。
 このとき「もう一度、戦火をあげてからでないと、なかなか話はむずかしい」と言って、近衛の意見にしたがわなかった昭和天皇ですが、最終的に8月になって降伏を決断するとき、決め手になったのは、8月6日の広島への原爆投下ではなく、やはり8月9日のソ連参戦でした。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
2015327日(金)

 

 

<その18> 
◆70年つづいた「戦後日本」という国家は、遠からず終焉を迎えます。考えてみてください。首相になった人間が、必ず、公約と正反対のことをする、すべて社会保障にあてますと約束して増税し、大企業減税を行う。お金がもったいないから、子供どもの被爆に見て見ぬふりをする。人類史上最悪の原発事故の責任をだれもとらず、なんの反省もせず、再稼働しようとする。首相の独断で憲法の解釈を変える。そんな国がこれ以上つづいていくはずがありません。日本政府は、いま、世界でも有数と言われる自国の美しい海岸に自分たちの税金で、巨大な外国軍基地を建設しようとしているのです。日本人が少し立ち止まって、そのおかしさに気づきさえすれば、状況が大きく変化するはずです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
2015326日(木)

 

 

<その17>  
◆それにひきかえ日本は、ドイツのように周辺諸国に真摯に謝罪し、「過去の克服」をおこなうのではなく、戦後まもなく成立した冷戦構造のなか、米軍基地の提供とひきかえ、外交と安全保障をすべてアメリカに任せっきりにして、国際社会への復帰を果たしました。講和条約に通常書かれるはずの敗戦国としての戦争責任も明記されず、賠償金の支払いも基本的に免除されました。そして、過去に侵略を行った韓国や中国などの周辺諸国に対しては、贖罪意識よりも経済先進国としての優越感を前面に出すようになり、戦後70年のあいだ、本当の意味での信頼関係を築くことがついにできませんでした。
 その結果、日本は世界でただ一国だけ国連における「敵国」という国際法上最下層の地位にとどまっているのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
2015325日(水)

 

 

<その16> 
◆米軍機は日本全土で低空飛行訓練をすることで、いつでも日本中の原発を爆撃できるオプションをもっている。

◆ドイツのシュミット首相は、日本の外交問題について意見を求められるたびに、「日本は周囲に友人がいない。東アジアに仲のいい国がない。それが問題です。」と礼儀正しく、しかし、はっきりと助言してくれていました。

◆1990年に結んだ「2プラス4条約」にもとづき米英仏ソの駐留軍はすべて1994年までにドイツから完全撤退していきました。現在のドイツに残っている米軍は、基本的にNATO軍としての制約のもとに駐留しており、そのドイツ国内での行動にはドイツ国内法が適用されています。
 こうして日本と同じ第2次大戦の敗戦国だったドイツは長く苦しい、しかし、戦略的な外交努力の末、戦後49年目にして、ついに本当の意味での独立を回復することができたのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
2015324日(火)

 

 

<その15> 
◆もともと、日米安保条約とは、「日本という国」の平和と安全のためではなく、「日本という地域」の平和と安全のために結ばれたものであり、「だから、米軍は日本の国境を越えて自由に行動する」。その地域内でもっとも「攻撃的な脅威」となる可能性が高いと想定されていたのは、なんと当の日本国だったということです。

◆「もし、われわれが、日本から基地を撤退させるとなると、原子力の平和利用計画によって、日本は十分なプルトニウムを保有していますから、非常に簡単に兵器をつくることができます。ですから、われわれの撤退にとってかわるのは、決して望ましくない日本の核計画なのであり、われわれはそれに反対なのであります。」(周恩来に対するキッシンジャーの発言)


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
2015323日(月)

 

 

<その14> 
◆「内容がよかったから、それでいいじゃないか」そういう議論は憲法に関しては完全なまちがいです。近代憲法とは、いくら内容が良くても権力者からあたえられるものではないからです。

◆「日本国憲法の真実」を極限まで簡略化すると、
@占領軍が密室で書いて受け入れを強要した。
Aその内容の多く(とくに人権条項)は日本人にはとても書けない良いものだった。
ということになります。
これまでAの内容を高く評価し、そのため、@の歴史的事実を全否定してきたのが、いわゆる左派の人たちです。
 一方、@の事実を強調することで、Aの内容を全否定し変更しようとする。国民に人権を与えすぎているのが気に食わないから後退させようというのが右派です。

◆日本では、「国際連合(国連)」と「連合国」をちがう言葉で訳している。これは私が知る限り、世界で日本と韓国だけです。
そもそも国連の本質は、「第2次大戦の戦勝国連合」であり、冷戦下においてもその枠組みは維持された。その中で中国は、拒否権を持つ「安全保障理事会・常任理事国」という特権的地位にある。
一方、そうした戦後の国際秩序(国際法)のなかでは、日本は現在も「敵国」という最下層国に位置づけられたままだということ、これは日本以外の国では周知の事実です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
2015320日(金)

 

 

<その13> 
◆ドイツ政治指導者や知識人はすぐれていた。まず、占領中は、いくら言われても絶対に正式な憲法をつくらず、1949年5月の独立時に、各州の代表からなる議会代表会議によって基本法という形で「暫定憲法」を定め、そのなかに「この基本法はドイツ国民が、自由な決定により議決した憲法が施行される日にその効力を失う」という条文を入れています。
「もし国土の一部でも占領されていたら、その間は、絶対に憲法に手をふれてはならない」これが世界標準の憲法に関する常識なのです。

◆占領軍が被占領国の憲法草案を執筆し、それを被占領国自身が作成したことにした。それは、西側諸国では他にほとんど類例のない、きわめて異常な出来事である。

◆GHQの憲法草案の良い点をできるだけ活かしながら、独立時に一度自分たちでつくっておけば、少なくとも現在のような、70年近く1文字も変更せず、そのあげくに立憲主義を否定する、まるで18世紀に戻ったような改正案をかかげた与党が選挙で圧勝するという信じられない状況は避けられたはずです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
2015319日(木)

 

 

<その12>
◆たとえば、戦争中、大規模な空襲を受けた東京で、皇居の大部分が無傷のまま残されたのは、「そうした皇居への攻撃は、大多数の日本国民が天皇個人にいだいている忠誠心を傷つけ、日本国民の戦争続行の意志を高める結果となるだろう。」という考えが優勢だったからでした。

◆「主権平等の原則」は、国連憲章でアメリカ自身が示した戦後世界の大原則でした。ですから、一度憲法に書きこんでしまえば、いくら超大国でもどうすることもできない。憲法は力の弱い国が強い国に立ち向かうための最大の武器なのです。

◆フィリピンは、憲法改正で1992年に米軍を完全撤退させています。フィリピンと言う国は、戦前はアメリカの本当の植民地で、だから独立した後も、沖縄などとくらべものにならないほど、巨大な米軍基地がいくつもありました。
ところが、そのフィリピンがマルコス政権が倒れて、民衆革命的な政権交代があった翌年の1987年に、今後、新たな条約を結ばない限り、フィリピンは国内に「外国の軍事基地、軍隊、施設」は置きませんという憲法をつくったわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
2015318日(水)

 

 

<その11>
◆そもそも昭和天皇自身が、自分に戦争責任があることは一番よくわかっていて、敗戦後、何度も退位して責任をとろうとしています。昭和天皇の側近や皇族、外務省の幹部のなかにも、退位すべきだという人たちが数多くいました。しかし、結局、マッカーサーが退位させなかったわけです。それは昭和天皇を使って戦後日本をコントロールしようという、有力なシナリオが早くから存在し、その路線が占領政策のなかで最終的に勝利をおさめたからでした。

◆いまでは広く知られるようになっていますが、日本国憲法の草案も最初は英語で書かれていました。さらにこれは、いまでも知らない人が多いのですが、敗戦翌年の1946年1月1日、昭和天皇が人間宣言を出します。これも最初は英文で書かれていました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
2015317日(火)

 

 

<その10> 
◆そうした日米安保中心の国づくり、もっとはっきり言えば、軍事・外交面での徹底した対米従属路線をつくったのが、実は、昭和天皇とその側近グループでした。それがアメリカ側の公開資料でわかっている。「沖縄の軍事基地化」と「日本全土での基地の提供」、これは、実はふたつとも、昭和天皇を中心とする日本支配層がみずからアメリカ側に提案したものなのです。

◆昭和天皇が戦争責任を問われないということは、絶対にありえないはずでした。責任の大小ということはあっても、まったく問わないということはありえない。米英に対する宣戦布告書を自分の名前で、出しているのですから、実質的な権限がなかったとか、自分は本当は戦争したくなかったなどということは通らない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
2015316日(月)

 

 

<その9> 
◆なにしろ、軍事的には今でも占領期と同じ。CIAの工作員は何人でもフリーパスで入国することができる。独立後初めての最高裁長官は、アメリカ大使と相談しながら、日本人の人権を永久に侵害するような判決を書いていた。アメリカ政府と結んだ原子力協定は、たとえ、日本政府が破棄しても、その効力は変わらずつづくようになっている。
これらすべて、アメリカ側の公文書によって証明されている。それなのに日本では、だれも問題にしない。

◆日米安保村とは、「日米安保推進派」の利益共同体のことです。その基本構造は原子力村とまったく同じで、財界や官僚、学会やマスメディアが一体となって、安保推進派にとって、都合のいい情報だけを広め、反対派の意見は弾圧する言論カルテルとして機能しています。
ちがうのはその規模です。原子力村の経済規模が年間2兆円とすれば、安保村の経済規模はなんと年間530兆円、つまり日本のGDPのすべてといってもいい。なぜなら、占領が終わって新たに独立を回復したとき、日本は日米安保体制を中心に国をつくった。安保村とは、戦後の日本社会そのものだったからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
2015313日(金)

 

 

<その8> 
◆鳩山さんには、国民の圧倒的な支持があり、一方、野田さんが首相になるなどと思っていた人は、だれひとりいなかった。それでも野田政権は鳩山政権の倍近くつづいた。米軍関係者からの評価が非常に高かったからです。

◆その後、調べると、日米原子力協定という日米間の協定があって、それが日米地位協定とそっくりな法的構造をもっていることがわかりました。つまり、「廃炉」とか「脱原発」とか「卒原発」とか、日本の政治家がいくら言ったって、米軍基地の問題と同じで、日本側だけではなにも決められないようになっているのです。 条文をくわしく分析した専門家に言わせると、アメリカ側の了承なしに、日本側だけで決めていいのは、電気料金だけだそうです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
2015312日(木)

 

 

<その7> 
◆そもそも、現在、沖縄にある基地は、すべて米軍によって強制的に奪われた土地につくられたものです。しかし、もし今回、辺野古での基地建設を認めてしまったら、それは沖縄の歴史上初めて県民が米軍基地の存在を容認するということになってしまう。それだけは絶対にできないということで、粘り強い抵抗運動が起きているのです。

◆外国軍が駐留している国は、独立国ではないという事実です。だからみんな必死になって外国軍を追い出そうとします。フィリピンは、憲法改正によって、1992年に米軍を完全撤退させました。
イラクもそうです。あれほどボロ負けしたイラク戦争から、わずか8年で米軍を完全撤退させています。(2006年)
また孫崎享さんに言わせると、実はベトナムもそうなんだと。ベトナム戦争というのは視点を変えてみると、ベトナム自国から米軍を追い出すための壮大な戦いだったというわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
2015311日(水)

 

 

<その6> 
◆事実、原発関連の裁判の行方は、沖縄の基地被害の裁判をみると予測できるのです。住民の健康にあきらかな被害をおよぼす米軍機の飛行について、最高裁は住民の健康被害を認定したうえで、「飛行の差し止めを求めることはできない。」というとんでもない判決を書いています。福島の裁判でもそれと同じような事態が起こることが予想されました。

◆1960年以降、日米地位協定はひと文字も改定されていませんから、先の秘密報告書(1957年)とこの密約文書(1960年)をふたつ並べただけで、現在の日本において、米軍が基地の使用について占領期とほぼ同じ法的権利を持っていることが論理的に証明されるのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
2015310日(火)

 

 

<その5> 
◆福島で原発災害にあった人たちの思いが、戦後70年にわたり沖縄で基地被害に苦しみ続けてきた人たちの思いと、ぴたりと重なりあった瞬間でした。

◆おそらく普通の国なら半年もたたないうちに大訴訟団が結成され、空前の損害賠償請求が東京電力に対して行われたはずです。しかし、日本ではそうならなかった。ほとんどの人が国のつくった調停機関を通じて事実上の和解をし、東京電力側の言い値で賠償を受けるという道を選択したのです。それは今の日本社会では、いくら訴訟をして「お上にたてついて」も、最高裁まで行ったら、必ず負けるという現実をみんなよく分かっているからでしょう


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
201539日(月)

 

 

<その4>
◆この日米合同委員会のメンバーが、その後、どうなっているのかを調べてみると、みなその後、めざましく出世している。特に顕著なのが、法務省で省のトップである事務次官のなかに、日米合同委員会の元メンバーが占める割合は、過去17人中12人。そのうち9人は、さらに次官より格上とされる検事総長になっているのです。

◆福島原発の大惨の加害者は罰せられないのか。警察はなぜ、東京電力へ捜査に入らないのか、安全対策に不備があったかどうか、なぜ、検証しないのか。家や田畑を失った被害者になぜ正当な補償がおこなわれないのか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
201536日(金)

 

 

<その3> 
◆「最高裁判所は、一切の法律、命令規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」(憲法81条)。これ以上明快な条文もないでしょう。この条文を読めば、もっとも重要な問題について絶対に憲法判断しない現在の最高裁そのものが、日本国憲法に完全に違反した存在であることが、誰の眼にもあきらかだと思います。

◆安保条約の条文は全部で10カ条しかありませんが、その下には在日米軍の法的な特権について定めた日米地位協定がある。さらにその日米地位協定にもとづき、在日米軍を具体的にどう運用するかをめぐって、日本の官僚と米軍は60年以上にわたって毎月会議をしているわけです。
それが「日米合同委員会」という名の組織なのですが、外務省北米局長を代表とする、日本のさまざまな省庁から選ばれたエリート官僚たちと、在日米軍のトップたちが、毎月2回会議をしている。そこでの合意事項、つまり取り決めは、原則として公表されないことになっている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
201535日(木)

 

 

<その2> 
◆2006年のアメリカ国務省自身が認めているように、自民党は1955年の結党当初からCIAによる巨額の資金援助を受けていた。

◆鳩山政権が崩壊するまで私たちは日本人は、あくまで民主主義の枠組みのなかで、みずから自民党と自民党的な政策を選んできたのだと思っていました。

◆その象徴が冒頭からお話してきた米軍基地の問題です。いくら日本人の人権が侵害されるような状況があっても、指一本ふれることはできない。自民党時代には隠されていた真実が、鳩山政権の誕生と崩壊によって、初めてあきらかになったわけです。

◆沖縄の地上は18%、上空は100%、米軍に支配されている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 矢部宏治 「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」 (集英社インターナショナル)
201534日(水)

 

 

なかなか読み応えのある本である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介することとしたい。

<その1> 
◆米軍の飛行機は、日本の上空をどんな高さで飛んでもいいことになっています。もちろん、沖縄以外の土地でそれほどあからさまに住宅地を低空飛行したりはしませんが、やろうと思えばどんな飛び方もできる。そういう法的権利をもっているのです。

◆重要なのは、「戦後初めて本格的な政権交代をなしとげた首相がだれが見ても危険な外国軍基地をたったひとつ、県外または国外へ動かそうとしたら、大騒ぎになって失脚してしまった」という事実です。つらい現実ですが、ここをはっきり見ないといけない。しかも鳩山さんの証言にあるように、そのとき、外務官僚、防衛官僚たちが真正面かつ堂々と反旗をひるがえした。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也 「アは愛の国のア」(潮出版社)
201533日(火)

 

 

<その16>
◆(森)でも歴史を見れば、戦争のきっかけの多くが高揚した抑止力であることは明らかだ。なぜなら、抑止力の前提には仮想敵国がある。緊張は当然ながら高まる。互いに抑止力を理由にしながら軍備を増強する。行き着く先は明らかだ。

◆(森)イラクは今、国家崩壊の危機にある。その状態に陥ったそもそもの責任は、武力侵攻してフセイン政権を崩壊させたブッシュ政権にある。このとき、ロシアや中国、フランスやドイツなどの多くの国は、大量破壊兵器の存在を理由に先制的自衛を主張するアメリカに激しく反対した。
でもアメリカは侵攻した。自分たちを支持する国があったからだ。特に強く賛同を示したのは、イギリス、オーストラリア、そして日本の小泉政権だ。アメリカやイギリスは自分たちの過ちの検証を進めている。
でも、この国では検証も反省も何も為されていない。
アメリカを支持することは、日本の国益であると訴えてイラク侵攻を支持した識者や大学教授が、今は安保法制懇の主要メンバーとなって集団的自衛権の必要性を主張している。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也 「アは愛の国のア」(潮出版社)
201532日(月)

 

 

<その15> 
◆(森)ネットに愛国的なフレーズを書き込んでいる彼らが、日本民族や国体や共産主義について真剣に考えているとは、僕には思えない。きっと、あなただって思えないはずだ。つまり、今のこの国の雰囲気は、「擬似右傾化」であり、「擬似保守化」なのだ。実際に国粋主義で国体護持を唱えて、反共政策を訴えてきた「右翼」は、近年は、特に勢力を増していない。むしろ、弱体化している。

◆(森)主語が変われば、述語も変わる。要するに、威勢がよくなる。「成敗せよ。」とか、「許すな」とか、「やっつけろ」とか、1人では言えないことも口にできるようになる。多くの人が一緒に唱和するから、自然に声が大きくなる。でもそれに、政治的なイデオロギーはほとんどない。あるのは大勢で同調したいとの衝動だけだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也 「アは愛の国のア」(潮出版社)
2015227日(金)

 

 

<その14> 
◆(森)キリスト教にしても、イスラームにしても、仏教にしてもはじめはカルトですよ。既存の価値を否定するところから始まっている。イエスと弟子たちは、ユダヤ教社会の中の異端として、排除され、イエスは処刑されました。ブッダも最初はそうですね。バラモンの階層からはテロリストのように見られたはずです。そのように世の批判にさらされて、セミパブリックになることで生き残る。

◆(森)実は同じような事例は、この時期にいくつかの地域でありました。でも絶対にメディアは報じない。オウムに理解を示す住民がいるなどと報道すれば、視聴者や読者から強烈な抗議が来るからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也 「アは愛の国のア」(潮出版社)
2015226日(木)

 

 

<その13> 
◆(森)表面を剥がすことができるのは平らな土地だけです。山や森林地帯は除染できません。雨が降って高台から水が流れてくれば、土は再び汚染されます。なんの意味もない。なんのためにやっているのですかと地元の人に訊いたら、ゼネコンのためにやっているんだろうって、力なく笑っていました。政府の今のプランでは、除染作業のための費用総額は5兆円以上になるとの試算も出ています。

◆(森)福島第一原発の事故が起きるまで、日本の原発の数は54基でした。世界第3位です。1位のアメリカは国土が圧倒的に広い。2位のフランスは地震がほとんどない。こんなに国土が小さくて、地震の多い国で、なぜこれほどに原発を作ってしまったのか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也 「アは愛の国のア」(潮出版社)
2015225日(水)

 

 

<その12> 
◆(森)交通事故では、この国だけで毎日20人近い人が亡くなっている。でも自動車をなくせとは誰も言わない。それによって、年間6,000人もの命が確実に助かるのに。命は何よりも尊いと言いながら、これまた、明確な矛盾です。

◆(森)人とは生きもので唯一、自分が死ぬことを知ってしまった。これは大きな矛盾であり、恐怖です。

◆(森)実感したのは、除染の無意味さです。浪江町や飯館村では、トンパックと呼ばれる袋に入れられて、積み重ねられた多くの除染土を見ました。いたるところで重機が土の表面を削っている。単価8,000円の袋の耐久期間は3年だそうです。つまり、3年後には袋が破れる可能性がある。でも汚染土を運ぶ場所はない。その場に積み重ねるだけです。すでにかなり破れ始めているとの報道もありました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也 「アは愛の国のア」(潮出版社)
2015224日(火)

 

 

<その11> 
◆(森)もちろん、本人にも非はある。犯した過ちの責任はとらなくてはならない。でも存在を潰さねばならないほどの悪人はいない。これまで多くの、いわゆる悪人と称される人や死刑囚に会ってきたけれど、その実感は強いです。
最近の判決文ではよく「更正の余地はない」などと裁判官が断言するけれど、なぜそんなことがあなたにわかるんだと言いたくなる。人は絶対に変わります。

◆(森)いずれにせよ、犯罪防止や社会防衛の観点だけなら、僕は死刑制度をあっさりと否定できます。論理ですから。でも存置を訴える人たちの多くは、やはり被害者や遺族の心情が理由なのだろうと思います。 ましてや遺族が犯人を殺したいほどに憎むことは当たり前です。それについて社会でどのように答えるべきか、それが大きなテーマです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也 「アは愛の国のア」(潮出版社)
2015223日(月)

 

 

<その10>  
◆(森)世界的に死刑執行は減ってきている。その中で例外的に増えているのが日本です。ただし、裁判員制度がスタートして以降は、死刑判決は減少したとのデータもあります。これは裁判員制度のよい意味での副作用といえるかもしれない。

◆(森)日本は明治6年以来、ずっと絞首刑のまま変わっていない。でもアメリカは絞首刑から電気椅子、電気椅子から薬物注射へと変わりました。いかに苦痛を与えずに絶命させることができるかと考えるからです。

◆(森)無期刑はいずれ仮釈放で出所するという人がよくいるけれど、それは現実的にはほぼありません。たしかに最短で10年を経過すれば、仮釈放を認めることができる規定にはなっているけれど、実際に仮釈放を認められる人は1パーセントもいません。ほとんど終身刑と同じといってもいいと思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也 「アは愛の国のア」(潮出版社)
2015220日(金)

 

 

<その9>  
◆(森)戦争のほとんどは自衛の意識から始まります。彼らにはその視点が決定的にない。自衛は正しいとの前提があるからこそ、軍需産業やその支援が時として優先してしまう。彼らの中では矛盾はないのです。兵器を持つことは、防衛を意味しているから平和に繋がっている。でも現実は逆です。自衛や防衛が大義となったとき、人はとても優しいままで、戦慄するほどに残虐なことができます。つまり、戦争が起こってしまう。人類はその歴史を何度も繰り返しています。

◆(森)今のイスラエル・パレスチナ問題を考えるとき、まず無慈悲なほどに非対称な戦争であることは大前提です。イスラエル国防軍の軍事力は世界有数です。対するハマスのロケット弾は手製です。まったく勝負にならない。イスラエルの100倍以上いるパレスチナの死者は、ほとんどが市民です。イスラエルの虐殺と言ってもよい。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也 「アは愛の国のア」(潮出版社)
2015219日(木)

 

 

