<6〜8面>
皆様、こんばんは。本日は当指導会への御出席、まことに御苦労様に存じ上げます。私からは「創価学会の誤りについて」と題してお話をさせていただきます。よろしくお願い申し上げます。
さて、本年は「破邪顕正の年」であります。御法主日顕上人猊下は去る1月31日の唱題行の折、『立正安国論』の、「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(御書241ページ)の御文を引かれ、「世の中の誤った宗教が人々を不幸にしているが、その中で破邪のポイントをきちんと定めることが大切であり、そのポイントこそ大聖人様が仰せられる『一凶』に当たる(趣意)」と論ぜられ、さらに次のように御指南をされております。
「今日の日本の社会のなかでは色々な邪義邪宗も多いし、これらに対する折伏ももちろん大切でありますが、私はここにはっきりと、その最も邪悪の甚だしきものは創価学会であるということ、池田大作・秋谷栄之助等の率いるあの邪義の存在であると申し上げるものであります。したがって、これをはっきりと意識して破折していくことこそ、破邪顕正の意義に正しく則(のっと)るものと思うのであります。皆様には『池田大作・秋谷栄之助等は、大聖人様の尊厳なる仏法の血脈を否定するところの大謗法者である。大悪人である』ということを、生活の場のなかにおいて創価学会員と遭遇したときにはっきり言いきっていただきたいと同時に、このことがその人を救っていく道であるということをきちんと認識していただきたい」との御指南であります。
また去る4月8日、総本山において開催された全国正副宗務支院長会議の席上、御法主上人猊下には、「未だに創価学会に対して安易な気持であってはならず、各寺院において住職を中心として僧俗一致、創価学会の邪義を破折するために、徹底した研修を行うべきである」旨を御指南せられました(大日蓮699号)。そこで今回、創価学会破折の要点を網羅した破折研修用書籍を出版いたすこととなり、ただ今宗務院において準備が進められております。近日中に各寺院へお届けできると存じますので、どうかご期待をいただきたいと存じます。
そこで本日は、創価学会の様々な謗法のうち根本的な大謗法を、道理・文証・現証の三証の上から指摘いたしたいと存じます。初めに道理の上から申せば、それは下種三宝への背逆敵対に尽きると存じます。すなわち仏教におきましては、一切衆生の根本依止の対境として必ず三宝が立てられます。三宝とは、仏の宝・法の宝・僧の宝のことで、日本の政治に初めて仏教の理念を導入した聖徳太子の「十七条の憲法」にも「篤(あつ)く三宝を敬え」と定められましたように、一切衆生を救い、世を清浄に導く根本の宝は仏・法・僧の三宝以外にはございませんから、これを三つの宝として尊ぶのでございます。この三宝には各経典・各宗派により、様々な三宝が立てられますが、それらはすべて末法の衆生を救う三宝ではございません。
では、末法の一切衆生の帰依すべき三宝とはいかなる三宝であるかと申しますと、仏宝とは末法の御本仏にまします宗祖日蓮大聖人、法宝とは本門戒壇の大御本尊、僧宝とは唯我与我の第二祖日興上人にましまし、さらに第三祖日目上人以来嫡々付法の御歴代上人の御内証を三宝一体と拝し奉るところが日蓮正宗の文底下種三宝義であります。次にその文証を示せば、『二箇相承』『御本尊七箇相承』等の御相伝書、及び総本山第26世日寛上人の『三宝抄』等、御歴代上人の御指南であります。日蓮正宗の代々の御法主上人猊下は、ことごとくこの三宝一体の御相伝の上から、人法一箇の御当体にまします本門戒壇の大御本尊を根本とされ、その御内証を御本尊として御書写、授与あそばされるのであります。
戦後、創価学会を再建し、宗教法人を設立する許可を宗門に願い出たのは、第2代会長戸田城聖氏でありますが、総本山第64世日昇上人、当時総監であられた後の第65世日淳上人、宗務院庶務部長であられた後の第66世日達上人の御三方が中心となり、日蓮正宗の信徒が宗教法人を取るなどということは異例中の異例であり、前代未聞のことであるが、戸田さんの信心を信用して許可しようではないかということになったと伺っております。
その許可に際し、戸田第二代会長は、
一、折伏した人は信徒として各寺院に所属させること
