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1895年 三国干渉


 日清戦争(1894年)で中国の清朝に勝利した日本は、1895年に日本の下関で講和条約を結んだ(下関条約)。このなかの項目のひとつに、中国から日本へ、遼東半島・台湾・澎湖島を割譲するというものがあった。
 ロシアフランスドイツとともに、遼東半島を日本が所有することは、清国の都を危うくし朝鮮国の独立を有名無実なものとするという理由で、日本へ圧力を加え、遼東半島を中国へ返還させた。これを「三国干渉」と呼んでいる。

 三国は、その後、中国の清朝から次々と権益を獲得していく。
 ロシアは、1896年に東清鉄道の敷設権を、1898年には旅順・大連を租借地とし、東清鉄道をそこまで延長する権利を得た。
 ドイツは、1898年に山東省でドイツ人宣教師が殺害された際に、膠州湾を租借し、山東半島を横断する鉄道の敷設権を得た。
 フランスは、1895年に雲南方面における鉄道敷設権を得、1899年には広州湾を租借した。

 また、イギリスは、すでに香港の割譲を受けていたが、1898年に、ロシアの南下に対抗するために山東半島北岸の威海衛を租借し、香港の対岸の九竜半島も租借した。

 アメリカだけはアジアへの進出が遅れ、フィリピンを獲得した後、1899年に国務長官ジョン・ヘイが中国に対する門戸開放を提唱した。



【LINK】
LINK 徹底歴史研究同盟Library(図書館&資料館)資料館三国干渉に関するやりとり





参考文献
「新訂版チャート式シリーズ 新世界史」堀米庸三・前川貞次郎共著、数研出版、1973年
LINK 徹底歴史研究同盟Library(図書館&資料館)資料館三国干渉に関するやりとり


更新 2003/4/21

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