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大阪フィルハーモニー交響楽団
第346回定期演奏会

日時
2001年3月22日(木)午後7:00開演
場所
フェスティバルホール
演奏
大阪フィルハーモニー交響楽団
独唱
秋葉京子(A)、ペーター・スヴェンソン(T)
指揮
秋山和慶
曲目
1.モーツァルト…交響曲第36番 ハ長調 K.425「リンツ」
2.マーラー…交響曲「大地の歌」
座席
Rサイド1階M列3番(A席)

春ですね

 月曜日ぐらいから急に暖かくなって、瞬く間に春めいて来ました。
 いま通っている現場の脇に一本の彼岸桜が植わっているのですが、これが一斉に蕾を開かせて、小ぶりながら優美な姿を見せてくれてます。
 この桜、去年もきれいに咲いて、私に春の到来を教えてくれましたが、今年もみごと咲いて、そばを通っただけでうきうきとした気分にさせてくれます。
 ソメイヨシノももうすぐですし、そろそろ花見を催す人たちも現れて、この辺りもにぎやかになるのでしょう。
 しかし雪のように降るこの薄紅色の花びらを見ていると、自分は来年もこの場所でこの桜を見ることができるのだろうか、と思いました。
 きっとこの桜は来年も再来年も春になれば優雅に花びらを開かせるでしょう。でも私にはこの地を去っていかなくてはならない時が必ずやってきます。そのとき私は何を考え、何を思うのでしょう。この桜は楽しい気分にさせたあと少しだけ哀しい気分にもさせてくれます。
 
 と、「大地の歌」の世界観をわざとらしく説明したところで、本題に入ります。

モーツァルト…交響曲第36番 ハ長調 K.425「リンツ」

 大フィルらしい泥臭い節回しのモーツァルトだった。この曲は「プラハ」ほどではないが、モーツァルトには歯切れの良いリズム感が必須ではないだろうか。
 また終楽章ではいくぶん熱があったが、演奏全体に覇気がなく、いかにも「前座です」という態度はいかがなものかと思う。
 秋山の持つ柔らかく丸い音が大フィルのカラーとの相乗効果によって、ある意味モーツァルトらしい―――とか書こうと思ったが、やめた。
 
 どうでもいい演奏だった。

マーラー…交響曲「大地の歌」

 マーラーの交響曲は声楽が加わっている曲が多い(2、3、4、8、大地の歌)が、男声のソロがある曲はこの曲を除くと8番の他に「さすらう若人の歌」ぐらいしかない。
 そのなかでもテノールはジークフリートテノールを想定しているように思える。日本にはそのジークフリートを歌えるテノールがほとんどいないため、今回のように大地の歌を取り上げるには海外から招聘しなくてはならない。しかし同じ大フィルでも朝比奈は純国産にこだわるばかり日本人テノールを起用するため、彼のCDはオケは高水準なのにソリストが足を引っ張ってしまっている。
 で、今日のソリストだが、テノールのスヴェンソンはオーストリア出身ということもあり、歌詞の理解は完璧で、詩の内容を表現するためにややくずしたスタイルを取ることも辞さなかった。しかし高音が連続する難所ではそれほどうまく歌っているとは思えず。くずして歌った所も「ごまかしているのかな」と勘ぐってしまう結果となった。
 一方、メゾ・ソプラノの秋葉もかなりの熱唱と言え、特に終楽章などは切々とした歌い方が大変良かった。ただ声自体にもう少し深みがあったならば、さらに良くなったにと思わなくもなかった。
 声楽陣に対しては予想以上の健闘に入ると思う。やはりこの曲は難しい。

 オケの方だが、モーツァルトでのやる気のなさから一転して、白熱した演奏を繰り広げた。第1と第2Vnがややモヤッとした印象があったが、管楽器がパリッとした音を出していて非常に引き締まった音となっていた。いつもは「みっともない」というイメージしかないホルンも、今日は見事に決まっていて危なっかしい箇所はなかった。また木管陣のソロもしみじみと聞かせるものが多く、大変素晴らしかった(フルートだけがやや巧拙の波が大きかった)。
 一方、指揮では秋山自体の音色が柔らかいため、切れ込みの鋭いものとはならなかったが、丁寧に積み上げられた響きは寂寥とした表現に優れていた。特に第2楽章の「秋に寂しき者」ではその効果が最大限に発揮されていた。しかし第4楽章「美について」の速い部分では明らかにオケが追いて来れないテンポを示し、非常にほつれたアンサンブルを聞かせてしまったことなど、悔やまれる所があった。(ただこれは追いて来れない大フィルが悪い)
 今日の白眉は第6楽章「告別」第1部の最後(長大な間奏部に入る少し前)からで、大フィルがギュッと密度の高い集中力をみせ、秋山の棒にぴたりと追いていった。その結果、響きが立体的になり、同時に寂しさもぐっと胸に迫るようになった。
 ただ欲を言えば、イヤでもこの世から去って行かなくてはならない人間のやり切れなさがしみじみと伝わってくれば文句なしだった。

春なのに……

 最後の音が鳴り止むと少ししてから拍手が起こりました。しかし私に言わせるとこの拍手は余りにも早過ぎます。この曲は終わった後の静寂が一番美しい所なのに、客席のデリカシーの無さにはあきれ返ってしまう。十分予想は出来ていたが、やっぱり悲しいものがあります。
 拍手も答礼に3回現れたところで、「はいはい、義理は果たしたよ」と一斉に止みかけたのにはびっくりしました。秋山さんがすぐソリスト2人を連れて登場してくれたので、残ったお客で大きな拍手を送った形となりました。
 演奏中(M〜O列のR6〜10番の辺りで)うなり続けていたひとと言い、今日の客層は感心できるものではありませんでした。これは私の席の周りが常連だらけだからでしょうか、それともマーラーに釣られて良くマナーを知らないひとが来ていたからでしょうか、いずれにせよ何か残念でした。

 総じて、あとひとつなにか足りない、と思った演奏会でした。

 さて次回は大フィルによるマタイ受難曲です。大編成で行うバッハが非常に楽しみです。
 指揮が若杉さんということなので、ドロドロとねちっこいマタイにはならないと思いますが、いったいどうなるでしょうか?


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