の三条件を厳守することを誓ったのであります。特にこの「三、仏法僧の三宝を守ること」は、先にも申し上げたように日蓮正宗の信仰の根幹であります。三宝への尊信の有無は、内道と外道の別れ道なのであります。
戸田会長はかつて御本尊についてどのように話しておられたかと申しますと、「大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている。だからコワイ」(大白蓮華98号)と述べています。日蓮大聖人様のお悟りである御本尊だけは、唯授一人代々の御法主上人猊下以外には認(したた)めることはできない、作れば魔性の入ったこわい『ニセ本尊』となるとの意味であります。例えば、どんなに巧妙に出来ていても、日本銀行以外で造った紙幣は「偽札」であります。同様に血脈法水の御法主上人猊下以外の者が作れば、どんなに本物と同じように形木にし表装しても、それは魔性の『ニセ本尊』なのであります。
池田創価学会は、僧宝にまします御歴代上人の御内証にのみ存する、尊厳なる御本尊の血脈相伝を蹂躙(じゅうりん)して、魔性が入った『ニセ本尊』を製造頒布し、あまつさえ日蓮正宗の御本尊を組織的に御不敬するという大謗法を犯したのであります。この三宝破壊の堕地獄・大謗法の外道団体創価学会が、厳然たる因果の裁きを受けぬはずがありません。創価学会の大謗法を現証の上から論ずれば、その堕地獄の業因業果を証明するところの恐ろしい罰の姿が厳然と現れております。
すなわち創価学会が『ニセ本尊』配布と御本尊御不敬を始めた時期に起こったあの阪神・淡路大震災において、創価学会員の犠牲者数は実に公表できないほど多かったのであります。それに対し、神戸市内の法恩寺・妙本寺・浄教寺所属の1005世帯の法華講員には、妙本寺における家族が未入信、本人も名簿のみで退転状態の方1名を除いては、犠牲者がまったくなかったことを私たちは忘れてはなりません。これは単に法華講員の数が少ないが故などではなく、厳然たる現証なのであります。それは、創価学会と同じく血脈否定の謗法の正信会寺院である西宮市堅持院の正信会檀徒は、法恩寺・妙本寺・浄教寺の3カ寺の世帯数よりもずっと少ない数でありながら、十数名もの犠牲者が出ております。これら法恩寺・妙本寺・浄教寺3カ寺の法華講員が、絶大不可思議なる諸天の加護を受けたことは、たとえ自然現象としての災難であっても、そこに厳然と信仰の正邪が罰と利益の現証の上に表れることを証明するものであります。
さらに今回の「写真偽造事件」で最高裁は、御法主上人猊下個人への名誉殿損は認めながらも、裁判を起こした当事者に御法主上人猊下の名前がないという理由で、宗門の上告を棄却しました。しかし、この「写真偽造事件」で創価学会側に写真を提供した離脱僧や、その者から写真を預かり加工して『創価新報』等に大々的に誹謗報道を行った創価学会副会長が、共にこのたび不慮の死を遂げました。また、その他にも「正本堂裁判」で御法主上人猊下を訴えた離脱僧も死に、さらには「大石寺墓地」の件で総本山大石寺を訴えた国会議員も不慮の死を遂げているのであります。
大聖人様は、様々な謗法の罰について『聖人御難事』に、「大田親昌・長崎次郎兵衛尉時綱・大進房が落馬等は法華経の罰のあらわるか。罰は総罰・別罰・顕罰・冥罰四つ候。日本国の大疫病と大けかちとどしうち(同士討ち)と他国よりせめらるゝは総ばちなり。やくびゃうは冥罰なり。大田等は現罰なり、別ばちなり」(御書1397ページ)と仰せであります。また『開目抄』には、「慈無くして詐(いつわ)り親しむは、是れ彼が怨なり」(同577ページ)また、「彼が為に悪を除くは、即ち是彼が親なり」(同)と仰せられ、『曽谷殿御返事』には、「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし」(同1040ページ)と仰せであります。下種三宝への背逆敵対の上から、今日創価学会ほどの法華経の敵はありません。故に創価学会を責めなければ、僧俗一同の無間地獄は疑いないとの本従の師の仰せと拝し奉るべきであります。また『佐渡御書』には、「日蓮御房は師匠にてはおはせども余りにこはし。我等はやはら(和)かに法華経を弘むべしと云はんは、蛍火が日月をわらひ、蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなづり、烏鵲(かささぎ)鸞鳳(らんほう)をわらふなるべし、わらふなるべし」(同583ページ)と仰せであります。
