<5〜8面>
同寺の創立は、明治3年に横浜に移住した東京・常泉寺信徒及び会津若松・実成寺信徒が、熱心な折伏弘教を行い、入信する者が増加の一途をたどったことに端を発している。その後、明治15年に富士派(大石寺)本門講と蓮華会(後の国柱会)との間で行われた「横浜問答」において、勝利した本門講の人々を中心に教会所設立の気運が高まり、明治40年、総本山第56世日応上人の開基により、横浜市日之出町に横浜教会所が創立された。
大正12年9月の関東大震災により焼失したが、翌13年3月には、南太田町(現在地の南区三春台)に移転復興し、鶴祥山霊松院と改称した。昭和20年5月、戦災により再び焼失したが、昭和23年12月、第3代住職・市川真道御尊師の時、「霊松山久遠寺」と寺号公称を許され、翌24年11月、総本山第64世日昇上人御親修のもと落成法要が奉修された。
第4代住職として赴任された木村真昭御尊師は、昭和51年4月に鉄筋コンクリート3階建ての本堂・庫裡を新築し、総本山第66世日達上人御親修のもと落慶入仏法要が奉修された。さらに、昭和60年には上永谷墓苑を開苑、平成9年9月には、創立90周年を記念して本堂の内装を洋式から純日本式に改修、また近隣地を購入するなど寺運の興隆に鋭意努力を重ねてこられた。
このように寺檀和合して横浜広布に邁進する中、創立百周年を記念して、寺院内外の改修工事、信徒会館「霊松館」の新築、久遠寺上永谷墓苑管理事務所の新築等の事業を行い、このたびの慶事を迎えたものである。
この法要には、随行の総監・八木日照御尊能化、大石寺理事補・小林道剛御尊師、さらには重役・藤本日潤御尊能化、高野日海御尊能化、富士学林長・大村日統御尊能化、光久日康御尊能化、菅野日龍御尊能化、宗務院各部長、大石寺主任理事・佐藤慈暢御尊師、神奈川布教区支院長・土居崎慈成御尊師をはじめ、布教区内外から多数の御僧侶方が出席された。また、法華講連合会からは法華講総講頭・柳沢委員長、大講頭・石毛副委員長、村松登神奈川副地方部長をはじめ布教区内各支部講頭、並びに久遠寺信徒など多数が参列した。
法要の部は、午後1時前に開始され、御法主上人猊下大導師のもと、八木総監による献膳の儀・読経・焼香・唱題と如法に奉修され、この後、御法主上人猊下より甚深の御言葉を賜った。
引き続き式の部に移り、はじめに関野洋夫総代より経過報告、続いて八木総監(宗務院代表)、土居崎支院長(布教区代表)、柳沢委員長(信徒代表)より祝辞が述べられ、次いで木村住職より、御法主上人猊下及び参列の各位に対して、丁重な謝辞と今後の決意が述べられた。
午後3時前、再び御出仕あそばされた御法主上人猊下より、『立正安国論』(御書239ページ3行目〜18行目)の御文について、約1時間にわたり甚深の御説法を賜った。
最後に、本堂において代表者による記念撮影が行われ、その後、御法主上人猊下は新築された「霊松館」にお立ち寄りあそばされ、午後5時、僧俗一同がお見送り申し上げる中、久遠寺をお発ちになられた。
妙観院は、平成4年9月26日、総本山第67世日顕上人猊下の大導師のもと落慶入仏式が奉修され、初代主管として菅野道渉御尊師が赴任された。その後、平成5年4月18日、信徒総数22世帯をもって妙観院支部を結成し、以来、果敢なる折伏を実践した結果、平成12年6月10日には、九州在住の信徒の活躍によって、太宰府市に「妙観院九州出張所」が建立され、さらに勢いは止まることなく、平成13年には支部の世帯数も500世帯を超え、現在では600世帯を上回る陣容にまでなっている。
妙観院は既存の建物を寺院としていたことから、建物の老朽化と耐震性に問題があったため、菅野主管は耐震補強工事と大改修を発願され、本年5月に御法主上人猊下の御承認を賜り、さらに7月5日には、御法主上人猊下の御慈悲によって板御本尊の御下付のお許しを頂戴して、このたびの慶事を迎えたものである。
この法要には、随行の総監・八木日照御尊能化、大石寺理事補・小林道剛御尊師、さらには重役・藤本日潤御尊能化、高野日海御尊能化、富士学林長・大村日統御尊能化、光久日康御尊能化、菅野日龍御尊能化、宗務院各部長、東京第二布教区支院長・野村淳信御尊師、同副支院長・小薮賢道御尊師をはじめ、布教区内外から多数の御僧侶方が出席された。また、法華講連合会からは法華講総講頭の柳沢委員長、金子東京第二地方部長、峯崎和彦東京第二副地方部長をはじめ布教区内各支部講頭、並びに妙観院信徒など約360名が参列した。
