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森高千里さん、1998年の「SAVA SAVAツアー」以来、21年ぶりとなった全国ツアー「この街TOUR 2019」は まだ冬深い1月26日 狭山市市民会館 大ホールで開幕した。 このツアーは、12月21日の仙台サンプラザホール公演まで全国津々浦々、37箇所を巡るもので、ここ名古屋はその27箇所目に当たるものであった。 また愛知県としては 6月16日のアイプラザ豊橋以来、2箇所目である。 この21年ぶりとなった本ツアーは各地で話題となり、森高さんがMCを担当する日曜深夜の歌番組『Love music』でも特集されたぐらいだったのだが、ツアー後半戦となった名古屋公演は これまでの熟れたセットリストやパフォーマンスが巧く溶け合い、その上で新たなサプライズを以って為された。 さて、森高さんにとって名古屋での単独ライヴは2014年10月16日の「Autumn Tour 2014 〜LOVE〜」(ZEPP NAGOYA)以来、5年ぶりであった。 もう、あれから5年も経ったのかとこれまた驚きだが、この5年の間には関東では各種ライヴが継続的に行われてきた。 いうなれば、森高さんはずっと定期的にステージに立ってきたと言ってもいい訳でそれゆえ、現役感に一片の曇りもない。 私にとっても、5年ぶりの森高さんである。期待せずにはいられないのは当然であった。 この胸の高鳴りは、30年前、非実力派宣言ツアーを今はなき愛知県勤労会館で初めて見た時と何ら変わらなかった。 今回の名古屋公演の会場は、愛知県芸術劇場である。 数日前まで「あいちトリエンナーレ」の中心会場として使用され「表現の不自由展・その後」が物議を醸した愛知芸術文化センター内に位置している。 開場が17:15、開演は18:00。 なんとか17:30までには入場しようとしたものの、芸術劇場への入り口ともなっている「オアシス21」で少し迷ってしまい(笑)予定から遅れてしまった。 愛知県芸術劇場は、愛知芸術文化センターの2階にあり、地下からいくと3階分、エスカレータで上るのだが、吹き抜けとなったホールでは ロックTシャツが何百枚も縦に並べられ、一枚の大きなフラッグになっていた。その中にローリング・ストーンズ、オジー・オズボーン、メタリカ.... のロゴはなんとか確認するに至った。 愛知県芸術劇場前では、既に入場が開始され、係員の声が周辺に響きわっていた。そんな声を聞き流しながら、入場口に近づいていった。 (なお、本日の公演はソールドアウト−売り切れである。) 女性係員にチケットを渡し、かばんの中を開けカメラチェックを受ける。いつもながらの光景である。 会場のロビーに一歩でも入ると、そこはもう人、人で埋まっていた。 其処で すぐ視界の右側に捉えるのは、コンサートグッズの物販コーナーである。 当然ながら そのコーナーから行列が形成され、それは2階への階段まで連なっていた。 開演までは30分弱。 トイレに行く時間とかを考えて、このまま物販の列に並んだら、間に合うのか?と心配になった。 というのも、90年代の森高さんのコンサートでも同じように物販の列に並んで、開演までに間に合うのか、間に合わないのかと焦りまくった記憶が あったからだった。 だが、今回はその人の列の流れを見ると、案外、短時間で捌かれているのを確認し、意を決して列の最後尾に並んだ。 途中、ヤキモキしながらも実質10分も並ばないぐらいで売り場に到着。パンフレットのみ購入し、次にトイレへと向かったがここでも長蛇の列。 中年以上が多い客層ゆえか、この状況に苦笑いするばかりであった。 用を済まし、いよいよ客席に入っていく。 ここに入るのは2014年の「モーニング娘。'14 コンサートツアー秋 GIVE ME MORE LOVE 〜道重さゆみ卒業記念スペシャル〜」以来、5年ぶりである。 下手側通路から入って、次第にステージの全容が見えてくると、センターステージに大きな「街」の赤いフラッグが掲げられているのが目についた。 そして、ステージ上手にはバスドラに懐かしきベスト君の描かれた森高さんのドラムが設置されていた。つまり、ドラムが2台、ステージに鎮座ましているのである。 