我らは、これらの御金言に身をまかせ奉り、御法主上人猊下の「一凶たる創価学会を破折すべし」の大師子吼を仏勅と拝し、不自惜身命の信心をもって、指導教師を中心に僧俗一致、創価学会員への大折伏戦を、「破邪顕正の年」の本年より、勇猛果敢に展開いたすべきであります。以上、私の話とさせていただきます。ご静聴、ありがとうございました。
5月12日、日蓮正宗宗務院より『創価学会員への折伏教本』が発刊された。本書は、従来の創価学会の破折書とは趣(おもむ)きを異にし、創価学会員に対して直接、積極的に折伏の手を差しのべたものであり、宗門発行の書籍としては画期的なものと言えよう。この本では、創価学会員が池田創価学会の実態を見つめ、その誤りに気づいて日蓮正宗の正しい教えに帰依できるよう、平易な言葉で語りかけている。
内容は、「総論」と「各論」で構成され、「総論」では、創価学会の実態と誤りを総合的に要約して説明し、「各論」では、現在の創価学会員が抱いている様々な疑問や考えを7つのタイプに分け、問答形式をもって説明している。また、「各論」のそれぞれの項目は独立した形で、どこから読み始めても理解できるようになっている。
池田創価学会に騙されている学会員にとっては、本書が覚醒のきっかけとなり、正法に帰依する糸口になることは間違いないであろう。と同時に、この本は法華講員に正法への確信と破邪顕正の勇気を与えずにはおかない書となろう。法華講員は、この本を熟読し、大いに活用して創価学会員を救い出すための折伏に、勇猛果敢に邁進していこうではないか。
<総論>
第一章 創価学会員であるあなたへ(初心に帰ろう、成仏こそ最高の幸福境涯)
<各論>
第一章 創価学会の実態をよく知らない学会員に(創価学会は何を目的に設立されたのか、正本堂建立のときどのような問題が起こったのか、「五十二年路線教義逸脱問題」とはどのような形で収束したのか、創価学会員が日蓮正宗の信徒資格を喪失した経緯について、他)
上製本B6判・総頁数444ぺージ・定価一千円(税込み)。講読申し込みは、所属寺院・教会まで。
皆さん、こんばんは。私は、「地涌倍増への折伏実践」について申し上げます。この「地涌倍増」ということは、平成14年10月、総本山奉安堂落慶記念大法要の砌、御法主日顕上人猊下より、平成21年に向かっての新たな御命題として、僧俗一同に賜れたものであります。
この御命題を達成していくためには、何といっても折伏をして、法華講員の増加を図っていく以外にありません。そこで、まず大事なことは折伏誓願目標の設定と、その完遂ということであります。この折伏誓願目標の設定については、すでに宗務院より通達が出されておりますので御承知の方もあると思いますが、要点を申し上げますと、「このたび御法主上人猊下より賜った新たな御命題である、『平成21年・「立正安国論」正義顕揚750年の佳節における地涌の友の倍増乃至、それ以上の輩出と大結集』を達成するために、今後7年間にわたる折伏誓願目標(世帯数)を設定し、その第一年目としての折伏誓願目標数(世帯数)を決定してください」(大日蓮681号)というものであります。したがって、「平成15年以降の折伏誓願目標数」は、あくまでも地涌倍増のための目標数であって、たとえ仮に一年でも完遂できない年があれば、その残った分は必ずほかの年に挽回していかなければならないということであります。
具体的には激励会の時に説明をいたしますが、もしこの誓願が完遂できなければ、平成21年に向かっての「地涌の友の倍増乃至それ以上の輩出」はできないということになってしまいます。したがって、毎年の折伏誓願目標の完遂は、御命題達成には、絶対に欠くことのできない必須要件であります。我々法華講は、この御命題を御本仏日蓮大聖人様の御命と拝し、いかなる困難があろうとも、何としても達成していかなければなりません。昨年の折伏状況は、非常に残念な結果で終わりました。今年は、「地涌倍増」に向かっての第二年目であり、「破邪顕正」の年であります。「破邪顕正の年」の本年こそ、三宝破壊の大謗法集団・創価学会に対し大折伏を展開していく年であり、この闘いこそ「破邪顕正の年」の信行であることを、一人ひとりが自覚し、大折伏を展開していきたいと思いますが、皆さんいかがでしょうか。
