大白法

平成19年12月16日号


主な記事

<1〜5面>

<5〜8面>


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霊松山久遠寺創立100周年記念法要
御法主日如上人猊下大導師 横浜市南区


12月5日、横浜市南区の霊松山久遠寺において、創立百周年記念法要並びに御親教が、御法主日如上人猊下大導師のもと、厳粛かつ盛大に奉修された。

同寺の創立は、明治3年に横浜に移住した東京・常泉寺信徒及び会津若松・実成寺信徒が、熱心な折伏弘教を行い、入信する者が増加の一途をたどったことに端を発している。その後、明治15年に富士派(大石寺)本門講と蓮華会(後の国柱会)との間で行われた「横浜問答」において、勝利した本門講の人々を中心に教会所設立の気運が高まり、明治40年、総本山第56世日応上人の開基により、横浜市日之出町に横浜教会所が創立された。

大正12年9月の関東大震災により焼失したが、翌13年3月には、南太田町(現在地の南区三春台)に移転復興し、鶴祥山霊松院と改称した。昭和20年5月、戦災により再び焼失したが、昭和23年12月、第3代住職・市川真道御尊師の時、「霊松山久遠寺」と寺号公称を許され、翌24年11月、総本山第64世日昇上人御親修のもと落成法要が奉修された。

第4代住職として赴任された木村真昭御尊師は、昭和51年4月に鉄筋コンクリート3階建ての本堂・庫裡を新築し、総本山第66世日達上人御親修のもと落慶入仏法要が奉修された。さらに、昭和60年には上永谷墓苑を開苑、平成9年9月には、創立90周年を記念して本堂の内装を洋式から純日本式に改修、また近隣地を購入するなど寺運の興隆に鋭意努力を重ねてこられた。

このように寺檀和合して横浜広布に邁進する中、創立百周年を記念して、寺院内外の改修工事、信徒会館「霊松館」の新築、久遠寺上永谷墓苑管理事務所の新築等の事業を行い、このたびの慶事を迎えたものである。

この法要には、随行の総監・八木日照御尊能化、大石寺理事補・小林道剛御尊師、さらには重役・藤本日潤御尊能化、高野日海御尊能化、富士学林長・大村日統御尊能化、光久日康御尊能化、菅野日龍御尊能化、宗務院各部長、大石寺主任理事・佐藤慈暢御尊師、神奈川布教区支院長・土居崎慈成御尊師をはじめ、布教区内外から多数の御僧侶方が出席された。また、法華講連合会からは法華講総講頭・柳沢委員長、大講頭・石毛副委員長、村松登神奈川副地方部長をはじめ布教区内各支部講頭、並びに久遠寺信徒など多数が参列した。


午前11時半、僧俗一同がお出迎え申し上げる中、御法主上人猊下が久遠寺に御到着あそばされ、続いて、御僧侶、信徒代表、寺族・親族の順に親しく御目通りを許された。

法要の部は、午後1時前に開始され、御法主上人猊下大導師のもと、八木総監による献膳の儀・読経・焼香・唱題と如法に奉修され、この後、御法主上人猊下より甚深の御言葉を賜った。

引き続き式の部に移り、はじめに関野洋夫総代より経過報告、続いて八木総監(宗務院代表)、土居崎支院長(布教区代表)、柳沢委員長(信徒代表)より祝辞が述べられ、次いで木村住職より、御法主上人猊下及び参列の各位に対して、丁重な謝辞と今後の決意が述べられた。

午後3時前、再び御出仕あそばされた御法主上人猊下より、『立正安国論』(御書239ページ3行目〜18行目)の御文について、約1時間にわたり甚深の御説法を賜った。

最後に、本堂において代表者による記念撮影が行われ、その後、御法主上人猊下は新築された「霊松館」にお立ち寄りあそばされ、午後5時、僧俗一同がお見送り申し上げる中、久遠寺をお発ちになられた。



御法主日如上人猊下御言葉

久遠寺創立100周年記念法要の砌
平成19年12月5日 於 横浜市南区


 本日は、久遠寺の創立百周年記念法要、まことにおめでとうございます。

 この久遠寺は神奈川布教区のなかにありまして歴史的にも、また組織的に現在の法華講の世帯数等々、色々な面から見ましても中心的な寺院でございます。百年の歴史のなかには様々なことがございましたが、それらを乗りきって今日、隆盛を極め、そして広宣流布に御精進している姿はまことに尊いことと存じます。これもひとえに、御住職をはじめ久遠寺の御信徒の方々が心を一つにして広宣流布のための精進をしている結果ではなかろうかと思います。

