1874年 日本が台湾に出兵日本の明治政府は、前年の1873年に西郷隆盛らの主張する征韓論を退けて、大久保利通らが代表するにいたった。北方のロシアとは1874年1月から交渉に入り領土を確定させる予定ですすんでいる。したがって、日本が海外に出兵するとすれば台湾しかなかった。 台湾では、3年前の1871年12月(注:11月としている文献もある)に、琉球の船が漂着した際、乗員66人(注:69人としている文献もある)のうち54人が現地住民に殺害され12人がかろうじて難をのがれ清国官憲に救われるという事件が起こっており、その問責をするという理由が立つ。 また、中国の清朝は「台湾蛮地は化外の地」つまり政教 の及ばない地と言っているから、「無主の地」とみなすことができる。清国が責任を持たないのであれば、日本が出兵して報復するのが日本政府の義務である、という理屈をつけた。 当初の案は、外務大臣の顧問であったアメリカ人ル・ジャンドル(李仙得)の助言をうけて大久保利通・岩倉具視が方針を策定し、1874年2月に閣議へ提出し、派兵を決定した。なお、このとき木戸孝允(桂小五郎が改名)が、先に征韓論を退けたばかりであるとして反対し、政府を辞している。 出兵を実施すれば、明治政府にとって初めての外征となる。 まもなく佐賀の乱(注:下野した江藤新平をかついだ不平士族の反乱)が起こったため、この平定までしばらく出兵は延期された。4月に西郷従道(西郷隆盛の弟)を陸軍中将に任じ台湾蛮地事務都督とし、大蔵卿大隈重信を台湾蛮地事務都局の長官とした。また、アメリカ人ル・ジャンドル(李仙得)を台湾蛮地事務都局出仕とした。 西郷従道は艦隊をひきいて品川から長崎へ行き、佐賀の乱の事後処理にあたっていた大久保利通と台湾政策を協議するとともに、兄の西郷隆盛に士族兵のあっせんを求めた。西郷隆盛はおおいに喜んで約300人の部隊を長崎に送った。兵は合計約3,600人になった。 ところが、長崎出航まぎわに、アメリカから借り上げる予定だった船に不都合がおきた。アメリカ公使が更迭し新任の公使は事情がよくわからず事がはかどらなかった。 また、品川出航直後に、イギリス公使は日本政府へ台湾の領有権について抗議的質問をしてきた。日本側の理屈を説明したが承知せず、派兵を日清間の戦争とみなしイギリスは局外中立に立つと申し入れてきた。アメリカの新任公使も、本国政府の指令により局外中立に立つと決し、輸送船を貸すことやアメリカ人の従軍を禁止した。イタリア・ロシア・その他の各国公使も英米公使にならった。 アメリカと連携した計画は御破算となり、大久保利通を中心とする日本政府は事の重大性に驚いてとりあえず派兵を見合わせることにしたが、西郷従道はこれに従わず日本の軍艦だけで出航させた。 ここにいたっては断然出兵と決し、日本政府は駐清公使から清国に対し、今回の派兵は清国に敵対する意思はないとして了解をもとめようとした。 また、アメリカの船にかわって、13隻の汽船を買い上げることになった。買い上げた船は、後に三菱会社に無料で貸し下げられて政府の必要に応じることとされ、三菱財閥の基礎をつくることになった。 日本軍は、5月22日に台湾西南部の社寮(しゃりょう)に上陸、6月1日から牡丹社へ進撃を開始し1日でこれを降伏させた。それ以外の住民は反抗しなかったため、宥和策をとった。 一方、清国との交渉は、いっこうにはかどらなかった。9月には大久保利通が北京に入り、清国の李鴻章と交渉した。駐清イギリス公使の仲裁により、ようやく10月31日に調印にこぎつけた。その主な内容は、次のとおり。 ・清国は、今回の遠征が「民を保つ義挙」により起こったことを認める。 ・清国は、被害琉球人の見舞金10万両(テール)を支払う。 ・台湾現地における日本の施設を清国が接収する代償として40万両(テール)を支払う。 ・日本は即時に撤兵する。 これによって、台湾が清国の領土であることを日本が認めたことになり、また、清国は琉球人が日本人であるということを認めた形になった。 【LINK】 YouTube ≫ 【台湾チャンネル】第33回、戦いが生んだ日本人とパイワン族の友情、他[桜H26/5/29] 〜台湾出兵については、12分19秒付近から。 【参考ページ】 1874年 日本が台湾に出兵 〜このページ 1894年 日清戦争(〜1895) 1895年 日本が台湾総督府を設置(リンクのみ) 1945年 日本がポツダム宣言を受諾して降伏 1947年 台湾で二・二八事件(リンクのみ) 1949年 中華民国政府が台湾へ移転 参考文献 「世界の歴史20 中国の近代」市古宙三著、河出文庫、1990年 「教養人の日本史(4) 江戸末期から明治時代まで」池田敬正、佐々木隆爾著、社会思想社 教養文庫、1967年 「クロニック世界全史」講談社、1994年 「新訂版チャート式シリーズ 新世界史」堀米庸三・前川貞次郎共著、数研出版、1973年 更新 2016/1/5 |