<その8>  
◆(森)安倍政権が暴走している。それは確かです。ところが単独で走っているのではなく、国民の多くが併走している。いわば群れの暴走です。そのときに群れの中にいる人たちは、自分たちが暴走しているとは気づかない。周りも一緒に走っているわけですから。

◆(森)ベトナム戦争にアメリカが介入したときの建て前として使われたのが、集団的自衛権です。朝鮮戦争もそうですね。友好国を社会主義の脅威から守るとの論理です。

◆(森)ドイツのメモリアル・デーは戦争が始まった日で、さらにホロコーストという加虐の記憶です。そして、日本のメモリアル・デーは戦争が終わった日で、広島・長崎など被虐の記憶。見事な好対照です。どちらを記憶すべきなのか、どちらを起点に考えるべきなのか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也 「アは愛の国のア」(潮出版社)
2015218日(水)

 

 

<その7>  
◆(森)たしかに押しつけられた要素は強い。でも数年後に押しつけたアメリカのほうが「やっぱりあれはなし」と言ってきている。日本はそれを拒絶した。つまり、自らの血肉にしていた。

◆(森)最近の流れでは、憲法改正はさすがに難しいと感じた安倍政権は、集団的自衛権の解釈問題へとスライドした。解釈は重要です。寛容を説くコーランを手にしながら、なぜイスラム原理主義者はテロに走るのか。聖書には「汝の敵を愛せよ」と書かれているのに、なぜキリスト教徒は多くの人を迫害してきたのか、解釈が正しくないからです。

◆(森)過剰な自衛意識が結局は人を殺す。ならばどうすべきか。銃を持たなければいい。これが九条です。でも結果的には日本は銃を持ってしまった。ただし、家の中にしか置かない。外には持ち歩かない。これが最後の一線です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也 「アは愛の国のア」(潮出版社)
2015217日(火)

 

 

<その6> 
◆(森)合衆国憲法修正第2条は、人々が武器を保有する権利を認めています。自衛の意識がとても強い。だからこそ多くの人が銃を手にする。マイケル・ムーアは、この理由を、アメリカ人は先住民や黒人を多く殺してきた歴史があるからこそ他者が怖いのだと、映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』で主張しました。つまり、勇敢なのではない、臆病なのだと。

◆(森)「銃を持った悪人を止められるのは、銃を持った善人だけ」のロジックは、実は世界のスタンダードでもあるんです。それは軍隊保持の論理です。

◆(森)日本は平和のお題目を唱えてきただけではない。軍隊を持たず、自衛権さえ放棄しようとした。それを憲法に明記した。革新的な宣言です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也 「アは愛の国のア」(潮出版社)
2015216日(月)

 

 

<その5> 
◆今のヨーロッパでナチスの蛮行を理由に、ドイツに「謝れ」と言い続ける国は存在しません。ホロコースト被害の当事国であるイスラエルですら言わない。その違いは何か。ドイツの戦後体制のすべてを肯定するつもりはないけれど、日本が学ぶべきことは少なくない。

◆(森)新聞社もテレビ局も出版社も営利企業です。つまり組織。でもジャーナリストの骨格は個人です。日本の社会は個人が機能しづらい。個よりも組織の論理が優先されやすい。だからこそ、ジャーナリズムが弱い。

◆(森)乱射事件が起きる大きな要因は、銃規制に反対する全米ライフル協会の存在です。多くの国民も彼らを支持している。コネチカット州の銃乱射事件のあと、全米ライフル協会の副会長が「銃を持った悪人を止められるのは、銃を持った善人だけだ」と発言しました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也 「アは愛の国のア」(潮出版社)
2015213日(金)

 

 

<その4> 
◆(森)長く犬猿の仲と言われてきたドイツとフランスは、2006年に「共通歴史教科書」を刊行しました。不倶戴天の間柄だった国が、一緒の教科書を使って子供たちに教えようとしている。
あるいは、ドイツの国境近くにあるフランスのストラスブールでは、独仏合同のテレビ局であるARTE(欧州テレビ協会)が、1991年に設立されています。二つの言語のニュース以外にも、それぞれの視点から見た歴史番組などが放送されているそうです。

◆(森)「自分たちはいつまで謝り続けるのか」との質問に対しては、謝り「続ける」必要はないと答えます。すべきことは、「謝る」ことではなく、自分たちに非があったという意識、記憶、そして姿勢を継続することです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也 「アは愛の国のア」(潮出版社)
2015212日(木)

 

 

<その3> 
◆(森)たしかに、日本は「過去の戦争であなたたちの国に多大な被害を与えました。」と口にしながら、何度となく謝ってきた。でも実際にどのような被害を与えたかについて忘れながら謝られても、心から納得できないことは当たり前だと思いませんか。

◆(森)「ヘイトスピーチ」で問題になった「在特会」の出現は、第一次安倍内閣の時代です。

◆(森)敗戦までの悲劇の記憶があまりに大きすぎて、「私たちは被害者である」という意識のほうが、肥大化したのかもしれませんね。被害者であると同時に加害者であったことは、いつのまにか忘れ去られてしまった。

   


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也 「アは愛の国のア」(潮出版社)
2015210日(火)

 

 

<その2>  
◆(森)最近の韓国や中国では、掲示板に書き込むときは本名を書こうというルールができつつあるらしいです。匿名ではあまりに下劣な書き込みが増えるとの理由だからでしょう。そうなると、現状においては、日本は匿名掲示板と世界一相性がいい国ということになります。

◆(森)本の読み方ひとつ取っても、本来はそこに書かれていないことを読み取る、つまり、「行間」をいかに読むかを教えるべきだと僕も思います。インテリジェンスの語源は、「行間を読み取る」です。

◆(森)アメリカがベトナム戦争に介入したときの大義は、「共産主義は隣国に限りなく感染する」というドミノ理論です。これも広義の謀略論でしょう。ナチスだって「ユダヤが世界を滅ぼす」との謀略歴史観に囚われたからこそ、ホロコーストにまでエスカレートした。決して笑い話では済まなくなる。虐待や戦争の大きな要因です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 森達也 「アは愛の国のア」(潮出版社)
201529日(月)

 

 

著者の森氏と若者たちとの討論本である。内容としてはかなり面白く出来ている。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。 

<その1> 
◆(森)最もネットに力を入れている新聞社は産経新聞です。マイクロソフトと提携してサイトを立ち上げています。朝日も読売も、会員登録しないと全部は読めない仕組みになっているけれど、産経はオールフリー。だからネット住民は、産経の記事や論調を目にする機会が多くなる。

◆(森)右翼は情緒で左翼は論理。少し荒っぽいけれど、そんな二分があります。ある意味でそうかもしれない。特にひと昔前の左翼はマルクス・レーニン主義やトロツキズム、毛沢東などの思想を勉強しなければならないし、右翼は任侠や神道に近かったわけですから。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
2015127日(火)

 

 

<その18> 
◆(鈴木)かつては、政治を語る言葉に夢がありました。非武装中立、有事駐留、棚上げとか言うことができました。いまはみんな威勢のいいことだけ言って立ち止まって考えたりここは引こうという考え方は、卑怯だと思われるらしいですね。

◆(鈴木)国を愛そうが愛すまいが、そこに住んでいる人間を守るのが国家というものです。まだ全共闘時代のほうが、愛国者でなくても自由にものが言えました。愛国心なんてものがあるから、戦争が起きるとか、堂々と言えました。

◆(鈴木)2020年の東京オリンピックが決まりました。日本は、1940年に開催予定だった東京オリンピックを戦争に向かう非常事態ということで返上した過去があります。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
2015126日(月)

 

 

<その17> 
◆(孫崎)安倍政権は日本の防衛力を高めるといいます。しかし、日本が防衛力を上げたら、必ず中国も対抗して防衛力を増強します。そのときのバランスがどうなるか?安倍政権とそれを取り巻く人たちは、まったく考えていないでしょう。

◆(孫崎)中国に対する視点として、いくつかのポイントがあります。すでに言いましたが、2010年に中国の工業生産高はアメリカを追い抜きました。これを知っている日本人はほとんどいません。世界を見るうえで、それは基本的なデータなのですけれどね。経済的に数字をはじけば、アメリカが2%の経済成長、中国が7%の経済成長で、2018年には中国がGDPで上に行くと予想されています。

◆(鈴木)中国・韓国に対するテロに等しい週刊誌の言論が売れて、国民が読んで気分がすっきりしたかと思っているというのは、なんか浅ましい国民ですね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
2015123日(金)

 

 

<その16> 
◆(孫崎)特定秘密保護法は、自分たちの失敗を隠すため、自分たちのやっている政策に正当性がないことを隠すための法律なのです。

◆(孫崎)いま習近平とのパイプのある人はいません。習近平とのパイプは、本来的に言えば、小沢一郎さんが持っていたけれど、小沢さんを潰すことで、それを切ってしまいました。いま習近平と対等に話せる政治家はいないでしょう。

◆(孫崎)われわれが見落としている大きなポイントは、アメリカ社会における中国系と韓国系のコミュニティの勢力が強くなっていることです。それぞれが完全に政治勢力をつくっているから、無視できないのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
2015122日(木)

 

 

<その15> 
◆(孫崎)第2次世界大戦後、核兵器を持てる可能性が広がったことで、先進国の戦略は大きく変わっています。核兵器を持ったがゆえに、いかに戦争をしないかという点に、戦略の重点は移っています。結局、自分の戦略、自分の兵器体系、自分の兵力、これを全部、相手に知らせることによって、相手が奇襲攻撃を受けないことを確信して、こちらも攻撃しない関係をつくる方向で動いてきたのです。

◆(孫崎)中国の力が増してくれば、増してくるほど、対話をして、自分たちの秘密を相手に全部知らせることによって、アメリカと中国の間は、戦争を避けようとしています。そういう意味で、相手の軍事力が強くなってきたときに、秘密を守って国を守るという発想は実は大きな流れから離れているのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
2015121日(水)

 

 

<その14> 
◆(孫崎)表向きは国際的な問題、外交とか安全保障、防衛の情報を守るためということになっていますが、特定秘密保護法をつくるために動いたのは警察権力です。素案をつくった内閣調査室は公安警察そのものです。この点を考えると、思想統制を目的とした治安維持法に大変、似た性格を持ってもおかしくないだろうと思います。

◆(鈴木)石破さんのように政府の中枢にいる人が、市民の平和的なデモや集会をテロリスト呼ばわりしたら、少し前までなら罷免されるのが当然だと思われていました。ところが、自分たちは選挙で選ばれた人間で、多数が決めたものに対して批判するとは何事だと居直れるのがいまの日本の状況です。そうなると、議会制を信奉していると言うより、政治家だけが偉いのであって、市民運動や国民の権利を一切認めないということになります。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
2015120日(火)

 

 

<その13> 
◆(孫崎)日本くらい知的水準の低い人たちがリーダーになっている国はありません。もちろん政治はすべて知的水準だけで決まるワケではないけれど、やはり、知的水準が欠けていたら、ダメな部分があります。ここで言う「知的水準」というのは、国際的な視点があるとか、長期的計画性があるとか、さまざまな意味のことですが、日本ではその知的水準の低い人間が一番上のポストにいて、国をしっかり運営できていない状況にあります。

◆(鈴木)1923年に起きた関東大震災の2年後に治安維持法ができて、まるで相似形を成すように、東日本大震災の2年後に特定秘密保護法ができました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
2015119日(月)

 

 

<その12> 
◆(孫崎)日本の場合(アメリカと違って)首相になる道は自民党という一つの小さな団体の中で階段を上って偉くなるということです。異なる価値観の中で、政治家として揉まれるのではない。ほとんどの日本の政治家は「私はこのポストのために、どのようなことをしてきたか」を自慢することはできるけれど、「私はこの思想のために、こういう考えを実現するためにやってきた」と言えない。これでは海外に行ったらほとんど通用しない。

◆(孫崎)安倍さんの政策は、政権発足当時からアメリカにかなり危険視されていた。戦前に戻るような体質を持っているのではないかという懸念がさまざまなところに出てきています。例えば、歴代の首相の中で、アメリカ大統領と対話ができた時間が、一番短いということにも、それは端的に表れています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
2015116日(金)

 

 

<その11> 
◆(孫崎)主要銀行14行で11.2兆円も電力会社に貸しているでしょう。原発を廃止したら、潰れるのは電力会社だけだと思っていたのが、実は銀行も潰れるということになって、引くに引けないというのが、実態でしょう。

◆(孫崎)一つの文献や古典を読んだとか読まないとかは、それだけではあまり意味をなしません。本を読んで、それから何を吸収できるかです。吸収できない人間に読ませてもあまり意味がない。読書は重要です。しかし、自分に情報を摂取する条件が整ったときに吸収できるのであって、ただ本を読んでも、そこから人生訓を得るというのは、たぶん、とても難しいんじゃないでしょうか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
2015115日(木)

 

 

<その10> 
◆(孫崎)交渉というのは、戦争を止めるだけでなく、戦争を始める口実にも利用されます。「交渉が決裂した。われわれがこんなに努力したのに、相手がのってこなかった」と言えます。

◆(孫崎)日独伊三国同盟を締結していなければ、チャーチルに戦争へ誘導されることもなかったでしょう。ここで取り返しのつかない間違いをやったのが外務大臣の松岡洋右です。日本はアメリカが20世紀に入って大きな力をもってきたことをきちんと評価できていませんでした。アメリカは1910年代に独英の工業力を抜いて、経済的にはナンバー1の力をつけていたのです。

◆(孫崎)戦争にも、外交にも、つねに謀略があります。アメリカを出すまでもなく、孫子の兵法の一番は敵の謀略を破ることだと言っています。国家と国家の対立は基本的に謀略的なものが一番の中枢を成すという認識が日本人にはありません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
2015114日(水)

 

 

<その9> 
◆(孫崎)「アメリカという国は、民主主義国家だから数年間もの戦争をやり続けることはできない」と、日本は太平洋戦争を始めるときには考えていました。民主主義ならば、国家のために戦い続ける国民はいないというのです。だから、アメリカはあるところで、和平を提案してくるだろう。それまで、持ちこたえればよいというのが、開戦時の戦争指導方針です。それに対して、イギリスのチャーチル首相は南北戦争を研究した人で、「アメリカ人は一度、戦争を始めると、相手を最後の1点まで残さず潰す。めちゃくちゃになるところまでやる」と言っています。

◆(孫崎)ドイツがなぜ負けたかといえば、キーはアメリカです。アメリカは徹底的にソ連の軍備を支援しました。ソ連だけだったら潰れていたと思います。軍備を後ろからアメリカが支えていたのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
2015113日(火)

 

 

<その8> 
◆(孫崎)伊丹さんの文章からも分かるように、日本人は圧力にとても弱い国民です。圧力をかけてくるのが軍や警察ならば、仕方ない面もありますが、もっと日常的なお付き合いの中での圧力にまで敏感に反応し屈してしまいます。圧力を加えられるのは、往々にして少数意見を持った人たちです。世界の歴史をみると、大きな力に抵抗する場合は、たいてい集団で抵抗しています。日本の場合、散発的に流れに抗して発言したり、行動したりする特定の人はたまに出てくるかもしれませんが、大きな流れがどこかに行こうとしたときに、集団化して、これと闘うという例は、ほとんどないのではないのでしょうか。

◆(鈴木)最近よく「同調圧力」という言葉を聞きますが、とにかく人と同じでなければ不安だという心理が日本人にはあるように感じます。それは民主主義とはかけ離れたあり方ですね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
201519日(金)

 

 

<その7> 
◆(孫崎)国内官庁の中で外交官のイメージは、一番軟弱ですけれど、外交史をみると、一番闘っているのは、実は外交官です。明治以降、中国進出していく中で、軍部との軋轢が出て、またときに、公務員で一番最初に殺されたのは外交官、外務省の人間でした。

◆(鈴木)でも、物と心の問題は簡単ではなく、武器によって精神が変わるということもあります。連合赤軍もそうです。武器を手にして、唯物論ではなく、唯銃論になった。兵隊より銃が大事になって、暴走したのだと元メンバーも言ってました。

◆(孫崎)非常にリベラルな印象のあるオバマは就任以来、軍に歯向ったことはありません。政権について、歴代の大統領と同様に国務省はじめトップの人間を入れ換えましたが、軍の制服組には人事権を行使していない。間違いなくアメリカの政治が歪んできたのは、ケネディ暗殺からです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
201518日(木)

 

 

<その6> 
◆(鈴木)今の日本の民主主義は、自己主張をするという面だけが肥大しているようです。それは本当の民主主義とはいえないのではないでしょうか?相手と話し合ってどう解決するのかを考えるという点では、明治時代から昭和の初期までの政治家のほうが、その姿勢・視点を持っていたと思いますし、人間の深さもあったのではないでしょうか?

◆(孫崎)「自分の利益を相手の利益に翻訳して説明する」―それができて初めて外交交渉が成立します。相手の利益に翻訳するためには、相手を知ることが大前提です。だから、外務省はある時期から入省した人間を必ず、まず、外国に出すようになりました。自分が何を考えているかではなく、相手の論理が分かる人間を育てるためです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
201517日(水)

 

 

<その5> 
◆(鈴木)いまでも、「北方領土とか尖閣諸島、竹島なんか捨ててしまえ。そのほうが国際的にも摩擦がないし、むしろ、経済成長ができ国益を実現できる。」と言う人はいます。しかし、マスメディアでそういう発言をして下さいといっても、そんなことを言ったら殺されるから嫌だというのです。石橋湛山が主張していた、小日本主義、中国進出に反対するというのは、殺される危険性のある発言だったと思います。石橋もその危険を知ったうえで、発言していたでしょうから、それだけ勇気があったということでしょう。

◆(鈴木)政治家は、自分たちがどれだけ日本の国益を代表して、闘っているかを見せたいだけで、相手と話し合うことは、まったく考えていないように思います。また、国民も愚かなことに、そういう政治家をみて、闘っている、偉い愛国者と思ってしまうところがあります。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
201516日(火)

 

 

<その4> 
◆(鈴木)日露戦争のとき、日本は捕虜をたいへん優遇しました。特に愛媛県松山の収容所はロシア側にもよく知られていたようです。事実、松山ではロシア人捕虜も自由に外を歩けたそうです。日本政府は「戦いをやめた人間は敵ではない。丁重に扱うのが武士道だ」と教育し、捕虜の虐待を許さなかったそうです。

◆(鈴木)新聞の宅配制度ができたのは日露戦争からだと言います。戦争は民衆にとって最大の「エンターテイメント」です。当時の人たちは新聞がニュースを配信するものだという認識が薄く、ただの読み物だと思っていたようです。

◆(孫崎)石橋湛山は、青島占有、大陸進出に反対する論陣を張っています。なぜならば、このような日本による中国での領土的拡張は米英の敵視を招くことになり、国益をかえって損ねるという主張です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
201515日(月)

 

 

<その3> 
◆(孫崎)明治政府の中心となった人たちは実にリアリストだったと思います。「いま力が強いのはヨーロッパである。だから、われわれもまたヨーロッパ的な制度を採り入れなければ、列強に支配されてしまう。いまは、あえて敵である西洋に学び、彼らに負けない国をつくらなければいけない」という考えを選び取っています。

◆(鈴木)日露戦争に勝ったといっても、実際にはアメリカの仲介で辛うじて勝った。ロシア本土に攻め込んでロシア領のどこかを占領したわけでも何でもない。その意味では本当に勝ったのかどうかわかりません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
20141229日(月)

 

 

<その2> 
◆(孫崎)例えば、今日の日本人は福澤諭吉のような冷徹な国際分析ができているでしょうか。中国は世界で最大の経済大国になろうとしているのに、それを見極められない。客観的なデータが揃っており、容易に確認できるのに、それを見たくないのです。

◆(鈴木)歴史的に見て、日本が中国や朝鮮から学んだことは非常に大きいですね。さらにインドに対してもそうです。江戸時代までは神聖視していました。しかし、そう思っていた国が西洋列強に簡単にやられてしまった。そういう失望感も当時の日本人にはあったと思います。そんなとき諭吉は「いつまでもそういう幻想を持っていては駄目だ。」という考え方で植民地化されたアジアと共倒れにならないという意味での脱亜論を唱えたわけで、アジアをやっつけろとか、支配しようということではまったくなかった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享×鈴木邦男 「いま語らねばならない戦前史の真相」(現代書館)
20141226日(金)

 

 

非常に面白い対談集である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介したい。

<その1> 
◆(孫崎)真珠湾攻撃の時点で、少なくとも、軍備でいえば日本とアメリカの差は3対5です。いま日本と中国の軍備格差は1対10くらいです。しかしながら、日本の国内はもし中国と戦闘になれば、根拠なく、何となく、日本が勝つという空気がある。国際情勢を見ない精神論みたいなものは、戦前よりも強いのではないですか。

◆(孫崎)いま日本の社会で、1人当たりの所得は非正規労働者が増えたこともあってどんどん減っています。労働組合が潰れだした1985年くらいから社会がおかしくなっています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬 隆 「原発処分 先進国ドイツの現実」 (五月書房)
2014125日(金)

 

 

<その2> 
◆ドイツの原発はほとんどジーメンス社によって建設されたのだから、ジーメンスが廃炉に関与したのかと尋ねると、ジーメンスは廃炉には一切関与していないという。原子炉メーカーは、電力会社に原子炉を売って巨大な利益をあげてきたのに、その後始末は逃げてしまうというのだから、実に無責任なものだ。

◆なぜドイツ人がゴアレーベンを高レベル放射性廃棄物の最終処分場に選んだかというと、放射性廃棄物の処分(管理)は、全世界すべての先進国で「地底深くに埋める」という方法しかないからである。というのは、ロケットで宇宙に打ち上げても、一回の打ち上げ失敗で人類が滅亡する。そのほか、数々の案があったが、すべてダメになったのである。

◆山本太郎さんが、「放射性物質を何年ぐらい管理しなければならないのですか」と質問したのに対して、地底で働いている誠実な職員は「100万年もの間、管理をしなければならない」と答えてくれた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬 隆 「原発処分 先進国ドイツの現実」 (五月書房)
2014124日(木)

 

 

本書は著者と山本太郎氏のドイツ原発取材旅行3,000キロの記録である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。 

<その1> 
◆福島第一原発事故が発生した2011年、ドイツは先進工業国の先陣を切って、2022年に原発を全廃するという政策を選択した。したがって、日本人にとって、ドイツは悲願とする原発廃絶をリードする先進工業国のモデルである。 

◆廃炉に要したコストは、解体開始から現在まで、ほぼ20年間でおよそ20〜26億ユーロが投入されたという。1ユーロ=100円で分かりやすい物差しで考えると、20年間でおよそ2,000億円、毎年100億円ぐらいを要し、それが地元に落ちたことになる。 


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 笠井 潔 / 白井 聡 「日本劣化論」 (ちくま新書)
20141030日(木)

 

 

