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J.S.バッハ 「マタイ受難曲」

日時
2000年3月12日(日)午後3:00開演
場所
ザ・シンフォニーホール
演奏
ライピツィヒ聖トーマス教会合唱団
ライピツィヒゲヴァントハウス管弦楽団
独唱
キルステン・ドローペ(S)、スザンネ・クロムビーゲル(A)、ペーター・シュライヤー(T/福音史家)、マルティン・ペッツォルト(T/アリア)、マッティーアス・ヴァイヒェルト(Bs/イエス)、ゴットホルト・シュヴァルツ(Bs/アリア)
指揮
ゲオルグ・クリストフ・ビラー
曲目
J.S.バッハ…マタイ受難曲
座席
1階M列9番(A席)

はじめに

 さて今日は《Matthaus Passion》です。人類の至宝と称されるこの曲ですが、名前だけは知っていても聞いたことがないと言う方がけっこう多いと思います。恥ずかしながら私もそうです。
 しかし今回の聖トーマス教会合唱団とゲヴァントハウス管弦楽団、そしてペーター・シュライヤーによるマタイ受難曲の演奏会があると聞いたとき、まったくこの曲を聞いたことがないのにもかかわらずチケットを購入していました。
 我ながらミーハーだなと自嘲しましたが、取り敢えず「一度も聞いたことがないのは具合が悪い」と思い、リヒターのCDを買ってきて聞いてみたのです。
 ……まずい、まずいです。その日から冒頭の合唱「おいで娘たち、共に嘆こう」が頭から離れなくなってしまいました。
 誰だこの曲を人類の至宝だとぬかしやがったのは? 猛毒だぜ、猛毒。“至宝”なんてきれいなものじゃないぜ、まったく。なぜここまでイエスの死を劇的に演出する? 引きずり込まれるような魅力は天国的どころか悪魔的だ。
 今度メンゲルベルクのCD買おっと(笑)。
 まあ、それはともかく今日はドキドキワクワクしながらシンフォニーホールへと向かいました。

まあ、かわいい

 今日のコーラスを務めるライプツィヒ聖トーマス教会合唱団は教会で普段は歌っているため、メンバーに女の人がおらず女声パートは少年が歌っているのです。そのためこの日も壇上には小学校に上がったばかりのような男の子が、「よいしょ」と踏み台の上に上がっていたのがとても微笑ましく、会場から「まあ、かわいい」と声が揚がっていました。
 左右2群に分かれたコーラスは総勢70名ほどで大きなものとは思えませんでしたが、さりとて小さいとも思えず非常にまとまりよく感じました。

 ゲバントハウスの方は去年の京都以来です。この前のフルオーケストラによる大所帯ではなく40人ほどでしたが、通奏低音を中心に据えてこれも左右2群に分かれて並んだ姿はかなりの存在感がありました。

 今日の指揮者は聖トーマス教会合唱団の音楽監督(カントル)であるゲオルグ・クリストフ・ビラーです。
 この人は36代目のカントルで、バッハも20代目のカントルとして名を残しています。彼の受難曲や200曲を越えるカンタータはカントル就任時に作曲され、この合唱団によって初演されています。

初期稿?

 同じバッハのヨハネ受難曲が演奏の度に大きく手を入れられ、時には市政といざこざを起こしたのとは違い、マタイは最初に完成してからはあまり手を入れられていません。しかしまったくということでもなく若干の修正が入っているそうですが、その最初の楽譜は残っていません。
 それが最近の研究でバッハの娘婿が書いた写譜に初期稿の姿が残っていることが解り、それから総譜とパート譜が出版されたそうです。
 で、どこが違うかと大ざっぱに言うと、
1.従来は2群に分かれている合唱、オケ、通奏低音、オルガンが初期稿では合唱とオケのみ。
2.第1曲「おいで娘たち、共に嘆こう」のオーケストレーションが違う。
3.第23曲のコラール(賛美歌)「私はここであなたの側にいよう」がない。
4.第1部最後(第35曲)の大コラール「おお人よ、お前の罪が大きいことを泣きなさい」がなく別のコラール「私はイエスを離さない」でしめやかに終わる。
 こんな感じですが、聞いたところその違いはほとんど解りませんでした。

マタイ受難曲

(第1部)
 まず初めの大合唱「おいで娘たち、共に嘆こう」のコーラスがバラバラでかなり不安になる。ひょっとして名前にだまされた? と言う考えが頭をかすめた。
 しかしレチタティーヴォ(聖書詠唱)の福音史家役のシュライヤーが歌い出すとその声の美しさと歌唱の見事さにほれぼれする。そしてイエス役のヴァイヒェルトが続くともう不安は消えていた。なんとかなる。
 ヴァイヒェルトが歌うイエスがかっこよくて、知的でややシャイな影が含まれるヒロイックなイエス像は引き込まれてしまうものだった。
 最後の晩餐を中心に据えた第1部ではユダとペトロのソロがあるが、これは合唱団の人がそれぞれ担当した。

 最初はこけた合唱も第3曲「心から愛するイエスよ」では非常にまとまりのあるコーラスを聞かせてくれて、これ以後まったく問題はなくなった。逆に言えば導入合唱が難しすぎたのかもしれない。
 第9曲目のレチタティーヴォ「愛する救い主よ」でアルトが登場したが、暖かさがこもった透明な美声は非常に満足のいくものだった。
 第12曲アリア「血を流せ、この心よ」でのソプラノにはやや硬さがあったが、第18曲レチタティーヴォ「我が心は涙の中に漂う」では伸びやかでありながら繊細さがある美声が出てこの人本来の実力が出ていると思った。
 それにしてもアリアを担当するバスとテノールにほとんど出番がなく(特にテノール)ほとんど座っているだけというのがやや可哀想。最後の方は椅子に座るのも苦痛そうな感じだった。

