前回、前々回と、家庭用パソコンの動きをインターネットの話題から拾ってみましたが、ソニーもデスクトップ版の家庭用パソコンを発表しました[sony]。このパソコン(2000年2月発売)にはDVDやMD用のドライブが標準で入っているし、テレビチューナーも内蔵されている(PCV-MX1TV7)ので、買ったその日からテレビやDVDを楽しめます。プリンタやシリアルインタフェースもついているし、Sビデオ出力やMD使いにおなじみの?光デジタルオーディオ入出力といったオーディオ系のインタフェースも完備しています。ビデオといえば、デジタル画像の入力もちゃんと考えていて、i-Link端子がついています。i.Linkというのは、AppleのFireWireと同じIEEE1394という規格のインタフェースで、同じ規格のコネクタがついたビデオカメラをつなげば、ビデオケーブルをつながなくても映像を取り込むことができるものです。つまり、このパソコンを一台買えば、テレビもDVDプレーヤーもMDプレーヤーもCDプレーヤーもいらない、オールランドプレーヤー(無いのはEtherNetインタフェースくらい?)ということですね。DVDソフトを見ながらインターネットにアクセスできるのか、などという疑問はありますが、独身者がテレビの代わりに買うのによいかも。
レガシーフリーはやらずに、つけられるものを何でもつけちゃうというアプローチは、それで面白いと思います。なんでもかんでも、カラフルで安くてインタフェースはUSBだけってのもつまらないし。床の間に観音扉付きのカラーテレビをかざっていた日本人には、満艦飾のなんでもできるパソコンってのも向いているかもしれないなと、PCV-MX1TV7の仕様を眺めながら思いました。ただ、自分が買うかどうかはわからんな。値段によるけど、最近調子の悪いテレビの代わりってのはどうかな。もしかすると、プレステ2[scei]との相性も良かったりして。プレステ2にもi.Linkがついてますからね。これをパソコンにつなぐだけで、自動的にディスプレイがゲーム機に切り替わるなんて芸当もできるかもしれないし。CPUを立ち上げておけば、ゲームの表示をそのままハードディスクに記録したりして。ふむふむ、こういう感じが来年の家庭用パソコンの切り口かもしれん。でも、気がついたらソニー製品ばかり並んでいるなんてことにはならんでしょうね(^_^;。 PCV-MX1TV7のようなパソコンを見ていると、これはこれで面白そうなのですが、一方でこれはパーソナルなパソコンだろうかという疑問もちょっと出てきます。独身者が、部屋の真ん中にどどーんとおいてマルチメディアな環境を楽しむという意味ではパーソナルでも、家庭にこれが一台あってもパーソナルとは言えないように思います。あくまで、共有するもの。むかし、床の間に飾ってあったカラーテレビと同じように思える。私には、特にインターネットアクセスを考えると、パーソナルという形は、どちらかというとアップルのi-Bookのように、持ち運べてテーブルでも、ソファーでも、畳の上でも、無線LANを通してインターネットにつなぐことができるパソコンのように思えるのです。そして、そうなることで、インターネットが生活の一部になりえるのではないだろうか。すでに、その一部は、携帯電話のiModeで始まっています。インターネットは、あくまでパーソナルでないと普及しないのではないかな。もし、今のインターネットが研究機関や企業のパソコンから普及したとすれば、そのきっかけは、そこで働く人たちが自分専用のパソコンを職場で使い始めたことと切り離せないように思うのです。 2000年にはインターネットが生活の一部になるかどうかは、やはりパソコンにしろ携帯電話にしろ、個人専用の端末が普及するかどうかにかかっていると思います。そして、そうなるには、Mac OS9やWindows NTのように複数のユーザーがログインして共有するパソコンより、衝動買いできるくらいに安くて簡単にインターネットにつなぐことができる端末が必要です。それが、レガシーフリーで安いパソコンになるのか、あるいは次世代ゲーム機になるのか、はたまた次世代携帯電話になるのかはわかりませんが。そういう意味で、パソコン&インターネット先進国アメリカのパソコンメーカーが、雪崩をうって売り始めた安くてデザインのよい家庭用パソコンの方向性は当たっていると私は思います。もちろん、これは、ソニーのPCV-MX1TV7をけなしているのではありません。ここで言っているのは、インターネット端末としての家庭用パソコンの形ですから、目的がちがいます。PCV-MX1TV7の流れは、どっちかというと家電製品の間のネットワークにつながります。とくに、オーディオ・ビデオ系のネットワークの中心としておかれるパソコンの原形かもしれません。 インターネットが生活の一部になるという言葉の一方で、生活の一部になったインターネットってなんだろうかという、新たな疑問も出てきます。電話の代わりに電子メールが送られてくる生活でしょうか。それって、ポケベルの代替品みたいな感じで新しさが感じられませんけど。新聞の代わりにニュースサイトを検索する生活かな。そういえば、WiredNewsにインターネットのニュースサイトを読むからといって、紙の新聞を読まなくなるという傾向はないという話が出ていました[wired]。これによれば、オンラインで新聞を読む人は、平均よりも多くの割合で紙の新聞も読んでいるというのです。これは、インターネットで読んでいるからといって、紙の新聞を読むのを止めるわけではないということです。もっとも、うがってみれば、インターネットでわざわざ新聞サイトをチェックする人は、普通よりも新聞ネタに興味を持っているということかもしれませんよね。私は、ニュースサイトといっても、インターネットやパソコン関係の話題が載ったテクノ系サイトしかチェックしてないので、普通の新聞は紙ベースで読むほうですけどね。テクノ系サイトは、アメリカからの情報が主なので、日本の雑誌の記事のように、特定のメーカーに偏った論調にならないので、安心して読めるのです。 話がずれましたが、仮に2000年以降に、安い個人向けのパソコンが日本でも普及して、一人で一台パソコンをもち、それでインターネットにパーソナルにアクセスできるようになったとき、生活の一部となったインターネットは、どう私たちにかかわっていくでしょうか。インターネットを通して世界的に人間関係が広がるか、逆にアメリカで指摘されたように自分にこもる人が増えるか。少なくとも、宣伝に乗って電子商取引でむだ遣いさせられたり、へんな商法に引っ掛かる人が増えなきゃよいと思いますけど。ありゃ、今年の最後は楽観的に書き終わるつもりだったのに、またネガティブになっちゃった(^_^;。
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1999.12.17 |
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