 この久遠寺の住職をしております木村真昭房は、私も若いころからよく存じ上げておりますけれども、まことにもって通念堅固にして実直な方であります。先代の市川住職の跡を継いでこの久遠寺の住職になりましたが、そのあと寺院を再建新築し、さらに隣接地を購入するなど、寺域を拡張して寺院を荘厳し、本当に寺院の興隆発展のために尽くされてきたのであります。

 先般も、創立九十周年におきまして、今までの様相を一変させて和風の立派な本堂に改装いたしまして、さらに御宝前を荘厳されました。そしてこのたびの百周年を迎えたわけでありますが、この慶事に当たりましても、角地を購入して霊松館という、久遠寺の前身である霊松院の名称を引き継いで信徒会館を造られたと伺っております。そのように本当に一生懸命に御奉公に励んでおられます。

 しかし、これもただ住職一人がなされることではなくして、やはり外護せられる御信徒の大きな力によるものと思います。言わば僧俗一体となって今日の久遠寺を築き上げてこられたと、このように思う次第であります。まことにもってその意味におきまして、心からお喜びする次第であります。


 さて、四苦八苦という言葉もございますが、人生は常に苦との闘いと言ってもよいと思います。様々な形で苦しみや悩みと対面しながら我々は生きているわけでありますが、ともすると世間の方々は、この根本的な解決というものが解らないでおります。つまり苦しみの原因はどこにあるのか、またそれを解決するためにはどのような方法をもってすればよいのか、みんな悩んではいるのでありますけれども、どうも根本的なものが解っていないようであります。

 それにはまず、その苦の原因を知らなければならないわけであります。仏法では苦の原因について、悪業の因縁によると説いているのであります。つまり業によると説いているのです。業とは何かと言えば、これは身口意の三業と言うように、身体・口・心の三つの所作であります。わざわいというものはこうした所作から様々に出て、苦しみを生むことになるのであります。例えば十悪とか五逆罪を犯す、あるいは正法を誹謗するなど、様々な形で身口意の三業の所作によって悪業の因縁を作り、そして苦しんでいくことになるのであります。

 而(しこう)して、その業の原因を尋ねてみますると、それは結局、煩悩から来ているのであります。煩悩というのは、様々な悩み、あるいは生活を乱すところの様々な精神作用でありますが、そこから様々な悪業を生むのであります。

 この煩悩というのは、色々な説がありますけれども、例えば『大智度論』のなかでは貪瞋癡の三毒を挙げて、「三毒は一切煩悩の根本たり」と述べております。結局、煩悩とは何かと言いますと、突き詰めれば貪瞋癡の三毒に突き当たるのであります。「貪」というのは「むさぼり」であります。つまり欲深い、人のものでもなんでも自分のものにしようという、それが貪であります。その次の「瞋」とは「いかり」であります。この瞋りが様々な悪業を生むわけです。貪欲が悪業を生み、そして瞋りが様々な悪業を作っていくのであります。そしてもう一つは「癡」であります、これは愚癡であります。愚癡というのは「おろか」ということでありまして、仏法の道理に暗いこと、つまり善因善果、悪因悪果などの仏法の基本的な道理すらも解らないことであります。したがって、この愚癡ということを無明、すなわちものの道理に暗く、明るくないと言うのであります。

 つまり、貪瞋癡の三毒によって悪業の因縁を作り、そしてその悪業の因縁によって苦しむ。さらにその苦しみがまた煩悩を生むわけであります。それで煩悩からまた悪業の因縁を作る、また苦しむ。苦しんでまた煩悩を作って、そして悪業の因縁を作って苦しむ。これをぐるぐると繰り返しているわけであります。これを「輸回(りんね)三道」と言います。三道を輪回してそこから脱しようとしないということですが、これをまた「三輪」とも言います。

 この根本的な解決ができないかぎり、人生は常に苦から抜け出せず、三道を輪回することになってくるのであります。仏法ではこの苦しみ、つまり煩悩・業・苦の三道をどう対処していくのかということが説かれているわけであります。

 大聖人様はこのことについて『当体義抄』のなかで、

正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ、其の入り所住の処は常寂光土なり。(御書694ページ)
と、南無妙法蓮華経と御本尊様に対し至心にお題目を唱えていくなかに、この煩悩・業・苦の三道が、法身・般若・解脱の三徳に転ずると、このようにおっしゃっておるのであります。

 この法身・般若・解脱の三徳とは何かと言いますと、仏様に具わる徳相であります。つまり法身というのは法でありますから、仏様の悟られた真の法、法性そのものであります。これを我々が身につけるとはどういうことかと言いますと、仏様と同じように泰然として微動だにしない、不動の生命力を具えることができる。どんなときにでも我々は泰然としていられる、これが法身の徳を身につけることになるのであります。般若というのは智慧でありまして、どんな苦しいときでも、必ずそれを乗り切っていくところの智慧が湧いてくる。ですから、いかなる苦難に出会うとも、限りなく智慧が湧いてきて対応できるということであります。解脱というのは、これは御承知のとおり、様々な煩悩の柵(しがらみ)のなかから脱することができ、そして自由自在に御奉公できるようになるということであります。