どうやら、数週間前の東京・人見記念講堂公演の再現であったらしいのだが(それを見ていない)自分にはそんな事は知るよしもなかった。 そんな本日の私の席は、端であったものの比較的、前の方であった為、見やすそうであった。これは期待せずにはいられない。 開演時間が近づくにつれ客席が人で埋まっていく。席数は2,480席。 客層は、やはり40代〜50代が中心だ。 森高さんと同世代が、そのまま歳を重ねたといった所だろう。 時計は、開演時間の18:00を指し示した。 しかし場内ではまだクラシック・ロックのSEを流している。 場内が暗転し、バンドメンバーが暗闇の中、ステージに現れると状況は一変。拍手に包まれた。 バンドメンバーにも、掛け声がかかる中、視線はステージセンターに集まった。 階段状となったステージの最上段に 森高さんの姿が浮かび上がると、拍手は最高潮に達した。 「モリタカ!」の掛け声が、あちらこちらから発せられている。 これも懐かしき光景だ。 スポットライトが森高さんに注がれると、身を包んだシルバーの衣装と髪に結び付けられた飾りが光に反射して キラキラと輝いていた。(黒のニーハイ・ブーツの先端にも光る素材の飾りが付けられていたらしい。なお、この衣装は初披露と言っていた。) やがて リズミックな音が会場に響き渡ると、それに併せて手拍子が自然発生的に拡がっていった。 その音がエフェクティヴに一瞬にして転換すると、1曲目「薹が立つ」のイントロへと繋がった。 意外な選曲、意外な1曲目と驚くばかりであったが、私には「Concert tour 1996[TAIYO]」以来、23年ぶりの登場に懐かしさしかなかった。 ただ、この曲が1曲目ということは、東京・人見記念講堂公演のセットリストになるのだろうな?と予想もされた。 休みなく始まった2曲目は「ザ・ミーハー」。 森高千里のライヴでは鉄板曲である。 だが、これも近年のアレンジ・バージョンとなっているのが新鮮だ。 サビの部分の振り真似も、古くからのファンを中心に統率が取れている感じである。 いよいよ本日、初の森高さんの生声(話し声、しゃべり声と言った方が良いだろうか)を聞くことが出来るMCタイムとなった。 もちろん挨拶から始まったのだが、なぜか「愛知県芸術劇場」が巧く言えずに ちょっとズッコケるのは 個人的には往年の(80〜90年代のステージ上での怪我、涙、ハプニング...等を思い起こして)森高さんらしさを感じずにはいられなかった。 そして 愛知公演は前述したように6月の豊橋に続く2回目なのだが、その時とはちょっと曲目を変えてやると宣言。 でも、基本、みなさんが知っている曲もやる−とも言って配慮を忘れない森高さんであった。 「自分の経験を元にした歌詞で、大好きな曲です」と始まった3曲目は、早速、豊橋公演とは異なった選曲となった。 それは ひたすら懐かしい曲「見つけたサイフ」であった。 アルバム「ROCK ALIVE」に収録された 独特な森高さんの世界観が反映された楽曲で1992年のツアー以来の披露となったのだがリズムを効かせたダンサブルな曲調に、子供時代の思い出を綴った歌詞が相まって不思議な空気が流れ、中間部の森高さんのダンスも見ものとなっていた。 ダイ・ハードな森高ファン向けの「見つけたサイフ」に対し、4曲目はドラマの主題歌にもなった”誰もが知る”「勉強の歌」。 「勉強は出来るうちに しておおいたほうがいいわ」という歌詞は、この歳になっても身につまされるが(笑)いつ聞いても、楽しい歌である。 連続して披露された5曲目は「非実力派宣言」。 2014年のツアーでも披露されたとはいえ、これまた非常に懐かしい曲だ。 「実力は ないわいいわ」「実力がすべてじゃないわ」と言い切り、この同名タイトルのアルバムが発売された時は、世間をざわつかせた事を思い出す。 個人的にはそれに加え曲「非実力派宣言」アルバムのツアーを見た−自分にとって初の森高さんのライヴとなった1989年8月30日の愛知勤労会館での光景がどうしても蘇ってくる。 先行予約が終わった後の、明らかに遅れ気味のチケット購入であったが、キャンセル分であったのかソコソコの席で あのライヴを体験出来たのは良い思い出である。 当時よりも、鈴木マリアさんのハードなギターで蘇った「非実力派宣言」は今回のライヴで一つのハイライトであったかもしれない。 