学会員を破折できるのは、我々法華講員だけであります。我々以外にはないのです。我々がやらなければ、一体誰がやるというのでしょうか。御法主上人猊下は常に、「一年に一人が一人以上の折伏を」と、御指南あそばされております。私たちの周りには、毒気深入によって本心を失い、苦しんでいる学会員がたくさんおります。「地涌の友の倍増」は、どれだけ多くの学会員を折伏していくかにかかっていると思います。
まず一人ひとりが、自分がやらなければと決意し「一人立つ」ことであります。私たち一人ひとりの力は小さなものかも知れません。しかし大聖人様は『衆生心身御書』に、「つゆ(露)つもりて河となる、河つもりて大海となる、塵つもりて山となる、山かさなりて須弥山となれり。小事つもりて大事となる」(御書1216ページ)と仰せられておりますように、一人ひとりの小さな地道な実践が大海となり須弥山となるように、「地涌の友の倍増」という大事を成し遂げていくのであります。御法主上人猊下も、「一人が一人の折伏」ということについて、「なんとか一人が一人の折伏を行っていこうというところの信念、気迫をもって進むことが肝要と存ずるのであります。できないと思っておると、いつになってもできません」(大日蓮588号)と仰せられております。
本年の「年間実践テーマ」にも、「下種先の拡大で折伏誓願目標の完遂」があります。この下種先の拡大、特に学会員に対する破折の拡大は誓願目標完遂の要であり、地涌倍増への鍵であります。そこで、折伏実行に当たって大事なことは、今年はまず一人ひとりが、「何世帯の折伏をさせていただきます」と誓願を立てて実践していくことです。実践のない口先だけの信心は、大聖人の信心ではありません。
かつて観妙院様は、私たちに「とかく人間は演説や理屈が多い。しかし演説や理屈で人を幸せにすることはできない。犬や猫の前でいくら演説しても、尻尾も振らないし喉も鳴らさない。それよりも犬の所へいって頭を撫でてやれば、犬は尻尾を振る。猫は喉をさすれば目を細める。この実践が大事である。演説している時間があったら題目を唱え、折伏に歩きなさい。そうすれば必ず結果は出る。結果が出ないのは、それは本当の信心をやっていないからだ」と、厳しく御指導くださいました。『法華題目抄』にも、「火々といへども手にとらざればやけず、水々といへども、口にのまざれば水のほしさもやまず」(御書353ページ)と、「実践」の大切さを御教示されております。渾身の力を出し、不自惜身命の信心でみんなでがんばっていきましょう。
そこで、この折伏に当たって注意すべきことを私の体験から一、二、申し上げます。(一)相手が入信を決意しても、御本尊下付まで間がある場合、その期問中に必ず魔が入ってくることをしっかりと話し、魔に負けないことを指導しておくことが大事です。(二)『崇峻天皇御書』にも、「すぐろく(双六)の石は二つ並びぬればかけられず。車の輪は二つあれば道にかたぶ(傾)かず。敵も二人ある者をばいぶせがり候ぞ」(同1171ページ)と仰せられておりますように、折伏は、必ず2人または3人で行くことが大事です。
ここでユニークな折伏をした人の話を一つ申し上げますと、たまたま尋ねて来た友人が、立派な御仏壇を見て、「この中に何が入っているんですか」と聞いたそうです。Nさんは、「これは大事なもので、信心していない人には見せられないんです。信心するなら、見せてあげる」と言って折伏したそうです。これもNさんや家族の毎日の真剣な唱題の結果だと思います。
御法主上人猊下は、「一切を開く鍵は唱題行にある」と仰せられております。諸天善神をも動かす真剣な唱題こそが、地涌倍増への原動力であります。かって大東院様は、唱題もしないで「折伏、折伏」と言って飛び歩くことは、目の見えない人が外を歩いているようなもので、危なくてしょうがないと話されたことがあります。御法主上人猊下も、平成15年の「新年の辞」で、「広布への前進、これを常に僧も俗も心に体して忘れず、日々夜々造次にも顛沛(てんぱい)にもその実行を心にかける処に真の価値ある人生がある」(大白法612号)と仰せられております。