 しからば、どうしたらそのようにできるのか。それは今申し上げましたとおりに、正直に方便の教えを捨てて、ただ法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱え奉る。この至心の信心、すなわち御本尊様に対する絶対の信によって、我々は自然と煩悩・業・苦の三道を三徳に転ずることができるのであります。そこに御本尊様のすばらしい功徳が存するのであります。何も知らない、全く無知な人であろうとも、一生懸命に南無妙法蓮華経と唱えることによって、必ずその人は三道を三徳に転ずることができる、これが大聖人様の教えであります。


 今日、世の中は様々な苦痛と混乱にあふれております。毎日の新聞やテレビ等の報道で知らされているように、本当に悲惨な状況を現じております。これらを救う道はただ一つ、御本尊様のもとにみんなが南無妙法蓮華経と唱えていく。さすれば、おのずと煩悩・業・苦の三道を法身・般若・解脱の三徳に転ずることができるのであります。そこで結局は、私達一人ひとりがこのことをしっかりと胸に刻んで、いまだ大聖人様の仏法を知らない方々に知らせていくことが大事になってくる次第であります。すなわち折伏を行ずることであります。

 今日、宗門は日顕上人からいただいた平成21年の御命題たる「地涌倍増」と「大結集」を目指して、僧俗一体となって前進をしております。なかんずく地涌倍増は折伏なくして達成できません。広宣流布も折伏なくして達成できないのであります。そこに一人ひとりが自行化他の信心に励んでいくということが極めて大事となってくるのであります。

 今日、久遠寺の御信徒の方々、また神奈川布教区の御信徒の方々には、まことに立派にこの久遠寺の百周年を迎えられました。これを機に一人ひとりが、日顕上人からいただいた地涌倍増と大結集の御命題達成へ向けて御精進していっていただきたい。特に地涌倍増、折伏ということを忘れずに、なんとしてでも平成21年にはこの御命題を達成していきたいと思います。

 また、そういう意味から明年は、21年の前年に当たるところから、全国4会場におきまして「決起大会」を開催いたします。これも僧俗一体となって完全勝利をして、その勝利の上にさらに我々は精進を重ねて21年を立派に迎えていただきたい、このようにお願いをいたしまして、本日の挨拶といたします。



○宗務院代表祝辞 八木日照御尊能化

本日、当久遠寺におかれましては、創立百周年の記念法要並びに御親教を賜り、たいへんおめでとうございます。皆さん方の晴れ晴れとしたお顔を拝見して、共々に心からお祝い申し上げる次第であります。

一口に百年と申しますが、これは本当にたいへん長い期間でございます。ただ今の経過報告にありましたけれども、その間には関東大震災、そしてまた第二次世界大戦においても、この寺院建物が被災焼失するという大災害を受けられましたが、その都度、御住職と皆さん方ご信徒の強盛な信心の力によって、たくましく復興を遂げて今日の隆盛を迎えていらっしゃることに、たいへん敬服する次第でございます。

御住職の木村師は、私も昔からの知り合いであります。本当にお坊さんらしいお坊さんだと尊敬をしております。通念が極めて堅固で信心が篤く、優しい、慈しみの心を持ち、どのようなことにも決して屈しないという強さを内に秘められており、本当にすばらしい、この御住職の元にあって、皆さん方は幸せだと思います。

前住職の市川真道御尊師は、当寺御開基の日応上人のお弟子で、この霊松山久遠寺を受け継がれて、様々な苦難に立ち向かい乗り越えて、立派に今日の隆昌の基礎を築かれました。そのまたお弟子さんである現在の木村住職は、当初、岡山のほうの住職をされていましたけれども、御師範の市川師が体調を崩されたことから、こちらへ来られて住職代務者として師匠に仕え、様々なことを学び、弟子の道を全うされました。その後、正式に住職を拝命し、現在のこの鉄筋コンクリート3階建ての見事な堂宇を新築され、地域広布をめざして尽くしてこられました。

そして、このたびの百周年を記念して、墓苑管理事務所の新築、信徒会館「霊松館」の新築、客殿・庫裡の改修、駐車場の整備などの様々な事業を皆さん方の外護の赤誠によって見事に成し遂げられたということは、まことに賞賛に値することだと思います。これは、どんなに力のある立派な住職がいたとしても、住職一人ではできません。皆さん方が信心の上で本当に心を一つにして、「よし、この方向に向かってがんばっていこう」という思いが一つになって、まさしく僧俗一体となってこの事業が見事に成し遂げられたのであると、敬服をする次第でございます。これからも150年、200年と、広布の歴史を築きながら、大発展を遂げていかれることを心からお祈りする次第であります。

