パイザの韓国旅行記

韓国旅行記 【友達と会う韓国旅行1】




01金浦空港に降り立つ

 またソウルの金浦空港まで来てしまった・・・。慣れというのは恐ろしいものである。初めて来たときは「独特の雰囲気」に圧倒されてしまったものなのだが、今回はなんの緊張感なく入国してしまった。それに飛行機に荷物を預けず、手荷物のみの軽装なので、拍子抜けするほどスムーズに入国することが出来た。ここまで来ると、国内旅行と変わらない気がしてくるから不思議だ。

 今回の旅は「友達に会う旅」である。「韓国の友達」と「日本から来た友達」の両方だ。ソウルでは主に「日本から来た友達」と会い、テジョン(大田)、インチョン(仁川)で韓国の友達と会う予定なのだ。

 まずは金浦空港で、パソコン通信ニフティサーブ内の同好会である「韓国ポピュラー音楽学会」のメンバーDEKOさんと会う予定だ。ここで落ち合ってヨグアン(旅館)の部屋をシェアするのである。目的地はソウル市内、地下鉄カンファムン(光化門)駅近くにある「カンファジャンヨグアン」(光化荘旅館)だ。2人でシェアすると1人12,500ウォンでいけるのでこれは安い。(1997年当時は一泊一部屋25,000ウォンくらい 2,500円程度) 連泊の旅の場合はこういうふうに細かくシェアして費用を浮かせるのが、お得な旅のポイントなのである。
 ちなみに、この時代、まだインターネットは普及しておらず、文字情報のみのいわゆる「パソコン通信」が行われていた。もちろん、韓国においても「千里眼」(チョルリアン)に代表されるパソコン通信が盛んで、ハングル文字のみで通信が行われていたのだ。韓流など影も形もなく、韓国情報もほとんどなかったため、必死で情報を集める必要があった時代だった。それゆえ、極端に数少ない情報を、お互いに交換する必要があったのである。当然、韓国語を習得しなければ、情報を得ることは出来ない。厳しい時代だったのだ。

 しかし、このDEKOさんとはネット上ではよくチャットをするけど、実際に会うのは今回が初めてだった。どんな人なんだろうか? しかし、実際に合ったことのない人と、異国の地で待ち合わせをして、しかも部屋をシェアしてしまおうというのだから、何とも時代は巡ってしまったというところだろうか。客観的に見て、やはりちょっと変なのかも知れない。ネット時代ならではというところか。

 僕はアシアナ航空、DEKOさんは大韓航空利用なので、金浦空港の第一ターミナル1階の到着フロアーで待ち合わせることになっていた。税関を過ぎて自動ドアーを抜けると大きめの空間が広がり、左右に分かれて進むようになっている。ロビーには椅子がたくさん並べられていて、出口の映像が大写 しになっているモニターを見ながら待つことができるという案配だ。

 とりあえずDEKOさんが出てくるまで30分ほど時間があるので、観光ガイドなどをキープしておくことにした。観光ガイドは到着フロアーの道路寄りにあるインフォメーションでもらえる。特に「今週のソウル」など新聞形の情報誌は見逃せない。きめ細かな情報があって、大いに利用したいところだ。

 僕は目印の「タワーレコードの袋」を膝の上に置いて、最前列の椅子に座った。さて、DEKOさんからのメールでは「バックパッカーの姿で行きます」ということなので、それらしい人を捜す。ロビーのタイムテーブルではもう到着しているはずなのだがなかなか出てこない。ま、いずれにしてもこちらとしては声をかけてもらうしかないので気長に待つことにした。





ソウルの位置関係


パソコン通信ニフティサーブとは?
かつて、インターネットが普及する前はいわゆる「パソコン通信」なるものがあって、ニフティーサーブはその大手だった。
文字のみでのやりとりで、まさに「通信」という言葉がぴったりだった。私はこの通信がしたくてパソコン(Mac LCII)を購入して、はまったものである。そこには、海外旅行の同好会などもあって、その場で旅行記を公開していた。その流れて、現在でもホームページ上で公開している。このサイトの旅行記も、半分以上が、このニフティ上で公開されていたものである。


