1945年 日本が無条件降伏1941年(昭和16年)12月の真珠湾攻撃によって開始された太平洋戦争は、初期においては日本が優勢であったが、1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦、同年8月のガダルカナル戦で敗北し、形勢は逆転した。 連合軍は、1944年(昭和19年)6月にサイパン島へ上陸、1945年(昭和20年)4月には沖縄本島へ上陸した。沖縄戦は、一般市民も巻き込んで多数の死者を出して6月23日に終結した。 サイパン島から、長距離爆撃機B29による日本本土への爆撃が行なわれた。1945年(昭和20年)3月には焼夷弾を使って東京が爆撃され10万人以上の死者が出た。その後も大阪、名古屋などの大都市や、地方の中小都市への爆撃が行なわれた。 同盟国のドイツは1945年(昭和20年)5月に無条件降伏した。同年7月に、ドイツの戦後処理問題などを協議するため、アメリカのトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリンが、ドイツのベルリン郊外にあるポツダムで会談を行なった。この会談中の7月26日に、アメリカ、イギリス、中国の3か国の名前で日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言が発表されたが、日本政府は天皇の地位を守ることができないと判断してこの宣言を無視し、国民に本土決戦をよびかけていた。 アメリカは、8月6日に広島へ、8月9日に長崎へ原子爆弾を投下した。 一方、それまで日本とは交戦していなかったソ連が、日ソ中立条約を破棄して8月8日に日本へ宣戦し、日本が占領していた満州(現在の中国北東部)へ侵入し戦闘を開始した。8月20日には樺太(サハリン)南部へも上陸している。 8月10日、日本政府は、国体護持を条件としてポツダム宣言を受諾することを、中立国のスウェーデンとスイスを通じてイギリス、アメリカ、ソ連、中国の4か国へ伝えた。 さらに、8月14日、天皇も加わった最高会議で無条件でのポツダム宣言受諾を決定し、当日、スイスの加瀬公使から4か国へ伝えられた。 翌8月15日、天皇の玉音放送がラジオを通じて流され、国民へ終戦が知らされた。 軍隊は武装解除され、大きな騒乱を招くことなく連合軍の占領統治下に入った。 【GHQによる主な占領政策】 連合国総司令部(GHQ)の指揮の下に日本政府が置かれるかたちで占領統治が行われた。GHQは実質的にはアメリカが単独で運営し、主に次のような施策が実施された。 (1) 陸海軍の解体 (2) 言論、思想および宗教の自由 (3) 報道の自由 (4) 教育改革 (5) 財閥解体 (6) 農地改革(大地主の解体) (7) 公職追放(軍国主義者の排除) (8) 戦争犯罪者の処罰(東京裁判) (9) 新憲法の策定 (10)公務員のスト禁止 (11)ドッジ・ラインによる緊縮財政 (12)単一為替レート(1ドル=360円)の設定 (13)シャウプ勧告による税制改革 【戦後インフレと食料不足】 戦災などにより国内の生産力が著しく低下しているうえ、連合国からの経済封鎖が続いており、また、連合国の占領統治費用をまかなうために通貨発行量が急増するなどにより、急激なインフレが発生した。闇市では少ない物資が高値で売買された。政府はインフレ抑制策として、新通貨の発行(新円)や預貯金の一部凍結なども行ったが、インフレはなかなか沈静化しなかった。 政府の配給が続けられた米は配給が滞りがちで、都市部の住人は食料を求めて農村部への買い出しを行った。1946年5月24日には、食糧難に対する国民の相互協力を呼びかける天皇のラジオ放送が流された。また、アメリカからの食料援助も行われている。 【戦後の生活】 戦後初の企画映画「そよかぜ」が発表され、主演した並木路子の歌う「りんごの歌」が大ヒットした。 虱(しらみ)の媒介する発疹チフスが蔓延し、死亡率も高く社会問題となった。虱退治にDDTが使われた。(DDTは人体と環境に悪影響のあることがわかり、今は使用禁止になっている。) 【参考ページ】 1945年 広島、長崎に原子爆弾投下 1945年 HP作者の叔父が樺太で戦死【LINK】 参考文献 「新訂版チャート式シリーズ 新世界史」堀米庸三・前川貞次郎共著、数研出版、1973年 「世界の歴史23 第二次世界大戦」上山春平、三宅正樹著、河出文庫、1990年 「中学歴史の精解と資料」佐々木隆爾、藤井譲治編著、文英堂、2002年 「日本全史 ジャパン・クロニック」講談社、1991年 「講和条約 戦後日米関係の起点 第一巻」児島襄著、新潮社、1995年 更新 2006/8/27 |
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