パイザの韓国旅行記 韓国旅行記 【友達と会う韓国旅行2】01セマウル号でテジョン(大田)へ さて今日は朝早くから移動してテジョン(大田)に行かなくてはならない。テジョンに住んでいるもう一人のペンパルのジヘさんという大学生の女性に会いに行くのだ。こちらは昨日会ったヨンミと違って初めて会うことになる。韓国に来る前にあらかじめ国際電話を入れて確認をしたところ、手紙は日本語でなんとか書けるが、会話は全くダメらしい。以前の僕だったらお手上げだったけど、まぁなんとかなるだろう。一応、朝から移動してテジョン駅に着いたらポケットベルを鳴らす段取りになっている。 テジョン行きの電車は「ソウル駅」から出ている。地下鉄の駅でいうと、1号線でシチョン(市庁)駅の次だ。歩いていくのにはちょっと遠い。Naoさん情報で、セジョン会館の前からバスに乗ることにした。韓国のバスは韓国語の分からないものにとってはものすごく複雑で乗りにくいものかも知れないけど、慣れるとこれほど便利なものはない。「複雑さ」は「きめ細かさ」に通じるのだ。 |
セマウル号 |
|
02セマウル号のトクシル(特室)トクシルの車内は、なかなか快適な空間だった。それに新聞なんかも配ってくれる。飛行機と同じような読み物などもあって、飽きさせない空間だ。もちろん日本語のなどはないけどね。 セマウル号はしずしずと動き出した。さてしばらく暇なのでその「読み物」に目を通してみる。なかなか面白い特集が載っている。車内雑誌だからだと思うが、旅情をくすぐってくれる特集が多い。気に入ったのを二つばかり紹介しておくと、ひとつは「海割れ」の特集だ。チンド(珍島)の海割れはかなり有名だけど、それ以外の海割れの名所を解説していた。チンドのほかにも「ムチャンポ」など数カ所あるとのことだ。もうひとつは、超大人気テレビドラマ「モレシゲ」(砂時計)のロケ現場を訪ねる、というものだった。この「モレシゲ」は数年前に韓国で大ヒットした連続ドラマで、実は「韓国ポピュラー音楽学会」の「とっけびさん」にビデオを借りて見たことがあるのだ。はっきり言ってかなり面白いドラマだ。何かの機会があれば是非見て欲しい。その「モレシゲ」の舞台にもなった「トンヘ」(東海・日本名:日本海)沿いの駅で、韓国で最も海岸線とホームが近い「チョンドンジン」という駅が特集されていた。北朝鮮の潜水艦座礁事件で有名になった「カンヌン」(江陵)の少し南にある駅だ。ここにはドラマのヒット以来、多くの人が訪れるようになっているという。そして特別列車が企画されていて、最近では観光名所化しているとのことだ。因みにこの駅のハイライトは「海から登る朝日を見ること」らしい。海岸が東向きなので水平線から登ってくるダイナミックな太陽の姿を見ることができるのだ。特別列車は夜中にソウルの「チョンニャンニ」駅を出発して、日の出前に「チョンドンジン」駅に着くという案配だ。そして日の出を拝んだあと、その日の夜にソウルに戻るという1日ツアーらしい。・・・・・・い、行きたい。 |
なお、この旅行の3年後に「珍島の海われ」を見に行くことになり、そして8年後には「ムチャンポ」に到達するのだ。それぞれ、別途、旅行記を参照されたい。 珍島海割れ紀行 http://www.moon.sannet.ne.jp/paiza/chindo.html 韓国武昌浦・馬耳山旅行記 http://www.moon.sannet.ne.jp/paiza/anmyon3.html |
|
03テジョン(大田)到着そうこうしているうちにセマウル号はテジョン駅に着いた。駅に降り立つ。実はこの駅は2回目なのだ。前回はEXPOの時に来た。数年ぶりになる。あのときは観光客と会場に向かうシャトルバスで混雑していたけど、今はその面影はない。田舎ののんびりした駅になっていた。但し駅前広場だけは巨大なままで、サッカー場が取れるほどの広さをそのまま残していた。 さてとりあえずポケットベルに連絡を入れる。待つ、待つ待つ待つ待つ。実はここで2時間も待たされてしまった。連絡がうまくいかなかったらしい。本人が現れたときはもうお昼を回っていた。 喫茶店はテジョン駅前から地下道を通って繁華街の方まで抜けたところにあった。地下に降りていくと、例によって電話機がたくさん置いている実に韓国的な空間が広がっていた。椅子に着くと早速電話をする。友達を呼び出すためにポケベルを鳴らすのだ。 連絡が入るまで少し時間がかかるので自己紹介などをする。それにしても、手紙ではそれなりに日本語で書いてくるのに会話はまるっきりダメのようだ。まぁ、その方が僕には勉強になるし、特にコミュニケーションで困ることもないし・・・。 僕はとりあえずおみやげに持ってきた日本の銘菓「うなぎパイ」を渡しておいた。なんで「うなぎパイ」なのかと聞かれると困ってしまうのだが。