韓国ポピュラー音楽学会とは?
そのニフティサーブ上で「韓国音楽」が好きな人が集まって作った同好会のこと。90年代半ばは、まだ韓流など影も形もない時代で、韓国の情報を入手するのは困難を極めた。もちろん、インターネットもなかったからである。韓国のラジオを聴くか、韓国の人と文通するか、韓国に行って雑誌を買ったりCDを買ったりするか、韓国のパソコン通信に進入して、直接韓国人とやり取りするかだったのだ。
因みにインターネットがなかった時代なので、この「韓国のパソコン通信」と繋ぐ、というのがかなりハードルが高かった。なんとかやっていたけど、日本で何人いたんだろ、というくらいの技だった。このあたりは、日本を代表する先駆者だったと自負しております。


02DEKOさん・Naoさん登場

 しばらくすると2人組の男がこちらに近づいてきた。どうも日本人っぽい。するとその一人が「パイザさんですか?」と言うではないか。えええ??? DEKOさん???DEKOさんって一人で来るって言ってなかったっけ? よく聞いてみると一人がDEKOさんで、もう一人がNaoさんという人だった。なるほど。Naoさんは少し前に到着していて、一度カンファジャンに行ってチェックイン(?)を済ませたらしい。再び戻ってきて合流したということだ。

 DEKOさんはメールに書いてあったとおり、少し大きめのリュックを背負っていた。ラフなスタイルで、典型的バックパッカーの出で立ちだ。頭は丸く刈ってあり、いわゆる軍人っぽい感じがする。コンピュータお宅にミリタリーお宅が混ざっているのだろうかと思う。書き込みのイメージよりかなり「いかつい」風貌だったが、話してみるとやはりDEKOさんなのだ。何だか不思議だ。しかしこの雰囲気は「世界を放浪しています」といってもぴったり来るような感じなので、タイとかインドネシアなんかのビザをベタベタ押したパスポートなんか持っていたら、成田の税関で相当やられるんじゃないかなーなどと、いらぬ心配をしてしまうのだ。

 Naoさんの方はというと、もう荷物を置いて来たからかかなりの軽装だった。あまりバックパッカー的なイメージはなく、理科系の学生っぽい感じがした。僕よりもたぶん年下だろう。会社に入りたてという感じだ。

 さて挨拶もそこそこに、カンファジャンヨグアンの方へ移動することにする。以前は「カンファムンサゴリ」(鍾路のイスンシン将軍の前、東和免税店前あたり)までバスを利用するしかなかったのだが、地下鉄7号線が開通 してかなり便利になった。特にカンファジャンヨグアンのあるカンアファムン(光化門)界隈は近くに駅ができたこともあり、格段に利便性が高まった。地下鉄1号線を利用することも出来るのだが、「シチョン(市庁)」と「チョンガッ(鍾閣)」駅のちょうど中間で、どちらの駅からも少し歩かないといけなかった。空港からの移動も、それから市内に行く場合もどちらも地下鉄で事足りる。これは便利だ。

 地下鉄に乗りながらいろいろ話をした。二人ともエンジニアだそうで、かなりコンピュータには詳しいようだ。僕は文系なので詳しいことはさっぱり分からなかった。しかもNaoさんはソウルに来てまでも「コンピュータお宅」ぶりを発揮して、地下鉄の中で「リブレット」を取り出し、立ち上げ始めた。因みに客は僕らのほかはほとんど乗っていなかった。この時間帯のこの路線はだいたいいつもこんなものだ。

 そのリブレットはこれまたお宅な壁紙にお宅なアイテムで埋め尽くされているのだった。ソウルに着いた早々、地下鉄の中でコンピュータゲームに打ち興じる3人。不思議な世界が展開されるのだった。

 地下鉄は1時間ほど走って地下鉄はカンファムンの駅に着き、カンファジャンに向かう。駅から徒歩数分だ。コンビニもある。(繰り返すようだが)これは本当に便利だ。





地下鉄7号線が開通
地下鉄7号線は、最近韓国にはまった人にとっては、最初からある路線なのかもしれないが、これが出来るまでは、金浦空港からの移動は、結構大変だった。地下鉄が出来てからは、かなり便利になったかと思う。
そう、当時は、まだ仁川国際空港がなかったので、すべて金浦発着だったのだ!!! すごい昔のような感じだ。(実際そうだなのだが)
しかし、仁川国際空港が出来て、国際線がすべて仁川に移動してしまったのだが、またバスでの移動になってしまった。便利になったのか不便になったのか、よく分からないところだ。そして、その仁川にも電車が伸びている。時代はめぐる~~♪って感じかぁ?