3曲連続披露の後は、小休止とばかりに今夜、2回目のMCタイムとなった。 森高さんは 今回のツアーを行うにあたり限定のインスタグラムを開設しているのだが、そのインスタグラム用の写真の為に、積極的にツアー先の観光地や地元ならではの場所を訪れている。 −ということもあって、このMCタイムは今まで以上に名古屋の地元ネタ満載のトークとなった。 「(ライヴ前に)どこに行ってきたと思いますか?」と観客に質問を投げかけると、名古屋城、大須観音、東山動物園などの名前が上がる中、どなたかが言った「熱田神宮」がビンゴ。 熱田神宮は名古屋の名所の一つであるとはいえ、その熱田神宮界隈の神宮前商店街まで足を伸ばしていたというのは驚いた。 森高さんが”レトロ”という言葉で表現した神宮前商店街....。 インスタグラムにも載っているがシャッターが閉まっている店も多く、俗に言う「シャッター街」の様相に一抹の寂しさは禁じ得ない。 しかし、そんな中 熱田神宮の名物「きよめ餅」を購入の為、名鉄神宮駅前喫茶部に立ち寄った姿が活写されているのが なんとも微笑ましかった。 あと、もう一箇所立ち寄った場所があったそうだが、なぜか森高さんは思い出せず(苦笑)後ほどのMCで話すと言い残し 次の曲の準備に入った。 そう、ステージ上で大きく目立っていた「森高千里・マイドラム」が遂に出番となったのだ。 階段中段にセットされたドラムキットでスタンバイする森高さん。 コールされた曲名は「手をたたこう」。これまた懐かしい曲であった。 力強いドラミングを合図に曲が始まると、曲のタイトルそのままに手拍子が場内で湧き上がる。 中間部にはドラムソロも挟み込み、そのパワフルさに何より驚いた。 森高さんのドラムは、関東では復活後も頻繁に披露されてきたが、地方では2013年の復活後初の東名阪ツアー以来であるものの その時よりも、明らかに演奏力が向上しているのを感じた。 我々、観客は 大きな拍手でその演奏を讃え、次の曲の始まりを息をこらして待った。 森高さんはまだドラムセットから離れることはない。 7曲目は「出来るでしょ!! 」。 2014年のライヴでも披露されたが、アルバム「TAIYO」に収録されたこの曲。 それほど知名度がある曲ではないが、よっぽど森高さんのお気に入りの曲なのだろう。 ドラムで基本的なリズムを取りながら、唄う曲であるというのも(パフォーマンスのし易さから)セットリスト入りする要因なのかもしれない。 そして8曲目はドラムセットから離れての披露−お馴染みの「ザ・ストレス」。 もちろん森高さんの衣装はウエイトレスである。(7曲目までの衣装の上に重ね着していたと思う) ここでギターの鈴木マリアさんは、Freedomでオーダーしたピンクのカスタムギターから 以前よりずっと愛用しているPaul Reed Smithのギターへとチェンジ(ちなみにアンプはヘッドが「JET CITY」、キャビネットは「BOGNER」でした。) 時折、入ってくるマリアさんが奏でるオブリガードが心地良くいい色付けとなっていた。 また短いギター・ソロの間には 森高さんは割と激しいダンスを繰り広げ、それも見所の一つとなっていたのも忘れられない。 余韻に浸る間もなくメドレーのように曲が続く。 その曲がヒット曲「17才」であるから、もう場内は大変な盛り上がりである。 観客との「早く」「強く」「好きなんだもの」等のコール&レスポンスが、90年代に森高さんのライヴに通っていた頃を思い出させて目頭が熱くなるようだった。 10曲目はこれまた大ヒット曲「私がオバさんになっても」。 活動再開後もTVの歌番組で頻繁に披露し 見慣れた定番曲であるが、やはり生で聞く、全身で音を浴びるというのは体感的にも全く違う。 サビの決めのフリコピ(真似)をするのも、ライヴならではのこと。 恥ずかしい気持ちもあるけれど、やっぱり楽しい。 5曲連続披露が終了すると、森高さんのパフォーマンスに我々、観客は敬意を示し惜しみない拍手を送った。 その後のMCは パフォーマンスの疲れを全く感じさせず、17歳で着た衣装について「50歳でこんなフリフリのスカートを履くのは自分ぐらい」と自虐ネタで笑わせ、引き続き”名古屋名物”話を炸裂させた(笑)。 それは今回、名古屋に来て食べた物のことなのだが 森高さんが「私がお昼に食べたものは何でしょうか?」