菊井邸(土浦市1986年)
独立して、最初の仕事。
間口5M、奥行20Mの細長い旧市街地の住宅。
「採光を如何にとって、明るい住まいを造るか」がテーマになった。
坪庭をとることも考えたが、そこにガラスの屋根を造ることで、吹抜の居間にした。
朝日の注ぐ居間は、明るく茶の間を兼ねているので家の中心となり、家族の対話もふえて、
病気がちだったお父さんも元気になった。
高橋邸(土浦市 1986年)
北側道路との関係を、考えた住宅。 住宅の北側はどうしても水まわりの部屋の小窓がならび、ボイラーなどの設備が露出して煩雑になりやすい。
車庫の上の中2階にこれらを配置して、プライバシーを守るとともに、北側外観をよくした。
沿道は、フェンスを極力なくし、縁石の上をマウンドアップし植栽をすることにより、
庭と道路との関係(プライバシー)をつくり、北側道路景観をよくしている。
日立住宅公社上合団地モデルプラン(日立市 1990年)
この団地は広く地元の建築士のアイデア を求めて設計コンペが行われ、9社18タイプの住宅モデルが設計された。これはそのうちのひとつ。
1階の居間と食堂をつなぐように、第3の居間としてアウトドア感覚のサンデッキが設けられている。
価格の手ごろさと、付加部分(サンデッキ)が受け入れられたのか、かなり建てられている。
先日現場に行って、玄関回りを花で飾っているのをみて、マイホームを持った幸福感と、家に対する愛着がうかがわれた。
三好邸(土浦市 1995年)
今では住宅金融公庫からメーカー住宅までバリアフリーを提唱しているが、当時はメーカー住宅がまだ十分対応しておらず、設計を依頼された。
この住宅は病気のお母さんを家庭介護できるように設計されている。
施主の三好さんは老人介護のお仕事をしておられ、介護する側の要求、介護される側からの要求を
具体的な形で処理することがテーマになった。 バリアフリーの実際については、むしろ設計者のほうが勉強になった住宅。
上野邸 (友部町 1997年)
建築家なしの建築のようないわゆる農家住宅。
地域の慣習のようになっている農家の家に対する感覚が、優先事項になっている。
そのなかで、密かに仕組だ装置が階段と中廊下。2階廊下と階段をトップライトのある吹抜のホールに面して設け、
採光と通風をとり、家族のコミュニケーションの場にしている。 建築家の仕事は、目にみえないところにこそ価値のあることが多いものです。
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