 第33曲アリア「こうして私のイエスは捕らえられた」でのアルトとソプラノの2重唱は第1部の白眉で、女声二人の緻密で張り詰めた歌唱は非常に素晴らしいものだった。
 イエスが逮捕され連行された後を受けた1部最後の合唱「私はイエスを離さず」がしめやかに歌われると、たっぷりとした余韻を味わって拍手が湧き起こった。みんな拍手を忘れるほどマタイの世界に浸ってしまった。ここから20分の休憩に入った。

(第2部)
 さて導入合唱から第2部が始まったが、イエスの裁判から死刑判決、ペテロの裏切りからユダの自殺にかけてが今日もっとも盛り上がった部分で、特に誉めそやしておきながら「死ね」と言う民衆の残酷さとそれを黙って受けるイエスの姿が胸にしみ、涙がこみ上げてきた。
 またむち打ちぐらいで済むと思っていた裁判で死刑判決が出たと聞いたユダが密告で得た報酬を突き返そうとした時、「我々の知ったことではない、貴様の問題だ( Da siehe du zu! )」と言い放つ神殿側の言い分に打ちのめされ首をくくる場面は、一般に言われる欲に眩んで主人を売った裏切り者という姿以上の複雑で深刻なものを感じさせてくれた。
 第47曲アリア「憐れみ給え我が神よこの涙ゆえに」ではアルトと独奏ヴァイオリンが哀しみを切々と歌い、聞いていて切なさに胸を掻きむしられた。この瞬間私はシオンの娘と同化し、哀しみを共有していた。

 ゴルゴタの丘に送られて十字架に張り付けにされるイエス。群衆どころか一緒に処刑される強盗でさえも彼を罵る。
 この時の第58曲アリア「愛ゆえに私のイエスは死のうとしている」でのアルトはまさに絶唱であった。通奏低音も沈黙し、全曲の頂点だ。
「エリ、エリ、ラマ、アサブタニ( Eli,Eli,lama,asabthani? )」という私にとって謎の言葉を残してイエスは息を引き取るが、その後の第72曲コラール「いつの日か私が逝かねばならぬ時」からこの長大な曲にも終着が見えてきたのか合唱にホッとした空気が流れ、ややコーラスが荒くなってしまったのが残念だ。
 福音史家のシュライヤーが第2部の初めを流して、終盤のために力を温存したのとは対称的だった。

 復活を暗示しつつ「安らかに憩い給え」とコーラスが粛々と歌ったが、もう少し集中力を持って歌って欲しかったと言える。でもまあ、ライブの長丁場では難しいかな? 子供もいるし。
 それでもきちんと水準以上のコーラスを聴かす所はさすがだった。

歌い終わって

 最終合唱が終わると会場から大きな拍手が湧き起こりました。何度も呼び出されるカントルとソリストたち。それでもカントルは合唱団やオケをたてて、「彼らに拍手を送って下さい」と合唱団たちを立たせます。コーラスの中でもソロを担当した人が起立すると一際大きな拍手が起こりました。
 いつまでも尽きることのない拍手はステージ上のすべての出演者が退場するまで送られ続けました。
 合唱団の男の子が壇上から「えいっ」と飛び降ります。そして舞台袖に入る寸前に満面の笑みを浮かべて客席にVサインを送りました。会場がぽあんと暖かい空気に包まれました。

 シンフォニーホールを出るともう6時を過ぎていて、あたりは暗くなっていました。ホールの前にはバスが4台止まっていて、「ゲヴァントハウス様」と書かれていました。これからすぐに姫路へ向かうようです。
 3月5日(日)から13日(月)まで8日を除き連日の演奏会で、しかも場所が札幌、秋田、東京、横浜、大阪、姫路とかなりの強行軍です。小さい子には大変だと思います。
 何はともあれ3時間にも及ぶ長いコンサートはこうして幕を閉じました。

おわりに

 普通コンサートでこの曲を取り上げる場合、カットするものだと聞いていたのですが、まさかノーカットでやってくれるとは思っても見ませんでした。それだけにかなり疲れましたが、それ以上に出演者も大変だったでしょう。まさにスタミナ勝負だったのではなかったのかと思います。
 そのあたりの配分がオケとシュライヤーさんはやはり上手だったです。
 今度は大編成での《マタイ》が聞きたいと思った。

 総じて、心の底から満足できた演奏会でした。

 さて次回は、というより来週はコバケンとセンチュリーによるシベリウス、グリーグ、ブラームスです。どれも涎ジュルジュルもので今からとても楽しみです。

(おまけ)
 今回のコンサートを企画したジャパン・アーツの2000年度の招聘アーティストがプログラムの巻末に記載されていましたが、気になるものがいくつかありました。
 10月:ベルリン放送交響楽団、バイエルン放送交響楽団、フィンランド・オストロボスニア室内管弦楽団
 11月:ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団
 来年の1月:プラハ交響楽団
 5月:フィラデルフィア管弦楽団
 特にハンガリーフィルの指揮がコバケン、それに中村紘子(P)、前橋汀子(Vn)、松居直美(Org)、鮫島有美子(Sop)と来たらなんだかクラクラしてきません?
 詳しくはジャパン・アーツのサイトを見ることとしましょう。


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