と客席に問いかけると、一斉に反応が返ってくる。 「手羽先」「みそカツ」「みそ煮込みうどん」「あんかけスパゲッティ」「天むす」etc.....収集がつかないくらい 場内のそこかしこから叫び声があがった。 で、結局、森高さんがチョイスしたのは「ひつまぶし」。 其処で「なぜ 森高さんは熱田神宮に立ち寄ったのか?」の解答が自ずから導き出された。 「ひつまぶし」と云えば「蓬莱軒」。 「蓬莱軒」と云えば「ひつまぶし」というぐらいの有名店で、その「蓬莱軒」の本店は熱田神宮すぐ近くにあるのだ。 熱田神宮にお参りに行けば、自然と「蓬莱軒」へのコースに組み込まれることになるのも不思議ではない。 森高さんは、普段、余りうなぎは食べなかったが、ひつまぶしを名古屋で食べてから好きになり、なんと!ひつまぶしを食べるためだけに名古屋にプライベートで来たこともあると発言し、場内はいやが上にも盛り上がったのだった。 ひつまぶしの他、楽屋で食べたという「コンパル」のエビフライサンドや、ココイチのカレーパンも終演後食べようと思っていると話した(ただ、カレーパンは知らなかったので ポカーンとしてしまい、それは地元民を中心とした多くの観客も同じ様であった)。 またコメダ珈琲や、前述したように神宮前商店街で購入した「きよめ餅」を食べたことも最後に付け加える森高さんであった。 ひとしきり名古屋名物で盛り上がったMCを終え、パフォーマンスを再開した森高さんが次曲名を告げる。荘厳なイントロを伴って「雨」が始まった。 今更ながらに「雨」の名曲ぶりを気付かされたぐらいであったが、今宵のバージョンは特に際立っていた。 その功績に最も寄与したのは、なんと言ってもギターの鈴木マリアさん、その人に他ならない。 素晴らしいトーンで奏でられるスロー・フレーズはロック魂を感じさせた。 つまり「雨」は見事なロッカ・バラードへと昇華したのだった。 12曲目は「雨」からガラッと変わって、クラブミュージックの要素も含めた「Don't Stop The Music」であった。 ロックからダンスミュージックへ。 この振り幅の大きさも 復帰後のアーティスト森高千里の大きな魅力である。 クラシックこそ至高というべき「芸術劇場」−というハコを一瞬にして、クラブへと変貌させた森高さんは次の曲でも、その手を緩めなかった。 「Brand-New LALA Sunshine」。 ヒット曲「ララサンシャイン」のリズムを効かせ、ダンスミュージックへとアレンジを施した楽曲である。 とは言え過剰なアレンジではなく、馴染み深いメロディラインはそのままで、観客も乗りやすいものとなっていた。 ダンスナンバーでアツくなった空気を冷ますように、ステージは本日4回目のMCタイムへと移っていった。 ここでは恒例の「グッズ紹介」が行われた。 森高さんは90年代からずっとMCに一つのコーナーを設けてグッズの宣伝を行っているが、個人的にはその都度、いつも ちょっと違和感を感じてしまう(苦笑)。 それだけグッズ製作に力を入れているということなのだろうが、熱いライヴの余韻が急に冷めてしまうのは否めないのである。 今回、力を入れたグッズとして紹介されたのはパンフレット。 自分も購入したが、確かに豪華な仕様のパンフレットであった。 短めなMCが終わり、ライヴを再開した14曲目。 それは名曲「渡良瀬橋」である。 完成されたこの楽曲に、もう何も言うことない。というぐらいで、森高さんのしっとりとした歌声に ひたすら耳を澄ますだけだった。 この曲でのトピックは なんと言っても中間部の森高さんのリコーダー・ソロであるが、今宵の演奏は危なげない堂々としたものであった。 「渡良瀬橋」と云えば先日、TBS系「UTAGE!」にてex AKB48の渡辺麻友さんがこの歌を唄い、同様にリコーダーに挑戦したが失敗しボロボロだった事を思い出してしまうのだが、それが脳裏にあった為が余計に、本家の素晴らしさに感じ入ってしまった。 「渡良瀬橋」で会場に暖かい風を吹かせた後、空気を一転させたのは15曲目「臭いものにはフタをしろ」。 ドラムのフィルインを合図にして始まるギターのイントロ・リフで心に火が着いた。 ハードなロックン・ロール! 最近、この曲のコピーに勤しんだ自分としては マリアさんと共に自然と指が動く。