今、世界は続発するテロによって恐怖と混迷の度を深めてきておりますが、「大悪をこれば大善きたる。すでに大謗法国にあり、大正法必ずひろまるべし」(御書796ページ)の御金言を確信し、本日の指導会を機に一人ひとりが初心に立ち返り、唱題につぐ唱題をもって、いよいよ5年後に迫った「『立正安国論』正義顕揚750年」の御命題達成に向かって、指導教師の御指導のもと、みんなでがんばってまいろうではありませんか。皆さん、いかがでしょうか。
本日は、私からは「破邪顕正の実践」と題しまして少々お話をさせていただきます。
さて、皆様方にはすでにご承知のとおり、今、イラクをはじめパレスチナやチェチェンなど、世界の至る所で戦争やテロや暴動などが繰り返され、無益で残酷な殺戮が毎日行われています。また、我々の身近な所でも、悲惨で不幸な事件や事故や災害などが絶え間なく起きています。こうした混沌とした現状を見るとき、今こそ我々は「立正安国」の原理に則り、一日も早く、すべての人々の幸せと真の世界平和実現をめざして、破邪顕正の闘いを進めていかなければならないと思います。
大聖人様は『神国王御書』に、「国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず(乃至)仏法に付きて国も盛へ人の寿も長く、又仏法に付きて国もほろび、人の寿も短かかるべしとみへて候」(御書1301ページ)と仰せであります。また『諸経と法華経と難易の事』には、「仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし」(同1469ページ)と仰せであります。さらに『立正安国論』には、「悲しいかな如来誠諦の禁言に背くこと。哀れなるかな愚侶迷惑の麁語(そご)に随ふこと。早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし」(同247ページ)と仰せであります。
世の中の不幸と混乱の原因、それがたとえ天災であれ、戦争やテロなどの人災であれ、それはすべて間違った思想、間違った教え、すなわち邪義・邪宗の謗法の害毒によるのであり、この邪義・邪宗の謗法を対治しなければ、人々の幸せも平和も実現しないのであります。すなわち、これが「立正安国」の原理であり、「破邪顕正」の大事の意義もここに存しているのであります。このことを我々個々の信心に当てはめて言えば、折伏もせず、邪義・邪宗の謗法をそのまま放置しておくような信心では、大聖人の破邪顕正の精神に即する正しい信心とは言えません。
故に『三大秘法抄』には、末法の修行は自行化他にわたる信心こそ肝要であり、折伏を忘れた自行だけの信心は、理の題目、つまり爾前権教の題目であると仰せであります。爾前権教の題目では、いくら唱えても成仏はしません。したがって、ただ仏壇を綺麗にし、お樒(しきみ)をあげ、型どおり拝んでいればよいというのは、大聖人の仏法の形式だけを真似て、大聖人の御本意を拝さない上辺だけの信心になってしまうのであります。形式だけでは、人は幸せにはなれません。
もちろん、我々が折伏を行じていこうとすれば、必ず魔が競い起こります。その魔の中でも、最も畏れなければならないのは己心の魔であります。己心の魔こそ、折伏できない最大の敵であります。言い換えれば、折伏できない最大の敵は、他人ではなく、実は自分自身なのです。結局、自分自身の魔に負けているから折伏ができないのであります。この魔を打ち破るためには、御本尊への絶対の確信、「無疑曰信(むぎわっしん)」の信と、真剣な唱題、そして不惜身命の断固たる決意と実践こそ不可欠であります。
所詮、折伏は魔との厳しい闘いでありますが、この魔を打ち破って折伏を行じていくところに、計り知れない大きな功徳が存するのであります。特に、末法において折伏を行じていくことは、難事中の難事であります。しかし、それだけに、また大きな功徳が存するのであります。故に『報恩抄』には、「正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか」(同1036ページ)と仰せられ、末法においてあらゆる障魔を打ち払い、世のため人のため、一意専心、不惜身命の折伏に励むところに、正像二千年の弘通よりはるかに勝れる、広大無辺なる功徳が具わることを明かされているのであります。
