00/09/22「公州(コンジュ),パクセリ,パクチャンホ」

人間ができていないせいか,やはり小さな古都というのは,一度行ったらしばらくはいかなくても良いものだ,と思ってしまう。どうも,ごちゃっ,としていて,人間がうごめいているようなところに基本的には惹かれる性質のようで,ひなびた田舎よりは騒々しい都会の方が好きなのである。なので,多分,次回扶余に行くのは数年後以降のことであろう…なぜなら古都というのは,見るものといえば,古い遺跡や発掘物などであるから,毎年行ってもし方がないのだ。

それはさておき,この日は扶余の前に一度百済が滅亡した際の首都だった公州(コンジュ)という街である。ここは比較的大きな街である(とはいえ,地方都市だから推して知るべし)。この街は,その昔は熊津(ウンジン)とも熊の州(コムジュ)とも言ったそうで,街の中の所々にもそういうノボリであるとか,熊を意識したイラスト(キャラクター)であるとかを見かける。

扶余から公州へは,それほど時間がかかる移動でもないのであるが,初めて行く街なのでそれなりにじっくり見たいから,比較的早い時間に扶余を出る。この旅行では,結局,南原・群山・公州と,新しい町3つを訪れたことになるか。

この日も朝飯は抜き。

クンサンとプヨは,バスターミナルと宿屋が歩いて数分という近さであるから,それこそ,到着してから選り取りみどりであったが,公州は,市外バスターミナルは,一応,街の郊外によった方に存在している。もっとも,扶余方面から移動してくると,市街地を突っ切ったあとで郊外に出るので,ちょっとの距離を戻ることになるのだが。

もういい加減忘れかけてきているけど(これを書いているのは12月9日なのだが,諸々の関係で,最後フィニッシュしたのが1月26日になってしまった),ちょうどオリンピック期間,ソフトボールが盛り上がり,野球もまだ韓国に負ける前でもあり,また,ローカルにアクセスポイントが無いために夜メールを読み書きすることもできず,この日は宿で日本の衛星放送でオリンピック観戦するか?と決めていたのだ。また,それまでかなり節約して回ってきたから,予算的に余裕が見えてきた,というのもその理由の一つ。
EOS-1v, EF100/2, Av2.8 (+0.7EV), RDP III(+1)
(写真は,本筋とは全く関係ないけど,コンジュでみかけた 815コーラ。商品名は「コーラ独立 815」お値段600ウォン(60円)…8/15は,韓国では祭日なのである。)

例によって,地球の迷い方,いや地球の歩き方を開くが,公州には宿は2つしかでていないではないか。一つは観光ホテル,もう一つは荘級旅館である。衛星放送を期待するならホテルだろう,ということで,バスターミナルからタクシーに乗る。

「公州観光ホテルまで」

「え?どこですか?」

発音が悪かったかと思い,言いなおす。

…ところが,そのタクシーの運転手,ホテルを知らないのである。まわりの運転手に聞いてくれ,なんとかホテルに向かう。

しかし…昔,こんなタイトルの歌かなんかなかっただろうか?
「たどりついたらいつもどしゃぶり」
この日は薄曇〜夕方晴れ間で,雨は降らなかったが,この街に一軒しかないと思われるホテルが,な〜〜〜んと工事改装中なのだ。終了は2001年夏,とか書いてあったような気がする。1年も休んでやっていけるのかいな?

それで,もと来た道を若干戻るような感じで,中心街のはずれにある旅館街へと向かう。一角に差し掛かったとき,あとは歩いて探そうと決意して,運転手に「ここでおろして」と頼み込み車を止めてもらった。さて,どこに行こうか,とトランクから旅行カバンを出していたら…なんと,運転手が,目の前の旅館と交渉してくれている ^_^;; 余計なお世話だ!とも思ったのだが,まぁ,繁華街にも近いからよしとしよう,ということで宿に入る。一泊25,000ウォン,標準価格である。宿の名前は「イオジャン」電話番号は853-4788/854-4788であるが,日本語は通じないそれでも,繁華街から歩いてくると一番近いほうにあるので,どうしても公州で泊まらなければならないなら,ここか,地球の歩き方を信じるならもっと繁華街側のところの「東西旅館(トンソヨグワン)」に行くしかないだろう。もっとも,旅館街には,非常に沢山の旅館があるので,道が暗くても良いなら,いくらでも選択肢はあるから,予約する必要などなかろう。