ギター・ソロなんてガン見状態だ。 この熱い空気のまま、16曲目の「気分爽快」へ雪崩込んだ。 2013年の名古屋公演ではサビ部分−「飲もう 今日はとことん盛り上がろう」等の「振り付けの指導」を行い、それが公式チャンネルに残っているぐらい(奇しくも自分も参加した名古屋公演)なのだが、今回それは無し。 だが、そんな事前行為がなくても森高さんのフリと動き、そして最前列方面を中心とした熟練ファンのフリが多くの観客を先導しながら、自然と会場全体を一つにしていく。 上手、下手 ― ステージを縦横無尽に動き回り、そのフリで観客を盛り上げる森高さん。 ライヴ終盤に向け、明らかにギアが一段上がった感じであった。 それは その後のMCでも顕著であった。 「まだまだ 体力残ってますか?」 「次の2曲はスゴイですよ!」 「盛り上がっていきますよ」 と煽って 始まった17曲目「夜の煙突」。 イントロが始まった時点で、すでに盛り上がりがスゴイ。 ファンは良く判っている。 ギターの特徴的なリフで「Hey Hey」の掛け声が場内にこだまする。 1989年の「非実力派宣言」ツアーから30年来、変わらない光景である。 「はしごをのぼる途中で ふりかえると僕の家の灯りが見える」 たったこれを言うだけの歌詞(サビ)に、大いに盛り上がる。 人差し指を突き立て、腕を振り上げステージ上の森高さんへ 強くアピールする我々、観客の姿は一体、森高さんの目には どのように映っているのだろう? 波のような人の塊が、ステージに寄せては返すような盛り上がりだろうか。 むせかえるような熱気そのままに、ライヴは いよいよ本編最後の曲へ。 それは最後に相応しい「テリヤキ・バーガー」である。 客席では、各々が手拍子で曲に応え 森高さんを盛り上げている。 サビの歌詞である「アメリカ イギリス〜♪」「英語も 何語も〜♪」「ロックも へちまも〜♪」「男も 女も〜♪」に対する「関係ないわよ」のコール&レスポンスがいつもながらに楽しい。 正にライヴならではの この光景に私は自然と笑みがこぼれてしまうのだった。 興奮状態のまま、曲が終わり バンドメンバーがステージから捌けていく。もちろん、最後は森高さんだ。 その笑顔で去っていく彼女に「チサト」と声が掛かる。 主が居なくなったステージは再び、暗転した。 それを合図として薄暗闇の中、アンコールを求める声が散発的に上がり、やがてその声は時と共に拡がっていった。 そんな状態が 4〜5分続いただろうか。 「チサト」というコールと、アンコールを求める手拍子が大きな渦となり最高潮に達した時、バンドメンバーが暗闇に紛れステージに現れ、その後からフットライトを浴びながら森高さんがステージ・センターに帰還した。 森高さんは このブレイクの間にアンコール用の衣装へ着替えてきたのだが、なんと言っても この衣装が素晴らしかった。 それは青と白、オレンジをベースにしながらチアガール風でもあり、ここ数年の衣装の傾向であるスペース・オペラ風でもある〜デザインで、おまけに背中には羽のようなモノが付いているという摩訶不思議な感じは、インパクトという点では「非実力派宣言」のジャケット衣装を彷彿とさせるものであった。 そして、スカートの丈が他の衣装に比べても短い(笑)。 ここ最近では 最も刺激的なミニスカート姿であったのではないだろうか。 しかし、そんなセクシーとも云える衣装に女性ファンから「カワイイ」の声が一斉にあがっていたのも印象的であった。(ちなみに、この衣装を披露するのは人見記念講堂公演以来、3回目の新衣装。このセットリスト用の特別衣装だそうだ) 観客からの拍手に「50歳、がんばってます」と感謝を伝え、バンドメンバーの紹介を行った。 ドラムの坂本暁良さん、キーボードの山上佑さん、ベースの横山雅史さん(自分の席から演奏は ライヴ中、全く見えなかった 苦笑)、ギターの鈴木マリアさん、そしてバンマスでギターの高橋諭一さんと紹介を終えると、森高さんはバンド名を「ホワイト・クイーン」と高らかに宣言した。 90年代のライヴでも「香港警察」や「ジャネット・ジャクソンズ」など、その場のノリで適当に付けたようなバンド名であったが、その精神はこの令和の世になっても続行中なのだろう。長年のファンとしてはニヤリとしてしまうのだった。 