日蓮正宗はで存知のように、本門戒壇の大御本尊様を根本尊崇の中心とし、そしてまた、大聖人様以来の血脈御相承を御一身に御所持あそばされる御法主上人猊下の御指南を戴きながら進んでまいります。これが、日蓮正宗の750年、今日に至るまでの決してゆるがせにしない大事な中心点でございます。

この二つの要から外れますと、それは即、異流義となってしまいます。どんなに御題目を唱え、高らかに広宣流布ということを叫んでみたところで、御戒壇様と御法主様から離れてしまっては、成仏の道はなく地獄へ行く以外にはありません。

ただ今も、御法主上人猊下から御言葉がありましたように、今日我々は何としても平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年に向けて、「地涌倍増」と「大結集」を達成しようという大きな目標のもとに進んでおります。これを、皆さん方一人ひとりが本当に主体者となって、成し遂げていくぞという力強い信心のもとに一致団結して進んでいくことが、大聖人様への御報恩であり、また御開基・第56世日応上人への御報恩であり、そして御当代第68世日如上人猊下の今日このようにして御親修あそばされる御慈悲に対し奉る、尊い御報恩の道になると確信するものであります。

どうか皆さん方、今後とも健康に留意をされて、御住職の元に大いに活動されることを、心からお祈りをする次第であります。本日はたいへんおめでとうございました。




妙観院創立15周年記念 板御本尊入仏式・御会式奉修
御法主日如上人猊下大導師 東京都府中市

11月23日、東京都府中市の妙観院において、創立15周年記念板御本尊入仏式・御会式奉修並びに御親教が、御法主日如上人猊下大導師のもと厳粛かつ盛大に奉修された。

妙観院は、平成4年9月26日、総本山第67世日顕上人猊下の大導師のもと落慶入仏式が奉修され、初代主管として菅野道渉御尊師が赴任された。その後、平成5年4月18日、信徒総数22世帯をもって妙観院支部を結成し、以来、果敢なる折伏を実践した結果、平成12年6月10日には、九州在住の信徒の活躍によって、太宰府市に「妙観院九州出張所」が建立され、さらに勢いは止まることなく、平成13年には支部の世帯数も500世帯を超え、現在では600世帯を上回る陣容にまでなっている。

妙観院は既存の建物を寺院としていたことから、建物の老朽化と耐震性に問題があったため、菅野主管は耐震補強工事と大改修を発願され、本年5月に御法主上人猊下の御承認を賜り、さらに7月5日には、御法主上人猊下の御慈悲によって板御本尊の御下付のお許しを頂戴して、このたびの慶事を迎えたものである。

この法要には、随行の総監・八木日照御尊能化、大石寺理事補・小林道剛御尊師、さらには重役・藤本日潤御尊能化、高野日海御尊能化、富士学林長・大村日統御尊能化、光久日康御尊能化、菅野日龍御尊能化、宗務院各部長、東京第二布教区支院長・野村淳信御尊師、同副支院長・小薮賢道御尊師をはじめ、布教区内外から多数の御僧侶方が出席された。また、法華講連合会からは法華講総講頭の柳沢委員長、金子東京第二地方部長、峯崎和彦東京第二副地方部長をはじめ布教区内各支部講頭、並びに妙観院信徒など約360名が参列した。


午前9時45分、僧俗一同がお出迎え申し上げる中、御法主上人猊下が妙観院に御到着あそばされ、直ちに本堂玄関前にて記念碑の除幕をなされた。続いて御僧侶、信徒代表、寺族、家族・親族、施工業者の順に親しく御目通りを許された。

法要の部は午前10時半に開始され、御法主上人猊下大導師のもと、菅野主管による御本尊御開扉、八木総監による献膳の儀・読経・焼香・唱題と如法に奉修された。この後、御法主上人猊下より甚深の御言葉を賜った。

引き続き式の部に移りへはじめに建立委員長・田中秀一氏の経過報告を川崎和夫氏が代読、続いて八木総監(宗務院代表)、野村支院長(布教区代表)、柳沢委員長(信徒代表)より祝辞が述べられ、次いで菅野主管より、御法主上人猊下及び参列の各位に対して、丁重な謝辞と今後の決意が述べられた。この後、本望玄関前にて御法主上人猊下による「姫沙羅」の御手植えがなされた。

小憩の後、午後2時より再び御法主上人猊下が本堂に御出仕あそばされ、御会式が奉修された。

はじめに八木総監による献膳の儀が修された後、方便品・寿量品の読経と進められ、「而説偈言」で磬が入り、申状捧読の儀へと進められた。はじめに菅野主管による「日有上人申状」の捧読、続いて、御法主上人猊下が『立正安国論』を捧読あそばされ、次いで日蓮大聖人、日興上人、日日上人、日道上人、日行上人の「申状」が各御僧侶方によりそれぞれ捧読された。そして自我偈の読経・唱題と進められ、終了した。

