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アメリカ兵による犯罪[GHQの日本占領政策]


 GHQによる日本占領期間中のアメリカ兵による犯罪は、報道統制検閲などによって、隠蔽されていたようだ。

 水間政憲氏の書いた、雑誌「SAPIO 2007年4月11日号」の「秘史発掘! 封印されていた占領下の米兵「日本人婦女子凌辱事件」ファイル」と題する記事に、概ね以下のような記述がある。
 日本の特高警察(特別高等警察)は、米軍進駐後から特高警察が解散させられるまでの間、進駐軍の素行調査をしていた。そして、この間の調査結果を、「進駐軍ノ不法行為」(内務省警保局外事課)として1冊に取りまとめた。記載内容は、1945年8月30日〜同年10月4日に及ぶ。
 特高警察が廃止された際に、全国の特高は書類を処分してしまったが、この1冊は没収されて米国に持ち去られ、その後1973年12月に日本に返却されて、日本の国立公文書館に所蔵されていたところを、水間政憲氏が発見した。
 また、水間政憲氏は、この調査の過程で、五島勉 著「黒い春 <米軍・パンパン・女たちの戦後>」(1953年)(注:当サイト管理人がネットで調べたところ、倒語社から1985年に出ているようです(これは復刻版?)。)という本のあることを見つけ手に入れた。五島勉氏は、1948年から調査を開始し、被害者本人・家族・友人・目撃者など1000人にも及ぶ面接にもとづいてこの本をまとめた。
(以上の出典は、LINK 水間条項(初代)−国益最前線国益スクープ慰安婦問題 の「秘史発掘! 封印されていた占領下の米兵「日本人婦女子凌辱事件」ファイル」の項)

 当時の日本政府は、米兵による犯罪を防止するために、米軍将兵用の慰安所を設置したものとみられる。


【犯罪の状況】
 水間政憲氏の書いた、雑誌「SAPIO 2007年4月11日号」の「秘史発掘! 封印されていた占領下の米兵「日本人婦女子凌辱事件」ファイル」と題する記事から、犯罪の状況が分かる部分をいくつか引用します。
(引用元は、LINK 水間条項(初代)−国益最前線国益スクープ慰安婦問題 の「秘史発掘! 封印されていた占領下の米兵「日本人婦女子凌辱事件」ファイル」の項)
 なお、引用文中の (注)は、当サイト管理人による注です。また、引用元に記載されているルビ(ふりがな)は、小さい字の( )で示します。
 ファイル(注:特高警察がまとめた冊子「進駐軍ノ不法行為」を指す。)によれば、1945年8月30日〜9月10日の12日間分だけでも強姦事件9、ワイセツ事件6、警官にたいする事件77、一般人に対する強盗・略奪など424件(この中には後述するような理由(注:「民家に米兵が押し入り、若い女性から腕時計だけ強奪して逃走せり」との記述が散見する。)で強姦事件も含まれていると考えられる)。特別事件として「葉山御用邸侵入」「二重橋ニ侵入皇居撮影事件」「宮様御用列車ニ同乗未遂事件」などが発生している。
「特高」は解散命令が出た10月4日の記録も残している。その日の記録には「各種学校、倉庫等ニ侵入シ保管品等ヲ不法徴発 被害発生場所 屋内10件 屋外10件」「両国ノ浴場ニテ女性暴行未遂事件」などとある。
 掠れた(注:かすれた)ページもあり、正確な数字ではないが、全ファイル約1か月間で少なくとも強姦37件(未遂を含む)、その他の不法行為945件を数える。