<その16> 
◆(笠井)自衛権の概念が確立されたのは、第1次大戦後のことである。19世紀までの国民戦争の時代、主権国家はたがいに交戦権(戦争する権利)を承認していたから、自衛権は国際法上の重要概念になる前提を欠いていた。たった4年で700万人という膨大な戦死者を出した最初の世界大戦の惨禍は、戦争を非合法化し、禁止しようとする国際世論を生じさせた。その成果として、国際連盟の創設(1919年)やパリ不戦条約の締結(1928年)などがある。

◆(笠井)第1次世界大戦以降、国際法に違反して戦争をしかけた側の戦争は侵略戦争、しかけられた側の戦争は自衛戦争になる。しかし、こうした分割は戦争を防止するのではなく、自衛戦争として正当化される戦争を生じさせたにすぎない。 

◆(笠井)第1次大戦の反省から戦争を非合法化したにもかかわらず、第2次大戦を防止できなかったのは、国際連盟による集団的安全保障に実効性が欠けていたからだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 笠井 潔 / 白井 聡 「日本劣化論」 (ちくま新書)
20141029日(水)

 

 

<その15> 
◆(笠井)1月に昭和が終わり、11月にベルリンの壁が崩れた1989年が大きな転換点ですね。その年の7月には宮崎勤が逮捕され、オタクの存在が社会的に注目された。僕にとっても、89年は大きな曲がり角でした。80年代の社会思想的な仕事の中心は、マルクス主義批判でしたが、ソ連の崩壊によって、マルクス主義の影響力が急激に失われ、いってみれば、敵が消えてしまいました。

◆(笠井)沖縄(琉球)は清と薩摩に二重帰属していても、きわめて独立性の高い王国でした。それが1872年にはじまる琉球処分によって、一方的に日本の領土にされてしまった。その時点まで遡れば、沖縄独立には名分があります。武力で日本に圧迫され、強制的に併合されたわけだから。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 笠井 潔 / 白井 聡 「日本劣化論」 (ちくま新書)
20141028日(火)

 

 

<その14> 
◆(白井)啓蒙・教養というのが無効化された原因として、竹内洋さんの言説が有力なものでした。乱暴に単純化すれば、竹内さんの理論は、教養をつむということが金にならなくなったから教養は衰退した、と主張するのです。かつては立身出世の役に立ったけれども、役に立たなくなったので、教養をつまなくていいという説明です。 

◆(白井)日本人は大人の存在を認めない。いきなり老人になることを要求する社会だったわけです。今は若者の存在も認めない社会へ変わってきました。だからここで現れるのは、子供から老人になることうを強いられる社会です。ここでは老人は無力であることを指します。こういう社会をつくっておいて、「最近の若者は子供じみている」などと言って嘆く阿呆が多い。嘆かわしいのはあんたらだろう、と。 


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 笠井 潔 / 白井 聡 「日本劣化論」 (ちくま新書)
20141027日(月)

 

 

<その13> 
◆(白井)左の運動というのは、基本的に社会主義を目指す運動として定義されてきました。そして、戦後日本資本主義というのは、かなり社会主義的色合いが強いものでした。ソ連のゴルバチョフが「世界一の社会主義国家だ」と発言したくらいですからね。国家や資本の側が社会主義を実現してくれるのであれば、社会運動なり市民運動が社会主義を目指す必要はありません。

◆(笠井)社会党、共産党という戦後左翼に対応して、60年安保前後から新左翼が登場してきます。新左翼の新しさはいろいろありますが、思想として画期的だったのは「我々は戦争の被害者である」という被害者史観に「私は侵略戦争の主体だった」という加害者主観を対置したことです。 

◆(白井)そもそも反知性主義者に届く言葉があるのか疑問です。というのは、反知性主義というのは、知性が不在だというのではなく、知性への憎悪ですから。 


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 笠井 潔 / 白井 聡 「日本劣化論」 (ちくま新書)
20141226日(金)

 

 

<その12> 
◆(笠井)ただし、内ゲバは別ですね。イタリアや西ドイツの極左派は階級敵を容赦なく殺害しても、原則として、仲間は殺していません。革共同両派の内ゲバの場合、背景にあるのは前衛主義です。ボリシェヴィズム由来の組織論が、前衛党は単一だから他党派は解体しなければならないという結論を導く。日本と違って左翼=マルクス主義ではなかったヨーロッパで、社会民主主義や新左翼を源流とするもろもろの社会運動が今日も勢力を保っているのは当然です。
ただし、日本の左翼運動を滅した最大の原因がマルクス主義だとまでいえません。新左翼を含めた左翼の衰退の最大の原因は、日本経済が1970年代と1980年代の20年間、第2次大戦後の繁栄を持続しえたところにあります。 


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 笠井 潔 / 白井 聡 「日本劣化論」 (ちくま新書)
20141024日(金)

 

 

<その12> 
◆(笠井)ただし、内ゲバは別ですね。イタリアや西ドイツの極左派は階級敵を容赦なく殺害しても、原則として、仲間は殺していません。革共同両派の内ゲバの場合、背景にあるのは前衛主義です。ボリシェヴィズム由来の組織論が、前衛党は単一だから他党派は解体しなければならないという結論を導く。日本と違って左翼=マルクス主義ではなかったヨーロッパで、社会民主主義や新左翼を源流とするもろもろの社会運動が今日も勢力を保っているのは当然です。
ただし、日本の左翼運動を滅した最大の原因がマルクス主義だとまでいえません。新左翼を含めた左翼の衰退の最大の原因は、日本経済が1970年代と1980年代の20年間、第2次大戦後の繁栄を持続しえたところにあります。 


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 笠井 潔 / 白井 聡 「日本劣化論」 (ちくま新書)
20141023日(木)

 

 

<その11> 
◆(笠井)東西冷戦の終焉以降、社共から新左翼まで日本の左翼全般が衰退していきました。いまだに社会民主主義政党(アメリカでは民主党)や60年代の新左翼運動を源流とする「新しい社会運動」が欧米と比較して、日本の左翼は壊滅状態に近いありさまです。 

◆(白井)日本のように、過激派の暴走以降、大衆運動が壊滅的に潰されたというのは、世界的に見て、ほとんど例がないですね。だから、内ゲバや連合赤軍事件を左翼の衰退の原因と見なす一見説得力のある説明は、警戒しないといけない。大体、今の若者世代のほとんどは、連合赤軍事件なんて知りませんしね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 笠井 潔 / 白井 聡 「日本劣化論」 (ちくま新書)
20141022日(水)

 

 

<その10> 
◆(白井)自民党はアメリカの傀儡だけれども、親分からのあんまり無茶な要求に対しては、「ノー」と言えた。その際の切り札は、社会党の強さと憲法9条です。「私どもとしてはご要望に応えたいのは、やまやまなんですが、なにぶん国内にうるさいのがいまして」と言い訳できる。 

◆(笠井)日本の左翼や民主主義勢力は第2次大戦後、国にだまされたという大衆意識に批判的に対峙することなく、これに乗っかったわけです。  

◆(白井)おもしろいことに、岸信介は戦後も自分を社会主義者として自己規定しています。彼は座右の書として北一輝をあげていたように国家社会主義者であり、敗戦を経ても主観的には、全くぶれていないのです。しかも岸は戦後、社会党に入党しようとしているんですね。さすがに、社会党側が拒否したため、保守の側にいったようです。こういう具合に、55年体制の仕掛け人まで遡ってみると、対立する両派は実はそもそもそれほどかけ離れていない部分もあったわけです。 


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 笠井 潔 / 白井 聡 「日本劣化論」 (ちくま新書)
20141021日(火)

 

 

<その9> 
◆(白井)日中、日韓関係は、これ以上悪くなりようがないんだから、首相が靖国に行っても全然大丈夫だとなぜか楽観的なことをいう人がいますが、理解に苦しみます。これ以上悪くなる状態、すなわち戦争という事態は十分あり得るわけです。こういうことをいう連中に限って、中国の脅威をしっかり認識している「リアリスト」を自任しているのですから、呆れます。 

◆(笠井)極東裁判や南京虐殺や従軍慰安婦をめぐる自民党右派の歴史修正主義的な主張は、国際標準でいえば、極右そのものですから。 

◆(白井)どんな運動でも、それに参加する初発の動機は、剥奪感にあるわけですが、剥奪感そのものは、とりあえずは私憤にすぎないわけです。そこで、なぜ、それを公憤だといえるのかということを、多少勉強しなければならないという面倒な手続きが必要になります。その点で、右翼イデオロギーは「お前は、国を愛していないのか!」と言えばOKなんですから簡単です。その簡単化が極限まで進んでしまったのが、今のネトウヨでしょう。  


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 笠井 潔 / 白井 聡 「日本劣化論」 (ちくま新書)
20141020日(月)

 

 

<その8>
◆(白井)本当に危険だと思うのが、日本がやっている矢継ぎ早の安全保障政策強化によって、中国における強硬派の抑えが利かなくなるのではないかということです。  

◆(笠井)今から考えるだけでもうんざりするのは、戦争に負けて、日本が中国の属国になったとき、今のネトウヨみたいな連中が真っ先に対中迎合派に転向し、嬉々として五星紅旗を振り始めるだろうこと。要するに太平洋戦争の敗北のときと、まったく同じことが起きるわけですね。

◆(白井)韓国・北朝鮮両国にとっては、統一は長年の悲願である。ではいったい何が起きれば、朝鮮半島の統一が実現するのか。日中が衝突し、そこに韓国が参戦するというかたちになったときに、北朝鮮は韓国の側に立てば、対日戦に参戦できる。これこそが北朝鮮と韓国が和解する契機になると思うんですよね。 


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 笠井 潔 / 白井 聡 「日本劣化論」 (ちくま新書)
20141017日(金)

 

 

<その7>
◆(笠井)交戦権の行使としての戦争は、パリ不戦条約で非合法化されました。国民戦争の時代は国際法的にも終わったのです。

◆(笠井)日本で政府与党の代表的な地位にいる人たちが、しばしば「妄言」と非難されるような発言をする。その結果、これまでの日本政府による謝罪は本気ではない、信用できないということになって、新たな謝罪が要求されるわけです。 

◆(笠井)ある場所がどこの国に属するのかは、そこに住んでいる人間が決めることです。対馬の住民以外に対馬の帰属を決定できる者はいません。この点で、ある国家に固有の領土など存在しないのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 笠井 潔 / 白井 聡 「日本劣化論」 (ちくま新書)
20141016日(木)

 

 

<その6>
◆(白井)あの戦争に関してテレビドラマや映画で一番消費されるネタは、依然として、空襲に遭って家を焼かれ、家族を失って炎の中を逃げ惑う光景です。これは、やっぱり、被害者意識なんですよ。中国戦線で日本兵がレイプしまくるというような光景はほとんどといっていいほど描かれない。

◆(笠井)東西対立の最前線に位置する韓国では反共が国是だったので、同じ西側の日本にたいし植民地責任や戦争責任を露骨に追及することを避けていた。要するに、国内では植民地時代に被害を受けた人々の声は抑えこまれていました。

◆(笠井)19世紀であれば、たとえイギリスがインドを植民地化することに何の問題もなかった。中国には英米仏独露、そして日本と諸列強が例外なく手を出していたわけですが、第1次大戦を境目として、そういうことは続けられないという流れに切り替わっていく。こうした流れに日本はまったく無自覚で、依然として19世紀流の植民地獲得と利権拡大を強引に進めようとしたわけです。 


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 笠井 潔 / 白井 聡 「日本劣化論」 (ちくま新書)
20141015日(水)

 

 

<その5>
◆(笠井)日本による支配は朝鮮半島の近代化に貢献したという理屈で、植民地支配を正当化する意見があります。日本は日本の利益のために朝鮮半島を開発したわけで、これに恩を着せるようにいうのは厚かましい。また、仮に多少の経済的利得を期待できるとしても、それで他国に支配される抑圧と屈辱を堪え忍ぶような民族が存在するでしょか。いや、戦後日本こそまさにその典型的な事例だとしても、自国がそうだからと言って他国も同じだと思うのは無知の極みですね。

◆(白井)内田樹との対話において、対中認識の問題が話題になりました。内田さんは、「実際に中国戦線に行った世代は、そこでいったい何をしたのかを集団隠蔽した」とおっしゃいました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 笠井 潔 / 白井 聡 「日本劣化論」 (ちくま新書)
20141014日(火)

 

 

<その4>
◆(白井)昭和天皇にかんして、日本人が1番認めたくないのが、天皇が国民を実は愛していなかったのではないか、ということかもしれません。
◆(白井)それに関して思い出すことは、石原裕次郎がスターになっていった経緯です。兄である石原慎太郎が原作や脚本を手がけた初期の作品で、裕次郎はむしろアメリカっぽい男として登場します。「太陽の季節」や「狂った果実」というのは基本的にそのアメリカっぽい日本人男がアメリカ人に奪われていた日本人女性を奪還するという物語なんですよ。言ってみれば、アメリカに骨の髄まで完敗したという話です。日本男子の自己回復がアメリカもどきになることによってなされるわけですから。日本の保守派ナショナリストたちの矮小性の根源というのは、ここにあるのではないかと思うのです。  


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 笠井 潔 / 白井 聡 「日本劣化論」 (ちくま新書)
20141010日(金)

 

 

<その3>
◆(笠井)自分は正しいことを言っている、している。それで戦争になるなら、それでもかまわないというのが、安倍の本音でしょう。これはそのまま、日米戦争の開戦に「なんとなく」雪崩れ込んでいった戦前の日本の反復です。

◆(白井)安倍はいつも「真意を説明する」っていってますよね。それも噴飯もので「真意」が伝わっていないからこそ日本の保守は助かっているんで、例えば、靖国の「遊就館」がどんな展示をしているのか、アメリカ人の大多数が知ってしまったら、「真意」が理解されたら、大変なことになる。だから、きっと、本当の「真意」は説明していないのでしょうね。

◆(白井)ネトウヨ的なものと自民党改憲案に見られる感性というものは、非常に親和的です。彼らは二言目には伝統だとか、国柄だとか言うけれども、そのわりには、日本の伝統のなんたるかをきちんと勉強した形跡がまったくない。だから、いま右傾化と呼ばれているものは、右翼イデオロギーと呼ぶにも値しない。単なる反知性主義に基づいたものだと思うからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 笠井 潔 / 白井 聡 「日本劣化論」 (ちくま新書)
2014109日(木)

 

 

<その2>
◆(白井)国連中心主義に引き続きとどまるのか、それともアメリカの暴走に追随するのか。日本の指導層の主流は、ほとんど何の躊躇もなく、後者を選んだ。その延長線上にあるのが、積極的平和主義であって、それは軍事的な意味でアメリカの一部となっていろんな活動をするということです。

◆(白井)第2次世界大戦についての歴史の解釈の問題をめぐって、価値を共有しているのは、日米ではなく、米中である。両者とも戦勝国ですが、彼らからすると、大日本帝国というのは、侵略戦争をやった国家でしかない。

◆(笠井)アメリカという国には、反共親米ならどれほど抑圧的な軍事独裁政権とも同盟し、援助するという無原則な実利主義がある。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 笠井 潔 / 白井 聡 「日本劣化論」 (ちくま新書)
2014108日(水)

 

 

かなり読みごたえのある本である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介したい。

<その1>
◆(白井)これらの一連の動きは、いま彼らが多用している「積極的平和主義」なるスローガンを実現する ための個別政策です。これを詳細にみると、「戦後レジームの脱却」ではなく、「永続敗戦レジームの純化」であることがわかります。

◆(白井)今までできるだけ戦争に関与しないようにするという方針だったのを、今度は積極的に戦争して敵を叩くことによって、自国の安全を確保するという方針に転換する。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「小説 外務省 尖閣問題の正体」(現代書館)
201495日(金)

 

 

<その6>
◆石川次官のすごみは「力の強い者の考えを自分の思想とする」ということになんの躊躇もしないことにある。これはどの世界でもいえる1つの生き方である。

◆日米安保条約の中で、米国は、実質的に日本防衛の約束は何もしていないと説明している。日米安保条約で日本側に約束したことは、「自国の憲法上の決定など手続に従って共通の危険に対処するように行動する」ということである。米国では交戦権は議会にある。この条文は米国議会に諮り行動する以上のことは何も言っていない。そのことを米国は我々に繰り返し説明している。米国はNATO条約の規定「必要と認める行動(兵力の使用を含む)を直ちに執る」とは、根本的に違うことを説明している。尖閣諸島で日中間の戦闘が起こったとして米国が出て来る可能性はない。

◆ロシアでは、1993年から約300名のジャーナリストが殺されてきた。多くの者は「発言を続ければ命を奪うぞ」という脅しの中で主張を貫いた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「小説 外務省 尖閣問題の正体」(現代書館)
201493日(水)

 

 

<その4>
◆ソーシャルメディアには2つの流れがある。1つは独自の視点を提供しながら、既存の報道機関の代替を目指すもの。もう1つは、できるだけ細分化を図り、治安当局の弾圧に抵抗しようとするものである。安倍政権のメディア規制の動きは、どんどん強くされた。それに対抗するため、意識的に細分化し発信を続けていた。

◆福島原発事故の情報は、海外の方が日本国内よりも分かるんです。日本政府は米国等外国には知らせていた。しかし、国民には隠蔽していたのです。

◆私はメディアを3つに分類しています。第1のメディアは御用メディアといってもいいと思います。日本の首相官邸や官庁には「記者クラブ」があります。基本的には首相官邸や官庁の言い分をそのまま報じます。まあ大本営発売といっていいでしょう。戦前と同じです。大手新聞社6社とNHKおよび日本テレビ、テレビ朝日等のテレビ局です。2012年、自民党が勝利して安倍政権になってから締め付けが厳しくなりました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「小説 外務省 尖閣問題の正体」(現代書館)
201492日(火)

 

 

<その3>
◆友だちがいない人間は気の毒である。だけど、敵のいない人間はもっと気の毒である。

◆中国は日本の尖閣領有について、第2次世界大戦中のカイロ宣言にある「日本が盗み取った中国東北地方や台湾などの島しょを中国に返還する」との決定に違反すると主張している。これに関して鳩山氏は「カイロ宣言の中に尖閣が入るという解釈は中国から見れば十分に成り立つ話だと明言した。

◆左遷されたらどこかへ飛ばされる。まあ、ウズベキスタンくらいだろうか。ウズベキスタンというのは地の果てだ。世界には海に面していない国がある。モンゴルやアフガニスタンがそうだ。でも海に面していない国だけに囲まれている国があるのを知っていますか。あるんです。それがウズベキスタンだ。アフガニスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、皆、海に面していない。それらの国だけに囲まれているのです。だから大変な僻地だ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「小説 外務省 尖閣問題の正体」(現代書館)
201491日(月)

 

 

<その2>
◆勝利という概念は、敵対する者との関係でなく、自分自身が持つ価値体系との関係で意味を持つ。

◆尖閣諸島について棚上げを言う政治家や評論家はほとんどいません。一部にはいますが、勿論一匹狼です。こういう人がマスコミに出てきた時に、必ずこのマスコミに「なんで極論を吐く人を使うのか、なぜ政府方針と違う人を使うのか」と圧力をかければ、大手マスコミは彼らを使いません。それでも続ける人がいれば人物破壊で始末するだけです。「金」と「女」、このどこかに弱点がないかを調べていきます。この2つを追っかければ、どこかで捕まります。マスコミには人物破壊を行なえるよう手を打ってあります。

◆ご存知のように、中南米は、「アメリカの裏庭」と呼ばれている。「アメリカの裏庭」に、自主的な国家の成立は許されなかった。だから、米国はいろんな形で介入してきた。今の小沢事件を見ていると、米国がかつて南米でやってきたことと同じ。このままいったら、中南米のいくつかの国と同じように米国の属国になる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「小説 外務省 尖閣問題の正体」(現代書館)
2014829日(金)

 

 

小説の形態ではあるが、実質的にはノンフィクションであろう。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介することとする。

<その1>
◆石原慎太郎は、メイと密接な関係を持っていることを自慢している。彼ほど評判と実体が異なる政治家も珍しい。石原は1989年、ソニーの盛田昭夫会長と共に『「NO」と言える日本(日本―新日米関係の方策)』を出版した。それで多くの人は、対米強硬派と思っている。しかし、実際は、米国の評価を実に気にしている。

◆日本社会で生き抜くことは空気を読むことである。山本七平の『「空気」の研究』では、日本で一番重い罪は空気に逆らうこと、「抗空罪」と看破している。

◆尖閣諸島の領有権問題は、1972年の国交正常化の時も、昨年夏の日中平和友好条約の調印の際にも、問題になったが、いわゆる「触れないでおこう」方式で処理されてきた。つまり、日中双方とも領土主権を主張し、現実に論争が「存在」することを認めながら、この問題を留保し、将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた。それは共同声明や条約上の文書にはなっていないが、政府対政府のれっきとした「約束ごと」であることに間違いない。約束した以上は、これを順守するのが筋道である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「属国日本論を超えて」(PHP研究所)
2014825日(月)

 

 

<その4>
◆大思想家ニーチェは、「紀元前140年にアテネが陥落して、ローマ帝国の都ローマに教養ある奴隷として連れて行かれたギリシア人たちが、ローマ貴族たちに家庭教師として雇われて文学なるものを作った」と書いた。

◆私は、自分のもの書きとしての方針として、「私が書いたもののうち、そこの編集部で気に入らないという部分は、自由に削ってもらって構いません。その部分はそちらで買ってもらわなかったという風に考えますから」という言い方をどこでも通してきた。それは厳しい言論規制の中で、苦しみながら生きてきた自分を助け出すために、編み出した知恵だ。

◆アメリカのNASA(航空宇宙局)の宇宙ステーションから、日本人の毛利さんとか、若田さんとかが乗組員として打ち上げられて、宇宙滞在ショーをやる。これに日本政府は1回当たり800億円の金をNASAに拠出している。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「属国日本論を超えて」(PHP研究所)
2014821日(木)

 

 

<その3>
◆日本では、大学か公立の研究所に籍を置かなければ、知識人生活はおくれない。そうでなければ、貧乏な分野の一匹オオカミの雑文学者でしかない。江戸時代の傘貼り浪人が町田舎に雇われて寺子屋の先生をやることに等しい。

◆司馬遼太郎の文章は、英語(ヨーロッパ語)には翻訳できない。だらだらと非論理的な話が果てし無くどこまでも続くからだ。なにが、「坂の上の雲をめざして必死に駆けていった明治の青春群像」だ。 バカヤロー。あいつら、みんな、イギリスに背後から操られていた連中じゃないか。

◆伊藤博文がどうしてNHKの大河ドラマにならないか分かりますか。彼こそ幕末明治の最大の演出者なのだ。西郷や大久保や木戸ではない。彼がすべてでうごめいた。日本国の初代の総理大臣は彼だ。彼こそ明治の全ての権力を握ったのだ。裏からイギリスの資金と知恵と戦略に動かされて。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「属国日本論を超えて」(PHP研究所)
2014820日(水)

 

 