法要の部は午前10時半に開始され、御法主上人猊下大導師のもと、菅野主管による御本尊御開扉、八木総監による献膳の儀・読経・焼香・唱題と如法に奉修された。この後、御法主上人猊下より甚深の御言葉を賜った。
引き続き式の部に移りへはじめに建立委員長・田中秀一氏の経過報告を川崎和夫氏が代読、続いて八木総監(宗務院代表)、野村支院長(布教区代表)、柳沢委員長(信徒代表)より祝辞が述べられ、次いで菅野主管より、御法主上人猊下及び参列の各位に対して、丁重な謝辞と今後の決意が述べられた。この後、本望玄関前にて御法主上人猊下による「姫沙羅」の御手植えがなされた。
小憩の後、午後2時より再び御法主上人猊下が本堂に御出仕あそばされ、御会式が奉修された。
はじめに八木総監による献膳の儀が修された後、方便品・寿量品の読経と進められ、「而説偈言」で磬が入り、申状捧読の儀へと進められた。はじめに菅野主管による「日有上人申状」の捧読、続いて、御法主上人猊下が『立正安国論』を捧読あそばされ、次いで日蓮大聖人、日興上人、日日上人、日道上人、日行上人の「申状」が各御僧侶方によりそれぞれ捧読された。そして自我偈の読経・唱題と進められ、終了した。
引き続き午後2時20分より、再び本堂に御出仕あそばされた御法主上人猊下より、『立正安国論』(御書238ページ10行目〜239ページ1行目)の御文について、約1時間にわたり甚深の御説法を賜った。
最後に、本望において記念撮影が行われ、午後4時過ぎ、御法主上人猊下には僧俗一同がお見送り申し上げる中、妙観院をお発ちになられ、法要の一切がとどこおりなく終了した。
僭越ではありますが、役目柄、東京第二布教区を代表いたしまして、一言お祝いを申し述べさせていただきます。
本日は、総本山第68世御法主日如上人猊下の御親修を仰ぎ奉り、妙観院創立15周年記念板御本尊入仏式が厳粛かつ盛大に奉修され、教区一同、心よりお祝い申し上げるものであります。またこの後、御会式・御親教が奉修されることになっており、重ねてお祝い申し上げます。まことにおめでとうございます。
御法主日如上人猊下におかせられましては、20日・21日の両日にわたり総本山御大会を奉修あそばされるなど、極めて御法務御繁多、お疲れの中にも関わりませず、当地まで親しく御下向を賜りまして、衷心より厚く御礼申し上げます。まことにありがとうございました。
そして、この慶事を心待ちにされた御主管・菅野道渉御尊師、並びに妙観院支部法華講の皆様をはじめ、東京第二布教区の各支部のご信徒の皆様にも、御法主上人猊下の御尊体と御鶴声を間近に拝し奉ると共に、法要の大導師を賜りましたことは、この上ない慶びであります。
当妙観院は、ただ今の経過報告にありましたように、大宣寺御住職・常観院日龍御尊能化発願により、平成4年9月26日に、総本山第67世日顕上人御下向のもと、入仏落慶法要が奉修されました。既存の建物を寺院とされた関係もありまして以来15年が過ぎ、建物の老朽化と地震の耐震性にも問題があり、ここに本堂・庫裡の増改築並びに耐震補強工事をされ、すぼらしい本望・庫裡の改築となった次第であります。
それに伴い、御法主上人猊下の御慈悲により、板御本尊様の下付を許され、僧俗共にこの上ない感激と存じます。重ね重ねお祝いを申し上げる次第であります。これも偏に、僧俗一致の赤誠の信心の賜であると敬意を表する次第であります。
菅野主管には、妙観院九州出張所を平成12年6月に開所され、また富士学林大学科の助教授として竜象の育成に努められ、九州への出張と自坊の法務と大学科の授業、教学部でのご奉公等々とまことに激務にも関わらず、折伏の成果を著しくあげられ、「行動の年」に相応しい姿を示されたことは、東京第二布教区の模範とするところであります。また、たいへん信心に厳しい御主管でありますが、ご信徒もよく化導に随われて僧俗一致の信心の誠を示され、大いに発展されてきました。