末法の本未有善の衆生は、この久遠元初の御本仏、すなわち宗祖日蓮大聖人の化に浴して、はじめて一生成仏を遂げることができるのであります。これもすべては末法なるが故であります。故に、末法闘諍堅固(とうじょうけんご)の時、久遠元初の御本仏が御出現せられて、本門の肝心たる妙法蓮華経を弘まらせ給ふべき時であることを知って、天台大師は「後五百歳遠く妙道に沽(うるお)はん」と述べ、伝教大師は「正像梢(やや)過ぎ已(お)はって末法太(はなは)だ近きに有り」と述べられて、末法を願楽(がんぎょう)されているのであります。また、『顕仏未来記』には、「時代を以て果報を論ずれば、竜樹・天親に超過し天台・伝教にも勝るなり」(同675ページ)と仰せられて、正像末の三時のうちにも、今末法に生まれる果報は、彼の竜樹・天親よりも、天台・伝教よりもはるかに勝るゝと仰せられているのであります。さらに『撰時抄』には、「正像二千年の大王よりも、後世ををも(思)はん人々は、末法の今の民にてこそあるべけれ。此を信ぜざらんや。彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱ふる癩人とはなるべし」(同834ページ)と仰せられているのであります。
これらの御金言を拝し奉る時、我々は、この末法に生まれた深い因縁を心から噛みしめ、たとえこの身は一介の荒凡夫ではあっても、末法に生まれ合わせたからこそ、最大深秘の妙法に巡り値えた至幸の人生に、心から感謝の気持ちを込めて、この一生を広布に捧げ、遠くは未来広布をめざし、近くは来るべき「『立正安国論』正義顕揚750年、地涌倍増」の御命題達成へ向かって、破邪顕正の大折伏戦を展開し、もって仏祖三宝尊への御報恩を尽くしていかなければならないと思います。もとより、折伏に「こうすれば必ずできる」などという秘訣や特効薬はありません。けれども、あえて言えば一つだけあります。それは「動く」ことであります。理屈ではなく、身体を使い、足を使い、動くことであります。百の理論を弄するよりも、まず勇気を持って立ち上がり、折伏を実践することであります。もし、折伏ができないとすれば、それは折伏をしていないからであります。折伏は、折伏を実践する以外に折伏を達成することはできないのであります。至極当然のことであります。この至極当然のことを、確実に、繰り返し繰り返し、根気よく実践していくことが最も大事なのであります。御法主日顕上人猊下は、「動けば必ず智慧が涌く」(趣意)と仰せであります。
思うに今、どれほどの人々が謗法の害毒によって苦しんでいるか。特に、池田創価学会の邪義に洗脳されて大謗法を犯している人たちがいかに多いことか。『ニセ本尊』を作り、下種三宝を破壊し、血脈付法の御法主上人猊下を誹毀讒謗(ひきざんぼう)し、世間を誑かし、悪業の限りを尽くしている池田創価学会の謗法は、徹底的に破折していかなければなりません。なぜならば、邪義は破折しなければ亡びないからであります。もし、池田創価学会の大謗法をこのまま放置すれば、多くの人々の不幸を招き、やがて一国をも亡ぼすことになるのであります。御法主日顕上人猊下は、『立正安国論』にお示しの「一凶」とは、すなわち池田創価学会であると断ぜられています。我らはこの御指南を体し、僧俗とも、一致団結して池田創価学会の邪義を徹底的に破折し、もって本年「破邪顕正の年」の闘いを堂々進めていかなければなりません。
そのためにも、今日ここに集まった人全員が、一人も漏れず決意を新たにして立ち上がり、御法主上人猊下の御指南である「一年に一人が一人の折伏」を、忠実に実践していくことが大事であります。今日お集まりの講中は、その成り立ち、因縁、大小、地域性など様々であります。しかし、中には自分の支部の置かれた環境や世帯数や歴史などを他の支部と比べてみて、それを折伏できない理由にしているところが、仮にでもあったとすれば、その考えは間違いであります。なぜならば「変毒為薬」していくのが大聖人の仏法だからであります。唱題に唱題を重ね、折伏につぐ折伏をもってあらゆる悪条件を見事に克服して、今は立派に活躍している講中が、現にいくつもあります。講中が一致団結・異体同心して立ち上がれば、必ず諸天がこれを助け、様々な悪条件はむしろ闘う意欲を生み、必ず誓願は達成できると私は固く信じます。
何卒、皆様方には、本日の指導会を契機に、さらに一段と決意を固め、本年「破邪顕正の年」を悔いなく闘いきり、もって御法主日顕上人猊下の御命題に見事、お応えくださるよう心からお願い申し上げ、私の話を終えます。
今夕の私の課題は、法華講員の信行であります。