<その2>
◆今はお笑い芸人とプロスポーツの花形選手たちが国民のヒーローである。これはきわめておかしいことである。それはなぜなのか。それは日本国民は、自分たちの指導者たちがアメリカの命令で動かされていることに薄々気付いているから、だから、尊敬の念が湧かないのだ。それと本物の民族指導者が現れると真の日本国の独立を目指すので、それはアメリカにとって邪魔なのである。だから、優秀で有能で、かつ独立心旺盛な政治家が育たない。アメリカに逆らうとすぐに政治スキャンダルで潰されてしまう。

◆日本は学問というのは、欧米世界で評判を取った一流学者たちの仕事を国内に紹介することだというか、泥棒というか、勝手に代理店を開くというか、華々しく輸入するというか、そういうことに過ぎない。 アメリカでは学問というのは、自分たちの打ち立てた仮設(理論)を、実際の現実の社会に応用することだ。

◆アメリカでは、「この本を私は翻訳して出版した」というのは、学問業績にはならないのだそうだ。日本では翻訳するだけでも学問的業績になる。翻訳書が1冊あるだけで学者だと威張っている人が、たくさんいるのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 副島隆彦「属国日本論を超えて」(PHP研究所)
2014819日(火)

 

 

副島氏の主著の1冊である。「属国・日本論」の続編にあたるのが本書である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介することとする。

<その1>
◆書店で自腹を切って難しそうな内容の本を買い求めて読む人というのはきわめて限られている。国民の2パーセントか。私の本の読者になってくれる人々は、この世界の本当の事を知りたがっている生来優れた人たちである。私は自分の読者を尊敬している。

◆いくら第2次大戦の終結を早めるためだったと言い訳しても、日本に残虐な原子爆弾を落として、ちょっとひどいことをしたとアメリカと連合国側は考えた。だから、日本は朝鮮戦争(1950〜1951)とベトナム戦争(1968〜1975)には派兵を免除された。しかし、1991年11月の湾岸戦争には派兵を命じられている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤貴男「戦争のできる国へ―安倍政権の正体」(朝日新書)
2014818日(月)

 

 

<その3>
◆安倍晋三首相は、アジア諸国に対する加害者責任を語らず、戦争放棄を誓わなかった。2013年8月15日、東京の武道館で開かれた政府主催の全国戦没者追悼式で、兵士たちへの感謝ばかりを際立たせた彼の式辞は、やがて、歴史に学び希望に満ちた国の未来を切り拓いていくと強調、一方では過去20年間の歴代首相が表明し続けてきた「深い反省」と犠牲にされた諸国民への「哀悼の意」が省略され、かつ、これも欠かされることがなかった「不戦の誓い」が消えた。

◆沖縄は日本だ。沖縄の問題は日本全体の問題であり、その先についてはアジアの人々がいる。そもそも、1952年4月28日に発効したのはサンフランシスコ講和条約だけではない。同時に日米安保条約も発効していた。沖縄の基地問題をはじめ、戦後の日本の何もかもは、この2本立ての体制によって確定されてしまった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤貴男「戦争のできる国へ―安倍政権の正体」(朝日新書)
2014812日(火)

 

 

<その2>
◆そもそも国を国たらしめているのは、伝統的に領土、国民、統治権の3要素だと言われてきました。どれかひとつでも欠けていたら国家は成り立ちませんから、それはそれで間違っていないのですが、一定の土地とそこに住む人々というのは、国家などなくても、もともと存在するものです。これらを支配する統治権力が現れて、初めて国家が成立する。権力こそが国家の本質だということになるわけですね。とすれば、権力の座にない支配される側にいる私たちは「国」という言葉を用いるのによほど慎重であるべきでしょう。

◆僕の読んだ限りヤンキー的なものは、だいたい「社会はクソッタレ」という図式になっていて、すなわち、社会は変革できないという前提でもあるんです。その中で気合いを入れてアゲアゲで生きていくほかない、という話なので、必然として思想には届かない保守的な人生観になっていくでしょう。

◆もともと、僕が政治の「ヤンキー化」と主張した理由は、中島岳志さんが安倍政権について、保守とは「復古」でも「反動」でもなく、歴史的に蓄積されてきた「潜在的英知」に信頼を置くものなのに、歴史的な憲法についての議論をほとんど踏まないまま憲法改正と言い出すのはおかしい、というような批判をしていたからです。僕はその批判に納得して、では「保守」でなければ何だろうと考えて、「ヤンキー」に思い至ったんです。本来の「保守」が教養主義的なものであるとするならば、現政権ははっきりと反知性主義でしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 斎藤貴男「戦争のできる国へ―安倍政権の正体」(朝日新書)
2014811日(月)

 

 

積極的平和主義の裏にある経済界の思惑と本の帯に書かれている。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介していこう。

<その1>
◆人口の一定程度を貧困層が占めれば、どんなことが起こるか。たとえば、志願して軍隊に入ろうとする人が増えますね。米国がそうじゃないですか。

◆「国土強靭化」計画も、単純に土建屋政治の復権とだけ見ていては、本質を見失うのではないか。たとえば、巨額の建設費を要すると言われるリニア中央新幹線が少子化でさほどの需要も見込めないのに、推進されている理由の1つには、原発と同様の「ショールームとしての日本」という発想がある。従来の新幹線の3倍から40倍の電力を消費すると言われるリニア新幹線システムの輸出に成功すれば、当然、原発輸出の市場も広がる。外需のための内需の拡大という関係が形成されていく。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 大竹英治「日本共産党の深層」(イースト新書)
2014718日(金)

 

 

<その2>
◆新島襄の創立した同志社も、一時さながら、キリスト教の本山のごとく見られていたが立命館大学とともに、左翼学者や学生の本山と化していた。
かれこれ20あまりある京都の大学の中で、左翼的な教授、学生の多いのは、立命館、同志社、京大の順となっている。

◆57基の総建設費実績は約12兆円。原子炉メーカーは、一部外国企業を除き、大手3社(三菱重工、東芝、日立製作所)が独占。原子炉建屋も、大手ゼネコン5社(鹿島建設、大林組、大成建設、竹中工務店、清水建設)が独占受注、多くは競争なしの特命受注です。
粗利益率は、20〜30%と公共工事以上に高い。1号機をとれば、その後も受注でき、廃炉までやると50年以上、仕事が切れない。

◆今の自衛隊の能力は国を守る能力として、十分すぎるほどの力を持っている。これから強めようとしている力は、むしろ海外へ日米一体で出る「侵略力」だ。それがイージス艦であり、ヘリ空母である。日本を守ることと関係のない部隊が主要となっているのだから、小池は5兆円の軍事費のうち1兆円程度は、削減できるとみている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 大竹英治「日本共産党の深層」(イースト新書)
2014717日(木)

 

 

大竹氏の著書にしては、内容が、いや書き方が単調だなあという印象を持った。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆マルクスこそ、カント、ヘーゲルのドイツ観念論の流れを受け継ぎながら世界を解釈するのではなく、変革する立場から発展させた理論だ。マルクス主義は実践理論だ。自分が動かなければ、生きていく道は生まれないのだ。

◆共産党は、40万人前後で推移していた党員数だったが、党費未納などの9万人を超す「実態のない党員」を整理し、離党の措置を取った結果、平成24年5月1日現在で約31万人8000人に減少したと明かにした。その結果、京都の党員は1万8000人ほどで人口比では日本で1番多いと言われている。

◆明治の初め、京都を近代化する上に大きな役割を果たした槇村正直知事は山口県人であるが京都がマルクス経済学の本山と見られるようになったのは、河上肇が京大に迎えられて、「社会問題研究」という個人雑誌を出しはじめてからである。
河上は、マルクス教の聖人、法王とも言うべきまでその布教に貢献した点では日本で右に出るものはない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 佐高信「安倍政権の10の大罪」(毎日新聞社)
2014611日(水)

 

 

<その5>
◆戦後民主主義の上半身を丸山真男が担い、下半身を田中角栄を支えていたなどと書けるのは、丸山ゼミ出身の早野透さんだけだろう。

◆「人間は万物の霊長だなんて威張っているけど、ちっとも他の動物と実質的なちがいがないみたいでしょう。ところがね、お母さま、たった一つあったの。それはね、ひめごとというものよ。」(太宰治の「斜陽」)
他の生き物には絶対になくて人間にだけある「ひめごと」;つまり秘密を封じて国家が好き勝手なことをやるために特定秘密保護法は必要なのである。

◆民法学者の末弘厳太郎は、学生が教室でノートをとるとどなりつけたという。「いま、自分が言っていることをここで理解してもらいたいんだ。ノートなんかとるな。この場で理解すればいいんだ。」


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 佐高信「安倍政権の10の大罪」(毎日新聞社)
2014610日(火)

 

 

<その4>
◆鈴木邦男を知って私は「警察に取り締まれる右翼」と「取り締まられない右翼」がいることを知った。鈴木が顧問をしている一水会はもちろん前者である。

◆私の著書「石原莞爾 その虚飾」で石原を満州事変の火をつけ、中国侵略を開始したのは石原であり、その後いかに「平和な作」を進めたからといって、放火の罪は消得るものではないと指弾した。

◆田中秀征さんは強烈な羞恥心の持ち主である。それは「自分を売らない」出処進退となって表れる。人は「何をするか」より「何をしないか」で判断されなければならないところがある。

◆訟務官の金子が税理士飯塚毅を厳しく罵倒した。
「われわれはなあ、日の丸を背負ってるんだよ。あんたが抵抗するなら、2年でも3年でも、締め上げてやるから覚悟するんだな!だいたいあんたがた税理士は、われわれが食わしてやってるんじゃねえか」


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 佐高信「安倍政権の10の大罪」(毎日新聞社)
201469日(月)

 

 

<その3>
◆政治家の役目は「攻められたらどうする」を考えることではない。外交によって戦争を防ぐのが最大の役目である。

◆「原発犯罪人」の続編として団体編を書くとしたら、真っ先に挙げなければならないのは連合だろう。傘下に原発推進の電力総連と電機連合をもつ連合は、原発反対の声を高くあげられない。それどころか、その2つの団体の賛成の主張が強いので、全体としては推進にカウントされる。

◆鈴木邦男は何度か北朝鮮に行って「よど号」で彼の地に行った人たちと会い、ある時には、世界の交流大会でヨーロッパの人が「アメリカと戦っている唯一の国」として北朝鮮を称え、最後にインターナショナルを歌うのを聞いて、自分も歌い、感動のあまり、涙を流したという。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 佐高信「安倍政権の10の大罪」(毎日新聞社)
201466日(金)

 

 

<その2>
◆中山素平はもちろん「企業の社会的責任」を高唱した木川田一隆も、経営におよそ役立ちそうにない小説に通じている。そこで、世の中には計算できないもの、割り切れないものがあるのを学んで人間の幅を広げたのである。

◆「原発を失ったら経済成長できない」と経済界は言うけど、そんなことはないね。昔も「満州は日本の生命線」と言ったけど満州を失ったって日本は発展したじゃないか。(小泉純一郎)

◆「半沢直樹」の生みの親の池井戸潤さんが、僕の小説は企業小説じゃない、と発言しているのを読んだ。そういうレッテルを貼って読まれたくない、ということなのでしょうが、そこに私はある種のひ弱さも感じます。どうぞレッテルを勝手に貼って下さい。私の小説はそれを突き破っていきます、というのでないのですね。

◆憲法をアメリカからの押しつけと強調する安倍がそれ以上にアメリカからの押しつけである秘密保護法をそれこそ押しつけようとするのはマンガですね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 佐高信「安倍政権の10の大罪」(毎日新聞社)
201465日(木)

 

 

佐高信の政経外科というシリーズものの16冊目に当たる本である。以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆「報道」のタカ派は、日本国憲法は世界一改正が難しいなどと喧伝するが、アメリカは上下各院の3分の2以上の賛成と4分の3以上の州議会の承認が必要で、改正手続きは日本より厳しい。それでも戦後アメリカでは、6回も改正しているという。要するに、安倍自民党は国民の理解を得る自信がないから、96条から改正し、改憲のハードルを下げたいというわけである。

◆「A級戦犯が合祀されている靖国神社への総理の参拝を正当化する理屈は国内で通用しても、国際的にはまったく通用しない。中国、韓国から言われたから参拝をやめるのではなく、日本の過去の戦争責任を自覚して、現実的な外交を優先すべきである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鈴木宣弘、木下順子「よくわかるTPP  48のまちがい」(農文協ブックレット)
20131119日(火)

 

 

<その3>
◆国土が狭い日本だから、食料自給率が低下するのは仕方がないという主張は間違いである。 欧米主要国と日本との食料自給率の格差は、農業保護育成に関する取り組みの違いを如実に表している。 日本の食料自給率が低下の一途をたどってきたのは、日本が国内農業保護を着実に削減してきた一方、他の国々では手厚い農業保護が行われてきたからである。

◆日本も輸出補助金を使って輸出を増やせるかというと、それは無理だろう。米国がストップをかけてくる。 一方その米国こそ、そもそも安いものをさらに安く売るために輸出補助金を1兆円も使っているとは、なんと不公平なことか。 要するに日本のいろいろな政策が、アメリカの意向に沿って決められているわけである。TPPはそうした日米の従属関係を、もっと強化し永続化するものである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鈴木宣弘、木下順子「よくわかるTPP  48のまちがい」(農文協ブックレット)
20131118日(月)

 

 

<その2>
◆TPPが今までのFTAと決定的に違うのは、関税撤廃の例外が認められないことに加え非関税措置と見なされる国内制度やルールも、 徹底的に廃止することを目指している点にある。

◆「1.5%の一次産業のGDPを守るために、
98.5%を犠牲にするのか」といった議論も間違いである。 わずか1.5%でも農林水産業がそこで展開していることによって、食品産業や流通などいろいろな産業が成り立ち、商店街が成り立ち、 コミュニティが成り立っているのが地域社会の現実である。

◆TPPがいけないというのは既得権益を守ろうとして言っているのではなく、 あまりにも極端な関税撤廃や規制緩和によって、一握りの勝者と多数の敗者が生まれるような社会にしてはいけないと警告しているのである。

◆米国を含めて他の主要国は「価格支持+輸出補助金+直接支払い」の組み合わせで手厚く農家を支援している。 一方日本はすべての価格支持政策をすでに手放してしまっているし、もちろん輸出補助金もない。 かと言って直接支払いもかなり少ないのだから、日本の農業が苦しくなっているのは当然である。 それなのにいまだに日本の農業は過保護だと批判するのは、事実をまったく把握していない議論である。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鈴木宣弘、木下順子「よくわかるTPP  48のまちがい」(農文協ブックレット)
20131115日(金)

 

 

<その1>
TPP推進派の主張の中の典型的なまちがい事項48を、ひとつひとつていねいに反駁を加えている。 以下本書よりインパクトのあるくだりを要約して紹介していきたい。

◆アメリカの食糧戦略の一番の標的は日本だとも言われてきた。「食糧は武器だ。日本が標的である。直接食べる食糧だけでなく、畜産物のエサが重要だ。 日本で畜産が行われているように見えても、エサ穀物をすべて米国から供給すれば日本の食物供給を完全にコントロールできる。」

◆農業産出額に対する農業予算の割合、すなわち国による財政の農業支援度といえる率をみると、アメリカ65%、ドイツ62%、フランス44%、 イギリス42%に対して日本はたった27%である。これだけみても日本農業が過保護とは、とうてい言えないのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀「対米従属という宿痾」(飛鳥新社)
2013912日(木)

 

 

<その15>
◆(孫崎)外交関係でいえば、中国の扱いが最大の問題となる。ここに質問がある。 「中国は超大国として米国を抜くか。」世界で行った世論調査を見てみたい。 それによると米国を含め世界が「追い抜く」と判断しているが、日本だけが「抜けない」とみなしている。2010年、中国は工業生産で米国を抜いた。 歴史的な事件である。米国は100年前、1913年に工業生産で英国を抜いたのであるが。中国の大国化が進めば、当然米国のアジア政策が変わる。

◆(植草)鳩山政権が普天間移設問題の処理を結果として誤ったとの批判を免れることはできない。 しかし、すべてを米国の言いなりに動くという被占領国日本のくびきを解き、アジアの一独立国日本としての矜持を持ち、 尊厳ある国家としての日本を確立しようとした鳩山政権の基本姿勢は、正当に評価されるべきである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀「対米従属という宿痾」(飛鳥新社)
2013911日(水)

 

 

<その14>
◆(孫崎)TPPでは、米倉経団連会長は「TPPに参加しないと日本は世界の孤児になる。」と言っている。 しかしG8、G20等経済グループでTPPに参加している国はほとんどない。この状態でなぜ孤児になるのか。

◆(孫崎)原発再稼働問題では、「アメリカでは、地震は原子力発電所にとって一番恐ろしい外的要因である、というふうに考えられております。 原発の事故は単一要因故障といって、どこか一つが壊れる。で、その場合は多重防護システムが働いて大丈夫なようになっている。 しかしながら地震の場合は、いろんなところが振動でやられるわけですから、それらが複合して多重防護システムが働かなくなる。」 と石橋克彦教授の論に対して、原発推進派は何ら答えることなく推進している。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀「対米従属という宿痾」(飛鳥新社)
2013910日(火)

 

 

<その13>
◆(植草)私は少し厳しめなんですが、「退職前の20年間に関与した企業、団体、業界には退職後10年間は転職できない」 というぐらいの規定があってもいいんじゃないかとかねてより思っていますが・・・。

◆(鳩山)いま、いわゆる保守と呼ばれる勢力が対米従属的な保守になり下がってしまっている中で、 この国を米国から自立させてゆくべきだと考える本来の保守というものがあるだろうと考えます。 それから国民の命、国民の1人1人の命というものを国家以上に大切なものを考える政治とくに弱い立場におかれている人たちが自立し長生する社会、 それを友愛の政治と自分では呼んでいますが、それをリベラルと考えています。これを合わせて保守リベラルと呼んでいますが、 こういう考え方がいまの日本の政治の中でポッカリと抜けているように感じます。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀「対米従属という宿痾」(飛鳥新社)
201399日(月)

 

 

<その12>
◆(植草)世界の巨大資本が独占しようとしている産業分野というのは、エネルギーと食糧が大きいんです。 そのほかは原子力、鉱物資源、兵器産業などが巨大資本による独占産業ですが、国の安全保障の原点はやはり食糧です。

◆(鳩山)菅内閣はTPPの内容をよく検討もせずTPPには基本的に賛成という方向に安易に乗っかってしまったのは、米国に対して従順でありたいと、 米国に対して従順に行動しなければ政権が長持ちしないという、まさに「孫崎理論」を菅さんはよく知っていたということでしょう。

◆(植草)鳩山政権が潰れた理由は、一に増税を封印したこと、二に米国に対してものを言ったことであるという観察の結果を活かして、 一に財務省の意向を汲んで一気に増税に踏み切り、二に米国にひれ伏そうと決意した。これが菅内閣の基本姿勢だったと思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀「対米従属という宿痾」(飛鳥新社)
201396日(金)

 

 

<その11>
◆(孫崎)TPPの具体的な内容を見てみますと、自由化でいちばん危険にさらされると思われるのは医療保険制度です。 米国は高額医療を医療保険の対象にするように必ず言ってきます。 しかし高額医療を医療保険の対象としたら、日本の国民健康保険制度はすぐにパンクしてしまうと思います。

◆(鳩山)農業関連の問題で特に心配しているのは、 モンサント(遺伝子組み換え作物の種子の世界シェア90%をしめる巨大な多国籍バイオ化学メーカー)に代表される種子メーカーの問題です。 一方でベトナム戦争の枯葉作戦で使われた強力な除草剤を製造し、もう一方では、 その除草剤に強い遺伝子組み換え作物を作りその種子と除草剤とセットで販売してゆく、 つまりこの種子戦争に勝った者が世界の農業を制するという怖ろしい話になると思います。

◆(鳩山)私はTPPよりも東アジア共同体を目指して、まず日中韓のFTAを推進するべきと考えます。 アメリカとの間では二国間のFTAの交渉を行えばよいのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀「対米従属という宿痾」(飛鳥新社)
201395日(木)

 

 

<その10>
◆(植草)私はデフレという言葉とそのマイナスイメージを世の中に蔓延させ、 さらにそのデフレの犯人は日銀であるという妄説を広めたのは、巧みな財務省の戦略、プロパガンダだったと思っています。 そしてデフレの克服ということを巧みにインフレの誘導に置き換えたのが、アベノミクスの本体です。

◆(植草)アベノミクスの問題点を集約すれば、次の3点になると思います。 まず第一は物価上昇と経済の上昇を混合していることです。 アベノミクスはインフレ目標として2%の物価上昇を目指していますが、いくら物価上昇しても経済が活性化するとは限らないということです。 第二には日銀の独立性を尊重していないということです。 日銀が政権の都合がよいように運営されてしまうことになれば、日銀の使命である物価の安定や金融システムの安定を保つことはできなくなってしまいます。 第三に財政政策の中身が利権を伴う支出に回帰しているのです。 例えば子供手当のように各家庭に直接お金を配ってしまえば、そこには何の利権も生じませんが、 税金を既得権益を持ったところに配って使うとなれば、財政は利権化するとともに経済格差が拡大してゆくことは明らかです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀「対米従属という宿痾」(飛鳥新社)
201394日(水)

 

 

<その9>
◆(孫崎)結論として私は鳩山さんはイランに行かれるべきであったと思います。 その第一の理由は、日本は西側諸国の中でイランと最も関係の深い国であるということです。 二番目は、もしホルムズ海峡が封鎖されるというような事態が起きた場合、 西側諸国の中で一番影響を受けるのが、原油の大部分を中東からの輸入に頼っている日本だからです。

◆(鳩山)原子力技術は日米一体化しています。ウエスティングハウスと東芝、日立とGEというように、日本の技術なしに米国の技術だけで原発建設はできません。 日本が脱原発したら米国の原子力政策に支障が出てくるのです。

◆(植草)日銀総裁ポストを財務省の手に取り戻すことは、福田政権時代に財務省のトップ武藤敏郎事務次官の国会承認人事が否決されて以来、 消費増税と並ぶ財務省の悲願だったわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀「対米従属という宿痾」(飛鳥新社)
201393日(火)

 

 

<その8>
◆(孫崎)韓国の輸出貿易額は日本を一とすると米国が二、中国が三で、日本と米国を合わせても中国にかなわない額になっています。 日・中関係が良好で東アジア共同体のようなものを考えようという時には韓国もそこに入ろうとしますが、日・中が離反すれば韓国は中国寄りになります。 韓国の保守層が非常に中国寄りになってきたのは、ある意味で当然のことと思います。

◆(鳩山)日本の政治家はどうしても内政中心になってしまいますね。 総理や外務大臣は基本的に国を代表する存在ですから、外交を中心に行動すべきだと思うんです。

◆(鳩山)いまのNPT(核拡散防止条約)の仕組みでは核兵器を保有している国は対象にしないで、 核兵器を保有しない国の核平和利用に対してのみ査察を行うというのは公平ではないと私も思っているが、 日本もそれに従ってきたわけだからここはイランも従ってほしいということを申し上げました。 さらにNPT体制はNPTに入らないで核兵器を保有している国(インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエル)にとっては有利で、 NPTに加盟している国は損をするようにできている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀「対米従属という宿痾」(飛鳥新社)
201392日(月)

 

 

<その7>
◆(孫崎)私の意見を申し上げれば、 ロシアが
1956年の日・ソ共同宣言にうたわれている二島返還以上の返還に合意することはないと思います。 しかしいまこの領土問題を解決しないで放置しておくことは永遠に解決を放棄するようなもので、 プーチンと交渉できる間に決着をつけるのだとしたら、落とし所は次のようなところだと思います。「歯舞、色丹は日本に返還する。 国後、択捉の帰属は歴史的に見て公平な立場で解決、妥協するために協議を続ける。」。 これだと日本の世論もロシアもOKではないかと考えるわけですが、いかがでしょうか?