さて皆様もご承知のように今、宗門は平成21年・『立正安国諭』正義顕揚750年の佳節を2年後に控え「地涌倍増」と「大結集」に向かって、不自惜身命の信心でご奉公しているところであります。
御法主上人猊下は御命題達成について、「今、宗門僧俗は日顕上人よりいただいた平成21年の御命題達成へ向けて、異体同心・一致団結して前進をしておりますが、我らの行く手には、邪教の妨害をはじめとする様々な困難や中傷が立ちはだかることは必定であります。また、油断をすればおのれ自身にも魔が競い起きてくることもあるでしょう。
しかし、我々一人ひとりがいかなる困難や障害や降魔をものともせず、断固たる決意と異体同心の団結、勇気ある行動をもって立ち向かっていけば、必ず目標は達成できるのであります」(大白法721号)と、御指南あそばされております。また、『四条金吾殿御返事』の、「法華経の御信心強盛なれば大難もかねて消え候か」(御書1292ページ)の御文を引かれて、「強盛な信心に立つときは大難も消え、大御本尊様の功徳は無 量に我が身に生ずることができる」(趣意)と仰せであります。この御指南を御命題達成の鍵と確信して、一層精進してまいりたいと存じます。
最後に御主管のますますのご健勝と、妙観院法華講の発展、さらには皆様のご健勝を祈念いたしまして、祝辞とさせていただきます。本日はまことにおめでとうございました。
それぞれの起工式には、大石寺執事・関快道御尊師をはじめ内事部の役職員、各坊の住職、法華講大講頭の渡辺定元氏はじめ井出光彦氏・土橋昌訓氏の総本山各総代、各坊の総代・役員、工事関係者など約30名が出席した。
12月6日の午前10時から百貫坊、同10時40分から遠寿坊、7日の午前10時から妙遠坊、同10時40分から東之坊、同11時20分から本種坊の順で、それぞれ本堂建設予定地に設置された式場において執り行われた。
式は、御本尊奉掲・読経・焼香・唱題と進められ、鍬(くわ)入れの後、各坊の住職より出席者各位に丁重な謝辞が述べられ、最後に総本山総代の発声による乾杯で終了した。
これから1年の工期で竣工する予定である。また、12月20日には妙泉坊・妙住坊の起工式が予定されており、これで建替えに該当する全18力坊の起工式が終了し、来年中に一切の建替え工事が完了する
故三宅氏は、昭和16年5月に生まれ、同25年9月に中野教会(現在の昭倫寺)にて入信。結婚を機に福岡市・立正寺支部の所属となるが、東京移転に伴い昭倫寺支部へ移籍。以来、支部において婦人部長、幹事、庶務部長、副講頭を歴任された。
その間、法華講連合会の草創期より労を惜しまずご奉公、昭和61年4月より東京第二地方部婦人部長、平成6年4月よりは連合会婦人部長として活躍された。また、宗旨建立750年慶祝記念局委員、同法華講30万総登山推進委員会実行委員、立正安国論正義顕揚750年記念局委員、同地涌倍増大結集推進委員会実行委員などの要職を務められた。
通夜は、11月29日午後6時から、葬儀は30日午前11時から、昭倫寺にて昭倫寺住職・野村淳信御尊師の導師で厳粛に行われた。これには、東京第二布教区副支院長の小薮賢道御尊師をはじめとする御尊師方が御出席。また、柳沢委員長、石毛副委員長、連合会各部長、各地の地方部長はじめ役員、有縁の信徒ら多数が参列した。故人のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
御法主日如上人猊下大導師 横浜市南区
午前11時半、僧俗一同がお出迎え申し上げる中、御法主上人猊下が久遠寺に御到着あそばされ、続いて、御僧侶、信徒代表、寺族・親族の順に親しく御目通りを許された。
御法主日如上人猊下大導師 東京都府中市
午前9時45分、僧俗一同がお出迎え申し上げる中、御法主上人猊下が妙観院に御到着あそばされ、直ちに本堂玄関前にて記念碑の除幕をなされた。続いて御僧侶、信徒代表、寺族、家族・親族、施工業者の順に親しく御目通りを許された。
○布教区代表祝辞 野村淳信御尊師
本日の慶事を機に、東京第二布教区一同、折伏弘通に一層精進して、もって御法主上人猊下の御慈悲にお応えする覚悟であります。
立正安国論正義顕揚750年記念局・総本山総合整備事業
享年66歳 信篤院唱行院妙順大姉