御近所様表敬訪問6 ジェミニカート 1
高校1年の夏頃でしたか、前の席の◯田君が、「こんなんどうや?」と雑誌を出して
言いました。それは当時初刊のカートップという雑誌でして、レーシングカート講習会と
いう短い案内記事がありました。「なんやそれ?」 「ちょっと行ってみるけ?」てな
感じで参加しました。四条通りの西院をずぅーっと西に行った所の、四条デルタ教習所が
会場でした。もっさい教習室でレギュレーションやフラッグの講習がありました。講師は
藤井さんという年配の人で、藤井カートショップを経営しておられて、日本カート協会?
だっけかな、その会長もしておられました。怖そうな顔の人で(笑)、「赤木圭一郎が私の
ショップのカートに乗って、普通の遅いカートと勘違いして走り、撮影所の壁に当たって
亡くなった。」という話とか、「カートは道路交通法の適応の無いおもちゃだから、公道を
走っても大丈夫。」だとか、いろいろ面白い話をお聞きしました。
乗ったとたんはまってしまって、どんどんいろいろ参加しまして、カートレースにのめり
込んでいきました。なんだか私にはカートの操縦があってたらしくて、勝手に速く走れて、
他の人がなんでそんなにゆっくり走っているの、という感覚で感じていました。先輩方も
何人かいらして、その中の野田克(つよしって読むね、と当時本人から教えてもらいました)
という人がいて、小柄な体にも関わらず豪快な走りで、ぐぅーっと肩を突っ張りながらドリフトを
コントロールして走る姿が印象的でした。いろいろ教えてもらいながら、レースは結構簡単に
上位を走ることが出来ました、というか、本人の主観的な記憶では優勝したのが殆どだった
ような(笑)。(注 主催者側の発表は当局発表と異なることがある。) ただ、野田さんは
途中からアメリカに行っちゃって、目標が居なくなって寂しかったのですねえ。でも、私の
成績は快調でしたけど(笑)。しかし、青森のレースでお会いしたのを最後に、私も家業を
継ぐための修行が始り、カート人生に終止符を打ちました・・・(涙)。
ずぅーっとしてから、野田さんがジェミニカートというショップをされていることを知り
お訪ねしたこともありましたが、私は活動拠点が東京だったのと、仕事の関係でお会い
することはありませんでした。京都に戻ってきて最近になり、ちょっとお訪ねしようかと思い
ふとホームページを発見したのでメールを出したら、「覚えています」のお言葉、これはと
思い、行ってみましたのでご報告いたします(ああ長い前置きだ・・・)。
さて、
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武庫之荘の駅から中国自動車道宝塚インターの方へ少しいったところにジェミニカートは
あります。道路沿いに下のような店構えで見えてきます。御近所様表敬訪問はどんどん
ご利用地域を拡大中です(笑)。
(この画像はジェミニカート様の許可を得て使用しています。)
店に入ると、カート、エンジン部品などのパーツやウェアなどが綺麗にディスプレイされて
います。私がカートをしていた当時は、油くさく汚れながらの記憶しかないので、ちょっと
驚きです。まあ、30年も経っているのですからねえ。昔テクノというカートがあって、その
テクノカートのフレームの形を他の会社も採用して、みんな同じフレームの形になりました
ねえ。30年前はいろんな形のフレームがありましたけど。これはどこのカートだろう。
このエンジンは私には懐かしいです。当時はコメットといって最強のカートエンジンでした。
先輩の作ってくれたカートに乗って、中山の本コースで確か1分5-6秒だった。N2サニー
とかといい勝負でした。ああ、記憶は美化されるなあ・・・(笑)。
ウェアもカラフルになってます。30年前はこんなの着てるのは、望月さんくらいだったなあ。
そうそう望月さんがテクノカートを初めて日本に持って帰ってきたんだった。
これはなぁーんですかぁ? スプロケのハブですか。これもカラフルですねえ。
これはちょっと様相の違うカートです。ビンテージカートと位置付けて、野田さんが関連する
ものを集めていらっしゃいます。ほんとうに創世記のカートです。私のやってた当時でも
さすがにこんなのは走ってはいませんでした。なんちゅーんでしたっけ、トニーカートだっけ?
後ろから見るとこんな感じ。このフレーム構造は日本製にもあったなあ。
このエンジンは、ロータリーバルブ勢が日本に導入されるまで日本中を荒らしまわった
マックです。マックといってもマクドナルドでもマッキントッシュでもありません。
マッカラーという元々チェーンソーのエンジンでして、オールアルミで軽かったのと、
コンパクトでどこにでも積めたので便利でした。リードバルブを備えてて、バッバッバッ
という振動が印象的でした。でも、2サイクルなのに排気の無愛想なこと(笑)。そういえば
野田さんが乗ってた頃はMT100もメガホンでしたねえ。
上のほうに写っているキャブレターは言わずと知れた、ティロットソンのダイアフラム式の
燃料噴射型ですねえ。その後もほとんんどこれでした。コメットのとき私のはアルコール用で
噴射量が3倍くらいで、1/3に絞って走ってました。調節幅を損してましたねえ(笑)。
さて、御大の登場です。彼が野田克さんです。私の印象としては、当時とちっとも変わって
おられない。彼は私を見て「俺は浦島太郎になったようだ」とおっしゃってました(涙)。ま、
当時は痩せてたし、髪の毛も豊富で黒かったし、お肌もサラサラしてたし・・・。野田さんは
体格もお顔もお話も全く変わらないような感じでした。画像は「こんな幅の狭いタイヤやった
んやなあ」と話してたのです。私がやってた当時も同じようなもんでした。
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