書名:でっちあげられた悪徳大名 柳沢吉保
著者:江宮 隆之
発行所:グラフ社
発行年月日:2009/5/5
ページ:333頁
定価:1400円+税
駒込に「六義園」がある。ここは元加賀の前田家の屋敷、その後柳沢吉保が「六義園」を作った。一時衰退したが、明治になって三菱の岩崎が所有、その後東京市に寄贈された。
悪徳大名とされる柳沢吉保の真実に迫る本です。とかく悪く言われる人は本当は良いことをしていることが多いのが歴史の常識、歌舞伎、浄瑠璃などは脚色が一杯、物語が面白ければ何でも受けた。それを真に受けるととんでもないことになる。しかし世間はそんなもの殆どの人が水戸黄門の中に出てくる柳沢吉保像を信じているのではないか?
この本は柳沢吉保の業績を順をおって記述している。綱吉と吉保コンビの元禄時代の政治はどうだったのか?230石から15万石の大大名に、川越藩主、甲府藩主を務める五代将軍綱吉の寵愛を受けて異例の大出世を遂げた柳沢吉保。そしてその後柳川家はそのまま明治時代まで繁栄を続けている。川越藩主の時代、甲府藩主の時代ともに街作り、民百姓への配慮などなかなかの手腕、名君と呼ばれる事跡が残っている。六代家宣にも評価されているし、八代吉宗にも評価されている。世間に流れている悪徳のイメージとはほど遠い実像が書かれている。松蔭日記という吉保の側室正親町町子(公家正親町家の娘)が書いた日記がある。教養豊かで美しい日本語で書かれた日記。それは吉保が綱吉が亡くなってすぐ隠居願いを出したときまで、吉保の出世物語が書かれている。この日記をベースに著者が調査検討したことが書かれている。
元禄時代は消費経済の時代、経済の判らない役人ではつとまらない時代、そんな時代綱吉は出来る人間を登用してどんどん適材適所に使っていった名君、それに答えて仕事をこなしていったのが柳沢吉保、荻原重秀など。「出る杭は打たれる」というのは今も昔も変わらない。それを打ったのは新井白石という赤貧から身をおこした「人の悪口を言わせたら右に出るものがいない」という偏狭で思い込みの激しい人、吉宗の時代になって首になって「折りたく柴の記」という書を表す、その中に綱吉、吉保のことがこれ以上かというくらい悪口が書いてある。あることないこと含めて。吉宗に対する恨み辛みも含んで、そうしてもう1人明治時代に徳富蘇峰がこの綱吉、吉保をこき下ろしている。
荻原重秀の貨幣の改鋳に対して経済のことが全く判らない新井白石は不義、不正と批判し、失脚させた上、命まで奪った。金の含有量がいくらであっても1両は1両という考え方は今の世ならば簡単に判る人が多かったかもしれないが、荻原重秀の時代は殆ど理解されない。でも柳沢は理解した。貨幣の価値はその物にあるのではなく、それを発行する幕府の信用にあるということ理解した。このあたり、儒学者の新井白石には判らない。でも家宣の政治顧問。この新井白石が前政権の悪口を書いたものだから信用する人も出てきのでは。歴史の事実はそのまま伝わることは難しいようだ。あまりにも褒められている。辱められている等極端なところに本当のところが見える糸口があるような気がする。
なかなか面白い本です。今までの常識が頼りないものであったのがよく分かる本です。