◆(植草)対米従属か対米自立かということをすこし乱暴に整理しますと、自分のことがまず大事だと考える政治家は対米従属になり、 自分の利益よりも魂を大事にする政治家は対米自立になるとも言えるように思います。

◆(孫崎)いずれにしても田中角栄、周恩来による日中国交正常化交渉の中で 「日中双方とも領土を主張し、現実に論争が存在することを認めながらこの問題を留保しようということで棚上げになった」わけです。 さらにこの「棚上げ」の確認は、周恩来の時代とケ小平の時代2度にわたって行われています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀「対米従属という宿痾」(飛鳥新社)
2013830日(金)

 

 

<その6>
◆(孫崎)国民が選挙を通して政権を選択する。 そういう仕組みの中で官僚である国税や検察が恣意的に情報を流して政治の流れを動かすようになると、 その官僚がしたことの責任はどこにあるのかということになりますね。こういったやり方は非常に大きな問題をはらんでいると思います。

◆(孫崎)大きな理念を語られ、そして自分はこういう人間である、だから一緒になって日米関係を構築していきましょう、 それを信じてくださいという意味の「トラスト・ミー」と、 普天間移設を米国との約束通り実行しますから信じてくださいという意味の「トラスト・ミー」では全く意味が違いますね。

◆(孫崎)日本の領土問題については、一番初めのところに日本の敗戦を決めたポツダム宣言の受託という事実があります。 日本が受け入れたこのポツダム宣言では、日本の領土は3つの軸によって定義されています。 1つは、日本の領土は北海道、本州、四国、九州の四島であること。2つ目はその他の島々については、連合国が決定したものが日本の領土であること。 3つ目がこれが尖閣諸島の領有権に関係してくるのですが、新たに決める日本の決める領土については、カイロ宣言を遵守するというものです。 このカイロ宣言によると、日本が清の時代に中国から盗んだ領土を中国に返すことになっています。 尖閣諸島は、この盗んだものの範ちゅうに入る可能性を持っているということです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀「対米従属という宿痾」(飛鳥新社)
2013829日(木)

 

 

<その5>
◆(孫崎)私がまず申し上げたいのは、鳩山さんがお辞めになった時に「私はいまも普天間を最低でも県外に移設するということは正しいと思う。 しかし、いまは情勢がこれを許してくれなかった。 このままこの状態を続ければ多くの人に迷惑がかかるから私はここでいったん身を退くが、 二、三年後には私が申し上げたことが必ず理解していただけるようになると思う。」というようにおっしゃれなかったのだろうか、ということです。 そうおっしゃっていれば、いま政治の流れが必ず鳩山さんのところに帰ってきていたと思うのです。

◆(植草)ただ現在にいたってみれば鳩山さんがおやりになったことに対する評価は、二つに分かれると思います。 一つは既存のメディア中心に流されている「大事な日米関係をグシャグシャに壊してしまった。」という評価ですが、 もう一方では「最低でも県外」と言ったことによって沖縄の基地問題が、はじめて国民的な課題に格上げされたという評価もあるわけです。 さらに「実質的に辺野古への移転阻止の第一歩を印した。」と大きなプラス評価をする見方もあります。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀「対米従属という宿痾」(飛鳥新社)
2013828日(水)

 

 

<その4>
◆(孫崎)1979年ベトナムとの間で戦われた中越戦争以後、中国が経済の近代化に舵を切ってから、中国が軍事力を使って問題解決を目指したという例はない。 そのようなことはできないというのが、中国に対する世界の一般的な見方なんです。

◆(鳩山)まず最初に手を付けたのは、官僚主導の事務次官会議の廃止でした。 事実上すべての役所の意見を取りまとめ、大臣以上の力をもって法案の取りまとめなどをしていた事務次官会議に代えて、 テーマごとに何人かの大臣を集めて閣僚委員会を組織し、一つの役所では決められない物事に対処したのです。

◆(鳩山)普天間県外移転について、私の方から米国に対して直接的な交渉をする機会を持つことができず、 つねに官僚が間に入り官僚同士で議論するという状況でした。すなわち「最低でも県外」という私の考えが、米国側にきちんと伝わっていなかったのではないかと思います。 官僚のみなさんが米国側の事情を事前に忖度してしまい、こちら側に「それは無理です」というような答えがはねかえってきたというのが、実情に近いと思います。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀「対米従属という宿痾」(飛鳥新社)
2013827日(火)

 

 

<その3>
◆(鳩山)日本から見れば中国がいろいろな挑発行為を繰り返しているように見えますが、 逆に中国から見れば、日本が先に挑発し40年間も眠っていた問題を起こしてしまったという思いを持っているわけです。 日本としては、領土問題は存在しないと言っているのではなく、係争の地であることをまず認めるべきだと思いますね。

◆(鳩山)南京大虐殺の記念館の館長は、過去に対して恨みを持つのではなく二度とこのような事件が起きないように未来志向のために、 あえてこういうものを展示しているのだと話されていました。

◆(孫崎)基本的には中国は、日本が軍事的に出て来ない限り軍事的には訴えてきません。 中国が言っていることは極めて明快で、日本側が取る対応と同じことをやりますということです。 自衛隊が出てくれば向こうも軍が出てくる。自衛隊が出てこなければ軍も出てきません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀「対米従属という宿痾」(飛鳥新社)
2013826日(月)

 

 

<その2>
◆(孫崎)先日「ワシントン・ポスト」紙は、尖閣問題は棚上げにせよ、という踏み込んだ論評を出しました。 もうこれはたいへん正直な話なんですが 「我々アメリカは日本にとって軍備をやれとけしかけてきたけれど、それをいまの安倍政権がやり始めると都合の悪いことになってきた。」という内容なんです。

◆(孫崎) 鳩山さんの場合、いま受けている人物破壊工作を逆転する最も重要なポイントは沖縄にあると思うんです。 「普天間を最低でも県外に」とおっしゃりながらそれが実現できなかったことで、鳩山さんへの攻撃は決定的になったわけです。 いま多くの国民が沖縄の人たちは鳩山さんを裏切り者のように見ているかもしれませんが、実はいま沖縄で鳩山さんを評価している人はかなり多いのです。 沖縄の支持があるということは普天間のマイナスイメージを当事者が覆しているということですから、 このことが知られるようになれば非常に大きな意味を持つと思うわけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀「対米従属という宿痾」(飛鳥新社)
2013822日(木)

 

 

<その1>
ちょっと前までは著者3人の意見が言論界の多数派を占めていたはずなのに、随分と時代が変わってしまったようである。 以下本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

◆(鳩山)ビルマの民主化運動の立役者アウン・サン・スー・チーさんが解放されて日本に来られる前に、日本のことを指してこう言いました。
「過ちは誰にもあるが、過ちを認めることをためらうことこそ、本当の過ちである。」

◆(孫崎)もし鳩山政権というものが続いていたら消費税増税があったでしょうか?TPPに参加したでしょうか?尖閣問題が起きたでしょうか? オスプレイは配備されたでしょうか?原発の再稼働があったでしょうか?

◆(植草)政治家の仕事というのは、非常に矛盾に満ちた部分があるなということです。 逆境の中でも信念を貫けば政治力を失い、経済的にもいばらの道を歩むことになり、結果的には政治的信念を実現できないわけです。 また今日はメディアの情報コントロールがかつてないほど深刻になってきています。 鳩山政権の評価あるいはその後の鳩山さんの活動の評価ということになると、全メディアが口裏を合わせたように誹謗中傷の嵐です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 農文協編「TPPと日本の論点」(農山漁村文化協会)
201379日(火)

 

 

<その3>
◆主流派経済学の貿易理論に忠実な経済学者であるならば、最低でも「アメリカがドル安・低金利政策をやめ、 農業補助金を全廃することを日本のTPP参加にあたっての必須の条件とすべきである」と主張すべきである。 もし市場が為替と補助金によって歪められ、それを是正することが政治的には困難だというのであれば、少なくとも経済理論的には、 歪められた市場を関税によって矯正するという「セカンドベスト(次善)」の政策が正当化され得るということすら言えるだろう。

◆TPPは、実は経済学が理想とする互恵的な自由貿易を実現するものどころか、それとはまったく対極にある政策なのである。 とくに日本でTPPに賛成する論者たちには、TPPによって「アジア太平洋の成長を取り込む」などと言う者が多い。 これは口当たりはいいが、要はアジア太平洋諸国に輸出して自国の雇用を増やそうという、帝国主義的な近隣窮乏化政策を言い換えたものに過ぎない。
(以上が中野剛志助教の主張)

◆郵政が民営化されて以降、日本の簡保は解体されなかったではないかという人がいるかもしれない。 しかし、それは金融危機によってAIGが破綻したからなのだ。 もし金融バブルのさいにAIGがもっと慎重な経営を展開していれば、日本の簡保市場は蚕食されていただろう。

◆TPPへの参加後は早晩、農協共済の株式会社化と市場開放を要求してくることを意味している。 これだけでもTPPが郵政民営化と「同じ土壌から生じた同根の現象」であることが分かっていただけるだろう。
(以上がジャーナリズム東谷暁氏の主張)


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 農文協編「TPPと日本の論点」(農山漁村文化協会)
201378日(月)

 

 

<その2>
◆フランスにしばらくいると、社会の仕組みをつくるのは政策だと痛感する。フランスが農業国であることは広く知られている。 同時にパリにいると商業、とくに個人経営の小規模な商店を大事にしていることを実感する。 個性的な店が並び、人が行きかい、賑わいを醸し出すことこそ都市の魅力の源泉である。 こうした仕組みは、アメリカ流の市場万能主義と一線を画すという政策の所産である。

◆ウォルマートは労働組合を認めておらず、低賃金労働を広げる。またウォルマートが出店すれば、地域の小売業は根こそぎにされてしまう。 またウォルマートに納入する業者は価格を抑えられ、苦しむ。つまり徹底した自由化と低価格の追及は、人間の生活を破壊するのである。

◆国を開くというときに、我々は何を受け入れ何を守るのか。市場原理や競争原理を拡大するとき、どのような分野にあてはめ、 どのような分野は市場原理を除外するのか。このような基本的な問題についての議論を重ねることなしに、TPPへの参加など決めるべきではない。
(以上が山口二郎教授の主張)


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 農文協編「TPPと日本の論点」(農山漁村文化協会)
201375日(金)

 

 

<その1>
21人の著者がそれぞれのTPPへの思いを著している。以下本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していこう。

◆民主党は小選挙区において、自民党に対抗するために結成されたいわば寄せ集めの政党であり、政策の基本的方向性をめぐっては長年「自分探し」を続けてきた。 しかし2000年代の後半になってようやく新自由主義との対決、社会民主主義的な再配分に向けた政権構想を打ち出すにいたった。 「国民の生活が第一」というスローガンこそ、そのような路線の象徴であった。

◆それより大きな問題は、21世紀に入って経済成長が必ずしも普通の人びとの豊かさに結びつかないという現象が、顕著になったということである。

◆子どもを産み育てる現役世代において非正規労働が増加し、低賃金で働くことを余儀なくされる人びとが増えている今、子どもを社会で扶養することが必要である。 高齢者を社会で扶養する年金制度が正しい社会政策なら、子どもを社会で扶養するための子ども手当も同様のはずである。 ばらまきなどと言われてひるむ必要はないのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鈴木宗男、松木謙公、石川知裕「検察に嵌められた政治家たち」(日本文芸社)
2013528日(火)

 

 

<その4>
◆私(鈴木)は、私自身へのこの「国策捜査」がなければ国家国民に対する貢献をより果たすことができたと思っている。その第一が北方領土問題で、私の考えていた通り交渉が進んでいれば、間違いなくこの10年で目途がついていたと確信している。
まず歯舞群島、色丹島は返ってきていたし、残りの2つの国後島、択捉島の返還への目途もつけられていた思いもある。

◆実は、リクルート事件とは、名前は明かせませんが、誰もが名前を知っている一部上場企業の社長が中心的な役割を担って起こしたものだったんです。
つまり、江副さんは新興勢力だったので、業界のしきたりがわからず、既存勢力のその人物が株をここに配れ、あそこに配れと指図し、その人物の言った通りに行った。その社長は江副さんの金を使っていい顔をしていたんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鈴木宗男、松木謙公、石川知裕「検察に嵌められた政治家たち」(日本文芸社)
2013527日(月)

 

 

<その3>
◆故中川一郎先生がいつも言っていたのが、「小さな出世をしようと思ったら上にお世辞を使え。大きな出世をしようと思うなら、若いものの面倒を見ろ」ということであった。私(鈴木)は、それをずっと実践してきた。

◆読者の方は意外に思われるかもしれないが、長年政界に籍を置く私から見れば、基本的に、政治家に政治献金をしている人たちは、タニマチ的な考えの人が多い。つまり、何か見返りがほしくて、献金しているわけではなく、その政治家の人間性にほれ込んで、その人間に日本をよくしてもらいたいと純粋に考えている人が意外と多いということだ。
そのなかには、ある程度社会的にも成功している人もいて自分は豊かになることができたから、その恩を少しでも社会に返そうという社会貢献の意味で献金したりする人もいる。(松本)

◆民主党は選挙のときにマニフェストで、八ツ場ダムは、やめると言っていたのだからやめればいい。
八ツ場ダムをやめる話が公共事業を減らせ!という話にすり替わっていった。公共事業というものは減らせばいいという話ではない。公共事業で必要なものはやればいい。とにかく民主党というのは言っていることがどんどん変わっていくという部分がある。
司法改革にも特捜改革にもまったく取り組んでいないし、何もやってこなかった。言ったことはやらないが、言わなかったことはやる。これが民主党政権の本質なんですかね?


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鈴木宗男、松木謙公、石川知裕「検察に嵌められた政治家たち」(日本文芸社)
2013524日(金)

 

 

<その2>
◆例えば、小沢さんは、民主党代表時、まだこんな事件に巻き込まれる前に、検事総長を国会同意人事にしようと考えていた。取り調べの可視化とともに、小沢さんならやりかねないと検察は内心警戒していたはずだ。持論の記者クラブ廃止について、特権を持っている大マスコミの反発が容易に想像できる。
また、新聞再販売価格制度の廃止も口にしていたが、これも大手新聞社にとって大きな打撃だ。

◆私(鈴木宗男)は、実刑判決が確定した日、私の事件に対し、2012年11月29日、東京地裁に再審請求を行った。この国の支配者は、青年将校化した一握りのエリート官僚ではない。私はこの国の支配者は国民であることを検察との闘いにおいて明らかにしていきたいのである。

◆現在の不況下、数ある業界のなかでも、もっとも苦しいのは、やはり斜陽産業といわれるメディア業界であろう。出版業界、新聞業界は、小泉政治以後、広告も入らなければ、新聞、雑誌、本も売れなくなっている。
これは小泉改革を礼賛したメディア界自らが招いた結果ともいえる。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鈴木宗男、松木謙公、石川知裕「検察に嵌められた政治家たち」(日本文芸社)
2013523日(木)

 

 

「特捜部捜査の裏にある国家支配をめぐる権力闘争」がサブタイトルの本である。
以下、本書よりインパクトのあるくだりを要約して、御紹介していきたい。

<その1>
◆元特捜部検事の郷原信郎氏は、特捜部を解体して事件ごとに特例捜査部隊を地検の中でつくるべきと言う。つまり、地検をもっと充実させるべきだと主張している。ジャーナリストの魚住昭氏も特捜部を解体して、検察官は、二次的捜査をするチェック機関として独自捜査を行わないことにし、その代わり警察の二課を全国でもっと充実すべきだとしている。
元外交官佐藤優氏は、特捜部は特殊な案件があるから残すべきだと言う。その代わり、特捜部の検察官に対しては人間性を磨く教育プログラムをつくることが必要だ、と指摘している。
私(石川知裕)としては、特捜部改革だけでなく、法務省自体の改革も必要だと思っている。
まず日本の法務行政のトップは法務省の事務次官ではなく、最高検の検事総長である。法務省では、基本的に検事でなければ、主要ポストに就けない仕組みになっている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 三村文男「米内光政と山本五十六は愚将だった」(テーミス)
2013514日(火)

 

 

<その2>
◆支那事変が日米間の緊張を高め、日米戦争への大きな要因となったことを否定する人はいないだろう。
支那事変という日中戦争を解決しないまま、日本は米軍に戦いをいどみ、3年8カ月の後、ポツダム宣言を受諾して、米英中ソの連合国に降伏した。この時、本土決戦が予想されていながら、中国大陸には、105万の陸軍将兵が釘づけの状態であったのだ。

◆中国に対して(南京虐殺などの)無差別爆撃を加えた日本に(原爆投下などの)無差別爆撃をして何がわるいのかという論理は、口実としても一応成り立つのである。米内と井上は、その口実を敵国に与えたことを自覚し、懺悔すべきであった。

◆対米英戦争の勝敗が決したのが、ミッドウェイ海戦であったことは多くの史家が認めるところであるが、戦争はそれから3年以上も続けられた。「多くの指導者たちにとっては、戦争を続けることの方がそれをやめることよりもやさしかったからであった。」と奥宮正武元海軍中佐はその著書『真実の太平洋戦争』の中で書いている。
海軍あって国家なし。戦争のための戦争が無意味に続けられ、そのために多くの犠牲をまねいた真相が、このアッケラカンとした旧軍人の言葉に示されている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 三村文男「米内光政と山本五十六は愚将だった」(テーミス)
2013513日(月)

 

 

 「海軍善玉論」の虚妄を糺すというサブタイトルがついている。11年前に出版されたものであるが再読してみた。近年、山本五十六の映画も公開されたがそれは典型的な海軍善玉論(陸軍悪玉論)で出来ており、本書とは対照的である。
以下本書より、インパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆海軍大将の米内光政、山本五十六、井上成美は平和主義者三羽鳥といわれている。たしかに強いアメリカに対して、彼等は不戦を主張した。しかし、弱い(と見た)中華民国に対してはそうではなかった。

◆ことに米内光政は総理大臣として、また海軍大臣として、昭和史の重大局面にしばしば登場し、選択をせまられ、決断をして来た。その重責たるや、近衛文麿、東條英機に比して、より大ではあっても小ではなかった。しかもその判断の誤りが敗戦の惨禍を招来してしまった。

◆米内光政の強運の最たるものは、彼が東京裁判の訴追を免れたことであろう。支那事変を泥沼にした近衛声明にかかわった四相のうち、トップの近衛首相は昭和20年12月16日に自殺死体として発見された。杉山陸相も裁判前に拳銃で自決し、夫人もそれに殉じた。広田外相は裁判を受け、文官としてひとり絞首刑となった。近衛声明の最大の推進者であった米内海相は、米軍から平和主義者と目されて、拘引されることもなく、弁護側証人として出廷するのみでおわった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志「官僚の反逆」 (幻冬舎)
2013329日(金)

 

 

<その2>
◆官僚バッシングが流行っているのは、日本が大衆社会化し、そして大衆が官僚を「選ばれた者」「みんなと違う人」とみなしているからにほかならない。

◆大衆とはみずからを、特別な理由によって―よいとも悪いとも―評価しようとせず、自分が<みんなと同じ>だと感じることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、―そのような人々全部である。(哲学者オルテガの著書より)

◆「大衆」の反対は「エリート」であるが、「エリート」もまた、特定の階層や職業を意味するものではない。オルテガによれば「エリート」すなわち、「選ばれた少数派」とは「自分に多くを要求し、自分の上に困難と義務を背負いこむ人」のことである。

◆オルテガが著した「大衆の反逆」は30年代の全体主義という時代状況の病理をとらえた現象である。本書がとりあげる「官僚の反逆」もまた、現代日本の蝕んでいる社会病理現象である。いつの時代でも、どこの国でも、反逆が起きるのは、政治が乱れていたり、社会が歪んでいたりする場合であろう。官僚が公然と反逆しているという現象を分析することで、現代日本の社会、そして精神が抱えている問題の本質が明らかになるのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志「官僚の反逆」 (幻冬舎)
2013328日(木)

 

 

帯には「改革は官僚に騙されるな!」と書かれている本である。
以下、著者の主張の中からインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

<その1>
◆政権交代を実現したマニフェスト選挙から3年が経った2012年、政治は混迷を極めている。民主党は自らが掲げたマニフェストをほとんど実現できなかったということで、批判されている。しかしマニフェストを実現できなかったことが問題なのではない。マニフェストを掲げたことが問題なのである。マニフェスト選挙とは、「官僚支配」を実現するものだからだ。

◆マックス・ウェーバーによれば、契約を誠実に履行するのは政治家ではなく、官僚に求められる倫理なのである。政治家に求められるのは、規制や命令に忠実であることよりも、不確実性や困難にもかかわらず、決断を下し、そして自らが下した決定に対する責任から逃げないことである。

◆中央銀行の独立性の強化やインフレ目標政策もまた官僚制的支配の一形態と言える。インフレ目標論者は、インフレの原因には、さまざまなものがあることに注意を払っていない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 平野貞夫「小沢でなければ日本は滅ぶ」 (イースト・プレス)
2013221日(木)

 

 

<その4>
◆宮澤喜一さんは政治を「理論と政策」と割り切っているところがあった。一方、私は政治とは「相手をどう説得するか」であり、心理的で感情的なものだと考えていたから、会うたびに大論争になった。また、「金丸さんや角栄さんの政治発想や政治意識を理解しなければ、総理大臣になれない」と言って、宮澤さんを怒らせたものである。

◆小沢一郎の良さは「他人を疑わないこと」であり、「同志と思う人間は自分を理解してくれる」という人間観を持っていることだ。しかしそう簡単に事が運ばないのが政治の世界である。

◆自民党政権・検察など旧体制官僚・巨大メディアなどは小沢一郎を政治的に失脚させることが共有の目的となっていた。
そのため西松事件や陸山会事件など、小沢氏の「政治とカネ」を虚構し、失脚をねらった東京地検特捜部は1年数か月と約30億円といわれる税金を使って、徹底的に小沢氏周辺の政治資金を捜査したが、立件するに至らず不起訴と決定した。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 平野貞夫「小沢でなければ日本は滅ぶ」 (イースト・プレス)
2013220日(水)