とにかく日本の代表的なお菓子ということだ。以前インチョンのヨンミに「日本の最も有名なお菓子」ということで「きびだんご」を渡したことがあるけど、この時は 「こんな甘いお菓子は韓国にはない」 と一蹴されてしまった。よく考えたらこの手の甘さのお菓子って、韓国にはあまりないのかも知れない。でも韓国人はパンに砂糖をかけて食うし、パッピンス(氷あずき)も食うし、甘いのが嫌いなわけではないはずだ。それ以来、いろんなお菓子を持っていって、反応を見てみることにしている。今度は「生八つ橋」でも持っていこうか・・・・。しかし、ジヘさんに「夜のお菓子」という意味が理解できるだろうか?ま、どっちでもいいけど。 しばらくするとジヘさんの友達から電話がかかってきた。場所を連絡するとまもなく本人が現れた。 |
大田の駅前広場 |
|
043人で「タッカルビ屋」から「牧園大学」へとにかく昼メシでも食いに行こうということになり、近くの「タッカルビ屋」(鶏カルビ屋)に向かう。この「タッカルビ」はここ3年ほどの間に韓国を席巻している料理だ。鶏のカルビなのだが、これをキャベツを中心とした野菜やトッポキ(棒状の餅)などと一緒に、丸い大きめの平底の鉄板というか、フライパンの大きなやつのようなものの上で唐辛子のたれと混ぜながら豪快に焼いていくというものだ。数人でわしわし食うには安いし、最高なのだ。タッカルビの中でも「ピョオンヌンタッカルビ」(骨なし鶏カルビ)を是非頼んでみよう。本当に美味しい。そして最後にご飯を頼んで、その残り汁というか、残りだれにまぶして焼くと唐辛子味のチャーハンになって、これがまた最高にうまい。最終的にメシを食わないと落ち着かないのは日韓共通のようだ。この料理を日本でやれば必ず大ヒットになると思うのだが、誰か事業化する考えのある人はいないんだろうか? たらふく食ったあと、とりあえず二人が通っている大学に行くことになった。タクシーで数分走ると、丘の上にそれはあった。 |
||
05韓国のおじさんパワー炸裂!?尋ね人も見つからないので、3人でどこか別のところに行くことにする。と、その前にどこかに荷物を置きたいところだ。さっきからずっとバックパッカー姿で荷物を背負って歩き回っていたのだ。荷物をどこかに置けないだろうか?とジヘさんに聞いてみると、しばらく考えたあとで、近くにある行きつけの食堂のおじさんに頼んでくれることになった。大学の裏口から坂道を降りていくと、そこにそのおじさんのやっている食堂があった。中に入ってみると客は誰もいなくて(お昼はもう過ぎてしまったから)おじさん一人がテレビで野球を見ていた。典型的韓国人のおっさんだ。少しやせ形で髪の毛はぼさぼさ。日にやけてるんだか酒やけ何だか良く分からないけど、妙に顔がやけていた。ほお骨がはっている。ラフなシャツ。 ジヘさんがおじさんに荷物のことを話すと、「ああ、かまへんよ」と言ってくれた。しかしそのおじさんはどうも僕に興味を持ったらしく、「あいつは日本人か」「友達なんか」などと根ほり葉ほりジヘさんに聞き出した。そのうち僕が韓国語を分かると知ると、直接いろんなことを聞き出した。そしてそのあげくに、 「じゃ、今からわしが車を出してやるから君ら乗れ!」 などと言い出したのだ。ううむ、実に韓国的な展開になってきたのだ。店はかまへんのだろうか? そのうちおじさんの子供(男の子)が学校から帰ってきた。小学生の低学年だ。1年か2年ってところだろう。店の中で待っているとおじさんが車を回してきた。すると子供が、「どこ行くのー」といい出して、何だか良く分からないままにそのおじさん、僕、ジヘさん、ユさん、「おじさんの子供」の、おっさん2人、女子大生2人、子供1人という変な5人組が車に乗り込みレッツゴー状態となったのだ。 本当はテジョン市内が一望できる「ポムンサンコンウォン」(宝文山公園)に行こうとしていたのだが、そんなことは知ったこっちゃ無いのである。行き先の決定権はすでに我々の手を離れており、昔、EXPOをやった公園の横にある「科学館」に連れて行かれ、「じゃ、*時になったら迎えに来るから」と言い放ってそのおじさんは颯爽と走り去ってしまったのだ。・・・さて、科学館を見るとしよう。その男の子は大はしゃぎだ。ユさんがその男の子の手を引いて科学館の中に入っていく。なんでか良く分からないけど科学館はタダだった。 |
食堂のおっさんが、車を出してくれる! |
|