引き続き午後2時20分より、再び本堂に御出仕あそばされた御法主上人猊下より、『立正安国論』(御書238ページ10行目〜239ページ1行目)の御文について、約1時間にわたり甚深の御説法を賜った。

最後に、本望において記念撮影が行われ、午後4時過ぎ、御法主上人猊下には僧俗一同がお見送り申し上げる中、妙観院をお発ちになられ、法要の一切がとどこおりなく終了した。



○布教区代表祝辞 野村淳信御尊師

僭越ではありますが、役目柄、東京第二布教区を代表いたしまして、一言お祝いを申し述べさせていただきます。

本日は、総本山第68世御法主日如上人猊下の御親修を仰ぎ奉り、妙観院創立15周年記念板御本尊入仏式が厳粛かつ盛大に奉修され、教区一同、心よりお祝い申し上げるものであります。またこの後、御会式・御親教が奉修されることになっており、重ねてお祝い申し上げます。まことにおめでとうございます。

御法主日如上人猊下におかせられましては、20日・21日の両日にわたり総本山御大会を奉修あそばされるなど、極めて御法務御繁多、お疲れの中にも関わりませず、当地まで親しく御下向を賜りまして、衷心より厚く御礼申し上げます。まことにありがとうございました。

そして、この慶事を心待ちにされた御主管・菅野道渉御尊師、並びに妙観院支部法華講の皆様をはじめ、東京第二布教区の各支部のご信徒の皆様にも、御法主上人猊下の御尊体と御鶴声を間近に拝し奉ると共に、法要の大導師を賜りましたことは、この上ない慶びであります。

当妙観院は、ただ今の経過報告にありましたように、大宣寺御住職・常観院日龍御尊能化発願により、平成4年9月26日に、総本山第67世日顕上人御下向のもと、入仏落慶法要が奉修されました。既存の建物を寺院とされた関係もありまして以来15年が過ぎ、建物の老朽化と地震の耐震性にも問題があり、ここに本堂・庫裡の増改築並びに耐震補強工事をされ、すぼらしい本望・庫裡の改築となった次第であります。

それに伴い、御法主上人猊下の御慈悲により、板御本尊様の下付を許され、僧俗共にこの上ない感激と存じます。重ね重ねお祝いを申し上げる次第であります。これも偏に、僧俗一致の赤誠の信心の賜であると敬意を表する次第であります。

菅野主管には、妙観院九州出張所を平成12年6月に開所され、また富士学林大学科の助教授として竜象の育成に努められ、九州への出張と自坊の法務と大学科の授業、教学部でのご奉公等々とまことに激務にも関わらず、折伏の成果を著しくあげられ、「行動の年」に相応しい姿を示されたことは、東京第二布教区の模範とするところであります。また、たいへん信心に厳しい御主管でありますが、ご信徒もよく化導に随われて僧俗一致の信心の誠を示され、大いに発展されてきました。

さて皆様もご承知のように今、宗門は平成21年・『立正安国諭』正義顕揚750年の佳節を2年後に控え「地涌倍増」と「大結集」に向かって、不自惜身命の信心でご奉公しているところであります。

御法主上人猊下は御命題達成について、「今、宗門僧俗は日顕上人よりいただいた平成21年の御命題達成へ向けて、異体同心・一致団結して前進をしておりますが、我らの行く手には、邪教の妨害をはじめとする様々な困難や中傷が立ちはだかることは必定であります。また、油断をすればおのれ自身にも魔が競い起きてくることもあるでしょう。

しかし、我々一人ひとりがいかなる困難や障害や降魔をものともせず、断固たる決意と異体同心の団結、勇気ある行動をもって立ち向かっていけば、必ず目標は達成できるのであります」(大白法721号)と、御指南あそばされております。また、『四条金吾殿御返事』の、「法華経の御信心強盛なれば大難もかねて消え候か」(御書1292ページ)の御文を引かれて、「強盛な信心に立つときは大難も消え、大御本尊様の功徳は無 量に我が身に生ずることができる」(趣意)と仰せであります。この御指南を御命題達成の鍵と確信して、一層精進してまいりたいと存じます。