 

 

<その3>
◆私は小沢さんが「剛腕」「壊し屋」と呼ばれているのは、誤った評価、誘導された世論によって形成された、「虚像」であると断言できる。さらに言えば、小沢一郎とは、実は重要な政治問題での闘いで、「裏切られる」あるいは「騙される」形で敗北もしてきた政治家だ。

◆ある雑誌記者に「小沢さんと上手につき合うコツを教えてほしい」と聞かれたことがある。そのときに、「彼と付き合うには思考空間を共有しなければならない。でもうまく付き合えれば大変な思考エネルギーと論理エネルギーが出てくる人だから面白いですよ」と話した。

◆トリックスター的な素質を持っている政治家の特徴は「突拍子もないことをいっても追及されない」ということだ。これはもうひとつの才能である。こういう素質を持った政治家がいなくなって、みんなが「いい子」になってしまったところに、今日の政権が長く続かない原因のひとつがある。
たとえば、佐藤栄作政権が長く続いたのは、大蔵大臣などの要職で佐藤首相を支えた田中角栄というトリックスターがいたからだ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 平野貞夫「小沢でなければ日本は滅ぶ」 (イースト・プレス)
2013219日(火)

 

 

<その2>
◆藤井裕久氏は端的に評すれば、「政治判断がまったくできない政治家」だ。確かに彼は大蔵省の秀才であるが税制改革、ことに消費税制度の創設には、ほとんど関わっていない。つまり大蔵省的形式論理しか知らない政治的認知症なのだ。政治感性があれば総理大臣にもなれたと思うのだが、残念でならない。

◆平成21年の政権交代は、まさに市民が政権をつくったという意味で大変意義のあるものだった。ところがその政権の中に悪霊たちが入り込んでしまった。官僚的「悪霊」の典型が藤井氏であり、利権的「悪霊」の典型が渡部恒三氏である。彼らが民主党政権を消費税増税と原発再稼働に引っ張り込んでいく。

◆今の民主党の議員に特徴的な点は、政治でも経済でも社会問題でも自分が理解している部分と、理解してない部分の区別ができていないことだ。これは政治家にとって致命的である。
「ここまではわかるけど、ここから先はどうすればいいかわからない」という整理ができて初めて、人の話を聞き、学び、政策に生きるのだ。ところが、その姿勢が今の議員にはない。
また知識もそうだが、人を説得する力がないから、自分の理屈を並べ立てるばかりで人間味が感じられない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 平野貞夫「小沢でなければ日本は滅ぶ」 (イースト・プレス)
2013218日(月)

 

 

小沢一郎の知恵袋と呼ばれた平野氏の著書である。以下、本書よりインパクトのある箇所を要約して、御紹介していきたい。

<その1>
◆平成18年の参議院選挙の直前、小沢さんは私に「混迷する資本主義に対応しうる、日本でのセーフティネットを早急につくる必要がある。同時に国民の生活を向上させ、消費を増進させ、経済を流動化させるのが基本政策だ。財源はこれまでの予算の総点検と制度の入れ替えて捻出できる。」と言ってました。

◆これまでの社会保障はいわば「機会の平等」だ。要するに「収入を得るチャンスは平等に与えられるから、後は自力でやってほしい。」というものだ。ところが21世紀のマネーゲーム型資本主義では、最低限度額一定の結果の平等が必要な社会になっている。
「後は自力で」と放り出されてきた結果、一握りの成功者以外の多くの人が振り落されてしまうからだ。この格差社会の犠牲者を救い出すのが、最低保証年金制度だったのだ。

◆中国では「野田外交は三面楚歌」と言われているが、オスプレイ問題など米国の航空機メーカーを倒産させないための沖縄への配置だ。その配置で東アジアの安全保障はより混乱するだろう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 郷原信郎「検察崩壊 失われた正義」 (毎日新聞社)
201321日(金)

 

 

<その3>
◆(郷原):どうして田代報告書が表に出たかというと、小沢弁護団が指定弁護士側に不起訴裁定書や不起訴記録の開示を執拗に求めたからです。つまり検察が自分で開示したものではないし、このとき小沢氏の弁護団が強く求めなければ、公になることもなかった。一方、前田検事の証拠改ざんの問題については大坪さんの部下の検事たちが大騒ぎしていた。いずれは表に出る可能性が強かったのです。

◆(八木啓代):民主主義の下で、選挙で民主党が選ばれた以上、代表の小沢氏が総理になるというのが当然です。
ところが検察の捜査によってそれが阻まれてしまった。しかも、この検察の捜査自体に非常に大きな問題があったということになると、これは私の見方からすればクーデターです。

(郷原):クーデターが軍事的な力によるものであれば、、わかりやすいですね。しかし検察のアクションによる実質クーデター的なものは、司法のベールみたいなものに覆われているところがあります。クーデターとは判断するのが難しいものです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 郷原信郎「検察崩壊 失われた正義」 (毎日新聞社)
2013131日(木)

 

 

<その2>
◆(郷原):私がこれまで特捜の問題として指摘してきたのは、事件のストーリーを作り上げて、それを調書にして、脅したり、騙したりして、署名させるということだったんですが、今回はそうじゃなくて、取調べの経過のストーリーを作り上げて、しかも、そのストーリーを本人が署名する必要のない報告書にして、それを検察審査会に送った。

(石川):素人の検察審査会の人なら、完全に騙されます。

◆(大坪弘道):私が特捜部長として指揮していた捜査に関して、私の判断や対応のコツがどのように間違っていたのかをはっきりさせた上で、村木さんに対しても、しっかり謝罪をしなければならないと考えています。しかし私は監督責任を問われることはあっても、自分自身が犯罪者として処罰を受けるようなことは、絶対にしていません。

(大坪):前田検事がおこなったこと自体は本来の検事としてあるまじき行為です。しかし改ざんした証拠が法廷に提出されたわけではありません。きちんとしたデータが法廷に出ています。裁判に影響を与えていないという点が田代問題とは、決定的に大きく違うところです。
また、前田検事の事件は、彼による単独犯の証拠改ざんです。一方、東京の虚偽の捜査報告書の問題については、それによって検察審査会に誤った判断をさせようし、しかも、それが組織的なものであるという疑いが一審判決でも指摘されています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 郷原信郎「検察崩壊 失われた正義」 (毎日新聞社)
2013130日(水)

 

 

<その1>
本書は郷原氏と検察問題と関わりのある人々との緊急対談本である。
以下、インパクトのあるくだりを要約して、御紹介してみたい。

◆(郷原):「解体的出直し」ですね。本当にそれしかないでしょうね。
(小川敏夫元法務大臣):戦後まもなくは、検事総長は民間人でしたよね。
(郷原):ええ。結局、検察は従来のような組織の在り方を維持しようということばかりを考えてきて、大阪地検不祥事も今回の東京地検の問題も、小手先で表面的なところだけで済まそうとしてきた。

◆(郷原):そしてもうひとつこわいのは、内部がどんどん腐っていくということですね。先ほど話題に出た、三井環氏の問題に関しても、私は当時、まだ検察の現場にいましたがあのあたりから組織のモラルが急速に弛緩してきたような気がします。
(小川):証拠さえつかまえられなきゃ、後は頑として言い張っていればいいんだ、と。

◆(石川知裕):検事とのやりとりの中で小沢さんを排除することが政権交代を成し遂げた民主党を生かすことだと思っている節がありました。ということは、やはり検察は、政治は自分たちが決めていると思っていることの裏返しです。
検察の政治介入というのを強く感じましたよね。

(郷原):私も長く検察に身を置いて、政界につながる捜査にも関わってきた人間ですが、検察が政治的な動機を実現するために捜査権限、処分権限を使うことは絶対に慎まないといけない。検察にとっての、まさに鉄則のような話なんです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鈴木宗男「政治家崩壊 〜「情」の政治を取り戻すために〜」 (徳間書店)
2013129日(火)

 

 

<その3>
◆私は小泉政権時代、「抵抗勢力」と呼ばれ続けた。また、私は新自由主義政策に反対し、「弱肉強食はいけない」と主張し続けた。あの頃は強者が善で、弱者が悪と言われていたのだ。
もちろん、努力が報われない社会ではいけない。努力した者が成功するのは当然だが、新自由主義の考え方は、100人いれば、そのうちひとりだけが勝利して、あとは全員負けである。これで日本経済が立ち行くはずがない。

◆小泉氏は「特定郵便局」を目の敵にしていたが、特定郵便局は赤字ではない。国民の税金を使って赤字なら批判されてもしかたないが、民間のお金を自分たちで集めて自分たちで回して、黒字経営だった。労組とももめてないし、国鉄や電電公社とは違うのである。真面目にやって結果を残しているのに、なぜ民営化するのか。これは、アメリカからの圧力だったのである。

◆全国の国民のうち、「鈴木宗男がなんの事件で逮捕され、なぜ実刑を受けたか」を正しく答えられる人はほとんどいないだろう。
知られているのは、「ムネオハウス」や「疑惑の総合商社」といったワンフレーズだ。繰り返すがこれは事件になっていない。何も悪いことはしていないからだ。フレーズだけがひとり歩きしたのだった。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鈴木宗男「政治家崩壊 〜「情」の政治を取り戻すために〜」 (徳間書店)
2013128日(月)

 

 

<その2>
◆総理大臣たる物は、すべてを統括する立場として、官邸からどっしりと動かずに最新かつ最上の情報を集め、最善の判断をすることに傾注すべきだ。現場には3人の官房副長官のうちひとりを張りつかせればよい。それにしてもヘリで空中視察することに何の意味があるのか。

◆批判の多い党内の「派閥」にも効用がある。
50人を超える派閥の領袖になるには、相応の器がなければならない。それぞれの派閥が競い合って切磋琢磨し、結果として自民党のレベルを高めてきた。

◆派閥の領袖が総理になるのは、森喜朗氏までだった。昭和の首相たちは、派閥の若手を育て、自身も尽力してきたのに、小泉氏は他人の面倒を見ることの少ない政治家だと、よく言われた。

◆小泉氏は政治手腕に自信がないから、若手の面倒を見ることもなく、誰も動かせない。若手にメシを食わせるよりも、オペラや歌舞伎を見に行きたいのだ、だからマスメディアを使って、ポピュリズムを煽り、衆愚政治を進行させた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 鈴木宗男「政治家崩壊 〜「情」の政治を取り戻すために〜」 (徳間書店)
2013125日(金)

 

 

私だけが知っている永田町のA級戦犯たちという言葉が本の帯に書かれている。
以下、本書よりインパクトのある箇所を要約して、御紹介していきたい。

<その1>
◆政治家や財界人を育てようという松下政経塾の志は確かに正しいし、私としてはこの私塾そのものを悪く言うつもりはない。ただ、問題視すべきなのは、入塾生に対して、毎月20万円ものお金を「研修資金」として支給していることだ。
全寮制でそれも水道光熱費を含めほぼ無料と聞いている。そんな満ち足りた状況で勉強するのでは何も蓄積されない。

◆「男たるもの、言い訳はしない。」という美学は、それはそれでいい。しかし政治家として国民への説明は避けては通れない。政治不振の時代、それは特に必要条件となるだろう。表に出ないままでは、「小沢一郎はわかりにくい政治家」のひと言で片づけられてしまう。口を閉ざすのは決して得策ではない。

◆外交の最前線では、細やかな対応が望まれるものだが、原則はシンプルだ。約束を守ることと、できない約束はしないことである。北朝鮮との外交においても、このシンプルな原則が守られていない。
拉致被害者の「2週間の期限を区切った一時帰国でも日本側がルール違反をして、この日数を経たのちも北朝鮮に戻らせなかったのである。
「2週間」という条件をおかしいと思えば、その交渉の現場で言うべきだった。あとから反故にするのはよくない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「戦後史の正体」(創元社)
2013122日(火)

 

 

<その16>
◆米国がなぜ日本にTPPを執拗にせまるのか。理由は2つあります。
ひとつは日本が中国と接近することへの恐れです。もうひとつは米国経済の深刻な不振です。

◆終戦直後ふくれあがるGHQの駐留経費を削減しようとした石橋大蔵大臣は、すぐに公職追放されてしまいます。そのときかれはこう言っているのです。
「あとにつづいて出てくる大蔵大臣がおれと同じような態度をとることだな。そうするとまた追放になるかもしれないが、まあ、それを2、3年つづければ、GHQ当局もいつかは反省するだろう。」
そうです。先に述べたとおり、米国は本気になれば、いつでも日本の政権をつぶすことができます。しかし、その次に成立するのも、基本的には日本の民意を反映した政権です。
ですからその次に政権と首相がそこであきらめたり、おじけづいたり、みずからの権力欲や功名心を優先させたりせず、またがんばればいいのです。自分を選んでくれた国民のために。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「戦後史の正体」(創元社)
2013121日(月)

 

 

<その15>
◆福田康夫首相時代、米国はアフガニスタン戦争への自衛隊ヘリコプターの派遣を強硬に要求しました。さらにその後、破綻することが確実な金融機関への巨額の融資を求めました。福田首相は辞任することによって、この要求を拒否したようです。

◆鳩山首相は沖縄の普天間基地を「最低でも県外移設」と提言し、つぶされました。このとき、直接手を下したのは米国人ではなく日本の官僚、政治家、マスコミです。

◆鳩山首相が「最低でも県外移転」といったことに対して、政府内のだれも鳩山首相のために動こうとしませんでした。首相が選挙前に行った公約を実現しようとしているのに外務省も防衛省も官邸も、だれも動こうとしなかったのです。
異常な事態が起こっていました。日本の政府も首相ではなく米国の意向にそって動くという状態が定着していたのです。残念ながら日本のマスコミはこの点をまったく報道しませんでした。

◆菅首相になって突然TPPの参加問題が浮上します。TPPの狙いは日本社会を米国流に改革し、米国企業に日本市場を席巻させることです。日本にとってはきわめて危険な要素をもっています

◆米国の関税は現在2%程度です。米国との自由貿易で日本の輸出が増えることはありません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「戦後史の正体」(創元社)
2013118日(金)

 

 

<その14>
◆「在日米軍基地は逐次縮小・整理する」「米国の走狗にならない」という考えを1969年の日本の外務省はもっていたのです。

◆なぜアメリカは田中角栄首相を政治的に葬りたかったのでしょうか。私は日中国交回復が米国を怒らせたのだと思います。

◆「自主」と「対米追随」の差は、
@つねに米国との関係を良好にすることをめざすのか、
A少々、米国との間に波風を立てても日本の国益上守るべきものがあるときや、米国の言いなりになると国益上マイナスになる時は、はっきりと主張するかというところにあるのです。

◆冷戦後、どの国が米国にとって最大の脅威でしょうか。それは日本です。(厳密に言えば、日本の経済力)

◆CIAは日本の経済力を米国の敵と位置付け、対日工作を大々的に行うようになります。

◆裏社会でのCIAの工作と並行して、表社会では、日本政府と米国政府とのきびしい交渉が行われました。

◆日本はイラク戦争に参加しました。でもその理由はなんだったのでしょうか。「米国に言われたから」それ以外の理由はないのです。

◆たとえ正論でも群れから離れて論陣を張れば干される。大きくまちがっても群れのなかでのべていれば、つねに主流を歩める。そして群れのなかにいさえすれば、いくらまちがった発言をしても、あとは検証されることはない。これが日本の言論界です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「戦後史の正体」(創元社)
2013117日(木)

 

 

<その13>
◆「米国の言うことをハイハイとは聞かない」という石橋湛山首相の姿勢は具体的に、どのような政策になってあらわれる可能性があったのでしょうか。
ひとつは米軍駐留問題です。すでに1947年の占領時代でさえ、大蔵大臣だった石橋は米軍の駐留経費削減を要請しているのです。
もうひとつは中国問題です。石橋は「日本が中国についてアメリカの要請に自動的に追従していた時代は終わった」と語っています。

◆60年代安保闘争時の全学連書記長であった島成郎は次のように述べています。
「私を心の底から疲労させたのは、みずからよって立ち、みずからをうながしてきた原理への確信の揺らぎだった。」

◆欧米が植民地支配をするときは、よくその国の少数派と手を組みます。これがセオリーです。主流派は別に外国と手を組まなくても支配者になれるからです。でも少数派はちがいます。外国と手を組むことではじめて、国の中心に進出することができるのです。

◆ライシャワー駐日大使は「賢明かつ公正であること、フェアであること、日本の保守派とだけつきあうのではなく、知識人やインテリをふくむさまざまな社会階層と接することが必要であり、またそうする以外にすべはない」という考えをもっていました。
長い日米の外交史のなかでも、こうした理念にもとづき行動した米国人はきわめてまれだといえるでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「戦後史の正体」(創元社)
2013116日(水)

 

 

<その12>
◆さらに重光は「在日米軍支援のための防衛分担金は今後廃止する」ことも主張しています。「米軍は米国の都合で、日本に留まっている」ということを彼はよくわかっていたのです。

◆天皇は外交交渉におもむく前の外務大臣に、「在日米軍の撤退はダメだぞ」と念を押しているのです。このことからもわかるように、戦後の歴史において昭和天皇はけっしてたんなる象徴ではありませんでした。昭和天皇とマッカーサーの11回におよぶ会話を詳細に分析した豊下楢彦教授によると、吉田首相の米軍基地に関する極端な属米路線には、こうした「在日米軍の撤退は絶対にダメだ」という昭和天皇の意向が影響していた可能性が高いようです。

◆戦後史のなかで、重光葵は米国に対して自主路線をもっとも強く主張した人物でした。 その重光外務大臣は鳩山内閣の崩壊にともない、ダレスとの交渉をした翌年の1956年12月23日、辞任しました。そしてわずか1カ月後の1957年1月26日急逝しています。

◆日本で原子力開発が始まったのは米国の意向を反映したものでした。その理由は、第五福竜丸の被曝によって日本人が急速に反原子力、反米に動くのを阻止することでした。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「戦後史の正体」(創元社)
2013115日(月)

 

 

<その11>
◆私は日本の最大の悲劇は占領期の首相(吉田茂)が独立後も居座り、占領期と同じ姿勢で米国に接したことにあると思っています。

◆米軍はドイツやイタリアでは、基本的に相手国の法律を守って行動することになっています。それに対し、日本の行政協定では、米軍は日本の法律を守る必要がなく、基地の運営上必要であれば、なにをしてもいいことになっています。

◆米国が独裁者を切るときには、よく人権問題に関するNGOなどの活動を活発化させ、それに財政支援を与えて民衆をデモに向かわせ、政権を転覆させる手段を使います。2011年にエジプトとチュニジアの独裁者を倒した「アラブの春」にもそうした側面がふくまれています。

◆重光外相は米国地上軍を6年以内、米国海空軍を米国地上軍の撤退から6年以内、合計12年内に米国の完全撤退を提言している。(米国務省内のメモより)
まだ、本当に弱小国だった1955年の日本が主張しているのです。普天間基地ひとつ動かすことさえ「非現実的だ」としてまったく検討しない現在の官僚や評論家たちはこういう歴史を知っているのでしょうか。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「戦後史の正体」(創元社)
2013111日(金)

 

 

<その10>
◆財閥解体には別の目的もありました。それは旧財閥を基盤とする戦前の経済人の力を弱め、代わりに米国に協力することにまったく抵抗のない人びとを日本の経済界の中心にすえるということです。 その中心が1946年4月に米国の青年会議所などをモデルとして設立された経済同友会でした。

◆米国の国務省顧問だったダレスの考え「われわれ(米国)が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を確保する、それが米国の目標である」

◆2009年9月から2010年5月まで鳩山由紀夫首相が普天間基地問題で「最低でも圏外」とし、「国外移転」に含みを持たせた主張をしました。これは日本の首相として、歴史的に見てきわめて異例な発言でした。日本側から米国基地の縮小計画をもちだしたケースは過去半世紀のあいだ、ほとんどなかったからです。ですから鳩山由紀夫首相のこの主張は米軍関係者とその日本側協力者から見れば、半世紀以上つづいてきた基本路線への根本的な挑戦でした。そこで鳩山首相をつぶすための大きな動きが生まれ、その工作はみごとに成功したのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「戦後史の正体」(創元社)
2013110日(木)

 

 

<その9>
◆旧安保条約でなにが一番問題だったか見てみましょう。
最大の問題は、旧安保条約には、米軍の日本駐留のあり方についての取り決めがなにも書かれていないことです。それは条約が国会での審議や批准を必要とするのに対し、政府間の「協定」ではそれが必要ないため、都合の悪い取り決めは、全部この行政協定のほうに入れてしまったからなのです。

◆日本安全保障体制を金科玉条として、万事アメリカにおうかがいをたてる、アメリカの顔色を見て態度を決めるという文字どおりの対米追随的態度は、日本人の中にしっかりと定着したのである。

◆西村熊雄、寺崎太郎、大野勝巳らは外務省のなかで、けっして傍流の人たちではありません。とくに、西村や寺崎は最前線で米国との交渉を行った人物です。その彼らが外務省の対米追随一辺倒のあり方に、強く継承を鳴らしていたのです。寺崎太郎は戦後次官までした人物ですが、現在、寺崎太郎のことを知っている外務官僚はほとんどいません。彼の考えは知られては困るのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「戦後史の正体」(創元社)
201319日(水)

 

 

<その8>
◆米国は、イランをけっして攻撃しないというように特定の出来事が起こらないと推定し、その推定にもとづいて、政策を立てるのはまちがいです。

◆そもそも日本は第2次大戦によって、どの程度、経済的な打撃をうけたのでしょうか。日本は東京や大阪などの大都市が空襲にあっています。生産財、消費財、交通財、これらをすべてあわせると被害はどれくらいでしょう。答えは24,5%といわれています。

◆1952年10月に行われた占領終結後、最初の国会議員選挙では、衆議院の議席の42%を追放解除者が占めることになります。

◆「周知のように、日本が置かれているサンフランシスコ体制は時間的には平和条約(講和条約)―安保条約―行政協定の順序でできた。だがそれがもつ真の意義は、まさにその逆で、行政協定のための安保条約、安保条約のための平和条約でしかなかったことは、今日までに明らかになっている」(寺崎太郎)


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「戦後史の正体」(創元社)
201318日(火)

 

 

<その7>
◆ここで昭和天皇はGHQ側に対して「沖縄を半永久的に軍事占領していてほしい」と伝えているのです。さらに驚くべきことに、沖縄の現実はいまでも基本的のこの昭和天皇の要望通りになっているのです。昭和天皇は戦後の日米関係を構築するうえで、ここまで深く直接かかわっていました。

◆米国の「日本経済を低水準にとどめておく」という政策は1948年に変更されます。「東アジアでは将来、ソ連とのあいだで戦争が起こるかもしれない。そのときに日本を防波堤として使いたい。そのためには日本の経済を少なくとも自給自足できるレベルまで引き上げておく必要がある。」