06科学館科学館の中身自体ははっきり言って大したものではなく、大阪でそういうところに行きまくっていた僕にとっては「ふーん」というレベルなんだが、韓国人の科学感(?)というのが見えるようで、それが面白かった。科学館とはいえ大韓民族の輝かしい歴史と伝統はしっかりおさえられている。それに韓半島の動物コーナーがなかなか興味深かった。予想していたとはいえ、やはり日本のものと酷似している。もともと繋がっていたからそういうもんなんだろう。コンピュータゲームなんかもあり(これが一番面白かった)時間を潰したあとジュースなんかを買っておじさんの車の待ち合わせ場所に行った。 ちょうど日が傾きかけた感じで、適度に吹く風が心地いい。野外に設置されたベンチに座っていろいろと話をした。子供もジュースをチューチュー吸いながら話を聞いている。しかしこの子供は僕をどう感じているのだろう?恐らく生身の日本人を見るのは初めてだと思う。最初に車に乗ったときは僕が日本人だと気がつかなかったようだ。いや今もどれくらい意識しているか怪しいものだ。しきりに話しかけてきたけど、僕の発音がどうも変なので、少し意識している感じだ。このくらいの年齢なら、まだ日本に対する特別な感情もないだろうし。・・・この子の人生観に少しでも影響を与えることになっただろうか? そんなことを考えてしまった。写真を一枚取ってやると、カメラをねだって、それを不思議そうにいじくっていた。子供はどこの国に行っても同じだ。同じように日本人も韓国人も基本的に同じ人間なんだ。文字の上だけとか観念とかそういうのではなくて、生身の人間同士の感覚が育ってくれればいいなぁとか思ってしまう。 しばらくすると、さっきのおじさんが迎えに来た。車に乗り込み食堂まで戻る。おじさんは「君は焼酎を何本くらい飲めるんだ」とか「碁はするのか?」とか盛んに聞いてきた。後でジヘさんに聞いてみたんだけど、この「君は焼酎を何本くらい飲めるんだ」という質問は韓国のおじさんにありがちなものらしい。何本というのはもちろん「チルロ」(真露)の大きさの瓶のことなんだろう。僕は何本飲めるかなんて考えたこともないし、試したこともないので「いやー、どうでしょう。1本以上は・・・」などと軟弱に答えると、おじさんに鼻で笑われてしまった。何本くらいと答えるといいのだろう?一度試してみないといけないのだろうか? 店に着いて、おじさんと子供とはそこで別れることになった。でも荷物は今しばらく置かせてもらうことにした。おじさん、感謝。 |
ユさんと科学館へ タクシー運転手の子供 |
|
07伝統茶の店へ・・・またもや韓国おじさんパワーおじさんの食堂は大学の坂道を降りたところにあるのだが、この周辺は小規模ながら店が建ち並んでいて、大学街のようなものを形成していた。少し休憩でもしようかということになり、喫茶店にでも行こうか、ビデオバン(カラオケボックスのような感じでビデオを見られる個室)にでも行こうかとか、いろいろ悩んだあげくに伝統茶の店に行くことになった。 伝統茶の店はすぐ目の前にあった。ビルの3階まであがっていくと広々とした空間が確保されていた。板張りの床で、壁も木材を使って雰囲気を出している。しかし客は一人もいなかった。 飲んでみると、それは疑うことなく「ポーレー茶」(プーアール茶)だった。なるほど、韓国語では「ポイチャ」というんだ。香港で死ぬほど飲んだことのあるお茶だ。この味だけは自信を持って言うことができる。どうもジヘさんとユさんは初めて飲むみたいだ。おじさんが去った後、香港の話をすると不思議そうに聞いていた。そういやー、「カビ」って韓国語でなんていうんだったっけ?(ポーレー茶の特徴はカビを生やせること)などと考えながらお茶を飲んでいると、おじさんが「ポイチャ」の固まりを持って現れた。あぁ、やっぱり「ポーレー」だ。おじさんはまたしても「なぜ固まりなのか」などの話を滔々としゃべり出すのだった。このお茶は持ち運びに便利なように円盤形に固めるのだ。フリスビーより一回り大きいくらいだった。それを腰にぶら下げていくのである。おじさんによると遊牧民族系が起源とのことだ。 そこでひとしきり話をした後、夕食を食べに行くことになった。ここでユさんは用事があるということでお別れする。とりあえずさっきの食堂のおじさんのところまで行って荷物をピックアップしなければ。 食堂に行ってみると大学生のにーちゃん達が酒を飲みながらワイワイやっていた。しかもジヘさんの友達らしい。我々の姿を見つけると、「一緒に飲もう」といいだした。僕としては是非ともお願いしたいところだったが、ジヘさんが嫌がっていたようなので見送ることにした。こういうのが苦手なんだろう。荷物だけもってその場を後にした。「次回来るときはぜひ彼らと飲みたいなぁ」と話をすると「彼らは今年の夏前に軍隊に行く予定なんです」とのことだ。これで数年は帰ってこない。一緒に飲んでおけば良かったかな、と少し後悔してしまった。 近くの食堂で食事をした後、ジヘさんとも別れることにした。とりあえず駅前までバスで送ってもらう。駅前にはヨグアン(旅館)がたくさんあるのだ。次の日の朝の約束をして、そこで別れた。 韓国旅行記 【友達と会う韓国旅行2】 了 第三話へ続く 1997年4月30日(水) |
ユ(劉)さんとジヘさん |
|