5年後の平成21年・御命題の「倍増乃至、それ以上の輩出」に向かう法華講の厳しい信行の上に、大事な点を5点ほどに分けて申し上げてみたいと存じます。
(一)自覚について
これは一人ひとりが、自らの信心の命を自覚することであります。支部の折伏誓願達成に向かう僧俗の団結でありますが、これがなかなか、言葉では判っていても、難しいのであります。そこで、皆さん方が自問自答してみてください。
問 あなたの振る舞いは、いったい何宗の振る舞いか。
問 総本山はどこか。
問 御法主上人様は何とおっしゃるお方か。
問 あなたのお寺は大石寺の末寺か。
問 そのお寺の御住職様は何というお方か。そのお寺には法華講はあるのか。何という法華講か。講頭さんは何というお方か…
というように、自らの問いに自ら答えていきますと、「そうか、私は日蓮大聖人様から金口嫡々の御相承を戴く御法主日顕上人猊下の率いる法華講員なんだ」と自覚ができてくるのであります。今までは、「地涌の菩薩の流類だぞ。自覚しろ、自覚しろ」と言われてきたが、何となく身に感じてこなかった。また自分でも、法に対する責任感もなく、どこの信者かフラフラしていたようなものだが、今日からは肚を決めたぞと。ここから末寺の僧と俗との団結が定まり、支部総会、支部総登山と、広布への磐石の体制が出来上がっていくのであります。
(二)二心(ふたごころ)があると、誓願は成就しない
この二心というのは、謗法の念慮があるということです。謗法厳誡という言葉は前々から知っていたが、自分の心の中に謗法の念慮があるとは知らなかった。このことは説明ではなかなか判らないでしょうが、2千年ほど前の中国の韓非子の話の中に、ある父親が嫁に行く娘に「お前の行く婚家は立派な家柄だから、いずれ先にいって出されるから、その時のために小金を貯めて置けよ」と。娘は父の言葉を固く守っていく。婚家の姑は、困った子が嫁にきたと思い「お前の家はここだよ」と何遍も言い聞かせるが、聞けない。結果は離婚となり家に戻っていく。父は「自分の言った通りだろう」と娘に言う。二心というのは、こういう話のごとくで、昔も今も同じであります。
皆さん方もご自分の今の信心の上に当てはめて、深く考えてみてください。信心は二心があると、「峰の石の谷へころぶ」(御書325ページ)がごとく必ず不幸になっていきます。それは、「大阿鼻地獄疑ひなし」(同)の御金言のごとくになるからであります。昔は、身延の地頭・波木井入道実長、今は池田大作・秋谷栄之助の率いる創価学会の一味の末路であります。
(三)似て非なる信心は、これも堕地獄への業因
『窪尼御前御返事』には、「譬えばくそ(糞)をほしてつきくだき、ふるいて、せんだんの木につくり、又、女人・天女・仏につくりまいらせて候へども、火をつけて焼き候へばべち(別)の香りなし。くそくさし。そのやうに、ものをころし、ぬすみをして、そのはつほ(初穂)をとりて、功徳善根をして候へども、かへりて悪となる。須達長者と申せし人は月氏第一の長者、ぎおん精舎をつくりて、仏を入れまいらせたりしかども、彼の寺焼けてあとなし。この長者もといを(魚)をころしてあきなって長者となりしゆえに、この寺つゐにう(失)せにき。今の人々の善根も又かくのごとし。大なるやうなれども、あるいはいくさをして所領を給び、或はゆへなく民をわづらはして、たからをまうけて善根をなす。此等は大なる仏事とみゆれども、仏にもならざる上、其の人々あと(跡)もなくなる事なり。又、人をもわづらはさず、我が心もなおしく、我れとはげみて善根をして候も、仏にならぬ事もあり。いはく、よきたねをあしき田にうえぬれば、たねだにもなき上、かえりて損となる。まことの心なれども、供養せらる人だにもあしければ功徳とならず、かへりて悪道におつる事候」(同1581ページ)と仰せあそばされております。このことは、全く今の池田創価学会と、私にはそっくり同じように感ずるのでありますが、皆さんはいかがでしょうか。
(四)御命題を成し遂げた時の利益について
