2005年5月はこの7公演

 


シベリア少女鉄道「笑顔の行方」

紀伊國屋サザンシアター 5/6〜5/11
5/7(土)ソワレ観劇。

作・演出 土屋亮一

申し訳ありません。まだ書けていません。

演劇の部屋に戻る


猫☆魂「New Life」

下北沢駅前劇場 5/6〜5/10
5/8(日)観劇

作・演出 西永貴文

申し訳ありません。まだ書けていません。

演劇の部屋に戻る


温泉きのこ「謡う、相続人」

下北沢OFFOFFシアター 5/11〜5/15
5/14(土)マチネ観劇。座席 自由(5列目中央付近:招待)

作・演出 大堀光威

 演歌歌手の重鎮キタナカジマ(大堀光威)率いる“北中島ファミリー”。3年前にヤクザとの関係が取りざたされた“黒い疑惑”で、芸能界から干されていた。しかし、弟子のヒヤマシン(中西広和)が新人賞を総ナメにし、北中島ファミリーにも追い風が吹いてきた。そして、久々に巡ってきたのが、大晦日恒例の国民行事“紅白歌合戦”の出場であった。しかし、舞い込んで来た幸運は、長続きはしなかった・・・。歌っている途中で吐血し、倒れてしまったのである。その姿が全国に生放送されてしまい、その姿を見た老人がショックで死亡したというニュースが、世間を騒がせた。ナギサ(たにぐちいくこ)の一家もその一つで、祖父がショックで年越しソバを咽に詰まらせたのが発端で、父の浮気がばれたり、兄だと思っていたのが実は姉だったり、と家族が崩壊していくのであった。全ての原因は、“紅白歌合戦のあのシーンにある”と決めつけたナギサは、キタナカジマに対して復讐を誓うのであった・・・。
 場面は変わり、キタナカジマの豪邸。一命を取り留めたキタナカジマを殺そうとした、殺人未遂事件が勃発する。豪邸には、妻のヨシコ(関絵里子)、長女のエツコ(内田慈)、次女のリノ(宮本奈津美)、メイドのモミジ(羽田謙司)、キミコ(菊川朝子)、長女の旦那でキタナカジマの元弟子のマサキ(佐藤貴史)など、一癖も二癖もある面々が集まっていた。その中にメイドで働いているナギサの姿もあった・・・。外部との連絡もままならぬ、山中の豪邸。遺言状を預かっていた、顧問弁護士のニシムラ(山崎画大)も、謎の死を遂げる。そこで、ニシムラが生前呼び寄せていた、ミステリー研究会で一緒だったというエビス(吉増裕士)が、事件解決に乗り出す。エビスには特殊能力があり、霊の姿が見えるばかりか、会話も出来る。その能力を駆使し、犯人を捜して行くのであった。そして、運命のいたずらか、エビス本人の記憶から欠落していた生い立ちも、あるキッカケで判明して行くのであった・・・。

 物語は面白いのだが、中だるみしてしまうのが勿体無い。横溝正史ばりのドロドロとした人間関係が渦巻く家族の転落劇を、ちょっとした歌に乗せて見せてしまうところなんか、むっちゃくっちゃ面白かったのに。それもミュージカルとは異なる“歌謡ショー”として見せてしまうところなんか、流石。才能の一端を見た思いだ。しかし、ちょっと上演時間が長いのが珠に傷。2時間ほどある上演時間を、1時間半くらいにぎゅっと圧縮していたなら、退屈する間もなく楽しめたのではないだろうか。昔、大堀光威が書いたコンテ・ポンテ・ラボラトリーの『タンデム〜どしゃ降りの雨の中で〜』を観た時も、そう感じたのだが、せっかくの面白さが上演時間の長さで消されてしまうのである。今後の期待を込めて苦言を垂れてしまうが、「詰め込むばかりが能じゃない」って偉そうに言い放ちたい。ホント勿体無い。“愛ハ地球ヲ救ウ!シリーズVOL.1”とあるが、次回もこの“歌謡ショー”路線で観てみたいものだ。