 ファイル(注:特高警察がまとめた冊子「進駐軍ノ不法行為」を指す。)に記された調書をつぶさに見ていこう(公開された文書は被害者の氏名などが黒塗りにされており、その部分は省略して記す)。強姦事件は、米軍の進駐とほぼ同時に始まっている。8月30日は横須賀に海兵隊が上陸した日だが、いきなり事件が発生している。
<強姦事件
(一)八月三十日午後六時頃 横須賀市○○方女中、34 右一人ニテ留守居中、突然米兵二名侵入シ来リ、一名見張リ、一名ハ二階四畳半ニテ○○ヲ強姦セリ。手口ハ予(あらかじ)メ検索(ママ)ト称シ、家内ニ侵入シ、一度外ニ出テ再ビ入リ、女一人ト確認シテ前記犯行セリ
(二)八月三十日午後一時三十分頃 横須賀市○○方。米兵二名裏口ヨリ侵入シ、留守居中ノ右同人妻当○○三十六年(注:ママ。「○○当三十六年」?)、長女○○当十七年ニ対シ、拳銃ヲ擬シ(注:擬する=(1)見立てる。なぞらえる。(3)刀などを突きつける。あてがう。)威嚇ノ上、○○ハ二階ニテ、○○ハ勝手口小室ニ於テ、夫々(それぞれ)強姦セリ(以下略)>
 同年9月1日、房総半島に米軍上陸。ここでも事件発生。
<○○方ニ侵入セル米兵三人ニ留守番中ノ妻(二八)(中略)奥座敷ニ連行、脅迫ノ上、三人ニテ輪姦セリ>
<九月一日午後六時頃 トラックニ乗リタル米兵二名(中略)市内○○ニ来リ女中一名(24)連レ去リ(中略)野毛山公園内米兵宿舎内ニ於テ米兵二十七名(ニ)輪姦サレ假死(注:假死=仮死)状態ニ陥リタルモ(中略)三日米兵ニヨリ自宅迄送リ届ケラレタリ>
 このような記載が「特高」解散の10月4日まで続く。
<九月十九日夜十一時頃、(横浜市)保土谷区、出征中○○妻(27)、(中略)ニ侵入シ「ジャックナイフ」デ情交ヲ迫リ、被害者之ヲ拒否シテ戸外ニ逃避セルヲ(中略)畠(畑)ニ連行、三名ニテ輪姦シタル。更ニ通中(注:ママ。通行中?)ノ三名ノ黒人兵ガ同所ニ於テ輪姦逃走セリ>
 調書を総覧すると、米兵の蛮行が眼前に浮かんでくる。
 警察官はいたるところで暴力を振るわれ、拳銃を取り上げられている。一般人は、「乗用車」「ラジオ」「現金」「腕時計」「背広」や「ゲタ」まで、手当たり次第に強奪されていた。
<九月二日午前十一時三十分頃武装米兵六名ハトラックニテ横浜市中區(注:區=区)山手町二一二番地共立女学校内、校長神保勝也ニ侵入各室ヲ物色シタル後現金二千七百十圓(注:圓=円)及ウオルサム腕時計一個ヲ強奪逃走セリ>
 とこのような「強奪逃走せり」が続くのだ。
 その中に、首を傾げたくなる記述がある。それは、「民家に米兵が押し入り、若い女性から腕時計だけ強奪して逃走せり」との記述が散見することである。
 貞操は取り返すことができずとも、せめて当時、貴重だった「腕時計」だけでも、取り返したいとの思いから被害届を出していたのではと思われる。先述した945件の強盗・略奪に強姦(あるいは強姦未遂)も入っているのではないかと考えるのはこのためである。
 このような状況は、神奈川県民を震撼せしめたであろう。当時の朝日新聞(1945年9月5日付)は三段見出しで「神奈川県の女性徒は休校 教職員が家族を巡回指導」と記している。
 しかし、9月19日、GHQ「プレスコード」が発令されて以後は米兵を批判する記事は、新聞紙面からすべて消えている。これで米国は、「強姦」など人道上の米軍の犯罪を封印できたと考えたであろう。しかし記述のように「特高」の調書は、言論統制されてからも継続して綴られていたのだ。