学会の信心は、どこから間違ってきたのかと考えるときに、例えば魚屋の小僧が1匹のマグロから刺身を作るときに、最初にどこから庖丁を入れるかを、主人から習うのであります。そこに、間違った所から庖丁を入れれば、数人分の刺身しか取れません。信心も同様です。三宝尊を尊び敬うことを、教わった通りにやれば自然と成仏していけるのでありますが、創価学会は、初期の戸田会長以後の信心は、三宝尊を敬うところを、間違って欲望の追求から庖丁を入れますから、自分本意の欲望に鞭打たれ、やがて晩年になり、慈悲の深い人間像とは程遠く大半が人生の欲望の競争に疲れ果てて、淋しい日々を送り、信心に疑問を抱き「自分の一生は何だったのか」と愚痴に陥るのであります。
法華経は、悉皆成仏の教えでありますから、女人も悪人も二乗も、みんな成仏し幸せになれるのでありますから、我が身の振る舞いは常に、慈悲の振る舞いか否か、反省懺悔していかなければなりません。そこに講中も家庭も、見違えるように功徳で変わっていくのであります。
(五)御法主上人視下の御指南のもと、今の時を正しく知っていくこと
御法主上人猊下は、「宗門は現在、『平成21年・「立正安国論」正義顕揚750年』に向かって、僧俗一致して広布への前進に全力を挙げつつあります。このような時機に当たりまして、(中略)『講頭会』という行事を今回、名実ともに充実した意義・内容をもってここに開催することができました」(大白法642号)と仰せあそばされ、このときの御指南は、『大白法』4月1日号に掲載されております。どうぞ繰り返し何遍も読んでください。
さらにまた、法華講連合会第41回総会の砌の御言葉には、「約3万人の信徒の方々が連合会春季総登山会としておいでになっております。この在り方は実に尊いものであり、講頭会とはまた違った意味で、宗門の僧俗一致、和合団結によるところの広布への大前進を実際に推進していく具体的な形としての意味において、法華講連合会の存在意義は、これから未来に亘って絶対に存するのであります。これからもいよいよ連合会の立派な団結と活動を心から願う次第であります。したがって、連合会は講頭会とそこになんら抵触するものではありません」(同)と、このように御指南を賜るものであります。
○『創価学会の誤りについて』 宗務院副庶務部長 阿部信彰御尊師
二、当山の教義を守ること
三、仏法僧の三宝を守ること
第二章 日蓮正宗と創価学会(創価学会とは、日蓮大聖人の仏法、日蓮正宗とは)
第三章 創価学会の謗法(大御本尊から離れた創価学会、『ニセ本尊』を配布する創価学会、他)
第四章 創価学会の体質(独善体質、攻撃体質、欺瞞体質、他)
第五章 池田独裁めざす創価学会(異常な創価学会の姿、敵対者を弾圧する創価学会、他)
第六章 創価学会には功徳はない(貪・瞋・痴の三毒にまみれた創価学会、諸天の加護がない不正直な創価学会、他)
第二章 創価学会が正しいと思っている学会員に(今は学会と運命を共にすると思い切った、今でも大石寺の大御本尊を念じて勤行をしている、創価学会の活動を多くの識者が賞賛している、創価学会は常に民衆の側に立つ宗教団体である、他)
第三章 創価学会に所属しているが、活動していない学会員に(組織や会員に嫌な思いをさせられた、創価学会は世間からの評判が悪いので活動しない、親は創価学会員だが自分は信心する気はない、宗門と学会の喧嘩に巻き込まれるのが嫌だ、他)
第四章 創価学会に疑問を感じている学会員に(信仰のあり方が変わった創価学会に疑問を感ずる、池田名誉会長の行状やスピーチに疑問を感ずる、創価学会員の批判拒否体質に疑問を感ずる、他)
第五章 創価学会の間違いに気づいていながら脱会できない学会員に(組織ぐるみの仕返しがこわいから脱会できない、創価学会員に世話になっているので脱会できない、家族が創価学会員なので脱会すると家庭内に争いがおきる、宗門と創価学会が仲直りするのを待っているので脱会できない、他)
第六章 日蓮正宗に疑問を感じている創価学会員に(日蓮正宗は日顕宗になっているのではないか、宗門はなぜ創価学会の本尊下附を非難するのか、宗門は戒名や塔婆供養を金儲けの道具にしているのではないか、他)
第七章 法華講を知らない創価学会員に(法華講に入ると金がかかるのではないか、法華講に入らないと葬儀や法事をしてもらえないのか、法華講員は総本山や寺院参詣を強要されるのか、他)
○『地涌倍増への折伏実践』 法華講連合会副委員長 石毛寅松大講頭
○『破邪顕正の実践』 宗務院庶務部長 早瀬日如御尊能化
○『法華講員の信行』 法華講連合会委員長 柳沢喜惣次総講頭
答 日蓮正宗の振る舞いです。
答 富士の大石寺です。
答 阿部日顕上人猊下と申します。
答 そうです。