御近所様表敬訪問6 ジェミニカート 2
これはKT100ですか。MT(誰も知らんっちゅーに)の後継機ですね。でも、フィンが大きく
なってるのと、クランクケースがカート用になったのと、そうそう自然空冷になってますね。
基本的には同じ形ですねえ。あれれ? スターターが付いてますねえ。遊び用ですか。でも
それぞれ綺麗に並べられています、はい。
2階の吹き抜けのところから1階を見ています。2階はカートが200-300台くらいとその他
エンジンなどの部品がいっぱい置いてあり、お預かりのものも沢山有るとのことです。
欲しい人はいつでも言ってください(笑)。すぐ下の方に、山西選手や小林選手のカートが
見えています。
これは山西選手のオフ練習用のミッションカートです。だいぶん使い込んであります。
いろいろ微妙に改造してあるますねえ。で、画像も微妙にボケてます(笑)。
さて、これがジェミニの秘蔵っ子、小林カムイ選手のカートです。野田社長曰く、
「今までもスゴイヤツが沢山居たけど、こいつはぜんぜん違うタイプ!」と。今後の
成長と活躍が本当に楽しみです。カート界だけでなく大きく羽ばたいて欲しいですねえ。
ブレーキです。私の頃はソリッドの薄っぺらなのしかなかったのに、あながあいてます。
それとこれは新しいものだそうでして、基本構造が自転車のキャリパーブレーキのような
アームがあって、ローターから離れたところにシリンダーが付いてます。パッドの熱が直接
シリンダーに伝わらないようにということで、今後はこれになっていくそうですねえ。ま、
4輪車はスペースの関係でダメでしょうかしら。
これはポイントを取ったからウェイトを積んでいるのではありません。小林選手はまだ
小さいので、体重不足を補うウェイトです。でも、こんなに積んでます。
タイヤは均等に綺麗に減ってます。
これは聞いたのですけど、よく分らなかったのですが、シャフトに少し融通性を持たせる
構造とのことです。サスペンションというとダメなのですが、アジャスタブルベアリング
とでも言うのでしょうかしら。
しかし、かなり様相は変化していましたが、本当に懐かしいものばかりでした。野田さんに
コーヒーをご馳走になりながら、当時のことなどを1時間ほど話して、十分に仕事の邪魔を
させていただきました、はい。最後に野田さんに頂いたメールで、私にとって嬉しい表現が
ありましたのでここに書いてもいいかしら・・・。私が30年ぶりに連絡をした返事です。
メールありがとうございます、ほんとにお久しぶりです。よく覚えていますよ、確か 青森のレースに行く途中で拾って行きましたよね。ダットラのベンチシートに3人掛 けで、窮屈だったでしょうが、文句も言わずに同行して頂きまして、お疲れさまでし た。あの頃の貴方は学生で細面、色白で眉が濃い紅顔の美少年、カートに乗ると鋭い ドライビング、という印象が残っています。その後18歳頃のアイルトン・セナに合い ましたが、貴方とイメージがダブっているような気がします。 >もちょっと頑張っていればよかったなあーっと反省しています。 ←私奴
当時センスが良さそうな若者が他に全然いなかったので、貴方が来なくなった頃私も
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ああ、記憶は美化されるなあ・・・、悲しいですが、いい思い出です。。。
野田さん、当時は本当にお世話になりました。そして今後とも宜しくお願いします。
昔話をもうひとつ。
当時、関西でレースが行われるのは琵琶湖にあったビックというジムカーナ場でした。
関東から来る人は鈴木の姓が多く、みんなは下の名前で呼ぶ習慣になっていました。
その中に鈴木まさしという人がいて、マツダの緑色のボンゴかなんかで来ていましたが、
特にレースに出るわけでなく後方支援をしてらっしゃいました。その子供がピットを
くるくる走り回っていたのです。まだ小さかったのでカートには乗れませんでしたが、
名前を聞くと「アグリ」で、ええっ、なんて書くの? って感じでした。もっとビックリ
したのは、まさしさんが「こいつをF-1に乗せるんだ」とおっしゃってまして、みんなは
「ええっ! F-1って、あのF-1? ちょっとまさしさんおかしーいんちゃうん」と笑って
いました。しかし驚き桃の木、ちゃんと乗りましたねえ。いやいや、お父様は先見の明が
あったのですねえ。まさしさん、貴方は偉かった・・・。