本日の慶事を機に、東京第二布教区一同、折伏弘通に一層精進して、もって御法主上人猊下の御慈悲にお応えする覚悟であります。

最後に御主管のますますのご健勝と、妙観院法華講の発展、さらには皆様のご健勝を祈念いたしまして、祝辞とさせていただきます。本日はまことにおめでとうございました。




塔中5ヶ坊(百貫坊・遠寿坊・妙遠坊・東之坊・本種坊)起工式
立正安国論正義顕揚750年記念局・総本山総合整備事業

立正安国論正義顕揚750年記念局の事業のうち、総本山総合整備事業の一環である塔中坊建替え工事の5力坊(百貫坊・遠寿坊・妙遠坊・東之坊・本種坊)の起工式が、12月6日・7日の両日にわたり行われた。このうち百貫坊を除く4力坊は大石寺執事で総本山総合整備事業委員会主任委員の佐藤慈暢御尊師の導師により、百貫坊は大石寺執事で同委員会副主任委員の小川只道御尊師の導師によって執り行われた。

それぞれの起工式には、大石寺執事・関快道御尊師をはじめ内事部の役職員、各坊の住職、法華講大講頭の渡辺定元氏はじめ井出光彦氏・土橋昌訓氏の総本山各総代、各坊の総代・役員、工事関係者など約30名が出席した。

12月6日の午前10時から百貫坊、同10時40分から遠寿坊、7日の午前10時から妙遠坊、同10時40分から東之坊、同11時20分から本種坊の順で、それぞれ本堂建設予定地に設置された式場において執り行われた。

式は、御本尊奉掲・読経・焼香・唱題と進められ、鍬(くわ)入れの後、各坊の住職より出席者各位に丁重な謝辞が述べられ、最後に総本山総代の発声による乾杯で終了した。

これから1年の工期で竣工する予定である。また、12月20日には妙泉坊・妙住坊の起工式が予定されており、これで建替えに該当する全18力坊の起工式が終了し、来年中に一切の建替え工事が完了する



法華講連合会婦人部長・三宅順子氏 逝去される
享年66歳 信篤院唱行院妙順大姉

法華講連合会婦人部長で東京都杉並区・昭倫寺支部の三宅順子氏には、11月26日午後8時14分、逝去された。

故三宅氏は、昭和16年5月に生まれ、同25年9月に中野教会(現在の昭倫寺)にて入信。結婚を機に福岡市・立正寺支部の所属となるが、東京移転に伴い昭倫寺支部へ移籍。以来、支部において婦人部長、幹事、庶務部長、副講頭を歴任された。

その間、法華講連合会の草創期より労を惜しまずご奉公、昭和61年4月より東京第二地方部婦人部長、平成6年4月よりは連合会婦人部長として活躍された。また、宗旨建立750年慶祝記念局委員、同法華講30万総登山推進委員会実行委員、立正安国論正義顕揚750年記念局委員、同地涌倍増大結集推進委員会実行委員などの要職を務められた。

通夜は、11月29日午後6時から、葬儀は30日午前11時から、昭倫寺にて昭倫寺住職・野村淳信御尊師の導師で厳粛に行われた。これには、東京第二布教区副支院長の小薮賢道御尊師をはじめとする御尊師方が御出席。また、柳沢委員長、石毛副委員長、連合会各部長、各地の地方部長はじめ役員、有縁の信徒ら多数が参列した。故人のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。




体験発表


『故人の成仏の相で導いた法統相続』 経説寺支部 Y・M


本日は、壮年部を代表いたしまして、折伏の体験並びに心得を発表したいと思います。

先日、当支部婦人部のSさんの葬儀がありました。この葬儀が縁で折伏の機運が起こりました。亡くなられたSさんは、62歳でした。未亡人で2人の息子さんがおります。1人は障害を持っているために施設におり、もう1人は県外に就職しています。Sさんは、日頃から血圧が高く、あまり健康体でなかったのですが、息子さんは突然の母親の死去に驚き、その困惑は見るに忍びないものがありました。

彼女は地域においても、誰からも慕われていました。早くにご主人が病死して、1人で働きながら子供を育て上げました。この親子は本当に仲がよく、私たち夫婦は、彼女の息子自慢をよく聞いていました。しかし、県外で働いている息子さんは、全く信心がなく法統相続ができていませんでした。そのことを御住職・岩切寿英御尊師は常に心配され、息子さんが帰郷するたびに信心の話をするようにと私に話されていましたので、その都度、折伏していました。


法統相続叶う

そんな折、突然Sさんは逝ってしまいましたが、彼女の生前の素直な信心による成仏の相を見た親族の方々は、驚いておられました。私の家内は、彼女の死相があまりにもすばらしかったので、お通夜の席で「Sさんの相を見てあげて」と、誇らしげに創価学会員の人たちに言っていました。学会員は無言でしたが、その成仏の相を見て、何も感じないわけはありません。まさしく御書にある通りのすばらしいものでした。未入信のSさんの姉が、最後に口紅を塗ろうとしましたが、唇が柔らかくて動いてしまうことに驚いて、うまく塗れないと言っておられました。

