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名古屋フィルハーモニー交響楽団
第293回定期演奏会

日時
2003年6月19日(木)午後6:45開演
場所
名古屋市民会館大ホール
演奏
名古屋フィルハーモニー交響楽団
指揮
飯守泰次郎
曲目
ブルックナー…交響曲第9番 ニ短調 全4楽章(サマーレ、フィリップス、コールス、マッツーカによる演奏用復元版(1983-92))
座席
1階14列8番

はじめに

 台風が日本海を進む中、私も名古屋市民会館への道を進みました。今回の台風では幸いにも雨に祟られることはありませんでしたが、蒸し暑さが非常に辛い夕暮れになりました。
 ギリギリに会場に着くと客席はかなりの人で賑わっていました。定期会員の席には空席がポツポツとありましたが、一般の席では非常に熱気があり、今日の演奏会に寄せる期待の大きさが伝わってきました。
 ステージ上にはたくさんのマイクが並べられていて、今日のコンサートは録音される様子でした。(今までのパターンからいうとコジマ録音=ライブ・ステージだと思われます)
 飯守さんの演奏会は関フィルとのブル7以来で、奇しくもまたブルックナーとなりました。
 またブル9の4楽章付きはヘレヴェッヘさんとフランダースフィルのものに続き2回目となります。
 それにしても、どうして舞台上手にピアノが置いてあるのだろう? と思っていますと、突然の拍手が湧き起こりました。

プレトーク

「皆様こんばんは。この蒸し暑い中、ようこそおいで下さいました」
 と、挨拶と共に飯守さんによるプレトークが始まりました。こんなものがあるとは知らなかったため、少し慌ててしまいました。
 内容はこの9番が3楽章で終わることをブルックナーは決して考えていなかった。(いびつな形になってでも『フィナーレの代わりにテ・デウムで終わってくれ』と彼は言葉を残しています) 飯守さんもこの美しいアダージョの後に何が必要だろうと思っていたが、ほぼ完成されていたフィナーレをそのまま捨ててしまうのは余りにも勿体ない、と思うようになり、今回終楽章付きを取り上げることにした。というものでした。
 以上のことに加え、終楽章の主題などをピアノを使って解説してくれたのでした。(この時、ピアノを弾きながらウンウン唸っていたのがマイクで増幅され、ちょっと気味悪かったり……)
「もしお気に召さなかったら、3楽章の後、そ〜っと出ていってもらっても結構です」
 などと和やかにプレトークが終わると飯守さんは一旦退場し、オケのメンバーが入場して音合わせに入りました。

ブルックナー…交響曲第9番

 弦のトレモロから管楽器が信号のような音型を吹きますが、ここの精度が余りにも悪すぎて、耳を塞ぎたくなりました。上手いオケではないことは充分承知していましたが、この第1楽章は余りにも酷すぎだと思いました。練習時間が取れなかったのか? と首を捻るようなアンサンブルでオケの方からも覇気を感じることは出来ませんでした。
 ただ第2楽章になると、畳み掛けるような迫力が出て来てオケが鳴るようになり、ようやく元気が出てきたように見受けられましたが、第3楽章では相変わらずの荒い音楽で、誉める様な点はひとつもありませんでした。木管にはデリカシーがなく、ぶっきらぼうなプレイでしたし、金管のバランスが悪く各パートがバラバラに鳴っているありさまでした。(トランペットは聞き取りにくく、ワグナーチューバはやかましいものでした)
 また客も集中力に欠けた人が多く、曲が進むにつれ少しずつ騒がしくなりました。(アダージョ最後のホルンの所でパンフレットを思いっきりガサガサかき回す神経には驚きました)
 第3楽章が終わると静かに席を立つ人が数人いましたが、彼らは「この美しさの後には何もいらない」と考えたのでしょうか? 「もうこれ以上は聴くに耐えない」と考えたのでしょうか? きっと前者だと思いますが、こんな演奏では席を立つ価値もないと思います。私は後者を実践したかったのですが、「今日は“終楽章”を聴くためにわざわざ来たのだ」と思って、それは踏みとどまりました。
 と、いうわけで終楽章については下の別項で。

そして第4楽章

 これでフィナーレもナニでしたら悪夢でしたが、この楽章だけは鑑賞に堪えうる密度を持っていましたので、ホッと胸をなで下ろしました。(良くは決してなかったけど)
 一昨年聴いたヘレヴェッヘさんのものと楽譜のヴァージョンは一緒のはずでしたが、今日聴いた印象では対位法の絡み合いが更に複雑になっていて、最後の方では何が何やら判らないほどでした。(ただこれはヘレヴェッヘさんがそういう込み入ったものをスッキリと聴かす才に長けていたからなのかもしれません)
 しかし聞こえて欲しいモティーフがきちんと聞こえてくるのは今日の演奏の方でした。コーダで第1楽章の第1主題が鳴っているのを初めて確認できました。またフーガの所では金管が第1主題を延々と吹いている中を弦楽器が他の主題を用いたフーガを展開しているように聞こえるなど、この曲が持つ斬新さをまざまざと感じさせてくれました。(ヘタだからたまたまそう聞こえたとはこの際考えないこととします)
 飯守さんについて言えば、前回のブル7でも感じましたが、ブルックナーをバロックとは捉えず、あくまでワーグナーの延長線上にある作曲家と見なしたアプローチで、所々にロマンティックな表現がありました。(その最たるは、金管のロングトーンで急に音を絞ってゆっくりとクレッシェンドさせる所)
 大不協和音の後、テ・デウムの音型が立ち上って来るコーダはやはりグッと来るものがあり、名フィルが死力を尽くして振り絞ったフォルテッシモは大きく盛り上がるものでした。

花束

 曲が終わると同時に拍手と歓声が起こりました。今日の客にはもう何も期待していなかったので、どうでも良いことでした。
 何度も何度も拍手に飯守さんが呼び戻されます。飯守さんもパートごとに立たせてその労をねぎらいます。
 そのうち花束の贈呈が行われ、飯守さんがそれを受け取りましたが、オケを解散させる前に今月で退団するヴィオラの人にそれを渡して、今日の演奏会の幕が降ろされました。

おわりに

 この交響曲は4楽章までやると1時間半に及びます。マーラーでしたらちゃんと休める所がありますが、ブルックナーはこの長時間を全力疾走することを求めており、オケの方には相当な体力が必要とされます。加えて終楽章の複雑さはこれだけで練習時間の全てを取られても不思議ではないもので、今日の演奏の様に前3楽章がボロボロになってしまうのはある程度仕方ないことかもしれません。(んな訳ねーだろ)
 いろいろ意見はあると思いますが、この終楽章も紛れなくブルックナーのものであり、4楽章付きの形式も定着して欲しいと思います。(ブルックナーの曲自身が一般に受け入れられるのに100年近く掛かっていますから、まだまだ先のこととなるとは思いますが……)

 総じて、最後だけは良かったよ。

 さて次回は金聖響と大阪センチュリーによる「新世紀浪漫派!」の第2弾、メンデルスゾーンです。
 メンコンにイタリアにスコットランドというメンデルスゾーン濃縮120%の演奏会です。
 金さんがこれらの曲でどのように暴れてくれるか、非常に楽しみにしています。


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