カンファジャンヨグアン(光化荘旅館)
かつての私の定宿。今はどうなってんだろ?もう何年も行ってないけど、残ってるのかなぁ。


リブレット
いまでこそ、モバイルの安いノートが出ているが、当時はとってもとっても高かったのだ。だって、液晶ディスプレーなんてなんてなかったもん。ということで、持ち運べるパソコン(的なもの)としては、このリブレットとか、オアシスポケット(通称オアポケ)などが出回っていた。それでも高かった。通信スピード2400ボーの時代。この時代を経験したことは、貴重な財産ですよ!!

03カンファジャンヨグアン(光化荘旅館)

 カンファジャンに着き、予定どおりDEKOさんとシェアする事になった。部屋は4階の一番奥の部屋だ。荷物を降ろしてとりあえず落ち着く。

 さて2人はこれから特に用事がないと言うことだったが、僕はインチョン(仁川)に住んでいるヨンミに電話をしないといけない。時間があれば会うことにしているのだ。ヨンミというのは僕のペンパルで、現在ソウルの大学院に通っている韓国人女性だ。専攻は音楽教育。日本語はかなり上手で、僕と話すときは日本語の場合が多い。もちろん韓国語で話をする事もある。でもその場合はパンマル(かなりくだけた言葉・言い方)で話さないと「よそよそしい」と怒られてしまうので難しい。日本の韓国語教室ではパンマルをほとんど教えないので、ほとんどのパンマルを彼女から盗んだ(?)格好になる。そのためか「女みたい」とか言われてしまう。韓国語は日本語と同じで「女言葉」ってのがあるのでやっかいだ。

 とりあえず僕は彼女のピッピ(ポケベルのこと)にメッセージを入れるために外に出ることにした。そして再びヨグアンの部屋で待つのだ。DEKOさんとNaoさんはとりあえず街をぶらぶらするらしい。

 ところでなぜだかよく分からないけど、Naoさんは韓国のポケベルを持っている。こちらで加入したらしい。確かにこれは便利である。彼は確実に捕捉できるのだ。もしヨンミとうまく連絡が取れたらNaoさん、DEKOさんを入れた4人で夕食を食ってもいい。その時はNaoさんにメッセージを入れることにした。

 カンファジャンからバス停のある大通りの方に3人で歩いていって、公衆電話の前で2人と分かれた。
 公衆電話にカードを入れ、番号をプッシュする。案内(もちろん韓国語だ)に従って番号を押すとそれぞれのサービスを受けられる。ヨンミのポケベルは4番まである。しかし今回は、2番の「ノグム」(録音)機能を使って、カンファジャンの電話番号と部屋番号を録音しておいた。

 部屋に戻ってテレビなどを付けてごろごろする。部屋の写真なんかも撮ったりして待っていたけど、なかなか電話がかかってこない。今日はダメなのかなーと思っていた頃にやっと電話がかかってきた。

 聞いてみると今日は大学ではなくて家(つまりインチョン)にいるらしい。どうもプリンターの調子がおかしくて、修理に出したりしていたということだ。ううむ、どうしよう。ソウルで会う予定だったからなぁ。

 僕はインチョンまで行っても良かったけど、後の2人はどうなんだろう? ソウルからインチョンへは1時間くらいかかる。とりあえずヨンミがNaoさんのポケベルを鳴らして聞いてみることになった。(因みにカンファジャンの部屋からはポケベルを鳴らせない。0発信ができないのだ。)

 しばらく待っているとNaoさんから電話がかかってくる。どうもDEKOさんとは別行動らしい。DEKOさんは靴を買いに東大門市場のほうに行ったそうだ。Naoさんは特に用事もないのでインチョンに行きましょうということになった。DEKOさんとは鍾路で待ち合わせをしているので、そこでDEKOさんを拾って一緒にインチョンに来てもらうという案配だ。

 じゃ、とにかく僕はインチョンに向かうことになった。実際はインチョンという駅ではなくて、「チュアン」という駅である。インチョンの少し手前だ。でも実際はインチョンよりもここで降りる人の方が多い。