演劇の部屋に戻る


M&O plays プロデュース
「アイスクリームマン」

ザ・スズナリ 5/11〜5/29
5/14(土)ソワレ観劇。座席 K-7

作・演出 岩松了

 舞台は、山奥の合宿制自動車教習所。教習生たちは外界と中途半端に遮断された環境で、免許を取るという共通の目的はあるものの、到って緩い日常を過ごしていた。そして、毎日顔をつき合わせるうちに、様々な感情を抱き合うようになる。それは好意だけではなく、時には悪意にも変化する。又、たった数週間の合宿生活だが、変化を求め行動に移す者もいた。性的なイライラを風俗店に行き発散できる吉田(荒川良々)のような人間はまだいいが、佐藤(少路勇介)のように、近所に住む14歳の家出娘に夜這いをかけるという屈折した行動に出る者もいた。ただ、大半は、うらやましそうに噂話に興じるだけで、不満を鬱屈させていた。
 いろいろな人間が絡み合うが、無口な女性事務員の早苗(平岩紙)を巡る人間関係が、作品の軸を形成している。母親の葬儀に顔を出さなかった件で美人の姉(小島聖)が、どなり込んで来た事で、水面下で動いていた感情が揺らぐ。早苗の姉を即効で口説き始めた水野(高橋一生)は、合宿生活で何人もの女性を口説いていた。早苗の姉を口説いた事が噂になり、波紋を起こす。一方、半年も居残り続ける教習生・のつぼ(チョウソンハ)が、早苗に対して屈折した愛情を抱いている様子もうかがえる。そして、やり場のない感情は悲劇により終局を迎える。ただそれは、明日からの活力になるものでも、平淡な日常を変えるものでもなかった。数日経てば又いつも通りの日常が合宿所には訪れるであろうと示唆するだけであった・・・。そんな集団生活を描いた群像劇。

 岩松了の初期の名作を3作連続上演する企画の第1弾。13年前、所属していた劇団で役に恵まれなかった若手に書き下ろした群像劇で、何人もの俳優が入り乱れる。「やり場のない感情の帰結を、劇的に示す名作」と、どこかに書いてあったのを読んだが、自分にはピンとこない。交差する人間の内面を、濃密な会話で描いた群像劇としてはうまいと思う。観劇後「あいつの行動はこんな意図があったのか」とか、思考を巡らすのも嫌いではない。ただ、この作品に関しては、そういう気持ちにはなれなかった。

 一番の原因は、当時のままの脚本で上演したことではないだろうか。ただ、オリジナルを観ていないので、ピント外れの意見かもしれないけど・・・。昔の作品をそのまま上演するのも貴重だと思うが、やはり時代錯誤感を強く感じてしまったのも事実。作品に入るというよりは傍観者的視点になってしまい、面白味は半減してしまった。あぁ〜こんな時代もあったのね、みたいな。

 加えて、高い完成度を目指す為に名のある役者を採用したのだとは思うが、荒川良々や平岩紙など個性が強い役者には、期待するものとのギャップが強く存在してしまい、どうもギクシャクしたものが残ってしまった。なんて言うか、作品に埋もれてしまう役者の個性が残念でならないって感じ。無名の新人だけを使ったなら(初演はそんな感じだったと思うが)、面白い空気を感じたかもしれない。誰も知らない合宿所生活の閉塞感はそんな所からも染み出て来ると思う。そして、役者として目立とうと思う感情が作品に加わり、いい方向へと作品を導いたのではないだろうか。

 あと、わざとらしく見える演技は、意図があっての事だろうか、真意を測りかねる。どうもそういう演出は好みではなく、高揚感を感じる前に、急激に冷めてしまう。そんなところにも時代錯誤感を感じてしまった。

演劇の部屋に戻る


カムカムミニキーナ「スパイス・オックス〜雄牛の復活〜」

スペース・ゼロ 5/19〜5/22
5/21(土)マチネ観劇。座席自由(正面?4列目:招待)

作・演出 村松武

 南の島に浮かぶ黄島。その小さな孤島は「イエロ・パラダイス」とも呼ばれる、南国の楽園であった。五百年の昔、スペイン人宣教師アンデソンが伝えたと言われる、いくつものスパイスの木々が鮮やかな緑の森をつくり、様々に不思議な効能を持つそれらの香りが一つに溶け合って、えもいわれぬ眈美な空気が島全体を覆っていた・・・。
 その島に降り立った一人の男がいた。彼の名は唐崎省吾(吉田晋一)。インポテンツで悩んでいる彼は“性的不能が治るスパイス売ります”というネットの掲示板に飛びつき、黄島までやってきた。しかし、約束の場所にやって来た、浜本政和(今林久弥)、太田すすむ(千代田信一)、西野つよし(藤田記子)は、理由も告げずに暴行をはたらき、唐崎を拉致する。浜本の家に連れ込まれた唐崎は、浜本の妻・栄子(弘中麻紀)に拘束されるが、人類滅亡の妄想を抱く栄子は、唐崎を救世主だと思い込む。浜本らが唐崎を拉致したのは、新種のスパイスの人体実験の被験者探しが目的であった。そのスパイスは日本兵の残党、迫中尉(松村武)と小南健二(中島栄治郎)が、島に残り研究を重ねた“不老不死”のスパイスであった。子宝に恵まれない浜本は、島を滅亡させない為には“不老不死”しかないと考えるようになっていた。浜本だけでなく、黄島では、牛神を虚勢してから子供が産まれていないのである・・・。果たして究極のスパイスは完成するのか・・・。そして、失われていた唐崎の過去の記憶が蘇り、黄島との深い関係性も明らかになっていく・・・。