 当時の憤りを取材して『黒い春 <米軍・パンパン・女たちの戦後>』を1953年に五島勉氏が出版している。その内容は、調書(注:特高警察がまとめた冊子「進駐軍ノ不法行為」を指すと思われる。)よりも残酷さがひしひしと伝わってくる。五島勉氏は1948年から調査を開始し、本人やその家族・友人・事件の目撃者など1000人にも及ぶ面接にもとづいて占領下の空白時期をまとめた。
 その中の、元外務省外局・終戦連絡委員会横浜事務局の北林余志子氏の作成した米軍の横浜市内と県下の一部を含む、不法行動リストによると、10月末日までで強姦29件となっている。しかも、届け出ない件数は数十倍になると証言しているのだ。
 五島氏は「印刷ミスではない」と断わってこう記す。
「T子(十一歳・武蔵野市小学五年生)R子(同)A子(同)の三人は、十月(中略)武蔵野の林のなかを仲よく手をつないで歩いていた」
<キャンプ・トコロザワの近くで夢中でスケッチをしていると、まずR子がおそわれ、次々に米軍の餌食になってしまったのだ。彼女達のスカートは切られ、何が起こったのか全然わからなかった。R子とA子は気絶し、T子はまた泣き叫ぶと、アメリカ兵は彼女の顔を蹴り、ジープで去った>(要旨、以下同)
 このような事件が全国で続発している中で、1946年4月東京・大森で恐ろしい事件が勃発した。
<N病院(=中村病院。その後廃業し、跡はビルと道路になった)は三台のトラックに分乗した米兵によって、およそ一時間ちかくも病院じゅうを荒らされた。彼等の総数は二百人とか三百人とかという説もある。婦人患者のうち重傷者をのぞく四十数人と看護婦十七人、ほかに十五ないし二十人の付添婦・雑役婦などが凌辱された>
「彼等は大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちのふとんを剥ぎとり、その上にのりかかった」「二日前に生まれたばかりの赤ちゃんフミ子ちゃんは、一人の兵隊にユカに蹴落とされて死んだ」「M子などは続けさまに七人の兵隊に犯され、気絶した」
 そして、「裸でころがっているあいだを通って、侵入してきたときと同様、彼等は表玄関と裏口から引き揚げていった」――慄然とする内容である。
 安倍首相や駐米大使(*)がひたすら日本は既に「謝罪している」として、逆に「従軍慰安婦」を既成事実化するかのような姿勢であるのにたいして、自民党の戸井田とおる議員は2月21日(注:この雑誌が発行された2007年のことと思われる。)の衆院内閣委員会でこう質した。
「(決議案(注:「アメリカ合衆国下院121号決議」と思われる。2007年6月26日に米国下院外交委員会で、同年7月31日に米国下院本会議で、可決されている。)を提出した)マイク・ホンダ議員に翻訳して差し上げてもらいたい資料がでてきました。(中略)これは、官報号外、昭和28年2月27日に載った第15回国会の社会党の藤原道子議員の質問の議事録です。(中略)そこにはこのように書かれてあります。『米軍の暴行事件は、昨年十二月まで独立後』独立後ですよ、『八ヶ月間におきまして千八百七十八件を数え、なお泣き寝入りになっておりまする件数は膨大な数であろうと想像されております』」
 戸井田議員は、この資料で米国に攻めに転じよと言っているわけだ。同官報にはこう続けられている。
「各地における青少年の特に性犯罪、学童の桃色遊戯等の取調の際、彼らは係官に対して、アメリカ兵の真似をしたことがなぜ悪いかと反問し、大人の世界に精一杯の抗議をいたしておるのであります」
 いまだ数々の戦争犯罪に対して、一度も謝罪したことのない米国に、なぜ毅然とした態度で挑まぬのか。米国は、日本を非難する前に、ワシントン国立公文書館や米軍公文書館で調査してみよ。
 慰安婦非難決議の第4項にこうある。
「現在と未来の世代にわたり、このようなおぞましい犯罪があったことを教育せよ」
 この言葉、そっくりそのまま米国にお返しする。

*加藤良三・駐米大使は決議案が提出されている米国下院議会に、日本政府は慰安婦問題の責任を認めて謝罪を済ませている。元慰安婦への補償としてアジア女性基金に4000万ドルを拠出している、などの書簡を送った。


【米軍用慰安所の設置】
 水間政憲氏の書いた、雑誌「SAPIO 2007年4月11日号」の「秘史発掘! 封印されていた占領下の米兵「日本人婦女子凌辱事件」ファイル」と題する記事から、引用します。
(引用元は、LINK 水間条項(初代)−国益最前線国益スクープ慰安婦問題 の「秘史発掘! 封印されていた占領下の米兵「日本人婦女子凌辱事件」ファイル」の項)
 1945年8月21日の閣議で近衛文麿国務相が、米軍兵士用の慰安所の設置を主張し、池田勇人主税局長の裁断で5000万円の貸し付けが決定し、1945年8月28日「特殊慰安施設協会」(後に、国際親善協会RAAと改称)が設立された。
 その目的は、「関東地区駐屯軍将校並びに一般兵士の慰安施設」となっていた。GHQは、1945年9月28日、都内の占領軍人用売春街を指令している。
 しかしこれでも日本人婦女子の貞操が守れなかったのである。実際は主権回復後まで膨大な数の女性が「強姦」されていた。