到着して大体お昼時である。宿からは,史跡の「公山城」と,古墳群,夕方から街並みを見ようと決めたので公山城への道すがら,みつけた店で,昼間からヘジャングクを食す。

地球の歩き方,なんだかんだいって,情報の量は多いし,韓国は,つぶれた店(店が無くなるのは本当に早い国であるが)以外は比較的正確な情報が多いが,欠点はその地図である。…土地の隆起をまったく記していないのだ。公山城も,1500年前の古城であるから,山城であり,その城壁はかなりのアップダウンの繰り返しである。ここのところの運動不足がたたり,外周一周するのにかなり息があがってしまう。

この史跡はちょっと変わっていて,城壁内のお寺には,今も尼僧がいるし,また,なんと,一般民家まであるので,ここを散歩していると,そこに住む人たちともすれ違うことになる。全州でも「慶基殿」などの史跡に近所の人が憩いに来てはいたが,ここは,その中に住んでいる,のである。なんとも韓国的な気がしないでもない。

EOS-1v, EF100/2, Av2.8(+0.3), RDP III (+1)
(公山城でみかけた,ご老人が(多分)祖先に手を合わせる光景)

史跡だけを見て回るなら,ここは扶余と似た感じの街である。しかし,この公山城に関しては,扶余の扶蘇山と比較するならば,こちらの方が日本人にとっては耳が痛い場所といえようか。日本軍が進駐してきて移動させた建物であるとか,秀吉の時に戦ってくれた明の将軍の像であるとか,そういうものも存在する場所となっており,あまり百済の古都,というイメージではない。

EOS-1v, EF100/2, Av2.8, RDP III (+1)
(古墳群へ向かう道にて。帰りのバスを待つ少女)

一回りの後,古墳群へと向かう。が,ここは工事中の古墳が多くここもそそくさと立ち去る。近所に女子高があるようで,道々結構たくさん女子高生を見る。そんな一団なんだろうか,近所の公園でたたずむグループを見つける。公園らしき名前「SERI PARK」。SERIって,なんとかエンジニアリング・リサーチ・インスティチュート公園?サイエンスパークなんだろうか?と思いこみ,そちらに向かってみるが…あまり科学的な匂いがしてこない。

すると。

なんのことはない,これ,プロゴルファーの「朴セリ」の記念碑なのである。

等身大をふた回り大きくしたような銅像と「韓国闘魂21」などという文章が刻まれているではないか。そういえば,別な通りでは「パクチャンホ20勝万歳」みたいな横断幕が出ている。(16勝だったっけ?)
EOS-3, EF35/1.4, Av8, RAP(+1)
(SERI PARK)

帰国後聞いたのだが,国際プロスポーツで活躍するこの二人,公州のあたりの出身なんだそうな。それで地元にそういうのが出来ている模様。

他に公州での見所というと国立公州博物館があるのだが,時間がないときはこういうところからパスにしてしまうのが私のクセである。内容的にはいつ行ったとしても大きく変わることはないし,それだったら街中の方が見ていて退屈しないから。

夕方,ここで,タログッパプを食す。結局は混ぜてしまうのだけど,ライスとスープが別れて出てくるクッパ。普通の食事をした珍しい一日である。

夕方とはいえ,まだまだ昼が長い,というか,東京より西にあるので日没が遅い韓国,夕食後は,市内を流れる川に沿ってホテルへと向かう。川といってもかなり細い川で,なんとなく京都を歩いているのに似ていないこともない。無理があるか(笑)

帰り道,日がとっぷりと暮れてから,またロッテリアへコーヒーを飲みに。そういえば,ここのロッテリアでは,肩からカメラをさげて店に入り,2台をテーブルに置いたら隣の女学生が「あー!あー!いいなぁ!EOSだー!」と大騒ぎ…こんなに騒がれると,一緒にいた彼女の方が恥ずかしかったようで「あんたやめなさいよ」なんて漫才みたいな掛け合いをしていた。「カメラに興味があるんだったら見て良いですよ」と行ったんですが,その友人嬢が恥ずかしがってすぐに店を出ていってしまったのだが,残念。

EOS-3, EF35/1.4, RAP(+1)
(本文とは全然かんけいないし,ノーファインダーでぶれてるけど ^_^;; スリッパ,革靴に裸足,スニーカー…という女学生3人組み。なんか目の前で目にとまったので^_^;;)

市内にある凱旋門もどきと,それからスポーツ選手の街。ただし,観光地になるにはあと少しだけ,宿の準備が必要なようである。あるいは,早い時間に到着して,テジョン(大田)かプヨに移動するのが良かろう。

あ,夜中,腹が減って,近所にインスタントラーメンを食べにでかける。

明日はソウルへ。
 

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