大白法

平成16年5月16日号


主な記事

<1〜5面>

<6〜8面>


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総本山 新説免許・教師補任式


4月27日、総本山の客殿において、平成16年度の教師補任式が厳粛に執り行われた。教師補任式は、新説免許の儀式とも呼ばれ、僧侶が出家得度以来、仏祖三宝尊への御奉公と共に、たゆまぬ仏道修行と教学研鑽に精進されてきた成果を、御法主上人猊下の御慈悲のもとに披露するものである。また新説者はこの日より正法正義に基づいた説法を行うことを許され、僧侶しての新たな出発となる重要な儀式であることから、古来「三世の大願」とされている。

On April 27, the Ceremony of Appointment for Nichiren Shoshu priesthood was solemnly held at the Kyakuden Hall of the Head Temple. Fundamentally, a priest is permitted to make a religious speach for believers after the 11 years practice as a student, and in the Ceremony of Appointment he may make the first speach as a Nichiren Shoshu priest with the attendance of the high priest. After 15 priests over, His Highness gave them the licence of teacher.

要文拝読

新説者は23日に着山し、24日から26日までの間、指導役の山崎慈昭・秋元意道・桑野道栄御尊師のもとに厳格な所作の練習を重ね、宗務院教学部より説法の講本指導を受けた。27日午前9時、まず前座として山崎指導役が登高座して説法を行い、続いて第一説者より順次説法が始まった。

説者は、会行事(えぎょうじ)の先導によって柄香炉(えごうろた)を携え、唱題の中をゆっくりと内陣に歩を進めた。中央内陣、三宝尊の御前に至り、五体を仰ぎ折ること三度、御本尊を拝して三礼し、向きを変えて高座へと進む。登高座すると説法の準備を整え、焼香・散華と所作を行った後に鈴三打。唱題が止み、厳かに法華経の要文を拝読し、説法が始められた。こうして、15師全員の高座説法が午後3時に終了し、この後、後座として御法主日顕上人猊下が登高座あそばされた。方便品・自我偶の読経、唱題の後、御法主上人猊下より甚深の御説法、並びに御講評を賜った。

補任状授与

この後、御法主上人猊下より、高座説法を免許する旨の補任状が各説者に授与され、最後に大村教学部長より挨拶がなされた後、大講堂にて記念撮影が行われ、教師補任式はとどこおりなく終了した。また新説者一同により、翌28日、杉山の有明寺への参詣が行われた。




海外リポート  フィリピン
アジアのキリスト教国で折伏に励む


1992年、辻律子氏ほか6名の脱会より12年。その間、1995年にはSGIフィリピン総支部長を中心とする約70名の大量脱会、1997には年現地法人「日蓮正宗フィリピン仏教会」認可、2002年にはフィリピン事務所設立・御僧侶常駐と、フィリピンにおける広布の進展は目覚ましい。

張り巡らされた人脈と、強固な家族の連環で構成されているフィリピン社会の中で、人口の90%を超えるキリスト教(主にカトリック)の影響から脱却するのは想像以上に困難である。反面、家長がいったん決意すると、一族郎党、住み込みのメイドや運転手に至るまで改宗となる。一度に大勢が御授戒を受けることが多いのはそのためである。

信徒の分布は、事務所のあるルソン島・マニラ首都圏、近郊のブラカン州を中心に、マニラから飛行機で1時間南下するセブ島、パナイ島、さらに南のミンダナオ島と、フィリピン全土にわたっている。事務所から約40〜50kmの近郊州といっても、アジアでもっともひどいと言われる大渋滞と、一年を通して照りつける太陽が参詣を阻む。しかし、広布唱題会、御報恩御講へと、片道3時間以上の道のりをものともせず、ジプニー(乗り合いジープ)やトライシクル(乗り合いサイドカー付オートバイ)を乗り継いで多くのメンバーが参詣する。

今回紹介するシェリル・サブラオンさんは、ブラカン州在住で、少年部長として多くの人望を集めている。これからのフィリピン広布の人材として将来を嘱望される青年部の中心的人物に話を聞いた。