【LINK】
アメリカ兵による犯罪
LINK 水間条項(初代)−国益最前線国益スクープ慰安婦問題 の「秘史発掘! 封印されていた占領下の米兵「日本人婦女子凌辱事件」ファイル」の項
 このサイトで、水間政憲氏が、「SAPIO 2007年4月11日号」の「秘史発掘! 封印されていた占領下の米兵「日本人婦女子凌辱事件」ファイル」と題する記事を公開している。
 この記事で、日本占領中のアメリカ兵による犯罪を記録した資料として、下の2つを取り上げてその内容の一部(大規模な組織的な犯罪や残虐非道の犯罪を含む)を紹介している。
@日本の特高警察が解散させられるまでの間に取りまとめた1冊で、「進駐軍ノ不法行為」(内務省警保局外事課)。(調査期間は1945年8月30日〜10月4日)。
A五島勉 著「黒い春 <米軍・パンパン・女たちの戦後>」1953年。(注:当サイト管理人がネットで調べたところ、倒語社から1985年に出ているようですので、こちらは復刻版でしょうか?)
LINK YouTube ≫ 2/3【討論!】中国の属国化した韓国と慰安婦問題[桜H25/8/3]
 この動画(2/3)の7分12秒付近から、慰安婦問題と日本から韓国への経済支援との関係について。
 この動画(2/3)の11分35秒付近から、終戦直後の日本での米軍による多くの強姦事件とGHQによる隠蔽工作について。
 この動画(2/3)の19分45秒付近から、水間政憲氏の発言によると、昭和28年の国会議事において、@日本の独立(昭和27年4月28日)以降昭和27年12月までの8か月間で、日本での米軍による強姦事件は 1878件で、Aまた、米軍の司令官(仙台など)が知事に命じて売春パスポート(日本の厚生省は禁止)を発行させていたことが問題視されている。
LINK YouTube ≫ 【水間政憲】従軍慰安婦捏造の根源「アメリカ」の真実[桜H25/8/26]
 この動画に、日本占領軍のアメリカ兵による日本人強姦事件などについて、水間政憲 氏の発言がある。
LINK YouTube ≫ アメリカ占領軍の蛮行 従軍慰安婦捏造の根源 水間政憲
LINK やましょき - やっぱ、山ちゃんと書記長が主役だよね資料保管庫慰安婦問題アメリカ軍の性犯罪 〜「SAPIO 2007年4月11日号」の水間政憲氏の記事
・Allan Clifton(アラン・クリフトン)著「Time of the Fallen Blossoms(桜の散るとき)」 〜著者は、オーストラリア人のようです。
LINK Michael Yon JPオーストラリアと米国の兵士(2018年5月13日付)
LINK Michael Yon JPアメリカ人、オーストラリア人、フィリピン人の兵士の犯罪(2018年5月17日付)
世界史年表51950年 日本で小倉黒人米兵集団脱走事件
米軍用慰安所
LINK ねずさんの ひとりごと小町園の悲劇
LINK 多摩湖畔日誌米軍・女性兵士用「慰安夫」
LINK 特殊慰安施設協会 - Wikipedia
米兵との混血児
LINK GIベビー - Wikipedia
LINK アメラジアン - Wikipedia
LINK エリザベス・サンダースホーム - Wikipedia
LINK パンパン - Wikipedia
慰安婦(従軍慰安婦)問題
LINK アメリカ合衆国下院121号決議 - Wikipedia 〜従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議
戦場と性
LINK 千日ブログ 〜雑学とニュース〜日本以外の慰安婦問題 アメリカと韓国は第二次世界大戦後も利用



【参考ページ】
1945年 日本がポツダム宣言を受諾して降伏
1945年 日本人捕虜のシベリア抑留(リンクのみ)
公職追放[GHQの日本占領政策](リンクのみ)
報道統制[GHQの日本占領政策]
焚書[GHQの日本占領政策]
教育委員会制度[GHQの日本占領政策](リンクのみ)
アメリカ兵による犯罪[GHQの日本占領政策] 〜このページ
1946年 日本国憲法公布
1950年 朝鮮戦争(〜1953)(リンクのみ)
1950年 日本で小倉黒人米兵集団脱走事件
私の思うところアメリカの覇権に関するリンク集 の「■アメリカの戦争犯罪■ 」の項
私の思うところ日本の歴史認識 (特に「○水間政憲」の項)
私の思うところ反日宣伝に関するリンク集 (特に「慰安婦(従軍慰安婦)問題」の項)





参考文献
LINK 水間条項(初代)−国益最前線国益スクープ慰安婦問題 の「秘史発掘! 封印されていた占領下の米兵「日本人婦女子凌辱事件」ファイル」の項
LINK コトバンク擬する



更新 2018/5/17

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