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関西フィルハーモニー管弦楽団
第143回定期演奏会

日時
2001年2月13日(火)午後7:00開演
場所
ザ・シンフォニーホール
演奏
関西フィルハーモニー管弦楽団
独唱
青戸 知(Br)
指揮
小林研一郎
曲目
1.マーラー…さすらう若人の歌
2.マーラー…交響曲第1番 ニ長調
座席
1階O列12番(S席)

はじめに

 去年から続けられてきた関フィルの「創立30周年記念シリーズ」ですが、ちょうど30年目を迎えるこの日の演奏会で一区切りがつき、また新たな10年を目指して行くそうです。
 今年から常任指揮者(飯守泰次郎)と正指揮者(藤岡幸夫)を刷新して生まれ変わりを図っている関フィルですが、この2人のカラーを上手く出したプログラムや他にも特色ある指揮者の起用など、今年の関フィルは目が離せません。
 大阪4プロオケのうち最も危ないと言われる関フィルですが、生き残りへの第1段階としてはいい滑り出しだと思います。

プレトーク

 会場に着くとすでに客席はいっぱいでした。前回聞きに来たソノケンの「皇帝」の時よりもまだ多いような感じです。
 今日は演奏に先立ってコバケンによるプレトークが7時より開かれました。
 まず最初にコバケンの孫弟子にあたる女性(名前失念)がピアノで「さすらう若人の歌」と「交響曲第1番」に共通するメロディ(第1楽章の第1主題と第3楽章の中間部主題)を弾いてから、マエストロがいつものようにひょこっとステージに登場しました。
 司会進行の関フィル企画部のひととコバケンがホールのロビーで捕まえたという神戸のどっかの大学の助教授(校名と名前失念)との3人でマーラーについていろいろ語るものでした。

 話の中で3つ興味引かれるものがありました。ひとつ目は大学の先生が言っていたで、コバケンのマーラー(1番)を初めて聞いたとき、偶然隣の席に故渡辺暁雄氏が座ったそうです。そのとき渡辺さんがもらすように「小林君のマーラーは天才的だね」とつぶやいたことです。
 こころの温かい渡辺さんらしいエピソードだと思います。

 ふたつ目は交響曲第1番はすべてのメロディが第1楽章の第1主題(もっと詳しく言うと4度の下降音型)によって構成されていることをピアノを弾きながら解説してくれたことです。
 この時驚いたのはコバケンさんの弾くピアノの音がとてもきれいな音だったことです。丸くて軽い音でしたがとても澄んだ音色で、言っちゃあ悪いが音だけを取れば孫弟子さんよりもずっと魅力的な音でした。
 プロとしてやっていくためには音色自身の魅力(もしくはそれに対する感覚)が不可欠なんだと実感しました。

 最後はコバケンさんの「マーラーの交響曲で一番好きなのは?」という問いに2人とも「9番。ほかに3番」とコバケンが振らない曲(3番は極たまに振っているそうですが)を上げたのが面白かったです。
 コバケンは「う〜ん、9番は解らない……、というかどう振ったらいいのか解らないのです」と答えていたが、もう少しで客席から「3番でも良いから他のナンバーも振ってくれ!」とツッコミを入れるところでした。
 コバケンももう60才なのだから、新しいレパートリーを増やす最後のチャンスだと思うのですが……。この人はマーラーの全交響曲を演奏して何らかの形に残すことが天から使わされた音楽家としての使命だと思うのですが、どうでしょうか?
 コバケンによる3、4、6、9、大地の歌を聞いてみたいです。

 ともあれ風邪を引いてほとんど声の出ていなかったコバケンさんでしたが、暖かい雰囲気で本番を迎えました。

さすらう若人の歌

 ソリストは指揮者と共に各地でこの曲を歌っている青戸だが、その歌唱は大変見事で、全4曲とも一切緩む所がなかった。
 張りがありながら決して軽くならない声に合わせ、詩の内容に沿って的確な歌い方をしていた。
 特に第2曲「けさ野辺をよぎったのは」ではひとが歌うにはやや難しいメロディラインをものともせずに、幸福感いっぱいの世界を描き出したのはとても素晴らしかった。(とはいっても曲の最後でストンと現実に落とすのだが)
 曲が終わると大きな喝采と「ブラボー」の声が掛かっていたが、それも当然の出来映えだった。