◇(編集)まずは入信の経緯について教えてください。

○(シェリル) 私が5歳のとき、家族と共にSGIに入会しました。物心ついた頃には既に、近所とは全く違う信仰をしていたということです。


◇人口のほとんどがカトリック教徒の中で、この信仰を続けるのはたいへんではありませんか。

○はい、非常に困難です。どこの家にもキリストの像やマリアの絵が飾ってあり、それがないとバランガイ(50〜100世帯の集落からなる最小単位の地方自治体。税の賦課徴収などの行政事務権能・執行機関・議会を有する)の人たちから奇異な目で見られてつまはじきにされてしまいます。しかし、それでも両親は謗法厳誡を固く守ってきました。おかげで私はキリスト教に縁することなく成長できました。


◇SGIから脱会のきっかけとなったのはどんなことですか。

◇1995年に家族揃って脱会しました。幹部の指導がそれまでとは180度変わってしまい疑問を持っていたときに、総支部長だったエディ・セラノさんの脱会の話を聞いて決意しました。


○2002年に御僧侶の常駐が実現しましたが、その前後の違いについてお聞かせください。

◇資料や出版物から得られる知識には限界がありますし、時間が経つと忘れてしまいます。脱会時の感動も薄れがちになり、信行が亀の歩みのようにゆっくりとしたペースになっていました。しかし御僧侶が常駐するようになってからは、のろまな亀に羽が生えたようです。事務所があることで安心して活動でき、いつでも御指導いただけるのは、本当に有り難いことです。常に新鮮な気持ちで信心ができます。また、これまで「こんな意味だろう」と思っていたことが、御僧侶のお話を聞いて、理解が浅かったり、間違いだったことに気づかされます。


◇例えばどんなことがありますか。

○「折伏」を単純に、「信心する人を増やすこと」と教わってきましたが、実は、「折って伏す」という非常に厳しい意味が込められていることを知り、たいへん驚きました。


◇折伏を実践する上で困難なことは何ですか。

○フィリピン人は他人との争い事を極端に嫌います。特に宗教のことで相手を攻撃すると白眼視されてしまうので、いきなり「あなたは間違っている」とやりはじめたら破壊教団と見なされてしまうでしょう。ただ、多くの人が宗教に関する話題にはきちんと耳を傾けてくれます。仏教についてほとんど知りませんが、とても興味はあるようです。最初は、キリスト教と仏教の違いについて丁寧にお話するようにしています。


◇少年部長として心がけていることは何ですか。

○子供たちにはいつも、日蓮大聖人様の仏法で説かれる「恩」を教えるようにしています。


◇今まで信仰していて一番嬉しかったことは何ですか。


○宗旨建立750年慶祝記念海外信徒総登山に参詣させていただけたことです。特に御開扉では奉安堂の一番前の真ん中に座ることができ、間近で戒壇の大御本尊様を拝したときには、750年さかのぼって日蓮大聖人様がそこにいらっしゃるような、不思議な感覚になりました。今まで味わったことのない感動でした。総会では、フィリピンメンバーを代表して共同宣言に参加できたことも忘れれられません。

 もう一つ大きな体験があります。昨年9月に3名の御僧侶が海外部から派遣されていらっしゃったときのことです。実はそのとき私は、胸に悪性腫瘍ができ、乳ガンの治療を受けなくてはならない状態だったのです。私の異変を察知された山澄信玉御尊師(フィリピン事務所責任者)が心配してくださいましたが、私は、いろいろなことを学ぶチャンスを無にしたくないとの思いから、病気のことを内緒にして、御僧侶方と行動を共にしました。

 その後も11月のフィリピン総会の準備のため休んでいるわけにはいかず、自分自身を励まして活動しました。三障四魔に打ち勝つチャンスだと思いました。その結果、総会の直前に受けた診察で、腫瘍が跡形もなく消えていたのです。「奇跡だ」と喜ぶ弟に「これは世間の人が言う『奇跡』ではないよ。それ以上のものだよ。日蓮大聖人様はこうやって私たちの人生を変えてくださるんだよ」と教えてあげました。


◇フィリピン広布に対しての抱負をお聞かせください。

○まずは一日も早くお寺を建立することです。それから、メンバーを率いるリーダーが、フィリピン人の中から現れることを祈っています。これがフィリピン広布への一番の近道ではないかと考えています。


―――この日、「事情があって御誕生会に来られないので今日はその代わりにお参りしました」と、妹さん親子を連れて3時間かけて参詣されていたシェリルさん。「あなたこそリーダー候補の一人ではないか」と水を向けると、はにかみながら「そのように努力します」と応えた。青年部にこのような方々がいればこそ、フィリピン広布の道は明るい。



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