 まず思ってしまったのは、四方を囲む舞台をスペース・ゼロに作る意味があったのだろうか?って事。島の雰囲気を出すために、四方八方を囲むのは解らなくもないが、特に効果があったと思えないし、わざわざ作るくらいなら青山円形劇場でやればいいのに、と劇場を予約する苦労など考えずに苦言を吐いてみました。

 旗揚げ15周年記念公演第1弾と銘打っているが、その名に相応しくないつまらない芝居であった。残念ながら。スパイスシリーズとして前2作ある(私は観てない)のだが、黄島の設定は同じで別ストーリーらしい。まぁそれはともかく、なんて言うか、面白いと思って演出しているであろう“おふざけ”部分が、ことごとくつまらないのである。ストーリー的にも広がらないし。もっと、とことん壊してくれれば、面白いかもしれないが、中途半端なのである。いつでも話に戻れますよって程度にしか脇にそれない。それが常識なのかもしれないが、なんか古臭ささを感じてしまう。ちょっと笑いを入れつつって感じなのだろうが、裏目に感じてしまうのは自分だけなのだろうか・・・?

 パンフレットのインタビューには、「虚勢された牛をオックスと言い、それは、第二次世界大戦後の日本のよう」と語っている。ならもっと、そっち方面で煮詰めても良かったように思う。その方が絶対面白いって。“こんな風にも解釈できる”ではなく、目に見えるくらい批判めいたものを、舞台にぶつけてもいいのではないだろうか。今回の“不老不死”に関しても、島(日本)の繁栄程度に留めるのではなく、宣教師(アメリカ)への復讐の為に、とねじ曲げても良いと思う。TVのイラク(だったと思う)でのインタビューをたまたま目にしたのだが、「アメリカは日本へ落とさなくてもいい原爆を2発も落とした。これはテロ行為と言ってもいい。なぜもっと非難しない」と言うような事を言っていて、そうだよなぁ〜と妙に感心してしまった。そのインタビューが、アメリカに洗脳されてしまった日本人への警告とも取れてしまったのである。そんなちょっと目が覚めるような骨太な物語を、カムカムミニキーナに期待するのは、無理な話ではないはず。もっと毒を吐き散らそうよ〜。


“カムカムミニキーナ”自分が観た公演ベスト
1.黒船来襲
2.超人
3.マントル無頼(ぶらい)
4.スパイス・オックス〜雄牛の復活〜

演劇の部屋に戻る


北京蝶々「心無いラクガキ」

早稲田大学大隈講堂裏劇研アトリエ 5/18〜5/23
5/21(土)ソワレ観劇。座席自由(5列目中央:招待)

作・演出 大塩哲史

 舞台はワダ書店の事務所。その事務所は、本の仕入れや店員の休憩所も兼ねていた。ワダ書店は、そこそこの規模の本屋(らしい)。しかし、店員のほとんどはアルバイトで構成されていた。最近、ブックオフが店の前に出来たおかげで、売り上げが大幅にダウンしている。毎日、配送業者(森山春彦)が納品に来るが、仕入れと同数くらいの返本があるのはザラであった。その上、店長は数日前から出勤しておらず、店は副店長のサトル(森田祐吏)が切り盛りしていた。どうにか売り上げを上げようと、店員達は閉店後の事務所でポップ書きに精を出していた。アイコ(鈴木麻美)は、しっかり者だが口うるさい。そして、ちょっと人とは違う感覚を持つカナ(帯金ゆかり)とは相性が悪く、口喧嘩が絶えない。ナオミ(通地優子)は書店でアルバイトをして いるのに、本を買った事がない。タクヤ(垣内勇輝)の夢は、小説家になる事だが、小説を書いた事は一度もない・・・。
 そんな中、ナオミはポップの一枚に【ナオミはいらない】というラクガキを発見してしまう。誰が書いたのか解らないまま、次々に発見されるラクガキ。【サトルはすぐ仕切りたがる】【カナは何言ってるかわからない】【アイコの言葉は人を傷つける】・・・どれもこれも他人から見たら絶妙なところをついているが、書かれた本人は怒り心頭である。誰が書いたのか?犯人探しに躍起になっている店員達。そして、店がそんな状態になっているなんて知る由もない店長のライタ(赤津光生)が、数日ぶりに出勤する。ラクガキについて追求すると「あ〜あれね」ってな具合に、悪びれもせず自分の書いたものだと白状する。
 何故書いたのか?何故出勤しなかったのか?問い詰める店員達。実は店長は、小説を書いていて出勤できなかったのだと告げる。忘れないように書き留めたのが問題の“ラクガキ”だとも。そして、その小説は、ワダ書店をモデルにして書いたもので、新人賞に応募し、最終選考まで残っているらしい。その事実におののく店員達であった・・・。
 店長が書いた『涙のブックストア』は無事(?)落選。ほっと胸をなでおろす店員達。しかし、書店には店長が自費出版した本が大量に納品されてくる。そして、テレビでは、落選を納得できない店長が、酷評した選考委員(横井佑輔)を襲っている映像が流れていた。その事件がインターネットやテレビで報道される。その氾濫はまるで大量のラクガキのようでもあった。しかし、これで本が売れると確信した彼らは、売れるのはいいが、自分達の描き方が気に入らないと、本の書き直しを図るのであった・・・。

