書名:江戸の遺伝子
いまこそ見直されるべき日本人の知恵
著者:徳川恒孝
発行所:php研究所
発行日:2007/5/31
定価:150円+税
著者は財団法人徳川記念財団理事長で、徳川宗家18代当主という人です。日本郵船で外国を飛び回っていたこともあって、国内からの日本、歴史など外からの目、比較を鋭い目で見ている。手前味噌になるかも知れないかなり遠慮気味に、ちょっと恥じらいながら江戸時代という時代を総括している。士農工商という身分制度の中で5%~7%の士(武士)には権力はあったけれど、お金はない。ヨーロッパ、中国では権力の座に着いたものは民から搾取すること。自分が贅沢三昧。一族の反映が第一という国ばかり、日本の江戸時代のような政権は皆無である。また中国、朝鮮の儒教の解釈と日本の儒教では全く違っていた。中国、朝鮮では孝が最優先、日本では忠。したがって中国、朝鮮では親、師、家族、一族が第一。徳があるものは政権を略奪してもいい。したがって政権を取った者は一族をみんな取り立てた。逆に敵側にたったものには三親等から八親等まで一族郎党を皆殺しにした。そうしないと自達がやられるから。(今の中国、朝鮮にこの遺伝子がまだまだ残っているのでは?) 日本の儒教は忠が基本。同じ儒教でも日本に入ってきてから日本の風土に風化してして日本流になってきた。江戸時代の武士はお金お金と言っていなかった。江戸時代の中に見直すべきこともあるのではないかと提案している。知識は必要なときに勉強すればいい。寺子屋は個別授業、その子、その子の理解によって進み方が違う。丁稚、弟子をとっても商人、親方はその子供が大人になって世の中で生きていけるように、世の中の役に立つに人間になるように世間の大人が全員で若い者を育てている。そんな国は珍しいと言っている。また町人文化、活字文化など生き生きとした江戸の生活を描いている。
本文より(七五調もなかなか良いですね)
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都路往来(東海道往来)
「都路は,五十次余りに三ツの宿,時えて咲や江戸のはな,波しづかなる品川や,頓て越へくる川崎の,軒端ならぶる神奈川は,はや保谷のほどもなく,昏て戸塚に宿るらん,紫匂う藤沢の,のも瀬につづく平塚も,もとの哀れは大磯か………はなのにしきの九重に,こゝろうきたつみやこそと、君の寿きいわゐたりけり。かしく」
太田蜀山人
生きすぎて七十五年食いつぶし限りしられぬ天地の恩
冥土より今にも迎え来たりなば九十九まで留守と断れ
留守と云えば又も迎いに来るならんいっそ厭じゃと断ってくれ
女房はそばから医者へ言いつける
恐ろしきものの喰いたる雪の空(河豚をくいたる)
医者衆は辞世を褒めて立たれけり
畳んだものの見えぬ独り身
辷ったときに悪心はなし
人の命の医者の手習い
云い込められて動く唇
おりおり損をするも養生
寂しいときに蔵を眺める
酒屋の数を飲んだ巡礼
置きどころなき暮れの大名
三夫婦ありておもしろきうち
禁酒をすると憎くなるひと
舟の戻りのみんなひと塩
はねつけられて口笛ふく
肩へかけると活きる手拭い
他人の目から知れる一生
居所を聞いて親のため息