◆「冷戦の推移は巣鴨でのわれわれの唯一の頼みだった。これが悪くなってくれば、首を絞められずに(死刑にならずに)すむだろうと思った。」(岸信介証言録)

◆その結果、米国にとってもっとも重要な世界戦略の目的がそれまでの「日本とドイツが2度と立ち上がれないようにすること」から「ソ連に対抗すること」に変化します。そうなると将棋のコマとしての日本のあつかいも変わってくるのです。

◆歴史は過去を知るために学ぶのではなく、現在起こっている問題を理解するために学ぶのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「戦後史の正体」(創元社)
201317日(月)

 

 

<その6>
◆天皇には明白な戦争責任がある。それなのになぜ、連合国が最初から天皇を裁かないことを決めているかといえば、それは「連合国の利益」のためだからです。こうした状況は、その後の天皇制に大きな歪みをもたらしました。本来、天皇は日本の「象徴」として、もっとも日本的であるべき存在です。しかし米国から見て「天皇が米国にとってだれよりも利用価値がある」ということでなければ、天皇制は廃止になってしまいます。したがってこのあと見ていきますが、昭和天皇はもっとも強固な日米同盟推進者になります。

◆占領時代、日本は米軍駐留費として大きな額を支払っています。このとき米国に減額を求めて追放されたのが石橋湛山で、米国のいうとおりにしたのが吉田茂でした。

◆日本は敗戦後、大変な経済困難にあいます。このなかで、6年間で約5000億円、国家予算の2割から3割を米軍の経費にあてているのです。ちょっと信じられないような金額です。

◆米国の情報部門が日本の検察を使ってしかける。これを利用して新聞が特定の政治家をたたき、首相を失脚させるパターンが存在することは昭電事件からもあきらかです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「戦後史の正体」(創元社)
201314日(金)

 

 

<その5>
◆日本は1945年9月2日降伏しました。「米国のいうことにはなんでもしたがいます」というのが条件です。 それが1945年9月2日から1951年9月8日(日本時間9日)のサンフランシスコ講和条約までの日本の姿なのです。

◆重光葵は「占領軍に対するこびへつらい」を激しく批判しました。歴史上敗戦国は多々あります。 占領軍のための慰安婦が町に出没することはある。慰安施設が作られることもあります。 しかし、警備局長やのちの首相という国家の中核をなす人間が、率先して占領軍のために慰安施設を作るという国があったでしょうか。

◆こうした状況について重光葵は次のように書いています。 「結局日本民族とは、自分の信念をもたず強者に追随して自己保身をはかろうとする、三等・四等民族に墜落してしまったのではないか」

◆戦後の日本外交における「自主路線」のシンボルが重光葵です。「対米追随」路線のシンボルが吉田茂です。 そして重光は当然のように追放されます。

◆この「日本が米国の保護国である」という状況は、占領時代に作られ現在までつづいているものです。 ではなぜ「日本が米国の保護国である」という状況が、一般国民の眼には見えないのでしょう。 それは実にみごとな間接統治が行われているからです。

◆日本には保守本流という言葉があります。 一般に「吉田茂がひきいた旧自由党系の流れをくんだ池田勇人、佐藤栄作などの官僚出身の政治家(いわゆる吉田学校)を中心とした勢力」とされています。 この保守本流こそは戦後の日本政治そのものであり、その精神は今までつづいています。その根本は「従米」なのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「戦後史の正体」(創元社)
20121228日(金)

 

 

<その4>
◆日本政府は「連合国最高司令官からの要求にすべてしたがう」こと。これが降伏文書の中身でした。 第2次大戦後約6年半の占領期にも、日本には天皇や政府が存続しています。首相もいます。 しかし天皇や首相がみずから国の方針を考え、政策を出していたわけではないのです。

◆占領期の日本の首相は吉田茂ですが、彼の役割は「米国からの要求にすべてしたがう」ことにありました。 吉田首相は政策を決める立場にはなかったからです。決めるのは連合国最高司令官マッカーサーでした。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「戦後史の正体」(創元社)
20121227日(木)

 

 

<その3>
◆そしていよいよ戦況がどうしようもなくなると、最後は「玉砕する」「自害する」。それが責任のとり方でした。 阿南陸相は8月15日、陸相官邸で自刃します。「一死をもって大罪を謝し奉る」が遺書の文句です。 しかし申し訳ないが「一死」では「大罪」をつぐなえないのです。

◆9月2日、日本は降伏文書に署名しました。さて日本は終戦記念日を8月15日とし、9月2日としていないことになにか意味があるのでしょうか。 あります。それは9月2日を記念日とした場合、けっして「終戦」記念日とはならないからです。あきらかに「降伏」した日なわけですから。 そう、日本は8月15日を戦争の終わりと位置づけることで、「降伏」というきびしい現実から目をそらしつづけているのです。 それが日本の戦後だったといえるでしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「戦後史の正体」(創元社)
20121226日(水)

 

 

<その2>
◆米国はできるだけ農水省や経産省といった省にではなく、首相の下に諮問機関を作らせ、そこに権限を集中させようとします。 そうすれば圧力をかける手間が少なくてすむからです。 こうした事実を現場で実際に体験していないと。「それは陰謀論だろう」などと安易にいってしまうことになります。 しかし少しでも歴史の勉強をすると、国際政治のかなりの部分が陰謀論によって動いていることがわかります。

◆だから基本は証拠は絶対に表に出ないのです。しかし現実には裏工作は存在する。 「証拠がなければそれは陰謀論だ」などといっていては話にならないのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「戦後史の正体」(創元社)
20121225日(火)

 

 

<その1>
日本における最大のタブーは「米国からの圧力」である。それを軸に1945年から2012年まで、つまり戦後史を読み解いているのが本書の内容である。 以下本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

◆そのなかでくっきり見えてきたのが、戦後の日本外交を動かしてきた最大の原動力は、 米国から加えられる圧力と、それに対する「自主」路線と「追随」路線のせめぎ合い、相克だったということです。

◆日米交渉の最先端で米国と交渉していた大蔵省の知人も、次のように振り返っています。「アメリカと交渉する。 今度は勝てるかもしれないとがんばる。とたんにうしろから矢が飛んで来る。 見ると首相官邸からだ。『もうそれ以上主張するのはやめておけ』。そんなことが何回あったかわからない。」


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
20121210日(月)

 

 

<その20>
◆ベルリンの壁が崩壊しソ連も解体され、冷戦が終結したにもかかわらず、なぜか日本のなかに米軍基地は存在し続けています。 しかも鳩山由紀夫が「有事駐留」「最低でも県外」、小沢一郎が「第七艦隊だけで十分」と主張しただけで、アメリカだけでなく 日本のマスコミや政治家、官僚が「荒唐無稽」「軍事オンチだ」と罵り袋だたきにしました。 アメリカによって植え付けられた「アメリカに追随しなければ日本に未来はない」という強固な幻想に、誰もがとらわれているのです。

◆存在意義が危うくなってくると、CIAが決まって言うセリフがあります。 「戦後の日本を見てくれ。我々の工作の傑作である。」占領統治が終わった後も日本はアメリカから諜報工作で操られ、都合よく利用されてきたのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
2012127日(金)

 

 

<その19>
◆元外務次官の大野勝巳も「霞が関外交」で、吉田茂首相が外務官僚を集めて「戦争に負けたからには敗者として、潔く対処するしかない。 戦勝国の占領政策に誠意をもって協力することが肝要である。」と訓示したと述べています。

◆アメリカが吉田茂を高く評価し、岸信介を60年安保闘争で失脚させた後、吉田茂に「もう1度、首相をやれ」とまで進言しているのは、 吉田がアメリカにとってもっとも都合がいい「ポチ」だったからにほかなりません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
2012126日(木)

 

 

<その18>
◆論説委員は財務省のポチの典型ですね。・・・メディアは公正、客観的な報道だとか、真実の追求なんていうけど、役所にすれば情報操作の対象でしかない。

◆はっきりいって新聞の経済記者が主計局とケンカして財政の記事を書けるかというと、普通は書けない。 逆に、役所のポチになって情報をもらえば、どんどんエサをもらって太っていき社内で出世もできる。 それを断ち切ると記者は生きて行く場所を失う気持ちになる。

◆終戦直後の占領時代でも、重光葵は「米軍の完全撤退」を主張してアメリカと交渉しました。芦田均も「有事駐留」論を展開しました。 占領時代であっても日本の国益を第一に考えて、自主自立を主張した宰相は存在していたのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
2012125日(水)

 

 

<その17>
◆官房副長官は法務・検察と財務・国税と週一回定例会議を開いて、政治家トップの弱みを情報交換している。 鳩山さんはそこで弱みを握られたから、政権を取っても政治主導なんてできるはずなかった。

◆92年頃のアメリカの脅威は日本経済だった。情報分野でも今後は経済工作が重要だとして、予算の4割くらいが対日工作に充てられた。 CIAが軍事から経済の情報収集に人員と予算をスイッチし、当時の通産省を盗聴していたわけですから。

◆政治家の対米追従路線の中で、霞が関ではアメリカのいうことを聞く官僚グループが出世していく。 彼らは自分たちの立場、利権を守るために、アメリカは何も言っていないのに「アメリカの意向」を持ち出す。 とくに財政や金融に限っていうと、こうしたケースが非常に多い。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
2012124日(火)

 

 

<その16>
◆多くの日本人は「在日米軍は日本領土を守るために日本にいる」と信じていますが、モンデール駐日大使ははっきりと、 アメリカには米軍を出動させる義務はないと言っているのです。

◆北方領土の領有権問題は、日本とソ連の間で紛争が起きるように、アメリカが仕込んだ火種だと言えます。 北方領土は第2次大戦末期にアメリカがソ連に対し、対日戦争に参加してもらう代償として与えた領土なのです。 またアメリカは冷戦が勃発した後、日本が国後・択捉の領有を諦めて南側2島の「歯舞群島」「色丹島」の返還で手を打ち、 北方領土問題を解決しようとすると猛然と反対し、解決できないようにするのです。理由は日本とソ連の間に友好関係を作らせないためです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
2012123日(月)

 

 

<その15>
◆新安保締結以降、日米地位協定の見直しを求めて、アメリカに対して具体的に働きかけて成果を挙げた政治家は1人もいません。 ドイツでは、日本と同様にNATO軍(実質的には米軍)の駐留に関して、ボン補足協定を1959年8月3日にNATO諸国と締結しています。 ドイツは日本と違い、過去3度にわたって改定に成功しています。地位協定を変えることは決して不可能ではないのです。

◆菅首相が口にした「第3の開国」とは、アメリカ側からの視点で見た言葉です。 第1の開国は治外法権や関税自主権放棄などを定めた幕末の不平等条約、第2の開国はアメリカによる占領と行政協定による米軍の自由な駐留、そして第3の開国がTPPです。 この3つはすべて日本が望んだものではなく、アメリカが望んだ開国の形なのです。 日本の立場から見れば「開国」ではなく、「占領」「従属」といった言葉の方がしっくりきます。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
20121130日(金)

 

 

<その14>
◆日米開戦前に外務省アメリカ局長を務め、
1946年に外務次官にもなった寺崎太郎氏は
こう述べています。 「周知のように日本が置かれているサンフランシスコ体制は、時間的には平和条約(講和条約)―安保条約―行政協定の順序でできた。 だがそれがもつ真の意義はまさにその逆で、行政協定のための安保条約、安保条約のための平和条約でしかなかったことは、今日までに明らかになっている。」

◆「我々(アメリカ)が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ、駐留させる権利を確保する。 それが米国の目標である」という目的を行政協定の条文は表しています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
20121129日(木)

 

 

<その13>
◆現在の日本では、米軍完全撤退や有事駐留論はおろか「普天間基地を海外へ移転させる」というだけで、「とんでもない暴論」とみなされてしまいます。 これは60年安保闘争以降に対米追随路線が勢力を拡大していくなかで、「常識」になってしまいました。しかし過去においては決してそうではなかったのです。

◆1955年7月重光外相は当時のアリソン駐日大使と会談して、米軍撤退に関して驚くべき要請をしています。 それは「米国地上軍を6年以内、米国海空軍を米国地上軍の撤退から6年以内、合計12年内に米軍の完全撤退」 と「在日米軍支援のための防衛分担金は、今後廃止する」というものです。 この重光提案に対してアメリカは「激怒した」のかというと、決してそんなことはありません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
20121128日(水)

 

 

<その12>
◆戦後、多くの政治家が首相を務めてきましたが、ここまで盲目的に対米追随を貫いた首相は野田首相の他に知りません。 「国内の航空法は適用されませんから、アメリカさんの自由にしていただいて構いませんよ。」ということを閣議決定するというのは、 国家主権の放棄と言っても過言ではないでしょう。 むしろ、建前上は日本国民を守るために米軍がいるのだから 「米軍は日本の国内法をできるだけ尊重して行動すべき」とアメリカに突きつけるのが日本政府の役割ではないでしょうか。

◆橋本龍太郎のスタンスは「俺はお前らより偉いんだ。だけど、お前の言うことは一生懸命に聞くよ。 だから、お前のもっている知恵は全部出して、俺に知恵をつけさせろ。ただし最終的に決めるのは俺だ。 いったん決まったら後からごちゃごちゃ言うな。」というものでした。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
20121127日(火)

 

 

<その11>
◆昭和電工事件の裁判では、西尾末広も芦田均も無罪で終わっているのです。言わば濡れ衣で政治生命を奪われたわけです。 この不可解な経緯は彼らが唱えた「有事駐留」とは無関係だとは思えません。

◆沖縄の海兵隊は緊急展開部隊であり、日本の防衛とは直接関係ありません。普天間基地に海兵隊を置いているのは、あくまでもアメリカの都合です。

◆自主路線の首相の政権は佐藤首相を除くと、いずれもアメリカの関与によって短期政権に終わっています。 戦後の日本で長期政権になったのは、吉田茂、池田勇人、中曽根康弘、小泉純一郎の4政権ですが、 この4人ともが極端な対米追随路線をとっていたことはいかにも象徴的です。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
20121126日(月)

 

 

<その10>
◆佐藤首相は沖縄返還の見返りとして、ニクソン大統領から2つの密約をのまされました。1つは「緊急時の米軍基地への核兵器の持ち込み」です。 2つ目は「繊維製品の対米輸出」に関する密約です。これは日本からアメリカへの繊維製品の輸出を制限するという内容です。 しかし佐藤首相は密約だから、表に出ることもないため無視して何の行動も起さなかったのです。

◆アメリカにとっては、自主自立を目指す政治家は「日本にいらない」のです。必要なのはしっぽを振って言いなりになる政治家だけです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
20121122日(木)

 

 

<その9>
◆自主路線から対米追随路線に転換し、それが基本路線としてセットされたのが60年安保闘争だったことをこれまで見てきました。 しかしその流れに乗ってしまったことで、いつのまにか私たちは自ら生み出したアメリカに対する幻想に縛られて、現実が見えなくなっているように思えます。 私たちは今一度、「アメリカは不要になれば切り捨てる」という現実に目を向けるべきなのです。

◆田中角栄がロッキード事件(アメリカの陰謀)によって政治生命を絶たれましたが、その主因は「日中国交正常化」だと私は考えています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
20121121日(水)

 

 

<その8>
◆日本では自国の自主自立を主張した官僚に対して、首相官邸から矢が飛んでくるのです。 身内から足をすくわれるのが常態化していけば、必然的に自主路線を志向する官僚が減っていくのは当然です。 特に91年の湾岸戦争のころから、対米自主派はほとんど姿を見なくなりました。 それまではたとえアメリカから圧力があっても、日本の政治家から否定されても、 少なくとも自分たちがベストと信じる案を考えるという姿勢があったのですが、それも失われていくのです。

◆政治家にも、官僚にも、メディアにも「アメリカは日本を守ってくれる」「アメリカに従うことが日本の国益にかなう」と無邪気に信じ、 盲目的な対米従属を志向する人間が圧倒的な主流になってしまいました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
20121120日(火)

 

 

<その7>
◆これを見れば朝日の笠信太郎など、各新聞の主筆や論説主幹たちがマッカーサー駐日大使やCIAの意向を受け、 途中から安保反対論者を批判する側にまわったと見ていいでしょう。 当初は日本の自主自立を掲げて安保反対に回っていた新聞社が「アメリカに感謝せよ」とまで主張を変えていることには唖然とします。

◆外務省の中枢から出てきた文書に「在日米軍は逐次、縮小整理する」「米国の走狗にならない」との文言が出てくることに驚かれた方も多いのではないでしょうか。 あまりにも現在の外務省の方針とは違いすぎるからです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
20121119日(月)

 

 

<その6>
◆田中角栄が失脚させられたのも、アメリカを出し抜いて日中国交正常化を実現したことが一つの原因でした。 鳩山由紀夫首相も「東アジア共同体構想」で中国重視の姿勢を示しました。 中国問題が相変わらずアメリカの「虎の尾」であることは、現代においてもなんら変わっていないのです。

◆(朝日新聞において)報道面で日米安保反対を着火剤としてデモに火をつけ、運動が拡大していくとテーマを徐々に岸政権打倒へ転換していき、 その一方で社説ではデモを抑え込んでバランスを取り、岸を倒すという目的を果たしたら七社共同宣言で終息させるというプロセスが、そこにあったかのように見えます。 安保闘争をコントロールしようとする何者かの意思が感じられるのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
20121116日(金)

 

 

<その5>
◆岸はこう述べています。「政治というのは、いかに動機がよくとも結果が悪ければダメだと思うんだ。場合によっては動機が悪くても結果がよければいいんだと思う。 これが政治の本質じゃないかと思うんです。」
CIAから巨額の資金援助を受け、アメリカから期待されながら反逆の狼煙をあげた岸の生き様が、この言葉には表れています。

◆日米戦争が勃発したのは、日本が中国大陸に侵攻して利権を独り占めにしようとしたことが一つの原因です。 第二次大戦が終結した後、中国は共産主義国になりソ連と国交を結んでしまったため、結局アメリカは中国に手が出せなかったのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
20121115日(木)

 

 

<その4>
◆岸内閣で、旧日米安保条約と日米行政協定は新日米安保条約と日米地位協定に改定されましたが、日米地位協定の改容は小幅に留まり、 ほぼ旧行政協定を踏襲するものになりました。

◆確証があるわけではありませんが、私が考えた一番ありうるシナリオは次のものです。
1.岸首相の自主自立路線に気づき、危惧した
  米軍およびCIA関係者が政界工作を行って
  岸政権を倒そうとした。
2.ところが岸の党内基盤および官界の掌握力
  は強く、政権内部が切り崩すという通常の手
  段が通じなかった。
3.そこで経済同友会などが資金提供をして、独
  裁国に対してよくもちいられる反政府デモ後
  押しの手法を使った。
4.ところが6月15日のデモで女子東大生が死
  亡し安保闘争が爆発的に盛り上がったため、
  岸首相の退陣の見通しも立ったこともあり、
   翌16日からデモを抑え込む方向で動いた。
※安保闘争がピークに達した6月17日に、 一斉に「暴力を排し議会主義を守れ」と「七社共同宣言」を出した新聞7社も、 当然のことながらアメリカの支配下にあったことは疑いようがありません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
20121114日(水)

 

 

<その3>
◆自民党に対しては、1960年までCIAを通じて政治資金が提供されていたことも、米公文書で明らかになっています。 自由党と日本民主党が合併した保守合同の裏には、CIAの存在があったのです。

◆CIAから日本の政党と政治家に対し提供された資金は毎年200万ドルから1,000万ドル、受け取り手の中心は岸とされていました。 当時アメリカは岸という政治家を高く評価していたのです。 このことをもって岸信介という人は、長らく「CIAのエージェント(工作員)だ」「対米追随路線だ」と信じられてきました。 しかし岸は政界復帰した時点から明確に自主路線を歩んできたこと、そして旧安保条約を改定する道筋をつけたことから考えれば、 そのレッテルが間違いであることがわかります。 むしろ、アメリカに資金を出させながら反米路線を突き進むという、非常にしたたかな戦略をもっていたと考えられるのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
20121113日(火)

 

 

<その2>
◆戦後の政治家の中でも、重光葵や芦田均、鳩山一郎、石橋湛山、田中角栄、小沢一郎、鳩山由紀夫ら、自主路線を貫こうとした政治家の多くは、 アメリカの裏工作によってパージされてきました。 同様に、外務省や大蔵(財務)省、経産省のなかで自主路線を目指した官僚も、アメリカの顔色を窺う首相官邸から放たれた矢によって倒れ、 現在では対米追随路線が圧倒的な主流になっています。

◆原発の再稼働を画策し、アメリカに言われるままにオスプレイの配備を許容し、TPPにも参加しようとしている現在の野田政権は、対米追随路線の完成型と言えるのです。 この対米追随への流れを決定づけたのが、実は60年安保闘争でした。安保反対運動に参加されていた労働者や学生は、 真の意味での「アメリカからの独立」を希求し運動に身を投じました。 ですがその行動は結果的に自主路線を目指した岸信介首相を失脚させ、皮肉にもその後の対米追随路線を決定づけ、加速させてしまいました。 安保闘争はアメリカの裏工作に利用されただけだったのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」(小学館)
20121112日(月)

 

 

<その1>
元外務官僚の孫崎氏の著書であるが、非常に興味深く読ませてもらった。 もちろん戦後の日本をちょっと考えれば、 アメリカの意向にたてついた政治家(特に総理大臣)は短命で終わっているのは明白であるが、それを体系的にまとめあげた著作物は案外少ないのかもしれない。 以下本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。

◆デモという形態が同じでも、60年安保闘争と今回の野田政権打倒デモは、個人の動機が相当違います。 どちらかというと物事をクールに懐疑的に捉える人たち、新聞の報道をそのまま受け取らない人たち、 誰かに動かされることをもっとも嫌がる人たちが、自分の判断で運動に参加し自分から発言しています。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志、三橋貴明「売国奴に告ぐ!」(徳間書店)
20121019日(金)

 

 

<その17>
◆ISD条項というのは、TPP参加国において、ある国の規制や法律などの改変によって他国の企業に不利益が生じた場合、その企業が相手政府を訴えることができる、という条約ですね。 例えば、日本政府の公害規制によりアメリカの企業が儲けられずに損害を被ったら、日本政府がその企業から訴えられ、賠償金を支払わされる可能性が高いという話です。

◆戦後の新自由主義の政権というと、サッチャー、レーガン、小泉純一郎などです。どれも悪者を仕立てて叩く手法を使うので敵が多いように見えるのですが、その実いずれも長期政権です。 なぜかというと政治が一切責任を負わないからです。政策の結果がどうであれ「政治に責任を負わせること、政府に期待すること自体が間違いだ。大事なのは自己責任だ」となるのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志、三橋貴明「売国奴に告ぐ!」(徳間書店)
20121018日(木)

 

 