彼女の兄も未入信ですが、日蓮正宗の葬儀の一部始終を見届け、さらに忌(き)明けも終わり、彼女の夫の遺骨が納められている総本山での塔婆供養と納骨、六壷での御焼香のためご登山されました。そして、このご縁によって、息子さんは御住職の勧めで母親の信心の跡を継ぐことを決意され、埼玉県の日蓮正宗の寺院に所属して、御本尊様を御安置することができました。


折伏の心得

Sさんは生前、創価学会員の美容院に折伏のため通っていました。そこで、日蓮正宗の正しい信心の在(あ)り方などを話していました。そして、どんな悪口や雑言を言われようとも、腹を立てずに通っておられました。

法華講員の葬儀には、同じ地域であれば学会員も御焼香に来ます。私たちも同じ地域・地区・町内の葬儀には行かねばならず、学会員の葬儀だから行かないということは許されない土地柄です。日蓮正宗法華講員として、粗相(そそう)のないように、また振る舞いを疎(おろそ)かにしてはいけないと思います。それは必ず折伏につながる縁となるからです。葬儀に限らず、町内会、職場や仕事関係、親類縁者すべて、縁ある方々は折伏の対象です。そのような方々の手本となるように、縁する方々が羨(うらや)むような人格を信心で自然に身につけるようにと、常に御住職は御指導されています。「ゆめゆめ世間の人々から、嫌われ憎まれるようなことがあってはならない。これだけでも折伏になるのである」とも申されています。

そして御法主日如上人猊下の御指南に随(したが)う信心が最も大切であります。このことは、誰もが聞いて知っています。いかに大切かも知っています。知っていても、これを真剣に実行できないのです。実行できないのは、まだまだ真剣に信じていないことになります。御法主日如上人猊下は、「異体同心で平成21年を迎える、そのための闘いをしよう」(趣意)と御指南されております。これは、我々法華講員一人ひとりが陰日向(かげひなた)のない信心をしなければ、功徳善根を積むどころか、うかうかすれば、懈怠謗法になりかねません。

「来たるべき平成21年・立正安国論正義顕揚750年に当たり、地涌倍増と大結集を名実ともに必ず成就なさしめ給え」との祈りを、朝夕の勤行の折に真剣に御祈念して、講員の各位が率先して「1年に1人が1人の折伏」を成就し、御命題を達成していくことが異体同心の信心であります。

また、「傍観者になるのではなく主体者となって闘っていくこと」(大白法715号)と御指南がございます。また『大白法』の記事には、「歓喜ある勤行・唱題で、指導教師と共に祈りを合わせ、折伏を行じていくことによって、正直に妙法を持(たも)つ家庭を倍増していこう」(大白法711号)とございます。

私は、実践テーマの1つ、「僧俗一致の折伏実践で、地涌倍増」の成果を見ることができましたが、まだまだ十分ではありません。講中のすべての方々が寺院参詣して、なお一層の信心倍増に励むように、そして、家庭訪問をして折伏を行う手助けをしなければなりません。そうでなければ、驕慢(きょうまん)謗法を免(まぬが)れることはできません。


大事は鍛錬と精進

信心修行は、指導教師の御指導がなくては、我見に陥(おちい)ってしまい、本来の日蓮正宗の法華講員としての信心ではなくなってしまいます。信仰の基本は、僧俗一致して広布大願をめざす、各々の信心の前進が大事であると思います。いかに教学を駆使して折伏しても、我々には創価学会員の時の残骸がありますので、邪義にならぬよう、とにかく寺院に参詣し、法話を聴聞し、広布推進会に参加して「日蓮が弟子檀那」として、日々成長しなければならないと思います。

来年の2月3日に大阪市で行われる立正安国論正義顕揚750年記念地涌倍増大結集推進西日本決起大会、そして2年後の総本山にての立正安国論正義顕揚750年記念大総会と記念総登山に向かって、1人も漏れることなく率先して参加し、壮年部をはじめ、みんなで異体同心の精神をもって、御報恩の誠を捧げる決意で行動を起こそうではありませんか。さすれば諸天善神は歓喜勇躍して、我々を守護してくださり、大聖人様からもお褒(ほ)め戴けると信じるものであります。

最後に、真剣な信心の真剣とは刀のことです。私は刀剣の研(と)ぎ師を職業としています。真剣の原型は、刀の鍛冶師の鍛錬(たんれん)によって出来上がります。その出来上がった刀を研ぎ師によって仕上げ、飾り師・鞘師によって、見事な刀が完成いたします。研ぎ師の命は、技術と砥石(といし)です。最高の砥石をカミソリのように細かくして、それで刀を研ぎ、文様を表します。油断して他のことを考えたりしていると、自分で研ぎだした刀で、自分の手指を切ってしまいます。また、完成した刀を放置していたら、錆(さ)びついてしまいます。常に手入れが肝心です。信心に例えれば、川の流れのように、いつも変わらぬ鍛錬と精進ではなかろうかと思います。油断すれば、信心の厚薄(こうはく)は、たちどころに自分自身に返ってきます。以上、折伏実行の体験と決意といたします。