アンコールは このツアータイトルともなっている「この街」。 冒頭から 円を描くようなフリが森高さんから繰り出されると一斉にそれを真似する光景が展開される。 もちろんそれはサビでも全く変わらない。 曲中の「夜のおかず何にすっと?」のセリフの部分で、ご当地名物を組み込んでくるのは90年代からお馴染みだが、今回登場したのは先程MCでも話題にしていた「ひつまぶし」とコンパルの「エビフライサンド」であった。 誰もが笑顔になるようなエンディングで曲を終えると 森高さんは「ありがとうございました」と挨拶しステージを降りていった。 このあっさりとした終わり方とライヴ終了を知らせる場内アナウンスが無いことに、我々、観客はダブルアンコールを察知。 それを受け すかさず「チサト」コールを始めた。 だが、このコールの時間は先程ほど長く続くことはなかった。森高さんは控室に戻ることもなかったのではないか。 歓声を打ち消すかのように ダブルアンコールの、今宵最後の曲のイントロが場内に響きわった。 その最後の曲に選ばれたのは「コンサートの夜」。 ライヴを、コンサートを終えるには最も相応しい曲と言っていい。 卒業式の後、仲間たちと行ったコンサートの想い出を歌にしたこの曲には、別れと新たなる旅立ちへの思いが込められている。 その寂しさと切なさには、ライヴの終わりを迎える観客の気持ちと重なる部分があるのかもしれない。 「コンサートの夜」が最後の曲に選ばれたのは、ツアーでは1993年の「Lucky7ツアー」以来の事である。 森高さんにとっても、この21年ぶりの全国ツアーはきっと思うところがあるのだろうと 老婆心ながらそう感じてしまうのだった。 様々な思いに駆られながら、森高さんの歌声に耳を集中していると 曲はあっという間に終わってしまった。 ずっと楽しみにしてきたライヴも終わってみると いつの間にか2時間が経過していた。 これが短いと思うか、長いと思うかは人それぞれだが、あの場に居た誰もが短いと思ったことだろう。 それだけ充実した内容だったという事でもある。 「また コンサートで会いましょう」 下手から上手へ、まんべんなく客席に手を振った森高さんは、そう言い残してステージを去っていった。 東京・人見記念講堂公演に続く、3公演目の特別セットリストになった名古屋公演。 「薹が立つ」や「見つけたサイフ」などマニアックな選曲を配した前半、王道のヒット曲を多くセットした中盤以降から後半と様々な森高ファンを楽しませるものとなった。 個人的には大好きな「GET SMILE」や「NEW SEASON」が聞けなかったのは残念ではあったが、マニアックな懐かしい曲によって当時を思い出すきっかけとなったのも、事実である。 そう思えば、今回のライヴは貴重な機会になったのではないだろうか。 王道ソングだらけのライヴは森高さんの言葉を信じ、次回に期待したいと思うのだった。 ※ 某情報によると、会場のPA卓に有ったセットリスト表にはアンコール3まで書かれていたらしい。 その曲は「うちにかぎってそんなことはないはず」だったとか。懐かしい! これも聞いてみたかった。 |
SET LIST | |
1 | 薹が立つ |
2 | ザ・ミーハー |
MC 1 | |
3 | 見つけたサイフ |
4 | 勉強の歌 |
5 | 非実力派宣言 |
MC 2 | |
6 | 手をたたこう (on drums 森高千里) |
7 | 出来るでしょ!! (on drums 森高千里) |
8 | ザ・ストレス |
9 | 17才 |
10 | 私がオバさんになっても |
MC 3 | |
11 | 雨 |
12 | Don't Stop The Music |
13 | Brand-New LALA Sunshine(ララ サンシャイン)Remixed by tofubeats |
MC 4 コンサートGOODS紹介 | |
14 | 渡良瀬橋 |
15 | 臭いものにはフタをしろ |
16 | 気分爽快 |
MC 5 煽り | |
17 | 夜の煙突 |
18 | テリヤキ・バーガー |
・・・Encore・・・ | |
MC 6 バンド「ホワイトクイーン」メンバー紹介 | |
19 | この街 |
・・・W Encore・・・ | |
20 | コンサートの夜 |