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大阪フィルハーモニー交響楽団
第340回定期演奏会

日時
2000年7月13日(木)午後7:00開演
場所
フェスティバルホール
演奏
大阪フィルハーモニー交響楽団
独奏
深井碩章(Va)
指揮
井上道義
曲目
1.ウォルトン…ヴィオラ協奏曲
2.ショスタコーヴィッチ…交響曲第4番 ハ短調
座席
1階RサイドD列1番(A席)

定期会員になっちゃった

 この度、念願の定期会員に入会しました。これで第341回から第345回まで連続して行くことが出来ます。特に奇跡的にも中央の良い席が取れたことは非常にラッキーなことでした。
 さあ朝比奈御大のブルックナー8番がベストの状態で聞けるぞ。

 開演10分前にフェスに着くと、定期会員の入会を済ませ、座席へと向かいました。すでに粗方の楽団員はステージに上がって最終調整を行っている状態でした。照明が落ちるとコンマスが登場しました。今日はマリオの方じゃなくてルーシーの方です。
 オケの準備が整うとステージ脇のカーテンがめくられ、ソリストとコンダクターが登場しました。
 ミッキーは背が高くてスタイルが良いですねぇ。足なんかものすごく長い。のっしのっしと指揮台に向かいます。
 一方独奏の深井さんはあたりの柔らかい優しそうな面持ちで登場しました。

ウォルトン…ヴィオラ協奏曲

 ウォルトン(1902-1983)はイギリスの作曲家で、この曲は29年に書かれ作曲家でもあるヒンデミットの独奏で初演された。61年に改訂を受け、現在はこの版で演奏されている。
 ヴィオラという渋い楽器を使っているためか、派手さはないもの幽玄さを湛えた曲調で、イギリス音楽の持つ特有の湿っぽさがあって、その表情は日本的とも言えるものだった。風景画的に例えるのなら、月明かりが雲間から射し込み、草むらに覆われた田舎のあばら屋を照らし出している光景がイメージされる。
 なにしろこの曲を聞くのはこれが初めてなので、演奏についてどうこう言えないのだが、シュニトケの曲と並び称されるべき名曲だと感じた。技巧的には和音を弾きまくりながら旋律を歌い上げなくてはならないかなりの難曲だ。

 曲が終わると大きな拍手が起こり、しばらくして「ブラボー」の声も掛かった。
 指揮者とオケは完全にソリストをたて、「拍手のすべてはあなたが受けるべきです」といった感じだった。井上などステージ裾に引っ込むともう出てこなかった。
ヴュータン…カプリチオ
 万雷の拍手に応えて無伴奏によるこの曲がアンコールとして掛かった。バッハ風でもあり小粒ななりだがこりっとした曲。
 オケが引き上げるといつもより短い15分の休憩に入った。

ショスタコーヴィッチ…交響曲第4番

 ショスタコの書いた15の交響曲のうち、そのいくつかは続けて似たような曲(2番&3番、5番&6番、7番&8番、11番&12番)が作られたが、この曲はそのなかでも他にない独自のカラーを持っている。ほとんど形式らしい形式を持たず、次から次へと繰り出される新しい主題が現代人の抱える複雑で深刻な心情を描き出している。それでいながら演奏が終わった後はなにやら統一され纏(まと)まったものを聞いた感じを受けてしまう不思議な曲だ。
 また編成がヤケクソのように大きいのも特徴で、この日の演奏者を並べてみると、1stVn19人、2ndVn17人、Va14人、Vc13人、Cb10人、Pi2人、Fl4人、Ob4人、Cl(小クラ1、バスクラ1)6人、Fg5人、Hr9人、Tr4人、Tb4人、Tu2人、Hp2人、打楽器(ティンパニ、トライアングル、カスタネット、ウッドブロック2、小太鼓、合わせシンバル、吊りシンバル、大太鼓、ドラ、木琴)9人、チェレスタ1人、指揮者1人の計126人。オーケストラだけで言うとマーラーの8番よりもでっかい編成だ。
 おまけに技術的にも非常に難しく、あまり演奏会で取り上げられない大曲で難曲で名曲だ。