交響曲第1番

 休憩後、交響曲第1番がAのフラジオットから始められた。
 序奏のトランペットには“遠くから”の指定が付けられているが、コバケンは弱音器を装着することで舞台上にて処理していた。指揮者によっては舞台裏から吹かせることもあるが、コバケンはパンダとかをあまり遠くに置かない傾向がある。マーラーでの遠隔オーケストラはもちろんのこと、幻想交響曲の鐘も音色で処理をする。
 チェロの滑らかな歌い出しも上手く決まり、すいすいと音楽が進行していく。なにより感心したのはトランペットのトップの気合い入ったプレイだ。テクニックや音色も良かったが、ちょっとでも音を外すとメチャクチャ悔しそうな顔をしていたのが印象に残った。
 指揮者に少し苦言するならば、主題提示部最後のデクレッシェンドにもう少し柔らかいデリカシーが欲しかった。また、日本人同士の演奏だからか、音楽的な間がかなり散見するものだった。我々日本人は音楽に間を入れることに対しあまりに寛容だが、西洋音楽をやる場合、特別な効果がある以外は慎まなくてはならない。
 ちなみに主題提示部は繰り返しませんでした。

 第3楽章ではほとんどの指揮者が葬送行進曲のテンポで非常にゆっくりとやるが、コバケンは“冗長に流れないように”の指示を守り若干速めのテンポで行う。
 正直言ってこのテンポ設定には最初違和感があったが、聞き進むにつれてこの楽章をマーラーが、死んだ狩人を森の動物達がともらうシーンを描いた銅版画から着想したという事実がよく解る、哀しみと皮肉さがない交ぜとなった音楽にしていることを気付かされた。
 この楽章の冒頭にコントラバスソロがあるが、この時会場全員の視線がトップ(ちなみに女性)に注がれた。音程はバッチリだったが、リズムが前のめりでややずれていたのが残念だった。

 構成が弱い終楽章のはずが、楽章の真ん中にある偽クライマックスが盛大に鳴りながら、本当のクライマックスを予告するものだったなど、コバケンによって確かな推進力で進んでいく。この楽章ではコバケンも大いに唸りまくってなかなか大きな起伏が生まれた。
 またマーラー独特の異なる旋律線が絡み合う対位法も、それぞれを同等にぶつけ合いながら全体のまとまりを欠かさない所に、指揮者が完全にこの曲を手中に収めた安定感があった。
 それだけあってコーダではまさに爆発で、会場全体が音楽に引き込まれていくのが解った。
 ホルンがヒヤヒヤものだったが、コーダのコラールに限っては非常に堂々とした演奏をしていたことも良かった。
 最後は金管全員が立ち上がり(スコアではホルンのみ)アッチェレランドをかけて一気に曲が締めくくられた
 (この最後だけの急加速は未だに馴染めないなあ)

アモーレ

 終わった瞬間、次々と「ブラボー!」の声が掛かり大きな拍手が湧き起こりました。コバケンは指揮棒を指揮台上に放り投げて、オケのひとりひとりと握手する勢いでステージ上を駆けめぐりました。またステージ裾から花束を持ったお嬢さんが登場して、マエストロにそれを手渡します。
 そして彼はひとつひとつのパートを丁寧に立たせていきます。コントラバスのトップとトランペットのトップが立ったときは一層の拍手と歓声が起こりました。
 そのうちコンサートマスターの2人が楽譜のとある場所を弓でコチコチ叩き始めました。コバケンとコショコショと相談すると、拍手を制止して、コバケンの一言が始まりました。
「このような一期一会の出会いができて大変嬉しゅうございます。最後にオケの皆さんを25秒だけ煩わしたいと思います。(金管が)みんな立つ最後の25秒をもう一度お送りしたいと思います」「なにぶん突然ですので、みんなと今から打ち合わせしたいと思います。(オケの方を向き)56の1つ手前。(金管へ)立って、立って」
 で、アンコールとしてコーダの部分が再び演奏されました。荒さがあったものこっちの方が勢いと楽器が完全に鳴りきった響きの輝きがありました。
 コバケンがもらった花束から2輪花を抜くと、指揮台からポーンとトランペットとホルンのトップへその花を放り、今日の大健闘を讃えました。2人ともナイスキャッチでした。
 最後、“一堂零”じゃなかった“一同礼”で演奏会の幕が降ろされました。

おわりに

 コバケンはいつも通りと言っちゃぁそれまでですが、オケの必死さがひしひしと伝わってきて大変良かったです。(そりゃ上手くはないですが)

 総じて、オーケストラ大奮闘で大満足の演奏会でした。

 さて次回は、またもやコバケンのマーラー。しかも交響曲第1番です。
 オケが大フィルに変わりますが、どういったものになるのでしょうか? 非常に楽しみです。


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