 細かな点は後で述べるとして、率直な感想は「とても面白かった」のである。なんと言うか“これってあて書き?”って感じるくらいに役者にあった配役だったのが、面白さを引き出していたのかもしれない。いや待て、各々の役者をそれほど知っている訳では無いので、役者の力量がアップしたことによって、役になりきれる自然な演技が出来るようになった、と言った方がいいか。それは、誉め過ぎか。ただ、役者の個性が加わる事によって、登場人物に厚みがでたのは確かである。

 ただ、内容に関して言えば、“あれ?北京蝶々らしくないんじゃない?”という気持ちが強かった。「ラクガキをする人は、特に何も(もしくはほとんど何も)考えていないのではないか、と思い立ったときに、公演にしてみようと思った」と、当日パンフには書かれてあった。それはそれで良いのだが、世界観があまりにも狭い。その上矛盾点も多い。もっと緻密に作品を作り上げて欲しかった。
 細かな点を言ってしまえば、書店の規模が見えない。だって、納品と返本が同数の書店で、アルバイトを4人も雇える訳がないもの。本って委託販売だから1000円の本売ったって、書店に入るのは確か400円とか(確実じゃないけど)。時給800円としたって、アルバイトを4人も雇ってしまっては大赤字で経営が成り立たない。そんな細かな点をスルーしてしまっては駄目ではなかろうか。さらに、ラストで本を書き直そうとするのだが、本を作り直してしまうのは大きな支出になり、喜ぶべき事ではない。書き直しを1日で上げたって、本を作り直すのに数日かかる。人の噂は千里を走るが、忘れ去られるのも同じスピード。インターネットの世界ではなおさら。人間って飽きやすいと思うんですよ。そんな些細な点を言うと“人間が小さい”と言われそうだけど、ちょっとした老婆心。
 ラストの展開も“ラクガキ”から、ちょっと離れてしまい、残念でならない。インターネットを小道具として使うなら、「店長はどこでもラクガキしてしまっていて、あっちこっちの掲示版でフィクションのラクガキを残してしまっていた。それが大きな事件を引き起こしてしまう。」ってんなら『心無いラクガキ』のタイトルも生きると思うのだが・・・あ〜、又勝手な事書いてしまった。

 役者では帯金ゆかりと鈴木麻美の一触即発さ加減が面白かった。特に鈴木麻美が良い。うまさに磨きがかかってきたと思うのは、決して好きだからという贔屓目だからだけではない。あの艶のある声に感情が宿っているんですよ〜。マジにうまい。それでこそ「アイコの言葉は人を傷つける」が生かされてくるってもんです。帯金ゆかりも「カナは何言ってるかわからない」を見事に演じきっていたと思う。他の役者も徐々に力が付いてきているのを感じる。赤津光生は最後になって登場するが、おいしいところをかっさらっていった感じ。今回三浦英幸が修理業者でほんのちょっとしか出演場面がないが、映画『タッチ』の撮影があったからだとか。いろんな方面で経験を積むのは良い事だと思う。


“北京蝶々”自分が観た公演ベスト
1.Othello
2.心無いラクガキ
3.酸素

演劇の部屋に戻る


げんこつ団「バー」

下北沢駅前劇場 5/26〜5/29
5/26(木)観劇

作・演出 吉田衣里

申し訳ありません。まだ書けていません。

演劇の部屋に戻る


ブルドッキングヘッドロック「スパイシージュースHOT」

中野MOMO 5/21〜5/29
5/28(土)観劇

作・演出 喜安浩平

申し訳ありません。まだ書けていません。

演劇の部屋に戻る



CONTENTSのページに戻る