『謗法に苦しみ続けた伯父を折伏』 法益寺支部 Y・J


本日は、我が家の懸案であった、自称正信会に入っていた伯父を折伏できましたので、発表をさせていただきます。

伯父は私の母の折伏により、昭和38年米沢市の法徳寺(現在は自称正信会により不法占拠中)で御授戒を受け、日蓮正宗に入信し、創価学会員として活動をしてきましたが、平成3年に学会の謗法に気付いて脱会し、法益寺支部に入講しました。しかし平成9年、法益寺元住職の異流義問題のときに、自称正信会である法徳寺に入ってしまったのです。

私たちはそんな伯父の行動を事ある毎に諌(いさ)め、折伏のつもりで話をしてきました。しかし、全く聞く耳を持ちませんでした。その後、謗法の故でしょう、伯父の家庭環境は悪化し、いさかいの絶えない状況となり、身内として悲しく思っておりました。


伯父を救うために

そのような中、伯父の病気入院中に、伯母が他界してしまいました。私たちは伯父が正しい信心に戻るよい機会ととらえ、葬儀を法益寺の御住職・数井信悟御尊師(※発表当時)に執り行っていただくように伯父を説得しましたが、自称正信会の法徳寺で葬儀をしてしまいました。

残念でしたが、御住職より「回忌法要の時、よい機会をとらえ、折伏していきましょう。機会を見て挨拶かたがた一緒に清徳さんに会いに行きましょう。諦(あきら)めたら何事もそこで終わってしまう。諦めずに御題目を唱え、前向きにいきましょう」と御指導いただき、また、「伯父さんが帰ってくるのをお寺はいつまでも待っているからと伝えてください」と言われましたので、折伏を続けていきましたが、伯父はなかなか首を縦に振らず、時が過ぎてしまいました。

そうこうしているうちに、伯父の家ではまたいざこざが起こり、昨年伯父は、身内によって精神障害者に仕立て上げられ、精神科病院に入れられてしまいました。間もなく退院しましたが、しばらく経っても家庭でのいざこざは続き、今年の1月下旬に、再度、病院に入れられてしまいました。ふだんは特に精神異常などはない伯父ですので、病院から助けの電話をしてきました。しかし、退院するのは手続き上難しく、なかなか退院できる見通しは立ちませんでした。

私にはあと2人叔父がいます。その1人は東京の寺院で講頭をしており、たびたび米沢に来ては伯父を折伏していました。しかし、兄弟ということもあり、なかなか素直に言うことを聞きませんでした。このたびの件でも東京から駆けつけ、信仰の上から様々な手助けをしてくれました。

伯父の引き取り手として従兄弟が名乗りを挙げ、伯父は退院後、従兄弟の家に引き取られました。しかし、伯父の今までの謗法の罪障だと思いますが、その家ともうまくいかず、結局我が家で預かることになりました。


家族の一念通じた

このたびのことは、伯父にとってはたいへんに辛い思いをしたと思います。しかし、これも正しい信心に戻るために御本尊様から戴いた試練であり、自身の罪障であり、また御仏智だと思います。

東京の叔父と私たちの一念が通じ、伯父は自称正信会に入ってから約10年目に当たる本年4月1日に、法益寺で勧誡式を無事、受けることができました。

大聖人様が「只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪や有るべき、来たらぬ福(さいわい)や有るべき」(御書 406ページ)と御指南されている通りだと拝します。

このたびの伯父の勧誡式に際して、正しく信心をし、唱題を根本に諦めずにがんばっていくことが大切であると、改めて教えられました。また、たとえ自分自身が気付かずにいたとしても、誤った信心をすることにより、悪い結果が出てくることを教えられました。

伯父は今、我が家で暮らしておりますが、御報恩御講や唱題行をはじめ寺院参詣はもちろんのこと、お寺の清掃など、ご奉公もさせていただいております。さらに折伏もしたいとがんばっています。私も、朝の勤行のときに毎日1時間の唱題をしています。

集落や町内会を見ても、また私自身の親戚を見ても、ほとんどの人が正しい信仰をしていないのが現状です。田舎は、現代においても人と人とのつながりが深く、個々にやっている信仰の内容は判らなくても、それぞれが所属している寺は判り、墓を持っています。また因習の深さもあります。様々な障害はありますが、「一切を開く鍵(かぎ)は唱題行にある」との前御法主日顕上人猊下の御指南を心肝に染め、今後も講頭として、また1信徒として、御住職と異体同心となって、まずは『立正安国論』正義顕揚750年の御命題達成に向けて、がんばってまいります。



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