 5分前に席に着くと大フィルのほとんど全員がステージに上がっていて最終調整を行っていた。演奏に込めるこの意気込みと熱心さが大フィルのすばらしいところだ。
 そして井上が下手から現れると、ものすごい形相でずんずんステージ中央へと上がる。そして礼もそこそこに拍手が止むのも待たず、いきなり演奏が始まった。
 冒頭から凄まじい気合いに乗って轟音が響きわたる。目まぐるしい展開を見せる曲に息を吐(つ)く暇(いとま)もない。
 大フィルがすばらしいアンサンブルを聞かせる。何かにつれ下手だ下手だ、と言われる大フィルだがこの演奏を聞くと決してそうではないことを実感する。要は指揮者によって変わると言うことか。
 指揮者も破天荒な構造を持つこの曲を見事にまとめ上げる。これに弱音部でえぐり込むような深刻さが出れば真の絶品になったと思うが、それでもこの曲の持つ魅力を十二分に伝えていてすばらしい。
 重々しい響きながらどこかに無骨さを湛え、力強くて剛胆な鳴りっぷりがずんとはらわたに衝撃を与える。渾身の大音響がフェスティバルホールの広い空間を震えさせる。

 無尽蔵に湧き出るモティーフが世界を拡散していく第1楽章に対して、分水嶺のような第2楽章を挟んだ第3楽章は同様な手法を採りながら次第にひとつの境地(悲劇)へ向かって収束していく。クライマックスは第15交響曲と同じく、弦の音が長く引き延ばされる上に打楽器が無機質なリズムを刻み、虚無的な静寂さの中に曲が締めくくられた。そして沈黙。

長い間、ご苦労様でした

 拍手がじわっとしみ出すように起こると後はワッとはじけるようにフェスティバルホールを埋めていく。
 井上さんが舞台袖に引き上げると、そこでコップ一杯の水をグイッと飲み干し、顔と頭の汗を拭うのが見えた。そして再び登場。コンマスとなにやら言葉を交わす。何をしゃべっていたのかな。
 指揮者が今日はオーケストラを讃えてくれとジェスチャーします。そしてすばらしいプレイをした奏者を次々と立たせていきます。そのうち「2人立って」と指示が出ます。担当楽器がまるで違うその2人が立ち上がると一際大きな拍手が起こりました。井上さんが拍手を制すると「この2人は大フィルに30年、40年と務めていましたが、今日この演奏で最後です」と教えてくれました。「ブラボー!」 会場から最大級の賛辞が送られます。この二人の中にはティンパニストの八田さんも含まれていました。大フィルの顔とでも言えるオッチャンの勇姿がもう見られなくなるのかと思うと寂しくなりました。

 熱狂が冷めやらぬまま演奏会が終了すると、会場の照明が薄暗くなり観客も会場を後にしました。
 楽屋へと引き上げる大フィルの人達が八田さんに次々と握手を求めていました。彼がいかに他の団員に慕われていたかが伝わりました。御二人ともご苦労様でした。

おわりに

 ミッキーが京都市シンフォニーに就任したときは京都でものすごく話題になりましたが、結局聞けずに終わりました。また去年の年末に行われた大フィルの第9もチケットを取りながら行けませんでした。妙に縁のない指揮者だったのですが、今回やっとその溜飲が下がりました。
 新日フィルとのマーラーチクルスがあまり良い評判ではないようですが、今日のショスタコーヴィッチのように現代的な感覚に溢れた切れ込みの鋭い曲では彼の魅力がたっぷりと発揮できるのではないかと思います。どこかでショスタコーヴィッチチクルスやってくれないかな。

 総じて、重量級の満足が得られた演奏会でした。

 さて次回は、と言っても3日後ですが、フェスティバル名曲コンサート第3夜としてドヴォルザークのチェロコンとビゼーの「カルメン」です。
 名旋律が散りばめられた両曲を気楽に楽しんできます。


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