旅館の中


韓国語
このヨンミには、ずいぶんと韓国語を教えてもらった。このころは、まだ女言葉がうまく抜けなかったようで、今思い返してみると、なんだか面白い。ただ、韓国語には日本語ほど「女しか使わない言葉」は少なく、むしろ「話し方」「声の出し方」「声のトーン」などに、男女の差が出てくる。最近は、韓国ドラマなども入手簡単なので、それを見ると何となく分かるのではないだろうか。韓国の男性は、一般的に日本人男性よりも低い声で抑揚を抑えてしゃべる。このしゃべり方をするだけで、ずいぶん韓国人ぽくなるのである。



ポケベル
この時代、まだ携帯電話は登場していなかった。したがって、韓国でも連絡はポケベルで行っていたのだ。ひえー、今考えると、結構すごい。でも、この何年か前になると、ポケベルもなかったんだからね・・・。

03インチョン(仁川)へ・・・

 地下鉄シチョン(市庁)の駅まで歩いていって、インチョン行きのチョンチョル(電鉄)に乗る。ものすごい人だ。そういえばラッシュアワーの時間帯なのだ。ぎゅうぎゅう詰めの電車に揺られて1時間。フラフラになったところでチュアンに着いた。

 待ち合わせの時間のちょうど5分前だ。ううむ完璧。そう思って待っていたが、待てど暮らせどヨンミは現れない。どうしたのだろうか? やはり韓国人時間なんだろうか? そう思って待っていると、約束の時間から約20分遅れでひょっこり現れた。どうもお父さんから外出の許可をもらうのに時間がかかったらしい。ううむ、箱入り娘め。というか、韓国ではそう珍しいことでもないようだが。

 早速どこかの店に行くことにする。そこからNaoさんのポケベルに電話するのだ。普通の街中の食堂に入ってヨンミが電話をした。メシを食いながら待っているとヨンミのポケベルが鳴り、2人が既にチュアンの駅に着いていることが分かった。あわてて駅の方に歩いて行って、なんとか合流することができた。

 とりあえず先にメシを食ってしまったことをわびて、近くの店に入り、まずは2人にメシを食ってもらう。それから喫茶店に行って話をした。
 ヨンミは今年、日本に留学する予定なんだけど、その下宿候補先として八王子市を考えているようだが、なんとそこにDEKOさんが住んでいることが判明。これからお世話になるかも知れないなーと思ってしまう。
 時間も遅くなってきたので、今日のところはこれでお開きということにして、3人でソウルに帰ることにした。

 ソウル行きの電車は、思ったより人が多くて座れなかった。3人で吊革につかまりながら「あーでもないこーでもない」と話をしていると、僕らの前に座っている大学生ふうの男女団体が、なにやらひそひそ話しているのが聞こえてくる。聞いてみると「おいっ、この人ら日本人だぞ」「おお、そうみたいだ」(すべて韓国語)とか話をしている。こちらが韓国語を分からないと思いこんでいるのか、油断しているのか・・・。しかし実のところ、DEKOさんもNaoさんも僕も3人とも韓国語話者なので、彼らの「ひそひそ話」はすべてお見通しだったのだ。
 そのうちこちらから声をかけると、「ええっ、もしかして今まで僕らがしゃべっていたの、全部分かってたんですかぁ?」と言うことになり、爆笑の渦に巻き込まれるのだった。

 彼らは大学生で、インチョンで飲んでソウルに帰るところだったようだ。酒も入っているので陽気に話しかけてくる。でも陽気な割には「かなり複雑で難しい問題」(経済問題など)を聞いてくるのではっきり言って答えられなかった。
 降り際にNaoさんがその中の一人(男だよ)と住所交換をしていた。
 Naoさん!手紙書いて送った?

 さて宿に戻ると、最後の一仕事残っている。おばちゃんに言ってふとんをもう一組もらわなくてはならない。何度も書いているとおり、韓国人は友達同士の場合、同じふとんで寝る習慣があるので、ふとんをもう一組もらおうとするとかなり嫌がられる。今回もかなりぐちぐち言われたあげく、上布団しかくれなかった。まぁ暑いからこれでいいや。その日はそのままDEKOさんとシェアして寝ることとなった。



韓国旅行記 【友達と会う韓国旅行1】 了
1997年4月29日(火)

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