<その16>
◆「これからは外需が成長し、内需が成長しない。」とか「これからは税が足りなくなる。金が足りなくなる。」などと言いつつ、なぜ外需に税金をかけないのでしょう。 具体的には法人税の増税ですが、外需で利益を上げている大手輸出企業に税金をかければいいのに、縮まる内需に消費税をかけたがる。何を言っているのか理解できない。

◆僕だって農協や大阪市役所に問題がないとは思いません。でも彼らが持っている既得権益など、マクロ全体から見ればたかが知れているじゃないですか。 問題はあるにしても優先順位が低い。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志、三橋貴明「売国奴に告ぐ!」(徳間書店)
20121017日(水)

 

 

<その15>
◆どうもみんな、金を稼ぐのが上手な人が政治、経済、行政をやると国が豊かになる、企業経営が上手な人は国を豊かにするのも上手だと思い込んでいるようです。 でも、実際のところ、国を動かすのと企業経営はまるで違うものです。

◆例えばTPPには「投資」という分野がありますが、この中において現状の日本の「放送事業者の株式における外国人保有割合の制限(20%)」が撤廃されるかもしれません。 そうなると日本のテレビ局が「外資化」し、現在働いているテレビマンたちは容赦なくリストラされるかもしれません。 あるいはテレビ事業の規制緩和ということで、電波オークションが導入されるかもしれない。そうなると、テレビ局の「特権」である放送免許もどうなるかわかりません。 こんな話が広まるにつれ、以前に比べてテレビ局は反TPPに対する理解を示すようになってきました。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志、三橋貴明「売国奴に告ぐ!」(徳間書店)
20121016日(火)

 

 

<その14>
◆TPPへの交渉参加だけなら、最終的には総理大臣の一存で決められます。それは憲法に「外交関係の処理」は政府の専権事項と書いてあり、国会の承認が要らないからである。 内閣が外交で暴走しないように、一応憲法で「条約の締結は国会の承認事項」と定められているのですが、ここにも盲点があります。予算と同じで衆議院優越なんですよ。 参議院で否決されても衆議院で可決されれば決定してしまうのです。 ところが今回のTPPが典型ですが、国際条約でありながら農協の共済の解体や、国内の食の安全規制の変更、環境規制の変更、医療保険制度の変更などを迫られる可能性が高い。 これらは、そのまま国内問題なのです。例えば共済解体を国内法だけでやろうとしたら、衆議院と参議院の議決が両方必要で、分かれた場合は衆議院の3分の2の賛成が必要になります。 しかし同じことを国際条約でやる場合、参議院で議決しなければ衆議院の議決だけでいい。つまり国内法よりも国際法で決まったことのほうが優越してしまう。 そこで「いや、うちはこうやるから」などと国内法を優越させることができるのはアメリカだけ。到底日本では無理でしょう。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志、三橋貴明「売国奴に告ぐ!」(徳間書店)
20121015日(月)

 

 

<その13>
◆だから僕は財務省の権限が強いから問題だというよりは、政治家のリーダーシップの問題ではないかと思うんです。 政治家がしっかりしていれば、いまでも官僚は言うことを聞きます。

◆いまの役所内では「TPPをやる」「緊縮財政をやる」ということが人事評価の軸になっていて、そこに絡まない限り官僚は出世できない。 だから政治のトップがその評価軸を変えなくてはいけない。例えば「財政出動をたくさんした者が出世できる」とか「名目GDPを成長させるほどいい」といったように。

◆日本人は政治家を舐めすぎですね。すごい人が大勢います。経験豊富な大人の政治家に比べたら、官僚なんてしょせん教科書で得た知識を理屈でこねているだけのガキです。 いまみたいにデフレからインフレへと方向を逆転させるために必要な、教科書をひっくり返すような考え方が官僚にはできない。そんなことをしたら出世できませんから。 それができるのは政治の表裏を知り尽くした老練な政治家だけ。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志、三橋貴明「売国奴に告ぐ!」(徳間書店)
20121012日(金)

 

 

<その12>
◆日本は公務員数がきわめて少ない国です。昔からそうでした。1980年代から「日本は官主導だ、と、おかしい」とアメリカに批判されるとそのたびに、いや日本が一番少ないんだと反論した。 「日本は閉鎖的だ」と言われたら、すでにどの国よりも関税率は低いんだと反論した。80年代はそうやってアメリカからの圧力を押し返していた。

◆誤解があるのは、新古典派とか新自由主義とか言われたレーガンは、実際はバリバリに財政出動や減税をしていたのです。だから景気が良くなったのだと思うのですが、そういう話は誰も指摘しない。

◆TPPについては財務省の後押しが非常に強い。また各省庁とも財務省に財布を握られているので対抗できるわけないのです。かつて対抗できたのは、後ろに族議員が控えていたからです。 ところが構造改革で族議員が潰されたので、結局、財務省の権限が強くなってしまった。ただ財務省がすることといえば予算のやりくりだけで、現場のことは知りません。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志、三橋貴明「売国奴に告ぐ!」(徳間書店)
20121011日(木)

 

 

<その11>
◆官僚の改革好きとも関連するのですが、役人は人事や組織の改変が大好きです。でもそれは政治家でも民間企業でも同じで、滅びゆく国、滅びゆく企業というものは、もう狂ったように組織改革をします。 つまり外へ意識が向かないのですね。外がどうなっているか分からず、どうすればいいかも分からないからとりあえず内部を変えようとする。 それから自分に対して過大な期待を持つから「この組織をどうにかすれば日本が変わる。」と考えがちです。しかし本質はそういう問題ではない。 官僚批判が好きな新聞社だって、社内では人事や組織の話ばかりしていて、けっこう 組織改編ばかりしているんじゃないですかね。官僚叩きが好きな政治家だって、公務員制度改革とか道州制とか、政府内や国内の組織改革ばかり言っている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志、三橋貴明「売国奴に告ぐ!」(徳間書店)
20121010日(水)

 

 

<その10>
◆経産省は構造改革が死ぬほど好きです。構造改革に反対する人々は少数派ですね。官僚だって、改革を求める世論に対抗して守旧派の役割を演じ続けることはできません。 むしろそんなことをしたら出世できないのです。官僚が何より気にしているのは人事です。お金にはそんなに興味はありません。でも出世できなくなったら官僚は終わりです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志、三橋貴明「売国奴に告ぐ!」(徳間書店)
2012109日(火)

 

 

<その9>
◆東日本大震災後の東北の復興において、本当に政治の声が無いと感じました。 本当だったら地元から選ばれた政治家が「地元民のために早く金を出せ!」と強く主張しなくてはならないのに、それがなかったのです。 現在は経産省主導なのか、被災地に復興特区をつくり規制緩和して、外資や大企業の資本を呼び込もうなどということばかりが言われている。 しかしそんなことをすれば地元の産業は更なる打撃を受けることは明らかです。つまりは地元民や国民の声が政治に入らないようになっているのです。

◆日本人は「改革」と言ったら、規制緩和とか、民営化とか、「小さな政府」とか、自由化とか、新自由主義的な改革しか知らない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志、三橋貴明「売国奴に告ぐ!」(徳間書店)
2012105日(金)

 

 

<その8>
◆多くの人が勘違いされていますが、実は官僚というのは構造改革が基本的に好きな人々です。経済産業省を辞めた古賀茂明氏も、構造改革か否かで官僚と戦ったわけではありません。 彼は公務員制度改革をやろうとして、官僚ではなく仙石由人という政治家と対立したのです。 実際、彼が著書の中で提言してきた政策は、これまで経産省が「本当はやりたいけれども族議員がうるさくてできない」と思ってきたものばかりです。 例えば、発電と送電の分離する電力市場の自由化とかTPPとか。古賀氏が掲げていた政策案は、どれも経産省がやりたいことが書かれている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志、三橋貴明「売国奴に告ぐ!」(徳間書店)
2012104日(木)

 

 

<その7>
◆族議員の存在は政治主導の前提であるはずです。国民から選ばれた議員が、特定省庁の管轄分野に関して政策決定権を持つ。それによって国民の負託に応える。これが族議員であるはずです。 つまり族議員の存在そのものが、政治主導の証であるわけですね。ところが「改革」の名の下に族議員が次々と排除され、今の日本は逆に完全な官僚主導になってしまった。

◆小泉政権の構造改革について言えば、経済財政諮問会議も誤解が多いですね。経済財政諮問会議によって、財務省の予算権限を奪って政治主導にするとか言っていましたけど違うのです。 そんなことはあり得ません。財務大臣がメンバーに入っていますからね。その結果排除されたのは、財務省ではなく族議員でした。だからあれは官僚主導の装置でした。 野田内閣の国家戦略会議と全く同じ発想ですね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志、三橋貴明「売国奴に告ぐ!」(徳間書店)
2012103日(水)

 

 

<その6>
◆失業率について述べるとヨーロッパ諸国は軒並10%を超え、アメリカはようやく8%台に戻したところです。日本はというと、これだけひどいと言われているのに失業率は5%未満です。 他の国に比べたらまったくまともです。ギリシャやスペインなどは失業率20%に達しています。そこまで失業率が高まったら、本当だったら間違いなくデフレで長期金利が下がります。 なぜなら失業というのは、供給能力が需要を上回っているから起きる現象で、民間の資金需要不足で国債金利は下がるはずなんです。ところがギリシャなどでは長期金利が高騰しています。 もう資本主義は壊れているのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志、三橋貴明「売国奴に告ぐ!」(徳間書店)
2012102日(火)

 

 

<その5>
◆新自由主義によって国家の利益よりも企業の利益が優先されるようになり、その企業の利益に従って国が動き、グローバリズムの潮流に乗って他国と経済協定や条約を結ぶ。 しかしその国際条約は政治力が強い国の論理で作られる。 しかも国際条約はその国の法律よりも上位という建前があるため、政治力の弱い国は国際条約によって自国の国家主権も民主主義も無視され、一方的に強固に搾取されてしまう。 あるいは弱い国の国民の主権が侵害されてしまう。これが現在の新自由主義とグローバリズムの本質です。そしてTPPはまさにそこが大きな問題点だったわけですね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志、三橋貴明「売国奴に告ぐ!」(徳間書店)
2012101日(月)

 

 

<その4>
◆本来企業というものは技術開発し、投資を拡大してバリバリに競争して、安くて新しい製品をつくるなかで成長していくべきだと思います。 つまり市場、内需側に企業の製品を選別し、競争力を高める厳しい目がなければならないわけです。それなのに厳しい日本市場の成長ではなく外需頼みというのは、要は楽な道を選んでいるのです。

◆企業がロビイングをやってはいけないとは言わないけれども、その企業がグローバル化すると、平気で国民の利益に反するようなロビイングをやってしまうことが問題なのですね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志、三橋貴明「売国奴に告ぐ!」(徳間書店)
2012928日(金)

 

 

<その3>
◆特にグローバリズムが進むと、国益よりも企業の利益が優先されるようになります。 そこでグローバル企業にしてみれば、貿易の自由や労働の市場の自由によって利益の確保を第一に考えるようになるわけです。

◆今後の日本の農業については対案はあります。しかしその対案は、TPP賛成論者の忍耐を超える時間をかけないと説明できない程複雑なものです。 TPP反対論者、つまり「農業を守れ」と言っている人たちは、日本の農業を立て直すことがいかに大変かが分かっています。

◆また財務省も財政出動によって景気回復し、それによる税の増収で財政再建するというプロセスに対する忍耐力がない。だからはじめに増税ありきとしてしまうのです。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志、三橋貴明「売国奴に告ぐ!」(徳間書店)
2012927日(木)

 

 

<その2>
◆いまや日本のみならず、世界的に新自由主義に対する批判の動きが見られるようになった。 何しろ新自由主義は「うまくいっても」国内の所得の格差を拡大し、国民の多くが繁栄から取り残されてしまうという現実が明らかになってしまったのだ。

◆まず明らかにしておきたいのは、10年以上続く日本のデフレにしろ、アメリカの反格差デモにしろ、ユーロ崩壊にしろ、エジプト革命にしろ、大本の原因を辿ると全部同じだということです。 すなわち、それは新自由主義と構造改革です。この2つに共通する思想は市場原理主義で、政府の介入を排した自由な経済活動を目指すものです。

◆ものすごくシンプルに言うと「規制や国境をなくして、自由な経済活動を可能にする」そして「金持ちに富が集中する」−この2つがセットになって全世界に広まったのです。 その結果が今起きているグローバル恐慌なんですね。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 中野剛志、三橋貴明「売国奴に告ぐ!」(徳間書店)
2012926日(水)

 

 

<その1>
本書において、お2人が「TPP」「構造改革」「グローバリズム」「増税」「政治主導」などの問題点を論じているが、「原発」問題以外についてはほぼ私も同意見である。以下参考となる箇所を要約して御紹介していきたい。

◆TPP、増税、あるいは「構造改革」も「自由貿易」も、すべてインフレ率を抑制するための政策なのである。現代の日本はデフレ期に「インフレ抑制策」を実施しているわけだから、デフレが深刻化する。

◆「構造改革」「財政健全化」といった手法の背景にある思想、すなわち「新自由主義」はデフレを想定していない。 新自由主義とは「高いインフレ率を抑制する」ために生まれた思想なのである。例えば構造改革派が主張する「規制緩和」「公営企業の民営化」「外資導入」は、すべて「供給能力を高めインフレ率を抑制する」ための政策だ。 また財務省お好みの「増税」「社会支出削減」「公共事業削減」といった緊縮財政政策は、「需要を縮小させインフレ率を抑制する」ための政策なのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 植草一秀「消費増税亡国論」(飛鳥新社)
2012910日(月)

 

 

<その8>
◆実は原子力発電所を全く稼働しなくても日本の原子力以外の発電能力は、真夏の電力需要のピークをカバーできる。この事実を電力会社はひた隠ししたが公表されている各種資料から原発を全て止めても電力は賄えるという真実は見透かされていた。

◆TPP参加国は小国が多く、日本が入れば日米で全参加国のGDPの9割以上を占めてしまう。日本がTPPに入ったところで日本が輸出を伸ばす余地はほとんど無い。

◆政治家が自己の利益を優先するなら対米隷属を選ぶことに圧倒的な合理性がある。戦後日本の歴史を振り返ると、米国から距離を得ようとした政権はことごとく米国から激しい攻撃を受けて悲劇の政権として終わっている。

◆1954年に誕生した鳩山一郎政権が注力したのは日ソ国交回復であった。米国は日本の対ソ友好姿勢を厳しく牽制した。鳩山一郎首相は一度も訪米しない首相として精根尽き果てて首相の座を退いた。 鳩山首相を承継した石橋湛山首相は、米国は最も手強い交渉相手だと認識した能力の高い首相であった。石橋首相は軽い脳梗塞を引き起こして短命で身を引いた。米国が生物兵器を用いた可能性を私は否定できないと思う。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 植草一秀「消費増税亡国論」(飛鳥新社)
201297日(金)

 

 

<その7>
◆経済を順調な回復軌道に誘導することと並行して進めなければならないことが2つある。1つは政府のムダ排除だ。ムダの排除は議員定数や公務員総人件費削減ではない。シロアリの駆除である。 天下りをなくし、天下り法人をなくし、シロアリを退治する。ここから始めなければ消費税を上げるのはおかしいという正論を、現実の政策に反映させることが必要である。

◆日本政府は外貨準備を1.3兆ドルも保有している。そもそも変動為替相場制を採用している国が、このような巨額な外貨準備を保有していること自体がおかしい。 逆に固定為替相場制を取る国は、一定の為替レートを守るために、為替介入を積み上げていくために、外貨準備が蓄積されて膨大になるのが普通である。 中国の外貨準備が世界最大になっているのはこのためであるが、変動相場制を採用している国で日本のような外貨準備残高を持つ国は存在しない。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 植草一秀「消費増税亡国論」(飛鳥新社)
201296日(木)

 

 

<その6>
◆日本の全ての裁判所が最高裁事務総局によって実質支配、実効支配されているという重大な事実が明らかにされつつある。裁判官は独立性を失い、最高裁事務総局の指示に従わない裁判官は人事処遇の面で冷遇されてゆく。

◆日本政府は日本がギリシャにならないように消費増税を迅速に実行しなければならないと強調するがそうではない。ギリシャに陥らないためには、まずこの国のシロアリ体質、天下りの蔓延を除去することこそが最優先課題なのである。

◆欧州で政府債務危機のリスクが指摘されている国は全て経常収支赤字国である。経常収支は財とサービスの対外収支の帳尻であると同時に、一国全体の資金バランス、国内資金の過不足を表すものなのだ。 経常収支が黒字であるということは、国内で資金余剰、カネ余りの状況が生まれていることを意味する。欧州とは異なり、日本は今までは巨額な経常収支黒字が続いてきたが、いずれ赤字に転じる恐れが存在する。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 植草一秀「消費増税亡国論」(飛鳥新社)
201295日(水)

 

 

<その5>
◆検閲においてはテレビ番組が録画され、全ての問題発言がチェックされた。テレビ、新聞、週刊誌、月刊誌の内容が検閲の対象になり、その報告書がまとめられた。 問題発言とその発言者が厳重にチェックされる。この中で問題発言者がピックアップされて、いわゆるブラックリストが作成されることになる。

◆私が勤務していた経済分析班に与えられた課題は、税制改革を実施すると日本経済にプラスの影響が表れるという試算結果を導けというものだった。

◆財務省が情報統制、世論操作を行う最大のターゲットは、大手新聞、全国キー放送局、通信社のマスメディアになる。新聞社にとって再販売価格維持制度は生命線だが、その決定権を握っているのは公正取引委員会で実質的に財務省の支配下にある。 テレビ局の生命線は電波使用権だが、日本では特定の大手メディアに法外に安い使用料で電波使用権が提供されている。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 植草一秀「消費増税亡国論」(飛鳥新社)
201294日(火)

 

 

<その4>
◆厳しい政府批判を展開して異彩を放つことの多い中日新聞=東京新聞に、国税が異様とも言える長期税務調査を実施していることが伝えられた。 中日新聞は社説で「シロアリ退治なき消費増税」を批判する論評を掲載するなど、他の権力隷従のメディアとは一線を画する報道姿勢を示す。マスメディア界の異端児的存在である。

◆こうした動きの背後に財務省の秘密情報統制活動(以下TPRという)が存在することを知っておかなければならない。TPR、つまり言論統制活動は1985年に発足したが、それは次の3つの柱によって成り立っていた。 第一は政界、財界、学界3,000人リストを作成し、その全員を説得すること。 第二はあらゆるメディア情報を検閲し問題意見を封殺すること。 第三はメディアに対して高額接待などを用いながら大政翼賛体制を構築すること。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 植草一秀「消費増税亡国論」(飛鳥新社)
201293日(月)

 

 

<その3>
◆財務省は「民主党マニフェストの中に、2014年以降も消費税を上げないという文言は無い。したがって2014年以降に消費税を上げるという野田佳彦増税方針は、マニフェスト違反ではない。」と強弁し始めた。

◆財務省にとって最大の邪魔者が出現した。それが鳩山政権である。普天間基地を県外、国外に移設させるとした鳩山政権の方針は、米国にとっても邪魔な存在、邪悪な存在であった。 米国と霞が関の支配者財務省、そしてもう一つの霞が関支配者である法務省=検察=裁判所が、結託して鳩山内閣のせん滅に動いたと見るのが真実に則しているだろう。 メディア、検察、国税の同盟軍は鳩山首相、小沢幹事長を徹底攻撃することにより、鳩山内閣に強制的な退去を強いたのである。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 植草一秀「消費増税亡国論」(飛鳥新社)
2012831日(金)

 

 

<その2>
◆国会議員で日銀にインフレ政策をやれと叫んでいる人、学者の中で日銀に超緩和政策を主張して、日銀が言うことを聞かないなら日銀の総裁の首を切ってしまえと言っている人。 これらのほとんどが自分自身で巨額の借金を抱えている人だという。自民党も、りそな銀行から多額の借金をしている。

◆消費税増税を実現させた功績を持つ小川是元次官は、破格の処遇を受けている。日本たばこ産業株式会社の会長に就任した後、今度は地銀最大手の横浜銀行頭取ポストを獲得し、全国地方銀行協会会長まで歴任している。

◆野田佳彦には消費増税の前提条件をシロアリ退治だと明言した。この発言に最も狼狽したのは財務省である。そこで窮余の一策として野田佳彦氏の街頭演説動画から「シロアリを退治し天下り法人をなくして天下りをなくす。 ここから始めなければ消費税を上げるというのはおかしいです。」がカットされた。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 植草一秀「消費増税亡国論」(飛鳥新社)
2012830日(木)

 

 

<その1>
本書は野田政権の消費税の増税政策を批判した著書であるが、本書よりインパクトのあるくだりを要約して御紹介していきたい。
◆野田氏は対外的に、実質的なTPP交渉への参加意思表明を、独断で勝手に実行してしまった。それは米国のオバマ大統領から参加意思を表明しろと命じられたからである。

◆与党党首あるいは内閣総理大臣といえども、自分の好きな様に行動することは認められていない。菅直人氏がかつて議会制民主主義は期限を切った独裁制だと述べたが、これは大きな誤りである。

◆海外のETC類似のシステムには、ゲートにバーがほとんど使われていない。監査カメラでチェックできるからバーは不要だ。それなのに日本ではバーが使われている。 その最大の理由は天下り会社にメンテナンスをやらせることにある。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


 

 

 広瀬隆「資本主義崩壊の首謀者たち」(集英社新書)
201283日(金)

 

 

<その2>
◆リーマンブラザーズの最高経営責任者CEOであるリチャード・ファルドは破綻の前年2007年の報酬は45億円です。1994年からCEO在職期間に約500億円を稼いでいます。

◆「ノーベル経済学賞などというものはアルフレッド・ノーベルの遺書には無かった。スウェーデン中央銀行が勝手に創設したものでありノーベル賞ではない。人類に貢献しない。」 とノーベルの子孫達は異議申立てをしてきました。

◆WTOという組織は、1995年1月1日に世界銀行、IMFと並ぶ世界経済の第3の主柱としてガット(関税貿易一般協定)が世界貿易機関(WTO)と改称したものです。 これによって貿易の中でも『食糧(農産物)の自由化を梃子に農村の工業化に大きな重点が置かれ、グローバリズムが大手を振って横行する新自由主義時代のマネーゲームに突入しました。

◆日本では勘違いされていますが郵政民営化は日本人が行ったことではないのです。ウォール街をバックにしたアメリカ政府が、日本政府に対して強く要求して実施されたものです。 日本に眠っている郵貯という巨大な金融資産を市場に吐き出させアメリカのウォール街が自在に使えるようにするため、思慮の無い小泉内閣をたぶらかして行われたことはアメリカでは初めから常識でした。


前のページへ戻る


このページのTOPへ


                 渋谷の会計事務所 中川尚税理士事務所
〒150−0031 東京都渋谷区桜丘町13−11 的場ビル2階 (渋谷駅西口より徒歩5分)  03-3462-6595

Copyright(C)2004 HISASHI-NAKAGAWA All Rights Reserved.